付録 知的発達症におけるカタトニアの理解

「いつもの姿との変化」を見抜き、生命を守るための実践ガイド

コア層 約12分/全層 約30分
本章の重要性

カタトニアは治療可能な医学的症候群でありながら、知的発達症や自閉スペクトラム症(ASD)の特性と酷似しているため、見過ごされやすいという深刻な臨床的課題があります。発見が遅れると、脱水・血栓症・誤嚥性肺炎・横紋筋融解症など生命を脅かす合併症に至ることがあります。本章は、施設職員がこの危険な見落としを避け、変化に気づいたときに速やかに医療連携につなげるための実践的ガイドです。

この章で学ぶこと

本章では、カタトニアという症候群の基本的な定義、知的発達症やASDをもつ方々で見過ごされやすい理由、観察すべき主な精神運動症状、原因の分類、そして施設職員に求められる「ベースラインからの変化を見抜く視点」と医療連携のあり方を学びます。診断や治療は医療スタッフの仕事ですが、カタトニアの兆候に最初に気づく可能性が最も高いのは、利用者の日常を最もよく知る施設職員です。

1. なぜカタトニアの理解が重要なのか

知的発達症や自閉スペクトラム症(ASD)をもつ利用者に、ある日いつもと違う変化が現れたとします。常同行動の頻度が急に増えた、あるいは逆に動きが極端に減った、これまで話していた言葉が出なくなった、食事介助で口を開けようとしない、特定の姿勢で長時間動かない――。

これらの変化を、私たちは時に「今日は調子が悪いのかな」「特性が強く出ているのかな」と受け止めがちです。しかし、その背景にはカタトニアという治療可能な医学的症候群が隠れている可能性があります。

カタトニアの怖さは、以下の二点にあります。

つまり、施設職員がこの症候群を知り、「いつもと違う」に気づくこと自体が、利用者の生命と生活の質を守ることに直結します。

この章の位置づけ

本章は付録として置かれていますが、内容の重要性は本編の各章と並ぶ、あるいはそれ以上のものです。知的発達症・ASDの利用者を支援するすべての職員に、特に注意深く読んでいただくことを推奨いたします。

2. ICD-11におけるカタトニアの定義

ICD-11では、カタトニアは「精神運動活動の低下、亢進、または異常のいくつかの症状が同時に起こることを特徴とする、主に精神運動の障害からなる症候群」と定義されています。

この定義の重要なポイントは以下の通りです。

診断の基本要件

ICD-11では、カタトニアの診断には次の3つの要件がすべて満たされる必要があります。

診断は医師の役割ですので、施設職員が症状の数を数えて診断を下す必要はありません。求められるのは、変化に気づいて速やかに医療連携を行うことです。

もっと詳しく:カタトニアの歴史的背景

カタトニアは、1874年にドイツの精神科医カール・ルートヴィヒ・カールバウム(Karl Ludwig Kahlbaum)によって初めて記述された、150年以上の歴史をもつ概念です。長い間「統合失調症の一亜型」として位置づけられてきましたが、近年の研究の蓄積により、統合失調症だけでなく感情障害、神経発達症、身体疾患など多様な原因から生じうることが明らかになりました。

この知見を反映し、2022年に発効したICD-11では、カタトニアが独立した症候群として再認識され、第6章A40〜A4Zの独立カテゴリーが設けられました。これは、カタトニアの早期発見と適切な介入の重要性が、国際的に再認識されたことを意味しています。

知的発達症やASDとカタトニアの関連は、特に近年注目されており、ASDをもつ若年成人の約10〜17%にカタトニアが合併するとする研究もあります。施設で支援する利用者層には、カタトニアの高リスク群が含まれていることを認識する必要があります。

3. 観察すべき主な精神運動症状

ICD-11 CDDRは、カタトニアの症状を以下の3つの領域に分類し、合わせて15の症状を挙げています。この分類は、症状が精神運動活動の「量」の変化(低下/亢進)であるか、それとも「質」の異常であるかを区別するものです。

