序——なぜブレマーか
スネル紹介論文(覚え書きXX)で確認したように、ホメロスの人間は、統一された「心」あるいは「魂」に相当する概念をまだ持っていなかった[4][16]。しかしスネルのこのテーゼは、本質において否定の命題である——ホメロスにないものを言い当てはしたが、それでは当時の人間は自らの内面をいかなる構造において把握していたのか、という積極的な問いには、語彙の並列的な記述以上の答えを与えていない。この空隙を、宗教民族学の理論的装置によって正面から埋めたのが、オランダの宗教史家ヤン・N・ブレマー(のちフローニンゲン大学教授)の『初期ギリシアの魂概念』(1983年)である[1]。
本書は三つの読み方ができる。第一に、スネルの否定的テーゼに人類学的な骨格を与える書として。ブレマーはスウェーデンの宗教民族学者エルンスト・アルプマンの自由魂(free soul)/身体魂(body souls)モデル[2]をホメロス以降紀元前400年頃までの資料に適用し、「統一的魂の不在」を「多元的魂の現前」として書き換えた。第二に、ドッズ『ギリシア人と非理性』(覚え書きXXII)が提示したシャーマニズム伝来説を、モチーフの個別検証によって解体する書として[7]。この側面は「シャーマニズム論考」(覚え書きVII)注三および補章ですでに活用した[15]。第三に、われわれが自明視する「統一的な魂」が普遍的所与ではなく、紀元前5世紀末の社会的変化のなかで成立した歴史的形成物であることを示す書として。本稿はこの三つの読み筋に沿って、本書の全体を紹介する。
第一章 方法——「魂」という語の翻訳問題とアルプマンのモデル
〔核心〕——現代語の「魂」(心理的機能と来世的存続とを一語で担う統一概念)をホメロスに持ち込んではならない。ローデに始まる研究史はスネルの定式化に至って行き止まり、ブレマーはそこに、宗教民族学が世界各地の資料から抽出した自由魂/身体魂の二重構造を、新しい分析枠として導入する。
第一章はいわば方法論的序論である。ブレマーの出発点は、一個の落差の指摘にある。現代人が「魂(soul)」という語に込めるのは、感情と知性という心理的内容と、死後の個人的存続という終末論的内容との両方である。ところがホメロスのプシュケー(psychē)には、心理的内容が一切ない。プシュケーが言及されるのは失神と死という生の危機的場面に限られ、そのとき魂は口や傷口から体を離れて出てゆく——現代の魂概念からかけ離れた、この奇妙な振る舞いこそが、古代ギリシア人がわれわれとは異なる仕方で人間の心的構造を捉えていたのではないかという、本書全体の問いを生む[1]。しかもこの「心理的内容を欠いた魂」は、古英語の sawol など他の諸文化にも広く見られる型であり、ギリシアの孤立した特殊事情ではない。
この比較に伴う方法上の危険を、ブレマーは三点にわたって検討する。第一に、西洋近代の「魂」をそのまま非西洋の概念に当てはめる危険と、これを避けるための新造語主義(オセアニアの魂観念を扱ったフィッシャーらの立場)との折り合いである。ブレマーは、分野ごとに新語を作り続ければ学術的な「バベルの塔」に陥るとして、既存の人類学的術語を用いつつ、ギリシアに存在しない意味合いを持ち込まぬよう注意する、という中道を採る。第二に、近代心理学の知見や語源を安易に用いる危険である。プシュケーが語源的に「息」と関係するとしても、語の意味はあくまで使用の文脈から導かれねばならない。第三に、古典学者は人類学のフィールド調査者と異なり、偏った情報提供者に依存せずテクストと遺物に直接あたれるという利点を持つ一方、史料が断片的で著者ごとの偏りを含み、体系的記述を欠くという固有の困難を負う[1]。
