Bulletin · Vol. XV
YRID Bulletin — No. XV(補助論文)

「衝動への抵抗不能」と責任能力

ICD-11 衝動制御症の定義転換の精神鑑定への応用——精神病理学と刑事法の対話
L’« incapacité à résister » et la responsabilité pénale
De la CIM-11 à l’expertise psychiatrique
松石 竹志・〔弁護士名〕 Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D. & [Name], Attorney at Law
Editio princeps · Augustus MMXXVI · 草稿 v0.1
本稿は「衝動概念の精神病理学史——アンリ・エーから ICD-11 へ」(紀要 XV・論文 XII、Editio altera 2026-08)の応用編として、その §8「法医学的含意」と図 6 を精神鑑定・裁判の実務へ展開するものである。精神医学側の章(I・II・IV・V・VI)は初稿本文、法律側の章(III、III-bis の条文・判例部分、および各症例の弁護士側コメント)は骨子と執筆依頼事項の段階にある。比較法の章(III-bis)は仏・独・米の三法域を扱う。
編集注記(草稿 v0.1)。共著の分担を各見出し末尾に示す——M精神医学側、L法律側、M+L共同。〔照合〕は判例の年月日・出典、条文の文言、頁数など、確定稿までに原典で確認すべき箇所であり、法律に関する記載はすべて弁護士側の校閲を経るまで仮のものである。第 V 章の症例はすべて架空の仮想症例である。
要旨

ICD-11(CDDR、2024)は衝動制御症の核心を「衝動・欲動・urge への抵抗の繰り返しの失敗」に置いた。この定式は、刑法 39 条の責任能力論における第二要件——弁識に従って行動を制御する能力——と同じ言葉で語られながら、同じ事柄を指してはいない。本稿は、親論文が示した責任能力評価の二層構造(①行為前の衝動への抵抗可能性、②行為中の行為遂行の制御可能性)を出発点に、診断の水準と責任の水準との間にある四つの構造的落差——失敗と不能、反復と単一行為、障害と行為の因果、報酬性の扱い——を明示し、それを越えるための鑑定書記載様式と弁論上の論点整理を提案する。精神医学側からはエーの二極、ヤスパースの了解可能性と「意志の背景」、ブロイラーの病的欲動の証明指標、シュナイダーの欲動人間三分類、外的強化子の内在/外在という六つの道具を取り出し、法律側からは大審院昭和 6 年判決以来の混合的方法、鑑定意見の尊重をめぐる最高裁判例、裁判員裁判における「七つの着眼点」との対応を整理し、さらにフランス(旧 64 条から 122-1 条へ)、ドイツ(StGB 20・21 条の Steuerungsfähigkeit)、アメリカ(irresistible impulse から 1984 年の意志要件削除へ)の三法域における制御能力要件の消長を対照して、ICD-11 の「失敗」という語の選択が英米法の irresistible/unresisted 論争への診断学側の応答として読めることを示す。四つの架空症例(窃盗症・保険金目的放火・間欠爆発症・薬剤性衝動制御障害)によって、二層構造が免責方向にも責任肯定方向にも中立に働くことを示し、19 世紀モノマニー論争の再来を避けるための三つの方策を述べる。

キーワード:責任能力、刑法 39 条、制御能力、精神鑑定、ICD-11 衝動制御症、抵抗の失敗、二層構造、七つの着眼点、比較法、フランス刑法 122-1 条、StGB 20 条、irresistible impulse、窃盗症、間欠爆発症、外的強化子、モノマニー論争、治療的司法

Abstract

ICD-11 (CDDR, 2024) defines the impulse control disorders by the “repeated failure to resist a strong impulse, drive or urge.” The formula shares its vocabulary with the second limb of criminal responsibility under Article 39 of the Japanese Penal Code — the capacity to control one’s conduct in accordance with one’s discernment — but does not refer to the same thing. Starting from the two-layer structure of responsibility assessment proposed in the parent paper (① the capacity to resist the impulse before the act; ② the capacity to control the execution of the act once begun), this paper makes explicit four structural gaps between the diagnostic and the legal level — failure versus inability, repetition versus the single act, disorder versus causal bearing on the act, and the treatment of reward — and proposes a format for the forensic report and a set of litigation issues designed to bridge them. From psychopathology it extracts six instruments: Ey’s two poles, Jaspers’s criteria of understandability and of the “will in the background,” Bleuler’s indicators for the proof of a morbid drive, Schneider’s threefold division of the Triebmensch, and the internal/external location of reinforcers. From law it summarises the mixed method established by the Great Court of Cassation in 1931, the Supreme Court line on deference to expert opinion, and the “seven points of attention” used in lay-judge trials; a comparative chapter then sets the volitional limb of French law (from the old Art. 64 to Art. 122-1), German law (Steuerungsfähigkeit under StGB §§ 20–21) and American law (from the irresistible-impulse test to the 1984 abolition of the volitional prong) side by side, and reads ICD-11’s choice of “failure” over “inability” as an unacknowledged diagnostic answer to the Anglo-American irresistible/unresisted controversy. Four fictitious cases (kleptomania; insurance arson; intermittent explosive disorder; dopamine-agonist-induced impulse control disorder) show that the two-layer structure works neutrally, towards exculpation and towards responsibility alike, and three measures are proposed to avert a return of the nineteenth-century monomania controversy.

Keywords: criminal responsibility; Penal Code Art. 39; volitional capacity; forensic psychiatric evaluation; ICD-11 impulse control disorders; failure to resist; two-layer structure; seven points of attention; comparative law; Code pénal Art. 122-1; StGB § 20; irresistible impulse; kleptomania; intermittent explosive disorder; external reinforcers; monomania controversy; therapeutic jurisprudence

I. 序——「同じ言葉、異なる事柄」M+L

本稿の主張をあらかじめ一文で示す——ICD-11 が衝動制御症の核心を「衝動・欲動・urge への抵抗の繰り返しの失敗」に置いたことは、責任能力論の第二要件、すなわち弁識に従って行動を制御する能力と、同じ言葉で語られながら、同じ事柄を指してはいない。本稿の目的は、この「同じ言葉・異なる事柄」の落差を隠すのではなく明示し、精神科鑑定人と法曹がその落差を越えて対話するための共通の記載様式と論点整理を提案することにある。

親論文[1]は、バイヤルジェの「意志の無力」(1853)からヤスパースの三語の体系的区別、エーの「二つの極」を経て ICD-11 の操作的定義に至る 150 年の概念史を辿り、ICD-11 の定義転換が「衝動と意志の関係」という核心問題への回答であることを示した。その §8 は、この転換が責任能力評価に直接の含意をもつこと——鑑定は「①衝動への抵抗可能性(行為前)」と「②行為の実行における制御可能性(行為中)」の二層で問われる——を図式化した(親論文図 6)。しかし親論文は理論編である。その二層構造を実際の鑑定書にどう書き、法廷でどう争い、裁判官と裁判員にどう理解してもらうかは扱っていない。本稿はその応用編であり、精神科医と弁護士の共著という形式をとる。

共著という形式には理由がある。診断概念の側の転換(ICD-11、CDDR の公刊は 2024 年 3 月[2])と、法の側の運用の変化(2009 年の裁判員制度施行以後、責任能力判断の分節化と鑑定の在り方が再構成されたこと)とは同時期に起きており、どちらか一方の専門性では接合面が書けない。精神科医は診断がどこまでしか言えないかを知っており、弁護士は法がそれでも何を知りたがるかを知っている。両者を一つの紙面に置くことが本稿の方法である。

