要旨
本補遺は、第六章「ピネル発祥論」第四節・第六節が発祥論的視角から要約したピネルの疾病分類を、疾病分類学そのものの内在的論理として展開する解説論文である。出発点に置くのは、本章を貫いた一つの問い――「妄想なき躁病 manie sans délire」とは何を意味するのか――である。この概念は、それを構成する諸前提を解きほぐさないかぎり理解できない。すなわち、ピネルが用いる délire・manie・mélancolie 等の語が現代の同綴語とは別物であること、ピネルの分類が悟性・情意・意志という能力の地形図のうえに引かれていること、そして諸種が究極的には「唯一同一の疾患」の相貌にすぎないという単一論的構想がその背後にあること、である。
本補遺はこれらを五つの観点に分けて論じる。第一に用語論――ピネルの術語と現代診断概念との差異。第二に能力論――悟性・情意・意志の三領域による分類の構成と、悟性は保たれたまま情意と意志のみが冒されるという、三領域のあいだの著しい不均衡。第三に単一精神病論――ピネルの単一論的構想を、ツェラー=グリージンガー=ノイマンのドイツ単一精神病(Einheitspsychose)と比較し、その同型性と差異、およびフランスにおけるその解体(ファルレ)を辿る。第四に症例論――ピネルが伝える諸症例を精読し、現行 ICD-11 との照応を、確定的同定としてではなく遡及的読解として示す。第五に系譜論――本章注[52]が素描した〈道徳的倒錯〉の極を、プリチャードの「道徳的狂気 moral insanity」(1835)から ICD-11 の秩序破壊・非社会的行動症群および非社会性(dissociality)へと跡づける。叙述全体の長期的後景としては、ピネルからファルレ・モレル・医学=心理学会討論を経て DSM-III に至る疾病分類学史を、J.-P. ユベールの論考に依拠して配置する[1]。
これら五つの観点に先立って、本補遺は序節で一つの前提を確認する。分類が作動しうるためには、まず分類されるべき対象とその居場所が構成されていなければならない――ピネルがカレンの「神経症」の綱を借り受け、その器質的順序を反転させ、隔離された精神疾患をそこに据えたという事実が、それである。この対象の構成こそ、あらゆる疾病分類に先立つ前提をなす。ポステル『精神医学の生成』第七章に即してこれを論じる[45]。
本補遺の現代概念への対応づけは、すべて遡及的読解であり、確定的な診断的同一視ではないことを、あらかじめ断っておく。
序 分類に先立つもの――借り物の容器と対象の隔離
分類とは、与えられた対象をいかに切り分けるかの作業である。しかしその手前には、切り分けられるべき対象と、それを収めるべき場所とが、いかにして構成されたかという問いがある。ピネルが諸種を区別しうるためには、それに先立って二つの操作が果たされていなければならない――精神疾患(aliénation mentale)を一個の純粋な対象として隔離すること、そしてそれに分類の綱のうちの一つの場所を与えること、である。この二つはいずれも疾病分類の作業そのものに先立ち、しかもその全体の形を決定する。これが本補遺の前提をなす事実である。なお、本章第四節はこの事態を発祥論の角度――「精神科医療がその対象を手にした根拠」――から論じた。本序節は同じ事実を疾病分類学の角度――分類が作動しうる場そのものの成立条件――から読み直すものであり、本体との重複を避け、ポステル『精神医学の生成』第七章が伝える細部に即してこれを敷衍する[45]。
(一)名づけることは分類すること――分析の方法と対象の隔離
ピネルが疾病分類に着手するさいに依拠したのは、コンディヤックが説いた分析(analyse)の方法である。リンネとフォントネルに遡るこの伝統において、自然は諸対象の連続体(continuum)を差し出すにすぎず、そこに最も際立った切れ目(coupures)を見いだし、諸種を名づけることが学者の役割とされる。「一つの植物を名づけることは、すでにそれを分類することである。この二つの操作は解きほぐしがたく結びついている」――ピネルはこの唯名論的態度を精神病理学へ移植する[39]。
ところが、悟性の諸機能とその変質を分析的に観察するというこの方法は、精神病理学の領域においては一つの帰結を強いる。すなわち対象「精神疾患」の隔離(isolement)である。分析が成立するためには、対象が「純粋な分析対象として把握されうる」一個の場へと取り出されていなければならない。ポステルが引くロンジェの定式によれば、これは精神疾患を――ピネルにとってそれが起源をもつ――社会的な場の外へと抽出する操作であり、この抽出によって初めて、対象はその原因と結果において規定不能な一切の改変から守られて分析に供される[40]。分類はここですでに一つの代償を払っている。分類されうる対象は、社会的文脈から切り離され隔離された対象であり、この隔離はやがて精神医学をアジールの閉ざされた空間へと導く萌芽をなす[46]。
(二)借り物の容器とその反転
隔離された対象を収めるべき場所を、ピネルは内科医カレン(W. Cullen)から借りる。彼は1785年にカレンの『実地医学綱要』を翻訳しており、その疾病分類学を――とりわけ「神経症 névroses」の部について、また全体の構想において――かなり忠実に踏襲する。ケール(O. Keel)が「J.C. スミスの控えめな読者」と評したように、ピネルは炎症の分類をスミスから借用してもいた。ピネルの著作を、彼自身も寄与した神話的鉱滓から取り出す「身を切るような見直し」が必要だというのが、ケールの指摘である[41]。
カレンが1769年に創った神経症の綱は、昏睡群(comata)・無力群(adynamia)・痙攣群(spasmi)・精神錯乱群(vesaniae)の四目からなる。重要なのはその配列順である。カレンは、物理的・身体的病因の明白な疾患――昏睡群――から始める。分類が展開するにつれて純粋に物理的な因果性から次第に遠ざかり、無力群、痙攣群(てんかん等)を経て、精神錯乱群に至ってその極に達する。ところがピネルはこの順序を逆転させ、精神錯乱(vésanies)を綱の冒頭に据える[42]。ポステルの鋭い比喩を借りれば、「カレンがたどった道においては、人はあまり道に迷うことはなく、迷うとしても末端においてのみである。ピネルがとる逆の道においては、人が道に迷うのは初めからである」[43]。
