3.病院外治療組織

<12人前後の患者数が、治療の統一性を保つ上で、治療者の潜在能力を最もよく発揮できると考える。>

G.バイヨン

この章では,多くの場所でなされている一群の治療過程について述べるつもりであるが,その前に治療的共同体の必要性について明確にしておくことが重要でである。患者との対話はその担当医のやり方で,状況を詳しく把握しながら同じ医師によって継続されるべきである。このやり方こそ,患者の拒否を避ける唯一の方法であり,また医療チームにとってはしばしば魅力的なものとなる解決法である。治療のこのような継続性は医師に関してばかりではなく,社会福祉業務を始めとして,小区域医療チーム全体についても同様のことがいえる。それぞれが,治療上いろいろと特殊な時期に対応できるような一群の場を形成していく。担当者は、患者に関して十分に通じている必要がある。担当者は,社会的医療チームで介護されている患者について,適切な病院外の施設の可否を考えておく必要がある。病院外の組織全体が,精神科無料診療所でも,受け入れセンターと呼ばれているものでもよいが,そのような中核的な組織を中心にして,その回りで互いに連結する必要がある。このような中核的役割を果たせる機関は,一般的には,次の三つの機能を果たさなければならないのである。つまり様々な診療や相談の場とグループ活動の場として,また社会福祉業務部の設置場所として,また救急時の治療の場としての機能である。

(1)精神科無料診療所

 文献上はいくつかの適応が記載されている。<県庁所在地には,精神衛生センターをあらかじめ備えておく必要がある。それは,独立して設置されてもよいが,様々な機能をもった精神科無料診療所の中に設置されることが望ましい。人日2万人以上の都市にはすべて,多機能を有する精神科無料診療所が1か所は設置されなければならない。人口密度の低い県においては,人日を引きつける魅力をもった地域と考えられる人口l万人以上の大きな人口集積地域や町村に,精神衛生センターをもった精神科無料診療所か,あるいは,多機能をもった精神科無料診療所の中に担当専門課が設置されなければならない。最後に診察は,頻度の差はあるにせよ,どこかの市町村でなされることが保証されていなければならない。>

(1960年3月15日の通達)<無料診療所がなかったり,また老巧化や場所が不適切な場合は,新たな設置がぜひとも欠かせない。その設立は以下のような形で作ることができる。

1.地域病院の建物の中。

2.アパートの中に設置することができる。電話,秘書を置き,慢性患者の小グループを愛け入れ,一日の中の限られた時問内での治療を行うものとする。〉

(1974年5月9日の通達)

精神科無料診療所や診察の場所は,実際にはところにより大きな差がある。場所も広くて毎土開いており,週日は牛後9時までと上曜日の診察もできるようになっているような,本当の意味での精神科無料診療所もあれば,また,地方の行政機関の中に設置された3室宰ぐらいしかないような類のものや,<市庁舎の中に置かれていることが一番多い>多機能をもった精神科無料診療所のようなものもある。

 J.ハックマンはこの制度の運用形態の一つとして,ヴイリュルボンの小区域精科医療チームについて報告している。<ますます精神科無料診療所は受け入れセンターとして機能するようになってきている。終日機能する二つの精神科無料診では、精神病患者の要請を受け入れられるように,精神科医療チームのメンバーができるだけ頻回に,しかも長時問にわたって待機しているのである。平日の開所時間の間に,関わりのある患者達は数分の間腰を落ち着け,互いに話し合ったり,コーヒーを飲んだりしてゆき,時には診察室の長椅子を使って数時問睡眠をとることもできる。>