あらかじめ断っておくべきことが一つある。本稿は「免責の拡張」を目指すものではない。むしろ、「衝動制御症と診断された、ゆえに責任能力がない」という短絡と、「衝動制御症は責任能力と無関係である」という逆の短絡との双方を退け、判断を分節化することを目指す。後述するように(第 VI 章)、19 世紀のモノマニー論争は前者の短絡が司法の強い反発を招き、精神医学が概念そのものを放棄する結果に終わった歴史である。ICD-11 の定義転換が診断の閾を下げた以上、同じ轍を踏まないための慎重さが、精神医学の側にこそ求められる。

衝動制御症の診断が実務で争点となる典型場面を挙げておく。窃盗症(6C71)を背景とする常習累犯窃盗、放火(放火症 6C70 の主張と、外的動機による放火との弁別)、間欠爆発症(6C73)を背景とする傷害・器物損壊、そして強迫的性行動症(6C72)をめぐる性犯罪の弁護方針である。本稿は主として前三者を扱い、第四の類型は嗜癖行動症との帰属問題(親論文 §7-bis-3)が未解決であることから、別の機会に委ねる。


II. 精神医学側の道具立て——親論文からの抽出M

本章は、親論文の理論的成果のうち鑑定の場に持ち込みうるものを六つの「道具」として取り出し、それぞれについて概念の出所、鑑定でそれが答える問い、記載に用いる際の限界を示す。親論文をすでに読んだ読者には再説となるが、法曹の読者はここから読み始めることを想定し、自足的に書く。

II-1 二層構造——行為前の「抵抗可能性」と行為中の「制御可能性」

ICD-10 は衝動制御障害を「制御できない反復的行為」として、行為の水準で定義していた。ICD-11 はこれを「衝動・欲動・urge への抵抗の繰り返しの失敗」として、行為に先立つ衝動の水準へ移した[2]。Hölzel 編第 16 章のヴァイアシュタル=プストらは、この移行を法医学的観点から「制御不能性の判断水準の移行」と呼び、それが「洞察能力および制御能力(Einsichts- und Steuerungsfähigkeit)の評価において特に重要」になると述べる[3]。日本の弁識能力・制御能力の対に相当する概念対である。

この移行から、鑑定の問いは二つに分かれる。①「当該の衝動・欲動・urge に、行為に着手する前の時点で抗しえたか」、②「着手した後、行為遂行の様式——対象の選択、回数、中断、逃走——になお操舵の余地があったか」。決定的なのは、ICD-11 の定義が①が損なわれ②が残存する状態をも障害として認めていることである。同章の言葉を借りれば、ICD-11 の定義は「行為自体は十分に操舵され制御されうるものであり、ただ基盤となる衝動には抵抗できないという可能性を認めるものであ」り、「行為の実行における制御可能性は残存しうるのであり、このことによって障害としての価値が否定されるわけではない」[3]。したがって「②が残っていた、ゆえに障害ではない」という推論は、診断の水準では成り立たない。

責任能力評価(行動制御能力)
├─ ① 衝動への抵抗可能性(行為前)
│   ——衝動・欲動・urge に抗し得たか
└─ ② 行為の実行における制御可能性(行為中)
    ——着手された行為の遂行に、なお制御の
     余地が残っていたか
図 1——二層構造(親論文図 6 の再掲)

ただし、責任能力の水準では②の残存が独自の重みをもつ。裁判員裁判で用いられる着眼点のうち「犯行の一貫性・合目的性」「犯行後の自己防御・危険回避的行動」(第 III 章)は、まさに②に関わる所見であり、それらは制御能力を肯定する方向に読まれてきた。診断の水準における①②の非対称(②が残っても診断は成立する)と、責任の水準における①②の関係(②の残存が①の否定に流用されやすい)——この二つの非対称を混同しないことが、本稿全体の主題である(第 IV 章)。

II-2 エーの二極——プロトプルシオンと衝動的行動

アンリ・エーは「研究 11 衝動」(1954)において、衝動現象の膨大な全体の中に「二つの極を区別しなければならない——制御を逃れる運動的放出の極と、この制御そのものの変容の極と」と述べた[4]。前者がプロトプルシオンである。意識・人格の一次的障害なしに本能・反射の領域から上昇する精神運動的放出であり、モルセリに倣って「内因性」と「抵抗不能性」によって特徴づけられ、行為は「自我に反して、自我にもかかわらず」遂行される。後者が衝動的行動であり、意識の退行・人格の解体を背景として生じ、「意識が混乱していないほど、『強制』という性質はより強く感じられる」[4]

鑑定における効用は、この二極を図 1 の①②に重ねられることにある。プロトプルシオンは①②がともに失われる場合に、衝動的行動は①が失われながら②が部分的に保たれる場合に、それぞれ対応する(親論文 §8-2)。被鑑定人の行為がどちらの極に近いかを記述することは、①②の評価に精神病理学的な根拠を与える。限界も明記しておく。エーの器質力動論——意志的行動の統合という上位機能の解体が下位の自動機制を解放するという階層的把握——を疾患論として法廷に持ち込む必要はない。記述的な二極として使えば足りる。

II-3 ヤスパースの二つの基準——「了解可能性」と「意志の背景」

ヤスパース『一般精神病理学』第 6 節は、異常な衝動的行為を「われわれの共感的理解にとって、その抑制の可能性が理解できないとき」の行為として定義した[5]。この基準は、後述する司法研究の着眼点「動機の了解可能性/了解不能性」と直接に接続する。ただし両者の「了解」は同じではない。ヤスパースの了解は「抑制の可能性が想像できるか」という、行為の抑制に向けられた了解であり、着眼点の了解は「動機が通常人に理解できるか」という、行為の発生に向けられた了解である。衝動制御症では動機の発生は多くの場合了解可能(怒り、欲しいという気持ち)であって、了解不能なのは抑制の失敗の方である。この区別は第 IV 章で対応表を作る際に効いてくる。

第二の基準は「意志の背景」である。「そこに潜在的な意志が背景に存在するとき、駆り立てられ・圧倒される感覚が体験される。その背景が欠如するとき、意志なき生物学的必然性が生じる」[5]。被鑑定人が「抵抗した体験」——抗おうとした、先延ばしにしようとした、その場を離れようとした——を語りうるか否かは、意志の背景の有無、すなわち衝動的行動型(第二極)かプロトプルシオン型(第一極)かの手がかりとなる。

ここで ICD-11 が自己報告要件を削除したこと(親論文 §7-1 第三の変更)が、鑑定に固有の帰結をもたらす。診断は本人の「衝動的だった」という報告なしに、行動側の徴標から成立しうる。しかし責任能力の①の評価は、本人の体験記述を欠くと著しく困難になる。診断の側が自己報告から独立した分だけ、鑑定人は本人の体験を診断のためではなく①の評価のために、改めて丁寧に聴取しなければならない。

II-4 ブロイラーの「病的欲動の証明」——反応形成との弁別指標

ブロイラー『精神医学教科書』(第 3 版、1920)は「これら衝動行為の大多数は反応形成として解明されている」と述べ、「欲動行為としての診断が過度に頻繁になされることへの警戒」を繰り返した[6]。真の意味での病的欲動(krankhafter Trieb)として残るものは少数であり、その行動的指標として彼は、無用なものを盗む、入手したものを利用しない、被害者へ返還する、行為後に後悔を示さない、あるいは月経周期・アルコール等の器質的文脈との関連が確認できる、を挙げた。これらによってのみ「病的欲動の証明」が可能になる。

