横浜基礎研究所紀要

Bulletin of the Yokohama Research Institute for Disability, Education and Industry
Bulletin of Y R I D E I
recherche
Dissertationes editae
2026·9Dissertatio · in statu nascendi
ヤスパースの心因反応から複雑性心的外傷後ストレス症へ
Die Genealogie des Reaktionsbegriffs und die ICD-11-Gruppe der spezifisch belastungsassoziierten Störungen — Von Jaspers’ psychogenen Reaktionen zur komplexen posttraumatischen Belastungsstörung
ICD-11 のストレス因関連症群(6B4)は、ドイツ語圏の精神医学が 20 世紀初頭に形を与えた「反応」の概念の、現代的な再構成として読むことができる。本稿はまず、ヤスパースの心因反応とシュナイダーの異常体験反応──病気の次元ではなく異常の次元に置かれつつ、臨床精神医学の対象であり続けた概念──を出発点とし、それが戦後の迫害被害者補償の鑑定を通じて「体験反応性の人格変化」へと修正され、ICD-10 の F62.0 を経て ICD-11 の複雑性心的外傷後ストレス症に至る系譜を辿る。次に、Horowitz のストレス反応症候群から Maercker を経て ICD-11 の適応反応症に至る、もう一つの系譜を辿る。そのうえで、ICD-11 が本群に施した四つの措置──急性ストレス反応の脱疾患化、心的外傷後ストレス症の入口と中核の再定義、適応反応症の陽性定義、複雑性心的外傷後ストレス症の新設──が「出来事の大きさではなく反応の形によって定める」という一つの原理に揃うことを示す。あわせて、シュナイダー門下の Huber の教科書(第 7 版、2005 年)が異常体験反応の概念をどう引き継ぎ、どこを発展させたかを確かめる。最後に、ICD-11 の disorder という語がシュナイダーの二つの次元をともに包むこと、CDDR の条文とその作成者の解説とのあいだに外傷の定義をめぐって見過ごせない開きがあること、ドイツの現行教科書(Berger『精神医学と精神療法』第 7 版、Lieb 編『集中講義』第 10 版)が外傷の定義を変化の途上にあるとしつつ、臨床では ICD を、鑑定では DSM-5 の基準を用いると記していること、そして反応と人格との関係についての古典的な二つの問いに ICD-11 が沈黙していることを指摘する。この分業は、制度の側から見るかぎり当面は避けがたいが、ストレスを受ける主体としての人格の問いを精神病理学から免除するものではない。ドイツの教科書は脆弱性やパーソナリティ構造の語でその問いを保っており、Lieb 編の章を書いた Maercker 自身が、国際分類の解説では危険因子の語の陰に置いた人格を、自国の教科書では要因の筆頭に置いている。ICD-11 の沈黙は欠陥ではなく、国際的に使用できることを優先した分類の特性であり限界であって、その余白を反応概念の語で埋めることが、日本の精神医学に残された仕事である。Draft v0.10(2026·9)では、CDDR の条文と Tyrer 編解説書(Brewin & Maercker)の英文原文を照合し、両者の開きを示す箇所を原文と筆者訳の対で本文に組み込んだ。Draft v0.11 では、ドイツの現行教科書(Berger『精神医学と精神療法』第 7 版)のストレス因関連症群の章を照合し、外傷の定義・鑑定における DSM-5 の使用・脆弱性と誘因の関係についての記述を加えた。Draft v0.12–0.13 では、Hölzel らの解説書を原典で照合し、Lieb 編(Maercker ら執筆)第 9 章を加え、臨床と鑑定の分業と人格の問い、国際分類の特性と限界について VIII章末尾と結語に加筆した。
本文を読む →PDF(A4・26頁) →関連:精神医学マニュアル 第 7 章 ストレス因関連症群 →関連:不安の概念史 →
2026·9Bibliographia
英語圏におけるフーコー『狂気の歴史』論争——ゴードンの擁護と英米歴史家の批判、カステルとゴールドスタインの応答、および本書全十五章の見取図
Reading Still & Velody (eds.), Rewriting the History of Madness (1992) — The Anglo-American controversy of 1990: Colin Gordon’s defence, the historians’ objections, the responses of Castel and Goldstein, and a conspectus of all fifteen chapters
Arthur Still と Irving Velody の編んだ論文集(Routledge, 1992)の文献紹介。1990 年に History of the Human Sciences 誌(第 3 巻 1 号・3 号)で交わされた論争——英語圏で長く読まれてきたのは原著の約半分を削った縮約版の英訳(ハワード訳 1965)であり、英米の歴史家の否定的評価の多くは全文版を読まずになされた誤読だとするコリン・ゴードンの擁護論と、それへの十二名の応答、ゴードンの再反論——を収めた全十五章(雑誌の応答十名にボヴェとピューを加え、エリクソンの批評注付き書誌を付す)のうち、カステル(第 4 章)、ゴールドスタイン(第 5 章)、ミデルフォート(第 8 章)、ポーター(第 10 章)、スカル(第 13 章)、ゴードン(第 14 章)の六章を詳しく紹介し、発端のゴードン第 1 章と残る八章(バラム、ボヴェ、ラカプラ、メギル、ピアソン、ピュー、ローズ、エリクソン)は要約にとどめて、詳述と要約を分けた基準(史料と歴史学の方法の水準で論じている章を優先する)と、各章を簡略にとどめた理由——臨床の実践、修辞と理論、受容の社会学、精神医学史の対象論、書誌へと論争の水準を移している——を章ごとに明記する。争点を六つ——縮約版と誤読、「フランス」の一般化、大監禁の規模、テューク=ピネルと医学、阿呆船、宗教と心理学——に整理して対立の構図を表にまとめる。論争が史料によって決着する事実の水準と、同じ事実から何を導くかという読解の水準の二層で行われ、後者で両陣営がすれ違っていることを示し、別稿「フーコー『狂気の歴史』への批判——四本の柱と二つの型」で区別した「出来事としての大監禁」と「構造としての大監禁」を当てると、批判側(ポーター、ミデルフォート、スカル)は前者を否定し、擁護側(ゴードン)は後者を肯定していることを確かめる。筆者の見方として、英語圏の論争には臨床精神病理学の声がなく(臨床の側からの唯一の応答であるバラムの章は、狂人に残る理性と対話の不在を突くが治療関係の水準にとどまり、ローズの「別の狂気存在論に基づかない批判」はエーの立場のちょうど逆である)、フーコーの狂気概念を délire の二義(せん妄と妄想)の混同という水準で問うエーの批判に相当するものが存在しないこと、英米の論争がケテルと同じ歴史学の水準にとどまること、フーコーがテュークを持ち出したことで論争がイングランド固有の史料へ展開したこと、ポーターの挙げたロック=バッティの連合心理学の線が論争のなかで発展しなかったこと(ブロイラーの連合説との接点)を記し、ゴールドスタインの「修辞戦略」という擁護に留保を付す。フランス語圏の批判系譜を扱った別稿の姉妹篇。(Draft v2——フーコー 1972 年版の頁の照合、メルキオール・ラビノウの雑誌応答の読解は残作業)
本文を読む →PDF(A4・29頁) →別稿:フーコー『狂気の歴史』への批判 →関連:アンリ・エーとオイゲン・ブロイラー →
2026·9Dissertatio
ボンヘッファーの外因性反応型からシュナイダーの「身体的に基礎づけうる精神病」とヴィークの通過症候群へ——クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』の一章を読む