(三)容器の空洞化――対象の本性の決定
この反転は疾病分類学的に決定的な効果をもつ。器質的に明白な昏睡群を冒頭に置くことでかろうじて保たれていたカレンの綱の一貫性は、器質的根拠の希薄な精神錯乱を「基本的な疾病分類学的モデル」として前面に据えた瞬間に崩れる。ポステルが言うように、この概念史的事態の最初の責任者はおそらくピネルである[44]。そして反転された容器は、その後カレンが込めた器質的因果性と症候学を少しずつ「空にされ vidée」てゆく。神経症の綱は19世紀を通じて二つに裂け、一方では神経学が解剖‐臨床的に定義された疾患単位(パーキンソン病、シャルコー病すなわち筋萎縮性側索硬化症、多発性硬化症等)を析出して痩せ細り、他方では純粋に機能的・心因的な領域が肥大して、ジャネとレーモンの「精神神経症 psychonévrose」、さらにはフロイトの精神分析へと至る[44]。
ここから、本補遺全体にとっての前提が引き出される。対象の居場所が、対象の本性を決定したのである。精神疾患は、器質的因果性を抜き取られた容器のうちに反転して据えられたがゆえに、機能的・非器質的な対象として構成された。だからこそ、その後の疾病分類学が病巣や病変による分類を試みるたびにそれは挫折する宿命にあった――本補遺第六節がユベールに即して辿る、解剖学的分類の不可能性と「シーシュポスの宿命」の根は、すでにこの容器の反転にある。そしてこの偶然的な操作が精神疾患に与えた「居場所」こそ、第一節以下に論じる用語・能力・諸種の区別がそのうえで作動する場にほかならない。1800年の五種区分(メランコリー=対象なき激昂を伴わぬ譫妄/妄想なき躁的激昂/妄想を伴う躁的譫妄/痴呆=思考の廃絶/白痴)や1803年第二版のヴェザニー分類表は、この容器に注がれた最初の内容である[45]。すなわち、用語論(第一節)の手前に、能力の地形図(第二節)の手前に、そして単一論的構想(第三節)の手前に、この対象の隔離と借り物の容器の反転という、いっそう手前の事実が横たわっている。
一 ピネルの用語と現代――délire を中心とする術語論
【凡例】 本補遺で繰り返し用いる「妄想なき躁病」は、フランス語 manie sans délire の本邦における伝統的訳語である。ただし本節以下で詳述するとおり、この日本語の「躁病」「妄想」は、ピネルにおける manie(古典的な意味での逆上をともなう狂乱)・délire(悟性そのものの錯乱)とは指示範囲を異にし、原語の正確な内実は〈悟性の錯乱を欠くにもかかわらず、情意と意志のみが冒される一型〉である。これを毎度言い換えれば説明に過ぎ、原語をそのまま本文に挿入し続ければ収まりが悪い。そこで本補遺は、この含意を読者に了解いただいたうえで、従来の定訳「妄想なき躁病」をそのまま用いる。délire・manie・mélancolie・démence・idiotisme の他の術語についても、現代語との差異を本節以下で順に解いてゆく。
「妄想なき躁病」という表題が今日の読者に引き起こす混乱の大半は、manie と délire という二語を現代の「躁病 mania」「妄想 delusion」と読み替えることから生じる。だがピネルにおける両語は、現代の同綴語とは指示範囲を異にする。ピネルの疾病分類を読むには、まずこの術語の含意を一語ずつ解きほぐさねばならない[2]。
(一)délire――妄想でもせん妄でもない「理性の錯乱」
古典期フランス精神医学において délire は、現代の「妄想 delusion」(固定した誤った確信)にも「せん妄 delirium」(意識変容を伴う急性錯乱)にも一致しない、より広い概念であった。それは悟性(entendement)の働き――知覚・判断・観念連合――の錯乱一般を指し、誤った判断・観念の乱れ・うわごと的逆上を一括して覆う。ソヴァージュからカレンに至る分類学の伝統がこの語に与えていたのは、「理性が正規の軌道を逸れた状態」という包括的規定であった[3]。
したがって manie sans délire を「妄想なき躁病」と訳すとき、その「妄想」は現代の delusion ではなく、「悟性の錯乱が一切ない」という意味で理解されねばならない。ピネルの第二種が定義されるのは、知覚・判断・想像・記憶のいずれにも感知しうる変質がなく、それを規定する支配的観念も想像力の妄想も指摘しえない、という鑑別徴標によってである[4]。すなわち問題の核心は「妄想(delusion)の有無」ではなく、「悟性の錯乱(délire)の有無」にある。悟性は無傷でありながら、情意と意志のみが冒される――これが「délire なき manie」の正確な内容である。エスキロールが1814年の論文「Délire」においてこの語の輪郭をあらためて確定しようと試みたこと自体が、ピネルの délire がなお未分化な広概念であったことの証左である[5]。
もっとも、この広い délire 概念の内部で、ピネルは一つの極を分類の外へ追い出している。熱性・器質性の譫妄、すなわちフレネジー(frénésie=脳炎性の délirium)である。ピネルにとってこの熱性錯乱は精神疾患に根本的に対立する純粋に医学的・器質的な変調であり、彼はそれを精神錯乱の綱ではなく炎症(phlegmasies)の綱に留めた。フレネジー患者では熱が譫妄に先行するのに対し、精神錯乱者には全身的な器質的侵襲がない――ガレノス以来のこの区別を、弟子ジョルジェは二欄表で「本態性の狂気(精神医学)」と「器質性精神障害(神経精神医学)」を分かつ形で受け継ぐ[48]。すなわちピネルの délire は、現代のせん妄(器質性・急性の意識変容)をも含みうる広い錯乱概念でありながら、その器質性・熱性の極(フレネジー)を分類のうえでは精神疾患の外へ留保していた。「妄想なき躁病」の délire の不在とは、この広概念のいずれの様態も認められないことを意味する。
