序 なぜ今ドッズか
エリック・ロバートソン・ドッズ(1893–1979)の『ギリシア人と非理性』(The Greeks and the Irrational, 1951年)[1]は、ブルーノ・スネル『精神の発見』(1946年)[3]と並んで、戦後の古典学がホメロス的人間に向けた二つの巨大な視線をなす。両書は同じ資料体を反対側から照らす。スネルが、ホメロスから前5世紀に至るギリシア人が「精神」を段階的に発見していく上昇の歴史を描いたのに対し、ドッズは、その同じ道程のいたるところで非理性――憑依、夢告、穢れ、魂の遊離、呪術――が生き続け、合理主義の勝利の後にすら回帰してくることを描いた。発見の歴史と存続の歴史。この二冊を併せ読むことで初めて、戦後古典学の人間論は立体になる。姉妹篇のスネル案内(拙稿 XX)[15]がスネルの側を扱ったのに対し、本稿はドッズの側を扱う。
書誌的事情はスネルの場合より恵まれている。本書はカリフォルニア大学バークレー校のサザー古典学講義(Sather Classical Lectures)として講じられ、同講義叢書の第25巻として刊行された。著者はマレーの後任としてオックスフォードのギリシア語欽定講座教授を務めた第一級の文献学者であり(プロティノスの校訂者でもある)、同時に心霊研究協会(SPR)の会長を務めたことでも知られる――非理性への関心は、彼にとって書斎の外の実践でもあった。邦訳は岩田靖夫・水野一訳『ギリシァ人と非理性』(みすず書房、1972年)があり[2]、スネルの邦訳のような稀覯本化は免れている。しかし、刊行から七十余年のあいだに本書が受けた批判――恥の文化/罪の文化という枠組みの解体、ギリシア・シャーマン説への反証――は、スネル批判と同様、日本語ではほとんど腑分けされていない。本稿の課題は XX と同じである。全八章と付録二篇の構想を紹介し(第一〜六章)、批判史を整理し(第七章)、「訂正されたドッズ」――現代の学問水準においてなお使用可能なドッズ――の輪郭を描き(第八章)、最後に本覚え書きシリーズへの接続の見取り図を付す(第九章)。
第一章 全体の構想と方法
本書は一つの逸話から始まる。大英博物館でパルテノン彫刻を眺めていたドッズに、一人の青年が言った――ギリシアの美術はあまりに理性的すぎて心を動かされない、と。「ギリシア人=理性の民」という通念への、この率直な違和感を受けて、ドッズは問いを立て直す。ギリシア人は本当に非理性的な経験に無自覚だったのか。むしろ彼らほど、それを注意深く観察し、名づけ、制度化した民はいないのではないか[1]。
方法は二本立てである。第一に、古典文献学の厳密な語彙分析(この点でスネルと同じ土俵に立つ)。第二に――当時としては大胆な――社会人類学と心理学の導入である。ルース・ベネディクトらの文化人類学から「恥の文化/罪の文化」と「文化パターン」の概念を借り[4]、フロイト以後の心理学から投影・抑圧・解離の語彙を借りる。この学際性こそ本書の魅力であり、後述するように、批判の的でもある。八章の弧はこう描かれる。ホメロスの心的介入(第一章)から、古拙期の罪と穢れ(第二章)、制度化された狂気(第三章)、夢の文化型(第四章)、シャーマンと魂身二元論の到来(第五章)を経て、古典期の啓蒙とその反動(第六章)、プラトンによる統合(第七章)、ヘレニズム期の「自由への恐怖」(第八章)へ。すなわち本書の隠れた主題は、非理性の記述であると同時に、合理主義がなぜ勝ちきれなかったのかという、1951年のヨーロッパにとって切実な問いである。
第二章 ホメロスの心的介入(第一章の紹介)
