序──本書と本案内
ショーターとフィンク『恐怖の狂気──カタトニアの歴史』(Edward Shorter and Max Fink, The Madness of Fear: A History of Catatonia, New York: Oxford University Press, 2018, 224頁、全14章)[1]は、医学史家と臨床家の共著による、緊張病の通史である。フィンクは電気けいれん療法研究の長老にして、緊張病を「統合失調症の亜型」の墓場から救い出した運動の中心人物であり、序論に置かれた自伝的回想──1965年のイスタンブール・バクルキョイ病院で見た薬物時代以前の光景、ストーニーブルックでECTにより劇的に消退した全身性エリテマトーデスの錯乱──が、本書の実践的な出自を物語る。両著者はテイラーとともに「三人の醜い継姉妹」(破瓜病・カタトニア・メランコリア)の復権を掲げてきた学派であり、メランコリア篇・カタトニア篇の専門書に続く本書は、その歴史篇にあたる[6]。
表題のテーゼは明快である。カタトニア性の混迷は穏やかな意識の空白ではない──患者は覚醒したまま、家が焼け落ちる、騎兵隊が襲ってくるといった破局的な恐怖に圧倒されており、回復後にその一部始終を想起する。混迷とは「恐怖の狂気」であり、捕食者を前にした動物の強直性不動(tonic immobility、死んだふり)という系統発生的防御機構の、極限の恐怖下での発動だという進化的解釈が提示される(第七章)。そしてカタトニアには、他疾患に伴う「緊張病症候群」と、カールバウムが1874年に記載した完全形態「カールバウム病」の二形態があり──パーキンソン病とパーキンソン症候群の関係とちょうど同型である──、その全体がベンゾジアゼピンとECTという共通の治療に劇的に反応する。治療反応の共通性こそ生物学的単位性の試金石という、『DSM-5から締め出されたもの』と同じ方法論的基盤[9]が、ここでは一冊まるごと一つの症候群に注がれる。
一、見取り図──前史・拉致・救出
前史と命名(第一〜三章)
カールバウム以前、カタトニアは「カタレプシー」「硬直病(Starrsucht)」「愚鈍症(stupidité)」「恍惚」「仮死」といった諸名の下に散在していた。ガレノス以来の蝋屈症と混迷の記録、1415年トゥールーズの聖杯を掲げたまま硬直した修道士、ティソの記録した蝋人形のような5歳の少女、シャルコーのサルペトリエールで銅鑼の音とともに彫像と化した「ヒステリー」患者の列──本書のこの部分は逸話の宝庫である。本欄の読者に特記すべきは、カタレプシーの最初の近代的記述をピネル『哲学的疾病分類学』(1803年)に帰し、症候性カタレプシーから区別された単一のカタレプシー疾患の主張を、カールバウムが引き継いだ系譜として描いていることである──ピネル連作[10]と本書は、ここで直接につながる。そのうえで第三章が、ゲルリッツの私立保養院の人カールバウム(1828〜99)を置く。1863年の『精神疾患の群別』で症状複合と基底の疾患過程とを初めて区別し、経過と転帰による「臨床的方法」を創始したこと。助手ヘッカーに資料と着想を与えて破瓜病(1871年)を書かせたこと。そして1874年の『緊張病あるいは緊張狂(Die Katatonie oder das Spannungsirresein)』[2]が、進行麻痺を範型として、運動症状を中核に据えた独立の脳疾患 vesania katatonica を立て、メランコリー期→躁病期→錯乱期→痴呆期という段階経過を想定しつつ、予後は必ずしも悪くないとしたこと。ベルリンとブレスラウの学界(ヴェストファール、ヴェルニッケら)が「二次的現象にすぎず」と一斉に反発したことまでが、簡潔に押さえられる。
拉致(第四〜七章)
第四章以降が、本書の標題副次テーゼ「誘拐されたカタトニア」である。クレペリンは当初カタトニアの単位性に否定的で、第四版(1893年)でカールバウムの段階説を破棄しつつ「特異な疾患型」とし、決定的には第六版(1899年)で破瓜型・緊張型・妄想型の三亜型として早発性痴呆の傘下に併合した。そのとき同時に、カールバウムにおいて回復可能だった病の予後は「約6割が高度の荒廃に至る」不治の変性過程へと暗転し、中核は「意志の障害」(拒絶症・命令自動)と再定義される。ブロイラー(1908・11年)はこれをさらに進め、カタトニア症状を統合失調症の「副症状」へ格下げし、潜在性分裂病の概念で診断域を無際限に広げた。ハイデルベルク学派が権威を固め、仏英米へ浸透し、「カタトニア=重症統合失調症」の固定観念が初期DSM・ICDに刻まれる──クラフト=エビング、ウルシュタイン、ブムケ、メドゥナ、そしてクライスト=レオンハルトの周期性カタトニアといった抵抗線は、大勢を覆せなかった。
救出と現代(第八〜十四章)
