横浜基礎研究所 文献案内──紹介論文(草稿)

『精神医学的秩序』案内

──ロベール・カステルの構想と、フーコー以後の精神医学史におけるその位置──
Robert Castel, L’ordre psychiatrique. L’âge d’or de l’aliénisme
Darstellung und Kritik — von 1976 bis heute
松石 竹志 Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D.
草稿 v1 · MMXXVI

序 なぜカステルか

日本において、精神医療への批判的論説の代名詞は今日なおミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961 年)[8]である。邦訳は刊行から半世紀を経て版を重ね、「大監禁」と「理性による非理性の沈黙化」の物語は、精神医学の内外を問わず、この領域を語る際の共通の参照枠であり続けている。これに対し、フーコーの分析を否認することなく引き受け、しかしそれを行政文書と議会審議録によって書き直した社会学者ロベール・カステル(Robert Castel, 1933–2013)の『精神医学的秩序——アリエニスムの黄金時代』(L’ordre psychiatrique. L’âge d’or de l’aliénisme, 1976 年)[1]は、管見の限り邦訳がなく、日本語でのまとまった紹介も存在しない。奇妙な非対称と言うべきである。カステルの名は日本でも決して無名ではない——ただしそれは後期の労働・社会保障論(『社会問題の変容』『社会喪失の時代』として二冊が邦訳されている[6, 7])の著者としてであって、精神医学史家としてのカステルは、フーコー受容の巨大な影の中にほとんど埋もれたままである。

本稿はこの空白を埋めるための案内である。課題は文献案内の他稿(スネル案内・ドッズ案内)と同じ形式に従う。すなわち、人と軌跡を素描し(第一章)、本書の構想と方法を示し(第二章)、全七章の内容を紹介し(第三〜六章)、そのうえで本書を精神医学史の批判史のなかに位置づける——フーコーとの共通性と差異(第七章)、同時代のもう一つのフーコー批判であるゴーシェ=スウェインのピネル再評価との分岐(第八章)、後期著作への展開と受容状況(第九章)。拙稿「フーコー批判論」[14]の補論はカステルを「否認せざる批判という第二の型」として位置づけたが、紙幅の制約上、本書そのものの内容には立ち入れなかった。また〈閉鎖の三部作〉[15, 16, 17]は本書の枠組——契約社会の後見(tutelle)——を作業仮説として採用している。本稿は、これらの諸論文がカステルを引くたびに繰り返してきた説明を一箇所に集約する、共通の参照先(書物・人物・書誌のハブ)として書かれる。

第一章 人と軌跡──ブレストからEHESSへ

ロベール・カステルは 1933 年、ブレスト近郊サン゠ピエール゠キルビニョンに生まれた[13]。出自は労働者階級であり、学歴の入口は大学ではなく職業適性証(CAP)であった——後年「脱落者たち」の社会学を書くことになるこの人物は、フランスの学校制度が用意した最も短い水路から出発し、夜間の勉学を経て哲学に到達している。1959 年に哲学の教授資格(アグレガシオン)を取得、リール大学文学部の助手を経て、1967 年、ソルボンヌのレーモン・アロンのもとに移った。しかし 68 年 5 月がこの経歴を折り曲げる。カステルはアロンのサークルには留まらず、実験大学ヴァンセンヌ(のちのパリ第八大学)の社会学科に移り、以後、ピエール・ブルデューとミシェル・フーコーという二つの重力の間で自らの社会学を作り上げていく[13]。ブルデューとの共同作業は写真の社会的使用をめぐる共著(1965 年)[12]に遡り、方法としての社会学——実践と制度から出発する記述——はここで身についた。他方フーコーからは、権力の唯物論的理論のカテゴリーと、現在を歴史によって照らす系譜学の姿勢を受け取った。1990 年からは社会科学高等研究院(EHESS)の研究主任として社会運動研究センター(CEMS)を率い、2013 年 3 月、パリに没した[13]

