バルザックの中編『アデュー』(1830)の女主人公ステファニー——ベレジナ渡河の惨劇を契機に発狂し、外傷の最終語「アデュー」を無感情に反復し続ける——を試金石として、外傷性の精神変調を二つの水準から照らす。第一は記述と分類の水準である。本稿はまず、彼女の病像が ICD-11 によって確実に診断しうること、そしてその診断可能性が ICD-10 からの一連の是正の成果であることを示す。だが分類は、彼女に何が起きているのか——なぜ記憶が外傷を中心に脱落するのか、なぜ発語が一語へ縮減し意識の統御の外で自律反復するのか——を、一言も語らない。それゆえ第二は精神病理学的考察の水準が必要になる。確実にコードできることと、理解できることとは別の事柄である。後者には、ジャネ・エー・ヤスパース・シュナイダーの精神病理学が、いまも不可欠である。本稿はこの二水準の関係を、四つの層として順に編む。
粗筋 ── 三つの楽章
以下の粗筋は、できるかぎりバルザック自身の叙述と語句に語らせる。原文は底本 Le livre de poche(1995)に拠る[1]。
第一楽章 ── 発見
食卓のことしか念頭にない快楽家ダルボン侯爵(marquis d'Albon)が、狩りの途上、イル゠アダンの森の廃修道院〈ボン゠ゾム(les Bons-Hommes)〉で、野生化した一人の女に出会う。眩いほど白い肌、黒く豊かな眉——だが彼女が発するのはただ一語、「Adieu !」。その声は「優しく和やかだが、いかなる感情も観念も漏らさぬ(sans... le moindre sentiment ou la moindre idée)」。同行の旧友、シベリア帰りのシュシ大佐(フィリップ・ド・シュシ)は、この女を見るなり「死んだように(comme mort)」草上に倒れる。女は「矢のような速さで」逃げ、「傷ついた獣のように(comme un animal blessé)」叫ぶ。世話をする伯父の医師ファンジャ(Fanjat)が現れて言う——「これは私の姪です。私の術の無力にもかかわらず、いつか理性を取り戻させたいと願っている」。彼が、その物語を語り出す。
第二楽章 ── 回想(ベレジナ)
1812年11月28日、モスクワからの退却、ベレジナ川の渡河。二十三歳のシュシ少佐は、雪と砲火のなか「救うべき二人(deux marmottes)」——幼な馴染みであり「彼の最も大切なもの(son bien le plus cher)」である恋人ステファニーと、夫、「三日前から幼児のように放心した」老将軍ヴァンディエール伯爵[21]——のために馬を温存し、戦う。彼が生き延びているのは、この二人のためにほかならない——「あの二人がいなければ、とうに死んでいた」。老将軍の若妻の気散じではない。生命を賭けた絆である。傍らには一人の近衛擲弾兵(フルリオと名のる男)がいて、シュシに従い、車輪を血に染めながら、屍の原野に馬車の両輪で二条の轍(un double sillon de morts)を刻んで進む。
夜明け前、ロシア軍の砲声。群衆が一つの橋へ殺到し、橋は人もろとも崩れ、「ベレジナは死体に覆われた」。シュシと擲弾兵は筏(radeau)に望みをかける。席は二つ。群衆が叫ぶ——「席が二つあるぞ! さあ少佐、奥方をこっちへ放って、あんたも来い。あの老いぼれは置いていけ、どうせ明日はくたばる」。だがヴァンディエール伯爵は軍服姿で立ち上がる。シュシは言う——「Sauvons le comte(伯爵を救おう)」。ステファニーはシュシの手を握り、その身に投げかかって「凄絶な抱擁(une horrible étreinte)」をし、「Adieu !」と言う。「Ils s'étaient compris(二人は了解し合っていた)」。彼女は「フィリップに最後の一瞥を投げて」、夫に続いて筏に乗る。擲弾兵が叫ぶ——「少佐、私の席をどうぞ。命など惜しくない、妻も子も母もいないのだから」。シュシは伯爵夫妻を指して答える——「彼らを君に託す(Je te les confie)」。「ご安心を、わが目のように大事にします」。筏は対岸へ猛然と投げ出され、着岸の衝撃で、縁にいた伯爵が川へ転落する。落ちる刹那、「流氷が彼の首を切断し、砲弾のように遠くへ投げ飛ばした(un glaçon lui coupa la tête, et la lança au loin, comme un boulet)」。「Adieu ! と一人の女が叫んだ」。フィリップは「恐怖に凍りついて」倒れる。一語「アデュー」が、ここで二度——恋人への訣別として、そして夫の惨死への叫びとして——発せられている。
その後ステファニーは擲弾兵フルリオと引き裂かれ、二年のあいだ軍隊のあとを引きずられた、とファンジャは語る——「これほど若く、これほど繊細な(si jeune, si délicate)」姪に、生はいかに惨いものであったか。「無頼の輩の慰みもの(le jouet d'un tas de misérables)」となり、裸足で、月単位で世話も食もなく、「病院に留め置かれ、あるいは獣のように追われ」、ドイツの小さな町では狂人たちと閉じ込められ、その間に親族は彼女を死んだものとして遺産を分けていた。1816年、フルリオがストラスブールの宿で、森にひと月を生きた「野生の娘(une fille sauvage)」として彼女を見分ける。ファンジャはフルリオとともに姪をオーヴェルニュに引き取るが、まもなくフルリオを失う。「彼はヴァンディエール夫人に少しばかりの感化力をもっていた。彼女に服を着せえたのは、彼ひとりだった」。フルリオは「彼女のうちに幾つかの観念を呼び覚まそうと試みたが、果たせず、ただこの悲しい一語をより頻繁に言わせえたにすぎない」——遊んでやることで彼女を紛らす術を心得ていた。受容的に世話をした最初の人物である。
第三楽章 ── 治療
シュシも、はじめは穏やかな手段による。ファンジャの勧めで、ステファニーが「情熱的に好む砂糖」を用い、菓子で根気よく彼女を「飼い馴らす(apprivoiser)」。二人の恋の思い出に結びついた « Partant pour la Syrie » を口笛で吹けば、彼女は仔鹿のように駆け寄り、彼の膝に座り、痩せた腕を回す。だが菓子を食べ終えると、猿のような機械的な素早さでポケットを探り、「観念も再認もない目(sans idées, sans reconnaissance)」で彼を見るばかり。彼は「ついに自分の名 « Stéphanie » を言わせることができなかった」。或る朝、知性の光が戻ったかと見えた瞬間も、それは彼を探って見つけた一片の砂糖を見せる仕草にすぎなかった。
