横浜基礎研究所 文献案内──紹介論文(草稿)

『精神の発見』案内

──ブルーノ・スネルの構想と、その後の批判史──
Bruno Snells Die Entdeckung des Geistes
Darstellung und Kritik — von 1946 bis heute
松石 竹志 Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D.
草稿 v1 · MMXXVI

序 なぜ今スネルか

ブルーノ・スネル(1896–1986)の『精神の発見──ギリシア人におけるヨーロッパ的思考の発生についての研究』(Die Entdeckung des Geistes, 初版1946年)[1]は、20世紀の古典文献学が生んだ最も野心的な著作の一つである。その中心テーゼ──ヨーロッパ的な「精神」は人類に生得のものではなく、ホメロスから前5世紀に至るギリシア人が、言語のなかで段階的に「発見」したものである──は、刊行から80年を経た今日、古典学の内部で最も激しく批判されたテーゼの一つでもある。しかしこの批判の内実は、日本語ではほとんど読むことができない。新井靖一による邦訳(創文社、1974年)[3]は、版元の解散もあって新刊としては絶え、いまや古書市場で稀覯本と化し、法外な価格でしか手に入らない。批判の中核をなすバーナード・ウィリアムズ『恥と必然性』(1993)[9]には邦訳がない。その結果、日本語圏では、スネルは「古典的名著」としてジェインズ流の意識発生論の典拠に引かれるか、あるいは「批判済みの旧説」として名指しで退けられるかのいずれかであり、何が批判され、何が生き残ったのかを腑分けした紹介は乏しい。本稿の課題は、この空白を埋めることである。すなわち、原著全13章の構想を紹介し(第一〜五章)、1970年代以降の批判史を整理し(第六章)、そのうえで「訂正されたスネル」──現代の学問水準においてなお使用可能なスネル──の輪郭を描くこと(第七章)である。

著者について一言しておく。スネルは1931年からハンブルク大学の古典文献学教授を務め、ナチ期をドイツ国内で過ごした。『精神の発見』を構成する諸章の多くは1930年代から40年代前半の講演・論文に遡り、それらが敗戦の翌年、一冊にまとめられた。戦後のスネルは雑誌『古代と西洋』(Antike und Abendland、1945年創刊)を興し、初期ギリシア叙事詩語彙辞典(Lexikon des frühgriechischen Epos)の事業を開始するなど、ドイツ古典学の再建の中心にいた。この経歴は、本書を読むうえで無視できない。「ヨーロッパ的思考の発生」を、破局を経たドイツにおいて、ギリシアから語り直すこと──本書は純然たる文献学であると同時に、廃墟のなかでヨーロッパ的人文主義を再建しようとする、時代の刻印を帯びた書物なのである。この点には結論で立ち返る。

凡例として、本稿の依拠するテクストをはじめに明示しておく。本稿はローゼンマイヤーによる英訳版[2]のみに準拠する。ドイツ語原典[1]は筆者には入手しえず、邦訳[3]は上述のとおり稀覯本と化しているため、いずれも直接参照していない。したがって本文におけるスネルの議論の紹介・引用はすべて英訳版に基づき、章立て・章題も英訳版に従う(邦訳版の章立ても英訳版と同一である)。付言すれば、英訳版は現在、電子書籍の定額制サーヴィス(Perlego 等)を通じて容易に読むことができる──入手難が本書の受容を妨げてきた日本語圏の読者にとって、この事情は特記に値しよう。また、引用する抒情詩の断片番号については、通行の版(サッポーはVoigt版、アルキロコスはWest版)による番号を用い、旧番号体系(ディール版等)を併記すべき箇所ではその旨を注記する[13]

第一章 全体の構想と方法

本書の方法論的な土台は、アレクサンドリアの文献学者アリスタルコスの原則──「ホメロスをホメロスから明らかにする」──の徹底にある[2]。ホメロスの語彙を後代の古典期ギリシア語の意味で読んではならない。この禁欲を貫くとき、ホメロスの精神世界と古典期の精神世界とのあいだの断絶が、かえって鮮明に浮かび上がる──これがスネルの出発点である。

