第5章 不安・恐怖関連症群

知的障害のある方に見落とされやすい併存症

コア層 約9分/全層 約22分
この章で学ぶこと

不安症は、こころの病気のなかでもっとも多くみられるものです。とりわけ知的障害のある方や、つらい経験をした子どもには高頻度に併発しますが、本人が言葉で訴えられないことが多いため、「行動の問題」と見なされて見落とされがちです。本章では、ICD-11における不安・恐怖関連症群の全体像、各疾患の臨床像、知的障害のある方における特徴的な現れ方、不安症状を引き起こす身体疾患(特に甲状腺疾患)、そして現場での対応と医療連携の目安について解説します。

1. はじめに

不安症は、こころの病気のなかで、いちばん多くみられるものです。子どもや若い人にも、よくおこります。

知的障害のある方や、つらい経験をした子どもには、もっと多くおこります。けれども、自分の気持ちを言葉でうまく伝えられないことが多いため、「行動の問題」と見られて、不安症であることに気づかれないことがよくあります。

利用者のいちばん近くにいる職員が、「もしかしたら不安症かもしれない」と気づくことが、よい支援の第一歩になります。

もっと詳しく:このマニュアルの背景

このマニュアルは、世界保健機関(WHO)が2022年に発表した国際疾病分類(ICD-11)にもとづいています。ICD-11は、世界中の臨床家にとって使いやすいことを大切にしてつくられました。

ICD-11では、不安症のなかまが「不安・恐怖関連症群」という独立したグループとして整理しなおされました。これまでの分類(ICD-10)は日本の現場ではあまり使われていなかったため、ICD-11への移行はスムーズにいくと考えられます。

2. 不安症のなかま(全体像)

不安症は、「何に対して不安になるか」によって、いくつかに分けられます。

「恐怖」と「不安」のちがい

恐怖は、いま目の前にある危険にたいする気持ちです。

不安は、これから起こるかもしれない危険にたいする気持ちです。

もっと詳しく:ICD-11で新しくなった点

ICD-11で、不安症のグループには次の新しい変更がありました。

強迫症(OCD)が、不安症のグループから分かれました。これは、強迫症が「恐怖の回路」ではなく「習慣的な行動の制御」の問題であることが、脳科学の研究でわかってきたためです。強迫症は「強迫症および関連症群」という別のグループになりました。このグループには、強迫症のほかに、身体醜形症、嗅覚関連症、心気症(健康不安症)、ため込み症、抜毛症、皮膚むしり症などが含まれます。これらに共通するのは、望ましくない考えや行動がくり返されることです。

分離不安症は、おとなでも診断できるようになりました。これまでは子どもの病気とされていましたが、おとなでも配偶者や子どもとの分離におびえる方がいることがわかってきたためです。

場面緘黙症が、不安症のグループに入りました。社交不安症と関係が深いことがわかったためです。

パニック症と広場恐怖症は、別々の病気として診断できるようになりました。両方ある場合は、両方の診断がつけられます。

「パニック発作を伴う」というしるし(指定子)がつけられるようになりました。パニック発作は、ほかの不安症でもおこることがあるためです。

持続期間などの数字の基準が、ゆるやかになりました。たとえば、全般不安症はこれまで「6か月以上」と決められていましたが、ICD-11では「数か月以上」となりました。世界規模の調査で、1〜2か月の場合と6か月以上の場合で、症状の重さや経過にほとんど差がないことがわかったためです。

心気症(健康不安症)は、不安症と強迫症の両方のグループに記載されました。両方の性格をもつためです。

3. それぞれの不安症

全般不安症(6B00

いろいろなことが、いつも気になり、心配しつづける状態です。仕事、健康、家族、お金など、心配の対象は広がります。

つぎのような症状をともないます。

現場で気づくポイント

知的障害のある方では、「心配ごと」を言葉にできないことが多いです。かわりに、つぎのような形で現れます。

・腹痛や頭痛をくり返し訴える
・同じ質問を何度もする(安心したい気持ち)
・予定の変更にひどく動揺する
・いつも何かにおびえているように見える

もっと詳しく:全般不安症

ICD-11では、特定の状況にとらわれない「自由浮動不安(free-floating anxiety)」が、全般不安症の中核的な特徴として残されました。これは、心配の内容を言語化することが難しい場合の診断にも有用です。

子どもでは、ルールに過度にこだわる、仲間の行動を監視・報告する、完璧主義的で宿題に異常に時間がかかる、安心を求めて何度も確認する、といった形で現れることがあります。