絶望したシュシは、ある夕、自らとステファニーのためにピストルを装填する——「これは私に、そしてこれは彼女に」。ファンジャは「策略(supercherie)」によってかろうじてこれを押しとどめる。シュシは〈ボン゠ゾム〉を去り、サン゠ジェルマン近郊の自領に退いて、「夢のお告げに従い(sur la foi d'un rêve)」、ベレジナの渡河の場面そのものを大がかりに再現=再演する。運河を穿って凍れる川を象り、焼け焦げた橋脚・残骸・小屋・野営・砲台をしつらえ、数百の農民にぼろの軍服を着せ、雪を待って「偽のロシア」を完成させる。それは「あまりに恐ろしいほど真に迫って」おり、かつての戦友数人がその光景を見分けたほどだった。十二月初頭、ステファニーをそこへ運び込む。その刹那、「Elle vivait, elle pensait !(彼女は生き、考えていた)」。死んでいた舌が解かれ、彼女はフィリップを認める——だが恋人の腕に身を投げた次の瞬間、消え入る声でこう言って息絶える——「Adieu, Philippe. Je t'aime, adieu !」。[19]
その後シュシ将軍は、社交界では「きわめて感じがよく、とりわけ陽気な男(très aimable et surtout très gai)」で通った。ある夫人がその上機嫌と気質の平静をほめると、彼は答える——「ああ奥様、私は戯れの代を高くつけて払っているのです、夜、ひとりになったときに(le soir, quand je suis seul)」。「ではひとりになることがおありなの?」——「いいえ」と彼は微笑んで答えた。なぜ結婚なさらないのか(富も家柄も才も未来もあるのに)と問われると——「ええ、ですが、私を殺す微笑がひとつあるのです(il est un sourire qui me tue)」。その翌日、人々は「シュシ氏が夜のうちにみずから頭を撃ち抜いた(s'était brûlé la cervelle)」ことを知る。社交界はその因を賭博や恋や野心に求めた。だが二人の男——一人の司法官(ダルボン)と一人の老医師(ファンジャ)——だけは知っていた。シュシが、「神が、見えざる怪物との恐ろしい戦いから日ごと勝ち抜く不幸な力を与えた、あの強き者たちの一人」であったことを。そして——「神がほんの一瞬その力強い手を引けば、彼らは斃れる(Que, pendant un moment, Dieu leur retire sa main puissante, ils succombent)」。「1812年に始まった劇の、最後の一場」であった。
バルザックの小説的効果 ── 三つの仕掛け
① 俗なる枠と、伏線としての暑熱。第一楽章の語りは、食卓のことしか念頭にない快楽家ダルボン侯爵の視点に託され、発見はあくまで牧歌的・「眠れる森の美女」的に、軽い喜劇の調子で進む。だがこの軽みは周到な仕掛けである。ここで執拗に描かれる九月の暑熱(炉のような谷、渇いて静まる森)は、第二楽章のベレジナの酷寒(雪のほか何もない地平)とちょうど対をなし、温度の落差そのものが、戦後の平和と戦争の地獄という二つの時代の落差を、身体感覚のレベルで読者に刻み込む。
② 暑熱と酷寒の対位・獣性の二重化。野生化したステファニーの〈人間ならざるもの〉としての描写は、ベレジナで人々が飢えと寒さのなかで獣へと堕ちていく場面と二重写しになる。平時に廃領地で獣のように生きる女と、戦時に獣と化した群衆とが、鏡像として響き合う。[20]
③ 反復する一語。ステファニーの口をついて出るただ一語「アデュー」は、外傷の瞬間に凍結された最後の言葉である。意味も感情も剝落し、外傷の刻印だけが、自動的に反復される。この〈意味なき反復〉こそ、後段で解離=心理的自動症として読み解く中心の臨床現象であり、同時に表題そのものでもある。
第一層記述と分類 ── ICD-11 解離症群と、ステファニーの診断
個別の診断に入る前に、ステファニーが収まるべきICD-11 解離症群の全体像を見取り図として示す。ICD-10 は解離性障害と転換性障害を同義に用い、F44 のもとに一括していた。ICD-11 はこれを 6B60–6B66 の解離症群として組み替え、病因論的含意を削いで記述へ転回した。ホルツェルらの解説章は結語でこう総括する——個々の病像の名称は今やおおむね記述的に処理され、転換(Konversion)のような病因論的含意は放棄された[3]。リーブの教科書も、ICD-11 は転換概念を廃し、外傷体験との時間的関連の要件をなくし、代わりに機能障害の程度を重視する、と要約する[4]。
※ 表は横にスクロールできます。
| ICD-10(F44 ほか) | ICD-11(6B6 解離症群) | 主な変更 |
|---|---|---|
| F44.0 解離性健忘 F44.1 解離性遁走 | 6B61 解離性健忘 ├ 6B61.0 遁走を伴う型 ← 本症例 ├ 6B61.1 遁走を伴わない型 └ 6B61.Z 不特定 | 遁走を独立診断から健忘の下位分類(サブグループ)へ統合(S.222)。旧「目的的移動」「正常に映る」要件を不採録(S.211)。ステファニーは数年の放浪相ゆえ 6B61.0。 |
| F44.2 解離性昏迷 | 独立診断を廃止 | 発語(6B60.5)・運動(6B60.6/.7)・意識狭窄(6B62)の成分へ分解。妥当性低下の懸念も併記(S.214)。 |
| F44.3 トランス・憑依状態 | 6B62 トランス症/ 6B63 憑依トランス症 | 一括カテゴリーを二分(S.213)。文化依存的で本邦では稀。 |
| F44.4–7 身体症状を伴う 解離(転換)性障害 | 6B60 解離性神経症状症 (DNS) | 転換概念を廃止。感覚系・運動系のサブタイプ(6B60.0–.9)へ細分(S.222)。本症例は 6B60.5(発話)。 |
| F44.81 多重人格障害 | 6B64 解離性同一症/ 6B65 部分的解離性同一症 | 記述的名称へ改称。部分的 DI を新設(S.214–217)。 |