(二)manie――気分高揚ではなく「全般性の錯乱+逆上」
ピネルの manie もまた、現代の「躁病(気分の高揚・観念奔逸・活動性亢進)」ではない。それは古典的な意味での「逆上をともなう狂乱」、すなわち広範な悟性の錯乱と興奮・激昂との結合を指す。注目すべきは、この語の定義がピネル自身の二つの版のあいだで動揺していることである。『論考』初版(共和暦9年)の分類は manie を délire の有無によって二分し、「妄想なき躁病」と「妄想を伴う躁病」を対等の種として並置していた。ところが第二版(1809)は manie を「ほとんどすべての対象に及ぶ多かれ少なかれ顕著な錯乱と、興奮および逆上の状態との結合」として定義し直す。manie がいまや délire を含むものとして規定された以上、「manie sans délire」は表題のうえで自己矛盾と化し、種としての座を失う[6]。ユベールが鋭く指摘するように、躁病はピネル以前にはまさに範疇的(categorical)な実体であり、「妄想なき躁病」を持ち出すことは、ピネルの先行者の誰にとっても純然たる形容矛盾と映ったはずであった。その語の矛盾をあえて引き受けた点にこそ、事実の認知における根本的な転換が現れている[7]。
(三)mélancolie――抑うつではなく「単一対象への排他的錯乱」
ピネルの mélancolie は、現代の「抑うつ depression」(気分の沈下を中核とする状態)とは異なる。第二版 §162 はメランコリーを「排他的錯乱 délire exclusif」――ただ一つの対象、ないし限られた一群の観念にのみ集中する錯乱――として明示し、ティベリウスやルイ11世を範例に挙げる[8]。すなわちピネルのメランコリーは、悲哀という感情成分よりも、錯乱が「部分的・局限的」であるという形式によって規定される。これはのちにエスキロールが「部分的精神疾患 aliénation partielle」「偏執狂 monomanie」へと展開し、悲哀の色調を帯びる型を「lypémanie」として切り分ける、その母胎にあたる[9]。現代の抑うつ概念は、この排他的錯乱としてのメランコリーから感情成分を抽出し、19世紀後半(ファルレの循環狂、バイヤルジェの二相狂)からクレペリンの躁鬱病へと至る別系統の彫琢を経て、ようやく成立する。ピネルの mélancolie はむしろ現代の「部分妄想・体系化妄想」に近い[10]。
(四)démence・idiotisme――器質的痴呆でも知的障害単独でもない
残る二種も同様である。ピネルの démence は、現代の「認知症(後天的・進行性・多くは器質性の認知機能低下)」ではなく、思考の連結が解け、観念が一貫性を失う「悟性の全般的弛緩・散乱」を指す。可逆的な錯乱状態をも含みうる点で、後にエスキロールが慢性・不可逆の経過へと限定し、20世紀以降に器質的・退行性疾患へと収斂してゆく現代の dementia とは射程を異にする[11]。idiotisme は知的諸機能の消失・廃絶を指し、先天的なものと後天的なものの双方を含む。現代では先天性のものが知的発達症の系譜へ、後天性のものが démence 圏へと分流してゆくが、ピネルにおいては両者がなお一つの種のもとにある[12]。
以上を一覧にすれば、ピネルの五語(délire・manie・mélancolie・démence・idiotisme)はいずれも、現代の同綴語・対応語より広く、かつ別の軸で切られていることがわかる。この術語の地層を踏まえずに「妄想なき躁病」を論じることはできない。詳細は本補遺末尾の「術語対照表」に整理した。
二 悟性・情意・意志――能力の地形図としての疾病分類
ピネルが狂気を分析するさい、その理論を組み立てる座標軸は、能力(facultés)――悟性・情意・意志の三領域――である。この枠組みはカントの批判哲学に由来するものではなく、コンディヤックの感覚論を承けたフランスのイデオローグ(カバニス、デステュット・ド・トラシー)の人間学に根ざしている。本章が精神医学発祥の「哲学的根」として挙げたカバニス『人間の身体と精神の関係 Rapports du physique et du moral de l'homme』(1802)は、まさにこの能力の自然誌を企図する書物であった[13]。
(一)分類基準としての能力
『論考』初版第四節「精神疎外者の種別区分」において、ピネルは精神疎外を悟性の諸機能の損傷を軸として五種へ配列する。メランコリーは悟性の一点への局限(排他的錯乱)、妄想を伴う躁病は悟性の全般的錯乱に逆上が加わったもの、痴呆は悟性の弛緩、白痴は悟性の廃絶である。これら四種はいずれも、損傷の所在と広がりを異にしながらも、悟性という同一の能力の変調として記述されうる[14]。
ところがそのただ中に、悟性の地図には収まらない一種が置かれる。第二種「妄想なき躁病」である。ここでは悟性(知覚・判断・想像・記憶)に感知しうる変質がない。冒されているのは情意的諸機能と意志であり、暴力ないし血なまぐさい逆上への盲目的衝動が現れるが、それを規定する観念は指摘しえない[4]。すなわちこの種は、悟性を軸とする分類の平面のうえに、情意と意志という別の能力次元にまたがる、例外的な一種である。能力心理学的にもっとも逆説的なこの一型――悟性は無傷でありながら意志のみが冒されるという型――が、ここで初めて精神疾患の主要な一種として自立する。
(二)第二版における基準の書き換え――悟性「および意志」へ
この逆説は、第二版において分類原理そのものへと吸収される。第二版の分類基準は、初版の「悟性の諸機能」から「悟性と意志の根本的損傷 lésions fondamentales de l'entendement et de la volonté」へと書き換えられる[6]。妄想なき躁病が一個の種として体現していた「意志のみの障害」という論点は、もはや一つの種にとどまらず、精神疎外全体を悟性と意志の二軸で捉える分類原理へと格上げされる。種としての「妄想なき躁病」が消えるのと引き換えに、それが切り開いた「意志の病理」という次元が、分類原理そのものに組み込まれるのである。
