Ductus lectoris · Historia psychiatriae
横浜基礎研究所 文献案内──精神医学史
Bibliotheca · Historia psychiatriae

『マニー――双極性障害小史』案内

D・ヒーリーの「躁病」概念史──語の歴史と疾患の歴史、および本欄の訳語の基準
David Healy, Mania: A Short History of Bipolar Disorder
(Johns Hopkins University Press, 2008) — a reader’s guide
Draft v4.1·Augustus MMXXVI·「精神医学の発祥」第六章 参照系列
松石 竹志Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D.
Nota 本篇は、連作「精神医学の発祥」第六章「ピネル発祥論」とその補遺I・IIが直面した訳語問題──ピネルの maniedélire は現代語の「躁病」「妄想」ではない──に、概念史の側から基準を与えるための文献案内である。以後の諸論文は、この語史を一々説明する代わりに本篇を指示すればよい。紹介と要約、批評史の整理に徹し、原文の引用は批評・研究のための短い引用にとどめる(本書には邦訳があり、翻訳権に関わる長文の訳出は行わない)。メランコリー概念史の案内は、稿を改めて本篇の対幅とする。

序──本書と本案内

デイヴィッド・ヒーリー『マニア──双極性障害小史』(David Healy, Mania: A Short History of Bipolar Disorder, Johns Hopkins Biographies of Disease, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2008, xxiii+296頁)[1]は、チャールズ・ローゼンバーグ監修の「疾患の伝記」叢書の一冊として書かれた、「躁病」という語と「双極性障害」という疾患概念の通史である。著者は北ウェールズの精神科医・精神薬理学史家で、『抗うつ薬の時代』『精神薬理学の創造』によって向精神薬の歴史記述を一新し、またSSRI論争の当事者としても知られる[9]。邦訳は江口重幸監訳・坂本響子訳『双極性障害の時代──マニーからバイポーラーへ』(みすず書房、2012年)[2]として存在する──邦題が mania を「躁病」と訳さず「マニー」と音写したこの判断は、本篇の主題を先取りするものであり、後述する本欄の訳語方針とも一致する。

ヒーリーの著作は論争的であり、その論調には後述する明確な偏りがある。あらかじめ断っておけば、評者自身、その製薬産業批判に首肯できる面があることは認めるものの、彼の精神医学観のすべてに同調するわけではない。それでも本書を本欄の基準文献に採るのは、第一に、精神医学史家エドワード・ショーターが推す概説だからである──ショーターは『DSM-5から締め出されたもの』第五章「双極性障害という狂騒」で、気分安定薬への忠誠の起源を「説得力をもって記述した」本書を「彼の優れた著書(his excellent book)」と呼び、読者に参照を指示している[14](両者には電気けいれん療法史の共著もある[8])。第二に、そして決定的に、本書の前半三章が「マニア」という語の歴史的な意味の地層を、現存する概説のなかで最も明快に腑分けしているからである。ピネルの「妄想なき躁病 manie sans délire」を、現代の精神科医が「躁病」「妄想」の現行語義で読めば、いかなる患者像も結ばない──第六章と補遺I・IIが繰り返し確認したこの困難[10][11]は、本書の語史を通過することで、初めて一般的な形で解ける。

一、本書の主題と方法

本書を貫く命題は単純である──マニアの歴史は、一つの疾患の連続史ではなく、一つの語の断続史である。古代ギリシア・ローマの医師たちが mania と呼んだものと、20世紀の躁うつ病と、21世紀に爆発的に診断される双極性障害とは、同じ名で呼ばれた別の布置に属する。現代の双極性障害を古代の記述に接続しようとする通史的な語りを、ヒーリーは「重大な誤り gross error」と断じる(p. 19)。この断絶の主張は1980年代の論争──躁うつ病と統合失調症の区別はごく最近の現象だとしたヘアの論文[3]、これに施設と職業利害の観点から応じたスカル、そして「マニアが常に現在の意味であったと想定してはならない」というベリオスの用語史的裁定[4]──を承けたものであり、本書はその裁定を一冊に展開したものと読める。