| F48.1 離人・現実感喪失 (神経症性障害の下) | 6B66 離人感・ 現実感喪失症 | 解離症群へ移設。冒頭文の「稀」という誤記を撤廃(S.221)。 |
ステファニーの診断 ── 6B61.0+随伴 6B60.5
この群のなかで、ステファニーの病像を現行の操作的診断によって記述する。確定診断は、解離性健忘 6B61.0(解離性遁走を伴うもの/Dissociative amnesia with dissociative fugue)であり、これに解離性神経学的症状症 6B60.5(発話の障害を伴うもの/…with speech disturbance)を随伴記載として併記する(名称・コードは ICD-11 CDDR に拠る)[2]。
主診断 6B61.0 を確実に立てうるのは、彼女の経過の第一相——離別後の数年にわたる無目的の放浪——による。CDDR は 6B61.0 を、解離性健忘の全特徴(外傷・負荷的出来事に関する自伝的記憶の、通常の物忘れと相容れない想起不能)に加えて、解離性遁走——「人格的同一性の感覚の喪失と、家・職場・近親者からの突然の、より長期にわたる不在」——を伴うものと規定する[3]。ステファニーは自己の同一性と過去とを喪失し(健忘)、数年にわたって家・関係者から不在のまま彷徨した(遁走)。新たな同一性の引き受けは「ありうる(kann)」のであって必須ではない。ここに demonstrable な該当が成り立つ。
随伴記載の 6B60.5 は、発話が「アデュー」の一語へ縮減し命題的発話がほぼ失われている点に対応する。CDDR は 6B60.5 を、神経系の疾患では説明されない発声障害・発話能力の喪失(失声)・構音障害として規定する。一語のみが保存された失声・緘黙域の発話障害として、随伴記載が妥当である。診断分類は全症状を一つ残らず拾うために作られているのではない。遁走を 6B61.0 で確実に診断し、発語の縮減を 6B60.5 で記載できる——それだけで、操作的分類は臨床的役割を十分に果たしている。
診断学的照合 ── どこに該当し、どこを枠外に置くか
以下、各コードについて、条文との事実的照合(demonstrable)と解釈的適用(interpretive proposition)とを分け、該当・非該当・枠外を整理する[3]。
※ 表は横にスクロールできます。網掛けは廃止コードおよび照合すべき条文を欠く残余。
| ICD-11 コード/診断 | ステファニーの所見 | demonstrable(条文照合) | interpretive proposition(解釈的適用) | 判定 |
|---|---|---|---|---|
| 6B61.0 遁走を伴う 解離性健忘 |
人格的同一性の感覚の喪失。離別後、数年にわたり無目的に各地を放浪(家・関係者からの長期の不在)。外傷を前置因とする自伝的記憶の喪失、再認の不能。 | 確実に該当。「自伝的記憶の想起不能、正常な物忘れと相容れない」(210頁)+「人格的同一性の感覚の喪失」「家からの突然の、長期の不在」(210頁)。新同一性の引き受けは必須でない。 | ―(事実照合で足り、解釈を要さない) | 主診断 |
| 6B60.5 発話・言語の障害 |
発話が一語「アデュー」へ縮減(事実上の緘黙)。 | 「発話能力の喪失(失声 Aphonie)」に該当(207頁)。神経学的基盤を欠く。 | 単一語の保存を、失声・緘黙域の解離性発話障害と見ること。 | 随伴記載 |
| 6B60.6 麻痺・筋力低下 6B60.7 歩行障害 |
運動低下なし。むしろ過活動的・動物的に動き回る(木に登り、逃げ、跳ねる)。 | 両者とも「随意運動の困難・不能」「起立・歩行の不能」を記載する欠損サブタイプ(207頁)。彼女の運動亢進はこれと正面から矛盾。 | ― | 非該当(運動亢進ゆえ。なお運動亢進自体は小説的誇張=注2) |
| (旧 F44.2 解離性昏迷) ※ICD-11で廃止 |
圧倒的感情ののちの無反応・意識の内向き狭窄の相は読めるが、運動は減少しない。 | 昏迷の中核は「随意運動・外界刺激への反応の著しい制限・消失、佇立・着座・横臥」(リーブ第10章)[4]。彼女の機敏さは昏迷の中核と合致しない。 | ― | 非該当・除外(ICD-11 は昏迷を廃し、成分=発語/運動/意識へ分解。彼女は発語成分のみ該当) |
| 6B62 トランス症 | 「アデュー」の反復が自己の統御の外にあるかに見える。 | 第二基準「運動・姿勢・発話が小レパートリーの反復に限局」に字義的に重なる(213頁)。 | 「アデュー」固着を心理的自動症=固定観念(ジャネ)と読むこと。 | 非該当(トランス症は挿話性の意識変容を要件。彼女は慢性。憑依なし→6B63 も非該当) |
| PTSD(6B40)/ 複雑性 PTSD(6B41) |
外傷後の慢性経過。ただし侵入的再体験ではなく健忘+発語縮減。 | 6B61 は「PTSD・複雑性 PTSD によってよりよく説明されないこと」を要件とする(212頁)。緘黙・再認喪失・固着はいずれの基準にも乗らない。 | ― | 非該当(6B61 が明示的に除外する側) |
| 6B66 離人感・ 現実感喪失症 |
離人・現実感喪失の積極的記載は乏しい。 | 持続的・非精神病性の自己/世界の疎外体験(218–219頁)に該当する所見が乏しい。 | ― | 非該当 |
| 「治癒即死」 | 再演→再認・発語→即死。 | ―(照合すべき条文が存在しない) | 固定観念が意味を取り戻した瞬間の死(ジャネ+エー)。 | 診断学的照合の枠外(バルザックの反復技法=注1。症候として扱わない) |
表が示すのは、ステファニーが 6B61.0+随伴 6B60.5 として無理なくコード化できるということである。昏迷・運動低下系(6B60.6/6B60.7)は運動亢進ゆえ明示的に除外され、トランス症は挿話性を欠くため非該当、PTSD 群は 6B61 が除外する側にある。そして治癒即死は、症候ではなくバルザックの構成上の技法として、診断学的照合の枠外に置かれる。分類は彼女を取りこぼしてはいない。収まらなさは「どこにも該当しない」ことにあるのではない——むしろ確実に該当する。問題はその先、すなわち分類が記述のみを与えて理解を与えないことにある。
第一層(続)改訂評価 ── 何が確実な診断を可能にしたか
