アンリ・エーと
オイゲン・ブロイラー

ブロイラーの精神医学体系と
その誤解された受容
Henri Ey et Eugen Bleuler
La conception bleulérienne et sa réception faussée dans la psychiatrie française
松石 竹志 Takeshi Matsuishi, M.D., Ph.D.
Revised v27 · MMXXVI
英語版は本稿に基づき三篇に分けて公開: The Loosening of Associations(体系篇)・ The Cradle of Delusions(受容篇)・ The Natural History of the Soul(『魂の自然史』解題)
要旨 Abstract

1925 年夏、アンリ・エー(Henri Ey, 1900–1977)はピレネー山麓の無人の家にこもり、14 年前にドイツ語で刊行されたオイゲン・ブロイラー『早発性痴呆または統合失調症群』(1911 年)の翻訳に取り組んだ。この訳稿は 1945 年に謄写版で少数の精神科医に配られたにすぎず、ブロイラーの本格的な仏訳が公刊されるのは 1993 年である。本稿はこの個人的な読書を出発点に、フランス精神医学におけるブロイラー受容の構図を一次資料に即して再構成する。焦点は三つある。第一に、日本ではほとんど知られていないブロイラーの体系の全貌——統合失調症論文のみならず、『精神医学教科書』(第 3 版、1920 年)、『魂の自然史』、『精神様体』、『機械論・生気論・記憶論』からなる五著作の連関——を、教科書 A 章「心理学的手引き」の内在的分析を通して示す。第二に、1926 年ジュネーヴ=ローザンヌ会議におけるブロイラーとアンリ・クロードの対決を、討論を含む L’Harmattan 版リプリントによって読み直す。第三に、エーが 1940 年の講演で行った読解——一次症状と二次症状の区別を「器質—臨床間隔の原理」として抽出し、ジャクソンの解体論に接続する操作——の内実を検討する。

本稿の結論は、フランスにおけるブロイラー受容が「正確な継承」ではなく「二重の創造的変換」であったという点にある。ミンコフスキーはブロイラーの自閉症概念をベルクソンの「生きられた時間」へと読み込み、エーは「急性期は多くの妄想観念の揺りかごである」という一文をジャクソン的解体論へと読み込んだ。この二つの解釈学的変換の代償として、ドイツ語圏(ヤスパース、シュナイダー、コンラート)が保持した「一次妄想」の現象学的地位は事実上切り捨てられる。しかし収益もまた大きい。カプサンベリス編の現代フランス精神医学教科書第 27 章は、「解体・解離・両価性・不一致」の出典をブロイラー(1911 年)とし、その継承経路を「アンリ・エー(1996 年)とフランス学派」と明記しており、この系譜は現行の標準教科書のうちに制度的に保たれている。さらに、GWAS による五疾患共通のリスク座位の同定、計算論的発話分析、予測符号化理論、異常顕著性理論、機能的 MRI が示す前頭前野機能障害と辺縁系過剰活動の非対称は、いずれもブロイラー=エー体系の神経生物学的な近傍へと、異なる経路から接近しつつある——その接近が何を確立し、何を確立しないかは、本文末尾(第五章 5-6 節)で秤量する。ICD-11 が「弛緩した連想」を診断基準に温存し、シュナイダー一級症状の特権を廃し、古典的亜型を次元的評価に置き換えたことは、この伝統への部分的な回帰として読むことができる。

Abstract (English)

In the summer of 1925 Henri Ey (1900–1977) withdrew to an empty family house in the foothills of the Pyrenees and set himself to translate Eugen Bleuler’s Dementia praecox oder Gruppe der Schizophrenien (1911), a book then fourteen years old and almost unknown in France. His version was mimeographed in 1945 for a small circle of psychiatrists; a proper French translation of Bleuler did not appear until 1993. Taking that private act of reading as its point of departure, this paper reconstructs, from primary sources, the shape of Bleuler’s reception in French psychiatry. Three matters are in focus. First, the whole of Bleuler’s system — not the schizophrenia monograph alone but its connection with the Lehrbuch der Psychiatrie (3rd ed., 1920), Naturgeschichte der Seele, Die Psychoïde and Mechanismus, Vitalismus, Mnemismus — is set out through an internal analysis of chapter A, the “psychological guide,” of the textbook, a body of work still largely unread in Japan. Second, the confrontation between Bleuler and Henri Claude at the Geneva–Lausanne congress of 1926 is read afresh from the L’Harmattan reprint, which preserves the discussion in full. Third, the paper examines what Ey actually did in his lecture of 1940: he drew from Bleuler’s distinction between primary and secondary symptoms a “principle of the organo-clinical gap” and joined it to Hughlings Jackson’s theory of dissolution.

The conclusion is that the French reception of Bleuler was not faithful transmission but a double creative transformation. Minkowski read the concept of autism in the direction of Bergson’s lived time; Ey read the sentence Die Wiege vieler Wahnideen sind die akuten Zustände in the direction of Jacksonian dissolution. The price of these two hermeneutic conversions was the effective loss of the phenomenological standing of “primary delusion” as the German-speaking tradition — Jaspers, Schneider, Conrad — had maintained it. The gain, however, was considerable. Chapter 27 of the contemporary French textbook edited by Vassilis Kapsambelis names Bleuler (1911) as the source of désintégration, dissociation, ambivalence and discordance, and names “Henri Ey (1996) and the French school” as the route of transmission: the lineage is institutionally preserved in a current standard text. Independent approaches now converge on the neighbourhood of the Bleuler–Ey system’s neurobiological plausibility: genome-wide association studies identifying risk loci shared across five major disorders, computational analyses of speech, predictive-coding and aberrant-salience theories, and the asymmetry between prefrontal dysfunction and limbic overactivity shown by functional imaging — what these arrivals do, and do not, establish is weighed in the closing sections (§5.6). That ICD-11 retains “loosening of associations” among its diagnostic requirements, strips Schneiderian first-rank symptoms of their privileged position, and replaces the classical subtypes with dimensional specifiers may be read as a partial return to this tradition.

第一章 ピレネー山麓の夏——エーとブロイラーの知的出会い

本稿におけるエーの伝記的事実の叙述は、特に断らない限り、パトリック・クレルヴォアによるアンリ・エー評伝[1](筆者による邦訳を準備中)に依拠する。叙述と解釈の文責は筆者にあるが、事実関係の典拠は同書に負うところが大きい。

1-1 1925年夏、「マス・ポトー」にて

1925年の夏、アンリ・エー(Henri Ey, 1900–1977)は休暇を利用して、ルシヨン地方の先祖伝来の土地、ピレネー山脈オリエンタル山麓の「マス・ポトー(Mas Potou)」と呼ばれる場所に避難した。Patrick Clervoy の評伝によれば、家は無人で、家具は最低限のものだけであった。食料は米とベーコン、玉ねぎとニンニクだけで、毎日大きなフライパンでスペイン風の飯を炊いた。山に向かってテーブルと椅子を置き、本とノートと鉛筆を前にして、彼はわざと孤立して仕事をした。この仙人のような生活の中でエーが取り組んだのが、14年前にドイツ語で出版されたブロイラーの大著の翻訳であった。[1]

オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler, 1857–1939)の『早発性痴呆または統合失調症群(Dementia praecox oder Gruppe der Schizophrenien)』(1911 年)は、精神医学史上最も重要な著作のひとつであるにもかかわらず、フランス語圏ではほとんど知られていなかった。エーが翻訳に着手した1925年時点において、フランス語の学術誌に掲載されたブロイラー関連の論文は、1912年の神経学誌(Revue de Neurologie)に掲載されたトレネル(Trénel)による短い要約、1914年の心理学誌(Journal de Psychologie)に掲載されたエスナール(Hesnard)による分析(エスナールは1913年のル・ピュイ会議でブロイラーの考えをフランスに最初に紹介したと後年証言している)、そして1924年の『アンセファール(L’Encéphale)』に掲載されたミンコフスキー(Eugène Minkowski)による解説の、合わせてわずか三編にすぎなかった。第一次世界大戦の影響でドイツ語圏との学術交流が途絶えたことも普及を遅らせたが、それ以上に、フランス精神医学がブロイラーの概念的枠組みそのものに対して根本的な留保を抱いていたことが重要である。

師のポール・ギロー(Paul Guiraud)とともにこの著作を研究していたエーは、青い表紙の大学ノートにその要約を書き写していった。「精神医学はこうして学んだ」と彼は後年証言している。そして翻訳作業の中でエーを深く「悩ませ、精神医学の訓練に深い足跡を残した」一つのフレーズがあった。

Die Wiege vieler Wahnideen sind die akuten Zustände.

急性期は多くの妄想観念の揺りかごである。

この短い一文がエーを強く引きつけた理由は、後の分析によって初めて理解できる。しかしここで正確を期しておく必要がある。ブロイラー原文の「vieler(多くの)」は「aller(すべての)」ではない。ブロイラーは「多くの妄想観念の」揺りかごが急性期にあると述べたのであり、すべての妄想がそのように生じると主張したのではない。彼は慢性的・潜行的に形成される妄想の存在も認めており、むしろフロイトの影響を受けた妄想の内容と構造——複合体、欲望充足、象徴表現——への関心が中心にあった。エーがこの一文から引き出したのは、ブロイラーの限定的な記述をジャクソン的解体論の枠組みで体系化したエー独自の読み込みであった。この「読み込み」の意味については第五章で改めて論じる。なお、このブロイラーのフランス語訳は1993年まで出版されることがなく、エーの要約翻訳は1945年に S・フォラン(S. Follin)の協力のもと精神医学研究会(Cercle d’Études Psychiatriques)のために謄写版印刷された形で、限られた読者に流通するのみであった。[1][2]

もう一点、エーの読解を追うために欠かせないことがある。この一文は箴言として孤立しているのではない。それは 1911 年著作の「妄想観念の成立と運命(Entstehung und Schicksale der Wahnideen)」と題された節の冒頭に置かれた宣言であり(S. 106)、そこから十頁ほどにわたって、ブロイラーはそれを支える症例を次々に繰り出していく。急性状態で生まれた妄想が状態を越えて残る例、夢のなかで形成され覚醒後も保持される例、発作をまたいで再燃し、しかも成長して戻ってくる例——エーが青い大学ノートに要約を書き写しながら読んでいたのは、この一連の記述である。当該箇所から一二の症例と二つの一般的定式を*原文注 3 に採録した。「揺りかご」という比喩がなぜエーを「悩ませ」たのかは、一文だけを見ていては見えてこない。

1-2 ブロイラーの精神医学体系——日本では知られていない全貌

日本の精神科医にとって、ブロイラーの名前は主として1911年の統合失調症論文と結びついている。この著作については英語訳(Zinkin 訳、International Universities Press、1950 年)が存在し、日本語でも1974年に医学書院から翻訳が出版されている(飯田眞ら による訳、なお訳者四人による共訳のため訳語の統一に問題が残るとの指摘がある)。しかし、ブロイラーの精神医学思想の全貌を示すもう一つの主著、『精神医学教科書(Lehrbuch der Psychiatrie)』については、書誌的にやや複雑な経緯がある。本書は1916年の初版以来オイゲン・ブロイラーが単独で第6版まで監修し、オイゲンの死(1939年)後は息子マンフレット・ブロイラーが改訂を引き継ぎ、以後1983年の第15版に至るまで計九回の改訂を行った。日本語全訳については、1943年頃に翻訳が着手され、最終的に第15版(1983年、マンフレット・ブロイラー校訂、J・アングストほか複数の協力者)に基づく邦訳が、総論・内因性精神病・心因性精神病・器質性精神病・てんかんの計三巻として1990年に一応の完結を見ており、日本語圏でも入手可能な状況にある。ただし第15版はマンフレットが「全体の四分の一以上を完全に書き直した」と自ら述べるほど大幅に改訂された書物であり、オイゲン・ブロイラーの思想的核心に直接接するためには、統合失調症論文刊行に近く、かつオイゲン単独著作として完成度の高い第3版(1920年)を参照することが不可欠である。版次の詳細については*原文注 2 を参照されたい。

エーが評価したのは、この孤立した統合失調症論文だけでなく、ブロイラーの精神医学体系全体であった。エーは後年の論文「オイゲン・ブロイラーの概念(La conception d’Eugen Bleuler)」において、「チューリッヒの巨匠の業績は、私の目には今世紀の精神医学の傑作である。統合失調症状態の研究は、それだけで広範かつ基礎的な一般精神病理学の概念を表しており、その後の四つの主要著作によって補完されている」と述べた。[2]

ここで言及されるのは、基軸をなす統合失調症論文(一)と、これを補完する「四つの主要著作」(二〜五)である。(一)『早発性痴呆または統合失調症群』(1911 年)——統合失調症概念の根本的再構成。(二)『精神医学教科書』(初版 1916 年、第3版 1920 年)——精神医学全体を統括する体系書。A 章「心理学的手引き」から N 章「個別精神疾患」まで、第3版で526頁に及ぶ。(三)『魂の自然史(Naturgeschichte der Seele)』(初版 1921 年)——精神生物学的一元論。(四)『器質的発展の原理としての精神様体(Die Psychoïde als Prinzip der organischen Entwicklung)』(1925 年)——生命の組織化原理としての「精神様体」。(五)『機械論・生気論・記憶論(Mechanismus, Vitalismus, Mnemismus)』(1931 年)——生物学の根本問題の考察。[8]エーはブロイラー自身が1932年の書簡で統合失調症論文よりも『魂の自然史』に大きな価値を置いていたと証言していることを熟知した上で、この体系全体を「第三の道」としての器質発生論の探求として読み解いた。なお、エーは1940年の論文原注 8 において「本論では触れてこなかった彼の教科書は……心身相関の彼の記憶主義的考想をいわば絶対と言ってよいほどに応用していない」と自認しており、本稿が独自に教科書分析を加える根拠はここにある。

ここで、本稿の資料上の制約を明示しておかねばならない。右の五著作のうち、本稿が原典に即して読みえたのは(一)(二)(三)の三点である。(四)『精神様体』(1925 年)と(五)『機械論・生気論・記憶論』(1931 年)は、いずれも筆者が入手しえていない。前者は冒頭部分がシュプリンガーのサイトで閲覧できるほかに公開全文が見当たらず、書籍としても現在通常の流通経路では手に入らない。後者も同様であり、欧米の公共アーカイヴにも電子版は現れていない。したがって本稿がこの二著作について述べることは——とりわけ第四章 4-2 節で扱う精神様体については——ヤスパースおよびエーが与えた要約と、(三)『魂の自然史』の本文との対照から導かれた推論であり、原典による検証を経ていない。ブロイラーに対するエーの賞賛とヤスパースの批判がなぜ生じたのかという本稿の問いが、事実上『魂の自然史』一冊を足場として論じられているのは、この事情による。原典が入手できしだい、当該箇所は書き改められるべきものと考えている。[7][8] なお本稿は、英語版三篇(別稿)と対をなす姉妹編としての性格を持つが、方針として、他の論点については原典または一次資料に遡って直接引用し、単に「別稿を参照」として済ませることを避けている。読者が本稿以外の文献にあたらずとも各論の当否を確認できることを、可能な限りの範囲で期している。この方針の例外は、右に断った(四)(五)の二著作のように、一次資料そのものが現在入手不能な場合に限られる。

1-3 1926年のジュネーヴ=ローザンヌ会議——ブロイラーとクロードの歴史的対決

1926年8月2日から7日にかけて、ジュネーヴ=ローザンヌにて第三〇回フランス語圏精神科医・神経科医会議(XXXe Session)が開催された。精神医学部門報告の演題はまさに「統合失調症(La Schizophrénie)」であり、ブロイラー本人がチューリッヒから参加して主報告を行い、アンリ・クロード(Henri Claude)がフランス側の対抗報告「早発性痴呆と統合失調症(Démence Précoce et Schizophrénie)」を行った。報告書はパリのマッソン(Masson et Cie)から即年出版されている。本稿が翻訳しつつ直接参照したのは、2001年にパリの L’Harmattan 社から出版されたリプリント版(Eugen Bleuler, Henri Claude: La schizophrénie en débat, Paris: L’Harmattan, 2001)であり、これは討論を含む全三部構成で入手しやすく、Masson 原版(1926 年)の本文を完全に再録している。[11][12]

ブロイラーの報告書冒頭の言葉は、フランスにおける自分の誤解の深さへの認識を率直に示している。

Quand je lis les travaux français sur la schizophrénie, j’ai l’impression d’être un personnage légendaire auquel on attribue souvent des paroles qu’il n’a jamais prononcées et des actes qu’il n’a jamais accomplis.

