一 九章を経て到達した命題
本論文は、精神医学の発祥という問いに対する四つの主要な解釈――フーコー、エー、ケテル、スウェイン――を独立した発祥論として並列比較し、それぞれの強みと弱みを検討した。九章にわたる作業を経て到達した中軸命題を、以下に整理する。
精神医学の発祥点は、1800年前後のフィリップ・ピネル『Traité médico-philosophique sur l’aliénation mentale, ou la manie』初版(共和暦9年、1800年10月/1801年1月刊)における「狂気の主体 le sujet de la folie」認識装置の組み立てである。この発祥点は、フーコーが立てる1656年「大いなる監禁」発祥論にも、エーが1971年論文で擁護したルネサンス起源論の単純な読みにも還元されない、独自の構造を持つ。スウェイン『狂気の主体』(1977年)が初めて厳密に同定し、ケテルが経験史的に支持し、エーが Étude n°3(1948年)において先取り的に「閃光 étincelle」として描いた瞬間――この瞬間こそ、われわれが今日精神医学として思考し実践しているものの構造的可能性が初めて現実化した閾である。
この発祥点を同定するためには、しかし、それに先立つ二千五百年にわたる長期的構造の理解が不可欠であった。ヒポクラテス『聖なる病について』(前5世紀)の自然主義宣言、コス対クニドスの動力論/機械論対立、プラトン・アリストテレス・ストア派の魂の哲学、ヒポクラテス=ガレノス的体液説、ストア派的情念論――これらの古代ギリシア的諸契機が、本論文第一章において同定された長期的構造の最古層を成す。中世のトマス的調停(第二章)、ルネサンスにおける Wier-Bodin 論争を結節点とする自然/超自然の分節化(第三章)、古典主義時代における社会政治的・制度的変動と医学理論的革新(第四章)、アンシャン・レジーム末期における哲学的・制度的諸契機の集約(第五章)――これらすべてが、ピネル発祥点に至る通路を構成する。
この長期的構造の整理は、エー自身が『精神医学研究』のなかで明示的に展開した構造観と本質的に同型である。Étude n°2 「医学史における機械論/動力論の振動」、Étude n°3 「精神医学発祥の三重の根(モラル的・哲学的・慈善的)」、Étude n°4 「アリストテレス→聖トマス→ヘーゲル→ベルクソンの哲学的系列としての véritable esprit hippocratique」、Étude n°7 「組織力動論的精神医学(日本語訳「器質力動論」)のヒポクラテス的源泉への遡行」――これら四つのエー長期的構造観は、本論文の章立てそれ自体の哲学的根拠を構成する。本論文がスウェイン立場として採用する命題は、エー長期的構造観のなかで基礎づけられる。
二 エー長期的構造観とスウェイン立場の同型性
本論文の最も重要な発見の一つは、エーの長期的立場とスウェイン立場が、しばしば対立する解釈として受容されてきたにもかかわらず、本質的に同型であるという事実である。この発見は、エー1948年 Étude n°3 と1971年フーコー批判論文という二つの一次資料の統合的読解から導出される。
エー Étude n°3(1948年)p. 52 における「一瞬にして、ピネルとともに、閃光が走った D'un seul coup, avec PINEL, l'étincelle a jailli」という決定的な一節は、エーが本論文の発祥論的中軸命題と本質的に同型の「ピネル科学的閃光命題」を、Foucault『狂気の歴史』(1961年)に先立つ一三年前、Swain『狂気の主体』(1977年)に先立つ二九年前に、明示的に表明していたことを示す一次資料である。エーはここで、精神医学が「自らの対象と方法を意識する科学」として結晶化した瞬間をピネルに同定し、その瞬間を「二十五世紀前から存在していた精神医学的医学」の連続的問題空間における決定的閾として描いている。
