Bulletin of YRIDEI · Lecture MMXXVI
不安の概念史と、その逆像
恐怖はいかにして「病気」になったか
そして、不安を知らぬ者は何を持たなかったか
A Conceptual History of Anxiety, and Its Negative Image
— from Homeric thymos to ICD-11 6A73, and to Don Giovanni
松石 竹志Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D. · 横浜基礎研究所
Prologue
診察室で重なる、二つの問い
患者は言う ──「なぜこれほど不安なのか、自分でもわからない」
- 個人の問い 私はなぜ不安なのか
- 概念の問い そもそも「不安」とは何か。そしてそれは「病気」なのか
現代精神医学は後者に明快に答える。DSM-5・ICD-11 は「不安症群」の章を持ち、不安障害の生涯有病率は全精神障害中で最も高い(WHO 推計で人口の約 28%)。
しかしその明快さは、歴史的まなざしの前でただちに揺らぐ。
Three Questions
本日の三つの問い
- Ⅰ. 人類普遍の感情であった不安は、なぜ 19 世紀という一点で「病気」になったのか
- Ⅱ. 20 世紀後半以降、精神医学の重心はなぜ「不安」から「鬱」へ移動したのか
- Ⅲ. 不安と鬱を厳密に分離する方向は、臨床的に妥当であったのか
議論の骨格は Horwitz の医学史に負う。これに Kapsambelis を介したフランス精神医学の視点(症状の「意味」を問う伝統/操作的診断への慎重な距離)と、Bergo による哲学的系譜を重ねる。
Horwitz AV, Anxiety: A Short History, 2013 / Kapsambelis V, L'angoisse, 5e éd., 2022 / Bergo B, Anxiety: A Philosophical History, 2021
Itinerary
本日の見取り図
| 第Ⅰ部 | 前史 ── 二重の不在 ホメロス/ヒポクラテス/デカルト・スピノザ/シェリング・キルケゴール | 約 18 分 |
| 第Ⅱ部 | 19 世紀の臨界点 ── 不安の医学化 ビアード/ダーウィン/フロイト | 約 15 分 |
| 第Ⅲ部 | 不安の時代と分離革命 ベンゾジアゼピン/FDA/DSM-III | 約 12 分 |
| 第Ⅳ部 | 不安から鬱へ、そして再統合 SSRI/ICD-11 6A73/RDoC | 約 13 分 |
| 第Ⅴ部 | 逆像 ── 不安を知らぬ者の肖像 《ドン・ジョバンニ》とキルケゴール | 約 15 分 |
| 質疑 | ディスカッション | 15 分 |
第Ⅴ部は余興ではありません。不安を知らぬ者の構造を見ることが、第Ⅰ〜Ⅳ部で辿った「不安とは何か」への、もっとも鋭い逆照射になります。
I
前史 ── 二重の不在
ホメロスからキルケゴールまで
「不安」という概念が生まれるために、何が必要だったのか
ca. 18 min
1-0 概念史の遡及限界
ホメロスの人間に「心」はあるか
不安の概念史は、それを帰属させる「心」そのものの概念史を前提とする。
- スネル『精神の発見』(1946)── ホメロスにおいて psyche は失神と死の場面にのみ現れる「生命の息」であり、心理的内容を持たない
- 感情は thymos、知性は noos、衝動は menos ── 相互に独立した「器官」へ振り分けられる
- ブレマー(1983)── これを自由魂/身体魂モデルによる「多元的な魂」として積極的に定式化
- 恐怖は内面の状態ではなく、テュモスやフレネス(横隔膜)を襲う出来事であり、しばしば神々から外来的に送り込まれる
- ポボス(敗走の恐怖)とデイモス(戦慄)は、軍神アレスに従う神格ですらあった
恐怖を「私の不安」として内に帰属させる、その主語がまだ成立していない。
Snell B, Die Entdeckung des Geistes, 1946 / Bremmer JN, The Early Greek Concept of the Soul, 1983
1-0 時期の一致
統一的な魂の成立と、恐怖の医学化の起点
A
統一的な魂の成立
前 5 世紀末
心理的機能と死後の存続を一語で担う魂の概念が、識字化と個人主義の台頭を背景に成立する(ブレマー)。歴史的形成物である。
B
ヒポクラテス集成
前 5 世紀末 〜 前 4 世紀
「恐怖あるいは意気消沈が長く続くならば、それはメランコリー的である」──『箴言』第 6 部 23。恐怖が「一人の人間の病」になる。
恐怖を 帰属させうる主体 の成立と、
恐怖が 病として記述可能になった 瞬間とは、時期的に重なっている。
不安の医学化の歴史は、魂の統一の歴史と同じ地点から始まる。
1-0 方法論的留保
語彙の相違から経験の相違を推論しないこと
- ウィリアムズのスネル批判(Shame and Necessity, 1993)── 語彙が乏しいことは、経験が乏しいことを意味しない
- ホメロスの戦士もまた、交戦を前にした心拍の亢進と膝の震えを知っていた
本講演が最後まで保持する「二層の区別」
① 生理学的な核は不変である ── 心拍亢進・筋緊張・恐怖の予期は古代から変わらない