フランスの統合失調症に関する論文を読むと、自分はいつも語ったことのない言葉や行ったことのない行為を帰せられる伝説的人物のような印象を受ける。[11]

報告書の核心は、統合失調症の器質的実体の宣言にある。

Dans tous les cas prononcés de schizophrénie on constate des modifications anatomopathologiques dans le cerveau […]. La schizophrénie est ainsi non seulement une entité clinique, mais en même temps une entité anatomo-pathologique.

明確な統合失調症のすべての症例において、脳における解剖病理学的変化が確認される。……統合失調症は臨床的実体であるだけでなく、同時に解剖病理学的実体でもある。[11]

La schizophrénie est une affection physiogène, c’est-à-dire à base organique. […] L’origine organique de la schizophrénie se laisse démontrer aujourd’hui avec toute l’évidence voulue.

統合失調症は生理発生性の疾患、すなわち器質的基盤を持つ疾患である。……統合失調症の器質的起源は今日、必要なすべての証拠をもって実証できる。[11]

これらの宣言こそが、エーがピレネーでの翻訳作業を通じて読み取っていたブロイラーの立場の公式確認であった。エーは後年「フランスの精神科医たちはブロイラーの口からこれを直接聞きながら、無駄だったようである」と評した。

ブロイラーはさらに、フランス精神医学への温かみのある皮肉を述べた。「フランス人は確かに世界最高の心理学者であり……私たちは最低である!」という言葉に続き、フランス精神医学が生み出した臨床表——緊張病、錯乱、解釈妄想——は「異なる秩序の単位」として卓越しているが、解剖病理学的・遺伝生物学的根拠に基づく「統合失調症群」とは分類原理において区別されるべきであると述べた。

会議での討論は活発であった。ミンコフスキーはブロイラーの自閉症概念を「現実との生命的接触の喪失」として精神病理学的に発展させる立場から発言し、アングラードはブロイラーの構想を「広大な統合失調症連合が占める広大な領土」と呼んで批判した。ラニェル=ラヴァスティーヌは解剖病理学的観点からブロイラーを支持した。討論における「コンゴの例」への異論については、第三章 3-4 節で詳しく論じる。この討論を正確に評価するためには、連想(association)という概念が西洋思想史においていかなる位置を占めてきたかを遡らなければならない——アリストテレスの記憶論から近代イギリス経験論を経てヴントの実験心理学に至る長い思想史的文脈においてはじめて、コンゴとエジプトをめぐるブロイラーの事例が問題にしている認知的障害の意味が明確になり、クルボンの反論の何が的を射ていて何が論点を外しているかが判断できる。クロード対抗報告は「早発性痴呆」と「統合失調症」を区別する必要を論じ、「急性統合失調症」の否定とフランス古典精神医学の経過診断の伝統の擁護においてエーと共鳴していた。[9]

エーとギローが同年三月に発表した共同論文「ブロイラーの統合失調症に関する批判的指摘(Remarques critiques sur la schizophrénie de Bleuler)」(Annales Médico-psychologiques, I, 1926, pp.355–365)は、このローザンヌ会議と同じ知的文脈に位置する。[1][3] エーとギローの批判の核心は二点にあった。第一に、「急性統合失調症」の否定と経過診断の伝統の擁護。第二に、しかし「情動の器質的性質」——器質的原因論——については明確に支持した。この二重性こそが、エーのブロイラー読解の特徴であった。

こうしてローザンヌ会議は、本稿全体を貫く二つの対比軸が公的な場に顕在化した歴史的な瞬間であった。第一の軸は、エーの器質力動論的立場とミンコフスキーの現象学的立場との分岐である。ローザンヌ会議においてミンコフスキーがブロイラーの自閉症概念をベルクソン的な「生きられた時間の喪失」として読み替えたことに対し、エーはブロイラーの連合弛緩の器質的基盤を中心に置く読解を貫いた。この分岐はブロイラーのテキスト解釈上の問題にとどまらず、精神医学の認識論的基盤——精神現象を器質発生的に把握するか、現象学的に記述するか——という根本的な問いの相違として理解されなければならない。第二の軸は、フランスの解体論的伝統とドイツ語圏の現象学的精神病理学との対比である。ヤスパース(Karl Jaspers)は因果的説明を拒む一次的な現象としての「真正妄想(echte Wahnwahrnehmung)」を確立し、シュナイダーとコンラートはこの伝統を操作的診断へと展開した。これに対してエーは、急性錯乱状態を解体の根本的現れとし、妄想をその固定・結晶化として把握した。この二軸の交差する地点にこそ、フランス精神医学におけるブロイラー受容の固有の問題が集中している。読者には、以下の章を読み進めるにあたって、この二つの対比軸を念頭に置いていただきたい。

1-4 ミンコフスキーとの分岐——同じブロイラーを読んで何が分かれたか

1926年という年に、同じブロイラーの著作から出発した二つの読解が鋭く分岐した。一方はエーとギローの器質発生論的読解であり、他方はウジェーヌ・ミンコフスキー(Eugène Minkowski, 1885–1972)の現象学的読解である。ミンコフスキーはブロイラーにおける「自閉症(autisme)」概念を、ベルクソンの「生きられた時間(temps vécu)」の喪失という現象学的方向へと読み替えた(『統合失調症(La schizophrénie)』1927年)。[10] エーの目には、ブロイラーが最も重視した器質発生論的枠組みを空洞化させるものとして映った。

エーの後年の論文は、ミンコフスキーのこの読解がいかにブロイラーの真意を曲解したかを繰り返し指摘している。「ブロイラーの教義は何よりも器質発生論的であり、精神発生論的ではない」というエーの確信は、生涯を通じて揺らがなかった。Clervoy はエーが「ミンコフスキーの無意識を意識に支配された事例とする器質力動論を直接批判した」と記録している。もっとも、Clervoy の記述によれば、エーは毎週火曜日のパリ行きの際、「毎月、それとなくウジェーヌ・ミンコフスキーを訪ねていた」という。理論上の鋭い対立は人間的断絶を意味しなかった。1971年のフーコー討論会においても、エーがフーコーを鋭く批判したのに対し、ミンコフスキーは「融和者」として振る舞った——この姿勢の違いは1926年の分岐の延長線上にある。師弟の関係でありながら理論的に正面から対立するというこの構図が、フランス精神医学におけるブロイラー受容を二分することになった。[1][2][3]

1-5 謄写版から論文へ——1940年講演の意義と先行研究

1925年のピレネーでの翻訳作業は、その直後の1926年に公的な議論の場に登場した後、一時期エーの主要関心から外れた。こうした思索の蓄積を背景として、1940年9月から10月にかけて、エーは「精神医学の現代的傾向」と題する一連の講演を行い、その最終回「オイゲン・ブロイラーの概念(La conception d’Eugen Bleuler)」を1945年に謄写版印刷した。本稿が参照するエーのテキストは、後に1993年の Viallard によるブロイラー仏語訳に附録として収録されたものである。

なお、このエーの論文については、アンリ・エー『幻覚』第 5 巻 器質・力動論 2(影山任佐・安部隆明訳、2017年)の「資料 2」として、影山先生が詳細な訳注を付した日本語全訳を収録しておられる。[13] 影山先生の訳注は、独語原文との照合、エーによる意訳への指摘、エーが「器質・臨床的隔たり」という用語を最初に使用した論文(1934年)の特定など、極めて精密な資料的作業を含んでいる。ただし同論文においては、Clervoy の評伝(1997年)の内容にまで踏み込んだ検討はなされておらず、また影山先生の訳注の原典となったエーの論文自体が、エー自身の原注 8 において「本論では触れてこなかった彼の教科書は……」と明記しているように、ブロイラーの『精神医学教科書』(Lehrbuch)の分析は含まれていない。本稿は、Clervoy による伝記的文脈の追加、『精神医学教科書』の詳細な分析、ローザンヌ会議報告書の原典直接引用、連合弛緩概念の思想史的・理論的検討、および Kapsambelis による現代フランス精神医学教科書での証言を加えることにより、先行する紹介とは視野を異にする考察を試みる。

第二章 ブロイラーの精神医学教科書——解題

本章に入るにあたって、一つ断っておくべきことがある。エーは 1940 年の講演で『精神医学教科書』をほとんど扱わなかった。しかもそれは偶然の省略ではなく、意識的な選択であった。1-5 節でも触れたとおり、彼は講演の末尾の原註 8 においてその理由を自ら明かしている。本章の出発点となる一節であるから、ここに原文を掲げておく。

Son Lehrbuch, dont nous n’avons guère parlé dans cet exposé, reste en effet très en deçà de ses remarquables études sur les schizophrénies et n’utilise pour ainsi dire jamais sa conception mnémiste des rapports du soma et de la psyché.

彼の『教科書』は、本講義でほとんど触れなかったが、実のところ統合失調症についての彼の卓越した研究群にはるかに及ばず、身体と心の関係についての彼の記憶論的構想をほとんど一度も用いていない。[2]

エーの関心は一貫して心身関係の哲学的定式にあり、その基準から見れば教科書は「はるかに及ばない」ものであった。しかしこの判断は、教科書を臨床の書としてではなく心身論の書として読んだ場合にのみ成り立つ。教科書が体系的に示しているのは心身論ではなく、正常心理学から病理へ、そして疾患単位へと降りていく構成そのものである。本章はその構成を内在的に読むことを課題とする。エーが意識的に脇に置いたものを正面から扱うという意味で、本章は 1940 年講演の補完として書かれている。

2-1 『精神医学教科書』の構成と性格

第3版(1920年)の『精神医学教科書(Lehrbuch der Psychiatrie)』は、ブロイラーが「医師のために診療上必要な知識を伝える」ことを目的として構成した体系書である。第1版序文においてブロイラーは、「心理学なき精神医学は生理学なき疾患学である」という立場を明確にし、「不明確な概念が明確なものとして通用することは、無知よりもはるかに真の理解を妨げる」という方法論的原則のもとに、概念の精密化を一貫して追求した。

全体の構成は以下の通りである。A 章「心理学的手引き(Psychologische Wegleitung)」においては、精神医学の基礎となる心理学的概念群——意識・無意識、感覚・知覚・表象、連合・思考、知性、記憶、情意性、注意、暗示、そして「自閉的思考(autistisches Denken)」と「人格」——が体系的に論じられる。B 章「一般精神病理学(Allgemeine Psychopathologie)」においては、各精神機能の病的変形が論じられる。そして第 N 章「個別精神疾患(Die einzelnen Geisteskrankheiten)」において、器質性精神病から統合失調症群・躁うつ病・神経症・精神薄弱に至る疾患が記述される。この構成自体が、精神疾患の理解が精神機能の正常な働きの理解の上に初めて成立するというブロイラーの根本的確信の表明である。

この構成の意味は、クレペリンの教科書との対比において初めて鮮明になる。クレペリン『精神医学——学生と医師のための教科書(Psychiatrie. Ein Lehrbuch für Studierende und Aerzte)』第6版(1899年)の第二章「精神病の諸現象(Die Erscheinungen des Irreseins)」は、A 節「知覚過程の障害」、B 節「知性活動の障害」、C 節「感情生活の障害」、D 節「意志と行為の障害」という四部構成をとり、18世紀の能力心理学以来の知・情・意の三分法(Erkennen–Fühlen–Wollen)を整然と継承する。各節は外側から観察可能な現象の目録として組み立てられており、思考過程の節においても「観念奔逸(Ideenflucht)」「錯乱(Zerfahrenheit)」「強迫観念」といった症状形態が記述される。クレペリンの根本的な関心は序論で明示されている——「医師に正当に要求されるのは到来するものの予言(Voraussage des Kommenden)である」。観察された症状から予後を予測するという縦断的連鎖が彼の臨床的中心命題であり、心理学はその「補助手段」として位置づけられるにとどまる。[20]

ブロイラーの「心理学的手引き」はこれとは根本的に異なる問いから出発する。クレペリンが「何が観察されるか」を問うのに対し、ブロイラーは「なぜそれが生じるか」を問う。クレペリンが窓の外から症状の形態を記録するとすれば、ブロイラーは部屋の中に入り込み、精神現象が成立するメカニズムを内側から把握しようとする。この方向性の違いが A 章冒頭から徹底している。ブロイラーは「不明確な概念が明確なものとして通用することは、無知よりもはるかに真の理解を妨げる」という方法論的原則のもとに、まず正常な心理学を体系的に確立した上で、病理をその量的変形として記述する。「患者と健常者の違いは量的なだけである」という定式はクレペリンの断絶的な健常/病理の二分法と正面から対立する。

こうした方法論的立場から必然的に導かれるのが、連合(Assoziation)を精神医学の中核概念として据えるという選択である。クレペリンにとって「観念の連合」は症状記述の語彙の一つにすぎず、思考過程の障害として観察される現象に名称を与えるための術語である。しかしブロイラーにとって連合は、アリストテレスの記憶論からロック・ヒュームの連合論哲学、そしてヴントの実験心理学へと至る長い思想史的系譜を経て確立された、「思考が実際にいかに連鎖するか」という問いへの答えである。ブロイラーがユングとともにブルクヘルツリ病院で行った単語連想実験(1904〜06年)は、この系譜の自然な延長線上にある。連合の「親和性(Affinität)」の強弱こそが思考の論理的秩序を成立させる基盤であるとすれば、その親和性の弱化——連合弛緩——は、単なる一症状ではなく、人間的思考を成立させる条件そのものの崩壊として理解されなければならない。

この把握は現代神経科学によっても独立に裏付けられている——フレッチャーとフリスの予測符号化モデル(2009 年)とカプールの異常顕著性理論(2003 年)は、文脈による連合制御の障害というブロイラーの直観に生物学的水準で対応する(詳論は第三章 3-4 節および第五章 5-6 節)。[15][14] 連合弛緩は印象論的な記述ではなく、百年を経て測定可能な神経生物学的過程の言語に翻訳されつつあるのであり、これこそが連合弛緩を統合失調症の「基本症状」の筆頭に置いた理由であり、教科書の A 章「心理学的手引き」全体がこの確信の展開として読まれる所以である。クレペリンが病院の外来記録から症状の法則性を帰納しようとしたのに対し、ブロイラーは思考の哲学的・心理学的基盤への洞察から病態を演繹しようとした——この方向性の違いが、1926年のローザンヌ会議でブロイラーがフランス精神科医たちに自分の考えが「伝説的に誤解されている」と感じた遠因でもある。

この問いの方向性の違いは、後にシュナイダーの一次妄想論(診断的切片への収斂)とエーの解体論的妄想論(急性錯乱から慢性妄想への移行過程)という二つの系譜として結晶化する。その対立の意味については第三章・第五章で詳述する。

2-2 A 章「心理学的手引き」の全体像

A 章「心理学的手引き」は、精神医学に先立つ基礎としての心理学を体系的に論じる構成である。各節の内容を順に確認する。

a 節「意識と無意識」は、意識を「一定の時点において存在する精神過程の総体」と定義し、無意識を積極的な心的力として位置づける。b 節「感覚・知覚・表象」では、知覚が感覚データに対する能動的な組織化として論じられ、「患者と健康な人との違いは量的なだけである」という後の定式の基礎が置かれる。c 節「連合と思考(Assoziation und Denken)」は、A 章全体の中核をなす節である。ブロイラーは連合を「思考の素材を結びつける力」として規定し、連合の「親和性(Affinität)」の強弱が思考の論理的秩序を決定すると論じる。「連合親和性の弱さ(Schwäche der Assoziationsaffinität)」は、後に統合失調症の一次症状として特定されることになる概念の核心であり、この概念をめぐる思想史的・理論的問題については第三章で詳述する。

d 節「知性(Intelligenz)」では、知性を「新しい状況に対して既存の連合を柔軟に適用する能力」として定義する。知性の障害は連合障害の派生として理解されることで、痴呆(Demenz)はもはや知識の喪失ではなく、連合の柔軟性の喪失として再概念化される。e 節「記憶(Gedächtnis)」の論述は、後期著作『魂の自然史』の「記憶論(Mnemismus)」と直接接続する。f 節「情意性(Affektivität)」では、「情動トーン(Gefühlston)」の概念のもとに、感情の平板化(Affektverflachung)が情動と思考内容の構造的な解離として理解される。g 節「注意」では能動的注意と受動的注意が区別される。h 節「暗示」では暗示可能性が病態形成への寄与として論じられる。

以上から明らかなように、A 章「心理学的手引き」は、精神医学の基礎科学としての心理学を包括的に提示するものである。1911年の統合失調症論文のみを参照した場合、ブロイラーの精神病理学は「統合失調症の病態論」として読まれやすい。しかし教科書の A 章と対照するとき、それが「精神全体の理論」を前提とした臨床的応用であることが見えてくる。

2-3 A 章 k 節「自閉的思考」の核心

A 章において特に重要なのが、k 節「自閉的思考(Das autistische Denken)」である。ブロイラーはここで、現実に拘束された思考(realistisches Denken)と現実から離れた思考(autistisches Denken)を対比させる。後者の特徴は、「現実との矛盾を顧慮しない」ことにあり、本能と情意性によって与えられた目標を追求する「感情の論理(Logik des Fühlens)」に従う。

Wenn wir spielend unserer Phantasie den Lauf lassen, in der Mythologie, im Traum, in manchen krankhaften Zuständen, will oder kann sich das Denken um die Wirklichkeit nicht kümmern; es verfolgt von Instinkten und Affekten gegebene Ziele.

