第6章 ストレス関連症群
知的発達症のある成人利用者を中心に――児童養護施設向けの詳細は付録へ
コア層 約15分/全層 約35分本章では、ICD-11におけるストレス関連症群(PTSD・複雑性PTSD・遷延性悲嘆症・適応反応症など)の診断体系を学び、当法人の中心的な支援対象である知的発達症のある成人利用者にこれらがどのように現れるかを扱います。あわせて、フラッシュバックや凍りつきが目の前で起きているとき、試し行動に出会ったとき、死別の直後に職員が何をするかを、手順として示します。施設内での不適切な対応・虐待、大切な人との死別、住まいや担当職員の変化は、知的発達症のある成人利用者にも深刻なストレスやトラウマを引き起こしえますが、重症度によって症状の現れ方が大きく異なり、「知的発達症だから」で片づけられて見落とされやすいという課題があります。児童養護施設で支援する子どもたちに固有の現れ方・対応の原則は、内容が大きくなるため付録「児童養護施設における理解」に独立してまとめています。
新任の方・時間のない方は、3節「その場でどうするか」と9節「知的発達症のある成人利用者とストレス関連症群」だけをお読みください。これだけで日々の業務に必要な内容は足ります。経験のある方・主任以上の方は、全体をお読みください。とくに10節の「医療職に伝える情報」は、抗精神病薬への短絡を防ぐうえで重要です。折りたたみの「もっと詳しく」は、関心のある方向けの補足です。
1. なぜ「ストレス」と「トラウマ」を学ぶのか
ストレス関連症群は、当法人の中心的な支援対象である知的発達症のある成人利用者にも深く関わる領域です。施設内での不適切な対応や虐待、大切な人との死別、住まいや担当職員の変化といった深刻なストレスやトラウマは、対象者の年齢や知的能力を問わず生じえます。ただし、認知・言語能力の水準によって症状の現れ方が大きく異なり、行動の変化として現れた症状が本人の特性と混同されて見落とされやすいという、知的発達症のある利用者に固有の課題があります(この点は本章9節で詳しく扱います)。
本章では、まずICD-11におけるストレス関連症群の診断体系を学びます。児童養護施設で支援する子どもたちの多くも、虐待・ネグレクト・家族の崩壊といった深刻な逆境を経験して施設に至っており、これらの体験が理解しにくい行動として表面化することが少なくありません。子どもたちに固有の現れ方や対応の原則については、内容が大きくなるため付録「児童養護施設における理解」に独立してまとめていますので、あわせてご参照ください。
近年の福祉実践では、「この人は何が悪いのか」ではなく「この人に何が起きたのか」と問う姿勢が基本とされています(トラウマインフォームド・ケア)。本章で学ぶICD-11の枠組みは、この問いに具体的な答えを与えるための臨床的な羅針盤です。
2. ストレス関連症群の全体像
ICD-11におけるストレス関連症群は、ストレスの強い出来事やトラウマとなる出来事の体験に直接関連して生じる精神疾患のグループです。診断には、特定できるストレス因(原因となった出来事)の存在が必要です。ただし、ストレス因があるだけでは診断は成立しません。CDDRは「ストレス因は必要ではあるが十分ではない原因である。ストレス因を経験した人の多くは疾患を発症しない」と明記しています(CDDR p.337)。またCDDRは「本群のすべての疾患において、それらの疾患を区別するのは、ストレスの強い出来事に応じて生じる症状の性質・パターン・持続期間──それに伴う機能障害とあわせて──である」と述べています(CDDR p.337)。
急性ストレス反応(QE84)── 病気ではないが、観察は続ける
恐ろしい出来事の直後に強い反応が出るのは、正常なことです。ぼんやりする、混乱する、悲しみ、不安、怒り、絶望、過活動、逆に動かなくなる、記憶が抜ける、現実感がなくなる、人と関わらなくなる、昏迷(動きも反応も止まる)、動悸や発汗といった自律神経の症状。これらはすべて、一過性のものであれば正常な急性ストレス反応に含まれます(CDDR p.362)。ICD-11はこれを精神疾患には含めず、「健康状態に影響を及ぼす要因」の章に置いています(CDDR pp.337, 361)。
この点は、本章全体の設計の土台にもなっています。CDDRは、ストレス関連症群のリストを示した直後に、「本群のカテゴリーは、最近のストレス性またはトラウマ性の出来事に対する正常な反応を分類するために用いてはならない」と明記しています(CDDR p.337)。
またCDDRは、次のように述べています。「トラウマ的出来事に対する正常な急性反応は、再体験を含め、心的外傷後ストレス症のすべての症状を含みうる。しかしこれらはかなり速やかに軽減しはじめる(例:出来事が終わってから、あるいは脅威的状況から離れてから1週間以内。ストレス因が続いている場合には1か月以内)」(CDDR p.343)。
以下は本マニュアルの運用上の考え方です。職員の仕事は、その場で見分けることではなく、決まった期間、決まった項目を観察し続けることになります。
診断は医師が行います。次の表は、報告すべき観察のチェックリストとしてお使いください。
| 時期 | 観察すること | どうなったら報告するか |
|---|---|---|
| 出来事の当日〜数日 | 睡眠(入眠・中途覚醒)、食事量、日中の活動、表情、混乱・ぼんやり、動悸や発汗、自傷・他害 | 自傷・他害、食事や水分がとれない、意識がはっきりしない場合は、その日のうちに医療職へ |
| 出来事が終わって約1週間 | 症状が軽くなり始めているか。ぶり返しの回数が減っているか | 軽くなり始めていない、または悪化している場合は報告する(CDDR pp.343, 362) |
| ストレス因が続いている場合(同室者・環境が変えられないなど)は約1か月 | 症状が大きく減っているか。新しい環境に慣れてきているか | 1か月たっても大きく減っていない場合は報告する(CDDR pp.343, 362) |
| その後(数か月) | 再体験らしい様子、特定の場所や人の回避、いつも警戒している様子が新しく出ていないか | 新たに出現した、または生活に支障が出ている場合は報告する |
1週間(ストレス因が続く場合は1か月)を過ぎても軽快の兆しがないときに、適応反応症やPTSDの可能性が検討されます(CDDR p.362)。この「1週間」「1か月」という節目に、必ず記録を見直すという運用にしてください。担当職員の記憶ではなく、記録で判断します。
