序章 第二版序文を読む——本稿の対象と問い
序-1 一篇の序文——「民主主義時代の狂気」
本稿が対象とするのは、マルセル・ゴーシェとグラディス・スウェインの共著『人間精神の実践——精神病院制度と民主主義革命』(1980)[1]と、その 2007 年の再刊(Gallimard, coll. « Tel »)にゴーシェが付した新序文「民主主義時代の狂気(La folie à l'âge démocratique)」[11]である。
この序文は 28 頁(p. I–XXVIII)、二つの部分からなる。第一節「排除の神話と平等の意味(Le mythe de l'exclusion et le sens de l'égalité)」(p. I–X)は、フーコー『狂気の歴史』[8]が広めた排除の物語に対する批判を、七つの論点に総括する。続く第二部「1800 年という契機を解きほぐす(Démêler le moment 1800)」(p. XI–XXVIII)で、ゴーシェは 1980 年の本書がなぜ 1800 年前後に集中したのかを自ら説き明かし、本書執筆時にはまだ明示されていなかった枠組み——のちに『世界の脱魔術化』(1985)[9]で展開される「宗教からの出口(la sortie de la religion)」の視角——のもとに、精神病院の誕生を置き直す。精神病院は民主主義的世界の「政治的実験室」であり、その「顕示装置(révélateur)」だと言われる。そして「なぜ精神病院なのか(Pourquoi l'asile ?)」という問いが、序文の p. XXV で正面から立てられ、答えられる。序文は末尾で、狂気についての臨床的な知を要求し、「狂人たちを彼らの偽の友から救う」ことを現在の課題として掲げ、« Marcel Gauchet 2007 » と署名して閉じられる。
第一節は、フーコー『狂気の歴史』への半世紀にわたる批判的応答を集めた 2011 年の論集[3]にも再録されている。そこでゴーシェの文章は、デリダの「コギトと狂気の歴史」やアンリ・エーの批判と並んで、フーコー批判の一篇として読まれる。本稿はしかし、序文をその全体において、第一節から末尾の署名まで、ゴーシェ自身の順序で読む。序文は、フーコーに何を対置するかを述べたうえで、自分自身の企てが何であったかを述べているからである。
序-2 本稿の問い
『人間精神の実践』の議論を、筆者は論点ごとには追うことができる。他律的社会から自律的社会への移行という大きな見取り図も理解できる。新序文が提示するフーコー批判の七つの論点は、いずれも納得のいくものである。
にもかかわらず、一点が最後まで解けない。本稿の問いはこう立てる。ゴーシェが精神病院を民主主義の実験室として選んだとき、彼が見ていた精神病院は、臨床医のそれとどのように異なるのか。
この問いは二つの段階に分かれる。第一の段階は、なぜゴーシェは民主主義的権力の範例として、よりにもよって精神病院を選んだのか、である。これには序文自身が答えている(第二章)。第二の段階は、そのとき彼が見ていた精神病院が、そこに身を置いた者の知る精神病院となぜ重ならないのか、である。これには序文は答えていない。しかし序文を 1980 年の本文と並べて読むと、ゴーシェが「精神病院」という語で指している対象と、臨床医がその語で指している対象とが同じではないこと、そしてその分岐点が序文のテクストのうちに特定できることが分かる(第三章・第四章)。
本稿の主張を先に述べておく。第一の問いには、序文自身が答えている。第二の問いには序文は答えていないが、序文を 1980 年の本文と並べて読むと、ゴーシェが「精神病院」という語で指している対象と、臨床医がその語で指している対象とが同じではないこと、そしてその分岐点が序文のテクストのうちに特定できることが分かる。
ここで筆者の立場を一度だけ明示しておく。筆者は精神科臨床医として、また知的発達症のある人々の施設にかかわる者として、その空間を生活の場の一つとして過ごしてきた。したがって本稿には、外からの観察者には持ちえない知識と、同時に、外からの観察者には持ちえない偏りとが入り込んでいる。この偏りを消去することは筆者にはできない。できるのは、それを論証の資格として明示することである。以下で提起する留保は、ゴーシェの記述が事実に反するという主張ではない。彼の記述する対象と、筆者が知る対象とが別のものであり、その分岐点を特定しうる、という主張である。分岐点の特定は、内側にいた者にしかできない作業であり、それが本稿の唯一の寄与である。
付け加えれば、この問いを抱えたまま筆者がゴーシェを読み続けることができたのは、共著者スウェインによる。彼女の『狂気における主体』[2]を先に読み、そこに臨床医としての自分の経験と重なるものを見出していたからである。本稿の後半でスウェインが再び現れるのは、そのためである。
序-3 序文を背骨とする理由と本稿の方法
本稿は、1980 年の本文を最初から順に追う代わりに、第二版序文を背骨に据える。理由は三つある。
第一に、これは著者自身による、27 年後の見取り図である。1980 年の本文は 500 頁を超え、その政治哲学的な狙いは資料の分厚い展開のうちに織り込まれていて取り出しにくい。序文はそれを、著者自身の言葉で、順序立てて要約している。読者に本文を丸ごと追体験させるより、この見取り図に沿って本文の要所を確かめるほうが、はるかに見通しがよい。
第二に、序文は 1980 年の本文と同じことを言っているとは限らない。両者を並べて読んで初めて見えてくる語彙の移動がある。本文が精神病院の特権を、狂人のうちに「消し去りえない人間性」が残存することに基礎づけていたのに対して、序文はそれを、人格への圧力が「空しい」ことに基礎づける。この移動は小さく見えて、本書の読み方を左右する(第三章・第四章)。
第三に、序文はその末尾で、狂気についての臨床的な知を要求し、「狂人たちを彼らの偽の友から救う」ことを課題として掲げる。この要求は、ゴーシェ自身の叙述の外に、臨床医の住まう精神病院——アンリ・エーのそれ——と、スウェインの「狂気における主体」とを呼び込む扉になっている(第五章・第六章)。
したがって本稿の方法は単純である。まず、序文にゴーシェが提示している論点を、彼自身の順序で一つずつ取り出す(第一章・第二章)。この二章では各論点の解釈を行うが、批判は差し控える。次にそれを 1980 年の本文と照合し(第三章)、そこに現れる「紙の狂人」の輪郭を確かめ(第四章)、それから臨床医の側から、住まわれた精神病院と、狂気の主体とを対置する(第五章・第六章)。検討の対象は、序文にゴーシェが自ら提示した論点に限る。ゴーシェが提示していない論点を臨床医の側から持ち込むのは第五章以降の作業であり、それも序文末尾の要求に応えるという限りで行う。序-2 に明示した筆者の立場——ゴーシェの民主主義論には賛同し、しかし彼の精神病院を臨床医として自分の生活空間と重ねることができない——は、この手順のなかで、感想ではなく、テクスト上の根拠をもつ問いに変わるはずである。
序-4 別稿との分担、および本稿の構成
フーコー『狂気の歴史』への批判としてのゴーシェ=スウェインによるピネルの再評価と、アンリ・エーの批判とは、別稿「フーコー『狂気の歴史』への批判——四本の柱と二つの型」[18]において、フーコー批判の柱として論じた。エーとゴーシェはともに論集[3]に収められたフーコーの批判者であるが、両者が立つ平面は同じではない。エーは精神科医として、狂気概念そのものの取り違えを問うた。ゴーシェは歴史家=哲学者として、排除という物語の成立と受容の構造を問う。被告は一人だが、審理されている罪状は別である。同稿ではデリダの反論にも触れたが、エーの批判が délire という語の二義性(譫妄と妄想)をフーコーが無視したという臨床医学的な次元で展開されるのに対し、デリダの反論は哲学的な次元にあり、両者は同じ平面に置けないとして、立ち入らなかった。本稿もこの方針を引き継ぎ、デリダには立ち戻らない。序文第一節のフーコー批判については、本稿は第一章で七つの論点をゴーシェの順序で取り出すが、個々の論点の当否を別稿以上に立ち入って論じることはしない。本紀要の各論文は単独で読めることを旨としているので、別稿と部分的に重なることは避けない。ただし重点は異なる。別稿の関心がフーコー批判そのものにあったのに対し、本稿の関心は、フーコーを退けたあとにゴーシェが立てた積極的な構築物と、そこに置かれた狂人の姿にある。
本稿の構成は以下のとおりである。第一章は序文第一節の七つの論点を順に取り出す。第二章は序文第二部「1800 年という契機を解きほぐす」を追い、本書の対象の限定(治療的制度という模型)、二つの波(狂人との交流可能性の発見と、1800 年から 1810 年にかけての施設的転回)、転回の三つの理由、19 世紀こそが真の「大監禁」の時代であるという数量的転倒、p. XXV の「なぜ精神病院なのか」への答え、装置の錯覚、そして「社会化する機械」を取り出す。あわせて、ゴーシェの民主主義論がレフォールの権力論のどこを引き継いでいるかを、必要な範囲で確認する。第三章は序文の主張を 1980 年の本文(第一部第四章「精神病院の政治学」、第五章「不可能な権力」、第六章「社会化の機械」)と照合し、本文と序文とのあいだの語彙の移動を、フランス語原文に即して確かめる。第四章は、この照合から浮かび上がる「紙の狂人(le fou de papier)」——ゴーシェ自身が反精神医学の狂人に向けたこの語が、彼自身の狂人にどこまで跳ね返るか——を検討する。第五章はアンリ・エーの 1945 年の講演「狂気と人間的価値」[13]を手がかりに、臨床医が住まう精神病院を対置する。第六章は、ゴーシェとエーの双方を横断する唯一の項としてスウェインを置き、『狂気における主体』[2]とメランコリー論[14]において、彼女がゴーシェの要求する臨床的な知にどう応えているかを見る。結章は序文末尾の「狂人たちを彼らの偽の友から救うこと」を引き取り、ゴーシェの要求と臨床医の応答との分業として、本稿の結論を述べる。第一章は、ゴーシェが退けた地平を確定するための章であり、本稿の主題は第二章以降にある。
第一章 序文第一節「排除の神話と平等の意味」——七つの論点
新序文「民主主義時代の狂気」の第一節「排除の神話と平等の意味」は、七つの論点からなる[11]。本章はそれをゴーシェの順序で取り出すが、詳しく追うのは、後の章が立ち返る第五と第六の論点である。他の論点は、別稿[18]で扱ったフーコー批判と重なるので、要点にとどめる。
1-1 反駁の不在から文書の豊富さまで——第一から第四の論点
序文は三つの修辞疑問で開かれる。近代理性は狂気を排除したのか。19 世紀に生まれた精神医学的知識は、その排除を再生産し、照らし出すと称するものを隠蔽することを目的としたのか。精神病院は、人道主義の仮面の背後で、古典主義時代の大監禁の忠実な継承者なのか[11]。あえて疑問形にするのは、「この領域において議論のスタイルを導入することがいかに困難であるか」を示すためである。『人間精神の実践』は好意的に受容され、良い読者を得たが、「単純に、それは議論を呼ばなかった」。反駁されることもなく、受けたのは「義務的な若干の侮辱だけ」であった[11]。この不在の経験が第一の論点であり、以下の全論点の出発点をなす。問題は排除論が正しいか誤っているかではなく、なぜ排除論は反駁の届かない場所に立っているのか、である。
第二の論点はその答えである。フーコーが生み出したのは「神話である、それ以上でもそれ以下でもなく、近代的神話であるが、それでも神話」であり、「我々の起源の説明的物語」である[11]。ただし「批判的という点において近代的」な神話である。それは讃えるべき基礎を語るのではなく、「我々が努めて逃れなければならない生来の呪い」を指し示す。「神話は我々の忌避すべきものを指定することで我々を同定する」[11]。ゆえに排除論は、他の歴史解釈と同列に扱って反駁しうる対象ではなく、「論証的対決が可能な平面とは別の平面に位置している」。
第三の論点は、この学問的神話の構造にかかわる。フーコーは新しい神話を創作したのではなく、「先行する神話、aliéné の解放の神話を逆転させるだけで十分であった」[11]。その先行神話とは、スキピオン・ピネルによる「純然たる事後的作話」であり、その生成過程と機能——親族的利益、職業的利益、そして創設的出来事の意味を当時唯一理解可能な言語へ翻訳する認知的利益——を明らかにしたのはスウェインである。「学問的神話は、素朴な神話を覆し、その解読として現れるという事実に、その説得力の本質的部分を負っている」[11]。反神話は、素朴神話の象徴的機能を裏返しのまま継承しているのであって、神話の外に出てはいない。
第四の論点は実証的基盤にかかわる。フーコーは創設期について「より価値ある文書があまりにも少ししか残されていない」と書いたが、ゴーシェは短く応じる——「しかし、これらの文書は豊富に存在する」[11]。そしてそれらの文書が示すのは、出発点が「本質的に実践的秩序における狂気の新たな把握にあったこと」である[11]。排除ではなく把握。これが『人間精神の実践』の実証的核心であり、スウェインが「狂気における主体」と呼んだものの、ゴーシェの側からの名である。
1-2 平等=包摂への情熱——第五の論点
第五の論点は、反駁可能なはずの神話がなぜこれほどの権威を得たのかを説明する。答えはトクヴィル[5]の平等論の拡張である。
平等とは、法の前の取り扱いの同一性や資源の外的類似性の要請を「はるかに超えて」、「存在者たちの間における同類者の承認への呼びかけ」である。古い「貴族的」社会が存在者間の非類似性——本性的区別——によって機能し、それが階層的連鎖への結束を可能にしていたのに対し、平等は類似性の論理を打ち立てる。「不平等こそが結合させるのである」[11]。そして定式が置かれる。「平等とは包摂への情熱であり、人類全体を共通のアイデンティティの空間に刻み込もうとする意志である。そこから平等が分泌する排除への恐怖症が生まれる」[11]。
ここで狂気が登場する。フーコーが言語と動員的象徴を提供したのは、この過程の新たな段階に対してであり、それを精神病院の壁の背後の運命の告発に接ぎ木することによってであった。「周辺的と思われたかもしれない適用点であるが、それは模範的であることが明らかになる。そしてなぜかを理解することが重要である」[11]。理由はこうである。存在者を隔てうるあらゆる差異のうち、狂気は「最も測り知れず、最も乗り越え難い」。未開人のような文化の差異はなく、子供のような発達の差異はなく、女性のような解剖学的・生理学的差異もない。「外見上は同一であるが、不可視であるがゆえに、それでもなお容赦ない他者性を確立する差異」である。狂人は同時に、同一性の要求が潜在的に最も強く向かう相手でありながら、それを実行に移すことが最も困難な相手である。ゆえに彼は「雄弁な象徴的極限」を表象する[11]。
これに 1950〜60 年代の受容土壌が重なる。ゴーシェは当時の精神医療制度について、「それを知る者なら誰でも証言できるように、無条件の憤りの感情を抱かせるような性質のもの」であったと述べ、「馬鹿げた城壁の陰で腐敗していた悲惨さと監獄的な日常」に言及する。全盛期の精神分析が傾聴と深い理解への要求を導入していたのに対し、「息も絶え絶えの臨床医学の医学的客観主義」は見劣りした。「フーコーが見事に形作ったのは、この広まった気質である」[11]。
この論点は、本稿にとって二重に重要である。同一性と他性のあいだの差異という主題は、第四章で取り出すゴーシェの基準——非類似と類似との緊張の保持——の土台であり、1950〜60 年代の精神医療への言及には、第三章 3-7 と結章で立ち戻る。
1-3 遂行的自己矛盾、「狂気の真理」という空手形、脱施設化の帰結——第六・第七の論点