② 概念は体験の分節を部分的に構成する ── 言語は体験の外に置かれた透明な観察装置ではない
この二層を混同すると、概念史は「昔の人は不安を感じなかった」という粗雑な相対主義に落ちる。
1-1 体液説とメランコリア
統合されていた「不安」と「鬱」
「恐怖あるいは意気消沈が長いあいだ続くならば、それはメランコリー的なものである」
ヒポクラテス集成『箴言』第 6 部 23
- 原文の「あるいは(ἢ)」が示すとおり ── 恐怖(不安)と意気消沈(鬱)は、どちらか一方が長く続くだけでメランコリアの徴となる
- 両者は別の疾患ではなく、同一の体液的不均衡の二つの顔であった
- アリストテレス ── 不安は治療すべき症状ではなく、市民が培うべき徳性の問題(無謀と臆病の中間としての勇敢さ)
- ストア派エピクテトス ── phantasia(印象)と synkatathesis(同意)の区別。印象は不随意、同意は制御可能
- 認知行動療法の論理を驚くほど先取りする。ただしこれはヘーゲモニコンへの一元化=「統一的な魂」の完成形を前提とする操作である
この統合的理解は、ICD-11 が 6A73 で「再発見」した臨床的真実を、2000 年以上前に直観していたとも読める。
1-2 メランコリーの多義性 ①
『問題集』第 30 巻 ── 病理と天才の共通条件
「なぜ、哲学・政治・詩・芸術において卓越した人物は、例外なくメランコリー気質なのか」
- 黒胆汁は、その量と状態によってまったく異なる作用をもたらす
- 過剰 → 躁病・無気力・幻覚
- 適度に温められた状態 → 精神を異例の鋭敏さと活動性へ導く
- 「シビュラや予言者などあらゆる霊感を受けた人々はここから生まれるのであり、それは病によってではなく、生まれつきの自然本性によってそうなるときのことである」(954a)
- ヘラクレス・エンペドクレス・プラトン・ソクラテスがこの枠組みで説明される
同一の体質が、病理と天才の双方の条件になりうる。
苦悩と洞察の不可分性 ── これは本講演の結論を 2000 年さかのぼって先取りしている。
1-2 メランコリーの多義性 ②
Pleasant melancholy ── 楽しいメランコリー
フィチーノ『生について』1489
- アリストテレスの黒胆汁論に、プラトン的エロス論と占星術を接合 ── 土星・黒胆汁・学者気質の三位一体
- 「私はサトゥルヌスのもとに生まれた」
- 孤独な書斎での沈思、記憶への甘苦しい没入、創造の苦悩の快楽
- バートン『メランコリーの解剖』1621/デューラー「メランコリア I」1514
操作的診断の言語では
- DSM-5 において、持続する悲哀・快感消失・精力低下は「大うつ病エピソード」の症状基準
- 創造性や快楽との結びつきを想定する余地はない
- 「楽しいメランコリー」は矛盾語法(oxymoron)でしかない
- しかし観察された現象は消えていない ── 気分障害スペクトラムのある種の状態(軽躁・混合状態)に相当する可能性
フィチーノの記述は症状記述を超え、孤独・時間・記憶・可能性への向き合い方を含む実存的態度の記述でもあった ── のちのキルケゴールの「可能性への眩暈」と深く響き合う。
1-3 中世
「臆病/勇気」から「罪/信仰」へ
- 4 世紀のキリスト教国教化 ── ヒポクラテス=ガレノスの経験主義的伝統は後退。道徳的枠組みは維持されつつ、軸が移動する
- アウグスティヌス『告白録』冒頭 ──「私たちの心は、あなたのうちに安らうまで、落ち着くことができません」
- 宗教は不安の治療法であると同時に、不安の生産装置でもあった
- アヴィセンナ『医学典範』── メランコリーの症状として「理由のない恐怖・震え・めまい・孤独を好むこと」
- 中世においても、不安と鬱の統合的理解は医学文書のなかに生き続けた
1-4 デカルト『情念論』1649
恐怖はつねに「対象」を持つ
“La peur ou l'épouvante… n'est pas seulement une froideur, mais aussi un trouble et un étonnement de l'âme qui lui ôte le pouvoir de résister aux maux qu'elle pense être proches.”
「恐怖あるいは戦慄は……単なる冷たさではなく、魂の動揺と驚愕でもあって、迫っていると思われる悪に抵抗する力を魂から奪う」
『情念論』第 174 条(訳は演者)
- 六つの原始情念(驚嘆・愛・憎しみ・欲望・喜び・悲しみ)に還元。恐れ(crainte)は派生的情念にすぎず、恐怖(peur)は「臆病と驚愕と恐れの過剰」
- 決定的な語は maux qu'elle pense être proches ── 恐怖は必ず表象された対象を持つ
対象を持たない漠然とした不安 ──「可能性一般への構え」は、この情念論の構造上、場所を持てない。
1-5 スピノザ『エチカ』1677
不安の「構造的不在」
“Spes namque nihil aliud est quam inconstans laetitia orta ex imagine rei futurae vel praeteritae, de cujus eventu dubitamus; metus contra inconstans tristitia ex rei dubiae imagine etiam orta.”