断絶の第一の軸は、診断の資料が「見えるもの」から「言葉」へ移ったことである。古代の医師は、腫瘍の腫脹や熱と同じように、狂気をその可視的な現れ──狂乱(frenzy)の暴れと、昏迷(stupor)の不動──によって診断した。患者の内的な気分の報告に基づく診断は、19世紀末の力動精神医学以後の産物であり、20世紀半ばの米国で頂点に達する。そして21世紀の幼児の「躁病」に至っては、本人の言葉ですらない「第三者の言葉」に基づいて診断される(pp. 18–19)。可視的な提示・本人の言葉・第三者の言葉──この三段階が、本書の二千五百年を貫く座標である。

第二の軸は、過活動と寡活動という対である。古典的な mania は過活動性の狂気の総称であり、狂騒・激高・逆上として目に見えるものを指した。爽快気分も誇大観念もその要件ではない。対する melancholia は寡活動性の狂気であり、その極型は、ガレノスが記述しカタレプシーと呼ばれた昏迷──後にカールバウムが緊張病と命名し直す状態──である(p. 11)。悲哀はその要件ではない。メランコリーが軽症段階、マニアが重症段階とされるローマ期以来の連結も、気分の両極性ではなく重症度の段階を言うにすぎず、「これらの用語はほとんど完全に非特異的であった」(p. 11)。ヒーリーはこの座標を、現代語に引き写すなら overactive/underactive insanity と訳すほかない、と繰り返す。

第三の軸は、商業である。ガレノス主義の存続を支えた万能薬テリアカの交易から、20世紀末の「気分安定薬」の発明まで、疾患概念の変遷はつねに治療をめぐる商業的機会と絡み合ってきた──この縦糸が本書後半を支配し、書名に反して本書を「双極性障害の商業史」に近づけている。この点は四節で改めて評する。

二、章別の見取り図

第一章 狂乱と昏迷(Frenzy and Stupor)

用語史の章であり、本欄の目的にとって本書の白眉である。ヒポクラテスからガレノスへ、体液説の枠内で、発熱を伴う狂乱(フレニティス)と、熱によらぬ狂騒(マニア)と、昏迷にまで及ぶ沈滞(メランコリア)とが、可視的な現れによって区別されていたこと。現代の講義で「最古の躁うつ病」として引用される定番症例──ヒポクラテスの「タソスの女性」──が、実は発熱・痙攣など身体症状の記述を括弧ごと省略することで初めて気分障害に見える、という引用の選択性の摘発。通説がソラノスやアレタイオスに帰す「メランコリーからマニアへの移行」も、二極の交代ではなく軽症段階から重症段階への進展にすぎないという読み直し。ガレノスの弟子筋が記録したカタレプシー症例──目を開いたまま木のごとく硬直し、後にすべてを想起した学生──の描写(p. 11)。1680年のファーターによる「メランコリーはしばしばマニアに移行し、また逆に移行する。……この変化の説明を体液や気に求めても無駄である」という体液説への内部批判(p. 16)。シデナムが1681年に記述したヒステリー症例が、現代の基準では双極スペクトラムか境界性パーソナリティ障害に「みごとに写像される」変動性を示すこと(pp. 16–17)──つまり過去の症例と現代の診断基準との照合が、いかに多義的でありうるか。そして章末の「時間を横切って」で、前述のヘア=スカル=ベリオス論争と「重大な誤り」の裁定、および古典的な躁うつ病がおよそ人口100万あたり年間10例の新発生という稀な重症疾患であったという算定(p. 20)が提示される。ピネルの manie を読むための語史的装備は、実質的にこの一章に集約されている。

第二章 脳をめぐって(Circling the Brain)