(2)デイホスピタル

 あるいは昼間の治療組織は,昼間だけ治療を行うという基本的な特徴をもった部分的入院ができるような場所である,と定義される。家族の力動論的観点に従って、患者は夜間は客々の住居で過ごす。理論的には,このような過程を踏むのは大部分は精神病患者であり,自律的な生活が困難な人々の治療の一環としでこlの制度は利用される。したがって,ここは入院生活と外部の生活との中間的な場所なのである。このような臨界期にあっては,ある種の安全保証が是非とも必要となる。初期の段階では,このデイホスピタルは完全な入院生活を体験した<重症>で、しかも病院外での生活がまだ危険で不確実な状態の患者を対象にされていた。それゆえ,目標はささやかなものであった。たとえかなりの支えが必要であったとしても,事実これらの患者が病院外で生活している姿を見るだけで,以前には全面的な入院生活を送って来たことを考えると,望外の喜ぴであった。できるならば,家庭環境の中での位置づけを回復させたい。単純な意思表示の仕方や、旅行の仕方、食事の摂り方,緊張のほぐし方等を再習得させなければならならない。こうすることで少しずつではあるが,患者とその家族や,介護に当たるものたちとの間より深い信頼関係ができあがってくる。しかしこれらの適応の対象となる患者に期待される目標を,<新慢性化現象>と見なす人もいるが,これらの適応症以外にもある種の作業については,精神病性又は重度の神経症の若年患者に対してもなされているのである。若年の患者達は,ごく最近になって社会生活が困難になったばかりであるから,デイホスピタルこそが彼らの固有の問題や障害をしっかりと支えることができる中間的な場所となるべきである。患者達は,デイホスピタルを通して精神科医療チームの内容豊かで,専門的な介護をうけ,同様の障害を持った他の患者達と接触を持つことができるようになる。このような相互の接触を通して,限界はあるにしても,予想される諸々の階段が克服され,同時に不安をより少なくすることが可能となる。共同体的な相互関係の中で互いの立場を考慮することは,結局のところ<正常>と言ってもよい環境に近づけることである。しかしこのようなことに障害がないわけではない。経済的に決して余裕のある状況ではない中で,また家族が少しずつ防衛的になってゆく中での住居の問題,さらに病前の希望とは全くと言ってよいほどかけ離れた仕事を見つけることなど,があげられる。教育や人格形成が病気のために中断してしまった若い患者にとっては,現実との出会いはこのような問題として重くのしかかってくるのである。

 入院歴のない患者や,入院歴があっても長期にわたらない患者にも,この方法は新たな適応を有するように思われる。この開放的でもっぱら昼間だけ機能する施設は,周囲の人々の許容と好意的な環境があれば,以下のことがかなりの程度可能となる。

1.退行現象が生じた場合のナーシング。

2.服薬管理。

3.家族や近親者からの支援の容易さ。

 終日にわたる入院を絶対的に避けるべきであるということではない。それが適応となる場合ももちろん存在する。しかし部分入院は,今までの<社会に占めていた地位を喪失させてしまう>要因となる終日入院によって生じる付随的な困難を避けるのに役立つ可能性があるのである。

 このような治療の様態に伴う種々の困難も明らかである。例えば,社会的孤立,外出や週未の間の〈窓口〉の間題や,また時には,病状の悪化時と同様の家族問の葛藤的状況がそのままもちこされるということなどである。救護寮(Les foyefs d'accueil)や独身寮は,これらの患者にとっては耐え難い社会的孤立のモデルを再現するにすぎないこともしばしばである。それゆえ,社会保障機関はデイホスビタルと治療後の患者の寮(foyer)を一緒に扱うことはほとんどない。治療の選択をする時には,まず第一に客々の小区域精神医療チームを備えている。又は提供することができる内容について考慮すべきである。この治療方法を採用する場合は昼間しか入院せず,その間しか治療を受けないという,その部分的な性格を利用して,その他の介護の可能性との共有,又は相互利用も考えておく必要がある。

 E.フィギレドは最近,これまでの経験の膨大な多様性をうまく表現する様々なタイプの分類法を提唱している。デイホスピタルに対応する病理学的タイプは様々であるが,時には明確に限定される場合もある。一般精神医学的な症例の他に薬物依存,アルコール依存やてんかん患者のためのデイホスビタルもある。適応の基準として患者の年齢も考慮される。大人のデイホスピタルがある一方,子供や思在期の症例を扱うもの,高齢者を対象とするものもある。これらの基準を互いに結びつけることによって,この治療形態は多くの機能を果たすことが可能になる。例えば,管理運営のタイプ,小区域制をとっているかどうか,開院の時間と日数,治療の形態,空席の状態等々である。