エー1971年論文(『精神医学の進化』誌、1969年トゥールーズ会議報告)は、一見すると Étude n°3 と異なる「ルネサンス起源論」を展開しているように読まれてきた。だが本論文第三章「ルネサンスをめぐる解釈の対立」および第六章「ピネル発祥論」が同定したように、1971年論文の発祥論的構造は二重の閾――(一)1563–1585年 Wier-Bodin 論争における精神医学の哲学的・人間学的基礎づけ fondation、(二)1791–1814年ピネル=テュークの象徴的行為における医学的行為の儀礼的聖別 consécration――を同定するものである。p. 174 の決定的一節「勝利することによって、それは精神医学を基礎づけた En triomphant, elle a fondé la Psychiatrie」は前者を、p. 175 の「ピネルの象徴的行為は……医学的行為の聖別であった」は後者を表明する。
Étude n°3 と1971年論文を統合的に読むとき、エーの長期的立場は 三重構造として現れる――(一)ルネサンス Wier-Bodin 哲学的・人間学的基礎づけ fondation、(二)ピネル=テューク儀礼的聖別 consécration、(三)ピネル1800年科学的閃光 étincelle。本論文がスウェイン立場として採用する1800年前後のピネル発祥論的命題は、エー三重構造の第三層と完全に同型である。エー第一層・第二層は、本論文が第三章および第六章において 「ピネル発祥点の前提条件」として同定したものに対応する。
この同型性の含意は深い。スウェイン立場の採用は、エーへの対立としてではなく、エー自身が二三年の隔たりを置いて一次資料に書き残した三重構造の現代的再活性化として理解されるべきである。本論文の作業は、エー長期的構造観の中で、エーが「閃光」と呼んだ1800年前後の発祥点を、20世紀後半のスウェイン研究の語彙によって明示的に再構成する作業と同型である。
三 四者発祥論の交差点としての結論
本論文が四者発祥論の交差点に同定した構造を、改めて整理する。
フーコーの1656年「大いなる監禁」発祥論は、社会政治的契機の重要性を浮き彫りにする点で重大な貢献を残している。だがフーコーの構造的誤謬は、この社会政治的閾を発祥点そのものと同一視したことにある。彼が見落としたのは、ピネル『論考』初版(共和暦9年)に書き込まれた決定的証拠そのものである。フーコーの『狂気の歴史』が事実上参照しているのは『論考』第二版(1809年)であり、彼はピネルの思考の最も決定的な瞬間――初版における「manie sans délire」の定式化と道徳的治療理論の宣言――を文字通りに見ることがなかった。本論文の採用は、しかし、フーコーへの全面的拒否ではない。フーコーが捉えた古典主義時代の社会政治的構造変動は、スウェイン立場のなかに「妊娠期 la période de gestation」として包摂される。
エーの長期的立場は、上述の通り、スウェイン立場と本質的に同型である。エーが Wier-Bodin 論争に同定した「精神医学の基礎づけ」、ピネル=テュークに同定した「医学的行為の聖別」、Étude n°3 においてピネル1800年に同定した「科学的閃光」――これら三重構造はすべて、本論文の発祥論的アーキテクチャに統合される。エー器質力動論(organo-dynamisme、日本語訳「器質力動論」)は、本論文の長期的構造観の自己定位であり、Étude n°7 が明示する「ヒポクラテス的源泉への遡行」は、第一章で同定したコス的継承(動力論的・全体論的視角)の20世紀における延長として読まれる。
ケテルの経験的歴史家としての位置は、独立した発祥論を構成しないが、明示的にスウェイン読解への支持を表明する。ケテル『狂気の歴史』第四部第四章は、スウェインの論文「ピネルと精神医学の誕生――ある行動と一冊の本」(1976年)を直接引用し、「ミシェル・フーコーがどれほど間違っているかが再び測られる On mesure encore une fois combien Michel Foucault se trompe」と明示的に書く。ケテルの経験史的記述――ピネル=プッサンの正確な時系列、サルペトリエール病院前のピネル銅像「aliénés の恩人」の制度的位置、シャルル・ミュラーとトニー・ロベール=フルーリーの絵画によるピネル像の事後的構築――は、すべてスウェイン解釈構造のうえに配置される補強として位置づけられる。
スウェインの発祥論は、しかし、これら他の三者の単純な総合ではない。スウェインの操作の核心は、ピネル『論考』初版(共和暦9年)と第二版(1809年)の系統的区別という操作を、発祥論的議論の中核に据えた最初の歴史家であったことにある。フーコーがこの区別を踏み外したこと、エーがピネル個別文献の精密な分析を本格的に展開しなかったこと、ケテルがスウェイン以後の継承者として位置することを考えれば、スウェイン立場はもっとも基礎付けられた立場として、四者比較の結論を構成する。