私たちが遊びながら空想に任せるとき、神話において、夢において、いくつかの病的状態において、思考は現実を顧慮することを望まないか、できない。それは本能と情意性によって与えられた目標を追求する。[5]

自閉的思考は夢、神話、詩、哲学と連続するものとして把握されている点に注目すべきである。ブロイラーは、統合失調症における自閉症を、正常な自閉的思考の病的な極端化として位置づけた。「患者と健康な人との違いは量的なだけである」という後の論文における表現は、すでにこの A 章の基本的な発想に含まれていた。エーがブロイラーの教科書から引き出したのも、まさにこの連続性の原理であった。

2-4 B 章「一般精神病理学」と N 章「統合失調症群」

B 章「一般精神病理学」は、A 章で確立した正常心理学の概念を、その病的変形として記述する構成をとる。求心性機能の障害の節では、幻覚が一次的な脳過程の障害の産物ではなく、その障害によって解放された自閉的精神活動が生み出す「二次的症状」として位置づけられる。連合と思考の障害の節は、A 章 c 節「連合と思考」の病的変形を体系的に記述する。感情の平板化(Affektverflachung)は「感情の消滅」ではなく「情動と思考内容の解離」として理解される——患者の内的世界では強烈な感情が動いているが、それが外的表現と結びつかなくなっているという理解である。

教科書の N 章「統合失調症群」(第280頁以降)においてブロイラーは、基本症状として「連合の障害」「情意性の変化」「自閉症」を挙げ、副次症状として幻覚・妄想・緊張病症状などを位置づける。「この疾患は各段階で停止しうるし、その症状の多くは非常に程度を縮小するか、全く消退しうる。私たちはそれを狭義の一つの疾患としてではなく、疾患群として考える」。これは、統合失調症を「実体(Entität)」としてではなく「群(Gruppe)」として把握するブロイラーの根本的立場であり、エーが1940年の講演で執拗に強調した論点そのものである。

第三章 エーの読解——ブロイラーの三つの論点と連合弛緩の哲学的重み

3-1 疾病分類学的概念——「実体」ではなく「反応形態の群」

エーが1940年の講演においてブロイラーの第一の功績として挙げるのは、疾病分類学的概念の革新である。エーはブロイラー自身の言葉を引用する。「便宜上、私はこの言葉〔統合失調症〕を単数形で使うが、この群はおそらく複数の疾患を含んでいる」(1911年著作、5頁)。フランス語訳(Viallard 訳)の表現はこうなっている。

Il s’agit d’un groupe de psychoses évoluant soit chroniquement, soit par poussées, de telle façon que ne peut en résulter une restitutio ad integrum. Il est caractérisé par la dissociation des fonctions psychiques, par des troubles associatifs, par des troubles affectifs et des troubles du contact avec le monde.

それは慢性的に、あるいは発作によって進行する精神病群であり、完全な回復(restitutio ad integrum)には至らない仕方で経過するものである。精神機能の解離、連合障害、情意の障害、そして世界との接触の障害によって特徴づけられる。[4]

エーの解釈によれば、「統合失調症群はむしろ種というより属であり、器質性精神病という別の属に類似した属」として把握されるべきものである。精神病理学的反応の特定の構造的形態——それがブロイラーの言う「統合失調症」の本来の意味である。この認識の背景には、教科書 A 章で論じられた「量的連続」の原理がある——統合失調症は健常との断絶ではなく、正常な精神機能の組織化が特定の仕方で崩壊したものとして把握されるのである。

3-2 一次症状と二次症状——器質—臨床間隔の原理

エーが最も重要視するブロイラーの概念的貢献は、一次症状(symptômes primaires)と二次症状(symptômes secondaires)の区別である。ブロイラーは骨軟化症(ostéomalacie)のアナロジーを用いてこの区別を説明する。エーの謄写版テキストが引用する定式を、フランス語訳で確認しておこう。

Il y a des symptômes qui correspondent directement au processus morbide, d’autres sont secondaires […]. Les symptômes primaires sont les manifestations nécessaires d’une maladie. Les secondaires peuvent manquer ou varier sans que se modifie en même temps le processus morbide.

病的過程に直接対応する症状があり、他の症状は二次的なものである。骨軟化症では、脱灰過程に対応する直接的な徴候は骨の抵抗力の欠如である。骨折や変形は二次的な徴候であり、それらが生じるには外的要因の介入が必要である。一次症状は疾患の必然的な現れである。二次症状は、病的過程自体が変化することなく、欠如したり変化したりすることがある。[2]*原文注 1

ブロイラーはこの一次/二次の区別が器質的原因論と両立することを強調した。エーはここから「器質—臨床間隔の原理(le principe de l’écart organo-clinique)」を抽出する。器質的過程の一次的・直接的・「陰性的」作用と、間接的・媒介的・「陽性的」症状学との間に、「存続する精神活動のすべての厚み」が介在する。「この考想の功績は第一にブロイラーに帰せられる」とエーは述べた。

3-3 自閉症——基礎にある精神活動の展開

ブロイラーの第三の主要概念、「自閉症(autisme)」についてエーはこう論じる。自閉症は人格の解離(Spaltung)の「いわば二次的結果」である。一次的な連合障害によって論理的制約が弛緩し、複合体が困難なく満足するようになると、「貧弱な現実の償いを想像の中に求めるという、すべての人間に共通する必要」と同様のメカニズムが病的規模で作動する。自閉的思考と夢の類比はブロイラー自身が強調していた。「夢の思考と自閉的思考は、私たちの現在の調査手段では本質的に同一である」。急性期における連合の弛緩——一次的な脳過程の障害——が、妄想という「揺りかご」を準備する。そして自閉的精神活動がこの揺りかごの中で妄想を育む。

3-4 連合弛緩の哲学的重みと理論的地位——アリストテレスからシュナイダーへ

ブロイラーが統合失調症の基本症状の筆頭に置いた「連合弛緩(Lockerung der Assoziationen)」を正確に理解するためには、まずアリストテレスに遡る西洋思想の二つの異なる伝統を区別する必要がある。

第一の伝統は、アリストテレスの『オルガノン(Organon)』——カテゴリー論、分析論前書・後書、命題論などから成る論理学の体系——に由来する。三段論法(syllogism)を中心とする正しい推論の形式的規則の体系がここに確立された。この伝統はトマス・アクィナスを通じてスコラ哲学の根幹となり、「理性的動物(animal rationale)」という人間規定——人間を他の動物から区別するのはロゴスを持つことだというアリストテレスの規定(「ロゴスを持つ動物 zōon logon echon」は『政治学』一二五三a、その機能論証〔ergon〕は『ニコマコス倫理学』第1巻に由来する)のラテン語的継承——と結びついた。スコラ哲学においてアリストテレスを受け入れたということは、論理的正しさという規範を思考の根本に置いたということである。近世哲学もこの枠組みを継承し、デカルトにおいても正しく推論する能力(bon sens)こそが人間に普遍的なものとされた。[22]

第二の伝統は、アリストテレスの別の著作『記憶と想起について(De Memoria et Reminiscentia)』——『自然学小論集(Parva Naturalia)』に含まれる心理学的著作——に由来する。ここでアリストテレスは、想起が「類似・対比・近接(空間的・時間的)」という三つの原理によって組織されると論じた。これは正しい推論の規則ではなく、思考が実際にどのように連鎖するかという記述的な問いへの応答である。スコラ哲学の中心がオルガノンにあったのに対し、この連想論的伝統は長く副次的な位置に置かれた。[22]

この第二の伝統が哲学の中心に浮上したのは、イギリス経験論においてである。ホッブズは『リヴァイアサン』(1651 年)で「思考の連鎖(train of thoughts)」を論じ、[23] ロックは『人間知性論』(1690 年)で「観念の連合」という術語を導入した——もっともロックは連合を正しい推論を妨げる誤りの源泉として否定的に扱った。[24] ヒュームが『人間本性論』(1739 年)において連合を心の根本機能として積極的に定式化し、類似・時空間的近接・因果の三原理を立てた。これが連合論の哲学的確立である。[25] ハートリー、ジェームズ・ミルを経てヴント(Wundt)が実験心理学において連想の反応時間測定を確立し、連合は哲学的概念から科学的に測定可能な心理学的概念へと転換された。[29]

しかしここで決定的な問いを立てなければならない。ロックは連合を「誤りの源泉」として否定的に論じ、ヒュームはこれを心の根本機能として記述したが、両者にとって連合はあくまでも経験の蓄積によって後天的に形成されるものであった。すなわち英国経験論においては、奇異な連合・病理的連想とは、経験と記憶の過程における偶有的な失敗であり、個体差のある偶発的現象として説明される。この枠組みのもとでは、「連合弛緩は脳病変の証拠である」という命題は成立しない。経験によって後天的に形成されるだけなら、その失調は個体的・偶発的なものにすぎず、脳という器官の構造的病変に直結する根拠がない。[24][25] なお、経験論の内部にもハートリー(David Hartley)のように連合を神経の振動過程に基礎づけた生理学的連合論が存在することは付言しておくべきである。ただしハートリーにおいても連合そのものは経験の反復によって後天的に形成されるものと考えられており、連合を成立させる能力そのものを脳に構造的・先天的に与えられたものとみなす後述の大陸的前提とは、なお原理的に区別される。

ブロイラーが連合弛緩を脳病変の証拠として位置づけた論理は、したがって経験論とは根本的に異質な哲学的前提を必要とする。連合という機能が脳に先天的・構造的に組み込まれているという想定——すなわち大陸合理論・先験論的な枠組み——においてのみ、その機能の失調が器官の病変の証拠となりうる。この系譜として最も重要なのはカントの「統覚の先験的統一(transzendentale Einheit der Apperzeption)」である(『純粋理性批判』超越論的分析論)。カントにとって、表象を連結・総合する能力は経験から来るのではなく、経験そのものを可能にする先験的条件である。「我思う(Ich denke)」はすべての表象に伴いうるものでなければならない——この統覚の統一こそが、あらゆる連合・総合を可能にする。この枠組みでは、「連合が弛緩する」ことは単なる経験の偶発的失敗ではなく、経験そのものを可能にしている先験的条件の崩壊を意味する。[26]

カントとブロイラーを結ぶ重要な媒介者として、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart, 1776–1841)がいる。ヘルバルトは『科学としての心理学(Psychologie als Wissenschaft)』(1824–25 年)において、観念(Vorstellung)の相互作用に数学的法則を見出した。「意識閾(Schwelle des Bewusstseins)」——観念が閾値を超えなければ意識に昇らない——、競合する観念間の「抑制(Hemmung)」、「融合(Fusion)と複合(Komplikation)」——これらは経験論的な後天的蓄積ではなく、精神機能の構造的・準先天的な法則として想定されている。ヘルバルトの心理学は19世紀ドイツ精神医学に甚大な影響を与えており、グリージンガーを経てブロイラーが引き継いだ精神医学的思考様式の直接的な背景をなす。[27]

ドイツ精神医学の直接的な先行者として、ヴィルヘルム・グリージンガー(Wilhelm Griesinger, 1817–1868)がいる。グリージンガーは「精神疾患は脳疾患である(Geisteskrankheiten sind Gehirnkrankheiten)」という命題のもとに、精神機能を脳の器官的機能として先天的に組み込まれているものと前提した。この枠組みでは、精神症状は脳という器官の病変の表現であり、これは明確に経験論ではなく、生物学的先験論とでも呼ぶべき立場である。ブロイラーはこの伝統を直接継承しており、連合弛緩を脳病変の証拠として位置づける論理は、グリージンガー以来のドイツ脳精神医学の伝統——カント的先験論とヘルバルトの表象力学の精神医学的結実——の延長線上にある。[28]

以上の検討から、アリストテレスの「連想論的伝統」をブロイラーが継承するとされる通説的記述には重要な留保が必要であることが明らかになる。アリストテレスの『記憶と想起について』に由来する連想論は、その後二つの全く異なる系譜に継承された。一方はロック・ヒュームを経てヴントに至る英国経験論的連想主義であり、連想を後天的経験の産物とみなす。他方はカント・ヘルバルト・グリージンガーへと続く大陸的系譜であり、連合を精神ないし脳の構造的・先天的機能として位置づける。ブロイラーが連合弛緩を単なる経験過程の失敗としてではなく脳病変の証拠として位置づけた論理は前者とは相容れず、後者の系譜に属するものと解釈される。

ここで、読者に対して率直な留保を示しておかねばならない。まずテキストの事実関係を平明に述べる。1911年の統合失調症論文は、カントもヘルバルトもグリージンガーも一度として引用していない。[33] ブロイラーが連合心理学者として——他のどの著者よりも頻繁に——引用しているのは、実はテオドール・ツィーエン(Theodor Ziehen)である。そのツィーエン自身は、自著『生理学的心理学要説(Leitfaden der physiologischen Psychologie)』の序文において、みずからの立場をいかなる大陸的系譜にでもなく、ヴントに抗する「いわゆるイギリス人の連合心理学(die sogenannte Assoziationspsychologie der Engländer)」に帰属させると宣言している。[34] それだけではない。ブロイラーがカントの綜合説そのものに正面から論及する数少ない箇所——1921年の『魂の自然史』——において、彼はこれを退け、表象の結合を綜合能力からではなく記憶から導き、ア・プリオリの学説に対して「因果性とは経験に由来する思考上の必然性である(Die Kausalität ist eine Denknotwendigkeit, die aus der Erfahrung stammt)」という率直な反対命題を掲げている。[35] ブロイラーにカント的系譜を帰属させようとする者は、これらの事実を知らずしてではなく、これらの事実に抗してそう主張しなければならない。

