序論 二つの読みの登録——鑑賞と発祥論
本附論は、二つの異なる読みの登録(register)のあいだに立つ。第一の登録は文学的鑑賞であり、これが一義である。古事記允恭朝条に収められた木梨之軽太子と衣通姫の歌謡群——「斯多」という一語に重層化した禁忌の情念、衣通姫の三人称的自己呼称、社会的視線を前提とする「下泣き」の構造——は、先行論考「軽太子と衣通姫——允恭朝の歌物語」[1]において、ストア派四基本情念を分析道具とする精読の対象とした。それらの歌は、何よりもまず、二千数百年にわたって読み継がれてきた叙情の結晶として読まれるべきものである。本附論はその文学的読解を前提とし、それを反復するのではなく、そこから一歩だけ後ろに退いて、別の問いを立てる。
第二の登録は、精神医学の発祥論である。本論文[2]は、ピネル前後(1800年)に組み立てられた「狂気における主体 le sujet de la folie」の認識装置を発祥点として同定し、その採用にあたってスウェイン立場[3][4]を採った。日本補論[5]は、この西欧的発祥点が立ち上げた問題空間に、日本における精神医学的実践がいかに「接ぎ木 greffe」されたかを問い、その台木(臺木)の哲学的・人間学的前提を四つの主題——神学的拘束の不在、詩的自意識の発生、変性意識の儀礼的分節化、包摂された他者——として素描した。本附論が引き受けるのは、このうち第二の主題、詩的自意識の発生である。
あらかじめ断っておかなければならないことが二つある。第一に、本附論は司法精神医学の責任能力論と張り合うものではない。中田修から中谷陽二、影山任佐へと続く日本司法精神医学の系譜は、マクノートン以後の精神鑑定史と犯罪精神病理学において巨峰を成すが[6]、それは「責任能力」という、すでに個別的主体を前提とした地点から作動する学である。本附論の関心はその上流——責任能力という問いが成立しうるための、主体化(subjectivation)それ自体の条件——にあり、両者は争う関係にない。第二に、本附論は軽太子の精神状態を遡及的に診断するものではない。歌謡を臨床的資料として読むことは、本論文が一貫して批判してきた範疇錯誤に他ならない。本附論が読むのは、診断の対象としての心ではなく、後に診断という問いそのものを可能にする反省的自己の最古層的構造である。
すなわち本附論の方法は、文学的鑑賞が一義的に与える読解の所産を、発祥論の台木問題に対する一次資料として位置づけ直す、という二重化の作業である。鑑賞は目的であり、発祥論はその所産に与えられる学術的体裁である。両者は対立せず、後者は前者の達成の帰結として現れる。
第一章 鑑賞が与えるもの——分裂を知る自己
先行論考の精読が取り出したのは、要約すれば次の三つの構造である。本章はそれを発祥論的に再記述するための準備として、鑑賞の所産を圧縮して掲げる。
第一に、情念の混交としての自己。軽太子の志良宜歌における「斯多(した=下・密か)」という限定は、禁忌の欲望、発覚への恐怖、逢瀬の快楽、内面化された悲嘆——ストア派の枠組みで言えば cupiditas, metus, voluptas, aegritudo の四基本情念——を、個別に析出されえない混交のなかで一語に畳み込む[1]。ここで決定的なのは、これらの情念が継起的にではなく同時的に、しかも相互に矛盾しつつ脈動していることである。歌う主体は、単一の感情の担い手ではなく、内部に複数の対立する力を孕んだ場として自己を表現している。
第二に、社会的視線の内在化。「下泣き」という語が前提とするのは、泣くこと自体ではなく、泣くことを隠さなければならないという意識である[1]。衣通姫の歌「比登斯理奴倍志(人知りぬべし=人が気づくであろう)」もまた、自己の行為を他者の眼差しのもとに置き、その眼差しに照らして評価する反省的構造を露わにする。自己は、もはや行為のなかに溶け込んでいるのではなく、外部の視線によって二重化されている。
第三に、自己の対象化。衣通姫が自らを三人称で——「軽の乙女」として——呼びかけるとき、自己を外部から眺める視点が出現する[1]。「衣通」という名の由来(その麗しさが衣を通って輝き出たという記述)が自己の身体を外から見る視線の内在化を示すことも、先行論考が指摘したとおりである。ヤマトタケルの国偲び歌に見られた単一方向の叙情——望郷という一つの情念——とは異なり、ここには自己を一個の客体として取り扱う操作が現れている。