四 現代精神医学への射程――DSM/ICD と「眼差しの客観性」幻想
スウェイン立場が同定した「狂気の主体」認識装置は、二〇〇年以上を経た現在もなお、われわれが精神医学として思考し実践しているものの構造的基盤を成している。本節以下では、現代精神医学が直面する根本的諸問題が、ピネル発祥点が立ち上げた問題空間のなかでいかに作動しているかを展望する。
第一の主題は、DSM/ICD の操作的精神医学とその哲学的不充足である。DSM-III(1980年)以降の操作的診断基準は、精神疾患を「観察可能な症状の集合」として記述することによって、診断の信頼性(rater 間一致度)を向上させることを目指してきた。この方向性は、それ自身としては重要な臨床的進歩を意味する。だが本論文が同定した発祥論的視角からは、DSM/ICD が回避しようとする問題――すなわち「狂気における主体の関与の逆説的構造」――は、回避することによっては解決されない問題である。スウェインがフーコーと実証主義者の双方に対して批判した「眼差しの客観性 l'objectivité du regard」幻想は、DSM/ICD の操作的精神医学において新たな形態で再現されている。
スウェイン『プレゼンテーション』が定式化したように、フーコー的「大分割」言説と、それを批判する実証主義的医学史言説とは、表面的には全面的に対立しながら、精神医学の歴史を「眼差しの客観性」の確立の歴史として読むという基本的構造において一致している。DSM/ICD の操作的精神医学は、まさにこの「眼差しの客観性」の制度的・国際的固定化として理解される。本論文の発祥論的視角からは、この方向性は精神医学の発祥点が立ち上げた認識装置――「狂気の主体」――の構造的回避であり、それゆえも臨床的にも限界を持つ。
第二の主題は、現代精神医学における「主体」概念の喪失と再発見の交互運動である。19世紀末から20世紀前半における精神分析(フロイト、ブロイラー)、現象学的精神病理学(ヤスパース、シュナイダー)、フランス力動論的精神医学(ジャネ、エー)、ラカン的主体論――これらすべては、ピネルが立ち上げた「狂気の主体」問題空間における異なる諸相である。これら諸相は、しかし、20世紀後半における DSM/ICD の興隆のなかで、しばしば「非科学的」「主観的」として周縁化されてきた。本論文の発祥論的視角は、これら諸相の再評価のための基盤を提供する。
五 シュナイダー現象学的精神病理学とエー器質力動論の刷新
本論文の発祥論的視角から再評価されるべき第一の伝統は、ハイデルベルク学派――ヤスパース、シュナイダー、フーバー――の現象学的精神病理学である。シュナイダーが『臨床精神病理学』(1950年初版、第一五版2007年)において展開した症状的アプローチ、特に統合失調症の一級症状(Symptome ersten Ranges)論は、しばしば DSM/ICD の操作的診断基準の哲学的前駆として位置づけられてきた。だがシュナイダー自身が一貫して用いた接続法 II(Konjunktiv II)の方法論的留保は、操作的診断基準が遺棄した「臨床的判断の不確定性」の自覚を表現する重要な装置である。
本論文の発祥論的視角は、シュナイダー現象学的精神病理学を、ピネル発祥点が立ち上げた「狂気の主体」問題空間の20世紀における精緻化として読み直すことを可能にする。シュナイダーの一級症状論は、操作的に運用可能な症候学的徴標を提供しつつ、同時にそれらの徴標が指し示す現象学的構造――「自我境界の動揺」「精神的相互理解の困難」「了解 Verstehen の限界」――を保存している。この構造こそ、本論文がスウェイン立場として採用するピネル発祥点の「狂気の主体」概念の20世紀的継承である。
第二の主題は、エー器質力動論の現代的刷新である。エーの組織力動論(日本語訳「器質力動論」)は、1950年代から70年代にかけてフランス精神医学界における主要な理論的潮流を成したが、ラカン的主体論と DSM/ICD の操作的精神医学の二重の影響のもと、20世紀後半以降の精神医学的言説のなかで相対的に周縁化されてきた。本論文が同定したエー長期的構造観――Étude n°2 動力論/機械論の振動、Étude n°3 三重の根、Étude n°4 哲学的系列、Étude n°7 ヒポクラテス的源泉――は、しかし、現代精神医学の根本的諸問題を思考するための、依然として最も生産的な枠組みの一つを提供する。