「希望とは、その成り行きをわれわれが疑っている未来または過去の事物の表象から生じる、一定しない喜びにほかならない。恐怖とはその反対に、疑わしい事物の表象から同じく生じる、一定しない悲しみである」
『エチカ』第 3 部定理 18 備考 2(訳は演者)
- 恐怖(metus)は希望の鏡像。「心の動揺(animi fluctuatio)」も、特定対象への相反感情の共存にすぎない
- より深い理由は存在論にある ── Deus sive Natura。すべての個物は無限の属性の有限な様態であり、因果系列に完全に規定されている
スピノザの世界に「開かれた可能性」は存在しない。
可能性のない世界に、眩暈は生じない。
1-5bis シェリング ── 見落とされてきた中間項
1809 Sehnsucht → 1813–14 Angst
- 『人間的自由の本質』1809 ── 宇宙の起源において、神でさえ、自己の根拠(Grund)=言語化以前の暗闇の深淵から自己を引き離す運動が生じる。この運動に伴う情態が Sehnsucht
- 「永遠なる一者が自己自身を産もうとして感じる憧憬」。それは「悟性なき意志」でありながら「悟性を欲する意志」=ahndender Wille(意識せざる、しかし予感する意志)
- 『世界年代』1813–14 ── 語が明示的に Angst へ移る
- 「不安があらゆる生けるものの根本感情(Grundempfindung)であるように、生きるものはすべて激しい闘争のうちにのみ受胎され、産み落とされる」
- ベルゴの規定 ── Sehnsucht は「対象なき情動」であり、1809 年論文は「スピノザ主義の動態化」である
二重に重要な指摘である。①スピノザの静的な実体が、自己自身を産む生成のプロセスへと動態化されたまさにその瞬間に、情動としての不安が体系の内部に場所を得た。②キルケゴールに帰されがちな「対象なき不安」の原型は、すでに 30 年前のシェリングのもとにあった。
Schelling FWJ, Philosophische Untersuchungen über das Wesen der menschlichen Freiheit, 1809 / Die Weltalter, 1813–14 / Bergo B, 2021
1-5bis 伝記的事実としての系譜
1841 年冬、ベルリン
- プロイセン文化大臣に招かれた老齢のシェリングの講義に、28 歳のキルケゴールが四ヶ月間出席する
- シェリングが「現実性(Wirklichkeit)」と発したとき、キルケゴールは歓喜した ──「ついに観念論が実存と和解した」と手紙に記す
- しかし結局失望して帰国。その 2 年後に書かれたのが『不安の概念』(1844)である
シェリング → キルケゴールという系譜は、
思想的影響であると同時に、実証的な伝記的事実である。
キルケゴールが行ったのは、シェリングの宇宙論的構想を「心理学化」すること ── 一人の実存の次元への翻訳であった(Bergo)
1-6 キルケゴール『不安の概念』1844
「対象なき不安」の発見
恐怖 Frygt
対象を持つ。蛇を恐れる、失業を恐れる ── つねに「何かを」恐れる構造。
不安 Angest
対象を持たない。特定の悪しき事物ではなく、あらゆる可能性が開かれているという条件そのものに向かう。
「不安とは自由の眩暈(Frihedens Svimmelhed)である」
『不安の概念』第二章
- 自由とは「複数の可能性の間で選択する能力」。可能性とは「あり得るが、まだない」もの
- 「可能性への可能性としての自由の現実性」── 何もない深淵をのぞき込んだときの、めまい
1-7 実存論的系譜
ハイデガーとサルトル ── 断崖の上で
ハイデガー『存在と時間』1927
- Furcht(恐怖)は世界内部の特定の存在者へ向かう
- Angst(不安)は世界そのものへ ── 現存在が「世界内存在」であるという根本的事実へ向かう
- それは Unheimlichkeit(故郷喪失・不気味さ)の経験として現れる
サルトル『存在と無』1943
- 断崖の前に立つ ──「落ちるかもしれない」は身体的危険への対象的反応=恐怖
- しかし同時に「飛び込むかもしれない」が生じる
- これは外部の危険へのものではなく、自分自身の自由へ向けられた反応である
キルケゴール=ハイデガー=サルトルの系譜が、20 世紀の「不安の時代」という文化的言語に哲学的根拠を与えることになる(第Ⅲ部)。
第Ⅰ部 まとめ
DSM-5 の分類は、哲学史を反復している
| 哲学史 | 構造 | 現代の診断カテゴリー |
| 対象ある恐怖(デカルト的) | 表象された対象への反応 | 特定の恐怖症 specific phobia |
| 対象なき不安(キルケゴール的) | 可能性という条件そのものへの反応 | 全般性不安症 GAD |
不安という概念の誕生には、ある特定の主体像が必要であった。
──「自由に選択する主体が、可能性の深淵の前に立つ」という近代的個人。
不安は自由の代償であり、その意味で modernity の産物でもある。
この事実は、不安が 19 世紀にはじめて「医学化」されたこととも、深いところで響き合う。
II
19 世紀の臨界点
不安の医学化 ── ビアード、ダーウィン、そしてフロイト
ca. 15 min
第二節 冒頭
不安が増えたのではない
変わったのは、不安を見る枠組みと、
助けを求める場所である。
── Horwitz の中心テーゼ
これは本講演を通じて繰り返される主題です。第Ⅲ部の DSM-III、第Ⅳ部の SSRI をめぐる議論でも、私たちは同じ構造を三度見ることになります ── 疾患の実態が動いたのではなく、それを語る言語と制度が動いたのだ、という構造を。
2-1 医学化を促した四つの条件
なぜ 19 世紀だったのか
- ① 社会変動 産業革命・都市化・鉄道。伝統的共同体からの引き離し。「神経」が文化的キーワードになる
- 商人・軍人・銀行家・官僚・法律家・医師 ── 職業的分化そのものが、特定の対象を持たない漠然たる不安の社会的温床を広げた
- ② 中産階級の台頭 飢饉や疫病ではなく、社会的失墜・配偶者関係・自己実現への不安を持つ余裕のある患者層の出現