第一章「アガメムノンの弁明」の中心事例は『イリアス』のアガメムノンである。アキレウスから愛妾を奪った行為について、彼はそれが自分の意志ではなく、ゼウスとモイラと「闇を歩くエリニュス」が理解力を狂わせたのだと弁明する。ドッズはこれを責任逃れの言い訳と見ない。当時の裁判観念は意図ではなく行為を問い、アガメムノンは非を認めて賠償を申し出ており、被害者アキレウスも同じ理屈で事態を捉えている。つまりこれは詩人自身の視点であり、共有された心理的経験だった[1]。ドッズはここから、アテー(一過性の精神の混濁、外部のダイモーン的な力によるもの)、メノス(神から注ぎ込まれる一時的な力と気迫)、そして名もなきダイモーンへの帰因という、ホメロス的な「心的介入」の体系を再構成する。
その背景としてドッズが挙げる二要因は、本シリーズの読者には既視感があるはずである。第一に、ホメロスの人間には統一的な「魂」や「人格」の概念が欠け、トゥモスなどの心的器官が独立の声として経験されていたこと。第二に、性格や感情までもが「知っている」という知性主義的な語法で表現され、意識的な性格体系に属さない衝動が「自分のもの」から排除されやすかったこと。前者はスネルの第一章(XX 第二章)、そしてフォイクトの決断論(XXI)が扱ったのと同一の言語的事実である[15]。三者の違いは説明の水準にある。スネルはそこに発達段階(まだ発見されていない精神)を読み、フォイクトは表象の慣習(描かれないが存在する決断)を読み、ドッズは心理的機制を読む――恥の文化においては、他者の評価(ティメー)が最高の価値であるがゆえに、耐え難い失態は外部の神的な力に「投影」して処理される、と。同じ資料体への三つの読み。この三面鏡こそ、XX・XXI・本稿を並べて読む利得である。
第三章 罪の重みと狂気の恩恵(第二・三章の紹介)
一、恥の文化から罪の文化へ(第二章)
第二章の冒頭でドッズ自身が、恥の文化/罪の文化の区分は記述上の便宜であり、両者の間には緩やかで不完全な移行しかないと断っている――この留保は批判史(第七章)を先取りするため記憶されたい。そのうえで彼は、古拙期に人間の無力と不安の意識が深まる過程を描く。神々のフトノス(妬み)、コロス(飽満)からヒュブリス(傲慢)を経て破滅に至る因果図式、ゼウスの正義の神への変容、穢れ(ミアスマ)と浄めの観念の拡大、祖先の罪を子孫が負うという継承的責任。アテーは「説明のつかない不運」から「罰」へと道徳化され、エリニュスは復讐の女神となる。ドッズはこの変化の背景に、家父長制家族の内部緊張と、投影された罪悪感の増大を見る――ここが最もフロイト的な、したがって最も時代の刻印の濃い箇所である[1]。
二、狂気の恩恵(第三章)
第三章はプラトン『パイドロス』の逆説――「我々にとって最大の恩恵は狂気を通じてもたらされる」[7]――から出発し、神的狂気の四分類(予言的・儀礼的・詩的・恋愛的)のうち前三者を検討する。本シリーズにとって決定的なのは予言的狂気、すなわちデルポイのピュティアの分析である。ドッズによれば、ピュティアの神託は神がその身に乗り移って語る憑依(エントゥシアスモス)であり、地の裂け目から立ち上る蒸気といった外的・物質的な説明を要しない――自己暗示的に誘導されたトランスで足りる。そしてこの憑依型の預言は、遊離した魂が旅をする型(第五章のシャーマン)とは別の類型として、ドッズ自身によって明確に区別されている。儀礼的狂気の側では、ディオニュソス祭儀とコリュバンテスの狂躁治療が、狂気を制度の内に囲い込んで浄化(カタルシス)として放出する社会的装置として描かれる。狂気の恩恵とは、つまるところ、非理性の制度化の恩恵である。
第四章 夢の文化パターン(第四章の紹介)
第四章の主眼は、ギリシア人の夢体験そのものではなく、夢への「態度」の検討にある。ドッズはここで人類学から「文化パターン夢(culture-pattern dream)」の概念を導入する。夢の内容と構造は文化によって型づけられる。ホメロスの夢の標準形はこうである――単一の夢幻像(オネイロス)が、眠る者の枕頭に立ち、用件を告げ、去る。夢見る者は受動的であり、夢は主観的経験ではなく客観的な訪問として語られる。古代の夢分類では、これは象徴的な夢や幻視(ホラマ)と区別される「託宣夢(クレーマティスモス)」にあたる。そしてこの型の夢は、見られるだけでなく求められる――聖域に籠って神の訪問を待つお籠り(インキュベーション)は、エピダウロスのアスクレピオス医療において制度の頂点に達する[1]。夢が個人の心理ではなく文化の型であるならば、夢は共同体的に検証され、制度的に運用されうる。本シリーズへの含意は第九章で述べる。
