シュナイダー精神病理学の
DSM における継承と変容

接続法第 II 式・妄想知覚・幻覚定義をめぐって
Rezeption und Transformation der Schneiderschen Psychopathologie im DSM
Konjunktiv II, Wahnwahrnehmung und die DSM-5-Halluzinationsdefinition
松石 竹志 Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D.
v56 · MMXXVI
元村 宏先生に捧ぐ
英語版は本稿に基づき二篇に分けて公開: The Grammar of Diagnostic Caution(文法篇)・ The Reliability Bargain(DSM篇)
要旨 Abstract

【日本語要旨】 Moritz ら(2024, Schizophrenia Bulletin)の国際的専門家調査(136名)は、約半数が DSM-6 への一級症状再導入を支持し、約 8 割が DSM-5 の幻覚定義改訂を求めるという結果を示した。本稿はこの事態の構造的理由を、シュナイダー『臨床精神病理学』第 14 版独語原典に立ち戻って論じる。

論証は三つの論点から出発する。第一は接続法第 II 式(Konjunktiv II)の喪失:シュナイダーは、統合失調症のように身体的基盤の確定していない疾患概念にあってはその規定そのものが仮定的であることを踏まえ、一級症状の提示にあたり、その本質論的解釈と特異性の主張をこの文法形式によって断定から留保し(「nicht weil wir sie für „Grundstörungen“ hielten」)、免除と禁止のみを直説法で明言するという文法形式(Modus)の使い分けによって、症状から診断への一方向的推論を禁じていたが、DSM はこの留保を剥奪し一級症状を絶対的指標に変えた。第二は妄想形式の分析という営みの排除:Wahnwahrnehmung(妄想知覚)——シュナイダーが妄想三形式のなかで唯一直説法による断言「immer um eine schizophrene Psychose」を許した最重要症状——は DSM-III から DSM-5 までいかなる版の統合失調症診断基準にも登場しなかった。第三は幻覚定義への知覚強度要件の付加:DSM-5 が導入した「正常知覚と同等の生々しさと強度」という定義は、「とても小さい声」にも一級症状を認めたシュナイダー=Huber 的伝統から逸脱している。

これら三つの論点は、信頼性優先パラダイムの方法論的要請から構造的に導かれた帰結であった。コペンハーゲン学派(EASE)およびドイツ基底症状学派(BSABSSPI-A)の経験的データは、現象学的訓練を経れば信頼性は十分に確保されることを報告しており、信頼性優先パラダイムの二者択一が偽の対立であったことを実証している。シュナイダー精神病理学の核心は症状リストにあるのではなく、診察や診断行為に現象学的・了解心理学的手法を持ち込まねばならないという点にあることを、本稿は強調した。

キーワード:クルト・シュナイダー、一級症状、接続法第 II 式、妄想知覚、シュナイダー概念の継承と変容、現象学的精神病理学、形式論


Abstract (English)

A 2024 international expert survey by Moritz and colleagues (n = 136, Schizophrenia Bulletin) found that approximately half supported reintroducing Schneiderian first-rank symptoms (FRS) into DSM-6 and approximately 80% called for revision of the DSM-5 hallucination definition. This paper examines the structural reasons for this development by returning to the German original of Schneider's Klinische Psychopathologie (14th edition).

Three propositions organize the argument. (1) Loss of the Konjunktiv II reservation: because disease concepts lacking an established somatic basis — schizophrenia and cyclothymia above all — are themselves only hypothetically defined, Schneider used this subjunctive form to suspend any essentialist reading and any claim of pathognomonic specificity (“nicht weil wir sie für „Grundstörungen“ hielten”), while stating the doctrinal exemption itself in the indicative (“müssen … nicht da sein”); the DSM stripped away this modal reservation, converting FRS into absolute diagnostic indicators. (2) Elimination of the German tradition of formal analysis of delusions: Wahnwahrnehmung (delusional perception) — the one symptom to which Schneider granted the indicative "immer" (always), uniquely authorizing a strong diagnostic assertion — has never appeared anywhere in the DSM schizophrenia diagnostic criteria from DSM-III through DSM-5. (3) Addition of perceptual intensity criteria to the hallucination definition: DSM-5's requirement that hallucinations be "vivid and clear, with the full force and impact of normal perceptions" departs from the Schneider–Huber tradition, which recognized even very soft voices as first-rank symptoms if the formal structure was present.

These three transformations were the structural consequences of the methodological demands of the reliability-first paradigm. The systematic continuity of the Schneiderian phenomenological tradition through Huber and Gross (1976; 2005) confirms its persistence within the German-speaking mainstream into the twenty-first century.

Empirical data from the Copenhagen school (EASE; Parnas, Sass, Nordgaard) and the German basic-symptom tradition (BSABS; SPI-A) demonstrate that trained phenomenological interviewing achieves both reliability and validity, showing that the dichotomy Spitzer erected was false. Andreasen's 2007 retrospective account of "the death of phenomenology in America" is consistent with the argument that the core loss was the methodological reservation encoded in Schneider's Konjunktiv II. The present paper emphasizes that the core of Schneiderian psychopathology lies not in a symptom list but in the requirement that clinical examination and diagnostic practice incorporate phenomenological and verstehende-psychological methods.

Keywords: Kurt Schneider, first-rank symptoms, Konjunktiv II, Wahnwahrnehmung, reception and transformation, phenomenological psychopathology, formal analysis

序論

クルト・シュナイダー(Kurt Schneider, 1887–1967)の『臨床精神病理学(Klinische Psychopathologie)』第 14 版(1980)と、その英米経由の操作的継承体である DSM 統合失調症診断との関係をめぐっては、近年、現代の国際的専門家共同体が下したきわめて重大な判断が、経験的データとして提出されている。Steffen Moritz、Lisa Borgmann、Andreas Heinz、Thomas Fuchs、Jürgen Gallinat らによる 2024 年の論考「Towards the DSM-6: Results of a Survey of Experts on the Reintroduction of First-Rank Symptoms as Core Criteria of Schizophrenia and on Redefining Hallucinations」(Schizophrenia Bulletin 所収)がそれである[1]

Hamburg-Eppendorf 大学医療センター精神科の Steffen Moritz ら、Heidelberg 大学の Thomas Fuchs(ドイツ語圏現象学的精神病理学の最重要論者の一人)、Berlin Charité 大学医学部の Andreas Heinz という、ドイツの Humboldt 主義的学術伝統を継承する三大学の精神科医のグループが、Schizophrenia Bulletin および Schizophrenia Research の編集委員ならびに International Consortium for Hallucination Research の会員ら、計 136 名の国際的専門家を対象として、2023 年 11 月から 2024 年 1 月にかけて行ったオンライン調査の結果は、次の二点に集約される。第一に、約半数(49.3%)が「DSM-6 において、DSM-IV と同様に、シュナイダー一級症状(Symptome ersten Ranges)に再び特別な比重を与えるべきである」とする提案に賛同した(反対は 34.6%)。第二に、約 8 割(79.7%)が「DSM-5 の規定する『正常知覚と同等の生々しさと強度(vivid and clear, with the full force and impact of normal perceptions)』はかならずしも幻覚に当てはまらない」と回答し、約 8 割(83.9%)が「正常知覚と同等の強度を持たない内的事象であっても、それが現実であると本人が確信している場合は幻覚定義に含めるべきである」と回答し、三人に二人(66.1%)が DSM-5 の現行幻覚定義を維持すべきではないと回答した。

本稿はこの原因を探ることを目的とする。具体的には、シュナイダー『Klinische Psychopathologie』第 14 版の独語原典に接続法第 II 式(Konjunktiv II)という文法形式による方法論的留保を出発点として、DSM における形式論の喪失過程を再構成する。この文法的標識は、Moritz 調査の専門家たちが回復を求めているものであり、DSM が三十余年で失ってきたものの核心でもある。

本稿では三つの論点に分けて論じる。

第一は接続法的留保の喪失である。シュナイダーが接続法第 II 式(Konjunktiv II)を適用したのは、直接には、統合失調症のように身体的基盤の確定していない疾患概念の規定そのものがもつ仮定的性格に対してである。一級症状を疾患の本質とみなす読解はこの水準で退けられ、そこから、症状の存在から診断への一方向的推論の禁止という実践上の教義が、直説法によって導かれる(この構造は第一節で詳述する)。Spitzer 以後の DSM はこの留保を剥奪し、一級症状を絶対的指標に変えた。

第二は妄想知覚の全 DSM 版からの欠落である。シュナイダーが妄想三形式のなかで唯一、直説法「immer(常に)」による断言を許した最重要症状、すなわち Wahnwahrnehmung(妄想知覚)は、DSM-III から DSM-5 に至るまで、いかなる版の統合失調症診断基準のうちにも、その項目として一度も登場しなかった。これは単なる項目の脱落ではなく、ドイツで発展した妄想形式の分析という営みの全面的な排除を意味する。

第三は幻覚定義への知覚強度要件の付加である。DSM-5 が導入した「正常知覚と同等の生々しさと強度(vivid and clear, with the full force and impact of normal perceptions)」という定義は、シュナイダー=Huber 的伝統——「とても小さい声」であっても形式的構造が整えば一級症状となる伝統——から最も明確に逸脱している。

なお、これら三つの論点は厳密には同一の次元に属するものではない。第一の論点(接続法的留保の喪失)は、シュナイダーが一級症状リスト全体に対して講じた方法論的態度に関わる原理的問題である。第二の論点(妄想知覚の欠落)は、その内部の個別症状である妄想知覚に焦点を絞ったものであり、シュナイダー以来の「内容より形式」のドイツ精神医学的方法論を最も典型的に体現する症状の運命を扱う。第三の論点(幻覚定義への知覚強度要件の付加)は、DSM-5 における幻覚定義改訂という個別かつ技術的(テクニカル)な改訂事項の検討である。これら三点はこのように次元を異にするが、「シュナイダーの一級症状が DSM においていかに変容したか」という共通の問いの異なる側面を照らすものであり、読者の理解の便宜に資するため、本稿はこの三点構成を採用する。

第一節から第四節において接続法的留保の文法的機能、「内容よりも形式」の系譜(Richarz・Falret・Jaspers)、妄想三形式の階層づけ、Huber/Gross による正統的継承を順に論じる。第五節において DSM-III から DSM-5 に至る三つの形式論的変容の径路を、第六節において訓練された現象学的判断という代替の存在を、第七節において全論証を総合する。

その総合においてとりわけ取り扱うのは、Moritz 調査の 8 割が幻覚定義の改訂を求め、半数が一級症状の再導入を支持した理由を、Josef Parnas、Louis Sass、Julie Nordgaard らコペンハーゲン学派の先行研究[2]と、Nancy C. Andreasen が 2007 年に「DSM and the death of phenomenology in America: an example of unintended consequences[3] として発表した回顧的告白の流れに照らして読み解くという作業である。Andreasen が「米国における現象学の死」と呼んだ事態の核心は Konjunktiv II による形式論的留保の喪失であり、Moritz 調査が示す専門家共同体の意思はその回復を求めるものである。シュナイダー精神病理学の核心は、診断内容のリストとしてではなく、診断行為そのものの文法のようなものとして理解されなければならない。

第一節 接続法第 II 式の方法論的機能

接続法第 II 式(Konjunktiv II)について簡単に説明する。ドイツ語の接続法第 II 式は、現実とは異なる仮定や条件、控えめで断定を避ける主張、あるいは事実として確定しきれない事柄を表現するための文法装置である。英語の仮定法(subjunctive)にほぼ相当するが、英語の仮定法が文語的・形式的な場面に限られるのとは異なり、日常的な言語使用においても断定を回避し含みを持たせる場面で広く用いられる。シュナイダーがこの構文を選んだ理由は一級症状の臨床的位置づけにある。一級症状として列挙された諸現象——思考吹入、思考奪取、対話形式の声、妄想知覚など——は、統合失調症において典型的に観察されるが、それのみに固有の絶対的指標ではない。同様の現象は、シュナイダーが「異常体験反応(abnorme Erlebnisreaktion)」と呼んだ状態——現在の ICD-11 におけるストレス関連症群にほぼ相当する——においても、また器質性精神病や薬物性精神症状の文脈下でも認められうる。したがって「一級症状があるから直ちに統合失調症である」と断言することは臨床的に許されない。同時に、これらの症状が統合失調症を考える際の重要な手がかりであり、診断実践において欠くことのできない有力な道具であることも、また否定しえない。ただし、後述するとおり、シュナイダーが接続法第 II 式を適用したのは、直接には一級症状と診断との関係にではない。それは一段上の水準——身体的基盤の確定していない疾患概念そのものの仮定的性格——にであり、一級症状の存在が診断を確定しないという実践上の帰結は、そこから導かれるのである。

補説 接続法という文法装置——独語を学ばなかった世代のための解説

本論文の論証は、シュナイダーの散文における法(Modus)——直説法と接続法の使い分け——の識別に全面的に依存している。かつて医学部教育の前提であった独語文法の知識は、1990年代の大学設置基準の大綱化によって第二外国語の必修が後退して以降、もはや前提することができない。そこで本補説では、論証の理解に必要な範囲で、接続法第 I 式・第 II 式を文法書の水準に立ち返って解説しておく。独語既習の読者は読み飛ばして差し支えない。

一 法(Modus)とは何か

ドイツ語の動詞は、時制(いつのことか)とは独立に、というもう一つの次元で語形を変える。法とは、述べられる事柄に対する話し手の態度——事実として主張するのか、仮定として掲げるのか、他人の言として伝えるのか——を、動詞の語形そのものに刻む文法範疇である。ドイツ語には三つの法がある。事実として主張する直説法(Indikativ: Er ist krank. 彼は病気である)、命じる命令法(Imperativ: Sei ruhig! 静かにせよ)、そして事実としての主張を留保する接続法(Konjunktiv)であり、接続法はさらに第 I 式と第 II 式に分かれる。

日本語にはこれに正確に対応する文法範疇がなく、「〜だろう」「〜かもしれない」「〜とのことである」といった文末表現や助動詞で代用される。英語では仮定法(subjunctive)がこれに当たるが、後述のとおり語形の上でほとんど消滅しており、ドイツ語ほど明確には見えない。この「語形に見える」ことが本論文にとって決定的である。話し手の認識論的態度が、文体や文脈の解釈ではなく、動詞の形として客観的に確認できるからである。

二 接続法第 II 式(Konjunktiv II)——非現実・留保・丁寧

過去基本形から作る(それゆえ「過去幹の接続法」とも呼びうる)。強変化動詞では幹母音がウムラウトを取り、語尾 -e を付す: warwärehattehättekonntekönntehielthielte。弱変化動詞では直説法過去と同形になってしまうため、今日の話し言葉では würde+不定詞で代用されることが多い。過去形を土台とするのは偶然ではない。「いま・ここ」から時間的に隔たった形を借りて、現実からの隔たりを表す——多くの言語に見られる文法化の径路であり、英語の If I had time の過去形もこれと同根である。ただし後述のとおり、英語がこの一つの径路しか持たないのに対し、ドイツ語はもう一つ別の接続法(第 I 式)を保持している。

