Pigeaud, La maladie de l'âme(1981)
読解ノート統合版——巻頭資料・第Ⅰ〜Ⅳ章
目次
- 読解ノート(三・その一)第Ⅰ章・第一部 『神聖病論』
- 読解ノート(三・その二)第Ⅰ章・第一部 『体液論』第9章
- 読解ノート(三・その三)第Ⅰ章・第一部 ガレノスのプラトン主義(前半)
- 読解ノート(三・その四)第Ⅰ章・第一部 ガレノス三論攷(結)
- 読解ノート(四・その一)第Ⅰ章・第二部 フレニティス概念(定義・病因・座)
- 読解ノート(四・その二)第Ⅰ章・第二部 フレニティス概念(クロキュディスモス・脈・アスクレピアデス)
- 読解ノート(四・その三)第Ⅰ章・第二部 アスクレピアデスの知覚理論(幻覚と錯覚)
- 読解ノート(四・その四)第Ⅰ章・第二部 マニーの定義と治療
- 読解ノート(四・その五)第Ⅰ章・第二部 恐水病と同性愛
- 読解ノート(四・その六)第Ⅰ章・第二部 メランコリーとエスキロールのリペマニー(第Ⅰ章完)
- 読解ノート(五・その一)第Ⅱ章 エピクロスの健康論
- 読解ノート(五・その二)第Ⅱ章 エピクロスの健康論(結び)
- 読解ノート(五・その三)第Ⅱ章 アスクレピアデスの反ヴィタリスム
- 読解ノート(五・その四)第Ⅱ章 アスクレピアデスの機械論と「自然は法を守る」
- 読解ノート(五・その五)第Ⅱ章 ルクレティウスのメランコリー診断論争
- 読解ノート(五・その六)第Ⅱ章 伝染——一つの認識論的問題
- 読解ノート(五・その七)第Ⅱ章 ペストの病因論と反神義論(第Ⅱ章完)
- 読解ノート(六・その一)ピネルの直接引用・『トゥスクルム』第Ⅲ巻の定義論
- 読解ノート(六・その二)フーロルとメランコリー・アリストテレス『問題XXX』・クリュシッポスの情念一元論
- 読解ノート(六・その三)クリュシッポスの走者比喩・ガレノスの反論・「一元論の二元論的読解」
- 読解ノート(六・その四)ポセイドニオスの時間論・外科医対内科医・魂身アナロジーの再吟味
- 読解ノート(六・その五)プロクリウィタス・デクリウィタス・ガレノスのクリュシッポス批判・メトリオパテイア論争
- 読解ノート(六・その六)賢者の狂気の大問題・プロティノスの「至福の統合失調」・セネカへの移行
- 読解ノート(六・その七)セネカ『怒りについて』・情念発生の三段階・プロパテイア
- 読解ノート(六・その八)ルキリウス書簡の魂の健康・ハルパステー・メランコリーの三段論法
- 読解ノート(六・その九)アリストン論争・ピネル三度目の引用・医学モデルの栄光と限界
- 読解ノート(六・その十)プルタルコス『神罰の遅延について』・第Ⅲ章総括(第Ⅲ章完)
- 読解ノート(七・その一)メデイアの臓腑・クリュシッポス対ガレノスの大論争
- 読解ノート(七・その二)「エウリピデス『メデイア』の病」・サッポーとパラタクシス・アポロニオスの神経
- 読解ノート(七・その三)『流行病』第Ⅲ巻のエートス論・タソスとキュジコスの症例・ヒステリーへの一瞥
- 読解ノート(七・その四)「セネカの『メデイア』」・Medea nunc sum・臓腑のありかとコスタの四仮説
- 読解ノート(七・その五)「ヘラクレスの病と賢者の狂気」前半・ユーノーの地口・ドヴルー対テムキン・プロセドリア
- 読解ノート(七・その六)「医学と劇」・アナグノーリシス・フーコー批判・Hoc unum meum est
- 読解ノート(七・その七)「オイタ山上のヘラクレス」前半・デーイアネイラの疑惑・マルクス・アウレリウスの勅答
- 読解ノート(七・その八)「ヒュロスの語り」・燃える衣・臓腑の暴露・Ubi morbus, ubinam est?
- 読解ノート(七・その九)賢者の病という逆説・トゥキュディデス・ヘルダーリン・パイドラーへの橋渡し
- 読解ノート(七・その十)パイドラーの独白精読・ファルマコン・プロティノス・第Ⅳ章完結
- 読解ノート(八・その一)第Ⅴ章開幕「エウテュミアの定義」・ナトルプ対ヴラストス論争・医師のエウテュミア
- 読解ノート(八・その二)「エウテュミアと哲学者たち」・フィロンのイサクの笑い・『ヒッポクラテース書簡』への扉
- 読解ノート(八・その三)「デモクリトスという登場人物」・低いプラタナス・パイドロスの二重の狂気
- 読解ノート(八・その四)「アブデーラ人の健康」・都市国家有機体論・笑いの両義性
- 読解ノート(八・その五)「デモクリトスの演出」・哲学は医学の姉妹・医師は哲学者より重要
- 読解ノート(八・その六)「狂犬病について」・ディアドシス・エレボロスと笑いの寓意的対決・『書簡』結語
- 読解ノート(八・その七)「ワインとエウテュミア」開幕・『技術について』の可視/不可視の認識論
- 読解ノート(八・その八)「プラトン、医師として」・操り人形の陶酔実験・負量概念の先取り
- 読解ノート(八・その九)『問題集』第XXX巻のワイン論・ムネーシテオスの断片・「酩酊は悪徳を露わにする」
- 読解ノート(八・その十)セネカ『魂の平静について』前半・ユピテルの引き潮・「賢者にではなく」
- 読解ノート(八・その十一)アエグリトゥード対タエディウム・フロイト「悲哀とメランコリー」・第Ⅴ章完結
- 読解ノート(九・その一)「結論」開幕・「魂の病とは道徳家の発明である」・メリベー再訪・ホラティウス
章構成と頁対応
一、書誌(スキャン本体より確認)
Pigeaud, Jacques, La maladie de l'âme : étude sur la relation de l'âme et du corps dans la tradition médico-philosophique antique, Paris, Société d'édition « Les Belles Lettres », 1981, 588 p. 奥付(PDF最終頁):Achevé d'imprimer en mai 1981, Imprimerie F. Paillart, Abbeville. Dépôt légal : 2e trimestre 1981。序(Avant-propos)によれば本書はアラン・ミシェル(Alain Michel)指導の国家博士論文を基とし、審査員にグルメク(Grmek)、グリマル(Grimal)らを含む十年の仕事の成果である。(※副題は流布書誌形。標題紙の文言そのものは低解像度につき、原本頁での最終確認を推奨。)
二、頁換算——印刷頁 ⇄ PDF頁
PDF頁 ≒ (印刷頁 + 8)÷ 2(端数切り上げ)
印刷頁 ≒ PDF頁 × 2 − 8(当該PDF頁の後側。前側はその−1頁)
三、章構成(目次頁のOCRに基づく再構成。頁欠は「—」)
下表の印刷頁は目次記載、PDF頁は上式による換算値。◆印は本紀要論文群との関連注記。
| 章 | 内容 | 印刷頁 | PDF頁(換算) |
|---|---|---|---|
| 序論 | 「魂の病」の概念、médico-philosophique な伝統の設定、対象コーパスの画定、研究計画 | — | 巻頭 |
| 第Ⅰ章 | 医師たちの精神病理学——『神聖病論』『体液論』第9章における魂身関係、ガレノスのプラトン主義(『ティマイオス』の生理学、肝臓の役割)。第二部「諸疾患」:フレニティス(座の問題、クロキュディスモス、脈)、アスクレピアデス、マニー(定義 p.100、治療 p.107)、恐水病 p.112、メランコリー(定義 p.122、マニーとの関係、エスキロールのリペマニーへの言及節) ◆メランコリー節とリペマニー節は pinel-virgile 第4節(エスキロール1805年論文・リペマニーへの布石)および別稿「躁鬱混合状態論の系譜」の背景として直接有用。 | 〜142頃 | 〜75頃 |
| 第Ⅱ章 | 原子論者たちと魂の病——エピクロスの健康、快の限界論、エピクロス的身体、アスクレピアデス(自然と法、反生気論、機械論 p.188)、ルクレティウスと魂の病(魂身関係 p.196、伝染の認識論 p.211、ペスト p.226、伝染の倫理学 p.236) ◆補注(二)で触れたルクレティウス第4巻の「恋の病理学」の思想的基盤。 | 143?–242 | 76–125 |
| 第Ⅲ章 | ストア主義と魂の病——クリュシッポスとキケローの「健康」p.245、キケローからウルピアヌスへの医学の展開 p.256、フロールとメランコリー p.259、クリュシッポスにおける情念 p.265、走行の比喩 p.267、キケローの二元論 p.273、『トゥスクルム』とポセイドニオス p.276、魂の病と身体の病のアナロジー(Tusc. IV.x.23以下)、proclivitas 概念(p.292前後)、メトリオパテイア批判、「情念は何の役にも立たぬ」、賢者の狂気の問題、セネカ『怒りについて』の生理学と道徳(propatheia)、『ルキリウス宛書簡』における魂の健康 ◆pinel-virgile 3-2(アパテイア/メトリオパテイア、注[8])の学問的裏づけの中核。補注(三)の「エウリピデス→クリュシッポス→ガレノス→キケロー」回路のうち哲学側の照合はまずこの章で行える。 | 243–372頃 | 126–190 |
| 第Ⅳ章 | 悲劇と魂の病——「メデイアの臓腑」p.378頃:エウリピデスのメデイアの病、セネカのメデイア、メデイアの狂気、メデイアという存在の一貫性。ヘラクレスの病と賢者の狂気(『狂えるヘラクレス』、狂気の徴候)、無意識礼賛 p.414、医学と劇(Médecine et drame)、オイタ山上のヘラクレス ◆補注(二)のエウリピデス『メデイア』1079行をめぐる議論(クリュシッポスによる引用・ガレノスの論及)の照合は、第Ⅲ章と本章の当該節で可能となる見込み——照合が済めば補注の「孫引き・原典確認中」標識を更新できる。 | 373–440 | 191–224 |
| 第Ⅴ章 | エウテュミア——魂の病の認識と治癒——エウテュミアの定義、医師のエウテュミア、哲学者たち、偽ヒポクラテス書簡群とデモクリトスの人物像(デモクリトスとアブデラ人の「健康」、病の徴候、デモクリトスの演出、狂犬病について)、葡萄酒とエウテュミア p.441以下 ◆「笑う哲学者」デモクリトス診察譚はメランコリー史の古典的挿話。別稿の不安概念史・メランコリー系列の背景として。 | 441–582頃 | 225–295 |
| 後付 | 文献表(古代著者/研究)、Index locorum・nominum・rerum(Furor, Hallucination, Hypochondrie 等の項あり)、目次 | 〜588 | 〜298 |
四、本紀要の目的に即した読み順の私案
- 最優先:第Ⅲ章(PDF約126–190頁)——ピネル情念論の古代的水脈(キケロー『トゥスクルム』第3–4巻の「魂の病」論)を専門家の整理で押さえられる。キケロー原典に取り組む前の最良の道案内でもある。
- 次いで第Ⅳ章のメデイア節(PDF約191頁以下)——悲劇→哲学→医学という回路の結節点。pinel-virgile 補注の孫引き標識二箇所の照合材料。
- 拾い読み:第Ⅰ章のメランコリー節(印刷p.122以下→PDF約65頁)——リペマニーへの言及を含み、エスキロール論(第4節)と響き合う。
Avant-propos
一、位置づけと分量
Avant-propos はローマ数字頁の I–II、実質2頁弱のごく短い前書きであり、内容はほぼ全面的に個人的謝辞である。学説上の議論はここには一切なく、本書の問題設定・コーパス画定・方法論の提示はすべて次の Introduction が担う。したがって通読上は軽く読み流してよい頁だが、(1)本書の成立事情と審査陣の顔ぶれ、(2)著者の方法論的信条を予告する一句、の二点だけは押さえておきたい。
二、段落ごとの内容(要旨再構成)
| 段落 | 要旨 |
|---|---|
| 第1段落 | 十年の仕事を刊行するにあたり、少し個人的な——「いくぶん内輪の」——言葉を述べたいという開巻の辞。この十年は結局のところ幸福な十年だったが、その幸福は時に苛烈でもあった、と回顧する。 |
| 第2段落 | 謝辞の中心。まず学位論文の指導教授アラン・ミシェル(Alain Michel)への深い感謝——判断の敏速さ、対話を高揚させる力、思想への愛、百科全書的な学識などの美質が列挙される。両者共通の師であるマルクー(Marcoux)にも挨拶。ついでグルメク(Grmek)に特別の謝意——高等研究院(Hautes Études)のセミネールへの友誼に満ちた受け入れ、その学識と厳密さへの讃嘆、多くの文献指示への恩義。審査員のギユルミ(Guillermit)(「まったく子が親に対するような愛情」で結ばれると言う)、ボンペール(Bompaire)、マラシュ(Marache)にも謝辞。そしてグリマル(Grimal)の講評の言葉に特別の感動を覚えたと記す——グリマルは、博識と生、客観性と打ち明け話とを切り離すまいとしたこの仕事の中心と実質を射抜いたからである(後述の鍵句)。 |
| 第3段落 | 師が友となり、友を師と見なしてきたこと。友情という「なんとみごとな学校」。すでに世を去った友たちへの想い。幼友達ジャン・ドブルイユ(Jean Debreuil)の名を特に書き留め、舟遊びの抒情的回想が続く——水面に砕ける光、舟縁から覗く怠惰な魚、水車のゆるやかな音。「なんとすべてが緩やかなことか」という詠嘆から、ヘラクレイトスの流れに舟を委ねよ、と続き、二人を結ぶヴァンデ(Vendée)の川と pigouille(ヴァンデ地方の平底舟を操る棹)の一突きが呼び起こされる。 |
| 第4段落 | 両親への感謝——この学位論文はその庇護の蔭で育った。論文執筆の間に子どもたちが生まれ育ったこと。「学位論文に取り組む者は誰でも、それが家族の作品であることを知っている」。そして献辞(本扉裏の « à Friedchen »)の対象であるフリートヒェン(Friedchen)——妻と解される——にこの論文を捧げる。論文は彼女のものであり、彼女のエネルギーと綿密さ(acribie)と愛がなければ存在しなかった、と。 |
| 第5段落 | 吉兆の地への挨拶:ダンジー(Dangy)、サナリー(Sanary)、ブリアンソン(Briançon)。 |
| 第6段落 | 「自分がどの祭壇に祈っているかを言っておくのもよいだろう」として、机上に置かれた肖像の列挙:ラブレー、ヘルダーリン、エピクロス、エウリピデス、ヒポクラテス、ロンサール、そして「老テイレシアス」ことホルヘ・ルイス・ボルヘス。 |
| 末尾 | 日付:La Châtaigneraie de l'Étang、1979年10月。頁下部に補記として、原稿全体を読み返してくれた Y・ダヴィド=ペール夫人(Mme Y. David-Peyre)と、挿画(巻頭の素描)を寄せた友人フィリップ・ウゼ(Philippe Heuzé)への謝辞。 |
三、注解——人名がそのまま本書の方法を体現している
謝辞に並ぶ名前の布置は、本書の副題にいう médico-philosophique(医学=哲学的)な方法の人的な見取り図になっている。
- Alain Michel(1929–2017)——ソルボンヌのラテン文学者。キケローと修辞学・哲学の関係の研究で知られる。本書第Ⅲ章がキケロー『トゥスクルム論議』を軸に据えるのは、この師承と深く響き合う。
- Mirko D. Grmek(1924–2000)——医学史の大家。高等研究院(EPHE)で古代医学史を講じた。本書のもう一方の柱である医学史的厳密さはこの系譜。読解案内で「序によれば」とした審査陣情報は、今回 Avant-propos 原画像で確認済み。
- Pierre Grimal(1912–1996)——ローマ文明史・ラテン文学の泰斗で、セネカ研究の第一人者。第Ⅲ〜Ⅳ章のセネカ論(『怒りについて』、悲劇『メデイア』)との関連で審査員として適任であったことが分かる。
- Jacques Bompaire(1924–2009)——ギリシア文学者(ルキアノス研究)。Guillermit はエクス゠アン゠プロヴァンスの哲学者 Louis Guillermit、Marache はラテン文学者 Robert Marache と思われるが、同定は要確認。
- Yvonne David-Peyre——医学と文学の関係史の研究者(ナント大学)。ピジョー自身のナント大学での足場と関わる名前。(同定は蓋然的、要確認)
- Philippe Heuzé——ラテン文学者で、のちに『ウェルギリウスにおける身体の像』(L'image du corps dans l'œuvre de Virgile, 1985)を著すウェルギリウス学者。巻頭挿画(傷ついた女性トルソーの素描、« P. H. 81 » の署名らしきものあり)の作者。◆ pinel-virgile 論文の側から見ると、ピジョーの最も近い友人の一人がウェルギリウス学者であったことは示唆的な符合。
すなわち審査陣と謝辞の顔ぶれは、ラテン修辞学・哲学(Michel, Grimal)/ギリシア文学(Bompaire)/医学史(Grmek)という三極からなり、本書が文献学と医学史の交差点で書かれたことを人的に証している。
四、方法論的な鍵句——「博識と生を切り離さない」
唯一、本論の方法を予告するのが、グリマルへの謝辞に埋め込まれた次の自己規定である。ピジョーは自著を、
« ... un travail qui a tenté de ne pas séparer l'érudition de la vie, l'objectivité de la confidence »
——博識(エリュディシオン)を生から、客観性を打ち明け話から切り離すまいとした仕事
と呼ぶ。古代のテクスト校訂的な精密さ(第Ⅰ〜Ⅲ章の文献学)と、メデイアやヘラクレスの狂気、デモクリトスの笑いといった「生きられた」病理への感応(第Ⅳ〜Ⅴ章)とを一つの書物のうちに保とうとする本書の二重性格は、ここで最初に宣言されている。第6段落の「祭壇」の列挙——医学(ヒポクラテス)、哲学(エピクロス)、悲劇(エウリピデス)、詩(ヘルダーリン、ロンサール)、そして医師にして作家たるラブレー——も同じ信条の図像的表現と読める。盲目の詩人ボルヘスを予言者テイレシアスに擬える結びは、文学を「見者」の座に置くピジョーの美学をよく示す。
