はじめに
「小土地所有農民社会の世帯経済」——三部作の鍵概念であるこの言葉は、農村を知らない都市の読者、とりわけ診察室でこの制度の末裔を日々運用している精神科医には、容易に像を結ばないようである。本稿は、その生活実感を補うための文学案内である。小説は統計ではなく、平均ではなく極限を描く。以下の各作品は、実証研究がすでに確定した構造——均分相続下の世帯経済、禁治産の三重の障壁、囲い込みとプロレタリア化、救貧法の二層構造——に、人間の顔と台詞を与えてくれるものとして選んだ。論証そのものは「1838年法の政治経済学」と「過密の時代」に委ね、本稿は作品の紹介と読みどころの指示に徹する。
あらかじめ全体を貫く対照を一言でいえば、こうなる。フランスの文学は土地にしがみつく者を描き、イングランドの文学は土地を失った者を描いた。この非対称そのものが、両国のアジール体制の非対称——行政的後見と滞留型の過密(仏)対 救貧法体制と回転型の過密(英)——に対応しているのである。
I フランス——土地にしがみつく者たち
モーパッサン「悪魔」(1886)Guy de Maupassant, « Le Diable »
最初に読むべき一篇。刈り入れの最盛期、死の床の母を抱えた農夫オノレは、看取り女ラペーと料金交渉を始める——日払いでは長引いた分だけ高くつく、ならば幾日生きようと定額で。値切られた看取り女は老母が予想外に持ちこたえるのに焦れ、悪魔に扮して瀕死の老女を脅かし、その死を早める。看取りという最も情緒的であるはずの営みが日額(prix de journée)という単位で即座に計量される、この思考の習慣に注目されたい。「日額」はアジール財政の基礎単位そのものであり、「過密の時代」で論じた県当局の単価操作——救護院より安いアジールに治癒不能者を留め置く——と同じ算術である。短篇ゆえ一晩で読める。
ゾラ『大地』(1887)Émile Zola, La Terre
均分相続(民法典第745条)の帰結を描いて並ぶものがない。ボース地方の老農フアンは民法典に従い三人の子に土地を分割譲渡し、引き換えに年金と食事の給付を約束される。しかし労働能力を失った老親は「無益な食い扶持」として疎まれ、給付は滞り、罵倒と冷遇の果てに、邪魔者として悲惨な死へ追いやられていく。世帯が病者・老人を抱え込む包摂力と、その包摂が存立の危機の一点で冷酷な排除に反転する防衛限界——「1838年法の政治経済学」第一・二章の議論の、これが文学的原風景である。大作だが、フアンの土地譲渡の場面だけでも議論は追える。
バルザック『禁治産』(1836)Honoré de Balzac, L'Interdiction
禁治産手続の最良の解剖。社交界に君臨するエスパール侯爵夫人が、別居中の夫を禁治産にかけようと裁判所に申し立てる。審理を担当する清廉なポピノ判事が侯爵本人を審尋すると、「狂気」の正体は、祖先が大革命期に不当に取得した財産を旧所有者の子孫にひそかに返済するという、常人より遥かに理性的な良心の営みであった——だが夫人は有力な縁故を動かし、ポピノは事件から外される。物語は後任の判事が任じられたところで閉じられ、宣告の帰趨は語られない。バルザックが書いたのは判決ではなく、公正な審尋がなされたのちにその審尋者が入れ替えられる、という一点である。
この中篇が一挙に見せてくれるのは、拙稿が「三重の障壁」と呼んだものの内訳である。申立て・審尋・親族会という重厚な司法手続(煩雑)、一流の代訴人と弁護士を要する階級の武器という性格(高額)、家名を賭けた公開の闘争(公開性)、そして手続の実質が病者の処遇ではなく財産管理の争奪であること。「隔離すること、禁治産にしないこと(isoler, ne pas interdire)」(デュフォール)を掲げて司法を迂回した1838年法の前提が、この一篇で体感できる。なお同じバルザックの『農民』(Les Paysans、未完、没後1855年刊)は、大所有地を蟻のように齧り崩していく小農の執拗な土地飢餓の証言として、『大地』の先駆をなす併読書である。
ゾラ『獲物の分け前』(1871)/トクヴィル『回想録』Émile Zola, La Curée / Alexis de Tocqueville, Souvenirs