本症例の確実な診断を可能にしたのは、とりわけ遁走の定義の是正である。ICD-10 は臨床の実相に二重の無理を負わせていた——「目的的な場所の移動(zielgerichtete Ortsveränderung)」と、「当人が秩序立って、第三者には完全に正常に映る」という特徴である。だが臨床の遁走は、しばしばそのいずれをも満たさない。公園で路上生活まがいに過ごす無目的の彷徨も、金策に窮した元経営者が浮浪する姿も、目的的でなければ正常にも映らない——にもかかわらず紛れもない遁走である。ICD-11 はこの二要件を再録しなかった(S.211)[3]。これは敷居を緩めたのではなく、もともと過剰だった条件を削ぎ落とす是正であった。その結果、ステファニーの無目的な放浪は、旧基準なら遁走らしさを減じたであろうのに、現行基準ではもはや該当を妨げない。
是正は遁走にとどまらない。ICD-11 は、(i) 転換(Konversion)概念を廃して解離性神経症状症(6B60)へ記述的に置き換え[22]、(ii) 昏迷という一括カテゴリーを発語・運動・意識狭窄の成分へ分解し、(iii) 外傷との時間的関連を必須要件から外した[3][4]。とりわけ (iii) は重要である。後述するように、外傷との厳格な時間的依存(契機が消えれば症状も退く)を必須とすれば、契機が去ってもなお自律展開する病像は反応概念の外へ押し出される。ICD-11 がこの要件を外したことは、シュナイダーが古典的に「第三条件批判」として示した洞察(発展型もなお反応である)を、操作的水準で実現したに等しい[23]。解離症群の他のカテゴリー——解離性同一症(6B64/65)、トランス症・憑依トランス症(6B62/63)、離人感・現実感喪失症(6B66)——は本症例の鑑別の外縁にあるが、いずれも同じ記述への転回と、重症度・多様性へのより細やかな下位区分という方針を共有している。
こうして、二百年前の文学的症例であるステファニーすら、ICD-11 はほとんど無理なく拾う。これは ICD-11 の設計の確かさの証左である。記述と分類の水準においては、操作的体系はみごとに完成へ向かっている。かつて操作化が心因反応/了解的連関という自由度の高いカテゴリーを削ぎ落とすという危惧があったとすれば、それは主として ICD-10 の段階の問題であった。ICD-11 は、その危惧に——カテゴリー名としてではなく、記述の柔軟性と除外診断の慎重さのなかに——相当程度こたえている。心因反応概念の精神は、形を変えて生き延びたのである。
転回点記述から精神病理学的考察へ ── 説明と了解の空隙
だが、ここで一段進みたい。ICD-11 が達成したのは記述の精度であって、理解の深化ではない。彼女が 6B61.0+6B60.5 と確実にコードできることは、彼女の身に何が起きているのか——なぜ記憶が外傷を中心に脱落するのか、なぜ発語が一語へ縮減するのか、なぜそれが意識の統御の外で自律反復するのか——については、一言も語らない。操作的コードは外形を正確にラベリングするが、機制を説明しない。そこに精神病理学的考察はない。
ここでヤスパースの古典的な対が効く。ICD-11 が極めたのは、説明(Erklären)でも了解(Verstehen)でもなく、その手前の記述と分類である。生物学的因果による説明も、意味連関による了解も、操作的コードの外にある。だからこそ、ジャネ・エー・ヤスパース・シュナイダーの議論は、ICD-11 への対抗物としてではなく、ICD-11 が原理的に踏み込まない層を担うものとして必要になる。操作的コードが拾うのは外形であり、ジャネが拾うのは意味の機制である——この補完関係こそ、以下の三つの層の主題である。
第二層意味の機制 ── ジャネの固定観念・解離・自動症
分類が「何が起きているか」を語らないとき、その機制を最初に与えるのがジャネである。主著『心理的自動症』(1889) の根本主張は、統一された人格的意識が思考の出発点ではなく到達点だということにある——統一と体系化は「le terme et non le point de départ de la pensée(思考の終点であって出発点ではない)」であり、人間活動の下位の形態は、一つの人格的意志に席を譲る前は、相互に独立した複数の現象としてあらわれる(序論 p.3)[5]。この統一が破れる過程をジャネは解離(désagrégation)と呼ぶ。或る作用は正常な思考を désagréger し、統一の判断が形成されるのを妨げ、意識のうちに「des éléments psychologiques épars(ばらばらの心理的要素)」だけを残す。そして、こうして切り離された断片は、固有の記憶をもつ第二の心理的総合——二次的人格——へと再結晶しうる(第1部・全体的自動症 p.120)[5]。
この解離の一形態が固定観念(idée fixe)である。ジャネが固定観念を論じる章の表題が、まさに「Diverses formes de la désagrégation(解離の諸形態)」であること(第2部・部分的自動症 第3章、p.417 以下)は示唆的である[5]。固定観念は先行する思考と何の関係もなく突如あらわれ、患者はそれを自らの思考の一部として受け入れられない。それは「un corps étranger logé en eux qu'ils ne peuvent expulser(彼らのうちに巣くう、追い出すことのできぬ異物)」として現れる(p.429)[5]。この異物は、意志の統御の外で、自律的に——すなわち自動症(automatisme)として——作動しつづける。
ステファニーの「アデュー」は、まさにこの解離した固定観念の自動的反復にほかならない。ベレジナの外傷は、統一された人格的総合から désagréger され、意味(別離)を保ったまま、意志的な想起や了解の制御を離れて自律反復する。désagrégation が記憶の外傷中心の脱落(断片化)を、idée fixe が「アデュー」という追い出せぬ異物の保存を、automatisme がその一語の自律的反復を、それぞれ機制として与える。第一層の分類が記述した外形——6B61 の健忘、6B60.5 の発語縮減——の下で起きている事態を、ジャネの語彙ははじめて機制として名指す。