ICD-11 CDDRに基づくカタトニアの症状分類 活動性の低下 (5症状) 凝視 一点を見つめ、まばたきが減る 両価運動 動こうとして決められず固まる 拒絶症 声かけ・指示に逆らう 昏迷 動かず、呼びかけに反応しない 無言症(緘黙) 話さない、ほとんど声を出さない 活動性の亢進 (1項目=複数症状で1つ) 以下のいずれか: ・目的のない 極端な過活動/激越 ・制御不能な 極端な情緒反応 ・衝動性 突然の不適切な行動 ・攻撃的言動 場当たり的に他者に手を出す 重要な規則 複数が同時にあっても 1つとしてカウント 異常な精神運動 (9症状) しかめ顔 奇妙で状況に合わない表情 衒奇症(わざとらしさ) 芝居がかった奇妙な動作 姿勢保持 自発的に奇妙な姿勢を保つ 常同症 目的のない動作の繰り返し 硬直[診察] 筋緊張の亢進 反響現象 言葉・動作をオウム返し 言語反復 同じ語句を延々と繰り返す 蝋屈症[診察] 動かすと蝋人形様の抵抗 カタレプシー(強硬症)[診察] 受動的にとらされた姿勢を保つ
図1 ICD-11 CDDRによるカタトニア症状の3領域15症状 診断には合わせて3つ以上の症状が必要。1領域のみからでも、複数領域からでもよい。ただし「活動性の亢進」領域は複数の症状があっても1つとして数える。[診察]と示した症状は身体診察によって初めて確認できる。

各症状の説明

以下に、ICD-11 CDDRの15症状について、現場での観察に役立つやさしい説明を加えてまとめます。難しい用語には括弧でかみくだいた言い換えを添えています。

(1) 活動性の低下に属する症状(5つ)

症状名 CDDRの記述 施設での観察例
凝視
Staring
(一点をじっと見つめ続ける状態)
視線が固定し、まばたきが減る。しばしば目を大きく見開く テレビや職員の顔にも反応せず、一点をじっと見つめ、まばたきがほとんどない
両価運動
Ambitendency
(動こうとして決められず固まる状態)
決めかねて、ためらう動きのなかで「運動的に引っかかった」ように見える 手を差し出しかけては引っ込める動作を繰り返し、座ろうとして立ち止まる
拒絶症
Negativism
依頼や指示に逆らう、あるいは反対の行動をとる。他者との関わりから引きこもる、食事・水分を拒む 食事介助で口を開けるよう促すと、かえって固く口を閉ざす。「こちらを向いて」と言うと顔を背ける
昏迷
Stupor
(動かず、呼びかけにほとんど反応しない状態)
不動状態。精神運動活動がないか著しく減少。外部からの刺激にほとんど反応しない 呼びかけや軽い接触に反応せず、一点を見つめたまま動かない
無言症/緘黙
Mutism
(話さない、ほとんど声を出さない状態)
発話がない、あるいはごくわずか。ささやくような声で、聞き取れないほど 普段は発話がある人が、急に全く話さなくなる。問いかけに頷きもしない
「無言症(緘黙)」と発声器官の病気の区別

CDDRでは、神経系疾患や発達性の言語・発話障害、その他の発話に影響する病気による「話せなさ」は、カタトニアの症状としては数えないよう明記されています。これまで話せていた人が急に話さなくなった場合に初めてカタトニアの症状として意味を持ちます。

(2) 活動性の亢進に属する症状(1集合的基準)

