後天的な認知機能の低下をめぐる障害
この章では、ICD-11 で「神経認知障害群」とまとめて呼ばれる一群の障害を概観する。この群は、日本の急速な高齢化を背景として、本書が想定する職種の方々にとって臨床的な重要性がますます高まっている障害群である。産業保健の場面では、高齢の就労者本人の認知機能の評価、家族介護者の負担の評価、定年延長の時期における認知機能の変化の把握が必要になる。地域保健の場面では、認知症の早期発見、家族からの相談への対応、介護保険制度との連携が日々の課題となる。本章では、この群の枠組みを実務の観点から整理する。
この群の障害の中核は、神経学的な基盤をもつ認知の技能・能力が、一次的に(つまり、他の精神疾患の結果としてではなく、それ自体として)臨床的に損なわれることである。ここでいう認知の技能・能力には、注意・集中、記憶、言語、視空間/知覚機能(空間や物の位置関係を把握する働き)、処理速度、実行機能(問題解決・判断など、計画を立てて実行する能力)が含まれる。この群の障害は、いったん到達した機能の水準からの低下、つまり後天的な認知機能の低下を特徴とする。これに対して、出生時から存在するか発達期にふつう生じる認知の欠損は、神経発達症群(第 1 章)に分類され、この群には含まれない。両者は、はっきり区別される。また、認知の欠損は統合失調症や双極症など多くの精神疾患にも認められるが、この群に含まれるのは、認知機能の障害そのものが中核症状となっている障害に限られる。つまり、他の精神疾患に伴って生じる認知の欠損は、この群の対象とはならない。
ICD-11 でのこの章の組み立ては、ICD-10 の「症状性を含む器質性精神障害(F00–F09)」を根本から編み直したものである。第一に、ICD-10 が病因(原因となる病気)による分類を軸としていたのに対し、ICD-11 は「臨床症候群(せん妄/軽度神経認知障害/健忘症/認知症)×病因」という二つの軸をもつ構造へと再編した。これにより、同じ臨床症候群を異なる病因のもとに位置づけることができる。また、同じ病因が複数の症候群を引き起こしうることも、筋道立てて記述できる枠組みが整えられた。第二に、ICD-10 では「軽度の認知障害(F06.7)」として周辺的な扱いにとどまっていた病像が、ICD-11 では軽度神経認知障害(6D71)として独立した臨床的な足場を得た。これは、認知症の前段階として、あるいは独立した臨床単位として知られる MCI(軽度認知障害)の概念を、診断体系のなかに組み込んだものである。第三に、認知症の行動・心理症状(BPSD)に対する特定子(診断名に付け加えて臨床像を細かく記述するためのラベル)のコード体系(6D86)が整えられた。これにより、認知症の経過のなかで現れる精神症状・行動症状を記述し、支援計画を立てることが容易になった。
この章には、せん妄(6D70)、軽度神経認知障害(6D71)、健忘症(6D72)、および認知症の各病因別カテゴリー(6D80–6D85。ほかに、原因が他に特定される認知症 6D8Y と、原因不明または特定不能の認知症 6D8Z がある)と認知症の行動・心理症状(6D86)が含まれる。このほかに、いずれの診断要件も満たさない病像のための、他の特定される神経認知障害(6E0Y)と特定不能の神経認知障害(6E0Z)が設けられている。
せん妄は、注意・見当識・意識(周囲への気づき)の障害が急に生じ、症状が変動することを中核とする状態である。背景となる原因は、身体疾患、物質(医薬品を含む)の中毒または離脱、複数の病因、あるいは原因不明の要因であり、他の精神疾患によってよりよく説明される症状は、せん妄とは診断されない。急に始まること、そして症状が変動することが特徴である。症状は数時間から数日のうちに発症し、CDDR に沿えば、一過性の症状が背景にある原因や病因に応じて変動する。臨床の現場では、一日のなかでの大きな変動や、夜間に悪化する経過(夕暮れ症候群)がよく観察されるが、これらは ICD-11 の診断要件そのものには含まれない臨床上の知見である。認められる症状としては、著しい錯乱(全般的な認知の混乱)、意識水準の低下、注意を集中する・保つ・切り替えることの困難、見当識障害(時間・場所・人物についての把握が失われること)、記憶障害、知覚の障害(錯覚・妄想・幻覚)、激越(強い興奮といらだち)や無気力を含む感情の障害、落ち着きのなさや衝動性などの行動症状、睡眠と覚醒のリズムの乱れがある。認知は複数の領域にわたって広汎に障害されるのが典型である。
