要旨
本邦において、ピネル『医学哲学的論考』は名のみ知られて、実際にはほとんど読まれていない書物である。初版(共和暦9年=1801、表題「躁病について sur la manie」)は邦訳があるものの、改訂された第二版(1809、表題「精神疎外について sur l'aliénation mentale」)は今日まで訳されていない。そしてその初版すら、教科書としての読みにくさ――症例が独立章をもたず議論のなかに散在し、版ごとに種の配列が組み替えられる――のゆえに、長く精読の対象とはならなかった。スウェインが、まさにこの書物のうちに精神医学の発祥を見いだすまでは。
本補遺は、この読まれざる書物を、要約や紹介によってではなく、原典の地の文を多く訳出して提示することによって読む試みである。叙述の重心は終始ピネルのテクストそのものに置き、筆者の解題は、訳文を繋ぎ、初版と第二版の異同を指し示すだけの最小限にとどめる。スウェインとアンリ・エーの歴史観――発祥の「閃光」を初版に見るという読み――は、各訳出をどの角度から読むべきかを示す導きの糸としてのみ織り込む。読者が本補遺を通読すれば、第二版の要所を、かなりの分量、ピネルの筆そのもので読み終えていることになる。
取り上げるのは、四種の定義(第二版 §5)、「妄想なき躁病」という問いの提起(§158)とその三症例(§159–161)、もう一つの妄想なき躁病である鎖の患者(§239)、周期性という徴標(§155)と非器質性の論証(§157)、そして対極をなす妄想を伴う躁病(§156)である。原典は、初版は Gallica 所蔵 1801 年版、第二版は同所蔵 1809 年版(H. Ey 文庫由来)を用い、引用箇所はすべて頁画像により逐語照合した。訳はことわりのないかぎり拙訳である。現代概念への対応づけは補遺I「ピネルの疾病分類学」に委ねる[1]。
序 読まれざる書物
第六章は、鎖を解いた解放者というピネル神話を脱構築したうえで、なお初版に発祥の根拠を見いだすスウェイン=エーの読みを採用した[2]。だとすれば、発祥を証する症例も、発祥の概念的形姿も、原典そのものから読み取られねばならない。ところが、その原典は日本ではほとんど読まれていない。第二版は未訳であり、初版もまた、まとまりを欠く書物として長く敬遠されてきた。
だが、この「まとまりのなさ」こそ、実は物語の一部である。症例が独立した章をもたず議論のなかに埋め込まれ、版を改めるごとに種の配列が組み替えられる――この無秩序は、スウェインのいう発祥の閃光が、整然たる「体系」としてではなく、一個の「出来事」として書物のうちに走った、ということの現れにほかならない。体系として読もうとすれば読みにくい。出来事として読めば、その読みにくさ自体が証言になる。本補遺が原典を多く引くのは、この出来事に読者を立ち会わせるためである。以下、ピネルの筆に語らせる。
一 二つの版とその構成
まず二つの版がある。初版の表題は『躁病に関する医学哲学的論考(Traité médico-philosophique sur la manie)』、第二版は『精神疎外に関する医学哲学的論考、あるいは躁病(Traité médico-philosophique sur l'aliénation mentale, ou la manie)』である[3]。初版で manie(躁病)はほとんど狂気そのものの総称に近かったが、第二版ではその上位に aliénation mentale(精神疎外)という包括的な主概念が据えられ、manie はその一種へと相対化される。表題に残る「あるいは躁病」とは、旧主概念から新主概念への移行の継ぎ目を、表題そのものに留めた痕跡である。
では、この書物はどう組まれているのか。読み進む前に、両版の全体構成を一望しておきたい。初版が周期性躁病と道徳的治療から説き起こすのに対し、第二版は原因論と身体的・心理的諸相から始まる。節の配列そのものが、両版で大きく異なるのである。