CDDRでは、以下の4つの現れ方は互いに近い関係にあり、複数が同時に見られても「1つの症状」としてのみ数えるという特別な規則があります。

症状名 CDDRの記述 施設での観察例
極端な過活動/激越
Extreme hyperactivity/agitation
(理由のない激しい動き回り)
理由のない極端な過活動や激越で、目的のない動き、あるいは制御できない極端な情緒反応を伴う 普段は穏やかな人が、目的のない動きや声を発し続け、落ち着きなく徘徊する
衝動性
Impulsivity
(きっかけなく突然、不適切な行動をとる)
きっかけなく突然、不適切な行動をとる 状況に関係なく、急に立ち上がって走り出す、物をつかんで投げるなど予測できない行動
攻撃的言動
Combativeness
(場当たり的に他者に手を出す)
他者に対して場当たり的に打ちかかる。怪我を負わせる可能性があるかないかは問わない 介助中に職員を叩く、掴むなど、明確な対象や目的のない攻撃的な動作

(3) 異常な精神運動に属する症状(9つ)

症状名 CDDRの記述 施設での観察例
しかめ顔
Grimacing
(状況と関係ない奇妙な表情)
奇妙で歪んだ顔の表情。しばしば状況と関係なく、不適切 会話の文脈と無関係に、繰り返し顔を歪める
衒奇症(げんきしょう)
Mannerisms
(わざとらしく芝居がかった動作)
奇妙で目的のある動作で、その人の文化的背景に照らして不適切。日常動作の大げさな戯画 ドアを開ける際に、回りくどく儀式的な手の動きをする
姿勢保持
Posturing
(自分から奇妙な姿勢をとり続ける)
重力に逆らう姿勢を自発的かつ能動的に維持する。長時間、反応せずに座ったり立ったりし続ける 理由なく腕を上げたまま長時間その姿勢を保つ。不自然な角度で立ち続ける
常同症
Stereotypy
目的のない反復的な運動活動(指遊び、自分を繰り返し触る・叩く・こするなど)。動作そのものが異常なのではなく、その頻度に異常がある 同じ場所を意味なく行ったり来たりする、手を特定の形で振り続ける
硬直
Rigidity
(筋の緊張が強まり身体がこわばる)
[身体診察が必要]
筋の緊張亢進による抵抗。軽度の亢進から重度の「鉛管様」硬直まで幅がある 関節を動かす介助時に、通常以上の抵抗を感じる。身体全体がこわばる
反響現象
Echophenomena
(他者の言葉や動作をそのままオウム返しに真似る)
診察者の発話を真似る(反響言語:echolalia)か、動作を真似る(反響動作:echopraxia) 「お風呂入ろうね」と声をかけると「お風呂入ろうね」とそのまま返す。職員が手を上げると同じように手を上げる
言語反復
Verbigeration
(同じ語句を意味もなく延々と繰り返す)
語、句、文を、目的もなく連続して繰り返す 「ごはんごはんごはん……」と同じ言葉を抑揚なく長時間繰り返す
蝋屈症(ろうくつしょう)
Waxy flexibility
(動かすと蝋人形のような抵抗を示す)
[身体診察が必要]
診察者が体位を変えようとすると、わずかに、そして一定の抵抗を示す 介助で腕を曲げると、蝋人形のような柔らかな抵抗があり、ゆっくり動く
カタレプシー(強硬症)
Catalepsy
(受動的にとらされた姿勢を重力に逆らって保ち続ける)
[身体診察が必要]
受動的に誘導された姿勢(通常は診察者が受動的に手足を動かした結果)が、重力に逆らってそのまま保持される 他者が腕を不自然な角度に動かした後、その姿勢を蝋人形のように維持する
もっと詳しく:身体的診察でしか分からない症状

ICD-11 CDDRは、15症状のうち以下の3症状は身体診察によって初めて確認できると明記しています。日常的な観察だけでは見落とされる可能性が高いものです。

  • 硬直(Rigidity):他者が関節を動かしたときに感じる筋緊張の亢進
  • 蝋屈症(Waxy flexibility):動かそうとしたときの蝋人形のような柔らかな一定の抵抗
  • カタレプシー(Catalepsy・強硬症):受動的にとらされた姿勢を重力に逆らって保ち続ける状態

