*本稿は紹介論文の草稿として公開する。評者は本書を電子版(Perlego)で通読したため、引用の指示は頁数ではなく章・節による。引用はすべて評者の試訳であり、訳語・典拠表記は確定し次第、公開のまま改める。
序 なぜこの一冊か
ここに案内するのは、ムハメディン・クラシ(Muhamedin Kullashi)『フーコーとルフォール——近代への交差するまなざし。規律の発明か、近代民主主義の発明か』(L’Harmattan, coll. « La philosophie en commun », 2020)である[1]。著者はコソヴォ出身、パリ第八大学で教えた哲学者で、メルロ=ポンティ研究と政治哲学を専門とする。この出自は本書の視角を理解するうえで重要である。フーコー(Michel Foucault, 1926–1984)とルフォール(Claude Lefort, 1924–2010)——ほぼ同世代のこの二人は、ともにメルロ=ポンティの思考の重力圏を通過しながら、近代について正反対の診断に到達した。しかし両者のあいだに正面からの論争はついに行われなかった。本書はその行われなかった対決を、二つの著作群の対称的な再構成によって事後的に組織する試みである。
本書の設計は副題に尽くされている。近代の主要な出来事は規律の発明か、それとも近代民主主義の発明か。フーコーにとって近代を画するのは規律権力という新しい権力技術の出現であり、ルフォールにとってそれは民主主義という新しい社会形態——「象徴的秩序の変異」——の到来である。同じ近代という対象に向けられた二つのまなざし(regards croisés)は、同じ材料(カントロヴィッチ、トクヴィル、マルクス主義批判、全体主義の経験)を扱いながら、それを正反対の絵に組み上げる。本書の美点は、この対置を性急な優劣の判定に流し込まず、まず双方を内在的に、それぞれの最良の形で提示したうえで突き合わせる、その手続きの誠実さにある。評者の知るかぎり、フーコーとルフォールの権力論をこれほど体系的に対照させた研究は他になく、二人の巨大な著作群への入口としても、これに勝るものは少ない。
評者がこの一冊を本欄で取り上げるのは、しかし単にその明快さのゆえではない。既に案内したルフォールのアレント論[13]が「ルフォール対アレント」の対決だったとすれば、本書は「ルフォール対フーコー」の対決であり、二枚を併せることでルフォールの民主主義論は二方向から挟み撃ちにされ、その輪郭を鮮明にする。そして本紀要が草稿として進めているゴーシェ=スウェイン論[14]にとって、本書の対置はいわば背景の見取り図——ゴーシェがその上で仕事をした盤面——を与えてくれる。この点は結びで立ち返る。
一 権力の分析論——法と主権のモデルから権力のミクロ物理学へ
本書はまず、フーコーの権力論の全体像を「権力の分析論(analytique du pouvoir)」として再構成する。フーコーの出発点は、国家とその大装置(司法・軍・警察)を中心点とし、そこからすべての権力関係を導出するマルクス主義的発想への批判である。権力とは「それが行使される領域に内在する無数の力関係の多重性」であり、単一の主権の中心から放射されるのではなく「至るところから」——家族から、生産装置から、諸制度から——発生する[3]。国家はむしろこれらの闘争の「終端的形態」として、下からの上昇的な運動のなかで構成される。ここから、法をモデルともコードともしない権力の分析論、すなわち法と主権を理論的特権とする西洋政治思想の伝統からの離脱が、フーコーの方法的課題として定式化される。
クラシはこの分析論を、いくつかの主要概念の連鎖として手際よく整理する。権力と知の内在的絡み合い——「権力関係なしに構成される知の領野はなく、権力関係を前提とし同時に構成しない知もない」[2]。認識主体の固定性を保つ「認識(connaissance)」から、認識する作業を通じて主体自身が変容する過程としての「知(savoir)」を区別する用語法。主権の「マクロ物理学」に対置される権力の「ミクロ物理学」と、言説・制度・建築的配置・法・行政措置の異種混交的総体としての「装置(dispositif)」[4]。そしてニーチェの「実効的歴史(wirkliche Historie)」に依拠し、永遠の真理と同一的な意識を前提とする伝統的歴史学に不連続性を対置する系譜学の方法である[5]。