著作の軌跡は明瞭な二相をなす。第一相は精神医学・精神分析批判の四部作である。『精神分析主義』(1973 年)[2]、本書『精神医学的秩序』(1976 年)、フランソワーズ・カステル、アンヌ・ロヴェルとの共著『先進精神医学社会——アメリカ・モデル』(1979 年)[3]、そして『リスクの管理——反精神医学から精神分析以後へ』(1981 年)[4]。第二相は 1995 年の大著『社会問題の変容——賃金労働の年代記』[6]に始まる社会的なものの歴史社会学であり、『社会的不安定性』(2003 年)、『不確実性の増大』(2009 年、邦訳『社会喪失の時代』)[7]へと続く。一見別個の二つの経歴に見えるが、第九章で述べるとおり、両者は同じ一つの問い——契約と労働によって編成される社会は、そこに参入しえない者をどのような身分のもとに置くのか——の二つの適用である。精神医学はその問いの最初の、そして最も透明な実験場だった。

付言すれば、この経歴は本紀要がスウェイン紹介[18]で描いたもう一本の系譜と鏡像をなす。ゴーシェがルフォールを経てアロンの名を冠する研究センターに迎えられたのに対し、カステルはアロンのソルボンヌから出発して68 年にヴァンセンヌへ、すなわちフーコーの側へ渡った。同じアロンという結節点から、一方は反全体主義的自由主義の系譜へ、他方は権力批判の社会学へ。1970 年代末に精神医学の誕生をめぐって正面から対立することになる二つの陣営(第八章)は、制度の水準では、68 年がフランスの学問地図に刻んだ分岐の両側にそれぞれ立っていたのである。

第二章 全体の構想と方法

本書の対象時期は 1790 年から 1838 年——革命による旧監禁体制の信用失墜から、精神病者の収容を全国一律に制度化した1838 年 6 月 30 日法まで——であり、対象領域は法・行政・医学の三者が交錯する再編過程である。フーコーが『狂気の歴史』の掉尾で数十頁のうちに素描したこの半世紀を、カステルは行政文書・議会審議録・同時代の医学文献によって一冊の書物として書き直した。序文でカステルは、この仕事がフーコーに負うものを明示的に承認している——『狂気の歴史』の分析の多くを「既得のものとして引き受けた」(tenu pour acquises)、と。この一句の射程、すなわちカステルの批判が反駁型(エー、ケテル)とは異なる「否認せざる批判」であることについては、拙稿の補論[14]で証拠を挙げて論じたので繰り返さない。本稿で紹介すべきは、その先にある本書自身の積極的テーゼである。

テーゼは序文の一句に凝縮されている。

Un processus de grignotage du droit par un savoir [...], la subversion progressive du légalisme par des activités d’expertise, constituent une des grandes dérives qui, depuis l’avènement de la société bourgeoise, travaille les processus de prise des décisions qui engagent le destin social des hommes. Du contrat à la mise en tutelle.
一つの知による法のかじり取りの過程〔……〕、鑑定活動による法律主義の漸進的な転覆は、ブルジョワ社会の到来以来、人間の社会的運命を左右する決定過程を蝕んできた大きな漂流の一つをなしている。契約から後見への漂流である。[1]

近代社会は、自由で対等な主体間の契約を法的紐帯の原理として掲げた。しかし契約は、契約を結びうる能力を前提する。ではその能力を欠くとされた者——理性を失った者——はどのような紐帯のもとに置かれるのか。カステルの答えが後見tutelle)である。契約社会は、契約の普遍性を掲げたまさにそのことによって、契約の外部に置かれた者のための第二の身分を必要とし、その身分の管理者として医学を招き入れた。精神医学の誕生とは、この後見身分の発明と制度化の別名であり、その完成が 1838 年法の「医学・司法・行政的身分」(statut médico-juridico-administratif)である。だからカステルにとってアリエニスムの黄金時代を研究することは、過ぎ去った時代の考古学ではない。序文は、技術的・科学的基準に基づく鑑定(expertise)が「われわれの時代の真の司法権力」(la véritable magistrature de notre temps)になりつつあると述べ、19 世紀の透明な事例から現在の不透明な事態を測定するという、現在の系譜学の方法を宣言している[1]

第三章 狂気の挑戦(第一章の紹介)