17世紀から19世紀へ。ウィリスに始まる脳科学の誕生、啓蒙と世俗化、そして19世紀初頭の三つの力──脳の新科学、狂人を収容する施療院の建設とそれが生んだ医師集団(アリエニスト)、責任能力をめぐる法廷の要請──が、精神医学という専門領域を析出させる過程(pp. 24–25)。1664年、ウィリスの『脳の解剖学』が、それまで脳室にしか形を認めなかった二千年の伝統を覆して「固体としての脳」を初めて提示し、思考の器官として脳を体系的に考えることを可能にする。カレンの「神経症 neurosis」の導入(1785年)、「情念」から「感情」への概念転換がこれに続く──いずれも第六章・補遺Iが扱ったピネルの概念的環境の、そのまた前提である。ピネルとエスキロールはこの布置のなかに登場する。とりわけ重要なのはエスキロールの部分狂気(モノマニー)である──魂の不可分性という公理のもとでは「一部だけ狂う」ことは文字通り考えられないことであり、悟性・情意・意志という能力心理学の枠組みが初めてそれを可能にした(補遺Iの能力論と正確に照応する[11])。エスキロールが悲哀を主徴とする無妄想の部分狂気として析出したリペマニー(lypémanie)は、後の「うつ病」の先駆となる。他方、ベールの進行麻痺の発見は、一つの疾患が躁・鬱・パラノイア・痴呆と多彩な相を経ることを剖検で示し、症状ではなく経過による区分への転換を強いた──ファルレのモノマニー批判はここに発する。章の後半は責任能力の法廷史(ハドフィールド事件1800年、マクノートン準則1843年)と、モレルの変質論(1857年)からロンブローゾの生来性犯罪者(1876年)に至る系譜であり、精神医学が法から切り離せないことが強調される。施療院の意義は、ヒーリーにおいて明確に方法論的である──収容によって初めて、病の経過を系統的に観察することが可能になった。周期性・再発・寛解という時間軸上の形態が疾患区分の資料となるのは、これ以後である。第六章が論じたピネルの周期性論(第二版 §155)とスウェイン=エーの発祥論は、この観察条件の成立と表裏をなす[10]

第三章 循環狂気(Circular Madness)

1854年、パリ。1月30日にバイヤルジェが医学アカデミーで「二重形態の狂気 folie à double forme」を発表し、2週間後の2月14日、ファルレが「循環狂気 folie circulaire」を対置して、十年来サルペトリエールの講義で教えてきたと優先権を主張する──躁と鬱の交代をひとつの疾患単位とする発想は、この優先権争いとともに初めて登場する。ヒーリーはこれを、稀な新疾患の「記述」であって、古代からの疾患の「再発見」ではないと強調する(p. 23)。実際、両者とも大施療院の全資源をもってしても一握りの症例しか持たなかった。章の冒頭に置かれるのは、現代の目には躁うつ病の見事な記述と映る1830年のワイマンの症例と、プリチャードが「道徳的狂気」のもとに報告した1837年の症例が、当時はいずれもモノマニー概念の例証として提示されていたという逸話である──概念の枠が違えば、同じ患者が別の疾患に見える(プリチャードについては補遺I第五節の系譜論を参照[11])。ついでカールバウムとヘッカーが登場する。経過による分類というファルレの着想を徹底し、「魂の統一性」の公理からの解放を明言したカールバウムは、緊張病(1874年)とならんで、入院を要する循環狂気から区別された軽症の純粋気分障害「気分循環症 cyclothymia」と「気分変調 dysthymia」(1882年)を彫琢する。そしてクレペリンが1899年の教科書第六版で、経過と転帰を基準に、精神病を早発性痴呆と躁鬱性精神病(manisch-depressives Irresein)へ二分する。ここで重要なのは、クレペリンの躁鬱病が、単極性の反復性うつ病をも包含する、再発性の気分病の総称だったことである──現在の双極I型障害よりはるかに広く、その本質は躁ではなく再発性にあった。命名すら新奇の産物である──「躁・メランコリー」ではなく「躁・うつ」が選ばれたのは、ランゲが1886年に医学用語として初めて用いた新語「うつ病 depression」への、クレペリンの新しもの好きによる(第四章)。この概念の国際的受容は鈍く、英語圏でも本国ドイツでも長く抵抗を受けた。