さらに、外傷が単に侵入するのみならず、患者がそれに固着=愛着(attachment to the trauma)を示すという逆説——苦痛でありながら手放されない——を、ヴァン・デア・コルクとヴァン・デア・ハートはジャネの再評価として定式化した[6]。ステファニーが廃領地で「アデュー」とともに生きつづけること自体が、この外傷への固着の文学的形象である。ICD-11 が解離症群を再編したことは、一世紀をへだてたジャネの解離理論への回帰——いわゆる「ジャネの再興」——として位置づけられる(その実証的内実は概念史の節で見る。なお本稿は DSM の改訂史には立ち入らない)。
なお、機制を原典で地固めするにあたって、典拠は二つに分かれる。本稿がここまで依拠した『心理的自動症』(1889) は、解離・固定観念・自動症の一般理論を与える。これに対し、ステファニーが現に呈する臨床的な解離現象——健忘と遁走——の直接の記述は、ジャネの医学博士論文『ヒステリー者の精神状態(L'état mental des hystériques)』(1893) にある。リエルミエのヒステリー章も、ICD-10 の解離性障害を「ジャネが1893年の学位論文で記述した諸障害に対応する」ものとし、そこに健忘・遁走・昏迷・トランス・運動障害・痙攣・知覚麻痺、さらにガンザー症候群・多重人格を数える[25]。すなわち、1889年の主著が機制の理論を、1893年の論文が解離の臨床的諸形態を担う。本症例の健忘+遁走を機制として読み深めるうえで、次に当たるべき原典はこの1893年論文である。
第二層(続)アンリ・エー ── 器質力動論と「粉砕」批判
ジャネは外傷の機制(解離=自動症)を与えた。だがジャネの自動症はなお主知主義的であり、情動・本能の次元と、崩壊が起こる水準の理論を欠いている。これを器質力動論(organo-dynamisme)として統合するのがアンリ・エーである。『精神医学研究』所収の三篇が、ここで効く[7]。
器質力動論(Étude n°7, p.157)。エーは、「純粋な」機械論も「純粋な」心因発生論も——「le principe de causalité(因果性の原理)」も「celui de signification(意味の原理)」も手放すことなく——超克(dépasser)しようとする。分かちすぎる二元論も、分かたなすぎる一元論も斥ける。核心は二重の定式にある——あらゆる神経症・あらゆる精神病理形態は、その形成のために「à la fois et ensemble(同時に、かつともに)」、原初の器質的障害(「condition sine qua non」)と、その現象学=実存的基盤をなす「une structure psychologique nécessaire(必然的な心理構造)」とを要求する。器質は必要だが十分ではない条件にとどまる。この定式が、ジャネの主知主義的自動症に、情動・本能の次元と、ジャクソン的な解体=水準の理論とを補う。
ジャネの定位(Étude n°6, p.102)。エーは、フロイトの心理病理を、無意識の形而上学(ショーペンハウアー・ニーチェ・ハルトマン)と、ヒステリー・催眠の研究から発した「l'école française (Bernheim, Janet)(フランス学派)」とのあいだに定位する。これが、ジャネ=固定観念=解離をエー経由で精神病理学史に接続する足場となる。エーの器質力動論において、ジャネの désagrégation と automatisme は、ジャクソン的な解体——上位の統合水準が崩れ、下位の自動症が解放される——という階層理論のうちに統合される。
粉砕批判(Étude n°5, p.83・p.91)。エーは、クレランボーの機械論的精神自動症を主な標的として、機械論精神医学の本質を、臨床症状学を「無数の小症候・小症状へと粉砕する(pulvériser)傾向」と呼ぶ(p.83)。それは「全体性・全体の凝集を指し示す概念(la totalité, la cohésion du tout)への反発」を伴い、délire という語を空洞化させ、その一部だけを指す「妄想観念(idée délirante)」へと縮減させた。この分析は、エーの言葉では、délire を「幻覚の塵(une poussière d'hallucinations)」へと還元する(p.91)。
この粉砕批判が、本稿の第一層と第二層を架橋する蝶番である。ただし——転回後の本稿の立場として——これは ICD-11 への難詰ではない。ICD-11 が昏迷を成分(発語・運動・意識)へ分解したのは、記述の解像度を上げる正当な是正であった。エーの粉砕批判が名指すのは、分解という営みが本性上たどりつけない地点である。分解は成分を記述するのであって、崩壊の全体像(Gestalt)を一つの意味ある像として立ち上げはせず、まして了解を与えない。半世紀前にエーが「粉砕 対 全体性」として立てた対立は、操作的分類が原理的に記述にとどまる、というその限界の理論的素描であった。全体と意味は、器質力動論の総合と、次層の了解とが担う。
この対立は、フランス臨床の側からも反復される。リエルミエのヒステリー章は、国際分類が——「性差別的」とされたヒステリーの語を退け——かつてのヒステリーを自律的な諸症候群へと解体(démembrement)したと記しつつ、にもかかわらず臨床はその単一性(unicité)を証し立てる、と結ぶ。症状の大きな可変性にもかかわらず、その構築に用いられる機制が類似しているから、というのがその論拠である[26]。半世紀をへだてて、エーが「粉砕 対 全体性」として立てた対立を、フランスの臨床家は「解体 対 単一性」として反復しているわけである。ただし——本稿の転回後の立場として——これもまた ICD-11 への難詰ではない。解体は記述の解像度を上げ、単一性は機制と意味の水準に属する。両者は争うのではなく、別の層を担う。なお、リエルミエにあって単一性の論拠をなす「機制」は精神分析的に語られるが、本稿が継ぐのはこの〈解体に抗する全体性〉という構図のみであって、機制の中身はあくまでジャネ=エーの系列で読む。