- 従来の「狂気(insanity)」=入院を要する重篤疾患とは別カテゴリーの医療的承認を求めた
- ③ 世俗化 不安の手当てをする場所が、教会の告解室から医師の診察室へ
- ピネルが、禁じられた欲望に苦しむ若い修道士を「精神的不完全さ」ではなく「神経性疾患」と診断した逸話が象徴的
- ④ 科学的医学の確立 神経線維の顕微鏡的観察、脳の機能局在(ブローカ 1861)
- 精神疾患を「脳の器質的疾患」として記述したいという強力な動機
2-2 ビアード 1869
神経衰弱の発明 ── 「文明の病」という戦略
- 電信・鉄道・蒸気機関・定期新聞 ── 近代文明の刺激が神経系の「エネルギー」を消耗させ、疲労・不安・頭痛・消化障害・不眠をもたらす
- 神経衰弱は「狂気(madness)」ではなく「神経の疲労」であるから、入院を要しない
- 上流・中産階級、特に女性と知識人男性がこの診断に飛びついたのは当然であった
- 「不安を持つことは知性の証」という逆説的な文化的価値の誕生 ──「進歩した社会を生きる証」
しかし ──「何でも入る袋は、何も説明しない」
倦怠・不安・恐怖症・頭痛・消化不良・性的機能不全がすべて神経衰弱に帰属された。
フロイトが次の世代で行った仕事は、この混沌から明確な疾患単位を切り出すことであった。
2-3 ダーウィン 1872
パフアダーの前で、意志と理性は無力であった
動物園でパフアダーが飛びかかっても後退しないと決意しながらも、蛇が突進した瞬間に反射的に飛びのいてしまった ──「一度も経験したことのない危険を想像する働きの前には、私の意志と理性は無力であった」
『人及び動物の表情について』1872
- 進化論的説明 危険に際して不安になる生物は生存・繁殖に有利であり、恐怖反応は自然選択によって形成された
- 自動性の観察 恐怖は意識的選択に先行する自動反応である
- これはエピクテトスの「印象は不随意的に生じる」の生物学的裏付けであり、20 世紀の神経科学的恐怖研究に直接連なる
第Ⅰ部のストア派と、第Ⅳ部の RDoC「恐怖回路」とを、この一本の線が貫いている。
2-4 フロイトへの助走
モレル、クリシャベール、シャルコー
| 人物 | 年 | 寄与 |
モレル 1809–1873 | 1866 | 「情動妄想(délire émotif)」── 不安・恐怖症・強迫観念を自律神経系という共通の解剖学的基盤から説明。カプサンベリス曰く「異種の心理的・身体的不安状態を共通の病因から分類しようとした最初の試み」 |
クリシャベール 1836–1883 | 1873 | 「脳心臓神経症」── 動悸・息切れ・めまい・発汗を伴う発作的な恐怖。現代のパニック発作の、はじめての系統的記述 |
| シャルコー | 1885–86 | サルペトリエールの催眠・ヒステリー研究が「心理的原因が身体症状を生む」ことを実験的に示す。若きフロイトがパリで師事 |
3-1 フロイト 1895
85 年先取りされていた DSM-III
ビアード以来の巨大な受け皿「神経衰弱」から、不安神経症(Angstneurose)という疾患単位を切り出す。
| フロイトの記述(1895) | 現代の対応 |
不安な期待 ängstliche Erwartung 対象や状況を欠いた持続的で漠然とした心配 | 全般性不安障害(GAD)の中核症状 |
不安発作 心拍亢進・呼吸困難・めまい・死の恐怖を伴う突然の恐怖 | パニック発作 |
恐怖症 特定対象・状況への持続的・回避的恐怖 | 特定の恐怖症・社交不安症 |
強迫観念 不安に駆動された反復的思考と行動 | 強迫症 |
1895 年の四症状群は、85 年後の DSM-III(1980)において「不安障害」カテゴリーとして制度化される。この歴史的連続性こそ、精神医学史の重要な論点である。
3-2 / 3-3 フロイト理論の二段階
戦争神経症が理論を反転させた
第一理論
抑圧 → 不安
1895–
性的エネルギー(リビドー)が排出されず蓄積し、心理的処理を受けないまま「不安エネルギー」に変換される。
症状記述の精度と、病因論の限界とが奇妙に同居していた。
第二理論
不安 → 抑圧
『制止・症状・不安』1926
不安が危険のシグナルとして発せられ、それを回避するために抑圧という防衛機制が動員される。
転機は第一次世界大戦であった。戦場から帰還した無数の兵士が戦争神経症を呈した ── 彼らの多くは「性的抑圧」とは無縁の若者たちであり、旧図式はこの外傷的現実の前で崩壊した。
3-3 シグナル不安の射程
不安は症状から、組織化原理へ
不安の三分類(1926)
- Realangst 現実不安 ── 外的・現実的危険への反応。正常な恐怖
- Neurotische Angst 神経症的不安 ── 内的・無意識の危険。自我とエスの葛藤から
- Moralische Angst 道徳的不安 ── 超自我からの罰の脅威。罪責感と結びつく
後継者たち
- クライン 迫害不安と抑うつ的不安。「抑うつポジション」=不安と抑うつの連続性を理論の中心に据える
- 修正学派(ホーニー、フロム、サリバン) 性的病因論を捨て、文化的・対人関係的要因へ
- ロロ・メイ『不安の意味』1950 フロイトとキルケゴールの統合の試み
第二理論において「自我は抑圧の主体(l'agent du refoulement)であると同時に、『不安の場所』(le lieu de l'angoisse)でもある」
Kapsambelis による要約
3-5 第Ⅱ部 まとめ
フロイトの遺産と、その限界
遺産
- 不安を精神医学の中心問題として確立した
- 症状記述的分類の先駆性 ── 現代の不安障害カテゴリーの骨格を 1895 年に完成させていた
- 「正常な不安」と「病的な不安」の連続的理解
- 外来精神科という新しい医療領域の開拓
限界
- 性的エネルギー論は後継者に修正を迫られた
- 「ほぼすべての神経症に不安が関与する」── 説明力を最大化すると同時に診断的特異性を失わせた
- 治療法としての精神分析の非効率性 → のちに薬物療法と CBT に主役の座を譲る
それでも、フロイトが「なぜ不安障害になるのか」という問いを精神医学の中心に据えたことの意義は揺るがない。この問いには、結論部でもう一度戻ります。
III
不安の時代と、分離革命