もっと詳しく:二つの診断体系(ICD-11 と DSM-5)
精神疾患の診断には、世界で広く使われている二つの体系があります。WHO(世界保健機関)によるICD-11と、米国精神医学会によるDSM-5です。日本の医療現場では両方が使われており、本マニュアルはICD-11に準拠していますが、利用者の主治医の診断書にはDSM-5の用語が使われていることもあります。用語が違っても、同じ状態を指していることが多いと考えてください。
ICD-11のPTSDは、トラウマに特に固有の核心として、「再体験」──出来事が、ただ思い出されるのではなく、まるで今ここで再び起きているかのように体験されることを中心に据えています。CDDRは「トラウマ的出来事が現在において再体験される。それはただ思い出されるのではなく、今ここで再び起こっているものとして体験される」と述べています(CDDR p.339)。
なお、二つの診断体系の設計思想の違いや、複雑性PTSDが独立した診断として採用されるまでの経緯については、当法人の『精神医学マニュアル』の該当章で扱っています。
3. その場でどうするか
この節は、症状が目の前で起きているときに職員が実際に何をするかをまとめたものです。観察・記録・報告に加えて、「その場の対応」を第四の柱として身につけてください。
フラッシュバック・凍りつきが起きているとき
急に表情が変わる、目の焦点が合わなくなる、その場にいない人に向かって話す、急に叫ぶ、逆に固まって動かなくなる。こうした様子は、本人にとっては「今ここで、あの出来事が起きている」体験です(CDDR p.339)。過去の話をしているのではありません。
再体験(フラッシュバック)や凍りつきが起きていると思われるとき
- まず、視界に入る位置に立つ──正面や背後から急に近づかない。斜め前から、1メートル以上離れて止まる。可能ならしゃがんで目線を下げる。
- 名前を呼ぶ──ふだん呼んでいる呼び方で、静かに、1回。返事がなくても呼び続けない。少し間をおいてもう一度。
- 今いる場所と日付・時刻を伝える──「ここは○○(施設名)です」「今日は○月○日、午前9時です」「私は△△です」。この3つだけ。ゆっくり、間をあけて。
- 刺激を減らす──テレビ・音楽・照明。ほかの利用者や職員には離れてもらう。対応するのは一人にする。
- 身体に急に触れない──触れる必要があるとき(転倒の危険、移動が必要)は、必ず先に「肩に触れます」と声をかけてから、見える位置で、ゆっくり触れる。
- 指示や質問を重ねない──「どうしたの」「大丈夫?」をくり返さない。黙ってそばにいる時間をつくる。
- 収まるまで待つ──時計を見て、始まりと終わりの時刻を確認する。
- 収まったあとの関わり──責めない。「何を思い出したの」と聞き出さない。本人が自分から話し始めたら、さえぎらずに聞く。水分と休息をすすめ、いつもの日課に静かに戻す。
- 記録する──次の5点は必ず書く。
- きっかけと思われる刺激(音、におい、体位、言葉、人、時間帯)
- 始まりと終わりの時刻
- そのときの様子(目線、身体の動き、発語の内容、呼吸、失禁の有無)
- 職員が何をして、どうやって収まったか
- 収まったあとの様子(疲労、眠り込み、その場所を避けるようになったか)
- 背後から近づく、肩をつかむ、腕を引く──攻撃と受け取られ、反射的な暴力やけがにつながります。職員自身の安全のためにも避けてください。
- 大声で名前を呼び続ける、身体を揺さぶる──覚醒をさらに上げ、長引かせます。
- 「もう終わったこと」「忘れなさい」と言う──本人は今まさに体験しています。言葉は届かず、否定されたという記憶だけが残ります。
- 出来事の詳細を聞き出す──再体験を強め、症状を悪化させます。聞き取りは医療職・心理職の役割です。
- 複数の職員が同時に話しかける/取り囲む──一人が対応し、ほかは離れて見守ります。
- 「幻覚が出た」「妄想的だった」とだけ記録する──下の囲みを必ずお読みください。この記録の仕方が、不要な薬物治療につながることがあります。
CDDRは、次のように述べています。
PTSDのある人のなかには、重度のフラッシュバックという形でトラウマ的出来事を再体験し、それが幻覚のような性質をもつことがある。あるいは、脅威に対する過度の警戒が強く、パラノイア(被害的)に見えることがある。自分自身の思考であり内部から生じたものだと本人が認識している幻聴性の偽幻覚も、PTSDで起こりうる。これらの症状を精神症の証拠とみなしてはならない(CDDR p.343)。
知的発達症のある方では、この取り違えがとくに起こりやすくなります。本人が説明できないため、職員の記録がそのまま医師の判断材料になるからです。「幻覚あり」「独語あり」とだけ記録されれば、抗精神病薬が検討されても不思議ではありません。
「いつ・どんなきっかけで起きたか」を必ず記録に添えてください。特定の音・人・場所・体位・時間帯と結びついてくり返し起きているかどうかは、医療者にとっての手がかりになります。
試し行動に出会ったとき
わざと約束を破る、挑発する、「どうせ見捨てるんだろう」と迫る。こうした行動は、意地悪や反抗ではなく、過去にくり返し裏切られてきた経験から生まれた確認行動です(本章5節参照)。
関係を試すような挑発的・破壊的な行動が出たとき
- まず、自分の感情に気づく──腹が立ったと感じたら、それを口に出さない。声の大きさと速さを、意識して一段落とす。
- 行動と人を分けて言う──「そのやり方は認められません」。「あなたは」で始めない。人格を評価しない。
- 限度は一度だけ、短く、静かに伝える──「ここでは物を投げません」。理由を長々と説明しない。くり返さない。
- 関係が続くことを、言葉にして伝える──言い方の例:
- 「今は一度離れます。10分たったら、また来ます。」
- 「私はあなたの担当です。それは変わりません。」
- 「今日のことがあっても、明日も一緒にやります。」
- 「怒っています。でも、あなたをきらいにはなりません。」
- 離れる時間をつくる。ただし戻る時刻を言い、その通りに戻る──言った時刻に戻ること自体が、いちばん強い支援になります。
- 同じ日のうちに、必ず関係を修復する──落ち着いた場面で短く。「さっきは大変だったね。もう終わり。次はこれをやろう。」謝罪を要求しない。
- チームで共有する──同じ言い方・同じ限度で対応する。職員によって対応が違うと、試し行動はかえって強まります。
- 記録する──何が起きたか、職員が何を言ったか、どう修復したか。次の職員が同じ対応をとれるように書く。
