YRID Bulletin — No. XII

アンリ・エーとクロード・ケテルによる
ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』に対する批判

「大監禁」の実証的検証と
グラディス・スウェインによるピネル再評価を含む
Critiques d’Henri Ey et de Claude Quétel
contre l’Histoire de la folie de Michel Foucault
松石 竹志 Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D.
改訂版 · rev. v12 · MMXXVI
はじめに

ミシェル・フーコーの代表作『狂気と文明——古典主義時代における狂気の歴史』(1961年)は、人文科学に革命的な影響を与えた一方で、刊行直後から激しい批判にもさらされた。特に、精神科医アンリ・エー(Henri Ey, 1900-1977)と歴史家クロード・ケテル(Claude Quétel, 1935-)による批判は、フーコーの中心的テーゼに対する根本的な異議申し立てとして注目される。

しかし、これらの重要な批判的文献は日本ではほとんど紹介されておらず、日本語訳も存在しない。エーの『ミシェル・フーコーの「狂気の歴史」についての批判的考察』(1971年)や、ケテルの『フーコーによる福音書』を含む精神医学史研究は、フーコー受容史において欠かすことのできない視点を提供している。

本論文は、これらの未紹介資料を詳細に検討することで、フーコー批判の論理と意義を明らかにし、現代における精神医学と権力をめぐる議論に新たな視座を提供することを目的とする。エーの臨床医としての哲学的反論、ケテルの歴史家としての実証的反駁、「大監禁」の実態に関する検証、そしてグラディス・スウェインとマルセル・ゴーシェによるピネル再評価——この四つの柱を通じて、フーコー批判の全体像を提示する。

なお、エーの精神医学理論の根幹をなす「精神疾患は自由の病理である」という概念の哲学的系譜については、別稿「アンリ・エーの精神病理学における自由概念——ヨーロッパ精神史の系譜から臨床精神医学へ」[1]において詳述した。本論文は、そこで展開したエーの理論的基盤を前提として、フーコー批判の具体的内容に焦点を当てる。

第 1 章 アンリ・エーによるフーコー批判の核心
1.0 批判の歴史的文脈——1969年トゥールーズ会議

エーによるフーコー批判の論文が発表される以前に、両者の対立はすでに生きた知的対話の場で火花を散らしていた。この歴史的文脈を再構成する上で、パトリック・クレルヴォアによるエーの評伝(第6章「闘い」)は不可欠な証言を提供している。

フーコーの『狂気の歴史』は、1968年5月の学生運動の余波のなかで大規模な反精神医学運動を触発した。こうした情勢を受け、「進化精神医学」(L’Évolution Psychiatrique)グループは、1969年にトゥールーズで開催した年次情報会議のテーマとして、フーコーの著作をめぐる問題を取り上げた。クレルヴォアは、エーがこの会議において「ミシェル・フーコーの著作で提示された精神医学のイデオロギー的観念に真っ向から異議を唱えた最初の人物であった」と述べている(クレルヴォア、第6章)。

会議では、エーによる主報告の後、活発な討論が展開された。ポロは、当時クレルモンフェランの文学部教授であったフーコーが当地の精神衛生サービスを混乱させたと訴えた。オーバンは「病気は、それを病気として認識する文化の中でのみ、その現実性と価値を持つ」というフーコーの言葉を引きながら、あらゆる文化で観察される抑うつやメランコリアの病的恒常性を反論として示した。カンメラーは1967年のストラスブールで「状況主義者」を名乗る学生たちが大学の心理学支援室を廃止させた事例を報告した。ミンコフスキーはフーコーのテーゼを広大な思想の流れのなかに位置付け、ルアールは「文化が人間を運ぶのではなく、人間が文化を構築する」ことを強調し、ゴンザレスは「狂気を生んだのは人間自身ではなく、狂気は人間とともに生まれた」と論じた。

こうした圧倒的な批判の後、エーは会議の締めくくりに際して印象的な言葉を残している。クレルヴォアはそれを次のように伝える。

ミシェル・フーコーが、私に罪の意識を与えたのではなく、精神医学の正確な限界——それだけがその基礎となりうる限界——を私たちに思い起こさせてくれたのだとしたら、ここで責めを負わされた後、彼の知的勇気が拒むであろう謝罪ではなく、私たちの感謝を受け取ってもらおう。
— クレルヴォア、第 6 章

この言葉は、エーという人物の複雑さを雄弁に物語っている。後に「精神医学殺し」という激烈な造語を用いてフーコーを糾弾した人物が、同時にフーコーの「知的誠実さ」を認め、感謝を捧げることができた——。この逆説的共存は、フーコー受容史の本質的な一側面を示している。批判者は論敵を否定するためではなく、精神医学という学問の輪郭を鮮明にするために戦ったのである。この視点は、以下で詳細に検討するエーの論文(1971年)における賞賛と批判の弁証法的構造とも深く共鳴する。

1.1 争点の明確化:自然か文化か

エーは1971年の論文冒頭で、フーコーとの論争の本質を鋭く定式化している。

私たちがそれを望もうと望むまいと、精神医学的知識と行動の基盤そのものは、本質的にそして唯一「精神疾患」という概念に依存している。これが自然現象であるなら、それは必然的に人間の(特定かつ個人的な)組織の病理学的側面として現れる。逆に、それが文化的産物であるなら、1855 年にブスケが言ったように「組織の外部」に現れ、社会集団の圧力と表象にのみ依存することになる。つまり、精神医学の起源の問題は、人間性から見た精神疾患の現実の問題と同一視される。[2]

この対立をさらに明確化し、エーは次のように述べる。

したがって、私たちがここに集まっているような議論の争点は非常に明確である:それは精神疾患の概念の精神的性質に関するものである。あるいはそれは自然な病理学的現実であり、人間の責任の不幸な軽減であるか——あるいはそれは文化的人工物であり、社会的抑圧の醜悪な結果であるかのどちらかである。いずれの場合も、問題となるのは人間の自由である:それは自分自身の内部で疎外された精神疾患を持つ個人の自由か——あるいはすべての人間を疎外する社会全体の自由かである。[2]
1.2 「根本的特異性」としての個人性

エーの精神医学理論の核心をなすのは、精神疾患の「根本的特異性」である。

精神疾患の概念は個人という考えの必然的帰結である。個人的地位、あるいは言い換えれば根本的な特異性を含まない精神疾患は存在しない。[2]

この「根本的特異性」は、精神疾患が決して一般化可能な現象ではないことを示している。統計的な傾向や社会的パターンは存在するが、精神疾患は常に特定の個人における、その人固有の病理として現れる。

1.3 ルネサンスにおける個人の発見

エーの最も重要な歴史的反論は、精神医学の誕生時期に関するものである。フーコーが精神医学の誕生を啓蒙時代の合理主義と結びつけるのに対し、エーは断言する。

精神医学の誕生の時期はルネサンスに対応している、まさにあのように素晴らしい(美的で神秘的な)非理性が花開いた時代に。現時点でまず指摘したいのは、精神医学の誕生は啓蒙時代の合理主義の影響でも、奴隷制社会の専制的制度の帝国主義の影響でもなく、それが資本主義社会のブルジョワ制度によって引き継がれたわけでもないということである。[2]
狂気が病気として出現したのはルネサンス期だと述べることは、我々にとって歴史的真実を述べることであるが、それはとりわけ歴史的・語源的意味において、精神疾患の本質(フュシス)に原初的に立ち返ることである。なぜなら、その出現が不可能だったのは、中世の呪術、魔法、迷信、そして「自動焚書」の下に隠されていた神話の厚みによるものであり、それが可能になったのは、その本質の発見によってのみである。つまり、超自然的な出現としてではなく、精神組織の自然に反した逸脱として可能になったのである。[2]
1.4 「個人心理学」の誕生とその意義

エーは、ルネサンスにおける変化をより具体的に「個人心理学」の誕生として説明している。

そして実際、狂気の出現がルネサンスの歴史的・文化的条件と何らかの関係があるとすれば(そして関係はある)、それはまさにこの時代が、現代の反人類学の観点からすれば「素朴」であるように見える言葉で呼べるものの到来の時代だからである。すなわち「個人心理学」、あるいはさらに良く言えば、人格の価値の到来である。[2]