背景書として。前者はオスマンのパリ大改造の裏面——狂乱的な不動産投機、立ち退き補償金の詐取、成金ブルジョワの道徳的頽廃——を描き、貧民と病者を首都から不可視化する都市改造の論理が、「過密の時代」で論じたセーヌ県の過密と地方移送の構造と表裏一体であることを感覚させてくれる。後者(死後1893年刊)は、1830年の勝利が全権力を単一の階級に与え、当時の政府が、すべての操作が社員の受け取る利益のために行われる一つの産業会社(compagnie industrielle)の観を呈していたと回顧する、七月王政についての同時代最良の階級分析である(第一部第一章)。1838年法が成立した政治的環境の証言として読まれたい。
II イングランド——土地を失った者たち
ワーズワス「白痴の子」「老カンバーランドの乞食」(1798/1800)William Wordsworth, "The Idiot Boy" / "The Old Cumberland Beggar" (Lyrical Ballads)
英国側の出発点。「白痴の子」では、農村の母ベティ・フォイが、急病の隣人のため、知的障害のある息子ジョニーを夜中の使いに出す。月夜に馬上で歓声を上げる息子、探して駆け回る母、息子が見つかった安堵のあまり快癒してしまう隣人——この詩において白痴の息子は憐れみの対象ではなく、母の誇りであり、隣人経済の使者であり、共同体の夜の風景の一部である。囲い込み以前の農村における「在宅包摂」の文学的定礎であり、ワーズワス自身、この主題を嗤う批評に対して、貧しい家々こそが白痴の子を厭わず抱え続けるのだと弁じている(1802年のジョン・ウィルソン宛書簡)。鈴木晃仁『Madness at Home』の実証と正面から響き合う。
「老カンバーランドの乞食」は、村々を巡回して各戸で施しを受ける老乞食を描き、彼を取り込もうとする施設に対して名指しで抗議する——「『勤勉の家』などと呼び違えられた収容所が、彼を捕虜とすることの決してなきように(May never House, misnamed of Industry, / Make him a captive!)」。ワークハウスの世紀の到来を、詩人は30年前に正確に予見し、あらかじめ拒否していた。いずれも短く、まずここから。
オースティン『高慢と偏見』(1813)Jane Austen, Pride and Prejudice
世帯経済の証人としてではなく、収容に署名する階級の集団肖像として読む。ダーシー(年収1万ポンド)やナイトリー(『エマ』では現役の治安判事として言及される)の階級——地代で暮らす地主紳士——こそ、無給の治安判事(Justice of the Peace)として救貧税を査定し、州アジールの建設を議決し、訪問判事(visiting justices)としてこれを巡視し、貧民精神病者の収容命令に署名した人々である。フランスの県知事に当たる英国の収容決定者は、この客間から供給された。ベネット家を縛る限嗣相続(entail)と母夫人の婿探しの狂騒は、この階級における世帯防衛の形として、フランス小農の土地執着と好対照をなす。
ジョン・クレアの詩と伝記John Clare, Major Works / Jonathan Bate, John Clare: A Biography (2003)
囲い込みからアジールまでを一身で貫いた生涯。ノーサンプトンシャーの寒村ヘルプストンの日雇い農の子に生まれた農民詩人クレア(1793–1864)は、少年期に故郷の囲い込み(1809年議会法)を目撃し、その挽歌「荒野」(The Mores)を書いた——「囲い込みがやって来て、労働の権利の墓を踏みにじり、貧しき者を奴隷として残した(Inclosure came and trampled on the grave / Of labour's rights and left the poor a slave)」。精神の均衡を失った彼は1837年、エセックスのハイビーチ私立アジールに収容され、1841年夏にそこを脱走して、道端の草を噛んで飢えをしのぎながら故郷まで数日を歩き通した(手記「Journey out of Essex」)。