「人間の条件」から「特定の疾患」へ ── 制度が概念を動かすとき
ca. 12 min
4-1 1947–1950
「不安の時代」── 病ではなく、人間の条件として
- 1947 年 オーデン、長詩『不安の時代(The Age of Anxiety)』
- ハイデガー、サルトル、カミュの実存主義が大西洋を渡り、ニューヨークの知識人層に広まる
- 1950 年 ロロ・メイ『不安の意味』冒頭 ──「われわれの社会に生きる注意深い市民なら誰でも……不安が 20 世紀半ばの広汎で深刻な現象であることに気づいている」
- 戦争の惨禍、核兵器の脅威、冷戦の破局的緊張 ── 不安は時代の集合的感情であり、哲学的・文化的・神学的言語で語られた
注目すべき逆説 ── この時代、不安は「病気」ではなく「人間の条件」として語られていた。
文化的・哲学的言語が医学的言語をしのいでいた、まさにその時期に ──
4-2 1955 / 1960
マイナートランキライザーが、唐突に幕を開ける
- 1957 年時点でアメリカの精神分析家はわずか約 1000 人。この小集団が大衆のニーズを担えるはずがなかった
- 1955 メプロバメート(ミルタウン)── ネイサン・クラインの提案で「精神安定薬(tranquilizer)」と命名される
- 「世界が本当に必要としているのは精神安定薬だ」── この時代の空気を象徴する言葉
- 1960 ベンゾジアゼピン系(クロルジアゼポキシド=リブリウム、1963 ジアゼパム=バリウム)
- 自動車・家電製品・郊外住宅と並ぶ、戦後アメリカの消費財となる
- 処方は精神科医よりも一般内科医が担った ── 不安の手当てを求める場所が、聖職者から哲学者を経て、一般医師の診察室に定着する
4-3 本講演の要となるスライド
FDA 1962 ── 「疾患化」という論理的必然
規制
1962 年 FDA 規制改正
医薬品は「認められた疾患」の治療に対して有効性が証明されなければならない
帰結
「日常的ストレス」は
処方の根拠たりえない
製薬会社が直面した課題は明確だった ──
要請
不安を「正常な苦悩」から
「特定の疾患」へ再定義せよ
この制度的圧力が、DSM-III の精緻な不安障害分類の社会的・経済的背景の一つをなす
概念は、しばしば臨床の内側からではなく、制度の外側から動かされる。これは 1962 年に限った話ではありません ── 1869 年のビアード(中産階級市場)でも、1987 年の SSRI(マーケティング)でも、私たちは同じ構造を見ることになります。
4-4 1970 年代
フェミニズムの反撃と、ベンゾジアゼピン批判
- ベティ・フリーダン ── 精神安定薬が中流階級の女性を家庭に縛りつける社会的コントロールの装置として機能しているという批判
- ファーストレディのベティ・フォードが、ベンゾジアゼピン依存症を公開告白
- 訴訟・議会公聴会・メディアキャンペーンが相次ぐ
「不安の薬」の文化的正当性が失われるとともに、
精神医学は新たな枠組みを必要とした ──
それが DSM-III という「操作的診断革命」であった。
5-2 DSM-III 1980
記述的精神医学の革命
- 背景 ── DSM-I(1952)・DSM-II(1968)は精神分析の言語で書かれていた(「不安反応」「解離反応」「転換反応」)。「無意識の葛藤」は外から観察できず、診断の信頼性が 1960–70 年代に激しい批判を浴びる
- スピッツァーを中心とする改訂委員会が採用した原則 ── 理論中立的(a-theoretical)な記述。精神分析的仮定を括弧に入れ、観察可能な症状のチェックリストで診断基準を明確化する
- 「不安障害(Anxiety Disorders)」が独立した章として確立
- パニック障害(新設)/全般性不安障害(新設)/強迫性障害/外傷後ストレス障害(新設)
信頼性(reliability)は高まった。
しかしそれは、妥当性(validity)への問いを先送りにすることによってであった。
「この診断は実際に何を指しているのか」── Horwitz の批判は、今日もなお精神医学の根本的課題として残っている。
5-3 / 5-4 その後の改訂
精緻化・拡大・そして解体
| 版 | 変化 |
DSM-III-R 1987 DSM-IV 1994 | 社会恐怖 →「社交不安障害」へ改称し適用範囲が拡大。持続期間・頻度・機能障害の程度が数値的基準として明記される。有病率の急激な増加 ── Horwitz はこれを「正常な恐怖の病理化」として批判する |
| DSM-5 2013 | 不安障害の解体と再編。強迫性障害は「強迫症および関連症群」として独立、PTSD も「心的外傷およびストレス因関連障害群」として独立。分離不安症・選択性緘黙の成人適用を正式に承認 |
それでも ──不安障害に対応する生物学的マーカーは、今日もなお確立されていない。
「DSM-5 は何が起きているかを記述するが、なぜ起きるかを問わない」── この批判は、フロイトが一世紀前に立てた問いへの答えが、まだ出ていないことを意味している。
IV
不安から鬱へ、そして再統合
SSRI が動かしたもの/ICD-11 6A73 という帰還
ca. 13 min
6-1 重心移動の事実
動いたのは疾患の実態ではなく、語り方であった
- 1950–60 年代の精神科外来を支配していたのは「不安」の語であった
- 1990 年代以降、「看板疾患」の地位は大うつ病が担うようになる。WHO の疾病負担報告でうつ病は DALY 上位を占め続ける
しかし、不安が減ったわけではない。
GAD と大うつ病の生涯共存率は 60〜70 パーセントに達する。
臨床医の日常的経験は、教科書的なカテゴリー分類としばしば食い違う ── 不安障害のみを呈する患者より、不安と抑うつが混在する患者の方が圧倒的に多い。
6-2 1987
SSRI が診断の重心を動かした
- 1987 年 FDA がフルオキセチン(プロザック)を抗うつ薬として承認
- 薬理学的には「広域スペクトラム」薬である ── 大うつ病に加え、パニック症・社交不安症・GAD・強迫症・PTSD にも有効性が確認されている
- すなわち SSRI は「抗うつ薬」であると同時に、「抗不安薬」でもある