注目すべきは、クラシがこの再構成の随所で、後続章での比較の伏線を張っていることである。二つだけ挙げる。第一に、系譜学をめぐって著者は、メルロ=ポンティから継承された「歴史の真理を見晴らす場所は存在しない」という視点が、フーコーとルフォールに共有されていることを指摘する。第二に、主権権力の分析に際して両者がともにカントロヴィッチ『王の二つの身体』[9]に依拠しながら、その使用法が対照的であること——フーコーはこれを主権権力という一つの権力型の把握に用い、ルフォールは君主制・民主主義・全体主義という三つの政治形態の区別に用いる。同じ道具の異なる使用。この一点に、実は本書全体の対置が縮図として含まれている。
二 規律の発明——フーコーにとっての近代の出来事(第一章)
第一章「近代——規律権力の発明」は、『監獄の誕生』[2]と講義録『精神医学の権力』[4]を軸に、規律権力の形態学を展開する。主権権力の特徴——徴収と支出の非対称性、創設的先行行為(神意・征服・出生)への準拠、儀礼による再活性化の必要、そして「非等方性」——に対し、規律権力は身体・所作・時間・行動の「網羅的な掌握」を特徴とする。主権権力は臣下を個人化せず、個人性はもっぱら君主の側に描かれた。規律権力はこの関係を反転させ、継続的な監視と訓育、そして書記——記録・台帳・調書——による「図式的で中央集権化された個人性の構成」を行う。十七〜十八世紀以降、身体と行動と言説は「書字の織物、グラフィックな血漿」に覆われ、介入は行為の後にではなく行為の以前へ、行動の潜在性へと向かう。
ここで決定的なのは、個人は国家に先立たないという主張である。個人は規律権力の手続きを通じて「歴史的現実」として構成される。「人間」とは、ブルジョワジーが権力要求の道具とした法的個人と、同じブルジョワジーの規律技術が構成した規律的個人とのあいだの「残像」にほかならない[4]。規律システムはまた残余——脱走兵、精神薄弱者、非行者——を産出しては回収する「アノミーにおける規範の絶えざる働き」であり、ここに規範化の概念が導入される。クラシは規律の系譜を、中世の宗教共同体(「共同生活兄弟会」など)で形成された身体技術が西洋社会全体へ「播種」されていく過程として辿り直し、ポリツァイ国家(Polizeistaat)論を経て、章の終わりでは生政治と全体主義の関係にまで筆を進める。
評者の見るところ、この第一章の価値は、規律論を『監獄の誕生』一冊の要約に留めず、講義録を組み込んで「主権から規律へ」の移行を権力の形態学として立体化した点にある。とりわけ精神医学の権力をめぐる講義の活用は、本紀要の関心——精神病院という制度の政治学——にとって直接に有益である。
三 民主主義の発明——ルフォールにとっての近代の出来事(第二章前半)
第二章「近代民主主義の発明」は全十五節、本書の中軸である。クラシはまず、ルフォールの問いの出発点を復元する——全体主義の本性をめぐる「これほど広範で持続的な誤認」はなぜ生じたのか[6]。左翼知識人の頑なな盲目への批判、トロツキスト小党での活動とカストリアディスとの協働によるソ連官僚制分析、そして党内経験——集会の操作、情報の秘匿、支配的言説の定型化——からの離脱。この来歴の叙述にクラシはフーコー自身のフランス共産党体験を対照として織り込み、それでもフーコーは収容所群島の規模をついに問題化しなかった、と静かに注記する。伝記が論点になるのではない。全体主義という「われわれの時代の主要な出来事」を思考の中心に据えたか否か——この一点が、二人の近代診断の分岐の伝記的翻訳なのである。