そのうえに、本書全体を貫く基本テーゼが置かれる。名指されて初めて、その存在は人々の共有財産となる。ある機能や領域を一語で名指す語彙が存在しないのは、その機能がまだ「発見」されていないから──語彙の分布は認識の分節を映す鏡である、という言語=認識論である。この鏡を通してスネルは、ホメロス(第一・二章)から抒情詩(第三・四章)、悲劇(第五・六章)、哲学と科学(第七〜十章)を経て、ローマとヨーロッパ(第十一〜十三章)に至る「精神の自己発見」の歴史を描く。重要なのは、スネルが「発見」(Entdeckung)という語を「発明」から慎重に区別していることである。精神は作られたのではなく、もともとあったものが見出された──しかし見出されるまでは、誰のものでもなかった。この微妙な両義性が、本書の魅力と危うさの双方の源泉であることを、あらかじめ指摘しておく。

第二章 ホメロスの人間と神々(第一・二章の紹介)

一、ホメロスにおける人間の把握(第一章)

第一章はまず「見る」の動詞群から始まる。ホメロスには視覚に関わる多数の動詞──特定の眼差しと表情を伴って見るデルケスタイ、不安げに見回すパプタイネイン、輝くものを喜びとともに眺めるレウッセイン等──があるが、いずれも「見る」という機能そのものではなく、見る際の身振り・感情・対象の性質を捉える語であり、機能自体を抽象的に指すテオーレインの類は後代の産物である。同じ構造が身体語彙にも見出される。後代の「身体」ソーマはホメロスでは死体を指し、生きた身体を統一的に指す語は存在せず、ギュイア(関節でつながる四肢)・メレア(筋肉としての手足)という複数形の語群が身体の領域を分割統治する。スネルはこれを、関節を誇張し各部位を独立の構成要素として並べる幾何学様式期の人物像と対応させる[2]

心の語彙も同断である。プシューケーは生命の息であって心理的働きの座ではなく、テュモスは情動と運動の起動を司る器官、ヌースは明晰な像を受け取る認識の器官であり、三者は統一的な魂の内部区分としてではなく、相互に独立した「器官」として扱われる。「テュモスは望んだが、彼自身は望まなかった」というように、人間とその器官のあいだの対立は語られても、一つの魂の内部で引き裂かれる葛藤は語られない。さらにスネルは、ヘラクレイトスの断片──魂の限界は歩み尽くせない、その理法はそれほど深い──を対比項に置き、魂に「深さ」という非空間的次元を認める発想、および自らの内発的意志によって力を奮い起こすという発想が、ホメロスに欠けていることを論じる。力の増大は常に、神々の介入として外側から与えられる[2]

二、オリュンポスの神々(第二章)

第二章の主題は、この「外側」の性格である。ギリシアの神々には戦慄と神秘がほとんどなく、自然の秩序に完全に従う。ソクラテスの不敬神裁判の検討が示すとおり、ギリシアの宗教は教義への信仰ではなく祭儀と敬意の実践であった。そして本章の中心には、アキレウスがアガメムノンに剣を抜こうとする瞬間にアテナが介入する場面の分析がある。この介入は現代の読者には物語上不要にすら見える──しかし、ホメロス的人間には「自らの意志の発露」という概念そのものがまだ存在しないがゆえに、思考や衝動の源泉は常に神に帰せられるのだ、とスネルは論じ、ゲーテの言葉を引く。人が敬虔に仕える神とは、裏返しにされたその人自身の魂にほかならない。歴史的に見れば、のちに「魂の生活」と呼ばれるものは、当初は神の介入として理解されていたのである[2]