 E.フィギレドは,全日制の入院機関の特徴と比較して,デイホスピタルの特徴として以下の以下の点をあげている。

1.本質的な特徴として以下のことがあげられる。

・昼間のみの治療。

・低費用。

・より広い社会的な場面の経験。

・患者により多くの自律性を獲得。

・狂気への不安,気遣いが少ない。

・精神病院に比して気遣いが少なくてすむ。

2.潜在的な特徴。

・精神科医療チームの作業の中で最上の持ち味を発揮できる。

・やや距離をおいた精神療法が容易になる。

・医学心理社会療法による治療の模範としての卓越性を示すことができる。

3.経済的な特徴。

・規模が小さくてすむ。

・地理的に便利な場所に設置できる。

・治療上の新たな技術の導入が容易である。

一般的に言って,患者は精神科医療チームの他のメンバーと関係をもつことによって様々なタイプの治療法の恩恵を受けることができる。

 通常,薬物療法は継続するが,様々なタイプの個人又は集団精神療法も検討されることもある。家族の関わり合いに恵まれていれば家族療法は極めて有効となり,並行して施行されるのが望ましい。作業療法や賦活化療法という治療様態も広く採用される。しかし,このような治療法が現れた時の期待感はその後の20年間で変化してきている。デイホスピタルでは,しばしぱ日常生活に対応する視点や体験をえることができる。だが,このような施設が入院の代替としてとらえられるとすると,デイホスビタルは,現実生活のすべてから急速に遠ざかってしまう場所になってしまう。したがって,これらの施設では.そこで働く精神科医療チームの忍耐力と弾力性が要求されるのである。これは都会の宿拍施設を持たない単なる小さい病院のように理解されているが,実際のところは,現実的な状況から落ちこぼれた患者の生活の調整をする,日常生活の中のいわば蜂の巣の育房のようなものといえよう。それゆえ,何よりも社会に対していかにして再適応するかが間題となる。これらの施設は開放論者の確固とした意志から生まれたものであるが,実際上も精神病者に必然的に伴う必要性を満たすものである。このような今までにはなかった治療形態を始めるに当たっては,既存の人院形態を模範として採用した。しかし,徐々に患者との間に新たな関係が生じることによって,病気のそのような側面に対応するようにその構造が修正されてきたのである。J.L.アルマンーラロッシユは以下のような表現をしている。<このような治療形態のもとで社会の周辺に追いやられている人々と生活を共にすることができる。障害者は,社会の基準に対して不適切な行動をとったという罪悪感なしに生活することができる。それだから,われわれの対応も変化し,より寛大なものの見方ができるようになり,障害者も自分達の要求を今までとは異なった形で言い表すことができるようになるのである。このような状況のもとでは,介護の完全主義,罪の意識,長期にわたる精神病の治療という名の医学的な欲求不満から生じる反動としての危険な振る舞いを防止することができる。>

(3)後治療ホーム

 これは,社会への再適応を容易にするため,ある期間に限り保護的な受け入れをする施設である。入院治療はともすれば孤立と無職の状態を招いてしまう。このような場合,宿拍所を提供することにより直接的な物質的問題から患者を救うことができる。この施設の特徴は以下のように定義づけられる。

1.小人数の患者での構成である(15人から20人)

2.可能なら,アパートの中に設置されることが望ましい。また,集合住宅のようになっているべきである。

3.個室と,食事のための共有スペースが必要である。

 活動的で独立した生活を取り戻すのを容易にするために,滞在期間は制限されている。

担当の医師の診察のみならず,看護婦や医師による生活の場面の中での面談や支援活動がなされる。

(4)再適応のための諸治療

 B.ジョリベは以下のような適切な指摘をしている。<治療学Lの概念から作業上の概念へと結ぴつけるだけでは,概念を形成するどころか操作的な道具としても全く不十分である。>外的世界との関係の破綻は,仕事の世界との関係の破綻によってしばしば表面に現れてくる。<このような患者にとっては,一般的に供与される様々な可能性の中で,自らを位置づける仕事という活動のもつ深い意義についてよく理解をすることが>重要なことである。<後治療の場で,あるいは社会保障や社会復帰のための過剰な自尊心の中で,このような作業を"あとに"押しはらうと,長期化する入院や,仕事の中断や,病気の再発の原因となることがしばしばである。>

 B.ジョリベは再適応と社会復帰治療に関して,四つの原則的な分類をあげている。

1.作業活動とその日的が当該センターの中で行われるもの(保護作業所,再適応訓練所)。

2.作業活動とその目的が支持的なもので,それらが他の様々な活動と連動しているもの(C.A.T.)。

3.職業の習得や職業的再訓練。

4.職業の習得と求職活動とが並存しているもの。

1.保護作業所

 作業能力が,一時的ないし慢性的に低下している患著のための施設であるが,通常の経済流通の中で通用する品物を生産する場所である。仕事の条件は,それぞれの患者の能力にあわせて選択し,もし必要とあれば,多様な条件を提供できる。報酬は仕事内容によって配分される。収益のことも考える必要はあるが,障害を十分に受け入れ,医療チームと密接な連携をとった治療的な側面が重要視されるべきである。またここでの訓練期間は限られている。

2,再適応作業所

 一時的な仕事の場であり,徐々に再適応にもってゆく。ここでも治療的な傾向は顕著であり,報酬はない。

3.作業による救護センター

 ここでは,それぞれの患者に対する支持が通常の流通機構に結ぴつけられている。独特の形態により給写の支給が振り込みで払われる。

 パートタイマーとしての仕事も有用な援助法である。

(5)ナイトホスピタル

 