- *著作全体の構想(Plan général de l'ouvrage)
- I周期性ないし間欠性躁病(Manie périodique ou intermittente)
- II精神疎外者の道徳的治療(Traitement moral des aliénés)――第XVIII章「もっぱら意志の損傷に存する躁病」を含む
- III精神疎外者の頭蓋の形態異常に関する解剖学的研究(Recherches anatomiques)
- IV精神疎外の諸種の区別
- 第一の種 メランコリー(排他的妄想)
- 第二の種 妄想なき躁病(Manie sans délire)――第VIII〜XII章。固有の「特異的性格」章をもつ独立種
- 第三の種 妄想を伴う躁病(Manie avec délire)――第XIII〜XVI章
- 第四の種 痴呆(Démence)
- 第五の種 白痴(Idiotisme)
- V施療院における内部管理と監視(Police intérieure)
- *著作全体の構想(Plan général de l'ouvrage)――四種の定義(§5。本補遺二節)
- 1精神疎外の真の諸原因(Des causes de l'aliénation mentale)
- 2精神疎外の身体的・心理的諸相
- 3精神疎外の諸種の区別(Distinction des différentes espèces)
- 第I 躁病ないし全般性妄想(Manie ou délire général)――「妄想なき躁病」§158〜161 をその内部に含む(§155 周期性/§156 妄想を伴う躁病/§157 非器質性)
- 第II メランコリー(排他的妄想)
- 第III 痴呆(Démence)
- 第IV 白痴(Idiotie)
- 4内部管理と規則(Police intérieure et règlement)――鎖の患者 §239 はここに置かれる
- 5医学的治療の成果(Traitement médical)
一望してわかるのは、三つの変化である。第一に、種を区別する節が、初版では後半の第IV節に置かれていたのに対し、第二版では中央の第3節へと移り、書物の重心に近づく。第二に、種の数が五から四へと縮減される。そして第三に、最も重要なことに、初版で固有の四章と「特異的性格」章とをそなえた独立した第二の種であった「妄想なき躁病」が、第二版では「躁病ないし全般性妄想」の内部の数項(§158–161)へと吸収される。本補遺がこれから訳出してゆくのは、主にこの種の区別の節(第二版第3節第I章)と、施設運営の節(同第4節)に置かれたテクストである。各訳出が書物のどこに位置するかは、この見取り図に照らして確かめられたい。なお、節の配列が版ごとにこれほど組み替えられること自体が、序に述べた「まとまりのなさ」の一面であり、それはこの書物が整然たる体系としてではなく一個の出来事として書かれたことの徴でもある。表題の一般化(manie → aliénation mentale)と、この構成上の組み替えとが、これから見る「妄想なき躁病」の地位の変化の前提をなしている。
二 『精神疎外』とは何か――四種の定義
第二版は冒頭の「著作全体の構想」§5で、精神疎外の四種を、ピネル自身の手で簡潔に定義する。分類の基準が何に置かれているかが、ここに明示される。
「〔精神疎外者を〕概括的に分類し、悟性および意志の根本的損傷(lésions fondamentales de l'entendement et de la volonté)によって相互に区別することができる――その無数の変種の考察はここでは措くとして。多かれ少なかれ顕著な妄想(délire)がほとんど全対象に及び、それが幾人もの精神疎外者において興奮と逆上の状態に結びつくとき、これが本来の意味での躁病(manie)をなす。妄想が排他的で、ある特定の一群の対象に限られ、一種の昏迷と、激しく深い情動とを伴うとき、これがメランコリー(mélancolie)と呼ばれるものである。あるときには、老年におけるように、全般的な衰弱が知的および情意的諸機能を襲い、これが痴呆(démence)と呼ばれるものをなす。最後に、理性の消滅に、急速で自動的な激発の瞬間が伴うものが、白痴(idiotisme)の名で呼ばれる。これらが、『精神疎外』という表題が概括的に示す四つの錯乱の種である」[4]。