章の掉尾に、本書の実証的な錨が置かれる。著者自身が研究する北ウェールズ・デンビー施療院(1848年開設)の記録である。人口が1900年と2000年でほぼ同一というこの得がたい観察条件のもと、1875〜1924年の約3900件の入院を精査すると、双極型に該当する患者は127名──人口100万あたり年間10例──にすぎず、この率は現在まで一定である。1900年頃まで入院の55%以上が「マニア」と診断されていたこと(自殺傾向の患者も、今日なら統合失調症とされる患者も含めて)、デンビーで「躁鬱病」の診断が定期的に使われ始めるのは1924年であることも、語の歴史と疾患の歴史のずれを実物で示す。

第四章 狂気の石(The Stone of Madness)

リチウムの章。表題はボスの絵に描かれた「狂気の石」の切除に由来し、リチウム(lithos=石)は既存分類のどこにも収まらず「精神薬理学の水流を攪乱する岩」として描かれる。前史として、尿酸素因説とリチウム鉱泉水産業、そしてデンマークのランゲ兄弟──「周期性うつ病」の記述によって「うつ病」を医学用語として初めて用い(1886年)、数百人規模でリチウムの予防的投与を行いながら、尿酸素因説とともに忘却されたカール・ランゲ──が掘り起こされる。章の中心は1949年のケイドによる再発見(モルモット実験の寓話性と、実はリチウム中毒であった可能性まで含めて)と、ショウの二重盲検試験(1952年〜)からバーストルップ=ショウの予防効果論文(1967年)へ、そしてこれに対するブラックウェルとシェパードの「予防的リチウム──もう一つの治療神話か」(1968年)という方法論的批判が点火した「リチウム戦争」の論争史である。ヒーリーの読みの妙は、この論争の逆説にある──当事者双方が製薬産業の誇大宣伝を抑止しようとする動機を共有していたにもかかわらず、リチウム予防論争こそが「気分の再発を薬物で管理する」という発想を確立し、RCTと評価尺度を精神医学の中心に据えて、90年代の双極性障害への「ゴールドラッシュ」の下地を敷いた(p. 23)。章末では、数値化できないものを切り捨てるこの体制が「生物学的還元主義」以上に臨床を非人間化するとして、「情報的還元主義」というヒーリー独自の概念が提示される。

第五章 躁鬱病の蝕(The Eclipse of Manic-Depressive Disorder)

概念の組み替えの章。ヴェルニッケ局在論の遺産を継ぐクライストの単形/多形の区分から、レオンハルトによる単極性/双極性の区分(1957年)へ、そしてアングストとペリスによる独立の実証(1966年)へ──もっとも両人の研究は当初、クレペリンの躁鬱病が誤っているはずはないとして権威たちに一蹴された。ダナーの双極I型/II型(1976年)、アキスカルのスペクトラム化を経て、1980年のDSM-IIIが操作的基準による「双極性障害」を採用する。ここでクレペリンの広い躁鬱病は解体され、「双極性」という、かつては躁鬱病のなかの少数派を指した下位区分が疾患名の全体を占拠する。帰結は有病率の膨張である──1870年代から1960年代まで人口の0.1%未満とされた病が、1985年に1%、1998年には「何らかの双極性障害」5%と算定し直されてゆく。章の後半では、双極性障害に敗れたもう一つの概念──レオンハルト=ペリスの循環病性精神病(cycloid psychosis)と、その旗艦であった産褥精神病──が北ウェールズの症例記録とともに弔われる。売り込む利害関係者を持たぬ概念は、データがあっても定着しない──疾患概念の存続を決める力がどこに移ったかを示す、本書で最も苦い実例である。ヒーリーはこの転換全体を、科学的洗練としてよりも、次章で描く商業的展開の概念的前提として読む──操作的基準は、診断の敷居を著しく下げうる形式だからである。