第六の論点は内在的批判である。まず遂行的自己矛盾。「この歴史の読み方には、どこかに何かおかしなところがあるはずである。なぜなら、それは自分自身の言説をその中に位置づけることの不可能性に帰結するからである。もしそれが全体的に非難する過去に何も負っていないなら、それはどこから出てくることができるのか」[11]。近代の理性が狂気の排除に支えられてのみ存在するのなら、その理性を告発する言説もまた存在しえないはずである。ゴーシェの読み替えはこうである。現在の反乱は過去の獲得物によって養われており、それは「途中で止まってしまった同一化への要求の再活性化」であり、決別ではなく「未完成なものの達成」に関わる[11]。
次に「狂気の真理」という空手形。排除や沈黙への還元を告発するには、埋葬された真理へのアクセスが前提となるはずだが、この約束は果たされない。「想定される明かしは、約束されたままの状態にある手段への依拠に懸かっている」[11]。反精神医学がそれを試みた結果は、「控えめに言っても」納得させるものではなかった。狂気について実質的に語り始めれば、「医学的実証主義からどれほど遠ざかろうとしても、それとは本質的に異なる言説の軌道に位置していないことに気づくのが遅くない」。差は様式と様相にあり、記述の根底にはない。ゆえに臨床的知識は「その対象の何かを捉えていたはずである。我々はそれを改革することはできるが、それから逃れることはできない」[11]。この一句は、第四章の末尾で本稿がゴーシェの批判を臨床的な知への要求として読み替えるときの、序文自身の根拠となる。
第七の論点は結果である。「脱監禁は起こったが、その想定される幸福な受益者たちにとって高い代価でであった。彼らは純粋に単純に自分たちの運命に見捨てられた」。「誰も彼らが存在することを知りたがらない」。彼らは「一般的無関心の中で街を彷徨う相当な自由を獲得した」[11]。神話の無敵性を、ゴーシェは時代精神——「先行したものに何も負わないことへのこの情熱」、現在のナルシシズム——に帰する。「精神医学批判はその模範的表現の一つに過ぎなかった」[11]。
1-4 小括
以上七点を整理すれば、(一) 反駁の不在という経験、(二) 批判的近代神話という診断、(三) 素朴神話の転倒という構造、(四) 文書の豊富さと「実践的把握」という別の出発点、(五) 平等=包摂への情熱による説の権威の説明、(六) 遂行的自己矛盾と「狂気の真理」という空手形、(七) 脱施設化の破壊的帰結、となる。
いずれの論点も、それ自体としては説得的である。筆者はこれらに異を唱えない。しかしこれらはすべて、フーコーが何を誤ったかについての説明であって、ゴーシェ自身が何を立てるかについての説明ではない。第一節は、ゴーシェが退けた地平を確定する。序文はその答えを第二部に置いている。次章でそれを追う。
第二章 序文第二部「1800 年という契機を解きほぐす」
第一章で辿った第一節「排除の神話と平等の意味」は、フーコー批判に充てられていた。序文はこのあと「DÉMÊLER LE MOMENT 1800(1800 年という契機を解きほぐす)」と題する第二部に入り、ゴーシェは四半世紀の隔たりをもって自著の分析線を要約し直す[11](p. XI–XXVIII)。本稿にとって決定的なのはこちらである。「なぜ精神病院なのか」への答えが、ここにある。
2-1 本書の対象——治療的制度という模型
第二部は課題の設定から始まる。
La difficulté est en effet de débrouiller ce qui se passe avec la naissance de l’asile. Le problème est d’éclaircir la conjonction entre ce qui se joue au plan intellectuel, dans l’appréhension de la folie, et ce qui se joue sur le terrain institutionnel. Il se forme là un nœud dont les fils seront ensuite impossibles à démêler.
困難とは、実際、アジルの誕生とともに何が起こるのかを解きほぐすことにある。問題は、知的な平面で——狂気の把握において——演じられていることと、制度的な地平で演じられていることとの結合を明らかにすることである。そこに一つの結び目が形成され、その糸は以後ほどきえないものとなる。[11](p. XIII、拙訳)
そして目的が名指される——「ある医学的言説とある実践的装置とはいかにして融合し、精神医学の歴史を持続的に支配することになる強力な模型、すなわち治療的制度 (l'institution thérapeutique) の模型を創り出したのか。本書の対象はそれである」[11](p. XIII)。
続いて、何が新しかったのかが厳密に限定される。狂人を治療するという観念も、狂人を閉じ込めるという観念も、新しくはない。「新しいもの、アジルの新しさとは、閉じ込めと治療とを結びつけるという観念、当時の言い方をすれば「隔離 (isolement)」を治療の支持体かつ媒体とするという観念である」[11](p. XIV)。
この限定は重要である。ゴーシェの対象は狂気でも精神医学一般でもなく、閉じ込めと治療との結合という、一つの歴史的に特異な発明である。
2-2 二つの波
その結合は、二つの波の重なりとして記述される。
第一の波は治療の側に生じた。「治療の斜面に生じたことは、単純な実践的発見の秩序に属する。すなわち狂人とのコミュニケーションの可能性の発見である」[11](p. XIV)。この発見の理論的帰結は大きい。完全な狂気という根を張った表象との断絶をもたらすからである。
第二の波は制度の側に生じた。フランス革命の地震のあと、道徳的・政治的秩序の展望が巨大な転覆を被り、「人間への作用」の未曽有の形象が描かれる。それは「社会が自らを産出するという、出現しつつある行為としての観念」に照らして意味を持つ。そして——
La folie nouvellement découverte en son accessibilité va être le foyer privilégié de son expérimentation, pour une série de raisons qu’on peut expliquer. L’asile va s’établir et fonctionner comme un véritable laboratoire politique, la première institution, peut-être, où le rapport moderne de pouvoir va être en mesure de se déployer complètement, avec ce qu’il comporte d’illusion foncière.
接近可能性において新たに発見された狂気が、その実験の特権的な焦点となるであろう、説明しうる一連の理由によって。アジルは真の政治的実験室として、近代的な権力関係がその根源的な錯覚を伴いつつ完全に展開しうる、おそらくは最初の制度として、設立され機能することになる。[11](p. XIV、拙訳)
「政治的実験室 (laboratoire politique)」——本稿第一章以来ここまで、筆者はこの語をゴーシェの主張の要約として用いてきたが、それは彼自身の語である。同様に、「1800 年前後の精神医学の出現」は「到来しつつある民主主義的世界の比類なき露見器 (révélateur)」と呼ばれる[11](p. XV)。
2-3 第一の波の内実——狂気における主体
第一の波が何であったかは、pp. XIX–XXII で詳述される。本稿第六章で扱うスウェインの主題と直結する部分であるから、要点を押さえておく。
伝統社会において狂人が占めていた位置は、寛容でも受容でもなかった。彼は共同の存在のうちに場を持つが、それは「共通の運命から切り離されている」という資格においてである。「彼が受け入れられ、挿入されているのは、彼が同類とみなされているからではなく、絶対的に他なるものとみなされている限りにおいてである」[11](p. XVI)。ゆえに彼は見世物になる。
そしてフーコーへの最も本質的な反論が置かれる。古典主義時代の閉じ込めは距離の設定ではなく、接近の徴しである。
l’exclusion de fait recouvre une inclusion de droit. Enfermer, c’est séparer en surface, mais incorporer en profondeur.
事実上の排除は、権利上の包摂を覆っている。閉じ込めるとは、表面において分離することであるが、深層において組み入れることである。[11](p. XIX、拙訳)
人々が狂人を物質的に閉じ込めるのは、彼をもはや完全に自己のうちに閉ざされた者、「意味の外」にある者と見なすことができなくなりはじめたからである。
ここから第一の波の核心が導かれる。狂人との交流の問題は、聾唖者や盲人の場合と違って物理的性質のものではない。ゆえに技術以上のものを要求する——「狂気の像の改訂を要求する」[11](p. XX)。そして、
Il faut commencer par supposer que le fou n’est pas entièrement absorbé dans sa folie pour envisager de nouer un échange efficace avec lui. Il faut postuler que la folie, comme le résumera Hegel, n’est pas une perte de la raison, mais une contradiction au sein de la raison.
狂人が自らの狂気のうちに全面的に吸収されてはいないと想定することから始めねばならない。ヘーゲルが要約することになるように、狂気は理性の喪失ではなく、理性の内部における矛盾であると措定せねばならない。[11](p. XXI、拙訳)
この定式に、本稿が最も重視する一句が続く。
la déraison n’est pas le contraire de la raison, la folie n’est jamais totale, subsiste toujours chez l’insensé le plus déraisonnable une part de raison.
非理性は理性の反対ではなく、狂気は決して全体的ではなく、最も不合理な狂人においてもつねに理性の一部が存続する。[11](p. XXI、拙訳)
L’aliéné va être vu désormais comme double ou contradictoire — et partant, chose d’importance, comme souffrant. Il est contraint sans doute par ses convictions délirantes, mais il n’est pas pour autant enclos en elles. Il garde une secrète distance vis-à-vis d’elles. Il reste sujet de sa folie. Par conséquent, il demeure humainement accessible.
aliéné は以後、二重のもの、矛盾したものとして——したがって、重要なことに、苦しむものとして (et partant, chose d'importance, comme souffrant) ——見られることになる。彼はおそらく妄想的確信に強いられているが、そのなかに囲い込まれてはいない。彼はそれに対して秘められた距離を保っている。彼は自らの狂気の主体であり続ける。したがって彼は人間的に接近可能なままである。[11](p. XXI、拙訳)
「彼のうちで、狂気存在に抗して理性存在に訴えることができる」[11](p. XXI)。そして道徳的治療とは、ダカンが「狂気の対象に逆らうことと、それを助長することのあいだの中間項」と呼んだあの難所を航行する言葉と関係の技術であり、「狂気のただなかに維持されている主体に語りかけること」を可能にする二つの暗礁のあいだの距離——「彼が狂人でないかのように振る舞うことと、彼が狂人でしかないかのように振る舞うこと」——である[11](p. XXII)。
さらに、後に精神医学が非難されることになる「客観化する知」についての一文がある。それは「実のところ、狂気における主体という作動的前提の上に立っている」[11](p. XXII)。
これらはいずれも、スウェイン『狂気における主体』の主張であり、ゴーシェは 2007 年の時点でそれを一つも撤回していない。
2-4 第二の波——転回の三つの理由
pp. XXIII–XXIV で、個別的関係から集団的治療機械への移行が分析される。二つの波の関係は明示的である。
Sans la découverte de l’accessibilité du fou, la formation de l’asile n’eût pas été possible. La seconde vague, en même temps, va étouffer en grande partie les virtualités inscrites dans la première. L’asile va se constituer sur le renoncement au traitement moral individualisé au profit d’un traitement de masse passant par l’organisation collective. C’est à l’institution que revient la mission de guérir.
狂人の接近可能性の発見なしには、アジルの形成はありえなかったであろう。同時に第二の波は、第一の波に刻まれていた潜勢力を大部分窒息させることになる。アジルは、個別化された道徳的治療の放棄の上に、集団的組織を経由する大衆的治療を優先して構成されることになる。治癒の使命が帰属するのは制度である。[11](p. XXIII、拙訳)
1800 年から 1810 年にかけて明瞭に生じるこの転回に、三つの理由が挙げられる。
第一に、道徳的治療に当初置かれた希望の急速な幻滅。aliéné の接近可能性の発見が呼び起こした熱狂——「彼に対する把握がある、ゆえに彼を治癒させることが可能である」——は、経験の困難との接触のなかで落ちる。「開けは袋小路であることが明らかになる。おそらく関係を打ち立てることには成功し、aliéné において自らの状態の意識を動員することにさえ成功する。だがそれで治癒が帰結するわけではない」[11](p. XXIII)。
第二に、外部からの圧力。再編成の反響は、予測と比較にならない患者の流入として直ちに翻訳され、利用可能な手段を早々に溢れさせる。これは 19 世紀を通じてのアジル経験の恒常項となる。「制度は恒常的な過剰収容 (encombrement permanent) の打撃のもとで機能する」。そして数値が置かれる——フランスについて概数で、1805 年に約 3000 人であった被収容者数は、第一次世界大戦前夜に 10 万人を超える。
C’est à ce moment-là que se produit dans les faits le « grand renfermement » de la folie, celui qui avait eu lieu à l’âge classique faisant très modeste figure en comparaison.