Die Etablierung des Delirbegriffs in Deutschland — Von Bonhoeffers exogenen Reaktionstypen über Kurt Schneiders „körperlich begründbare Psychosen“ zu Wiecks Durchgangs-Syndrom
「ジョルジェ『De la folie』を読む」の続篇。譫妄が「意識混濁」という物差しを得てクレペリン第8版で状態像として確立されたのち、ドイツ語圏でどのように体系の中に置かれ、その体系がどこで限界に達したかを、三つの段階でたどる。第一にボンヘッファー(1908–1917)——身体的に把握しうる精神病が共通の心的症状をもつという発見と「外因性反応型」の命名。第二にクルト・シュナイダー『臨床精神病理学』の章「身体的に基礎づけうる精神病の構造」(第14版 S. 37–42)の全篇解題と新訳——「外因性」「器質性」をともに退けた命名の理由、ボンヘッファーの功績と限界(「命名は狭すぎ、取り込んだものは少なすぎた」)、必発症状と随意症状の区別とホッヘの「軸」、急性群の軸としての意識混濁と慢性群の軸としての人格の崩壊・認知症、身体的に基礎づけられた精神病を認めるための四要件、症状性統合失調症は認めるが症状性循環病は認めない立場、「症状か誘発か」が哲学的な先行決定に帰着するという診断、精神病の「あること(Dasein)」は身体に帰せられるが「かくあること(Sosein)」は帰せられないという区別、そしてコルサコフ症候群を例に軸の概念では捉えられないものとして名指されたヴィークの「通過症候群」。第三にヴィーク(1956)——可逆的な機能精神病を重症度の段階として並べ、意識混濁を唯一の軸から尺度の一端へ移した。結論:ドイツにおける譫妄概念の確立とは、意識混濁を軸とする急性の身体的精神病という枠の完成であり、その枠は完成と同時に自らの例外を書き込んでいた。シュナイダーの Dasein/Sosein はジョルジェの「症状にすぎない」の精密化であり、四要件は DSM-III の器質的要因基準を先取りする。ドイツ語圏は「譫妄」を国際分類へ送り出したが、通過症候群はそこに居場所を得なかった。(Draft v1、補訂継続中——ヴィーク・コンラート・シャルフェッターの原典照合は残作業)
本文を読む →PDF(A4・14頁) →前篇:ジョルジェ『De la folie』を読む →関連:カールバウムのカタトニー →
2026·9Bibliographia
délire aigu と譫妄概念の成立——ピネル・エスキロールからクレペリン教科書と『臨床精神医学入門』第3版まで、後日譚としてリポウスキと DSM-III
Lire Georget, De la folie (1820) — Le délire aigu et la formation du concept de delirium, de Pinel et Esquirol à Kraepelin, avec un épilogue sur Lipowski et le DSM-III
ジャック・ポステル編のジョルジェ『De la folie』抜粋版(L'Harmattan)の文献紹介。エスキロールの弟子ジョルジェ(1795–1828)は folie を「脳の特発性疾患」と規定し、熱性疾患・中毒・脳疾患に伴う délire aigu を「症状にすぎないもの」として12項目の対照表で切り離した。本稿は三つの問いを原典照合で整理する——この切断はピネル(『論考』第2版 §69)とエスキロール(「ordinairement chronique, sans fièvre」)にどこまで準備されていたか;ベール、ラゼーグ、stupidité をめぐるバイヤルジェ/ドラジオーヴ論争、シャスラン(1895)、レジス(1900)、グライナー、マイネルト、ボンヘッファー(外因性反応型)を経て区別はいかに忘却・再発見されたか——ポステル「ジョルジェとベール——対照的な二つの運命」(1978/2007)を照合し、ベール・モロー・ド・トゥール・ラゼーグをめぐる忘却の筋を跡づける;クレペリン教科書(第2版1887の症状論的「Delirien」類→第6版1899の病因別解体と Delirium acutum の否認→第8版1910のボンヘッファー受容と Kollapsdelirium の改釈、第2巻の目次構成と「状態像/疾患形態」の原則)と『臨床精神医学入門』第3版(1916、三層構成と症例配置、第VII講の尿毒症性譫妄・感染性衰弱状態、巻末「Delirante Zustände」)は譫妄をどこに置いたか。あわせてエー『Études psychiatriques』第24研究「Confusion et délire confuso-onirique」と第27研究「意識の構造と脱構造化」を照合し、ピネルの idiotisme からドラジオーヴ・シャスラン・レジスに至る系譜、エーの confusion 定義、急性精神病の階層仮説における delirium の位置を確かめる。後日譚(第VIII章)は、リポウスキ(モノグラフ1980、JAMA 1987)と DSM-III における操作的定義の成立、「意識混濁」から「注意の障害」への基準の移動、CAM 等の尺度による一般医学への定着を記し、DSM-III から DSM-III-R・DSM-IV・DSM-5-TR・ICD-11 に至る中核要件における「意識」と「注意」の位置の移動を表(表 VIII.3)に整理し、末尾にジョルジェの12項目と DSM-III・DSM-5-TR・ICD-11 の診断要件との対照表(表 VIII.2)を置く。冒頭に「共通の物差し」の変遷を示す見取図(図 1)、第III・V・VI章の冒頭にそれぞれ三者比較・教科書三版の変遷・『入門』三層構成の図解(図 2〜4)、結語に五段の総括図(図 5)を付す。本稿の中心命題は、譫妄が原因非特異的な急性の状態像として確立される過程は1820年から1916年までの一次史料により再構成でき、その確立点はクレペリン教科書第8版第2巻に置くことができる、というものである。結論は三つの問いに答える——萌芽はピネル・エスキロールにもあったが、délire aigu を単一のものとして取り出したのはジョルジェであり、確立はボンヘッファーを取り込んだ第8版において、確認は『入門』第3版の症例のまとめ方において。ジョルジェが「知性の廃絶」として捉えた délire aigu が「意識混濁」という共通分母を得て現代の譫妄へ結晶する過程を追い、ポステルの「排除」の筋書きに対して筆者の読みを示す。stupidité の語誌と19世紀後半フランスの展開は別稿を予定する。
本文を読む →PDF(A4・37頁) →関連:ピネルからクレペリンへ →関連:カールバウムのカタトニー →
2026·8Dissertatio · in statu nascendi
名前の持続と内容の交替
La mélancolie : permanence du nom, métamorphoses de la chose
melancholia は、ヒポクラテス集成から現行の国際分類まで、二千五百年間ほぼ途切れることなく医学の語彙にとどまりつづけた、おそらく唯一の病名である。本稿はこの異例の長寿を「名前の持続と内容の交替」という二重テーゼのもとに描く通史であり、mania の「分岐」を論じた「二つのマニア論」の対をなす。『箴言』六・二三の「恐れと悲しみ」の二症状核(第一章)、偽アリストテレス『問題集』第三〇巻第一問の天才論的転回——perittos と perissōma、葡萄酒の比喩、「不定の恒常性」(第二章、Pigeaud 編訳に基づく)、バートン『憂鬱の解剖』における概念の最大外延——「この意味でのメランコリーは死すべき者の刻印である」(第四章)、ピネルにおける定義の文法の交替とエスキロール lypémanie の「名前の交替の試みとその失敗」、所蔵原典の版間比較によるクレペリン第三版(1889)・第六版(1899)・第八版(1913)にわたる「名前の退位」——疾患名から状態像名へ、フロイト「悲哀とメランコリー」への亡命(第五章)、テレンバッハの typus melancholicus とインクルデンツ/レマネンツ、ビンスワンガー『メランコリーとマニー』の超越論的構成分析、DSM-III による大分類からの退場、エランベールの「不全の悲劇」(第六章)を経て、Taylor & Fink のメランコリア再導入提案と、DSM-5 の specifier および ICD-11 CDDR の 6A80.3「メランコリアを伴う」——名前は生き延び、核はアンヘドニアに書き換えられた——に至る現在までを追跡する(第七章)。名前が運びつづけたもの——症状の核・重さ・係争性——を問う中間的結語を付す。(草稿 v6、2026·9:ピゴー『Melancholia』、スウェイン「メランコリーの持続と変容」(1989)、クレペリン第八版原文、ビンスワンガー仏訳序文により序・第一・二・四・五・六・七章を補筆——残作業は巻末の編集注記参照。PDF は v5 のまま、次回更新)
