| 序 | 問いの設定——一語の移動が意味するもの | 6 分 |
| 第一節 | 19 世紀フランス——「意志の病理学」の誕生 | 12 分 |
| 第二節 | ドイツ語圏の精緻化——クレペリンからシュナイダーへ | 15 分 |
| 第三節 | ヤスパース『一般精神病理学』——三語の体系化 | 12 分 |
| 第四節 | エー「研究 11 衝動」——二つの伝統の総合 | 10 分 |
| 第五節 | 三語の解剖——impulse / drive / urge | 8 分 |
| 第六節 | ICD-10 から ICD-11 へ——四つの変更と間欠爆発症 | 8 分 |
| 第七節 | 法医学的含意と結論 | 4 分 |
Impulse control disorders are characterized by the repeated failure to resist a strong impulse, drive or urge to perform an act that is rewarding to the person…衝動制御症は、当人にとって少なくとも短期的には報酬的な行為を実行したいという強い衝動・欲動・urge に抵抗することの繰り返しの失敗によって特徴づけられる……(CDDR, p. 519)
On n’est réellement fou que lorsque la volonté est impuissante à dompter les impulsions.意志が衝動を制御できなくなったときにのみ、人は真に狂気に陥る。Baillarger, 1853(Ey, Étude N° 11, p. 163 より)
知性が保たれているにもかかわらず単一の病的行動に支配される状態——衝動の最初の医学的記述。診断の核心は「良心が咎め、意志がもはや制御する力を持たない行為」の認定にあった
ダゴネの「衝動性狂気」、ヤコビの「衝動性モノマニー」——名称の変遷とともに概念の限定が進む
強迫観念と結びついて方向が定まる——「主体が衝動の駆り立てや、衝動システムの抗いがたい実現への傾向と闘う」という構図
いずれにせよ、「衝動」が単なる「衝動」や「行為への傾向」として留まる場合と、すでに実行された行為として捕えられる場合との共通点の中にこそ、「衝動的構造」の正しい定義の要素を見出す必要があるのである。(Ey, Étude N° 11, p. 163)
わが国の刑法第 64 条も、この趣旨に基づいて制定されたものであり、同条は、精神錯乱の場合と、犯罪者が「抗し得ない力に強いられた」場合の両方を規定している。これこそが、「衝動」という概念の最も一般的な内容である。(Ey, Étude N° 11, p. 163)
Trieb の代わりに Streben(希求)と言うこともできる。これは奇妙なことである。Trieb は受動的に響き、Streben は能動的に響く。しかしそれは、後ろから押される能動性なのである。それは、駆り立てられてあること(Getriebensein)を背に負っている。(Schneider, Klinische Psychopathologie, Anhang)
Wille ist die Möglichkeit, zwischen zwei oder mehr verschiedenen Strebungen zu entscheiden. Er selbst hat keine eigene Kraft, er kann nur den Strebungen die Handlung freigeben oder sie versagen.意志とは、二つ以上の異なる欲動の間で決断する可能性である。意志それ自体は固有の力を持たず、欲動に行為を解放するか拒否するかができるのみである。(ハルトマンの層論を参照しつつ)
Wir unterscheiden das Erleben eines primären inhalts- und richtungslosen Dranges, die unbewußt auf ein Ziel gehenden natürlichen Triebe, den mit bewußten Zielvorstellungen, mit dem Wissen um Mittel und Folgen geschehenden Willensakt.われわれは区別する——一次的な、内容なく方向のない Drang の体験と、意識することなく何らかの目標へと向かう自然な欲動(Trieb)と、意識的な目標表象を伴い、手段と結果についての知識をもってなされる意志行為とを。(Jaspers, 9. Aufl., S. 98)
ただ「押し出してくる」力——対象・目標が与えられて次段へ
意識的目標表象+手段と結果の知識が加わって次段へ
「選択と決断の何らかの体験が存在するところ」にのみ意志が語られる
Such urges, like frustrated instincts, simply find an object; instincts always seek their object, whereas volition determines the wanted object.このような Drang は、その対象をただ見出すにすぎない。欲動は常にその対象を探し求める。そして意志は、意欲される対象を規定するのである。(英訳 p. 118;独語原文照合待ち)