ここに、後年ドイツ語圏記述精神病理学が「感情と欲動」「意志」を独立の章として体系化してゆく道(クルト・シュナイダーの欲動論、ヤスパースの「Drang・欲動・意志」の系列)の遠い起点を見ることもできる。能力の三分法――認識・感情・意志――を疾病分類の座標とする発想は、ピネルにおいて萌芽的に、しかし決定的に作動していた。本章の発祥論的視角からすれば、「狂気における主体」が分類の平面に投影されるのは、まさにこの意志の次元が悟性から自立する瞬間においてである[15]。
三 単一精神病に近い構想――グリージンガー=ドイツ Einheitspsychose との比較
ピネルが諸種を厳密に区別したという通念は、二重に修正を要する。第一に、ピネル自身は精神疾患(aliénation mentale)を「総体としてしか」考察しなかった。ランテリ=ローラが示し、ユベールが承けるように、躁病・メランコリー・痴呆・白痴は「四種の迷乱 quatre espèces d'égarement」と呼ばれはするが、それらは「唯一同一の疾患の異なる相貌」にほかならず、その最良の証拠は、同一の患者においてこれらが継起的に観察されうることにある[16]。すなわちピネルの分類は、独立した病的実体(espèces morbides)の体系ではなく、単一の疾患がとる症候的様相の配列に近い。これは単一精神病(Einheitspsychose)に近い構想である。ポステルもまた、ピネルが精神病理学の全体を、後に「精神疾患 aliénation mentale」と呼ぶ領野全体を覆う一種の「単一精神病 monopsychose」としての「躁 manie」の上に中心化したのち分類に着手した、と記している[47]。
(一)ドイツ単一精神病との同型性
ドイツ語圏の単一精神病は、通常ツェラー(Ernst Albrecht von Zeller, 1804–1877)、グリージンガー(Wilhelm Griesinger, 1817–1868)、ノイマン(Heinrich Neumann, 1814–1888)に帰される。ベルギーのギスラン(J. Guislain)の「単一の狂気」概念をツェラーが独訳・導入し(1838)、ヴィネンタール精神病院でその助手をつとめたグリージンガーが、ツェラーの魂論的前提を捨てつつ単一精神病の臨床的構想を継承した。グリージンガー『精神疾患の病理と治療 Die Pathologie und Therapie der psychischen Krankheiten』(初版1845、第二版1861)は、精神疾患を脳の疾患とみなしつつ、メランコリー→躁病→錯乱→痴呆という段階的経過の構想を提示する[17]。ノイマンは1859年の『精神医学教科書』において最も急進的な定式に達する――「精神障害はただ一種類しか存在しない。我々はそれを Irresein(狂気)と呼ぶ。狂気は異なる諸形態をもつのではなく、異なる諸段階(Wahnsinn/Verwirrtheit/Blödsinn)をもつのである」[18]。
ピネルとこのドイツ単一精神病とのあいだには、明瞭な同型性がある。両者はともに、(イ) 精神疾患を一個の単位として捉え、(ロ) 臨床的諸型をその「相貌」ないし「段階」とみなし、(ハ) 同一患者における型の継起をその一元性の証拠とする。ピネルの「四種の迷乱」が「同一患者において継起的に観察されうる」という論証は、ノイマン=グリージンガーの「段階の継起 Stufenfolge」の構想を、半世紀あまり先取りするものである[19]。
(二)差異――理論化の度合いと経過図式
しかし両者を性急に同一視してはならない。差異は理論化の度合いと経過図式の有無にある。ドイツ単一精神病は、ロマン主義的自然哲学(ツェラー・ノイマン)あるいは脳病理学的唯物論(グリージンガー「精神疾患は脳疾患である」)という明示的な理論的前提のうえに、メランコリーから痴呆へと向かう一方向的・進行的な経過図式を組み立てる。これに対しピネルの単一論は、こうした思弁的経過図式を欠く。ピネルの「相貌」は段階というより並列的様相であり、彼はあくまで「諸理論を斥けて観察に身を保つ」という方法的禁欲のなかで、諸型の臨床的区別を実用的に保持しつづける[20]。ピネルの単一論は理論的綱領ではなく、観察の帰結として控えめに提示された認識にとどまる。
(三)分岐する運命――フランスにおける単一論の解体
両系譜の運命もまた対照的である。ドイツでは単一精神病が1860年代まで支配的であり続け、その克服はカールバウムの疾患単位論を経てクレペリンの二大精神病(早発性痴呆・躁鬱病)の分離においてようやく達成される。これに対しフランスでは、ピネルの単一論はむしろ早く解体された。ユベールがフランス精神医学的疾病分類学の真の出発点と位置づけるジャン=ピエール・ファルレ(J.-P. Falret)は、「精神疾患についてのピネルの古い単一論的構想 conception unitaire」を決定的に覆し、固有の経過と法則をもつ判然たる病的種の存在を主張した。1854年の循環狂 folie circulaire の分離は、この多元論的転回の象徴である[21]。ジュール・ファルレが1861年に定式化した二つの学説の対立――「病んだ諸個人が存在するのであって判然と区別された諸疾患が存在するのではない」とする心理学的学説と、「固有の経過と特有の法則をもつ判然と区別された病的種が存在する」とする病理学的学説――は、ピネル的単一論からの離脱の宣言にほかならない[22]。すなわち、フランス(ピネルの単一論→ファルレの多元論)とドイツ(ツェラー=グリージンガーの単一論→クレペリンの多元論)は、出発点と到達点を逆の順序で結ぶ二本の対称的な軌跡を描いている。
四 症例の精読――ピネルの記載と ICD-11 との照応