- しかし製薬会社は、これを主として「抗うつ薬」として位置づけ、マーケティングした
- 「うつ病はセロトニン不足による脳の病気であり、SSRI で治る」という単純化されたメッセージが社会に浸透する
ビアードが神経衰弱を「文明の病」として中産階級に受け入れさせたように、製薬会社とメディアが協力してうつ病を「現代人の病」として構築した ── 概念史の視点から見れば、1869 年以来繰り返されてきたパターンの最新版である。
6-4 同型の疾患化
『悲しみの喪失』2007 ── 二つの正常が病になる
正常な恐怖 →「不安障害」
適応的な恐怖反応を呈している人々が、診断閾値の下降によって「障害」に分類されるようになる。
正常な悲しみ →「大うつ病」
愛する者の喪失・離婚・失業 ── 人生の苦難への自然な反応が「疾患」に変えられる。
診断閾値の下降は、医療化の拡大と製薬産業の市場拡大の双方に奉仕する。
フランス精神医学の伝統は、症状の「意味」を問う精神力動的・現象学的伝統を保持しながら、より慎重な立場をとってきた。カプサンベリスの強調する区別 ──「診断ラベルを貼ること」と「病態を理解すること」は違う。
7-2 ICD-11(2018 採択/2022 発効)
混合抑うつ不安症 6A73
- 定義 不安症状と抑うつ症状が同時に存在するが、いずれも単独の不安障害または気分障害の診断閾値には達しない状態。臨床的に有意な苦痛と機能障害をもたらすことが要件
- DSM-5 は同概念を「今後の研究のための病態」=正式診断としては認められない仮の記述にとどめた。ICD-11 はこれを正式な診断カテゴリーへ格上げした
| 論点 | DSM-5 | ICD-11 |
| 出自 | APA =一国の学会。主用途は研究・保険請求・訴訟における標準化 | WHO が 193 カ国の使用を前提に策定。臨床的有用性を第一義とする |
| 扱い | 付録の「研究用診断」 | 6A73 として正式化 |
| 文化 | 主に北米・西欧の臨床経験に基づくという批判 | 文化的多様性への配慮を明示的に組み込む |
これは単なる分類上の差異ではない ──「診断閾値以下のグレーゾーンにある臨床的現実を、制度が承認するかどうか」という哲学的差異である。
7-3 概念史的意義
統合 → 分離 → 再統合
第一段階
統合
古代 〜 19 世紀
ヒポクラテスのメランコリアは恐怖と悲しみを一体の病態として記述した。アリストテレスは創造性を、フィチーノは実存的態度を接ぎ木した。フロイトも不安神経症・神経衰弱・メランコリアの共存を当然の前提とした。「分離」という発想がなかった。
第二段階
分離
1980 年 〜
DSM-III が操作的診断の原理のもと、不安障害と気分障害を明確なカテゴリーとして分離した。研究・行政・製薬産業に大きな利便性をもたらしたが、臨床的現実を単純化しすぎた。
第三段階
再統合
2022 年 〜
ICD-11 6A73 の新設は、42 年をへだてた臨床的現実への回帰である。古代のメランコリアが直観していた「不安と鬱の一体性」が、現代の操作的診断の言語に翻訳されて戻ってきた。
7-4 次元的モデルへの道
RDoC ── カテゴリーを解体する試み
- ICD-11 の革新の一つは次元的(dimensional)アプローチの部分的導入である ── 二値的な「あり/なし」判定に加え、症状の重症度を連続量として記述するオプション
- NIMH の RDoC(Research Domain Criteria)は、DSM のカテゴリー診断を根底から問い直す
- 「不安」=恐怖回路の感受性の高さという次元上の一点
- 「うつ」=報酬系の応答性の低さという別の次元
- 両者は独立した「疾患」ではなく、異なる神経生物学的次元における変動として理解される
- RDoC はいまだ研究の枠組みにとどまる。しかし「なぜ不安障害になるのか」というフロイトが一世紀前に立てた問いへの生物学的回答を目指す点で、将来の方向性を示している
V
逆像 ── 不安を知らぬ者の肖像
モーツァルト《ドン・ジョバンニ》とキルケゴール『あれか、これか』
ca. 15 min
第Ⅴ部 序
なぜ、ここでオペラなのか
- キルケゴールは『あれか、これか』(1843)で「直接的・エロティックな諸段階」と題する長大な音楽論を展開し、《ドン・ジョバンニ》を「天才的作品の中の天才的作品」と呼んだ
- その翌年、彼は『不安の概念』(1844)で「不安とは自由の眩暈である」と書く
不安をもっとも深く記述した人物が、
不安を微塵も知らぬ男の物語を、これほどまでに愛した。
それはなぜか。
ここまでの四部で私たちは「不安とは何か」を歴史的に辿ってきました。
これから見るのは、その陰画です ── 不安を持たない者は、何を持たないのか。
序曲
死の影は、序曲の冒頭に潜んでいる
- 《ドン・ジョバンニ》の始まりは、空気を切り裂くニ短調の和音。重く、威圧的で、容赦がない
- オーケストラのその最初の一撃は、のちに石像となって迫る騎士長の足音を予告している
- しかしドン・ジョバンニ本人は、そんな予兆などおかまいなし。序曲が終われば、彼はもう新たな女性の寝室にいる
ここに構造がすでに現れています。聴衆は序曲の時点で「これから何が起こるか」を予感している ── つまり聴衆には時間の厚みがある。しかし舞台上の主人公には、それがない。
キルケゴールの言葉で言えば、彼には「まだない」という時間軸がそもそも存在しない。
第一章
ドン・ジョバンニは中世の産物である
- 古代ギリシャにおいて、官能は宇宙の調和の一部だった。アフロディテは神であり、エロスは宇宙を動かす力だった ── 官能はどこかに「排除」されてはいなかった
- キリスト教が「精神」を至高の原理として世界の中心に打ち立てた瞬間、事態は変わる
- 精神が高みへ昇るほど、その反動として、精神からはじき出された「肉の原理」が地の底で暴力的なほど強化されていく
- 捨てられたものは消えるのではなく、捨てられたからこそ純化され、強大化する
- ドン・ジョバンニは、その「捨てられた官能」の化身=中世キリスト教の精神性が生み出した影である
だから彼が最も輝くのは、修道院の塀の外であり、騎士の剣と神の名が飛び交う社会の中である ── これがキルケゴールの逆説的なテーゼです。
第二章 ── 本講演の理論的中心