後半は救出の物語である。急性譫妄・ベル躁病・致死性ノスタルジアの名の下に埋もれた致死性の興奮病態(この系譜にはピネルのmanie sans délireも数え入れられる──第六章・衝動概念史論文の線と交差する[12])、シュタウダーの「致死性緊張病」(1934年)とECTによる救命の実証、そして1980年代、抗精神病薬の「悪性症候群」が実は薬剤誘発性の悪性カタトニアにほかならないというフィンクらの論証。診断はロラゼパム負荷試験という治療的試金石を得て、アミタール(1930年〜)→ECT(1938年〜)→高用量ロラゼパム(1980年代〜)という治療の三段が確立する。制度面では、DSM-IIIでなお統合失調症の亜型に留め置かれたカタトニアが、DSM-5でついに亜型を廃されて横断的症候群として独立し、自閉スペクトラム症のカタトニア、自己免疫性脳炎(抗NMDA受容体脳炎)、小児の自傷行為という「新しい顔」が現代の臨床像を更新している。結び(L’Envoi)は、この病を「不治のゴミ箱」から救い出すことの人道的意味を確認して閉じる。
二、用語の地層──小対照表
連作の慣例に従い、本書に現れる歴史的術語の最小限の対照表を掲げる。ヒーリー篇・DSM-5篇の表[8][9]と併用されたい。
| 語 | 意味と出自 | 本欄の訳語 |
|---|---|---|
| catalepsy / Starrsucht / stupidité | カールバウム以前の三大呼称。混迷+蝋屈症(英仏)、硬直病(独)、愚鈍症(仏、精神面を強調) | 「カタレプシー」「硬直病」「愚鈍症」(文脈により原語併記) |
| flexibilitas cerea | 他動的に置かれた肢位を保つ現象。ティソの蝋細工の比喩に由来 | 「蝋屈症」 |
| Spannungsirresein | カールバウムが Katatonie に与えたドイツ語同義語(1874) | 「緊張狂」(歴史的術語として保存) |
| Attonität / Verbigeration / Schnauzkrampf | カールバウムの記載した混迷・常同言語・突き出し口(しかめ面痙攣) | 「アトニテート(混迷)」「言語常同」「シュナウツクランプフ(口すぼめ痙攣)」 |
| Gegenhalten | 他動運動への筋緊張性の対抗。メズラー(1794)に先駆記載 | 「ゲーゲンハルテン(対抗保持)」 |
| tonic immobility | 捕食者遭遇時の強直性不動。本書の混迷解釈の進化生物学的モデル | 「強直性不動」 |
三、批評と送辞
まず評価すべきは評価しよう。本書は読み物として無類であり、ショーターの博学は、トゥールーズの修道士からサルペトリエールの軍楽隊まで、他の誰にも書けない挿話で歴史を生動させる。フィンクの臨床的確信は、この病が治療可能であるという一点において、読者を動かす力をもつ。そして両著者の啓蒙は現実を動かした──DSM-5は緊張病亜型を廃して横断的症候群とし、ICD-11はさらに進んでカタトニアを独立の疾患群(6A4ブロック)として立てた[7]。分類の上では、カールバウムの1874年の主張は、140年を経てほぼ回復されたのである。だからこそ言えることだが、啓蒙の書としての本書の役割は、これで終わった。
そのうえでの留保である。第一に、ショーターの歴史記述は、博学の幅に比して学術的追跡の精密さを欠くことがある──引用は豊富だが、一つの論点を一次資料の連鎖で詰め切るよりも、挿話から挿話へ渡る筆致が勝つ。第二に、その語学は英仏に強い一方、ドイツ語は習得言語であり、初期精神医学の中心がまさにドイツ語圏にあった時代の扱いには、相対的な弱さが否めない──カールバウム自身のテクストの内在的読解は、本書でも結局手薄である。第三に、症例と挿話が英国・スペイン・イタリアへと飛ぶ叙述は、読み物としての興趣と引き換えに、歴史的概観の線を乱す。教育者としてのショーター──その講義や教育ビデオに筆者自身、多くを負ってきた──の美質と限界が、本書には共存している。これは告発ではなく、役割分担の確認である。啓蒙は成った。ここから先は、啓蒙書の再読ではなく、原典の精読の仕事である。
四、結び──カールバウムへ
本書が開いて、閉じなかった問いがある。カールバウムの臨床的方法──症状複合と疾患過程の区別、経過と転帰による分類──は、事実上クレペリンの方法の先取りであった。ヘッカーが追悼文(1899年)で証言したとおり、その先取権は当代に正当に遇されなかった[4]。ではなぜ、方法の創始者が、方法の継承者に呑み込まれたのか。大学教授職に就けずゲルリッツの私立保養院に生涯とどまった制度的周縁性か。メランコリー期から痴呆期に至る段階説(補遺Iの単一精神病論と直結する主題[11])の躓きか。版を重ねる教科書という、19世紀末の新しい権力形態か。予後の暗転という、概念の中身のすり替えか。本書第四章は素材を与えるが、答えは与えない。
この問いへ、本欄の重点を移す。手元には、『緊張病あるいは緊張狂』1874年原本(イェール医学図書館旧蔵本の複製)[2]、フォルクマン臨床講義叢書の「精神病理学の臨床診断的観点」(1878年)[3]、そしてヘッカーの追悼文の英訳(クラーム訳・解題、2008年)[4]が揃った。次の仕事は文献案内ではなく、原典に即したカールバウム論──ピネル発祥論(第六章)に続く、本論級の主題である。本篇は、そこへ渡るための送辞として、ショーター系列の案内をここに完結する。