一 なぜ日本補論を立てるのか――接ぎ木の問題
本論文の九章は、フーコー、エー、ケテル、スウェインの四者の発祥論を比較し、1800年前後のピネルにおける「狂気における主体 le sujet de la folie」認識装置の組み立てを発祥点と見定めた。この発祥は西欧の歴史的展開に固有の出来事である。だが、現代日本における精神医学的実践は、この西欧的発祥点が立ち上げた問題空間のなかで作動している。明治期以降の日本精神医学の制度的成立――東京医学校(1872年)、呉秀三(1865―1932)のドイツ留学、クレペリン体系の導入、内村祐之(1897―1980)のヘンリー・エー受容、土居健郎(1920―2009)の精神分析的考察、木村敏(1931―2021)の現象学的精神病理学――は、すべて西欧的発祥点の遺産のなかで作動している。
この事実は、重大な含みを持つ。日本における精神医学的実践は、西欧で発祥した認識装置を、日本文化的伝統という別の土壌に「接ぎ木 greffe」する作業として理解されうる。接ぎ木は園芸的にも医学的にも繊細な操作である。接がれる枝(西欧的概念)と、接ぎ受ける台木(日本文化的伝統)との間に、生理学的・構造的整合性がなければ、接ぎ木は失敗する。接ぎ木が成功するためには、両者の間に隠れた親和性が存在しなければならない。
本補論が問うのは、まさにこの接ぎ木の前提である。スウェイン立場が提示する「狂気における主体」概念は、ある特定の人間学的・哲学的諸前提――個別的自我の哲学的成立、神学的拘束からの自然領域の自律化、詩的自意識の確立、変性意識の儀礼的分節化――を要求する。これらの前提は、本論文の九章で示したように、ヒポクラテスからピネルに至る二千五百年の西欧的展開のなかで段階的に成立した。日本文化的伝統のなかで、これらの前提はいかに準備されたか、あるいは準備されなかったか――これが本補論の中心的問いである。
本補論の方法は、独立的な考察である。本補論は、本論文の九章で展開した中軸命題――スウェイン立場の採用――を相対化するものではない。むしろ反対に、その採用の哲学的射程を日本文化的伝統のなかで深化させる作業である。本補論の諸命題は、いずれも仮説的・試論的なものであり、今後の独立的研究において精緻化されるべき主題である。
二 神学的拘束の不在――西欧と日本の哲学的差異
本補論が見出す第一の主題は、神学的拘束の不在である。西欧における「狂気における主体」概念の発祥は、本論文第三章で詳論したように、ルネサンス Wier-Bodin 論争(1563―1585)における「自然と超自然の境界線の分節化、自然領域の自律化」を不可欠の哲学的前提とする。この分節化以前の中世においては、トマス・アクイナス『神学大全』が示すように、医学的(自然的)狂気と神学的(超自然的)狂気は区別されつつも統一的人間学の枠内に保持されていた。ウィエール『悪魔の幻惑について』(1563年)は、超自然的とされる現象群(魔女の告白)の大多数を自然的・医学的領域に移行させる操作によって、「自然領域の自律化」の決定的契機を構成した。
この操作は、西欧における強力な神学的拘束――キリスト教の一神論的世界観、創造神/被造物の存在論的区別、悪魔的・聖霊的諸力の実在性に関する神学的命題群、罪と恩寵の救済論的枠組み――が確立されていたからこそ意味を持つ。「神学的拘束からの自然領域の自律化」は、神学的拘束の存在を前提とする出来事である。神学的拘束がなければ、自律化という出来事自体が起こりえない。
日本における状況は、これと根本的に異なる。古事記(712年成立)・日本書紀(720年成立)以来の日本文化的伝統には、西欧的意味での「神学的拘束」が成立した形跡が乏しい。神道は組織的神学を持たず、奈良時代以降に導入された仏教は多元的諸宗派の並列として展開され、神仏習合という独自の宗教的混淆現象を生み出した。中世・近世日本における儒教の受容も、イデオロギー的徹底というよりは知識人教養としての性格を持った。一向一揆や島原の乱のような宗教的政治運動は存在したが、それらは西欧の宗教戦争のような神学的命題をめぐる体系的論争にはついに至らなかった。