したがって本節の主張は伝記的なものではなく体系的なものであり、その区別は臆することなく明言されるべきである。ここで再構成されているのは、ある推論の論理であって、ブロイラーの書斎の蔵書目録ではない。問われているのは、「連合が弛緩している」という命題が脳過程の証拠として機能するために、いかなる前提が満たされていなければならないか、ということである。そしてこの問いにとって意味を持つ区別は、国民の間の区別ではなく、連合についての二つの理解の間の区別である。第一の理解では、連合は個々の経験の過程で一つずつ堆積していく内容である——その失調は個人史上の偶発事にとどまり、器官の病理へ通じる道はそこにはない。第二の理解では、連合は能力そのもの、すなわちいかなる特定の経験にも先立って器官に組み込まれた結合の機能そのものである——その失調は、そのとき病変の徴表となる。ブロイラーが引き出した推論は、この第二の理解とともにのみ成り立つ。その古典的な大陸的系譜は、カントの統覚の先験的統一からヘルバルトの表象力学を経てグリージンガーへと至る。グリージンガーのヘルバルトへの負債は彼自身のテキストに明示されており、学術研究の定説となっている。[28][36] ヘルバルトがブロイラーの思考の理論的基盤の一つに数えられることもまた、現代の専門研究の判断であって本稿の創見ではない。[27][37] しかし能力としての連合という理解には、もう一つの通路があった——経験論の側からもそこへ至る道が存在したのである。ハートリーはヒュームの諸原理を神経の振動として自然化し、ツィーエンは連合の座を大脳皮質に置いた。そしてブロイラー自身の後期学説は、ア・プリオリそのものを自然化する——『魂の自然史』の「系統発生的可塑性(phyloplastisch)」の構想は、カントの綜合が果たす機能を、その先験的な保証なしに果たす、遺伝された構造にほかならない。[35] ブロイラーがこの二つの扉のいずれから入ったのかを、彼自身の引用は決定させてくれない。本稿もそれを決定したふりはしない。

資料が許すのはここまでである。従来の定式——「ブロイラーはアリストテレス以来の連想論の伝統を継承した」——は、なお留保を要するが、その留保は今や精確に述べることができる。アリストテレスは二つの理解いずれの源泉でもある。ブロイラーによる概念の使用は、そのうち第二の理解を前提している。そしてこの第二の理解をとりわけドイツ語圏精神医学の作業言語たらしめたのは、グリージンガーに発する脳精神医学の伝統であった——その伝統のもとでこそ、連合は器官の機能として立ち現れることができた。連合する能力そのものが器官に構造的・先天的に備わったものと見なされていたからである。ブロイラーがこの文法をその典拠を一度も名指すことなく吸収したという命題は、文書によって確認された事実ではなく一つの解釈であり、本稿はそれをそのようなものとして——そうした再構成が要求する史学方法論上の留保とともに——提示する。[38] しかしこの解釈のもとでこそ、連合弛緩から脳過程(Hirnprozess)へという1911年著作の議論の実際の運びは、はじめて首尾一貫したものとなる。

ブロイラーはこの系譜の上に立ちながら、両方の伝統の交差点において「連合弛緩」を定式化した。彼はブルクヘルツリ病院でユング(C. G. Jung)とともに単語連想実験(Diagnostische Assoziationsstudien, 1904–1906)を行っており、シュナイダーの批判(「操作化困難」)への重要な反論がここにある——連合弛緩は純粋に印象論的な概念ではなく、反応時間測定という実験的手続きによって測定可能なものとして出発していたのである。統合失調症患者においては「コンプレックス指標(Komplexindikatoren)」——反応の遅延、反応の不合理、同じ反応の繰り返しなど——が特徴的に出現することが実証された。

しかし連合弛緩の重みはこの実験的基盤だけに由来するのではない。上に述べた二つの伝統——ロゴスとしての正しい推論(オルガノンの伝統)と、思考の現実的な連鎖メカニズム(連合論の伝統)——の交差点にブロイラーが立っていたことを理解して初めて、なぜ彼が連合弛緩を統合失調症の「基本症状」の筆頭に置き、それほどの重みを与えたかが分かる。

ヒューム的意味での連合が思考の根本的な組織化メカニズムであるとすれば、連合の正常な機能こそが人間としての思考を成立させる条件である。そして、スコラ哲学以来の伝統が「ロゴスを持つ存在としての人間」という規定のもとに示してきた人間の理性的能力は、より深い認知的基盤——すなわち文脈によって適切な連合を選択・抑制する能力——によって支えられている。ブロイラーの「コンゴの例」が示す患者は、エジプトの地理的位置を「知っている」——知識は保たれている——にもかかわらず、問いの文脈が要求する論理的・空間的優先順位に従って連合を制御することができない。これは形式論理学の誤りではなく、ロゴスの行使を下から支える認知的統制の失調である。連合弛緩が起きるとき、人は夢のような自閉的思考の中に沈み、現実と接触する能力を失う。これは単なる症状の記述ではなく、人間的思考を成立させる条件そのものの崩壊についての主張なのである。

ブロイラーがローザンヌ会議で「精神分裂病は見かけの健康状態から最も深刻な痴呆状態まで、すべての程度において存在する」と述べた連続性の原理も、この文脈で読み直すことができる。健常者においても連合の文脈制御は完全ではなく、疲労・興奮・夢において弛緩する。統合失調症はその量的極端化として理解される——これはアリストテレス的な「ロゴスを持つ存在」という人間規定が、段階的に崩壊しうるという認識である。

次に、クルト・シュナイダー(Kurt Schneider, 1887–1967)の批判を検討する。シュナイダーは一級症状(Erstrangsymptome)——思考吹入、思考伝播、思考奪取、作為体験、声が互いに話し合うなど——を統合失調症の診断指標として提示し、ブロイラーの基本症状群、とりわけ連合弛緩については「診断基準として役に立たない」と実質的に一蹴した。

しかしシュナイダーとブロイラーの問いの水準の違いを見極めることが必要である。シュナイダーの問いは「統合失調症が存在するか否かを臨床家が信頼性高く判定するためにはどのような症状を用いればよいか」という操作的・実用的な問いであった。ブロイラーの問いは「なぜこれらの症状が生じるか」という病態発生的な問いであった。この違いは論者による解釈ではなく、シュナイダー自身の言葉によって確かめることができる。

Unter den zahlreichen bei der Schizophrenie vorkommenden abnormen Erlebnisweisen gibt es einige, die wir Symptome 1. Ranges heißen, nicht weil wir sie für „Grundstörungen“ hielten, sondern weil sie für die Diagnose […] ein ganz besonderes Gewicht haben. […] Nicht aber ist damit etwas zur Theorie der Schizophrenie gesagt, wie das Bleulers „Grundsymptome“ und „akzessorische Symptome“ meinen oder seine und anderer Autoren „primäre“ und „sekundäre“ Symptome.

統合失調症において生じる数多くの異常な体験様式のうち、私たちが一級症状(1. Ranges)と呼ぶものがいくつかある。それは、私たちがそれらを「基礎障害」と見なしているからではなく、それらが診断にとって……まったく特別な重みを持つからである。……しかしそれによって統合失調症の理論について何かが述べられたわけではない——ブロイラーの言う「基本症状」と「副次症状」、あるいは彼や他の著者の言う「一次」症状と「二次」症状がそう意味するようには。[21](S. 65)

診断における有用性と、病態発生の理論における意義とが別の問いだという本節の主張は、後の論者による解釈ではなく、シュナイダー自身がこの一文で述べていることそのものである。彼はここで一級症状に「特別な理論的意義を持つものではなく、ただ診断的に便利であるというだけである」という位置づけを自ら与えており、病態発生的主張を退けたわけではなかった。

さらに決定的なことに、シュナイダー自身、統合失調症の器質的基礎については次のように率直に認めている。

Das ist ein Glaubensbekenntnis und es fehlt nicht an Anfechtungen.

これは信仰告白であり、異論に事欠かない。[21](S. 6)

シュナイダーは循環病と統合失調症の基礎にある病理過程はわれわれには知られていないと認めながらも、「ヒューリスティックな原則の意味においてこの仮説に、したがって『病的(krankhaft)』という立場に立つ」と宣言したのであった。つまりシュナイダーにとって統合失調症の器質性は、証明された知識ではなく、臨床的・司法精神医学的実用のために保持される「信仰としての仮説」にとどまる。これはブロイラーが1926年のローザンヌ会議で「統合失調症の器質的起源は今日、必要なすべての証拠をもって実証できる」と断言した立場と鋭く対照をなす。ブロイラーにとって器質論は「信仰」ではなく「実証可能な命題」であり、連合弛緩はその心理学的表現として実験的に測定可能なものとして出発していた。一級症状の提示がいかなる病態発生論的根拠も伴わない純粋に操作的な手続きであることを、シュナイダーはこうして自ら明言していたのである。

逆説的に注目すべきは、シュナイダーが選んだ一級症状の病態発生的地位である。思考吹入、思考奪取、声が話し合う——これらはいずれも、ブロイラーの枠組みでは二次症状に相当する。一次的な連合障害に対して残存精神活動が産み出す反応的な産物であるがゆえに、患者がそれを「体験」として意識的に報告できるのである。シュナイダーが「診断に有用」と言う症状こそが、ブロイラーが「疾患が存在しても欠如しうる」と言う症状である。診断の信頼性と病態発生的基本性は、相反する方向に働く傾向がある。

では連合弛緩自体の概念的精密性という問題はどうか。ローザンヌ会議の討論において、クルボン(Courbon)はブロイラーが提示した有名な「コンゴの例」について次のように異論を述べた。「エジプトはどこにあるか」という質問に「アッシリアとコンゴの間」と答えることは、「教育程度の低い一般人でも同じ返答をしうる——博物館でエジプト、アッシリア、コンゴの展示室が隣接していた記憶があれば、連合は実際には弛緩していない」「楽しい気分の表現としてもこのような観念連合は起こりうる」(討論記録)。これは連合弛緩の概念的範囲を問う正当な批判である。

しかし上で述べた思想史的文脈に立ち返ると、この批判への回答がより明確になる。ブロイラーが「コンゴの例」で示そうとしていたのは、「誤った」地理的知識でも「奇妙な」連想の内容でもなかった。彼が強調したのは、患者の答えが「エジプトの地理的位置を十分に知っていることを証明していた」という事実である——知識は失われていない。問題は、問いの文脈がそのような偶発的近接連合をなぜ抑制できないかである。クルボンが示した「博物館での経験による連合」はむしろブロイラーの論点を裏書きする——正常な思考においても博物館での記憶はあるが、「エジプトの場所は?」という問いが論理的・空間的文脈制約を活性化し、その偶発的記憶を抑制する。統合失調症においては、この文脈制約的な制御が弱化するため、偶発的連合が思考の表面に浮上しやすくなる。

すなわち連合弛緩の本質は、アリストテレスの連想論の三原理(類似・対比・近接)のうち、論理的・意味的側面の優先機能が障害されることとして理解できる。「コンゴの例」は正常な連想の三原理の一つ(近接)が作動した結果であり、その意味では「連想」が消えたのではなく、連想の選択的制御が失われたのである。これはオルガノンの伝統が示した「ロゴスの行使」——文脈に従った適切な推論——が可能となる前提条件の崩壊である。

現代神経科学は、この方向に示唆的な並行例を提供する——ただしその示唆は、それがまさに示唆であるという限りにおいて受け取られるべきである。予測符号化(predictive coding)の枠組みにおいては、統合失調症は上位の認知モデルが下位の感覚入力に対して適切な予測誤差の重み付けを行えない状態として理解され(Fletcher & Frith, 2009)、これはブロイラーの「論理的・文脈的制約による連合の選択」という概念と、説明の形式において類縁関係にある。[15] しかしこの類縁性は説明形式の類縁性であって、実証された同一性ではない。この枠組みを主導した研究者自身、これまでに集められた証拠は理論と「両立可能(compatible with)」であるに過ぎずテストとして機能していないと認めており、中核的な異常がどちらの方向に生じているのか——事前確率が弱すぎるのか強すぎるのか——という点さえ未解決のままであることを自認している。[39] 哲学側からの批判はさらに厳しく、いかなる所見にも適合しうるほど柔軟な枠組みは経験的内容を失うと指摘する。[40] 「異常顕著性(aberrant salience)」理論(Kapur, 2003)は、不適切な連想が突出して活性化される現象をドーパミン系の機能不全による顕著性の誤帰属として説明する。[14] しかしこの理論についても、その主導者の一人を共著者に含む二十年後の総括論文が下した評決を、ここに記さねばならない——理論の中核的予測のいくつかは経験的に反証され、「強い意味での顕著性理論が妄想(および幻覚)を説明しうるとは考えられない」と結論されている。もっとも、線条体シナプス前ドーパミン系の異常そのものは、精神医学において最も頑健な所見の一つであり続けている。[41] これらの並行例が許すもの、また許さないものについては、第五章 5-6 節で改めて秤量する。そこで用いる語は「共鳴」でも「実証」でもなく、あくまで類比(アナロジー)である。

以上の検討から明らかなことは、シュナイダーの批判はブロイラーの誤りを証明したのではなく、問いの水準を変換したということである。シュナイダーの貢献は、操作的診断という実用的問いに対して卓越した解決を与えたことにある。しかしこの転換によって失われたのは、「なぜ統合失調症の症状はこのような形をとるのか」という病態発生的問いへの応答能力であった。ブロイラーの「連合弛緩→自閉症→妄想・幻覚という二層構造」という理論的枠組みこそが、この問いに答えるための土台を提供する。エーが「ブロイラーの教義は何よりも器質発生論的である」と生涯にわたり主張し続けた根拠は、まさにこの点にある。

第四章 後期ブロイラーとエーの評価——精神生物学への展開

4-1 記憶論(Mnemismus)と精神—身体一元論

エーの1940年講演が、ブロイラーの1911年著作だけでなく後期著作群を詳細に論じていることは、日本ではほとんど知られていない。エーはブロイラーの精神生物学的著作群——とりわけ『魂の自然史(Naturgeschichte der Seele)』(1921年)——を、「フランスでは統合失調症に関する著作よりもさらに知られていない」ものと認識しつつ、「ブロイラーの器質力動論に新しい光を投げかける」ものとして詳述した。エーはブロイラー自身が1932年の書簡でこの著作を統合失調症論文より高く評価していたと証言している。[6]

『魂の自然史』の主要論題は、リヒャルト・ゼーモン(Richard Semon)の「記憶痕(Engramm)」理論を軸とした精神—生理学的一元論である。ブロイラーは術語をゼーモンから採ったことを明記しており(S. 81 註「Nomenklatur nach SEMON.」)、記憶を生物一般の原理として遡らせる着想もゼーモン『ムネーメ』(1904 年)に負う。エヴァルト・ヘリング(Ewald Hering)の 1870 年の講演「有機的物質の一般的機能としての記憶について」がこの系譜の思想史的な出発点であることは言うまでもないが、ブロイラー自身は本書でヘリングの名を挙げていない。基本的な心身機能は記憶であり、体験されたものはすべてエングラムとして固定される。エングラムは——古典心理学の名高い「痕跡」にきわめて近いものであるが——脳と同じだけ持続する脳の物理的性質である。知覚・抽象・表象、さらに思考と知性もまたエングラムの加工にほかならず、思考の活動の主要な形式は連想的なものである。これは教科書 A 章 e 節「記憶」の記述が理論的に深化されたものである。

もっとも、エーはこの著作を無批判に受け入れたわけではない。彼の評価は、まず率直な譲歩から始まる。

Certes une telle psychologie reste essentiellement atomiste, associationniste et, somme toute, assez peu intéressante. Aussi les critiques n’ont-elles pas été ménagées. On connaît la sévère analyse que Jaspers a faite de cet ouvrage. Mais le monisme bleulérien est cependant de caractère nettement dynamiste et on peut dire à cet égard qu’il consiste moins à réduire la psyché au cerveau qu’à faire pénétrer la psyché dans l’organisation même du cerveau.