この「個人心理学」の誕生は、人間が自らの内面世界を持つ主体として認識されるようになったことを意味する。中世においては、人間の異常な行動や精神状態は「神の意志」「悪魔の仕業」として理解されていた。ルネサンスにおいて初めて、それらが個人の内的な病理として認識されるようになったのである。

1.5 「大監禁」理論への反駁

フーコーの中心的テーゼである「大監禁」理論に対し、エーは全く異なる解釈を提示する。

したがって、精神病を医学的自然科学の対象として奉ずること自体が、聖なるもの、神話的なもの、詩的なものから分離したのである。まさにそれによって、精神病は人間の狂気として、存在の秘密と私的なものへと堕ちたものとして現れた。人間が個人的な意識的存在である限りにおける組織のこの墜落、その原初的な受肉の底までの墜落、この無意識の地獄への下降、睡眠と夢がモデルを提供するこの存在論的革命、存在の解体のこれらすべての側面こそが——そしてそれらだけが——精神医学の対象なのである。[2]

17世紀の収容制度についても、エーは理性による非理性の抑圧ではなく、狂気の医学的性質の発見の結果として解釈している。

1.6 構造主義批判としての側面

エーの議論は、1960年代フランスで隆盛を誇った構造主義への批判としても読むことができる。

すべての思想、すべての文化、自我とその世界の関係、心理学と社会学の関係、自然と文化の関係に関するイデオロギー的論争、まさにルネサンス以来の現代思想の流通を構成するすべては、人間性のこの中心的テーマをめぐる広大な省察である:人間存在の存在論的構造。[2]

構造主義者たちが人間の「脱中心化」を主張しても、それでもなお「人間」という問題は残り続ける。精神医学は、まさにこの消去不可能な「人間性」の病理を扱う学問なのである。

1.7 デリール(délire)論をめぐる批判と評価
Reader’s note

以下の考察に入る前に、議論の核心を予め示しておく。精神医学には、フランス語で同一の「délire」という語が指す臨床的に全く異質な二つの現象がある——(a)意識が混濁した夢幻状態で生じる「せん妄(delirium)」と、(b)意識は清明でありながら現実の偽造が起きる「妄想(delusion)」である。フーコーは「デリールの超越」章で狂気を本質的に「覚醒した夢」として定式化したが、これは(a)には妥当するとしても(b)の説明には原理的に不十分である。エーの批判はこの点に向けられており、以下ではフーコーの議論の構造を確認しながら、その批判の射程を追う。

エーのフーコー批判のなかで、これまで十分に注目されてこなかった論点がある。それは、フーコーの『狂気の歴史』第二部「デリールの超越」(Transcendance du Délire)章に対するエーの批判と評価である。この箇所は、エーの批判が単なるイデオロギー的対立ではなく、臨床的精神病理学の専門的知見に裏打ちされたものであることを最も鮮明に示している。

エーの議論は、①フーコーが哲学的水準では正しく狂気の構造を「感じ取っていた」ことを認める、②しかし délire 概念の臨床的区別の欠如を指摘する、③その欠如がフーコーの理論的枠組み全体を転覆させることを示す、という三段階の弁証法的構造をとっている。以下ではこの構造を順次追いながら、エーの批判の射程を明らかにする。

ここで、精神医学における délire という語の特殊性について注記しておく必要がある(注 3)。フランス語の délire は、精神医学の専門用語として二つの異なる臨床概念を包含する。一つは意識の障害を伴い多くは身体的原因に基づく可逆的な状態であり、英語では delirium、ドイツ語でも Delirium と表記され、日本語では「せん妄」と訳される。もう一つは、意識が清明であるにもかかわらず現実ではない事柄を確信している状態であり、英語では delusion、ドイツ語では Wahn と表記され、日本語では「妄想」と訳される。英語圏・ドイツ語圏の精神医学ではこの二つは明確に区別されるが、フランス語の délire はその両方を含みうる。この二義性こそが、エーによるフーコー批判の核心的論点の一つとなる。

1.7.1 フーコーの「デリールの超越」章——その議論の構造

まず、フーコーが「デリールの超越」章においてどのような議論を展開しているかを確認しておこう。この章でフーコーは、古典主義時代の医学文献を渉猟しつつ、デリールが狂気のあらゆる形態に潜在する超越的構造であることを論じている。

フーコーの議論は三つの段階から成る。第一に、夢と狂気の同質性に関する分析である。フーコーはザッキアスの分析を引きながら次のように論じている。

Rêve et folie apparaissent alors comme étant de même substance. Leur mécanisme est le même ; et Zacchias peut identifier dans la marche du sommeil les mouvements qui font naître les rêves, mais qui pourraient aussi bien dans la veille susciter les folies. [...] « Non aliter evenire insanientibus quam dormientibus. »
夢と狂気は同一の実質から成るものとして現れる。そのメカニズムは同一であり、ザッキアスは睡眠の進行のうちに夢を生み出す諸運動を同定することができたが、それらの運動は覚醒時にも同様に狂気を惹起しうるものであった。〔…〕「狂人に起こることは夢見る者に起こることとまったく異ならない。」[8]

第二に、しかし夢幻的なものだけでは狂気を構成しえないという認識である。フーコーは続けて明確に述べている。

Mais il n’est pas erroné. Et c’est en cela que la folie ne s’épuise pas dans la modalité éveillée du rêve, et qu’elle déborde sur l’erreur. [...] Il y aura folie lorsqu’aux images, qui sont si proches du rêve, s’ajoutera l’affirmation ou la négation constitutive de l’erreur.
しかし〔夢は〕誤謬的ではない。そしてまさにこの点において、狂気は夢の覚醒時の様態のうちに汲み尽くされるものではなく、誤謬の上にあふれ出るのである。〔…〕夢にきわめて近い諸々の像に、誤謬を構成する肯定もしくは否定が加わるとき、そこに狂気が生じるのである。[8]

第三に、これらの分析の帰結として、デリールがすべての精神の変調において暗黙的に存在するというテーゼが提示される。

Ce délire implicite existe dans toutes les altérations de l’esprit, même où on l’attendrait le moins. Là où il n’est question que de gestes silencieux, de violences sans mots, de bizarreries dans la conduite, il ne fait pas de doute pour la pensée classique qu’un délire est continuellement sous-jacent, rattachant chacun de ces signes particuliers à l’essence générale de la folie.
この暗黙のデリールは、精神のあらゆる変調のうちに存在する。それが最も予期されないところにおいてさえ。無言の身振り、言葉のない暴力、行動における奇矯さだけが問題であるところでも、古典主義的思考にとっては、デリールが絶えず潜在しており、これらの個別的な徴候のそれぞれを狂気の一般的本質に結びつけていることに疑いはない。[8]

そしてフーコーは、その分析の帰結を次のように凝縮している。

Ce délire, qui est à la fois du corps et de l’âme, du langage et de l’image, de la grammaire et de la physiologie, c’est en lui que s’achèvent et commencent tous les cycles de la folie. C’est lui dont le sens rigoureux les organisait dès le départ. Il est à la fois la folie elle-même, et au-delà de chacun de ses phénomènes, la transcendance silencieuse qui la constitue dans sa vérité.
このデリール——身体と魂に、言語と像に、文法と生理に同時に属するもの——のうちにおいて、狂気のすべての循環は完結し、また始まる。その厳密な意味が当初からそれらを組織していたのは、このデリールにおいてである。デリールは同時に狂気それ自体であり、かつ狂気の個々の現象の彼方にあって、狂気をその真理において構成する沈黙の超越性なのである。[8]
1.7.2 エーの賞賛——構造分析の達成

エーは、このフーコーの構造分析の能力に対して率直な賞賛を表明している。フーコーが18世紀の著者たちの狂気論を分析した箇所について、エーは次のように述べる。

Ici [p. 223-227], M. Foucault atteint véritablement le niveau d’une analytique structurale qu’il prête aux auteurs du siècle des Lumières mais dont le mérite paraît lui appartenir à un point tel, qu’il peut nous faire regretter que, capable de tant de pénétration, il se soit condamné lui-même à tenir cette pénétration des structures de la folie dérisoire...
ここ〔p. 223-227〕において、フーコー氏は啓蒙時代の著者たちに帰している構造的分析論の水準に到達しているのはまことであるが、その功績はむしろ彼自身に属するように思われるほどであり、それゆえにこそ、これほどの洞察力を備えながら、狂気の構造に対する洞察を取るに足らないものと見なすよう自ら宣言したことが惜しまれるのである……[2]