本文を読む →PDF(A4・15頁) →対論文:二つのマニア論 →
2026·8Dissertatio · in statu nascendi
マニアの二千五百年——名前の行方と概念の変遷
Les deux manies : deux mille cinq cents ans de mania, ou le destin du nom et la mutation du concept
ヒーリー『Mania』(2008)とウスティノーワ『Divine Mania』(2018)——同じギリシア語を書名に掲げながら互いを参照しない二冊を対にして読み、ギリシア語 mania の意味野(病的錯乱から神的霊感までを覆う「基準的意識状態からの逸脱」の連続体)が、医学化の過程でその一部だけを切り出され、ICD-11 において気分障害の躁エピソード(6A60)と解離症群のトランス症・憑依トランス症(6B62/6B63)という二つの系譜へ分岐したことを論じる。医学化の分水嶺として偽アリストテレス『問題集』第三〇巻第一問(神的マニアの黒胆汁への自然化)を置き、6B62/6B63 の文化的除外規定——「集合的な文化的・宗教的実践の一部として受容されていない」——を、共同体が是認した意識変容は病ではないというギリシア的態度の 2000 年後の条文化として逐語的に読む。ピュティアと憑依トランス症の患者を分かつのは状態像ではなく座である。(草稿 v1.5 として公開、補訂継続中——残作業は巻末の編集注記参照)
本文を読む →PDF(A4・16頁) →資料:『神的マニア』案内 →資料:『マニー』案内 →
2026·8Dissertatio
臨床的方法の創始と、その簒奪――なぜカールバウムはクレペリンに呑み込まれたのか
Relire Kahlbaum : Die Katatonie oder das Spannungsirresein (1874) — la méthode clinique, son absorption kraepelinienne et le retour de la catatonie (CIM-11)
ICD-11がカタトニアを独立の疾患群(6A4)として立てたことを、1874年のカールバウムの主張の148年遅れの承認と位置づけ、この遅延そのものを問う。第一にフラクトゥール原本に即した『緊張病』全篇の解題と新訳――「命名によって症状と疾患の本性に関する特定の見解が先取りされてはならない」という方法的禁欲(S. 23)、「あらゆる型において悪くない」予後論(S. 93)、変質論への抵抗(S. 99)――に、『精神疾患の群別』(1863)原本にもとづく症状複合と疾患過程の区別の方法史、および全26症例の集註(附録)を添える。第二にヘッカー追悼文(Kraam英訳2008)に基づく黙殺(totgeschwiegen)の伝記と、簒奪の力学の四軸分析(制度・概念・認識論・偶然)――クレペリンはカールバウムの方法でカールバウムの単位を裁いたが、放置環境の転帰統計は疾患の自然史ではなく放置の自然史を測る。ただしこの裁きを一方的には描かない――クレペリン自身の留保「今日われわれの見渡しうるかぎり」と早発性痴呆概念の形成途上性、その転帰統計を可能にした大学クリニックとアンシュタルトの統合体制がクレペリン側の達成であったこと(エングストローム)、観察の場の選択バイアスが双方に働くことを併記し、序に用語注を置く(「誘拐」はショーター=フィンクの表現、「簒奪」は本稿の分析概念)。第三に哲学的照明――ヤスパースが「実り豊かな領有」と名指しで記録した簒奪と「カントの意味における理念」としての疾患単位(独語原本S. 476–477により照合。「この理念を把握したことはカールバウムの、それを実効あらしめたことはクレペリンの功績である」)、エー第10研究「カタトニー」(1950)の構造論的訣別――意識解体の尺度上のカタトニー(大域的かつ尖端的、決して基底には届かない解体)、精神症状と神経学的症状を分かつ構造的基準(道具的機能の障害と意識の清明との対照の欠如)、その源流としてのボンヌヴァル討論会(1943)の定義「神経学=道具的脱統合の科学、精神医学=上位かつ大域的な解体の科学」――、そして占領下1942年のサンタンヌで筆写された『緊張病』全文手写本(アンリ・エー文庫、エー自筆注記付き)という受容の物証。さらにWHO『臨床記述と診断要件』(CDDR、2024)との照合により、現行分類がカタトニアの「何であるか」をエーの結論と細部まで一致する形で定めながら、「なぜ精神医学に属するか」を——両章の区別は「恣意的」で「専門職の伝統」を反映すると自白しつつ——空欄のまま残していること、その空欄を埋める理論として第10研究がなお現役であることを示す。クレペリンの判決と ICD-11 のあいだには、シュナイダー『臨床精神病理学』の留保――過運動性カタトニーを統合失調症から切り離す試みは久しいが、両方の概念に該当する中間形(Übergänge)が他の統合失調症像へ切れ目なく続くゆえに「時機はまだ到来していない」;診断は「経過ではなく状態像に基づく」――を中間の証言として置き、切り離しを阻んだのは中間形の存在ではなく、中間形があってもカタトニーを見分けられる独自の基準がなかったことであり、状態像で診断するという原則が経過に左右されない症候群としてのカタトニア(ICD-11)を先取りしていたことを示す(補足として、統合失調症と循環病のあいだの「中間例」との区別、残余概念としての Schizophrenien、経過診断と横断的診断の対立に触れる)。あわせて「神経科学の現在」(GABA-A受容体結合能の低下・抗NMDA受容体脳炎・自己免疫)がカールバウムの「脳疾患」を裏書きしつつエーの境界基準を試すことを検討し、治療反応性(ロラゼパム・ECT)が裏書きするのは予後と症候群のまとまりであって疾患単位の実在ではないという限定を明示する。結論――ロラゼパムとECTの時代の治療可能なカタトニアは、クレペリンのそれではなくカールバウムのカタトニアである。(Draft v12、補訂継続中)
本文を読む →PDF(A4・35頁) →前哨:『恐怖の狂気』案内 →関連:第六章 ピネル発祥論 →
2026·9Dissertatio
ゴーシェ=スウェイン『人間精神の実践』をめぐって——第二版序文「民主主義時代の狂気」を背骨として
Le sujet de la folie et le pouvoir démocratique — autour de La pratique de l’esprit humain de Gauchet et Swain, à partir de la préface de 2007 « La folie à l’âge démocratique »