研究史の見取り図も第一章に置かれる。近代的研究の出発点は1894年、ニーチェの友人エルヴィン・ローデの『プシュケー』である[3]。ローデは同時代の人類学(眠っている間に魂が分身として遊離するというアニミズム理論)とホメロスとを結びつけようとした画期であったが、ホメロスにその分身としての魂の実例を見出せず、ピンダロスの断片——身体が眠るあいだも「生命の像」が未来の吉凶を示すと歌う、あの断片131b——に依拠せざるをえなかった点、そして魂の終末論的側面に関心を集中させ、ホメロスの豊かな心理語彙をほとんど分析しなかった点に限界を残した。その後、生者の魂と死者の魂の区別、語源への注目という形で研究は進み、ベーメを経て、スネルの「肉体と精神の統一的概念をまだ持たない」という定式化に至る[4]。
ここでブレマーが導入するのが、アルプマンの理論的モデルである[2]。アルプマンはヴェーダの魂観念の分析から出発して、人格の個体性を代表する自由魂と、身体に生命と意識を与える身体魂との二重構造を見出した。自由魂は夢や失神など無意識時に活動し、意識時には後退する。身体魂は通常、しばしば息と同一視される「生命魂」と、感情や思考を担う「自我魂」とに分かれ、意識ある生のあいだに働く。この二重性は当初は融合しておらず、のちにアートマンのような統一概念へと発展してゆく——この過程がインドのみならず多くの民族に共通して見られることを、アルプマンとその後継者たち(北米資料のフルトクランツ[5]、北ユーラシア資料のパウルソン[6])が示した。ブレマーの基本方針は、このモデルをホメロス〜紀元前400年頃のギリシア資料に適用することである。すなわち、プシュケーを自由魂に、テュモス・ノオス・メノスの語群を身体魂(自我魂)に対応させて読む。
第二章 生者の魂——プシュケーと自我魂群
〔核心〕——プシュケーは自由魂である。失神と死の場面にのみ言及され、心理的属性を持たず、生の存続に不可欠であり、死後に個人を代表する。テュモス(感情)・ノオス(知性)・メノス(衝動)は自我魂である。ただしホメロスの実相は、自我魂が三つに分かれ、さらに身体的・心理的属性を併せ持つ諸器官を伴う点で、アルプマンの単純な二元論より豊かであり、「二元的」よりむしろ「多元的」と呼ぶべき構造をなす。
第二章はこのモデルの適用である。まず自由魂としてのプシュケー。ホメロスにおいてプシュケーが言及されるのは、失神時と死の瞬間という危機的場面に限られる。失神時にはプシュケーが体を離れるが、その帰還が明示的に語られることはない。死に際してはプシュケーは口や胸、傷口から出て、二度と戻らずハデスへ去る。プシュケーには身体的・心理的属性がなく、体内での所在すら明確に記されない。プシュケーが頭部と互換的に用いられる例についても、ブレマーは、魂が頭に宿る証拠ではなく、頭部と魂とがともに「その人全体」を代表する換喩でありうるとして慎重に扱う。体外での活動性、属性の欠如、生の存続への不可欠性、死後の個人の代表——自由魂の定義的特徴とプシュケーの振る舞いとの複数の一致から、プシュケー=自由魂の結論が導かれる。ただしブレマーは、ホメロスの夢が定型化された「文学的な夢」であるため、夢における魂の遊離という自由魂の典型的特徴がホメロスに見えないことは、それが当時存在しなかったことを意味しない、という史料論的留保も忘れない[1]。
次に自我魂群。テュモスは体が活動しているときにのみ働き、恐れ・怒り・喜び・悲しみの座であり、ときに実践的思考をも担って、主に胸部に位置づけられる。ノオスはより知的な機能——思考と意図——を表し、物理的実体を持つものとは考えられていない。メノスは瞬間的な衝動や闘争的な激情であり、「息を吹き込まれる」ようにして全身を満たすという表現に、インド・ヨーロッパ語族に共通する古い観念の残響が認められる。これに加えてブレマーは、フレネス(横隔膜または肺)、プラピデス、コロス(字義は「胆汁」、転じて怒り)、カルディエー・ケール・エートル(心臓系の語群)といった、身体的属性と心理的属性を併せ持つ「未発達な自我的能力」をも論じ、ホメロスの人間観がアルプマンの想定した二項よりはるかに豊かで多様であることを示す。章の結論はここから導かれる——初期ギリシアの魂概念は自由魂と身体魂の二元構造を基礎としつつ、複数の自我魂が並立する点で、「多元的(multiple)」と呼ぶべきものである[1]。