「妄想なき躁病」が何であったかは、ピネルが第二版に記した症例の精読によってもっとも具体的に把握される。これらの症例は本邦ではほとんど知られていない。以下では、解釈を加えて再構成するのではなく、ピネルの記載に忠実な訳(第二版原文よりの拙訳。訳出にあたっては Gallica 所蔵第二版〔H. Ey 文庫〕の該当各頁の原文を頁画像によって逐一参照した)として提示し、そのうえで現行 ICD-11 との照応を遡及的読解として最小限に付す[23]。臨床的に前景化する徴標の違いに従い、〈抗いがたい衝動の極〉と〈持続的な反社会的行状ないし熟慮的悪意の極〉とに大別して読む。
(一)抗いがたい衝動の極――周期的逆上の患者(§160)、ビセートル乱入の患者(§161)、鎖の患者(§239)
周期的逆上の患者(§160「盲目的逆上を伴う妄想なき躁病 La Manie sans délire marquée par une fureur aveugle」)。「私はこの種の精神疎外の発展の最高度を、一つの例によって理解させることができる。かつて手仕事に従事し、のちにビセートルに収容されたある男は、不規則な間隔で、次のような症状を呈する逆上発作に襲われる。まず、腸内に灼けるような熱感が生じ、激しい渇きと頑固な便秘を伴う。この熱はしだいに胸・頸・顔へと広がり、相貌により生気を帯びた色を与える。こめかみに達するとそれはいっそう激しくなり、その部位の動脈に、いまにも破裂せんばかりの強く頻繁な拍動を生じさせる。ついに神経の障害が脳に及ぶと、患者は抗いがたい血への渇望(un penchant sanguinaire irrésistible)に支配され、鋭利な道具を掴むことができれば、一種の激情をもって、目の前に現れた最初の人間を血祭りにあげようとする。しかし彼は、他の点では発作のあいだでさえ理性の自由な行使を保っており、問いには直接に答え、観念にはいかなる不整合も、いかなる妄想の徴候も漏らさない。彼は自らの状況の戦慄すべきことすべてを深く感じてさえおり、この強いられた性向をあたかも自らの責めであるかのように悔恨に苛まれる。ビセートルへの収容前、この逆上発作がある日、自宅で彼を襲った。彼はただちに、ほかならず慈しんでいた妻にそれを告げ、暴力的な死を免れるべくただちに逃げよと叫ぶだけの時間しかなかった。ビセートルでも、同じ周期的逆上発作、残虐行為への同じ自動的性向がみられ、その刃はときに、彼が思いやり深い世話と温厚さを讃えてやまぬ監督官その人へも向けられた。健全な理性が血に飢えた残忍さと対立するこの内的闘争は、ときに彼を絶望に追いやり、彼はしばしばこの堪えがたい闘いを死によって終わらせようとした。ある日、彼は施療院の靴直しの裁ち刃を掴むに至り、胸の右側と腕に深い傷を負わせ、それに激しい出血が続いた。厳重な隔離と拘束衣とが、彼の一連の自殺の試みを止めた」[24]。
革命下のビセートル乱入の患者(§161「妄想なき躁病のもう一つの記憶すべき例 Autre exemple mémorable d'une Manie non délirante」)。「妄想なき躁病は、我が歴史から消し去りたいと願われるような革命のある時期に、一つの異常な場面を生じさせた。牢獄の虐殺に際し、暴徒たちが、旧体制の犠牲者で狂人と混同されていた者たちを解放するという口実のもとに、ビセートルの精神病者施療院に逆上して押し入る。彼らは武器を手に独房から独房へと巡り、収容者を尋問し、精神疎外が明白であればそのまま通り過ぎる。しかし鎖につながれた一人の囚われ人が、分別と理性に満ちた言葉と、最も痛切な訴えとによって彼らの注意を引く。鉄鎖につながれ、他の狂人たちと混同されているとは、なんと忌まわしいことではないか。常軌を逸した行為のごく些細なものさえ、自分には咎めえまい。これは、と彼は付け加える、最も憤激すべき不正である、と。彼はこれら見知らぬ者たちに、かかる圧制を終わらせ、自分の解放者となるよう懇願する。それより、この武装した一団のあいだに、施療院の監督官に対する激しいざわめきと呪詛の叫びが沸き起こる。監督官は自らの行いの申し開きを強いられ、すべての軍刀が彼の胸に向けられる。彼は最も甚だしい虐待を働いたと告発され、弁明しようとすればただちに沈黙を命じられる。彼は、妄想はまったくないが盲目的逆上ゆえにきわめて恐るべき他の類似の精神疎外者の例を引きながら、自らの経験を訴えるが空しく、人々は罵詈で応じる。そして、わが身をもって彼を庇った妻の勇気がなければ、彼は幾度も刺し貫かれて倒れていたであろう。患者を解放せよとの命が下り、人々は『共和国万歳!』の高まる叫びのうちに彼を意気揚々と連れ出す。武装した多数の男たち、その騒々しく混乱した叫び、酒気に火照った顔の光景が、患者の逆上を再び燃え立たせる。彼は力強い腕で隣人の軍刀を掴み、右に左に斬りつけ、血を流させる。もし速やかに取り押さえられなければ、彼はこのとき、辱められた人類の仇を討っていたであろう。この野蛮な群れは彼を独房へ連れ戻し、唸りながらも、正義と経験の声にいくらか折れたかにみえる」[25]。
鎖につながれた患者(§239 後半)。「ビセートルで鎖が抑圧の手段として廃止される以前、一年のうち六か月のあいだ周期的に逆上発作を繰り返す習いであったある患者は、発作の終わりに向けて症状が衰えてゆくのを自ら感じ取り、危険なく施療院内で自由を返してよい正確な時期を察知していた。彼は、自分を最も激しい暴力行為へと駆り立てる盲目的衝動(l'aveugle impulsion)をまだ抑えられないと感じるときには、自らの解放を延期するよう願い出た。施設長がその思いやり深い性格と温厚さによって彼の信頼を勝ち得たのち、彼は平静な合間に告白した。発作のあいだは自らの逆上を抑えることが不可能であり、そのときには、もし誰かが自分の前に現れれば、その血管に血が流れるのが見える気がして、その血を吸い、この吸引をより容易にするためにその四肢を歯で引き裂きたいという抗いがたい欲望に駆られるのだ、と」[29]。