この構造的差異は、日本において「自然と超自然の境界線の分節化」という Wier-Bodin 型の哲学的出来事が起こりえなかったことを意味する。境界線が公的・体系的に分節化されるためには、それに先立つ統一的神学体系が存在しなければならない。日本においては、自然と超自然は、最初から相互浸透的・流動的・多元的に編成されていた。「物の怪 mononoke」「神懸かり kamigakari」「狐憑き kitsune-tsuki」「死霊・生霊 shiryō, ikiryō」――これらすべては、自然的でも純粋に超自然的でもない、独自の位相を構成する。
この差異は、日本における精神医学的実践の固有性に深く関わる。狐憑きを近世末期の医学的言説のなかでメランコリア/精神疾患として再解釈する試み(呉秀三『我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設』1918年における問題提起など)は、西欧における Wier-Bodin 操作の遅れた再演として読むことができる。だが日本における「再演」は、まったく異なる構造的位置を占める。なぜなら、Wier-Bodin が前提とした「神学的拘束」が日本においては存在せず、それゆえ「自律化」という出来事の意味が根本的に異なるからである。
三 稲作と関係的自己――文明生態学的な傍証
前二節が論じた神学的・宗教的差異は、それ自体また特定の物質的・生態学的条件のうえに成立している。ただし本節の論拠は、前後の節の構造的・条件的な論証とは種類を異にする、因果的・説明的な傍証である。柱としてではなく、地平として、控えめに置くにとどめたい。
モンスーン・アジアの水田耕作は、灌漑用水の共同管理という不可避の構造的条件を生む。一家一農の単位では水利を維持することができず、村落共同体の全体が長期的な協調に与らなければ収穫は確保されない。タルヘルムらが2014年に Science 誌に発表した、中国国内の稲作地帯と小麦地帯の比較研究が実証的に示したように、この農業形態の差異は、文化的個人主義・集団主義の差異と相関する。日本列島は弥生時代以来この稲作文明圏に属し、その関係的・状況的な自己像――マーカスと北山忍が1991年に「相互依存的自己観 interdependent self-construal」として精緻化し、ルイ・デュモンが『個人主義論考』(1983年)において人類史的にはむしろ標準的な形態とみなした自己構造――を、何千年にもわたって反復的に再生産してきた。台木の側に関係的自己の系譜があらかじめ走っていたことの、これは一つの生態学的な傍証である。
これに対して、西欧における個別的・告白的自己が立ち上がる物質的条件――とりわけ14世紀の黒死病後の人口崩落と労働力の希少化が、農奴的束縛を緩め、自由の拡大と社会層の分岐をもたらした長期的過程――は、それ自体一個の独立した主題であり、人口史と監禁制度をめぐる別稿(松石「ヨーロッパにおける『大監禁』の歴史的意義――黒死病後の社会変動から17世紀危機への非直線的展開」、準備中)に譲る。本補論にとって西欧側の対照に必要なのは、日本が告白的・コギト的主体の経路を経由しなかったという一点のみであり、それは本補論および別稿「下泣きの主体」に説く、アウグスティヌスからデカルトに至る告白の系譜との対比によって足りる。ここで主張されるのは、主体意識の有無ではない。その形式と到達経路の差である。日本は、告白的・コギト的という西欧の一形式を経由することなく、関係的・詩的という別の経路において、自己を内に矛盾を孕んだ統一体として反省的に把握する構造に達したのである。
