症状をわざと装ったり引き起こしたりする障害
この章では、ICD-11 で「作為症群」とまとめて呼ばれる一群の障害を取り上げる。作為症群とは、医学的・心理学的・行動的な徴候や症状、あるいはけがを、自分自身または他人について、それと見分けられるいつわりをまじえながら、わざと装ったり、つくり出したり、引き起こしたりする障害である。本書が想定する職種の方々が、この種の症例に直接出会うことはそれほど多くない。ただ、産業保健の場面や、身体科の同僚と連携するなかで、なかなか診断が確定しないまま受診をくり返している患者について、評価を頼まれることがある。そうしたとき、本章で示す考え方が鑑別の手がかりになる。
作為症群の診断でいちばん大事なのは、症状を装ったりつくり出したりする行為が、「それと見分けられるいつわり」としてはっきり確認できることである。実際に病気のある人が、医療者や家族に心配してもらいたい、治療を優先してもらいたいといった思いから症状を大げさに訴えること自体は、めずらしくない。しかしそれだけでは、この群の診断を考える根拠にはならない。診断を考えるのは、装う・偽る・わざと引き起こす・わざと悪化させるという行為の証拠が確認できる場合に限られる。本人にもともと何らかの病気がある場合でも、その症状をわざと悪化させたり、もとの症状とは別の症状をつくり出したり引き起こしたりしていれば、この群の診断の対象になりうる。患者は、こうして装ったり引き起こしたりした徴候・症状・けがをもとに、自分あるいは他人を、病人・けが人・障害のある人として示し、医療機関を受診する。なお、こうした行動が他の精神疾患(統合失調症など一次性の精神症群など)によってよりよく説明される場合には、この群とは診断しない。
診断のうえでもう一つ決定的に重要なのは、こうしたいつわりの行動が、目に見えるはっきりした見返りやきっかけだけによって動機づけられているのではない、という点である。ここでいう見返りやきっかけとは、障害給付を受け取る、刑事訴追をのがれる、徴兵をのがれる、向精神薬を手に入れる、よりよい住居を得る、といったことを指す。こうしたはっきりした外からの見返りが主な動機になっている場合は、作為症群ではなく「詐病(Malingering)」として記述する。詐病は精神疾患とは見なされず、ICD-11 第 24 章「健康状態または保健サービスの利用に影響する要因」のなかに置かれている。作為症群と詐病をどう見分けるかは、いつわりの行動が何によって動機づけられているのかという判断にかかっている。この見分けは、臨床評価のうえでもっとも重要な鑑別の一つである。
ICD-11 でのこの章のあつかいは、ICD-10 のころの作為症の位置づけを大きく組み替えたものである。ICD-10 では、作為症は「成人のパーソナリティおよび行動の他の障害(F68)」のなかの F68.1 という項目に置かれ、パーソナリティ障害に近い一つの診断として扱われていた。ICD-11 はこれを独立した障害群(グルーピング)として立て直した。そのうえでさらに、「自らに負わせる作為症(6D50)」と「他者に負わせる作為症(6D51)」の二つに分けて整理した。後者は、かつて「代理によるミュンヒハウゼン症候群」として知られた病像にあたるもので、ICD-11 ではじめて独立した診断カテゴリーとして位置づけられた。
この診断は、本人が自分自身について、医学的・心理学的・行動的な徴候・症状・けがを、わざと装ったり、つくり出したり、引き起こしたりする場合につけられる。具体的な行動としては、次のようなものが報告されている。神経や精神の症状についてうその訴えをする、あるいは演じてみせる(発作や幻聴など)。検査結果に手を加える(尿に糖をまぜるなど)。過去や現在の医療記録を偽造する。検査値に異常を起こす物質をわざと飲む(ワルファリンの服用など)。感染性や毒性のある物質にわざと身をさらす。自傷によって体に傷をつくる。
臨床のうえでの難しさとして、症状の訴え方が真にせまっていて、しかも長く続くことが挙げられる。そのため、検査では異常が出ない、あるいははっきりしないにもかかわらず、いくつもの医療機関で検査や処置がくり返され、ときには手術まで行われてしまう経過をたどることが少なくない。この障害の動機は心理的なものと推定されている。病人としての役割を得ること、とりわけ医療者から注目されることが、動機の一部をなしていると考えられている。見つかる時点での典型的な年齢は 30–40 歳である(青年期に起こることもあり、幼い子どもで確認された例もある)。ただし評価を始めてみると、それまで長年のあいだ気づかれないまま続いていたと分かることが多い。患者の大多数は女性である。経過については、医療をめぐるいつわりの手段が軽いものからより極端なものへ、また一時的なパターンから慢性的なパターンへと進んでいくことを示す知見がある。患者は正確な病歴を語らず、過去の医療記録へのアクセスも提供しないことが多いため、発症・経過・長期転帰についての体系的なデータはきわめて限られている。なお CDDR によれば、成人期のこの障害は、小児期に他者に負わせる作為症の被害者であった経験と関連している可能性がある。臨床的には、患者はふつう、症状を自分で引き起こしていることを認めず、心理的な原因がかかわっていることも強く拒みがちである。そのために、診断にも治療にも難しさがともなう。
この診断は、本人が他人について、医学的・心理学的・行動的な徴候・症状・けがを、わざと装ったり、つくり出したり、引き起こしたりする場合につけられる。ここでいう他人は、多くの場合、自分に頼って生活している子どもである。注意したいのは、この診断がつくのは、症状を装われたり引き起こされたりする側の他人ではなく、それを行う側の本人だという点である。まれではあるが、相手が人ではなくペットの動物であることもある。