- 「もうあなたとは話さない」「もう知らない」と言う──本人が心の奥で確信している「どうせ見捨てられる」を、こちらから裏づけてしまいます。数か月分の積み重ねが一言で崩れます。
- 罰として楽しみ・外出・面会をとりあげる──関係を人質にすることになり、試し行動の根を強めます。
- その場で謝らせる、反省文を書かせる──形だけの服従を学ばせるだけで、関係の修復にはなりません。
- 「わざとやっている」とだけ記録する──背景が伝わらず、次の職員が同じ失敗をします。
- 一人で抱え込む──二次受傷につながります。必ずチームに出してください(10節の「もっと詳しく」参照)。
死別の直後・悲嘆が続いているとき
利用者の高齢化にともない、親やきょうだいとの死別は、どの施設でも必ず起こります。知らせ方とお別れの機会の作り方は、その後の経過を大きく左右します。
利用者の家族・同居者・担当職員などが亡くなったことを伝え、その後を支えるとき
- 誰が・いつ・どこで伝えるかを先に決める──ふだんいちばん安心できる職員が、静かな個室で、家族の意向を確認したうえで伝える。廊下・食堂・移動中に伝えない。伝えたあと、少なくとも30分はそばにいられる時間を確保してから始める。
- 事実をあいまいにしない──「眠っている」「遠くへ行った」「旅に出た」と言わない。「亡くなりました。もう会えません。」と、短く、はっきり伝える。理解が難しい方にも、遠回しな言い換えをせず、同じ言葉をゆっくりくり返す。
- 反応を待つ──泣かない、無反応、話題を変える、笑う。どれも異常ではありません。時間をおいてから反応が出ることもあります。「わかっていない」と決めつけない。
- お別れの機会を必ずつくる──家族に相談し、可能なら通夜・葬儀・墓参りへの参加を検討する。難しい場合も、施設で写真に花を供える、手紙や絵を書く、思い出の品を選ぶなど、代わりの機会を必ず用意する。「わからないだろうから」と省かない。
- 故人の話をタブーにしない──本人が話し始めたら話題を変えない。写真や持ち物を急に片づけない。名前を出すことを避けない。
- 日課を大きく変えない──この時期に居室、担当職員、通所先、日課を変更しない。予測できる毎日そのものが支えになります。やむを得ず変える場合は、変更の理由と時期を繰り返し伝える。
- 週単位で記録する──睡眠、食事量、体重、日中の活動性、表情、故人に関する言動(探す、名前を呼ぶ、持ち物を離さない、部屋に行こうとする)、自傷・他害、作業や通所への参加。
- 半年を目安に医療へ相談する──死別から6か月を過ぎても強い悲嘆が続き、生活に支障が出ている場合は、上の記録を添えて相談する。(CDDRは「6か月未満、および一部の文化的文脈ではそれより長い期間しか続いていない悲嘆反応は、この要件を満たすものとみなされるべきではない」と述べています。CDDR p.349。ここでの「半年」は、本マニュアルとしての相談の目安です。)
- 「忘れなさい」「もう泣かないで」「元気を出して」──悲嘆そのものを否定する言葉です。本人は「この気持ちを出してはいけない」と学びます。
- 死を隠す、うそをつく──あとで知ったときの衝撃が大きく、職員への信頼が失われます。以後の支援全体が難しくなります。
- 本人に無断で故人の持ち物・写真を処分する──喪失が二重になります。
- 「理解できないから」とお別れの機会を省く──理解の程度にかかわらず、儀式に参加した体験そのものが残ります。
- この時期に環境を大きく変える──喪失が重なり、適応反応症の引き金になります。
4. 心的外傷後ストレス症(PTSD)6B40
心的外傷後ストレス症(PTSD)は、きわめて脅威的または恐怖を感じさせる性質の出来事(虐待、暴力被害、重大な事故など。短期のものでも、長く続いたものでもかまいません)を体験した後に、特徴的な症状が少なくとも数週間続く状態です(CDDR p.339)。
三つの中核要素
PTSDは、以下の3つの要素がすべてそろうことで特徴づけられます(CDDR p.339)。
- 再体験:トラウマ的出来事が、思い出されるのではなく、まるで今ここで再び起こっているかのように体験される。鮮明な侵入的記憶、フラッシュバック、その出来事を主題とする悪夢など。強い恐怖や恐れ、身体感覚をともないます。出来事について考えこむ・振り返るだけでは、再体験にはあたりません。
- 回避:再体験を引き起こしそうな手がかりを、意図的に避ける。頭の中で考えや記憶を締め出そうとする(内的回避)、その出来事を思い出させる人・会話・活動・状況を避ける(外的回避)。極端な場合、住まいや仕事を変えることもあります。
- 脅威が今も続いているという感覚:危険がいまも続いていると感じ続けている状態。過度の警戒や、予期しない物音などへの驚愕反応の亢進が、その現れの例として挙げられています。ドアに背を向けて座らない、車のミラーを何度も確認するなど、安全を確保するための新しい行動が加わることもあります。
三つめの要素について、CDDRは次のように述べています。「脅威が今も高まっているという持続的な知覚がある──たとえば、過度の警戒、または予期しない物音などの刺激に対する驚愕反応の亢進によって示されるように」(CDDR p.339)。「過覚醒(hyperarousal)」はDSM系の用語です。
また複雑性PTSDについては、次のように述べています。「複雑性心的外傷後ストレス症では、心的外傷後ストレス症とは異なり、驚愕反応が亢進するのではなく減弱する場合がある」(CDDR p.345)。
以下は本マニュアルの運用上の考え方です。じっと動かない、表情が乏しい、何にも反応しない──こうした様子を「落ち着いている」とだけ記録せず、そのままの観察として残してください。
経過──半数は3か月以内に回復します
CDDRは経過について、次のように述べています(CDDR p.340)。
- 症状の出現は、トラウマ体験から3か月以内のことが多い。ただし、何年もたってから症状が現れることもある(遅発性)。
- PTSDと診断された人のほぼ半数は、発症から3か月以内に症状が完全に回復する。
- 一方で、何か月・何年も症状が続く人もいる。トラウマを思い出させるものに触れたときや、新たなストレスが加わったときに、再燃することがある。
回復までの期間にも幅があることをふまえ、安全と予測可能性を保った環境を日々維持することを、支援の柱としてください。
もっと詳しく:PTSDの診断における「トラウマ」の範囲