看護師や医師の身体診察では、利用者の腕や脚を受動的に動かしてその抵抗の質を確認します。「鉛管様(lead-pipe)」と呼ばれる一定の抵抗、あるいは「歯車様(cogwheel)」と呼ばれるかくかくとした抵抗は、いずれも筋緊張の異常を示唆します。

施設職員は、入浴介助、着替え介助、移動介助の際に、「いつもより動かしにくい」「いつもと違う抵抗を感じる」といった微妙な感覚を覚えたら、それを言語化して記録に残す習慣をつけましょう。これは医療スタッフの診察にとって貴重な情報となります。

4. 最重要視点:「ベースラインからの変化」

ここからが、施設職員にとって本章の核心です。

知的発達症や自閉スペクトラム症(ASD)をもつ方々の多くは、もともと以下のような行動を日常的に示しています。

これらは利用者の「いつもの姿(ベースライン)」の一部であり、それ自体は病的なものではありません。問題は、まさにこれらの行動がカタトニアの症状と同じ言葉で記述されることです。常同症、反響言語、緘黙、姿勢保持、拒絶症――これらは、ASDの特性としても、カタトニアの症状としても現れうるのです。

では、どうすれば見分けることができるのでしょうか。答えは一つです。

鑑別の最重要視点

カタトニアの兆候を捉える鍵は、症状そのものではなく「いつものその人からの変化」です。常同症や緘黙といった行動が新たに出現したか、あるいは以前よりも著しく頻度が増し、硬直的で融通の利かない質に変化していないか――ベースラインとの比較こそが、カタトニアを見抜く鍵です。

「いつもの姿」と「カタトニア」を見分ける視点 「いつもの姿」 (ASD・知的発達症の特性) ・長期にわたり安定して見られる ・本人の表情に苦痛のサインがない ・食事・睡眠は普段通り ・自発的な動きが保たれている ・状況により行動が変化する ・全身状態は安定 ・日常生活が成り立っている カタトニアを疑うサイン (ベースラインからの変化) ・短期間で新たに出現または悪化 ・苦痛・困惑の表情がある ・食事拒否・水分摂取の低下 ・自発的な動きが激減 ・状況に関わらず硬直的 ・体温・脈拍などの異常 ・日常生活が崩れる
図2 ベースラインとカタトニアを見分ける観察視点の対比

変化を捉えるための具体的な質問

「いつもと違う」を判断するために、以下のような自問自答が役立ちます。

もっと詳しく:日々の観察記録の重要性

「ベースラインからの変化」を捉えるためには、普段の状態が記録されていることが前提となります。利用者の常同行動の頻度、発話の量、食事量、睡眠時間、表情の特徴などについて、日々の観察記録に簡潔に残しておくことが極めて重要です。

記録すべき項目の例

  • 活動性:自発的な動きの量、活動への参加の様子
  • 発話:発話の量、いつもの言葉、新しい言葉
  • 食事・水分:摂取量、好きな食物、拒否の有無
  • 睡眠:就寝・起床時刻、夜間の様子
  • 排泄:回数、性状
  • 表情:穏やかさ、笑顔の頻度、苦痛のサイン
  • 常同行動:種類、頻度、誘発状況
  • 対人反応:呼びかけへの応答、視線

これらは「異常があるかどうか」を確認するためではなく、「いつもの状態」を確立するための記録です。「いつも」が把握されてはじめて、「いつもと違う」に気づくことができます。

多くの施設では既にケース記録やバイタルチェック表などの形でこれらの情報を蓄積していると思います。重要なのは、その情報が変化を察知するために活用されているかという点です。職員間の引き継ぎ時、定期カンファレンス時に、「ベースラインから変化していないか」を意識的に確認する習慣が役立ちます。

5. カタトニアの原因と分類

カタトニアは単一の病気ではなく、様々な原因から生じうる症候群です。原因の特定は治療方針を決定する上で極めて重要であり、ICD-11では原因に応じて4つに分類されています。