用法 1 非現実の仮定・条件Wenn ich Zeit hätte, käme ich.(もし時間があれば、行くのだが。)英語の If I had time, I would come. と比べられたい。英語の had は直説法過去とまったく同形であり、「これは非現実の仮定である」ということは文脈から読み取るほかない。ドイツ語の hätte は、ウムラウトという目に見える標識によって「これは現実ではない」と語形の水準で宣言している。仮定の明確さにおいて、ドイツ語は英語に勝るのである。

用法 2 外交的接続法——控えめな主張と丁寧Ich möchte sagen …(申し上げたいのですが)、Man könnte meinen …(〜と考えることもできよう)、Ich hätte eine Frage.(一つ質問があるのですが。)断定を避け、聞き手に判断の余地を残す用法で、日常の丁寧表現から学術散文まで一貫して用いられる。英語の wouldcould による婉曲に相当するが、ドイツ語ではこれが体系化されており、学術散文の標準装置である。シュナイダーのリスト開放性の一文——Man könnte vielleicht noch andere schizophrene Symptome 1. Ranges anerkennen(おそらくさらに別の一級症状を認めることもできよう)——はこの用法に属する。

用法 3 想定として掲げた上での留保。「かりに〜だとすれば(実際にはそうではないのだが)」。本論文の主役である hielten がこれである。nicht weil wir sie für „Grundstörungen“ hielten——「われわれがそれらを『基礎障害』とみなす(と仮定する)から、というのではなく」。接続法は「みなす」という読解を仮定として掲げ、その資格のまま退ける。なお hielten は直説法過去と同形であるが、主文の動詞(heißen … haben)が現在形であるため過去の読みは成立せず、非現実の読みだけが残る(本文で詳述)。

三 接続法第 I 式(Konjunktiv I)——伝聞と要求

不定詞の語幹(現在幹)に -e 系の語尾を付す: er habeer müsseer kommesein のみ特別で er sei。第 II 式が過去幹から作られるのに対し、第 I 式は現在幹から作られる——由来からしてすでに、二つの式は別系統の装置である。

用法 1 間接話法。他人の発言や体験内容を伝えるとき、その真偽について話し手自身は保証しない——この留保を語形で標識する。Er sagte, er sei krank.(彼は、自分は病気だ、と言った。)sei の接続法第 I 式は「病気だというのは彼の言であって、私はその真偽に関与しない」ことを示す。日本語の「〜という」「〜とのことだ」、英語の reportedly に相当するが、ドイツ語では従属文の動詞すべてに刻印される点で徹底しており、新聞報道と学術散文の標準である。本節後段に引く下バイエルンの症例にもこの用法が現れる。監房で聞こえた声の内容は seine Eltern seien umgebracht und auch er müsse sterben(両親は殺された、自分も死なねばならない、と)と接続法第 I 式で報告されており、患者の体験内容(臨床家が真偽を保証しない伝聞)と臨床家自身の判断(直説法)とが、シュナイダーの散文では文法水準で截然と区別されているのである。

用法 2 要求話法Man hüte sich …(〜を戒めよ)、gehe man der Sache nach(事柄を追求せよ)。三人称に向けた要求・戒めを表す古格の用法で、現代では学術散文と定型句(Es lebe …!)に残る。第三節に引くシュナイダーの臨床家への戒めの文がこれである。

四 第 I 式と第 II 式の分業——二つの異なる「距離」

両式の違いは、留保の強弱ではなく、留保の次元の違いである。第 I 式が測るのは帰属の距離——「これは誰の言明か」。内容を他者の言として掲げ、自らの真偽判断を留保するが、それが非現実だと言っているわけではない(er sei krank——病気だというのは彼の言だが、本当に病気かもしれない)。第 II 式が測るのは現実性の距離——「これは現実か」。事柄そのものを現実の外に置く(wenn er krank wäre——実際には病気ではないが、かりに病気だとすれば)。つまりドイツ語は、「私は保証しない」という留保と「現実ではない」という留保——性質の異なる二種類の留保——を、別々の語形として分化させているのである。

この分業の徹底ぶりは、代用規則にも現れる。間接話法は原則として第 I 式を用いるが、第 I 式が直説法と同形になってしまう場合——たとえば複数の sie haben(直説法現在と同形)——には、識別可能性を保つために第 II 式 sie hätten で代用する。留保の標識が「見える」ことを、式の乗り換えをしてまで維持するのであり、この範疇がドイツ語においてどれほど本質的かを示す規則である。さらに、代用の必要がないのにあえて第 II 式で伝聞を行う場合には、含意の差が生じる: Er sagte, er sei krank. は中立の伝聞だが、Er sagte, er wäre krank. と言えば、伝え手の疑念——本当だろうか——が響く。帰属の距離の上に、現実性の距離が重ねられるからである。

五 英語との対比——一段しかない奥行き

英語にもかつては屈折による接続法が完備していたが(古英語)、語形変化の摩滅とともにほぼ消失した。現代英語に残るのは、(1) 要求・提案の従属文に現れる原形接続法(I insist that he come.)と God save the Queen 型の定型句、そして (2) 仮定に用いる wereIf I were you)——直説法過去 was と異なる語形を保つ、事実上唯一の生き残り——のみである。それ以外の動詞では、非現実の仮定は直説法過去の転用(If I had time)であり、語形の上では過去の事実の陳述と区別がつかない。要するに現代英語の仮定表現は、実質として「過去形を転用する一種類」しかなく、しかもその標識は were を除いてまったく見えない。

さらに決定的なのは、英語が伝聞の法を完全に欠くことである。He said he was ill.was は時制の一致(backshift)であって法ではなく、話し手が内容を保証するか否かについて何も標識しない。英語はこの欠落を reportedlyallegedlyis said to といった語彙的手段で埋めるほかない。ドイツ語の新聞記事が、引用符なしに段落全体を接続法第 I 式で流し、「どこからどこまでが他者の主張か」を動詞の語形だけで示し続けるような芸当は、英語には原理的に不可能である。

整理すれば、ドイツ語は「現実の主張(直説法)/他者の言明(第 I 式)/非現実(第 II 式)」という三段の奥行きを語形で持つ。英語が語形で持つのは、第一段と、第三段のかすかな痕跡(were と過去形転用)だけであり、第二段はまるごと欠けている。

奥行きの段ドイツ語英語
現実の主張直説法 er ist直説法 he is
他者の言明(伝聞)接続法第 I 式 er sei語形なし——reportedly 等の語彙で代用
非現実・留保接続法第 II 式 er wärewere ただ一語のみ/他は過去形の転用(had)で標識は不可視

本文で触れる Hoenig & Hamilton 英訳(1959)における接続法の弱化は、訳者の怠慢である以前に、この言語構造上の欠落の帰結である——シュナイダーの三段の留保を受け止める語形が、英語には存在しないのである。操作的診断基準が英語圏で生まれ、英語で書かれたという事実は、この文法的欠落と無縁ではない。

六 まとめ——本論文で問題になる用法の一覧

本書における語形標識するもの
直説法haben(S. 65)/müssen … nicht da sein(S. 65)/Das darf man aber nicht umkehren(S. 66)教義としての明言——診断的重みづけ、免除、禁止
接続法第 II 式hielten(S. 65)/Man könnte … anerkennen(S. 65)非現実の留保——本質論的読解の拒否、リストの暫定性
接続法第 I 式(間接話法)seine Eltern seien umgebracht, er müsse sterben(S. 27)患者の体験内容の伝聞性——臨床家は真偽を保証しない
接続法第 I 式(要求話法)Man hüte sich(S. 53)臨床家への戒め

シュナイダーの散文において、直説法・接続法第 II 式・接続法第 I 式は、それぞれ「臨床家が教義として主張すること」「仮定として掲げた上で退けること」「患者の言として伝えること」を担い分けている。本論文が「文法に刻まれた方法論」と呼ぶのは、この分業の体系にほかならない。

独語文法の全体像については Duden, Die Grammatik(Duden Band 4)その他の標準的な文法書を参照されたい。

シュナイダーが一級症状の呼称を導入し、そのリストを提示する第 VI 章第 III 節の当該箇所を、以下に一箇所の中略を挟んで連続して引く。この一連のテクストのなかに、本稿の主題である文法形式(Modus)の使い分けのほとんどすべてが含まれている。

Unter den zahlreichen bei der Schizophrenie vorkommenden abnormen Erlebnisweisen gibt es einige, die wir Symptome 1. Ranges heißen, nicht weil wir sie für „Grundstörungen“ hielten, sondern weil sie für die Diagnose sowohl gegenüber nichtpsychotisch seelisch abnormem, wie gegenüber der Zyklothymie ein ganz besonderes Gewicht haben. Diese Wertung bezieht sich also nur auf die Diagnose. Nicht aber ist damit etwas zur Theorie der Schizophrenie gesagt, wie das Bleulers „Grundsymptome“ und „akzessorische Symptome“ meinen oder seine und anderer Autoren „primäre“ und „sekundäre“ Symptome. Wir haben die Symptome 1. Ranges alle im Laufe unserer Untersuchung hervorgehoben und auch mit Beispielen illustriert. Symptome 1. Ranges sind in der Reihenfolge unserer Untersuchung: Gedankenlautwerden, Hören von Stimmen in der Form von Rede und Gegenrede, Hören von Stimmen, die das eigene Tun mit Bemerkungen begleiten, leibliche Beeinflussungserlebnisse, Gedankenentzug und andere Gedankenbeeinflussungen, Gedankenausbreitung, Wahnwahrnehmung, sowie alles von andern Gemachte und Beeinflußte auf dem Gebiet des Fühlens, Strebens (der Triebe) und des Wollens. Wo derartige Erlebnisweisen einwandfrei vorliegen und keine körperlichen Grundkrankheiten zu finden sind, sprechen wir klinisch in aller Bescheidenheit von Schizophrenie. Man muß nämlich wissen, daß sie wohl alle auch einmal bei psychotischen Zuständen auf dem Boden einer faßbaren Grundkrankheit vorkommen können: bei den Alkoholpsychosen, im epileptischen Dämmerzustand, bei anämischen und anderen symptomatischen Psychosen, bei den verschiedensten Hirnprozessen. Man könnte vielleicht noch andere schizophrene Symptome 1. Ranges anerkennen. Wir beschränken uns aber auf solche, die begrifflich und bei der Untersuchung ohne allzu große Schwierigkeit zu fassen sind. 〔…〕 Die Symptome 1. Ranges müssen für die Diagnose der Schizophrenie nicht da sein; zum mindesten sind sie nicht stets sichtbar. Wir sind oft genötigt, die Diagnose der Schizophrenie auf Symptome 2. Ranges, vielleicht ausnahmsweise sogar einmal auf bloße Ausdruckssymptome, wenn sie entsprechend dicht und deutlich sind, zu gründen.

〔統合失調症に現れる数多くの異常な体験様式のうち、われわれが一級症状(Symptome 1. Ranges)と呼ぶものがいくつかある。それは、それらを「基礎障害」とみなすからではなく、非精神病性の心的異常に対しても、また循環病に対しても、診断にとってまったく特別の重みをもつからである。それゆえこの評価は、もっぱら診断に関わるものである。だがそれによって、Bleuler のいう「基本症状」と「副次症状」、あるいは彼や他の著者のいう「一次」「二次」症状がそうであるような、統合失調症の理論に関わることが述べられているわけではない。われわれは一級症状をすべて、考察の過程で強調し、また実例をもって示してきた。一級症状は、われわれの考察の順序でいえば次のとおりである。思考化声、話しかけと応答の形をとる声の聴取、自分の行為に注釈を加える声の聴取、身体的被影響体験、思考奪取およびその他の思考被影響、思考伝播、妄想知覚、ならびに感情・希求(欲動)・意志の領域における、他者によって作られ影響されたものすべて。その種の体験様式が申し分なく存在し、身体的な基礎疾患が見いだされない場合、われわれは臨床的に、最大限の慎みをもって(in aller Bescheidenheit)統合失調症について語る。というのも、それらはおそらくすべて(wohl alle)、把握可能な基礎疾患を地盤とする精神病状態においても現れうることを知っておかねばならないからである——アルコール精神病において、てんかん性もうろう状態において、貧血性その他の症候性精神病において、さまざまな脳の過程において。おそらくさらに別の統合失調症性の一級症状を認めることもできよう。だがわれわれは、概念的にも、また検査に際しても、さほど大きな困難なく捉えうるものに限定する。〔中略〕一級症状は、統合失調症の診断のために必ずしも存在せねばならぬわけではない。少なくとも、それらはつねに目に見えるわけではない。われわれはしばしば、統合失調症の診断を二級症状に、あるいは例外的にはただ表出症状にすら——それらが相応に密で明瞭であるなら——基づけることを余儀なくされる。(独語第 14 版 S. 65)〕

以下、このテクストを順に読む。冒頭の一文の内部には、動詞の文法形式の使い分けによる非対称が刻まれている。退けられる読解——一級症状を「基礎障害(Grundstörungen)」すなわち疾患の本質とみなす読解——は接続法第 II 式 hielten(「かりに〜とみなすからというのではなく」)によって断定から留保され、肯定される診断的重みづけは直説法 haben によって明言される。ここで注意すべきは、この留保が働いている次元である。それは、一級症状と診断との関係という実践的次元ではなく、その一段上——統合失調症という疾患概念そのものの資格という次元である。統合失調症や循環病(Zyklothymie)のように身体的基盤の確定していない疾患単位においては、疾患概念の規定そのものが、実体の記述ではなく、精神科医の現在の合意にもとづく仮定的な取り決めにとどまる。シュナイダー自身、第 I 章でこの立場を「(そしてそこだけではないが)」という留保つきの一般化とともに、教義として明言している——「人は実際には『これは統合失調症か、それとも循環病か』と問うているのではない。ただこう問うているにすぎない——『これは、私が統合失調症と呼びならわしているものに対応するか、それとも私が循環病と呼びならわしているものに対応するか』と(Sondern man fragt lediglich: „Entspricht das dem, was ich eine Schizophrenie oder dem, was ich eine Zyklothymie zu heißen pflege!“)」(独語第 14 版 S. 7)。診断名は事物の本質についての言明ではなく、臨床的呼称との対応の確認なのである。そして、概念がこのように仮定的にしか規定されていない以上、その「本質」を体現する症状——存在すればただちに診断を確定するような徴表——は、原理的に存在しえない。hielten の接続法第 II 式は、この帰結を先取りする形で、「基礎障害」という本質論的読解を文法の水準で退けているのである。この読解は、引用中の続く二文——「もっぱら診断に関わる」という明言と、Bleuler の「基本症状/副次症状」がそうであるような「統合失調症の理論」への関与の明示的な否認——によって裏づけられる[4]。なお文法上の注意を一つ付しておく。halten の接続法第 II 式(hielten)は過去形(Präteritum)と同形であるが、本文脈では主文が現在形(heißen … haben)であるため過去の読みは成立せず、非現実の読みのみが可能である。