狂気の「大いなる閉じ込め」が事実において生じるのはこの時点であり、古典主義時代に生じたそれはこれと比べればきわめて慎ましい姿をしている。[11](p. XXIII、拙訳)
別稿[18]で扱った「大監禁」の数量的反証を、ゴーシェ自身がここで与えている。
第三に、潜在的に利用可能な制度モデルの存在。「このモデルはそれ自体としては、精神医学に固有のものを何ら持たない。それはフランス革命が創始的な範例を与えたばかりの、全般的な政治的・社会的変容から霊感を汲んでいる」[11](p. XXIV)。
そのモデルの内実がユートピアとして描かれる。人間の権利が神の権利に取って代わる——理性と人間の意志によって構成された社会は、実践においては、権力が集合的主権の名において今度は社会を構成する位置に置かれる社会である。「限界的な、しかし構造的な野心」。
L’utopie majeure de cette société en quête de sa propre production — l’utopie explicite de ses utopistes, mais aussi l’utopie implicitement inscrite dans le programme de celles de ses institutions qui s’y prêtent — va être de produire l’homme, de le recomposer ex nihilo sur le plan moral, de le refaire artificiellement grâce à l’influence de l’institution où il baigne. Prenons un individu quel qu’il soit. Séparons-le de son milieu d’origine, plongeons-le dans un milieu nouveau et fermé, dont tous les éléments ont été soigneusement calculés — l’isolement est une condition primordiale : à cet égard, l’isolement asilaire n’est pas différent en son principe de l’isolement de l’Icarie de Cabet, de l’isolement de n’importe quelle cité utopique qui a besoin de l’abri de son autarcie pour que ses ressorts internes fonctionnent à plein.
自らの産出を求めるこの社会の最大のユートピアは——ユートピア主義者たちの明示的なユートピアであると同時に、それに適した制度の綱領のうちに暗黙に刻まれたユートピアでもあるが——人間を産出すること、道徳の平面で彼を ex nihilo に再組成すること、彼が浸される制度の影響のおかげで人工的に彼を作り直すことである。任意の一個人をとろう。彼を出身環境から切り離し、すべての要素が入念に計算された新しい閉ざされた環境に浸そう——隔離は原初的条件である。この点においてアジルの隔離は、その原理においてカベーのイカリアの隔離と、あるいは、その内的な仕掛けが十全に働くために自給自足の庇護を必要とする、いかなるユートピア都市の隔離とも異ならない。[11](p. XXIV、拙訳)
ここでゴーシェの民主主義論がレフォールから何を引き継ぎ、どこで一歩を進めているかを、本稿に必要な範囲で確認しておく。レフォールにおいて民主主義とは、権力の座が王の身体から切り離され、以後誰によっても恒久的には占有されえない「空白の場 (le lieu vide du pouvoir)」として制度化される象徴的秩序の変異であり、社会はもはや自らの基礎を外部に持たず、自らを産出するものとなる[4]。上に引いた「自らの産出を求めるこの社会」という序文の語は、この意味でレフォール的である。ゴーシェの一歩は、この空白がただ空白にとどまらず、空白のゆえに一つの誘惑を生む、と見た点にある。社会が自らを産出するのなら、社会は自らの成員をも産出しうるのではないか——「人間を産出すること、道徳の平面で彼を ex nihilo に再組成すること」というユートピアは、空白の場から生じる裏面の野心である。レフォールがこの誘惑を全体主義の側に見たのに対し、ゴーシェはそれを民主主義そのものに内在する「限界的な、しかし構造的な野心」として、しかも精神病院という規律装置の内部に見出した。クラシが、規律の発明(フーコー)と民主主義の発明(レフォール)とを並置したまま総合を読者の手に残したのに対し[12]、ゴーシェはフーコーの土俵の上でレフォールの手段によって答えた——精神病院という規律装置こそ民主主義の発明の結晶である、と[17]。本稿がゴーシェの民主主義論に賛同する(序-2)というのは、この一歩に賛同するという意味である。
2-5 Pourquoi l'asile ?
そして問いが立てられる。
Pourquoi l’asile ? L’école, ou la prison, deux institutions elles aussi en charge d’agir sur l’homme et de le changer auraient eu, à première vue, des titres non moins éminents à la candidature. L’évocation de leur cas a l’intérêt de faire ressortir par contraste ce qui a électivement désigné l’asile.
なぜアジルなのか。学校、あるいは監獄、これも人間に作用し人間を変えることを担う二つの制度は、一見したところ、候補として劣らず卓越した資格を持っていたであろう。それらの場合を喚起することは、何がアジルを選択的に指名したのかを対比によって浮かび上がらせる利点を持つ。[11](p. XXV、拙訳)
答えはこうである。知識を教え込むにせよ改悛を得るにせよ、学校と監獄における制度の作用は、個人の自己自身への作用に奉仕するにとどまり、その作用こそが求められる効果の本質的な媒体であり続ける。そこでは「自己の主人にして所有者である人間」という古典的観念が保たれており、制度はその内的決定を促すか補強するにすぎない。
Alors qu’avec le fou, on a la possibilité d’envisager une action directe et complète de l’institution sur la personnalité même. Il ne s’agit ni de lui apprendre quelque chose, ni de le convaincre de faire retour sur ses actes, puisqu’on sait, au contraire, qu’une telle pression est vaine. Il s’agit de s’emparer de lui, pour le refaire, en quelque sorte, pour reconstruire son individualité du dehors et à son insu.
ところが狂人とともにであれば、制度による人格そのものへの直接的かつ完全な作用を思い描く可能性がある。彼に何かを教えることでも、自らの行為を省みるよう説得することでもない。反対に、そのような圧力が空しいことが知られているからである。問題は彼を掌握すること、いわば彼を作り直すこと、彼の個体性を外から、彼の知らぬうちに再構築することである。[11](p. XXV、拙訳)
続けて——すべてがそこへ遡る頂点に医師がおり、装置の円滑な運行を見守り、そのすべての歯車を作動させ、「かくして彼ただ一人で数百人の精神を統治する」。そしてこの規律的・集団主義的機械仕掛けから、長期的には新しい存在が出てくるはずである。「これが純粋状態におけるアジル・ユートピアであり、アリエニスト医学がその源泉たる発見の約束を成就すべく自らを投射した制度モデルであり、そしてそこで自らを見失った場所である」[11](p. XXV)。
この一節をもって、「なぜ精神病院なのか」への答えは与えられている。注目すべきは、ゴーシェがこの答えを utopie と名指し、アリエニスト医学が「そこで自らを見失った」場所として位置づけていることである。
したがって、本書がこの患者像——外から作り直されるべき人格——を自ら是認しているという読みは成り立たない。彼はその患者像を、狂気における主体の発見(2-3)を窒息させた第二の波に属するものとして、明示的に裁いている。
2-6 装置は全面的に錯覚に基づく
次の一節が、この裁きを完成させる。
Mais cet étalage de puissance est pour rien, du point de vue, en tout cas, des objectifs censés le justifier. Car le dispositif repose de part en part sur une illusion. Le pouvoir qu’il ambitionne n’est pas au rendez-vous. Le regard panoptique est aveugle. L’organisation supposée permettre d’embrasser l’ensemble de l’institution depuis un foyer unique et d’en maîtriser la marche ne livre en réalité qu’un simulacre de contrôle.
だがこの力の誇示は、それを正当化するとされる目的の観点からは、何ももたらさない。というのも装置は隅から隅まで一つの錯覚に基づいているからである。それが野心とする権力は約束の場に現れない。パノプティコン的視線は盲目である。単一の焦点から制度全体を包摂しその運行を支配することを可能にするとされる組織は、現実には統制の見せかけしか与えない。[11](p. XXVI、拙訳)
そして三段の区別が置かれる。「社会が成員の精神を形づくることを認めるのは一つのことであり、これら形成的影響を掌握して意図的な方向を与えることによって精神を作り変えようと企てるのは別のことであり、そしてこの手段によってaliéné たちを彼ら自身へと連れ戻すのは、さらに第三のことである」[11](p. XXVI)。
アジル世界は「その起源の理想の周期的な再生の徴のもとに置かれた、終わりなき断末魔」を経験した。機能不全の確認も早くから寄せられた批判も、原理においてそれを問い直すことにはまったく導かず、逆に、適用条件の改革を通じて周期的にそれを再活性化させた。そこで問題であったのは「どうでもよいことではなく、民主主義的近代性に内在する、人間の人間への作用という狙いであり、この狙いがアジルという微視的世界のうちに、開花すべき理想的な枠組みを見出していた」[11](p. XXVI)。
2-7 失敗は無ではない——社会化する機械
しかし序文は、脱施設化への厳しい評価(第一章 1-3)ののち、次の問いを置く。
Allons-nous regretter l’asile ? Cela se pourrait, s’il se confirmait que le désenfermement va de pair avec le déni du problème dont est né l’enfermement.
我々はアジルを惜しむことになるだろうか。そうなるかもしれない、脱監禁が、閉じ込めを生んだ問題そのものの否認と対をなしていることが確認されるならば。[11](p. XXVII、拙訳)
そして——
L’échec de l’asile en tant qu’institution thérapeutique, il importe de le préciser, ne signifie pas qu’il ne s’y est rien passé. Il a puissamment contribué au travail de réduction de l’altérité de la folie en fonctionnant comme une machine à socialiser. Il a achevé de dissoudre l’image du fou voué à l’encellulement par son retranchement en lui-même, en le montrant capable de vie en commun […].
治療的制度としてのアジルの失敗は、そこで何も起こらなかったことを意味しない。それは、社会化する機械 (une machine à socialiser) として機能することによって、狂気の他者性の還元という作業に力強く寄与した。それは、自己自身への引きこもりによって独房化を運命づけられた狂人という像を解体しきった。彼が共同生活に能力をもつことを示すことによってである。[11](p. XXVII、拙訳)
さらに、「それは、決して完全には成就されなかった遠近法の転倒——病理的なものから出発して正常なものを考え直し、主体性の蝕から出発して主体的組織を解読するに至った転倒——の梃子の一つであった」[11](p. XXVII)。
1980 年本文の第六章の題がまさに « Une machine à socialiser » であり、その章がこの議論を展開していることは、第三章で確かめる。
2-8 小括——序文第二部が確定させたこと
第二章の結論を整理する。
第一に、「なぜ精神病院なのか」は答えられている。学校と監獄は個人の自己への作用を媒体とするが、狂人においてのみ、制度は人格そのものへ直接かつ完全に作用しうる。これが選択的指名の理由である。
第二に、その論拠を支える患者像を、ゴーシェは是認していない。彼はそれをユートピアと名指し、その装置が「隅から隅まで一つの錯覚に基づく」と述べ、アリエニスト医学がそこで自らを見失ったと書く。
第三に、狂気における主体の発見は、2007 年の時点でも撤回されていない。「狂気は決して全体的ではない」「彼は自らの狂気の主体であり続ける」「したがって彼は苦しむものとして見られる」——これらは序文のなかで明言されている。
第四に、失敗は無ではない。アジルは社会化する機械として他者性の還元に寄与し、病理から正常を考え直す遠近法の転倒の梃子となった。
したがって、対象選択が論証されていないという批判も、本書が自ら否認する患者像に依存しているという批判も、序文第二部によって先取りされており、成り立たない。序文を通して読めば、ゴーシェの体系は緊密であり、この二つの批判はその内部ですでに処理されている。
にもかかわらず、臨床医としての違和感は残る。その違和感を正確に定位することが、次の二章の課題となる。第三章では 1980 年本文との照合により、序文が本文の何を要約し何を言い直しているかを確かめる。そして第四章では、ゴーシェ自身が反精神医学に向けた一つの言葉——紙の狂人——を手がかりに、違和感の所在を指定する。
註記 第二章は全篇が第二版序文(Gallimard, coll. « Tel », 2007, p. I–XXVIII)[11]に基づく。そのうち第一節「排除の神話と平等の意味」(p. I–X)のみが論集[3]に再録されており、本章が扱う p. XI 以降は原書によるほかない。訳文は筆者の研究用訳稿による。ブロック引用には Tel 版の原文を併記した。頁数は Tel 版のものである。なお、序文の成立年について、論集の編者紹介は「2004 年の再版のために執筆された」とするが、Tel 版の刊行は 2007 年であり、序文末尾の署名も « MARCEL GAUCHET 2007 » である[11](p. XXVIII)。本稿は 2007 年を採る。
第三章 1980 年本文との照合
3-1 照合の方法と範囲
前章で辿った序文第二部は、四半世紀を隔てた自著の要約である。要約は選択であり、選択には視点がある。本章では、1980 年 Gallimard 版の第一部第四章「精神病院の政治学」、第五章「不可能な権力」、第六章「社会化の機械」[1]を序文第二部と突き合わせ、何が同じで、何が言い直され、何が新たに加わったかを確かめる。引用はフランス語原文を掲げ、拙訳を添える。
結論を先に述べれば、一致は広汎である。序文の骨格はほぼすべて 1980 年本文にある。しかし一点、要約が本文と異なる地点があり、そこが本稿の以後の議論を担うことになる。
3-2 「権力の実験室」——語も論証も 1980 年にある
序文 p. XIV の「アジルは真の政治的実験室として設立され機能することになる」は、本文第四章 p. 128 に対応する。
Voilà, nous semble-t-il, la première raison qui a fait quasi naturellement de l'asile à sa naissance une sorte de laboratoire des pouvoirs où concrétiser et expérimenter dans des conditions optimales l'idéal organisationnel issu de l'invention révolutionnaire. Il y a eu rencontre providentielle entre ce qui s'est ouvert devant les aliénistes comme obligation d'envisager une prise en charge intégrale et ce qui se trouvait d'autre part à l'état latent dans le social comme rêve diffus mais contraignant d'une autorité vraiment substitutive, en mesure de se pénétrer de l'autre et de le constituer.