これら三例に共通するのは、悟性の錯乱を欠いたまま――発作の外でも、しばしば発作の最中でさえ――理性が正しく機能し、患者が自らの状態と「抗いがたい性向 penchant irrésistible」「盲目的衝動 aveugle impulsion」とを自覚していながら、なおその衝動を制御しえないという構造である。冒されているのは悟性ではなく、意志による衝動の制御である。§239 でピネルがこれを「病的状態 état de maladie に由来し規則的治療を要する」側に明確に置いていることは、本型を疾患として確定する判断にほかならない。この型は現行 ICD-11 においては衝動制御症群、とりわけ間欠爆発症(intermittent explosive disorder, 6C73)に対応づけられる。ただしこれは「意志による衝動の制御不能」という構造的核を共有する限りでの遡及的対応であり、確定的同定ではない[26]。
(二)持続的な反社会的行状の極――一人息子の症例(§159)
一人息子(§159「妄想なき一種の躁的激昂の例 Exemple d'une sorte d'emportement maniaque sans délire」)。「無きにひとしいか誤った教育、あるいは邪悪で手に負えない生まれつきが、この種の精神疎外の最初の萌芽を生みうることは、次の症例が教えるとおりである。気の弱い甘い母のもとで育てられた一人息子は、あらゆる気まぐれに、激しく無秩序な心のあらゆる衝き動かしに身を委ねる習慣を身につける。その性向の激しさは年齢とともに増し、また強まってゆき、彼に惜しみなく与えられる金銭が、その至上の意志のあらゆる障害を取り除くかにみえる。逆らおうとすれば彼の気性は荒れ狂い、大胆に攻撃し、力ずくで支配しようとし、絶えず諍いと喧嘩のうちに生きる。犬であれ羊であれ馬であれ、何かの動物が彼を不快にさせれば、彼はただちにそれを殺す。何かの集まりや祝祭の場にあれば、彼は激昂し、殴り殴られ、血まみれになって出てくる。しかし他面では、平静なときには理性に満ち、成人後は広大な所領の持ち主となって、これを正しい良識で治め、社会の他の義務を果たし、不幸な人々への慈善の行いによってさえ知られるようになる。負傷、訴訟、金銭による賠償が、その喧嘩好きという不幸な性向の唯一の結果であった。だが一つの周知の事件が、その暴力行為に終止符を打つ。ある日、彼を罵った女に激昂し、彼女を井戸に突き落としたのである。訴訟手続きが裁判所で進められ、彼の激昂した逸脱行為を想起する多数の証人の証言にもとづいて、彼はビセートルの精神病者施療院への隔離を宣告される」[27]。
ここで前景に立つのは、単発の衝動爆発というより、理性を保ったまま反復される暴力的・反社会的な行状の持続である。悟性の錯乱は終始なく、平静時の判断は健全ですらある(成人後は所領を正しく治め、慈善でさえ知られる)。この型は、抗いがたい瞬間的衝動を中核とする前型とは重心を異にし、現行 ICD-11 においては秩序破壊・非社会的行動症群(disruptive behaviour or dissocial disorders)、あるいはパーソナリティ症の特性領域「非社会性 dissociality」に近づく。一つの「妄想なき躁病」のうちに、すでに二つの異なる現代的帰着が含まれていることが、(一)との対比から読み取れる[26]。
(三)熟慮的悪意の境界例――老修道女(§237)と脱走を企てた女(§238)
第二版でピネルは、「妄想なき躁病に帰すべきか Doit-on rapporter à la manie sans délire…」という問いのもとに、理性の錯乱の痕跡をいっさい示さない二人の女性の症例を提示する。
老修道女(§237)。「理性の錯乱の痕跡をほかにいっさい示さず、罪人として拘禁所に入れるよりは精神病者施療院に隔離するほうが望ましいとされた、騒々しく気難しい性格(un caractère turbulent et acariâtre)のごく稀な例を、妄想なき躁病に帰すべきであろうか。ある老いた修道女が、その顕著な一例をサルペトリエールで私に見せてくれた。給仕の娘が彼女の役に立とうと近づくと、彼女はその娘を罵詈と最も毒々しい悪態とで打ちのめした。最も穏やかな他の女性患者たちも、それ以上の手加減をもって遇されることはなく、絶えず威嚇の叫び、激昂、周囲のあらゆるものを打とうとする企てがあった。食事どきに食物が出されると、彼女はそれを憤然と投げ捨てるか、巧みに隠して、自分を餓死させようとしていると訴えられるようにした。自分の衣服をずたずたに引き裂き、何もかも取り上げられて裸の状態に置かれていると叫ぶことが、彼女の楽しみであった。監督官がその場にいるときには彼の権威に逆らおうとはしなかったが、その陰では、彼は彼女の絶え間ない皮肉の的となった。かかる紛擾と不和の源は他の女性患者たちにとって危険となり、ついに彼女を独りの独房に隔離せざるをえなくなった。この邪悪で粗暴な性格(ce caractère pervers et farouche)の昂りは、そこに以後封じ込められたままとなっている」。
脱走を企てた女(§238)。「先の女に匹敵し、施療院に時おり現れる他の幾人かの女たちの、習慣にまで高じたこの不協和で堕落した悪意(cette méchanceté discordante et dégénérée en habitude)について、歴史的な細部を述べることが与えうる痛ましい記憶から、私は目をそむける。よく秩序づけられた精神病者施設においてさえ、恣意的な抑圧的措置を慎重に避け、あらゆる紛擾の源と、沈黙のうちに企てられる種々の陰謀の進行とを未然に防ごうとするとき、最も活発な監視がいかに必要となるかを示すだけで十分である。大舞台で華々しく振る舞うことのできないこれらの女の一人は、自らを駆り立てる党派と紛擾の気風を至るところに撒き散らし、女性患者施療院において秘密の脱走を企てる計画を立て、その手段のいっさいを最大の狡知をもって準備していた。彼女は、施設内で与えられていた自由と、よく知られたある名前の威光とを利用して、自分の意図に与しそうな他の者たちと共謀の関係を結んだ。彼女のものとなるはずの莫大な財産と、以後自由に処分しうる富とを、絶えず大仰に並べ立てた。ある者たちには老後の確かな安住の地を約束し、他の者たちには金銭の報酬を約束し、幾人かの給仕の娘たちは、歓楽と魅惑の場であらゆる種類の快楽に身を委ねる希望によって籠絡された。監督官は唯一打ち破るべき障害、そして特に復讐の的として名指しされ、もし彼が現れれば、蜂起の瞬間に短刀を胸に突き立てて彼を始末することが決められていた。この陰謀はあまりに巧妙に仕組まれていたため、囲いの壁はすでに乗り越えられ、脱走は一部実行されていたが、間一髪で呼ばれた衛兵が後続を阻止した。施された警察的措置が、深い背徳の夢想(les rêveries d'une immoralité profonde)以外には理性の錯乱をもたないこの危険な女から施療院を解放したことは、容易に想像されよう」[28]。