しかし同年末、治安判事の手続を経てノーサンプトン州アジールへ再収容され、没するまでの23年間をそこで過ごした。再収容時の書類は、狂気の原因を問う欄に「長年、詩作に耽溺(years addicted to poetical prosing)」と記していたと伝えられる(ベイトの伝記に拠る)。アジールで書かれた「私は在る」(I Am)は、19世紀英詩の最も孤独な一行で始まる——「私は在る——だが私が何であるかを、気にかけ知る者はない(I am—yet what I am none cares or knows)」。
スカルのテーゼ——生存の基盤を市場の外に持たない人間が施設へ流れ込む——を、一個の運命として生きた伝記であり、本案内の英国側の論旨はこの一人に凝縮されている。詩の邦訳は乏しく、伝記と併せ原文参照が現実的である。
ギャスケル『メアリ・バートン』(1848)Elizabeth Gaskell, Mary Barton: A Tale of Manchester Life
賃金世帯の緩衝ゼロを描いた最初期の産業小説。第6章、不況下のマンチェスターで熱病に倒れた失業労働者デヴェンポートを、仲間のジョン・バートンとウィルソンが見舞う——換気窓もない地下室、汚水の滲む床、藁の寝床、飢えた妻子。工場が止まれば賃金が止まり、賃金が止まればその週のうちに飢餓が始まる。土地も家畜も貯えもない世帯には、成員の一人が労働不能になったとき持ちこたえるための緩衝が、最初から存在しないのである。他方、同じ小説の老アリスは甥の家で看取られて安らかに世を去る——在宅ケアの意志は英国にも生き続けた。差異は意志ではなく資源の耐久力にある。地所は不況でも残るが、賃金は月曜に消える。ディケンズ『ハード・タイムズ』(1854)の「手(Hands)」——人格ではなく稼働する労働力としてのみ人間を測定する計算体系——を併読すると、この対比は一層明瞭になる。
ディケンズのルポルタージュ二篇(1852/1860)Charles Dickens, "A Curious Dance Round a Curious Tree" / "Wapping Workhouse"
施設の内部については、小説家ディケンズよりもルポライターとしてのディケンズの方が正確で豊かである。自ら主宰した週刊誌に、彼は二本の重要な訪問記を残した。「奇妙な木をめぐる奇妙な踊り」(Household Words, 1852年1月17日、W・H・ウィルズと共作)は、ロンドンのセント・ルークス精神病院で毎年クリスマスに催される患者たちの舞踏会の見聞記——鎖と藁と見世物の旧時代の記憶を対置しながら、看護人と患者が輪になって踊る静かな夜会を、拘束なき処遇(non-restraint)の成果として描く。アジールが「治療の場」として自己を提示する瞬間の、最良の同時代スケッチである。
「ワッピング救貧院」(All the Year Round, 1860年、のち『無商用の旅人』所収)は、テムズ河畔の救貧院の見聞記——懲罰的な作業部屋の「手に負えぬ者たち(Refractories)」と、本来アジールにいるべき、精神を病みあるいは耄碌した女たちの病棟。彼女らがなぜここにいるかといえば、アジールが満杯だからである。バートレット『The Poor Law of Lunacy』が実証したアジール⇄ワークハウスの二層構造の、上端(治療の舞台)と下端(収容の倉庫)とを、同じ一人の観察者の眼で結んだ記録として読まれたい。『オリバー・ツイスト』(1838)の「お粥をもう少しください(Please, sir, I want some more)」は、その体制の入口の告発として、いまさら紹介の要もあるまい。
読書の順序
仏側は「悪魔」→『禁治産』→『大地』の順を勧める(短篇→中篇→大作。『獲物の分け前』と『回想録』は背景書として後回しでよい)。英側はワーズワス二篇→『メアリ・バートン』第6章→ディケンズのルポ二篇→クレア(詩と伝記)→最後に『高慢と偏見』の再読——ダーシーやナイトリーが、収容命令に署名する側の人間として見えてくるとき、本案内の目論見は果たされたことになる。