ここに、その誕生時に精神病院を、革命的発明から生まれた組織的理想を最適な条件で具体化し実験する権力の一種の実験室とした第一の理由があると我々には思われる。アリエニストたちの前に統合的引き受けを構想する義務として開かれたものと、他方で社会の中に潜在的状態として存在していた、真に代替的な権威、他者に浸透し彼を構成することができる権威の漠然としながらも拘束的な夢との間に、摂理的出会いがあったのである。[1](p. 128、拙訳)
「摂理的出会い (rencontre providentielle)」——精神医学の側の必要と、社会の側に潜在していた権威の夢との出会い。これが第一の理由である。序文 p. XIV の「接近可能性において新たに発見された狂気が、その実験の特権的な焦点となる」は、この一節の凝縮である。
同章の末尾に置かれた定式も、序文 p. XXIV–XXV のユートピア論と完全に重なる。
Instaurer une société qui, par son ordre seul et ses principes de fonctionnement, ait pouvoir d'empêcher les hommes d'être fous : telle est l'Utopie en laquelle l'isolement a retranché le monde asilaire. Utopie point morte, et promise sans nul doute encore à de beaux jours, car inhérente au grand rêve de puissance qui travaille les sociétés modernes.
その秩序のみによって、その機能原理によって、人間が狂気に陥ることを阻止する力を持つ社会を創設すること——これが、隔離によって精神病院世界が退却したユートピアである。行き詰まったユートピアであり、間違いなくまだ美しい日々を約束されている。なぜなら、それは現代社会を動かす権力への大いなる夢に内在するものだからである。[1](p. 140–141、拙訳)
序文が「純粋状態におけるアジル・ユートピア」と呼ぶものは、1980 年にすでに「隔離によって精神病院世界が退却したユートピア」と名指されていた。したがって、ユートピアとしての名指しは 2007 年の後知恵ではない。
3-3 学校・監獄との対比も 1980 年にある
序文 p. XXV の « Pourquoi l'asile ? »——学校と監獄との対比——もまた、本文第四章にある。
Ce sera justement de pouvoir développer pareil modèle « collectiviste » qui fera l'originalité et le caractère socialement d'avant-garde de l'asile en regard d'institutions du même ordre, comme l'école ou la prison, où il y va également d'un rapport direct d'imposition ou d'inculcation à finalités transformatrices, mais où les conditions objectives, par des cheminements divers, contraindront au maintien de modèles relativement archaïques du point de vue de l'économie des pouvoirs.
同様の秩序の制度、例えば学校や監獄に対して精神病院の独創性と社会的前衛性格を作るのは、まさにそのような「集産主義的」モデルを発展させることができることであろう。そこでも変革を目的とした直接的な押し付けや教え込みの関係が問題となるが、客観的条件が、様々な経路により、権力経済の観点から相対的に古風なモデルの維持を強制するのである。[1](p. 136–137、拙訳)
対比の枠組みは同じである。学校・監獄も人間を変えることを担うが、そこでは古風なモデルの維持が強制される。精神病院だけが集産主義的モデルを展開しうる。
3-4 ただし「第二の理由」の与えられ方が違う
ところが、この対比を支える理由の与えられ方に、看過しえない差がある。
本文第四章は、精神病院を特権化する理由を二つ挙げる。第一は 3-2 に引いた「摂理的出会い」である。そして第二の理由が続く。
Et rencontre d'autant plus efficace que rendue possible et nécessaire par une seconde raison, tenant celle-là au but à se proposer à l'égard de l'aliéné et non plus aux moyens à mettre en œuvre. Par excellence en effet, ou du moins plus significativement que tout autre, l'aliéné est l'homme à changer. Tel en tout cas qu'il apparaît à partir de la rupture pinélienne, il est celui qui, à la fois spécifiquement frappé dans son être d'homme et conservé en tant qu'homme, demande à être rétabli dans la plénitude de ses moyens personnels, par l'appel seul à ce qui persiste en lui d'inéliminable humanité.
そして、この出会いは第二の理由によってさらに効果的なものとなった。この理由は実施すべき手段にではなく、aliéné に対して提案すべき目標に関わる。実際、卓越して、あるいは少なくとも他の何よりも意味深く、aliéné は変化させるべき人間である。少なくともピネルの断絶以来現れているように、彼は人間としての存在において特異的に打たれながらも人間として保持されている者であり、彼の中に残存する消去不可能な人間性への訴えのみによって、その個人的手段の充溢において回復されることを求める者である。[1](p. 128–129、拙訳)
そしてその直後に、この「訴え」が何であるかが規定される。
S'efforcer de ramener l'insensé à la raison, selon la ligne nouvelle en tout cas d'un traitement moral passant par la relation personnelle et l'élément de la parole, c'est entrer dans le cadre symbolique d'une entreprise de transformation de l'homme destinée à le rétablir dans son humanité essentielle ou à la lui restituer…
狂人を理性へ連れ戻そうと努めること——少なくとも、人格的関係と言葉という要素を経由する道徳的治療という新しい線に沿って——は、人間をその本質的人間性のうちに回復させ、あるいはそれを返還することを目指す、人間変容の企図の象徴的枠組みに入ることである……[1](p. 129、拙訳)
これを序文 p. XXV と並べる。
Alors qu'avec le fou, on a la possibilité d'envisager une action directe et complète de l'institution sur la personnalité même. Il ne s'agit ni de lui apprendre quelque chose, ni de le convaincre de faire retour sur ses actes, puisqu'on sait, au contraire, qu'une telle pression est vaine. Il s'agit de s'emparer de lui, pour le refaire, en quelque sorte, pour reconstruire son individualité du dehors et à son insu.
ところが狂人とともにであれば、制度による人格そのものへの直接的かつ完全な作用を思い描く可能性がある。彼に何かを教えることでも、自らの行為を省みるよう説得することでもない。反対に、そのような圧力が空しいことが知られているからである。問題は彼を掌握すること、いわば彼を作り直すこと、彼の個体性を外から、彼の知らぬうちに再構築することである。[11](p. XXV、拙訳)
同じ第二の理由が、二つの異なる根拠のうえに立てられている。1980 年の定式は、« à la fois … et » という統語によって「打たれている」と「保持されている」を一つの文のなかに等しく置き、回復を「彼のうちに存続する消去不可能な人間性への訴えのみ (l'appel seul)」に帰している。しかもその直後で、人格的関係と言葉による道徳的治療を「人間変容の企図の象徴的枠組みに入ること」と規定し、訴えと企図とを連結している。2007 年の定式は、この連結を切断し、企図の側だけを残した——「教えることでも説得することでもない、そのような圧力は空しい」。1980 年において教え説得する関係(la relation personnelle et l'élément de la parole)は企図の実質であった。2007 年においてそれは企図の対立項である。
- 1980 年——彼は人間性において打たれながらなお人間として保持されている。彼を回復させうるのは、彼のうちに残存する消去不可能な人間性への訴えのみである。ゆえに彼は「変化させるべき人間」の範例となる。
- 2007 年——彼に説得は届かない。そのような圧力が空しいことが知られている。ゆえに制度は人格そのものに直接作用しうる。
1980 年の定式は、訴えが唯一の道であると述べる。2007 年の定式は、訴えは空しいと述べる。移動は語彙の水準にとどまらない。1980 年には一つの文のなかにあった二つの契機が、2007 年には一つに減っている。
この差は、本稿にとって決定的である。1980 年の第二の理由は、スウェインが「狂気における主体」と呼んだものの上に立っている——打たれながら保持されている人間、残存する人間性への訴え。序文の第二の理由は、その主体を欠いた場所に立っている。
公平を期すために、二つの留保を置かねばならない。
第一に、2007 年の「圧力が空しいことが知られている」は、ゴーシェ自身の判断ではなく、第二の波における当時のアリエニストたちの認識を自由間接話法で述べたものと読みうる。序文 p. XXIII の第一の理由——道徳的治療への幻滅、「関係を打ち立てることには成功する。だがそれで治癒が帰結するわけではない」——は、まさにその認識の成立を記述していた。この読みは十分に成り立つ。
第二に、序文は同じ文書の p. XXI で「彼は自らの狂気の主体であり続ける」「彼のうちで狂気存在に抗して理性存在に訴えることができる」と明言している。主体が撤回されているわけではない。
それでもなお、次のことは残る。1980 年の本文は、精神病院の特権化を、保持された人間性への訴えという語彙で根拠づけていた。2007 年の要約は、同じ特権化を、訴えの空しさという語彙で根拠づけている。要約は、制度の側の見方を採用している。
3-5 「不可能な権力」——一致
第五章と序文 p. XXVI の対応は完全である。本文 p. 150–151——
Va pour l'appareillage panoptique comme symbole … Mais à la condition de n'en pas faire autre chose que le symbole d'un projet, exprimant lumineusement la démesure d'une visée, mais ne disant rigoureusement rien de ses chances pratiques ou de ses virtualités de réussite. Or ce serait bien peu dire que celles-ci sont médiocres ou faibles : nulles assurément conviendrait mieux. … Pas de pouvoir plus aveugle au bout du compte que celui qui croit voir — ce qui n'empêche pas la surveillance d'être intolérable, lors même qu'elle est vaine. Pas de pouvoir plus dépourvu de prise effective sur les âmes que celui qui prétend s'en saisir et les transformer — ce qui n'empêche pas la stérile ambition des réformateurs d'être inacceptable pour ceux qui la subissent.
パノプティコン装置を象徴として認めよう……しかし、それを一つのプロジェクトの象徴以外の何ものでもないものとしないという条件においてである。すなわち、一つの目標の無謀さを明快に表現しているが、その実践的機会や成功の可能性については厳密に何も語っていない象徴として。ところで、それらが貧弱で弱いものであると言うのは控えめすぎるであろう。確実に皆無というのがより適切であろう。……見ていると信じる権力ほど盲目な権力はない。これは監視が無益である時でさえ、それが耐え難いものであることを妨げはしない。魂を捉え変革すると主張する権力ほど、魂に対する実効的な把握を欠いた権力はない。これは改革者たちの不毛な野心が、それを被る者たちにとって受け入れがたいものであることを妨げはしない。[1](p. 150–151、拙訳)
序文——「装置は隅から隅まで一つの錯覚に基づいている。それが野心とする権力は約束の場に現れない。パノプティコン的視線は盲目である」[11](p. XXVI)。
序文の三段の区別——社会が精神を形づくることを認めるのと、精神を作り変えようと企てるのと、その手段で aliéné を彼ら自身へ連れ戻すのとは、それぞれ別のことである[11](p. XXVI)——は、本文のこの二文を分析的に展開したものにほかならない。
27 年を経て、権力論は一語も動いていない。
3-6 「社会化の機械」——一致
第六章と序文 p. XXVII の対応も同様である。序文の「社会化する機械として機能することによって (en fonctionnant comme une machine à socialiser)」[11](p. XXVII)は、1980 年本文第六章の章題 « Une machine à socialiser » をそのまま再録したものである。その章は次のように始まる。
Car l'asile a changé la folie, s'il ne l'a pas soignée. Il a fonctionné vis-à-vis d'elle comme le plus puissant sans doute des instruments de transformation qui soient jamais intervenus au cours de son histoire.
なぜなら、収容施設は狂気を治療しなかったとしても、狂気を変容させたからである。それは、狂気に対して、その歴史の過程において介入したあらゆる変容の道具の中でおそらく最も強力なものとして機能した。[1](p. 167、拙訳)
序文——「治療的制度としてのアジルの失敗は、そこで何も起こらなかったことを意味しない。それは、社会化する機械として機能することによって、狂気の他者性の還元という作業に力強く寄与した」[11](p. XXVII)。
そして本文第六章の要をなす一節——
Division bien sûr intenable en toute rigueur, et partage nécessairement instable, les virtualités élémentaires de sociabilité de la sorte révélées dans le lien médical devant forcément très vite déborder leur cadre initial et gagner l'environnement humain en général de l'aliéné. … Capitale, et contenant tout le reste en germe, la défaite inaugurale de l'altérité, la brèche première dans les sombres enceintes de la déraison par laquelle les pionniers de la médecine aliéniste ont pu s'introduire au plus intérieur de l'âme en proie à sa propre étrangeté, et y trouver ce reste inéliminable de raison ramenant définitivement la folie dans l'humain.
もちろん厳密に言えば維持不可能な区分であり、必然的に不安定な分割である。というのも、このようにして医学的絆の中に明らかにされた社交性の基本的な潜在力は、必然的に極めて速やかにその当初の枠組みを溢れ出て、aliéné の人間的環境一般へと広がっていかざるをえないからである。……決定的であり、他のすべてを萌芽的に含んでいるのは、他者性の創始的な敗北である。すなわち、精神病医学の先駆者たちが、自己自身の異質性に囚われた魂の最も内奥にまで入り込み、そこに狂気を最終的に人間性の内に引き戻す理性の消去不可能な残余を見出すことができた、非理性の暗い囲いにおける最初の突破口である。[1](p. 173、拙訳)
序文の「彼が共同生活に能力をもつことを示すことによって、自己自身への引きこもりによって独房化を運命づけられた狂人という像を解体しきった」は、この一節の帰結を述べている。
注目すべきは、本文第六章では「消去不可能な残余」という語が生きていることである。第四章 p. 129 の « inéliminable humanité »(消去不可能な人間性)と、第六章 p. 173 の « ce reste inéliminable de raison »(理性の消去不可能な残余)は、同じ形容詞である。1980 年の本書は、精神病院を特権化する理由と、精神病院が自壊する理由とを、同一の語で述べている。主体の残余は、理論の両端で一貫した一つの語彙である。2007 年の序文は、少なくともアジル選択の論証において、この語を用いていない。3-4 の「語彙の移動」という指摘は、語の水準で確定する。
3-7 序文にあって本文にないもの——現在の診断
照合の最後に、序文が新たに加えたものを挙げる。それは現在についての診断である。
1980 年の執筆時、対象はまだ生きていた。序文はそれを明記する——「我々が書いていた時点では、治療的制度というキメラはまだ生きていた。近代化された外観のもとに、しかしその背後に起源の霊感がいささか事情に通じた眼には容易に読み取れる形で」[11](p. XXVI)。
2007 年、それは消滅した。
S’il est un signe de l’ampleur de la rupture historique qu’il nous aura été donné de vivre à la fin du XXe siècle, c’est bien l’évanouissement sans traces de ce projet institutionnel obsédant et de l’ambition dont il était le vecteur. La quête de l’homme nouveau a disparu de l’horizon, avec la recherche des moyens d’assurer l’emprise de l’organisation collective sur l’individu. […] Cette fois, nous sommes sortis pour de bon de l’attraction du modèle dont l’asile a offert le prototype.