これら三つの構造を貫くのは、自己を、内部に亀裂を孕んだ統一体として意識するという事態である。複数の矛盾する情念が同時に渦巻くからこそ、それを「私」という一つの場に帰属させる反省が要請される。逆に言えば、自己が単一・透明であるならば、これほどの内的緊張も、三人称的自己呼称も、視線の内在化も必要とされない。軽太子・衣通姫の歌が叙情の結晶でありうるのは、それが分裂を分裂のまま抱え込む自己を、口承の直接性のなかで言語化しているからである。これが鑑賞の与える核心であり、次章以降の発祥論的考察の唯一の素材である。
第二章 三つの「主体」——位相の区別
前章が取り出した「分裂を知る自己」は、いかなる意味で「主体」なのか。この問いに答えるには、しばしば混同される三つの位相を区別しなければならない。
(一)関係的・詩的自己。軽太子・衣通姫の歌が示すのは、他者(妹/夫)との関係性のなかで、社会的禁忌の只中で、しかも歌謡という口承的形式において確立する自己である。これは季節・場所・他者との関係において自己を定位する和歌的自意識の最古層であり[5]、マーカスと北山が「相互依存的自己観」と呼んだ構造の詩的結晶化と読みうる[7]。それは独白でも告白でもなく、応酬と関係のなかで立ち上がる。
(二)コギト的・告白的主体。これに対し、アウグスティヌス『告白』からデカルトに至る西欧的自意識は、神あるいは自己自身に対して単独で向き合う、独白的・確立的な自我である。デュモンが論じたように、この個別的個人は人類史的にはむしろ特殊な変異であって、世界大では関係的自己構造のほうが標準的である[8]。日本補論が文明生態学的・神学史的に論じたとおり、日本においてこの位相は「自発的には」成立しなかった[5]。
(三)狂気における主体。そして第三に、ピネルが1800年に立ち上げた le sujet de la folie がある。これは(二)とも異なる。狂気における主体とは、理性と非理性の担い手として、医学的・法的知の対象として構成された個別的主体である。ヘーゲルが『精神哲学』(1817年)においてピネルを承認しつつ定式化したように、ここで狂気は「理性の内部における矛盾」として——理性を喪失した外部としてではなく、理性そのものの内的分裂として——把握される[5][9]。狂気における主体が成立するためには、自己が内部に矛盾を抱えうる統一体として、すなわち自己自身に対して分裂しうるものとして、あらかじめ構造化されていなければならない。
ここに本附論の鍵がある。軽太子・衣通姫の歌が示すのは(一)の関係的・詩的自己であって、(二)のコギト的主体ではない。日本はコギト的主体を経由しなかった。しかし——そしてこれが論点である——(三)の狂気における主体が要求する最小限の構造、すなわち自己を内部に矛盾を孕んだ統一体として反省する能力は、(二)を経由せずとも(一)において既に達成されている。前章で見た「斯多」の情念混交、分裂を分裂のまま抱える自己こそ、まさにこの最小構造の最古層的現れである。コギト的告白の超構造を欠きながら、反省的・自己分裂的な基層を、詩的・関係的な経路において日本は持っていた。これが「台木」の内実である。
第三章 日本という自然実験
前章の区別は、発祥論に対して一つの実験的問いを開く。西欧における狂気における主体の成立は、本論文が論じたように、一連の固有の前提——ルネサンスの Wier-Bodin 論争における自然/超自然の分節化、アウグスティヌスからデカルトに至る告白的・コギト的自己の長い系譜、そしてピネル的切断——の上に段階的に成立した[2][5]。日本はこれらのいずれをも経由していない。神学的拘束が存在しなかったがゆえに自然領域の自律化という出来事も起こりえず、告白的・コギト的自己の系譜を自前で辿ることもなく、ピネル的発祥点を自前で持たないまま、明治期に完成形の認識装置を接ぎ木として受領した。
したがって日本は、発祥論にとっての自然実験(natural experiment)を構成する。問いはこうである——西欧の諸前提のうち、どれが狂気における主体にとって因果的に必要であり、どれが西欧に固有の偶然的経路にすぎなかったのか。もし西欧的前提を欠く台木のうえに接ぎ木が活着したとすれば、二つの可能性がある。第一に、それらの前提は不要であり、関係的・詩的自己が機能的前提条件を「別経路で」満たしていた可能性。第二に、活着は部分的・変形的であり、その変形の様式こそが、何が構造的に荷重を担っていたか(load-bearing)を露わにする可能性。
軽太子・衣通姫の歌謡は、この実験における台木側の最古層的証言として位置づけられる。それは、コギト的告白の前提を欠く文化が、それでもなお自己を分裂的・反省的に把握しうることの、8世紀に文字定着された証拠である。すなわち日本は、狂気における主体の接ぎ木に先立って、その活着を可能にする反省的基層を、神学的・告白的経路によらずに保持していた。第一の可能性——前提の一部は西欧固有の偶然的経路にすぎなかった——を支持する一次資料として、本附論は軽太子・衣通姫歌物語を提出する。