スネルへの態度も、この結論に対応して周到である。ブレマーは、名前による個人の同一性の表現などを挙げて、「初期ギリシア人には心的統一性の概念が全くなかった」という主張をやや行き過ぎとしつつ、当時の人格観が現代とは異なる構造を持っていたこと自体は支持する。すなわち本書は、スネルのテーゼを廃棄するのではなく、その否定形——統一の不在——を肯定形——多元的構造の現前——に書き換えるのである。スネル批判史(覚え書きXXIII)でウィリアムズらの批判を検討した際に確認した「観察は生き残り、飛躍は撤回される」という図式に照らせば[16]、ブレマーの位置は、スネルの観察を人類学の側から補強しつつ、発展史観への飛躍を魂概念の領域で慎重に制御した中間項ということになる。
第三章 シャーマニズム論争の解体——モイリ=ドッズ説の個別検証
〔核心〕——アリステアスとヘルモティモスの伝承は、スキタイ経由の北方シャーマニズムの借用ではなく、ギリシア固有の自由魂信仰の証言である。ドッズの観察——身体が休止するとき魂が活発になる——は正しい。誤っていたのはその説明である。ドッズは自由魂研究を知らなかったために、伝統の内部から説明できるものを、遠方のシャーマニズムに求めた。
第二章の中で最も影響力を持ったのが、シャーマニズム論争にあてられた節である。論争の出発点は、モイリの先駆的論文「スキュティカ」[8]と、これを継承したドッズ『ギリシア人と非理性』第五章である[7]。ドッズは、ピンダロス断片131bやクセノポン、アイスキュロスに見られる「魂は身体の活動と反比例して活発になる」という構図に注目し、これをアルカイック期末に登場した「新しく革命的な、身体と魂の関係についての観念」と捉え、紀元前7世紀頃の黒海貿易を通じたスキタイのシャーマニズム文化との接触にその起源を求めた。アリステアス、ヘルモティモス、アバリス、エピメニデスら「北方」と関わる伝説的職能者たちが、その伝来の証人とされたのである。
ブレマーの反駁は、伝承を構成する個々のモチーフの徹底した検証という形をとる。プロコンネソスのアリステアスの魂が口からワタリガラスの姿で飛び去ったというプリニウスの記事について——モイリが対応物としたシベリア神話の「大ワタリガラス」は、北東パレオアジア諸民族(カムチャツカ・ベーリング海峡周辺)のトリックスターであって、ギリシアへの影響経路が想定しがたく、この鳥形はむしろアポロンとワタリガラスの伝統的結合とメタポンティオン伝説の内部から説明できる。黄金を守るグリフィンとアリマスポイの伝説について——中央アジア神話の変形とするアルフェルディの解釈よりも、ヘロドトス3.102の金掘り蟻の伝説(『マハーバーラタ』・モンゴル・チベットにも分布する広域モチーフ)との連関のほうが説得的であり、「アリマスポイ」の語自体イラン語の「馬」を含む可能性が高い。アバリスの矢について——これを魂の乗り物とするドッズの解釈には、シベリア側にそのような用法の確証がなく、病因としての投射体(矢)の観念と、占具としての矢の広い分布(古代イスラエルにも見られる)とで説明が足りる。オルペウスの預言する生首について——ケルト・アイスランド等に遍在する説話型である。ヘルモティモスのトランス前の脱衣について——シャーマンに限らず後代の霊媒一般に見られる。そしてとどめに、影響源とされたスキタイ人自身が魂の遍歴の観念を持っていたことすら、実は証明されていない[1][9]。