エーの読みによれば、ステファニーの病像は一個の解体(dissolution)である。統合された人格的総合——バルザックのいう「l'âme(魂)」の完全な不在——が解け、下位の自動症(「アデュー」)が解放されている。そこには、外傷の刻印という器質的基底(sine qua non)と、「アデュー」が担う意味(別離の観念)という心理構造とが、同時にかつともに働いている。「アデュー」はクレランボー的な無観念の機械的自動症ではない——それは観念(外傷の意味)を担った自動症である。純粋な機械論でも純粋な心因発生論でもなく、その両者を dépasser する地点にこそ、彼女の病像の理解はある。
第三層了解可能性 ── ヤスパースとシュナイダー
意味の機制(第二層)が「どのように」を与えるとすれば、了解可能性の層は「それが了解可能な反応でありつづける」ことの規準を与える。ここでヤスパースとシュナイダーが要る。
ヤスパースは、病的反応の概念(der Begriff der pathologischen Reaktion)が三つの側面をもつとする——了解的側面(体験と内容、eine Seite des Verstehbaren)、因果的側面(外意識における変化、eine kausale Seite)、そして予後的側面(この変化は一過性である、diese Veränderung ist vorübergehend)である[8]。これは、真の反応(echte Reaktion)が満たすべき三条件——十分な契機(zureichender Anlass=因果的側面)、体験内容と反応内容の了解可能な連関(verständlicher Zusammenhang)(=了解的側面)、そして契機が去れば反応も退くという可逆性(=予後的側面)——にほかならない。ステファニーは了解的・因果的側面を申し分なく満たす。問題は予後的側面である——契機(ベレジナ)が去って久しいのに、その変化は一過性にとどまらず、自律的に存続している。
ヤスパース自身、この同じ箇所で、契機の作用が一回では尽きないことを認めている[24]。それゆえ次に、契機が去ってもなお存続する作用価をどう扱うか——シュナイダーの第三条件批判——が要となる。
この係争点に答えるのがシュナイダーである。彼は『異常体験反応』の章で、体験反応の本質として第三条件を認めつつ(「悲しみは原因が消失すれば止む」)、ただちに例外を置く——稀に、体験の作用価が体験そのものを超えて存続し、「純粋に因果的に、もはや動機としては作用せずに」残る[9]。
シュナイダーはこれを過程(疾患)に渡さず、背景反応(Hintergrundreaktionen)として、なお体験反応に算入する。総論でも「体験反応性の発展(erlebnisreaktive Entwicklungen)」を異常体験反応に算入する(— 2 —)。これがヤスパースの第三条件を反応概念の必須条件から外す操作——いわゆる第三条件批判である。ステファニーの「アデュー」は、契機が去ってもなお動機としてではなく因果的に存続する作用価の典型であり、なお外傷の内容と了解可能に連関するかぎり、過程ではなく発展型の反応である。
そして、シュナイダーは反応と真の妄想とを了解可能性によって截然と分かつ。真の妄想すなわち妄想知覚(Wahnwahrnehmung)は「きっかけなく(ohne Anlaß)」成立するが、反応の誤った解釈には「それなりのきっかけがある」。両者のあいだに移行はない(『異常体験反応』p.28)[9]。ステファニーの「アデュー」はベレジナという Anlaß をもち、その内容と了解可能に連関する——ohne Anlaß の妄想知覚ではない。
ここに転回後の本稿の核心がある。シュナイダーの了解的連関・第三条件批判は、ICD-10 批判としては今も鋭い。だが ICD-11 は、外傷との時間的関連を必須要件から外すことで、その洞察を操作的水準ですでに相当程度こたえている——発展型もなお反応でありうる、という第三条件批判の核心は、ICD-11 の設計に回収された。とはいえ、了解(Verstehen)という営みそのものは、依然として操作的コードの外に残る。なぜ「アデュー」が——よりによって別離の一語が——凍結され反復されるのか。その意味連関の了解は、いかなるコードも与えない。シュナイダーとヤスパースは、ICD-11 がコードできない、まさにこの了解の層を担う。
概念史外傷病理の概念史と〈ジャネの再興〉── カプサンベリスとリエルミエ
以上の精神病理学的な層は、外傷病理の概念史のうちに位置づけられる。カプサンベリスの教科書の外傷の章(第21章)は、その歴史を跡づける[10]。外傷性神経症の最初の記述は1870年代にさかのぼる。オッペンハイム(1884)はそれをヒステリーから区別して疾病分類的独立を提唱し、シャルコーはヒステリーの一臨床型とみなした。クレペリンは「驚愕神経症(Schreckneurose)」(1896)の語を用い、戦争神経症の概念がこれに続く。第二次大戦後、フェニシェル(1945)は、出来事と人格とが、加害の暴力と個人の素因とに応じてさまざまな割合で結びつくことを認めた。ベトナム戦争後の研究を経て、外傷病理は DSM-III(1980)で PTSD として定義され、DSM-5(2013)では不安症から独立した「心的外傷及びストレス因関連症群」となった(pp.363–365)。
本稿にとって決定的なのは、この章がジャネの解離概念の現代的再興を明記している点である。カプサンベリスは、認知の水準において、「ジャネがこの語に与えた意味での」解離と外傷病理との関係をめぐる近年の英語圏文献を挙げ、周外傷性解離の程度と長期的な PTSD 症状の重症度とのあいだに有意な相関があること、解離が外傷体験に結びついた記憶・情動の符号化を低下させることを述べる(p.375)。すなわち、第二層で見たジャネの désagrégation は、一世紀をへだてて外傷研究の中心へと回帰した。本稿のいう「ジャネの再興」は、単なる懐古ではなく、フランス学派が保持してきた機制的理解の実証的な再評価である。あわせて、フェニシェルの「出来事+素因」の定式が、エーの器質力動論(器質=必要だが十分でない条件)や、ヤスパース=シュナイダーの反応=了解可能性と響き合うことも、ここで確かめられる。外傷の刻印と意味の次元こそが病像の核心をなすという本稿の見立ては、外傷病理の概念史そのものによって支えられている。