20 世紀末に我々が生きることを与えられた歴史的断絶の大きさの徴があるとすれば、それはまさに、この強迫的な制度的企図と、それが媒体であった野心との、痕跡なき消滅である。新しい人間の探求は地平から消え去った、集団的組織の個人に対する掌握を確保する手段の探求とともに。……今度こそ我々は、アジルがその原型を提供したモデルの引力から、完全に脱け出た。[11](p. XXVI、拙訳)
そして直ちに——「必ずしも良い方にとは限らない」。
ここから第一章 1-3 で見た脱施設化への評価が続き、「アジルを惜しむことになるだろうか」という問い[11](p. XXVII)、そして最終句「今や問題は、狂人たちを彼らの偽の友から救うことである」[11](p. XXVIII)に至る。
つまり序文が新たに加えたのは、書物の身分の変化である。1980 年には、生きているキメラの分析であった。2007 年には、消滅した企図の記録となった。ゴーシェが「この書物は、その着想の時から歩まれた道にもかかわらず、なおそれに寄与しうると私には思われる」と書いて序文を閉じるのは[11](p. XXVIII)、この身分の変化を引き受けたうえでのことである。
3-8 小括
照合の結果を整理する。
第一に、序文の骨格はほぼすべて 1980 年本文にある。政治的実験室、学校・監獄との対比、ユートピアとしての名指し、パノプティコンの盲目、社会化の機械——いずれも本文に対応する記述があり、最後の一つは章題そのものである。序文は新しい主張を導入していない。
第二に、例外が一点ある。精神病院を特権化する第二の理由が、1980 年には「保持された人間性への訴え」を根拠としていたのに対し、2007 年には「訴えの空しさ」を根拠としている(3-4)。1980 年がこの残余を呼んだ語 inéliminable は、第六章で制度の自壊を説明する語と同一である(3-6)。
第三に、序文が真に新しく加えたのは、現在についての診断である。対象は消滅した。書物はキメラの分析から記録へと身分を変えた。
第四に、権力論も主体論も、27 年を経て撤回されていない。
したがって本稿は、ゴーシェの体系に整合性の欠如を見出すことができない。残るのは 3-4 の一点、すなわち要約における語彙の移動である。次章では、この移動を、ゴーシェ自身が別の文脈で用いた一つの言葉のもとで検討する。
第四章 紙の狂人——ゴーシェの言葉を彼自身に向ける
4-1 「現実の狂気の否認」という判決
新序文の第一節と第二部とをつなぐ位置に、ゴーシェは自らの診断を一句に凝縮している。
En un mot, l’identification à la folie imaginée s’est révélée le vecteur du déni de la folie réelle. Le malheur psychotique a disparu derrière l’exaltation du fou de papier.
一言で言えば、想像された狂気への同一化は、現実の狂気の否認の媒体であることが明らかになった。精神病の不幸は、紙の狂人 (le fou de papier) の称揚の背後に消え去った。[11](p. X–XI、拙訳)
判決の対象は反精神医学とその後継である。その論理は次のように再構成される。狂人は我々と同じであり、そのように扱われねばならないという原理から、狂気は存在しないという観念までは、平等の論理が「情熱的かつ一方的に」働きはじめるや否や、越えるに容易な一歩でしかない。この論理はいかなる距離をも認める可能性を排除する。この秩序のあらゆる境界画定は、「社会的構築物」にしか由来しえないとされる——そこから身を守るべき厄介な逸脱ではなく、原理上我々の同一性の圏域に属するがゆえに共感すべきもの、と。
そして本稿が最も重視する一文が置かれる。
Elle abolit, autrement dit, la tension problématique entre dissemblance et ressemblance qui fait la fécondité de l’exigence égalitaire lorsqu’elle est bien comprise, en obligeant à déchiffrer les signes de l’identité au milieu de l’altérité reconnue et prise en charge. Nier cette dernière a le double charme de la radicalité et de la simplicité, mais vide le problème de son sens.
それは、別の言い方をすれば、非類似と類似とのあいだの問題的な緊張——正しく理解された平等の要求の豊饒さをなすもの、承認され引き受けられた他性のただなかで同一性の徴を解読することを強いるもの——を廃棄する。後者〔他性〕を否認することは、急進性と単純さという二重の魅力を持つが、問題からその意味を空にする。[11](p. XI、拙訳)
帰結——「狂気は問いであることをやめた。それはもはや大した人々の関心を引かない、それを扱うはずの実践家たちのあいだにおいてさえ」。そして「急進的リバタリアニズムと医学的蒙昧主義とのあいだに、官僚的無関心を背景として、袋小路の形で結ばれるに至ったこの連合」[11](p. XI)。
4-2 判決の基準——緊張の保持
この判決から、ゴーシェの基準を取り出しておく。それは「狂人は我々と同じか、違うか」という問いへの答えではない。基準は、非類似と類似との緊張が保持されているか否かである。
このことは序文末尾で、より明確に述べ直される。
Chose étonnante, l’accomplissement de cette tâche est bloqué aujourd’hui par la radicalisation même de l’exigence identificatoire portée par la logique égalitaire. S’il est posé a priori que « les fous sont comme nous », alors il n’y a tout simplement plus de différence de la folie interrogeable. Ce qui résiste à l’assimilation de principe est exclu du champ de vision. Au mieux, il subsiste une maladie comme les autres […].
驚くべきことに、この課題の達成は今日、平等の論理が担う同一化的要求の急進化そのものによって阻まれている。「狂人は我々と同じである」とア・プリオリに措定されるなら、もはや端的に、問いうる狂気の差異は存在しない。原理的な同化に抵抗するものは視野から排除される。せいぜい、他と同じ一つの病が残るだけである。[11](p. XXVII、拙訳)
そしてゴーシェは、失われたものを名指す。
C’en est fini des subtilités de la connaissance clinique, et avec elles de la recherche du sens des symptômes qui constituait souterrainement leur véritable raison d’être, pas n’importe laquelle : une recherche conduite du point de vue du sujet impliqué en eux et des modalités de sa destitution. Ces raffinements descriptifs sont réputés ne plus intéresser personne. Comme quoi l’indifférence au nom de l’identité peut se révéler une fermeture non moins redoutable que l’ancienne familiarité au nom de l’altérité.
臨床的認識の精緻さはもう終わりであり、それとともに、症状の意味の探究——それが臨床的認識の隠れた真の存在理由をなしていたのだが、しかも任意の探究ではなく、症状のうちに巻き込まれた主体の観点から、そしてその窮乏 (destitution) の諸様態の観点から導かれる探究——も終わりである。これらの記述的洗練は、もはや誰の関心も引かないとされる。同一性の名における無関心は、他性の名における古い親密さに劣らず恐るべき閉鎖であることが明らかになりうる、というわけである。[11](p. XXVII、拙訳)
ここで注意すべきは、最後の一文が二つの閉鎖を対称的に置いていることである。同一性の名における無関心と、他性の名における親密さ。前者は今日の閉鎖であり、後者は伝統社会の閉鎖である(第二章 2-3)。いずれも、緊張を廃棄することによって狂気を問いでなくする。
「紙の狂人」とは、したがって、架空の狂人のことではない。緊張の廃棄によって作られた狂人のことである。それは原理から構成され、出会われない。そしてその苦痛は消える。
4-3 同じ問いをゴーシェに向ける
本稿はここで、この基準をゴーシェ自身の要約に適用する。問いは一つである。序文が精神病院の特権化を根拠づける箇所において、緊張は保持されているか。
第三章 3-4 で確認した事実を再掲する。1980 年本文は、精神病院が特権化される第二の理由を、「人間としての存在において特異的に打たれながらも人間として保持されている者」「彼の中に残存する消去不可能な人間性への訴えのみによって回復されることを求める者」という語彙で与えていた[1](第四章)。2007 年の序文は、同じ理由を「彼に何かを教えることでも、自らの行為を省みるよう説得することでもない。反対に、そのような圧力が空しいことが知られているからである。問題は彼を掌握すること……彼の個体性を外から、彼の知らぬうちに再構築することである」という語彙で与えている[11](p. XXV)。
1980 年の語彙において、狂人は打たれながら保持されている——非類似と類似の緊張がそのまま定式のなかにある。訴えは届く、しかし回復は容易ではない。これがピネル的断絶の核心であり、ゴーシェ自身が序文 p. XXI で「狂気は決して全体的ではない」「彼は自らの狂気の主体であり続ける」と述べ直したものである。
2007 年の語彙において、狂人は訴えの届かない者であり、外から作り直されるべき者である。緊張は消えている。残っているのは、他性の側への完全な傾斜——制度の作用にとって全面的に利用可能な存在——である。
ここに現れているのは、反精神医学の紙の狂人の裏返しである。反精神医学の紙の狂人は、同一性によって緊張を廃棄された。序文 p. XXV の狂人は、他性によって緊張を廃棄されている。前者は「我々と同じ」であるがゆえに問いえず、後者は「作り直すべき素材」であるがゆえに問いえない。どちらの狂人も、苦しまない。
4-4 二つの留保
この指摘を判決に変える前に、ゴーシェの側に立って二つの留保を置く。誠実な読解は、批判が反論に耐えるかを自ら点検することを要求する。
第一の留保。序文 p. XXV の記述は、ゴーシェ自身の狂人像ではなく、アジル・ユートピアの狂人像である。彼はそれを「純粋状態におけるアジル・ユートピア」と名指し、アリエニスト医学が「そこで自らを見失った」場所として位置づけている。「圧力が空しいことが知られている」は、第二の波のアリエニストたちが道徳的治療への幻滅ののちに抱いた認識を、自由間接話法で述べたものと読みうる。この読みは成り立つ。そしてこの読みが成り立つ限り、ゴーシェは緊張を廃棄したのではなく、緊張を廃棄した者たちを記述しているにすぎない。
第二の留保。序文は同一文書の p. XXI で主体を明言し、p. XXVII で主体の観点からの症状の探究を要求している。ゴーシェが主体を手放したと言うことはできない。
この二つの留保は、いずれも有効である。本稿はそれを認める。
4-5 それでも残ること——要約の語彙が制度の側に立っている
留保を認めたうえで、なお次のことは残る。
1980 年本文において、第二の理由は保持された人間性の語彙で与えられていた。それはユートピアの語彙ではなく、ピネル的断絶の語彙、すなわち本書自身の語彙である。2007 年の要約は、同じ位置に訴えの空しさの語彙を置いた。それはユートピアの語彙である。要約は、本書自身の前提を述べるべき地点で、本書が分析対象とした企図の前提を語っている。
これは小さな移動である。しかし精神病院が「なぜ選択的に指名されたか」を説明する唯一の箇所で起きている。そしてこの移動によって、要約を読む者は、精神病院の特権化が狂人の主体を根拠として成り立っていたことを知る手がかりを失う。序文だけを読む読者にとって、アジルが選ばれたのは、狂人が作り直しうる素材だったからである。1980 年の本を読む読者にとって、アジルが選ばれたのは、狂人が打たれながら保持されており、その残余への訴えが唯一の道だったからである。
移動の機会は、序文の論争的な姿勢に求めることができる。序文は脱施設化の帰結ののちに、「偽の友」に抗して書かれている。同一性の閉鎖を批判するために、ゴーシェは他性を真剣に取った時代——たとえ誤った仕方であれ——を対照項として必要とし、アジル・ユートピアはその野心の極端さにおいて提示される。この配置のなかで、保持された人間性という根拠は後景に退き、作り直しの野心が前景に出る。しかしこれは移動の機会であって、移動を可能にした条件ではない。条件は、ゴーシェの民主主義論の構造そのもののうちにある。次節でそれを述べる。
4-5b 構造的な理由——企図を対象とする理論の狂人
第二章 2-4 で確認したように、ゴーシェの民主主義論はレフォールの「空白の場」から一歩を進め、空白の場が生む一つの誘惑——社会が自らを産出するのなら、社会は自らの成員をも産出しうるのではないか——を対象とする。序文の言葉では「人間を産出すること、道徳の平面で彼を ex nihilo に再組成すること」[11](p. XXIV)である。この理論の単位は、したがって、権力の企図(projet)である。制度が人間に何を為そうとしたか、その野心がどこから来て、どこで自らを見失ったか。
企図を対象とする理論は、その対象の語彙で語らざるをえない。企図の語彙は、本性上、働きかける側の語彙であり、そこでは人間は制度が作用する素材として現れる。これは理論の欠陥ではなく、対象の選択に伴う帰結である。ゴーシェが「精神病院という規律装置こそ民主主義の発明の結晶である」と言いうるのは、まさに彼が企図の水準に立っているからである(2-4)。しかし同じ理由で、企図の水準だけで語られる狂人は、企図が想定する狂人——作り直しうる素材——にならざるをえない。紙の狂人は、企図を対象とする理論の、いわば影である。
1980 年の本文において、この影は一つの対抗項によって抑えられていた。狂気における主体の理論である。本書は企図の理論と主体の理論とを併せ持ち、第一部第三章の「完全な主体的無化は存在しない」(第六章 6-2)は、第四章の「権力の実験室」(第三章 3-2)に先立って置かれている。精神病院の特権化を「保持された人間性」に根拠づける 1980 年の語彙(3-4)は、二つの理論が同じ頁のうえで釣り合っていたことの徴である。そしてその釣り合いは、共著という構造に支えられていた——歴史家=哲学者が企図を読み、臨床医が主体を読む。
2007 年の序文は、ゴーシェ一人の署名をもつ[11](p. XXVIII)。スウェインは 1993 年に世を去っている[10]。序文が本書の主張を要約するとき、主体の理論は撤回されてはいない(4-4 の第二の留保)。しかし要約の力点は企図の理論の側にあり、「なぜ精神病院なのか」という問いは、企図の理論の問いとして立てられ、企図の理論の語彙で答えられる。そのとき、主体の理論が本文で果たしていた抑えは働かず、影が要約の表面に現れる。3-4 の移動は、この意味で偶然ではない。ゴーシェの民主主義論は、それ単独では紙の狂人を生みやすい構造をもつ。本文がそれを生まなかったのは、理論の隣に、主体を読む者がいたからである。
この指摘は、4-4 の二つの留保と両立する。ゴーシェは主体を手放していないし、p. XXV の記述はユートピアの記述として読める。しかし留保が説明しないのは、なぜ要約が本書自身の前提を語るべき地点でユートピアの前提を語ったのか、である。構造的な理由はそれを説明する。そしてこの説明は、第六章でスウェインを「両者を横断する唯一の項」として置くことの根拠でもある。
4-6 名指されるが記述されない苦痛