第一章「狂気の挑戦」(Le défi de la folie)は、革命後の新しい法秩序にとって狂気がいかなる難問であったかを定式化する。章の構成そのものが比較の格子になっている。節題を並べれば「国家・司法・家族」「主権・契約・後見」「犯罪者・子ども・物乞い・プロレタリアと狂人」「裁判官・行政官・父そして医師」——すなわち狂人は、近代社会が周縁に配置した他の諸形象(処罰しうる犯罪者、後見される子ども、労働を強制しうる物乞いとプロレタリア)のいずれの処理装置にも収まらない存在として現れる。責任を問えないから処罰できず、成人であるから家族的後見に自然には収まらず、しかも危険でありうるから放置もできない。フーコーが「非理性」の一括収容として描いた問題系を、カステルは法的身分のマトリクスの中の分類不能者として書き直すのである。

この難問への解決が、医学を媒介とする新しい後見身分の発明であった。

Sur la question de la folie, par l’intermédiaire de sa médicalisation, s’est inventé un nouveau statut de tutelle essentiel au fonctionnement d’une société contractuelle.
狂気の問題の上に、その医学化を媒介として、契約社会の機能にとって本質的な一つの新しい後見身分が発明されたのである。[1]

注目すべきは、精神病者への配慮が来たるべき「社会立法」に 50 年以上先行したという指摘である。狂人は近代的社会保護の最初の受益者——鉤括弧つきの「受益者」——であった。なぜ物乞いでも棄児でもなく狂人が最初だったのか。それは狂気が、契約原理の例外を作らざるをえない点で、生まれつつあるブルジョワ社会の原理的な蝶番に位置していたからである。同章はまた、博愛(philanthropie)の分析において、憐憫(pitié)を「法が固有の形で現れえない場所における法の代補」と規定し、そこに成立する関係を「形式的相互性ではなく規則化された従属」、すなわち「後見関係。あらゆる救済政治の母型」と定式化する[1]。慈善の温かさと統制の冷たさを対立させる通俗的図式は、ここで解体される——博愛は統制の偽装ではなく、契約社会が例外者との間に取り結びうる唯一の関係形式なのである。

第四章 全体主義的施設の救出と最初の社会医学(第二・三章の紹介)

一、医学は自らを場所づける(第二章)

第二章の表題「全体主義的施設の救出」(Le sauvetage de l’institution totalitaire)は、本書全体で最も挑発的な定式である。革命は旧体制の監禁施設を専制の象徴として断罪した。論理的帰結はその廃絶であったはずである。ところが現実に起きたのは、信用を失った収容施設が医学によって救い出されることだった。「医学は自らを場所づける」(La médecine se place)という節題が示すとおり、医学は既存の争い——収容は専制か保護か——の外部から到来する審判者としてではなく、行き詰まった論争の調停者として、自らの椅子を監禁の中枢に据えたのである。ピネルの鎖からの解放は、この文脈では、収容の廃絶ではなく収容の正当化の更新である。ただしカステルは、それを単なる欺瞞とは呼ばない。彼が「ピネル的テクノロジー」(La technologie pinélienne)と呼ぶもの——施設空間の全体を治療の道具に転化する道徳療法——は、収容に治療という実定的な内容を与えた点で現実の発明であった。アリエニストは「別の舞台」を発明したのであり、「まったく異なる、しかし同じでもある空間」を作ったのである(この定式の含意は拙稿補論[14]で論じた)。

二、最初の社会医学(第三章)

第三章「最初の社会医学」(La première médecine sociale)は、こうして場所を得た医学がいかにして一個の専門分野になったかを追う。精神医学は、臨床医学の一分枝が徐々に特殊化したものではない。それは最初から社会的任務——収容の管理——と結びついて生まれた、その意味で「最初の社会医学」である。「きわめて特殊な知」(Un savoir très spécial)の節でカステルが示すのは、初期アリエニスムの分類学が、疾病の自然誌であると同時に収容実務の要請に応える行政的な知でもあったことである——治癒可能/不能の区別は予後の学説であると同時に施設配置の原理であり、モノマニーは症候学の単位であると同時に法廷鑑定の武器であった。章の末尾でカステルは、アリエニスト・衛生学者・博愛家の三者同盟が形作る新しい救済の風景を描き、精神医学をより広い統治テクノロジーの再編——19 世紀社会医学の成立——の中に位置づける。