ここで、第二層に残されていた一つの問い——なぜジャネの再興が、フランスではなく英語圏の文献(ヴァン・デア・コルク=ヴァン・デア・ハート[6])を経由して立ち現れるのか——に答えておきたい。鍵は、「解離(dissociation)」という語そのものが、仏語圏と英語圏とで別の運命をたどった点にある。リエルミエのヒステリー章が明快に整理するとおり、ブロイラーがフロイトから借りた「分裂(Spaltung)」(1911)——フロイト自身はそれをジャネから借りていた——は、フランス語では「dissociation」と訳され、シャスラン(1912)の乖離(discordance)に接近して、やがて「解離性精神病(psychose dissociative)」=統合失調症の語となった。フランスでは、解離はこうして統合失調症の側へ捕獲されたのである。これに対し英語圏では、dissociation はジャネ本来の意味で保たれ、ヒステリー(=解離症)に用いられ続けた[26]。
この語の分岐が、本稿の文献構成そのものを説明する。ジャネ的解離は、フランスでは語ごと統合失調症に明け渡されたために、その機制理解もまた本国で半ば休眠した。一世紀ののちにそれを外傷研究の中心へ呼び戻したのは、ジャネの原義を保存していた英語圏であった——だからこそ「ジャネの再興」の導管は、フランスの直系ではなく、英語圏のヴァン・デア・コルク=ヴァン・デア・ハート[6]なのである。リエルミエはさらに、国際分類における用語選択そのものが「フロイトとシャルコーの説を犠牲にしてジャネの説へ回帰したこと」を物語る、と記す(シュニヴェス&デ・ルカ 2009 に拠る)[26]。フランスの臨床家自身が、本稿のいう〈ジャネの再興〉を、国際分類の名づけのうちに読み取っているわけである。フランス学派が保持してきた——そして本国では語の捕獲ゆえに半ば見失われていた——機制的理解が、英語圏を回路として実証的に再評価された。これが「ジャネの再興」の内実である。
補節治療をめぐって ── 再演による治癒か、受容的な関わりか
第三楽章の「治療」——フィリップによるベレジナの再演——を、ここで精神病理学的に位置づけておく。再演=再外傷化による治癒という主題には、たしかに裏づけがある。前節で見たとおりヤスパースは、情動的外傷が既存の病態に好転をもたらしうること、ショック療法的な「外傷的な死の体験(a traumatic death-experience)」が「治癒」と呼ばれる変化を生みうることを、まさに反応の章で論じていた(英訳 p.393–394、(d) 情動的外傷の治癒的効果)[8]。カプサンベリスの外傷章も、フロイト以来のカタルシス=解放反応(abréaction)——出来事を追体験させ、無意識の表象を解放すること——を力動的治療の理念として記す(p.376)[10]。フィリップの再演は、この〈再体験による情動の解放〉の系譜の、文学的形象である。
だが、ここには対極の知見がある。過剰な情動的関与や、安全を欠いた暴露状況は、かえって症状を悪化させうる。外傷直後に外傷の想起・再体験を促す単回の心理的デブリーフィングについて、コクラン・レビューは PTSD の予防効果を認めず、むしろ PTSD や抑うつのリスクを高めうるとし、非選別の被災者への routine な適用を支持しない[14]。9.11 のあと、九千人を超えるカウンセラーがニューヨークに赴いたが、マクナリー・ブライアント・エーラーズの大規模レビュー(2003)は、こうした早期の感情処理型介入の効果を否定し、選別と、必要な者への実証的治療への移行を説いた[14]。これに代わって国際的合意を得たのは、安全・平静・自己/共同体の効力感・つながり・希望を支える受容的支援——ホブフォルらの「五要素」や心理的応急処置(PFA)——であり、これは強いられた再体験ではなく、見守りと安全の保持を旨とする[14]。この観点からは、伯父の医師ファンジャがボン゠ゾムで続けた受容的な関わり——彼女を急かさず、安全な環境で見守り、世話する関係——のほうが、現代の知見にもかえって適う。劇的な暴露が常に治療的とはかぎらず、しばしば受容と安全の保持こそが要となる。
ただし、ここで一つの留保が要る。いま挙げた知見は主として PTSD を対象とする。本症例は PTSD ではなく解離症(6B61.0+6B60.5)であり、PTSD 向けの早期介入の評価がそのまま解離症に通じるとはかぎらない。だが、解離症に固有の治療文献は、同じ方向をいっそう強く指す。複雑な外傷・解離性障害の標準的治療は、(1) 安定化・症状軽減、(2) 外傷記憶の処理、(3) 人格の再統合という段階的治療(phase-oriented treatment)であり、安定化の段階が外傷記憶への作業に先行しなければならない[15]。そして、この段階的治療の起源は——驚くべきことに——ジャネ自身(1898/1919)にさかのぼり、ファン・デア・ハート、ナイエンハイス、スティールや ISSTD のガイドラインがそれを現代に定式化した[15]。ジャネにおいて外傷記憶は侵入する固定観念として回帰するのだから(第二層参照)、その治療もまた、固定観念を患者の「耐性の窓(window of tolerance)」を超えて暴露することを戒め、まず安全と安定を築くことを求める。要するに、解離症においてこそ、受容的・安定化優先の関わりは PTSD 以上に要請される。
この対比は、奇しくも小説の二人の人物に体現されている。注目すべきは、フィリップ自身、はじめは砂糖と馴致という穏やかな手段(ファンジャの勧めた受容的方法)を試み、それが理性を呼び戻せぬと見てはじめて荒療治へ escalate したことである——受容か積極かは、二人の人物の対比であると同時に、一人の治療者のなかの段階的な転落でもある。フィリップは劇的な再演によって一瞬の回復をもたらすが、その同じ瞬間に彼女を死へ追いやる。ファンジャは、回復をもたらしはしないが、彼女を生かして受けとめる。段階的治療の語でいえば、ファンジャは第一相(安定化・安全)にとどまり、フィリップは安定化を欠いたまま第二相(外傷記憶への暴露)へ跳び、彼女の「耐性の窓」を超えた——その帰結が、回復の刹那の死である。バルザックの「治癒即死」は、症候としては作家の構成上の技法(注1)だが、治療論的に読みかえれば、過剰な再外傷化による治癒の危うさを——意図せずして——劇化している。再演が成就する刹那の死は、暴露の代償の隠喩でもある。