第四章の最後に、序文における苦痛の扱いを確認する。これは 4-3 の指摘を補強するものではなく、その射程を限定するものである。
ゴーシェは苦痛を知っている。序文 p. XXI において、狂気における主体の発見の帰結として、彼は「したがって、重要なことに、苦しむものとして」と書いた。p. XIII では、本書の主題が「実践的精神医学だけの関心事ではない」と述べつつ、その精神医学を「主体的窮乏が表象する、人間的苦痛のあの謎めいた極限との対峙において」と形容した。そして p. XXVII で彼が惜しむのは、主体の観点から、その窮乏の様態の観点から症状を読む臨床的認識である。
つまり彼は、苦痛が存在すること、それが主体の窮乏として経験されること、そしてそれを読む知が必要であることを、三度にわたって述べている。しかし彼はそれを一度も記述しない。「謎めいた極限」と名指して、そこで止まる。
これは欠陥ではない。境界である。ゴーシェの対象は「治療的制度」であり[11](p. XIII)、「個別的関係の領域で演じられることから集団的治療機械の建立への移行」である[11](p. XXIII)。彼が読むのは文書である。文書は企図を記録するが、苦痛を記録しない。苦痛を記述するには、文書の外に出なければならない。ゴーシェの方法はそこへ出る手段を持たず、持たないことを彼は知っている。だからこそ彼は、それを行う知を要求して序文を閉じるのである。
4-7 小括——批判から要求への転換
第四章の結論を整理する。
第一に、ゴーシェの基準は、非類似と類似との緊張の保持である。紙の狂人とは、この緊張の廃棄によって作られた狂人である。
第二に、序文が精神病院の特権化を根拠づける唯一の箇所において、1980 年の「保持された人間性」の語彙は、「訴えの空しさ」の語彙に置き換えられている。後者は緊張を欠く。それは反精神医学の紙の狂人の裏返しである。
第三に、この置き換えは、ユートピアの記述として読むことができ、ゴーシェの主体論は撤回されていない。留保は有効である。
第四に、それでもなお、要約は本書自身の前提を述べるべき地点で企図の前提を語っており、序文だけを読む読者は、特権化が主体を根拠としていたことを知りえない。
第五に、この移動には構造的な理由がある。ゴーシェの民主主義論は権力の企図を対象とし、企図の語彙で語るため、それ単独では狂人を、企図が想定する素材として描きやすい。1980 年の本文ではスウェインの主体の理論がそれを抑えていたが、ゴーシェ一人の署名をもつ序文では、その抑えが働いていない(4-5b)。
第六に、ゴーシェは苦痛を三度名指し、一度も記述しない。これは境界であり、彼自身がその境界の向こうに必要な知を要求している。
したがって本稿の以後の章は、ゴーシェへの批判ではなく、ゴーシェの要求への応答として書かれる。彼が「症状のうちに巻き込まれた主体の観点から、その窮乏の様態の観点から」導かれる知と呼んだものは、精神医学の側に確かに存在した。一人は 1945 年に、精神医学の概念が「自由という決定的問題」との関係で規定されると述べ、患者を「人間的接触の表面、共鳴の深さ、一つの叫び」と呼んだ。もう一人は 1977 年に、ピネルの文書を臨床医として読み、「狂気における主体」を発見した。次の二章はこの二人に充てられる。
第五章 住まわれたアジル——アンリ・エー
5-1 一つの講演——1945 年 3 月、パリ医学部
前章の末尾で、ゴーシェが要求した知——「症状のうちに巻き込まれた主体の観点から、その窮乏の諸様態の観点から」導かれる知——は、精神医学の側に確かに存在したと述べた。本章はその一つを示す。
アンリ・エー『精神医学研究』第一巻の巻頭に置かれた Étude n° 1「『狂気』と人間的諸価値」は、1945 年 3 月、パリ医学部で開かれた「精神医学の日々 (Journées psychiatriques)」開会の辞を再録したものである[13]。解放から半年余り、フランス精神医学が自らの荒廃を数えていた時期の講演であり、その主題は精神医療の危機と再建である。理論的著作ではない。しかしまさにそのゆえに、この短い文章には、病棟に立つ者が病棟について語るときの言葉がそのまま残っている。
ゴーシェが読むのは創設者たちの文書である。エーが語るのは、彼がその朝まで回診していた病棟である。本章はこの二つの声を、同じ一つの事実——フランス革命後に精神医学が近代的飛躍を遂げたこと——をめぐって並べる。
5-2 自由という決定的問題——同じ事実、別の平面
エーは冒頭で、フランス精神医学の衰退を嘆いたのち、こう続ける。
Et pourtant c'est bien chez nous, après la Révolution française que la psychiatrie a pris son moderne essor. Cela ne saurait surprendre celui qui voit clairement que les concepts qui constituent le fondement de notre science se groupent et se déterminent sur le plan philosophique et social relativement au problème crucial de la liberté, tout de même que ses règles pratiques, sur le plan de l'assistance, gravitent autour du respect de la liberté individuelle.
それでもやはり、フランス革命ののち精神医学が近代的飛躍を遂げたのは、まさに我々のもとにおいてであった。このことは、次のことを明瞭に見る者には驚くに当たらない——我々の学の基礎をなす諸概念は、自由という決定的問題との関係において、哲学的・社会的平面の上に集まり、規定されるのであり、同様にその実践的規則は、医療・支援体制(assistance——狂人を公的に引き受け、治療し、生活を支える仕組みの全体。以下この訳語を用いる)の平面において、個人の自由の尊重を中心に据えて動いているのである。[13]
ここに、ゴーシェとまったく同じ歴史的判断がある。精神医学の近代的成立はフランス革命に続く。そしてその成立は自由という問題に規定されている。ゴーシェは序文 p. XV で「1800 年頃の精神医学の出現」を「到来しつつある民主主義的世界の比類なき露見器」と呼んだ[11]。エーは 1945 年に、精神医学の基礎概念が「自由という決定的問題」との関係で規定されると述べた。事実の認識は一致している。
相違は平面にある。ゴーシェがそれを権力の企図として読むのに対し、エーはそれを医療・支援体制の課題として読む。ゴーシェにとって自由とは、社会が自らを産出するという民主主義的自律の問題であり、その裏面としての「人間を作り直す」野心である。エーにとって自由とは、患者において損なわれ、患者において尊重されねばならないものであり、精神医学はその両側を同時に引き受ける学である。
この相違は、両者が別のことを言っているということではない。同じ事態を、外から見るか内から見るかの相違である。以下の各節でそれを確かめる。
5-3 「我々の患者を見よう」——二つの像と百の像
エーは、精神医学が「その対象の高さと尺度に達する」ためには、医学的・生物学的であるだけでなく「断固として人間学的 (anthropologique)」でなければならないと述べたうえで、聴衆に一つの命令を発する。
Regardons notre malade, comme un faisceau de forces tendues jusqu'à la menace dans la farouche concentration de son être hostile et irrité, investi de l'énigmatique meurtre qui monte étrangement jusqu'à sa main. Ou voyons-le frappé de vertige, chancelant, trébuchant contre l'implacable réseau des contraintes logiques et sociales, comme captif de la transparence perdue de son langage et ivre du rêve qui a éclaté en lui, plein de vide, décimé et déchu.
我々の患者を見よう——敵意と苛立ちに満ちたその存在の獰猛な集中のうちに、脅威にまで張りつめた力の束として、奇妙にもその手にまで昇ってくる謎めいた殺意を帯びた者として。あるいは彼を、眩暈に打たれ、よろめき、論理的・社会的拘束の容赦ない網に躓き、失われた言語の透明性の囚われ人のように、内に炸裂した夢に酔い、空虚に満ち、削がれ、堕ちた者として見よう。[13]
「これら二つの像、恐怖 (effroi) の像と憐憫 (pitié) の像とは、aliénation mentale が提起する人間的問題の把握のうちで干渉し混ざり合う。精神病者は実際、憐れむべきと同時に恐るべき存在である。しかし、原初的直観のこれら二つの極端な像のあいだに、我々はそれらを混ぜ合わせる百の像を置かねばならない。この系列のうち一方の極端しか見ないことは、すべての aliénés を自由にしておくか、すべての精神病者を法の重みの下に押し潰すかのいずれかを望むか放置するかに、自らを断罪することである」[13]。
ゴーシェが第二版序文で展開した問い——学校でも監獄でもなくなぜアジルか——は、この講演には存在しない。エーには、そのような問いを立てる理由がない。彼の目の前にいるのは「百の像」であり、そのどれ一つとして「純粋形」ではないからである。Regardons——見よう——という命令は、文書を読む者には発せられない。
5-4 機械でも怪物でもなく——素材の同一性と構造の差異
講演の後半で、エーは狂気の本性について一つの態度決定を行う。そしてこの態度決定が、本稿第四章で確定したゴーシェの基準を、62 年前に、逐語的に先取りしている。
Il fut un temps (peut-être non révolu pour tous) où avec l'aliéné tout psychopathe était considéré comme une machine. La maladie mentale, sorte de monstre, semblait s'emparer de son être le posséder et en détruire totalement l'humanité.
aliéné とともにあらゆる精神病者が一つの機械とみなされた時代があった(すべての人にとって過ぎ去ったわけではないかもしれないが)。精神の病は、一種の怪物として、彼の存在を掌握し、所有し、その人間性を全面的に破壊するかに見えた。[13]
これに対してエーは、狂気は「実体の疎外 (une aliénation de substance)、人間的本性に異質な機械的形成物」ではありえない、と述べる。狂気は人間的本性に内在し、あらゆる人間において潜在的である。人間が、絶えず自らの統一に対立する本能と情念を持たず、現在と現実から逃れるよう誘う記憶と想像を持たず、幼年と夢の魔法と魅惑を——二重の意味で——内に含んでいないならば、狂気の問題はそもそも理解不能であろう。「『狂気』はただ、これら無意識の蒸気の瓶を割るだけである」。
しかし直ちに反対側の閉鎖も退けられる。
Et ceci, qu'on veuille bien ne pas s'y tromper, n'équivaut certes pas à reprendre, pour notre propre compte, cette absurdité que l'on prête si souvent au psychiatre et qui serait la négation même de la psychiatrie, savoir : que tous les hommes seraient « fous », — mais incline bien plutôt à considérer avec la profonde identité de matière, l'essentielle diversité de structure de l'homme normal et du malade.
そしてこのことは——誤解のないように願うが——精神科医にしばしば帰せられ、精神医学そのものの否定となるあの不条理、すなわちすべての人間は「狂人」であるという主張を、我々自身の勘定で引き受けることでは断じてない。むしろそれは、正常な人間と病者との素材の深い同一性とともに、構造の本質的な差異を考慮することへ傾けるのである。[13]
ここに、二つの閉鎖の同時的な拒否がある。機械・怪物——他性の名における閉鎖。すべての人間は狂人——同一性の名における閉鎖。エーはその両方を退け、「素材の同一性と構造の差異」という定式で、両者のあいだの緊張を保持する。
第四章 4-2 で確定したゴーシェの基準を再掲する。「非類似と類似とのあいだの問題的な緊張……承認され引き受けられた他性のただなかで同一性の徴を解読することを強いるもの」[11](p. XI)。そして「同一性の名における無関心は、他性の名における古い親密さに劣らず恐るべき閉鎖である」[11](p. XXVII)。
同じ基準である。ゴーシェは 2007 年に、二世紀の歴史と反精神医学の帰結を経て、この基準に到達した。エーは 1945 年に、病棟から、同じ基準を述べた。しかも「機械」「怪物」という語で他性の閉鎖を名指した点において、エーの定式は、本稿第四章が序文 p. XXV に見出した「作り直すべき素材」という像を、あらかじめ拒否している。
5-5 人間的接触の表面、一つの叫び
この定式の直後に、本稿が第五章の軸に据える一文が置かれる。
Aussi est-il pour nous, ce malade, malgré sa maladie, une surface de contact humain, une profondeur de résonance, un accent, un cri qui émeut et blesse comme un écho du drame le plus authentiquement humain.
それゆえこの病者は我々にとって、その病にもかかわらず、人間的接触の表面であり、共鳴の深さであり、一つのアクセントであり、最も真正に人間的な劇の谺のように心を動かし傷つける一つの叫びである。[13]
この一文が何をしているかを、ゴーシェとの対比で言い直しておく。
ゴーシェは序文 p. XIII で、本書の主題を「主体的窮乏が表象する人間的苦痛のあの謎めいた極限」との対峙と形容し、p. XXI で aliéné が「苦しむものとして」見られるようになったことを、狂気における主体の発見の帰結として記した。彼は苦痛を名指す。そして——第四章 4-6 で確認したとおり——それを記述しない。彼の対象は文書であり、文書は苦痛を記録しないからである。
エーの一文は、記述ではない。しかしそれは名指しでもない。それは関係の記述である。患者は「我々にとって」表面であり、深さであり、叫びである。「心を動かし傷つける」——動かされ、傷つけられるのは我々である。この一文は患者を対象として記述するのではなく、患者の前に立つ者に何が起こるかを記述している。
これを筆者は、精神科医にできる唯一のことは患者を Ecce homo として見ることである、と要約してきた。これはエーの語ではなく筆者の圧縮であるが、圧縮の対象はこの一文である。
そして「その病にもかかわらず (malgré sa maladie)」——この譲歩句に、5-4 の緊張がそのまま宿っている。病はある。それは消えない。にもかかわらず、彼は接触の表面である。
5-6 医療・支援体制の平面——閉鎖病棟は一つの段階にすぎない
エーの講演は、原理の陳述だけで終わらない。それは 1945 年の制度改革の綱領でもあり、その綱領は、ゴーシェが第二版序文で「治療的制度というキメラ」と呼んだものへの、内側からの決別を含んでいる。
Il faut, et ceci est plus aisé à concevoir qu'à réaliser et à légaliser, il faut que le service fermé, unique pièce, jusqu'ici, de l'échiquier ne soit plus qu'une phase, ni nécessaire ni suffisante, d'un cycle d'assistance plus souple et plus varié...