なぜ彼は「音楽」でなければならないのか
言語とは、時間を分節するものである。
「昨日」「明日」「もしかしたら」「あのとき」── 言葉を使う瞬間、人は過去と未来の間に宙吊りになる。
- 言葉で何かを語ることは、その何かを「距離を置いて眺める」ことであり、それはすでに省察(Reflexion)の始まりである
- ドン・ジョバンニには、その省察がない。彼は「語る個人」ではなく、「官能そのものの声」である
- だから彼は言語では表現できない。彼の本質は、旋律とリズムが空気を震わせる、その瞬間の中にしかない
用語について デンマーク語 Reflexion(Hirsch 独訳も Reflexion、Hannay 英訳では reflection)は、意識が自己自身に折り返す運動 ── 直接的体験から一歩引いて、自分を時間の中に位置づけ、眺め返す知的操作を指す。日本語の「反省」が帯びる道徳的含意を避けるため、ここでは「省察」を用いる。
第二章
ドン・ジョバンニ と ドンナ・エルヴィラ
| ドン・ジョバンニ | ドンナ・エルヴィラ |
| 代表するアリア | Fin ch'han dal vino(シャンパンのアリア)── 息つく暇もない速度で、言葉が意味を置き去りにして流れていく | Ah, fuggi il traditor(裏切り者から逃げなさい)── 記憶があり、怒りがあり、警告がある |
| 言語 | なし(欲望の音楽的噴出) | あり |
| 省察 | なし | あり ── 時間軸の上に自分を置き、過去を振り返り、他者に語りかける |
| したがって | 不安がない | 不安がある |
モーツァルトの天才は、この差異を音楽的に可視化した。エルヴィラが語るとき、ドン・ジョバンニは沈黙するか、茶化すか、横から割り込んで旋律を奪う ── 言葉の論理に乗ることを拒絶するかのように、常に音楽の速度で動いている。
第二章 ── 反例による検証
モリエール『ドン・ジュアン』1665 という対照実験
- モリエールのドン・ジュアンは弁舌巧みに誘惑し、信仰を論駁し、偽善を演じる── 徹頭徹尾「言葉の人」である
- キルケゴールの枠組みで言えば ── 言語を持つ者はすでに省察を持ち、省察を持つ者は直接性を失っている
- だからモリエールのドン・ジュアンは「悪の体現者」として描かれうる
- 逆に、モーツァルトのドン・ジョバンニは「悪」ではなく「直接性」そのものとして立ち現れるほかない
同じドン・ファン伝説を素材としながら、
媒体(戯曲と音楽)の違いが、人物像の存在論的レベルの違いに直結している。
第三章
一〇〇三人のリスト ── 欲望は「対象」を持たない
「お嬢さん、これがカタログです。旦那様が愛した女性の一覧。イタリアに六百四十人、ドイツに二百三十一人、フランスに百人、トルコに九十一人、そしてスペインには ── 一〇〇三人」
Madamina, il catalogo è questo(カタログのアリア)
- これほど多くの女性を「愛した」ドン・ジョバンニは、実は誰も愛していない
- 彼が求めるのは個別の女性ではなく、「女性性そのもの」という普遍である
- 金髪も黒髪も、貴婦人も農民の娘も ── リストに属する全員が、旋律の中の「一つの音符」に過ぎない
- 音符は消え、旋律は続く。欲望は対象に執着せず、嵐のように次へ次へと移動していく
- 一〇〇三という数字は征服の記録ではなく、欲望が本質的に反復するものであることの証だ ── 嵐は同じ嵐ではないが、嵐であり続ける
第三章 ── 本講演の要となる対比
対象なき不安 と 対象なき欲望
不安(キルケゴール)
- 対象を持たない ──「まだない何か」への眩暈
- 未来に向かって開いた傷口
- 時間の厚みの上にのみ成立する
欲望(ドン・ジョバンニ)
- 対象を持たない ──「すでに過ぎ去ったもの」への無関心
- 現在という一点に閉じた完全な円環
- 時間の厚みを必要としない
どちらも「対象を持たない」。
しかし一方は時間に向かって開き、他方は時間を持たないことによって閉じている。
この非対称こそが、第Ⅰ部で見た「対象なき不安」という概念の核心を、逆側から照らし出す。
第四章
セレナードの哲学 ──「今」だけを生きる者
- Deh, vieni alla finestra(さあ、窓辺においで)── 夜の闇の中、マンドリンの伴奏。その声は優しく、誠実で、本物の愛の告白のように聞こえる
- だがその下ではドンナ・エルヴィラが立っている。彼が口説いているのはエルヴィラの侍女である
- では、彼は「嘘をついている」のか
- おそらく、そうではない。彼は「今この瞬間、窓の向こうにいる女性を求めている」という事実に、ただ忠実なのだ
- 過去にエルヴィラに言った言葉も、明日別の女性に言うであろう言葉も、「今」の彼には存在しない
彼の誠実さは、ある意味において純粋だ。
── ただし、それは時間の厚みを持たない誠実さである。
彼は永遠の現在を生きている。それは自由からの解放ではなく、自由を持つほどの精神が存在しないということだ。
第五章
嵐は議論しない ── 自然力としての誘惑
- 二重唱 Là ci darem la mano(あなたの手をとって)── 婚約者マゼットがいるツェルリーナは揺れる。Vorrei e non vorrei(行きたい、でも騙されるかも)。しかし最後には二つの声が溶け合う ── Andiam
- なぜ彼女は抵抗できないのか。ドン・ジョバンニが巧みな「説得」をしているのではないからだ
- 彼は論理を使わない。論拠を積み上げない。その声のたたずまい、その欲望の磁場が、嵐のように作用する
- 嵐に向かって「あなたの主張には根拠がない」と言っても意味がない。嵐は議論しない。嵐はただ、ある。
- キルケゴールはここに「直接性の絶対的な力」を見た ── 省察以前の、言語以前の、論証以前の力
だからモーツァルトはこの場面を、レシタティーヴではなく二重唱(duettino)として書いた。二つの旋律が交互に現れ、やがて重なり、最後に一つになる ── その音楽的合一は、理性が介入する余地のない「直接性」の勝利である。
終章
石像は来る ── しかし彼は悔いない
- 石像は三度迫る ──「悔い改めよ。まだ間に合う」。ドン・ジョバンニは三度拒む ──「否!」(No! No!)