解体ののちの再構築が、本書の白眉である。ドッズが正しく観察した反比例の構図は、アルプマンの言う自由魂の定義的な振る舞いにほかならない。自由魂は身体の休止時——眠り・失神・瀕死——にこそ活動するのだから、ピンダロス以下の証言も、アリステアス・ヘルモティモスの伝承も、ホメロス以来ギリシアに内在する自由魂/身体魂の二元論だけで説明が尽きる。外来の革命ではなく、固有の信仰の連続的な発露である。当初モイリ=ドッズ説を支持したブルケルト[10]がのちに慎重な立場に転じたこと、ブレマー自身が『来世の興亡』(2002年)第三章で対象をオルペウス、フォルミオン、レオニュモスにまで広げて批判を総括し、「モイリの論拠は表面的類似と憶測にとどまり、ドッズは新たな論拠を加えぬまま該当人物の範囲を拡大して、かえって仮説を薄めた」と判定したこと[11]は、この解体が学説史の帰趨となったことを示している。
この帰結を本シリーズの側から見れば、二重の意味を持つ。第一に、「シャーマニズム論考」(覚え書きVII)補章で確認したとおり、伝播説(系統論)が崩れても、脱魂型・周辺的という定位(類型論)は崩れない——むしろ脱魂の状態像が、シベリアという特定の系統に縛られぬ、より広い人類学的基盤(自由魂の観念)の上に立つことが示されて、類型論的運用はかえって強化される[15]。第二に、ブレマーの「脱魂も魂の旅もあまりに広範に見られるため識別特徴たりえない」という批判(p. 48)に対しては、ファロが定義論の側から応答している——常人の自由魂は不随意に遊離するにすぎず、シャーマンは儀礼によって随意に・反復的に・職能として旅する、と[14]。魂の遊離という状態像の普遍性と、それを職能として制御する制度の希少性とは矛盾なく両立する。この点は同論考の注三に詳述したので、ここでは繰り返さない〔注二〕。
第四章 死者の魂——エイドロン・葬送儀礼・アンテステリア
〔核心〕——死後に存続するのはプシュケーのみである。死者は心理的機能を欠く「言葉を持たない影」であり、葬儀は魂をハデスへ導く通過儀礼として機能する。死の様式による死者の階層化は、生者の社会秩序をあの世に映す。そしてアルカイック期のギリシアに、死者の再来=幽霊の観念はほとんど見られない。
第三章「死者の魂」は、まず死の瞬間の分析から始まる。プシュケーは体を離れて二度と戻らずハデスへ赴く。テュモスも死の瞬間に体を離れるが、その行方は不明瞭で、ハデスに言及されることはほとんどない——そのまま霧散して消えるかのようである。ノオスは死の場面で言及されず、メノスは体を離れるのではなく「弛緩する」——疲れた馬が軛を外されるように——と表現される。多元的な魂の複合体は、死において解体するのであり、彼岸へ渡るのはその一成分、生前には何の心理的機能も持たなかった自由魂だけなのである[1]。
ハデスにおける死者の表象も、この解体の帰結を刻んでいる。死者はプシュケーと呼ばれるほか、遺体そのもの、影の比喩、そしてエイドロン——生前の姿を正確に写した分身——として現れる。エイドロンには「死の瞬間の記憶」が強く反映され、傷を負ったまま、血に染まった甲冑のままの姿で描かれる。テュモスもノオスも持たない死者は、正常に話すことも笑うこともできず、きしむような声を立てて飛び回る。ただし死んで間もないパトロクロスのように、生前の記憶が濃く残る場合には死者らしい負性が薄れる例外もある。魂の動物としては、家の守護者の信仰から発展した蛇が墓や英雄と結びつき、プシュケーが「蝶」をも意味するというアリストテレスの証言は、死者との関連の古さを示唆するが確証を欠く[1]。
葬送儀礼の分析には、ファン・ヘネップ=ターナーの通過儀礼論が枠として用いられる[13]。葬儀は魂を生者の世界からあの世へ移行させる rite de passage であり、埋葬されない遺体はハデスに入れず境界に取り残される——海での死への恐怖も、裏切り者への埋葬拒否という刑罰も、この観念を背景とする。火葬と土葬の使い分けは死者の地位の区別を反映し、自殺者・子供・青年・奴隷は多くの場合正規の葬儀を受けられず、あの世でも劣位に置かれた。他方、戦死者や落雷死者のような「異常な死」を遂げた者の一部は逆に英雄化され、特別な地位を得る。死の様式による差別化が、古代ギリシア社会の身分秩序をそのままあの世に映していたのである[1]。