この指標群は、そのまま鑑定書の「外的強化子の不在」を裏づける記載項目となる(II-6)。そしてブロイラーの慎重さの原則は、本稿が「免責の拡張」を目的としないことの精神医学側の根拠でもある。了解可能な状況反応は反応形成として位置づけられ、了解不能なもののみが病的欲動として残る——この論理は、衝動行為の医療化に対する歯止めとして一世紀前にすでに定式化されていた。

II-5 シュナイダーの「欲動人間」三分類——動機の性質を診断の核心に

クルト・シュナイダーは「周期的な放浪者、飲酒者、浪費者、放火者、窃盗癖を持つ者」を欲動人間(Triebmensch)と呼び、その動機の性質によって三群に分けた——①直接了解可能な動機を持つもの、②種々の気分障害を背景に二次的に生じるもの、③本当の意味での一次的欲動障害[7]。この三分類は、鑑定における鑑別にそのまま対応する。①は通常の犯罪動機(利得・報復)、②は基礎疾患に伴う二次性の衝動行為、③が衝動制御症そのものである。

とりわけ②の系列を落とさないことが重要である。認知症(特に前頭側頭型)、脳外傷、双極性障害の躁病相、そして薬剤性——パーキンソン病に対するドパミン作動薬によって病的賭博・性的逸脱・買い物・過食が出現することは、2000 年代以降よく知られるようになった[8]。これらでは①の喪失が基礎疾患や薬剤の効果として説明可能であり、了解不能性の質が一次性の衝動制御症と異なる。ICD-11 は「他の精神障害・物質・薬剤の効果によってよりよく説明されない」ことを衝動制御症の診断に要求しており、この除外を鑑定書は明示的に記載すべきである。

II-6 外的強化子の所在——「報酬の有無」から「報酬の内在/外在」へ

ICD-11 の一般定義は、行為を「当人にとって少なくとも短期的には報酬的」とみずから規定した[2]。したがって報酬があること自体はもはや診断を妨げない。問われるのは報酬の所在である——緊張からの解放や行為中の興奮のように行為に内在する報酬か、金銭・報復・隠蔽・注目のように行為の外部にある利益か。ICD-10 が一般定義に置いていた「合理的動機の不在」要件は ICD-11 で削除され、除外の判断は個別診断に委ねられた。放火症 6C70 は「放火行為に明白な動機(金銭的利益、報復、破壊工作、政治的主張、注目を引くこと等)が存在しないこと」を、窃盗症 6C71 は「盗みに明白な動機がないこと(対象が個人的使用や金銭的利得のために取得されるのではないこと)」を、それぞれ必須要件とする[2]

ヴァイアシュタル=プストらは、外的強化子が「障害としての価値の評価に組み込まれるかどうか」は一般定義の水準では「未決定のまま」であり、「個別障害の限定項において初めて考慮される」と述べる[3]。鑑定実務にとってこれは、「衝動に抵抗できなかった病的行為」と「外的利益に動機づけられた通常の犯罪行為」との弁別が、診断群の一般的性格から自動的には導かれず、鑑定人が個別診断の除外要件に即して症例ごとに積極的に検討し記載しなければならない、ということを意味する。鑑定書は「何によって強化されていたか」を内在/外在の軸上に明記すべきである。


III. 日本の責任能力論と鑑定手続L

本章は弁護士側が執筆する。以下は精神医学側が現時点で把握している骨子と執筆依頼事項であり、精神科医の読者が鑑定書を書くために最低限知っておくべき法的枠組みを、判例の文言に即して、しかし法学論文の密度ではなく実務的な平明さで示していただきたい。正確さはすべて弁護士側の校閲に委ねる。

III-1 刑法 39 条と「混合的方法」

骨子(要校閲) 刑法 39 条 1 項「心神喪失者の行為は、罰しない」、2 項「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」。心神喪失・心神耗弱の定義は大審院昭和 6 年 12 月 3 日判決[9]〔照合〕——精神の障害により「事物の理非善悪を弁識する能力」またはその「弁識に従って行動する能力」を欠く状態(喪失)、著しく減退した状態(耗弱)。生物学的要素(精神障害の存否)と心理学的要素(弁識能力・制御能力)とを組み合わせる「混合的方法」。本稿が扱うのは、このうち制御能力の要件である。

執筆依頼事項。弁識能力と制御能力の関係——制御能力のみの欠如ないし著しい減退によって心神喪失・耗弱が認められた事例の有無とその評価。「著しく減退」の程度論。39 条に至らない場合の量刑上の考慮(情状としての精神障害)。とりわけ衝動制御症のように「弁識は保たれ、制御のみが問題となる」類型において、実務が制御能力要件をどの程度独立に検討してきたか。

III-2 責任能力判断の帰属——裁判所と鑑定人の役割分担

骨子(要校閲) 最決昭和 58 年 9 月 13 日[10]〔照合〕——責任能力の有無・程度は法律判断であり、裁判所は鑑定意見に拘束されない。最決昭和 59 年 7 月 3 日[11]〔照合〕——統合失調症であっても直ちに心神喪失とはならず、犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判定する。最判平成 20 年 4 月 25 日[12]〔照合〕——鑑定人の公正さや能力に疑いがなく、前提資料や方法に問題がなければ、裁判所は鑑定意見を十分に尊重して認定すべきである。最決平成 21 年 12 月 8 日[13]〔照合〕——精神障害の有無・程度については医学的意見を尊重しつつ、それが弁識・制御能力に及ぼす影響の法的評価は裁判所に委ねられ、鑑定の結論の一部を採用しないことも許される。

執筆依頼事項。この判例系列から導かれる「鑑定人が答えるべき問い」と「答えるべきでない問い」の線引き。とりわけ、鑑定人が「心神耗弱に相当する」といった法的結論を書くことの当否をめぐる学説・実務の現状。精神医学側の立場としては、後述する記載様式(IV-3)において法的結論を書かず、①②の所見からどこまで言えるかを限定的に述べることを提案しているので、それが判例の枠組みと整合するかの確認をお願いしたい。

III-3 裁判員裁判と「七つの着眼点」「八ステップ」

骨子(要校閲) 司法研修所編『難解な法律概念と裁判員裁判』(2009)[14]が示す責任能力判断の着眼点——①動機の了解可能性/了解不能性、②犯行の計画性・突発性・偶発性・衝動性、③行為の意味・性質・反道徳性・違法性の認識、④精神障害による免責可能性の認識の有無、⑤元来ないし平素の人格に対する犯行の異質性・親和性、⑥犯行の一貫性・合目的性、⑦犯行後の自己防御・危険回避的行動〔項目の文言と順序を原典で照合〕。岡田幸之の「8 ステップ」[15]〔出典照合〕——精神障害の存否から責任能力判断に至る過程を段階に分節し、鑑定人と裁判所の分担を可視化する枠組み。日本精神神経学会の鑑定書作成の手引き[16]〔版・年照合〕

執筆依頼事項。これらの着眼点が、もともと統合失調症の幻覚妄想状態下の犯行を主に念頭に置いて練られたものであり、衝動制御症のように「弁識は保たれ、制御のみが問題となる」類型にそのまま当てはめると何が起きるか。とりわけ着眼点②に「衝動性」が含まれていることの両義性——衝動的であることは免責方向にも、単なる「短気」「自制心の欠如」として不利方向にも働く——をどう扱うか。8 ステップのどの段階に図 1 の①②が位置づけられるか。