本稿は、ゴーシェ=スウェイン『人間精神の実践——精神病院制度と民主主義革命』(1980)を、ゴーシェが 2007 年の再刊に付した新序文「民主主義時代の狂気」を手がかりに読み直す。この序文は、フーコー『狂気の歴史』への批判を七つの論点に総括する第一節と、「1800 年という契機を解きほぐす」と題する第二部とからなる。第二部でゴーシェは、本書がなぜ 1800 年前後に集中したのかを自ら説明し、精神病院を民主主義的世界の「政治的実験室」として位置づけ、「なぜ精神病院なのか」に答えている。狂人の治療だけが制度による人格そのものへの全面的な作用を要求し、しかもその圧力が空しいと分かっているからだ、というのがその答えである。本稿はこの答えを 1980 年の本文と照合し、本文が精神病院の特権を狂人のうちに残る「消し去りえない人間性」に基礎づけていたのに対し、序文がそれを働きかけの「空しさ」に基礎づけていることを、フランス語原文に即して示す。この語彙の移動のなかに、「紙の狂人(le fou de papier)」の像が現れる。「紙の狂人」とは、ゴーシェ自身が序文の冒頭で反精神医学を批判するために用いた言葉であり、現実の狂人に出会うことなく原理から作られ、その称揚の背後で精神病の現実の不幸が見えなくなってしまうような、想像された狂人を指す。本稿は、この言葉を、精神病院の特権を「訴えの空しさ」に基礎づけるゴーシェ自身の要約にも向ける。この語彙の移動には、権力の企図を対象とするゴーシェの方法に由来する構造的な理由がある。これに対して本稿は、臨床医の側から二つの項を対置する。一つはアンリ・エーが 1945 年の講演「狂気と人間的価値」で語った、医師が患者とともに住まう精神病院である。もう一つは、ゴーシェの共著者スウェインが『狂気における主体』とメランコリー論において示した、狂気の内側にとどまる主体への視線である。序文はその末尾で、狂気についての臨床的な知を要求し、「狂人たちを彼らの偽の友から救う」ことを課題として掲げている。本稿の結論は、この要求にゴーシェ自身の叙述は応えておらず、それに応えているのはエーとスウェインであるということ、したがってゴーシェの民主主義論と臨床医の知とのあいだには対立ではなく分業が可能であるということ、ただしその分業は、ゴーシェの民主主義論が権力の企図を対象とするその方法のゆえに「紙の狂人」を生みやすい構造をもつことを自覚し、臨床的知がその盲点を補うときにはじめて成り立つということである。
本文を読む →PDF(A4・31頁) →関連:フーコー『狂気の歴史』への批判 →関連:グラディス・スウェイン 生涯・系譜・受容 →関連:アンリ・エーの自由概念 →
2026·8Dissertatio
フランスとドイツの系譜——アンリ・エー『精神医学研究 11』を導きとして
Histoire psychopathologique du concept d’impulsion — Les lignées française et allemande, à la lumière de l’Étude no 11 d’Henri Ey
19〜20 世紀のフランスおよびドイツ語圏において「衝動」という概念がどのように形づくられたかを、アンリ・エー『精神医学研究』第 II 巻(1950)所収の第 11 篇「衝動」を導きとしてたどる。フランスではピネルの「理性は保たれたまま意志だけが無力である」症例(1809)から、エスキロールの本能的モノマニー(1838)とその崩壊(ファルレ 1854/1864)、バイヤルジェの定式(1853)、リボー『意志の病』(1883)、マニャン『変質者』(1895)の挿間症候群へ、ドイツ語圏ではクレペリンの Drang 語彙、ブロイラーの反応性欲動と病的欲動の弁別、ヴェルニッケ=クライスト学派、ヤスパースの三段階系列、シュナイダーの意志規定へと、衝動は一貫して「制御する審級と制御されない力との関係」として概念化されてきた。エーの「研究 11」はこの二伝統を一つの枠組みに収めた最後の総合である。第 3 部は、これとは水準を分けて、現代の国際分類における衝動概念の扱いを検討する——二〇二四年の CDDR による定義変更を歴史の帰結としては扱わず、その当否を判定する立場にも立たない。§6-bis は定式の来歴を起草過程の文書で検証し(エスキロール→DSM-III→ICD-11 の構文の継受、法学の勧告に由来する「抵抗の失敗」の語形)、§9 は向きを変えて、この歴史の側から三つの問いを差し向ける——「抵抗の失敗」は何によって測られるのか、快感価値と強迫との境界はどこにあるのか、神経科学との整合を求めるのは早すぎないか。§6-bis はさらに AAPL 勧告の背景(レイ 1838 によるモノマニー概念のアメリカ法への移植)を文書で跡づけ、その語の置き換えが認識論的解決ではないことを明記する。ヤスパースの三段階系列については、筆者所蔵の初版(1913)頁像と電子化全文により来歴を確定した——該当節 §4「Triebregungen und Wille」の表題は二項であり、「一次的な Drang の体験」(p. 68)は Triebregung の同格の言い換えであって、「Drang, Trieb und Wille」の三項の建築と「内容なく方向なき」の規定は第 4 版の所産である(初版は Drang の語の説明価値に懐疑さえ記す);二つの版の距離は日本語では二つの邦訳(『精神病理学原論』1971/『精神病理学総論』岩波)の距離として読める。§6-5「英語圏における urge の生活」は、前駆衝動・嗜癖・泌尿器科・情動心理学の四領域で urge がすでに Drang の現象学を担っていること、そして唯一の測定が構造化自己報告にとどまることを示す。エスキロールとブロイラーの症例像は原典頁像から補い、ヤスパースの系列とシュナイダーの体系の相違を明確にした。第16版(Editio sexta decima, 2026·9)ではゴールドスタイン『Console and Classify』第5章の現物照合により、「意志の損傷」を1825年に創始したのがジョルジェであり、エスキロールの1827年「覚書」はピネルの manie sans délire を「意志の部分的譫妄」という術語的手品で追認した「概念変形」であったこと、モノマニー崩壊(1852–54)の年代と数字、ファルレの沈黙が1838年法による専門職の安全によって解かれたこと、法曹側からの「境界紛争」を §2-2・§2-4・§8-1・§9-1 に補った。主題は臨床概念の内容史の一本の線に限り、道徳的主体・社会秩序との絡みは別稿に委ねる(§1)。
本文を読む →PDF(A4・50頁) →姉妹編:パラフィリア症 →関連:第六章 ピネル発祥論 →
2026·8Dissertatio
アンリ・エーから ICD-11 へ――概念史と構造論的考察
Les troubles paraphiliques d’Henri Ey à la CIM-11 — Une étude historique, structurelle et critique
ラセーグ・ガルニエの古典的記述からクラフト=エビング、フロイト、アンリ・エーの構造論的総合(1954)を経て ICD-11/CDDR(2024)に至るパラフィリア症概念の一世紀半を辿り、その到達点を「同意」基準による再構造化として分析する。ICD-11 の操作的明確化、エーのエチュード12・13(露出症の誇示と自罰の二重運動、「孤立した倒錯」批判)、Weierstall-Pust/Schmidt・Joyal ら現代の批判的視座(過剰病理化への警告、次元的アプローチ)の三層を弁証法的に統合し、個別カテゴリー(6D30〜6D3Z)の臨床的検討と、三層判別・除外診断・責任能力の峻別・段階的薬物療法という鑑定実務への適用を論じる。
本文を読む →PDF(A4・31頁) →姉妹編:衝動概念の精神病理学史 →
2026·8Dissertatio · Series
エー、フーコー、スウェイン、ケテルの四者比較——第六章「ピネル発祥論」より逐次公開
Les origines de la psychiatrie — Henri Ey, Michel Foucault, Gladys Swain, Claude Quétel : quatre théories de l’origine en comparaison
精神医学の発祥をめぐる四つの主要解釈――フーコー(1656年「大いなる監禁」)、エー(ルネサンス的・人間学的基礎づけ)、ケテル(経験的歴史記述)、スウェイン(1800年前後のピネルにおける「狂気における主体」の組み立て)――を独立の発祥論として並列比較し、スウェイン立場の正当性を文献学的に基礎づける長期連作。全九章+日本補論で構成し、ウェブ公開の特性を生かして章ごとに逐次公開する。現在公開済みは、本論文の発祥論的中軸をなす第六章「ピネル発祥論」(日本語・英文要旨付き)。付随する文献案内二篇(「ピネルの疾病分類学案内」「読まれざるピネル――『論考』初版と第二版」)は文献案内 Bibliotheca に収録。
目次を開く →第六章 ピネル発祥論を読む →第六章PDF(A4・24頁) →文献案内 →
2026·8Dissertatio
アンリ・エーと戦後フランス精神医学の構造転換
De la loi de 1838 à la sectorisation : Henri Ey et la transformation structurelle de la psychiatrie française d’après-guerre