器質力動論の核心は、精神疾患を「意識の器質的・力動的脱組織化 désorganisation organo-dynamique de la conscience」として捉える視角にある。この視角は、神経生物学的還元主義(DSM/ICD の操作的精神医学が暗黙裏に前提とする立場)にも、心因論的単純化(フロイトの精神分析的決定論)にも還元されない第三の道として、現代神経科学の発展――特に意識の神経科学、計算精神医学、神経現象学――との接続可能性を保持している。本論文の今後の続編「アンリ・エー器質力動論の現代的刷新」(仮題)において、この接続の具体的諸相が検討される予定である。
六 ラカン的主体論の臨床的射程
本論文の発祥論的視角から再評価されるべき第三の伝統は、ジャック・ラカン(1901–1981)の主体論である。ラカンは、スウェインが同定したピネル発祥点の「狂気の主体」概念を、20世紀後半における最も急進的な形態において継承した人物である。ラカン『エクリ』(1966年)所収の諸論文――特に「精神病の可能な治療への前提的問い」(1958年)、「精神病における問題への前置きの問い」、後年のセミネール III『精神病』(1955–56年)――は、ピネル=エスキロール路線が立ち上げた「狂気における主体の関与の逆説的構造」を、ソシュール構造言語学と精神分析的経験の交差点において再定式化する作業である。
ラカンの「父の名 Nom-du-Père」概念、「象徴界・想像界・現実界」の三界トポロジー、「主体の構造的分裂 division du sujet」、「享楽 jouissance」概念――これらすべては、ピネルが「manie sans délire」概念のなかで定式化に失敗した構造的緊張、エスキロールが自我(le moi)概念によって部分的に修復した主体性の哲学的構造の、20世紀後半における精緻化として読まれる。スウェインとゴーシェが『人間精神の実践』(1980年)において展開した「他性体制のコペルニクス的革命 révolution copernicienne de l'économie de l'altérité」は、ラカン的主体論の発祥論的前提条件を構成する。
本論文の発祥論的視角は、しかし、ラカン的主体論の包括的承認を意味しない。ラカンの諸概念はも臨床的にも論争的であり、その理論的展開はしばしば臨床的実践から離れた抽象に向かう傾向を持つ。本論文が同定するのは、ラカン的主体論の出発点――「狂気における主体の関与の逆説的構造」――が、ピネル発祥点が立ち上げた問題空間と本質的に同型であるという事実である。この同型性の検証は、本論文の今後の続編「ラカン精神病論の発祥論的前提――ピネルからラカンへ」(仮題)において展開される予定である。
七 日本における精神医学的思考と日本補論の位置
本論文の発祥論的視角は、日本における精神医学的思考の固有性を考察するための基盤を提供する。日本における精神医学の制度的成立は、明治期の西洋医学導入(1872年東京医学校開設、1879年呉秀三のドイツ留学、1882年クレペリン体系の導入など)に始まる。だが日本における精神医学の成立は、単なる制度的輸入の問題ではない。スウェイン立場が提示する「狂気の主体」認識装置の哲学的前提――個別的自我の哲学的成立、神学的拘束からの自然領域の自律化、詩的自意識の確立、変性意識の儀礼的分節化――が、日本文化的伝統のなかでいかに準備されたか、あるいは準備されなかったかという問いが、日本における精神医学的思考の固有性を考察する上で不可欠である。
本論文の「日本補論」は、まさにこの問いに取り組む独立的考察である。古事記・日本書紀以来の日本文化的伝統における自意識・他性・主体性の哲学的構造を検討し、特に応神王権の構造的位置、軽太子と衣通姫の悲恋譚における詩的自意識の発生、神学的拘束の不在のもとでの「包摂された他者」の文化的処遇――これらの諸主題を通じて、日本における精神医学的思考の固有性の哲学的根拠を探る作業として、本補論は構成される。