注目すべきは分類の基準である。ここで諸種を分かつのは「悟性および意志の根本的損傷」であって、悟性だけではない。初版では、諸種は基本的に悟性(entendement)の損傷を軸として配列されていた。第二版では、意志(volonté)が分類を支える能力の平面に登場する。なぜ意志が加わったのか――その理由を握るのが、次に見る「妄想なき躁病」である。
三 妄想なき躁病という問い
狂気とは悟性の錯乱である、と古典は教えた。ロックにとって、狂気は妄想(délire)と不可分であった。ピネルはこの前提を、一つの観察によって突き崩す。初版では「躁病は悟性の損傷なしに存在しうるか」という章(第VIII章)が、第二版では §158 が、この問いを立てる。
「ロックの著作には正当な称賛を寄せうるとしても、彼が躁病を妄想(délire)と不可分のものとみなす点では、その躁病についての見解はきわめて不完全だと認めざるをえない。私がビセートルでこの病の研究を再開したとき、私自身この著者のように考えていた。そして、いかなる時期にも悟性のいかなる損傷も示さず、あたかも情意的諸能力のみが冒されたかのように、一種の逆上の本能に支配されている精神疎外者を幾人も見て、少なからず驚いたのである」[5]。
「あたかも情意的諸能力のみが冒されたかのように(comme si les facultés affectives seules avoient été lésées)」――この一句が、発祥の言明である。悟性は無傷でありながら、情意と意志のみが冒される。狂気を悟性の病とみなす定義は、ここで破れる。この驚きを、ピネルは三つの症例によって具体化してゆく。ただし――本書の読みにくさの第一の徴であるが――これらの症例は独立した症例報告の章をもたず、論証の例証として議論のなかに置かれている。初版では「妄想なき躁病」がこれら三例+特異的性格章をそなえた独立した一個の種(第二の種、第VIII–XII章)として立てられるのに対し、第二版では「躁病ないし全般性妄想」の内部の数項(§159–161)へと組み込まれている。この配置の違いについては第七節で改めて述べる。
第一の症例(初版第IX章/第二版 §159「妄想なき一種の躁的激昂の例」)は、悟性が健全でありながら行為が暴走しうることを示すために置かれる。
「無きにひとしいか誤った教育、あるいは邪悪で手に負えない生まれつきが、この種の精神疎外の最初の萌芽を生みうることは、次の症例が教えるとおりである。気の弱い甘い母のもとで育てられた一人息子は、あらゆる気まぐれに、激しく無秩序な心のあらゆる衝き動かしに身を委ねる習慣を身につける。その性向の激しさは年齢とともに増し、また強まってゆき、彼に惜しみなく与えられる金銭が、その至上の意志のあらゆる障害を取り除くかにみえる。逆らおうとすれば彼の気性は荒れ狂い、大胆に攻撃し、力ずくで支配しようとし、絶えず諍いと喧嘩のうちに生きる。犬であれ羊であれ馬であれ、何かの動物が彼を不快にさせれば、彼はただちにそれを殺す。何かの集まりや祝祭の場にあれば、彼は激昂し、殴り殴られ、血まみれになって出てくる。しかし他面では、平静なときには理性に満ち、成人後は広大な所領の持ち主となって、これを正しい良識で治め、社会の他の義務を果たし、不幸な人々への慈善の行いによってさえ知られるようになる。負傷、訴訟、金銭による賠償が、その喧嘩好きという不幸な性向の唯一の結果であった。だが一つの周知の事件が、その暴力行為に終止符を打つ。ある日、彼を罵った女に激昂し、彼女を井戸に突き落としたのである。訴訟手続きが裁判所で進められ、彼の激昂した逸脱行為を想起する多数の証人の証言にもとづいて、彼はビセートルの精神病者施療院への隔離を宣告される」[6]。