この賞賛は、「デリールの超越」章全体にも及んでいる。

Ce chapitre (Transcendance du Délire) déconnecté du contexte polémique et apologétique de l’ouvrage peut être considéré comme une excellente contribution à l’historique du « Délire ».
この章(「デリールの超越」)は、著作全体の論争的・弁護論的文脈から切り離して読むならば、「デリール(妄想・せん妄)」の歴史に対する卓越した貢献と見なすことができる。[2]

さらに、フーコーが夢幻的なものと誤謬的なものの区別を——少なくとも哲学的水準では——直観的に把握していたことも、エーは率直に認めている。

Mais, par contre, il est bien vrai que M. Foucault a bien « senti » que le Délire, le vrai Délire, quand il ne se réduit pas à l’onirique est, en tant qu’erroné, une forme en quelque sorte absolument « oblitérée » et « gâtée » de l’erreur humaine, de sa tragique et fausse illumination ; car même quand il jaillit avec l’éclat d’une fulgurante vérité il est toujours éblouissement et aveuglement.
しかし他方、フーコー氏がいわゆる妄想——夢幻的なものに還元されないデリール——が、誤謬的なものとして、人間の誤りの、その悲劇的で偽りの啓示の、いわば絶対的に「抹消された」「損なわれた」形態であることをよく「感じ取っていた」というのは確かに事実である。なぜなら、デリールは閃光のような真理の輝きをもって迸るときでさえ、常に眩惑であり盲目であるからだ。[2]

注目すべきは、これらの賞賛がいずれも条件付きであることである。エーがフーコーを称えるのは、つねにフーコーの議論を『狂気の歴史』全体の論争的枠組みから「切り離して」読んだ場合においてであり、またフーコーがデリールの本質を「感じ取っていた」(a bien « senti »)と述べるとき、その表現自体が、哲学的直観と臨床的概念化のあいだの距離を含意している。エーの賞賛は、次節で展開される批判の前提——フーコーには狂気の構造を把握する能力があったにもかかわらず、その能力を十全に発揮しなかった——を構成しているのである。この点は、1.0 節で見たトゥールーズ会議の閉会の辞——「謝罪ではなく感謝を」——とも照応している。賞賛と批判の弁証法は、エーとフーコーの関係を単純な敵対に還元することを許さない。

1.7.3 エーの批判——臨床的区別の欠如

エーの賞賛は、しかし核心的な批判と不可分である。エーが問題にするのは、フーコーが délire という概念の臨床的多義性を十分に把握していないという点である。

M. Foucault ne maîtrise pas entièrement ce problème (intelligible seulement pour qui discerne exactement les sens différents des mots « Délire » et « Wahn », au fond, la différence entre l’onirique et l’erroné dans l’expérience et le discours des délirants), ses réflexions et sa documentation doivent faire beaucoup réfléchir notamment en ce qui concerne les causes anatomiques immédiates et les rapports du Délire et du rêve dans l’œuvre de Zacchias, ou encore le caractère implicite du Délire.
フーコー氏はこの問題を完全には把握していない(この問題は、「Délire」と「Wahn」という語の異なる意味を——根本においては、デリールを呈する者の体験と言説における夢幻的なもの〔l’onirique〕と誤謬的なもの〔l’erroné〕との差異を——正確に識別する者にのみ理解可能である)。とはいえ、彼の省察と資料は大いに考えさせるものがあり、とりわけザッキアスの著作におけるデリールの直接的な解剖学的原因、およびデリールと夢の関係、さらにデリールの暗黙的性格については注目に値する。[2]

ここでエーが問題にしているのは、精神科医にとっては基本的な臨床的区別である。夢幻的なもの(l’onirique)——すなわち意識の変容を伴うせん妄状態における体験——と、誤謬的なもの(l’erroné)——すなわち意識が清明であるにもかかわらず現実の体系が偽造される妄想体験——とでは、臨床的にも理論的にも全く異なる現象である。

前節(1.7.1)で見たように、フーコー自身もこの区別を哲学的水準では認識していた。夢的な像だけでは狂気にならず、そこに「誤謬を構成する肯定もしくは否定」が加わって初めて狂気が成立するというフーコーの分析は、エーの臨床的区別と実質的に呼応している。しかしエーの批判は、フーコーがこの区別を古典主義時代の認識構造の分析としてのみ扱い、現在の臨床においても根本的に異なる二つの精神病理学的現象として把握していないという点に向けられている。フーコーは哲学的水準でこの区別を「感じ取っていた」が、臨床的水準でそれを概念化する枠組みを欠いていたのである。

エーの賞賛と批判の関係は、ここにおいて明瞭になる。フーコーが「デリールの超越」章で到達した分析は卓越したものであった。しかし、その卓越さは臨床的基盤を欠くがゆえに、フーコー自身の理論的枠組みのなかで十分に活かされることがなかった。エーの惜辞——「これほどの洞察力を備えながら、狂気の構造に対する洞察を取るに足らないものと見なすよう自ら宣言したことが惜しまれる」——は、まさにこの逆説を指している。

なお、エーはフーコーが「狂気における言語」について論じた段落に対しては、ラカン派への追従であるとして一蹴している。フーコーの原文は「言語は狂気の第一にして最後の構造である。それは狂気の構成形式であり、狂気がその本質を表明するすべての循環はこの言語の上に成り立っている」[8]と述べていた。これに対しエーは次のように応じている。

Par contre, le paragraphe sur le langage comme structure première et dernière de la folie nous a paru seulement « plaqué » comme un petit signe d’allégeance fugace à l’idéologie lacanienne.
他方、言語を狂気の第一にして最後の構造とする段落は、ラカン的イデオロギーへのはかない忠誠のささやかな証しとして「取って付けた」だけのものに思われた。[2]

1960年代フランスの知的場において、フーコー、エー、ラカンは複雑な関係にあった。エーはラカンの構造主義的精神分析に批判的であり、フーコーのテクストのなかにラカン的影響を読み取ったとき、それを学問的議論としてではなく知的同盟関係の表現として退けている。

この臨床的欠如は、しかし単なる術語上の問題にとどまらない。フーコーが délire の臨床的多義性——とりわけ l’oniriquel’erroné の差異——を概念化できないということは、より根本的な問いへの答えを持てないことを意味する。すなわち「なぜある人間だけが、すべての人間に潜在するデリールから、個人に固有の顕在的妄想(echte Wahn)へと移行するのか」という問いである。この移行は個人の精神組織の内部的崩壊——理性の弱さ——として起きるのであり、社会的圧力によって説明される「客体化」ではない。エーの次の分析において、この論理的帰結が展開される。

1.7.4 「暗黙のデリール」テーゼ——同意、深化、そして転覆

エーの議論が最も精緻になるのは、フーコーの「デリールの暗黙性」テーゼに対する応答においてである。ここでエーは、フーコーのテーゼを三つの段階を経て——まず同意し、次いで臨床的に深化させ、最後にフーコーの理論的枠組みそのものを転覆させるという弁証法的運動を展開している。

第一の段階:同意。エーはまずフーコーの命題を全面的に受け入れる。

Le Délire, dit M. Foucault [p. 287], est implicite dans toutes les « altérations de l’esprit ». Oui certes, et c’est une thèse que pour mon compte je n’ai jamais cessé de reprendre mais en allant plus loin encore que M. Foucault, en disant d’abord avec lui que le Délire des altérations de l’esprit est implicite ou impliqué dans toutes les modalités de l’esprit humain [...]
フーコー氏は〔p. 287 で〕、デリールはすべての「精神の変調」において暗黙的であると述べている。たしかにそのとおりであり、これは私自身も繰り返し取り上げてきたテーゼである。しかし私はフーコー氏よりもさらに先まで進む。まず彼とともに、精神の変調におけるデリールは人間精神のあらゆる様態において暗黙的もしくは含意されていると述べる。〔…〕[2]