 このような形態での入院によって,患者は改めて求職活動をしたり,また失職しないですむ。このような治療形態が適応できる患者は,通常の条件で就労が可能な者である,と原則的には言うことができよう。そして,必ずしも週末とは限らないが,週単位での休みを含んだある一定時間の間,病院という治療の場の中で過ごすという点が,このナイトホスピタルと後治療ホームを根本的に区別するものである。

 このような制度に関わる問題点は,B.ダルが指摘しているように行政的な次元のものである。<理論的には,この夜間入院の制度は,一般的な制度下では行政的にはlか月までしか可能ではない。しかし,このような規定を杓子定規にも採用すると,患者はそれだけ精神的に不安定になり,仕事をやめてしまったり,また退行という微妙な状況に急速に陥ってしまい,職業的な社会復帰が危うくなってしまう。したがって,病院の管理に当たる行政は,夜間病院制度を即座に整備する必要があるということを付け加えておこう。入院費用の適切な振り分けについては,負担全は社会保障部門と協議のうえで決められるものである。>

(6)クラブ

 

 クラブは精神科医療チームの何人かの構成員が指導し,孤立している患者達を外的な世界へ踏み出させるために作られた。これらの施設では,できるだけ多様な活動を提供するように心がけている。例えば,シャンピニーの小区域精神科医療チームのクラプでは,まずセンターにおいて催された活動(社交遊技,絵画,陶芸,映画の上映,体操教室)を,町全体に広げているのである。市立図書館における講演会,町の音楽院のメンバーとの合同演奏会,文化会館における会合等が開催されている。

(7)中間施設

 J.-F.ルベルジー,J.-F.ダメロンとA.S.E.P.S.I.のグループは,中間施設と呼べるものをフランスにおいて初めて作った先駆者的な存在である。

 彼らの定義は以トのようである。すなわち<規模は小さいながらも,社会的な生活の中に最大限に入り込み,また,患者達が施設入所前に保っていた絆の崩壊や,故郷の喪失,自己の存在の社会的並びに精神医学的な意味での失効,あるいは,孤立無縁の苦悩に追い込まれていく状況,といった中で,調停的な役割を果たすことができるような類の共同体的な空間を創造する試みのすべてを指す名称である。>

 図式的にまとめると,中間施設というものは以下の二つの型に分類される。

1.いわゆる過渡的な組織であって,そこは病状の発展がある程度安定期にあるために,それぞれの患者の個人的な能力や経済的な能力に基づいて自律的な生活が許されるもの。このような施設には行政の制約はない。

2.社会的並ぴに精神的な障害者が経済活動の中に復帰するための施設がある。ここでは,再適応のための治療の場と生活の場を結ぴつけるよう職業再習得が問題となる。そしてこれには,C.A.T. から職業的な共同組合にいたるまで関わりをもってくる。

いかなる場合にも,1901年の連携法に則って管理運営が可能となるが,単独でなされたり,あるいはより広い領域のこともあるが,とりわけ小区域で統合的になされることが多い。

 現行法下での可能性は以Fのごとくである。

1.宿泊ならぴに社会復帰センターに関わる条文(1974年11月19日発令の法律,1976年6月15日発令の通達第42号,1979年8月10日の通達第44号)。

2.集団としての有効性が発揮できる雇用の機会の創設に対する助成に関わる,労働省により規定された指導(1977年7月27Hの政令布告77・850号)。

3.1975年6月30日発令の障害者のための指導に関する法律。

数多くの経験的な事実から,機能を図式化することは困難である。滞在日数も一定しておらず,短かすぎることもあるが,とにかく契約上の形式に基づいて患者との間で決められる。介護者達は常時その場に居合わせるわけではない。介入は,遭遇する困難の度合いに応じて期間や時間が規定される。教育者や援助者の力を借りることもある。精神科医療チームの仕事はグループを作ることに限定されており,その力動性の要求に従うのみである。指示は極めて漢然としているが,居住地の通常の人数は限定されている(約5人程度)。

 しばしば援助行動を精神医学の領域を越えて位置づけようとする拡大的要求が存在し,時には精神病患者は一部の限定された守備範囲にすぎないと考えられてしまうこともある。

 .J.-F.ルベルジーが述べているごとく,<小区域精神医療チームの活動と中間施設の間の関係は不明瞭である。つまりくこの点に関してしはしばなされる議論は,つまるところ,連携会の活動(少しばかり速く私的な枠内に同化されていくものであるが)であれ,小区域の枠外から参加したり,中問施設という周辺的な仕事に自ら従事した場合であれ,これらの活動はすべての点て小区域精神科医療チームとは対極に位置づけられてしまっているのは問題である白本当の意味での精神科的な中間施設は,精神科小区域医療チーム全般の中にあってこそ大きな役割を果たすのである。>

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