Wenn Triebregungen ohne weiteres, ohne Kampf, ohne Entscheidung, aber doch unter verborgener Kontrolle der Persönlichkeit zur Entladung kommen, spricht man von Triebhandlungen. […] Abnorm nennt man sie dann, wenn für unser einfühlendes Verständnis keine Möglichkeit begreiflich ist, durch die sie hätten unterdrückt werden können.欲動が葛藤なく、決断なく、しかし人格の隠れた制御のもとで放出されるとき、欲動行為(Triebhandlung)と語る。現象が抑制されず、抑制不能で、完全に制御されていないとき、衝動的行為(impulsive Handlung)と語る。われわれの共感的理解にとって、その抑制の可能性が理解できないとき、それを異常と呼ぶ。(Jaspers, 9. Aufl., S. 99)
帰宅の途中で、まったく突然に、青天の霹靂のように——以前にはそんなことを考えたこともなかったのだが——こんな考えが私を捉えた。服を着たまま川を泳いで渡らなければならない、と。それは私が意識した強制ではなく、ただ一つの途方もなく激しい衝動であり、私は一瞬も考えずにまっすぐ飛び込んだ。水を感じたとき初めて、それが馬鹿げたことだと気づき、再び這い上がった。(クロンフェルトの記録した統合失調症患者;Jaspers, 9. Aufl., S. 99)
Steht dabei ein möglicher Wille im Hintergrund, so wird das Gefühl des Getrieben- und Überwältigtwerdens erlebt, fehlt jener Hintergrund, so geschieht eine biologische Zwangsläufigkeit ohne Willen.そこに潜在的な意志が背景に存在するとき、駆り立てられ・圧倒される感覚が体験される。その背景が欠如するとき、意志なき生物学的必然性が生じる。(Jaspers, 9. Aufl., S. 98)
Le caractère « forcé » est alors d’autant plus fortement vécu que la conscience est moins désorganisée.意識が混乱していないほど、「強制」という性質はより強く感じられる。(p. 170)
…il faut distinguer deux pôles : celui des décharges motrices qui échappent au contrôle et celui des altérations de ce contrôle.……すべての「自動的運動」や「衝動」の膨大な全体の中に、二つの極を区別しなければならない——制御を逃れる運動的放出の極と、この制御そのものの変容の極と。(Ey, Étude N° 11, pp. 165–166)
| 語 | 来歴 | ニュアンス |
|---|---|---|
| impulse(衝動) | 羅 impellere(押し込む) 仏 impulsion と同系 | 外来的・突発的な引き金——「外側から来るかのような突発性」。フランス伝統の語であり、エーのプロトプルシオンの系譜 |
| drive(欲動) | 精神分析 Trieb の英訳 仏 pulsion と同系 | 内的な駆動力・方向性を持つエネルギー。意識の表面に出ないまま行動を方向づける |
| urge | 独 Drang に対応 仏語公式訳なし | 切迫感・内側から押し出してくる力。既存 MeSH 定義は「誘惑」(tentation)「欲求」(envie)——エー脚注 2 の理解「強制的放出」(décharge forcée)とはニュアンスが異なる |
「外から襲うかのような」引き金性。エーのプロトプルシオンに対応。ICD-10 が焦点を当てていた側面
意識されぬまま行動を方向づける。欲動の病理は必ずしも「衝動的なもの」として体験されない
潜在する意志を圧倒する「駆り立て」。ヤスパースの「意志の背景」に対応——自己報告要件削除の根拠
| 変更 | 意味 | |
|---|---|---|
| 一 | 「行為の制御不能」→「衝動・欲動・urge への抵抗不能」 | 本日中心的に論じた転換——意志論を正面に据えることなく「意志の病理学」の実質を取り戻す |
| 二 | 「合理的動機の不在」要件を一般定義から削除 | 保険金目的の計画的放火のような除外の判断を、個別診断の限定項へ委譲(第七節) |
| 三 | 「自己報告要件」の削除 | 自己洞察が乏しい・内省能力が制限されている場合にも診断可能に——ヤスパースの渇望論と整合 |
| 四 | 機能障害の記述の精緻化 | 「個人的・家族的・社会的・職業的・学業的領域」を明示——ブロイラーの診断慎重原則の制度化 |
ICD-10 とは異なり、行為の制御可能性の欠如が強調されているわけではない。……行為自体は十分に操舵され制御されうるものであり、ただ基盤となる衝動には抵抗できないという可能性を認めるものである。したがって、行為の実行における制御可能性は残存しうるのであり、このことによって障害としての価値が否定されるわけではない。(Hölzel 編・第 16 章 §16.3・表 16.3〔筆者訳〕)
バイヤルジェ(1853)の「意志の無力」からモノマニー論争、クレペリンの Drang 語彙、ブロイラーの krankhafter Trieb と「反応形成」、ヤスパースの三語の体系的区別、そしてエーの「二つの極」に至る蓄積のすべてが、「衝動・欲動・urge への抵抗の繰り返しの失敗」という一文に収斂している。