第二の段階:臨床的深化。しかしエーは、フーコーの命題にただ同意するだけでなく、臨床医としてそれを決定的に拡張する。

[...] mais en ajoutant que c’est en définitive le passage de ce délire impliqué chez tous les hommes (dans la sphère de ses désirs ou de son Inconscient) à son explication, c’est-à-dire à son « assomption » dans le système falsifié de la réalité, qui le constitue comme vrai délire (le fameux « echte Wahn » des auteurs allemands).
しかしさらに付け加えて言えば、結局のところ、すべての人間のうちに含意されたこのデリール(欲望の領域、あるいは無意識のうちにある)が、その顕在化へと——すなわち現実の偽造された体系のうちへの「引き受け(assomption)」へと移行すること、それこそがこのデリールを妄想(ドイツの著者たちが言う有名な「echte Wahn」)として構成するのである。[2]

ここでエーが展開しているのは、彼の精神病理学体系(器質力動論、organodynamisme)の核心的命題である。すべての人間の精神には非理性的なもの——欲望、無意識——が潜在している。しかし、この潜在的なデリールが、現実認識の体系そのものを偽造する形で顕在化したとき、それは「妄想」(echte Wahn)となる。フーコーは古典主義時代の著者たちの分析としてこの暗黙性を記述したが、エーはそれを現在の臨床に直結する精神病理学的命題として読み替え、「含意されたデリール」から「真の妄想」への移行という決定的な区別を付け加えているのである。

この「現実の偽造された体系への引き受け」という移行は、社会的構築によっては原理的に説明できない。同じ社会的・文化的環境にありながら、ある者は妄想へと移行し、ある者はしないからである。移行の決定因は、個人の精神組織における統合機能の強度——すなわちエーの言う「理性の弱さ」——にある。この認識から、フーコーの社会構築主義的枠組みへの批判が直接帰結する。

第三の段階:理論的転覆。この臨床的区別は、直ちにフーコーの社会構築主義的枠組みへの根本的批判へと転じる。

Tel est, en effet, le pont-aux-ânes de toute théorie de la Psychiatrie ou de l’Antipsychiatrie. Il s’agit de savoir comment et pourquoi l’homme gonflé d’une Déraison commune à tous passe à la déraison du Délire particulier à quelques-uns. Or, à cet égard, tout recours à la communauté pour expliquer cette singularité est vain : le délire fuit comme l’eau entre les doigts du psychosociologue qui veut le saisir. Il ne lui reste donc, bien sûr, qu’à le nier...
これこそまさに、精神医学であれ反精神医学であれ、あらゆる理論の試金石である。問題は、すべての人間に共通する非理性に膨れ上がった人間が、いかにして、なぜ、少数の者に固有のデリールの非理性へと移行するのかを知ることである。ところが、この点に関して、この特異性を説明するために共同体に訴えることは一切無益である——デリールは、それを捉えようとする心理社会学者の指の間から水のように逃げ去る。したがって彼には、もちろん、それを否認するしか残されていないのである……[2]

「デリールは心理社会学者の指の間から水のように逃げ去る」——この鮮烈な比喩は、フーコーの社会構築主義的アプローチの根本的限界を衝いている。精神疾患を社会的・制度的産物として記述するとき、個々の患者に固有のデリール体験の「還元不可能な個別性」はどのように説明されるのか。フーコーの枠組みにおいては、この問いに答える術がない。エーの批判は、1.2 節で論じた「根本的特異性」の概念とここで合流する。

エーはさらに、フーコーがヘーゲルとマルクスの疎外概念をデリールの発生の説明に流用していることを批判する。

Car, évidemment, les concepts d’aliénation (Entfremdung, Entäußerung de Hegel et repris par Marx) sont absolument inadéquats à l’application abusive qui en a été faite depuis et que M. Foucault reprend à son compte dans la dialectique rétrospective ou rétroactive par laquelle il tente de saisir ici la naissance du Délire... aussi artificiellement qu’il a découvert la naissance de la folie.
なぜなら、明らかに、疎外の諸概念(ヘーゲルの EntfremdungEntäußerung、そしてマルクスが受け継いだもの)は、それ以降なされてきた濫用的適用には全く不適合であり、フーコー氏はこの濫用をそのまま引き受けて、回顧的もしくは遡及的弁証法によってデリールの誕生をここで捉えようとしている……彼が狂気の誕生を発見したのと同じくらい人為的に。[2]

哲学的・政治的概念としての aliénation(疎外)と、精神医学的概念としての aliénation(精神の疎外=精神疾患)の混同は、フーコーの議論の構造的弱点であるとエーは見なしている。

1.7.5 結論——「理性の蝕」と「自由の病理」

エーのデリール論は、以上の賞賛と批判の運動を経て、彼の精神病理学全体を凝縮する定式に到達する。

Disons tout simplement, éclipse de la Raison... et nous serons d’accord en nous rappelant tout simplement que Déraison n’est pas raison — ou encore tout aussi simplement, que le Délire ne commence pas avec la force de la Déraison mais avec la faiblesse de la Raison.
端的に言えば、理性の蝕(エクリプス)……そう言えば我々は合意に至るだろう。非理性は理性ではないということ——あるいは同じく端的に、デリールは非理性の力からではなく、理性の弱さから始まるということを思い出しさえすれば。[2]

「デリールは非理性の力からではなく、理性の弱さから始まる」——この定式は、フーコーとエーの対立の核心を最も簡潔に表現している。フーコーにとってデリールは社会的に構築された「理性」に対する「非理性」の抵抗として積極的に読まれるべきものであった。エーにとってそれは、意識的存在としての人間に固有の組織——理性——が内部から崩壊する事態であり、まさに「自由の病理」の臨床的表現にほかならない。

ここで「理性の弱さ」という表現が、エーの精神病理学体系においていかなる理論的意味を担っているかを簡潔に確認しておく必要がある(詳細については別稿[1]を参照されたい)。エーの器質力動的モデル(organodynamisme)において、精神の発達は「自動的なものから意志的なものへ」という進化的階層構造として把握される。すべての人間の精神には、自動的・無意識的過程が基盤として存在しており、意識的・理性的機能はこの基盤の上に発展する高次の統合機能である。エーは次のように述べている。

精神疾患の本質と 1838 年法について、精神の病理は、そのあらゆる形態と程度において、本質的に自由の病理であり、その結果ではなく、その仕組みそのものである。患者の最初の悲劇、彼の存在の悲劇は、彼の病気であり、閉じ込めではないのである。[1]

この「自由の病理学」の概念に照らせば、「理性の弱さ」とは、高次の統合機能(意識、理性、自由)が内部から崩壊し、通常は統合され抑制されている自動的・無意識的過程が解放される事態を指す。ブルガが明らかにしているように、エーにとって「自由は、病理学的条件下でそれを廃止する可能性のある自動的で衝動的な生を自らの内に担っている限りにおいてのみ可能である」[14]。すなわち、理性と非理性は外的に対立する二つの力ではなく、人間の精神組織の内部における階層的関係にある。「理性の蝕」とは、この階層関係の逆転——高次の統合が低次の自動性に圧倒される事態——にほかならない。

この「理性の蝕」が具体的にいかなる臨床像として現れるかを理解するには、エーの器質力動論における意識の二つの軸——対物意識野の解体と自我意識の解体——を把握する必要がある。エーの主著『意識』(La Conscience)によれば、対物意識野の解体は意識混濁を伴う急性精神病として現れ、夢幻的なもの(l’onirique)に対応する。自我意識の解体は意識が清明であるにもかかわらず人格の統合が段階的に侵される慢性精神病として現れ、誤謬的なもの(l’erroné)に対応する。図 1 はこの二つの軸と、それぞれに含まれる主要な疾患単位を示している。

Fig. 1エーの器質力動論における délire の二義性 Les deux sens du délire dans l’organodynamisme d’Henri Ey
意識の構造の解体
Dissolution de la structure de la conscience
(ジャクソンの解体理論に基づく)
対物意識野の解体
Déstructuration du champ de la conscience
夢幻的なもの(l’onirique
= delirium(英)/Delirium(独)
意識の混濁を伴う
▼ 意識混濁の深化 ▼
【自然モデル】睡眠と夢
Sommeil et rêve
錯乱—夢幻状態
États confuso-oniriques
幻覚—妄想状態
États hallucinatoires-délirants
自我意識の解体
Déstructuration de la personnalité
誤謬的なもの(l’erroné
= delusion(英)/Wahn(独)
意識は清明、現実の体系が偽造される
▼ 人格統合の解体の深化 ▼
性格異常的自我
Moi caractéropathique
神経症的自我
Moi névrotique
慢性体系的妄想(パラノイア)
Délire chronique systématisé
統合失調症性妄想
Délire schizophrénique
認知症(痴呆)状態
Démence
本論文の焦点:フーコーは「デリールの超越」章で狂気を本質的に「覚醒した夢」として定式化した。これは左列の夢幻的なもの(せん妄)には妥当するが、右列の誤謬的なもの(妄想)——意識清明下で現実の体系が偽造される事態——の説明には原理的に不十分である。エーの批判の核心はこの点にある。