ICD-11におけるPTSDの診断には、「きわめて脅威的または恐怖的な性質の出来事または一連の出来事」への暴露が必要とされます。CDDRが挙げている例は次のとおりです(CDDR p.339)。
- 自然災害・人為的災害を直接体験すること
- 戦闘、重大な事故、拷問、性暴力、テロ、暴力被害
- 急性で生命を脅かす病気(例:心臓発作)
- 他者の傷害や死を、突然・予期せず・暴力的な形で目撃すること
- 近しい人が突然・予期せず・暴力的に亡くなったことを知ること
入所・入院時の情報が限定的な場合も多く、職員が後から「この行動の背景にはこういう体験があったのか」と気づくことも少なくありません。わからない場合は「不明」と記録してください。推測で書かないことが、あとの評価を助けます。
なお、トラウマ的出来事を経験したという事実だけでは、PTSDがあることにはなりません(CDDR p.340)。同じ出来事のあとに、抑うつ症群、不安症、物質使用症、解離症などがPTSDなしに生じることもよくあります(CDDR p.344)。
※ 児童養護施設で支援する子どもにおけるPTSDの現れ方(トラウマ遊びの反復、退行など、大人とは異なる特徴。CDDR p.341)は、付録「児童養護施設における理解」で詳しく扱います。
5. 複雑性心的外傷後ストレス症(cPTSD)6B41
複雑性PTSD(cPTSD)は、ICD-11で新たに正式採用された診断で、長期・反復的なトラウマを経験した人の理解に特に重要な概念です。
cPTSDも、PTSDと同じくきわめて脅威的または恐怖的な性質の出来事(または一連の出来事)への曝露が診断に必要です。そのうえでcPTSDでは、その出来事が多くの場合、長期にわたる、または反復的なもので、そこから逃れることが困難または不可能である、という特徴があります。CDDRが挙げる例は、拷問、強制収容所、奴隷状態、ジェノサイド(大量虐殺)やその他の組織的暴力、長期の家庭内暴力、くり返される小児期の性的・身体的虐待などです(CDDR p.344)。PTSDの3つの中核要素(再体験・回避・脅威が今も続いているという感覚)に加えて、以下の持続的な困難をともないます(CDDR p.345)。
- 感情調節の重度で広汎な困難:小さなストレスへの過剰な反応、暴力的な爆発、無謀または自己破壊的な行動、ストレス下での解離(意識や現実感が途切れたようになること)、感情の麻痺(とくに喜びや楽しさを感じられないこと)
- 持続する否定的な自己概念:「自分は価値がない」「自分は負けた存在だ」といった信念に、そのストレス因に関連した深い恥・罪悪感・失敗感がともなう
- 対人関係の持続的困難:他者と近しく感じられない、関係を続けられない。人づきあいを避ける・見下す・関心をもたない。ときに強い関係をもつが、続かない
cPTSDをもつ人への支援の基本は、「予測可能で安全な関係性」を時間をかけて経験させることです。職員の頻繁な交替、ルールの一貫性の欠如、感情的な対応は、本人の症状を悪化させる可能性があります。逆に、職員チームが一貫した態度で、感情的にならず、本人の試し行動にも安定して応じ続けることが、長期的な回復の基盤となります。
もっと詳しく:「試し行動」の理解
cPTSDをもつ人は、しばしば「試し行動」と呼ばれる行動を示します。職員が本当に自分を見捨てないか、暴力的にならないか、約束を守るかを確かめるかのように、繰り返し挑発的・破壊的な行動を取ることがあります。
これは意地悪や反抗ではなく、過去の養育者・支援者から繰り返し裏切られてきた経験ゆえの、生存戦略としての確認行動です。本人は「この大人もきっと裏切る」と心の奥で確信しており、その確信を確かめずにはいられないのです。
試し行動への対応の基本は:
- 感情的に反応しない(怒鳴らない、見捨てない)
- 限度設定は冷静かつ一貫して行う
- 関係を切らない(「もうあなたとは話さない」と言わない)
- 後で必ず関係を修復する機会をもつ
- 職員チームで情報を共有し、一貫した対応をする
これらが繰り返される中で、本人は少しずつ「この大人は本当に違うかもしれない」と感じるようになります。ただし、その時間は数ヶ月から数年単位で考える必要があります。具体的な言い方の例は、本章3節にまとめています。
※ 児童養護施設で暮らす子どもにおけるcPTSDの重要性については、付録「児童養護施設における理解」で詳しく扱います。
6. 適応反応症6B43
適応反応症は、はっきりと特定できる心理社会的なストレス因(単一の出来事、続いている困難、またはそれらの組み合わせ)への不適応な反応です。中心にあるのは、そのストレス因やその影響へのとらわれ――過剰な心配、くり返し浮かぶ苦痛な考え、そのことばかり考え続けること――です(CDDR p.352)。
CDDRが挙げているストレス因の例は、離婚や関係の喪失、失職、病気の診断、障害の新たな発生、家庭や職場での対立です(CDDR p.352)。施設の文脈では、転居、生活環境の変化、家族との別離、施設入所そのもの、担当職員の交替、同居者の変化などが同等の重みをもつストレス因になりえます(このうちCDDRの例と直接重なるのは「障害の新たな発生」で、他は本マニュアルによる読みかえです)。
いつ始まり、いつまで続くか
- 症状は通常、ストレス因への暴露から1か月以内に現れます。ただし、3か月ほど遅れて始まることもあります(CDDR p.353)。
- 数日で消える一過性の反応は、通常は適応反応症とはしません(CDDR p.353)。
- ストレス因とその影響が終わったあとは、6か月以内に症状が治まります(CDDR p.352)。
- ストレス因が終わってから6か月を超えて症状が続く場合は、ほかの適切な精神疾患へ診断を変更するのが一般に適切とされています(CDDR p.354)。
以下は本マニュアルの運用上の考え方です。「適応反応症」という診断がついたまま何年も経過している利用者については、症状がいつから続いているかを記録で示せるようにしておいてください。
CDDRは、適応反応症の追加的臨床特徴として次のように述べています。
適応反応症の症状は通常、ストレス因が取り除かれたとき、十分な支援が提供されたとき、または当人が新たな対処の仕組みや方略を身につけたときに、軽快する(CDDR p.352)。
以下は本マニュアルの運用上の考え方です。記録には「何を調整したか」と「そのあとどう変わったか」を必ず書いてください。
知的発達症のある方における現れ方