なお、農業生態学的論拠は、それ単独では過度に決定論的になる危険を孕む。タルヘルム仮説自体が指摘するように、同じ稲作圏であっても社会構造には大きな多様性があり、農業形態から自己構造への経路は複数の媒介変数を通じる。本節は、前節の神学的論拠や次節以降の詩的自意識論・変性意識論と並ぶ、互いに独立した傍証の一つにとどまるのであって、決して単一の説明因ではない。
四 詩的自意識の発生――古事記・万葉集における自己叙述
本補論が見出す第二の主題は、詩的自意識の発生である。西欧における「狂気における主体」概念は、人称代名詞「私」を中心とする自己叙述の確立を不可欠の哲学的前提とする。アウグスティヌス『告白』(4世紀末)、デカルト『方法序説』(1637年)に至る西欧的自意識の哲学的成立は、本論文第六章で詳論したヘーゲル『精神哲学』(1817年)におけるピネル承認――「狂気は理性の内部における矛盾」――の長期的前提条件を構成する。
日本文化的伝統における自意識の発生は、これと異なる経路を辿る。古事記・日本書紀の歌謡群(古事記歌謡、神武・崇神・景行・仲哀・応神・仁徳・允恭・雄略の歌謡)、特に万葉集(8世紀後半成立)における三千余首の和歌――これらは、西欧的「告白」の哲学的構造とは異なる、独自の詩的自意識の発生を示す一次資料である。和歌における「私 wa」「吾 are」「我 ware」の使用は、西欧的自我の確立とは異なる構造を持つ。和歌的自意識は、しばしば季節・場所・他者との関係性において自己を定位する関係的・状況的自意識であり、デカルト的「考える私 cogito」とは異なる位相を構成する。
この詩的自意識の最古層的な結晶が、古事記下巻允恭天皇条の軽太子と衣通姫(軽大郎女)の悲恋譚である。そこに歌われるのは、西欧的自我とは異なる関係的・詩的・歌謡的な自意識――告白的・コギト的とは別経路の、一個の成熟した自己構造である。これについては、後の第七節に改めて述べる。
五 変性意識の儀礼的分節化――神懸かり、物の怪、憑依
本補論が見出す第三の主題は、変性意識の儀礼的分節化である。西欧における「狂気における主体」概念は、自然と超自然の分節化を通じて、変性意識を医学的・科学的観察の対象として確立した。憑依・幻視・恍惚・予言――これらの変性意識の諸状態は、ルネサンス以降の西欧において、宗教的・神学的解釈枠組みから医学的・心理学的解釈枠組みへと移行した。
日本文化的伝統における変性意識の処遇は、これと異なる経路を辿る。古事記・日本書紀における神懸かり(神功皇后の神懸かり、卑弥呼の鬼道、巫女・口寄せの伝統)、物の怪(源氏物語における六条御息所、葵の上、紫の上らへの物の怪憑依)、能・狂言における憑依的演技(怨霊能、修羅能、現在能、夢幻能)、近世の生霊・死霊観念――これらすべては、変性意識を儀礼的・芸能的・物語的枠組みのなかに分節化する文化的装置である。
日本における変性意識の儀礼的分節化の決定的特徴は、それが「狂気」と「正気」の二項対立に還元されないことである。西欧における Wier-Bodin 以後の発展は、変性意識をめぐる宗教的解釈と医学的解釈の対立を通じて、最終的に「狂気における主体」概念の発生(ピネル1800年)に至る。日本における変性意識の処遇は、宗教的解釈と医学的解釈の対立構造をついに発生させなかった。神懸かりは、宗教的にも医学的にも、また芸能的・文学的にも、多元的・並列的に処遇された。
この構造的差異は、日本における精神医学的実践に深い含みを持つ。日本における統合失調症(旧名「精神分裂病」)、解離性障害、人格障害、変性意識を伴う宗教的体験――これらすべての臨床的諸主題は、西欧的「狂気における主体」概念の二項対立的構造には完全には還元されない。日本における臨床的実践は、変性意識の儀礼的・芸能的・物語的分節化という独自の伝統に支えられている。