III-4 鑑定の手続——起訴前鑑定・本鑑定・私的鑑定・鑑定人尋問

執筆依頼事項。起訴前の簡易鑑定と嘱託鑑定、公判段階の鑑定(裁判員裁判における公判前整理手続と鑑定の実施、いわゆるカンファレンス方式)、弁護側が依頼する私的鑑定(意見書)の位置づけ。鑑定人尋問における反対尋問の典型的な構造——「抵抗できなかったのか、抵抗しなかったのか」を軸にした尋問と、それに対して鑑定人が図 1 の①②を分けて答えることの意義。鑑定資料(捜査記録・供述調書)の偏り——供述調書は行為の合目的性(②)を詳細に記録する一方、行為前の抵抗の試み(①)をほとんど記録しない——が評価に与える影響。

III-5 医療観察法・治療的司法との関係

執筆依頼事項。心神喪失者等医療観察法[17]の対象行為(殺人・放火・強盗・強制性交等・強制わいせつ・傷害)に、衝動制御症を背景とする放火・傷害が含まれること、および実務上その処遇が適切かという問題。他方、窃盗症を伴う常習累犯窃盗事件では責任能力は完全とされつつ、量刑(執行猶予・保護観察・治療条件)の水準で精神医学的評価が作動している現状——いわば「責任能力論から量刑論への移動」〔下級審裁判例の選定は弁護士側〕。この移動が本稿の二層構造とどう関わるかは IV-4 で論じる。


III-bis. 比較法——仏・独・米における「制御能力」要件M+L

親論文が辿った衝動の概念史は、フランス・ドイツ・英語圏の三つの精神医学的伝統に対応していたが、責任能力法もまた同じ三つの伝統に分かれる。しかも三者はいずれも、弁識(認知)の要件とは別に制御(意志)の要件を認めるか否か、認めるとしてどう限定するか、という同一の問題をめぐって揺れてきた。本章は各国法の制御能力要件を並べ、ICD-11 の「抵抗の失敗」がそれぞれとどう接続するかを見る。精神医学史的部分は精神医学側、条文・判例の部分は法律側が担当し、条文の文言はすべて法律側の校閲を待つ。

III-bis-1 フランス——旧刑法 64 条(1810)から現行 122-1 条(1994)へ

骨子(要校閲) 旧 64 条:Il n’y a ni crime ni délit, lorsque le prévenu était en état de démence au temps de l’action, ou lorsqu’il a été contraint par une force à laquelle il n’a pu résister.——行為時に démence の状態にあったとき、または抵抗しえない力によって強制されたときは、重罪も軽罪も成立しない[22]〔条文照合〕。現行 122-1 条 1 項:行為時に精神的または神経精神的障害(trouble psychique ou neuropsychique)により弁識(discernement)または自己の行為の制御(contrôle de ses actes)が喪失(aboli)されていた者は刑事責任を負わない。同 2 項:弁識または制御が減弱(altéré)されていた者は可罰的であるが、裁判所は刑を定めるにあたりこの事情を考慮する。2014 年 8 月 15 日法により、2 項の場合の刑の上限を原則として三分の一減ずる旨が明文化された[22]〔改正内容・条文照合〕

精神医学側からの論点は二つある。第一に、エーが「研究 11」で 64 条を引いたとき(親論文 §2-3・§8-1)、彼はこの条文を「抵抗しえない力」の医学的認定の場として読んでいた[4]。ただし 64 条の「抵抗しえない力」は、起草時には主として外的強制(脅迫・暴力)を念頭に置いた文言であり、これを内的な病的衝動に及ぼしたのはエスキロール学派の解釈であって、この拡張こそがモノマニー論争の発火点となった[19]。第二に、1994 年法が「制御」を弁識と並ぶ独立の要件として明文化したことは、エスキロール以来の「意志の病理学」が一世紀半を経て法文に定着したものと読める。しかも 122-1 条は「喪失/減弱」の二段を設け、減弱の場合を量刑の水準で受け止める構造をとっており、本稿 IV-4 が述べる「責任能力論から量刑論への移動」を制度として先取りしている。

執筆依頼事項(法律側)。122-1 条 2 項の運用実態、とりわけ精神鑑定における altération du contrôle des actes の認定がどの程度独立に行われているか。2008 年以降の重罪院における「刑事責任無能力の宣告」手続の概要。

III-bis-2 ドイツ——StGB 20 条・21 条と Steuerungsfähigkeit

骨子(要校閲) StGB 20 条:行為時に、病的な精神障害(krankhafte seelische Störung)、深い意識障害(tiefgreifende Bewusstseinsstörung)、知的障害(Intelligenzminderung)またはその他の重い精神的偏倚(schwere andere seelische Störung)のために、行為の不法を洞察する能力(Einsichtsfähigkeit)またはこの洞察に従って行為する能力(Steuerungsfähigkeit)を欠く者は、責任なく行為する。21 条:これらの能力が行為時に著しく減退していた場合、刑を 49 条 1 項により減軽することができる(任意的減軽)[23]〔条文照合〕。鑑定の水準については Boetticher ら「責任能力鑑定の最低要件」(2005)[21]が、判例と学会の協働によって鑑定書の構成・診断から能力判断への段階・行為時の状態の記述を定式化している。窃盗症・放火症等が「その他の重い精神的偏倚」に当たるかについて、連邦通常裁判所(BGH)は、単なる診断名では足りず、障害の程度が他の三類型に比肩する重さをもつことを要求する〔判例の特定は法律側〕

精神医学側からの論点。Hölzel 編第 16 章の法医学的含意(親論文注 41e)は、この 20 条の二要件を前提に書かれている[3]。Einsichts-/Steuerungsfähigkeit の対は日本の弁識能力・制御能力の対とほぼ一対一で対応するため、親論文 §8-2 の議論は翻訳の手間なしに日本法の枠組みへ移植できる。もう一つ注目すべきは、ドイツ語圏の鑑定実務では Steuerungsfähigkeit の著しい減退の認定にあたって、行為の計画性・状況適合性・中断可能性・行為後の行動といった行為中・行為後の指標が体系的に検討されること、すなわち図 1 の②に相当する問いがすでに実務に定着していることである。他方、ドイツにおいてもこれらの指標は「制御能力あり」の方向に読まれる傾向があり、ICD-11 の定義が②の残存を障害と両立させたことがドイツの鑑定実務にどう受け止められるかは、Hölzel 編の著者たち自身が「特に重要」として提起したまま未解決の問題である。

執筆依頼事項(法律側)。20 条の四類型のうち衝動制御症がどこに位置づけられるか(schwere andere seelische Störung の要件論)。21 条の減軽が任意的であることの帰結。BGH が衝動的犯行における Steuerungsfähigkeit の減退を認めた例と否定した例の対比〔判例選定〕