エスキロールが理論的基礎を与えた1838年法は、精神医療を「アジールへの強制的隔離か放置か」という二者択一に閉じ込めた。その体制が解体され、地域基盤型のセクツール制に置き換えられるまでの45年を、アンリ・エー(1900–1977)の活動を軸に辿る。占領下の「閉じ込め」の集合的経験を起点に、サンタルバンの施設内精神療法、解放直後のCTRS三大実験、1960年3月15日通達によるセクツール政策の誕生(第一部)。1964年論文「精神疾患の本質と1838年法」が掲げた「精神症者『に関する』法律から『のための』法律へ」の転換要求、1968年無能力者保護法、組合活動と1965年白書、ソ連の政治的収容をめぐる国際的倫理闘争、そしてエーの死後13年を経た1990年法(第二部)。到達点としての制度状況と、この構造転換が神経薬理学革命ではなく制度政治的闘争によって達成されたという命題(第三部)。検証を継続中の事項は冒頭の「校訂状態」欄に明示している。
本文を読む →PDF(A4・32頁) →先行論文:エスキロールと1838年法 →1838年法の政治経済学 →
2026·8Bibliographia
〈閉鎖の三部作〉を読むための文学案内
La terre et la fumée — Guide de lectures littéraires : folie, économie domestique et asile au XIXe siècle, France et Angleterre
「小土地所有農民社会の世帯経済」という三部作の鍵概念を、生活実感として理解するための文献紹介。フランスの文学は土地にしがみつく者を描き、イングランドの文学は土地を失った者を描いた——この非対称そのものが両国のアジール体制の非対称に対応する。仏側はモーパッサン「悪魔」(看取りを日額で計量する農民の算術)、ゾラ『大地』(均分相続と老親の運命)、バルザック『禁治産』(禁治産手続の解剖)、『獲物の分け前』とトクヴィル『回想録』。英側はワーズワス「白痴の子」(在宅包摂の文学的定礎)、オースティン(収容に署名する治安判事階級の集団肖像として読む)、ジョン・クレア(囲い込みの挽歌を書いた農民詩人がアジールで生涯を終える)、ギャスケル『メアリ・バートン』(賃金世帯の緩衝ゼロ)、そしてルポライターとしてのディケンズ(セント・ルークスの舞踏会とワッピング救貧院)。各作品の読みどころと読書の順序を付す。
本文を読む →PDF(A4・4頁) →第一部:1838年法の政治経済学 →第二部:過密の時代 →English edition →
2026·8Dissertatio
1838年法体制下のアジール人口とセーヌ県、1838–1874
Le temps de l'encombrement — La population des asiles sous le régime de la loi de 1838 et le département de la Seine, 1838–1874
1838年法体制下のフランスで、アジール収容人口は1834年の約一万から1874年の四万二千七十七へ、四十年で四倍に膨張した。本稿はこの膨張の内実を、内務省総監察官コンスタン、リュニエ、デュムニルの1874年公式報告(1878年刊、564頁)——管見のかぎり正面から扱った研究のない一次資料——の通読と統計表の検算にもとづいて再構成する。増加を作ったのは法ではない。監察官自身が法の即座の効果を否定し、増加を規定したのは施設の建設速度と、住民が「アジールの救助を求める習慣」を身につける速度であった。そして建設は行政権の配置に従って律動する——知事が主導権を握った帝政期十四年間に十四施設、財政決定権が県会へ移った1866年以後は二県のみ。増大は出口の閉塞によって生じ(退出者の四割は死亡、治癒率は低下)、収容者の一割以上が「アジールにいるべきでない」と認められながら、危険性の論拠と財政の論理が二重に出口を塞いだ。県が真に創設したアジールは四十年で十八、費用の連鎖は家族(6.30%→5.65%)から公費へ滑り、施設は五年間で三百八十万フランの経常黒字を計上していた。セーヌ県の県外移送は1844年——オスマン就任の九年前——に過密を理由に始まり、1874年、首都は被扶助精神病者七千七十二名のうち三千九百五十三名を地方へ送り出すことで辛うじて均衡を保っていた。英仏比較は水準の差と勾配の一致を示し、イギリス型の司法的監視(ルナシー・コミッショナーズ)の導入は費用を理由に斥けられた。前稿が「契約社会の後見(tutelle)」として読んだ1838年法は、四十年の運用のうちに、解除されない身分と事実上の公費負担制度になっていた。仏語引用と統計はすべて原本頁の画像と逐語照合・検算済み。〈閉鎖の三部作〉第二部。
本文を読む →PDF(A4・33頁) →第一部:1838年法の政治経済学 →
2026·8Dissertatio
世帯経済・禁治産・行政収容
L'économie politique de la loi de 1838 — Économie domestique, interdiction et placement administratif
1838年6月30日法はなぜ収容の決定を司法ではなく行政に委ねたのか。この問いを、収容要求を下から生み出した社会経済的基盤——大革命後の小土地所有農民社会における世帯経済の構造——から解明する。世帯経済は軽度の病者を長く在宅で抱え込むが、暴力・興奮・自殺企図が世帯の存立を脅かした一点で包摂は排除の要請に反転する(ケテルのボン=ソヴール語彙分析、ル・ブラのカンペール患者書類研究)。この要請の前に、民法典の禁治産手続は煩雑・高額・公開という三重の障壁として立ちはだかった——ジョルジェは1825年、ほとんどすべての精神病者が禁治産宣告なしに収容されていると証言している。1838年法の行政的収容(職権入院とヴォロンテール入院)は、カステルが示したようにこの司法的障壁を迂回する制度的応答であり、その成立は世帯経済の自衛限界という下からの圧力と行政警察権の合理化という上からの要請の交点に位置づけられる。議会審議の攻防――司法統制派イザンベールの経歴と論理、ファルレ1837年報告書、ヴィヴィアン委員会案による政府原案の再設計(知事の事前許可制の削除)、デュフォールとカルマール=ラファイエットによる「警察と財政の法律」から「慈恵と公的救済の法律」への変形――は、Archives parlementaires・エスキロール『法案検討』・ファルレ『所見』の一次史料により復元した。第3版(Editio tertia, 2026·9)で新設した第二章は、この世帯経済が一様でなかったことを示す——相続慣行の地域差(西部・北部の均分主義と南部の一子相続)、ル・プレーとトッドの家族類型を地図として限定的に用いること、二つの資料体がいずれも修道会施設を出口とする西部のものであること、パリ・セーヌ県の日雇い世帯では抱え込みが成立せず収容が職権入院を主経路としたこと——そして農村型と都市型の二つの収容要求が単一の行政装置に合流したことを論じる。新設の5-4は1874年の公式報告により、第1条の「契約」条項のもとで自前のアジールを建てた県と隣県や修道会施設に委託した県の分布を示し、法を受け止める側の県の財政格差を実施の水準で確かめる。スカル・テーゼの批判的検討(鈴木、バートレット)を経て、英仏の差を「救貧法体制対 県行政体制」の制度比較として再定位する。第4版(Editio quarta, 2026·9)では、ゴールドスタインの現物照合により、1837年時点で86県中48県が施設を欠いていたこと、1833年・1842年の県別調査、修道会施設依存県が篤信地域に集中したことを5-4に加え、カーンのボン=ソヴールが世紀半ばまで研修医を拒んだ修道会施設であったという資料批判を3-1に置き、結語で上下二つの要請を一つの手続に翻訳した中間層と、患者本人の不在を明示した。統治機構の側と中間層の形成は姉妹論文「エスキロールと1838年法」第七章に委ねる。〈閉鎖の三部作〉第一部。カステル『精神医学的秩序』全文にもとづく頁付き引用。
本文を読む →PDF(A4・22頁) →English edition →
2026·8Dissertatio
ヨーロッパ精神史の系譜から臨床精神医学へ
La pathologie de la liberté chez Henri Ey — De la généalogie de la pensée européenne à la psychiatrie clinique