第五章 ギリシアのシャーマンとピューリタニズム(第五章の紹介)
第五章は本書の最も有名な、そして最も攻撃された章である。問いはこうである。魂を肉体と対立させ、肉体を魂の牢獄ないし墓(ソーマ=セーマ)とみなす発想――ロデが「ギリシア人の血管に混じった異質な血の一滴」と呼んだもの[5]――は、どこから来たのか。死後存続の観念も、死後の賞罰も、古くからギリシアにあった。真に新しいのは、人間に神的起源を持つ「オカルト的な自己」を認め、それを肉体から切り離しうるとする発想そのものである。
ドッズの仮説は、黒海方面との交易・植民を通じて、ギリシア人がスキタイ・トラキアのシャーマニズム文化と接触したことにこれを帰する(モイリの1935年の研究に依拠する)[6]。矢に乗って現れたというアバリス、恍惚のうちに魂の遠征を行ったアリステアス、離魂して遠方を観察したクラゾメナイのヘルモティモス、クレタの浄め手エピメニデス――北方と関わる伝説的な「神の人」たちの伝承に、ドッズはシベリア型シャーマニズムの特徴(隔離と断食、意識の解離、魂の飛翔、二重存在)を読み取る。この系譜の終端に、輪廻の知恵を説き教団を組織したピタゴラスと、風を鎮め死者を蘇らせる神的自己像と精密な自然学とを一身に兼ねたエンペドクレス――呪術師・自然学者・詩人・予言者が未分化だった古い人間類型の、ギリシアにおける最後の例――が置かれる。そしてこの複合から、輪廻による神義論、原罪の神話(ティタンによるディオニュソス八つ裂き)、菜食と禁欲、あらゆる肉体性からの浄化へと意味を拡げたカタルシス――要するにギリシアのピューリタニズムが生まれた、とドッズは論じる。特筆すべきは彼の誠実さである。かつて確信していた「オルペウス教団」の実在について、近年の研究によりむしろ確信を失ったと率直に告白し、オルペウス的とピタゴラス的の区別に拘泥しない方針を明示している[1]。この率直さが、後の批判(第七章)に対して本章を部分的に免疫化することになる。
第六章 啓蒙・プラトン・自由への恐怖、付録二篇(第六〜八章・付録の紹介)
一、継承された堆積物と啓蒙の限界(第六章)
第六章は、ここまでに描かれた諸観念の総体を、ギルバート・マレーの造語を借りて「継承された堆積物(Inherited Conglomerate)」と呼び直す。宗教的発展は古層を消すのではなく積み重ねる――地質学的なのである。5世紀の人々は、墓の中の亡骸、冥界の影、大気に溶ける息、輪廻するダイモーンといった相容れない魂観を、正統教義もなしに同時に抱えていた。この堆積物を、6世紀イオニア(クセノパネス、ヘラクレイトス)に始まりソフィストとエウリピデスに至る啓蒙が掘り崩す。しかし反動が来る。前5世紀末アテナイの一連の不敬罪裁判(アナクサゴラス、プロタゴラス、そしてソクラテス)を、ドッズは合理主義に対する民衆的反動の証拠として読む[1]。
二、プラトンによる創造的転移(第七章)
第七章の中心命題は大胆である。プラトンは、前390年頃の西方ピタゴラス派との接触を転機として、北方シャーマニズムに由来する呪術宗教的観念を理性の言語へ創造的に移し替えた。罪を負うオカルト的な自己はソクラテス的な理性魂と同一視され、シャーマンのトランスは哲学的観想と魂の浄化に、前世の記憶は想起(アナムネーシス)の認識論に転換される。すなわちプラトニズムとは、第五章の複合体の哲学的昇華である。同時に晩年の『法律』は、堆積物を安定させるために民衆的信仰への大幅な譲歩(そして不敬への処罰)を制度化する――ドッズはここに、啓蒙の子が反動の設計者となる屈折を読む[1]。