確かにこのような心理学は本質的に原子論的・連想主義的であり、要するにさほど興味深いものではない。それゆえ批判も手加減されなかった。ヤスパースがこの著作に加えた厳しい分析はよく知られている。しかしブロイラーの一元論はそれでもなお明確に動力学的な性格を帯びており、その点において、精神を脳に還元するというよりはむしろ、精神を脳の組織化そのものに浸透させるものだと言うことができる。[2]

この譲歩は形式的なものではない。原子論的・連想主義的であるという指摘は、ブロイラーの心理学の弱点を正確に突いている。だからこそ「しかし(Mais)」以下の逆接が重みを持つのであり、エーがブロイラーの一元論に見いだしたものが、その内容の豊かさではなく、精神と脳との関係の据え方そのものであったことが見えてくる。なお、エーはここで言及されるヤスパースの分析について出典を示しておらず、「よく知られている」と述べるにとどまる。筆者は現時点でこれを特定できていないため、ここではエーの言として報告するにとどめる(引用は Ey 1993, pp. 655–656)。ただしヤスパース自身がブロイラーに加えた批判は資料として確認できる。それは『魂の自然史』ではなく『精神様体』の概念に向けられたものであり、次節で扱う。

この記憶論的一元論は、連合弛緩の器質的基盤についての理解をさらに深化させる——連合は記憶痕の再現(Ecphorie)に基づき、連合弛緩はエングラムの活性化・選択・抑制というプロセス全体の器質的障害として理解されることになる。この記憶論的一元論は、後の『機械論・生気論・記憶論(Mechanismus, Vitalismus, Mnemismus)』(1931年)において「記憶論(Mnemismus)」として体系的に定式化される。[8]

4-2 精神様体(Psychoïde)——生命の組織化原理

1925年の著作『器質的発展の原理としての精神様体』においてブロイラーは、「精神様体(Psychoïde)」という概念を導入する。[7] 精神様体は、生きている物質が内在的な組織化の目的性を持つという原理である。精神様体と精神(Psyche)の類比が成立することで、精神の根が身体の植物的・反射的な組織化の深みにまで降ろされる。これにより、精神疾患を「精神対身体」という二元論的対立で把握することの根拠が根底から崩される。ただし 1-2 節に断ったとおり、本書の原典は入手しえていない。右の要約はヤスパースが与えた記述とエーの言及に依拠しており、以下の記述も同様である。

まさにこの点に、ヤスパースの批判が向けられている。『精神病理学総論』において身体と精神の関係を論じる箇所で、ヤスパースはこう書いている(以下、ドイツ語原典より引用)。

Weil die alte Anschauung ein Bild des Ganzen gab, die Fülle bewahrte, die Einheit von Leib und Seele nicht preisgab, bei allem Seelischen das Somatische mit im Auge hatte, bei allem Somatischen das Seelische, wurde sie bis heute gegen Descartes oft erneuert. So zuletzt in den „Psychoiden“ Bleulers. Er wollte im Begriff der Psychoiden das dem somatischen Leben und der Seele Gemeinsame zusammenhalten: die mnemischen Funktionen, die Integration und die Zweckhaftigkeit der Strukturen und Kräfte. Der Mangel aber ist hier, wie jedesmal bei solchen Entwürfen, daß mit der Totalanschauung wohl ein Schema der Idee, aber nicht ein erforschbarer Gegenstand wirklicher Erkenntnis gewonnen wird.

古い見方は全体の像を与え、〔現実の〕豊かさを保ち、身体と精神の統一を放棄せず、あらゆる精神的なものにおいて身体的なものをともに視野に収め、あらゆる身体的なものにおいて精神的なものをともに視野に収めていた。それゆえこの見方は今日にいたるまで、デカルトに抗してくり返し新たにされてきた。その最も新しいものが、ブロイラーの「精神様体(Psychoide)」である。彼は精神様体という概念において、身体的な生と魂とに共通するもの——記憶(ムネーメ)的な諸機能、統合、そして構造と力の合目的性——を一つに束ねようとした。しかしここでの欠陥は、この種の構想のたびごとにそうであるように、その全体的直観によって得られるのは理念の図式ではあっても、現実の認識の探究可能な対象ではない、という点にある。[32]

批判は方法論的なものである。ヤスパースは構想が誤っていると言うのではない。それを用いては何も探究できず、新しい知識も得られない、と言うのである。エーの評価はこれと正反対であった。「『器質的』か『精神的』かという選択肢に各段階でぶつからない精神病理学の確立を可能にする唯一の哲学的立場」——これがエーにとってのブロイラー精神生物学の意義であった。ヤスパースが探究不能な理念的構成物を見たところに、エーは精神病理学が立ちうる唯一の地盤を見たのである。

ただし、両者の対象を混同してはならない。4-1 節で見たエーの言及は『魂の自然史』(1921年)についての「よく知られた厳しい分析」であり、出典は示されていない。他方、ここに引いたヤスパースの批判は『精神様体』(1925年)の概念に向けられたものである。この二つが同一の分析を指すのか否かは、現時点では確定できない。現段階で言いうるのは、エーが『魂の自然史』について論評し、ヤスパースが『精神病理学総論』において精神様体について論評している、というところまでである。

この留保を解くには『魂の自然史』そのものを読むほかない。筆者は別稿「ブロイラー『魂の自然史』解題——エーの評価とヤスパースの批判は同じ書物に届いているか」において、1921 年初版全 338 頁を章別に読み直し、両者の評言を本文に突き合わせた。要点だけを記せば、鍵はここに引いたヤスパースの一文そのものにある。ヤスパースは精神様体において束ねられているものを三項目に分けて列挙している——記憶(ムネーメ)的な諸機能、統合、そして構造と力の合目的性。このうち前二項は 1921 年の『魂の自然史』にすでに完全な形で存在する。記憶は「生ける原形質の一般的機能」であり(S. 90)、統合は記憶と並ぶ意識の二条件の一方である(S. 58–66)。他方、第三項の合目的性だけは 1921 年に存在しないどころか、明示的に禁じられている——「目的とは、人間のように意識された目標に従って行為する存在との関連においてのみ存在しうる概念である。……宇宙に、世界秩序に帰することはできない」(S. 326)。したがって、ヤスパースの批判が実際に相手取っているのは 1921 年から 1925 年に至る後期思想の連続体であり、エーが『魂の自然史』を名指したことは書誌的には不正確でも内容的には的を外していなかった、と言うことができる。

第五章 結語——ブロイラーからエーへ、そして現代へ

5-1 エーの宣言——「ブロイラーの器質論は真のものである」

エーが1940年の講演を「精神医学の現代的傾向」の掉尾にブロイラー論を置いたことの意味は、今や明確である。ブロイラーはエーにとって、機械論的精神医学でも純粋な精神発生論でもない「第三の道」——器質発生論(organogenèse)の探求——の最も純粋な体現者であった。エーはこの講演を次の言葉で締めくくっている。

Ce n’est évidemment pas par hasard que nous terminons l’exposé des tendances actuelles de la psychopathologie par la conception de Bleuler. Nous avons suivi dans cet exposé le chemin qui nous a paru conduire du moins probable au plus probable, marquant ainsi notre opposition aux théories mécanicistes et nos préférences, parmi les doctrines anti-mécanicistes, pour les théories organo-dynamistes contre les conceptions psychodynamistes. Avant d’aborder pour notre propre compte l’élaboration d’une psychopathologie générale, l’exposé de l’œuvre de Bleuler servira de modèle à notre entreprise. Sa position, notamment devant le problème des rapports du physique et du moral, deviendra la nôtre, telle qu’elle est impliquée d’ailleurs dans toute conception biodynamiste.

現代精神病理学の諸傾向についての本講義を、われわれがブロイラーの構想をもって閉じるのは、むろん偶然ではない。本講義においてわれわれは、最もありそうにないものから最もありそうなものへと導くと思われた道をたどってきた。そうすることによって、機械論的諸理論への反対を、そして反機械論的な諸学説のうちでは精神力動論的な諸構想に抗する器質力動論的な諸理論への偏愛を、あわせて示してきたのである。一般精神病理学の構築にわれわれ自身の名において着手するに先立ち、ブロイラーの仕事の解説がわれわれの企ての範型となるであろう。とりわけ身体と精神との関係(les rapports du physique et du moral)という問題を前にした彼の立場は、われわれの立場となるであろう——それはそもそも、あらゆる生命力動論的構想のうちに含意されているものなのだが。[2]

この段落はここで切れずに、デカルト以来の心身二元論そのものを標的に据える議論へと続く。エーが「ブロイラーの立場が私たちの立場となる」と言うとき、それが具体的に何を意味するのかは、次に引く後半部で初めて明示される。

Si en effet le cartésianisme tel qu’il est généralement compris pose la séparation radicale de la pensée et de l’étendue, de l’âme et du corps, et permet ainsi à beaucoup de spiritualistes de se montrer résolument mécanicistes dans leur pathologie psychiatrique et aux matérialistes de considérer le psychisme comme un épiphénomène, c’est le propre de toutes les conceptions anti-mécanicistes de se donner l’âme et le corps dans une unité substantielle qui retire au mécanicisme toute signification. Dans une doctrine moniste des rapports de l’âme et du corps, comme l’a très bien vu Bleuler en penchant, sous le couvert du « mnémisme », vers le vitalisme, il est essentiel de considérer en effet le corps comme pénétré, vivifié, organisé, formé par un principe vital de direction, celui-là même qui s’épanouit dans la finalité de l’activité psychique. Cette position philosophique est la seule qui permet l’établissement d’une psychopathologie qui ne se heurte à chaque pas à la position des rapports du physique et du moral sous la forme de l’alternative de « l’organique » ou du « psychique ». L’organicisme de Bleuler est, à notre sens, le véritable, également éloigné du mécanicisme et du psychogénisme pur. Nous tâcherons d’en faire notre profit.

というのも、一般に理解されているかぎりでのデカルト主義は、思惟と延長との、魂と身体との根本的な分離を措定し、それによって、多くの唯心論者が自らの精神医学的病理学において断固たる機械論者として振る舞うことを、また唯物論者が心的なものを随伴現象とみなすことを許してしまうのだが、これに対してあらゆる反機械論的構想に固有なのは、魂と身体とを実体的統一のうちに与え、それによって機械論からいっさいの意味を奪い去ることだからである。魂と身体の関係についての一元論的教説においては——ブロイラーが「記憶論(mnémisme)」の名のもとに生気論へ傾きつつ実によく見てとったように——身体を、方向づけをなす生命原理によって浸透され、生気づけられ、組織され、形づくられたものとして考えることが本質的である。その原理こそが、心的活動の合目的性のうちに開花するものにほかならない。この哲学的立場だけが、身体的なものと精神的なものとの関係が「器質的」か「心的」かという二者択一の形で立てられることに一歩ごとにぶつかることのない精神病理学の樹立を可能にする。ブロイラーの器質論は、われわれの考えでは、真の器質論である——機械論からも純粋な精神発生論からも等しく遠い。われわれはそこから益を得るよう努めよう。[2]

この後半部が示しているのは、エーがブロイラーに求めたものが臨床的な学説ではなく心身関係の哲学的定式だったということである。「記憶論の名のもとに生気論へ傾きつつ」という一句には批評的な留保が含まれてはいるが、それでもエーは、身体を「方向づけをなす生命原理によって浸透され、生気づけられ、組織され、形づくられたもの」として捉えるブロイラーの一元論を、精神病理学が立ちうる唯一の哲学的立場として引き受けている。第四章 4-1 節に見たエーの評言——「精神を脳に還元するというよりはむしろ、精神を脳の組織化そのものに浸透させる」——は、この結語の要約にほかならない。

エーが批判したのは二つの極である。一方の極は「機械論的器質論(organicisme mécaniciste)」——病変の解剖学的局在を症状に直結させようとする立場——であり、もう一方の極は「精神発生論(psychogénisme)」——すべての症状を心的原因から説明しようとする立場——である。ブロイラーとエーの共通の立場は、脳の器質的過程を認めながら、なおその作用と症状の間に「精神活動の全厚み(toute l’épaisseur de l’activité psychique subsistante)」を介在させる、という二重性にある。シュナイダーの操作的転換とは反対に、エーはこの二重性を精神医学の認識論的核心として保持し続けた。

ここで 1-1 節で予告した問題——「揺りかご」の一文についてのエーの「読み込み」——に立ち返る必要がある。エーの器質力動論においては、精神病とは意識の階層的解体(dissolution progressive de la conscience)であり、急性錯乱状態(état onirique/confusionnel)こそが解体の本質的な現れである。慢性期の妄想は、この急性的解体の固定・結晶化として理解される——エーにとって「揺りかご」の一文は、ジャクソン的解体論と完全に適合するブロイラーの直観的言明であった。

しかしこれはブロイラーの限定的な記述(「多くの妄想観念の」)をジャクソン図式に沿って体系的に強化した、エー独自の解釈であることに注意しなければならない。ドイツ語圏の現象学的精神病理学はこの解釈を共有しない。ヤスパース(Karl Jaspers)は『一般精神病理学(Allgemeine Psychopathologie)』(1913 年)[32]において「真正の妄想知覚(echte Wahnwahrnehmung)」を記述した——正常な知覚に対して突然「異常な意味」が付与されるこの体験は、混乱した意識の産物ではなく、因果的説明を拒む一次的な現象(Primärphänomen)である。シュナイダーの「妄想知覚(Wahnwahrnehmung)」も同じ伝統に立ち、急性錯乱から派生するのではなく、それ自体として一次的に成立する。コンラート(Klaus Conrad)の『統合失調症の始まり』(1958 年)が記述した「アポフェニー(Apophänie)」——普通の知覚に病的な参照性(Bezugserlebnis)が生じる段階——も、急性錯乱状態ではなく緊張・不安を背景とした知覚の意味変容として理解される。

ブロイラー自身がこの限定をどれほど意識していたかは、まったく別の箇所からも確かめられる。1911 年著作には「統合失調症と夢との関係(Beziehungen der Schizophrenie zum Traum)」という一節があり、そこで彼は夢と統合失調症の類比を本書中もっとも強い形で述べる——「類比は同一性となる。患者が夢の幻覚を現実のものとして扱い、妄想観念を夢のなかで形成し、覚醒後もそれを保持する場合には」(S. 356)。ところがその直後、彼はふたたび同じ手つきで制限を書き入れる。

[…] sicher ist nur, daß Wahnideen — aber nicht alle — im Traum gebildet werden, und daß traumhaftes und schizophren-autistisches Denken für unsere jetzigen Untersuchungsmittel im wesentlichen identisch sind.