本章で最も鮮やかなのは、アンテステリア祭の再解釈であろう。アルカイック期のギリシアには、死者が幽霊として生者の世界に帰還するという証言がほとんど残っていない。唯一の手がかりとされてきたのが、アテナイのアンテステリア祭に死者の霊が訪れるという通説であり、その根拠は「戸口から出よ、カレス(またはケレス)よ、アンテステリアは終わった」という諺であった。ブレマーはこの諺を再検討し、ここで追い出されるのは死者の霊(ケレス)ではなく、祭の期間だけ共同体に迎え入れられる「境界的なよそ者」——カリア人(カレス)に代表される異邦人や奴隷——である可能性が高いと論じる。通過儀礼のリミナルな時期に、社会の外部にいる者が一時的に受け入れられるというターナー的構造[13]と整合的な、構造的受け入れ儀礼としての読み替えである〔注一〕。死者の魂が「言葉を持たない影」として否定的に特徴づけられたことは、個人よりも共同体の存続を重んじた暗黒時代の小規模社会の反映であり、紀元前8世紀以降の社会変化とともに、個人としての死への関心が強まってゆく——章はこの歴史的展望で閉じられる。
第五章 統一的魂の成立——そして本書のその後
〔核心〕——心理的機能を持たなかったプシュケーが感情と知性を吸収し、意識の中心となって統一的魂概念が確立するのは、識字化と個人主義の台頭が進んだ紀元前5世紀末である。「統一的な魂」は普遍的真理ではなく、社会の高度化が生み出した歴史的な形成物である——本書の最終命題は、概念の歴史性というこの一点にある。
ブレマーによれば、プシュケーは語源的に「息」を意味する動詞と結びつき、アルプマンの言う生命魂から統一的魂へと発展してゆく途上にあった。この発展が完成するのは紀元前5世紀末——都市国家の発達と識字化に伴って「私」という個人の責任が重視されるようになり、プシュケーが感情と知性を吸収して意識の主体となった時である。魂についての体系的な哲学的考察が始まるのは、この転換の後である。われわれが「魂」の名で自明視している統一概念は、ホメロスの多元的構造から数世紀をかけて形成された、一個の歴史的達成なのである[1]。
本書のその後についても一言しておく。アルプマンの民族学的範疇をホメロスに適用するという方法そのものは、その後の古典学から異論を受けている。代表的なものとして、クラークの『ホメロスの歌における肉体と精神』(1999年)は、プシュケー・テュモス等の語群を截然と分かたれた複数の「魂」ないし行為主体として扱う読み方を批判し、ホメロスの心的語彙を、身体的生命の一つの過程の諸相として統一的に読むことを提案した[12]。〔要確認〕クラークの議論の要約は現時点で拙見の記憶に拠っており、確定稿までに原典で確認する。またブレマー自身、『来世の興亡』(2002年)で本書の議論を更新している[11]。しかし、シャーマニズム伝来説の解体という本書の否定的成果は今日まで覆っておらず、定義論争の総括者ファロが、脱魂の識別力をめぐる代表的批判として引証するのも本書である[14]。細部の修正を吸収しながら、本書は参照の基準であり続けている。
最後に、本シリーズにおける本書の位置を確認して結びとしたい。第一に、本書はスネルの否定的テーゼ(XX・XXIII)に自由魂/身体魂という積極的構造を与え、ホメロス的人間の「多元的意識」を記述可能にした。第二に、ドッズ案内(XXII)で紹介した最も魅力的な仮説を最も周到に解体し、その解体がかえって「シャーマニズム論考」(覚え書きVII)の類型論的座標系を強化するという、逆説的な貢献をなした[15]。第三に、「統一的魂は歴史的形成物である」という最終命題は、統一的自己の成立を口承から筆録への移行のなかに探る本シリーズの中心的関心——稗田阿礼の集団と太安万侶の筆録をめぐる諸論考——と、正確に共鳴する。そしてこの共鳴は、わが国の魂概念そのもの——遊離するタマを鎮め振り起こす鎮魂(たまふり)の観念、後代の離魂譚——に自由魂/身体魂モデルを試みるという、次の課題を指し示している。これは本稿の射程を超えるので、独立の論考に譲る。