第五章 摂理的専門家と政治科学としての精神医学(第四・五章の紹介)

一、摂理のごとき専門家たち(第四章)

第四章「摂理のごとき専門家たち」(Des experts providentiels)の主題は鑑定である。アリエニストは、行政と司法が自力では解決できない難問——この者は責任能力を有するか、収容は正当か——に対して、技術的解答を供給する専門家として登場した。「規格外と証明する」(Certifié non conforme)という節題の皮肉が示すとおり、入院証明書(certificat)とは、人間を契約社会の規格から外れた者として認証する医・法混成の文書である。カステルはここでモノマニー論争——とりわけ「妄想なき狂気」をめぐる法廷での攻防——を、学説史としてではなく職業集団の陣地戦として読む。理性の見かけの下に潜在する狂気を検出できると主張することは、医学にしか見えないものの存在を主張すること、すなわち専門的権能の自律性を主張することにほかならない。ただし章末の節題「背後を焼き払う征服」(Une conquête qui brûle ses arrières)が予告するように、この拡張戦略は自らの基盤——狂気と理性の明確な二分——を掘り崩す危険をはらんでもいた。

二、政治科学としての精神医学(第五章)

第五章「政治科学としての精神医学」(De la psychiatrie comme science politique)は、本書の頂点であり、1838 年法の成立過程の分析である。「医学化しうるものと行政化しうるもの」(Le médicalisable et l’administrable)の節でカステルは、法案審議において争われたものが治療の学説ではなく管轄の配分——司法・行政・家族・医学のあいだの権限の線引き——であったことを審議録から示す。1838 年法が司法的統制ではなく行政的収容(知事の職権入院と医師の証明書による同意入院)を採用したことは、フーコー的な意味での「権力の意志」の直接の表現ではなく、複数の制度的行為者の利害が交差した「法の妥協」(Le compromis de la loi)の産物である。しかしその妥協の帰結として、精神病者は司法審査を経ずに自由を剝奪されうる唯一の市民類型となった。本紀要の〈閉鎖の三部作〉第一部[15]は、この分析を作業枠として、法成立の政治経済学的な下部——世帯経済と行政収容の需要——を検討したものである。

第六章 法と秩序、黄金時代の終わり(第六・七章の紹介)

一、法と秩序(第六章)

第六章「法と秩序」(La loi et l’ordre)は、成立した法の運用を検討する。冒頭の節「法の擬似適用」(La pseudo-application de la loi)は、書面上周到に用意された保障——検事の定期視察、退院請求権——が実際にはほとんど機能しなかったことを示し、続く節は法の効力を「実効的・行政的・象徴的」の三水準に区別する。収容が治療として実効的であったかどうかとは独立に、法は行政的には見事に機能し(収容人口は増大し続けた)、象徴的にはさらに見事に機能した(社会は狂気の問題が解決済みであると信じることができた)。「収容のパラダイム」(Le paradigme de l’internement)の節は、アジールが後見身分の空間的形式として他の諸施設(監獄・救護院・寄宿学校)と共有する構造を素描し、「私と公」(Privé-public)の節は公的部門と(とりわけ宗教系)私的部門の絡み合いを扱う。この章の数量的な検証——1874 年総監察報告による収容人口・財政・県別実態の再構成——は、〈閉鎖の三部作〉第二部[16]で行った。カステル自身は同報告を総論部分で六箇所引くにとどまっており、第六章の骨格は史料的にはなお肉付けの余地を残している。

二、移行——黄金時代からアジョルナメントへ(第七章)