……確かなのは、妄想観念が——しかしすべてではない——夢のなかで形成されるということ、そして夢的思考と統合失調症的=自閉的思考とが、我々の現在の研究手段にとっては本質的に同一だということだけである。(S. 357)

vieler(S. 106)と aber nicht alle(S. 357)。二百五十頁を隔てた二つの箇所で、ブロイラーはまったく同じ制限を書き入れている。一度なら言い落としと見ることもできようが、二度となれば意識的な留保と見るほかない。夢と妄想の関係を最も強く語るその場所においてすら、彼は「すべて」への一般化を自ら封じている。エーの読解が「読み込み」であることは、これによっていっそう明瞭になる。

さらに一つ、皮肉な事実を付け加えておきたい。同じ節でブロイラーは、フランス人が「夢幻様譫妄(onirische Delirien)」という独立の分類を立て、それを中毒精神病の病因論的な一群とみなそうとしたことに触れ、その原型とされる振戦譫妄は詳しく見れば夢に比べられるものではない、として留保を置いている(S. 357)。ところが、エーが後年ブロイラーを読み込む際の枠組み——急性錯乱=夢幻様状態(état onirique)を意識の解体の本質的な現れとする図式——は、まさにブロイラーがここで距離を取ったフランスの伝統に属するものであった。エーはブロイラーが退けた道具を用いてブロイラーを読んだのである。「二重の創造的変換」という本稿の主題は、この一点にも凝縮している。

こうしてブロイラーのフランスにおける受容の構図が完全に見えてくる。ミンコフスキーはブロイラーの「自閉症」概念をベルクソンの「生きられた時間」という現象学的方向に読み込んだ。エーはブロイラーの「揺りかご」の一文をジャクソンの解体論的方向に読み込んだ。この二つの「読み込み」はいずれもブロイラーの器質発生論的核心を出発点としながら、全く異なる方向——一方は現象学・実存論的、他方は神経学的解体論——への展開であった。ドイツ語圏が保持した「一次妄想」という現象学的カテゴリーは、エーのジャクソン的読み込みによって事実上切り捨てられることになった。フランス精神医学のブロイラー受容が独自の変容を遂げたのは、この二つの解釈学的変換においてであった。

5-2 ジャクソンとの接続——器質力動論の理論的完成

エーがブロイラーから引き継いだ「器質—臨床間隔の原理」を理論的に完成させるためにエーが召喚したのが、ジョン・ヒューリングス・ジャクソン(John Hughlings Jackson, 1835–1911)の神経学的解体論(dissolution theory)である。ジャクソンの基本原理は、神経系が進化の過程で下位から上位へと積み上げられた階層構造を持つという認識に基づく。病変はこの階層を上位から溶解させ(dissolution)、下位の自動的機能を解放する(liberation)。エーはこのジャクソン図式を精神医学に移植することで、ブロイラーの「一次症状(陰性)/二次症状(陽性)」の区別を神経生物学的に基礎づけた。エーはこれを「意識は精神のピラミッドの頂点を占める自由の器官である」という定式で表現し、精神疾患を「意識の病(maladies de la conscience)」として体系的に論じた。Clervoy はエーを「フランスのジャクソン(le Jackson français)」と評している。連合弛緩の器質的基盤についても、上位の実行制御機能の溶解——前頭葉—側頭葉ネットワークの解体——として、ジャクソン図式は一貫した理論的枠組みを提供する。[1][2]

5-3 ボンヌヴァルコロキウム(1946年)とラカンとの距離

エーの器質力動論がフランス精神医学において公的に問われた最大の舞台が、1946年のボンヌヴァルコロキウム(Colloque de Bonneval)である。この会議については報告書が日本語で五巻本として翻訳出版されており、詳細はそちらに委ねる。Clervoy の評伝が初めて明確にしたエーとラカンの関係の実態について確認しておく。S.F.P. 分裂の際、ラカンはサン・タンヌの講堂使用を拒否されると、パリのデランブル通りのエーの自宅に直接来訪し、新学派への参加を求めた。エーは長時間話を聞いたが、参加を断った。草稿に残るエーの言葉はこうである。

私たちを結びつけ、私が常に忠実であることをあなたも知っている友情は、私たち一人ひとりが、私たち二人のありのままの姿、つまり「誰か」になろうとしたときの、完全な自由運動の上にこそ成り立っている。だから私たちは、お互いの愛情と尊敬のレベルにおいてのみ、自分たちの関係を維持するつもりなのだ。[1]

5-4 クロルプロマジン導入における先行的実践

器質発生論的確信は、エーの臨床行動にも直接反映されていた。Clervoy の評伝が初めて明らかにした事実として、エーによるクロルプロマジンの精神科への先行的導入がある。パレールはカタロニア出身でエーの長年の親友であり、ラボリットからクロルプロマジンを紹介されたパレールを介してエーはボンヌヴァルで試験的に使用した(エー自身が1955・56年に L’Encéphale に発表した二本の論文がこれを証明している)。最終的に系統的研究と命名(「神経遮断薬」)の栄誉はドレイとデニケルに帰した。この経緯は、連合弛緩の器質論と直接接続する——クロルプロマジンがとりわけ陽性症状に有効で陰性症状には十分でないという薬理学的非対称性は、図らずもブロイラーの一次/二次症状の区別を薬理学的平面で裏書きするものとなった。

5-5 フランス精神医学への遺産——ブロイラー伝統の継承の証明

1926年に分岐したエーとミンコフスキーの読解は、その後のフランス精神医学における統合失調症理解を二つの方向に導いた。ミンコフスキーの現象学的方向は、現象学的精神病理学の伝統の中でヤスパース、ビンスワンガーらとの接続を可能にし、患者の主観的体験の記述に豊かな成果をもたらした。エーの器質力動論的方向は、ラカンとの対決を経て、フランス精神医学の制度的伝統——「解体(désintégration)」概念の中心性——に結晶した。

エーとミンコフスキーの分岐から現代の Kapsambelis 教科書へ至る系譜のあいだには、エー自身がブロイラーとの理論的関係を世界に向けて定式化した決定的な媒介環がある。エー・ベルナール・ブリセの共著による Manuel de Psychiatrie(初版1960年、第 5 版1989年、Masson 刊)がそれである。Clervoy によれば、同書は需要に応えるべく四年に一冊の割合で版を重ね、世間からは著者名そのものが書名の代名詞となるほどの標準教科書となった。フランス語圏全土に普及したのち、イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・日本語に翻訳され、とりわけラテンアメリカと極東において広く読まれている。[1] 同書においてエーは、ブロイラーの統合失調症論をジャクソン的解体論の枠組みで明示的に位置づけている。以下、第 5 版(1989年)から三箇所を引用する。[19]

Eugène Bleuler également dans sa conception de la Schizophrénie avec sa distinction des troubles primaires, somme toute négatifs, et des troubles secondaires, somme toute positifs au sens de Jackson, et dans ses ouvrages de psychobiologie ultérieurs (Die Psychoïde, 1925 et Mechanismus, Vitalismus, Mnemismus, 1931, etc.) a forgé une théorie de la maladie mentale qui s’intègre dans ce mouvement.

オイゲン・ブロイラーもまた、統合失調症の概念において、総じて陰性である一次症状と、ジャクソンの意味で総じて陽性である二次症状を区別し、さらに後期の精神生物学的著作(『精神素体』〔1925 年〕、『機序・生気論・記憶論』〔1931 年〕ほか)において、この運動に統合される精神医学理論を構築した。〔訳注:仏語版原文は Mnemimus と記すが、ドイツ語原題 Mnemismus(Bleuler, Mechanismus, Vitalismus, Mnemismus, Berlin: Julius Springer, 1931)の誤植と判断し、正しい綴りに従った。〕

Un tel processus est plus ou moins lent, progressif et profond ; il se caractérise comme le voulait E. Bleuler par un syndrome déficitaire — et par un syndrome secondaire de production d’idées, de sentiments et d’activité délirante, auquel M. Bleuler attribue plus d’importance encore.

この過程は、E. ブロイラーが述べたように、解離の欠陥(陰性)症候群と——観念・感情・妄想活動の産出という二次(陽性)症候群によって特徴づけられる。後者に M. ブロイラーはさらに大きな重みを置いている。

Les anciens auteurs ont beaucoup discuté sur ce point : c’est l’inaffectivité, disait Kraepelin ; le trouble des associations, disait E. Bleuler ; pour Berze c’était l’hypotonie de la conscience ; pour E. Minkowski, la perte du contact vital avec la réalité, etc.

古典的諸家はこの点について多く議論した。感情性の欠如だ、とクレペリンは言い;連合の障害だ、と E. ブロイラーは言い;ベルツェにとっては意識の緊張低下であり;E. ミンコフスキーにとっては現実との生きた接触の喪失であった、等々。

しかしこの「言い切り」に、これまでは説明が不足していた。現代フランス精神医学教科書においてブロイラーの伝統がエーを経由して実際に継承されているという事実を、ここでは Kapsambelis の教科書第 27 章の記述によって資料的に論証する。

Kapsambelis(ヴァシリス・カプサンベリス)の編著による現代フランス精神医学教科書の第 27 章「統合失調症の活動期(Schizophrénies de la période d’état)」には、統合失調症の核心的症状の定義として次の記述がある。

Ces différents termes sont issus de la conception de Bleuler (1911) de la schizophrénie, telle que celle-ci a été reprise par Henri Ey (1996) et l’école française en incluant les travaux de Chaslin (1912). Dans cette conception, ils constituent un signe pathognomonique de cette pathologie, la séparant des psychoses délirantes chroniques systématisées. […] ces manifestations cliniques sont fondamentales dans toutes les descriptions de la schizophrénie, quelle qu’en soit la définition. Elles désignent un défaut d’intégration des manifestations mentales, émotionnelles et comportementales.

これらの用語はブロイラー(1911)の統合失調症の概念に由来するもので、シャスラン(1912)の研究を含むアンリ・エー(1996)とフランス学派が取り上げたものである。この概念では、統合失調症のこの病態の病理特異的徴候(signe pathognomonique)を構成し、系統化された慢性妄想性精神病と区別される。……これらの臨床症状は、どのように定義されるにせよ、統合失調症のすべての記述の基本(fondamentales)である。これらは精神、感情、行動の統合不全(défaut d’intégration)を示す。[16]

そして「解離(dissociation)」の思考レベルでの定義として、次のように続く。

Au niveau de la pensée, la dissociation se manifeste comme un trouble de la pensée réalisant un relâchement ou une rupture des associations d’idées.

思考のレベルでは、解離は観念の結びつきが緩んだり壊れたりする(relâchement ou une rupture des associations d’idées)思考障害として現れる。[16]

この定義は決定的である。「relâchement des associations d’idées(観念の連合の弛緩)」——これはまさにブロイラーの「Lockerung der Assoziationen(連合弛緩)」のフランス語的表現にほかならない。Kapsambelis は「解体(désintégration)・解離(dissociation)・両価性(ambivalence)・不一致(discordance)」という概念群の出典を明示的にブロイラー(1911 年)とし、その継承の経路を「アンリ・エー(1996 年)とフランス学派」と記した。これは「ブロイラー→エー→現代フランス精神医学(Kapsambelis)」という系譜が、現代フランスの標準的な精神医学教科書において一次資料として確認されるということである。

シュナイダーの伝統に慣れた日本の精神科医にとって、「解体」は確かに難解な概念に映る。DSM が採用した操作的診断基準にシュナイダー的一級症状が色濃く反映されているのに対し、フランスの「解体/解離」概念はブロイラーの連合弛緩→自閉症→妄想という二層構造の論理を下敷きにしているからである。Kapsambelis は「継続的なケアは、統合失調症の原理である解体と崩壊に対抗するものであり、良好な転帰を得るための重要な条件である」とも述べており(第 27 章 6 節)、「解体」は単なる記述的術語ではなく、治療論的含意を持つ中心概念として機能していることが分かる。これが、ブロイラーの伝統がフランス精神医学の中に「制度的に保たれた」という主張の実質的内容である。

5-6 現代的意義——DSM-5 と ICD-11 におけるブロイラーとエー

ブロイラーからエーへの理論的継承が現代精神医学に持つ意義は、もはや「影響を及ぼしている」という控えめな表現では到底捉えられない。それは現代精神医学の研究と臨床の方法論的基盤そのものに関わる問いである。第一に、診断概念の問題がある。「この群はおそらく複数の疾患を含んでいる」というブロイラーの本来の洞察は、DSM-5 以降の「統合失調症スペクトラム」や「次元的診断」への移行の動きを百年にわたって先取りしていた。シュナイダーの操作的転換が DSM という制度的権威に結実した一方で、ブロイラーの「疾患実体ではなく反応形態の群」という把握の正当性は、分子遺伝学的研究——ゲノムワイド関連解析(GWAS)が統合失調症・双極性障害・自閉スペクトラム症・注意欠如多動症・うつ病の五疾患に共通の遺伝的リスク座位を同定した事実——によって今日、独立した証拠として支持されている。[30]

第二は、連合弛緩と現代神経科学の接続である。シュナイダーが「診断基準として操作化できない」として退けた連合弛緩の概念は、神経科学と情報科学に、三つの異なる扉を通って再び現れつつある。史料研究の課題は、この三つを混同せず区別したまま保つことにある。第一の扉は、文書によって裏づけられた系譜である——しかもそれは通常とは逆向きに走る。フリストンらの「断絶仮説(dysconnection hypothesis)」は、その中核をなす発想の病理心理学的な祖として、ブロイラーの精神の解離(Spaltung)そのものを名指しており、系譜的主張が神経科学の側から差し出される稀な事例をなす。もっとも、そこで主張されているのは Spaltung との類縁であって、連合弛緩そのものとの類縁ではないことに注意しなければならない。[42] 第二の扉は、部分的な操作化である——計算論的な発話分析は、連合弛緩の記述的な核心にあたる、連続する発話間の意味的一貫性を、いまや測定可能な変数として扱っており、小規模な症例群において臨床的な予測力を示す研究もあれば、冒頭でブロイラーその人を引用する研究もある。ただし、そこで測定されているのは産出された言説そのものであって、ブロイラーが言説の背後に想定した選択の機構それ自体ではないことは、明記しておかねばならない。[43] 第三の扉は、構造的な類比である——予測符号化と異常顕著性の理論は、ブロイラーの説明と「文脈的制約による、表面に浮上するものの選択の失敗」という形式を共有する一方、対象・機構・証拠の水準においてはそこから隔たっており、しかも神経科学それ自体の内部で係争中である。[15][14] 「実証」という語はここでは強すぎる語であり、本稿はそれを用いない。しかし、それぞれが逆側から開かれた三つの扉は、単なる共鳴以上のものである。

第三に、そしてこれが最も重要な論点であるが、エーの器質力動論——上位神経機能の溶解が下位機能の解放をもたらすというジャクソン的解体論——は、現代の神経画像研究のうちに示唆的な構造的対応物を見出している。機能的 MRI 研究が示す知見として、統合失調症における前頭前野の機能障害(陰性症状・認知機能障害と相関)と側頭葉・辺縁系の過剰活動(幻覚・妄想と相関)という非対称なパターンがある。[31](もっとも、前頭前野の活動異常が一律の低下か否かについては課題依存的な差異があり、より正確には上位の認知制御ネットワークの機能不全として捉えられている。)これはブロイラーの一次症状(陰性)と二次症状(陽性)の区別に対する神経画像学的対応物であり、クロルプロマジンが陽性症状に有効で陰性症状に十分でないという薬理学的非対称性とともに、ブロイラー=エー体系と整合的なパターンをなす——ただし一つの理論と整合的なパターンをなすということは、その理論のを裏づけることであって、その機序を証明することではない。この節度を保ったうえでなお、エーの器質力動論の再評価は、今日の神経科学の最前線において静かに、しかし着実に進行しているのである。

エーが1945年に謄写版で少数の精神科医に配布し、影山先生の訳注付き全訳によって紹介されながらも教科書分析の観点からは未探索であったブロイラー論は、ローザンヌ会議の一次資料とともに、Kapsambelis という現代の証言者によって系譜的に確認された。しかし本稿の考察が最終的に明らかにするのは、フランス精神医学におけるブロイラー受容が「正確な継承」ではなく「二重の創造的変換」であったということである。ミンコフスキーのベルクソン的読み込みとエーのジャクソン的読み込み——この二つの変換によって、ブロイラーの精神病理学はフランスという知的土壌の中で変容し、独自の形をとった。ドイツ語圏の現象学的伝統(ヤスパース、シュナイダー、コンラート)が保持した「一次妄想」の地位はエーによって退けられ、代わりに「急性錯乱からの固定」という解体論的理解が採用された。この変換の代償と収益を正確に記述することが、精神医学史における公正な評価の条件である。そして最終的に強調されなければならないのは、この変換を経たエーの器質力動論こそが、現代神経科学の成果と最も深く共鳴する理論的枠組みを精神医学に与えていたという事実である。アリストテレス以来の「ロゴスを持つ存在としての人間」という規定が連合の文脈制御という認知的基盤によって支えられているというブロイラーの洞察——そう明示されてはいなかったとしても——は、エーの器質力動論という媒介を経て今日のフランス精神医学の臨床実践の中に生き続けており、同時に、その神経生物学的な位置づけを、現代科学は複数の独立した経路から検討しつつある——上に述べた三つの扉の節度を保つならば。ブロイラーの理論を「操作化不可能」として退けた診断的精神医学の時代は、今まさに見直しを迫られている。

以上の考察は DSM-5 を主たる参照軸としてきたが、ICD-11 についても独立して論じる必要がある。結論から言えば、ICD-11 は、DSM-5 とは異なる経路において、ブロイラーの伝統への部分的な回帰を体現している。この事実は日本では十分に認識されていない。

第一の証拠は、ICD-11 の診断基準表において「弛緩した連想」がいまなお生きた形で存続していることである。証拠は世界保健機関自身のテキストに即して示すのが最も確実であろう。統合失調症(6A20)の必須所見の第三項目は原文でこう規定する——「解体した思考(形式的思考障害)(例:接線思考および弛緩した連想、無関係な発語、造語)——重症の場合には、患者の発語はきわめて支離滅裂となり理解不能となりうる(『言葉のサラダ』)」。[44] DSM-5 が形式的思考障害を「まとまりのない発語(disorganized speech)」という行動記述に置き換えたのと対比すると、ICD-11 の定式化は病理心理学的な術語そのものを、したがってブロイラーの概念そのものを保持している。Hölzel の解説も同じ点を指摘している。[18]