ここで一つの符合を指摘しておきたい。同じ洞察を、フランスの哲学者アランが、スネルに十余年先立って──そして文献学にも精神史にも依拠せず、純粋に現象学的な記述として──書きつけていた。1934年の『文学についてのプロポ』のイーリアス論において、アランは言う。走り回り打ちかかっている人間は、正しくものを考えない。彼らが想像するこれらの神々はすべて、彼らの情念にほかならない[4]。さらに同じ1934年には、フォイクトがホメロスの熟慮と決断の言語を主題とする研究を公刊している[5]。そして戦後の1951年には、E・R・ドッズが『ギリシァ人と非理性』において、アーテーと「心的介入」の分析を通じて、同一の現象を人類学の道具立てで記述する[6]。1934年から51年までのあいだに、哲学・文献学・人類学という三つの方法が、同一の観察に収斂した──この収斂の事実は、後述する批判史を検討する際の重要な判断材料となる。

第三章 抒情詩における個の台頭(第三・四章の紹介)

一、阻害された情念と内面の発見(第三章)

本書の白眉は、序数のうえでは目立たない第三章「初期ギリシア抒情詩における個人の台頭」である。通俗的なスネル理解──イーリアスからオデュッセイアへの移行に意識の誕生を見る、ジェインズ流の図式──とは異なり、スネル自身が「精神の発見」の決定的段階を置いたのは、叙事詩の内部ではなく、叙事詩から抒情詩へのジャンルの継起である。叙事詩が衰えると抒情詩が興り、詩人たちは初めて自らの名を名乗り、自分自身について語る個人として歴史の舞台に登場する[2]

スネルはアルキロコス・サッポー・アナクレオンの三人を導きの糸に、この「個」の言語化の諸相を追う。世人が賞賛する軍船の壮麗よりも「私の愛するものこそ最も美しい」と歌うサッポーの価値転換(断片16。旧番号体系では断片27として引かれることがある)[13]。優雅な容姿の将軍よりも足腰の据わった心根の指揮官を取るアルキロコスの、外見と内実の区別。盾を捨てて「盾よりわが命」と開き直る反英雄主義。そして恋愛──恋人を前にした舌のもつれ、耳鳴り、震え、蒼白という身体的崩壊の克明な記述(断片31。旧番号では断片2)[13]

これらの観察を貫くのが、本章の──おそらくは本書全体の──最も深い洞察である。感情の自然な流れが阻害されたときにこそ、人は自己の内面という新しい領域を発見する。報われぬ恋、裏切られた友情、運命の変転。情念がその対象へ直進できないとき、堰き止められた情念は内へ向かい、そこに「魂」という次元を開く。サッポーの造語「苦くも甘いエロス」(グリュキュピクロン、断片130)は、身体の論理とは異なる、魂固有の緊張と矛盾の最初の言語化である。そしてこの新しい魂は、孤立した独白に陥らない。アルキロコスが自らの心に呼びかける断片128──心よ、心よ、なすすべなき苦悩にかき乱される心よ──が示すとおり、それは常に神や他者や自己自身に向かって語りかけられる、対話的な魂である。スネルはこれを、オデュッセウスが求婚者たちを前に自らの心臓に語りかける場面(「耐えよ、わが心よ」オデュッセイア20・18)[14]と比較しつつ、オデュッセウスの忍耐が一回の経験の想起に基づくのに対し、抒情詩人の忍耐は人生の浮沈という普遍的法則の知に基づく点に新しさを見る。個人性の発見が、同時に新しい普遍性の発見と表裏一体である──この指摘もまた、本章の射程の深さを示している。

二、ピンダロス──讃美の神学(第四章)

第四章は、断片的にしか残らないピンダロスの「ゼウス讃歌」の再構成を通じて、抒情詩のもう一つの極──祭儀的・合唱的な讃歌の系譜──を扱う。世界が完璧な姿に達した婚礼の日でさえ、それを讃える者(ムーサたち)がいなければ美は不完全である、という神話に、スネルはピンダロスの詩人観の核心を読む。また、アルキロコスやサッポーが魂について発見した「緊張」「対立するものの統合力」を、ピンダロスが神性そのものへ投影し、遍在する永遠の輝きとしての神を把握したという指摘は、抒情詩の発見が神学をも変容させたことを示すものである[2]

第四章 悲劇──決断の誕生(第五・六章の紹介)