日本補論の位置は、本論文の中心的議論――フーコー、エー、ケテル、スウェインの四者比較によるスウェイン立場の採用――を相対化するものではない。むしろ反対に、本論文の発祥論的視角を日本における精神医学的思考の固有性のなかで再活性化することによって、本論文の中軸命題を深化させる作業である。「狂気の主体」概念が西欧の哲学的・人間学的諸前提に立つ以上、日本における精神医学的実践はこれらの諸前提の文化的・歴史的差異を意識する必要がある。日本補論は、この意識の出発点として配置される。
八 本論文の限界と継続される課題
本論文は、序章七節でも予告したように、いくつかの限界を持つ。これらの限界を結論章において再確認し、今後の課題として明示しておきたい。
第一に、本論文は精神医学発祥論の網羅的研究ではない。発祥論的諸主題のうち、ドイツ語圏ロマン主義精神医学(ライル、ハインロート、グリージンガー)、英国における道徳的治療の独立的展開(テューク家、コノリー)、ロシア・ソビエト精神医学、北米における精神医学の独立的形成、日本における精神医学の制度的成立――これらすべての主題は、本論文の今後の続編に委ねられる。
第二に、本論文は精神医学発祥点以降の二〇〇年余りの展開を、本論文の各章において随伴的に触れるにとどまる。エスキロール、ファルレ、モレル、マニャン、シャルコー、ジャネ、フロイト、ブロイラー、クレペリン、ヤスパース、シュナイダー、エー、ラカン――これら個別人物の発祥論的位置の独立的検討は、本論文の今後の続編「ピネル後の精神医学的思考」(仮題)に委ねられる。
第三に、本論文は精神医学の倫理的・社会的次元、特に収容実践の暴力性、治療的権威の正当化、社会的他者の生産といった主題を、中心主題とはしない。これらの主題への接続は、本論文の今後の続編「精神医学的権威の発祥――倫理・権力・治療の三角形」(仮題)に委ねられる。
第四に、本論文は精神医学の理論的諸主題と並行する、精神医学の日常的・臨床的実践の構造を主題化しない。診療面接、治療同盟、診断書、退院プログラム、地域精神保健、家族介入――これらの実践的諸主題は、本論文の発祥論的視角からは、すべてピネルが立ち上げた「狂気の主体」問題空間における異なる諸相として理解されるが、それらの具体的検討は本論文の範囲を超える。
九 依然として継承者として――結語
本論文の中軸命題を、最後に簡潔に確認する。われわれは、二〇〇年以上を経た現在もなお、1800年前後のピネル発祥点が立ち上げた問題空間――「狂気における主体の関与の逆説的構造」――のなかで思考し、実践している。シュナイダー的「了解」、ヤスパース的「現象学」、ヘンリー・エー的「意識のレヴェル」、ラカン的「主体」、現代の現象学的精神病理学、神経現象学、計算精神医学――これらすべては、ピネルが立ち上げた問題空間のなかで作動している。DSM/ICD の操作的精神医学がこの問題空間を回避することによって達成しようとする「客観性」は、まさにスウェインが示したように、フーコーと実証主義者がともに共有していた「眼差しの客観性」幻想の継承であり、ピネル発祥論的視角からはすでに克服されているはずの遺制である。
本論文の採用するスウェイン立場は、しかし、ピネルの「正しさ」を主張するものではない。ピネル『論考』初版それ自体が、「manie sans délire」概念のなかで「狂気の主体」概念の発見と非主体的イメージ(盲目的衝動、血なまぐさい本能)の再導入を同時的に行うという構造的緊張を体現する文献である。発祥点とは、整合的な理論の到来ではなく、新しい問題が初めて思考可能になる構造的閾である。ピネルが立ち上げたのは、解決された問題ではなく、二〇〇年以上を経た現在もなお開かれた問題そのものである。
われわれが依然として継承者であるという認識は、それゆえ、過去への懐古ではない。それは、現在の精神医学的実践において、われわれが何を継承しているか、何を忘れつつあるかを、明示的に意識するための装置である。本論文の作業が、現代日本における精神医学的思考の固有性を深化させ、現在の臨床的実践に自覚をもたらす契機となることを期待する。
スウェイン自身が『プレゼンテーション』を結ぶ言葉を、本論文の結語としても採用する――
われわれは歩んだ道の意識化の始まりにいるに過ぎない……二世紀後、ピネルとともに狂気の主体の謎が知の舞台に現れた時に慎ましく始まった知的革命は、まだその始まりにすぎない。
本論文の作業は、この「始まりの意識化」に対する、日本語による一つの貢献である。読者諸氏の批判的検討と、本論文が立てる発祥論的命題への反論、修正、深化を、共同作業の精神において歓迎する。