「精神疾患とは自由の病理である」というエーのテーゼの内容を解説する紹介論文。この概念を古代ギリシャの魂の自律性からストア派・デカルト・カント・スピノザ・ヘーゲルに至る自由概念の系譜に位置づけ、同じ伝統を実践哲学の領域で独立に継承した哲学者アランとの並行性を示す。両者の並置は、第三共和政のリセ哲学級という共通の哲学教育文化に根ざし(アロン回想録)、アランの直弟子カンギレムがエーから精神的正常性の定義を借用したという事実において現実に交差している。ビュルガとフレールジュアン(2024)を導きの糸に器質力動的モデルの理論構造——自動性から自由への統合、「器質的—臨床的ギャップ」、「疎外なしに自由はない」——を追跡し、意識・判断力・意志・責任の四つの契機に即して自由の阻害の臨床的様態を示す。日常的な不自由との連続性と病的な喪失の質的な隔たりの双方を、「エッケ・ホモ」というエーの患者観のもとで統一的に理解する試み。エチュード4とアラン『哲学の要素』の引用はすべて原文照合済み。
本文を読む →PDF(A4・16頁) →
2026·8Dissertatio
ドイツの系譜からフランスの精神病論へ、そして ICD-11 の評価
A Comparative Study of German and French Traditions in Schizophrenia Theory — from the German lineage to French psychosis theory, and an evaluation of ICD-11
ハーザン=リープ編のドイツ精神科教科書とカプサンベリス編のフランス精神科教科書を主資料に、統合失調症概念の独仏比較を行う。クレペリン—ブロイラー—シュナイダーの系譜が構築した「広義の統合失調症」は、急性精神病と慢性系統性妄想疾患を概念の内部に包摂しつつ、その辺縁部に配置した。これに対しフランスの伝統は、bouffée délirante aiguë(急性多形性妄想発作)と délires chroniques systématisés(慢性系統性妄想疾患)を独立した臨床的実在として維持し、統合失調症を発症期・確立期・長期経過という縦断的枠組みで記述してきた。délire が妄想とせん妄の両義を担うフランス語の特性、ピネル以来の疎外主義(aliénisme)、エーの器質力動論による急性精神病と錯乱状態の連続的把握を論じ、ルソー『ルソー、ジャン=ジャックを裁く』を解釈型妄想の歴史的証言として読む六つの症例呈示を挟む。結びに ICD-10 がフランス的疾患単位を詳細に取り込んだこと、および ICD-11 がこれを簡略化したことを検討し、後者を国際分類の普遍性と診断信頼性の観点から妥当と評価する一方、フランス的記述が診断コードとは区別される臨床的洞察として今なお有効であることを論じる。第三章冒頭に、dissociation(分裂)・discordance(不調和)・désagrégation(解離)・disorganised(解体)の四語をめぐる訳語の断りを置いた。同一の仮想症例が伝統的フランス・伝統的ドイツ・ICD-11・DSM-5 の四体系でどう診断されるかを示す症例呈示(症例 6)と、急性精神病・妄想症をめぐる四体系対照表(V-2b 節)を置き、ICD-11 の 6A23 が急性発症・症状の急速な変動・陰性症状の欠如という質的要件を保持している点を指摘する。
本文を読む →PDF(A4・22頁) →関連:ブロイラー=エー論文 →
2026·8Commentarius
エーの評価とヤスパースの批判は同じ書物に届いているか
Eugen Bleuler, Naturgeschichte der Seele und ihres Bewußtwerdens (1921) — le monisme mnémique de Bleuler, entre l’éloge d’Ey et la critique de Jaspers
アンリ・エーが「フランスでは統合失調症に関する著作よりもさらに知られていない」と評し、ブロイラー自身が統合失調症論文より高く買っていたという『魂の自然史とその意識化。要素心理学』(Berlin: Springer, 1921)全 338 頁の章別解題。四部構成の各節を独語原文と印刷頁番号つきで再構成する——哲学への宣戦と心身平行論の否認、「思惟する実体は存在せず、思惟する機能が存在する」に至る意識の導出、著者自身が認める「大きな空隙」、記憶痕(Engramm)論の本体と「すべての細胞は記憶痕担体から」という細胞理論の書き換え、連合の選択を統べる思考目標・布置・切替、自閉的思考の dereierendes Denken への改名とその理由、ErgieSchaltungSpannungPsychokym という四つの造語、そして目的概念の適用を禁じる終章。最終章では、エーの「原子論的・連想主義的だが明確に動力学的」という評言と、ヤスパースの「理念の図式であって現実の認識の探究可能な対象ではない」という批判とを、本文に一つずつ突き合わせる。鍵はヤスパースが精神様体の内容として挙げた三項目——記憶(ムネーメ)的諸機能・統合・構造と力の合目的性——にある。前二項は 1921 年にすでに完全な形で存在し、第三項のみが 1921 年には明示的に禁じられている。1925 年の『精神様体』が加えたのは新しい素材ではなく、素材の統合と、目的性に対する態度の転換であった。
本文を読む →PDF(A4・24頁) →English Ⅲ(解題) →本論文 →
2026·8Commentatio biographica
フーコー以後の精神医学史を書き換えたひとりの臨床医のために
Gladys Swain (1945–1993) — une vie, une généalogie intellectuelle, une réception
フーコー『狂気の歴史』以後の精神医学史記述を書き換えた精神科医グラディス・スウェイン(1945–1993)の、日本語では初となる人物紹介。ゴーシェの二篇の序文を基本典拠に、恵まれぬ出自と1965年の政治的形成、フーコー・ラカン・反精神医学の知的風土、1968年の精神医学の神経学からの分離(エーらの白書運動)が開いた自律的精神科課程の第一世代という制度的位置、そして病と沈黙(1987–93)までの生涯を素描する。ついで、メルロ゠ポンティとアロンがルフォールにおいて交差し、カーンのゴーシェを経て『リーブル』創刊号のスウェインへ至る系譜を文書で跡づけ、アルチュセール=フーコー線に偏してきた日本の「フランス現代思想」地図に、反全体主義のもう一本の線を書き入れる。共著者ゴーシェのその後(『脱魔術化された世界』から移民論争、英語圏での再評価まで)、ポステルの実証史とシーゲル序文における受容、フランスの医師資格制度(thèse d'exercice と職階表記)についての詳細な注、簡注付き著作目録を収め、本紀要のスウェイン関連諸論文——ピネル発祥論・フーコー批判論・『人間精神の実践』論——の共通の参照先(人物・系譜・書誌のハブ)となることを意図する。
本文を読む →PDF(A4・9頁) →English →
2026·8Dissertatio
古代日本の王権と宗教的権威の変容を理解するために——エリアーデ・キャンベル・ルイスの座標系と二つの事例研究
Étude sur le chamanisme — Le système de coordonnées d’Eliade, de Campbell et de Lewis, avec deux études de cas : Jingū et Himiko
エリアーデ・キャンベル・ルイスを三本柱として、シャーマニズム理解のための座標系——脱魂/憑依という技法の軸、中心的/周辺的憑依という権威の座の軸——を組み立て、その上で神功皇后の託宣(憑依型・周辺的)と卑弥呼の鬼道(憑依型・中心的)を双対の事例研究として定位する理論篇。あわせて、この座標系が巫女制度・住吉信仰・神楽・八幡信仰・修験道という日本的変容をも一貫して記述しうることを示す。また、邦訳がなく日本には紹介されてこなかったアンリ・エーの遺著『医学の誕生』のシャーマン論を導入し、「シャーマンは病者か」論争の布置と規範性による論駁、Ergriffenheit/Besessenheit の対概念、デュルケームの沈黙の読み直しを経て、エーが職能の中心に据えた治病を二人の巫女王がともに欠くこと——巫女王という型が治病なき託宣特化型として切り出されること——を論じる。姉妹篇「エー『医学の誕生』のシャーマン論 案内」と同時公開。