五、成立年代について
末尾の日付は1979年10月(脱稿)、刊行は1981年5月(奥付 Achevé d'imprimer)。「十年の仕事」という冒頭の言葉から逆算すれば、構想・執筆はおよそ1969〜79年、すなわちフーコー『狂気の歴史』(1961)以後・『監獄の誕生』(1975)前後のフランス学界で進められたことになる。ただし Avant-propos 自体にはフーコーへの言及はない。本書の位置取り(医学史をイデオロギー批判からテクストの側へ引き戻す仕事)は Introduction 以降で確認すべき論点。
◆ pinel-virgile 注[12]の参照先として:本ノートにより、読解案内「一、書誌」の「序によれば」の記述(アラン・ミシェル指導、グルメク・グリマル審査、十年の仕事)は原画像で確認済みとなった。読解案内側の当該箇所は「Avant-propos I–II 頁で確認」と更新可能。
◆ ピジョー=ウゼ(Heuzé)の交友は、ウェルギリウス的想像力と古代医学史の交差というテーマ(pinel-virgile の枠組)の傍証として、注記の素材になりうる。
六、次の読解単位
Introduction は印刷頁1以下(PDF第7頁の右頁=扉、本文は第8頁以降)。ここから「魂の病」概念の定義、médico-philosophique な伝統という対象の設定、コーパスの画定、章別計画が始まる。読解ノート(二)はこの Introduction を段落単位で扱う。
Introduction
〇、全体の見取り図
Introduction は五つの部分からなる。(1)無題の開巻部=問題の設定と第一の限定(頁9–14)、(2)節「La tradition médico-philosophique」=副題の用語の由来と定義(頁15–17)、(3)節「Détermination du corpus des textes étudiés」=哲学側・医学側のコーパス画定(頁17–22)、(4)節「Plan de notre étude」=五章の計画(頁22–23)、(5)方法論的な但し書き=バシュラール的概念の適用批判と「想像界の首尾一貫性」の宣言(頁24–27)。
一、開巻部——フーコーの書名から Drabkin へ、そして限定の作法(頁9–14)
ピジョーは、自分がもともと「古代ギリシア・ローマにおける狂気の歴史(Histoire de la folie)」という主題で学位論文に着手していた、と明かすところから始める。フーコーの書名をそのまま古代に移した主題である(フーコーの名はここでは挙げられないが、選語が雄弁である)。しかしこの主題は魅惑的である一方、限定があまりに不精密だった。Drabkin の綱領的論文(Remarks on ancient psychopathology, Isis 46, 1955)が言うとおり、古代精神病理学の研究には多分野の専門家の協働が要る。そこでピジョーは自らの仕事を「古代人の心理学の本格的・体系的研究という建築への一石」と位置づけ直し、時間・コーパス・認識論的領野の三重の限定を自身に課す。
Drabkin は生物学・心理学・哲学・医学・呪術・宗教・法・芸術・文学のすべてが「精神とその逸脱」に関わると言った。ピジョーはこれを認めつつ、歴史は単なる総和(totalisation)ではありえず、諸領域を統一する問題系が要る、と切り返す。その問題系こそ、医学・哲学史・(悲劇が文学に属するなら)文学が共に知り、立て、論じ合った問い、すなわち「魂の病 maladie de l'âme」である。この表現は古めかしく(désuète)見えるかもしれないが、古代の医学=哲学的伝統そのものが課してくる語であり、その深さは追って示される、と。注3で、psychopathologie(精神病理学)という語を maladie de l'âme と併用するのは冗語ではなく、前者には厳密に医学的な価値を与える、という用語上の約束が置かれる。
ついで本書の主導文が置かれる——« La maladie de l'âme vient de ce que nous avons un corps »(魂の病は、われわれが身体をもつことに由来する)〔頁10〕。この定式は、tristitia や taedium uitae(生の倦怠)としてのメランコリー(そこでは医師・詩人・哲学者——ヒポクラテスもルクレティウスも、キケローもセネカも——が発言権をもつ)から、プラトンの「マニーと無知」、ストア派の「情念」という技術的定義に至るまで、多くの水準で真である。
第一の限定:問題になる身体は「任意の身体」ではなく「われわれの身体」、すなわち個体的で、感じられた(senti)身体である。ピュタゴラス派や『パイドン』流の魂身結合の神学的・形而上学的問題は扱わない。ここでピジョーはアリストテレス『霊魂論』407b の限定——どんな魂でもどんな身体にでも入り込めるかのように語るのは不条理で、各身体は固有の形と形姿をもつ——を「わがもの」とする。
そして『古い医術について(Ancienne médecine)』の理論的重要性の再確認(自身のモンス大学論文集掲載論文〔1977〕の結論の再録と明言される)。二つのテーゼ:
- (a)『古い医術』は対話に基づく医学的認識の理論を提示する。第2章(Festugière 校訂・訳 1948)の引用を核に:医師の言葉を聞く者は自分の身に起きたことを想起せねばならず、素人に理解させられなければ真実には達しない。これは情報伝達でも教育でもなく認識(connaissance)の問題である。真理は(抽象形しか記述できない)医師の側にも、(形をなさぬ生の体験しかもたない)患者の側にも単独では存せず、両者の共有物(indivis)である。医学的真理は医師と患者の協働、すなわち対話から生まれ、医師の役割は患者の記憶から「意味をなすことになる体験」を汲み上げることにある。注8はディラー(Diller, Hermes 80, 1952)に拠りつつ『メノン』の産婆術との差異を強調する:ソクラテスは相手が知に達すれば身を引くが、医学的対話では医師自身が行為のために知らねばならず、その知は患者との対話から生まれる。
- (b)『古い医術』は病を文化的・歴史的過程に統合する。医学は「差異」の確認から生まれる:同じものが病人と健康者に別の作用をする。さらに食養そのものが差異の知覚から生まれた——原初、食物は未分化だった(第3章)。そこに苦しみ(souffrance)が到来する。苦しみこそが人間と動物を分かつ:人間は苦しみによって、自分が動物と同じ本性ではないこと、「自然」と混ざり合わない固有の本性をもつことを学ぶ。苦しみは人間に、自分が文化の存在であることを教える。人間は歴史に属し、歴史のうちで定義される。この歴史は動物性から文明への、自然から文化への移行であり、その原動力が苦しみである。文化の段階への移行は自己の差異の自覚であり、それは「食べる」という文化的行為そのものによってなされる——人間は自分の食べるものとの関係で定義される。
この線で『古い医術』第9章の名高い一節(第9章=41 H 19)が解される:目指すべき尺度は数でも重さでもなく「身体の感覚(aisthēsis tou sōmatos)」のみ。ピジョーはこの aisthēsis を一般化・普遍化可能な感受性と解する Festugière や Diller に「意図的に背を向け」、各食物に対する個体的感受性以外に基準はないと読む。この解釈を採れば『古い医術』に驚くべき首尾一貫性が現れる。かくて『古い医術』は、患者と医師による身体の自覚、健康の規範・養生の調整・自然から文化への移行の決定要素としての「自分を自分として感じること(se sentir soi-même)」の出現を証言する基礎文献となる。一見「魂の病」から遠いが、実は問いの中心にいる——と予告される。
身体史の速写がこれに続く〔頁13–14〕:ホメロス期の、スネル(B. Snell, The Discovery of the Mind)が見事に示した分割され、列挙される身体から、『古い医術』期の「深部を見るための開口」としての解剖の萌芽(Daremberg 編 Rufus 参照)を経て、ガレノスの描く内的完成において構想された身体へ。ガレノス『自然の諸能力について』II.3 と『身体諸部分の用途について』III.1 の彫刻家比喩が引かれる:プラクシテレスやペイディアスは外面の素材を形づくるだけで深部には入れないが、自然は内部のペイディアスであり、生体は素材そのものを変容させ増大させる壮麗な作品である。この二つの身体像のあいだには、アリストテレスの目的論、ストア派の芸術家神、深部研究としての解剖学の進歩(ヘロフィロスとエラシストラトスの生体解剖)、身体の類比的記述とその修辞学、そして「生の特異性」の発見——生命はおのれの法則をもち、生命を説明するには生命で足りる——が横たわる。
身体が構成されるにつれ魂も複雑化し構造化される:身体内の座、能力と機能、さらには部分が魂に与えられ、魂がいかに身体を使い、身体の内でふるまうかが問われる(失われた膨大な文献——ソラノスの魂論四巻など——への嘆息)。総じてピジョーが書こうとするのは一種の「身体の発見」の歴史であり、しかもこの発見は「魂の発見」より困難で緩慢だった(この点で歴史はデカルト『第六省察』の形而上学的観点を検証する、という印象深い一句)。彼は「存在することの病、生きることの居心地悪さ(le mal d'être, le malaise de vivre)」が意識と書記へと誕生してくる過程の歴史家たらんとする。そして最後の限定:病者の視点ではなく治療者(thérapeutes)の視点に立つ、と〔頁15冒頭〕。
二、「医学=哲学的伝統」——用語はピネルからの借用(頁15–17)
副題の « tradition médico-philosophique » という用語法について、ピジョーは「われわれがフィリップ・ピネルから借用する用語法を用いて」と明言する〔頁15、注20〕。注20の内容:周知のとおりピネルは『精神疾患すなわちマニーに関する医学=哲学的論考』(パリ、共和暦9年)を書いた。ピジョーは表現を歴史的な意味で用いるが、ピネル自身は定義のために用いた。しかし「結論で見るように、狂気の歴史と狂気の定義はピネルにおいて出会う」。——すなわち本書は書名の水準からしてピネルへのオマージュを内蔵しており、巻末の結論部にピネル論があることがここで予告される。
本節の論旨:古代には医学の伝統と哲学の伝統がそれぞれ独立に存在するのは事実だが、両者の独立か相互依存かという問いそのものが古代に立てられた——その限りで「医学=哲学的伝統」を語りうる。ピジョーの関心は、哲学者が医学的アナロジーを利用して魂身関係を深め、「魂の病」を多様に定義したことにある。結論部では、まさにピネルこそが「医学的精神病理学」と「哲学的精神病理学」と呼びうる二つの経験を再統合する者であり、後者の哲学的経験のうち決定的なのがキケロー『トゥスクルム』、セネカの著作、プルタルコスの倫理的著作である、と予告される。哲学者たちの定義は古代医学知を補完する積極的認識をもたらす一方、医師の側は「魂の病」を語るとき哲学者の定義への暗示によってしか語らない、という非対称の指摘も重要。
「魂の病は身体の発見に結びつく」という一見逆説的なテーゼが再確認され、maladie de l'âme という表現がアナロジーであること——魂も身体と同様に病む、という想定——が確認される。アナロジーが実り豊かであるためには「病」の側に興味深い概念がなければならず、その素材を提供するのは医師である。しかしアナロジーの発生地は哲学である(個人のある種のふるまいを記述する必要から)。この「常套句 lieu commun」ほど複雑で意味深いものはない、という注意。さらにこの安易なアナロジーは、少なくとも言語の水準で身体と魂の二元論を前提し、魂に固有の病がありうると想定する——「恐るべき諸問題」を孕みつつ。
魂の病は、「病」である以上医学的自覚に、「魂」が問題である以上哲学的自覚に、同時に立脚する。病の概念も魂の概念も極端に多様なので考察は複雑になりうるが、危惧されたほどではない:アスクレピアデスを除けば医学的考察は思いのほか統一されており、魂については(部分の数え方はどうあれ)二元論か一元論かが根本問題だからである。しかし魂と身体の出会う場所は——それ自体神話的な場所——同時に神話と詩の場所であり、修辞学の標的である。それゆえ「魂の病」の研究は想像界(l'imaginaire)の次元を忘れては成立しない。ここで、魂と身体をもっとも強く関係づける病こそメランコリーであり、ペリパトス派『問題集』第30巻がそれを天才の病とし、メランコリー者のトロープが隠喩(métaphore)であること(自身の1978年論文「詩的霊感の生理学——体液からトロープへ」参照)は偶然ではない、と述べられる。想像界の重要性は悲劇的問題系にも現れる:メデイアの苦しみ、ヘラクレスの苦しみ、その存在の緊張と不確実こそが彼らの行為の起源にある。さらに複雑な領域として、学識的修辞が織り上げる「病の前=科学的宇宙」があり、これがのちに「想像的首尾一貫性(cohérence imaginaire)」として定義される。
三、コーパスの画定(頁17–22)
(一)哲学の伝統(頁17–19)
- アナロジーの遠い宗教的起源はありうるが、本書が扱うのは興味深い医学モデルに依拠する限りでのアナロジー。定義の時代は首尾一貫した医学の誕生=ヒポクラテス文書の出現に先立ちえない。アナロジーの利用が体系的になるのはデモクリトスとプラトンから。デモクリトス断片(DK B31)「医術は身体の病を癒し、知恵は魂を情念から解き放つ」が引かれるが、注22でこの断片の真正性論争(Diels は疑い『ヒポクラテス書簡』に近づける;Vlastos は反論)が整理される。ただしデモクリトスが重要なのはこのアナロジーによってではなくエウテュミアの定義によって。
- 重要文献はプラトン的・ストア的。プラトン:『ゴルギアス』(懲罰=不正と不節制に病んだ魂の治療術)、『ソピステス』(魂の二つの病=邪悪と無知)は医学利用が乏しく限定的。本質的なのは生理学理論を伴う『ティマイオス』86b:魂の病=アノイア(分別の喪失)で、それがマニアとアマティア(無知)に二分される。
- いま一つの根本理論がストア派の「情念=魂の病」の定義とその身体病とのアナロジーであり、これは本質的にクリュシッポス的な主張(SVF III 該当箇所)。
- エピクロス主義は不在ではありえず、最大の困難を与えた。エピクロス・アスクレピアデス・ルクレティウスを研究。エピクロスは二元論者で、『メノイケウス宛書簡』で魂の健康と身体の健康のアナロジーを知り用いる(哲学に若すぎることも老いすぎることもない——魂の健康のために)。アタラクシアは苦しみと不安の欠如。身体を苦しみから、魂を混乱=トリュボス(thorybos)——あらゆる形の動転と「恐怖の鈍い響き」を designating する「美しいギリシア語」——から守ること。魂の本質的治療は死の恐怖からの解放。ただし深部では魂身の並行論にとどまれない:健康は不可分の全体(注31:書簡の伝承では「身体の健康と魂のアタラクシア」の句の写本の多くが「身体のアタラクシア」を伝える、という文献学的に示唆的な事実)。それゆえ教説の核心=快の意味を攻略し、魂身関係・健康と病を考え直したところ、「自然と法(nature et droit)」というより興味深い関係が現れ、アスクレピアデスがこれを確認する。
- 視点の場の宣言:ラテン専門家という事情と、より根本的な理由——ルクレティウス・キケロー・セネカにおいて「魂の病」の諸伝統が合流し混じり合う(ルクレティウスにおいてエピクロスと『ティマイオス』のプラトンが一致する例)——から、ラテン哲学の視点に立つ。キケローとセネカは最終的にストア的な「魂の病」の伝統を定着させた——精神病理学史上、重要性を測るべき現象。『トゥスクルム』はクリュシッポスの一元論理論に二元論的読解をもたらした点で卓越した役割を果たした(本書が示そうとする眼目)。他方ルクレティウスとセネカの独創は「魂の病」に新しい意味を与えたこと:『事物の本性について』第3巻や『心の平静について』のtaedium uitae(生の倦怠・生きることへの嫌悪)。セネカの taedium とキケローの aegritudo のあいだには認識論的価値の大きい対立が構成される。この taedium の発見をルクレティウスやセネカの「メランコリー的気質」に帰したくなるが、テクスト分析と哲学的問題系への位置づけ以前の心理学的解釈には警戒せよ、と釘を刺す。ルクレティウスからセネカに至る時代が精神病理学の問題に強く惹かれていた可能性;その間接証言として、デモクリトス伝承に属する『偽ヒポクラテス書簡』——哲学的通俗化と小説に属する文書——が興味深い。
(二)医学の伝統(頁19–21)
- 主に研究する医師:アスクレピアデス、ガレノス、カエリウス・アウレリアヌス。ヒポクラテスの熱心な読者として『ヒポクラテス集成』を忘れてはいないが、視点は「ヒポクラテス主義者」のそれではなく、病が構成され・概念化され・定義される時代に観察領野を据えた思想史家のそれ。医師たちが自らの思想の起源を求めて、あるいは(アスクレピアデスのように)自らを区別し反駁するために絶えず参照する全体としての『集成』。
- 『集成』の用途:多くの場合概念の起源と最初の定義(フレニティスとメランコリーが例)。さらに『集成』は、自身の論文「書記と医学」(1978)で示そうとした新しい個人=病者(le malade)の出現の場:『流行病』第3巻の医師の実践そのものが、患者のうちに人格と性格をもつ首尾一貫した存在を想定させる。古代医学はすべてヒポクラテスとの関係で理解される。