本補論の仮説は、日本における精神医学的実践の独自性は、この「変性意識の儀礼的分節化」伝統に根ざす、というものである。西欧的「狂気における主体」概念を、この日本的伝統に接ぎ木する作業は、二重の慎重さを要求する。一方では、西欧的概念の哲学的射程を正確に把握すること。他方では、日本的伝統の固有性を保存しつつ、その構造を現代的に再活性化すること。この二重の作業の具体相は、なお試論の段階にとどまる。
六 包摂された他者――応神王権の構造と接ぎ木の二重性
本補論が見出す第四の主題は、「包摂された他者 l'autre inclus」の文化的構造である。西欧における「狂気における主体」概念は、本論文第六章で詳論したように、フーコーが『狂気の歴史』において記述した「大いなる監禁」――社会的他者の制度的排除――の構造的反転として理解されうる。ピネルが立ち上げた「狂気における主体」認識装置は、排除された他者を主体性の地位へと再回収する操作であった。
日本文化的伝統における他者の処遇は、これと異なる経路を辿る。古事記・日本書紀の応神王権(4世紀末から5世紀前半)は、百済からの渡来人――論語と千字文を伝えた王仁、経典を伝えた阿直岐、大量の渡来人を率いた弓月君――を、排除するのではなく王権の構造的中心へと包摂することを特徴とした。これは、外来の他者を排除しつつ自国民族的同一性を確立する西欧中世王権の構造と対極をなす。応神王権をこのように「包摂された他者」の鋳型として読む構造分析――Hocart の儀礼的中心論、Clastres の権力なき社会論、そして Piggott の雄略期ヤマト王権論に依拠する分析――は、本補論と別系列をなす古代史研究(Commentarius XII「Himiko-Yamatai」ほか)に委ね、ここではその結論のみを台木論の一要素として受け取る。
この構造は、日本における精神医学的実践に、包摂と排除の二重性をもたらす。一方で、西欧的な「大いなる監禁」型の排除は、日本においても確かに生じた――呉秀三が1918年に告発した私宅監置、あるいは戦後の長期収容がその実例である。他方で、日本における病者の処遇は、その排除構造には完全には還元されない包摂の諸相をも併せ持ってきた。重要なのは、いずれか一方を日本の固有性として性急に押し出さないことである。別稿「下泣きの主体」が、家責任のような身分制一般の特徴を固有性から慎重に排したように、ここでも台木の固有性は、包摂か排除かという択一にではなく、両者が分かちがたく交錯するというその二重性の様式そのものに存する。この二重性の臨床的・歴史的な具体相の検討は、本補論の今後の課題として、別に期したい。
七 軽太子と衣通姫の悲恋譚――詩的自意識の最古層的結晶化
第四節に最古層的な結晶として挙げた軽太子・衣通姫の悲恋譚は、本補論が台木の固有性の一つとする「告白を経由しない詩的・関係的な自己対象化」の、古事記允恭朝条における結晶である。「斯多(した)」の一語に畳み込まれた情念の重層性、衣通姫の三人称的自己呼称、社会的視線を前提とする「下泣き」の構造――これらの精読は、古代史研究の独立論文「軽太子と衣通姫――允恭朝の歌物語」に委ねる。そして、その発祥論的射程の全面展開は、本補論に続く別稿「下泣きの主体――軽太子・衣通姫歌物語と『狂気における主体』の台木」に委ねる。そこでは、関係的・詩的自己/コギト的・告白的主体/狂気における主体という三つの位相を区別したうえで、この歌物語を、西欧的発祥の諸前提のうち何が構造的に不可欠であったかを測る自然実験の、最古層的証言として位置づけ直している。
八 「狂気における主体」の日本的接ぎ木――三つの課題
本補論のここまでの諸考察を踏まえて、「狂気における主体」概念の日本的接ぎ木が直面する三つの課題を整理する。