本文を読む →PDF(A4・32頁) →English Ⅰ(概論) →English Ⅱ(二女王) →
2026·8Editio princeps
アンリ・エーの遺稿と、アンテ=メディシンという概念
Henri Ey, Naissance de la médecine — le stéréotype magico-animiste : présentation et discussion
エーが死の直前まで書き継ぎ、モレルの校訂によって1981年に世に出た遺著のうち、シャーマンを論じた二節(CREHEY 版56–76頁)を紹介する。邦訳はなく、日本にはこれまで紹介されていない。中心テーゼは、魔術=アニミズム的世界には「病気」という範疇がなく、あるのは「禍(わざわい) Mal」だけだというものであり、そこからシャーマニズムはアンテ=メディシンかつアンチ=メディシンとして医学のに置かれる。あわせて、聖なるものの求心的認識と客観的認識の遠心的な道という本書の leitmotiv、トランスを「夢のごとし」と呼ぶ器質力動論との接続、ErgriffenheitBesessenheit というドイツ語圏精神病理学の対概念、そして「シャーマンは病者か」論争の1860—1970年の布置と、それに対するエーの規範性による論駁を扱う。この論駁が ICD-11 CDDR の文化的例外条項と同じ論理構造を持つことを示し、最後に、大和古代史覚え書きのシャーマニズム論考へ接続しうる四つの継ぎ目を挙げる。
本文を読む →PDF(A4・15頁) →English →
2026·7Dissertatio
稗田阿礼と太安万侶——証拠のありかたと、決定可能性の閾
Vnvs liber, duo nomina — Hieda no Are et Ō no Yasumaro: de indiciis et de limine decidendi
『古事記』序文は、この書物の成立に関わる二つの名を伝える。稗田阿礼と、太朝臣安萬侶である。しかし二つの名を支える証拠は、量においても種類においても釣り合っていない。安万侶には墓誌がある——四十一字の銘、『続日本紀』に三度記される位階の推移、卒伝、父と伝えられる人物の軍功、氏族の系譜。阿礼には序文の十数字しかない——「時有舎人。姓稗田名阿礼。年是廿八」。墓もなく、位階もなく、正史はこの名を一度も記さない。そして議論の帰趨は、この差にきれいに対応している。安万侶については四つの物証から一人の実務官人の像が再構成でき、争点は細部に限られるのに対し、阿礼については百年を超えて四つの読みが並立し、決着しない。本稿は『古事記』の成立過程を論じるのではなく、この対照そのものを論じる。第一部は安万侶を対照条件として扱い、決まらないことについても「何が出れば決まるか」を指定できることを示す。第二部は阿礼の資料体を数え上げ、四つの読みがいずれも同じ十数字の上に立つことを確認したうえで、決定を妨げているものを、リチャード・ガスキンによる「語彙的方法 lexical method」批判を手がかりに分析する——ある語がないことは、その語の指すものがないことを意味しない。そして阿礼の場合、事態はその裏側にある。語はある。しかし語があることも、また何も決めない。積極的に主張するのは一点のみである。長期の集合的過程を一人の名と一回の事業へ凝縮する「名祖化」の操作は実在し、その跡は古事記序文にも、ペイシストラトス校訂伝説にも、そして近代の稗田にも同じ形で残っている。この主張には反証条件を明示した。第三部では、二つの名のあいだのこの非対称がどこから来るのかを問い、その答えを、証拠の多寡ではなく、互いに独立に成立した史料がいくつ重なり合うかに求める。阿礼について「決められない」と結論することは、判断の放棄ではない——どのような史料が新たに現れれば決着するのかを、本稿はあらかじめ具体的に指定するからである。
本文を読む →PDF(A4・26頁) →
2026·6Dissertatio
恐怖はいかにして「病気」になったか、そして「鬱」との境界はなぜ溶けるのか
A Conceptual History of Anxiety — How Fear Became "Illness," and the Dissolving Border with Depression
ヒポクラテスのメランコリアからアリストテレス『問題集』第30巻を経て、デカルト・スピノザの情念論における不安の構造的不在、キルケゴール・ハイデガーを跳躍点に、フロイトの「不安神経症」から「シグナル不安」への理論転回、DSM-III革命とSSRIによる「不安から鬱へ」の重心移動、そしてICD-11「混合抑うつ不安症」に至るまでを、古代メランコリア的統合の現代的復権として位置づける不安概念の通史。
本文を読む →PDF(A4・20頁) →
2026·5Dissertatio
解離性遁走の診断と、その先の精神病理学
Stéphanie dans « Adieu » de Balzac — Du diagnostic (CIM-11) de la fugue dissociative à la psychopathologie classique
ベレジナ渡河の惨劇を境に自己と過去を失い、外傷の最終語「アデュー」だけを反復しつづけるバルザックの女主人公を試金石に、外傷性の精神変調を二つの水準から照らす。第一は記述と分類の水準——彼女は ICD-11 によって確実に診断でき(解離性健忘 6B61.0〔遁走を伴う型〕+随伴記載 6B60.5〔発話の障害〕)、その診断可能性は遁走の旧要件の不採録・転換概念の廃止・外傷との時間的関連要件の削除という ICD-10 からの一連の是正の成果である。操作的分類はむしろ心因反応概念の精神を記述の水準で洗練した。第二は精神病理学的考察の水準——だが分類は、なぜ記憶が外傷を中心に脱落し、なぜ発語が一語へ縮減して意識の統御の外で自律反復するのかを一言も語らない。ジャネの解離・固定観念・自動症、アンリ・エーの器質力動論と〈粉砕 対 全体性〉、ヤスパースとシュナイダーの病的反応論・第三条件批判が、いまも不可欠である。〈ジャネの再興〉をめぐる「解離」の語の仏英分岐と、再演による暴露か受容的・安定化優先の関わりかという治療上の対比を補節に添える。
本文を読む →PDF(A4・16頁) →
2026·5Dissertatio
接続法第II式・妄想知覚・幻覚定義をめぐって
Rezeption und Transformation der Schneiderschen Psychopathologie im DSM — Konjunktiv II, Wahnwahrnehmung und die DSM-5-Halluzinationsdefinition
Moritzら2024年の国際的専門家調査——136名のうち約半数がDSM-6への一級症状再導入を、約八割がDSM-5幻覚定義の改訂を求めた——を起点に、シュナイダー『臨床精神病理学』第14版独語原典へ立ち戻る。接続法第II式(Konjunktiv II)による方法論的留保の喪失、妄想三形式のうち唯一直説法「immer」による断言を許された妄想知覚(Wahnwahrnehmung)の全DSM版からの欠落、幻覚定義への知覚強度要件の付加——この三つの変容を、Richarz 1848年からFalret 1864年、Jaspers 1913年に至る「内容よりも形式」の系譜とHuber/Grossによる正統的継承のうちに位置づけ、Carpenterらの特異性批判が踏み外した地点を検証する。シュナイダー精神病理学の核心が症状リストにではなく診断行為そのものの方法論にあることを論じる。
本文を読む →PDF(A4・26頁) →English Ⅰ(文法篇) →English Ⅱ(DSM篇) →
2026·5Dissertatio
『狂気の歴史』から『臨床医学の誕生』への軌跡──二つの方法論、二つの批判──
Le tournant intellectuel de Michel Foucault — De l'Histoire de la folie à la Naissance de la clinique — deux méthodes, deux critiques —