本稿の主旨にとって最も重要なのは、リスト直後の二文——「in aller Bescheidenheit」の一文と、その理由を明示する nämlich の一文——である。この二文は注解を要しないほど明瞭である。一級症状的体験様式が「申し分なく(einwandfrei)」存在し、器質性の原因が検査によってさしあたり除外された、まさにその時点においてもなお、最大限の慎みをもって、はじめて統合失調症の診断名を提示することが許される。一級症状の確認は、それだけでは診断を許さないのである。第五節で詳論するとおり、DSM の操作化が失ったのは、まさにこの構造である。

この概念水準の留保から、診断実践上の帰結が導かれ、それは直説法の教義として明言される。引用末尾の「Die Symptome 1. Ranges müssen für die Diagnose der Schizophrenie nicht da sein」の「müssen … nicht」は接続法ではなく直説法現在であり、話法的否定(〜していなければならないわけではない)による免除の明言である。一級症状の存在が統合失調症診断の必要条件ではないことが、ここでは含みとしてではなく教義として宣言されている。そして最後の一文「Wir sind oft genötigt …」は、この免除規定が単なる修辞ではなく診断実践における具体的方針——一級症状の不在時には二級症状や表出症状に基づいて診断を下すという方針——であることを示している。同じ原則は循環病論の側でも繰り返される——「この症状が決してつねに存在するわけではないことは、差し支えにならない。統合失調症の診断もまた、われわれは一級症状の存在に依存させてはいないのだから(denn auch die Diagnose der Schizophrenie machen wir ja nicht abhängig von dem Vorhandensein der Symptome 1. Ranges)」(S. 66)。

同章第 II 節の妄想知覚定義の直後にも、症状から診断への関係を逆転してはならないという一文「Das darf man aber nicht umkehren」が、同じく直説法による禁止表現として置かれており(第三節に引用する)、これもまた一級症状の存在から統合失調症診断を機械的に演繹することの禁止を明示している[4]

以上を整理する。シュナイダーの文法形式の使い分けは、二つの水準が前提と帰結の関係で結ばれた一つの構造をなしている。上位の水準では、身体的基盤の確定していない疾患概念の仮定的性格を背景として、一級症状を疾患の本質とみなす読解が接続法第 II 式(hielten)によって退けられる。下位の水準では、そこから導かれる診断実践上の帰結——一級症状は診断のために存在せねばならぬわけではないという免除(müssen … nicht da sein)、症状の存在から診断を機械的に演繹してはならないという禁止(Das darf man aber nicht umkehren)——が、直説法の教義として明言される。本稿が以下「接続法的留保」と呼ぶのは、上位の留保から下位の教義へと降りてくるこの構造の総体であり、その最も鋭い標識が接続法第 II 式である。第五節で論じる DSM の操作化が失ったのは、下位の教義だけではない。上位の留保——症状は疾患の本質を体現する確定的徴表ではありえないという概念水準の留保——が、あたかも存在しなかったかのように、一級症状は確定的指標へと転用されたのである。

なお、シュナイダーの文法形式の使い分けが関わる論点は、本節で扱った範囲に尽きるものではない。一級症状リストの開放性と暫定性を標識する接続法第 II 式(「Man könnte vielleicht noch andere schizophrene Symptome 1. Ranges anerkennen」)、臨床家への戒めを与える接続法第 I 式の要求話法(「Man hüte sich …」「… gehe man der Sache nach」S. 53、第三節に引用する)、そして Bleuler 学派の症状理論への対抗という文脈(針間訳 113–116 頁参照)——これらはいずれも独立の考察に値するが、本論文の目的とする問題の関係上、本稿は考察を「一級症状が存在することそれ自体によって統合失調症という診断が確定するわけではない」という問題と、その前提をなす疾患概念の仮定的性格とに限定し、残る論点は別稿に譲る。

この文法形式の使い分けが標識する論理的非対称性は、ヤスパース流の了解心理学的方法論の文法的表現である。診断とは、観察された症状から疾患を実体的に推論する作業ではなく、患者の体験世界を内側から追体験し(Verstehen)、その動機関連が了解可能か否かを臨床家が判断する作業である。Konjunktiv II は、「臨床家の判断行為が診断に介在する場所」を文法的に標識する装置として機能する。本質論的主張と特異性の主張を接続法による留保のもとに置き、免除と禁止のみを直説法で明言するこの言語は、症状の有無を実体的に確認するのではなく、症状を了解心理学的判断の手がかりとして用いるという方法論的態度そのものである。

この判定の働きを、シュナイダー自身が別の文脈で教科書的な明晰さをもって例証している。第 III 章(異常体験反応)の不安をめぐる論述に置かれた、次の症例である。

Ein 24jähriger kräftiger unbescholtener Niederbayer, der aus einem ganz kleinen Dorf stammt und noch nie in einer größeren Stadt war, kommt nach Köln, um seine Braut zu besuchen. Schon bald nach der Ankunft glaubt er sich von den Menschen angesehen und abends im Obdachlosenasyl von Schlafgenossen auch bedroht. In größter Angst rennt er durch die Stadt, um schließlich vor den vermeintlichen Verfolgern in den Garten einer Villa zu fliehen. Er wird entdeckt und vom Überfallkommando als Einbrecher verhaftet. Bald beginnt ein wütender Kampf gegen die Beamten der Wache und des Polizeigefängnisses, in denen er verkleidete Leute aus dem Asyl zu sehen glaubt. Er verwundet im ganzen sieben Beamte nicht unerheblich. Er hört in der Zelle auch reden: seine Eltern seien umgebracht und auch er müsse sterben. Nach zwei Tagen beruhigt er sich und bald ist er völlig einsichtig und erklärt sich alles selbst aus seiner Angst. Die Erinnerung an die zwei Tage ist nicht ganz lückenlos. Eine nach zwei Jahren erhobene Katamnese ergab, daß er inzwischen nicht mehr aufgefallen war. Wir bezeichneten solche Reaktionen früher als „primitiven Beziehungswahn“ entsprechend Kretschmers Primitivreaktion: ein angstvolles Reagieren bevor noch das Erlebnis richtig aufgefaßt oder gar verarbeitet ist. Einer primitiven Persönlichkeit bedarf es dazu nicht; wohl jeder kann in gegebener Lage so reagieren. Es ist also nicht wie beim „sensitiven Beziehungswahn“, der eine spezifische Persönlichkeit voraussetzt. Um wirklichen Wahn als Wahnwahrnehmung „ohne Anlaß“ handelt es sich aber nicht, weshalb man besser von primitiver Beziehungsreaktion spricht. Die falschen Deutungen haben eben ihren Anlaß: die angstvolle Erwartung. 〔…〕 Die Differentialdiagnose zur Schizophrenie beruht bei beiden Spielarten außer auf der Art der Entstehung und des Abklingens auch auf der Symptomatik. Vor allem findet man nie eindeutig schizophrene Symptome. Zwischen solchen paranoiden Reaktionen, verständlich aufgrund von Affekten, und wirklichen Wahnpsychosen gibt es niemals Übergänge.

〔二十四歳の、頑健で前科のない下バイエルンの青年——ごく小さな村の出で、大きな都市にはまだ一度も出たことがない——が、許嫁を訪ねてケルンにやって来る。到着後まもなく、彼は人々に見られていると思い、夜には浮浪者収容所で、同宿の者たちに脅かされているとさえ思う。極度の不安のうちに彼は市中を駆け抜け、ついには、いると思い込んだ追跡者たちから逃れようとして、ある邸宅の庭に逃げ込む。彼は見つかり、緊急出動隊によって侵入盗として逮捕される。まもなく、詰所と警察留置場の係官たちに対する猛烈な格闘が始まる。彼はその係官たちのうちに、変装した収容所の連中を見ていると思い込んでいるのである。彼は係官七名に軽くない傷を負わせる。監房では話し声も聞こえる——両親は殺された、自分もまた死なねばならない、と。二日後には鎮静し、まもなく完全な病識を得て、すべてを自らの不安から自分で説明する。この二日間の記憶には、いくらかの欠落がある。二年後に行われた追跡調査では、その間、彼にもはや目立った異常はなかったことが確かめられた。われわれはかつて、こうした反応をクレッチマーの原始反応に対応させて「原始関係妄想」と呼んだ。体験がまだ正しく把握も加工もされないうちに生じる、不安に満ちた反応である。それには原始的な人格を要しない。おそらく誰でも、状況しだいでそのように反応しうるのである。それゆえこれは、特定の人格を前提とする「敏感関係妄想」の場合とは異なる。だがこれは、「きっかけなく(ohne Anlaß)」成立する妄想知覚としての真の妄想ではない。それゆえ、原始関係反応と呼ぶほうがよい。誤った意味づけには、まさにそれ固有のきっかけ(Anlaß)がある——不安に満ちた予期が、それである。〔中略〕統合失調症に対する鑑別診断は、いずれの変種においても、発生と鎮静の様式のほかに、症候にも依拠する。とりわけ、一義的に統合失調症性の症状は決して見いだされない。情動から了解可能なそうした妄想性反応と、真の妄想精神病とのあいだに、移行は決して存在しない。(独語第 14 版 S. 27–28)〕

この症例に現れているのは、注察されているという確信、被害的な意味づけ、そして声の聴取——操作化された項目評定であれば妄想および幻聴として計上されかねない現象群——であり、それが統合失調症のいかなる徴候でもなく、純粋な異常体験反応の文脈で出現している。シュナイダーがこれを統合失調症から区別する根拠は、症状項目の有無ではない。発生と経過(急性の発症、急速な鎮静、完全な病識、二年後の良好な転帰)、そして何よりも発生連関の了解可能性——誤った意味づけには「きっかけ(Anlaß)」すなわち不安に満ちた予期があり、「きっかけなく」成立する真の妄想知覚ではない——である。判定は、項目の存在確認にではなく、発生連関の了解にかかっている[5]

以上を通観すれば、一級症状ないしそれに酷似する現象が統合失調症の外部に出現しうることを、シュナイダーは認めていたどころか、自らの診断論の前提として明言していたことがわかる。器質性精神病については S. 65 の nämlich の一文が、心因性の異常体験反応については第 III 章のこの症例が、それぞれ明示している。したがって、Carpenter, Strauss & Muleh(1973)[6]が経験的に示した一級症状の非特異性は、シュナイダーにとって発見ではなく出発点であった。シュナイダーが主張したのは本質論的な pathognomonicity ではなく、身体的基礎疾患の除外と発生連関の了解判定とを経たうえでの、鑑別における診断的優位にすぎない。感情病圏については事情がやや異なるが、方向は同じである。シュナイダーは循環病固有の一級症状を否認し(第三節に引く S. 66)、統合失調症性一級症状に鑑別上の優位を規約として与えた。Carpenter らが感情病患者に一級症状を「見出した」のは、この規約の外部で一級症状を観察項目として評定した帰結にほかならない。非特異性の実証をもって一級症状の診断的価値そのものを否定し、DSM-5 が特別な比重の撤廃に至った論法は、原典にあたるかぎり、シュナイダーが一度も立てなかった主張への反駁——的を外した批判——と言わざるを得ない。この点は第五節および第七節で詳論する。

シュナイダーは 1956 年の論考「Kraepelin und die gegenwärtige Psychiatrie」において「Wie(どのように)」と「Was(何を)」の区別を方法論の核心概念として立てており[7]、これは Konjunktiv II が文法水準で表現するものと同一の形式優位の原則を概念水準で表現している。また Hoenig & Hamilton 訳(1959)において Konjunktiv II はすでに弱化しており、DSM-III の操作化はその鈍化をさらに推し進めた過程として理解できる。

シュナイダーの接続法的留保が標識しているのは、症状と診断との論理的関係に関する方法論的命題である。症状の存在から診断への一方向的・決定論的推論を拒否し、症状を「診断のための実体的徴候」としてではなく「了解心理学的判断の手がかり」として扱うという命題である。一級症状は絶対的指標ではなく、診断的考慮を要請する有力な手がかりにすぎない——これが本稿の第一の論点である。第二の論点は第三節以降で詳論する。次節では、シュナイダーの形式優位の原則を、Richarz(1848)、Falret(1864)、Jaspers(1913)を経た「内容よりも形式」の伝統のなかに位置づける。

第二節 形式論の系譜的背景——内容主義から形式主義への一世紀

シュナイダーの形式論は孤立した立場ではなく、19 世紀半ば以降のドイツ語圏精神病理学に続く「内容よりも形式」の伝統の到達点であった。Shorter(2015)はこの伝統の系譜を、19 世紀フランス精神医学の内容主義に対する反措定として描き出している[8]

出発点となるのはピネルとエスキロールに始まるフランス系の妄想分類である。エスキロールは 1819 年に「エロトマニア」「ニンフォマニア」など多数の「モノマニア(部分的狂気)」のリストを提示した。これらは妄想の対象内容(恋愛、性、宗教、迫害など)に基づく分類であり、妄想を妄想たらしめる形式的構造への問いは背景に退いていた。Shorter の言葉を借りれば、エスキロールの方式は「あたかもそれら〔妄想対象〕が、あらゆる種類の固定した虚偽の信念であるような、より大きな形態の側面ではなく、別個の病気であるかのように」記述するものであった[9]。この内容主義的伝統は 19 世紀フランス精神医学の主流をなした。

これに対する最初の明確な異議は、1848 年にボン近郊エンデニッヒに私設療養所を設立した精神科医 Franz Richarz から発せられた。Richarz は「精神医学における〔診断に関する〕見解の混乱の主な原因は、この分野が誕生して以来、病理学的な精神現象の内容に見解を集中し、単純な主題に集中しようとする傾向にあった。しかし、心理学の研究と教義においては、精神病の基本的な形態、特にそれが脳の病理学的状態に対応する範囲に集中する必要がある」と述べた。Shorter はこの発言を「形式が優位であることを早くから明確に示していた」として評価する。

より直接的な異議は、フランス内部から発せられた。サルペトリエール病院女性部主任精神科医ジャン=ピエール・ファルレ(Jean-Pierre Falret)は、1864 年にエスキロール的部分的狂気の概念全体を「反科学的(anti-scientific)であり、しばしば偶発的な二次現象に基づいている」と退け、「病気の核心に迫ることだけが、適切な分類を生む」と述べた。Falret が列挙して退けた「知的モノマニア、感情的モノマニア、本能的モノマニア、野心的モノマニア、エロティック・モノマニア、神秘的モノマニア、迫害妄想、殺人モノマニア、自殺モノマニア、放火モノマニア、窃盗モノマニア」——これらはいずれも妄想を内容によって分類したものであり、形式的構造への問いを欠いていた。Falret の批判は、フランス精神医学内部から、フランス系内容主義への根本的反省として発せられたものである。

形式優位の原則は、Karl Jaspers の『一般精神病理学(Allgemeine Psychopathologie)』(1913)において一つの頂点に達した。Jaspers は「精神病理学者にとっては、たいていの場合、形の方に大きな関心がある。内容はしばしば、より偶発的で、まったく個人的なものに見える」と明確に書いた。シュナイダーはこのヤスパース的形式論を継承しつつ、これをさらに診断学的に精緻化した。シュナイダー本人が「Wie」と「Was」の区別を方法論の鍵概念として明示的に立てたことは、すでに第一節で言及した通りである。シュナイダーの形式論は、Richarz 1848 から Falret 1864、Jaspers 1913 を経て、ドイツ語圏精神病理学の一世紀以上にわたる伝統の到達点に位置している。