必要なのは——構想するのは実現し法制化するより容易であるが——これまでチェス盤の唯一の駒であった閉鎖病棟が、より柔軟で多様な医療・支援の周期の、必要でも十分でもない一つの段階にすぎなくなることである……[13]
観察病棟、自由入院病棟、社会復帰と家族委託の病棟、農業コロニー。「監禁 (internement) が医療・支援の唯一の解決でも、最も頻繁な解決でもありえないように」。
ゴーシェの序文が「治療的制度」の模型を「隅から隅まで錯覚に基づく」と裁いたのは 2007 年である[11](p. XXVI)。エーが「閉鎖病棟は必要でも十分でもない一つの段階にすぎない」と述べたのは 1945 年である。判断は同じ方向を向いている。ただしエーの判断は、制度を廃棄する判断ではなく、制度を医療・支援の周期のなかに位置づけ直す判断である。彼はアジルの中に何があったかを知っている——
C'est ainsi que s'est constitué à l'intérieur de l'asile pour beaucoup de malades un nouveau monde, une néo-société. Il faut augmenter cet effort, l'élargir et le faire circuler au travers d'un système assez varié, pour permettre à chaque malade de se rapprocher le plus possible de la vie sociale.
こうしてアジルの内部に、多くの病者にとって一つの新しい世界、一つの新社会 (néo-société) が構成された。この努力を増大させ、拡げ、十分に多様な体系を通じて循環させ、各病者ができる限り社会生活に近づくことを可能にせねばならない。[13]
ゴーシェが「社会化する機械」と呼び、「彼が共同生活に能力をもつことを示した」と述べたもの[11](p. XXVII)を、エーは「néo-société」と呼んでいる。同じ事実である。ゴーシェはそれを制度の意図せざる帰結として記録し、エーはそれを拡張すべき努力として引き受ける。
同じ講演でエーは、この運動を「défense sociale から défense de l'homme aliéné への移行」と要約し、「désaliénation——精神医学の根本的課題」と呼んで、1945 年と 1947 年の Journées psychiatriques(Bernard, Bonnafé, Daumézon, Fouquet, Sivadon)に、さらにオランダ、スイス、英語圏の運動に言及する——「あらゆる国において、と言ってよい、古いアジルは開かれ、精神科医はそれとともに開かれる」[13]。過剰収容 (encombrement) の問題は、この講演の冒頭でも「常に増大する病棟の過剰収容」として名指されており、エーがそれを主題として論じた別の機会については、筆者は別稿で扱った[19]。
5-7 「自由の病理学」——本稿に必要な限りで
エーの理論的立場について、本稿の議論に必要な範囲で確認しておく(詳細は別稿[20]に譲るが、本稿単独で読めるよう要点を記す)。
エーの器質力動論において、精神の病は「自由の病理学 (pathologie de la liberté)」として捉えられる。精神の病とは、生物学的基盤の上に構築された心的存在の階層的組織が、その上位水準——自由な選択、判断、責任の水準——において解体されることである。したがって病者において損なわれるのは、単に知的機能や情動ではなく、自らの生を引き受け、それを企投する能力そのものである。これがエーの言う「精神の自由の剥奪」である。
しかしこの解体は全面的ではない。5-4 の「素材の同一性と構造の差異」がここに対応する。解体されるのは構造であり、素材——人間的本性——は残る。だからこそ、5-5 の「その病にもかかわらず」が言える。そしてだからこそ、精神医学は「défense de l'homme aliéné」たりうる。守るべき人間が、病のただなかに残っているからである。
この構図は、ゴーシェが序文 p. XXI で述べ直したピネル的断絶——「狂気は決して全体的ではない」「彼は自らの狂気の主体であり続ける」——と、正確に重なる。両者の差は、ゴーシェがそれを歴史的発見として記録し、エーがそれを臨床的公理として生きたことにある。
5-8 小括——ゴーシェの要求に対するエーの位置
第五章の結論を整理する。
第一に、エーはゴーシェと同じ歴史的事実——精神医学の近代的成立は革命に続き、自由という問題に規定される——を認めている。相違は平面にあり、ゴーシェは権力の企図として、エーは医療・支援体制の課題として読む。
第二に、エーは 1945 年に、二つの閉鎖——機械・怪物と、すべての人間は狂人——を同時に退け、「素材の同一性と構造の差異」という定式で緊張を保持した。これはゴーシェが 2007 年に到達した基準と同一である。
第三に、エーは患者を「人間的接触の表面、共鳴の深さ、一つの叫び」として記述した。それは対象の記述ではなく関係の記述であり、ゴーシェが名指して記述しなかったものを、別の仕方で言葉にしている。
第四に、エーは閉鎖病棟を医療・支援の周期の一段階に位置づけ直し、アジル内部に構成された néo-société を拡張すべき努力として引き受けた。ゴーシェが意図せざる帰結として記録したものを、エーは課題として引き受けている。
したがって、ゴーシェの序文が要求した知——主体の観点から、窮乏の様態の観点から導かれる知——は、1945 年のこの講演に、すでに綱領として存在していた。ゴーシェの要求は、精神医学の外からの新しい要求ではない。それは精神医学が自らに課し、そして——ゴーシェ自身が p. XXVII で惜しむとおり——その後失った要求である。
しかしエーは、ピネルの文書を読まなかった——少なくとも、ゴーシェとスウェインが読んだようには。エーの緊張は臨床的公理であって、歴史的発見ではない。ゴーシェの緊張は歴史的発見であって、臨床的公理ではない。この二つを一人で横断した者が一人だけいる。次章はその人物に充てられる。
第六章 スウェイン——両者を横断する唯一の項
6-1 一冊の書物と一冊の論文集
グラディス・スウェイン (1945–1993) の生涯と系譜については、筆者は別稿で扱った[10]。本章に必要な事実だけを記す。
彼女が研究者として書きえた期間はおよそ 10 年、単著は一冊である。『狂気における主体——精神医学の誕生 (Le sujet de la folie : naissance de la psychiatrie)』(Toulouse : Privat, 1977 ;配本 1978 年 1 月)[2]。学位論文にもとづくこの書物は、1997 年に Calmann-Lévy から再刊され、ゴーシェの序文「ピネルからフロイトへ (De Pinel à Freud)」が付された[15]。没後、雑誌論文の大半が『狂人との対話——狂気の別の歴史のための試論 (Dialogue avec l'insensé)』(Gallimard, 1994) に集成され、これにもゴーシェの序文「狂気の別の歴史を求めて」が付されている[14][16]。
本稿第二章で辿った第二版序文の「第一の波」——狂人との交流の可能性の発見、狂気は理性の喪失ではなく理性内部の矛盾である、狂気は決して全体的ではない——は、すべて『狂気における主体』の主張である。ゴーシェは 2007 年にそれを撤回していない(第二章 2-3)。したがって本章の課題は、スウェインの主張を新たに紹介することではない。なぜスウェインだけが、ゴーシェの読んだ文書とエーの立った病棟とを横断しえたのかを示すことである。
6-2 ピネルを臨床医として読む
『人間精神の実践』第一部第三章「二重の誕生」の前半には、スウェインの単著の刻印が濃い。そこでピネルの『Traité médico-philosophique sur l'aliénation mentale, ou la manie』(1800)[7]は、精神病院の「第一の誕生」——観念的誕生——として位置づけられる。
著者たちがまず強調するのは、「狂気は不治ではない」という当時の確信が、経験的には誇大であったにもかかわらず、まさにその誇大さのゆえに真理の力を持ったという逆説である。「この経験的に不正確な確信には絶対的な真実がある」[1](第三章、拙訳)。ピネルが到達したのは「原理としての治癒可能性、事実としての可能な治癒不可能性」という定式であり、治療的結びつきが確立されてもなお患者がその迷いに囚われ続けることは、「主体的失調に対する他者の把握への本質的な開放性を何ら損なうものではない」。
そして、ピネルが明示的には定式化しなかった中心理念が取り出される。
l’idée qu’il n’est pas d’entière annulation subjective, jusque dans l’aliénation d’apparence la plus radicale, et que toujours l’aliéné conserve, du fond de sa vacillation comme sujet, la ressource d’une différence, par laquelle il se garde et se défend contre lui-même. […] Pas d’aliéné sans une distance, même indiscernable, à son trouble par laquelle non seulement il se défend contre ce qui le dérobe à lui-même, mais par laquelle aussi il demeure en proximité d’autrui malgré ce qu’il affronte d’incommunicable — et davantage encore, par laquelle il reste ouvert à l’influence d’autrui […].
すなわち、最も根本的な外観の aliénation mentale においてすら、完全な主体的無化は存在せず、aliénéは常に、主体としての動揺の底から、差異の資源を保持し、それによって彼は自分自身に対して自らを守り防御するという理念である。……自分の障害に対する、たとえ識別し難い距離のないaliénéはいない。その距離によって彼は自分から自分を奪うものに対して自らを防御するだけでなく、立ち向かう伝達不可能なもののなかでも他者の近さに留まり、さらには他者の影響に対して開かれ続ける。[1](第三章 p. 85、拙訳。訳稿の「精神疎外」「精神病者」は紀要の術語方針に従い原語に改めた)
これが「狂気における主体」である。そしてこの一節が何をしているかに注意されたい。それはピネルの文書に書かれていないことを読んでいる——「明示的に定式化されていないのは……中心的理念である」「すべてが語られているわけではないが、すべてが少なくとも潜在的な仕方で存在している。展開し明示するだけで十分である」。
文書に書かれていないものを文書から読み出すことは、歴史家の作業ではない。それは、同じ事態を別の場所で知っている者にだけできる作業である。スウェインはピネルの症例記述のうちに、自分が病棟で毎日見ているものを認めた。だから彼女は、ピネルが言葉にしなかった理念を「展開し明示する」ことができた。
ゴーシェは 1997 年の序文で、この読みの意義を次のように要約している——『狂気における主体』は「1800 年頃の精神医学的知識の謙虚な出発点が、人間科学にとっていかに決定的な転換点を表しているかを明らかにすることに専心している」。それは概念的突破の教訓によって予告される思考の出来事ではなく、「aliénation mentale と呼ばれることになるものを臨床的識別に委ねる認識装置の控えめな設置」であり、しかし「狂気と、狂人の自己の狂気との関係についての理解に基づいた装置」である[15]。
6-3 「狂気の定義は自由の概念を経由する」——スウェインとエー
第五章で、エーが精神医学の基礎概念を「自由という決定的問題」との関係で規定したことを見た。この規定がスウェインにも共有されていることは、彼女自身の言葉で確認できる。
『狂人との対話』所収の「メランコリーの恒常性と変容 (Permanence et transformations de la mélancolie)」[14](p. 176)において、スウェインは近代的理性主義がもたらした狂気観の転換——体液の障害から知性の障害へ——を辿ったのち、こう書いている。
Une idée neuve du délire apparaît précisément en regard de cette notion de la raison : la déraison est délire. La folie est trouble intime du fait de pensée. ... elle est ce délire, c'est-à-dire atteinte au mode de propriété par le sujet de ses idées. En ce sens, comme l'a très pertinemment dit Henri Ey, la définition de la folie passe dès cette époque par la notion de liberté ; ce qui est atteint chez le fou, c'est sa puissance par rapport à ses propres idées, et donc sa liberté essentielle de sujet pensant — celle-là qui fait, comme le dit Descartes, qu'on peut écarter de soi toutes les idées et douter absolument de tout. Le fou, précisément, c'est celui qui ne peut pas, qui n'a plus la liberté de douter.