この問いの立て方は、西欧の発祥史家(フーコー、スウェイン、ゴーシェ、エー、ケテル)が日本を視野に持たなかったがゆえに、また日本の司法精神医学の系譜が発祥の考古学に遡らなかったがゆえに、いずれの側からも立てられてこなかった。発祥史の掌握と日本古層の精読とを同時に行う者にしてはじめて走らせうる実験である。本附論はその実験の——文学的鑑賞を一義とする——ささやかな第一歩にとどまる。
第四章 二つの留保——欠如としてではなく、家責任としてでもなく
この自然実験には、二つの陥穽がある。本章はそれを明示し、論の射程を限定する。
第一の留保——欠如としての読みを避ける。発祥という枠組みは、ともすれば日本を「主体を欠いた」前近代として、すなわち欠如(deficit)として読む誘惑を孕む。これは誤りである。軽太子・衣通姫の歌が示すのは主体の不在ではなく、主体の別の分節である。関係的・詩的自己は、独白的・告白的自己の未熟形態ではなく、それと並ぶ一個の成熟した自己構造である。本附論の論点は、日本が遅れていたということではなく、むしろ逆に——西欧が辿った告白的・神学的経路が、狂気における主体にとって唯一の道ではなかったことを、日本が脱自然化(dénaturaliser)してみせる、ということである。日本は西欧の物差しではなく、西欧の偶然性を測る物差しである。
第二の留保——家責任に固有性を求めない。日本における前近代の狂気処遇——乱心者に対する減免、「家」を単位とする責任の分節——は、一見すると関係的自己構造の刑事的表現に見える。しかしこれは日本に固有のものではない。身分制社会が存続するかぎり、家系・血統を責任の単位とする思考はヨーロッパにも広く存在した(英国法の attainder と corruption of blood、大陸の財産没収、縁座的処罰)。狂気による減免もまた、アンシャン・レジーム末期のフランスに——たとえば狂気状態の自殺者が断罪を免れ財産没収を免れたように——存在した。責任の個別化は、フランスでは革命と1810年刑法典第六四条(行為時の心神喪失 démence を無答責原因とする)によって、日本では身分制瓦解の遅れゆえに明治の旧刑法を俟って遂行された。したがって家責任も狂気減免も、日本を西欧から区別する指標にはならない。
真の日本固有性は、家責任のような身分制一般の特徴にではなく、より深い層に局限される。すなわち——(一)自然/超自然を公的・体系的に分節する神学的拘束の不在、(二)神懸かり・物の怪・憑依が正気/狂気の二項対立に潰れることなく多元的に処遇される変性意識の分節化、(三)外来の他者を排除ではなく包摂の構造へ組み込む鋳型[5]、そして本附論が加える(四)告白を経由しない詩的・関係的経路における自己対象化——この四点である。発祥論の鋤は、ここに当てるときにのみ深く入る。軽太子・衣通姫の歌が発祥論に寄与しうるのは、それがこの第四の固有性の最古層的結晶だからであって、責任能力の前史としてではない。
結語 鑑賞の優位
本附論は、軽太子・衣通姫歌物語が結晶させた詩的自意識を、精神医学の発祥論の台木問題のなかに位置づけた。歌が示す「分裂を知る自己」は、コギト的告白の超構造を欠きながら、狂気における主体が要求する反省的・自己分裂的な最小構造を、詩的・関係的経路において既に達成していた。日本はこの台木のうえに西欧的発祥点を接ぎ木したのであり、それゆえ日本は、西欧の諸前提のうち何が必要で何が偶然であったかを測る自然実験となる。ただしこの読みは、日本を欠如として読むことを避け、また家責任のような身分制一般の特徴に固有性を求めることをも避けて、固有性を四つの深層に限定する。
しかし最後に確認しておかなければならない。本附論の発祥論的射程は、軽太子・衣通姫の歌の文学的価値の帰結であって、その代替ではない。これらの歌が二千数百年にわたって読み継がれてきたのは、それが発祥論の資料だからではなく、禁忌の情念がその全体性を——欲望と恐怖、歓びと悲嘆を矛盾のまま——口承の直接性のなかで顕わにしているからである。古事記の編纂者が、軽太子と衣通姫を規則違反者として記録しながらも、その情念を歌謡として保存し、固有の言語的存続を許したこと[1]——この独特の倫理的姿勢こそが、歌を叙情の結晶たらしめている。発祥論はこの結晶に与えられる学術的体裁であり、結晶そのものはあくまで鑑賞に属する。台木は接ぎ木のために存在するのではない。台木はそれ自身として、二千数百年にわたって花を咲かせてきた一本の樹である。