平静時の判断はむしろ卓越し、所領を治め慈善でさえ知られる。それでいて衝動は暴走する。悟性の錯乱は終始ない。なお両版で本文はほぼ同一だが、初版は量刑を「終身隔離(réclusion perpétuelle)」と記し、第二版は単に「隔離(réclusion)」とする。
第二の症例(初版第X章/第二版 §160)を、ピネルは「この種の発展の最高度を一例で理解させる」ものとして導入する。初版の章題は「ある特殊な観察によって顕在化した妄想なき躁病(rendue manifeste par une observation particulière)」、第二版は「盲目的逆上によって標される妄想なき躁病(marquée par une fureur aveugle)」――初版が観察を、第二版が症状を表題に掲げる。
「私はこの種の精神疎外の発展の最高度を、一つの例によって理解させることができる。かつて手仕事に従事し、のちにビセートルに収容されたある男は、不規則な間隔で、次のような症状を呈する逆上発作に襲われる。まず、腸内に灼けるような熱感が生じ、激しい渇きと頑固な便秘を伴う。この熱はしだいに胸・頸・顔へと広がり、相貌により生気を帯びた色を与える。こめかみに達するとそれはいっそう激しくなり、その部位の動脈に、いまにも破裂せんばかりの強く頻繁な拍動を生じさせる。ついに神経の障害が脳に及ぶと、患者は抗いがたい血への渇望(un penchant sanguinaire irrésistible)に支配され、鋭利な道具を掴むことができれば、一種の激情をもって、目の前に現れた最初の人間を血祭りにあげようとする。しかし彼は、他の点では発作のあいだでさえ理性の自由な行使を保っており、問いには直接に答え、観念にはいかなる不整合も、いかなる妄想の徴候も漏らさない。彼は自らの状況の戦慄すべきことすべてを深く感じてさえおり、この強いられた性向をあたかも自らの責めであるかのように悔恨に苛まれる。ビセートルへの収容前、この逆上発作がある日、自宅で彼を襲った。彼はただちに、ほかならず慈しんでいた妻にそれを告げ、暴力的な死を免れるべくただちに逃げよと叫ぶだけの時間しかなかった。ビセートルでも、同じ周期的逆上発作、残虐行為への同じ自動的性向がみられ、その刃はときに、彼が思いやり深い世話と温厚さを讃えてやまぬ監督官その人へも向けられた。健全な理性が血に飢えた残忍さと対立するこの内的闘争は、ときに彼を絶望に追いやり、彼はしばしばこの堪えがたい闘いを死によって終わらせようとした。ある日、彼は施療院の靴直しの裁ち刃を掴むに至り、胸の右側と腕に深い傷を負わせ、それに激しい出血が続いた。厳重な隔離と拘束衣とが、彼の一連の自殺の試みを止めた」[7]。
発作の生理的なクレッシェンド(腸から脳へ上行する熱)、その頂点の抗いがたい衝動、それにもかかわらず保たれる悟性の自由な行使――この三者が併存する。患者は発作のさなかにあってなお正しく推論し、自らの状態を自覚し、理性と渇望との内的闘争に苦しんで自殺を図る。「悟性は無傷、意志のみが冒される」という核が、ここに最も純粋に現れる。
第三の症例(初版第XI章/第二版 §161)は、革命下、牢獄虐殺の時期のビセートルに暴徒が乱入する場面である。理性を保ち分別ある言葉で不当を訴える者が、なお恐るべき危険でありうる、という逆説を示す。