『狂気の歴史』と『臨床医学の誕生』への批判の質的差異を出発点に、考古学から系譜学への方法論的転回、告発者から記述者への語りの変容、権力概念の変容を追跡する。ヤスパース=シュナイダーの認識論的遺産とDSM-IIIの操作主義、Prozessと Entwicklungの問題を横断しながら、精神科医にとってのフーコーの読み方を「道具箱」として論じる。
本文を読む →PDF(A4・19頁) →
2026·5Dissertatio
ブロイラーの精神医学体系とその誤解された受容
Henri Ey et Eugen Bleuler — La conception bleulérienne et sa réception faussée dans la psychiatrie française
1925年ピレネー山麓でのエーによるブロイラー翻訳作業に始まり、1926年ローザンヌ会議、1940年講演を経て現代の Kapsambelis 教科書、ICD-11 へと至るブロイラー=エー伝統の再構成。連合弛緩概念の哲学史的位置づけとフランス精神医学への遺産。
本文を読む →PDF(A4・28頁) →English Ⅰ(体系篇) →English Ⅱ(受容篇) →English Ⅲ(解題) →補論:ブロイラー『魂の自然史』解題 →
2026·5Dissertatio
精神医学の覇権移動とその政治経済的背景
De Pinel à Kraepelin — Le déplacement hégémonique de la psychiatrie et son contexte politico-économique
エリック・エングストローム『帝政ドイツの臨床精神医学』、ジャック・ホックマン『精神医学の歴史』、ジャック・ポステルのクレペリン論を並べて読み、ピネルからクレペリンに至る精神医学の覇権の移動を、政治経済的な文脈と方法論への反省を織り込みながら見渡す論考。空間の閉鎖から時間の閉鎖への置き換えという方法論上の事件を中心に据え、普仏戦争後の非対称な国家財政条件を、制度的覇権が成り立った条件として読み解く。
本文を読む →PDF(A4・19頁) →
2026·5Dissertatio
Weygandt 1899年からICD-11 2022年まで
Généalogie de la doctrine des états mixtes maniaco-dépressifs — de Weygandt à la CIM-11
1899年ハイデルベルクの Weygandt 教授資格論文から ICD-11 2022年における混合エピソード復権までの123年の概念史的軌跡。Kraepelin・Jaspers・Schneider・Henri Ey・Malhi-Bell の三極横断的読解と、Kapsambelis 教科書 F 夫人例による哲学的議論の臨床的具体化。
本文を読む →PDF(A4・22頁) →
2026·5Dissertatio
キルケゴール『あれか、これか』によるモーツァルト読解をめぐって
Don Giovanni, ou le portrait de celui qui ne connaît pas l'angoisse
キルケゴールが『あれか、これか』の音楽論で「天才的作品の中の天才的作品」と呼んだモーツァルト《ドン・ジョバンニ》。「不安とは自由の眩暈である」と書いた哲学者が、なぜ不安を微塵も知らぬ男の物語を愛したのか。デンマーク語原典邦訳に英・独・仏各訳を突き合わせながらこの問いを入り口に、「精神を持たない者とはいかなる存在か」を精神科医の視点から考察するエッセー。
本文を読む →PDF(A4・6頁) →
2026·5Dissertatio
アンリ・エーの哲学的反駁、クロード・ケテルの史料実証、スウェインとゴーシェのピネル再評価、およびロベール・カステルの「否認せざる批判」
Les critiques de l'Histoire de la folie de Michel Foucault : quatre piliers et deux types
フーコー『狂気の歴史』への批判を、四本の柱——エーの哲学的反駁、ケテルの史料実証、「大監禁」テーゼの数量的検証、スウェインとゴーシェによるピネル再評価——と、否認せざる批判という第二の型(ロベール・カステル『精神医学的秩序』)として再構成する。序節では、カステルの証言に拠り、本書がフランスでは 1961 年から 60 年代半ばまで科学認識論の学術書として受け止められ、反精神医学の旗印として読まれるのが 1968 年以後であることを確認し、四本の柱をその年代のなかに置く。扱うのはフランス語圏で精神医学の側から行われた批判の系譜であり、デリダのデカルト論争、患者史・ジェンダー史・植民地精神医学史は射程の外に置き、英米の社会史学とゴードンの 1990 年の論争からはフランスに関わる論点だけを取り込む。サルペトリエールの「狂女 6 %」は当時の診断分類による下限値であり、「大監禁」反駁の根拠は収容者に占める割合ではなく、収容区分の明確さと制度の救貧的性格にある。批判全体の見取り図と各章冒頭の図解(Fig. 1–7)により、概略は図だけでも追える。
本文を読む →PDF(A4・38頁) →
2026·4Dissertatio
ピネルからエスキロールへ、七月王政から第三共和政へ
Esquirol et la loi de 1838 — Mythe, institution et pouvoir dans la psychiatrie française
1838年フランス精神疾患患者法の理論的基盤を提供したエスキロールの生涯と業績を、ポステル、スウェイン、ガラベらの批判的精神医学史研究に依拠し、政治史・思想史・神話論の三層から再構成する。人道主義的改革者か権力志向の野心家かという二元論を超え、両側面が結合した「逆説的現代性」の人物としてエスキロールを描き、スキピオン・ピネルによる「クートンとの対決場面」創作の深層構造、第三共和政期におけるピネル神話の完成、1838年法の国際的影響と現代フランスの法改正までを扱う。同法の行政的収容が民法典の禁治産手続という司法的障壁を迂回する制度的応答であった点(カステル)にも触れる。第22版(2026·9)で新設した第七章は、この法を国家の側から見直す——ギゾーに代表される七月王政の統治理念、内務省と県知事の行政国家の論理、司法権と行政権の管轄争いとしての議会審議、民法典の禁治産が守っていた家族と財産の私法秩序への公法的介入——ことで、エスキロールの医学が行政の要請に「行政化可能な」形式を供給し、司法の関門なしに身体の自由を制限するための科学的追認として機能したことを示す。第23版(2026·9)では、ゴールドスタイン『Console and Classify』の現物照合により、この上下の構図に第三の水準——エスキロールが1817年の講義から地方施設に配置した弟子たちの職能集団、キリスト教道徳協会に発する内務省の行政官僚、禁治産の関門を守った司法専門職という中間層——を加え(新節7.5)、精神医学層と行政層の同盟の定式「隠された行政」が1818年の『覚書』から法文に至る過程を再構成し、1822–23年の継承と1827年の殺人モノマニー「覚書」の叙述を書き改めた。収容を下から要請した世帯と地域の側の分析は姉妹論文「1838年法の政治経済学」に委ねる。
本文を読む →PDF(A4・39頁) →English edition →
該当する論文が見つかりませんでした。検索語を変えてお試しください。

訳語に関する注記

アジル(asile) フランス語の asile(asile d’aliénés)は、本紀要ではこれまで「アジール」と表記してきたが、今後は原音に近い「アジル」に統一する。「アジール」はドイツ語 Asyl の音であり、日本語ではヘンスラー『アジール権の諸形態』や網野善彦『無縁・公界・楽』を通じて、聖域・避難所を指す歴史社会学の概念語として定着した。ゴーシェ、ケテルらが論じる asile d’aliénés は、この概念とは別の、19 世紀フランスの一つの制度の名であるから、表記を分けて余計な連想を避ける。クロード・ケテル『狂気の歴史——古代から今日まで』(髙内茂・大原一幸訳、時空出版、2024)の表記にも合わせる。既刊の論文の「アジール」は、各論文をつぎに改訂するときに改める。網野的な「アジール」の概念そのものに触れる箇所があれば、そこは「アジール」のままとする。(2026 年 9 月 17 日)