第二の証拠は、ICD-11 によるシュナイダーの一級症状の相対化であり、これは基準そのものの構造のうちに明らかであって、注釈者の証言を必要としない。ICD-11 は「以下の症状のうち少なくとも二つが……一か月以上のあいだ、ほとんどの時間存在しなければならない」とし、かつ「適格症状のうち少なくとも一つは項目 a) から d) までのいずれかに属さなければならない」と定める——その四項目とは、持続する妄想、持続する幻覚、解体した思考、そして作為・被影響・被支配の体験である。[44] シュナイダー的現象はこうして項目 d) のうちに回収され、四項目のうちの一つの適格クラスとして位置づけられるにとどまり、それ単独で診断を担うことはもはやできない。これに対し ICD-10 は、対応する a) から d) の群——これらはまさにシュナイダー的な群であった——のうち、明確に存在する症状が一つあれば足りるとしていた。[45]「一級(first-rank)」という語もシュナイダーの名も、ICD-11 の臨床記述のどこにも現れない。シュナイダーの操作的転換を退け、一次症状と二次症状の病態発生的区別の意義を生涯主張し続けたエーの立場は、この変更によって少なからぬ追認を得ていると言えよう。ドイツ語の解説書も同じ結論を導いている。[18]

第三の証拠は、古典的亜型の廃止と次元的アプローチの導入である。ICD-11 は妄想型・破瓜型・緊張型などの古典的亜型を廃止し、代わりに一次性精神病性障害の症状表現に対するコード——陽性症状(6A25.0)、陰性症状(6A25.1)、抑うつ気分症状(6A25.2)、躁病気分症状(6A25.3)、精神運動症状(6A25.4)、認知症状(6A25.5)——を導入し、さらに各コードには重症度の拡張コード——なし(XS8H)、軽度(XS5W)、中等度(XS0T)、重度(XS25)——を付すことができる。[44] 亜型の廃止は「この群はおそらく複数の疾患を含んでいる」というブロイラーの「疾患群(Gruppe)」概念への回帰であり、次元的重症度評価は「患者と健常者の違いは量的なだけである」というブロイラーの量的連続性の原理を診断操作として実装したものとして読める。陽性症状と陰性症状の独立したコード化は、ブロイラーの二次症状(陽性)と一次症状(陰性)の区別——そしてエーがそこから抽出した「器質—臨床間隔の原理」——を、分類論的次元において体現している。

DSM-5 と ICD-11 の比較はここで明確な図式を与える。DSM-5 は機能障害基準(B 基準)と六か月という長期経過基準(C 基準)を維持し、操作的信頼性を優先する点でシュナイダー的伝統により近い。ICD-11 は一か月という短期基準を維持し、シュナイダーの一級症状の特権を廃し、弛緩した連想という精神病理学的言語を温存することで、ブロイラーの伝統により近い位置に立つ。フランス精神医学の「解体(désintégration)」概念——Kapsambelis がブロイラーとエーを通じた系譜として明示的に記述した——は、ICD-11 の症状指標と次元的重症度という新しい言語のもとで、従来よりも親和的な制度的環境を得たと言える。ブロイラーが1926年のローザンヌ会議で宣言した「統合失調症は臨床的実体であるだけでなく、同時に解剖病理学的実体でもある」という命題の精神は、ICD-11 の次元的・スペクトラム的アプローチを通じて、百年の時を経て国際分類の水準に浮上しつつある。Van der Broek と Hölzel によるドイツ語の ICD-11 解説書は、この領域への便利な水路を日本語圏の精神医学にもたらすものであり、本稿が取り上げた翻訳作業の意義も、この文脈において改めて確認される。ただしそれらはあくまで二次的な参考解説であって、本節の主張の典拠そのものではない。[17][18] 本節で述べたすべての主張は、上に直接引用した世界保健機関自身の診断規定に基づいており、読者はそれを確認するために本稿以外のいかなる文献にもあたる必要がない。[44]

Notes
原文注
*原文注 1)第三章 3-2 節、ブロイラー1911年著作284頁(エー謄写版引用):

Il y a des symptômes qui correspondent directement au processus morbide, d’autres sont secondaires […]. Les symptômes primaires sont les manifestations nécessaires d’une maladie. Les secondaires peuvent manquer ou varier sans que se modifie en même temps le processus morbide.

(Ey, H. « La conception d’Eugen Bleuler. » In : Bleuler, E. Dementia praecox ou Groupe des schizophrénies. Trad. A. Viallard. Paris : E.P.E.L./G.R.E.C., 1993, p.646.)
*原文注 2)第一章 1-2 節、『精神医学教科書』版次と邦訳の書誌情報:

オイゲン・ブロイラー単独著作期(Julius Springer, Berlin):第1版 1916 年(532 頁)、第2版 1918 年、第3版 1920 年(526 頁)——以上は筆者が PDF で確認済み。第4版・第5版・第6版の刊行年は現時点で未確認。オイゲン・ブロイラーは1939年7月15日、83歳で逝去。第1版刊行から第6版まで自ら監修したことが、マンフレット・ブロイラー自身の第14版序文において明記されている。

マンフレット・ブロイラー校訂期:第7版 1943 年(511 頁、Umgearbeitet von Manfred Bleuler、ベルツェ・ルクセンブルガー・メゲンドルファー・シャイデッガーの協力)、第8版 1949 年(506 頁)、第9版 1955 年(583 頁)、第10版 1960 年(629 頁)、第11版 1966 年(659 頁)、第12版・第13版は刊行年未確認、第14版 1979 年(706 頁)、第15版 1983 年(768 頁、アングスト・エルンスト・ヘス・メンデ・ライスナー・シャイデッガーほかの協力)。なおマンフレットは第14版序文において「毎改訂のたびに全体の四分の一以上を完全に書き直した」と述べており、第7版以降は事実上の全面改訂が繰り返されていることに注意を要する。

英語訳:A. A. Brill 訳(authorized English translation)、初版 1924 年(第4版独語版に基づく)、Dover 版 1951 年再刊。

日本語訳:第15版(1983年)に基づく邦訳。着手の経緯については1943年頃との情報があるが詳細は現時点で未確認。刊行完結は1990年。内容構成:総論・内因性精神病・心因性精神病・器質性精神病・てんかんの計三巻。本稿は第3版(1920年)を直接参照した。理由は三点:(一)オイゲン単独著作としての思想的純粋性、(二)統合失調症論文(1911年)刊行から九年という近接性——エーが1925年に翻訳したテキストと実質的に同一の思想的地平、(三)A 章「Psychologische Wegleitung」等の章立て構成がオイゲンの原設計を保持しており、本稿が行う教科書内部分析の根拠資料として適切であること。

*原文注 3)第一章 1-1 節・第五章 5-1 節、「揺りかご」の一文を支える症例——ブロイラー 1911 年著作 S. 106–114, 356–357:

当該の一文は「妄想観念の成立と運命(Entstehung und Schicksale der Wahnideen)」節の冒頭に置かれている(S. 106)。以下、この節および「統合失調症と夢との関係」節から、一文を支える一二の症例と二つの一般的定式を、独語原典の頁とともに採録する。訳出および分類は筆者による。なおブロイラーは症例に名を与えず、多くを一、二行で処理しているため、以下も原文の簡潔さに従う。

(甲)残遺妄想——急性状態で生まれ、状態を越えて残るもの。これが理論的な要石である。ブロイラーは「揺りかご」の一文に続けて、メランコリー性・躁性の気分変調では情動に対応する妄想が生じ、本来の統合失調症性の錯乱では偽の表象の乱舞が現れる、と二つの経路を区別したうえでこう述べる——「この二種の観念はいずれも、それが生じた状態を生き延びうる。そのとき両者は情動的・知性的な連関を欠いたまま、『残遺妄想(Residualwahn、ナイサー)』として『二次的』状態のうちに存続する」(S. 106–107)。急性期に生まれた妄想が慢性期に持ち越されるという事態が、ここで一つの術語を与えられている。エーが「揺りかご」の比喩から取り出したのは、実質的にこの命題である。

(乙)夢および薄暮状態のなかで形成され、覚醒後も保持されるもの。四例が挙げられる。第一に、教養があり就労も社交も可能な女性患者。彼女は妄想物語を夢のなかでのみ作り上げ、それが夢であることを自ら知りながら、なお信じ続けた。ある朝、眠っているあいだにブロイラーが自分に子を作り、それを腕から切り出した、と訴える。私は夢の中身に責任は負えない、現実に君のもとにいたわけではない、と説いたところ、「では、なぜ先生は夢のなかに来るのですか」と返され、説得の術は尽きた(S. 111)。第二に、財政難に苦しむ一人の教師。ある夜、俸給が上がった夢を見てすっかり幸福な気分で目覚め、そのことを語った。その妄想観念は持続し、重い発病の導入部をなした(S. 111)。第三に、あるカタトニー患者——「彼女は夢を見る。そして目が覚めると、物事は夢で見たままである」(S. 111)。第四に、あるパラノイド患者。彼女は長らく偽装のない願望夢を見ており、何か不快なことがあった夜——たとえば恋愛的な求めを拒まれた夜——には、その反対を夢に見て、それを妄想として保持した(S. 111)。

(丙)夢が薄暮状態へ移行する例。あるカタトニー女性は、二晩続けて、現実には粗暴であった夫と争う夢を見た。声を出し、目を見開いて硬直していた。同じ発作はやがて就床時にも起こるようになり、ついで日中にも起こるようになった(S. 112)。夢から薄暮状態へ、そして覚醒時へという移行の勾配は、註においてさらに明示される——「ある統合失調症者が何年ものあいだ夢のなかでのみ幻覚を産出し、ついで半睡状態でも同等のものを産出し、そして何年も経ってはじめて覚醒時にも産出する、ということが起こる」(S. 356、註)。

(丁)発作をまたいで再燃し、成長して戻ってくるもの。ブロイラーは一般則としてこう述べる——「以前の発作で形成された観念が、後の増悪期に、あいだに何もなかったかのように再び取り上げられる。しかも再出現の時点ですでに一段と発展していることも稀ではなく、それらが無意識のうちに生き続けただけでなく、成長しつづけていたことが推測される」(S. 113)。症例としては、第一発作で会戦を指揮し恋人のために大発明をなした一人の学者。数年後の第二発作では、恋人が未婚であると心が告げた(事実は誤り)(S. 110)。また、一度乗り越えた譫妄の内容が平穏な時期には何年も忘れられたままでありうることを示す例として、第一発作で説教師に聖書を贈った女性患者。二十年後の第二発作で、彼女はその代金五十フランの請求書を送った(S. 113–114)。

(戊)持続性と、意識状態による速度差。急性発作中に形成された観念はしばしば興奮とともに褪せる、というのが一般則である(S. 112)。しかし例外は劇的でありうる。二十歳のときに「あと三十年処女でいれば二万フランもらえる」という約束を(幻聴として)聞いた軽症の女性患者は、三十年が経過したのち、その金を受け取りに銀行へ出向いた(S. 112)。他方、意識状態が妄想形成の速度を左右することも明言される——女性において「愛された、次いで結婚した、次いで妊娠した」という順に妄想が展開するのは珍しくないが、「この展開は薄暮状態では数週間を、意識清明な患者ではしばしば数年を要する」(S. 110)。急性状態とは、同じ内容が桁違いの速さで結晶する場である。

(己)気分状態による変形。躁状態で作られた「女王」は、メランコリー状態では「地獄の妃、夜の女王」となる。不安状態で見られた地球を貫く無限のトンネルは、多幸状態では患者自身の技術的発明となる(S. 112)。

採録にあたっての注記。右の症例群は、急性状態が妄想の発生源でありうることを豊富に例証している。しかしそのいずれも、すべての妄想がそこから生じることは示していない。ブロイラー自身、同じ節で「妄想が不定の『感情』から発展することを規則として立てたくはない」(S. 110)と述べ、突然に鋭く定式化された表象が疾患の最初の症状でありうること、また妄想が完全に意識清明な人においても「原初的に(primordial)」無意識から完成した形で浮上しうること(S. 110–111)を並記している。第五章 5-1 節に引いた aber nicht alle(S. 357)と併せて読まれたい。