III-bis-3 アメリカ——M’Naghten から irresistible impulse へ、そして意志要件の後退

骨子(要校閲) M’Naghten 準則(1843)は、行為の性質を知らなかったか、知っていたとしてもそれが悪であることを知らなかったか、という認知要件のみを問う。これに対し Parsons v. State(Alabama, 1887)[18]は、行為の善悪を知っていても、精神疾患のために「善悪の間で選択する力を失い」、疾患と行為との間に因果的連関がある場合に免責を認め、いわゆる「抗しがたい衝動」(irresistible impulse)テストを確立した。American Law Institute の模範刑法典 §4.01(1962)はこれを一般化し、精神疾患のため「行為の犯罪性を認識する実質的能力、または法の要求に自己の行動を合致させる(conform his conduct to the requirements of law)実質的能力」を欠く場合に免責するとした。しかし Hinckley 事件(1982 年無罪評決)後、1984 年の連邦法(Insanity Defense Reform Act, 18 U.S.C. §17)は意志要件を削除し、認知要件のみに戻すとともに立証責任を被告側に転換した[18]〔照合〕。州法は現在も M’Naghten 型・ALI 型・意志要件を残す型に分かれる〔州法の分布は法律側〕

精神医学側からの論点。英米法が意志要件を後退させた理由は、「抗しがたい衝動」(irresistible impulse)と「抵抗されなかった衝動」(unresisted impulse)とを区別する方法がない、という批判にあった。この区別の経験則として実務で語られてきたのが「肘の脇の警察官」(policeman at the elbow)テスト——警察官が傍らに立っていても行為に及んだであろうか——であり、これは図 1 の②(機会の選択性、監視への応答)を①の代理指標として用いる論法にほかならない。本稿の立場からは、この論法こそ「②の残存を①の否定に流用する」誤りの典型であり、しかし同時に、①を②から独立に立証する手段を精神医学が示せなかったことの帰結でもある。

ここで ICD-11 の語の選択が意味をもつ。ICD-11 は「抵抗不能(inability)」ではなく「抵抗の失敗(failure)」と書いた。これは irresistible/unresisted の区別不能という批判に対する診断学の側の——おそらく無自覚の——応答であり、診断のためには「不能」の証明を要しないと宣言したに等しい。その帰結は両義的である。診断は成立しやすくなったが、その診断は責任能力論の意志要件に対して、かつてよりも少ないことしか言わなくなった。落差(i)(IV-1)はここに由来する。

執筆依頼事項(法律側)。1984 年法後の連邦および州における意志要件の現状。診断名の変化(DSM/ICD の改訂)が insanity defense の運用にどの程度影響したかについての二次文献〔選定〕

III-bis-4 三伝統の対照と日本法の位置

表 III.1——四法域における責任能力の要件構造(草案・要校閲)
法域根拠弁識(認知)要件制御(意志)要件減退の扱い
日本刑法 39 条、大審院昭 6・12・3事物の理非善悪を弁識する能力弁識に従って行動する能力心神耗弱=必要的減軽(39 条 2 項)
フランスCP 122-1 条(1994)discernementcontrôle de ses actesaltération=可罰、量刑で考慮(2014 年法で上限三分の一減)
ドイツStGB 20・21 条EinsichtsfähigkeitSteuerungsfähigkeit21 条=任意的減軽
アメリカ(連邦)18 U.S.C. §17(1984)行為の性質・不法性の認識——(1984 年に削除)diminished capacity は州により異なる

対照から二点が見える。第一に、日本・フランス・ドイツの三法域は制御要件を明文または判例上維持しており、アメリカ連邦法のみがこれを放棄した。ICD-11 の「抵抗の失敗」定式が最も直接に接続するのは制御要件を維持する側であり、日本法はその中に位置する。第二に、減退の扱いは三様である——日本は必要的減軽、フランスは量刑考慮を明文化、ドイツは任意的減軽。①の「著しい減退」を量刑の水準で受け止めるという本稿の提案(IV-4)は、フランス 122-1 条 2 項の構造に最も近く、日本法においては 39 条 2 項の「著しく減退」に至らない場合の情状としての精神障害の扱いという、判例上の運用の問題として現れる。


IV. 接合——「抵抗の失敗」と「制御能力」の落差を埋めるM+L

ICD-11 の定義文と責任能力の制御能力要件との間には、少なくとも四つの構造的落差がある。鑑定書と弁論はこの落差を隠すのではなく、明示した上で越えなければならない。本章は精神医学側が初稿を書き、法律側が「それでも法が知りたいこと」を各落差に書き加える形で共同執筆する。

IV-1 四つの落差

表 IV.1——診断の水準と責任の水準との間の四つの落差
落差ICD-11(診断の水準)刑法 39 条(責任の水準)
(i)失敗と不能failure to resist——抵抗が結果として失敗したこと。不能の証明は不要弁識に従って行動する能力を欠く著しく減退——能力そのものの欠損が問われる
(ii)反復と単一行為repeated——パターンとしての障害。診断は生活史横断的当該行為の行為時における能力。一回的・時点的
(iii)障害と行為の関係障害があること(生物学的要素)を認定する障害が当該行為の制御能力に影響したか(心理学的要素・因果的連関)を認定する
(iv)報酬性行為は「当人にとって報酬的」と定義上規定——報酬の存在は診断を妨げない利得目的・報復目的は着眼点①「動機の了解可能性」において責任肯定方向に働く

落差(i)——失敗と不能。最も根本的な落差である。ICD-11 は「抵抗不能(inability to resist)」ではなく「抵抗の失敗(failure to resist)」という語を選んだ。III-bis-3 で見たように、この選択には英語圏の法制史的背景がある——「抗しがたい衝動」と「抵抗されなかった衝動」とを区別できないという批判を受けて英米法は意志要件を後退させ、ICD-11 の定式はその批判に対する診断学の側の応答として、診断のためには「不能」を証明する必要がないと宣言した[18]。したがって、鑑定人が「衝動制御症の診断基準を満たす」と述べることは、「抵抗できなかった」と述べることと同義ではない。この非同義性は、鑑定書自身が明記すべきである(IV-3)。

落差(ii)——反復と単一行為。診断は反復するパターンを認定するが、責任能力は当該行為の行為時における能力を問う。鑑定は、診断(パターン)から当該行為(時点)へ降りる道筋を記述しなければならない——当該行為は当人の反復パターンの典型例なのか、それともパターンから外れた例外なのか。ここで着眼点⑤「平素の人格に対する犯行の異質性・親和性」が、統合失調症の場合とは裏返しに働くことに注意を要する。幻覚妄想状態下の犯行では「平素の人格に異質」であることが障害の作動を示すが、衝動制御症では犯行が「平素の人格に親和的」——すなわち反復パターンの典型例——であることが、むしろ障害の作動を示す。この裏返しを法曹に理解してもらうことが、弁論上の要点の一つとなる。

落差(iii)——障害と行為の因果。障害の存在(生物学的要素)と、それが当該行為の制御能力に影響したこと(心理学的要素)とは別の認定である。衝動制御症の診断が成立していても、当該行為が障害の作動によるものではなく、通常の動機(利得・報復)によるものである可能性は常に残る。この落差は II-5 の二次性の除外、および II-6 の外的強化子の所在の記載によって処理される。

落差(iv)——報酬性。ICD-11 は行為を報酬的と規定したが、法の側では利得目的・報復目的は「動機の了解可能性」として責任肯定方向に働く。この落差は、報酬の有無ではなく所在——内在/外在——を記載することで越えられる(II-6)。緊張の解放や行為中の興奮という内在的報酬は、法の側の「了解可能な動機」には当たらない。