この系譜的背景を踏まえてはじめて、Spitzer 以後の DSM による操作化が何を失ったかが明確になる。それは単にシュナイダー個人の方法論的遺産を継承し損ねたという事態ではなく、19 世紀半ば以降の一世紀以上にわたって築き上げられたドイツ系精神病理学の中核的伝統そのものを、フランス系内容主義への退行のなかで放棄したという事態であった。

第三節 妄想の三形式とその診断的階層——WahnstimmungWahneinfallWahnwahrnehmung

シュナイダーは『臨床精神病理学』第 VI 章第 II 節において、妄想(Wahn)の三形式を明確に区別する。すなわち妄想気分(Wahnstimmung)、妄想着想(Wahneinfall)、妄想知覚(Wahnwahrnehmung)である。これら三形式はいずれも内容ではなく形式によって妄想を捉えるという点で広義の形式論に属するが、シュナイダーが診断的比重を与えたのはそのうちの一つ——Wahnwahrnehmung のみであった。この選別こそが、シュナイダー診断学の方法論的核心を最も鋭く示している。

ヤスパース『一般精神病理学』において Wahnstimmung は妄想形成の出発点として中心的位置を占めていた。世界が漠然と異様に変容して感じられる、何か不気味な意味が迫っているように感じられる、しかしまだ具体的な内容を持たない——この前妄想的雰囲気は、ヤスパース現象学の中核的記述の一つであった。ところがシュナイダーはこの Wahnstimmung を一級症状リストから明示的に除外する。理由は、それが診断的に決定的な鑑別力を欠くからである。Wahnstimmung は統合失調症に固有のものではなく、抑うつや不安状態においても、また異常体験反応においても出現し得る。形式的記述としての価値は否定されないが、診断指標としての特異性は乏しい。シュナイダーが Wahnstimmung を診断階層から実質的に除外したことは、ヤスパース現象学からシュナイダー診断学への決定的な転回点である。形式論の継承者でありながら、シュナイダーはヤスパース的形式論をそのまま診断指標に転用することを拒否し、形式のなかでさらに鑑別力の高い形式を選別した。

妄想着想(Wahneinfall)はシュナイダーによって第二級症状に位置づけられた。Wahneinfall は「ohne Anlaß」——了解可能な動機なくして——突如として確信が成立する点で Wahnwahrnehmung と形式を共有するが、決定的な相違は、Wahneinfall が知覚という外的アンカーを持たず、純粋に思考の内部から発生する点にある。シュナイダーが第 VI 章第 II 節の末尾で挙げている「王女の症例」——遺伝健康手続き(Erbgesundheitsverfahren)の場で、ある娘が「ある王子が自分のことを気にかけ、自分を見張っている」と申し立てたために妄想性分裂病(paranoid schizophren)と診断された症例で、実は彼女は王子と共に育った間柄で 18 歳のときに王子の子を産んでおり、王子が現に彼女とその子の消息を気にかけていたという事実が後に判明した症例——は、Wahneinfall が診断的に一級症状ほどの鑑別力を持たないことの根拠を与えている。シュナイダー本人は独語原文で次のように記述している。

So erlebten wir einmal, daß ein Mädchen in einem Erbgesundheitsverfahren als paranoid schizophren diagnostiziert wurde, weil es angegeben hatte, ein Fürst kümmere sich um sie, beobachte sie. Tatsächlich war es aber wirklich so, daß ein Fürst, mit dem sie zusammen aufgewachsen war und von dem sie mit 18 Jahren ein Kind empfangen hatte, sich für ihr weiteres Leben interessierte und sich nach ihr und ihrem Kinde immer wieder erkundigte. Würde dieser Sohn später von seiner fürstlichen Abkunft reden, so käme er auch wohl leicht in den Verdacht, an Abstammungswahn zu leiden.

〔われわれは次のような事例を経験したことがある——遺伝健康手続きの場で、ある娘が、ある王子が自分のことを気にかけ自分を見張っていると申し立てたため、妄想性分裂病と診断された。しかし実際には、彼女はその王子と共に育った間柄で、18 歳のときに王子の子を産んでおり、王子は彼女のその後の人生に関心を寄せ、彼女とその子の消息を繰り返し尋ねていたのであった。仮にこの息子が後年自身の王子としての出自について語ったとしても、彼もまた血統妄想を患っていると疑われやすかったかもしれない。(独語第 14 版 S. 52–53)〕

そしてシュナイダーはこれに続けて臨床家への戒めを述べる。

Man hüte sich, alle Einfälle, die einen befremden und seltsam anmuten, gleich als Wahn zu nehmen. Nach Möglichkeit gehe man der Sache nach.

〔奇妙に思え、まれに思える着想を、即座に妄想と見なすことを慎まねばならない。可能な限り、その事柄を調べ尽くすべきである。(独語第 14 版 S. 53)〕

Wahneinfall は内容として奇妙であっても、現実的な背景を持ち得るのであり、それゆえ一級症状リストの構成員とはなり得ない。

これに対して Wahnwahrnehmung は、一級症状の中核に位置づけられる。シュナイダーの定義は次の通りである[4]

Man spricht mit Jaspers und Gruhle von Wahnwahrnehmung, wenn wirklichen Wahrnehmungen ohne verstandesmäßig (rational) oder gefühlsmäßig (emotional) verständlichen Anlaß eine abnorme Bedeutung, meist in der Richtung der Eigenbeziehung, beigelegt wird.

〔ヤスパースおよびグルーレに従って妄想知覚と呼ぶのは、合理的にも情動的にも了解可能な動機なくして(ohne verständlichen Anlaß)、現実の知覚に異常な意味(abnorme Bedeutung)が与えられ、その意味は大半の場合、自己関係の意味である現象である。(独語第 14 版 S. 51)〕

この定義の核心は二つある。第一に「ohne Anlaß」——動機の欠如——が形式的標識として置かれていること。第二に「verständlich」——了解可能性——というヤスパース流のキーワードが定義そのものに組み込まれていることである。両者は分かちがたく結びついている。「動機が了解可能でない」ことを判定するためには、臨床家が患者の体験を内側から追体験し、その動機関連が了解可能か否かを判断する行為が必要であり、この判断行為そのものが定義の構成要素となっている。

シュナイダー本人が第 VI 章第 II 節で「絶対的境界」を宣言した一文は、本稿の論証にとって決定的に重要である。

Hier liegt eine der absoluten Grenzen zwischen schizophrener Psychose und abnormer Erlebnisreaktion. Wo Wahnwahrnehmungen sind, handelt es sich immer um eine schizophrene Psychose, nie um eine Erlebnisreaktion. Das darf man aber nicht umkehren.

〔ここに統合失調症的精神病と異常体験反応との絶対的境界の一つがある。妄想知覚があるところでは常に統合失調症的精神病であり、決して体験反応ではない。しかしこれを逆転してはならない。(独語第 14 版 S. 52)〕

最後の一文「Das darf man aber nicht umkehren」は直説法による禁止表現であり、第一節で整理した文法形式の使い分けのうち、直説法による教義的免除・禁止の系列に属する。本稿の論証にとって決定的に重要なのは、一級症状の資格と特異性に関わる原理的考量をことごとく接続法第 II 式による留保のもとに置いたシュナイダーが、こと Wahnwahrnehmung に関しては「immer(常に)」という直説法の強い断定を許したという文法的非対称性である。この非対称性は、原典の内部で最小対として確かめられる。循環病論の側で、シュナイダーは循環病に一級症状に相当するものが存在するかを問い、次のように答えていた。

Auf dem Gebiet der Zyklothymie wüßten wir nun kein Symptom, das wir eines 1. Ranges heißen könnten. Wir wüßten keines, von dem man sagen könnte: wo es da ist, ist Zyklothymie.

〔さて循環病の領域においては、われわれが一級症状と呼びうるような症状を一つも知らない。「それがあるところには循環病がある」と言いうるような症状を、われわれは一つも知らない。(独語第 14 版 S. 66)〕

wüßtenwissen の接続法第 II 式であり(過去形なら wußten)、形態の上でも一義的である。二重の接続法第 II 式(wüßten … sagen könnte)の枠のなかに、pathognomonisch な言明の定式「wo es da ist, ist Zyklothymie(それがあるところには循環病がある)」がそのままの形で埋め込まれている。すなわちシュナイダーは、症状から診断へと直行するこの定式そのものは知悉しつつ、循環病についてはそれを満たす症状の存在を接続法のなかで否認した。同じ定式が、ここでは「Wo Wahnwahrnehmungen sind …」と、直説法と immer によって肯定されている。Wahnwahrnehmung こそが、シュナイダーの妄想三形式のなかで唯一、直説法での断言を支え得る診断的価値を認められた症状であった。その根拠は、Wahnwahrnehmung が現実の知覚という外的アンカーを持ち、それに対する異常な意味付与という二段階構造をとる点にある。第一段階の知覚は他者にも観察可能であり(犬が階段に座っている、知人が話している等)、第二段階の意味付与の異常性のみが了解心理学的判断の対象となる。Wahnstimmung が対象を欠き、Wahneinfall が知覚的アンカーを欠くのに対して、Wahnwahrnehmung はこの二段階構造ゆえに、現象学的記述と診断的鑑別を最も高い水準で両立させる。なお、この「immer」の断言が同語反復に陥らないのは、Wahnwahrnehmung の認定そのものに「ohne verständlichen Anlaß(了解可能な動機の不在)」という了解心理学的判定があらかじめ畳み込まれているからである[5]

シュナイダー自身が第 VI 章第 II 節で挙げた症例——修道院の階段に座って前足を上げた犬を見て、前を歩く男に「君にも犬は同じ挨拶をしたか」と問い、男の「いいえ」という返答から「明白な啓示に出会っている」という確信を得る分裂病者——は、Wahnwahrnehmung の形式論的核心を雄弁に示している。患者本人の報告はシュナイダーによって独語原文で次のように記録されている。

Ein Hund auf der Treppe eines katholischen Schwesternhauses lauerte mir in aufrechtsitzender Stellung auf, sah mich ernst an und hob eine Vorderpfote hoch, als ich in seine Nähe kam. Zufällig ging einige Meter vor mir eine andere männliche Person des Weges, die ich eiligst einholte und schnell kontrollierte, ob der Hund vor ihm auch präsentiert hätte. Ein staunendes Nein von diesem setzte mich nun in die Gewißheit, daß ich es hier mit einer deutlichen Offenbarung zu tun hatte.

〔カトリック修道院の階段の上で、一匹の犬が直立した姿勢で私を待ち伏せ、私が近づくと真剣に私を見つめ、前足の一本を高く挙げた。たまたま私の数メートル前を別の男性が歩いていたので、私は急いで彼に追いつき、犬が彼の前でも同じように振る舞ったかどうかをすばやく確認した。彼の驚いたような「いいえ」が、私を、ここで明白な啓示に出会っているという確信に至らしめた。(独語第 14 版 S. 51)〕

この症例において、知覚そのもの(犬が階段に座っている)は完全に正常であり、何ら奇異な内容を含まない。異常なのは、この日常的知覚に「明白な啓示に出会っている」という自己関係的意味が、何ら了解可能な動機なくして付与された、その付与の形式そのものである。シュナイダーが Wahnwahrnehmung を一級症状に位置づけた根拠は、内容の奇異さではなく、この形式の異常性にある。

なお、シュナイダーが一級症状を絶対的指標と考えていなかったもう一つの証左——第 III 章の異常体験反応の文脈下で一級症状的現象が出現したバイエルン青年症例——については、第一節に原文を引いて論じた[5]

以上の三形式の階層づけ——Wahnstimmung は診断階層から実質的に除外、Wahneinfall は第二級、Wahnwahrnehmung のみが一級——は、シュナイダー診断学が単なる「形式論」ではなく、形式のなかにさらに診断的鑑別力の階層を見出した「形式論的選別」であったことを示している。シュナイダーが一級症状の最も典型的な例として挙げた犬の症例(Wahnwahrnehmung)は、その内容においては奇妙さを欠くがゆえに、内容基準に基づくいかなる操作化によっても捕捉され得ない。事実、第五節で詳論するように、DSM は DSM-III(1980 年)から最新版(DSM-5、2013 年)に至るまで、Wahnwahrnehmung をその統合失調症診断基準のいかなる項目のうちにも一度も含めてこなかった。シュナイダー本人が一級症状の最重要例として挙げ、直説法による「immer」の断言を許した症例が、シュナイダー一級症状の操作的継承を自任した診断体系から完全に欠落しているという事態——この逆説こそが、形式から内容への変質の決定的な徴候である。

第四節 Huber/Gross による正統的継承——1976 年版から 2005 年版(最終版)に至る一貫性

Gerd Huber と Gisela Gross による教科書『Psychiatrie』は、1966 年の初版以来、シュナイダー精神病理学をドイツ語圏において正統的に継承した教科書であり、版を重ねながら発展してきた。本節は 1976 年版(第 2 版)と 2005 年版(第 7 版・最終版)の二つの版を主たる典拠として、その一貫性と精緻化の過程を提示する。1976 年版 158 頁の表 14「Symptome 1. und 2. Ranges bei Schizophrenie」は、シュナイダーの分類を継承しつつ「abnorme Erlebnisweisen」(異常体験様式)という上位カテゴリーのもとに整理し直したものであり、2005 年版 307 頁の表 22 はその継承形である[10]。なお、Huber は後年、シュナイダー『臨床精神病理学』第 14 版(1992 年 Thieme 社版)において編注者として補注を付しており、ドイツ語圏におけるシュナイダー受容の正統的伝達者として位置づけられる。

表の構造はシュナイダー的階層づけの継承を端的に示している。「Wahn」(妄想)の項を見ると、第 1 ランクに置かれているのは Wahnwahrnehmung ただ一つであり、Wahneinfall(妄想着想)は einfache Eigenbeziehung(単純な自己関係づけ)とともに第 2 ランクに降格されている。前節で論じたシュナイダー的階層づけ——Wahnwahrnehmung のみが一級、Wahneinfall は第二級——が、Huber/Gross の教科書 1976 年版(表 14)と 2005 年版(表 22)の双方においてそのまま継承されている。すなわち、妄想を一級症状たらしめるのは内容の奇異さではなく、「現実の知覚に動機なく異常な意味が付与される」という二段階構造そのものであり、Wahneinfall(動機なき着想そのもの)は同じ ohne Anlaß を共有しながらも、知覚という外的アンカーを欠くがゆえに鑑別力が劣るとして第 2 ランクに置かれた。

Huber/Gross 2005 年版 307 頁によれば、一級症状としての幻聴は対話形式の声(dialogische Stimmen)、注釈する声(kommentierende Stimmen)、思考化声(Gedankenlautwerden)の三形式に分類される。典型例として挙げられる症例——「家庭医と牧師の声がはっきり聞き分けられる、声はとても小さいけれども」——が示す通り、診断的に決定的なのは知覚の強度ではなく対話の形式である。なお Huber は命令的な声(imperative Stimmen)もシュナイダー本人とは異なる拡張として一級症状に算入しており(「doch nicht K. SCHNEIDER」の留保付きで)、同一の形式論的原則のより包括的な適用として理解できる[11]