〔注〕エーの対物意識野の変容には、上記のほか離人体験(身体的意識の障害)および躁鬱状態(情動と時間感覚の変容)も含まれるが、本論文の論点である délire の二義性を明示するため、ここでは意識混濁の深度に沿った系列のみを示した。エーの分類体系の全体像については、エー著『意識』(La Conscience)を参照されたい。なお、フランスの正統的精神医学教科書(カプサンベリス編『精神医学マニュアル』2012 年等)は、DSM-5 や ICD-11 が delirium に統一した領域を confusion mentale(精神錯乱)の章として維持しており、エーの体系が現代フランス精神医学においても生きていることを示している。

この理論的枠組みがデリール論に適用されるとき、1.7.4 節で見たエーの議論の射程がより明確になる。すべての人間に「含意されたデリール」が存在するのは、すべての人間の精神が非理性的な基盤——欲望、無意識——を内に担っているからである。しかし健常な精神は、この非理性的基盤を統合し、いわば「含み」つつ「抑制し続けている」[14]。デリールが「真の妄想」(echte Wahn)として顕在化するのは、この統合機能=理性が「弱まり」、抑制されていた自動的過程が現実認識の体系そのものを偽造する形で解放されたときである。

したがって、フーコーが「デリールの超越」章で記述した古典主義時代の認識——夢幻的なもの(l’onirique)だけでは狂気にならず、そこに誤謬的なもの(l’erroné)が加わって初めて狂気が成立する——を、エーは自らの器質力動的モデルの枠組みで読み替えている。「夢幻的なもの」は意識の解体に伴う自動的過程の解放(せん妄)であり、「誤謬的なもの」はそこにさらに現実認識体系の偽造が加わった事態(妄想)である。フーコーが考古学的に記述した区別を、エーは臨床的・構造的必然性として把握し直しているのである。

この対立は、本論文全体を貫く「自然か文化か」という根本的争点の、デリール論における具体的な現れである。フーコーにとって「理性」と「非理性」の関係は歴史的・社会的に構築された権力関係であり、デリールはその関係の産物として読まれるべきものであった。エーにとってそれは、人間の精神組織に内在する階層的関係——自由と自動性、意識と無意識の統合構造——の病理的崩壊として把握されるべきものであり、その崩壊こそが「自由の病理」の本質なのである。

1.8 反精神医学に対する批判——「精神医学殺し」という告発

エーの批判が最も激烈な頂点に達するのは、フーコーの立場を「精神医学殺し」(psychiatricide)と呼んで糾弾する一節においてである。この「psychiatricide」はエー自身の造語であり、フーコーへの批判の核心を最も凝縮した形で表現している。

1971年の論文においてエーは次のように述べている。

En niant la réalité pathologique de la folie, Foucault se rend coupable d’un « psychiatricide » qui est aussi un « génocide à l’égard du système des valeurs de l’Humanité ». [...] la Démence vaut la Raison, [...] le Rêve vaut l’Existence, [...] l’Erreur vaut la Vérité, [...] l’Aliénation vaut la Liberté.
狂気の病理学的現実を否定することで、フーコーは「精神医学殺し」(psychiatricide)を犯しており、これは同時に「人類の価値体系に対するジェノサイド」でもある。(中略)痴呆が理性に値し、夢が実存に値し、誤謬が真理に値し、疎外が自由に値するというのである。[2]

ここでエーが用いる「psychiatricide」——「精神医学殺し」——という造語の激しさは、単なるレトリックではない。エーにとって、精神疾患の病理学的現実を否定することは、患者の苦痛を否認することであり、精神医学という学問の存在理由そのものを抹殺することである。さらに言えば、それは人間の自由と理性と真理の区別を廃棄すること——すなわち人間性の価値体系そのものに対するジェノサイド——にほかならない。

この「精神医学殺し」批判は、1972年の論文においてさらに展開される。エーは反精神医学運動全体を射程に入れ、精神疾患の現実を否定する姿勢を厳しく糾弾している。

私は、義務ではなくとも権利として、純粋に否定的な反精神医学に立ち向かう権利を要求する。今、それは純粋に否定的なものであり、そのイデオロギー的概念から「精神病理学」という概念そのものを排除することで、価値体系全体と人間の実存全体を蝕んでいる。[5]

「精神医学殺し」という告発の激烈さは、1.0 節で見たトゥールーズ会議でのエーの態度——フーコーへの感謝の言葉——と鮮やかな対照をなしている。これほど激しく批判しながら、なお論敵の「知的誠実さ」を認め感謝を捧げることができたエーの姿勢は、この論争が単なるイデオロギー的対立ではなく、精神医学という学問の根拠と使命をめぐる真摯な問いに貫かれていたことを示している。

第 2 章 クロード・ケテル:歴史家による実証的批判
2.1 問題となる歴史的方法

旧体制の専門家である歴史家クロード・ケテルは、歴史学的方法の厳格さという観点からフーコーの批判に取り組んでいる。彼の批判はまず方法論に向けられている。

ミシェル・フーコーの著作をどう読むか?『狂気と非理性』の序文からして、この著者を理解するのがいかに難しいかを痛感させられる。彼の見事な文体、それに劣らず見事な思考、そして説得力のある弁証法は、歴史批評の観点から彼を読むと主張する限り、常に私たちを翻弄する。[3]

ケテルは、フーコーの研究姿勢の根本的問題を次のように明確化する。

フーコーが関心を持っているのは真実ではなく意味である。しかし、なぜそうしないのか?彼には哲学者の自由がないのだろうか?そのために、彼は真理を意味(と彼の意味)に従属させる。歴史上、私たちはこのことが常に問題であることを願っている。[3]
2.2 フーコーの「一元論」の解体

ケテルは、フーコーの「狂気の一元論」に特に批判的だ。フーコーの主張とは対照的に、彼は、古代から「二元論」が、哲学、道徳、宗教と医学とを区別してきたことを示している。

しかし、この狂気の「一元論」はフーコーの中にしか存在しない。それは、一方では哲学的、道徳的、宗教的なもの、他方では医学的なもの(デカルトの『省察』から抜粋した「胆汁の黒い蒸気に悩まされる脳」は医学的なものである)を常に区別してきた二元論と絶対的に矛盾している。[3]

恒久的な区別は、理性と狂気を突然分離させたという「歴史的陰謀」の考えに疑問を投げかける。ケテルは、「病的な狂人は古代から存在し、西洋社会では決して神聖化されてこなかった」と指摘している。

2.3 資料の批判的分析

歴史家は、フーコーが歴史的資料を偏った方法で用いていると批判している。

フーコーが論文に散りばめている事例については、そのほとんどが意図的に誤解を招くようなものである。例えばトーリンは、「歴史の沈黙に酔いしれる哀れな運命」、「未来が拒む通路の哀れな推定」である。これらの公式は、トーリンが狂っていなかったことを示唆している。しかし、この大邸宅の使用人は、ダミアンの襲撃の直後、王を暗殺せよという声を聞いていた。バスティーユに収監されたトーリンは、当初は狂気を装っていると疑われていたが、その後シャラントンに移送されなければならないほど狂っていたことが判明した。[3]
2.4 抑圧的な収容の疑問視

フーコーとは対照的に、ケテルは、収容は理不尽さを攻撃するものではなく、「古くから存在する物乞いや放浪者問題」を管理するための現実的な論理の一部であると主張している。この解釈は、「大収容」を合理的な抑圧の手段とするイデオロギー的な見方とは対立する。

歴史家は、旧体制では、収容者のカテゴリーが明確に区別されており、「反社会的な者」と「精神異常者」が混同されたことはなかったことを示している。この区別は、非合理に対する無差別な抑圧という考え方そのものを疑問視するものだ。