IV-2 二層構造を「七つの着眼点」へ翻訳する

① 衝動への抵抗可能性(行為前)
  ← 着眼点 ①動機の了解可能性(抑制の了解可能性として読み替える)
  ← 着眼点 ②計画性・突発性(前駆緊張の有無、機会の選択性)
  ← 着眼点 ⑤平素の人格との親和性(反復パターンの典型例か——裏返し)
  ← 本人の「抵抗した体験」の記述(ヤスパースの意志の背景)
② 行為の実行における制御可能性(行為中)
  ← 着眼点 ⑥犯行の一貫性・合目的性(対象の選択、回数、中断)
  ← 着眼点 ⑦犯行後の自己防御・危険回避(逃走、隠蔽、返還)
  ← 着眼点 ③④行為の意味・違法性の認識(弁識側だが②の証拠になる)
(外的強化子の内在/外在は①②の双方に横断的に関わる)
図 2——二層構造と司法研究の着眼点との対応(草案)

この対応表の眼目は、着眼点⑥⑦(合目的性・自己防御)が「制御能力あり」の方向にしか読まれてこなかった実務に対し、ICD-11 の定義が②の残存を障害と両立させている以上、⑥⑦の所見は「①が損なわれていなかった」ことの証明にはならない、と主張する点にある。逆に、⑥⑦の所見が乏しい——対象を選ばず、止まらず、逃げない——場合は、プロトプルシオン型(エーの第一極)として①②ともに失われた可能性を示す。鑑定人は⑥⑦を①の否定に流用せず、②の評価として独立に記載すべきである。

着眼点①については、II-3 で述べた了解の二義性を踏まえ、「動機の発生の了解可能性」ではなく「抑制の失敗の了解可能性」——ヤスパースの言う「抑制の可能性が想像できるか」——として読み替えることを提案する。衝動制御症では動機の発生はおおむね了解可能であり、着眼点①を発生の水準で適用すれば、常に責任肯定方向の結論が出てしまう。

IV-3 鑑定書の記載様式の提案

鑑定書の一般的構成(鑑定事項・鑑定資料・生活歴・現病歴・現症・診断・考察・結論)を前提に、「考察」の内部に次の小項目を置くことを提案する。付録 I にチェックリストとして再掲する。

IV-4 責任能力論から量刑論へ——二層構造の第二の用途

日本の実務では、衝動制御症、とりわけ窃盗症を背景とする事件で 39 条が適用される例は少なく、精神医学的評価は量刑の水準で作動している(III-5)。この移動は二層構造の効用を減じるものではない。むしろ①②の分節は、「責任能力は完全であるが、①が著しく損なわれていた」という中間的な事実認定を可能にし、それが量刑上の情状——再犯防止としての治療の必要性と可能性——の記述に直接つながる。①が損なわれ②が残る症例は、まさに治療によって①を回復させる余地のある症例であり、②が残っていることは治療への協力可能性を示す所見でもある。

執筆依頼事項(法律側)。量刑弁論において①②の所見をどう主張するか。治療的司法の枠組み(保護観察の遵守事項としての通院、民間治療機関との連携、再犯時の扱い)と鑑定所見の接続。


V. 架空症例による例証M+L

本章の四症例はすべて架空の仮想症例である。複数の類型的特徴を組み合わせて構成したものであり、特定の事件・人物に基づかない。各症例は、(a)精神医学的所見と ICD-11 診断、(b)図 1 の①②に即した考察、(c)外的強化子の所在、(d)弁護士側のコメント(争点・尋問の焦点・量刑主張)の四段で構成する。症例 A・C は「①喪失・②残存」の二例、症例 B・D は「診断が成立しない例」「診断が二次性に置き換わる例」であり、四例の対照によって、二層構造が免責方向にも責任肯定方向にも中立に働くことを示す。

V-1 症例 A——窃盗症(6C71):①喪失・②残存の典型

架空の仮想症例。50 代女性。世帯の経済状態は安定しており、金銭的困窮はない。数年来、近隣のスーパーで少額の食品・日用品を万引きし、二度の執行猶予判決を経て本件再犯。盗んだ物は自宅に未開封のまま溜め込まれ、消費されていない。本人の述べるところでは、入店前から胸の締めつけと落ち着きなさがあり(前駆緊張)、商品をバッグに入れた瞬間に解放感があり、店を出てからは強い自己嫌悪に襲われる。財布を持たずに外出する、家族に同伴を頼む、店の前を通らない経路を選ぶなど、抵抗の試みを繰り返してきたが失敗している。他方、行為中は店員の視線を避け、防犯カメラの位置を意識し、手に取る商品は一定の範囲に限られる。

診断。6C71 の必須要件——盗みの衝動への抵抗の繰り返しの失敗、盗む前の緊張の高まりと行為中・直後の解放感、明白な動機の不在(個人的使用・金銭的利得のためではない)、機能障害——を満たす。気分障害相・認知機能低下・物質使用は認められず、二次性は除外される。

①行為前の抵抗可能性。著しく損なわれている。反復する抵抗の試みとその失敗(意志の背景は存在し、駆り立てられる体験が語られる——衝動的行動型、エーの第二極)。対象の選択が了解不能(ブロイラーの「無用なものを盗む」「入手したものを利用しない」)。抑制の失敗は共感的に了解しがたい。

②行為中の制御可能性。部分的に残存。対象の選択、監視の回避、行為の範囲の限定。ただしこの残存は、Hölzel 編第 16 章の言う「行為の実行における制御可能性は残存しうるのであり、このことによって障害としての価値が否定されるわけではない」場合に当たり、診断を否定しない。

外的強化子。不在。報酬は緊張の解放という行為内在的なものであり、盗品の経済的価値は本人にとって意味をもたない。

弁護士側コメント(骨子・執筆予定) 実務上 39 条の適用は困難と見込まれる中で、②の残存が①の否定に流用される反対尋問(「カメラを避けたのだから、盗まないこともできたはずではないか」)への応答を、Hölzel 編第 16 章の原文と図 1 を用いて組み立てる。「盗むかどうか」(①)と「盗むやり方」(②)は別の問いであること。量刑論として、①の著しい減退を治療の必要性の根拠とし、治療条件付きの執行猶予・保護観察を主張する構成。過去の執行猶予中の再犯をどう位置づけるか(治療が行われていなかったことの立証)。

V-2 症例 B——保険金目的放火:外的強化子による除外(対照例)

架空の仮想症例。30 代男性、自営業。経営難が続く中、店舗兼自宅に放火。事前に火災保険の契約内容を確認し、可燃物を店内に配置し、当日は家族を外出させていた。捜査段階で「以前から火を見ると気持ちが高ぶる」「火をつけたくなる衝動が抑えられなかった」と供述し、弁護人が放火症の可能性を主張して鑑定を請求。

診断。放火症 6C70 は成立しない。前駆緊張と解放の型がなく、放火への持続的関心も確認されず、何より「明白な動機(金銭的利益等)の不在」要件を満たさない。保険金という外的強化子が明白である。

①②。ともに保たれている。計画性(着眼点②)、合目的性(⑥:可燃物の配置)、危険回避(⑦:家族の避難)のいずれも、行為前の熟慮と行為中の操舵を示す。

この症例の意義。ICD-11 が一般定義から「合理的動機の不在」を削除したこと(親論文 §7-1 第二の変更)は、除外の判断を個別診断の水準に移したのであって、除外を不要にしたのではない。鑑定人は、被鑑定人が「衝動」という語を用いて供述しているというだけの理由で診断に傾いてはならず、6C70 の除外要件の検討を積極的に記載する義務を負う。ブロイラーの「欲動行為としての診断が過度に頻繁になされることへの警戒」がここで作動する。