Huber/Gross 2005 年版 308 頁の定義——「wirklichen Wahrnehmungen ohne rational oder emotional verständlichen Anlaß eine abnorme Bedeutung beilegt(現実の知覚に合理的にも情緒的にも了解可能な動機なくして異常な意味を付与する)」——はシュナイダーの「ohne verständlichen Anlaß」を継承しつつ了解可能性の二重構造(合理的・情緒的)を明示した。同 309 頁はこの判定基準を「Bezugsunwahrscheinlichkeit(関係づけの非確率性)」として技術用語化し、ヤスパース由来の「Methode des genetischen Verstehens」によっては把握不能と定義する——了解心理学的判断の不可分な介在がすなわち Wahnwahrnehmung の診断的特性の核心であると明確に位置づけた。ボン研究(Bonn-Studie)のデータ(311 頁)によれば一級症状は統合失調症症例の 78% に確認され、残る 22% は二級症状に依拠して診断された。

Huber/Gross 2005 年版 312 頁、二級症状節の冒頭に次の一文がある——「Die Symptome 1. Ranges sind nicht in jedem Fall und Stadium einer Schizophrenie vorhanden; sie sind nicht obligat für die Diagnose(第 1 級症状はあらゆる症例・あらゆる病期に存在するわけではない;診断のための義務的要件ではない)」。これは、シュナイダー第 14 版 S. 65 の免除規定「müssen … nicht da sein」を Huber が 2005 年に「nicht obligat für die Diagnose」としてほぼ逐語的に継承したものである。シュナイダーが文法形式の使い分け——本質論的主張の接続法第 II 式による留保と、免除規定の直説法による明言——をもって示した方法論的慎重さの全体を、Huber は半世紀後に再確認した。ドイツ語圏の正統は、この留保を 21 世紀初頭まで保持し続けた。

なお、ここで論じた RedeGegenrede の形式論的分析は、本邦における第一回目の翻訳業(平井静也・鹿子木敏範訳)が「Stimmen in Form von Rede und Gegenrede」の訳出をめぐって直面した問題と、それがドイツ語圏現象学的精神病理学の正統的記述といかに関係するかという主題に対しても、間接的な解決を与えるものである。本論文の主題は DSM 操作化の歴史的分析にあるため、この本邦固有の翻訳史的論点については註 11 に詳細を譲る[11]

第五節 DSM-III から DSM-5 への径路——形式論の三つの変容

DSM-III がシュナイダー的形式論を継承し得なかった理由は設計の構造にある。Cooper et al.(1972)の米英診断比較研究[12]と Rosenhan 実験(1973)[13]が米国精神医学の診断信頼性に国際的な疑義を生じさせ、Spitzer は κ 係数の向上を至上命題として引き受けた[14]。その設計——「観察可能・チェック可能」な項目のみを採用——は、ヤスパース的了解心理学を要する項目を構造的に排除する。Spitzer は了解心理学的判断を比較的要しない項目(思考干渉・受動性体験・対話形式の声・注釈する声)を採用し、判断を本質的に要する Wahnwahrnehmung を排除した——これが本稿の第二の論点「妄想形式の分析という営みの排除」の最初の局面である。同時に、これらの採用された症状についても、Spitzer の操作化はそれらを形式から離れた観察可能な記述として整序し直しており、本稿の第一の論点「接続法的留保の喪失」もまた、この DSM-III の設計段階にその起点を持つ。

この径路の中継地として位置するのが C. S. Mellor(1970)の論文「First rank symptoms of schizophrenia」である[15]。Mellor は一級症状をオペレーショナルな指標として記述し直し、Wahnwahrnehmung に関しては「a normal perception to which a delusional interpretation is given」(妄想的解釈が与えられた正常な知覚)として、シュナイダーの二段階構造を一応保存した。しかし Mellor の記述からはすでに Konjunktiv II の留保が脱落しており、症状の存在が診断に対して持つ論理的位置づけは曖昧化されている。

DSM-III(1980 年)は、シュナイダーの一級症状の一部——思考干渉(思考奪取・思考挿入・思考伝播)、被影響体験(受動性体験)、対話形式の声、注釈する声など——を A 基準に採用した。DSM-III A 基準項目 (1) における「bizarre delusions」は、その内容の不条理性——「content is patently absurd and has no possible basis in fact」——として定義されており、シュナイダーの自我障害的症状群そのものとして定義されているのではない。シュナイダー由来のこれらの症状は「such as(たとえば)」による例示にとどまる。bizarre delusion の核心は「内容の不条理性」という DSM 独自の規定にあり、シュナイダー一級症状はその例示である。シュナイダー自身はこれらを「奇異な(bizarre)」とは呼んでいなかったにもかかわらず[16]、DSM-III はこれらを「奇異」の典型例として整理した。一方、Wahnwahrnehmung は DSM-III の診断基準のいかなる項目のうちにも見出されなかった。Nielsen, Nordgaard & Henriksen(2022)が指摘するように、「delusional perception は ICD-11 から削除された一級症状の一つであり、DSM においては一度も含まれたことのない症状である」[17]。この排除は DSM-III-R、DSM-IV、DSM-5 を通じて一貫して継続した。なお同様の特権撤廃は ICD-11 においても並行して生じており、Hölzel は ICD-11 解説書において、シュナイダー一級症状が診断上の優位(Vorrang)を失い、列挙された症状が比重において等価とされたことを明記している[18]

シュナイダー八項目(表 1・文献[19])に対する DSM-III の再編は三層構造をとる。第一層(明示的継承):患者本人が言語的に報告可能な症状——思考干渉・思考伝播・対話形式の声・注釈する声。第二層(圧縮継承):身体的被影響体験・作為体験が「delusions of being controlled」に一括圧縮され現象学的区別を失う。第三層(完全脱落):思考化声と Wahnwahrnehmung。この非対称性は設計原理を直接反映する——チェックリスト化可能な症状は継承され、了解判断を要する症状は排除された。Wahnwahrnehmung こそシュナイダーが直説法「immer」による断言を許した最重要症状であったが、DSM-III 以降のすべての版を通じて、その統合失調症診断基準のいかなる項目のうちにも一度も含まれなかった。

Mellor(1970)[20]を経て DSM-IV(1994)においてシュナイダー一級症状は Note 規定——「奇異な妄想または特定の幻聴が単独で A 基準を充足する」[21]——として特権的地位を保持した。DSM-IV は p.275 において「精神または身体に対する統制の喪失を表現する妄想はシュナイダーの一級症状リストに含まれ一般に奇異とみなされる」と明示的に言及しているが、「loss of control over mind or body」はシュナイダー独語原典の「Durchlässigkeit der Ich-Umwelt-Schranke」「Konturverlust des Ich」とは別の概念化であり、現象学的核心を圧縮している。Wahnwahrnehmung は DSM-IV においても欠落したままであった。

DSM-IV は A 基準の核心にシュナイダー一級症状への特権的地位を保持した。これが、Moritz 調査で DSM-IV への部分的回帰が約半数(49.3%)の支持を集めた理由である。続く DSM-5(2013)はこの特権的地位を撤廃すると同時に、幻覚を「vivid and clear, with the full force and impact of normal perceptions, and not under voluntary control」(正常知覚と同等の強度と影響力を持ち、随意的統制下にないもの)と再定義した[22]——これが本稿の第三の論点「幻覚定義への知覚強度要件の付加」の核心であり、DSM-5 において新たに導入された変容である。

DSM-5 のこの規定は、シュナイダー独語原典の幻覚定義そのものと真正面から背反している。シュナイダーは『臨床精神病理学』第 14 版第 VI 章第 II 節の Wahrnehmen 論冒頭において、Sinnestäuschungen(感覚錯誤=幻覚)を次のように定義していた。

Unter den mannigfachen Störungen des Wahrnehmens, der ersten unter den Arten des Erlebens, sind für die psychiatrische Diagnose die Trugwahrnehmungen oder Sinnestäuschungen die wichtigsten. Immer wieder sei gesagt: es muß sich dabei um Sinnestäuschungen handeln, d.h. es wird etwas sinnlich, empfindungsmäßig, nicht nur gedanklich erlebt, was nicht da ist. Das „nicht da“ ist objektiv, vom Beobachter aus festgestellt, nicht vom Erlebenden.

〔体験の諸様態のうち最初に位置する知覚の多様な障害のなかで、精神医学的診断にとって最も重要であるのは錯覚的知覚(Trugwahrnehmungen)すなわち感覚錯誤(Sinnestäuschungen)である。重ねて言わなければならない——それは感覚錯誤でなければならない、すなわち、実在しないものが感覚的・感性的(sinnlich, empfindungsmäßig)に、単に思考のうえでではなく体験されるのである。この「実在しない(nicht da)」は、観察者の側から客観的に確定されるのであって、体験者の側から確定されるのではない。(独語第 14 版 S. 47)〕

シュナイダー定義の核心は二要素から成る——感覚的・感性的(sinnlich, empfindungsmäßig)な体験性、および対象の「不在(nicht da)」が観察者の側から客観的に確定されること。知覚的強度(intensity)や正常知覚との比較可能性(comparability)への言及はここに完全に不在である。そして決定的に重要なのは、シュナイダーがこの定義に続けて、知覚的強度の問題について明示的な留保を加えていることである。

Das liegt übrigens auch daran, daß die Sinnestäuschungen an sinnlichem Gehalt sehr verschieden und oft nicht der normalen Wahrnehmung vergleichbar sind.

〔このこと〔——感覚錯誤の判定の困難——〕はちなみに、感覚錯誤が感覚的内容においてきわめて多様であり、しばしば正常知覚と比較不能(nicht vergleichbar)であることにも由来している。(独語第 14 版 S. 47)〕

DSM-5 が幻覚の定義要件として課した「正常知覚と同等の生々しさと強度」という規定は、シュナイダー独語原典のこの一文によって、正面から否定される類の規定である。シュナイダー自身にとって、Sinnestäuschungen が正常知覚と「比較可能(vergleichbar)」であるか否かは、定義に関わる本質的属性ではなく、むしろ「sehr verschieden(きわめて多様)」な変異の一範囲にすぎなかった。DSM-5 の幻覚定義は、シュナイダーが定義の核心に置かなかった属性を必要条件へと格上げし、シュナイダーが「nicht vergleichbar」として留保していた変異の幅を構造的に排除した。本稿の第三の論点「幻覚定義への知覚強度要件の付加」とは、シュナイダー独語原典の幻覚定義そのものの構造的反転——「比較不能性」を留保として保持していた定義から、「比較可能性」を必須要件とする定義への移行——にほかならない。

DSM-5 のこの規定は、シュナイダー=Huber の伝統からの最も明確な逸脱を示している。前節で引用した Huber/Gross 2005 年版 307 頁の症例——「夕方静寂のなかで、私について話し合っている知人たちの声が聞こえる、家庭医と牧師の声がはっきり聞き分けられる、声はとても小さいけれども」——が示すように、ドイツ語圏の正統において一級症状としての幻聴は決して「正常知覚と同等の生々しさ」を要件としていなかった。むしろ「とても小さい声」「はっきり聞き分けられるが微細な」声——すなわち知覚的特性が部分的にしか備わっていない現象——が典型例として挙げられていた。シュナイダーが診断的に決定的とした形式(「ohne Anlaß」の異常な意味付与、自我境界の侵犯)は、DSM-5 の定義においては完全に放棄され、代わりに知覚論的な強度基準——現象学的にはむしろ末梢的な特性——が診断の中核に据えられた。

表 1 シュナイダー一級症状八項目の DSM における継承と変容
シュナイダー一級症状
(独語第 14 版 S. 65)
DSM-III (1980) DSM-IV (1994) DSM-5 (2013)
(i) 思考化声
Gedankenlautwerden
完全脱落 完全脱落 完全脱落
(ii) 対話形式の声
Stimmen in Form von Rede und Gegenrede
項目 (4) 幻聴に明示
two or more voices converse with each other
項目 (2) 幻覚下に保存
Note 規定により単独で A 基準を充足
項目 (2) 幻覚に統合
Note の特権規定は廃止
(iii) 注釈する声
Stimmen, die das eigene Tun mit Bemerkungen begleiten
項目 (4) 幻聴に明示
a voice keeps up a running commentary
項目 (2) 幻覚下に保存
Note 規定により単独で A 基準を充足
項目 (2) 幻覚に統合
Note の特権規定は廃止
(iv) 身体的被影響体験
leibliche Beeinflussungserlebnisse
項目 (1) 妄想下に圧縮
delusions of being controlled」(情意・欲動・意志領域と統合)
項目 (1) 妄想下
loss of control over mind or body」として bizarre の例示
項目 (1) 妄想に統合
Notebizarre の特権規定はいずれも廃止
(v) 思考奪取・思考干渉
Gedankenentzug, Gedankenbeeinflussungen
項目 (1) 妄想に明示
thought insertion, thought withdrawal」(bizarre の例示)
項目 (1) 妄想下
bizarre の例示
Note 規定により単独充足
項目 (1) 妄想に統合
Notebizarre の特権規定はいずれも廃止
(vi) 思考伝播
Gedankenausbreitung
項目 (1) 妄想に明示
thought broadcasting」(bizarre の例示)
項目 (1) 妄想下
bizarre の例示
Note 規定により単独充足
項目 (1) 妄想に統合
Notebizarre の特権規定はいずれも廃止
(vii) 妄想知覚
Wahnwahrnehmung
完全脱落 完全脱落 完全脱落
(viii) 感情・欲動・意志の作為体験
gemachte Gefühle, Strebungen, Wille
項目 (1) 妄想下に圧縮
delusions of being controlled」(身体領域と統合)
項目 (1) 妄想下
loss of control over mind or body」として bizarre の例示
項目 (1) 妄想に統合
Notebizarre の特権規定はいずれも廃止

注記 DSM-III および DSM-IV における「bizarre delusion」は、内容の不条理性(DSM-III)ないし「明らかに非現実的・了解不可能・日常経験に由来しない」(DSM-IV)として独立に定義されており、シュナイダー一級症状そのものとして定義されているのではない。シュナイダー由来の症状群は、この独立した一般的定義のもとで bizarre の典型例として位置づけられるにとどまる。「Note 規定」とは DSM-IV における例外条項——「妄想が奇異であるか、または幻聴が実況する声・対話する声から成る場合は、A 基準の症状は一項目のみで足りる」——を指す。DSM-5 はこの Note 規定および bizarrenonbizarre の区別を A 基準から廃止し、シュナイダー一級症状的症候群への特権的地位を取り去った。網掛けで示した構造的事実は、シュナイダーが直説法による「immer」の断言を許した Wahnwahrnehmung および自我境界の透過性が最も内省的に現れる Gedankenlautwerden の二項目が、DSM の三世代を通じて、その統合失調症診断基準のいかなる項目のうちにも一度も登場しなかったことである。

この DSM-5 における特権撤廃の方法論的根拠を、シュナイダー独語原典に立ち返って吟味するとき、看過してならないのは、シュナイダー自身が独語第 14 版 S. 65 において、一級症状的現象が統合失調症のみに限られて出現するものではないことを明示的に述べていた事実である(第一節に連続引用として掲げた一節の中核部を、ここで再掲する)。

Wo derartige Erlebnisweisen einwandfrei vorliegen und keine körperlichen Grundkrankheiten zu finden sind, sprechen wir klinisch in aller Bescheidenheit von Schizophrenie. Man muß nämlich wissen, daß sie wohl alle auch einmal bei psychotischen Zuständen auf dem Boden einer faßbaren Grundkrankheit vorkommen können: bei den Alkoholpsychosen, im epileptischen Dämmerzustand, bei anämischen und anderen symptomatischen Psychosen, bei den verschiedensten Hirnprozessen.