- アスクレピアデス:散逸断片しか残らないこの医師の重要性はこれから論証すべきもの。ケルススやアプレイウスの高い評価。エピクロス主義への帰属の問題(ピジョーはエピクロス派に位置づける立場を維持)。医学史の不可欠の一契機であり、機械論的——むしろ彼の言う「道具主義的(instrumentaliste)」——一元論の発明者。古代精神病理学における役割は第一級で、特にフレニティスをめぐって示される。
- カエリウス・アウレリアヌス:ソラノス(注目すべきメトディスト派医師、『婦人科学』、テルトゥリアヌスが論じた魂論四巻)の翻訳者。『急性病論』『慢性病論』が純粋にソラノスの再現か、カエリウス自身の寄与を含むかという問題には後者(カエリウスの独創性)を採ると即答され、注33で自身が準備中の『急性病論』第1巻(フレニティス論)校訂版が予告される。年代は疑わしい(文献学的合意は紀元後5世紀)が、メトディスム史を書くのでない以上、ソラノスかカエリウスか、1世紀か5世紀かは認識論的観点からは重要でない。というのも——
- ガレノス:もっとも頻繁に参照する医学著者。第一に魂身関係の問題を扱った医師として(第Ⅰ章「ガレノスのプラトン主義」)、第二に哲学史家として。『ヒポクラテスとプラトンの学説について』の議論のなかできわめて生きたクリュシッポスを伝え、論争を復元し、クリュシッポスに理にかなった異論を立てるポセイドニオスについての貴重な情報を与える。ガレノスの議論は『トゥスクルム』の解明に寄与する。ケルススもアレタイオスも忘れない。
(三)ギリシア語とラテン語(頁21–22)
哲学者・医師それぞれのコーパスの内部でギリシア語とラテン語の関係が立ち上がる。ラテン著者は必須(魂の病の問題はルクレティウス・キケロー・セネカの思考に内在する)だが、ギリシア語テクストへの不断の参照なしに哲学史・医学史には触れられず、その技術的複雑さは文献学的・哲学的な立場決定を要求する——「われわれは多くを翻訳し解釈せねばならなかった」。クリュシッポスとポセイドニオスなしに『トゥスクルム』は、エピクロスなしにルクレティウスは、クリュシッポス・パナイティオス・ポセイドニオスなしにセネカは理解できない。情念の問題系そのものを据えたのはゼノンととりわけクリュシッポス。ラテン的選択を理解するために原問題系を取り出す必要があり、そこに現れるのが、情念の歴史にとって「単純だが決定的」な現象——クリュシッポスの一元論の二元論的読解。『ティマイオス』の定義とデモクリトス断片を別にすれば、興味深い時代はヘレニズム期、すなわち「還元不能で魅惑的な二つの教義的ブロック」=エピクロス主義とストア主義の構成期である。これが第一級の歴史的現象(ヘレニズム期の不安の出現——Festugière『ヘルメス・トリスメギストス』第2巻参照)と一致することは否定しないが、本書は医学・哲学テクストで手一杯であり、テクストの内部で考察された文化史の首尾一貫性が存在する。歴史は、われわれが死すべき者であるという単純な事実に基づく「存在することの病」を顕在化させ強化する以上のことをするだろうか? ギリシア人とラテン人、哲学者と医師のあいだには、本書を読めば現れるはずの経験の統一がある。
四、五章の計画(頁22–23)
| 章 | 予告される内容 |
|---|---|
| a) 医師たちの精神病理学 | アナロジーは哲学起源だが、参照先の領域(医学)が構成されていて初めて興味深い。ゆえに医師たちと、魂身関係を問いに付すように見える病の諸定義から始めるのが論理的。 |
| b) 原子論者と魂の病 | エピクロス・アスクレピアデス・ルクレティウス。前二者では想像的身体と、魂身関係に代置される自然と法の関係の重要性。エピクロスでは快の出現が存在の統一を基礎づけ自然/法の対立を和解させる;アスクレピアデスではヒポクラテスの生気論に向けられた機械論の誕生。ルクレティウスでは第3巻の伝統的な「魂の病」と、第6巻の疫病・伝染・摂理の問題。 |
| c) ストア主義と魂の病 | 『トゥスクルム』第3・4巻=ストア派情念論を知るための基本文献。ただしキケローはクリュシッポスの単なる伝達者ではない:『トゥスクルム』はピュタゴラス=プラトン的二元論に回帰しつつストア的「魂の病」の定義を保存する作業である。医学=哲学的視座からセネカ『怒りについて』『ルキリウス宛書簡』。章の結びにプルタルコス『神罰の遅延について』——医学的アナロジー利用の限界と、魂の病と身体の病の同一視を拒んだプラトンとストア派の知恵。 |
| d) 悲劇と魂の病 | 前二章が理論なら後二章は実践=魂の病の生きられた経験(vécu)と苦しみ。悲劇論ではなく、メデイアとヘラクレスという二つの悲劇的物語に現れる魂身関係の研究。メデイアの問題はクリュシッポスの情念論の中心にある;『狂えるヘラクレス』『オイタのヘラクレス』は行為の起源・存在の首尾一貫性・自由・責任・「賢者と強者の病」への壮麗な考察。 |
| e) エウテュミア——魂の病の認識と治癒 | エウテュミアをめぐる医学と哲学の出会い。『偽ヒポクラテス書簡』に通俗化されたデモクリトス伝統の独創性。医学=哲学的実践の宇宙への回帰。『書簡』の修辞的・医学的・道徳的主題の織物;葡萄酒の役割——プラトンと『問題集』第30巻では認識の道具、医学伝統では認識と治療の道具。『心の平静について』は taedium uitae を考察し、セネカはデモクリトス伝統に回帰しつつ医師たちのメランコリーにきわめて近い精神病理学の領域を記述する。ここで aegritudo と taedium は、フロイトの定義した「喪とメランコリー」のように対置される——本書でもっとも大胆な現代への架橋の一つ。 |
五、方法論的但し書き——「想像界の首尾一貫性」の宣言(頁24–27)
全章を通じ医学と哲学の対話を保つことが目指される。最大の困難は観念とテクストの明確化・分類・分節・秩序である。医師たちにも無視してならぬ想像力があり、哲学者たちには真理が、モラリストたちには認識論的発見があり、それらはしばしば偶然と見紛うほどに混じり合う。だが偶然ではない——「われわれは想像界の首尾一貫性を、想像力の厳密さを信じる」(本書の方法論的信仰告白。Avant-propos の「博識と生を切り離さない」と対をなす)。読者に求められる前提:研究対象のテクストは「何でもよいもの」ではない。そこから二つの戒め:
- (一)概念の移送は無償ではない:医学テクストを見るや概念に飛びつき、直ちに特定の哲学から取った他の概念に結びつけるのは、テクストを「何でもよいもの」と見なし、その特異性を拒むこと。概念を異なる実践に挿入するという事実そのものが、概念を歪め(gauchir)、同化によって変形する強い可能性をもつ。
- (二)現代的概念装置の早すぎる適用への批判:例としてバシュラールの「認識論的障害物」。『科学的精神の形成』からの定義引用ののち、ピジョーは論じる——この概念は、すでに構成に近づいた知、「科学的」合理性に十分飽和した前=科学の内部でしか機能しない。バシュラール自身、17〜19世紀初頭の領域で用いている(「物理科学におけるアニミズム的障害物」の例)。これを古代に早々と適用すれば「古代人の知的悲惨」の目録という破局に転じかねない(注37:R. Joly『ヒポクラテス科学の水準』〔1966〕が冒した危険——ヒポクラテスの誤謬の一覧表)。ルノーブルが大プリニウスに認識論的障害物を適用したのは無意味(注38)。すべてが障害物となり、想像力の連関の豊かさを覆い隠す愚行目録に至る。実のところ認識論的障害物は、想像力の働きを覆い隠すそのかぎりで、それ自体「美学的障害物(obstacle esthétique)」であることが露呈する。
視座を転じれば風景は一変する:科学への障害物と見えたものは思考の束の結晶化装置となり、知の異領域を交通させる。例:本書で繰り返し研究されるdiadose(ディアドシス、分配・伝達)。この語は栄養の分配と伝染物(contage)の伝達の双方を説明する。伝染の循環は医師にとって認識論的問題だが、疫病は道徳的・形而上学的問題である(ルクレティウス第6巻、プルタルコス『神罰の遅延』)。プルタルコスはまさに diadose 概念を用いて「道徳的伝染」の時間・空間内の循環を論証する。『神罰の遅延』は医学と道徳のアナロジーを体系化する。疫病は異質な諸宇宙を関係づけ、道徳は医学から diadose のような概念を借りる——それは科学の保証をすべて備えた概念であるどころか、医師たちの想像界に属する。これが「魂の病」にどう関わるか:ペスト——身体の病の典型——は、起源の不確実、随伴するアテュミア(意気阻喪)、都市に引き起こす価値の根本的無秩序、考え直しを強いる他者との関係、人々を襲う全き不正義によって、「魂の病」の問題に結びつく。トゥキュディデス、ルクレティウス、アレクサンドリアのフィロン、プルタルコスがそれを示す。
本書の言説はどこに向かうのか——医学か、道徳か、哲学か? 認識論的言説か、歴史的言説か、想像界についての仕事か? 答えは「そのすべてが同時に」であり、それは僭越ではなく事柄の本性による。概念と問題の発生と利用を記述する限りで歴史的研究;医学の宇宙を研究するからだけでなく、倫理と医学の出会いが医学知の新しい領野を提供したから認識論的研究。maladie de l'âme のアナロジーは、起源が隠喩の偶然に負うとしても、メランコリー・taedium uitae・エウテュミアといった概念とともに、医学と道徳を技術・実践として現実に交通させた。
最後に想像界についての研究であること:魂の病は多くの仕方で想像力を作動させる。身体と結び合った魂の病に想像力が現前しないはずがない——黒胆汁、メランコリー性の嘔気、心気症者の「棘」、のちにシデナムが記述する「ヒステリー性の釘(clou hystérique)」(注39:ジョー訳『実地医学』1799年版から釘の症候の記述が引用される)。だが現に痛む患者にとって「想像的」とは何を意味するか。患者の想像界と医師の想像界があり、両者は必ずしも出会わない。本書は治療者たちの想像界——魂の治療者と身体の治療者——に研究を限定する。現代医学技術の議論には入らない。魅了されたのは、古代人がこの神話的な場所を方法的に踏査し、測量図を、位相学を与えようとしたこと——医師たちのみならず、クリュシッポスやキケローやセネカにおいても。「われわれは魂と身体の、魂の病と身体の病のアナロジーを本気で受け取った」。倫理と医学というこの常套句(lieu commun)は、医学が「魂の病」の概念を受け容れる限りで、倫理と医学に共有の場所(lieu commun)でもある——真の発見である。倫理と医学は、別々に定義された二つの学科でありながら、共同で一つの領土を測量したのであり、それこそが古代精神病理学の啓示である。
結びにエーデルシュタインとの対決〔頁27〕:エーデルシュタイン(Ancient philosophy and medicine, Temkin 編 1967)は、医学の古代哲学への影響はごく小さく、病と健康維持への考察はアナロジーを供給して哲学の妥当性を補強したにすぎない、とし、哲学者たちが医学的アナロジーをこれほど偏愛した理由に満足な説明はないと付言した。ピジョーは自らの研究が満足な説明を与えるかは分からないとしつつ、示したいのは二方向の寄与である:(1)医学的考察そのもの——その問題と展開に完全に通じた哲学者・モラリストによって考察されたそれ——が倫理に固有の問題系の確定を助けたこと、(2)逆に倫理が医学に諸要素を提供したこと。
六、pinel-virgile への含意(作業メモ)
- 本書の結論部(Conclusion)にピネル論があることが注20・頁27の二箇所で予告されている。読解順の私案を改訂すべき第一候補:第Ⅲ章と並行して、巻末の結論部を先に読む価値が高い(目次OCRでは後付の直前。原本照合時に頁を確定のこと)。pinel-virgile の注に「ピジョー自身が médico-philosophique の語をピネルから借り、結論部でピネルにおける狂気の歴史と定義の出会いを論じている」旨を追記できれば、論文の枠組はピジョーという最良の後ろ盾を得る。
- 「フレニティスとマニーの定義は『哲学的疾病分類学』でも同一」〔頁21〕は、ピネルの古典的素養を概念史の連続性として裏づける独立の典拠。引用の際は原本頁で確認のこと(本ノートの頁数はスキャン画像で確認済みだが、公表引用は原本で、という本紀要の原則どおり)。
- aegritudo / taedium = 喪 / メランコリー(フロイト)という対置〔頁23〕は、別稿「躁鬱混合状態論の系譜」・不安概念史との接続点。第Ⅲ章とくにアエグリトゥード節、第Ⅴ章 taedium 節を読む際の主導仮説として使える。
- 「クリュシッポス一元論の二元論的読解」〔頁18・21〕は『トゥスクルム』理解の鍵として本書全体で立証される眼目。pinel-virgile 3-2 の注[8](アパテイア/メトリオパテイア)の背景説明に一文で援用可能。
第Ⅰ章・第一部 『神聖病論』
〇、第Ⅰ章の設計(頁31)
章は二部構成と宣言される。第一部=ヒポクラテス派・ガレノス派のいくつかのテクストにおける魂と身体の関係の研究。第二部=医学=哲学的伝統の観点から意義深い病のモノグラフィー(読解案内で見たフレニティス・マニー・恐水病・メランコリーの各節)。
一、第一部の開幕——「魂とは何か」ではなく「魂と身体の関係とは何か」(頁31–32)
常識的には「魂の病」の研究はまず「魂とは何か」(せめて「医師にとって、哲学者にとって魂とは何か」)と問うべきに見える。しかしこの良識の問いはすぐに不毛だと判明する:『ヒポクラテス集成』における魂とは何か、というアポリアに至るか、あるいは問いを「魂はどこにあるか」に変換して座のカタログに至るかである(この第二の定式の諸変種はフレニティス概念の箇所で扱われる、と予告)。
問題が実り豊かになるのは、それを医学的・哲学的実践の問題として、すなわち人間についての観点の問いとして立てるときである:「われわれは一つか、二つか(sommes-nous un, sommes-nous deux ?)」。これこそが「魂の病」の定義の底にある問題系である。ピジョーの関心は関係(relation)そのものと、関係についての観点にある(注1で「英語で言う mind / body problem」と明記——本書の問いを現代の心身問題に接続する唯一の箇所の一つ)。それは態度・ふるまい・自己の考え方・自分が在り生きていると感じる仕方の問題である。興味深い問いは「魂とは何か」「身体とは何か」ではなく「おのれの身体と結び合わされた魂とは何か」。これは詭弁でも行動主義でもない:魂の病は二つの未知数のあいだの関係という問いを立てるのである。ヒポクラテスの身体、アスクレピアデスの身体、ガレノスの身体、メトディストの身体が、プラトンやアリストテレスの魂の表象より神話的でないなどと考えられようか——しかし関係はわれわれに錨を下ろしており、われわれによって生きられている。魂と身体の諸観念の記述に耽れば、本質的な問い(一元論か二元論か)を忘れてしまう。
この哲学的問題が古代医学に立てられたことを、三つのテクストで見る:(1)『神聖病論』——二元論が奇妙にも一度も疑われなかったテクストだが、まさにそこで二元論が問題になっていることを示す;(2)『体液論』——ヒポクラテス派の記号論を基礎づける機能的二元論、魂と身体のパラタクス(並置)がそこに定式化されていると見える;(3)ガレノスのプラトン主義研究——二重の機能:『ティマイオス』という根本テクスト(生理学的構想に立脚する魂の病のprinceps 的定義を与える哲学=医学テクスト)への導入であること、そしてガレノスにおける魂の身体への依存の確立に至る不断の参照の機会であること。ガレノス的考察は医師たちにおける哲学的考察のもっとも一貫した到達点と見える。
二、『神聖病論』——ポパーへの反論から(頁32–33)
『神聖病論』から始める精確な理由:このテクストが医師にとっての一元論/二元論の問いを初めて立てるからであり、しかも——本節の眼目——情動性と感情性(affectivité et émotivité)を軸に立てるからである。情動と感情こそ、のちにストア派の「魂の病」の伝統の源となるものである(注2:1978年第3回パリ・ヒポクラテス学会での自身の報告の再録と明記。なお同学会以後、『神聖病論』をクニドス派・コス派に振り分ける問題には懐疑的態度が最も合理的、として立ち入らない)。
導入の標的はポパー:エクルズとの共著『自我とその脳』(1977)は魂身問題の歴史を描く第一部で『集成』から『神聖病論』のみを引き、その著者を二元論者と言う。ピジョーの判定:問題ははるかに複雑であり、「自然な二元論」の存在証明に『神聖病論』を選ぶのは幸福な選択ではない。
予備的整理:「神聖病」が癲癇か、より広い病群かの問題(Temkin, The Falling Sickness 参照)は脇に置き、この論のなかの魂/身体関係だけを考える。最重要なのは第14・16・17章(一体をなす;ヴィラモーヴィッツ以来、後代の挿入とみなす文献学者もいる——注5に学説史:Wilamowitz 1901 → Regenbogen 支持、Wellmann 反対;DK は16–17章をディオゲネス伝承に置き、14・17章の二句をアルクマイオンに帰す)。三章はいずれも認識における脳の役割を、空気(air)との関係において語る。ディオゲネス(知性的空気)とアルクマイオン(脳)の影響論は既往研究に譲り、認識のメカニズムの検討に限定する。
三、認識の物理学——濾過器としての脳(第16章、頁33–35)