これらの症例についてピネルが下す判断は、単純な除外ではない。§237 で彼は「妄想なき躁病に帰すべきか」と問いながら、これらの者を罪人の拘禁所ではなく精神病者施療院(hospices d'aliénés)に隔離することを選び、老修道女を manie sans délire の「顕著な実例 exemple frappant」として提示する。脱走を企てた女もまた施療院に収容され、その背徳は「理性の錯乱 égarement de la raison」として記される。すなわちピネルは、これらを manie sans délire の名のもとに疾患の枠へ包摂しているのである。ところが §239 にいたると、彼は〈熟慮的悪意 méchanceté réfléchie〉を「病的状態 état de maladie に由来し規則的治療を要するもの」から区別し、前者が病的状態に由来することを否定する[29]。すなわちピネルは、これらを疾患として包摂しつつ、同時に病ではないと否定する――この未解決の矛盾こそが、§239 の他方の極をなす〈病的状態に由来する抗いがたい衝動〉(鎖につながれた患者)と対照的な、〈道徳的倒錯〉の極の不安定な発生点である。理性が錯乱せず行為が自由な熟慮の産物でありながら、なお施療院に収容され manie sans délire に算入されるというこの境界の引きかねこそが、次節に見る「道徳的狂気」論争が引き継ぐ問題の源泉をなす。
五 〈道徳的倒錯〉の極の系譜――不安定に医療化された極の行方
「妄想なき躁病」が一個の種としては第二版で解体されたのち、ピネル自身がこの概念を二つの事態へと区分していたことは、本章第六節がすでに論じた。一方には〈病的状態に由来する抗いがたい衝動〉があり、他方には〈理性の自由な行使と両立する熟慮的悪意〉がある。本章はこのうち〈病的衝動〉の極の系譜――エスキロール=ジョルジェの本能的偏執狂、バイヤルジェの「意志の無力」、エーの「二つの極」を経て ICD-11 衝動制御症群へ至る経路――を、別稿「衝動概念の精神病理学史」に委ねて詳論した[30]。本補遺はこれと対をなす〈道徳的倒錯〉の極を敷衍する。
(一)プリチャード「道徳的狂気」(1835)――ピネルの両義の体系的命名
ピネルが manie sans délire の名のもとに収容しつつ、なお「病的状態に由来しない」として決着のつかぬまま残した〈熟慮的悪意〉――理性を保ったまま反復される反社会的・破壊的行状――を、独立した一個の狂気の範疇として体系化し命名したのが、ジェイムズ・カウルズ・プリチャード(J. C. Prichard)の「道徳的狂気 moral insanity」(『精神異常論 A Treatise on Insanity』1835)である[31]。プリチャードの定式は、悟性(知性)が無傷でありながら、感情・性向・道徳的諸能力(moral はここで「情意的・性格的」を含意する)が病的に倒錯した状態を一個の狂気として認知する。ここで作動しているのは、ピネルの「妄想なき躁病」と同一の能力心理学的逆説――悟性は無傷で、情意と意志のみが冒される――である。プリチャードがおこなったのは、ピネルが疾患へ包摂しながらも病的状態への帰属を否定して未決のままに残した症例圏を、「悟性を欠かぬ狂気」という積極的な一範疇として確定し、その不安定な医療化を体系のうちに固定したことであった。
(二)精神病質から ICD-11「非社会性」へ
道徳的狂気の系譜は、19世紀末から20世紀にかけて「精神病質 psychopathy」「社会病質」「人格障害」の概念へと受け継がれる。理性の保持を前提としつつ、情意・性格・行状の持続的逸脱を一個の臨床的単位として扱うこの系譜は、現行 ICD-11 においては二つの場所に分流している。第一に「秩序破壊・非社会的行動症群」――行状の障害として記述される領域。第二にパーソナリティ症の枠組みにおける特性領域「非社会性 dissociality」――他者の権利・感情への無関心、自己中心性、共感の欠如として記述される次元である[32]。
本章注[52]が定式化したように、この〈道徳的倒錯〉の極が〈病的衝動〉の極と分岐する原型は、ピネル自身の手による留保にある。前者(病的衝動)を規則的治療の対象とする一方、後者(熟慮的悪意)については疾患へ包摂しつつ病的状態への帰属を否定したその両義的区別こそ、二極の現代的分岐の祖型をなす。すなわち、現代の操作的診断が衝動制御症群と秩序破壊・非社会的行動症群とを、明示的で数えうる行動基準によって切り分けるとき、そこで反復されているのは、ピネルが一つの「妄想なき躁病」のうちに見、そして二極へと切り分けた、まさにその区別なのである[33]。
(三)両極を貫く法医学的問い
両極を貫いて存続するのが、この衝動ないし行状が刑事責任を阻却するか否かという法医学的問いである。ピネルが §237 で「妄想なき躁病に帰すべきか」と問うたとき、その問いはすでに責任能力の判別という社会的・法的要請を孕んでいた。理性が保たれているなら、行為は自由であり、ゆえに責任を負う――この含意は、ナポレオン刑法典第64条の「抵抗できなかった力 force à laquelle il n'a pu résister」を経て、ICD-11 の「抵抗不能 failure to resist」へと移植される。妄想なき躁病において主体の関与として立ち上がった逆説――理性を保ちつつ自らを制御しえぬという「引き裂かれた主体性」――が、責任能力の判別という要請のもとで、内的関与の問題から外的標識の問題へと移し替えられてゆく、その二世紀にわたる軌跡を、この法医学的問いは貫いている[34]。