三、自由への恐怖(第八章)
最終章は視野を8世紀分に広げる。リュケイオン創設以後、ギリシア合理主義は最高潮に達し、社会は史上最も「開かれた」ものに近づいた。それなのに、なぜ勝利は完成しなかったのか。前2世紀以降、占星術が教養層をも席巻し、呪術と啓示宗教が回帰する。ドッズの答えが章題の「自由への恐怖」である――開かれた社会の重荷、すなわち個としての決断と偶然性への曝露に、人々は耐えられなかった。合理主義の敗因は論駁ではなく退避だった、と。フロムを思わせるこの診断が、第二次大戦直後に書かれたことの意味は、注記するまでもないだろう[1]。
四、付録二篇──マイナディズムとテウルギア
本体八章のあとに、初出論文に基づく付録が二篇置かれている。これらは付け足しではない。憑依の資料としては、本体第三章よりもむしろ濃い。
付録一「マイナディズム」(初出1940年)[20]は、エウリピデス『バッカイ』に描かれるマイナスたちの狂乱が詩的想像か実在の宗教慣行かを検証する。ドッズは、2年に一度の女性たちの秘儀的集会(トリエテリス)と真冬の夜間の「山駆け」(オレイバシア)の実在を各地の碑文史料から裏づけたうえで、14〜17世紀ヨーロッパの舞踏病を比較対象に置く――伝染性の集団的な踊りの発作が、2年周期の定期儀礼として組織化されることで、危険を抑制しつつ社会的に統御された、と。さらに頭を反らす仕草、火を素手で扱う耐火性、痛覚麻痺、生肉を裂いて食う「スパラグモス」と「オモファギア」(神を体現する動物の生食による神との一体化)といった細部が、世界各地の憑依儀礼に共通する普遍的現象であることを民族誌から示し、マイナスは神話的虚構ではなく時代と場所を超えて観察されうる実在の人間類型だと結論する。すなわちここでドッズが記述しているのは、ピュティアの制度化された単独の憑依とも、第五章の脱魂型とも異なる第三の型――儀礼的・集団的な憑依である。
付録二「テウルギア」(初出1947年)[20]は、後期古代の降神術を扱う。カルデア神託をめぐるユリアノス父子の伝承、プロティノスはテウルギストではなかったという史料的整理(この慎重さはプロティノス校訂者の面目である)、ポルフィリオスの動揺を経てイアンブリコス『秘儀論』が「テウルギア的合一は思考によってではなく行為の力によって達成される」と宣言するに至る転換、皇帝ユリアヌス下の隆盛とプロクロスによる再興。技法としては二系統が区別される。神と感応する象徴物を彫像に封入して彫像を活性化し神託を得る「テレスティケー」と、人間の霊媒(カトコス、ドケウス)に神を一時的に憑依させる「エイスクリシス」である。ドッズは後者の記述(浄化、衣装、意識変容、発光現象)が近代の心霊主義の霊媒現象と酷似することを指摘して結ぶ――SPR 会長の顔が、ここで学問の前面に出てくる。構造的に見れば付録二が描くのは、都市の公的神託(ピュティア)が衰えたのちの、憑依の技術化と私事化の過程である。
第七章 批判史──サザー講義の系譜内の自己批判
興味深いことに、本書への主要な批判は、本書と同じサザー古典学講義の系譜の内側から現れた。ドッズ(1951)に対し、ロイド=ジョーンズ『ゼウスの正義』(1971)が、ウィリアムズ『恥と必然性』(1993)が、いずれも同講義として応答したのである[8, 9]。半世紀にわたる講壇の自己批判史として読める。
一、恥/罪二分法の解体