第五章の中心的論点は、悲劇における「決断」の誕生である。スネルはアイスキュロス『救いを求める女たち』の王ペラスゴス──ダナオスの娘たちを保護すべきか否かを、潜水夫が海底へ潜るように深く思い悩む王──に、文学史上初めて、人間が外部からの神の介入なしに、完全に自らの内的な思考のみによって決断を下す場面を見出す[2][15]。ホメロスにおいて決断は「その方が得策と思われた」という形か神の介入としてしか語られなかった。アイスキュロスにおいて初めて、正義と責任のために苦悩し自ら決断するという、以後の西洋演劇の核となる主題が誕生した──スネルはこの悲劇的状況を、自然にはめったに共存しない物質を試験管の中で組み合わせて反応の本質を見極める化学実験に喩えている。なお、文献学的注記を一つ。スネルの執筆当時、『救いを求める女たち』はアイスキュロス最初期の作と考えられており、「最初の内的決断」という位置づけはこの年代観に支えられていた。戦後に公刊されたパピルス断片は上演年代を前460年代に引き下げており[15]、「文学史上初」という表現は今日では留保を要する──ただし、ホメロス的な決断の語りとの質的差異という論点そのものは、年代の修正によっては失われない。

第六章は、アリストパネス『蛙』のエウリピデス批判が、シュレーゲルを経てニーチェ『悲劇の誕生』に至る近代の悲劇史叙述の源流となったことを跡づける受容史の章である。スネル自身の立場は明快で、エウリピデスを衰退の詩人としてではなく、「人間が自らの決断の主体であることに気づく」過程の完成者として位置づける。メデイアの独白──私は自分がなそうとしている悪事を知っている、しかし怒りは理性よりも強い(『メデイア』1078行以下)[16]──は悲劇史上最初の本格的独白であり、外部の神的導きではなく、心の内部で対立する衝動そのものから、内面的な良心という新しい道徳意識が生まれる現場だとされる[2]

第五章 知・徳・論理・科学、そしてアルカディアへ(第七〜十三章の紹介)

後半の諸章は、抒情詩と悲劇が開いた内面の次元が、哲学・倫理学・論理学・自然科学へと概念化されていく過程を扱う。第七章は、ムーサの全知から出発する「神の知と人間の知」の対比が、クセノファネスの探求(人間は長く探求することでより良いものを見出す)、ヘラクレイトスのロゴス、パルメニデスの純粋思考を経て、ソクラテスにおける「哲学を天から地上へ引き戻す」転換に至る系譜を描く。第八章「徳への呼びかけ」は、アレテーが「有能・有用」から出発し、利益・幸福・名誉という自己中心的動機を経て、ソクラテスの主知主義──善を真に認識した者は必ずそれを行う──に至るギリシア倫理学の小史であり、ギリシア語に「意志」に相当する語がなかったという指摘を含む。第九章「神話から論理へ」は、比較・直喩・隠喩という言語操作そのものの分析であり、ホメロスの直喩──獅子や波が人間の心情を映す鏡となる──を「人間は自分自身のこだまを聞いて初めて自己を知る」自己認識の装置として読む、本書中もっとも現代性の高い章の一つである。第十章は、定冠詞という一見些末な文法要素が抽象概念の形成を可能にしたという、言語から科学的思考の起源を説く章である[2]

終結部の三章はローマとヨーロッパに向かう。第十一章「フマニタスの発見」は、「人間的」という語の厳粛さがギリシアにはなく(ギリシア語の「人間」はまず「死すべき者」であった)、教育と言論に基づく人間の尊厳という観念がイソクラテスからキケロを経てヨーロッパに流れ込む過程を描き、同時に、確固たる基盤を欠いたヒューマニズムが「いかなる政治目的にも利用されうる」ことへの、1940年代のドイツから発せられたとは思えぬほど静かな、しかし痛切な警告を含む。第十二章はカリマコスにおける「芸術のための芸術」と遊戯の発見、第十三章は、ウェルギリウスが前1世紀に「発見」した精神的風景アルカディア──神話と現実の前例なき融合──をもって、ギリシアの遺産がローマ的形式のなかに注ぎ込まれ、ヨーロッパへ手渡される場面で全巻を閉じる[2]