もう一点、見落とせないのは、治療に当たろうとするシュシ自身が、同等のストレス起因性の外傷を負っているということである。彼はベレジナの生還者であり、廃領地でステファニーを認めた瞬間に卒倒し、最後には自らの頭を撃ち抜く。ここで〈傷ついた癒し手(wounded healer)〉の主題が効く。外傷の治療に積極的に向かう者がしばしば自らも外傷を抱えるという観察は、ユング以来の元型的主題であり、実証研究も、治療者には一般人口を超える割合(一説に三倍超)で外傷的生活史が見られると報告する[13]。ただし文献は、その傷を治療に資するかたちで用いる〈傷ついた癒し手〉と、未解決の傷が逆転移・過剰関与・二次受傷(vicarious trauma)を通じて臨床をかえって損なう〈impaired professional〉とを区別する[13]。シュシの過剰に劇的な再演——彼自身の負い目と外傷に駆られたそれ——は後者へ傾く危うさを示し、ファンジャの受容的な距離と対照をなす。再演による治癒の主題は、それゆえ、治療者自身の外傷という問いと切り離せない。
※ 本節は今後「治療」をめぐる議論を加筆していく際の足場。受容的関わり=[14]、〈傷ついた癒し手〉=[13] の書誌は確定済み。
結語記述の完成は、理解の代替ではない
本稿の主張は、一文に圧縮できる。ICD-11 は分類の精度において ICD-10 の無理を是正し、心因反応概念の精神をすら記述の水準で洗練した。しかし分類は本性上、説明も了解も与えない。ステファニーが確実にコードできることと、彼女に何が起きているかが理解できることとは、別の事柄である。後者には、ジャネ・エー・ヤスパース・シュナイダーの精神病理学が、いまも不可欠である。
二百年前の文学的症例を、ICD-11 はここまで無理なく拾う。だがそれは外形のラベリングであって、なぜ記憶が外傷を中心に脱落し、発語が一語へ縮減し、それが意識の統御の外で自律反復するのか——その機制(ジャネ・エー)と、それが了解可能な反応でありつづけること(ヤスパース・シュナイダー)とは、操作的コードの外に残る。ステファニーの「アデュー」が、任意の残語ではなく外傷の最終語でありつづけるかぎり、その了解こそが、彼女を一個のコードから一個の意味ある生へと回復させる。記述の完成は、理解の代替ではない。
(b) ジャネ:L'automatisme psychologique(序論 p.3/第1部 p.120/第2部 第3章 p.417・p.429)で確定済み。固定観念・解離・自動症の三概念を原典頁で地固め。
(c) エー:Étude n°5(p.83・p.91 粉砕)・n°6(p.102 ジャネ定位)・n°7(p.157 器質力動論)で確定済み。
(d) カプサンベリス:第21章(外傷)pp.363–365・p.375 で確定済み(外傷概念史とジャネ的解離の再興)。
(e) ヤスパース:病的反応の三側面=独語 S.321/英訳 p.385 で確定(治癒的効果は英訳 p.393、補節)。ヴァン・デア・コルク:1989 論文の頁が残る。
(f) 粗筋細部:放浪の年数・収容先・発見の場所(ボン゠ゾム)・伯父ファンジャの捜索の経緯の字句。
(f-3) 治療の補節:ヤスパース(d)=情動的外傷の治癒的効果+カタルシス/abréaction(カプサンベリス p.376)を一極、受容的関わり(ファンジャ)を対極として足場を組んだ。積極(暴露・デブリーフィング)対 受容(PFA・見守り)は [14](コクラン/McNally 他 2003=9.11 後/Hobfoll 他 2007/PFA)で地固め。ただし [14] は PTSD 中心ゆえ、解離症への適用を [15](ジャネ由来の段階的治療=安定化優先;van der Hart・ISSTD)で別途橋渡しした。〈傷ついた癒し手〉=シュシは [13](書誌詳細は要確認)。
(f-4) DSM の扱い:本稿は ICD-11 を背骨とし、DSM 改訂史には立ち入らない方針で統一した(§2 の DSM-5 言及は削除)。ICD-11/DSM-5 の並行使用への目配りを注4 として組み込んだ(収束=健忘+遁走、分岐=DSM-5 は転換概念を FNSD として残す→ICD-11 の方が記述化が一歩進む)。DSM-5 を [16]、Horwitz を [17] に追加。本文では DSM を前景化しない方針は維持。
(g) 注1・注3 の書誌:『ランジェ公爵夫人』『谷間の百合』の該当場面、従軍女性・ベレジナ犠牲の典拠。
(h) ハウススタイル:紀要の正準 paper.css をリンクし、ハウススタイル(nav・masthead・ch-1・cite・註・参考文献・paper-foot)に整合させた。サイトの紀要ディレクトリに置けば他論文と同一表示になる。
(i) 残課題:申し送りから失われた議論のうち、ほかにも訂正・反映すべき点があればご指示ください。
(j) v3 追記=リエルミエ第19章(ヒステリー)の組み込み:カプサンベリス編『成人臨床精神病理マニュアル』第19章(リエルミエ執筆)から三点を草稿として挿入した。①概念史の節に〈解離の語の仏英分岐〉を新設(Spaltung→仏 dissociation/シャスラン discordance=統合失調症の側/英語圏はジャネ原義を保持)。これにより〈なぜジャネの再興が英語圏のヴァン・デア・コルク[6]を導管とするのか〉という第二層の宿題に解答を与えた。あわせて「国際分類の用語選択=フロイト・シャルコーを犠牲にしたジャネへの回帰」(Chenivesse & De Luca 2009、リエルミエ経由)を組み込み。②第二層(ジャネ)に、機制の典拠を二分(1889=一般理論/1893学位論文『L'état mental des hystériques』=解離の臨床的諸形態)し、健忘・遁走の直接の原典として1893年論文を名指した。③第二層(エー)に〈解体 対 単一性〉を追記し、エーの「粉砕 対 全体性」の反復として位置づけた(ただし単一性の論拠=精神分析的機制には踏み込まず、構図のみ継ぐと明記)。文献 [25] ジャネ 1893・[26] リエルミエ第19章を追加。頁(p.321–342 域)は OCR 対訳下書きに拠る暫定で、原書照合を要する。[26] は事実的依拠=リエルミエ、解釈責任=本稿とし、編者カプサンベリスの第21章=[10] とは別章・別執筆者として区別した。リエルミエ章本体の精神分析的論述(フロイト・ラカン・去勢不安・性差)には引き込まれない方針。