References
参考文献
[1]Clervoy, P. Henri Ey, 1900–1977 : cinquante ans de psychiatrie en France. Le Plessis-Robinson : Les Empêcheurs de penser en rond / Institut Synthélabo pour le progrès de la connaissance, 1997.(松石竹志訳・解説、翻訳出版予定。引用箇所:第一章・第五章)
[2]Ey, H. « La conception d’Eugen Bleuler. » In : Bleuler, E. Dementia praecox ou Groupe des schizophrénies. Trad. A. Viallard. Paris : E.P.E.L./G.R.E.C., 1993, pp.642–658.(原稿は 1940 年 9 月~10 月の講演「精神医学の現代的傾向」最終回、謄写版初刷り 1945 年。第二章冒頭に引いた『精神医学教科書』についての脚注 8 は p. 657、第四章 4-1 節に引いた『魂の自然史』評は pp. 655–656、第五章 5-1 節に引いた結語の一段落は p. 658。引用箇所:全章)
[3]Guiraud, P. & Ey, H. « Remarques critiques sur la schizophrénie de Bleuler. » Annales Médico-psychologiques, I, 1926, pp.355–365.(引用箇所:第一章)
[4]Bleuler, E. Dementia praecox oder Gruppe der Schizophrenien. Leipzig/Wien: Franz Deuticke, 1911.(邦訳:飯田眞ら訳、医学書院、1974 年。仏訳:Viallard, A. Paris: E.P.E.L./G.R.E.C., 1993. 引用箇所:第二章・第三章)
[5]Bleuler, E. Lehrbuch der Psychiatrie. 3. Auflage. Berlin: Julius Springer, 1920.(本稿は第3版を直接参照。邦訳:第15版〔1983年、マンフレット・ブロイラー校訂〕より、総論・内因性精神病・心因性精神病・器質性精神病・てんかんの計三巻、1990年刊行完結。版次詳細は*原文注 2 参照。引用箇所:第二章)
[6]Bleuler, E. Naturgeschichte der Seele und ihres Bewußtwerdens. Berlin: Julius Springer, 1921; 2. Aufl. 1932.(引用箇所:第四章)
[7]Bleuler, E. Die Psychoïde als Prinzip der organischen Entwicklung. Berlin: Julius Springer, 1925.原典未見。冒頭部分がシュプリンガーのサイトで閲覧できるほかに公開全文が見当たらず、書籍としても現在通常の流通経路では入手できない。本稿の記述はヤスパース〔32〕の要約およびエー〔2〕の言及と、『魂の自然史』〔6〕の本文との対照に基づく推論である。詳細は第一章 1-2 節の断り書き、および別稿「ブロイラー『魂の自然史』解題」凡例・8-3 節を参照。引用箇所:第一章 1-2 節、第四章 4-2 節)
[8]Bleuler, E. Mechanismus, Vitalismus, Mnemismus. Berlin: Julius Springer, 1931.原典未見。公開電子版が見当たらず、書籍としても現在通常の流通経路では入手できない。本稿は本書について、ブロイラー五著作の連関のうちに位置づける以上のことを述べない。引用箇所:第一章 1-2 節、第四章 4-1 節)
[9]Claude, H. « Démence Précoce et Schizophrénie. » In: Bleuler, E. & Claude, H. La schizophrénie en débat. Éd. originale 1926 ; réimpr. Paris: L’Harmattan, 2001.(引用箇所:第一章 1-3 節)
[10]Minkowski, E. La schizophrénie. Paris: Payot, 1927.(引用箇所:第一章 1-4 節)
[11]Bleuler, E. « La Schizophrénie. » Rapport de psychiatrie, Congrès des Médecins Aliénistes et Neurologistes, XXXe Session, Genève-Lausanne, 2–7 août 1926. Paris: Masson et Cie, 1926. Réimpr. in: La schizophrénie en débat. Paris: L’Harmattan, 2001.(引用箇所:第一章・第三章)
[12]Bleuler, E. & Claude, H. La schizophrénie en débat [Rapport de psychiatrie et compte rendu de discussion. XXXe Session, Genève-Lausanne, 1926]. リプリント版(討論記録を含む)、Paris: L’Harmattan, 2001.(引用箇所:第一章・第三章)
[13]アンリ・エー『幻覚』第 5 巻 器質・力動論 2、影山任佐・安部隆明訳、金剛出版、2017 年。「資料 2 オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler)の考想〈一九四〇〉」所収(影山任佐訳・訳注付き日本語全訳)。(引用箇所:第一章)
[14]Kapur, S. « Psychosis as a state of aberrant salience. » American Journal of Psychiatry, 160(1), 2003, pp.13–23.(引用箇所:第三章 3-4 節、第五章 5-6 節)
[15]Fletcher, P. C. & Frith, C. D. « Perceiving is believing: a Bayesian approach to explaining the positive symptoms of schizophrenia. » Nature Reviews Neuroscience, 10(1), 2009, pp.48–58.(引用箇所:第二章・第三章 3-4 節、第五章 5-6 節)
[16]Kapsambelis, V. (dir.) Manuel de psychiatrie clinique et psychopathologique de l’adulte. Paris: PUF, 2012. Chapitre 27 « Schizophrénies de la période d’état » (Kapsambelis, V.), pp.481–526.(引用箇所:第五章 5-5 節)
[17]van der Broek, A.-L. ICD-11 für die Psychiatrie. Kapitel 2: Schizophrenie oder andere primäre psychotische Störungen.(松石竹志による全訳完了。ただし原著に誤りもあり翻訳刊行は中止。松石竹志『精神保健衛生関係者のための精神医学マニュアル』作成における内容水準の参照として活用し、同マニュアル参考文献欄にその旨記載。二次的な参考解説であり、本節の主張の典拠ではない——典拠は〔44〕〔45〕の WHO 一次文献である。引用箇所:第五章 5-6 節)
[18]Hölzel, L. P. (Hrsg.) ICD-11 Psychische Störungen: Diagnostik und klinische Leitlinien. Kapitel 5: Schizophrenie oder andere primäre psychotische Störungen.(本邦未訳。本論考が依拠する箇所は松石竹志による訳・編集に基づく。二次的な参考解説であり、本節の主張の典拠ではない——典拠は〔44〕〔45〕の WHO 一次文献である。引用箇所:第五章 5-6 節)
[19]Ey, H., Bernard, P. & Brisset, Ch. Manuel de Psychiatrie. 1re éd. Paris: Masson, 1960 ; 5e éd. 1989.(スペイン語訳:Tratado de Psiquíatría、第 5 版 1989 年。邦訳:小池淣 訳『精神医学マニュアル』〔部分訳〕、牧野出版、1981 年。引用箇所:Chap. IV p.75、Chap. XII pp.476–507、第五章 5-5 節)
[20]Kraepelin, E. Psychiatrie. Ein Lehrbuch für Studierende und Aerzte. 6., vollständig umgearbeitete Auflage, I. Band: Allgemeine Psychiatrie. Leipzig: Johann Ambrosius Barth, 1899.(引用箇所:第二章 2-1 節)
[21]Schneider, K. Klinische Psychopathologie. 14., unveränderte Aufl. Mit einem Kommentar von G. Huber und G. Gross. Stuttgart/New York: Georg Thieme Verlag, 1992, S. 6, 65.(S. 65 は一級症状の診断的意義と病態発生的理論とを切り離す宣言、S. 6 は「Glaubensbekenntnis」の一節。両者とも独語原典より直接引用。引用箇所:第三章 3-4 節)
[22]Aristotle. De Memoria et Reminiscentia (Parva Naturalia); Nicomachean Ethics; Politica; Organon. English ed.: Barnes, J. (ed.) The Complete Works of Aristotle. Princeton: Princeton University Press, 1984. French ed.: Aristote. Œuvres complètes. Trad. Pellegrin, P. et al. Paris: Flammarion, 2014.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[23]Hobbes, T. Leviathan (1651). Ed. Tuck, R. Cambridge: Cambridge University Press, 1991. Part I, Ch. 3 “Of the Consequence or Train of Imaginations.”(引用箇所:第三章 3-4 節)
[24]Locke, J. An Essay Concerning Human Understanding (1690; 4th ed. 1700). Ed. Nidditch, P. H. Oxford: Clarendon Press, 1975. Book II, Ch. 33 “Of the Association of Ideas.”(引用箇所:第三章 3-4 節)
[25]Hume, D. A Treatise of Human Nature (1739). Ed. Selby-Bigge, L. A. Oxford: Clarendon Press, 1978. Book I, Part I, §4 “Of the Connexion or Association of Ideas.”(引用箇所:第三章 3-4 節)
[26]Kant, I. Kritik der reinen Vernunft (1781; 2. Aufl. 1787). Ed. Timmermann, J. Hamburg: Meiner, 1998. Transzendentale Analytik, §§15–20 (Transzendentale Einheit der Apperzeption). Trad. fr.: Renaut, A. Critique de la raison pure. Paris: Flammarion, 2006.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[27]Herbart, J. F. Psychologie als Wissenschaft, neu gegründet auf Erfahrung, Metaphysik und Mathematik. 2 Bde. Königsberg: Unzer, 1824–1825.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[28]Griesinger, W. Pathologie und Therapie der psychischen Krankheiten. Stuttgart: Krabbe, 1845; 2., umgearb. u. erw. Aufl. 1861. Trad. fr.: Doumic, A. Traité des maladies mentales. Paris: Delahaye, 1865.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[29]Wundt, W. Grundzüge der physiologischen Psychologie. Leipzig: Engelmann, 1874; 6. Aufl. 3 Bde. 1908–1911.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[30]Cross-Disorder Group of the Psychiatric Genomics Consortium. « Identification of risk loci with shared effects on five major psychiatric disorders: a genome-wide analysis. » The Lancet, 381(9875), 2013, pp.1371–1379.(引用箇所:第五章 5-6 節)
[31]Minzenberg, M. J., Laird, A. R., Thelen, S., Carter, C. S. & Glahn, D. C. « Meta-analysis of 41 functional neuroimaging studies of executive function in schizophrenia. » Archives of General Psychiatry, 66(8), 2009, pp.811–822.(引用箇所:第五章 5-6 節)
[32]Jaspers, K. Allgemeine Psychopathologie. Berlin: Julius Springer, 1913; 9. Aufl., Berlin/Heidelberg/New York: Springer, 1973.(4-2 節に引いた精神様体批判の一節はドイツ語原典第9版 S. 189。第一部第三章「身体的随伴現象および結果としての精神生活の症状(ソマト心理学)Die Symptome des Seelenlebens in körperlichen Begleit- und Folgeerscheinungen (Somatopsychologie)」冒頭、「身体と精神についての予備的考察 Vorbemerkungen über Leib und Seele」の中に位置する。英語版で参照する読者のために対応頁を併記する——英訳:General Psychopathology, trans. J. Hoenig & M. W. Hamilton, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1997, vol. 1, p. 224。英訳は原著第7版〔1959年〕からの訳であり、第7版以降は組版が同一のため第8版・第9版でも独語版の頁は変わらない。なおヤスパースがここで批判しているのは『精神様体』(1925年)の概念であって、エーが言及する『魂の自然史』(1921年)ではない。引用箇所:第四章 4-2 節、第五章 5-1 節)
[33]一次史料注:Bleuler, E. Dementia praecox oder Gruppe der Schizophrenien(1911年、デジタル複写、archive.org 所蔵原本)全文に対する検索の結果、カント・ヘルバルト・グリージンガーへの言及は皆無であった。連合心理学者としての最多引用はツィーエン(Ziehen)であり、十数箇所に及ぶ。ヴントへの言及は理論章の一箇所のみで、しかもヴァイガントのアパーツェプツィオーン障害説の典拠としてである。(頁番号は原本照合のうえ確定されるべきものである。引用箇所:第三章 3-4 節)
[34]Ziehen, T. Leitfaden der physiologischen Psychologie. Jena: Gustav Fischer(初版1891年、以後多数版). Vorwort: „Die hier vorgetragenen Lehren … schließen sich eng an die sogenannte Assoziationspsychologie der Engländer an.“(版の確定は原本照合のこと。引用箇所:第三章 3-4 節)
[35]Bleuler, E. Naturgeschichte der Seele und ihres Bewußtwerdens. Berlin: Springer, 1921, S. 201, 211, 215(カント綜合説への明示的反対)、S. 227ff.(A priori und a posteriori, Organisation und Erfahrungphyloplastisch/ontoplastisch)。(詳細は別稿「ブロイラー『魂の自然史』解題」で扱う。引用箇所:第三章 3-4 節)
[36]グリージンガーのヘルバルト依存について:Griesinger, W. Mental Pathology and Therapeutics, trans. Robertson & Rutherford, London: New Sydenham Society, 1867, p. 27n(ヘルバルトへの名指しの言及); Verwey, G. Psychiatry in an Anthropological and Biomedical Context. Dordrecht: Reidel, 1985, ch. 3; Arens, K. Philosophy, Psychiatry, & Psychology, 3(3), 1996, 147–163; Marx, O. M. Isis, 61(3), 1970, 355–370; Wahrig-Schmidt, B. Der junge Wilhelm Griesinger. Tübingen: Narr, 1986.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[37]Hoff, P. Neuropsychobiology, 66(1), 2012, 6–13(„As for the theoretical foundations of Bleuler’s thinking on schizophrenia, 3 authors have to be mentioned: Johann Friedrich Herbart, Emil Kraepelin and Sigmund Freud“;ただし Hoff は同時に連合論の伝統の広さを注記し Hume にも触れる); Maatz, A., Hoff, P. & Angst, J. Dialogues in Clinical Neuroscience, 17(1), 2015, 43–49; Moskowitz, A. & Heim, G. Schizophrenia Bulletin, 37(3), 2011, 471–479(„the association psychology of the 19th century, the dominant psychological paradigm of his time“)。反対側の評価として Stotz-Ingenlath, G. Medicine, Health Care and Philosophy, 3, 2000, 153–159(ブロイラーを „an empiricist and an eclecticist“ と規定)も併記する。(引用箇所:第三章 3-4 節)
[38]方法論注:Skinner, Q. “Meaning and understanding in the history of ideas.” History and Theory, 8(1), 1969, 3–53; Berrios, G. E. “Eugen Bleuler’s place in the history of psychiatry.” Schizophrenia Bulletin, 37(6), 2011, 1095–1098(過去の人物を “anticipators or pioneers of a current truth” に仕立てる読解への、ブロイラー論における警告); Butterfield, H. The Whig Interpretation of History. London: Bell, 1931.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[39]Sterzer, P., Adams, R. A., Fletcher, P., Frith, C., et al. “The predictive coding account of psychosis.” Biological Psychiatry, 84(9), 2018, 634–643(“while there is abundant empirical evidence compatible with a predictive coding account, more research is needed that explicitly tests (and potentially falsifies) predictions derived from this theory”;幻覚については弱プライア説と強プライア説が対立し双方に証拠があることを自認)。最新の整理として Goodwin, I. et al. Nature Mental Health, 4, 2026, 60–84(中核的異常の方向すら未決と結論)。(引用箇所:第三章 3-4 節)
[40]Litwin, P. & Miłkowski, M. Cognitive Science, 44(7), 2020, e12867; Miłkowski, M. & Litwin, P. Synthese, 200, 2022, 462; Colombo, M., Elkin, L. & Hartmann, S. British Journal for the Philosophy of Science, 72(1), 2021, 185–220; Williams, D. Consciousness and Cognition, 61, 2018, 129–147.(引用箇所:第三章 3-4 節)
[41]Corlett, P. R. & Fraser, K. M. “20 years of aberrant salience in psychosis: what have we learned?” American Journal of Psychiatry, 182(9), 2025, 819–829(“We believe that a strong incentive salience theory of delusions (and hallucinations) cannot hold”;Salience Attribution Test で妄想患者と健常対照に差がないこと、ドパミン異常の座が尾状核頭部/連合線条体であることを含む)。理論自体の改訂史として Howes, O. D. & Kapur, S. Schizophrenia Bulletin, 35(3), 2009, 549–562。(引用箇所:第三章 3-4 節)
[42]Stephan, K. E., Friston, K. J. & Frith, C. D. “Dysconnection in schizophrenia.” Schizophrenia Bulletin, 35(3), 2009, 509–527(“a similar notion, but formulated in terms of psychopathology, was expressed by Bleuler”); Friston, K., Brown, H. R., Zeidman, P. & Razi, A. “The dysconnection hypothesis (2016).” Schizophrenia Research, 176(2–3), 2016, 83–94(Wernicke の sejunction = anatomical dysconnection に対し、Bleuler の disintegration of the psyche = functional dysconnection と明記。同時に分子から精神病理への explanatory gap を自認)。ブロイラー古典症状と予測符号化を接続する試みとして Liddle, P. F. & Liddle, E. B. Frontiers in Human Neuroscience, 16, 2022, 818711(仮説論文)。(引用箇所:第五章 5-6 節)
[43]計算論的発話分析の系列。Tang, S. X., Kriz, R., Cho, S., et al. “Natural language processing methods are sensitive to sub-clinical linguistic differences in schizophrenia spectrum disorders.” npj Schizophrenia, 7, 2021, 25(冒頭で Bleuler を引用); Spitzer, M. “A cognitive neuroscience view of schizophrenic thought disorder.” Schizophrenia Bulletin, 23(1), 1997, 29–50; Spitzer, M. et al. Biological Psychiatry, 34, 1993, 864–877(間接意味プライミング亢進——ただし Pomarol-Clotet et al., British Journal of Psychiatry, 192, 2008, 92–97 のメタ解析は所見の不整合を報告); Elvevåg, B. et al. Schizophrenia Research, 93, 2007, 304–316; Bedi, G. et al. npj Schizophrenia, 1, 2015, 15030(転化例5名の小標本であることを著者自身が明記); Corcoran, C. M. et al. World Psychiatry, 17, 2018, 67–75; Mota, N. B. et al. PLoS ONE, 7(4), 2012, e34928; 同 npj Schizophrenia, 3, 2017, 18; 方法論的留保として Hitczenko, K. et al. Schizophrenia Bulletin, 47(2), 2021, 344–362; de Boer, J. N. et al. Current Opinion in Psychiatry, 33(3), 2020, 212–218.(引用箇所:第五章 5-6 節)
[44]World Health Organization. Clinical Descriptions and Diagnostic Requirements for ICD-11 Mental, Behavioural and Neurodevelopmental Disorders(CDDR). Geneva: WHO, 2024.(統合失調症〔6A20〕の必須所見、二症状規則、一か月の持続基準、項目 a) 〜 g) は「統合失調症および他の一次性精神病性障害」の節に、症状表現コード〔6A25.0–6A25.5〕と重症度拡張コード〔XS8H, XS5W, XS0T, XS25〕は診断コーディングに関する序章に、それぞれ規定される。対応する項目は WHO ICD-11 ブラウザでも参照できる。5-6 節の引用はすべて本文献による。引用箇所:第五章 5-6 節)
[45]World Health Organization. The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders: Clinical Descriptions and Diagnostic Guidelines. Geneva: WHO, 1992, F20 統合失調症.(診断には、群 (a)〜(d)——思考化声・思考吹入・思考奪取・思考伝播;被支配・被影響・受動体験の妄想;実況解説あるいは対話形式の幻聴;持続的な他の種類の妄想——のいずれかに属する、少なくとも一つの明確な症状〔あるいは、それほど明確でない場合は二つ以上の症状〕があれば診断に足りるとされていた。これらの群、少なくとも (a) から (c) は、分類論的な装いをまとったシュナイダーの一級症状にほかならない。ICD-11 が撤回したのは、この一症状で足りるという十分性である。引用箇所:第五章 5-6 節)
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