この後半部を通読して初めて、本書の構想の全体が見える。『精神の発見』は「ホメロスに意識はなかった」という一命題の本ではない。それは、言語の細部(動詞の相、定冠詞、直喩、断片の一語)から出発して、詩・宗教・倫理・科学・政治を貫く千年の弧を描こうとする、精神史の建築である。批判史の検討は、この建築のどの部分が崩れ、どの部分が立ち続けているかを見極める作業でなければならない。

第六章 批判史──ウィリアムズ以後

一、前史──語彙論への疑義

批判は語彙のレベルから始まった。レネハン(1979)は、ホメロスのソーマが「死体」のみを意味するという──アリスタルコスに遡りスネルが継承した──前提を方法論的に精査し、この語義限定が維持しがたいことを論じた[8]。個々の語の分析への疑義は、それ自体としては局所的だが、「語彙の不在から概念の不在へ」というスネルの推論の土台に関わる点で、後続の批判の先触れとなった。また、ヒュー・ロイド=ジョーンズ『ゼウスの正義』(1971)は、ドッズ的な「恥の文化から罪の文化へ」の発展図式を含め、初期ギリシアを未発達段階として描く進歩史観そのものに疑義を呈し、ホメロスの世界にすでに一貫した正義の秩序が働いていることを論じた[7]

二、ウィリアムズ『恥と必然性』──批判の核心

決定的な批判は、哲学者バーナード・ウィリアムズのサザー講義『恥と必然性』(1993)によってもたらされた[9]。ウィリアムズの議論は二層からなる。第一に、テクストの水準。ホメロスの人物たちは熟慮し、選択肢を秤量し、決断し、自らの行為を自らのものとして引き受けている──それを示す場面は、探すまでもなくテクストに満ちている。ヘクトルは城壁の前で独りで思案し、オデュッセウスは戦場で退くべきか留まるべきかを自問する。彼らに欠けているのは自己でも意志でもなく、たかだか「意志」を主題化する語彙であり、語彙の不在は能力の不在を意味しない。現に、近代語に精確に対応する語彙を欠く多くの言語の話者が、熟慮も後悔も自己欺瞞も知っている。第二に、歴史叙述の水準。スネル(およびドッズの一部)の描く「未発達なホメロス的人間から自律的な近代的主体へ」という物語は、ヘーゲル的な精神の発展史──現在を頂点とし過去をその準備段階とする目的論──の投影であり、しかもその頂点に置かれた「近代的な道徳的主体」(カント的な自律・義務・罪の主体)こそ、ウィリアムズによれば哲学的に最も疑わしい構築物なのである。ホメロスの人間理解は、われわれより素朴なのではない。ある点では、われわれの道徳哲学が失った真実──人間の行為が運命と偶然に深く曝されているという真実──を、われわれより正直に保持している。

三、ギル、クラーク──代替的な読みの構築

ウィリアムズの批判が主に哲学の側からなされたのに対し、1990年代の古典学は、スネルの観察を包摂しうる代替的な枠組みを内在的に構築した。ギル(1996)は、「主観的・個人主義的」な人格概念(デカルト以後の、内面性と一人称的視点を核とする自己)と「客観的・参与的」な人格概念(共同体的関係と対話のなかで行為者として立ち現れる自己)とを区別し、ギリシアのテクストが一貫して後者のモデルで人間を描いていること、そして後者は前者の未発達形態ではなく、それ自体で整合的な人間理解であることを論じた[10]。クラーク(1999)は、ホメロスの心的語彙の全用例を再検討し、テュモス・ノオス・プシューケーの併存が「断片化した心」の徴候ではなく、呼吸・血流・発話と連続する一つの生命現象を多面的に語る、統合された言語慣習であることを示した[11]。「テュモスは望んだが彼は望まなかった」型の表現は、近代語の「気は進まないが私はやる」と同型の語法であって、自己の分裂の証拠ではない。ケアンズのアイドース研究(1993)およびその後の感情史研究は、恥と罪、名誉と良心といった二分法を解体しつつ、語彙の精密な分析というスネル的方法そのものは継承している[12]──この点は次章で重要になる。