発症は20代から30代前半に多いですが、どの年代でもおこります。完全に治る(寛解する)ことは少なく、症状の波をくり返すことが多いです。

パニック症(6B01

パニック発作が、くり返しおこる病気です。

パニック発作とは、つぎのような症状が、とつぜん始まり、数分のうちに最大になる状態です。

発作の少なくとも一部は、「とつぜん」「理由なく」おこります。発作のあとは、「また発作が来るのではないか」という心配が続きます。

現場で気づくポイント

知的障害のある方は、発作の体験を言葉で説明できないことが多いです。とつぜんの激しい身体症状(過呼吸、嘔吐、ふるえ)、激しい泣き叫び、自傷行為、暴力的な行動として現れることがあります。

「とつぜん」「短い時間で」始まるエピソードのくり返しに注目してください。夜中にとつぜん目がさめてパニックになる場合(夜間パニック発作)もあります。

もっと詳しく:パニック症

パニック発作は、パニック症だけでなく、他の不安症(広場恐怖症、社交不安症、限局性恐怖症、分離不安症)でもおこります。ICD-11では、ほかの病気の文脈でパニック発作がおこる場合、その診断に「パニック発作を伴う」というしるしを付けることができます。

パニック症の方は、救急外来をくり返し受診し、心臓や呼吸器の不必要な検査を受けることがあります。発作が続いて起こると、特定の状況(電車、エレベーター、人混み)と発作が結びつき、その場所を避けるようになります。これが進むと、広場恐怖症を併発することになります。

広場恐怖症(6B02

「もし発作がおきたら、逃げられない」「助けを呼べない」と感じる場所に対する、強い恐怖です。

こわがる場所の例:

これらの場所を避けるか、付き添いがあるときだけ行ける状態になります。重症になると、外に出られなくなり、就労や受診ができなくなります。

もっと詳しく:広場恐怖症

ICD-11の広場恐怖症は、「逃げにくい場所、助けが得にくい場所」全般への恐怖として、広く定義されました。

パニック発作の経験がある方が広場恐怖症になることが多いですが、パニック発作がなくても診断できます。失禁や転倒、嘔吐などの「恥ずかしい身体症状」がおこることへの恐怖が中心の場合もあります。

発症は10代後半〜20代前半に多いです。慢性化しやすく、うつ病、気分変調症、物質使用症の併発リスクが高くなります。

限局性恐怖症(6B03

特定のもの・状況に対する、強い恐怖です。実際の危険よりも、ずっと大げさな恐怖になります。

よくみられる対象:

もっと詳しく:限局性恐怖症

子どもでは3歳ごろから現れることがあります。年齢に応じた恐怖(幼児が暗闇をこわがるなど)は正常な発達の一部であり、同年齢の子どもと比べて明らかに過度である場合のみ、限局性恐怖症と診断します。

血液・けが・注射への恐怖症では、迷走神経反射により失神することがあります。これはほかの恐怖症と異なる特徴です。注射のときに失神する方がいる場合は、横になった姿勢で行うなどの配慮が必要です。

子ども時代から続く限局性恐怖症は、自然に治ることはまれです。

社交不安症(6B04

人から悪く思われることを、強くおそれる病気です。

こわい場面の例:

これらの場面を避けるか、強い不安をかかえながら耐えることになります。本人は、赤面、発汗、ふるえなどの身体症状を気にしていることが多いです。

もっと詳しく:社交不安症

発症は8〜15歳に多く、就学とともに目立ってくることが多いです。「行動抑制(新しい状況をこわがり避ける気質)」がリスク因子ですが、それ自体は正常な気質の幅です。

知的障害のある方では、新しい職員や利用者との場面で過度におびえる、グループ活動に参加できない、視線を合わせない、声が極端に小さくなる、といった形で現れます。

不安をやわらげるためにアルコールに頼ることがあり、物質使用症の併発リスクが高くなります。

日本では「対人恐怖症」という独自の概念があり、ICD-11でも文化的な特徴として言及されています。他人に不快感を与えるのではないか(視線、表情、体臭など)という心配が中心になることが特徴です。

分離不安症(6B05

大切な人(愛着対象)と離れることに対する、強い恐怖です。

子どもでは、親や養育者と離れるのをいやがります。おとなでは、配偶者・恋人・子どもと離れるのをいやがります。

つぎのような形で現れます。

現場で気づくポイント

児童養護施設では、虐待を受けた子どもが信頼できる職員を見つけたとき、その職員から離れることに極端な恐怖を示すことがあります。職員の交代は、子どもにとって大きな試練になります。