最終章「移行——黄金時代からアジョルナメントへ」(Le passage : de l’âge d’or à l’aggiornamento)は、黄金時代の解体の内的論理を示して 20 世紀に橋を架ける。「最初の綻び」(Premiers accrocs)としてカステルが挙げるのは、外部からの批判ではなく体制自身の産物である——治療装置であるはずのアジールの過密(encombrement)と慢性化、道徳療法の形骸化、そして治癒可能/不能の二分の動揺。カステルの診断では、道徳療法は反駁されて死んだのではない。施設の鬱滞(engorgement)が、収容者全体を治療するはずだった大規模な調整の働きを麻痺させ——「道徳療法はアジールのなかで死ぬ」(Le traitement moral meurt dans l’asile)のである。ルーレの逆説——道徳療法の強制的性格を極限まで推し進めた医師が、同時に最も個別的な心理療法の先駆者でもあったこと——は、治療関係が後見関係として、すなわちアジールという制度的支えの上に構成されたことの証左として読まれる。そして「再編成の二重の線」(La double ligne de recomposition)は、20 世紀の精神医療改革(セクター化、精神衛生、「プシ機能」の社会全体への拡散)を、後見の廃絶ではなくその組み替えとして予告する。19 世紀の透明な支配関係は消えたが、「なぜこの依存関係が、突然雲散霧消して、新しい〈プシ機能〉を社会的な完全な治外法権の位置に置いたことになるのか」[1]——この修辞疑問が、続巻『リスクの管理』への予告編である。

第七章 フーコーとの共通性と差異

共通性は明白であり、カステル自身が序文で公言している。医学的自民族中心主義(進歩史観的な通史)との断絶、権力分析のカテゴリー、そして「大監禁」図式の保持——カステルはフーコーの円環の内側で書いている。この点の文献学的な確認(「大監禁」への三度の肯定的言及、『狂気の歴史』の一節の結論としての直接引用、反駁の完全な不在)は拙稿補論[14]に譲り、ここでは差異を四点に整理する。

第一に、対象時期と対象領域。フーコーの中心は古典主義時代(1656〜1794 年)の「経験」であり、ピネル以後は物語の終曲である。カステルの中心はまさにそのピネル以後(1790〜1838 年)であり、古典主義時代は前史にすぎない。本文に「1656」という数字は一度も現れない。両書は同じ主題の競合する記述ではなく、時期を分担する続き物の関係にある——ただし後述のとおり、続きを書くことが問いの重心を移動させた。第二に、方法。フーコーが絵画・文学・哲学・医学書を横断して狂気の「経験」の構造を再構成するのに対し、カステルの史料はほぼ一貫して法・行政・議会・施設の文書である。狂気そのものの現象学的ないし考古学的な厚みは、本書には現れない。カステルにとって記述されるべきは狂気ではなく、狂気をめぐって配置される諸身分と諸装置である。第三に、理論的背景。フーコーの系譜学がニーチェに発するのに対し、カステルの枠組には階級分析と救済の政治経済学——ブルジョワ社会、プロレタリアート、救貧政策——が明示的に保持されている。『精神医学的秩序』は、フーコーの語彙で書かれたマルクス的問題設定の書物と読むこともできる。第四に、批判の型。エーが哲学的に反駁し、ケテルが実証的に反駁したのに対し、カステルは反駁せずに書き直す。同じ事実——旧体制の収容の非実効性——がケテルにおいては神話を崩す反証となり、カステルにおいては精神医学という「独創的な解決」を要請した発生因となる。批判の型の差は実証水準の差ではなく、同じ史料に向けられた問いの向きの差である[14]

この関係には後日譚がある。フーコー自身が 1973〜74 年のコレージュ・ド・フランス講義『精神医学の権力』[9]の冒頭で、『狂気の歴史』の到達点を自己批判的に再検討した——「経験」という語の使用、表象の分析にとどまったこと、暴力・制度・規律の分析の不足。講義がそれに代えて提示するのは、まさに規律装置と権力の微視物理学によるアジール分析であり、対象時期もピネル以後へ移動している。すなわちフーコーは、『精神医学的秩序』刊行に先立つ講壇で、カステルの地形へ自ら接近していたのである(講義録の刊行は 2003 年であり、カステルが執筆時にこれを参照しえたかは別問題である)。フーコーとカステルを対立項として立てる読み方が浅いのは、この収斂ゆえである。両者の関係は影響と分業と友情の関係であり、フーコーの死後、カステルは「現在の歴史」の方法論的擁護者として、フーコー遺産の最も冷静な管理者の一人であり続けた[5, 13]