第六章 米国製ブランド(Branded in the USA)と第七章 最新のマニア(The Latest Mania)

本書の告発的部分。第六章の主役は「気分安定薬 mood stabilizer」という語そのものである──本欄の関心からは、これも一個の用語史として読める。この語は1960年、小児科医リッチフィールドが鎮静薬ドーンワルの宣伝に用いたのが実質的な初出で、同薬がFDAのケルシー(サリドマイド事件の立役者)により市場から排除されると語も一世代のあいだ消え、学術誌の表題・抄録に再登場するのは1985年(シュイナール)、そして1995年──アボット社のデパコート(バルプロ酸半ナトリウム。一つのナトリウムイオンの差で再特許化された1882年来の化合物)が急性躁病への適応を得た年──を境に指数関数的に爆発する。誰も定義を与えぬまま、予防効果を示唆する完璧な広告ブランドとして。カラズとランベールのバルプロミド(1960年代フランス)、奥村照雄のカルバマゼピン(同時期の日本)という二つの先行発見が顧みられなかった経緯、ポストのキンドリング仮説とその失効、ガバペンチンの虚栄、非定型抗精神病薬と消費者向け直接広告による疾患販売がこれに続く。第七章では、2000年の育児書『The Bipolar Child』とタイム誌表紙に象徴される小児双極性障害ブームが扱われる──1、2歳の幼児にまで「第三者の言葉」に基づいて診断が下され、就学前児への非定型抗精神病薬の使用が5倍化し、2歳で診断された4歳児レベッカ・ライリーの死(2007年)に至る事態である。ベヴァリッジの書評が「米国では幼い子どもと乳幼児が、ほぼ確実に罹患していない精神疾患のために抗精神病薬で日常的に治療されている」ことを本書の最重要の指摘としたのは、この部分である[5]。対置されるのは再びデンビーの記録である──50年間・約1250万人年の観察で、躁鬱病の入院最年少は17歳、発症最年少は13歳であった。皮肉なことに、と本書は言う──幼児の過活動に貼られる21世紀の「マニア」は、気分ではなく可視的な過活動を指すという一点において、ギリシア的用法へ回帰しつつある(p. 19)。

第八章 人間の魂の技師(The Engineers of Human Souls)とコーダ かつての、そして未来の実験室(The Once and Future Laboratory)

総括の章。第八章は、疾患の実在性という問いに立ち返ったうえで(二千年を通覧すれば精神疾患の実在は確認できる、とヒーリーは述べる──概念の断続は疾患の非在を意味しない)、現代の構造分析へ進む。マーケティング用語「未充足ニーズ」による医学の記述、企業資金の治療ガイドライン(テキサスTMAP)、治験の四分の三を運営するに至った臨床試験受託機関、主要誌掲載RCTの大半に及ぶとされるゴーストライティング、そして科学的には1970年までに放棄された「化学的不均衡」説のマーケティングによる復活。表題の「人間の魂の技師」はスターリンの言葉であり、コンセンサスの粉砕を目指すべき科学がコンセンサスの構築を業とするマーケティングに併呑された事態が「ブランド・ファシズム」の語で診断される。北ウェールズの記録が転帰の測定線として再び引かれる──同一人口において入院は施療院時代の15倍、重篤な精神疾患患者の平均余命は低下し、躁鬱病患者の入院率は気分安定薬以前の数倍に達している。物語に英雄はなく、あえて挙げるなら晩年に自らの築いたRCT体制を「フェティシズム」と呼んだシェパードという反英雄のみである。章末に置かれるのは、子どもたちの一世代が連れ去られてゆくというハーメルンの笛吹き男の像である。