不登校が分離不安によるものか、社交不安によるものか、あるいはほかの原因(いじめ、怠学)によるものかを見分けることが大切です。

もっと詳しく:分離不安症

年少児では、養育者のあとを常についてまわる、別の部屋にいるだけで泣く、かんしゃくを起こす、といった形で現れます。年長児では、親が事故にあう、誘拐されるなどの具体的な恐れを表現します。青年期では、社会的引きこもり、友人より家族と過ごすことを強く好む、といった形になります。

分離不安症は、うつ病、双極症、ほかの不安症のリスクを高めます。素行・反抗症、ADHDのリスクも高まります。

場面緘黙症(6B06

家庭ではふつうに話せるのに、学校など特定の場面では話せなくなる状態です。

少なくとも数か月以上続きます(入学直後の一時的なものは含みません)。話せないのは、言葉を知らないからではありません。

もっと詳しく:場面緘黙症

場面緘黙症は、社交不安症の一種として理解されています。話す場面での否定的評価への恐怖が背景にあります。

社交不安症との違いは、発症がより早い(多くは5歳未満、就学時に明らかになる)こと、わずかな言語の問題をともなうことがあること、話すよう求められたときに反抗的な行動がみられることです。

多くの場合、平均8年ほど続いたあとに症状が消えていきますが、社交不安症などの他の不安症が残ることもあります。

表出言語の評価は難しいですが、命令を実行したり絵を指さしたりする課題(受容言語の検査)には協力することが多いです。

4. 知的障害のある方の不安症

知的障害のある方の不安症は、見落とされやすいです。理由は、つぎの通りです。

不安症をうたがうサイン

・以前は平気だった場所や活動を急に避けるようになった
・同じ質問をくり返す
・常同行動が急に増えた
・夜眠れなくなった
・食欲が落ちた、おなかや頭の不調をうったえる
・特定の職員にひどく依存し、その人がいないと激しく動揺する
・とつぜん攻撃や自傷が出るようになった
・以前できていたことができなくなった(退行)

もっと詳しく:診断の覆い隠し(diagnostic overshadowing)について

「診断の覆い隠し」とは、知的障害のある方の行動上の変化が、すべて知的障害そのものに原因があるとされ、その結果として併発している精神疾患(不安症、うつ病など)が見落とされる現象をいいます。

知的障害のある方は、一般の方よりも不安症やうつ病になる頻度が高いことがわかっています。それにもかかわらず、適切に診断・治療されていないことが多いのが現状です。

現場の職員が「いつもとちがう」「以前とちがう」と気づくことが、診断の覆い隠しを防ぐ最大の手段になります。

5. 不安をひきおこす身体の病気

不安症状は、こころの病気だけでなく、身体の病気や薬の影響でもおこります。つぎのような病気が、不安症状の原因になることがあります。

甲状腺機能亢進症、甲状腺機能低下症、低血糖、不整脈、心不全、てんかん、気管支喘息、肺塞栓症、褐色細胞腫、副甲状腺機能亢進症、クッシング症候群、認知症、パーキンソン病、脳腫瘍など。

また、薬の影響でも不安症状がおこります。カフェインの取りすぎ、抗精神病薬による「アカシジア(じっとしていられない症状)」、ベンゾジアゼピン系の薬の離脱症状などです。

甲状腺の病気には特に注意してください

甲状腺の病気(特に甲状腺機能亢進症)は、不安症と非常によく似た症状を出します。動悸、発汗、ふるえ、落ち着きのなさ、体重の減少などです。

知的障害のある方は、こうした症状を自分から訴えることができないことが多いため、見落とされやすい病気です。

さらに大事なことは、医療保険のしくみのため、甲状腺の検査はルーティーンには行われないということです。そのため、お医者さんも気づくのが遅れることがあります。

甲状腺の腫れ(首の前のふくらみ)に最初に気づくのは、毎日入浴介助や着替えの介助をしている現場の職員です。首の前にふくらみがある、以前よりふくらんでいる、と感じたら、必ず医療職に伝えてください。

あわせて、つぎのような変化に気づいたら、甲状腺の病気を念頭において医療相談を行ってください。

6. 現場での対応と医療への相談

日常の支援で大切なこと

医療への相談を考える目安

つぎのような場合は、嘱託医や精神科医への相談を考えてください

・攻撃や自傷が、ひんぱんに、または激しく出ている
・食事、入浴、排泄、睡眠に大きな支障が出ている
・パニック発作と思われる発作がくり返し起こっている
・身体の症状がはっきりしていて、身体の病気の検査が必要
・薬を変えたあとに不安症状が出てきた、または悪化した
・支援を工夫しても、数週間以上、状態が変わらない
・外出が完全にできなくなった、食事が完全にとれなくなった

医療職に伝える情報

嘱託医や精神科医に相談するときは、つぎの情報を整理して伝えてください。