〔そうした体験様式が明白に現存し、かつ身体的基礎疾患が見出されないとき、われわれは最大限の慎みをもって(in aller Bescheidenheit)統合失調症と臨床的に呼ぶ。なぜなら、これらの体験様式はおそらく全て(wohl alle)、把握可能な基礎疾患を背景とする精神病性状態においても、ときに出現し得ることを知っておかなければならないからである——アルコール精神病、てんかんの夢幻状態、貧血性ないし他の症状的精神病、各種の脳過程において。(独語第 14 版 S. 65)〕

in aller Bescheidenheit」という副詞句、および一級症状的現象群が「wohl alle」各種の症状的精神病・脳過程においても出現し得るというシュナイダーの明示的承認は、シュナイダー診断学が一級症状を観察項目としてではなく臨床的判断の手がかりとして扱っていたことを端的に示している。S. 65 で明示的に挙げられた症状的精神病に並んで、本章自体の主題である循環病もまた、一級症状的現象が出現し得る領域である。循環病の重い抑うつ相において一級症状様の現象が観察されたとしても、それが深い抑うつ気分や思考制止から了解可能と判断されるならば、その現象は一級症状として認定されない。第三節で論じた Wahnwahrnehmung 定義における「ohne verständlichen Anlaß」は、Wahnwahrnehmung 固有の属性ではなく、一級症状全体の認定に貫徹する了解心理学的原理の最も明示的な形式的表現にすぎない。

この方法論的構造を踏まえてはじめて、Carpenter, Strauss & Muleh(1973)「Are there pathognomonic symptoms in schizophrenia? An empiric investigation of Schneider's first-rank symptoms[6]を起点とする一連の一級症状特異性研究——Nordgaard et al. 2008[23]を経て、Cochrane 系統的レビュー Soares-Weiser et al. 2015[24]に至る系譜——が抱え込んでいた根本的方法論的混乱の輪郭が明らかとなる。Carpenter らは IPSS(International Pilot Study of Schizophrenia)データを用い、一級症状が統合失調症患者(51%)のみならず感情障害患者(23%)にも観察される事実をもって一級症状の特異性(pathognomonicity)への経験的疑問を提起した。この論証は形式上は経験的データに依拠しているが、その方法論的前提——一級症状を観察可能な記述項目(observable items)として外的に同定し、診断カテゴリー間の頻度差を統計的に検定するという前提——そのものが、シュナイダー診断学の核心を構造的に踏み外している。シュナイダーにおいて一級症状とは観察項目ではなく診断的判定(diagnostic judgment)であり、各症例における観察的事実は、患者の心的背景・感情状態・基礎疾患の有無から了解可能か否かという臨床的判断を経てはじめて「一級症状」として認定される。Carpenter らが「感情障害患者の 23% に一級症状が観察された」と報告するとき、その 23% のうち少なからぬ部分は、シュナイダー的診断学の枠組みにおいては現象が患者の感情状態から了解可能と判断され、ゆえにそもそも一級症状として認定されない事例である。

Carpenter は後に DSM-5 Psychotic Disorders 章編集責任者として、自らの 1973 年論文の論証を一級症状特権規定撤廃の方法論的正当化の中心に据えた。しかしながら Carpenter の論証構造は、一級症状を観察項目として扱う Spitzer 流操作化の枠組みのうちに留まったままである。Carpenter にとって「一級症状が躁鬱病でも見られる」という経験的事実は一級症状特異性への反証であったが、シュナイダー自身にとってはそれは診断の出発点でこそあれ反証ではなかった——なぜならシュナイダー診断学の核心は、観察された一級症状的現象が患者の心的背景から了解可能か否かという臨床的判定にあるからである。DSM-5 における Schneider 的形式論の事実上の終焉は、操作的精神医学が半世紀をかけて練り上げた一級症状特異性批判の構造的勝利を意味するが、その勝利は、シュナイダー診断学の核心を構造的に把握し損ねた論争の勝利であって、シュナイダー精神病理学そのものへの方法論的勝利ではない。

シュナイダーが接続法で留保した一級症状群は DSM において絶対的指標に変えられ、他方シュナイダーが直説法の「immer」によって唯一断言した Wahnwahrnehmung は DSM 全版を通じて完全に欠落した——これらは別個の事象でありつつ、いずれもシュナイダー診断学の核心としての形式論の喪失を別の側面から証言している。

本節で詳論してきた DSM におけるシュナイダー概念の変容過程は、本稿の三つの論点に即して整理できる。第一に、接続法的留保の喪失——DSM-III(1980)が Konjunktiv II による方法論的留保を剥奪し、Spitzer の操作化を通じて一級症状を絶対的指標に転じさせたこと。第二に、妄想知覚の排除——同じく DSM-III 以降の全版を通じて、シュナイダーが妄想三形式のなかで唯一直説法による断言を許した Wahnwahrnehmung が、DSM の統合失調症診断基準のいかなる項目のうちにも一度も登場しなかったこと。第三に、幻覚定義への知覚強度要件の付加——DSM-5(2013)が幻覚を「正常知覚と同等の強度」を要件とする現象として再定義したこと。これら三つの変容を通底する信頼性優先パラダイムの妥当性そのものへの批判は第六節で論じる。

第六節 信頼性優先パラダイム再考——偽の二者択一と訓練された現象学的判断

これまでの論証に対して、臨床精神科医の立場からは次のような実践的懸念が当然提起されよう。すなわち、シュナイダー的現象学的態度の重要性は理解できるとしても、現象学への回帰は DSM-III 以前の——米英診断比較研究や Rosenhan 実験が暴露したような——診断不一致の混乱への退行を意味しないか、という懸念である。Spitzer が直面したのはまさにこの混乱であり、信頼性優先パラダイムはこの混乱を克服するための実際的応答であった。それを批判するならば、批判者は診断一致率の低下にどう向き合うのかという問いに答える義務がある。本節はこの懸念に対する応答を、コペンハーゲン学派とドイツ基底症状学派が過去四半世紀にわたって積み重ねてきた経験的データに即して提示する。

第一に確認すべきは、DSM-III 以前の診断不一致が「現象学的態度に依拠していたから」生じたのではなく、むしろ「現象学的訓練の欠如と非構造化面接の蔓延」から生じたという事実である。1960 年代米国精神医学の診断慣行は、シュナイダー=ヤスパース的伝統が達成していた現象学的記述の規律から大きく乖離していた。米英比較研究(Cooper et al. 1972)が明らかにしたのは、ニューヨーク側がロンドン側より二倍以上の頻度で統合失調症と診断するという非対称性であったが、ロンドン側の診断慣行が相対的に高い一致率を示し得た理由のひとつは、英国精神医学が当時なおモーズレイ伝統のもとで現象学的記述の規律を保持していたという事実にあった。すなわち、米英比較研究が暴露したのは「現象学の失敗」ではなく、むしろ米国における「現象学の不在」であった。Spitzer が想定した二者択一——現象学的判断(信頼性を下げる)対 即物的観察基準(信頼性を担保する)——は、この歴史的事実を視野から外すことによってはじめて成立する偽の対立であった。

第二に、コペンハーゲン学派は過去 20 年にわたって、訓練された現象学的面接が高い評定者間信頼性を達成し得ることを経験的に実証してきた。Møller & Husby(2000)による前駆症状の現象学的記述の信頼性研究[25]を出発点として、Parnas et al.(2005)の EASE 尺度[26]は自我障害(minimal self の摂動)の評価について訓練された評定者間で良好な信頼性を報告した。さらに Nordgaard, Revsbech, Sæbye & Parnas(2012)[27]は、まさに本節の主題そのものを直接扱った研究である。彼らは構造化面接の信頼性が方法論的設計の精緻化にもかかわらず期待されたほど高くないことを示すと同時に、訓練された臨床家による半構造化現象学的面接が良好な妥当性と信頼性を両立させ得ることを実証した。Nordgaard, Sass & Parnas(2013)「The psychiatric interview: validity, structure, and subjectivity[2]は、信頼性・妥当性・主体性の三項関係を方法論的に再考した体系的論考であり、信頼性が「訓練された評定者の臨床的判断」によってのみ真に達成されること、チェックリスト的精緻化はむしろ信頼性の見せかけを生むに過ぎないことを論じている。

ドイツ語圏内部にも同様の展開がある。Gerd Huber、Gisela Gross、Joachim Klosterkötter らが開発した Bonner Skala für die Beurteilung von Basissymptomen(BSABS、ボン基底症状評価尺度、1987)[28]は、Huber 的「基底症状(Basissymptome)」概念を臨床的に評価可能な形式に翻訳する試みであり、コペンハーゲン学派の EASE と方法論的基盤を共有している。Schultze-Lutter、Klosterkötter らによる後続の発展(Schizophrenia Proneness Instrument, SPI-A/SPI-CY[29]は、基底症状の評定が訓練された臨床家のあいだで良好な信頼性を達成し得ることを示し、現在では国際的な前駆期研究の標準的尺度のひとつとして用いられている。BSABS/SPI-A の系譜は、Huber がシュナイダー精神病理学の正統的継承者として現象学的伝統を経験的研究の語彙へと翻訳してきた軌跡の到達点である。ドイツ語圏の正統は「チェックリストか現象学か」という二者択一を拒否し、訓練された臨床判断による現象学的評価という第三の道を経験的に開拓してきた。

これらの事実から導かれる結論は、Spitzer が 1970 年代に立てた信頼性優先パラダイムの基礎前提そのものが誤っていた、という診断である。彼が想定した対立は「了解心理学的判断(妥当性に資するが信頼性を下げる)対 即物的観察基準(信頼性を担保するが現象学的妥当性を犠牲にする)」であったが、コペンハーゲン学派とドイツ基底症状学派の双方から提出された経験的データは、第三の選択肢——訓練された現象学的判断による信頼性と妥当性の両立——が現実的に可能であることを示している。Nordgaard らが繰り返し強調しているように、信頼性は方法論的設計の問題ではなく評定者の訓練の問題であり、現象学的伝統への回帰は 1970 年代以前の混乱への退行ではなく、むしろその混乱を生み出した「現象学的訓練の欠如」という根本原因への根治的対応である。

臨床精神科医の読者にとっての実践的帰結は明らかである。シュナイダー的現象学への回帰は、診断学的アナーキーへの後退ではなく、訓練された臨床判断への投資を意味する。チェックリスト依存からの脱却は、評価の恣意性への退行ではなく、患者の体験世界を内側から了解するという精神病理学の技法への再投資である。コペンハーゲン学派とドイツ基底症状学派の経験的データは、この投資が実践可能な選択肢であることを保証している。

第七節 論証の総合——Parnas、Sass、Andreasen と Moritz et al. 2024

序論で提示した Moritz et al.(2024)[30]の調査結果は、前六節の論証により説明できる。本節はこの論証を Parnas、Sass、Nordgaard、Andreasen の先行研究と照合しながら総合する。

コペンハーゲン学派(Parnas、Sass、Nordgaard)は過去20年にわたり、DSM の操作化が統合失調症の現象学的核心を捕捉できないことを繰り返し指摘してきた。Parnas et al.(2005)の EASE 尺度[26]minimal self の摂動——シュナイダー独語原典に S. 65 で「Durchlässigkeit der Ich-Umwelt-Schranke」として定式化されていた概念——を臨床評価の形式に翻訳する試みであり[31]、Sass の「hyperreflexivity」概念[32]はシュナイダー的形式論の現代的継承である。Nordgaard らは操作化された診断面接の信頼性が訓練の問題であることを実証した[27]。DSM-IV 統合失調症作業部会議長を務めた Andreasen は 2007 年、DSM-III の操作主義が米国精神医学から現象学的訓練の伝統を失わせたと告白した[3]——これは信頼性優先パラダイムの設計から構造的に導かれた帰結であった。

Moritz(2023・2024)の調査には四点の限界がある。①本稿の第一の論点(Konjunktiv II による方法論的留保の喪失)と第二の論点(Wahnwahrnehmung の DSM 全版からの欠落)は、いずれも同調査の質問項目に直接対応するものを持たない。同調査が直接捉えたのは本稿の三論点のうち第三の論点(幻覚定義への知覚強度要件の付加)のみである。②調査設計が「DSM-IV と同様の特権を回復すべきか」と問うため Wahnwahrnehmung の回復という問いを構造的に除外している。③提案する「確信度」(conviction)基準は DSM 的操作化の枠内に留まり、了解心理学的判断の回復にはならない。④本稿が第五節で論じた一級症状特異性批判の方法論的限界が Moritz et al. (2023) においても継承されており、Carpenter 1973[6]および Nordgaard et al. 2008[23]に依拠して一級症状の特異性疑問を肯定的に引用するが、その論証は一級症状を観察項目として外的に同定する方法論的前提を踏襲しており、シュナイダー診断学が一級症状を診断的判定として扱っていた事実を把握していない。

ここで構造的に注目すべきは、Moritz et al. (2023) の共著者欄に W. T. Carpenter——1973 年論文の主著者であり、DSM-5 Psychotic Disorders 章編集責任者——自身が名を連ねている事実である[16]。Carpenter は同論文において、DSM-5 の幻覚定義の見直し(本稿の第三の論点に対応する DSM-5 の変容への部分的再考)に共著者として参加しつつ、自らが 1973 年に立てた一級症状特異性批判(本稿の第一・第二の論点に対応する DSM-III 以来の変容を方法論的に正当化してきた論証)については、同論文中で「Carpenter and others were convincing in their challenge to the specificity or pathognomonic nature of first-rank symptoms」として肯定的に再確認している。Carpenter は DSM-5 における幻覚定義の変容には部分的に距離を置きつつ、DSM-III 以来の一級症状特異性批判については自らの起源を肯定し続けるという構造的に自己整合的な位置にある。Moritz らがその論文において Carpenter を共著者として迎えたという構成的事実は、Moritz らが Carpenter 系譜の一級症状特異性批判をその方法論的前提ともども継承していることを、論文の構成そのものによって示している。

共著者 Thomas Fuchs はヤスパース記念講座教授として Wahnwahrnehmung の現象学的分析を独立に発表し[33]、Stanghellini との共編書(Oxford University Press, 2013)でも DSM-IV が自我障害を内容概念に還元したことを批判していた[34]。それと同じ Fuchs が共著者に名を連ねる Moritz 論文のうちに、この批判は現れていない。