第一の課題――神学的拘束の不在がもたらすもの。スウェイン立場が前提とする「自然領域の自律化」(西欧における Wier-Bodin 操作)は、日本においては「自律化されるべき神学的拘束」が最初から存在しなかったがゆえに、不在である。日本における「狂気」の処遇は、最初から自然的・超自然的・社会的・芸能的諸領域の相互浸透のなかで構造化されてきた。この構造を、西欧的二項対立(自然 vs 超自然、医学 vs 宗教、客観 vs 主観)の枠組みに無理に押し込むことは、日本における精神医学的実践の固有性を隠蔽することになる。
第二の課題――関係的・詩的自意識と西欧的自我概念の接合。スウェイン立場が前提とする「狂気における主体」概念は、西欧的自我概念――個別的・確立的・告白的・cogito 的自意識――の上に立つ。日本文化的伝統における関係的・詩的自意識は、これと異なる構造を持つ。両者の接合は、単純な並列でも翻訳的還元でもなく、二重の哲学的構造を保持する繊細な接ぎ木として実行されなければならない。
第三の課題――変性意識の儀礼的分節化と精神医学的診断構造の接合。日本における精神疾患患者の臨床的処遇は、変性意識の儀礼的・芸能的・物語的分節化という独自の伝統に支えられている。DSM/ICD の操作的診断構造は、この伝統との衝突を必然的に引き起こす。日本における精神医学的実践は、操作的診断の国際的標準性と、変性意識の儀礼的分節化という日本的伝統の固有性とのあいだを、慎重に行き来する作業を要求される。この二重性の臨床的・倫理的な含みは、なお検討を要する地平である。
九 日本精神医学の固有性と本論文の射程――結語
本補論のここまでの諸考察を、最後に簡潔に整理する。日本における精神医学的実践は、本論文の九章で見定めた西欧的「狂気における主体」概念の発祥点の遺産のなかで作動しつつ、同時に、独自の日本文化的伝統――神学的拘束の不在、関係的・詩的自意識、変性意識の儀礼的分節化、包摂された他者――に支えられている。この二重性は、日本における精神医学的実践に固有の困難をもたらすと同時に、独自の可能性をも開く。
困難の側面は、西欧的概念の機械的輸入が日本文化的伝統の固有性を隠蔽する危険である。DSM/ICD の操作的診断構造の日本的運用、エビデンスに基づく医療 (EBM) の国際的標準性の追求、薬物療法の生物学的還元――これらすべては、日本的伝統との衝突を必然的に引き起こす。日本における精神医学的実践がこの困難を自覚することは、現代日本における精神医学的思考の独自性のための不可欠の前提である。
可能性の側面は、日本文化的伝統が持つ諸特徴――関係的自意識、変性意識の多元的処遇、包摂的他者観――が、現代精神医学が直面する根本的諸問題に対して独自の寄与を提供しうる、という可能性である。木村敏の現象学的精神病理学、土居健郎の精神分析的考察、森田正馬の森田療法、内村祐之のヘンリー・エー受容、中井久夫の臨床的・芸能的アプローチ――これらすべては、日本文化的伝統と西欧的精神医学の接ぎ木の試みであり、その諸成果は今後の継続的検討に値する。
本補論の独立的考察は、本論文の中軸命題――1800年前後のピネル発祥点に見出される「狂気における主体」認識装置のスウェイン立場採用――を相対化するものではない。むしろ反対に、その採用の射程を日本文化的伝統のなかで深化させ、現代日本における精神医学的思考の独自性のための基盤を提供する作業である。
本補論で展開した諸主題――神学的拘束の不在、詩的自意識の発生、変性意識の儀礼的分節化、包摂された他者、応神王権、軽太子と衣通姫――は、いずれも仮説的・試論的なものであり、今後の独立的研究において精緻化されるべき主題である。これら諸主題の検討は、本論文の今後の続編「日本精神医学の発祥――森田正馬から土居健郎まで」(仮題)に委ねられる。なお、第二主題(詩的自意識の発生)については、本補論に続く日本補論B「下泣きの主体――軽太子・衣通姫歌物語と『狂気における主体』の台木」として独立に展開した。当初「軽太子と衣通姫の悲恋譚――詩的自意識の最古層的結晶化」(仮題)として予告したものが、これである。