「妄想なき躁病は、我が歴史から消し去りたいと願われるような革命のある時期に、一つの異常な場面を生じさせた。牢獄の虐殺に際し、暴徒たちが、旧体制の犠牲者で狂人と混同されていた者たちを解放するという口実のもとに、ビセートルの精神病者施療院に逆上して押し入る。彼らは武器を手に独房から独房へと巡り、収容者を尋問し、精神疎外が明白であればそのまま通り過ぎる。しかし鎖につながれた一人の囚われ人が、分別と理性に満ちた言葉と、最も痛切な訴えとによって彼らの注意を引く。鉄鎖につながれ、他の狂人たちと混同されているとは、なんと忌まわしいことではないか。常軌を逸した行為のごく些細なものさえ、自分には咎めえまい。これは、と彼は付け加える、最も憤激すべき不正である、と。彼はこれら見知らぬ者たちに、かかる圧制を終わらせ、自分の解放者となるよう懇願する。それより、この武装した一団のあいだに、施療院の監督官に対する激しいざわめきと呪詛の叫びが沸き起こる。監督官は自らの行いの申し開きを強いられ、すべての軍刀が彼の胸に向けられる。彼は最も甚だしい虐待を働いたと告発され、弁明しようとすればただちに沈黙を命じられる。彼は、妄想はまったくないが盲目的逆上ゆえにきわめて恐るべき他の類似の精神疎外者の例を引きながら、自らの経験を訴えるが空しく、人々は罵詈で応じる。そして、わが身をもって彼を庇った妻の勇気がなければ、彼は幾度も刺し貫かれて倒れていたであろう。患者を解放せよとの命が下り、人々は『共和国万歳!』の高まる叫びのうちに彼を意気揚々と連れ出す。武装した多数の男たち、その騒々しく混乱した叫び、酒気に火照った顔の光景が、患者の逆上を再び燃え立たせる。彼は力強い腕で隣人の軍刀を掴み、右に左に斬りつけ、血を流させる。もし速やかに取り押さえられなければ、彼はこのとき、辱められた人類の仇を討っていたであろう。この野蛮な群れは彼を独房へ連れ戻し、唸りながらも、正義と経験の声にいくらか折れたかにみえる」[8]。
暴徒すら彼の理路に動かされて解放するが、外的刺激が盲目的逆上を再点火する。悟性の保持と抗いがたい衝動とは、ここでも併存している。なお初版が暴徒を「群れなして(attroupés)」と記す箇所を、第二版は「武器を手に(armés)」と改めるなど、版間には語句の異同も伴う。
四 もう一つの妄想なき躁病――鎖の患者
妄想なき躁病の例は、種別区分の節だけにあるのではない。ピネルは初版第XI章の脚注で、周期性躁病を扱う節にも他の例を引いたと記しており、この種の例は書物の複数の箇所に散在している。なかでも、施設運営を論じる第二版 §239 に置かれた一例は、これまで見た三例の核――抗いがたい衝動と理性の併存――を、患者自身の自覚という形で極限まで突き詰める。ピネルはまず、理性と両立する熟慮的な悪意と、病的状態に由来する抗いがたい衝動とを区別すべきだと述べ、後者の例としてこの患者を挙げる。
「理性の自由な行使と結びつく一種の熟慮的悪意(méchanceté réfléchie)を――先の諸例におけるように――病的状態(état de maladie)に由来し規則的治療に付されるべきものから区別することが重要である。後者の場合、患者は正しく推論し、自らの状態と、自らを無秩序ないし最も罪深い行為にまで駆り立てる抗いがたい性向(penchant irrésistible)とを自覚しているのである。ビセートルで鎖が抑圧の手段として廃止される以前、一年のうち六か月のあいだ周期的に逆上発作を繰り返す習いであったある患者は、発作の終わりに向けて症状が衰えてゆくのを自ら感じ取り、危険なく施療院内で自由を返してよい正確な時期を察知していた。彼は、自分を最も激しい暴力行為へと駆り立てる盲目的衝動(l'aveugle impulsion)をまだ抑えられないと感じるときには、自らの解放を延期するよう願い出た。施設長がその思いやり深い性格と温厚さによって彼の信頼を勝ち得たのち、彼は平静な合間に告白した。発作のあいだは自らの逆上を抑えることが不可能であり、そのときには、もし誰かが自分の前に現れれば、その血管に血が流れるのが見える気がして、その血を吸い、この吸引をより容易にするためにその四肢を歯で引き裂きたいという抗いがたい欲望に駆られるのだ、と」[9]。