ここで用いられる方法は、自らに負わせる作為症とよく似ている。他人の症状についてうその訴えをする、検査結果に手を加える、医療記録を偽造する、その他人に物質を与えて検査値の異常や病気を引き起こす、その他人の体にわざと傷や病気をつくる(感染性物質にさらすなど)、といったものが含まれる。臨床の経過も、症状の訴え方が真にせまっているために、検査で異常が出なくても多くの検査や処置が行われるという点で、自らに負わせる作為症と同じような形をたどる。
この障害では、症状を負わされる側の他人は、多くの場合、身体的または心理的な虐待の被害者としてとらえるべき相手である。その被害については、ICD-11 第 23 章「罹患または死亡の外因」の該当するコードを使って、別に記録しておく必要がある。つまりこの障害を臨床的にとらえるには、二つのことを並行して進めなければならない。一つは、加害の行為を精神医学的に記述すること(6D51 として)である。もう一つは、被害者を守る枠組みをつくること(虐待の事例としての別記録)である。これまでの臨床報告でもっとも多い病像は、自分の子ども(1 人または複数)の症状をつくり出す母親である。また、加害者のかなりの割合が、自分自身についても自らに負わせる作為症の既往をもつことが報告されている。
作為症群を成人の領域で扱うときに心にとめておきたい点を、四つ挙げておきたい。
第一に、作為症群と「詐病」との見分けである。どちらも症状をわざと装ったり引き起こしたりする点は共通している。しかし詐病は、目に見えるはっきりした見返りやきっかけによって主に動機づけられる行動であり、ICD-11 では精神疾患としては扱われず、第 24 章に置かれている。作為症群の診断は、いつわりの行動が、はっきりした外からのきっかけだけでは説明しきれない場合に限ってつけられる。本書が想定する職種の方々は、産業保健の場面で、長期休業・障害給付・労働災害補償といった外からのきっかけがある症例を評価することがある。そのときは、その症例が作為症群にあたるのか、それとも詐病として記述すべきなのかを、動機のなりたちをよく見きわめたうえで判断する必要がある。同じ原則は、他者に負わせる作為症(6D51)にもあてはまる。CDDR によれば、扶養している相手に虐待でけがを負わせた養育者が、刑事訴追や児童保護機関の介入をのがれることだけを目的にうそをつく場合、この診断をつけるべきではない。診断には、医療者からの注目や賞賛を得るといった、それ以外の動機もはたらいているという臨床判断が必要である。これと関連して、統合失調症などの精神症症状をもつ人が、命令幻聴(何かをせよと命じる幻聴)や妄想への反応として、あるいは自殺の企ての一部として、子どもを含む他者を傷つけてしまう場合がある。この場合、刑事訴追や児童保護の介入をのがれること以外には、加害の行動にいつわりが伴わないのがふつうであり、他者に負わせる作為症とは区別される。
第二に、作為症群とほかの精神疾患との見分けである。第 11 章で取り上げた身体的苦痛症は、受診をくり返すという点で作為症群と表面的には似ている。しかし身体的苦痛症では、症状を装ったり引き起こしたりすることはない。患者は実際に身体の症状を感じており、その症状に過剰に注意が向いてしまうところに病理の中心がある。第 8 章で取り上げた解離性神経学的症状症についても、その症状はわざと装ったり引き起こしたりするものではなく、作為症群とは区別される。また、他の精神疾患の文脈で自傷行動を示す人が、けがを自分で負わせたものであることや、希死念慮の有無について、診察者にいつわりを述べることがある。しかしこの場合のいつわりは、自分が病人・けが人として見られる程度を誇張するためではなく、むしろ小さく見せるために行われるのが通例であり、この点で作為症群とは区別される。
第三に、症状のいつわりを見分けることの難しさと、それにともなう臨床的な姿勢の問題である。作為症群と診断するには、いつわりが「見分けられる」ことを確認できなければならない。ただし、どこからを見分けられたとするかの線引きは、臨床判断にゆだねられている。本書が想定する職種の方々は、長いあいだ確定診断に至らないまま受診をくり返す症例について、作為症群の可能性を鑑別の一つの仮説として頭の片隅に置いておきたい。それでいて、患者との関係を正面からの対立にしてしまわないよう、配慮する必要がある。作為症群の患者は、症状を自分で引き起こしていることを強く否認しがちである。そのため、診断が確定したあとに治療上の信頼関係を築いていくうえでも、特有の難しさがある。
第四に、他者に負わせる作為症(6D51)における、子どもの保護の優先性である。この障害の評価が進んでいくあいだ、症状を負わされる側の他人(多くの場合は子ども)の安全を確保することは、加害者である本人の精神医学的な評価や治療と並行して、それとは別個の、最優先の事項として扱わなければならない。この障害が疑われる症例では、児童相談所をはじめとする児童保護機関との連携、医療機関のなかでの安全管理体制づくり、その子どもを医療的な監視から引き離す措置などが必要になる。これらは、加害者本人への精神医学的なかかわりに先立って、あるいはそれと並行して行われる。本書が想定する職種の方々がこの障害を疑う症例に出会ったときは、加害者の評価と被害者の保護とを分けて考えることが、臨床判断の出発点になる。
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