結論

本稿は、Moritz et al.(2024)の専門家調査——約 8 割が DSM-5 の幻覚定義改訂を求め、約半数が一級症状の DSM-6 への再導入を支持——を起点として、その原因をシュナイダー『臨床精神病理学』第 14 版の独語原典の Konjunktiv II を出発点として、19 世紀半ば以降のドイツ系形式論の系譜的背景と Huber/Gross(1976・2005)の正統的継承を経由して、DSM-III から DSM-5 に至る三つの形式論的変容——接続法的留保の喪失、妄想知覚の欠落、幻覚定義への知覚強度要件の付加——として再構成した。論証の到達点は以下の五つの命題に集約される。

第一に、シュナイダーの形式論は孤立した方法論的選択ではなく、19 世紀半ば以降のドイツ語圏精神病理学の一世紀以上にわたる伝統——Richarz 1848、Falret 1864、Jaspers 1913 を経て発展した「内容よりも形式」の伝統——の到達点である。シュナイダー本人が立てた「WieWas」の区別は、この系譜的伝統の方法論的核心の宣言であり、本稿が論じた接続法第 II 式の文法的標識と相補的な、概念的水準における同一原則の表現である。

第二に、シュナイダーが妄想を診断するにあたって採用した三形式の階層づけ——Wahnstimmung の診断階層からの実質的除外、Wahneinfall の第二級への配置、Wahnwahrnehmung のみの一級への昇格——は、シュナイダー診断学が単なる「形式論」ではなく、形式のなかにさらに診断的鑑別力の階層を見出した「形式論的選別」であったことを示している。Wahnwahrnehmung が一級症状の中核に位置づけられた根拠は、現実の知覚という外的アンカーを持ち、それに対する異常な意味付与という二段階構造をとる点にあった。この形式論的核心は、Huber/Gross の教科書 1976 年版(表 14)から最終版である 2005 年版(表 22)に至るまで一貫して、ドイツ語圏において厳密に継承されていた。Huber 第 7 版 312 頁における「Symptome 1. Ranges sind nicht obligat für die Diagnose(第 1 級症状は診断のための義務的要件ではない)」という命題は、シュナイダーが S. 65 で直説法により明言した免除規定「müssen … nicht da sein」を逐語的に継承するものであり、接続法第 II 式が標識する方法論的留保を 21 世紀初頭まで保持し続けたドイツ語圏正統の立場を、最終的に確証するものである。

第三に、DSM-III から DSM-5 への径路において、シュナイダー=Huber 的伝統が継承していた診断学的構造は三つの局面で大きく変容した——DSM-III における接続法第 II 式の方法論的留保の剥奪、同じく DSM-III 以降の全版を通じての Wahnwahrnehmung の統合失調症診断基準からの完全な排除、そして DSM-5 における幻覚定義への「正常知覚と同等の生々しさと強度」という知覚強度要件の付加である。これら三つの変容は、序論に注記したとおり厳密には同一の次元に属するものではないが、いずれも Spitzer 以後の信頼性優先パラダイムが要求した「観察可能・チェック可能」な記述という設計原理から導かれた帰結である点で共通する。

第四に、コペンハーゲン学派(Parnas et al. 2005、Nordgaard et al. 2012)およびドイツ基底症状学派(BSABS・SPI-A)の経験的データは、訓練された現象学的面接が信頼性と妥当性を同時に達成し得ることを実証しており、Spitzer の二者択一が偽の対立であったことを示している。臨床精神科医にとっての実践的帰結は、チェックリスト依存からの脱却と現象学的訓練への再投資である。

第五に、Moritz 調査の結果を本稿の三論点と照合すると、その対応関係はけっして対等ではない。同調査の FRS 関連質問(表 2 の 5 項目)は、DSM-IV と同様の特殊比重の回復、診断・予後・治療における有用性、Carpenter 1973 以来の特異性論争への態度といった項目から成る。これらはいずれもシュナイダー一級症状の臨床的「有用性」を測る問いであって、本稿の第一の論点(Konjunktiv II による方法論的留保の喪失)が問う論理構造、および第二の論点(Wahnwahrnehmung の DSM 全版からの欠落)が問う個別症状の運命のいずれにも、直接対応する質問項目を持たない。質問形式そのものが本稿の論点の前提とは性質を異にしており、この空白は、これらの方法論的・現象学的論点を扱う質問設計そのものを、現在の精神医学共同体が未だ持ち得ていないという事態を示している。

これに対して、本稿の第三の論点(幻覚定義への知覚強度要件の付加)には、調査表 3 の 5 項目が直接対応する。回答結果は際立って明確であり、専門家の 79.7% が DSM-5 の「正常知覚と同等の生々しさと強度」要件への異議を表明し、83.9% が「知覚としての完全な力を持たない内的事象も幻覚定義に含むべき」とし、66.1% が現行 DSM-5 定義の維持に反対した。検証済み専門家(n = 53)に限れば、第一の数値はさらに高く(84.9%)、残る二つはほぼ同水準である(82.9%、65.7%)。検証済み群で顕著に上昇するのはむしろ「知覚に類似しないが、本人が現実であり外部由来であると確信している声もまた幻覚である」への同意(全体 76.3%、検証済み 85.7%)であり、Moritz らが新定義の核心に据える確信(conviction)基準は、検証済み専門家層においてこそ強く支持されている。Moritz 調査の質問設計が直接捉え得たのは本稿の最もテクニカルな第三の論点のみであり、その限定的な検証のもとでさえ 8 割の異議申し立てが集まったという事実は、DSM-5 および DSM-5-TR(2022 年)の幻覚定義が抱える問題の深刻さを十分に明らかにしている。

本稿が示してきたのは、シュナイダー精神病理学の核心が症状リストとしてではなく、診断行為そのものの方法論として読まれるべきであるということである。Konjunktiv II はその文法を最も鋭く標識する装置であり、翻訳と操作化の二段階の過程で最も失われやすい次元でもあった。Parnas、Sass、Nordgaard、Andreasen らが取り組む現象学的伝統の回復は、シュナイダーの Konjunktiv II の方法論的遺産の再構成である。Moritz 調査の数値は、現代の精神医学共同体が DSM-5・DSM-5-TR の現行幻覚定義に対して明確な異議を表明していることを示すが、本稿の第一・第二の論点を扱いうる質問設計そのものが未だ精神医学共同体に存在しないことを、同調査の限界が逆に浮かび上がらせる。本邦におけるシュナイダー研究もまた、この国際的再検討の文脈のなかで独自の貢献をなし得る。