ICD-11におけるカタトニアの分類(原因別) カタトニア (症候群) 他の精神障害に伴うもの 6A40 統合失調症・気分症・ 特にASDが施設では重要 物質・薬物誘発性 6A41 抗精神病薬・ベンゾジアゼピン・ 違法薬物などの中毒・離脱 二次性(身体疾患由来) 6E69 脳炎・脳腫瘍・代謝異常・ 自己免疫性脳炎などが急性に 非特異的カタトニア 6A4Z 原因が特定できない場合に 用いる暫定分類
図3 ICD-11におけるカタトニアの4つの分類 原因の特定が治療方針を決定する

各分類の説明

(1) 他の精神障害に伴うカタトニア(6A40

統合失調症、気分症、神経発達症などの精神疾患の経過中にカタトニアが生じる場合です。施設で支援する利用者層では、特に自閉スペクトラム症(ASD)に併発するカタトニアが重要です。ASD成人の約10〜17%にカタトニアが合併するという研究もあり、決して稀ではありません。治療は基礎疾患のケアと並行して、カタトニアそのものへの介入を行います。

(2) 物質・薬物誘発性カタトニア(6A41

抗精神病薬、ベンゾジアゼピン、ステロイド、ジスルフィラム、シプロフロキサシン(抗生物質の一種)など、特定の薬剤の服用中や中止時にカタトニアが生じる場合です。違法薬物の中毒や離脱でも生じます。原因薬剤の特定と中止が治療の鍵となります。施設では、新規薬剤の追加や用量変更のあった利用者に変化が現れた場合、特に注意が必要です。

(3) 二次性カタトニア症候群(6E69

脳に損傷や障害を与える身体疾患が原因のカタトニアです。具体的には以下のようなものがあります。

これらの場合、基礎にある身体疾患の治療が最優先となります。急性に発症するカタトニアは、自己免疫性脳炎などの重篤な身体疾患のサインである可能性があるため、緊急の医学的評価が必要です。

(4) 非特異的カタトニア(6A4Z

他のカタトニアの基準を満たすが、原因として他の精神障害、物質・薬剤の影響、身体疾患のいずれも特定できない場合に用いられる暫定的な分類です。

急性発症は身体疾患を強く疑う

これまで安定していた利用者に急性にカタトニア症状が出現した場合、二次性カタトニア(身体疾患由来)の可能性を強く疑う必要があります。特に発熱、けいれん、意識障害、神経症状(麻痺、瞳孔異常など)を伴う場合は、自己免疫性脳炎、感染性脳炎、脳血管障害などの救急対応を要する重篤な身体疾患の可能性があります。直ちに医療スタッフに連絡し、医療機関への搬送を含めた対応を検討してください。

6. 最重要鑑別:神経遮断薬悪性症候群(NMS)との区別

カタトニアの臨床において最も重要かつ困難な鑑別の一つが、神経遮断薬悪性症候群(Neuroleptic Malignant Syndrome, NMS)との区別です。これは「カタトニアのジレンマ」とも呼ばれ、施設職員も基本的な理解をもっておく必要があります。

なぜジレンマなのか

NMSは、抗精神病薬のドーパミンD₂受容体遮断作用によって引き起こされる重篤な副作用です。NMSが疑われる場合、原因となる抗精神病薬を直ちに中止しなければなりません。