CDDRは、子どもでは「とらわれ」が直接言葉で表現されず、身体症状(腹痛、頭痛)、秩序破壊的または反抗的な行動、多動、かんしゃく、集中困難、易刺激性、まとわりつきの増加として現れると述べています。また退行、夜尿、睡眠の乱れも、およそ1か月ほど持続する場合には適応反応症の現れでありうるとしています(CDDR p.353)。高齢者では、身体の訴えへのとらわれが、ストレス因に関連した苦痛のよくあるサインとされています(CDDR p.353)。
これらは、言葉での説明が難しい成人の観察にもそのまま応用できます。
| 領域 | 軽度知的発達症 | 中等度知的発達症 | 重度・最重度知的発達症 |
|---|---|---|---|
| 出来事へのとらわれ | その出来事について繰り返し話す、繰り返し尋ねる、先の心配を口にする | 同じ質問のくり返し。関係する場所・人・物のところへ何度も行く | 言葉には出ない。関係する場所や物の前で立ち止まる、探し回る |
| 気分・情緒 | 不安や落ち込みを言葉にできる。「もういやだ」などの発言 | 表情が乏しくなる、涙もろい、怒りっぽい | 易刺激性の増加、反応が乏しくなる、笑わなくなる |
| 身体症状 | 頭痛・腹痛・吐き気・食欲不振を訴える | 頭痛・腹痛を身ぶりで示す。受診や薬を頻回に求める | 食事量の低下、嘔吐、下痢・便秘、体重の減少 |
| 退行 | できていた作業や身のまわりのことをしなくなる | 介助を求めることが増える。まとわりつきの増加 | 夜尿・失禁の再燃。これまでできていた動作ができなくなる |
| 行動 | 欠席・遅刻、閉じこもり、飲酒や喫煙の増加 | 拒否・かんしゃく、特定職員へのはりつき、活動からの離脱 | 常同行動の激化、自傷・他害、多動、睡眠の乱れ |
※ この表は、CDDRが子ども・高齢者の適応反応症の現れ方として記載している内容(CDDR p.353)を、言語での説明が難しい成人利用者の観察に読みかえて整理したものです。CDDRに知的発達症のある成人についての独立した記載があるわけではありません。
※ 児童養護施設における入所直後・進学進級時などの適応反応症的な変化については、付録「児童養護施設における理解」で詳しく扱います。
7. 遷延性悲嘆症6B42
大切な人(配偶者・親・子ども、その他の近しい人)を亡くしたあと、亡くなった人への強い恋しさ、またはその人のことで頭がいっぱいになる状態が続き、それに激しい心の痛みがともなう状態です。悲しみ、罪悪感、怒り、否認、非難、死を受け入れられない感覚、自分の一部を失ったという感覚、よい気分を感じられないこと、感情の麻痺、人づきあいや活動に取り組めないことなどとして現れます(CDDR pp.348–349)。
診断の要件は次のとおりです(CDDR p.349)。
- その悲嘆反応が、本人の属する社会・文化・宗教の規範からみて明らかに長すぎる期間続いている
- 死別から6か月未満の悲嘆反応は、この要件を満たすものとみなしてはならない(文化によってはさらに長い期間が必要)
- 生活に重大な支障が出ている(機能を保てている場合でも、そのために著しい追加的努力を要しているなら要件を満たす)
死別後しばらくの深い悲しみは、正常な悲嘆であり、病気ではありません。CDDRは、本人と同じ文化・宗教を共有する人たち(家族、友人、地域)が、その反応や期間を「異常だ」と見なすかどうかを考慮することがしばしば重要だとしています(CDDR p.349)。
施設で見えるサイン
CDDRは、次のような現れ方を挙げています(CDDR pp.349–350)。
- 故人の持ち物を、亡くなる前とまったく同じ状態のまま保とうとする
- 故人を思い出させるものに、過度にとらわれることと、逆に徹底的に避けることの間で揺れる
- 故人のよい思い出を思い出せない、人を信じられない、社会的に引きこもる、生きる意味が感じられない
- 飲酒・喫煙などの増加、自殺念慮・自殺行動の増加
- 言葉で「恋しい」と説明できない場合、故人が戻ってくるのを待つ、最後に会った場所へ戻ろうとするといった行動として現れる(CDDRは子どもについて述べていますが、言語化が難しい方の観察にも通じます)
- 高齢者では、持続する抑うつ、自分の一部を失った感覚、空虚感の増強という形で現れることがある。喪失に呆然として茫然自失となることもよく見られる。そして身体の訴えへのとらわれが、この年代では苦痛の主なサインとして見出されることが多い
重度・最重度の知的発達症のある方では、「死」という出来事の意味を理解することが難しい場合が多く、遷延性悲嘆症という形で問題になることは、これまで多くありませんでした。かわりに現れやすいのは、「会えなくなったこと」「面会が途絶えたこと」「日課や環境が変わったこと」への反応です。これは、悲嘆というより適応反応症に近い形をとります(本章6節)。したがって支援の要点は、死の説明を重ねることよりも、環境と日課をできるだけ変えないこと、そして面会に代わる関わりを用意することにあります。
一方で、通所やグループホームを利用する比較的軽度の方では、事情が異なります。近年、こうした利用者が増えており、この層では次の三つが重なります。
- 死の意味を理解できるため、喪失そのものが悲嘆として体験される
- 親との死別は、多くの場合住まいの変更をともなう(在宅からグループホームへ、など)。喪失が二重・三重に重なる
- 「これから自分はどうなるのか」という将来への不安と結びつく。きょうだいとの関係、金銭の管理、後見の問題が同時に持ち上がる
この層では、悲嘆が不眠・食欲低下・作業所を休むこと・飲酒の増加・自殺念慮として現れることがあります。半年を目安に、記録を添えて医療へ相談してください。
ほかの状態との見分け
- PTSDとの違い:遷延性悲嘆症でも、死の状況をめぐる記憶にとらわれることがあります。しかしPTSDと違い、その出来事を「今ここで再び起きている」ものとして再体験することはありません(CDDR pp.343, 351)。この違いは、職員の記録から医師が読み取る重要な手がかりです。
- 抑うつエピソードとの違い:悲しみ、興味の低下、引きこもり、罪悪感、自殺念慮は、どちらにも見られます。遷延性悲嘆症では、症状がその人を失ったことに特異的に向いているのに対し、抑うつエピソードでは考えや感情が生活の複数の領域に広がります。また「死を受け入れられない」「亡くなったことに怒りを感じる」「自分の一部が死んだように感じる」は、抑うつエピソードには特徴的でない症状です。ただし両者は併存しえます(CDDR p.351)。うつ病エピソードについては第11章 気分症群を参照してください。
8. 反応性アタッチメント症・脱抑制対人交流症(概要)