本書は第九章を立てず、「コーダ かつての、そして未来の実験室」で閉じる。化学的神経伝達の発見史(デール、レーヴィ、カールソン)を振り返り、「粒子でできた脳」が自己の連続性に投げかけた問いを再訪したのち、最後の主張が置かれる──現代の薬がつくられる実験室は企業のそれではなく、臨床試験に無償で身体を提供する市民、すなわち私たち自身である。にもかかわらず、そのデータは企業に隔離され、選別されて売り戻されている。これは科学と民主主義の双方の基盤への脅威であり、小児双極性障害の創出はその最も憂慮すべき帰結として位置づけられる。かくして全篇の主張は三つに束ねられる──双極性障害(旧・躁鬱病)は本来まれな実在の疾患である(年間100万人に10例)こと、その概念の歴史は連続的でなく19世紀半ば以降の産物であること、そして1990年代以降の「バイポーラー」の爆発は科学的発見ではなく特許とブランディングが駆動したこと、である。

三、用語の歴史的地層と本欄の訳語

以上の語史を、本欄の訳語の基準として整理する。原則は二つ。第一に、歴史的術語を現代診断名へ翻訳しない──これは補遺Iが現代概念への対応づけをすべて「遡及的読解であって確定的同定ではない」と限定した方針[11]の、訳語面での帰結である。第二に、乖離の深い語は音写によって異物性を保存する──邦訳の題名が「マニー」を採ったのと同じ判断である。

歴史的用法(本書の整理)現代の同綴語本欄の訳語
mania / manie狂騒・激高・逆上として目に見える過活動性狂気の総称。爽快気分・誇大観念は要件でない双極性障害の躁病エピソード(気分の高揚が中核)古典的文脈では「マニー」(音写)ないし文脈明示のうえ「躁病」。現代概念のみ無条件に「躁病」
délire / delirium理性の逸脱・悟性の錯乱の総称(熱性譫妄を含む)「妄想」(delusion)と「譫妄」(delirium)へ分化ピネル文脈では慣用に従い「妄想」を保持し、原義の広さを注記(補遺I参照)
phrenitis / frenzy発熱を伴う急性の狂乱対応概念は譫妄へ吸収「フレニティス(熱性狂乱)」「狂乱」
melancholia / mélancolie寡動・昏迷・限局した妄想を含む寡活動性狂気。悲哀は要件でないうつ病、メランコリア型うつ病「メランコリー」(音写。「うつ病」と訳さない)
lypémanieエスキロールが析出した、悲哀を主徴とし妄想を欠く部分狂気。「うつ病」の先駆うつ病概念へ吸収され、語は消滅「リペマニー」(音写)
catalepsy寡活動の極型──開眼したままの不動・緘黙カールバウム(1874)以後は「緊張病」「カタレプシー」。カールバウム以後は「緊張病」
folie circulaireファルレ(1854)の記述した、躁と鬱の交代する稀な新疾患双極性障害の先駆とされる「循環狂気」
manisch-depressives Irreseinクレペリン(1899)の再発性気分病の総称。単極性うつ病を包含し、本質は再発性DSMの双極I型障害より遥かに広い「躁鬱病」(歴史的術語として保存)
bipolar disorderDSM-III(1980)以後の操作的概念──「双極性障害」
mood stabilizer1960年の鎮静薬広告に発し、1995年以後に爆発した定義なき販売概念(本書第六章)「気分安定薬」として薬効分類のごとく通用「気分安定薬」を用いるが、広告起源の語であることを必要に応じ注記