第16章の逐次分析(テクストは Grensemann 校訂1967に従う)。引用の骨子:脳は人間においてもっとも重要な機能(デュナミス)をもつ;健康であるかぎりで、空気から来るものの解釈者(ヘルメーネウス)である;思考(フロネーシス)を供給するのは空気そのもの;目・耳・舌・手足は脳が認識するとおりに行為する;フロネーシスは空気に与るかぎりで全身にある;しかし認識(シュネシス)にとって脳は使者(ディアンゲローン)である;人が息を引き込むと、空気はまず脳に至り、その精髄(アクメー)と、思考・理解にかかわるものを脳に残して全身に散る;もし空気が先に身体に至り後に脳に来るなら、判断(ディアグノーシス)を肉と血管に置き去りにし、熱く不純な、肉と血の湿気に混じった状態で脳に届き、もはや精確(アクリベース)ではないだろう;ゆえに脳は認識の解釈者である。
ピジョーの文献学的介入二点(本書の「多く翻訳し解釈した」の実例として注目):
- 手足が「行為する(prēssousi)」の読みを、Grensemann の採る「仕える(hypēreteousi)」に対して維持する。「召使い」の隠喩は脳=主人・四肢=従僕という二元論的理解(舟の水先人、ライルの「機械の中の幽霊」)に引き寄せる安易な読み(lectio facilior)であり、「使者にして解釈者」としての脳の隠喩を曇らせる。ginōskē を「良しと判断する(für richtig erkennen)」と訳すことにも反対——ここで認識と価値判断を混同する理由はない。
- シュネシス・フロネーシス(とフロニモン)・グノーメー・ディアグノーシスを訳し分けたが、著者自身が明確に区別しているかは(Jones とともに)疑わしい。重要なのは区別よりもその多様さと堆積である:いずれも「認識」を意味し、そこに力(アクメー)と精確さ(アクリベイア)が加わる。認識・明晰・弁別を喚起するあらゆる語法をここに集中させようとする努力が見て取れる。
認識過程の分析:まず弁別(distinction)の問題がある。脳は一種の濾過器(filtre)の役を演じ、空気はそこに沈殿(sédimentation)し、身体に分配されるにつれて自らの最良のものを脳に残す。脳は空気の活力と明晰さを回収する。濾過器と容器の物理学:脳は空洞だから空気を受け容れ保持できる;横隔膜(フレネス)は知覚はするが、薄く広いため空洞をもたず、到来する善悪を保存できない(17,3)。
しかし認識と行為のあいだに本性の差はない。アクメーとアクリベース、力と明晰は同一実体=空気の質である。脳の媒介はある——だが認識と行為のあいだにではなく、認識そのものの水準に介在する。言い換えれば、認識から行為へは無媒介の直結(consécution immédiate)がある。これが理解しにくいのは、「認識する実体(空気)」と「行為する実体(身体)」のあいだに器官の媒介を置きたがる習慣的な二元論図式のせいである。Grensemann がシュネシスを「思考器官(Denkorgan)」とまで訳すのはその症候。実際には、脳が見るとおりに舌が告げるように、脳が認識するとおりに身体の全体が行為する。脳が揺さぶられれば「舌は、脳がその都度見聞きするとおりのことを語る」(14,6)。認識と行為の関係は空気の力(アクメー)で、認識と判断の関係は空気の精確さ(アクリベース)で説明される——力も精確さも空気そのものの質だからである。
四、脳の解釈学——シニフィアンからシニフィエへ(頁36–37)
では脳の役割を過小評価しているのか。否——脳は媒介の道具として第一級の役割をもつが、その媒介は認識の水準で働く。脳は「認識のための」使者にして解釈者、「認識を解釈する者」である(16,3–6)。ここに大きな困難が現れる:一方にきわめて粗末な物理モデル、他方に意味の理論(théorie de la signification)。認識は物理過程であり、生理学は粘液・胆汁・熱・乾・冷・湿という形で、脳への闖入と空気の質の沈殿を妨害するためにしか介入しない。認識はまず客観的現象である——脳の外に存在し、実体としての空気と同一化されるかぎりで。
この「解釈学」とは何か。H. Miller の言うとおりディオゲネス(生と認識〔ノエーシス〕を空気に結びつける)において脳自体は重要でないとしても、ディオゲネス断片(DK B1)にヘルメーネイアの興味深い用法がある:語り始める者は争いえない出発点と簡素で品位ある語り口をもたねばならぬ。認識理論とは無関係のこのテクストが示すのは、ヘルメーネイアが「語りの仕方(manière de dire)」を指すこと。言説は素材と形式ではなく、源泉とその調律(modulation)として考えられている。この図式は脳の解釈学に完全に適合する:空気は認識の源泉;脳の機能はそれを伝達し(使者)、理解可能な仕方で伝える(解釈者)こと。ピジョーの定式では、脳は「シニフィアンからシニフィエへの移行の道具」であり、この移行の可能性の条件は物理的条件——空気の脳への良好な到達——である。そしてシニフィエから行為へは媒介なしの直結:脳通過後の空気とその力の、身体の残余への持続である。
『神聖病論』の理論では空気の循環による実体の漸進的喪失がある。この沈殿の物理モデルの素朴さは、テルトゥリアヌス『霊魂論』第14章が伝える水オルガン(アルキメデスの水力機械)のモデル——分配の不平等にもかかわらず実体の同一性と保存に応える——と比較すると際立つ:管々に分配されても空気は分割されず、「実体においては不可分の全体、機能においてのみ分割される」;ストラトン、アイネシデモス、ヘラクレイトスの魂の単一性(葦笛の息のように、分割されるのではなく配分される)に近い、とテルトゥリアヌスは言う。
『神聖病論』にとって認識するとは知覚すること、知覚するとは自己の外部にある情報を受信すること。解釈学とはこの情報の知覚の仕方である——われわれが情報の全体を受信しないことは明白なのだから。主体の思考、いわばその自我は、脳が受信しうる情報量(quantum d'information)と同一化し、情報の質は脳の物理的な質に対応する。これが同書15,6のマニー説明に見える:湿によってマニー的になる;脳が常態より湿れば必然的に動く;動けば視覚も聴覚も安定せず、その都度別のものを見聞きし、舌は見聞きしたとおりを語る。情報源の実在は疑われていない:狂気は、揺さぶられたカメラのように脳が無秩序な情報を受信し、舌がそれを即座に再現することから来る。錯乱(délire)を説明するのは知覚の過度に速い継起である。
五、第14章——快と苦の起源としての脳、遍在する判断(頁38)
第14章は、脳が何に参与し何の起源にあるかを明確化する(「機能」を語るより、この種の表現を使うほうがよい、とピジョー)。引用の骨子(14,1–3):快・喜び・笑い・戯れも、悲しみ・不満・嘆きも、この起源(=脳)以外にない;それによってこそわれわれは考え、認識し、見、聞き、醜と美・悪と善・快と不快を弁別する;一部は慣習(ノモス)に従って弁別し、残りは有用性に従って感じる;そして快・不快も状況(カイロス)に応じて区別する——同じものが常に快いわけではない。
すなわち脳は、情動と情念、思考と認識、知覚、実践的判断と美的判断、ノモスに従う判断と有用性に従う判断の起源にある。しかも快の内部にすら判断(カイロスの弁別)が再導入される。この集積は体系的・方法的である。だが第16章が証すとおり、肯定されているのは脳の活動(脳の働きは受動的と分かっている)ではなく認識の優位(primat de la connaissance)である。快の内部に「快の判断」があると著者がわざわざ言うのは、すべてが認識であると主張するためにほかならない。『神聖病論』は判断を高く掲げ、随所に導入する——認識を高く掲げるため、至るところに認識があると言うために(注22:ここでピジョーは構文解釈でも Littré を採り Grensemann を退ける。「『神聖病論』の主知主義が快の感情の内部にまで自己主張するのを見るほうがはるかに興味深い」)。
六、アセーとアニエー——身体的不快と道徳的悲しみのパラタクス(頁39)
思考・認識・情動性・感情性の同一視は、動詞 aniātai / asātai(15,4)の使用で強化される。名詞 aniē(悲しみ・苦悩)と asē(嘔気・むかつき)は、道徳的不快と身体的不快の古典的パラタクス(並置)、その同時的現前を代表する。起源はおそらく抒情詩:サッポー断片1「嘔気と苦悩でわがテュモスを打ち挫きたもうな」。同型の表現は『ティマイオス』71c の lypas kai asas(肝臓の病理の文脈)にも見出される。ここでピジョーは翻訳批判を展開する:
- 『ティマイオス』のような生理学的環境では、lypē に漠然と身体的な意味を与えたくなる(Rivaud は「苦しみ souffrances」と訳す)——だが「悲嘆 chagrin」を保持すべきである。プラトンはまさに悲嘆と嘔気が肝臓に属すると確立しようとしている:道徳を身体の側から体系的に読むこの文脈で、悲嘆は身体の領域に引き寄せられているのだから。
- 逆に『神聖病論』のような主知主義的環境では、asē の身体的側面を弱めたくなる(Littré「悲しみと不安」、Jones「distress and anguish」、Grensemann「Unlust und Ekel」)——だが asātai の身体性こそ強化して読むべきである。『神聖病論』の努力は、いわば嘔気を身体の登記簿から引き剥がして認識に与えることにあるのだから。
ここには情念とその身体的顕現が認識に属することを主張する認識論的努力がある(注29:この「きわめて重要な問い」には第Ⅳ章「悲劇と魂の病」で立ち返る、と予告——メデイア問題への伏線)。
七、第17章——フレネスと心臓からの思考の剥奪、そしてクリュシッポスとの交叉(頁39–40)
第17章は思考をフレネス(横隔膜)と心臓から引き剥がす:フレネスという名(φρονεῖν と同根で「思考の座」を含意する)は偶然と慣用に負うもので自然の真理に負うのではない;不意の過度の喜びや悲しみでフレネスが跳ね上がり嘔気を来すのは事実だが(校訂注:Grensemann は asēn〔嘔気〕を保持、Littré と Jones は alsin〔痙動〕を採る)、それは薄く張られた膜の物理的反応にすぎない;心臓で考え、心臓で悲嘆と気遣いを感じるという説も同断——悲嘆の状態で身体は震え縮むから心臓とフレネスが最もそれを感じるだけで、思考(フロネーシス)にはどちらも与らず、脳がすべての起源(アイティオス)である。
ピジョーの決定的な指摘:問題になっているのはやはり情動性と感情性である。認識と情動性の起源の同一性というこの主張は、同型のもう一つの同一性——ストア派、とりわけクリュシッポスが展開した同一性——を喚起せずにはいない。ただし絶対的に逆向きである:クリュシッポスはそれをカルディア(心臓)に帰属させた(ガレノス『ヒポクラテスとプラトンの学説』第5巻参照)。
この一節は本書全体の縦糸の一つ。第Ⅲ章のクリュシッポス情念論(および「一元論の二元論的読解」問題)を先取りする蝶番であり、「感じる場所と考える場所」という問いが座(siège)の問題(フレニティス節で展開)に直結することを示す。
八、結論——『神聖病論』の「二元論」の三重の腑分け(頁40–41)
冒頭の問い「『神聖病論』の二元論はどうなったか」への解答は大幅な限定つき:
| 観点 | 判定 |
|---|---|
| 魂と身体の関係 | そもそもプシュケーという語はテクストに現れない。脳に「魂の働き(psychēs erga)」を帰すのは『ヒポクラテス書簡』第19(peri maniēs)であり、「ヒポクラテスによれば魂は脳に臥す」と言うのはテルトゥリアヌス——『神聖病論』自身はまさにそれを言っていない。伝統が語らせてきたのである。 |
| 空気-シュネシスと人間の関係 | ここでは二元論を語りうる。だが人間に内的な二元論ではなく、外部-内部の関係、すなわちディオゲネス・ダポロニア型の関係である。『神聖病論』はそこに脳を加えた——するとそれはコミュニケーションの問題、空気=認識へのアクセスの問題、管の閉塞と開通、装置の安定性の問題になる。 |
| 脳の役割 | 媒介であって、決して生産ではない。シニフィアンからシニフィエへの移行を可能にする媒介。 |
| 情動性・感情性 | 一元論/二元論の仕分けは通常ここ(魂と身体の対立と相互作用)でなされるが、この観点では「『神聖病論』は一元論的(moniste)だと認めざるをえない」。 |
そして節の総括:情動性・感情性の脳への、したがって認識への帰属こそ、医学=哲学的論争において「われわれには群を抜いて最も重要」な点である。これは「すべてが物理的でない」ことを意味しない——まったく逆で、すべてが物理的である。ゆえに認識の病を扱い、脳に知覚の可能性の条件を与えるのは医師の仕事となる。この点は医師と哲学者のあいだの病の管轄配分の議論でも決定的である:
情動性の宇宙を脳と認識にともに帰属させる医師の側の強行(coup de force)に対応するのが、魂の病を情念(passion)と定義してそれを哲学に帰属させるストア派の強行である。——「魂の病」の管轄権をめぐるこの二つの強行の対称は、本書全体の構図の最初の定式化であり、pinel-virgile の主題(ピネルにおける情念の臨床への回収=哲学の管轄物だった情念を医学が引き取り直す出来事)の古代的な前史そのものである。ピネルの traitement moral は、この二千年来の管轄争いの十九世紀初頭における一つの解決と読める——ピジョーが結論部で論じるはずの筋である。
最後の判定:『神聖病論』における脳の役割の強調は、著者にとって脳と身体の二元論の論証にではなく、思考と感情の一元論の肯定に仕えている。——ポパーの「二元論者」認定は、こうして三重に腑分けされた末に、最も重要な水準で反転される。
九、次の単位
頁41後段から節「Humeurs IX(『体液論』第9章)」が始まる(Jones 版 Loeb 第4巻に拠ると明記)。序論と本節で予告された「ヒポクラテス派記号論を基礎づける機能的二元論・魂と身体のパラタクス」がここで正面から扱われるはずである。その後「ガレノスのプラトン主義」節(『ティマイオス』の magna carta)へ進む。読解ノート(三・その二)で扱う。
第Ⅰ章・第一部 『体液論』第9章
一、『体液論』というテクストの身分(頁41–42)
『体液論(Humeurs)』は矛盾した評価を受けてきた書である:一方で第一級の論攷(リトレは『流行病』第8巻の名を与えたいとまで言った)、他方でかなり晦渋な覚え書き帳(Jones は『集成』中「最も不可解」で「文学的価値のない粗雑なスクラップブック」とまで評す)。ピジョーはまず第9章の翻訳を試みる——それは必然的に解釈であると断りつつ(テクストは Jones 版 Loeb 第4巻)。
第9章の内容(ピジョー訳からの要旨再構成):魂について(psychēs)——飲食・睡眠・覚醒をめぐる自制の欠如(akrasiē)、ある種の恋やサイコロ賭博に現れるそれ;職業や必要な強制のもとでの努力への忍耐(karteriē ponōn)とその規則性・不規則性;「何から何への変化(hai metabolai ex hoiōn es hoia)」。変化は習わし・性格(ēthos)から来る——探し・行為し・見・語るときの魂の努力愛(philoponiē psychēs)、あるいは悲嘆・怒りっぽさ・欲望、あるいは目や耳から来る思考(gnōmē)の偶発的な乱れ。身体にかかわる変化——石臼が擦れると歯が浮く;断崖のそばを通ると脚が震える;持ち上げるべきでなかった重さを持ち上げると手が震える;蛇の不意の姿に蒼ざめる;恐怖・恥・悲嘆・快・怒り等々:これらの各々に、身体の中でその現勢化(actualisation)にふさわしいものが応じる——汗、心悸、その他。
二、三項の結び方——難句 « ex hoiōn es hoia » のピジョー解(頁42–43)
晦渋さの核心は psychē(魂)・ēthos(性格)・sōma(身体)という三項の関係づけにある。興味深いことに偽ガレノス注釈(XVI K 302)はこの三項に、プラトン的な魂の三部分説——logos・thymos・epithymia——の対応を見ようとした。ともあれ注釈者は、このテクストの問題が魂と身体の関係であることを正しく感じ取っていた。
問題の句「何から何への変化」について:リトレはごく一般的な文と解し、Jones は変化を魂に限定する制限的な意味(states of mind before and after changes)を与えた。ピジョーの解:ex hoiōn(何から)は後続の ek tōn ētheōn(性格から)によって受け直され、hoia(何へ)は後続の hoia ta sōmata(身体にかかわるもの)によって特定される。すなわち変化の方向を読むべきである:変化は ēthos から来て、その適用点は身体である。そして ēthos とはつまるところ魂の一つの質ではないのか。
この仮説で本文を読み直す:philoponiē は本文の言うとおり魂のもの(philoponiē psychēs);先行部の akrasiē も karteriē ponōn も ēthos の顕現;悲嘆・怒りっぽさ・欲望、そして目や耳から来る思考の乱れが魂に属することも了解しやすい。難所は「持ち上げるべきでなかったものを持ち上げると手が震える」——純然たる身体現象と言いたくなる。ではなぜ引くのか。手の震えのうちに、見積り・判断の、あえて言えばヒュブリス(過剰・僭越)の制裁を見るほうがはるかに興味深い——「持ち上げるべきでなかった」という規範的評価が現に文中にあるのだから。著者は恐怖・恥・悲嘆・快を挙げ、リストを閉じない(alla ta toiauta「その他この類」)。
三、節の第一の収穫——厳密な並行論としての二元論(頁44)
これが序論と本章冒頭で予告された「ヒポクラテス派記号論を基礎づける機能的二元論、魂と身体のパラタクス」の内実である。魂のことは身体に読める——このテーゼこそ、症候から内的状態を読む記号論(séméiotique)の可能性の条件にほかならない。
四、ヒッポトオスの召使——「グノーメーの一元論」が病になるとき(頁44–45)