反応性アタッチメント症(6B44)と脱抑制対人交流症(6B45)は、いずれも乳幼児期の著しく不十分な養育に起因し、5歳になる前に症状が明らかになる診断です。本章では概要にとどめ、詳細は付録「児童養護施設における理解」で解説します。
CDDRが挙げる「著しく不十分な養育」には、次のものが含まれます(CDDR pp.355, 358)。
- 慰め・刺激・愛情という子どもの基本的な情緒的欲求が、持続的に顧みられないこと
- 子どもの基本的な身体的欲求が、持続的に顧みられないこと
- 主たる養育者がくり返し替わること(里親の頻繁な交代など)
- 安定した選択的アタッチメントの形成を妨げる環境(施設など)での養育
- マルトリートメント(虐待)
CDDRは、診断要件として「著しく不十分な養育の既往が診断のために求められる」「症状が5歳になる前に明らかである」ことを挙げています(このほかにも要件があります。CDDR pp.355, 358)。そして、その「著しく不十分な養育」に含まれうるものとして、上に挙げた5つを例示しています。家庭で生じるものと施設での養育の両方が、この例示に含まれています。
「施設で育った子どもの診断」として理解すると、家庭で育った利用者について検討から外してしまう危険があります。
二つの状態の違い
- 反応性アタッチメント症(6B44):おとなの養育者に対して、抑制的で情緒的に引きこもった行動が持続的・広汎にみられます。具体的には、つらいときに慰めを求めることがほとんどない、慰めが与えられても反応がわずかしかないという二つがそろうことが要件です(CDDR p.355)。適切な養育が提供されると、症状はほぼ、あるいは完全に消えることが多いとされています。逆に、適切な養育が提供されなければ、数年にわたって持続しうるともされています(CDDR p.356)。
- 脱抑制対人交流症(6B45):見知らぬおとなに近づき関わることへの遠慮が、減っているか失われています。過度に馴れ馴れしくふるまう、離れて動き回ったあとに養育者を振り返って確認しない、見知らぬおとなにためらいなくついて行く、などです(見知らぬ場所であっても振り返って確認しない点が特徴です。CDDR p.358)。反応性アタッチメント症とは対照的に、適切な養育が提供されたあとも、また選択的アタッチメントが形成されたあとでも、症状が続きやすいとされています(CDDR p.359)。
CDDRは、両方の診断について同じ注意を置いています。
知的発達症のある子どもも、養育者と選択的なアタッチメントを形成することができる。アタッチメントは通常その子の全般的な発達水準に沿って発達し、発達年齢で少なくとも9か月に達するころには通常明らかになる。これらの診断は、選択的アタッチメントの形成の問題や社会的行動の問題が知的機能の制限の結果ではないことが明らかな場合にのみ下すべきである(CDDR pp.357, 360)。
判断は医師が行いますが、その材料になるのは、発達年齢の評価と、特定の職員に対する反応の記録です。特定の職員には慰めを求めるのか、誰に対しても同じなのか。この観察を記録に残してください。
詳細は付録「児童養護施設における理解」で扱います。あわせて第1章もご参照ください。
9. 知的発達症のある成人利用者とストレス関連症群
ここまでの節では、PTSD・複雑性PTSD・適応反応症・遷延性悲嘆症の診断体系を説明してきました。本節では、当法人の中心的な支援対象である知的発達症のある成人利用者に焦点を当て、これらの疾患がどのように現れ、どう見分けるかを詳しく扱います。
見落とされやすい理由――診断のオーバーシャドウィング
知的発達症のある利用者に生じたストレス反応やトラウマ症状は、「もともとの特性」「知的発達症によくある行動」として片づけられ、見落とされることが少なくありません。この現象は診断のオーバーシャドウィング(diagnostic overshadowing)と呼ばれ、第1章で扱った痛みの評価や行動変化への系統的アプローチと同じ構造の問題です。行動上の変化が生じたとき、それを安易に「知的発達症だから」で片づけず、背景にストレスやトラウマがある可能性を常に念頭に置く必要があります。
知的発達症のある利用者に特有のストレス因
成人の知的発達症のある利用者が経験しうるストレス因・トラウマ因には、以下のようなものがあります。施設で長期間生活する利用者にとって、これらは決して稀な出来事ではありません。
- 不適切な対応・虐待:職員や他の利用者からの身体的・心理的虐待、不適切な身体拘束や隔離の経験
- 大切な人との死別:親・きょうだいなど家族の死、長年関わった職員の退職・異動、同居していた利用者の死去や転居
- 生活環境の急な変化:施設間の転居、居室・グループホームの変更、担当職員の交替、日課やルールの変更
- 医療的なトラウマ:侵襲的な処置、入院、身体拘束を伴う治療、救急搬送などの体験
- 災害・事故:地震・火災などの災害体験、施設内外での事故の目撃・被害
障害者虐待防止法に基づき、施設・職員による不適切な対応は虐待として厳格に扱われるべきものです。ストレス関連症群の視点は、虐待の事後対応(通報・調査)の枠組みに加えて、被害を受けた利用者の心理的影響を理解し支援するための臨床的な視点を提供します。両者は補い合う関係にあります。
重症度による現れ方の違い
知的発達症のある利用者のストレス関連症群を理解するうえで最も重要なのは、知的発達症の重症度によって症状の現れ方が大きく異なるという点です。認知・言語能力が相対的に高い軽度の知的発達症では、症状はかなり定型発達の成人に近い形で現れます。一方、重度・最重度になるほど、症状は言語化されず、行動や身体症状として表現される傾向が強まります。
| 症状領域 | 軽度知的発達症 | 中等度知的発達症 | 重度・最重度知的発達症 |
|---|---|---|---|
| 再体験 | フラッシュバックや悪夢を言葉で訴えられることがある。「あの人が怖い」など具体的な言及 | 言葉での訴えは断片的。特定の刺激(人・物音・場所)への強い情緒反応として表れる | ほぼ言語化されない。特定場面での突然のパニック・凍りつき・自傷や他害の急増として表れる |
| 回避 | 特定の人・場所・話題を明確に避ける。理由を説明できることもある | 特定の場面で拒否・抵抗が強くなる(その場から動かない、部屋に入りたがらない等) | 特定の状況で強い拒否行動(叫ぶ、暴れる、動作停止)。理由の説明は期待できない |