ICD-11 のせん妄は、病因に基づいて下位区分される。他の章に分類される疾患によるもの(6D70.0)、精神作用物質または薬剤によるもの(6D70.1)、複数の病因によるもの(6D70.2)のほか、原因が他に特定されるもの(6D70.Y)と原因不明・特定不能のもの(6D70.Z)がある。せん妄は、根本にある原因が見つかって治療されれば、もとに戻りうる経過をたどる。しかし見落とされた場合には長引き、認知機能がもとに戻らないまま低下すること、入院期間が延びること、死亡率が上がることと関連する。せん妄は、入院中の高齢者・手術後の患者・終末期の患者で頻度が高い。本書が想定する職種の方々が、地域保健や在宅医療の場面で家族介護者から相談を受けることの多い臨床像である。
軽度神経認知障害は、正常な加齢に伴う認知機能の変化の範囲を超えてはいるものの、軽度にとどまる、一つ以上の認知領域における認知機能の低下を中核とする障害である。日常生活への影響は限られている。本人がメモの活用や確認のくり返しといった補いの工夫をすれば、独立した生活を保てる程度にとどまる。診断には、本人・情報提供者・臨床観察から得られる情報とあわせて、標準化された神経心理検査(それが利用できない場合は、それに代わる定量的な臨床評価)によって障害の客観的な証拠が示されることが必要とされる。影響を受ける認知の領域としては、注意、実行機能、言語、記憶、知覚-運動能力(視空間能力を含む)、社会的認知が挙げられる。経過は病因によってさまざまであり、変わらないまま続くことも、進行することも、改善することもある。この障害には、認知症の前段階(のちに認知症の診断要件を満たすに至る神経系の疾患の、早期の現れ)としてとらえられる場合と、独立した臨床単位としてとらえられる場合の両方が含まれる。病因は、アルツハイマー病、脳血管疾患、外傷性脳損傷、物質・医薬品の使用、栄養の欠乏など多岐にわたり、病因が特定できない場合もある。ICD-11 は、この障害を特定の病因と関連づけて記載することを認めている。なお、不眠や睡眠時無呼吸などの睡眠・覚醒の障害でも、記憶をはじめとする認知機能の低下はよく訴えられる。認知機能の障害が睡眠・覚醒の障害によってよりよく説明される場合には、軽度神経認知障害の診断を追加しないことが CDDR に規定されている(第 22 章参照)。
本書が想定する職種の方々にとって、この障害が意味をもつのは次の場面である。産業保健の場面での高齢就労者の認知機能の評価、定年延長の時期における職務適応の評価、そして本人および家族への情報提供と早期介入の枠組みづくりである。この障害から認知症へ進むリスクは、年率十数パーセント程度と報告されている。そのため、運動・社会的活動・認知刺激といった生活習慣への働きかけと、継続的な経過観察が必要である。
健忘症は、認知症でもせん妄でも説明されない、顕著な記憶障害を中核とする障害である(臨床的にはまれな病像である)。CDDR に沿えば、その中核は、新しい情報を覚え込み、学び、保持する能力の低下である。最近の記憶は遠い過去の記憶よりも強く障害され、過去に学んだ情報や出来事の記憶は比較的保たれることが多い。そして、記憶以外の認知機能も比較的保たれる。この点で、複数の認知領域が障害される認知症の臨床像とは構造的に異なる。診断には、記憶障害が生活の重要な領域の機能に重大な支障をもたらしていることが必要である(軽症の場合、機能が保たれているとすれば、それは補いの工夫などの相当な追加的努力によってのみである)。また、48 時間以内(多くは 6 時間以内)に消退する一過性全健忘は、健忘症とは診断されない。病因としては、脳の損傷(低酸素症、脳炎、腫瘍など)、薬剤性(ベンゾジアゼピン系薬剤の長期使用など)、アルコール使用症(コルサコフ症候群)が挙げられる。この障害の評価では、第 8 章で取り上げた解離性健忘との見分けが必要である。健忘症が新しい情報の記憶の障害を主とするのに対し、解離性健忘は心因性であり、自伝的記憶(自分自身の生活史についての記憶)の喪失が、外傷的でストレスの強い出来事に関連して生じる。