2.5 歴史的連続性の実証

ケテルは、フーコーの断絶史観に対して、精神医学の歴史的連続性を史料に基づいて論証している。

我々は、最も古代からの狂気-病気の連続性、すぐに確立される疾病分類学(躁病、憂鬱症…)の安定性、中世における狂気の隠喩と寓意の非同化を十分に示してきたので、「非理性の古典的経験」も正式に医学化された非理性から狂気への歴史的跨ぎも決して認識しない。[4]
2.6 「大監禁」の実態——数字が語る制度の破綻

ケテルの実証的批判の中で最も決定的な打撃をフーコーのテーゼに与えるのは、「大監禁」(Grand Enfermement)の実態に関する数量的検証である。フーコーは 1656 年のパリ一般施療院(Hôpital général)の創設を、「理性による非理性の封じ込め」という壮大な物語の起点として描いた。しかし、ケテルが提示する実証的データは、この物語の前提そのものを掘り崩す。

パリのサルペトリエール施療院——フーコーの物語の中心的舞台——における収容者の構成を見れば、「理性が非理性を監禁した」というテーゼの脆弱さは一目瞭然である。精神異常者はわずか 6 % にすぎない。収容者の大半は孤児(約 36 %)、身体障害者・慢性疾患者(約 11 %)、高齢困窮者(約 30 %)であり、一般施療院の実態は「理性による非理性の監禁」ではなく、むしろ近世ヨーロッパに広く見られた救貧・慈善施設の延長線上にある。[6][7]

さらに、制度そのものの実効性がきわめて低かったことも、「大監禁」の壮大さを相対化する。同時代の管理者の報告によれば、「2 人を収容するごとに、4 人から 6 人が街頭で物乞いをしていた」。財政面でも制度は破綻していた。パリの一般施療院は創設後わずか 10 年で深刻な財政危機に陥り、1666 年までに 2 億 2,500 万リーヴルの負債を抱えるに至った。

2.7 ハンセン病療養所の転用——象徴ではなく即物

フーコーは『狂気の歴史』の冒頭で、中世のハンセン病療養所(léproserie)が一般施療院へと転用される過程に深い象徴的意味を見出した。しかし、ケテルの実証的検証はこの象徴的解釈を大きく修正する。中世ヨーロッパには推定約 19,000 ものハンセン病療養所が存在したが、15 世紀以降のハンセン病の退潮に伴い、これらの施設は段階的に他の用途に転用された。重要なのは、この転用がフーコーの描く「排除の構造の象徴的継承」ではなく、空き建物の即物的な再利用であったことである。

パリのピティエ(La Pitié)施設の転用過程は、この即物性を鮮明に示している。もともとハンセン病療養所として建設されたこの施設は、ハンセン病の退潮後、まず巡礼者の宿泊所に転用され、次いで孤児院となり、最終的に 1656 年の一般施療院制度の下に組み入れられた。各段階の転用には数十年の間隔があり、排除の「構造」が連続的に継承されたというよりも、利用可能な建物が時代ごとの社会的需要に応じて繰り返し用途変更されたと見る方が実態に即している。

2.8 古典主義時代の逆説——ケテルの決定的結論

以上の実証的検証を踏まえて、ケテルはフーコーの時代区分そのものを転覆させる決定的な結論を提示している。

古典派の時代の到来というよりも、バロックの最後の火種と言うべきだろう。フーコーがこよなく愛した古典主義の時代は、結局のところ、一般施療院を創り出したというよりも、それを妨げたのである。[4]

ここに、エーの哲学的反論とケテルの実証的反駁が合流する。エーが精神医学の誕生をルネサンスに遡らせ、フーコーの「古典主義時代の理性」という枠組みそのものに異議を唱えたように、ケテルもまた一般施療院の制度史を実証的に辿ることで、同じ枠組みの歴史的不正確さを暴き出した。「大監禁」は古典主義的理性の所産ではなく、バロック的慈善の残滓であり、しかもその実態は壮大な排除というよりも、財政的に破綻した不完全な救貧制度にすぎなかったのである。

2.9 グラディス・スウェインによるピネル再評価への道

エーとケテルの批判がフーコーの「大監禁」テーゼとその歴史的前提を掘り崩すものであったとすれば、グラディス・スウェイン(Gladys Swain, 1945-1993)の仕事は、フーコーの物語のもう一つの柱——ピネルの「解放」を新たな精神的監禁として読み替える解釈——を正面から転覆させるものである。

スウェインは 1977 年の博士論文『狂気の主体——精神医学の誕生』(Le Sujet de la folie: naissance de la psychiatrie)において、フーコーが『狂気の歴史』で展開したピネル解釈を根底から覆した。フーコーにとってピネルの道徳療法(traitement moral)は、鎖による身体的拘束に代わる新たな——より陰険な——精神的規制であり、「理性による非理性の内面化された支配」を意味していた。これに対しスウェインは、精神科臨床医の視点から、ピネルの革新がまったく異なる意義を持つことを論証した。

スウェインは、ピネルの革新の核心を次の一文に凝縮している。

La folie comme problématisation du sujet en tant que sujet. Voilà l’horizon que Pinel assigne à la réflexion psychiatrique ultérieure.
主体がまさに主体であるという資格において問題化されるところの狂気(le sujet en tant que sujet)。これがピネルが後の精神医学的省察に割り当てる地平である。[9]

この命題は、フーコーの解釈とは正反対の方向を指し示している。ピネルが精神医学に導入した根本的な革新は、狂人に対する新たな抑圧装置の設置ではなく、狂人のなかに「理性の残余」——すなわち主体性——を認めるという、人類史上前例のない認識論的転換だったのである。この視点は、次章で詳述するマルセル・ゴーシェの歴史哲学的考察によってさらに広い射程のなかに位置づけられることになる。

第 3 章 グラディス・スウェインとマルセル・ゴーシェによるピネル再評価
3.1 スウェインの問題提起——フーコーと実証主義者の共有する前提

スウェインの批判が特異なのは、フーコーだけでなく、フーコーを批判する実証主義的精神医学史もまた、ある共通の前提を共有していることを指摘した点にある。フーコーは精神医学を「理性による非理性の客体化」として批判し、実証主義者は精神医学を「狂気の科学的客体化」の進歩として称揚した。しかしいずれの立場も、精神医学の本質を「客体化」(objectivation)——すなわち狂人を観察・分類・管理の対象として措定すること——として把握している点では一致している。

スウェインが示したのは、ピネルにおける精神医学の創設がこの「客体化」のパラダイムでは把握できないということである。ピネルが行ったのは狂人の客体化ではなく、むしろ狂人のなかの主体性の発見——狂気の只中においてもなお存続する「狂気の主体」(le sujet de la folie)の認識——であった。

3.2 ピネルの革新——周期性躁病から「狂気の主体」へ

スウェインの分析をさらに発展させたのが、マルセル・ゴーシェ(Marcel Gauchet, 1946-)による『狂気の主体』再版序文「アイデンティティの革命」(1997 年)である。ゴーシェはこの序文において、ピネルの『精神疾患に関する医学哲学論考』(共和暦 9 年=1800 年)の内的構造を精密に分析し、精神医学的認識がいかにして発生したかを再構成している。

ゴーシェが注目するのは、『論考』初版の構成上の「異常」である。この著作は、「周期性または間欠性躁病に関する覚書」という奇妙な書き出しで始まる。体系的論考の冒頭に特殊な一症型の検討を置くことを正当化するものは何もない。「ただ、思考が実際に展開した個人的で偶然的な順序以外には」。急いで編纂された『論考』初版は、思考の内的展開の痕跡を消し去らなかった。そしてこの「あるべきでなかったテキスト」が、精神医学の創設の鍵を後世に伝えることになったのである。

間欠的にしか狂気を示さない患者の存在は、狂気についての根本的な再考を迫った。ゴーシェは次のように述べている。

ある精神病者は年に 15 日間だけ極度の激怒状態にあり、11 か月半の間は冷静で理性を完全に享受していた。したがって、理性が根本的に覆されているように見える瞬間においてさえ、理性の一種の潜在性を想定しなければならない。それは失われていない。単に蓄えられているのであり、その蓄えは多かれ少なかれ能動的である。[10]