ロイド=ジョーンズは、ゼウスの正義の観念がすでにホメロスに実質的に存在することを論証し、「恥から罪へ」という発展図式の前提――ホメロス世界における正義と罪責感の希薄さ――を突き崩した[8]。ケアンズの浩瀚なアイドース研究は、恥(アイドース)の概念が古拙期から古典期まで一貫して倫理的に厚みのある内面的概念であったことを示し、恥=外面的/罪=内面的という二分法そのものを支持不能にした[10]。そしてウィリアムズは、この二分法が進歩史観(未熟な恥の民から成熟した罪の我々へ)を密輸していることを摘発し、むしろ恥の倫理の再評価へ向かった――この議論が同時にスネル批判の中核でもあったことは、XX 第六章で述べた通りである[9, 15]。ただし公平のために言えば、ドッズ自身が第二章冒頭で二分法を「記述上の便宜」と限定していたことは、批判の後でこそ再読に値する。
二、シャーマン説への反証
第五章のスキタイ伝来説は、より根本的な批判を受けた。ブレマーは二冊の研究で、(一)アバリスら「神の人」たちの伝承には、シベリア型シャーマニズムの定義的要素――召命病、太鼓と儀装、補助霊、共同体の面前でのセアンス――がことごとく欠けること、(二)比較の物差しであるシベリアの民族誌資料はそもそも近世以降のものであり、これを前7世紀のスキタイに投影するのは二重の時代錯誤であることを論じた[11]。キングズリーはエンペドクレスを北方シャーマニズムから切り離し、南イタリアの魔術的・秘儀的伝統という別の系譜で読み直した[12]。さらに、ドッズが率直な不確信を表明していたオルペウス教については、その後の金板(黄金板)研究の爆発的進展があり、実在をめぐる議論は現在も二極(実質的宗教運動とみるベルナベらと、ラベルの再検討を迫るエドモンズら)の間で続いている[13]。総じて、伝播説(どこから来たか)は支持を失い、記述(何があったか)は生き残った、というのが現状である。
三、個別領域の その後
夢についてはハリスの大部の研究が、文化パターン概念を批判的に検証しつつ、古代の夢経験の歴史的変化を再記述した[14]。ピュティアについては皮肉な逆転がある――ドッズが不要として退けた「蒸気」説は、2000年代の地質学・毒物学の共同研究(デルポイ断層帯からのエチレン系ガス検出の報告)によって部分的に復権が試みられており、決着はついていない[16]。また、第二章などに散見されるフロイト的な機制論(投影された罪悪感、抑圧)は、精神分析の学問的地位の変化とともに、今日では本書の最も古びた層と見なされている。
第八章 訂正されたドッズ
XX で「訂正されたスネル」を、観察としては生き残り、心の歴史への飛躍としては撤回される、と要約した。ドッズの場合は次のように定式化できる――類型と記述としては生き残り、伝播説と進歩史観としては撤回される。具体的には四点である。
第一に、ホメロスの心的介入の記述(アテー、メノス、ダイモーン帰因)は、スネル・フォイクトの語彙論と並ぶ堅固な観察として残る。残らないのは、それを恥の文化の投影機制で説明する心理学的因果である。第二に、恥/罪は発展の継起としては死んだが、ケアンズ=ウィリアムズ的な修正を経た理念型の対としてなら、なお分析に使える。第三に、シャーマンのスキタイ起源は支持を失ったが、ドッズが資料から抽出した二つの類型――座に結びついた憑依型(ピュティア)と、遍歴する脱魂型(神の人たち)――の区別そのものは、起源論と独立に成立する。そして魂身二元論が「異質な血の一滴」であること、すなわち普遍的古層ではなく年代を特定しうる歴史的形成物であることは、批判者ブレマー自身の魂概念史によってむしろ精密化されて残った[11]。第四に、そして最も息の長いのは、メタテーゼである。合理主義は非理性を消去せず、堆積物の上に積もる一層にすぎず、その前進は反動を誘発する――継承された堆積物という地質学的宗教史観は、21世紀の眼にもいささかも古びていない。
第九章 大和への接続──見取り図
本章は予告にとどめ、実装は各稿の改訂として別途行う。