| 脅威が今も続いているという感覚 (過度の警戒・驚愕反応はその一例) |
不眠、イライラ、集中困難を訴えられる。ドアや背後を気にする、席を選ぶ | 落ち着きのなさ、驚愕反応の増加、些細な刺激への過敏さ。特定の方向・入口を警戒する | 常同行動の激化、多動、自傷・他害の増加、睡眠の著明な乱れ。逆に、動かない・反応が乏しい形をとることもある |
| 全体像 | 比較的定型発達の成人のPTSD像に近い。ただし表現の仕方が独特なことがある | 行動観察が診断の主な手がかりとなる。「いつもと違う」への気づきが鍵 | 行動観察がほぼ唯一の手がかり。ベースラインからの逸脱として捉える |
※ 三つめの症状領域は、ICD-11では「脅威が今も続いているという持続的な知覚」と定義されており、過度の警戒や驚愕反応の亢進は、原文では「たとえば〜によって示されるように」という例示として挙げられています(CDDR p.339)。またCDDRは、複雑性PTSDでは「驚愕反応が亢進するのではなく減弱する場合がある」と述べています(CDDR p.345)。
特に中等度以上の知的発達症のある利用者では、「いつものその人と比べてどう変化しているか」という視点が、ストレス反応やトラウマ症状に気づくための決定的な手がかりになります。この視点は、付録「児童養護施設における理解」で扱う知的発達症のある児童や、第12章「カタトニア」でも共通して用いられる、当法人の観察の基本姿勢です。
- 常同行動の頻度や激しさが増していないか
- 食事量・睡眠時間が変化していないか
- これまで好きだった活動への興味が失われていないか
- 自傷・他害行動が新たに出現または増えていないか
- 特定の場面・人物・場所への強い回避や拒否が見られないか
- 特定の職員・利用者に対してのみ様子が変わっていないか(虐待の手がかりになりうる)
複雑性PTSDとしての現れ方
長期間にわたり不適切な環境で生活してきた利用者や、繰り返し虐待的な対応を受けてきた利用者では、単発のPTSDというより複雑性PTSDに近い像を呈することがあります。感情調整の困難(急な怒り、無感情、自傷)、否定的な自己イメージ(自己否定的な発言や自傷への結びつき)、対人関係の持続的な困難(特定の職員への極端な依存や拒絶の繰り返し)といった特徴です。
特に対人関係の困難は、児童養護施設の子どもたちで見られる「試し行動」(本章5節参照)と類似したパターンとして、成人の知的発達症のある利用者でも観察されることがあります。職員が替わるたびに関係を試すような挑発的行動を繰り返す利用者について、単なる「困った行動」としてではなく、過去の対人関係上のトラウマの表れとして理解する視点が有用です。
適応反応症としての現れ方
知的発達症のある成人利用者にとって、施設間の異動、グループホームの変更、担当職員の交替、同居者の変化、日課の変更などは、強い適応反応症的な反応を引き起こしうる出来事です。特に長年同じ環境・同じ職員のもとで安定していた利用者ほど、変化の影響は大きくなる傾向があります。加齢に伴う身体機能の低下や、親・きょうだいの高齢化・死去といった、成人期特有のライフイベントも重要なストレス因となります。具体的な観察項目は、本章6節の表をお使いください。
知的発達症のある利用者の高齢化が進む中、親や主たる養育者の高齢化・死去は、今後ますます重要な臨床的テーマとなります。長年利用者を支えてきた家族との死別は、本人にとって深い喪失体験であり、それが適応反応症、遷延性悲嘆症、ときにうつ病などの形で表れることがあります。言語での説明が難しい利用者ほど、行動の変化(不眠、食欲不振、活動性の低下、易刺激性の増加など)を通じてこれを読み取る必要があります。死別への対応の手順は本章3節、悲嘆が長引いた場合の見方は7節を参照してください。
もっと詳しく:CDDRにおける知的発達症とストレス関連症群の記載について
ICD-11の診断ガイドライン(CDDR)は、PTSDや複雑性PTSDについて、子どもや青年期における現れ方(developmental presentations)を詳しく記載していますが、知的発達症のある成人における症状修飾については、独立した記載を設けていません(反応性アタッチメント症・脱抑制対人交流症では、知的発達症との境界が明記されています。CDDR pp.357, 360)。これは、診断基準そのものは年齢や知的能力によって変わるものではなく、あくまで症状の表現形態が個人の発達水準によって異なりうる、という一般原則の範囲内で扱われているためと考えられます。
本節で示した重症度別の現れ方は、CDDRの診断要件と発達段階別の記載に加えて、第1章で確立した診断のオーバーシャドウィングの回避と系統的な行動観察という、当法人のマニュアル全体を貫く臨床的アプローチを、ストレス関連症群という領域に適用したものです。個々の利用者について迷う場合は、必ず医療スタッフと連携し、行動記録を持ち寄って評価することが重要です。
10. 支援の基本姿勢と医療連携
「安全」の感覚を取り戻す
トラウマを抱える利用者・子どもへの支援の最も基本的な目標は、「自分は安全である」「この場所は安全である」「この人たちは安全である」という感覚を、時間をかけて取り戻していくことです。これは言葉で説明されて理解されるものではなく、日々の体験の積み重ねによってしか育たないものです。
避けるべき対応
トラウマを抱える利用者・子どもへの対応で、絶対に避けるべきものとして以下が挙げられます。
- 怒鳴る・大声を出す:過去の被虐待体験を想起させ、再トラウマ化のリスクとなります
- 身体的拘束・体罰:論外ですが、感情的になった職員が手を上げかねない場面では特に自制が必要
- 「いつでも見捨てる」と感じさせる発言:「もう知らない」「あなたなんて」といった発言
- 本人のトラウマ体験を詮索する:本人が話したくないことを聞き出そうとしない
- 過去の体験を軽視する:「もう過去のことでしょう」「忘れなさい」
- 「強くなれ」「我慢しなさい」と励ます:症状を本人の弱さと位置づけてしまう
もっと詳しく:職員のセルフケアの重要性
トラウマを抱える利用者・子どもたちと日常的に関わる職員自身も、「二次受傷(vicarious traumatization)」と呼ばれる、間接的なトラウマ反応を経験することがあります。利用者・子どもたちの過酷な体験の話を聞き、感情の不安定さや試し行動に応じ続けることは、職員の心身に大きな負担を与えます。
二次受傷のサイン
- 仕事のことが頭から離れない、悪夢を見る
- 本人への感情移入が過剰または逆に麻痺する