この患者は、自らの衝動を完全に自覚し、それを制御しえないと感じるときには、みずから自由の延期を願い出る。理性は最後まで保たれている。それでいて、発作の渦中では血を吸い四肢を裂きたいという衝動に抗えない。悟性の無傷と意志の被障害という妄想なき躁病の構造が、患者自身の証言によって裏づけられる。
五 周期性という徴標と、非器質性の根拠
これまでの諸例には、一つの共通する徴標があった。発作が周期的であり、発作の外では完全な明識期が回復することである。ピネルはこの周期性を、躁病の本質を読み解く鍵とみなす。
「周期性躁病の発作は、持続時間を度外視すれば、連続性躁病の真の典型とみなすことができ、一方について、他方のあらゆる事情を想起すること以上に正確な観念を与えることはできない。遠因についても、常軌を逸した行為や逆上の諸変種についても、悟性の一つないし複数の機能の損傷についても、妄想が及ぶ対象の夥しい数についても、両者は同じ性格をもつ。いずれの躁病も、情念がもちうるあらゆる激烈と奔放、熱狂が生みうるあらゆる高揚と熱気、狂信と驚異への愛が暗示しうるあらゆる空想的で荒唐無稽なものの所産でありうる。あるときは、生気に満ちた支離滅裂な機知と、軽躁と不条理に満ちた言葉となって発散する陽気で快活な妄想であり、あるときは、威厳と栄光の仰々しい装いにしか酔わない、巨大な高慢の膨張である」[10]。
そして、この周期性は一つの重大な帰結をもつ。発作のあいだに完全な明識期を挟んで再燃する病が、脳の大きな器質的病変によるはずがない――ピネルはこう考え、剖検所見をもってそれを論証する。これが、精神科の対象を「器質的病変なき機能的疾患」として確定する、決定的な一節である。
「人類にとって最も致命的な偏見の一つ、そしておそらく、いたるところで精神疎外者が見捨てられている嘆かわしい状態の原因であるのは、彼らの病を治癒不能とみなし、それを脳ないし頭部の他の部位の器質的病変(une lésion organique)に帰することである。私は断言できる。治癒不能となった、あるいは他の致命的な疾患で終結した妄想性躁病について私が集めた最も多数の事実において、剖検(l'ouverture des corps)の結果のすべては、顕れた症状と照らし合わせるとき、この精神疎外が一般に純粋に神経的な性質をもち、脳実質のいかなる器質的瑕疵の所産でもない(n'est le produit d'aucun vice organique de la substance du cerveau)ことを証明している、と。それどころか、すべてはこれらの患者における強い神経的興奮、生命的エネルギーの新たな発展を告げている――絶え間ない興奮、ときに荒れ狂う叫び、暴力への性向、頑固な不眠、生気を帯びた眼差し、奔放さ、鋭い応答、そして自らの力と精神的諸能力における一種の優越感――。そこから、感覚の印象から独立した新たな観念の秩序、何ら実在の原因をもたない新たな情動、あらゆる種類の幻惑と錯覚が生まれる。期待療法、すなわち精神的・身体的な摂生だけで、ときに完全な治癒に至りうることは、さして驚くにあたらない」[11]。
剖検は器質的病変を示さない。残るのは「純粋に神経的な」、すなわち機能的な障害である。周期的に全快をはさんで再燃しうるという臨床的事実と、剖検が病変を示さないという解剖的事実とが、ここで一つに結ばれ、精神科の対象を器質医学から区別する。第六章第四節が「容器の空洞化」と呼んだ事態の、原典における核がこれである[2]。
六 対極――妄想を伴う躁病
「妄想なき躁病」の輪郭は、その対極と並べたときもっとも鮮明になる。初版では「妄想を伴う躁病」が第三の独立種(第XIII–XVI章)として立てられ、第二版では躁病の本体記述(§155–156)に吸収される。ここでは悟性そのものが錯乱している。
「〔ある種の幻惑にとらわれた者たちは〕想像力が与える形と色とで事物を見る。たとえば、複数の人間の集まりをすべて悪魔の軍団(une légion de démons)と見なし、それを叩き殺そうと独房から出ようとした、あの患者のように。別のある患者は、自分の衣服も、寝床の藁までも――それを絡まり合った蝮の山(un entassement de vipères entortillées)と信じて――ことごとくずたずたに引き裂いた」[12]。