- これは傲慢なのか。頑固なのか。キルケゴールの目には、そのどちらでもない
- 傲慢とは「わかっていてなお拒む」ことだ。しかし彼には、「悔い改める」ための自己がそもそも存在しない
- 悔い改めるためには ── 過去の行為を記憶し、現在の自分と照合し、未来の自分のあり方を問う必要がある
- つまり時間の中に自分を位置づけ、その位置から自分を見つめ直す視点=省察が必要だ
だから彼は悔いない。
それは意志の力ではなく、彼の精神の構造の問題である。
地獄の炎に飲み込まれる瞬間にいたっても ── 彼は不安を知らなかった。
後記 ── もう一つの対照実験
R.シュトラウス《ドン・ファン》1889
- レーナウの未完の詩に基づき、欲望の奔流がやがて倦怠と幻滅に変わる過程を描く
- 冒頭のホ長調の輝かしい跳躍から、終結部の虚脱した消失へ ── この軌跡が語っているのは
- レーナウのドン・ファンは理想の女性を追い求めては失望を重ねる ── つまりすでに省察を持ち、したがって「倦むことのできる」人物である
省察を持つ者は、必ず倦む。
モーツァルトのドン・ジョバンニが倦むことを知らないのは、
省察という精神の厚みを持たないからである。
同じ名前の主人公を素材としながら、両者は存在論的にまったく異なる人物像を描き出している。
結び ①
不安は、排除すべき敵ではない
- キルケゴールは最終的に問う ──あなたはドン・ジョバンニになりたいか、と
- 美しい。圧倒的だ。しかし彼には「自己」がない。倫理的な選択もなく、精神の跳躍もない
- 彼は永遠に美的段階を抜け出ることができない。嵐は行き先を決めない。嵐はただ吹くだけである
- ドン・ジョバンニに眩暈がないのは、足元の確かな地に立っているからではない ── そもそも「高さ」を感知できないからである
人には不安がある。それは確かに苦しい。
しかしそれは、「自由に選択する主体」であることの証でもある。
不安は、自己が自己であるための、深いところから支える精神の地盤なのだ。
結び ② ── 第Ⅰ部への帰還
その地盤は、人類が当初から持っていたものではない
- ホメロスの人間はまだ統一された「心」を持たず、テュモスの赴くままに動く多元的な魂を生きていた。統一的な魂は、ようやく前 5 世紀末に成立した歴史的形成物である
- だとすれば ── 不安が贈り物であるのは、それが「統一された自己」という、人類がようやく手に入れた精神の構えに付いてくる贈り物だからである
しかしその構えは、いつも張りつめていなくてよい。
《ドン・ジョバンニ》に身を委ねるあいだ、私たちは省察をしばし手放して、
あの古代の未分化な魂 ──テュモスの赴くままに動き、旋律そのものとして生きる魂── へ、いっとき帰っている。
たまにそこへ戻るのも、わるくない。
幕が下りれば、また不安という贈り物を ── 少し軽くなった手で ── 引き受け直せばよいのである。
結-4 臨床への還元
「不安で仕方がない」の背後にある四つの層
| 層 | 内容 |
| 神経生物学的 | 扁桃体の感受性、神経伝達物質系の調整不全 ← RDoC・SSRI の層 |
| 心理学的 | 幼少期の愛着パターン、防衛機制、認知的歪み ← フロイト・クライン・CBT の層 |
| 社会・文化的 | 現代社会の構造的不安 ← ビアード・ホルヴィッツの層。キャンベルはメソポタミア都市文明の成立に、その最初の萌芽を見出している |
| 実存的 | キルケゴールが「自由の眩暈」と呼んだ、選択する存在としての根本的条件。 そしてフィチーノが「楽しいメランコリー」と描いた、苦悩と深みが分かちがたく結びついた態度の次元 |
DSM の診断基準は、この多層的現実の「入口」を提供する。しかしそれは「理解の終着点」ではない。
結語
入りきらない何かへの、感受性
「不安の治療」を論じるとき、われわれは医学的・治療的関心の対象となった不安について語っているのであって、不安のすべてではない。行動・くつろぎ・「善い決意」・祈り・懺悔・愛の告白 ── これらもまた、人類が不安を手当てしてきた方法である。
Kapsambelis, L'angoisse
- 概念史を学ぶことは、診断ラベルを「所与の自然」としてではなく、「歴史的産物」として批判的に使う医師を育てる
- デカルトの枠組みに不安が入れなかったように、現代の神経科学の枠組みにも入りきらない何かが、不安にはある
不安は病気であると同時に、生の証である。
「自由の眩暈」であり、進化が刻んだ生存の機能であり、社会的存在としての人間の条件でもある。
そしてアリストテレスが見抜いたように、それは創造の条件ともなりうる。
?
質疑応答
ご清聴ありがとうございました
15 min
主要文献:Horwitz AV, Anxiety: A Short History, 2013 / Kapsambelis V, L'angoisse, 2022 / Bergo B, Anxiety: A Philosophical History, 2021 / Horwitz & Wakefield, The Loss of Sadness, 2007 / Snell B, 1946 / Bremmer JN, 1983 / Kierkegaard S, Enten–Eller 1843, Begrebet Angest 1844 / WHO, ICD-11, 2018/2022