弁護士側コメント(骨子・執筆予定) 弁護人が精神医学的主張を安易に持ち出すことの危険——鑑定が診断を否定した場合、被告人の供述全体の信用性に打撃となりうること。「衝動」という語が供述調書に現れることの法的意味の乏しさ。弁護人として鑑定請求の前に検討すべき事項(前駆緊張・解放の型の有無、過去の放火歴、外的利益の存在)。

V-3 症例 C——間欠爆発症(6C73)を背景とする傷害:感情駆動型と二層

架空の仮想症例。20 代男性。幼少期から些細な挑発に対して不釣り合いに激しい怒りの爆発を反復し、学校・職場・家庭でたびたびトラブルとなり、離職を繰り返している。本件は駅の通路で肩がぶつかった相手を数回殴打したもので、相手が倒れた時点で殴打を止め、その場に立ち尽くし、駆けつけた駅員に自ら事情を述べた。本人は「頭が真っ白になった」「気がついたら殴っていた」と述べる一方、殴った回数をおおむね正確に覚えており、「相手が倒れて、止めなければと思って止めた」と語る。相手に対する恨みはなく、金品を奪う意図もなかった。

診断。6C73 の必須要件——攻撃的衝動または怒りの urge への抵抗の繰り返しの失敗、挑発に著しく不釣り合いな爆発、非計画性、機能障害——を満たす[2]。反社会性の持続的パターン、精神病症状、物質の影響は認められない。ICD-11 が自己報告要件を削除したこと(第三の変更)は、本例のように怒りを外的挑発(「向こうがぶつかってきた」)によって正当化しがちな被鑑定人においてこそ重要であり、診断は爆発の非計画性・不釣り合いさという行動側の徴標に基づいて成立する。

①行為前の抵抗可能性。損なわれている。突発性、動機の発生は了解可能(怒り)だがその不釣り合いと抑制の失敗は了解しがたい。反復パターンの典型例であり、平素の人格に親和的(着眼点⑤の裏返し)。抵抗の体験は本例では乏しく(「気がついたら」)、意志の背景がその瞬間には後退していた可能性——第一極に寄った衝動的行動——を示唆する。

②行為中の制御可能性。部分的に残存。殴打の中断、逃走しないこと、自己申告。親論文図 5 の構造——①は著しく低下、②は部分的に残存——そのものである。②の残存は診断を否定しない。

外的強化子。不在。金品・報復の意図はなく、爆発そのものが怒りの放出という内在的報酬を担っている。

弁護士側コメント(骨子・執筆予定) ②の残存(自ら止めた・逃げなかった・自己申告)は着眼点⑥⑦では責任肯定方向に働き、同時に着眼点⑤(平素の人格との親和性)が障害の作動を示すという両義性をどう主張するか。医療観察法の対象行為(傷害)との関係——本例が心神喪失・耗弱とされた場合の処遇の適否。自己報告要件の削除により診断が成立しやすくなったことに対して、検察側から「短気にすぎない」との反論がなされることへの備え(反復性・不釣り合いさ・機能障害の立証)。

V-4 症例 D——薬剤性衝動制御障害:二次性の鑑別

架空の仮想症例。60 代男性。パーキンソン病の治療中、ドパミン作動薬の増量から数か月後に、それまでの生活史にまったくなかった病的賭博と性的逸脱行動が出現し、公然わいせつで検挙された。家族は「人が変わったようだ」と述べる。神経内科医が薬剤を減量したところ、数週間で行動は消失した。

診断。衝動制御症の一次診断ではなく、薬剤(ドパミン作動薬)誘発性の衝動制御障害として記載する[8]。シュナイダーの三分類②(基礎疾患・薬剤を背景とする二次性)に該当し、ICD-11 の除外規定(物質・薬剤の効果によってよりよく説明される)が作動する。

①②。①の喪失は薬剤の効果として説明可能であり、了解不能性の質が症例 A・C と異なる——行為は平素の人格に異質であり、着眼点⑤が統合失調症の場合と同じ本来の方向で働く。②は行為の性質上、部分的に保たれていた可能性が高い。

この症例の意義。二次性の除外が、単なる形式的手続ではなく、①の喪失のを変え、責任能力論における位置づけを根本的に変えることを示す。減薬による消失は、障害と行為との因果(落差 iii)を最も明瞭に示す所見である。

弁護士側コメント(骨子・執筆予定) 「原因において自由な行為」の法理が問題となりうるか——処方に従った服薬であり、副作用の予見可能性がなければ自招性は否定されること。減薬による行動の消失が責任能力判断および量刑・処分(起訴猶予を含む)に与える影響。医療側の説明義務との関係は本稿の射程外として一言触れるにとどめる。

VI. 残された緊張——モノマニー論争の再来を避けるためにM+L

親論文 §8-3 は、19 世紀モノマニー論争の経験を今日への警鐘として挙げた。本章はそれを具体化する。エスキロールの「本能的モノマニー」——知性が保たれているにもかかわらず単一の病的衝動に支配される状態——が法廷に持ち込まれたとき、司法の側は「あらゆる犯罪が病気とされる」と反発し、精神医学の内部からもファルレらの批判が起こって、モノマニー概念は 1850 年代以降急速に放棄された[19]。サドラーはこの「モノマニーの遺産」が DSM-5 の衝動制御障害にまで及んでいると論じる[20]。ICD-11 の「抵抗の失敗」定式が、自己報告要件と合理的動機不在要件の一般定義からの削除によって診断の閾を下げたことは、同じ反発を招く可能性を孕んでいる。

本稿の提案する対策は三つである。第一に、鑑定書における「落差の明示」(IV-3)——診断の認定が抵抗不能の認定でないことを、鑑定人自身が書く。免責の主張を精神医学が先取りしないことが、精神医学的知見が法廷で信用され続けるための条件である。第二に、ブロイラーの慎重さの原則の継承——反応形成・二次性・外的強化子の積極的除外を、診断の付随的手続ではなく鑑定の中心的作業として位置づける。第三に、責任能力論と量刑論の役割分担——①の喪失は多くの場合 39 条ではなく量刑・処遇の水準で受け止められるべきであり、それを可能にする治療的司法の制度的整備が必要である〔法律側執筆〕

加えて二点を記す。ICD-11 日本語正規版の公刊後に urge の訳語が確定した時点で、法廷での用語使用について指針を示す必要がある。親論文は urge・Drang を原語のまま用いているが、鑑定書と法廷では原語のままでは通用しない。また、民事上の意思能力・浪費・消費者被害への衝動制御症の波及は、別稿に委ねる。


VII. 結語

親論文の結論二点——三語の並列は三つの病理次元を保持する構造的選択であること、および責任能力評価は①②の二層で問われること——のうち、後者を実務の水準まで下ろすと何が見えるか。本稿の結論は次の二点に尽きる。

序に掲げた主張——ICD-11 の定式と責任能力の制御能力要件とは、同じ言葉で語られながら同じ事柄を指してはいない——は、以上の分節によって、対立ではなく分担として示された。


付録 I 鑑定書「考察」記載チェックリスト(草案)