『集成』の心身相関の症例は名高い:飲みにかかると笛吹き女に怯えたニカノル(『流行病』7.86)、視力が翳り身体が弛緩し、断崖のそばも橋の上も通れなかったデモクレス(同7.87)。だがピジョーが結論に選ぶのは『流行病』第6巻8節10の一句:「それはグノーメー(思考・意識)から来る——器官も顕現もなしに、それ自身において、それ自身によって苦しむ意識;それは悲しみ、喜び、恐れ、鎮まり、望み、絶望する。ヒッポトオスの召使に起きたように——彼女は自分の病の出来事を、思考によって、自分において自分によって知った」。
難語 synnoia については偽プラトン『定義集』415a「シュンノイア=言葉による表出を伴わぬ、悲嘆をともなう思考」が近いかもしれない。また『養生法(Régime)』第4巻の冒頭が想起される(Joly 訳で引用):覚醒時、魂は身体に仕えて諸課題に分割され、おのれ自身のものとならない;身体が休むとき、魂は動き目覚め、おのれの領分を管理し、身体のあらゆる行為をただ独りで成し遂げる。『養生法』第4巻はオルペウス=ピュタゴラス的文脈にある(Palm、Détienne、Joly)。両テクストの語彙は同じで、どちらにもグノーメーの、身体全体からの隠遁・分離がある。だが決定的な差:召使の場合、この魂の分離(sécession de l'âme)は病の徴候である。グノーメーは器官と顕現(prēgmata——リトレのように「対象」ではなく、『体液論』第9章の「現勢化 tē prēxei」を念頭に「顕現」と訳す)から切り離されている。
五、テムキン批判——「みな自然に相互作用論者」、だが問題は分類にある(頁45–46)
テムキンは「身体と魂の根底的な切断は古代の医師には無縁で、彼らはわれわれのように心身医学の橋を苦労して架ける必要がなかった」と書いた。ピジョーには自明と思えない。古代人が感情とその身体的効果の結びつきに気づいたことを「偉大な前=科学」と驚くのはいささかナイーヴである。すべての医師が心身相関的効果を確認してきた。その意味では、望むなら、みな日常言語において「自然に」相互作用論者である。魂を全感覚の合一にすぎぬとする一元論者アスクレピアデスでさえ、フレニティスの可能な起源に、激烈な怒りによる動転、大きすぎる恐怖、悲しみによる圧迫を数えたのだから。
認識論的問題は分類(classification)と配分(répartition)の瞬間に生まれる。第三の実体——プラトン的三部分説におけるテュモスのような——を認めるべきか? 『神聖病論』の企ては見たとおり還元主義的である。その主知主義は、脳が認識回路に関与するという事実からではなく、すべてが認識に属するという主張から来る。ピジョーは『神聖病論』を、行動または認識の障害を含む病の領野の配分をめぐる古代の大論争のうちに位置づける。医師に属する身体病と哲学者に属する魂の病の分離は、『ロンドンの無名氏(Anonyme de Londres)』を待たずとも見出される(注50:An. Lond. II.5, XXI.13)。
この論争がとりわけ形式化されたのは、ストア派による「情念=魂の病」の定義以後である。クリュシッポスによる器官的顕現の併合が『神聖病論』と形式的に親縁であることは既述(その一・第七節)。クリュシッポスにとって情念は、判断と生理的顕現(噛みつき、腫脹、収縮〔シストレー〕等)の表裏一体(recto-verso)である。首尾一貫した一元論は、情念におけるこの「判断+随伴する器官的現象」の全体を説明するのにはるかに好都合である。対照例として、クリュシッポスの一元論を拒み魂身二元論を採るポセイドニオスの分類(断片154 Edelstein–Kidd)が引かれる:
| 区分 | 例 |
|---|---|
| 純然たる魂の病(=判断のうちに存する) | 欲望、恐れ、怒り |
| 純然たる身体の病 | 発熱、悪寒、収縮、弛緩 |
| 身体性でありつつ魂に触れる病 | 嗜眠、メランコリー、噛みつき、錯覚(illusion)、滲出 |
| (逆に)魂に発し身体に触れる病 | 震え、蒼白、恐怖や悲嘆による外観の変化 |
※第四区分は、印刷本文では直前と同じ「maladies somatiques touchant l'âme(魂に触れる身体病)」と読める。しかし前段の枠組(「身体に属さず、心的でありつつ身体に触れる病」)と例示(恐怖・悲嘆による震え・蒼白)からは「魂に発し身体に触れる病」とあるべき箇所で、誤植または訳の緩みの可能性がある。原本頁および Edelstein–Kidd 原文で要照合。
二元論を採った途端、病の配分がいかに込み入るか——この四分表がそれを雄弁に示す。メランコリーが「身体性でありつつ魂に触れる病」の筆頭に置かれていることは、第Ⅰ章第二部のメランコリー節への伏線として記憶しておきたい。
六、ポパー再訪と節の総括(頁47)
『神聖病論』に依拠して、ポパーのように「機械の中の——というより身体の中の幽霊という形の二元論は、歴史的・考古学的分析で遡行できるほど古い」と言うことはできない。ただし『神聖病論』のごく古い読解がこの見方を強い、この論攷を論争のなかへ引き入れたのは事実である。医師たちは思考を身体の様々な場所に定位した。カエリウス・アウレリアヌス『急性病論』I.53–54 の総覧:脳髄とする者、その下端ないし基底(sessio と呼びうる——ヘロフィロスの場合)、ギリシア人のいうアオルテー(大動脈)、「太い静脈(phleba pacheian)」、横隔膜……。カエリウスの結語が見事である:各人は、魂の統治(gouvernement de l'âme)が営まれると自分が考える部位を、フレニティスの座として指定したのである。
七、次の単位
頁47から第一部第二節「魂の病か身体の病か:ガレノスのプラトン主義」。ポパー&エクルズからの題辞(「かの学説〔唯物論〕の偉大な擁護者たちは、ほとんどみな人間主義倫理の支持者でもあった」)を掲げ、(1)『ティマイオス』の「魂の病」の princeps 的定義への導入、(2)魂身の分節についてのガレノスの考察と「魂の病の治療」への彼の解答、の二重の関心で進むと予告される。読解ノート(三・その三)で扱う。
第Ⅰ章・第一部 ガレノスのプラトン主義(前半)
一、節の設計と題辞(頁47–48)
節の題は「魂の病か身体の病か:ガレノスのプラトン主義」。題辞にポパー&エクルズの一句——「かの学説〔唯物論〕の偉大な擁護者たち——偉大な唯物論哲学者たち——は、それでもほとんどみな人間主義倫理の擁護者だった」——が掲げられ、これが節全体を導く問いになる(ポパーはデモクリトスを念頭に置くが、同じ問いがガレノスに立てられる、と後段〔頁57〕で明かされる)。
この研究の二重の関心(序論・その一で予告済み):(1)『ティマイオス』の問題群と、プラトンによる「魂の病」の定義への導入;(2)魂と身体の分節についての医師ガレノスの考察と、彼が「魂の病の治療」に与えた解決。医学史のなかへ、医学と混じり合った一つの哲学が闖入したのであり、そのテクスト(『ティマイオス』)はこの決定的問題にとって医学的権威——伝染についてのトゥキュディデス2.47に相当する——となった。プラトンは『ティマイオス』で「何人も好んで悪人になるのではない(Nul n'est méchant volontairement)」の生理学的理論を提示する。86e が引かれる:悪人が悪人になるのは、身体の何らかの悪しき素質(disposition maligne du corps)と、調律を誤った養育・教育(trophē——注56:この語が「栄養」と「教育」の二義を持つことに注意。ソラノス『婦人科』の「乳母はギリシア人であるべし——最良の乳とともに最良の言語を吸わせるため」が引き合いに出される)の結果である。
もしそうなら、哲学は医学に、道徳は食養法(diététique)に置き換えられねばならない——この帰結を最もよく問題化するのがガレノスの諸テクストであり、なかでも『魂の習わしは身体の気質の帰結であること(Quod animi mores/Que les mœurs de l'âme sont la conséquence des tempéraments du corps)』は、正義を前にした生物学的不平等——その理由は身体の気質——を結論する。
二、『ティマイオス』の生理学——隠喩か、モデルか(頁48–49)
『ティマイオス』の生理学はあまり研究されてこなかった:注釈者たちには宇宙論と自然学の傍らの「珍品」と映る(Brisson の美しい注釈でも同様;Miller の疾病病因論論文〔TAPA 1962〕は「魂の病」には触れない)。『ティマイオス』を生物学に還元してはならないが、本書の視座はそこに限定せざるをえない。
ガレノスにとって『ティマイオス』の巨大な功績は、『国家』第4巻の魂の三部分説を、類比によって基礎づけたことにある(『国家』と『ティマイオス』の先後には立場をとらない——「われわれの視座はプラトン学的ではない」)。ガレノス『ヒポクラテスとプラトンの学説(De placitis)』の最初の7巻はこの「人間の三つの魂」の学説の敷衍に捧げられ、ペルガモンの医師によればそれはヒポクラテス・ピュタゴラス・プラトンの興味深いシンクレティズムを表す:欲望的な魂は肝臓に、怒りの魂(テュモス)は心臓に、そして理性的な魂=ヘーゲモニコン(指導的部分)は脳に座をもつ。
『ティマイオス』69d 以下の身体記述の重要性:神々は不死の魂を可死的原理から地峡(isthme)で隔てた(69e);仕切り壁=横隔膜が「男たちの部屋」と「女たちの部屋」を分ける(69e);理性は城塞(citadelle)の高みに座す(70b);肺は心臓のための羽布団のようなもの(70d)……この類比的記述は修辞学と認識論の双方に関わる。偽ロンギノス『崇高について』32,5 はここに崇高な文体の例——隠喩の体系的連鎖——を見た。だが隠喩そのものが、人体記述の医学的伝統に属している。問題は隠喩がいつモデルとなり機能的になるかである。とりわけ「機械論」を早口に語ることを警戒せよ:『古い医術』の頭部=吸角(ventouse)の比較は生気論的文脈にある。椎骨=蝶番(74a)の類比はモデルか単なる隠喩か。カンギレム(『生命の認識』)はアリストテレスが動物運動の器官を organa=戦争機械に同化させ、この点で『ティマイオス』のプラトン(椎骨の運動を蝶番のそれと定義)に忠実である、と言う——だが「われわれは同じ平面にいるのか?」。『ティマイオス』の隠喩群は医学史でほとんど成功しなかった——ただ一つの例外、横隔膜(diaphragme)を除いて(Rufus 参照;Rivaud はこの語が医師の語彙からの借用か、あるいはここが最初の術語的使用かと注記)。
三、肝臓の役割——鏡と胆汁(頁50–52)
『ティマイオス』の生理学のうちに肝臓は特別の場所を占める。肝臓の特異性:もっとも卑しい器官たちの傍ら、欲望の圏域にありながら、ロゴスとフロネーシスの媒介なしに(71d)、ヌースと、そして神々と直接に交通していること。
肝臓は鏡である(71b):緻密で、滑らかで、輝いており、精神(ヌース)に対して大きな傷つきやすさの位置にある。ヌースの力は肝臓を脅かす——そのために肝臓の苦味(amer)を用いる。肝臓は甘と苦(glyky kai pikron)を含む(71b)。Rivaud 訳で引用:ヌースはしばしば肝臓の苦味を用いて恐るべき幻像(visions redoutables)を肝臓に差し向け、辛辣を肝全体に混ぜ、胆汁の色(cholōdē chrōmata)を出現させ、あるいは肝臓を収縮させ、ざらつかせ皺だらけにする。
精神と肝臓のこの「物理=化学的」関係——甘苦(doux-amer)を媒介とする——は、鏡と胆汁が微妙に混じり合う点で非常に興味深い。鏡を客観的実在と考えるかぎり、この鏡の反応は何も理解できない。鏡は存在の微細な変容に反応しうる器具である——アリストテレス『夢について』459b(月経時の女性の一瞥が磨かれた鏡面に血のような曇りを生む;青銅は滑らかであるがゆえに、どんな軽い接触をも最高度に「感じ」、鏡の純度がそれを顕在化する)から大プリニウスに至る伝統が示すとおり。鏡の「感受性」に驚くには当たらない。『ティマイオス』では胆汁がこの感受性の一要素である:肝臓にあらゆる「胆汁の色」を取らせるのは胆汁であり、この cholōdē chrōmata の語は、トゥキュディデス(2.49,3)が「医師たちが命名していた」と言うそれである。
そして決定的な一句:ときにヌースは胆管を塞いで lypas kai asas——悲嘆と嘔気、いやむしろ「悲嘆=嘔気」——を引き起こす(71c)。ここでピジョーは再び翻訳批判を展開する(その一・第六節と同じ武器):Rivaud や Moreau のように lypas を「苦しみ」「痛み」と訳すことはできるが、この語群を読んでサッポー断片1の asaisi/oniaisi を想起せずにいることはできない。プラトンにおいて唯一例のこの lypas kai asas は(Ast の Lexicon platonicum は asa を angor と誤訳)、magnum の文脈——魂と身体の関係——にあって、文化的記憶でないはずがない。Rivaud らの意図(この箇所全体は魂の事実をすべて物理的事実として説明しようとしている)は分かる。だが lypē は、身体的苦痛の意味を持ちうるにせよ、嘔気と結合されるとより心理的な苦しみ、「心理的な嘔気」となる。
胆汁という名は、プラトンが後で書くとおり(82c)、黄・緑・黒の多様な体液を統一する一般概念である:この名を与えたのは「幾人かの医師たち」か、あるいは「互いに似ない事実の群れの本性を見抜き、そのすべてに単一の名に値する唯一の類を認めうる人」——。実際この胆汁は、居場所を揺さぶり無秩序をもたらす力を持つ。血中に大量にあれば「髄の実質まで浸透し、それを焼き、船の舫綱のように魂を繋ぎとめている絆を解き、魂を自由に放つ」(85e)。敗れれば「革命下の都市を去る追放者のように」身体から出て行く。
四、『ティマイオス』86b——「魂の病」の princeps 的定義(頁52–53)
かくして「魂の病」に至る:「魂にかかわる病は、身体の状態(hexis)を介して、次のとおり」(ta de peri psychēn dia sōmatos hexin tēde, 86b)。この句には困難がある。魂の特定の状態に引き続く「魂の病」が存在するとも読めるが、続く句が枠を決める:「魂の病はアノイア(分別喪失)であると認めねばならない」(noson men dē psychēs anoian synchōrēteon——Rivaud は démence、Moreau は déraison と訳す)。そしてアノイアには二種がある:マニア(狂気)とアマティア(無知)。
翻訳の岐路:Rivaud のように「身体の素質の帰結として生じる魂の病は次の性格を持つ」と限定的に訳すか、Moreau のように「魂の病はといえば、それらは身体の状態を原因とし、次のように生じる」と全称的に訳すか。テクストの続きが示すのは後者であり、無知それ自体が身体起源だということになる。ピジョーの判定:「Moreau が正しく訳している可能性が高い」——直後の「何人も好んで悪人になるのではない」の解釈がそれを示す。
医師にとってマニアの身体起源は自明である;無知(amathia)のほうが不可解で興味を引く。実は極端な喜びと極端な悲嘆が両概念にまたがる:それらは患者を逆上させ、推論への参与を最も不可能にする(「悲嘆のうちにあるとき、人は理性に与ることが最もできない」86c)。起源は何よりも性的であり、精液の過剰から来る:かくて人は「快楽と苦痛の過剰によって」生涯の大部分をマニア的(emmanēs)に過ごし、「身体のせいで(hypo tou sōmatos)魂が病み、分別を失っている」(86c–d)。それなのに「人は彼を病人としてではなく、好んで悪人である者として遇する。だが何人も好んで悪徳的なのではない。悪徳的な人間が悪徳的になるのは、身体の何らかの悪しき素質と、調律を誤った教育の効果による」(86d–e)。
情念について:体液(粘液または胆汁)が魂の異なる水準を襲うのに応じて、悲しみ・悲嘆・向こう見ず・臆病・忘却、さらには dysmathia(学びの怠惰)が生じる——これが amathia を説明する。無知は身体の素質の結果なのである。
五、「プラトンの唯物論」——ただし括弧つき(頁53–55)
小見出しは «Le matérialisme» de Platon——引用符つきであることが重要。医学と道徳が魂と身体の単一の治療(therapeia)のうちに合流すべきことは明らかである(87c)。だがそれは身体の医学には解消されない:それは魂と身体の「関係」の医学となるだろう。われわれはこの均衡(symétrie)の関係を顧みずに生きている:あるときは魂が身体より強く——魂が学問や探究(mathēseis kai zētēseis)に全熱情を投じるとき——身体を内側から揺さぶり、病で満たし消耗させ、カタル(rheumata)を起こして「医師と呼ばれる人々の大半を欺き、真の原因とは逆の原因を告発させる」(87e–88a;注83:この「文人の健康」の主題は『偽ヒポクラテス書簡』とともに最終章で再論)。またあるときは身体が大きく強すぎて、食物への欲望がフロネーシスへの欲望に勝ち、魂は最大の病=無知へ落ちる。
ただし——プラトンの魂身関係を『ティマイオス』だけに還元してはプラトンを歪める。ポパーが『パイドン』96b–99a にプラトン哲学の真意を見るのは確かに正しい。ソクラテスがケベスに語る自然探究(peri physeōs)への若き情熱:「考えるのは血か、空気か、火か? それとも脳が聴覚・視覚・嗅覚の感覚を生み、そこから記憶と判断が、安定した記憶と判断から知が形成されるのか?」……アナクサゴラスのヌースの全能への感動。そして名高い弁明:私がこの場所(獄中)に座っている原因を骨と筋肉に求める者は、真の原因を言い当てていない。真の原因は、アテナイ人が私を有罪とすることを善しと判断し、私は留まって刑を受けることを善しと判断した、ということだ。「犬にかけて!」——もし「最善についての考え」がなければ、この筋肉と骨はとうにメガラかボイオティアのあたりにあっただろう(96b, 99a)。