References
註・参考文献
[1]Moritz, S., Borgmann, L., Heinz, A., Fuchs, T., & Gallinat, J. « Towards the DSM-6: Results of a Survey of Experts on the Reintroduction of First-Rank Symptoms as Core Criteria of Schizophrenia and on Redefining Hallucinations. » Schizophrenia Bulletin, 50(5), 2024, pp.1050–1054. doi:10.1093/schbul/sbae061(Advance Access publication May 8, 2024).(引用箇所:序論)
[2]Parnas, J., Sass, L. A., & Zahavi, D. « Rediscovering psychopathology: the epistemology and phenomenology of the psychiatric object. » Schizophrenia Bulletin, 39(2), 2013, pp.270–277. および Nordgaard, J., Sass, L. A., & Parnas, J. « The psychiatric interview: validity, structure, and subjectivity. » European Archives of Psychiatry and Clinical Neuroscience, 263(4), 2013, pp.353–364.(引用箇所:序論、第六節)
[3]Andreasen, N. C. « DSM and the death of phenomenology in America: an example of unintended consequences. » Schizophrenia Bulletin, 33(1), 2007, pp.108–112.(引用箇所:序論、第七節)
[4]Schneider, K. Klinische Psychopathologie, 14. Auflage. Stuttgart: Thieme, 1980. 第 III 章(異常体験反応)ならびに第 VI 章第 II 節および第 III 節を参照。Huber/Gross による補注付き第 14 版(1992 年 Thieme 社版)も併せて参照する。本邦訳として、平井静也・鹿子木敏範による第一回目の訳業(原著第 6 版を底本とする)および針間博彦訳『新版 臨床精神病理学』(文光堂、2007 年。原著第 15 版を底本とする)がある(両訳業の経緯は註 [11] に詳述した)。本稿に掲げた同書からの独文引用の訳文は、これら両訳業を参照しつつ、すべて本稿筆者による。(引用箇所:第一節、第三節)
[5]ohne verständlichen Anlaß」という条件が Wahnwahrnehmung の認定そのものに畳み込まれていることは、本邦の臨床講義で繰り返し用いられてきた次の例に端的に示される——建物のなかを歩いているとき背後に足音が追ってくるのを聞き、それを自分を追う刑事の足音だと確信する場合、当人が現に犯罪を犯して警察に追われる立場にあれば、その確信は了解可能であり妄想知覚とは認定しない。本稿第三節で引いたシュナイダー自身の犬の症例(独語第 14 版 S. 51)と形式論的に同一の構造をもつが、こちらは反実仮想の条件節(「もし追われる立場であれば」)を言い添えることで、認定に介在する了解心理学的判定の働きを露わにする点に教育的眼目がある。なお、この足音の例は本邦の複数の教科書に記載されているものの、その最初の出典は本稿筆者には確認しえなかった。同じ判定構造は、異常体験反応の文脈において一級症状様の現象が出現した場合の鑑別にも貫徹する。シュナイダーが一級症状を絶対的指標と考えていなかった証左として本文に付記した、第 III 章不安節における異常体験反応の文脈下で一級症状的現象を呈したバイエルン青年症例については、本稿第一節に原文と訳文を引用した。なお同章 S. 27 には、この鑑別をめぐるシュナイダー自身の戦場観察が記されている。不安性朦朧状態は「戦時には空襲の時期に見られた」とされ、「戦場でわたしが見いだした型(Im Felde fand ich als Typen)」として、単純な不安性の興奮と困惑、悲愴で荘重な緊張と高揚、無感動の昏迷、粗大に的外れな応答を伴う仮性認知症が挙げられる。最後の型については「たいてい目的反応(Zweckreaktion)を想定してよい」とされ、鑑別の視野には詐病に類する目的反応までもが含まれていた。そのうえでシュナイダーは述べる——「戦場では、心因性朦朧状態と統合失調症との鑑別診断はしばしば困難であった(Im Felde war die Differentialdiagnose zwischen psychogenem Dämmerzustand und Schizophrenie oft schwer)」「同じ主包帯所での精神病様の像の集積は、当然つねに統合失調症に反する根拠となる。わたしはかつて、同時にそうした争われる症例を三例見た(Ich sah einmal gleichzeitig drei solche strittige Fälle)」。そしてこう結ぶ——「個々の症例では、その決定は、時に、最も熟練した者にとってさえ、当初は(zunächst)不可能でありうる(Im Einzelfall kann die Entscheidung manchmal selbst dem Geübtesten zunächst unmöglich sein)」。この zunächst の一語は重い。シュナイダーは、統合失調症か循環病かという診断の取り扱いの相違が「決定的な重みを状態(Zustand)に置くか、経過(Verlauf)に置くか」にかかることを述べたうえで、「(われわれのように)前者をとる者は(Wer (wie wir) das erstere tut)」と、横断面の心理病理像に決定的な重みを置く立場を自らのものとして明言していた(独語第 14 版 S. 68)。その彼が、戦場の臨床では横断面の決定が達人にすら当初は不可能な局面のあることを認め、症状的に特徴を欠く真の中間例については「まさに経過もまた評価されることになろう(eben auch den Verlauf bewerten wird)」と譲歩し(同 S. 69)、さらには診断が「現時点で(hic et nunc)、あるいは長期にわたって」決定不能でありうることまで承認した(同 S. 69)。横断面診断の理念を保持しつつ、理念が届かない局面では決定を強制せず、不能を不能として言明する——この態度は、横断面の項目評定に決定を義務づける操作的診断との対照において、いっそう際立つ。第 I 章はこの態度を数字と規範の両面で裏づける。ミュンヘン=シュヴァービング市立病院精神科の 1932〜1936 年の集計では、異常人格・体験反応 1647 例と統合失調症 941 例とのあいだで診断の争われた症例は 28 例にすぎず(「これはきわめて少ない」)、シュナイダーはここから、両者のあいだに移行はなく「峻厳な鑑別診断(schroffe Differentialdiagnostik)」が存在すると結論する(独語第 14 版 S. 6–7)。そして規範として——「それでも診断が明らかにしえない場合には、『未解明の症例』あるいは『統合失調症の疑い』『循環気質の疑い』と言うほうがよい。具体的な症例においては、極限まで決定を試みねばならず、そしてほとんどつねに、無理なく(ohne Zwang)決定もなしうる」(同 S. 6)。極限まで試み、しかし強制せず、決められない症例には「未解明」の名を与える——バイエルン症例の置かれた診断論的地平は、これである。なお、経過に定位するフランスの伝統と横断面に定位するドイツの伝統との対比については、本稿筆者の別稿「統合失調症概念の独仏比較——ドイツの系譜からフランスの精神病論へ、そして ICD-11 の評価」(横浜基礎研究所紀要)を参照。より立ち入った訳註と分析は、本稿筆者が別の翻訳業の文脈で準備している別稿「シュナイダーにおける異常体験反応と一級症状の鑑別」(仮題)に譲る。(引用箇所:第一節、第三節)
[6]Carpenter, W. T., Strauss, J. S., & Muleh, S. « Are there pathognomonic symptoms in schizophrenia? An empiric investigation of Schneider's first-rank symptoms. » Archives of General Psychiatry, 28(6), 1973, pp.847–852. 本論文は IPSS(International Pilot Study of Schizophrenia)のデータに依拠し、シュナイダー一級症状が統合失調症患者(51%)のみならず感情障害患者(23%)および「神経症および性格障害」患者(9%)にも観察されるという経験的事実をもって、一級症状の特異性(pathognomonicity)への批判を提起した。本稿第五節で論じた通り、Carpenter は後に DSM-5 Psychotic Disorders 章編集責任者として、この 1973 年論文の論証を一級症状特権規定撤廃の方法論的正当化の中心に据えた。さらに 2023 年の Moritz 共著論文 [16] においても、Carpenter は自らが起点となったこの特異性批判を肯定的に再確認している。本稿が第五節で論じる通り、この一連の論証は一級症状を観察項目として外的に同定し診断カテゴリー間の頻度差を検定する方法論的前提に立っており、シュナイダー診断学が一級症状を観察項目ではなく診断的判定として扱っていたという根本的事実を構造的に把握し損ねている。(引用箇所:第五節、第七節)
[7]Schneider, K. « Kraepelin und die gegenwärtige Psychiatrie. » Fortschritte der Neurologie und Psychiatrie, 24, 1956, pp.1–7. WieWas(形式と内容)の区別への言及は同論文 4 頁。本稿筆者は Shorter (2015) 註 24 を経由してこの論考の存在を知るに至った。Schneider がこの形式論的方法論を「Kraepelin と現代精神医学」という主題のもとで立てたという事実は、本稿の論証——シュナイダーの形式論をドイツ語圏精神病理学の系譜的伝統の到達点として位置づける論証——にとって重要な傍証となる。(引用箇所:第一節)
[8]Shorter, E. What Psychiatry Left Out of the DSM-5: Historical Mental Disorders Today. New York: Routledge, 2015. 第 2 章「Disease Designing」、特に 17–18 頁「形式が内容に優先する(Form rather than content)」の節。同節末尾においてショーターは、Richarz 1848、Falret 1864、Jaspers 1913 を経たこの形式主義的伝統の到達点にシュナイダーを位置づけつつ、「形式から内容への重点の移行は、今日、DSM-5 の新奇な内容診断によって逆転されようとしている」と明確に宣言している。英語圏においてこの問題構制を明確に把握していたショーターの記述は、本稿が第二節で論じた系譜の英語圏的傍証であると同時に、同じ英語圏の研究者である Moritz がこの問いを引き継げなかったことへの批判的対比として機能する。(引用箇所:第二節)
[9]Shorter (2015) 第 2 章「Disease Designing」17 頁以下。Esquirol、Richarz、Falret、Jaspers に関する引用および記述は Shorter の当該章の記述を典拠とする。Shorter が各論者について挙げている原典は以下の通り——Richarz, F., 「Ueber die Grundformen der chronischen SeelenstörungenAllgemeine Zeitschrift für Psychiatrie, 5 (1848), 318–326, 特に 318–319; Falret, J.-P., Des maladies mentales (Paris: Baillière, 1864), xxxviii–xxxix; Jaspers, K., Allgemeine Psychopathologie (Berlin: Springer, 1913), 19. これらは本稿筆者が Shorter 原典より孫引きしたものである。(引用箇所:第二節)
[10]Huber, G., & Gross, G. Psychiatrie: Systematischer Lehrtext für Studenten und Ärzte, 2. Auflage. Stuttgart: Schattauer, 1976, S. 158. Tab. 14: Symptome 1. und 2. Ranges bei Schizophrenie. Huber, G., & Gross, G. Psychiatrie: Lehrbuch für Studium und Weiterbildung, 7. Auflage(最終版). Stuttgart: Schattauer, 2005, S. 307. Tab. 22: Symptome 1. und 2. Ranges der Schizophrenie nach K. Schneider (bezüglich der Symptome 2. Ranges modifiziert, s. S. 312). 本稿第四節における主たる引用箇所は次の通り——表構造(S. 307);imperative Stimmen を Huber 自身の追加として明示する記述(S. 307);Wahnwahrnehmung 定義に「rational oder emotional verständlichen Anlaß」の二重質的修飾(S. 308);Bezugsunwahrscheinlichkeit および「Methode des genetischen Verstehens」によるヤスパース了解心理学への明示的接続(S. 309);ボン研究データ「78%」(S. 311);Symptome 2. Ranges 節冒頭における「Die Symptome 1. Ranges sind nicht in jedem Fall und Stadium einer Schizophrenie vorhanden; sie sind nicht obligat für die Diagnose」(S. 312)。(引用箇所:第四節、第五節、第六節、第七節)
[11]本邦におけるシュナイダー『臨床精神病理学』第一回目の翻訳業(平井静也・鹿子木敏範訳、原著第 6 版 1962 年を底本とする)において、シュナイダー独語原典の「Stimmen in Form von Rede und Gegenrede」は「話しかけと応答の形の声」として訳出された。この訳は、当時の本邦臨床精神医学の臨床的経験と相互に共鳴する関係にあった——本邦の精神科臨床医は、患者に何ごとかを語りかける幻声に対して患者本人が(しばしば抗議の形で)応答するという臨床像を実地に数多く経験しており、こうした臨床経験と「話しかけと応答」という訳語とは互いに支え合う関係にあったのである。ところが 1980 年に Spitzer 主導の DSM-III が公刊されたとき、対応する規定は「two or more voices conversing with each other(互いに会話する二つ以上の声)」とされ、患者本人ではなく第三者同士が患者について語り合う声、と理解されるべきものとなっていた。これにより本邦の精神神経学会内部に混乱が生じ、当初の訳は誤訳とみなされる契機を生んだ。訳者の一人である鹿子木敏範はこの問題を、Marburg 大学の Wolfgang Blankenburg 教授に直接照会した。Blankenburg からは当初の訳でよいとの回答を得たという。照会の様子は録音資料として残されたとのことであるが、両氏の他界により現時点での原資料確認は困難である。本稿筆者はこの経緯を鹿子木氏より直接伺った。その後、本邦における第二回目の翻訳業(針間博彦訳、原著第 15 版 2007 年を底本とする)においては、当該箇所は「言い合う形の声」と訳されている。針間は訳業の過程で Gerd Huber に直接照会し、原典は dialogische Stimmen(対話性の声)の意であるとの回答を得たことが、針間訳の訳註に記されている。この問題をめぐる本稿の理解は次の通りである。シュナイダー本人は命令的な声(imperative Stimmen)を一級症状とはしなかったが、Huber は『Psychiatrie』第 2 版(1976 年)の段階でこれを一級症状に加える方向で検討し、第 7 版(2005 年)においては明示的に加えるに至った。第 7 版 307 頁において Huber は「Wir (doch nicht K. SCHNEIDER) rechnen auch akustische Halluzinationen, in denen Befehle erteilt werden: imperative Stimmen, zu den Symptomen 1. Ranges(われわれは——シュナイダー本人は違うが——命令を与える聴覚幻覚=命令的な声もまた一級症状に算入する)」と明記している。その典型例として Huber が挙げているのは「『首を吊れ』と声が命じた。別の声が『そうしてはいけない、家族のことを考えろ』と言った」という症例である。命令的幻聴も一級症状と認めるとの説明と例とは不整合である。Huber はなぜこのような例を出したのかよく分からない。命令的な声は実地臨床において頻繁に遭遇する所見である。シュナイダーがこれを一級症状に算入しなかったのは、命令的な声が統合失調症以外の病態にも広く認められることを考慮したためかもしれない。Blankenburg もおそらく同様の臨床的認識のもと、鹿子木氏の照会に応じたものと推察される。ただし、Heidelberg におけるシュナイダー学派の直接の継承者として『臨床精神病理学』第 14 版に補注を編んだ Huber と、Marburg において現象学的精神病理学を独自に発展させた Blankenburg とは、シュナイダー本人との関係において立場を異にする——Blankenburg はシュナイダー本人と師弟関係にあったわけではなく、次世代の論者として独立に展開した立場にある。鹿子木氏が Huber ではなく Blankenburg のもとを訪ねた経緯については、本稿筆者は伺い損じている。(引用箇所:第四節)
[12]Cooper, J. E., Kendell, R. E., Gurland, B. J., et al. Psychiatric Diagnosis in New York and London: A Comparative Study of Mental Hospital Admissions. London: Oxford University Press, 1972.(引用箇所:第五節、第六節)
[13]Rosenhan, D. L. « On being sane in insane places. » Science, 179(4070), 1973, pp.250–258.(引用箇所:第五節)
[14]Spitzer, R. L. « On pseudoscience in science, logic in remission, and psychiatric diagnosis: a critique of Rosenhan’s ‘On being sane in insane places’. » Journal of Abnormal Psychology, 84(5), 1975, pp.442–452.(引用箇所:第五節)
[15]Mellor, C. S. « First rank symptoms of schizophrenia. » British Journal of Psychiatry, 117, 1970, pp.15–23.(引用箇所:第五節)
[16]Moritz, S., Gawęda, Ł., Carpenter, W. T., Aleksandrowicz, A., Borgmann, L., Gallinat, J., & Fuchs, T. « What Kurt Schneider Really Said and What the DSM Has Made of it in Its Different Editions: A Plea to Redefine Hallucinations in Schizophrenia. » Schizophrenia Bulletin, 50(1), 2024, pp.22–31. doi:10.1093/schbul/sbad131(Advance Access publication September 21, 2023). 本論文は DSM-III が「bizarre delusions」というラベルを思考干渉・受動性体験等のシュナイダー一級症状に貼ったが、シュナイダー自身はこれらを「奇異な」とは呼んでいなかったことを明示的に指摘している。同論文の共著者欄には DSM-5 Psychotic Disorders 章編集責任者 W. T. Carpenter が名を連ねており、Carpenter は同論文中で自らが 1973 年に提起した一級症状特異性批判(本稿 [6] に対応)を肯定的に再確認している。(引用箇所:第五節、第七節)
[17]Nielsen, K. M., Nordgaard, J., & Henriksen, M. G. « Delusional Perception Revisited. » Psychopathology, 55(6), 2022, pp.325–334. Wahnwahrnehmung(妄想知覚)が ICD-11 から削除された一級症状の一つであり、かつ DSM においては一度も含まれたことのない症状であることを明確に論証する論文。本稿の核心的事実関係を支える決定的な参照源。(引用箇所:第五節)
[18]Hölzel, L. & Berger, M. (Hrsg.) ICD-11 — Psychische Störungen. Berlin: Springer, 2024. 特に Kap. 5: Hölzel, L. Schizophrenie oder andere primäre psychotische Störungen.(松石竹志訳〔翻訳中〕。引用箇所:第五節)
[19]American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Third Edition (DSM-III). Washington, DC: American Psychiatric Association, 1980. Schizophrenic Disorders 診断基準: pp.188–190.(引用箇所:第五節)
[20]前掲 [15]。(引用箇所:第五節)
[21]American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fourth Edition (DSM-IV). Washington, DC: American Psychiatric Association, 1994. Schizophrenia 診断基準: pp.285–286(A 基準五項目構造と Note 規定);Diagnostic Featuresbizarre delusion 定義およびシュナイダーへの明示的引用: p.275。(引用箇所:第五節)
[22]American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition (DSM-5). Washington, DC: American Psychiatric Association, 2013. Schizophrenia Spectrum and Other Psychotic Disorders 章、Diagnostic Features の節。本稿第五節および序論における幻覚定義の引用「vivid and clear, with the full force and impact of normal perceptions, and not under voluntary control」は、同節における幻覚(Hallucinations)の項目に依拠する。(引用箇所:序論、第五節、第七節)
[23]Nordgaard, J., Arnfred, S. M., Handest, P., & Parnas, J. « The Diagnostic Status of First-Rank Symptoms. » Schizophrenia Bulletin, 34(1), 2008, pp.137–154. doi:10.1093/schbul/sbm044. 本論文は Carpenter 1973 年論文 [6] 以降の一級症状特異性研究を系統的に総括し、DSM-5 における一級症状特権撤廃の経験的・概念的根拠の主要な参照源の一つとなった。Moritz 2023 [16] が一級症状特異性批判を肯定的に引用する際の主要根拠の一つでもある。(引用箇所:第五節、第七節)
[24]Soares-Weiser, K., Maayan, N., Bergman, H., Davenport, C., Kirkham, A. J., Grabowski, S., & Adams, C. E. « First rank symptoms for schizophrenia (Cochrane diagnostic test accuracy review). » Schizophrenia Bulletin, 41(4), 2015, pp.792–794. doi:10.1093/schbul/sbv061. Cochrane 系統的レビューによる一級症状の診断的精度評価。Moritz 2023 [16] が DSM-5 における一級症状特権撤廃の経験的正当化の文脈で参照する。本稿の方法論的観点からは、Carpenter 1973 [6] 以来の一級症状を観察項目として扱う経験的研究の系譜の到達点として位置づけられる。(引用箇所:第五節、第七節)
[25]Møller, P., & Husby, R. « The initial prodrome in schizophrenia: searching for naturalistic core dimensions of experience and behavior. » Schizophrenia Bulletin, 26(1), 2000, pp.217–232.(引用箇所:第六節)
[26]Parnas, J., Møller, P., Kircher, T., et al. « EASE: Examination of Anomalous Self-Experience. » Psychopathology, 38(5), 2005, pp.236–258.(引用箇所:第六節、第七節)
[27]Nordgaard, J., Revsbech, R., Sæbye, D., & Parnas, J. « Assessing the diagnostic validity of a structured psychiatric interview in a first-admission hospital sample. » World Psychiatry, 11(3), 2012, pp.181–185.(引用箇所:第六節、第七節)
[28]Gross, G., Huber, G., Klosterkötter, J., & Linz, M. Bonner Skala für die Beurteilung von Basissymptomen (BSABS; Bonn Scale for the Assessment of Basic Symptoms). Berlin: Springer, 1987.(引用箇所:第六節)
[29]Schultze-Lutter, F., Addington, J., Ruhrmann, S., & Klosterkötter, J. Schizophrenia Proneness Instrument, Adult Version (SPI-A). Rome: Giovanni Fioriti Editore, 2007.(引用箇所:第六節)
[30]前掲 [1]。(引用箇所:第七節)
[31]Parnas, J. « A disappearing heritage: the clinical core of schizophrenia. » Schizophrenia Bulletin, 37(6), 2011, pp.1121–1130.(引用箇所:第七節)
[32]Sass, L. A. Madness and Modernism: Insanity in the Light of Modern Art, Literature, and Thought. New York: Basic Books, 1992. および Sass, L. A., & Parnas, J. « Schizophrenia, consciousness, and the self. » Schizophrenia Bulletin, 29(3), 2003, pp.427–444.(引用箇所:第七節)
[33]Fuchs, T. « Delusional Mood and Delusional Perception – A Phenomenological Analysis. » Psychopathology, 38(3), 2005, pp.133–139. DOI: 10.1159/000085843. 本論文においてフックスは、妄想気分(Wahnstimmung)から妄想知覚(Wahnwahrnehmung)への移行過程を、フッサールの志向的知覚概念とメルロ=ポンティの身体化された知覚概念を用いて現象学的に分析している。知覚における能動的・志向的(gnostic)成分の麻痺が pathic 成分を解放し、間主観的な現実構成が崩壊して妄想知覚へと至るという論証は、本稿第三節で論じた Wahnwahrnehmung の二段階構造の現象学的基礎づけとして読まれるべきものである。論文全文はハイデルベルク大学公式サイトより無料公開されている。(引用箇所:第七節)
[34]Stanghellini, G. & Fuchs, T. (eds.) One Century of Karl Jaspers' General Psychopathology (International Perspectives in Philosophy and Psychiatry). Oxford: Oxford University Press, 2013. ISBN: 9780199609253. 本書第 16 章(Thomas Fuchs 著「The Self in Schizophrenia: Jaspers, Schneider, and Beyond」、pp.245–268)において、フックスは ICD-10 および DSM-IV が自我障害(Ich-Störungen)の現象学的核心——活動感覚(Aktivitätsgefühl)の障害、独自性(Meinhaftigkeit)の喪失、自我境界の透過性——を「思考吹入・思考奪取・作為妄想」という内容概念へと還元し、「自己障害」「自我障害」という用語そのものが診断体系から消失したことを独立に批判している。この論証は本稿が第七節で論じた Wahnwahrnehmung の欠落と構造的に同型の問題を、自我障害論の側から把握したものであり、本稿筆者が別稿「自我障害の診断学史」(仮題)において独立に論じる予定の主題の先行的論考として位置づけられる。(引用箇所:第七節)
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