この基準に立てば、第六章の主題である manie sans délire の困難は正確に言い直せる。この語は「躁病エピソードだが妄想を欠く」という現代的な像──それは単に精神病性の特徴を伴わない躁病であり、何ら逆説ではない──を意味しない。manie は激高と逆上を含む過活動性狂気の総称であり、délire は悟性の錯乱一般である。ゆえに manie sans délire とは「悟性は無傷のまま、激高と衝動だけが暴走する狂気」であり、ピネルの三症例と鎖の患者が示すとおり、現代の読者が患者像を結ぶべき方位は気分障害ではなく、衝動制御の障害の側にある[12][13]。既訳「妄想なき躁病」は慣用として保持するが、以後の諸論文はこの語の初出時に本篇を指示することで、逐一の説明に代えることができる。

四、批評と留保

本書の受容は割れている。歴史記述としての評価は高い──とりわけ前半の概念史と、全篇を貫く北ウェールズの歴史疫学は、ショーターの推奨[14]が示すとおり、専門史家の水準で堅固である──ショーター自身、『DSM-5から締め出されたもの』のメランコリー論・双極性障害論の随所で、この北ウェールズ・データとヒーリーの私信を実証の支えに用いている。他方、刊行時の主要誌書評は、いずれも後半の告発的部分に留保を付した。ベヴァリッジ(英国精神医学雑誌)は、二千年を駆け足で通過して重心を1950年代以降に置く構成の不均衡と、精神薬理学界の「誰が誰に何を言ったか」の詳述の冗長を突きつつ、現代精神医学への「探りを入れる挑戦的な批評」としての価値を認めた[5]。ターナー(精神医学史誌)も同様に、歴史と告発の二重性を指摘する[7]

最も鋭い批判はガーミ(米国精神医学雑誌)のものである[6]。いわく、本書のリチウム史は再発予防効果と自殺予防効果の実証を過小に扱い、読者を誤導しかねない。クレペリンの躁鬱病の本質が再発性にあるという点──皮肉にも本書自身の資料が支持する点──を、ヒーリーは概念解体の熱意のなかで手放している。そして疾患概念の社会的構築を強調するあまり、双極性障害を「無意味」と限定なしに結論する身振りは、疾患を無へと脱構築するポストモダン的独断に接近し、反精神医学に燃料を供給しかねない。この批判は、ヒーリーの当事者性──製薬企業訴訟の専門家証人であり、SSRI論争の渦中の人であること──とあわせて、本書を読む際の必要な平衡錘である。

本欄の立場から言えば、この論争は本書の使用価値を損なわない。本欄が本書に負うのは後半の薬害論ではなく、前半の語史──マニアは過活動性狂気の総称であり、メランコリアは寡活動性狂気であり、両者の連結は両極性ではなく重症度の段階であり、躁鬱病は1854年のパリに始まる新しい記述である──だからである。この部分については、ガーミですら争っていない。争われているのは断絶の哲学的含意(疾患実体は在るか)であって、語義の歴史的事実ではない。そして本欄の目的には、後者だけで足りる。付言すれば、疾患実体の連続性を仮定しない本書の視角は、疾患の「発見」ではなく概念の「出来事」として精神医学の発祥を読むスウェイン=エーの視角と、独立に同じ向きを向いている──第六章が本書を安んじて参照できる理由である。

五、接続──第六章・補遺・続篇

本篇の使用箇所を整理する。第六章「ピネル発祥論」は、manie の語史(本書第一章)を前提として manie sans délire の逆説を論じる[10]。補遺I「ピネルの疾病分類学」の用語論は、本篇三節の対照表とあわせて読まれるべきものであり[11]、補遺II「読まれざるピネル」の原典訳出における「躁病」「妄想」の訳語は、いずれも本篇の基準の適用である[12]。妄想なき躁病から ICD-11 衝動制御症群への系譜は衝動概念史論文に詳しい[13]

残る課題は二つ。第一に、メランコリー。本書がマニアについて行った作業──語の歴史と疾患の歴史の腑分け──を、メランコリーについて行う概説書の案内を、本篇の対幅として用意する(スタンリー・ジャクソンの古典的通史ほかを候補として、稿を改める)。第二に、クレペリン。躁鬱病の本質を再発性とみる読みはガーミの批判の核でもあり、クレペリン自身のテクストに即した検討が、第六章の続章(発祥から疾病分類の完成へ)にとって必要となる。