認知症は、二つ以上の認知領域における顕著な障害が、以前の機能水準からの低下として生じ、日常生活に重大な支障をもたらすものとして定義される。多くの認知症は進行性であるが、CDDR に沿えば、経過は病因によって異なり、栄養や代謝の異常に関連するもののように回復しうるものや、脳血管性の一部のように安定した経過をとるものもある。ICD-11 は、認知症を病因に基づいて下位区分する。また、どの病因による認知症についても、重症度を軽度(XS5W)・中等度(XS0T)・重度(XS25)の拡張コードで記述することができる。拡張コードは、認知症の診断コードにアンパサンド(&)でつないで用いる(例:レビー小体病に伴う認知症・中等度は 6D82&XS0T)。重症度は、認知機能と生活機能の障害の程度と日常生活動作の自立の程度に基づき、臨床的な診察と、本人に十分に接している家族・介護者などからの情報によって評価される。
アルツハイマー病に伴う認知症(6D80)は、認知症のなかでもっとも頻度の高い病因である。記憶障害が中核症状として早い時期から目立ち、そこに見当識障害、語彙の喪失、視空間の障害、実行機能の障害が、ゆっくり進行しながら加わっていく経過をたどる。早期発症型(6D80.0)と遅発性型(6D80.1)が区別される。脳血管障害との混合型(6D80.2)、その他の非血管性病因との混合型(6D80.3)も体系的に整えられている。
脳血管障害を伴う認知症(6D81)は、脳血管障害によって起こる認知機能の低下である。CDDR は二つの経過の型を区別している。脳卒中に関連する型では、認知機能の障害は脳卒中の直後に急に始まり、当初の障害はある程度の改善を示したのちに頭打ち(プラトー)に達し、残った障害が慢性に続くことが典型である。これに対して微小血管性の型では、注意・処理速度・実行機能といった、いわゆる皮質下の認知機能の障害が目立ちやすく、高血圧や糖尿病などの慢性疾患を背景とする場合には、経過はゆるやかに進行しうる。いずれの型でも、記憶障害は比較的軽い傾向にある。
レビー小体病に伴う認知症(6D82)は、レビー小体病による認知症である。ICD-11 では、①再発性の幻視(典型的には、像がはっきりと結ばれたもの)、②エピソード性の錯乱(認知機能の動揺として現れる、良いときと悪いときの波)、③レム睡眠行動障害(夢の内容に合わせて、眠ったまま大声を出したり体を動かしたりする症状)、④パーキンソニズムの一つ以上の特徴(動作が遅くなる、筋肉がこわばる、安静時のふるえなど、パーキンソン病に似た運動の症状)、という四つの症状のうち二つ以上が臨床歴に認められることが、診断の要件とされる。認知面では、記憶障害よりも、視空間能力・注意・実行機能の障害が目立つことが多い(記憶障害を主とするアルツハイマー病型と対照的である)。くり返す転倒、失神、幻視以外の感覚の幻覚、妄想、自律神経の症状(便秘、尿失禁)を伴うこともある。臨床的には、レム睡眠行動障害が認知症状にしばしば先行して現れること、抗精神病薬に過敏に反応することが知られており(いずれも CDDR の診断要件には含まれない臨床知見である)、薬を選ぶときには慎重さが必要である。
前頭側頭型認知症(6D83)は、前頭葉と側頭葉という限られた部位の変性・萎縮による認知症である。臨床的には 65 歳未満の発症が比較的多いとされる(ただし、年齢の規定は ICD-11 の診断要件には含まれない)。CDDR は三つの型を挙げる。記憶障害よりも、人格の変化・脱抑制(行動へのブレーキがきかなくなること)・社会的に不適切な行動が目立つ行動型、進行性の言語の障害を主とする原発性進行性失語(語の想起・語の意味・文法と発語のいずれが主に障害されるかにより、ロゴペニック型・意味型・非流暢/失文法型の三亜型に分けられる)、そして進行性の運動機能の障害を主とする運動型(進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症、筋萎縮性側索硬化症を含む)である。早期には記憶が保たれることが多く、そのために診断が遅れる原因になりうる。
精神作用物質の使用による認知症(6D84)には、アルコール(6D84.0)、鎮静薬・催眠薬・抗不安薬(6D84.1)、揮発性吸入物質(6D84.2)などによるものが含まれる。他の疾患による認知症(6D85)には、パーキンソン病、ハンチントン病、HIV 感染、多発性硬化症、プリオン病、正常圧水頭症、頭部外傷、ペラグラ、ダウン症候群などに伴うものが体系的に整えられている。