ここには因果的説明の系列と、目的・価値による説明の系列とのあいだの根底的切断がある(ポパーの注釈どおり:物理的原因による説明と、意図・目標・動機・理由・実現さるべき価値による説明との峻別)。
だが本書の問題——身体の病と魂の病の関係——により厳密に関わるのは『国家』第10巻(609e以下)である。そこでは類比の規則が立てられ、魂の病と身体の病のそれぞれの固有性が印される:身体の病や死の原因は食物の悪しき質から来るかもしれないが、その質は身体に直接には作用しない。それは第一原因ではなく第二原因であり、身体のうちに固有の過程(processus spécifique)を引き金として起動させる(déclencher)。身体の病を食物の悪しき質に還元することはできない。
「この区別は決定的である。それは倫理と医学を混同しないことを強制する」〔頁55〕。これがプラトンをガレノスから分かつものであり、また(『神罰の遅延』の終末論において)プラトンをプルタルコスから分かつものでもある。
六、ガレノスの唯物論的読解へ——リーゼの救済論と「大いなる例外」(頁55–57)
プラトン主義の真理がどうあれ——『ティマイオス』解釈の限界は上で画した——ガレノスによるプラトン解釈は別物である。はっきり言わねばならない:われわれは『ティマイオス』と『国家』の唯物論的読解(lecture matérialiste)の前にいる。ガレノスにとってプラトンの真理とは、三種の魂と三つの器官の解剖学的関係を印したことにある:植物的(欲望的)魂は肝臓、怒りの魂は心臓、理性的魂は脳髄。テクストは無数にあるが、例として『身体諸部分の用途について』IV,13 の肝臓の一節(Daremberg 訳):肝臓は植物を統べる能力に似た能力の座;プラトンの言うとおり肝臓は「一種の野獣」(『ティマイオス』70e——注93:正確には野獣は肝臓ではなくそこに住まう魂であり、しかもこの魂は肝臓だけでなく横隔膜下の全域に宿る、と Daremberg が注意)であり、可死の種族を永続させたければ養う厳格な義務がある;人間を構成する理性的部分は脳髄にあって、テュモス(怒り)をこの野獣に対する従者・支え・防衛者としてもつ;両者を結ぶ延長(神経・血管)によって造化の職人は相互奉仕を配置した。
ガレノスにおいて事は明快である。機能は精密な類型学に対応する。解剖学者のメスが『ティマイオス』の真理を論証する。ヘロフィロスとエラシストラトスは感覚神経の機能を発見してプラトン的認識を深めたにすぎない。「神経の起源のあるところ、そこにヘーゲモニコン(理性的魂の原理)がある。そして神経の起源は脳にある」(『学説』V K 655)。
W. Riese の明快な論文(« La pensée morale de Galien », Revue Philosophique, 1963)が導き手となる:リーゼは「ガレノスの道徳思想の第一の構成要素は物理的秩序のものである」と認めたうえで、ガレノスを「唯物論」の罪から救おうと試みる——「ガレノスへの非難から彼を解放し、同時にその道徳思想を見かけ上唯物論的な『属領』から解放できれば有益な仕事となろう。ガレノス的な身体の観念を考慮すれば、この努力は成功すると信じる」。すなわちリーゼにおいては、身体の「観念論的」構想(『身体諸部分の用途』の全面的にアリストテレス的な目的論と、『自然の諸能力』の芸術家としての自然)が、魂の「唯物論的」構想からガレノスを救うことになる。
問題はまさに冒頭のポパーの句が指すもの:哲学的唯物論の偉大な担い手たちが、なぜ同時に人間主義倫理の担い手なのか。ポパーはデモクリトスを考えていたが、同じ問いがガレノスに立つ。この問いを試金石として、三つの論攷——『魂の習わしは身体の気質の帰結であること』『習慣について(Des habitudes)』『魂の情念と過誤について(Des passions de l'âme et de ses erreurs)』——が検討される(→その四)。
予備的な位置づけ:ガレノスには教育の可能性についてのある種のギリシア的悲観主義が見出され、その起源はソフィストたち(ノモスとピュシス、自然と文化、教育の問題——前5〜4世紀の大論争)に求めうる。だがガレノスの言説をソフィストの言説に還元してはならない。ガレノスは実践から、経験から、技術者の視点から語る。そして彼は古代で唯一、自らを「哲学者でもある」と言った医師である。医師にして哲学者——だがまず医師である。彼は哲学を併合する医師である。その意味が論攷『良き医師は哲学者でもあること』の題である。これをキケロー章で「ガレノスの大いなる例外(la grande exception de Galien)」と呼ぶことになる——医師の一般的態度は(既述のとおり)魂の病を哲学者の定義への暗示によってしか語らないのだから。
七、次の単位
頁57後段から、『魂の習わしは身体の気質の帰結であること』を中心とする三論攷の分析(生物学的不平等と教育・食養法の問題、魂の可死性への傾き、そして「魂の病の治療」のガレノス的解決)。第一部の残りを「その四」で扱い、第一部を読了とする。その後、第二部=病のモノグラフィー(フレニティスから)へ。
第Ⅰ章・第一部 ガレノス三論攷(結)
〇、位置づけ——「その三」からの受け(頁57–58)
「その三」の末尾で見たリーゼの救済論の帰結が頁57で明言される:リーゼにとって、身体の「観念論的」構想(『身体諸部分の用途』の全面的アリストテレス的目的論、『自然の諸能力』の芸術家=自然)を考慮すれば、ガレノスを魂の「唯物論的」構想から解放する努力は成功する(もっともピジョーは注96で、この文脈での「観念論/唯物論」という語彙の使用は「明らかにきわめて拙い」と釘を刺す)。問題はやはり冒頭のポパーの句:哲学的唯物論の大立者たちがなぜ人間主義倫理の担い手でもあるのか。デモクリトスに向けられたこの問いがガレノスに立てられ、その試金石として三論攷——『魂の習わしは身体の気質の帰結であること(Quod animi mores)』『習慣について(Des habitudes)』『魂の情念と過誤について(Des passions de l'âme et de ses erreurs)』——の検討が始まる(テクストは Marquardt 版、訳は Daremberg と van der Elst)。
医師の一般的態度は身体と、身体の病の治療術として構想された医学的実践に自己限定することだった。ところがガレノスは魂の病の問題を医学と哲学の双方において立てる。これを哲学の不当な併合と見なすこともできようが、それは主題ではない——「実際ガレノスは一つのmédecine philosophique(哲学的医学)を構成しているのであり、われわれは故意に(à dessein)ピネルの術語を用いる。これには立ち返る」(注103:infra, notre conclusion=本書結論部)。——序論 p.26 の「ピネルが19世紀初頭に哲学的医学を創出した」という予告と対になる、本書中枢の明示的なピネル参照。ピジョーの構図ではガレノスこそピネルの古代的先駆であり、pinel-virgile の系譜論(情念の臨床化の前史)はここに直接の足場をもつ。
一、『魂の習わし』の原理——道徳の食養法への還元?(頁58)
『魂の習わし』の原理:「魂の諸能力は身体の気質に従う」。ガレノスはこれを経験によって検証された原理と見なす。したがって、食物・飲料・日々なすことすべてによって身体の良い気質(エウクラシアー)のために働くなら、われわれは徳に関しても魂の良い気質を作り出していることになる。彼はただちにピュタゴラスとプラトンの権威の下に身を置く。
すると道徳は食養法(diététique)に、そして医学に従属する体育に還元されるはずである(『トラシュブロス』参照)。ピュタゴラス・プラトンへの参照は明らかに食物への暗示:デティエンヌの言う「ピュタゴラス派の料理」(食物タブーと魂の理論・宗教の連関、『アドニスの園』)、プラトンにおける軽い夕食による睡眠中の魂の準備(『国家』第9巻)。しかしプラトンにおいてもピュタゴラスにおいても、哲学を食養法に還元することはできない——豆のタブーは「鼓腸を起こす食品の排除」には還元されない(注109:ここで Grmek の高等研究実務学院セミナー報告「favisme(ソラマメ中毒)」への言及。溶血性貧血の現代医学的知見と「大ギリシア」出身者の統計。ピジョーの学殖の同時代性を示す注)。ここにもガレノスの一貫した手口が見える:彼がパライオス・ロゴス(古の言説)と呼ぶものに哲学的基礎を確保しようとする手続きである。
二、「可死の魂は身体の気質である」——帰結から同一性への強行(頁58–59)
ガレノスのテーゼは明快かつ挑発的である:魂の気質は身体の気質に依存する。魂の理性的部分が一種の魂であるなら、この種は可死的であろう——なぜならそれはそれ自体、脳のある種の気質なのだから。結論として「可死の魂は身体の気質である」——アンドロニコスの言うような気質の帰結(conséquence)ではなく。ピジョーはここに帰結から同一性へと移行させる論理的強行(coup de force logique)を見て遺憾の意を示しつつ、ガレノスが重大な結論の前でたじろがないことを確認する:
- 魂は身体の気質によって、固有の機能を果たすことを妨げられる;
- 知性も、臆病も、豪胆も、賞賛にも非難にも値しない。
このテクストは明らかに論争的であり、とりわけストア派の理論——悪は常に外部から・社会から来る、万人は徳をなしうる——に向けられている。要するにガレノスにとって、魂の病は身体の病〈である〉(les maladies de l'âme sont les maladies du corps)。
三、三つの証明——遺伝学・人間学・病理学(頁59–61)
ガレノスの挙げる証拠は三つの大きな源泉に分けられる。ピジョーの命名でla génétique(遺伝学的なもの)、l'anthropologique(人間学的なもの)、la pathologique(病理学的なもの)。
(1)遺伝学的証明——子供の自然的不平等とオイケイオーシスの転用(頁59)
遺伝学的証明は子供たちのあいだの自然的不平等を示す:ある者は臆病、ある者は乱暴、食い意地の張った者、大胆な者、控えめな者。幼年期から成年への進化とは、実は三つの魂(植物的・怒りやすい・理性的)の継起的成長である。幼児は快しか考えない;ついで喧嘩を求め勝利の感情を発見する;最後の段階で羞恥(pudeur)に出会う。各年齢は「ある自然的な親密性(physikē oikeiōsis)」を、それぞれの感情に対してもつ。ピジョーは注意を促す:クリュシッポス批判の論争の只中で、ストア派の概念オイケイオーシスを使うのは興味深い。各段階で失敗もありうる。そして悪の起源は少なくとも二つあると考えねばならない:社会の教えに由来するものと、自然そのものに由来するものである。
(2)人間学的証明——『空気・水・場所』とノモスの自然化(頁60–61)
人間学は主として『空気・水・場所について(AEL)』で代表される。ガレノスの推論が注目に値するのは、彼が AEL をのちに伝統のなかで追求される目的のために使う点である——とくに18世紀、経験論者たち、のちにはイデオローグたち。その最も輝かしい代表がカバニスであり、その『人間の身体と精神の関係(Rapports du physique et du moral de l'homme)』である(注121:バイエール社1824年新版、デステュット・ド・トラシー伯による分析目次付き、と書誌まで示す)。習俗が可塑的で、感情が生活状況・食餌法・気候の影響に結びつくなら、魂は身体的(corporelle)だからである。
この文脈でガレノスは AEL できわめて重要なノモス概念に貴重な注釈を与える。ノモスとは自然に付け加わって個人と民族を形作るもの。だがノモスはどこから来るのか——各国に自ずと生じるのなら、結局ある意味で「自然的」ではないのか。ノモスの起源は AEL が答えぬ問いであり、それゆえガレノスの見解は貴重である:「ヒポクラテスが法(ノモス)というのは、各地における生の恒常的な仕方のことである。それはわれわれが〈栄養・食物(トロフェー)、子供の教育(パイデイア)、土地の習慣(シュネーテイア・エピコーリオス)〉と呼ぶものを含む」(ギリシア語原文引用)。少し先でガレノスは、習俗のみならず知性の曇りや完成(ディアノイアとシュネシス)も気質と季節に依存すると明確化する。
AEL に戻れば、自然と文化の「本性」の違いについて、ガレノスはノモスを自然化することが知られている:彼にとってピュシスとノモスのあいだの差異は無である。それは『習慣について(peri ethōn)』が教えるところで、ガレノスにおいて習慣は:
- 自然的合致(oikeiotēs physikē)の徴(signe)でありうるし、
- 自然的合致の原因(たとえば個体と食物のあいだの)でもありうる。
そして長い習慣の結果は、相互的変化(altération réciproque)によって、自然的合致に等しくなりうる。ピュシスとノモスの区別は、相互的変化という概念——AEL の長頭族(macrocéphales)の章に見える強制・暴力としてのノモス概念に取って代わる——の利益のもとに完全に圧殺される。序論で主張したこと——魂と身体の関係の問題は、われわれが人間学と呼ぶものから切り離せない——の証左がここに現れる。
(3)病理学的証明——メランコリー・フレニティス・マニー(頁61)
身体の悪が魂を支配する。それはメランコリー、フレニティス、マニーに見える(ここでもまた、これら「精神的」病の身体的起源を反駁不能な仕方で確認する機会である)。『魂の習わし』からの引用の骨子:ペストの際に自分自身も近親も認知しなくなる現象——トゥキュディデスがアテナイのペストで多くの人に現れたと言い、数年前にわれわれ自身も見たもの——は、目脂や白内障のためにものが見えないのと同じことに見える;だが一つのものが三つに見えるのは視覚能力の大きな冒され方であり、この冒され方はフレニティスに似ている。そして『ティマイオス』がふたたび援用される:魂は身体の悪液質(cacochymie)によって損なわれる(Tim. 86e 系;注129)。
四、メーストル/ボナルド対カバニス——19世紀初頭への投影(頁61–62)
ピジョーはこの問題系を、文化と伝統の歴史に基づいて、19世紀初頭の論争——ジョゼフ・ド・メーストルやボナルドのような書き手たちがカバニスに対置した論争——で要約できるとする。カバニス(既出の『身体と精神の関係』の著者、多くの版を重ねた重要著作)はmédecin moraliste(道徳家医師)にして médecin philosophe(哲学者医師)として、精神的なもの(le moral)をしばしば身体的なもの(le physique)のエピフェノメーヌ(随伴現象)と見る。道徳性は欲求・快・感情の上に基礎づけられる。カバニスを狙ってボナルドは激しく書く(『道徳的認識の第一対象についての哲学的探究』1838, t.II, p.69 からの引用の骨子):もし身体的組織がわれわれの内なる活動・思考・感情の唯一の原理なら、道徳的な苦しみもすべて必然的に身体的苦痛・病の悲しみとなろう;この帰結はあまりに厳密なので、唯物論者たちは、それがいかに誤りであろうと、採用を強いられた;そして首尾一貫するために、彼らは道徳の学問のすべてを医学の術のうちに置かねばならなかった。
五、「教育か食養法か?」——媒介としての栄養・同化(頁62–63)
節題は「Éducation ou diététique ?」。魂のディアテーズ(diathèse 素質・体勢)が身体のディアテーズの産物・結果、あるいは純粋な反映でしかないなら、教育は食養法に、道徳の原理は食餌規則(régime)に置き換えられねばならず、その監督者として医師にまさる者はない。この点で興味深い一節(『魂の習わし』Marquardt II, p.65–66):
ガレノスはある種のプラトン主義哲学者たちの観念論を批判する——彼らはプラトンを何も理解せず、身体は魂に障碍(entraves)をもたらすことはできても、うまくいっているときの魂は身体と無関係に固有の生を生きる、と考える。他方で(彼らによれば)空気・水・場所は無媒介に知性に作用するという。ガレノスは本質的な媒介が存在することを知っている:栄養(nourriture)と同化(assimilation)である。引用の骨子:私は明晰に知っている——あらゆる種類の食物は胃に導かれ、第一次の加工(プロカテイルガスタイ)を受け、肝臓へ向かう静脈を通り、身体の体液(フモール)を形成する。この体液が脳・心臓・肝臓を含むすべての部分を養い、養われると同時に諸部分は常態より熱く・冷たく・乾き・湿ったものになる——優勢な体液に似せられて。だから食物の効力を認めようとしない者たちも……人をより賢明にも、より放埒にも、より抑制なくも、より控えめにも、より大胆にも臆病にもすることを見れば、何を飲み何を食うべきかを私に尋ねに来るだろう。食養は道徳哲学(エーティケー・フィロソフィアー)の点で強力に彼らを益し、さらに論理的な魂の諸徳にも進歩を刻印する——より知的に、より勉学的に、より思慮深く、より記憶力豊かに。食物・飲料のみならず風、周囲の空気の気質(クラーセイス)についても学び、どの地方を求めどの地方を避けるべきかも教わるだろう。
ピジョーの評言:これ以上に明快ではありえない。知的生活と道徳的生活は有機的生命に依存し、外界に従属する——ただし(アレルギー反応のような)無媒介の反応によってではなく、食物の変形を介して。ここに『古い医術』が価値づけた食物の重要性が別の意味で回帰する。「最良の道徳書は『食物の諸能力について(De alimentorum facultatibus)』となろう」——ピジョーの皮肉を帯びた要約。続く引用の骨子:われわれの言説は哲学のもたらす善を廃棄せず、哲学者たちに彼らの知らぬ事柄を説明する;ワインや薬剤や良い食餌、さらに制度や学問から利益を引き出す原因を説明するのであって、その際、原因としての子供たちの身体的差異の影響をいささかも減じない。