第八章 ゴーシェ=スウェインとの分岐

刊行年を並べれば、『精神医学的秩序』1976 年、スウェイン『狂気における主体』1977 年、ゴーシェ=スウェイン『人間精神の実践』1980 年[10, 11]。フーコー以後の精神医学史の書き換えは、この数年間に、互いに独立な二つの前線で同時に進行した。両者は消極的な規定を共有する。どちらも進歩史観(実証主義的通史)に与しない。どちらもフーコーの反駁(ケテル型)を企てない。そしてどちらも、ピネルの身振りのうちに現実の変化があったことを認める——フーコーが「解放」を新たな監禁の偽装として読み替えたのに対し、カステルは道徳療法を実定的な発明として、スウェインはそれを狂気観の革命として扱う。ここまでは同盟者に見える。

分岐は、その変化を何の変化として読むかにある。スウェイン=ゴーシェにとって、ピネルの革新は人間学的な事件である。狂気が主体の全的な喪失ではなく、主体のただ中の内的分裂として把握されるようになったこと——「狂気における主体」の発見——は、民主主義革命が開いた新しい他性体制、すなわち狂人を根源的他者ではなく同類(semblable)として扱う人間学の帰結であり、アジールとは、この包摂の企てが制度として結晶したもの(そしてその企ての挫折の場所)である。カステルにとって、同じ革新は統治の事件である。狂人を治療可能な主体として扱うことは、道徳療法を可能にする限りで真剣に受け取られるが、その道徳療法自体が、アジールという後見空間の統治テクノロジーとして分析される。一方は民主主義的人間学の劇(とその蹉跌)を見るところに、他方は契約社会の秩序問題の解決(とその費用)を見る。『人間精神の実践』が社会統制論的な精神医学史記述を正面から批判したとき、名指しの主要な標的はフーコーであったが、その批判の射程が「後見」の社会学にも及ぶことは明らかである——逆にカステルの側から見れば、ゴーシェ=スウェインの人間学的読解は、アジールの現実の運用(収容人口の大半を占めた困窮者、治癒率の低落、過密)から目を逸らした理念史に見えるだろう。両者の間に正面からの論争は成立しなかったが、この沈黙の対峙こそ、フーコー以後の精神医学史が二つの水準——人間学と統治——に分裂したことの徴表である。

本紀要の立場から一言を付す。エーの「自由の病理学」は、この対峙のどちらにも解消されない第三の水準——病としての狂気の現実——を保持する。カステルは狂気の病理学的現実を否認しない。彼はそれを主題としないだけである。しかし主題としないことによって、狂気はふたたび社会的なものへと解消されうる。スウェインは主体を回復するが、その主体はなお歴史哲学の関数である。「狂気は主体の廃棄ではなく、主体であることそのものにかかわる内的緊張である」という臨床的洞察を、社会史(カステル)とも人間学史(ゴーシェ=スウェイン)とも異なる仕方で保持しうるか——拙稿フーコー批判論[14]が最後に開いたこの問いは、本書を読む際にも携行されるべきである。

第九章 その後のカステル、受容、そして日本

一、四部作の完結——リスクの管理へ

本書の分析は二つの続篇を持つ。『先進精神医学社会』(1979 年)[3]は、脱施設化の先進国アメリカにおいて、アジールの解体が精神医療の縮小ではなく「プシ」的なものの社会全体への拡散——コミュニティ精神医療、スクリーニング、セラピー文化——に帰結するさまを検分した。『リスクの管理』(1981 年)[4]は、この拡散の論理を概念化する。すなわち、危険な個人を収容する体制から、リスクの要因を人口の上で予防的に管理する体制へ。対面的な治療関係は疫学的なプロファイルの管理に席を譲り、後見は施設の壁を離れて情報の流れの中に住まう。診断基準の操作化と保険数理的な予防が精神医療を再編した20 世紀末以降の展開を思えば、この 1981 年の見取り図の射程は明らかであろう。英語圏では、この議論を凝縮した論文「危険性からリスクへ」[5]が統治性研究の古典的論集に収められ、カステルはフーコー派のリスク論の始祖の一人に数えられている。