表 A.1——衝動制御症が問題となる責任能力鑑定における考察の記載項目
No.項目記載すべき内容/根拠
1ICD-11 診断の必須要件充足6C70/6C71/6C72/6C73 の各要件、機能障害要件(CDDR 該当頁を明記)
2個別診断の除外要件「明白な動機の不在」(6C70・6C71)、他の診断による説明の除外
3二次性の除外認知症・脳損傷・薬剤性・物質・気分障害相・精神病症状(シュナイダー三分類②)
4当該行為と反復パターンの関係典型例か例外か;緊張解放型/報酬型/感情駆動型のいずれか
5①行為前の抵抗可能性抵抗の試み・体験記述・抑制の了解可能性・機会の選択性;エーの二極のどちらに近いか
6②行為中の制御可能性対象選択・回数・中断・応答・逃走隠蔽;②の残存は診断を否定しない旨
7外的強化子の所在内在/外在;ブロイラー指標(無用物・不使用・返還・後悔の有無)
8落差の明示診断=抵抗不能ではない旨の一文;①②から言えることの限定
9法的結論の不記載心神喪失・耗弱の判断は裁判所の専権(判例系列 III-2)
10治療可能性・再犯防止量刑・処遇に資する所見(治療反応性、通院可能性、②の残存と治療協力)

付録 II 用語対照表(草案)

表 A.2——責任能力の二要件と ICD-11 定式との対応
日本ドイツ(StGB 20・21 条)フランス(CP 122-1 条)ICD-11 との対応
弁識能力Einsichtsfähigkeitdiscernement——
制御能力Steuerungsfähigkeitcontrôle de ses actesfailure to resist(ただし落差 i)
心神喪失§20 Schuldunfähigkeitabolition——
心神耗弱§21 verminderte Schuldfähigkeitaltération——
(対応なし)——旧 64 条 force à laquelle il n’a pu résisterimpulse, drive or urge への抵抗の失敗

執筆・進行の提案。(1)本草稿 v0.1 の構成の承認後、法律側に第 III 章と各症例の弁護士側コメントを依頼し、その執筆と並行して精神医学側は第 II・IV・V 章を確定稿の密度へ上げる。(2)表 IV.1 と図 2 は両者で文言を詰める。(3)判例・条文の文言はすべて法律側の校閲を経てから確定稿とし、それまで〔照合〕を残す。(4)題目は仮題。共著の形式(往復書簡型か分担型か)の決定を待って副題を確定する。

References
参考文献
[1] 松石竹志「衝動概念の精神病理学史——アンリ・エーから ICD-11 へ」横浜基礎研究所紀要 XV、論文 XII、Editio altera、2026 年 8 月(impulse-history.html)。(引用箇所:I、II 全般、IV、V、VI)
[2] WHO: Clinical Descriptions and Diagnostic Requirements for ICD-11 Mental, Behavioural and Neurodevelopmental Disorders (CDDR). Geneva: WHO, 2024, pp. 519–532(衝動制御症群一般定義、6C70・6C71・6C72・6C73)。(引用箇所:I、II-1、II-6、V-3)a b c d e
[3] R. Weierstall-Pust et al.: „Störungen der Impulskontrolle“, in L. Hölzel & M. Berger (Hrsg.), ICD-11 – Psychische Störungen: Innovationen und ihre Bewertung, Springer, 2024, S. 281–297(第 16 章、とりわけ §16.3 Kommentar「法医学的含意」)。(引用箇所:II-1、II-6、III-bis-2)a b c d
[4] Henri Ey: Études Psychiatriques, Étude No 11: Impulsions. Desclée de Brouwer, 1954, pp. 163–170.(引用箇所:II-2、III-bis-1)a b c
[5] Karl Jaspers: Allgemeine Psychopathologie, 9. Aufl., Berlin: Springer, 1973, §6, S. 98–99。英訳:General Psychopathology, tr. J. Hoenig & M. W. Hamilton, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1997, pp. 117–118.(引用箇所:II-3)a b
[6] Eugen Bleuler: Lehrbuch der Psychiatrie, 3. Aufl., Berlin: Julius Springer, 1920(「反応性欲動」の章)。(引用箇所:II-4)
[7] Kurt Schneider: Klinische Psychopathologie, 14. Aufl., Stuttgart: Thieme, 2007, S. 158–160(付録「感情と欲動の精神病理学要綱」、Triebmenschen の項)。(引用箇所:II-5)
[8] D. Weintraub et al.: “Impulse control disorders in Parkinson disease: a cross-sectional study of 3090 patients”, Archives of Neurology 67(5), 2010, pp. 589–595 〔書誌照合・代替文献の選定可〕(引用箇所:II-5、V-4)a b
[9] 大審院昭和 6 年 12 月 3 日判決・刑集 10 巻 682 頁 〔照合〕(引用箇所:III-1)
[10] 最高裁昭和 58 年 9 月 13 日決定・判例時報 1100 号 156 頁 〔照合〕(引用箇所:III-2)
[11] 最高裁昭和 59 年 7 月 3 日決定・刑集 38 巻 8 号 2783 頁 〔照合〕(引用箇所:III-2)
[12] 最高裁平成 20 年 4 月 25 日判決・刑集 62 巻 5 号 1559 頁 〔照合〕(引用箇所:III-2)
[13] 最高裁平成 21 年 12 月 8 日決定・刑集 63 巻 11 号 2829 頁 〔照合〕(引用箇所:III-2)
[14] 司法研修所編『難解な法律概念と裁判員裁判』(司法研究報告書第 61 輯第 1 号)法曹会、2009 年 〔照合〕(引用箇所:III-3)
[15] 岡田幸之「責任能力判断の構造と着眼点——8 ステップと 7 つの着眼点」精神神経学雑誌 115 巻 10 号、2013 年 〔出典・頁照合〕(引用箇所:III-3)
[16] 日本精神神経学会精神鑑定に関する委員会「刑事責任能力に関する精神鑑定書作成の手引き」〔版・年照合〕(引用箇所:III-3)
[17] 心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(平成 15 年法律第 110 号)。(引用箇所:III-5)
[18] 英米法における意志要件の消長について:Parsons v. State, 81 Ala. 577 (1887);American Law Institute, Model Penal Code §4.01 (1962);Insanity Defense Reform Act of 1984, 18 U.S.C. §17 〔照合・二次文献の選定は法律側〕(引用箇所:III-bis-3、IV-1)a b c
[19] Jan Goldstein: Console and Classify: The French Psychiatric Profession in the Nineteenth Century. Cambridge: Cambridge University Press, 1987(モノマニー論争の章)。G. E. Berrios: The History of Mental Symptoms, Cambridge University Press, 1996 も参照。(引用箇所:III-bis-1、VI)a b
[20] J. Z. Sadler: “The Crippling Legacy of Monomanias in DSM-5”, in S. Demazeux & P. Singy (Eds.), The DSM-5 in Perspective, Springer, 2015, pp. 141–158.(引用箇所:VI)
[21] A. Boetticher et al.: „Mindestanforderungen für Schuldfähigkeitsgutachten“, Neue Zeitschrift für Strafrecht 25(2), 2005, S. 57–62 〔照合〕(引用箇所:III-bis-2)
[22] フランス刑法典:旧 Code pénal (1810) art. 64;現行 Code pénal (1994) art. 122-1(loi n° 2014-896 du 15 août 2014 による改正を含む) 〔条文・改正照合〕(引用箇所:III-bis-1)a b
[23] ドイツ刑法典 Strafgesetzbuch §§ 20, 21, 49 〔条文照合〕(引用箇所:III-bis-2)
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