六、プエリクルトゥラの伝統——ムネシテオスとソラノス(頁63–65)
医師はまた育児法(puériculture)と小児食養法の伝統のうちにいる。その傑出した代表がムネシテオス(Bertier の校訂・翻訳・注解 Mnésithée et Dieuchès, Leiden, Brill, 1972)で、プラトンとしばしば比較される:分類は分割(ディアイレシス)に基づき、その育児法・食養法には『ティマイオス』『法律』との類似がある。ムネシテオス断片16(プルタルコス『自然学的問題』XXVI, 918D 経由)の骨子:身体の構成(体質)は、体液の変化に際して、病人のうちに規定された欲望——さまざまな酸味・甘味への、常ならぬ性質への欲求——を生む;石や土を食べる妊婦の例;だから心得た医師は病人の食欲(渇望)から予後を知る——肺炎の初めに玉葱を欲した者は助かり、無花果を欲した者は失われた。なぜなら欲望は身体の構成に依存し、構成は病に依存するから(ギリシア語原文:dia to tais krasesi tas orexeis, tas de kraseis tois pathesin hepesthai)。
育児法と小児食養法は、医師に多少なりとも哲学することを強いる。医師はいつ教育において哲学者に席を譲るべきか? ガレノスの答は疑いない:医師は常に哲学者に随伴すべきである。『健康について(De sanitate tuenda)』からの骨子:魂の性格は、食事・飲酒・運動・見世物・聴くものと文化全体における悪しき習慣によって腐敗する。だから衛生を司る者はこれらすべてを知らねばならず、性格の形成が哲学者だけに属すると考えてはならない。ここでもガレノスは、身体は医師に・魂は哲学者にという知の大分割を尊重しない。
この大分割を見事に表現するのがソラノス『婦人科論』(II. XXVIII, 57;CMG IV, Ilberg 校訂 p.93)である。ピジョーは「翻訳の前にまず原文を引かねばならない。その理解こそ第一級の重要事」としてギリシア語を掲げ、Bertier 訳で示す。骨子:何歳で子供を教育係(パイダゴーゴス)に委ねるべきか、どんな教育係か、いかに形成すべきか、両親の傍で育たぬ場合はどうか——この種の問題はもはや医学の原理には属さず、むしろ哲学の領分に属する;「かくて、慣習に反して(para tropon)、哲学する労を他人に委ねつつ、われわれはここに育児法の叙述を終える」。
ピジョーの文献学的介入:Contre la coutume...(Bertier 訳)だと、「支配的な慣習とは哲学と医学の混合、医師の哲学への僭称」だったことになる——これは意味の取り違え(contre-sens)に見える。ピジョーはTemkin 訳をはるかに好む:「これらの問題はむしろ哲学の領域に属する。慣習と手を切って哲学することは、他の人々に委ねよう(so that we leave it to others to break with custom and philosophize)」。すなわち para tropon は「われわれの叙述の仕方に反して」ではなく「(医師が哲学に踏み込むという)慣習からの逸脱」を他人に譲ると読む——ソラノス(メトディスト)は大分割を守る側の証人となる。
七、「教育か治療か?」——道徳感情という唯一の例外(頁65–66)
節題は「Pédagogie ou thérapeutique ?」。ガレノスの視座で道徳性はどうなるのか。そもそも道徳感情(sentiment moral)は存在するのか。『魂の習わし』の結論部は意表を突く:万人が徳をなしうると考える者たち(=ストア派)も、いかなる人間も選択によって正しくはなりえないと考える者たちも、人間本性の半分しか見なかった。人間は生まれつき全員が正義の敵でも全員が友でもない——善人と悪人がいるのは身体の気質(クラーシス)のゆえである。それでもわれわれには非難し賞賛する権利がある:なぜならわれわれのうちには、善を選び・求め・愛し、悪から身を背け・憎み・逃れる生得の能力があるからで、その際その人の悪が生得か否かをあらかじめ考慮しはしない。理をもって(avec raison)われわれは邪悪な人間を憎む——彼らをそのようにした原因を詮索せずに;また有徳な人間を愛する——本性によってであれ、教育・選択(プロアイレシス)・修練(アスケーシス)によってであれ、有徳でありさえすれば。
かくしてガレノスは人間本性と気質の相対主義を差し出しながら、同時に道徳感情の普遍的本性が存在すると言う:hyparchei touto pasin hēmin(これはわれわれ全員のうちにある)。この感情は、あらゆる推論に先立ち、功績の考慮の外で、ほとんど美的(quasiment esthétique)な仕方で行為の道徳性を評価させる。行為の条件がどうであれ、私はその行為の善悪を味わい分ける(apprécier)ことができる。ガレノスにとってはこれで足りる——社会と刑罰、とりわけ死刑を基礎づけるには。
すなわち道徳感情こそ、気質の相対主義を逃れる唯一のものである。リーゼは言う:生得的・遺伝的な道徳的性格という貴重なテーゼは、結局自然と道徳の同一性のテーゼ、道徳思想の自然主義的解釈に彼を導く、と。ピジョーはこの手際の明快さにリーゼほどの確信を持てないとし、むしろギリシア人間学が「自然(本性)」を定義する際の困難——一般的人間本性と個別的本性たちの関係——を認める。『古い医術』の基本テクストでは、各人は食物への個別的感受性によって定義される——他の生物との対比で全体的に自己定義した種の内部で。『予後』にも、健康の観念において個別的本性と一般的本性を一致させる困難が見出された:健康であるとは人類の一般的本性に従って振る舞うことか、おのれの個別的本性に従ってか? 実際『予後』の関心はピュシスとエートス、一般的規範と個別的規範を結合して見出すことにある。健康にとって良いことは、おのれの行動を自然に、すなわちおのれの個別的規範を、「自然の事実」にほかならぬ一般的規範に一致させることである。そしてガレノスが「われわれは本性によって善を愛し欲し、悪を忌み憎み避ける」と言うとき、それはプラトン的原理の表明である。
八、ダランベールの見た「説明しがたい矛盾」——ピネルへの明示的架橋(頁67)
ダランベール(Daremberg, La Médecine. Histoire et Doctrines, 1865, p.86)の評の骨子:〔ガレノスは道徳感情の生得性を言いながら〕「同時に、説明しがたい矛盾によって」魂の変化が概して身体の変化に従うことの証拠と証言を積み上げ、ほとんどすべての opinions が身体的素質の結果だとする。ピジョーの判定:この矛盾は実在する。確認せざるをえない。そしてそれはポパーの用語に翻訳できる:唯物論者が人間主義道徳を支持するのが見られる、と。
「そしてまさにこれが、結論で述べるとおり、ピネルの『精神疾患についての医学=哲学論(Traité médico-philosophique sur l'aliénation mentale)』における立場の理論的困難(la difficulté théorique de la position de Pinel)をなすことになる」(注154:Paris, An IX;Tchou 社1965年復刻を使用)。——第Ⅰ章の本文中、ピネルの主著が書名込みで名指される最初の箇所。ピジョーの見取り図:ガレノスの矛盾(身体決定論と道徳感情の普遍性の共存)は、そのままピネルの理論的困難として回帰する。pinel-virgile で論じた「情念の臨床化」の哲学的代価が、古代側から先取りして定式化されている。本書結論部を読む際の最重要の伏線として銘記。
九、エフェドリー——他者による自己認識の治療的関係(頁67–69)
節題「L'éphédrie」。ガレノスは、汝自身を知れと求めるアポロンは正しいと考え、このアポロン=ソクラテス的格率に純粋に心理学的な意味を与える。だがガレノスの独創は、人はきわめて稀な例外を除き、独力で・自分の手段では自己を認識できないと考えたことにある。自己認識は他者たちを、というより慎重に選ばれた一人の他者を経由する。この関係の定義こそ『魂の情念について』の目的である:「われわれが何であるかの診断を下すのは他人たちであって、われわれ自身ではない」(Marquardt p.22 のギリシア語を注157に掲出)。
自己認識の候補者には、他者を探す努力をなすに足る「道徳的」力を生得の資質として受けていることが前提される——この他者は機能的・自動的に押しつけられはしないからである。誰を選ぶか:衆目の一致する賢者と認められ、多くの機会に既に試された老人がよい。まず世評に頼り、ついで自分の眼識で確かめる。いずれにせよ愛情も憎しみも抱かぬ相手を選ぶこと。この社会的関係はまことに興味深い。実際ガレノス自身、周囲に若者たちを集めており、『魂の情念について』はそのうちの幾人かに献じられている。
この他者の機能——監視者にして教育者にして助言者——を定義するために、ガレノスは複数の語(うちいくつかは新造語)を使う。この語彙的努力自体が、彼の確立しようとする関係の新しさを証す:
- 第一の語はエピクロス派のアントニウス(他に知られぬ人物)から借りる——彼は peri ephedreias(エフェドレイアについて)という論攷を書いた。van der Elst は「味わい方の術(De l'art de déguster)」と訳したが、エフェドレイアは「座して観察する・見張る(guetter)」行為を指すと見るべきである。相手を起こす(試合を再開する)瞬間を隅で待つ競技者のイメージ(『法律』819b 参照)。実践から来る態度であり、ガレノスの気に入ったに違いない。
- この観察点は診断(ディアグノーシス)よりも予防(プロフュラケー)に、矯正・立て直し(エパノルトーシス)に仕える——筋や関節を再教育するという意味での「再教育」に、と言ってもよい。
- 見張り人はまた道を示す者(トン・デーローソンタ)=先導者であり、パイダゴーゴス(教育係)であり、エポプテース(観察者)であり、エピスタテース(監督者)でもある。
この語彙の豊かさは諸態度を示している:選ばれた監視者の綿密で細心の注意——被監視者自身の意識から逃れるごく小さな事柄にこそ気づかねばならない。彼は青年を矯正し、いわば調教(dressage)を成し遂げ、情念という非理性的なエネルギーを飼い馴らし・和らげねばならない:hōsper ti thērion hēmerōsai te kai praunai(あたかも野獣を馴らし宥めるように)。ピジョーは即座に指摘する——ここに認められるのはポセイドニオスの語彙である(注171:第Ⅲ章 p.276 以下参照。クリュシッポス主知主義に対する情念の非理性的力の系譜)。
われわれは明らかに経験論と日常生活の実践のうちにいる。エフェドリーとは、青年の傍らに絶えず現前し、彼が生きるのを見ることであり、とりわけ食べるのを見ることである——大食・美食・性急はそこにこそ現れるのだから。
一〇、この関係の射程——セネカ『書簡』52との突き合わせ(頁69–70)
シェニェのようにガレノスが人間をそもそも定義しなかったことを遺憾とすることはできる(注173:ツェラー『ギリシア人の心理学』の「ガレノスには人間の哲学的定義が見出されない」)。また van der Elst のように情念と過誤の区別を称えることもできない——それは分離にすぎず、その恣意性はキケローにおいて、クリュシッポス的な recto-verso の全体性を示す際に明らかにする、と予告。だが一つのことが興味深い:治療的実践の関係、社会がその機能のために確保している個人たち(学校の師や医師)の外部で、一人の人間が他者の進化を保証するという関係である。ある時点で青年は、自己を知らねばならぬことに自ら気づくだろう。
ピジョーはこの関係が医師によって構想されたことの独創性を強調する。医師と哲学者のあいだに権利上(de iure)確立された関係——認識論的領野の定義、病と治療の配分をめぐる——のなかで、ここに医学から哲学へ向かう最前進点を見るべきである。ちょうど『心の平静について(De tranquillitate animi)』とエウテュミアの定義が、哲学から医学へ向かう最前進点であるように(第Ⅴ章の予告)。エフェドロス(見張る者)の関係は、賢者と弟子の関係を重ねながら、それをあらゆる形而上学とあらゆる教義学から解き放っている。
ガレノスの記述する関係は、セネカ『書簡』52の記す賢知への関わりの最下層に対応する。セネカ(というより彼の引く区分)は三種の人間を区別する:独力で真理に達しうる者(例:エピクロス);助力を要する者(例:メトロドロス);導き手のみならず、援助者、あえて言えば強制者を要する者(quibus non duce tantum opus sit, sed adiutore et, ut ita dicam, coactore)。ガレノスは監督者=生徒という以外の教育的関係を構想しない。医師は哲学者の始まるところで止まると言ってもよいし、あるいは両者には共通の一水準——医師にとっては最後の、哲学者にとっては教育的関係の最初の水準——がある、と言ってもよい。魂の病理学の認識論的領野の配分において、ガレノスとセネカのテクストは、これが医学と哲学にとって根本問題だったと言うわれわれが何も発明していないことを示す(注176:プラトンの技術の階層——下位技術のテロスが上位技術のアルケーに仕える——がここに実現、との美しい注)。
一一、第一部の結語(頁70)
——第一部読了。振り返れば第一部の構成は:(1)『神聖病論』=思考と感情の一元論(その一);(2)『体液論』9章=魂と身体の厳密な並行論・パラタクス(その二);(3)『ティマイオス』と「プラトンの唯物論」(その三);(4)ガレノス三論攷=魂の病は身体の病〈である〉、しかし道徳感情の普遍性が残す矛盾、そしてエフェドリーという治療的関係の発明(本ノート)。一元論/二元論の理論的検討から、フレニティス・マニー・恐水病・メランコリーという個別病誌へ、という本書の蝶番に到達した。
一二、次の単位
頁70後段から第二部「病たち(Les maladies)」。冒頭「病の選択(Le choix des maladies)」(頁70–71)は既に一瞥した:症候学・疾病分類学の網羅は目的でなく、医師が「魂」を、正確には身体と魂の分節を、医師と哲学者の認識論的配分を考えざるをえなかったかぎりでの病を扱う;順序は最も技術的なものから最も哲学的なものへ——フレニティス(厳密に医学的な概念)→マニー(フレニティスとの相対で定義;慢性・明晰間歇期・対話と道徳的治療を要する治癒ゆえに、より複雑)→恐水病(新しい病;その名自体が情念の問題を立てる)→メランコリー(最も難しく、起源も定義も最も曖昧で、最も哲学的な病;魂と身体の関係の病にして、ルクレティウス第3巻・セネカに至る実存的な病;エウテュミアの医学=哲学的問いを喚起する)。次の「フレニティス概念」節(頁71以下:リトレに従い la phrénitis と女性形で呼ぶこと、ヒッパルコス〔ピュタゴラス派〕がフレニティスを胸膜炎・肺周囲炎・痛風などとともに身体病に分類した非医学テクストから開始)から、読解ノート「四・その一」で扱う。
第Ⅰ章・第二部 フレニティス概念(定義・病因・座)
〇、第二部の開始——「病の選択」の再確認(頁70–71)
第一部読了時に一瞥した「病の選択」節を、フレニティス本体に入る前にあらためて確認する。本書の目的は古代の症候学・疾病分類学の網羅的記述ではない。対象は、医師たちが「魂」について、より正確には身体と魂の分節、医師と哲学者のあいだの認識論的配分について、考えざるをえなかったかぎりでの病である。取り上げる順序(フレニティス→マニー→恐水病→メランコリー)は最も技術的な概念から最も哲学的な概念へという上昇線を描く:フレニティスは厳密に医学的な概念;マニーはフレニティスとの相対で定義され、慢性で明晰間歇期をもち対話と道徳的治療による治癒を要するぶんより複雑;恐水病は比較的新しい病で、その名自体が情念の問題を呼び込む;メランコリーは最も哲学的な病——魂と身体の関係の病にして、ルクレティウス第3巻・セネカに連なる実存的な病である。
一、フレニティスという語り方——alienatio mentis の医学的固有性(頁71–72)
フレニティスは疫病史・胸膜炎・膿胸・癲癇よりはるかに重い病として位置づけられる古い病名だが、その症状の一つが精神の疎外(alienatio mentis)であるために、医師たちに固有の——哲学と修辞学の影響を受けた——理論的問題を突きつける。ピジョーの方針:フレニティスを近代の病概念への包摂(サブサンプション)という問題は脇に置く。リトレ以後、セムレーニュ以後、W.H.S. ジョーンズはこれをマラリアの一形態と見た(Malaria and Greek History, 1909:「大脳型または腸チフス型マラリアの一種としてフレニティスを安全に診断できる」との明言を引く);他方 E.D. フィリップスは「フレニティスは近代医学のいかなる概念にも確実には対応しない」と主張する。両者ともおそらく正しい——マラリア熱の光景はこの概念の形成に大いに寄与したろうが、その症候学全体をマラリアだけに還元するのは無理がある。ピジョーの取る立場:フレニティスを sui generis(それ自身の種)の病として、たとえ恣意的な構築物であっても、扱う。ヒポクラテスからピネルまで一つの医学的実体として存在し続け、ピネルの『哲学的疾病分類学』でも肺の炎症(フレグマジー)の一つに場所を占めている。
二、カエリウス・アウレリアヌスの定義から出発する理由(頁72)