二、社会問題への転回——同じ問いの一般化

1995 年の『社会問題の変容』[6]は、対象を狂気から労働へ移す。しかし問いは同一である。契約と労働によって編成される社会は、そこに参入しえない者——かつての浮浪者、今日の「不安定就労者」——をどのような身分のもとに置くのか。中世の浮浪者取締りから賃金社会の完成と解体までを貫く「脱編入」(désaffiliation)の系譜学は、『精神医学的秩序』第一章の格子——契約・後見・分類不能者——の一般化にほかならない。アリエニスム研究は、この生涯の問いの最初の章だったのである。

三、受容——そして日本の空白

受容は言語圏によって著しく非対称である。フランスでは本書はアリエニスム研究の標準的参照文献であり、英語圏でも 1988 年に全訳が出て[1]、社会学・精神医学史の双方で参照され続けている(『先進精神医学社会』の英訳は 1982 年、『社会問題の変容』の英訳は 2003 年)。日本語圏の受容は後期著作に偏る。『社会問題の変容』(前川真行訳、2012 年)[6]と『社会喪失の時代』(北垣徹訳、2015 年)[7]の二冊が訳され、社会政策・労働社会学・プレカリテ論の文脈では確立した参照項となった。これに対し精神医学批判の四部作は、管見の限り一冊も訳されておらず、精神医学史の文脈でカステルを主題的に扱った日本語文献も見当たらない。フーコー『狂気の歴史』が半世紀にわたり日本の精神医療批判の共通語であり続け、近年はゴーシェ=スウェインの名も(本紀要を含む)紹介の緒についたことを思えば、フーコーを「引き受けて書き直した」当のカステルだけが欠けているのは、受容史の欠落と言うほかない。本稿が、その欠落を埋める最初の一歩となることを期する。

結語

フーコーは排除の詩を書き、ゴーシェ=スウェインは包摂の劇を書いた。カステルが書いたのは後見の散文——法律の条文と入院証明書と県会の予算審議のなかで進行する、地味で、執拗で、今日も終わっていない過程の記録——である。『狂気の歴史』を読んで精神医療の歴史に開眼した読者が次に読むべき一冊を挙げよと問われれば、本稿の答えは本書である。フーコーの問いを保持したまま、検証可能な制度史の地面に降り立つこと。そしてその地面の上で、エーの問い——社会関係の分析が尽くしえない病の現実——と再会すること。アリエニスムの黄金時代は過ぎ去ったが、契約と後見の弁証法は、鑑定と管理の意匠を替えて、われわれの現在である。