人を悪魔と見、藁を蝮と見る――ここでは妄想が行為を直接に支配する。前節までの諸例では、悟性は無傷であり、衝動だけが暴走していた。冒される能力が、前者では悟性であり、後者では意志である。この対照こそが、「妄想なき躁病」を発祥的逆説たらしめる。悟性の錯乱を欠いたまま狂気がありうる――この一点が、狂気を悟性の病とみなす古典的把握を突き崩し、意志と主体の領域を精神医学の対象へと開いたのである。
七 版による組み替え
以上の訳出を、初版と第二版の二つの配置のうえに置き直してみよう。ここに、本書のもう一つの読みにくさ――版ごとの組み替え――が現れる。
初版において、精神疎外は五つの対等な種へと配列されていた。メランコリー、妄想なき躁病、妄想を伴う躁病、痴呆、白痴である。このうち「妄想なき躁病」は、独立した第二の種(DEUXIÈME ESPÈCE D'ALIÉNATION. La Manie sans délire)として立てられ、第VIII章(前掲の問い)から第XII章「妄想なき躁病の特異的性格」まで、固有の四章を与えられていた。固有の「特異的性格」章をもつということは、それが第三の種「妄想を伴う躁病」と対等の、自立した一個の種であることを意味する。
第二版では、この独立性が失われる。第二節に訳出したとおり、ピネルは manie を「妄想がほとんど全対象に及び、興奮と逆上に結びつくもの」として定義し直した。妄想を含むものとして規定された以上、「妄想なき躁病」はもはや種の表題には居場所をもたない。それは「躁病ないし全般性妄想」という章の内部に、§158 の問いに続く数項(§159–161)として組み込み直される。革命下のビセートル乱入の症例(§161)も、独立種の一章からはずされ、メランコリーの記述(§162)の直前へ置き直される[13]。「全般性妄想(manie)」のもとに「妄想なき躁病(manie sans délire)」が置かれるという、ほとんど形容矛盾に近い位置へ、発祥的概念は退いたのである。
だが、その種が担っていた洞察は失われない。第二節で見たとおり、第二版の分類基準は「悟性および意志の根本的損傷」へと書き換えられていた。独立種としての「妄想なき躁病」――悟性は無傷で意志のみが冒される一型――が消えるのと引き換えに、その洞察(意志の独立性)は、分類原理そのものへと吸収される。種としての退場と、原理としての昇格とが、同時に起こっている[14]。「悟性は健全だが衝動の制御が不能」というこの構造は、後の衝動概念史を経て、現行 ICD-11 の衝動制御症群へと連なってゆく[15]。
結語――初版に走った閃光
原典を通して読み終えたいま、スウェイン=エーの読みが何を指していたかは明らかであろう。発祥の「閃光」とは、テクストの次元では、初版における独立種としての「妄想なき躁病」の自立にほかならない。それは、悟性の錯乱を欠いたまま狂気がありうるという発見――狂気のうちに無傷の理性と、それゆえに主体とを見いだす発見――の、純粋な結晶であった。三つの症例も、鎖の患者も、周期性と非器質性の論証も、すべてこの一つの発見を、異なる角度から証している。
第二版において、この種は独立性を失い、概念としては「躁病ないし全般性妄想」の内部へ解体される。だが、その洞察は分類原理(悟性および意志)として存続する。閃光は初版に最も明るく走り、第二版においてその輪郭を分類の深部へと溶かしていった。整然たる体系として読めば読みにくいこの書物は、一個の出来事として読むとき、はじめてその重要性を開示する。本補遺が原典を多く引いたのは、その出来事に読者を立ち会わせるためであった。症例の現代概念への対応づけは補遺Iへ、対象成立の論理は第六章第四節へと接続する[1][2]。