六 疾病分類学史への位置づけ――ピネルから DSM-III へ
最後に、以上のピネル疾病分類を、二世紀の疾病分類学史のなかに位置づけておく。叙述はユベールの長期的見取り図に依拠する[1]。
ユベールがピネルから引き出す根本的功績は、特定の分類体系ではなく、一つの方法論的懸隔である。ベルシュリの定式を借りれば、ピネルが導入したのは「諸現象の観察と、それについての説明的理論を提示する試みとの間の方法論的隔たり」であり、この観察と説明の階層秩序こそが臨床(clinique)を基礎づけた[35]。ピネルは同時代の化学者と同じく現実を秩序づけ直そうとし、厳密科学とはまず「よく作られた言語」だと自覚しながら、仮説の構築は後継者に委ねた。彼が委ねたこの「観察を先立て、理論を斥ける」という方法的禁欲こそ、フランス精神医学を一貫して臨床的たらしめ、先入見的理論への警戒を持続させた原理である。
だがこの方法は二つの障害を孕んでいた。ユベールがファルレとともに現れると見るその二つとは、際限のない分析(ジュール・ファルレにおける、後続の観察に絶えず覆される新実体の創出)と、あまりに早すぎる総合(モレルの病因論的綜合)である[36]。この二つの極のあいだで、フランス精神科医たちは各自の分類を乱立させ、医学=心理学会の1860年および1888年の大討論はいずれも合意の不可能という確認に終わった――「科学の現状においては、いかなる分類の試みも、あまりに不完全な、もしくは大多数の賛同を集めるにはなお異論の多すぎるデータにしか依拠しえない」[37]。
ユベールの結論は逆説的である。19世紀末のクレペリンと20世紀末の DSM-III という、フランス内部からは成立しなかった合意が外から到来しえたのは、まさにそれらがピネルの原理――理論を斥けてまず観察し、その果実を統計的に信頼しうる結論へ導く――に基づいていたからである。だが二世紀にわたり、この態度はくり返し失敗へと導かれてきた。規則を引き出すために観察するということと、現実にはあらかじめ確立された解釈の枠組みをもってしか観察しえないということとの板挟みのなかで、精神科医はシーシュポスのごとく分類活動を反復し、統計上の「与件 données」が決して既与ではないことに気づきつづける宿命を負う[38]。
結語
「妄想なき躁病とは何を意味するのか」という問いから出発した本補遺は、五つの観点を経て一つの認識に至る。第一に、この概念は délire・manie 等の術語が現代と別物であることを踏まえて初めて読める。第二に、それは悟性・情意・意志という能力の地形図のうえで、「悟性無傷・意志のみ障害」という逆説的な一点として成立した。第三に、その背後にはピネルの単一論的構想があり、それはドイツ単一精神病と同型でありながら理論化の度合いを異にし、フランスではファルレによって早く解体された。第四に、その臨床的内実は、ピネルの記載に忠実な諸症例の精読において、瞬間的衝動の極と持続的反社会的行状の極へと分岐して現れた。第五に、後者の極――ピネルが manie sans délire へ包摂しつつ病的状態への帰属を否定して未決のまま残した〈道徳的倒錯〉――は、プリチャードの道徳的狂気を経て、ICD-11 の秩序破壊・非社会的行動症群および「非社会性」へと連なる。
本章「ピネル発祥論」が発祥論的に主張したこと――「妄想なき躁病」が初版において一瞬ひらいた「狂気における主体」の次元が、第二版以降に解体・外在化されてゆく――を、本補遺は疾病分類学の内在的論理として裏づけた。妄想なき躁病が一個の種として初版にのみ現れ、第二版で症例として存続しつつ概念としては解体されるその軌跡は、発祥とその収縮という本章の命題の、疾病分類学的縮図にほかならない。なお本補遺における現代概念への対応づけは、すべて遡及的読解であり、確定的な診断的同一視ではない。
付録 ピネル術語対照表
本補遺で論じたピネルの主要術語と現代概念との差異を整理する。現代対応欄は近似的・遡及的なものであり、厳密な同定ではない。
| ピネルの術語 | ピネルにおける含意 | 現代の近接概念(ICD-11 等) | 差異の要点 |
|---|---|---|---|
| délire | 悟性(知覚・判断・観念連合)の錯乱一般。理性が正規の軌道を逸れた状態の総称 | 妄想 delusion/せん妄 delirium のいずれとも不一致 | 現代の二概念より広く、両者および広範な錯乱を包括する上位概念 |
| manie | 全般性の錯乱+興奮・逆上。初版は délire の有無で二分、第二版は délire を含むものへ再定義 | 躁病エピソード(気分高揚)6A60 とは別物 | 気分高揚ではなく狂乱・逆上。定義が版間で変動 |
| mélancolie | 単一対象への排他的錯乱 délire exclusif(部分的・局限的錯乱) | 部分妄想・体系化妄想/偏執狂 monomanie の母胎 | 抑うつ depression ではない。感情成分より錯乱の局限性が規定的 |
| démence | 悟性の全般的弛緩・観念の連結の解体(可逆的状態を含む) | 認知症 dementia(後天的・進行性・器質性) | 器質性・不可逆への限定は後年(エスキロール以降)の彫琢 |
| idiotisme | 知的諸機能の消失・廃絶(先天性・後天性の双方を含む) | 知的発達症(先天)/démence 圏(後天)へ分流 | 先天・後天が未分化に一括される |
| vésanies | カレンの「神経症 névroses」綱に収められた精神錯乱の属群 | — | 器質的因果を欠く機能的疾患という綱の枠組みに収納 |
| manie sans délire | 悟性無傷・情意と意志のみ障害。盲目的衝動・逆上が現れるが支配的観念は指摘しえない | 〈病的衝動〉の極:衝動制御症群(間欠爆発症 6C73)/〈道徳的倒錯〉の極:秩序破壊・非社会的行動症群、非社会性 dissociality | 初版にのみ独立種。第二版で症例として存続しつつ概念は二極へ解体 |