四、批判の限界──観察と推論の区別

ただし、批判の側にも認めるべきものは認める公正さがある。ウィリアムズもクラークも、ホメロスの語りが後代の文学と異なる仕方で人間を描くこと自体は否定しない。イーリアスの地の叙述が情念を神々の介入として語り、抒情詩が情念を内面の矛盾として語るという表現様式の差異は、批判をくぐり抜けて残る観察である。批判が退けたのは、この差異を心的能力の歴史的差異として読む推論であって、差異の観察そのものではない。ここに、本稿が次章で提示する「訂正されたスネル」の足場がある。

第七章 訂正されたスネル──何が残るのか

一、仕分けの基準

以上の批判史を踏まえるとき、『精神の発見』の遺産は、次の一つの基準で仕分けることができる。テクストの表現慣習についての観察としては生き残り、テクストの背後の人間たちの心についての存在論的主張としては撤回される。撤回されるのは、(一)語彙の不在から能力の不在への推論、(二)ホメロスから近代へ至る目的論的な発展史の枠組み、(三)その枠組みが前提する「未発達なホメロス的人間」の像である。生き残るのは、(一)視覚動詞から定冠詞に至る語彙・文法の観察のほぼ全体──ただしそれは認識の考古学の資料としてではなく、各ジャンル・各時代の表象慣習の記述として、(二)叙事詩・抒情詩・悲劇というジャンルの継起が内面の語り方の質的変化を伴うという構造的観察、(三)そして何より、第三章の機制──阻害された情念による内面の発見、その対話的性格──である。この機制は、心の発生史の仮説としてではなく、抒情という言語行為がいかにして内面を主題化するかの分析として読むとき、今日の感情史研究・文学理論とそのまま接続する。実際、ケアンズやコンスタンに代表される現代のギリシア感情史は、発展史の額縁を外したスネル的語彙分析の継続にほかならない[12][17]

二、歴史的文書としての『精神の発見』

もう一つ、忘れてはならない読み方がある。本書自体を歴史的文書として読むことである。1946年、廃墟のハンブルクで刊行されたこの書物の副題は「ギリシア人におけるヨーロッパ的思考の発生」であった。第十一章がフマニタスの系譜を辿りつつ、基盤を欠いたヒューマニズムの政治的悪用を警告し、エラスムス的な寛容と皮肉の精神を説くとき、そこで語られているのはギリシアだけではない。本書は、破局を経たドイツの人文学者が、ヨーロッパの精神的自己同一性をその起源から編み直そうとした試みであり、その切迫が、本書の目的論的な構図──ギリシアに始まりヨーロッパに至る一本の弧──を要請した面がある。ウィリアムズが批判した発展史観は、単なる学問的過誤ではなく、時代の必要の刻印でもあった。この文脈を復元して読むとき、本書は「反証された仮説」ではなく、20世紀の精神史そのものの一級資料として、別種の光を放ち始める。

三、結び──観察は残り、飛躍は撤回される

スネルを今日読む意味を、最後に一文で要約する。撤回されるのは観察ではなく、観察から心の歴史への飛躍だけである。ホメロスの地の叙述が情念を外部化して語るという観察、抒情詩が阻害された情念のなかに内面を発見するという観察、悲劇が決断を人間の内部に移すという観察──これらは、80年の批判をくぐり抜けて、表象様式の歴史の記述として立ち続けている。そしてこの「訂正されたスネル」は、ギリシアの外へ持ち出すことができる。内面表象の慣習を異にする語りの系統が、いかなる順序で、いかなる媒体的条件のもとで一つの文学伝統を形成するか──この問いは、たとえば口承から文字への移行期に成立した古事記の読解に対しても、そのまま開かれている。その展開は稿を改めて論じたい。