周期性躁病の観察は、「狂人と彼の狂気との潜在的距離」を思考することを可能にした。ピネルの操作の全体は、この原理を一般化することにあった。さらに決定的なのは、「妄想なき躁病」(manie sans délire)——知的能力は完全に保持されているにもかかわらず、抗いがたい衝動に支配される患者——の記述である。ゴーシェの分析によれば、これらの患者において「距離は潜在的ではなく、開かれている。精神病者は自分の状態を知らないのではなく、自分を動かす衝動を判断」することさえできる。

ここに、千年来の「全的狂気」の形象——自分が何をしているかも何であるかも知らず、暴力によって自己の外に運び去られる狂人——との決定的な断絶がある。問題となっているのはもはや理性の力ではなく、より根本的な「自己への態度」であり、「自己所有からの抗いがたい離脱が、自己への完全な現前を妨げない」という逆説である。

3.3 ゴーシェの歴史哲学的枠組み——「他性体制のコペルニクス的革命」

ゴーシェはさらに、このピネル的革新を近代性そのものの変容のなかに位置づける。彼によれば、キリスト教世界において狂気は「形而上学的条件の啓示者」であり、人間の理性の不治の脆弱性を示す「宗教的本質の真理」を担っていた。狂人は「聖なる他者への依存の論理」のなかに——「象徴的距離によって織りなされた物理的近接」のなかに——場所を持っていた。

17 世紀以降、「神に対して自律化された世界」が出現したとき、この「他性の経済」は根本的に再編される。理性がもはや「自分自身以外の何物とも関わることがなく、自らの限界を自分自身の内部からしか考えることができない」世界において、狂気の地位は全面的に再考の対象となる。ゴーシェはこの転換を「他性体制のコペルニクス的革命」と呼ぶ。

もはや人間にとっての他者の、人間における、存在論的に存在することを負っている原理に対する彼の劣位の浸透の啓示者ではない。人間が自分自身にとってなりうる他者から出発して、彼が人類学的に機能することを可能にする秩序の啓示者である。[10]

狂気はもはや神の摂理に対する人間の脆弱性を啓示するものではなく、「人間が自分自身にとってなりうる他者」——すなわち自己の内部における他者性——を啓示するものとなる。この転換は、ゴーシェによれば、「自由と平等の諸革命に伴うアイデンティティの近代革命」の一環として理解されるべきものである。

3.4 ピネルからフロイトへ——「意識を伴う狂気」の一世紀

ゴーシェの序文の後半は、「意識を伴う狂気」(la folie consciente)という一本の糸で、ピネルから神経症の確立、そしてフロイトに至る一世紀の精神医学的知の変遷を通観している。

エスキロールは師ピネルの「妄想なき躁病」概念を批判し、「軽率な決定というものは存在しない。人間は機械ではない。人間は感じ、決定するのである」と論じた。ゴーシェの読解によれば、この批判は師への反旗ではなく、「弟子が師に対してその師が自分に考えることを教えた、まさにそのことを向ける」ものであった。エスキロールは「最も激しい妄想の最中にも、われわれの観念の混乱の本質的目標であり最終項として、やはり見出されるのはこの自我である」という決定的な洞察に到達した。

その後、ファルレの偏執症批判を経て、精神医学は「主体の維持」から「主体の問い直しの過程」へと関心を移行させた。19 世紀後半には、強迫観念、恐怖症、ヒステリーなど——後に「神経症」として同定される——症候群が精神医学の周縁で再発見される。ゴーシェはこの過程を、ピネルの「狂気の主体」の問題系が一世紀をかけて展開された歴史として描き出す。

フロイトの位置づけについて、ゴーシェは明確に述べている。「ピネルから始まる道筋にフロイトを再配置することは、決して彼の貢献の意義を軽視することではない。それどころか、狂気への客観的アプローチとともに始まった主観的大陸の探究において、フロイトに中心的な位置を認めることを要求するのである」。しかし同時に、精神分析が精神病の前で挫折したこと——ラカンの「父の名の排除」概念がもたらした限界——を指摘し、「狂気の主体」の問題が依然として未解決であることを強調する。

3.5 エーとスウェインの交差——「自由の病理学」と「狂気の主体」

ここで注目すべきは、エーの「自由の病理学」とスウェインの「狂気の主体」が、異なる出発点から同一の核心に到達していることである。エーは精神医学の哲学的基盤を問い、精神疾患を「自由の病理」——人間の自律的主体性が内部から侵食される過程——として把握した。スウェインはピネルの臨床実践の再読解から出発し、精神医学の創設的瞬間において発見されたのが、まさにこの「狂気のなかの主体」であることを示した。

両者の共鳴はヘーゲルの定式化において最も明瞭に表現されている。ゴーシェが引くヘーゲルの言葉——「狂気は理性の抽象的喪失ではなく、常に存在する理性の内部における矛盾である」——は、エーの「精神疾患は自由の病理である」という命題の哲学的対応物にほかならない。いずれも、狂気が主体の全的廃棄ではなく、主体のなかの——主体であることそのものにかかわる——内的緊張であることを主張している。

しかし、臨床医スウェインと社会学者=政治哲学者ゴーシェのあいだには、無視しえない視角の相違も存在する。スウェインは臨床の内部から「ピネルは何を見たのか」を問い、その発見を精神医学の創設的瞬間として記述した。ゴーシェはそれを受け取りつつ、「アイデンティティの近代革命」「他性体制のコペルニクス的革命」といった壮大な政治哲学的枠組みのなかに再配置する。両者の共著『人間精神の実践——収容所制度と民主主義革命』(1980 年)においてこの緊張は顕著であり、臨床的知見と政治哲学的構想のあいだの生産的な、しかし時に困難な対話が展開されている。

エーの立場は、この二人のうちスウェインにより近い。エーもスウェインも臨床医であり、精神医学的認識の内部から——患者との具体的な対面のなかから——精神疾患の本質を問うている。ゴーシェの壮大な歴史哲学的構想は、臨床の具体から離れる危険を孕んでいるが、同時に、ピネルの革新が近代性そのものの変容と不可分であることを示す点で、エーやスウェインの射程を超えた貢献をなしている。

第 4 章 現代における議論の意義と課題
4.1 精神医学の存在論的基盤

エーとケテルによるフーコー批判は、現代精神医学にとって依然として重要な問題を提起している。精神医学は医学の一分野として、客観的な疾患概念に基づくべきなのか、それとも社会的・文化的構築物として相対化されるべきなのか。この問題は、DSM(精神疾患の診断と統計マニュアル)の改訂をめぐる論争や、神経科学の発展による精神疾患の生物学的基盤の解明など、現代の精神医学界で継続している議論と深く関連している。

4.2 患者の主体性と権利

エーが強調した患者の主体性と尊厳の問題も、現代において新たな展開を見せている。インフォームドコンセントや患者の自己決定権の重視は、エーの思想の現代的発展と見ることができる。エーにとって精神医学の本質的使命は「人間を解放する義務」[5]にあった。患者を「エッケ・ホモ」(この人を見よ)として捉える彼の人間学的視点は、精神医学が単なる社会統制の装置ではなく、人間の尊厳を守る医学的実践であることを示している。

4.3 反精神医学の現代的意義

1960 年代の反精神医学運動は一時的な現象に終わったが、その問題意識は現代においても重要である。精神医学的知識の権力性や、「正常」と「異常」の境界の恣意性という問題は、今日でも議論され続けている。ただし、エーの批判に見られるように、精神疾患の現実を完全に否定することは、患者の苦痛を軽視することにもつながりかねない。バランスの取れた視点が求められる。

4.4 人文科学における方法論の問題

ケテルが提起した史料解釈の問題は、人文科学全般の方法論的課題でもある。理論的一貫性と事実への忠実性をどう両立させるか、解釈の自由と実証的厳密性をいかに調和させるかという問題は、現代の人文科学者が直面し続けている課題である。

結論

本論文が明らかにしたフーコー批判の四本柱を総括する。

第一に、エーの哲学的反論である。精神医学の誕生はフーコーの言う「古典主義時代の理性」によるものではなく、ルネサンスにおける「個人の発見」と「個人心理学」の誕生に遡る。精神疾患は社会的構築物ではなく、個人の「根本的特異性」における自由の病理である。精神疾患の病理学的現実を否定することは、エーの造語を借りれば「精神医学殺し」(psychiatricide)であり、「人類の価値体系に対するジェノサイド」にほかならない。