ルフォールの民主主義論そのものは、本欄のアレント論案内[13]で素描した通りだが、クラシの再構成は概念の連鎖を丁寧に追う点で有益である。政治的なもの(le politique)と政治(la politique)の区別。社会が自己の可知性の条件を制度化する「形式化(mise en forme)」が、「意味化(mise en sens)」と「上演(mise en scène)」を含意すること。トクヴィル[10]から継承した長期的過程としての民主主義革命と、トクヴィルが各現象の「裏面」で立ち止まり「裏面の裏面」まで進まないことへの異議。そして核心にあるのが脱身体化(désincorporation)と脱交絡(désintrication)の二概念である。王の身体が破壊されるとき、社会的なものの身体性が溶解し、権力の場所は空虚な場所(lieu vide)となる。いかなる個人も集団も権力の場所と実体を同じくする資格を持たず、権力の行使は競争の手続きと「定期的な賭け直し」に委ねられる。同時に、権力・法・知は互いに還元不能な「自律的な焦点」として分離する。民主主義は「権力は人民から発する」と「権力は誰のものでもない」という二つの矛盾する原理の連結に生き、「権力・法・知の基礎について人間が究極の不決定性の試練を経験する歴史」を開始する[6]。
全体主義はこの論理の転倒として捉えられる。人民=一者(peuple-Un)の幻想、実体的アイデンティティの探求、頭に溶接された社会体、受肉する権力。国家と社会の分割の消去が第一の契機、社会内部の諸分割——企業・学校・病院・行政・裁判所がそれぞれ固有の規範をもつという異質性——の抹消が第二の契機である。クラシが的確に強調する通り、ルフォールの全体主義論は抑圧の残虐さによる定義よりも繊細であり、「社会生活の最も秘められた、最も自発的な、最も把握しがたい要素——習俗、趣味、観念——を支配し、正常化し、均質化する」機構の分析なのである[6]。この分析は、ラ・ボエシの自発的隷従論[11]の読解、収容所を「社会的紐帯の潜勢力への戦争」として捉える視点、そしてオーウェル『一九八四年』論によって内側から照らされる。
四 突き合わせ——法・人権・後見国家・市場(第二章後半)
第二章後半で、本書はいよいよ二人を正面から突き合わせる。クラシの手つきは一貫している——まず共通点を確定し、そのうえで分岐の正確な位置を測定する。
共通点は少なくない。両者はともに、近代国家を生産様式に規定された上部構造とするマルクス主義の命題を反転させ、国家こそが資本主義的な活動と関係を可能にした制度だと認める。ともに社会的分割と紛争の受容を近代の徴と見る。行政権力による人口の管理と社会生活の統制の絶えざる拡大というルフォールの分析には、フーコーの統治性分析との顕著な一致がある。さらにギゾー論——ブルジョワ的エリートの「規範と統制の力に支えられた国家」——において、クラシは両者の重要な類似点を見出す。
だが分岐は深い。第一に法。フーコーにおいて法は規律を覆う表層、行動の正常化の道具に傾く。ルフォールはまさにこの還元——「あらゆる権力の害悪」「近代国家の全体主義的使命」といった一般的定式への解消——を、全体主義の断罪の後に政治的なものそれ自体を拒絶する七〇年代知識人の症候として批判しており、クラシはこの異議が「フーコーの規律権力分析にも部分的に当てはまる」ことを明言する。ただし著者は公平である——フーコーの系譜学は無時間的真理への騒々しい回帰とも、合理主義の復興とも無縁であり、その点で他の反全体主義の言説とは水準を異にする、と。第二に人権。ルフォールにとって人権は、ブルジョワ的利己主義の変装(マルクス)でも規律を覆うイデオロギーでもなく、「象徴的秩序の変異」そのものに属する。権利をめぐる要求と闘争は「数の力と権利の原理の結合」であり、民主主義的自由は自由主義国家の贈り物ではない[7]。第三にマキャヴェッリ——君主の安全の技術として読むフーコーに対し、人民の欲望に基づく自由と法の思想家として読むルフォール[8]。第四にトクヴィル的後見国家と民主主義の二重性、自由主義と民主主義の区別。ルフォールは自由主義国家の弁護者と見なされがちだが、実際には「自由主義国家は原理上、市民的自由の守護者となった。だが実践においては、支配的利害の保護を保証してきた」と書く批判者である[7]。