ICD-11 は、認知症の経過のなかで現れる精神症状・行動症状(いわゆる BPSD)に対して、独立したコード体系を整えた。これらは特定子として、原因不明・特定不能のもの(6D8Z)などを含むすべての認知症カテゴリーに追加してつけられるものである。CDDR に沿えば、これらのコードは、その症状が臨床的な介入の焦点となるほど重い場合に用いられ、臨床像を記述するために必要なだけ複数を併用してよい。下位区分として、認知症における精神症状(6D86.0、妄想・幻覚など)、気分症状(6D86.1)、不安症状(6D86.2)、無気力(6D86.3)、激越または攻撃性(6D86.4)、脱抑制(6D86.5)、徘徊(6D86.6)が整えられており、このほかに他の特定されるもの(6D86.Y)と特定不能のもの(6D86.Z)がある。
BPSD は、認知症の認知機能の障害そのものよりも、家族介護者や施設職員の負担を直接に決める要因である。この点で、本書が想定する職種の方々にとって実務上の重要性をもつ。BPSD への対応は、薬物療法に先立って、環境の調整と対応のしかたの改善(非薬物的介入)を行うことが原則とされる。薬物療法(とりわけ抗精神病薬)は、その使用に伴って死亡率が上がるというエビデンス(科学的根拠)を踏まえ、慎重に判断される必要がある。
この群を成人の領域で扱うときに心にとめておきたい点を、四つ挙げておきたい。
第一に、この群と他の精神疾患との見分けである。第 4 章で取り上げた抑うつ症との見分けは、とくに重要である。高齢者の抑うつ症は、記憶障害・思考の遅さ・無気力を示し、認知症とよく似た臨床像(仮性認知症)を呈することがある。両者を見分けるうえでは、症状の経過(急に始まったのか、ゆっくり進んできたのか)、抑うつ気分が目立つかどうか、本人が症状を自覚して訴えるかどうかが手がかりになる。認知症の患者は症状を否認する傾向があり、抑うつ症の患者は症状を強調する傾向がある。CDDR が鑑別の手がかりとして挙げるのは治療への反応である。気分症に伴う認知機能の低下は、気分症そのものの適切な治療によって改善するのが典型であるのに対し、認知症の認知機能障害は、気分症の治療によっては大きく変わらないとされる。第 12 章で取り上げたアルコール使用症との関係では、慢性的なアルコール使用が健忘症(コルサコフ症候群)や認知症(6D84.0)を引き起こしうることに注意する。第 7 章で取り上げたストレス因関連症群(とくに PTSD)と認知症とが併存したり、互いに影響し合ったりすることもありうる。
第二に、せん妄の見落としの問題である。入院中の高齢者や手術後の患者では、せん妄の頻度が高い。しばしば「夜間の不穏」「興奮」という言葉で表現されるが、その背景には、身体疾患の悪化、薬剤性、感染症、電解質異常、脱水など、治療できる原因がひそんでいることが多い。本書が想定する職種の方々が、地域保健や在宅医療の場面で家族介護者から「急に様子が変わった」という相談を受けた場合には、せん妄を鑑別の第一候補として考え、身体科の医療へ速やかにつなぐ経路を確保することが必要である。それが、もとに戻りうる経過への介入の機会を失わないための鍵になる。
第三に、認知症の評価にかかわる社会的・法的な判断の枠組みである。認知症の診断は、単なる医学的判断にとどまらない。運転免許の保持、財産管理、医療への同意、介護保険制度の利用といった社会的・法的な判断と、直接つながっている。本書が想定する職種の方々は、認知症の臨床的評価を、こうした社会的判断の土台として提供する役割を担うことが多い。重症度の評価(軽度/中等度/重度)、本人の意思決定能力の評価、家族の介護負担の評価が、この群の臨床評価における三つの主要な軸となる。
第四に、文化への配慮である。認知機能の低下に対する社会や家族の態度は、文化によって大きく異なる。日本では、認知症が長いあいだ「ぼけ」「痴呆」と呼ばれ、恥として隠される対象とされてきた歴史がある。二〇〇〇年代の用語変更(「痴呆」→「認知症」)のあとも、家族が受け入れに苦しむ場合が残っている。本書が想定する職種の方々は、この群の評価にあたって、本人と家族が体験する苦悩や恥の感覚が、文化的な文脈のなかで形づくられていることを理解しておきたい。そのうえで、診断を伝える場面での配慮、家族への情報提供と支援、地域における偏見を減らす取り組みへの貢献を、臨床判断の視野に含めることが望ましい。
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