délire の新しい観念が、まさにこの理性の概念との関係において現れる——非理性は délire である。狂気は思考という事実の内密な障害である。……狂気はこの délire である、すなわち、主体がその観念を所有する様態への侵害である。この意味において、アンリ・エーがきわめて的確に述べたとおり、狂気の定義はこの時代以降、自由の概念を経由する。狂人において侵されているのは、自らの観念に対する彼の力能であり、したがって思考する主体としての本質的自由——デカルトの言うとおり、あらゆる観念を自分から遠ざけ、すべてを絶対的に疑うことを可能にするあの自由——である。狂人とは、まさに、それができない者、疑う自由をもはや持たない者である。[14](p. 176、拙訳)
なお、スウェインがこの箇所の註に挙げているエーのテクストは、1971 年の論文「ミシェル・フーコー『狂気の歴史』のイデオロギー的構想」——別稿[18]で扱ったフーコー批判そのもの——である[14](p. 176, n. 2)。序-4 に述べた二人の批判者は、スウェインの手のなかで、すでに一つの註に結ばれていた。
ここでスウェインは、エーの「自由の病理学」を歴史的分析の道具として使っている。「疑う自由をもはや持たない者」——これは 5-7 で見たエーの「精神の自由の剥奪」の、デカルト的定式への翻訳である。
したがって、第五章で示したエーとゴーシェの基準の一致は、偶然の並行ではない。スウェインがエーを読み、ゴーシェがスウェインを読んだ。ゴーシェが 2007 年に到達した「非類似と類似の緊張」は、エーからスウェインを経由して彼に届いたものであり、彼はその出所を知っていた。第二版序文の第一節が、ピネル解放伝説の解体を明示的にスウェインの仕事として帰属させているのは(第一章 1-1)、そのためである。
6-4 メランコリー論——「すべての者が苦しむ」
同じ論文の中心には、ゴーシェが第二版序文 p. XXI で「重要なことに、苦しむものとして」と書いたものが、臨床的な形で置かれている。
スウェインは、エスキロールの lypémanie(悲哀狂)の概念が失敗した理由を問い、近代的メランコリー概念の成立をギスラン (Guislain) に求める。ギスランの独創は、「苦痛を根本的変質の位置に据え、そこから知的障害の諸現象が派生し、そこに結びつく」とした点にある。スウェインはギスランを引く。
« Primitivement, l'aliénation est un état de malaise, d'anxiété, de souffrance ; une douleur, mais une douleur morale, intellectuelle ou cérébrale comme on voudra l'entendre. Dire que l'aliénation est un trouble du jugement, de la raison, serait une proposition erronée : ce serait prendre un symptôme secondaire pour le phénomène fondamental. Beaucoup d'aliénés ne déraisonnent point ; tous cependant, à de très rares exceptions près, souffrent : c'est là l'altération mère d'où provient le dérangement dans les idées... »
「原初的には、aliénation は不快、不安、苦悩の状態であり、一つの苦痛である——ただし道徳的苦痛、知的苦痛、あるいは脳的苦痛と、どう呼ぶにせよ。aliénation が判断の、理性の障害であると言うのは誤った命題であろう。それは二次的症状を根本現象と取り違えることである。多くの aliénés は錯乱していない。しかしながら、きわめて稀な例外を除いて、すべての者が苦しむ。それこそが母なる変質であり、そこから観念の混乱が生じるのである……」[14](p. 179、Guislain『Traité sur les phrénopathies』(1835) p. 3 よりの引用、拙訳)
そしてスウェインの総括——「近代的なメランコリーの歴史はここに始まると言える。それはおおよそ二つの観念の総合となるであろう。第一に、狂気一般の、そしてとりわけメランコリーの出発点は道徳的苦痛 (douleur morale) である……第二に、部分的 délire と全般的 délire のあいだに対立はなく、マニーとメランコリーのあいだに対立があるとすれば、それは同一の実体の二つの形態のあいだの対立である」[14](p. 183、拙訳)。
論文の末尾で、スウェインは問いを閉じない。メランコリーにおいて「自分自身の終わりに立ち会う」という病的な義務を自らに課す者について、「心的エネルギーが主体によって自分自身へと向け直される、その源泉はどこにあるのか。総じて、プシュケーが自己告発に入る原初的な場所とは何か、主体のうちで、自らの存在の否定にまで至るその完全な失墜への狙いは、いかなる必然に応えているのか」[14](p. 187、拙訳)。
これは臨床医の問いである。歴史家はこの問いを立てない。政治哲学者も立てない。第四章 4-2 で確定したゴーシェの基準——狂気が問いであり続けること——を、スウェインはメランコリーの歴史を書きながら、最後の一行で実行している。
なお、古代医学史の大家ジャッキー・ピゴー (Jackie Pigeaud) が『メランコリア——個人の不調』[6]でこのスウェインの論考を長く引用していることは、彼女の仕事の身分を示す一つの証言として記しておく〔引用頁は要確認〕。
6-5 横断——文書と病棟
以上をもって、本章の主張を定式化できる。
ゴーシェは文書を読む。彼が読むのは創設者たちの文書であり、彼が構成するのは企図の系譜である。その方法は、企図を記録するが苦痛を記録しない文書の性質によって、住まわれたアジルに届かない(第四章 4-6)。
エーは病棟に立つ。彼が語るのは「我々の患者」であり、彼が構成するのは医療・支援体制の課題である。その方法は、患者の前に立つ者に何が起こるかを言葉にするが、ピネルの文書を——ゴーシェとスウェインが読んだようには——読まない(第五章 5-8)。
スウェインはピネルの文書を、病棟に立つ者として読んだ。だから彼女は、文書に書かれていない理念——完全な主体的無化は存在しない——を文書から読み出すことができた(6-2)。彼女はエーの「自由」を歴史の道具として使い(6-3)、ギスランの「すべての者が苦しむ」を近代的メランコリーの起点として置いた(6-4)。文書と病棟を、一人で横断した者は、この系列のなかで彼女だけである。
この横断が、ゴーシェの要求——「症状のうちに巻き込まれた主体の観点から、その窮乏の諸様態の観点から導かれる」知[11](p. XXVII)——に対する応答の場所である。ゴーシェはその知を要求したが、自ら行うことはできなかった。エーはその知を綱領として持っていたが、歴史として書くことはしなかった。スウェインは、その知を歴史として書いた。
6-6 「狂人たちを彼らの偽の友から救うこと」——スウェインの位置
第二版序文の最終句を再掲する——「今や問題は、狂人たちを彼らの偽の友から救うことである」[11](p. XXVIII)。
偽の友とは誰か。序文の論理に従えば、それは「狂人は我々と同じである」とア・プリオリに措定し、それによって狂気の差異を問いえないものにした者たちである(第四章 4-1)。そして——本稿第四章が指摘したとおり——序文自身の要約は、精神病院の特権化を根拠づける一点で、その反対側の閉鎖、すなわち「作り直すべき素材」としての狂人の像に傾いた(4-3)。
スウェインはそのどちらでもない。彼女の狂人は「我々と同じ」ではない——彼は疑う自由を持たない(6-3)。彼女の狂人は「作り直すべき素材」でもない——彼は自分の障害に対する距離を保ち、他者の影響に開かれている(6-2)。彼は苦しむ(6-4)。そして彼について、問いは閉じられていない(6-4 末尾)。
スウェインの狂人は、紙の狂人ではない。それは緊張のなかに置かれた狂人であり、ゴーシェの基準を完全に満たす唯一の狂人である。彼女が「偽の友」でないのは、彼女が友でないからではなく、彼女が狂人を、その差異において、その苦痛において、そしてその主体において、同時に見ていたからである。
6-7 小括
第六章の結論を整理する。
第一に、スウェインはピネルの文書を臨床医として読み、文書に書かれていない理念を読み出した。これは同じ事態を別の場所で知る者にだけできる作業である。
第二に、彼女はエーの「自由の病理学」を歴史的分析の道具として明示的に用いた。エーとゴーシェの基準の一致は、スウェインを経由した継承である。
第三に、彼女のメランコリー論は、ゴーシェが「苦しむものとして」と名指したものを臨床的に展開し、狂気を問いとして開いたまま終わる。
第四に、ゴーシェの読む文書とエーの立つ病棟とを一人で横断したのは、この系列のなかで彼女だけである。ゴーシェの要求に対する応答は、彼女の仕事のうちにすでに存在していた。
第五に、彼女の狂人は紙の狂人ではない。それはゴーシェの基準を満たす唯一の狂人である。
本稿の序章(序-2)で、筆者は、ゴーシェを読み続けることができたのはスウェインによってであると述べた。その理由は、いまや述べることができる。スウェインの狂人を知る者は、ゴーシェのアジルに住人がいないことに気づかずにはいられない。そして同時に、ゴーシェがその住人を求めていることにも。
結章 「狂人たちを彼らの偽の友から救うこと」
結-1 本稿の行程——問いから分担へ
本稿は一つの問いから出発した。ゴーシェが精神病院を民主主義の実験室として選んだとき、彼が見ていた精神病院は、臨床医のそれとどのように異なるのか。この問いを、本稿は第二版序文に沿って、二つの段階で解いた。
第一の段階——なぜ精神病院なのか——には、序文第二部が明示的に問い、明示的に答えていた(第二章 2-5)。学校も監獄も個人の自己への作用を媒体とするが、狂人においてのみ、制度は人格そのものへ直接かつ完全に作用しうる——これが選択的指名の理由であり、ゴーシェはそれを「純粋状態におけるアジル・ユートピア」と名指し、アリエニスト医学が「そこで自らを見失った」場所と位置づけていた。第一の段階は、序文を読めば解ける問いであった。
第二の段階——なぜ彼の精神病院には住人がいないのか——は、序文を読んでも解けない。しかし序文は、それを解くための言葉を与えた。「紙の狂人」である(第四章 4-1)。ゴーシェが反精神医学に向けたこの語を、本稿は彼自身の要約に向けた。その結果は判決ではなく、一つの移動の指摘である。1980 年本文が「保持された人間性への訴え」の語彙で与えていた精神病院の特権化の根拠を、2007 年の要約は「訴えの空しさ」の語彙で与えている(第三章 3-4、第四章 4-3)。この移動は、序文自身の基準——非類似と類似の緊張の保持——に照らして測定でき、その理由は、権力の企図を対象とするゴーシェの方法のうちに、構造的に指定できる(4-5b)。そして序文は、この緊張を保持する知を、自らの外に要求して終わっていた(4-6)。
こうして本稿の後半は、批判から分担へと転じた。ゴーシェが要求した知——症状のうちに巻き込まれた主体の観点から、その窮乏の様態の観点から導かれる知——は、精神医学の側に存在した。エーは 1945 年に、病棟から、同じ基準を述べていた(第五章 5-4)。スウェインは、エーの自由を歴史の道具として使い、ピネルの文書を臨床医として読み、その知を歴史として書いた(第六章)。
結-2 三つの平面と一つの基準
本稿が到達した構図を、一度だけ図式的に述べておく。
三つの平面がある。文書——ゴーシェはそこで企図の系譜を読む。病棟——エーはそこで患者の前に立つ者に何が起こるかを語る。横断——スウェインは文書を病棟から読み、病棟を文書に見出す。
そして一つの基準がある。緊張の保持——非類似と類似、他性と同一性、「機械・怪物」と「すべての人間は狂人」、そのいずれの側にも閉じないこと。ゴーシェは 2007 年にこの基準を定式化した。エーは 1945 年に「素材の同一性と構造の差異」として述べていた。スウェインは 1977 年に「完全な主体的無化は存在しない」として発見していた。三人は同じ基準を持っている。相違は、その基準をどの平面で働かせるかにある。
この構図から、本稿の最終的な主張が導かれる。ゴーシェの精神病院に住人がいないのは、彼の誤りではなく、彼の平面の帰結である。文書は企図を記録し、苦痛を記録しない。だがゴーシェはそのことを知っており、序文の末尾で、住人について語る知を要求した。その知は精神医学の側に存在し、彼はその出所——スウェイン、そしてスウェインを通じてエー——を知っていた。
したがって、序-2 に述べた違和感は解消されたのではない。それは分担として引き受けられた。臨床医がゴーシェを読むとき感じる違和感は、ゴーシェの体系に対する反論ではなく、ゴーシェの体系が自らの外に置いた場所からの応答である。その場所に立つ者は、ゴーシェの企図の系譜を必要とする——なぜなら、自分が立っている場所が、どのような企図の失敗の跡に建っているかを、病棟からは見ることができないからである。そしてゴーシェは、その場所に立つ者を必要とする——なぜなら、企図の系譜は、その企図が誰の上に及んだかを、文書からは読むことができないからである。
ただし、ここで言えるのは、分業は可能である、ということまでである。分業は自動的には成立しない。ゴーシェの民主主義論が、権力の企図を対象とするその方法のゆえに紙の狂人を生みやすい構造をもつことを自覚し、臨床的知がその盲点——名指されるが記述されない苦痛——を補うときに、はじめて成り立つ。1980 年の本がその一例であったのは、企図を読む者の隣に、主体を読む臨床医がいたからである。
結-3 ゴーシェの 2007 年と、我々の現在
第二版序文は、治療的制度というキメラの「痕跡なき消滅」を記し(第三章 3-7)、脱施設化の帰結を「一般的無関心のなかで街を彷徨う相当な自由」と裁き(第一章 1-3)、「アジルを惜しむことになるだろうか」と問うて(第二章 2-7)、「狂人たちを彼らの偽の友から救うこと」を現在の課題として閉じた。
この診断は、フランスの 2007 年の診断である。ゴーシェが「偽の友」と呼んだのは、同一性の名において狂気の差異を消去し、その結果として狂人を放置した者たちである。そして彼がその対照項として持ち出したのは、他性を——たとえ誤った仕方であれ——真剣に取ったアジルの時代であった。本稿第四章の指摘は、この論争的配置のなかで、要約が他性の側に傾いたという一点に尽きる。
本稿の構図が示すのは次のことである。「偽の友」から狂人を救うために必要なのは、他性の側に戻ることではなく、緊張の保持である。それはゴーシェの基準であり、エーの基準であり、スウェインの基準である。そしてそれは、文書からも病棟からも単独では満たされず、横断によってのみ満たされる。スウェインの死後、その横断を行う者は多くない。ゴーシェが 2007 年に「臨床的認識の精緻さはもう終わりである」と書いたのは、そのためである。
結-4 残された課題
本稿は、第二版序文を背骨として『人間精神の実践』第一部を読み、その構図のなかにエーとスウェインを置いた。第二部——エスキロール『情念論』の読解——には立ち入っていない。序文が本書の対象を「治療的制度」と限定し(2-1)、その素材を「第一のアリエニスト」の学位論文の精読に求めたこと[11](p. XII)を考えれば、第二部の検討は本稿の構図を検証する次の作業となる。
第三章 3-4 で指摘した語彙の移動については、1980 年 Gallimard 版 p. 128–129 と序文 p. XXV との原文対照を第三章に掲げた。ただし本稿の中心的指摘であるだけに、同じ移動が序文の他の箇所にも認められるか、また 2007 年以後のゴーシェの著述でこの語彙がどう扱われているかは、なお追跡を要する。
エーについては、Étude n° 1 のみを用いた。器質力動論の体系的著作との接続は別稿[20]に譲ったが、5-4 の「素材の同一性と構造の差異」がエーの他の著作でどのように展開されているかは、追跡に値する。
スウェインについては、『狂気における主体』の本文に即した検討を行っていない。第六章は『人間精神の実践』第三章と『狂人との対話』所収のメランコリー論に拠った。単著の精読は、本紀要のピネル発祥論[21]と合わせて、継続する作業である。
〔加筆予定〕 結びの一段落——序-2 で明示した立場に対応させて、序章の問いがどこへ行ったか(解消ではなく分担になったこと)を著者自身の言葉で述べる。