参考文献

[1]Castel R. L’ordre psychiatrique. L’âge d’or de l’aliénisme. Paris: Les Éditions de Minuit, coll. « Le sens commun » 48, 1976.(英訳:The Regulation of Madness: The Origins of Incarceration in France, trans. W. D. Halls, Berkeley: University of California Press / Cambridge: Polity, 1988.)(引用箇所:全章。参照した電子版は 2016 年 11 月のデジタル刷であり、巻頭著作一覧は本書を 1977 年と表記するが、フランス国立図書館総合目録は 1976 年・334 頁と記録する。拙稿 [14] 注 26 参照)
[2]Castel R. Le psychanalysme. L’ordre psychanalytique et le pouvoir. Paris: Maspero, 1973(再刊 Flammarion, coll. « Champs », 1981).(引用箇所:第一章)
[3]Castel F, Castel R, Lovell A. La société psychiatrique avancée. Le modèle américain. Paris: Grasset, 1979.(英訳:The Psychiatric Society, trans. A. Goldhammer, New York: Columbia University Press, 1982.)(引用箇所:第九章)
[4]Castel R. La gestion des risques. De l’anti-psychiatrie à l’après-psychanalyse. Paris: Les Éditions de Minuit, 1981.(引用箇所:第六章二、第九章)
[5]Castel R. “From dangerousness to risk.” In: Burchell G, Gordon C, Miller P (eds.) The Foucault Effect: Studies in Governmentality. Chicago: University of Chicago Press, 1991, pp. 281–298.(引用箇所:第七章、第九章)
[6]Castel R. Les métamorphoses de la question sociale. Une chronique du salariat. Paris: Fayard, 1995(Folio 版 Gallimard, 2000). 邦訳:ロベール・カステル(前川真行訳)『社会問題の変容——賃金労働の年代記』ナカニシヤ出版、2012 年。(引用箇所:序、第一章、第九章)
[7]Castel R. La montée des incertitudes. Travail, protections, statut de l’individu. Paris: Seuil, 2009. 邦訳:ロベール・カステル(北垣徹訳)『社会喪失の時代——プレカリテの社会学』明石書店、2015 年。ほかに L’insécurité sociale. Qu’est-ce qu’être protégé ? Seuil, 2003.(引用箇所:序、第一章、第九章)
[8]Foucault M. Histoire de la folie à l’âge classique. Paris: Plon, 1961(Gallimard, 1972). 邦訳:ミシェル・フーコー(田村俶訳)『狂気の歴史——古典主義時代における』新潮社、1975 年。(引用箇所:序、第七章)
[9]Foucault M. Le pouvoir psychiatrique. Cours au Collège de France, 1973–1974. Paris: Gallimard/Seuil, 2003. 邦訳:ミシェル・フーコー(慎改康之訳)『精神医学の権力——コレージュ・ド・フランス講義 1973-1974 年度』筑摩書房、2006 年。(引用箇所:第七章)
[10]Swain G. Le sujet de la folie : naissance de la psychiatrie. Toulouse: Privat, 1977(再刊 Calmann-Lévy, 1997).(引用箇所:第八章)
[11]Gauchet M, Swain G. La pratique de l’esprit humain. L’institution asilaire et la révolution démocratique. Paris: Gallimard, 1980.(英訳(抄):Madness and Democracy, Princeton University Press, 1999.)(引用箇所:第八章)
[12]Bourdieu P, Boltanski L, Castel R, Chamboredon J-C. Un art moyen. Essai sur les usages sociaux de la photographie. Paris: Les Éditions de Minuit, 1965.(引用箇所:第一章)
[13]カステルの経歴について:Revue française de sociologie 54-2, 2013 の追悼記事、Encyclopædia Universalis の項目 « Robert Castel »、および仏語版 Wikipedia « Robert Castel (sociologue) » の要約に依拠した。(引用箇所:第一章) [生地・没日等の細部は一次資料による最終確認を要する]
[14]拙稿「アンリ・エーとクロード・ケテルによるミシェル・フーコーの『狂気の歴史』に対する批判」本紀要(foucault-critique.html)、とくに補論「ロベール・カステル『精神医学的秩序』——否認せざる批判という第二の型」。(引用箇所:序、第二章、第四章、第七章、第八章)
[15]拙稿「1838年法の政治経済学——世帯経済・禁治産・行政収容」本紀要(loi1838.html)。〈閉鎖の三部作〉第一部。(引用箇所:序、第五章)
[16]拙稿「過密の時代——1838年法体制下のアジール人口とセーヌ県、1838–1874」本紀要(encombrement.html)。〈閉鎖の三部作〉第二部。(引用箇所:序、第六章)
[17]拙稿「ピネルからクレペリンへ——精神医学の覇権移動とその政治経済的背景」本紀要(pinel-kraepelin.html)。〈閉鎖の三部作〉第三部。(引用箇所:序)
[18]拙稿「グラディス・スウェイン——生涯・系譜・受容」本紀要(swain-introduction.html)。(引用箇所:第一章、第八章)

凡例と底本について。本稿の章別紹介(第三〜六章)は、Minuit 版原書のデジタル刷(2016 年 11 月)を底本とし、章・節の表題は同版の目次(Table des matières)に拠った。引用文の仏文は底本より転記し、訳文はすべて拙訳である。カステルの伝記的事実(第一章)は追悼記事等の二次資料による暫定的な記述であり、〔要確認〕の水準にとどまる細部は注記 [13] に示した。第八章のゴーシェ=スウェインとカステルの関係については、両者の明示的な相互言及の有無を含め、原典の照合を補訂版の課題とする。日本語文献の博捜(第九章三)も同じく網羅を期しておらず、精神医学史の文脈でのカステル受容の見落としをご教示いただければ幸いである。

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