一方、カタトニアの一部の病態(特に他の精神障害に伴うカタトニア)は、慎重に選択された抗精神病薬(D₂受容体への親和性が低いもの)に反応することがあります。

つまり、NMSとカタトニアでは治療方針が正反対になります。両者の正確な鑑別が、利用者の生命を守る上で最優先事項となります。

「カタトニアのジレンマ」──治療方針が正反対 どちらか NMSの場合 神経遮断薬悪性症候群 特徴 ・抗精神病薬の服用中に発症 ・高熱(38度以上) ・著しい筋硬直 ・自律神経症状(頻脈・血圧変動) → 抗精神病薬を即時中止 カタトニアの場合 (精神障害に伴うもの) 特徴 ・抗精神病薬使用とは無関係に発症 ・通常は発熱を伴わない ・蝋屈症など特徴的症状 ・自律神経症状は通常軽度 → 抗精神病薬が有効な場合あり この鑑別は医師の専門的判断による。職員は観察情報を正確に伝える 特に「服薬歴」「発熱の有無」「症状出現の経過」は重要な情報
図4 カタトニアとNMSの治療方針の対比 いわゆる「カタトニアのジレンマ」
職員に求められる役割

NMSとカタトニアの最終的な鑑別は医師の専門的判断によります。施設職員に求められるのは、医師がこの鑑別を正確に行えるよう、正確な観察情報を提供することです。具体的には:

これらの情報を時系列で正確に記録し、医療スタッフに伝えることが、適切な診断と治療への道筋を作ります。

もっと詳しく:NMSの臨床的特徴

NMS(神経遮断薬悪性症候群)は、抗精神病薬使用中の患者のおよそ0.02〜2%に発症する重篤な副作用で、致死率は10〜20%とされる極めて危険な状態です。

NMSの典型的な症状

  • 高熱(38〜40度以上)
  • 著しい筋硬直(鉛管様・歯車様)
  • 意識障害(傾眠、昏迷から昏睡まで)
  • 自律神経症状:頻脈、血圧変動、発汗、流涎
  • 血液検査異常:CK(クレアチンキナーゼ)の著明な上昇

NMS発症のリスク要因

  • 抗精神病薬の急速な増量
  • 第一世代抗精神病薬(特に高力価のもの)
  • 注射剤(デポ製剤を含む)
  • 脱水状態
  • 高温多湿環境
  • 身体疾患の合併
  • 過去のNMS既往

施設での予防的視点

抗精神病薬を服用している利用者では、NMSを念頭においた観察が日常的に必要です。特に薬剤の変更・増量があった後の数日〜数週間、夏季の脱水しやすい時期、身体疾患(感染症など)を併発した時には、より注意深い観察が求められます。

「いつもより硬い」「いつもより熱っぽい」「いつもより反応が鈍い」――これらの微妙な変化に気づくことが、致死的な事態を防ぐ第一歩となります。

7. 施設職員による日常観察と記録

本章のここまでの内容を踏まえて、施設職員が日常業務のなかで実践できる観察と記録のポイントをまとめます。

「いつも」を記録する習慣

カタトニアを早期に発見するためには、まず利用者の「いつも」が記録されていることが前提となります。これは異常を探すためではなく、変化を察知するための土台です。

カタトニアを疑った時の観察ポイント

「いつもと違う」と感じたとき、以下の点を意識的に観察し、記録してください。

観察領域 具体的な確認事項
運動・活動性 動きの量、姿勢の特徴、自発性、介助時の身体の硬さ
発話 発話量、明瞭性、応答の速度、いつもの言葉が出るか
食事・水分 摂取量、飲み込みの様子、口を開けるか、好きな食物への反応
排泄 回数、性状、トイレでの動作
睡眠 就寝・起床時刻、夜間の様子、覚醒度
表情・情動 苦痛、困惑、無表情、いつもの笑顔があるか
バイタルサイン 体温、脈拍、血圧、呼吸数、発汗の様子
服薬状況 最近開始・変更された薬剤、内服管理の状況
環境変化 最近の生活上の変化(環境変更、対人関係、感染症流行など)

観察記録の基本:5W1H

記録の際には、可能な限り具体的に、客観的に書きます。「ぼーっとしている」だけでは情報として不十分です。

8. 治療と施設での支援

カタトニアの治療は医療スタッフの仕事ですが、施設職員も基本的な治療方針を理解しておくことで、医療連携の質が向上します。

主な治療法

  1. ベンゾジアゼピン系薬剤(特にロラゼパム):第一選択薬として広く用いられます。多くのカタトニア症状を迅速に改善する効果が期待されます
  2. 電気けいれん療法(ECT):薬物療法が効果不十分な場合や、緊急性が高い場合に選択される、非常に有効な治療法です
  3. 原因疾患の治療:基礎にある精神疾患・身体疾患・薬剤性原因への対応
  4. 抗精神病薬:NMSのリスクを念頭に、慎重に選択されます