最後の分岐が最も現代的である。晩年のフーコーの新自由主義講義をめぐって、クラシは「新自由主義的アプローチの中心概念は自由ではなく複数性(pluralité)である」というラガスヌリの解釈[12]を引きながら問う——多様な実存様式を経験する社会にどう生きるか、という問いに対し、市場という形式はその「唯一の調整様式」たりうるか。ルフォールも実存様式の複数性を近代の核心に置く。だが彼はそれを市場にではなく、「政党の競争と政治的討議に行使が依存する、民主主義体制の固有に政治的な次元」に置く。本書の結語は簡潔である——ルフォールには、政治的問いに対する市場=形式の批判能力への、フーコーと同じ信頼は見出されない[1]。
五 評価——対置の明確さと、その手前で止まること
本書の達成は明確である。フーコーとルフォールという、ともに「反全体主義」「反経済主義」の同時代人でありながら決定的にすれ違った二人を、同じ盤面の上に初めて対称的に並べてみせたこと。「規律の発明か、民主主義の発明か」という択一は、単なる学説の相違ではなく、近代のどこに出来事を見るか——権力の技術か、権力の象徴的布置か——という水準の相違として測定される。カントロヴィッチの使用法の違いという細部から新自由主義評価という現在的争点まで、対置は一貫した精度で貫かれており、二人のどちらか一方しか読んでこなかった読者(フランス思想の受容史において、それは大多数である)にとって、本書は失われた半身を回復させる書物となろう。
他方で限界も本書の設計そのものに内接している。第一に、本書は突き合わせはするが総合はしない。規律の発明と民主主義の発明とがいかなる関係にあるのか——同じ近代の二つの水準なのか、一方が他方を包摂するのか——という問いは、読者の手に残される。第二に、対決が事後的な構成であるがゆえに、フーコーの側の応答は永遠に欠けている。ルフォールからフーコーへの異議は本書の随所で具体的だが、逆方向の批判は構成上薄い。そして第三に——これは本書の落ち度ではなく本紀要の関心からの注記だが——ゴーシェが登場しない。規律と民主主義という二つの発明のあいだを媒介しようとした最も重要な試みが、ルフォールの直弟子によって、しかもフーコーの本丸たる精神病院を舞台に行われていたことを思えば、この不在は読者にとってむしろ生産的な空白である。
結び なぜ本紀要でクラシか——ゴーシェという蝶番
その空白にこそ、本欄がこの一冊を取り上げる理由がある。クラシの択一——近代の出来事は規律の発明か、民主主義の発明か——を盤面として眺めるとき、ゴーシェ=スウェイン『人間精神の実践』(一九八〇年)の位置は正確に測定できるようになる。あの書物が行ったのは、フーコー的な問いの土俵——精神病院、すなわち規律権力の特権的地形——の上で、ルフォール的な手段——象徴的秩序の変異、権力の空虚な場所——によって答えることであった。精神病院という規律装置こそ民主主義の発明の結晶である、と示すこと。それはクラシが並置したまま残した二項の、おそらく最初で最大の総合の試みである。本紀要の草稿[14]が辿っているのはまさにこの蝶番であり、本書はその背景の全体を、これ以上望めない解像度で描いてくれる。
かくして本欄のルフォール関連の案内は二枚組となった。アレントとの対決[13]は、ルフォールの民主主義論がいかにして全体主義論から鍛え出されたかを示し、フーコーとの対決(本書)は、その民主主義論が規律権力論といかに拮抗するかを示す。二つの対決の交点に立つのがゴーシェであり、その実験室が精神病院であった。アレント——ルフォール——ゴーシェ、そしてフーコー——ゴーシェ。本紀要が「民主主義と精神医学の交差」と呼んできた問題系の全域が、これで一望のもとに収まる。