(一) シャーマニズム論考(拙稿 VII)へ。 VII の座標系(脱魂/憑依 × 中心的/周辺的)にとって、ドッズのギリシアは第二の検証地となる。ピュティア=憑依・中心的、遍歴の神の人たち=脱魂・周辺的――ギリシアは座標系の両極を備え、しかもその区別はドッズ自身のテクストに内在する(第三章・第五章)。ピュティアが卑弥呼の鬼道(憑依・中心的)の構造的対応物となることで、座標系は日本ローカルの道具から比較文明論の道具へ昇格する。さらに付録一のマイナディズムを加えると、ギリシアは格子の第三の桝目――憑依・周辺的(女性中心の儀礼的集団憑依、まさにルイスが周辺的憑依カルトと呼んだもの)――をも埋める。残る第四の桝目(脱魂・中心的)がギリシアでも大和でも空位にみえることは、それ自体が座標系の検討課題となろう。この点については、ウスティノーワが集成した資料が一つの精密化を示唆する[21]。ボイオティアのトロポニオス神託所では、ポリスが公認する中心的制度の内部で、職能者ではなく伺いを立てる利用者本人が地下に降り、「渦に吸い込まれる」魂の旅型の体験を経て神託を得た。つまりギリシアで空位だったのは「脱魂を職能とする中心的専門家」であって、脱魂が利用者の側に分配される制度ならば中心に存在したのである。大和側でこれに形式のうえで対応するのは、大王自身が神床に臥して夢告を得る崇神の場面だが、そこで得られるのは枕頭に立つ訪問型の夢託(第四章の文化パターン夢)であって魂の旅ではない。座の形式(中心的制度、利用者への分配)は対応し、体験の型(脱魂か訪問か)は対応しない——第四の桝目は、この二重の目盛りで測り直す必要がある。付録二も素材を供する。テレスティケー(彫像の活性化)は依代の観念のギリシア側対応物として、エイスクリシス(私的霊媒への憑依)は公的神託の衰退後の憑依の私事化として、いずれも VII の拡張に使える。使用にあたっては、伝播説を括弧に入れ類型論として使うという第八章の限定を明記する[17]。
(二) 三界論(拙稿 XVIII)へ。 垂直三層の宇宙観は普遍的古層ではなく構築されたものだ、という XVIII の中心仮説に対し、ドッズ第五章は、ギリシアにおいて魂身二元論・魂の旅・冥界下降の複合体が歴史的に形成された(そしてその形成をロデ以来の学史が追跡してきた)ことを示す――仮説のギリシア側の実証である[18]。
(三) 崇神紀の夢託(拙稿 II)へ。 「枕頭に立って告げる」文化パターン夢とお籠りの制度(第四章)は、崇神天皇の夢託——古事記崇神条の神床(かむとこ)の夢(「坐神床之夜、大物主大神、顕於御夢」。「牀」は「床」の旧字)と、書紀崇神紀の三人同夢——を分析する既製の装置である。とりわけ、百襲姫・大水口宿禰・伊勢麻績君の三人同夢(覚え書き II 3-1 節)は、culture-pattern dream の共同体的検証手続きとして正確に記述できる[19]。
(四) ベネディクトの円環。 最後に一つの反照を。ドッズの恥の文化/罪の文化は、ルース・ベネディクト『菊と刀』(1946)――日本論のために鋳造された概念――からの借用である[4]。日本を測るために作られた物差しがギリシアに当てられ、本シリーズはいまギリシアの物差しで大和を測り直している。比較の道具はこのように往復する。往復すること自体は健全である――ただし、物差しがどこで作られたかを忘れないかぎりで。
結語
スネルが上りの階段を、ドッズが階段の下に溜まり続けるものを描いた。二冊を重ねて初めて、ギリシア的人間は――そしておそらく人間一般は――立体になる。理性の発見の歴史は、非理性の管理の歴史と同じ一つの歴史である。この複眼を携えて、本シリーズは大和の巫女たちと夢見る大王のもとへ戻ることになる。
参考文献
凡例と底本について。本稿の章別紹介(第二〜六章、付録二篇を含む)は、原著[1]についての自作の読書要約ノート(2026年7月)を底本とし、術語と論旨の水準で原著に忠実であることを期したが、原文の逐語的照合と頁付けは補訂版で行う。批判史(第七章)に挙げた諸文献のうち、注16は書誌未確定である。第九章の各接続の実装は、それぞれ VII・XVIII・II の改訂として別途行う。