参考文献

[1]Snell B. Die Entdeckung des Geistes: Studien zur Entstehung des europäischen Denkens bei den Griechen. Hamburg: Claassen & Goverts, 1946(増補第四版:Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1975)。原典初出の書誌として掲げるが、本稿では直接参照しえていない(序の凡例参照)。(引用箇所:序)
[2]Snell B. The Discovery of the Mind: The Greek Origins of European Thought. Rosenmeyer TG 訳. Cambridge, MA: Harvard University Press, 1953. 本稿の底本。本文におけるスネルの議論の紹介はすべて本英訳版により、章立て・章題も本版に従う。電子書籍定額制サーヴィス(Perlego 等)で閲読可能。(引用箇所:序、第一章〜第五章)
[3]ブルーノ・スネル(新井靖一訳)『精神の発見——ギリシア人におけるヨーロッパ的思考の発生についての研究』創文社、1974年。版元解散後は古書市場に稀覯本として出るのみであり、本稿では直接参照しえていない。(引用箇所:序)
[4]Alain (Émile-Auguste Chartier). Propos de littérature. Paris: Paul Hartmann, 1934. とりわけ第四一章「イリアスの神々」。(引用箇所:第二章二)
[5]Voigt C. Überlegung und Entscheidung: Studien zur Selbstauffassung des Menschen bei Homer. Berlin, 1934.(引用箇所:第二章二)
[6]Dodds ER. The Greeks and the Irrational. Berkeley: University of California Press, 1951.(邦訳:岩田靖夫・水野一訳『ギリシァ人と非理性』みすず書房、1972年。)(引用箇所:第二章二、第六章一)
[7]Lloyd-Jones H. The Justice of Zeus. Berkeley: University of California Press, 1971 (Sather Classical Lectures 41).(引用箇所:第六章一)
[8]Renehan R. "The Meaning of ΣΩΜΑ in Homer: A Study in Methodology." California Studies in Classical Antiquity 12, 1979, pp. 269–282.(引用箇所:第六章一)
[9]Williams B. Shame and Necessity. Berkeley: University of California Press, 1993 (Sather Classical Lectures 57).(引用箇所:序、第六章二)
[10]Gill C. Personality in Greek Epic, Tragedy, and Philosophy: The Self in Dialogue. Oxford: Clarendon Press, 1996.(引用箇所:第六章三)
[11]Clarke M. Flesh and Spirit in the Songs of Homer: A Study of Words and Myths. Oxford: Oxford University Press, 1999.(引用箇所:第六章三)
[12]Cairns DL. Aidōs: The Psychology and Ethics of Honour and Shame in Ancient Greek Literature. Oxford: Clarendon Press, 1993.(引用箇所:第六章三、第七章一)
[13]初期ギリシア抒情詩断片。サッポー断片16・31・130は Voigt EM, ed. Sappho et Alcaeus. Amsterdam: Athenaeum—Polak & Van Gennep, 1971 による番号(旧ディール系の番号体系ではそれぞれ別番号で引かれることがあり、邦語文献には旧番号によるものが残る)。アルキロコス断片128は West ML, ed. Iambi et Elegi Graeci ante Alexandrum cantati. 2nd ed. Oxford: Oxford University Press, 1989–92 による。(引用箇所:序、第三章一)
[14]Homerus. Odyssea 20.18(自己呼格「耐えよ、わが心よ」)。(引用箇所:第三章一)
[15]Aeschylus. Supplices(ペラスゴスの熟慮)。上演年代については、戦後公刊のディダスカリア・パピルス(P.Oxy. 2256 fr. 3)により前460年代への引き下げが通説となったことを本文で注記した。(引用箇所:第四章)
[16]Euripides. Medea 1078–1080(メデイアの独白)。当該行を含む一節の真正性については校訂上の議論があることを付記する。(引用箇所:第四章)
[17]Konstan D. The Emotions of the Ancient Greeks: Studies in Aristotle and Classical Literature. Toronto: University of Toronto Press, 2006. 発展史観を離れたギリシア感情史研究の代表例として。(引用箇所:第七章一)
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