施設での支持的ケア

薬物療法と並行して、施設スタッフが日常的に行うべきケアは、合併症を予防し、安全な回復を支援する上で不可欠です。

施設職員によるカタトニア利用者への支持的ケア 血栓症の予防 ・定期的な体位変換 ・理学療法士との連携による下肢の運動 関節拘縮の予防 ・関節可動域訓練 ・理学療法士との連携 褥瘡(じょくそう)の予防 ・定期的な体位変換 ・スキンケア、圧迫部位の確認 栄養・水分管理 ・摂取量の正確な記録 ・誤嚥に注意した食事介助
図5 施設職員によるカタトニア利用者への支持的ケアの四つの柱
もっと詳しく:知的発達症利用者への薬物治療上の注意

知的発達症をもつ方々は、薬剤に対して非典型的な反応を示すことがあり、注意が必要です。

奇異反応(paradoxical reaction)

ベンゾジアゼピン系薬剤(カタトニアの第一選択薬)は、通常は鎮静効果をもたらしますが、知的発達症や認知症の方では逆に興奮や錯乱を引き起こす「奇異反応」を示す可能性があります。投与後の反応を注意深くモニタリングし、いつもと異なる興奮や混乱が見られた場合は、速やかに医療スタッフに報告する必要があります。

少量からの慎重な投与

知的発達症の方々は、健常成人の標準用量で過剰な反応を示すことがあります。医師は通常、少量から開始し、慎重に増量する方針をとります。施設職員は、薬剤量の変更があった際には、変更後数日間の様子を特に注意深く観察してください。

個別化された行動支援計画

カタトニアからの回復過程では、医療的治療と並行して、本人が安心できる環境調整や、回復段階に合わせた個別化された行動支援計画を策定します。多職種で連携してケアにあたることが成功の鍵となります。

9. 緊急性の判断と医療連携

カタトニアの兆候を疑った場合、どの程度の緊急性で医療連携を行うべきでしょうか。以下に目安を示します。

直ちに救急対応が必要な状況

以下の症状が見られる場合、救急搬送を含む緊急の医療対応を要します。

数時間〜半日以内の医療連携が必要な状況

以下の場合、当日中の医療スタッフへの相談・受診が必要です。

数日以内の評価が望ましい状況

以下の場合、施設内のカンファレンスや定期診察での評価を検討します。

医療連携時に伝えるべき情報

医療スタッフ・医療機関に連絡する際には、以下の情報を整理して伝えると、適切な対応につながります。

この章のまとめ

カタトニアは、知的発達症や自閉スペクトラム症(ASD)の利用者に発症しうる治療可能な医学的症候群です。しかし、その症状(常同症、緘黙、姿勢の硬直、拒絶症など)が知的発達症やASDの特性と酷似しているため、見過ごされやすく、放置されると生命を脅かす合併症に至ることがあります。

施設職員に求められる役割は、診断や治療ではなく、「いつものその人からの変化」を捉えることです。利用者の「いつも」を日々記録し、変化に気づいたら速やかに医療スタッフと連携することが、カタトニアからの回復と利用者の生命を守る上で決定的に重要です。

特に注意すべきは、神経遮断薬悪性症候群(NMS)との鑑別、自己免疫性脳炎などの身体疾患による急性発症のカタトニア、そして抗精神病薬を服用中の利用者における変化です。これらは即時の医療対応を要する場合があります。

「決めつけずに、変化に気づいたら直ちに医療連携を行う」――この一行が、本章の最も重要なメッセージです。