補訂に向けた自己点検(一)本文の頁指示は原書第一章(pp. 11–25)の逐語確認に基づく。第二章以降の内容は、筆者作成の章別詳細要約およびコーダ要旨(Draft v2–v3 で照合済み)に基づくが、頁は未指示である──確定稿までに原書ないし邦訳で頁を指示すること。(二)邦訳の訳語(マニー・躁病・気分安定薬等)と本欄の訳語方針との異同を、邦訳を参照して確認すること。

文献

Opera principalia
[1]
Healy, David. Mania: A Short History of Bipolar Disorder. Johns Hopkins Biographies of Disease. Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2008. Foreword by Charles E. Rosenberg.(引用箇所:全篇。頁指示のある引用はすべて原書第一章 pp. 11–25 の逐語確認による)
[2]
デイヴィッド・ヒーリー『双極性障害の時代──マニーからバイポーラーへ』江口重幸監訳、坂本響子訳、みすず書房、2012年。(引用箇所:序、三節)
Opera critica
[3]
Hare, Edward. “The Two Manias: A Study of the Evolution of the Modern Concept of Mania.” British Journal of Psychiatry 138 (1981): 89–99.(引用箇所:一、二章第一章)
[4]
Berrios, German E. のヘア批判、および Scull, Andrew の応答。(本書第一章経由の参照。原典未見。)(引用箇所:一、二章第一章)
[5]
Beveridge, Allan. Review of Mania, by David Healy. British Journal of Psychiatry 195, no. 1 (2009): 90–91.(引用箇所:二章第六・七章、四節)
[6]
Ghaemi, S. Nassir. Review of Mania, by David Healy. American Journal of Psychiatry 166, no. 4 (2009): 497–498.(引用箇所:四節)
[7]
Turner, Trevor. Review of Mania, by David Healy. History of Psychiatry 21, no. 1 (2010).(引用箇所:四節)
[8]
Shorter, Edward, and David Healy. Shock Therapy: A History of Electroconvulsive Treatment in Mental Illness. New Brunswick: Rutgers University Press, 2007.(引用箇所:序)
[9]
Healy, David. The Antidepressant Era. Cambridge, MA: Harvard University Press, 1997(田島治監修・谷垣暁美訳『抗うつ薬の時代』みすず書房、2004年); The Creation of Psychopharmacology. Cambridge, MA: Harvard University Press, 2002.(引用箇所:序)
[14]
Shorter, Edward. What Psychiatry Left Out of the DSM-5: Historical Mental Disorders Today. New York: Routledge, 2015. 第五章 « Bipolar Craziness » に「デイヴィッド・ヒーリーは気分安定薬へのこの忠誠の起源を説得力をもって記述しており、読者には彼の優れた著書を紹介する(David Healy has convincingly described the origins of this allegiance to mood stabilizers and I refer readers to his excellent book)」とあり、注106が本書『Mania』を指示する。同書はほかにも北ウェールズ・データ(メランコリー患者の70%が精神病性)やヒーリーの私信(「双極性障害バンドワゴン」2007年)を随所で引く(引用箇所:序、四節)
Commentarii nostri
[10]
本論第六章「ピネル発祥論」(origines-pinel.html)。(引用箇所:序、二章第二章、四、五節)
[11]
第六章補遺I「ピネルの疾病分類学──『妄想なき躁病』を軸として」(origines-pinel-appendix.html)。(引用箇所:序、三、五節)
[12]
第六章補遺II「読まれざるピネル──『論考』初版・第二版を原典に即して読む」(origines-pinel-editions.html)。(引用箇所:三、五節)
[13]
衝動概念史論文(impulse-history.html)。妄想なき躁病から ICD-11 衝動制御症群への系譜。(引用箇所:三、五節)