- イライラ、不眠、食欲の変化
- 「自分には何もできない」という無力感
- 家族や友人との関係が悪化する
セルフケアの基本
- 勤務時間外に仕事のことを切り離す時間を意図的に作る
- 同僚との情緒的なサポート関係を大切にする
- 定期的なスーパービジョンや相談機会を活用する
- 症状が続く場合は、産業医や外部のカウンセリングを利用する
利用者・子どもたちに「安全」を提供するためには、職員自身が安全と健康を保つことが前提条件です。施設としても、職員のメンタルヘルスを支える体制を維持することが重要です。
医療への相談を考える目安
以下のような状態が見られる場合、速やかに医療スタッフへの相談・連携が必要です。
- 自殺念慮や具体的な自殺計画の表明
- 自傷行動の頻度・重篤度の急激な悪化
- 解離症状(記憶の途切れ、現実感の喪失)の頻発
- 幻覚・妄想様の体験の訴え
- 食事や睡眠の重篤な拒否
- 重度の退行(普段の年齢相応の行動やベースラインから著しく外れた状態)が長期化
- 他者や自分への暴力リスクの高まり
- 出来事が終わって約1週間(ストレス因が続く場合は約1か月)たっても、症状が軽くなり始めない(CDDR p.362)
- 死別から6か月を過ぎても強い悲嘆が続き、生活に支障が出ている(本マニュアルとしての相談の目安です。CDDRは「6か月未満……の悲嘆反応は、この要件を満たすものとみなされるべきではない」と述べています。CDDR p.349)
- 「適応反応症」の診断のまま、ストレス因が終わって6か月を超えて症状が続いている(診断の変更が一般に適切とされます。CDDR p.354)
幻覚・妄想様の体験を報告するときは、必ず次を添えてください。トラウマ歴のある方では、フラッシュバックが幻覚のように見えることがあり、過度の警戒がパラノイア(被害的)に見えることがあります。自分の内部から生じた思考だと本人が認識している幻聴性の偽幻覚も、PTSDで起こりえます。CDDRは、これらを精神症の証拠とみなしてはならないと明記しています(CDDR p.343)。本マニュアルとしての運用の考え方として、「いつ・どんなきっかけで起きたか」の記録を必ず添えてください。
医療職に伝える情報
嘱託医や精神科医に相談するときは、つぎの情報を整理して伝えてください。第5章の様式に対応するものです。
- 想定されるトラウマ因・ストレス因:いつ、何が起きたか。どこまでわかっているか。わからない場合は「不明」と書く(推測で書かない)
- 環境変化との時間関係:居室変更、職員交代、入院、同室者の変化、面会の有無。それらと症状が始まった時期の前後関係
- ベースラインとの比較:1か月前・半年前と比べて、睡眠・食事・体重・活動性・表情・発語がどう変わったか
- きっかけ刺激:どんな音・におい・体位・言葉・人・時間帯・場所で症状が出るか。特定できない場合はその旨
- エピソードごとの記録:始まりと終わりの時刻/そのときの様子/職員が何をしたか/どう収まったか/収まったあとの様子
- 回避しているもの:行かなくなった場所、避けるようになった人・活動。いつから避けているか
- 自傷・他害:頻度と程度が、いつからどう変わったか
- 死別がある場合:いつ、誰と。お別れの機会をもてたか。その後の変化
- これまでに試した環境調整と、その効果(CDDRは、適応反応症の症状は通常、十分な支援が提供されたときなどに軽快する、と述べています。CDDR p.352)
- 服薬内容と、最近の変更(開始・増量・減量・中止のいずれも)
フラッシュバックが起きているときは、斜め前から1メートル以上離れて名前を呼び、今いる場所と日付・時刻を伝え、刺激を減らし、急に触れず、収まるまで待ちます。収まったあとに詳細を聞き出しません。試し行動には、関係が続くことを言葉にして伝え、必ずその日のうちに修復します。死別は、事実をあいまいにせず伝え、お別れの機会を必ずつくり、日課を変えません。
ICD-11ではPTSDと複雑性PTSDを区別しています。三つめの中核要素は「脅威が今も続いているという感覚」であり、過度の警戒や驚愕反応の亢進は、その例示として挙げられています。複雑性PTSDでは、驚愕反応が亢進するのではなく減弱する場合があるとされています(CDDR pp.339, 345)。PTSDと診断された人のほぼ半数は、発症から3か月以内に完全に回復します(CDDR p.340)。
適応反応症は、ストレス因が取り除かれたとき、十分な支援が提供されたとき、または新たな対処手段を得たときに通常軽快します(CDDR p.352)。ストレス因が終わって6か月を超えて続く場合は、ほかの適切な精神疾患へ診断を変更するのが一般に適切とされています(CDDR p.354)。
遷延性悲嘆症は、悲嘆反応がその人の文化・社会・宗教の規範から見て明らかに長すぎる期間続き、かつ生活に重大な支障が出ている状態です。CDDRは「6か月未満、および一部の文化的文脈ではそれより長い期間しか続いていない悲嘆反応は、この要件を満たすものとみなされるべきではない」と述べています(CDDR p.349)。重度・最重度の方では死の意味の理解が難しく、環境変化への反応として現れることが多い一方、通所やグループホームを利用する比較的軽度の方では、悲嘆・住まいの変更・将来への不安が重なり、とくに注意が必要です。
症状は知的発達症の重症度によって現れ方が大きく異なります。「知的発達症だから」で片づけず、診断のオーバーシャドウィングを避け、「ベースラインからの変化」を系統的に観察してください。そして、フラッシュバックを幻覚と取り違えないために、「いつ・どんなきっかけで起きたか」を必ず記録に添えてください(CDDR p.343)。
児童養護施設で支援する子どもたちに固有の現れ方(PTSD・複雑性PTSDの子どもにおける症状、反応性アタッチメント症・脱抑制対人交流症、知的発達症のある児童のトラウマ反応など)は、付録「児童養護施設における理解」に独立してまとめています。
本章の記述は、WHO『Clinical Descriptions and Diagnostic Requirements for ICD-11 Mental, Behavioural and Neurodevelopmental Disorders』(CDDR, Geneva: WHO, 2024)と照合し、有病率などの数値を含め、CDDRの記載に統一しています(2026年8月改訂)。CDDRの日本語版が刊行され、日本国内の数値が示された際には、あらためて追記する予定です。