第二に、ケテルの方法論的批判である。フーコーが関心を持つのは「真実ではなく意味」であり、その結果として史料の意図的な誤読と「狂気の一元論」という歴史的に存在しない前提が生み出された。

第三に、「大監禁」の実証的反駁である。サルペトリエールの収容者構成(精神異常者わずか 6 %)、制度の実効性の欠如、財政破綻、そして一般施療院が「古典主義的理性」ではなく「バロック的慈善」の所産であったという事実は、フーコーの中心的テーゼの前提を掘り崩している。

第四に、スウェインとゴーシェによるピネル再評価である。フーコーがピネルの道徳療法を「新たな精神的監禁」として読み替えたのに対し、スウェインはピネルの革新の核心が「狂気のなかの主体の発見」——主体がまさに主体であるという資格において問題化されるところの狂気(la folie comme problématisation du sujet en tant que sujet)——にあったことを論証した。ゴーシェはこの発見を「他性体制のコペルニクス的革命」として、近代性そのものの変容のなかに位置づけた。そしてエーの「自由の病理学」とスウェインの「狂気の主体」は、異なる出発点から同一の核心——狂気は主体の全的廃棄ではなく、主体であることそのものにかかわる内的緊張である——に到達している。

エーとケテルによる批判は、フーコーの知的業績の全体を否定するものではない。フーコーが提起した「正常」と「差異」に対する問いかけ、権力と知の関係に対する鋭い感受性は、依然として現代思想の重要な遺産である。しかし、『狂気の歴史』の中心的テーゼ——「大監禁」という壮大な物語——が実証的基盤を欠いていること、そしてピネルの精神医学的革新が「新たな監禁」ではなく「主体の発見」であったことは、エー、ケテル、スウェイン、ゴーシェの批判が示す通りである。

この点に関して、本稿が明らかにした 1969 年トゥールーズ会議でのエーの結語——「謝罪ではなく感謝を」——は、フーコー批判の本質をいみじくも体現している。クレルヴォアが活写したこの場面は、批判者たちが論敵の知的誠実さを否定するためではなく、精神医学という学問の正当な根拠と限界を問い直すために戦ったことを示している。フーコーの挑戦は、結果として批判者たちに自らの学問的立場をより明確に自覚させる「生産的触媒」として機能したのである。

現代の精神医学は、生物学的精神医学の発展と同時に、患者中心の医療やリカバリー志向のアプローチが重視されている。エーが追求した「自由の回復」という理念、スウェインが再発見した「狂気の主体」への眼差しは、これらの現代的動向とも深く共鳴している。精神医学が真に人間的な医学であるためには、エーとスウェインが示したような哲学的深さと臨床的実践の統合が不可欠なのである。

Notes
注 3)フランス語の délire は、ラテン語の delirare(畝〔うね〕を外れる、すなわち正道から逸脱する)に由来し、精神医学において二つの臨床概念を包含する。第一に、意識の障害を伴い多くは身体的原因に基づく可逆的な状態(英語 delirium、ドイツ語 Delirium、日本語「せん妄」)であり、第二に、意識清明下で現実ではない事柄を確信する状態(英語 delusion、ドイツ語 Wahn、日本語「妄想」)である。英語圏・ドイツ語圏ではこの二つは明確に区別されるが、フランス語では同一の語 délire が両者を包含する。エーが本論文で指摘するのは、フーコーがこの臨床的区別——とりわけ夢幻的なもの(l’onirique=せん妄的体験)と誤謬的なもの(l’erroné=妄想的確信)の差異——を十分に把握していないという点である。なお、ドイツ精神医学において echte Wahn は「真正妄想」の意味で用いられ、了解不能な形で生じる一次妄想を指す専門用語であるが、エーがここで vrai Délire と対置して用いているのは、せん妄的状態から区別された狭義の妄想を指している。本論文では文脈に応じて「デリール」「妄想」「せん妄」を使い分ける。
注 4)エーの妄想起源論について。エーは、l’erroné(妄想的確信)の起源を l’onirique(夢幻・せん妄的状態)に求めている。すなわち、せん妄状態において生じる断片的な偽りの確信が、意識の回復後も消散せずに固定し、意識清明下での妄想体験(vrai délire / echte Wahn)へと移行するというのが彼の見解である。この妄想起源論は、器質力動論(organodynamisme)における「低次の自動的過程から高次の意識的統合への階層」という枠組みと整合しており、意識の解体(せん妄)を妄想の温床と位置づける点でエー精神病理学の独自性を示している。ただしこの起源論には批判もある。ヤスパースが定式化した一次妄想(primäre Wahnwahrnehmung)の概念——了解不能な形で突然生起し、先行する心的状態から導出できない真正妄想——はエーの図式に収まらず、echte Wahnl’onirique からの移行と見なすことへの反論を構成する。またシュナイダー以降の現象学的精神病理学においても、一次妄想と二次妄想(他の精神症状から了解可能に生じるもの)の区別は、起源論的議論とは独立した記述的枠組みとして維持されている。エー自身の立場はこの議論の一つの有力な回答であるが、本論文で問題にしているのはそれ以前の次元、すなわち délire という語が「せん妄的状態」と「妄想的確信」という臨床的に異質な二現象を包括するフランス語の多義性であり、この区別の重要性はエーの起源論の当否とは独立して成立する。
References
1)拙稿「アンリ・エーの精神病理学における自由概念——ヨーロッパ精神史の系譜から臨床精神医学へ(ブルガの研究を踏まえた改訂版)」
2)Henri Ey: Commentaires critiques sur l’Histoire de la folie de Michel Foucault, L’Évolution psychiatrique, avril-juin, t.36, p.243-258, 1971.
3)Claude Quétel: L’évangile selon Foucault, en Histoire de la folie de l’Antiquité à nos jours, Édition Tallandier, Paris, 2009.
4)Claude Quétel: Bref retour sur Foucault, en Histoire de la folie de l’Antiquité à nos jours, Édition Tallandier, Paris, 2009.
5)Henri Ey: L’embarquement pour Cythère à bord de la Nef des Fous — À propos du numéro spécial de la revue ‘La Nef’ consacré à l’antipsychiatrie, L’Évolution Psychiatrique, no.1, 1972, pp.271-294.
6)Claude Quétel: Histoire de la folie de l’Antiquité à nos jours, Édition Tallandier, Paris, 2009.
7)Jean-Pierre Carrez: Femmes opprimées à la Salpêtrière de Paris (1656-1791), Connaissances et Savoirs, 2005.
8)Michel Foucault: Histoire de la folie à l’âge classique, Gallimard, Paris, 1972 [1961].
9)Gladys Swain: Le Sujet de la folie: naissance de la psychiatrie, Calmann-Lévy, Paris, 1977. Nouvelle édition avec préface de Marcel Gauchet, 1997.
10)Marcel Gauchet: Préface. De Pinel à Freud. À la recherche d’une autre histoire de la folie, in Gladys Swain, Le Sujet de la folie, nouvelle édition, Calmann-Lévy, Paris, 1997.
11)Gladys Swain et Marcel Gauchet: La pratique de l’esprit humain. L’institution asilaire et la révolution démocratique, Gallimard, Paris, 1980.
12)Gladys Swain: Dialogue avec l’insensé, Gallimard, Paris, 1994.
13)Henri Ey: La position de la Psychiatrie dans le cadre des sciences médicales (La notion de ‘maladie mentale’), Études Psychiatriques, tome 2, Étude n°4, Desclée de Brouwer, 1954.
14)Luca Music Burga: Les pathologies de la liberté : Les concepts fondamentaux de la pensée de Henri Ey, L’Harmattan, 2024.
15)Patrick Clervoy: Henri Ey, psychiatre. Érès, Toulouse. (邦訳準備中。本論文における引用・参照は第 6 章「闘い」〔Luttes〕による。)
16)Vassilis Kapsambelis (dir.): Manuel de psychiatrie clinique et psychopathologique de l’adulte, 2e éd., Paris, PUF, 2012. (第 25 章「精神錯乱と振戦せん妄」〔Myriam Zaks 執筆〕を参照。)
17)Henri Ey: La Conscience, 3e éd., Paris, Desclée de Brouwer, 1968.
※ ※ ※