まず定義を一つ選ぶ——カエリウス・アウレリアヌスのもの:フレニティスとは、急な発熱をともなう急速な進行の精神の疎外であり、あてどなく手を動かすという、あたかも指で何かを摘み取ろうとするかのような一つの徴候(のちに検討するクロキュディスモス/カルフォロギー)をともなう。ピジョーはまず医学的概念としてのフレニティスを検討し、その形成を示し、それがもたらす理論的諸問題——古代医学における近代的疾病への包摂の問題は扱わない——を追う方針を明確化する。
三、フレニティスはヒポクラテス的概念である(頁73)
基本テクストの一つ、『急性病の養生法』の一句の骨子:古人が胸膜炎・肺周囲炎・フレニティス・カウソスと呼んだ病、およびそれに付随する病はすべて急性であり、その熱の大半は持続的である。これらの病名の古さ、そして『集成』のなかで限定列挙ではない疾病実体の存在、これらの病の相互関係に注意すべきである。座(siège)によって区別されながら(フレニティスと胸膜炎など)、熱の持続的性格によって似通っている。しかも各病は不安定(labile)で、一方から他方へ容易に移行する——『病Ⅰ』の一句:胸膜炎からカウソスへ、フレニティスから肺周囲炎への変化はあるが、肺周囲炎からカウソスへの変化はない。
フレニティスのもう一つの本質的特徴は急性であること。根本において、発熱なき譫妄をともなう慢性病であるマニーとの対比でこそフレニティスは特徴づけられる。
四、『病Ⅰ』の病因論——血液と胆汁、フレネスの汚染(頁74)
『病Ⅰ』の一節(骨子):フレニティスの仕組みはこうである——血は人においてもっとも多く知性(シュネシス)をもたらす;ある者はこれを全知性の座と言う;血が過度に動かされ血管中に注ぎ込まれると血は乱れ、常態と異なる粘度・運動をもち、これが〔血を〕熱する;血が熱せられると全身の他の部位もともに熱せられ、思考は乱され、人はもはや自分自身のうちにいない——熱と、血の血清質・異常な運動の重大さのために。フレニティス患者に似るのは、その譫妄(παράνοια)に関するかぎり、メランコリー患者たちである——血が胆汁と粘液によって汚された点で。しかしメランコリー患者は血がより悪しき仕方で汚された場合に発病して落ち込み、フレニティス患者は胆汁が優勢な場合に発病して興奮する;マニーと譫妄(アリエナシオン)は、胆汁がひどく衰弱するほど、それだけ重くなる。
続く一節(頁74後段の骨子):死はこのようにして訪れる——患者は病の経過のなかで絶えず錯乱する(παραφρονέουσιν);病のせいで血が汚れ、常ならぬ動きに揺すられているのだから;すると患者はもはや何一つ語れなくなるが、しかし病は続く;消耗と衰弱は熱と栄養不足の結果として来る;血が血管内で冷えると、あるところに集まりあるところで震え(τρέμει)、ついに冷えきって患者は死ぬ。
ピジョーの指摘:ここに、われわれの関心を惹く一つの問題——譫妄・思考・行動と生理学的症状との関係——の興味深い解が見える。媒体は血であり、それが知性を生む;フレニティスの譫妄の原因は、あらゆる譫妄性疾患におけると同様、胆汁の過剰または変質である。しかもフレニティスとメランコリーは、この点では、それぞれ自律的な独立の概念(フレニティスは無熱を欠く点でメランコリーと区別される)であることを、あらためて確認しておかねばならない——両者はその譫妄の形において似ているにすぎない。血がフロネーシスの全体または一部をもたらすかぎりで、精神病と身体病の区別は正当化されにくくなる。この点、テクストはフレネス(横隔膜)について一言も語らず、フレニティスを身体全体の病とする。もし定義を一つ引き出さねばならぬなら——フレニティスとは、まず亜急性、のち急性の発熱をともなう、持続的な譫妄(δια παντός)である。この譫妄の持続性は、フレニティスを他の急性病の譫妄から区別するきわめて重要な要素である。
ガレノスの一節(骨子):ヒポクラテスはどうやら「フレニティス」を、急性熱のさなかの持続的譫妄と呼ぶらしい。普通の譫妄は激しい熱の病態期にときおり起こり、消退期には消える。人は発熱なしに乱心すれば「マニーに憑かれた」と言われ、発熱をともなえば「フレニティスをもつ」と言われる;譫妄が病態期に来ないときは παράκρουσαι・παραχθῆναι・παραδρησᾶσαι・παραφρονῆσαι という語が使われるが、φρενῖτις の語を用いるには〈発熱〉と〈譫妄の持続〉という二条件が要る。——ここに、フレニティス概念の輪郭が事実上確定する。この定義は『病Ⅰ』への註釈(プロレーティコン第1巻注釈)中のもので、ピジョーはのちにマニー概念を論じる際に再訪すると予告する(=マニーとの相対的定義という第二部冒頭の予告の履行)。
五、『病Ⅱ・Ⅲ』——病因論なき、しかし正確な臨床記述(頁76)
『病Ⅲ』の一節(骨子):フレニティスは他の病に続発することもある。徴候はこうである——患者はフレネスの部位に痛みがあり手を触れさせない;発熱、譫妄、目つきが固定して見開かれ、肺周囲炎に似た他の徴候をともなう;肺周囲炎の合併があれば〔病者は〕死ぬ。この一節はフレネスの痛みを明示しながら、それを病の座としては指し示さず、フレネスと譫妄のあいだに因果関係を示唆もしない。すべては、フレニティスに関して『病Ⅲ』で起きているのと同様に、『病Ⅱ』のあるメランコリー症例(「精神の緊張、つらい病……」)でも起きる——医師はここでも純粋な生理学的徴候(脇腹または心窩部の痛み)と思考・振舞いの徴候を並列的に記す。ここでもリトレはこれをある種の心気症(hypocondrie)と診断する。医師は病因論には触れず、診断とその素材の提示に専念する——『病Ⅱ』『病Ⅲ』は病因論を語る『病Ⅰ』より手際がよいとピジョーは評する。
フレニティスの譫妄はつねに興奮型とは限らない点も指摘される:『流行病Ⅲ』の一句(骨子)——患者の誰も、フレニティスに一般に見られる激越を呈さず、むしろ一種の物憂い無気力に囚われて死んでいった。
六、座の問題——『倫敦匿名者』とアリストテレス的心臓中枢説(頁76–78)
座の問題はヒポクラテス医学に本質的な問いではないが、フレニティスという名それ自体がフレネスの病変を示唆する。『倫敦匿名者(Anonyme de Londres)』の一句(骨子):病は「その病に必然的に随伴する症状」からか、あるいは「座」から名を得る——たとえば麻痺は付随症状から名を得るが、フレニティスは座から名を得る、と。ここで匿名者は本来の意味を離れ換喩(メタレプシス)を犯しているのではないか、とピジョーは疑う。カエリウス・アウレリアヌスの一節(骨子)が興味深い形でこの多義性を要約する:ある者は座を脳と言い、ある者はその下部・基底=セッシオと呼び、ある者は大動脈(ギリシア語でアオルテー)、ある者は「太い静脈」=プレボパケイオン、ある者は横隔膜と言う。だが各人は、魂の統治の座と考えるところにフレニティスの座を置いたにすぎない——結局、座の決定はそれぞれの学派の魂論に従属することを、この一節は図らずも証している。
フレネスと横隔膜(ディアフラグマ)の同一視自体が古い問題である。ディアフラグマ=「隔壁」はプラトンの隠喩である(『ティマイオス』70a, 84d)。ガレノスの証言(骨子):胸郭下端はすべての古人によってフレネスと呼ばれた——理由なくそう名づけたのか、あるいはある人々の考えるように、この部位の炎症が病人の知性(フロネーシス)を乱すからか。プラトン以後、人はこれをディアフラグマとも呼び始めた——プラトンも他の古い著者と同じくこれをフレネスと呼びながら、動物においてこの部位が隔壁の役を果たすと考えたからである。プラトン以後の医師たちは古い呼称を顧みず、これをディアフラグマと呼ぶ習わしとなった。すなわちフレネスと横隔膜の同一視は、心臓の領域を経由した「近接性(voisinage)」による転用であり、思考がここに影響されるのは隣接性によるにすぎない、という理路をピジョーは跡づける。
七、アリストテレス的心臓中枢説とストア派——エピゲネシスの系譜(頁78–80)
フレネス=横隔膜説の背後にはより深い対立がある:思考の座を脳に置くか、心臓に置くか。『神聖病論』は既に脳に置く用法を確立していたが、それは語の慣用(クレーシス)によるもので自然本性(フュシス)によるものではない、という論争含みの立場だった(「その一」既出)。プラトンの三部分説(『国家』・『ティマイオス』)—のちにガレノスが解剖学で基礎づけようとするもの(「その三」既出)—に続いて、アリストテレス『デ・アニマ』の一元論、そしてゼノン、とりわけクリュシッポスの心臓中心説が来る。クリュシッポスは思考と情動性の起源をともに心臓に置き、情念を魂の病と定義する彼のテーゼ、魂の病と身体の病の類比を還元しようとする試み、さらにポセイドニオスによる二元論への回帰、キケロー『トゥスクルム』第3・4巻における心身二元論とクリュシッポス情念論の同時採用の試み——これらはすべて第Ⅲ章で扱う問題群だが、ここでは病の定義そのものが、思考にかかわる病の場合には、医師たちに定義(あるいは再定義)を要求するという一点に絞って予告される。
これが、いま残る検討対象——『倫敦匿名者』の冒頭部——への導入となる。匿名者は魂の病と身体の病をきちんと区別しようとする試みを、アリストテレス的でもありストア的でもある用語で行う(問題設定と定義そのものがストア的にならざるをえない点で「近代(モデルニ)の学説」と匿名者が呼ぶもの)。同時に匿名者はアリストテレス学派の教理(テオリア)を採用する点でペリパトス派に属する。匿名者の一節(骨子):心得ておくべきは、病のあるものは魂的(プシュキケー)、あるものは身体的(ソーマティケー)と言われるということ。身体的病のうちには〈生の能力にかかわる〉ものが含まれ、これを他の力から区別する——とりわけ〈生気的(ゾーイケー)〉能力を。〈魂〉という語は三つの意味で用いられる——①全身に行き渡る魂、②理性的部分、③エンテレケイア(現実態)そのもの。第三は今問わない。第一と第二にのみ関心を向ける。魂〈が〉病むのはこの二つの意味においてであり、そこに原発性の病(マラディ・プリメール)も続発性の病も生じる。原発性で動的な病(マラディ・キネティーク)とは、迷信・悲嘆・恐怖・貪欲のようなものである。状態の病とはカロス〔昏迷〕や嗜眠のようなものである。身体的病については——熱がそうである。熱は身体の原発性の病で魂の続発性の病である……
匿名者はさらに続ける(骨子):「魂的な病」とは、運動または状態に関する魂のディアテーゼ(体勢)と定義される。魂は一つの力(デュナミス)である。魂は三つの意味で語られる——全身にわたる魂、理性的部分、エンテレケイアそのもの。だが今関心を向けるのは最初の二つだけである。魂の病を語るとき、われわれは魂の全体と魂の理性的部分を意味する。魂の病のあるものは自然に適い、あるものは自然に反する。自然に反する病とは、動的または状態的なディアテーゼを産み出す病である。この用語法は古人のそれであり、われわれもその弟子である——というのも、メトリオパテイア〔情念の中庸〕は、賢者にも認められる事柄の一部をなすから……そして彼らは、中庸の情態(アフェクシオン)が行為の神経(力)だと言う。近代の学説(モデルニ)——ここではストア派——は、自然に適う情態を何も認めない……
八、匿名者の用語法へのフレニティスの位置づけ、そしてガレノスへの橋渡し(頁81)
匿名者の用語法に従うなら、フレニティス(マニーと同じく)は身体の原発性の病であり、魂を続発的にのみ冒すということになるはずである。匿名者自身、続く一節でこれを明言する(骨子):人間は魂と身体からなる……われわれは魂についての議論を他者に委ね、もっぱら身体を扱う——医術がまさに関わるのはそこ、すなわち医学の主題そのものだからである。——ここに、匿名者もまたガレノスのエフェドリー論(「その四」既出)と同型の領分の自己限定の身振りを示していることが分かる。座の問題を締めくくるにあたり、アレタイオス(神経をフレニティスに関与させる)、そして何よりガレノス『患部について(Lieux affectés)』の解決——フレニティスに脳を冒すものと横隔膜を冒すものの二種を立てる案——が予告される。
九、次の単位
頁82から新節「不変の徴候——クロキュディスモスとカルフォロギー」。手の仕草(羊毛くずを摘む/壁や寝具の藁くずを探る動作)というフレニティスの臨床像の恒常項を、偽ガレノス『定義集』・アレタイオス・アレクサンドロス・トラレス・カステリの辞書・そして『予後』のヒポクラテス本文に遡って跡づける節である。ガレノスの座二分説(脳性/横隔膜性フレニティス)の詳細もここで扱われる見込み。読解ノート「四・その二」で扱う。
第Ⅰ章・第二部 フレニティス概念(クロキュディスモス・脈・アスクレピアデス)
一、クロキュディスモス/カルフォロギーの射程——フレニティスに限らない徴候(頁82–83)
クロキュディスモスとカルフォロギーは、フレニティスにのみ現れる徴候ではなく、他の急性病にも現れる。この仕草はのちにフレニティスに特権的に結びつけられることになるが、それはおそらく『プロレーティコン第Ⅰ巻』34の影響による。同書の一句(骨子):震える譫妄、不明瞭な譫妄、そして摘み取る仕草をともなう譫妄は、コスのディデュマルコスの症例のように、著しくフレニティス的である。ピジョーは既に指摘した点を繰り返す——偽ガレノス『定義集』はカルフォロギーについて『予後』の用語法と『プロレーティコン』の用語法の両方を伝えている。クロキュディスモス、カルフォロギー、プセラフィー(手探りの仕草)はいずれもヒポクラテス的隠喩であり、そのうち定着したのは最初の二語だけである。
この仕草がガレノスによる考察の対象とならなければ、それはそれだけのものにとどまったろう——ガレノスはこの仕草を知覚の問題、知覚の座の問題、さらには魂の病の座の問題にまで結びつける。これは『予後』の当該箇所へのガレノスの注釈に依拠する。ガレノスにとって、患者の手の仕草は想像(ファンタシアー)に由来する(骨子):患者が見ているもの、その眼のうちにあるものはすべて、外部にあると彼らは思う。なぜなら健康なときには、それを眼の外に見る習慣があったから。ヒポクラテスが語るこの種の患者について(骨子):彼らには、自分の眼のうちにある内的なものが、外部に存在するもののように見える。
ガレノスは『プロレーティコン第Ⅰ巻』5への註釈で、自らの体験を語る(骨子):夏のあいだ、激しい熱の発作の際、自分の寝台の上と、身につけていた衣服の上に、暗い色の羽毛が舞っていると信じた。それを捕まえようとしたが、指では何も捉えられなかった。より熱心に何度も試みるうち、傍らにいた二人の友人が互いにこう言い合うのを聞いた——「ああ! もうクロキュディスモスとカルフォロギーに罹っている」。私は彼らの言葉の意味を完全に理解したし、自分の知性には何の障碍もないと感じていたので、「その通りだ」と答えた——「だがもう手遅れだ、私を助けるものは何もない」。——この一人称の証言は、クロキュディスモス/カルフォロギーが単なる医学的隠喩や慣用句ではなく、実際に生きられた知覚体験であることの何よりの証拠として、ピジョーの議論の要石をなす。ガレノス自身の症例が、次段の「判断と知覚の分離」というガレノスの理論的介入を準備している。
二、判断と知覚の分離——ガレノスの理論的介入(頁85)
ガレノスはここで重要な区別を導入する。ある患者たちでは病んでいるのは感受する能力(知覚)だが判断(ジュジュマン)は完全に健全である。別の患者たちでは判断そのものが冒される。回復期の患者の証言による記述(骨子):ある者たちは思考能力の混乱ゆえに錯乱するが、一瞬だけ批判的能力を取り戻すことがあり、それは戦い、事の推移を理解するのに十分なほどである。そして彼らは、自分の手を動かさせていたものが何のイメージだったかを、〔回復後に〕はっきりと指し示す。かくして——ピジョーの結論——もしガレノスに従うなら、われわれが考えていたのとは逆に、クロキュディスモスとカルフォロギーは医師の側の隠喩や類比ではなく、真理そのものの表現である。物理的原因によって、患者たちは本当に藁くずや羊毛の房や糸くずを見ていると信じ、その仕草はそれを取り除くという目的をもった行為を表している。これこそ、『プロレーティコン第Ⅰ巻』5のきわめて難解な一句——「フレニティス患者における夢(エニュプニア)は現実性(エナルケア)をもつ」——をガレノスに従って理解する唯一の仕方だ、とピジョーは言う。
三、脈——フレニティスの随伴徴候(頁86–87)
カエリウス・アウレリアヌスの定義(既出「四・その一」)に含まれていたフレニティス患者の脈の記述——小さく密(パルウォ・プルスー・アク・デンソー)——が再訪される。この脈は、発熱・アリエナシオン・クロキュディスモス/カルフォロギーと並んで必須の徴候の一つを構成する。カエリウスによる詳しい脈の記述(骨子):きわめて頻脈で沈み込み、震えて力なく、時に途切れがちで、油の切れかけたランプの灯火に似て弱まっていく。ガレノスの脈の記述(骨子):フレニティス患者の脈は小さく、大きく感じられることは稀で、力は中程度;硬く、密で速すぎる;海の波のような動揺も帯び、時に震えるようでもあり、時に痙攣的に折れることもある。ルフスの記述(骨子):小さく強い——不眠が気息(プネウマ)に絶えず刻む運動のために;指を弾くと張った弓弦のような感触を与え、指はごく小さな面にしか触れない。隠喩や類比は書き手ごとに変わるが、これらの記述には大きな類似性がある、とピジョーは総括する。
四、主要徴候と付随徴候——カエリウスの体系(頁87–88)
これらの徴候(脈を含む)は主要徴候から区別される——その重要性のいかんにかかわらず、フレニティス成立に必須ではないから。フレニティスを定義するのは、次の徴候群の同時的な集合である(骨子):急性熱、アリエナシオン、カルフォロギーとクロキュディスモス、そして一定の性質をもつ脈——小さく密であるのが一般的。このうちの一つが欠ければフレニティスではない。たとえば熱とカルフォロギーが欠ければそれは確実にマニーである;アリエナシオンが熱とともに減退すれば胸膜炎か肺周囲炎である。一徴候の不在が、カエリウス・アウレリアヌスに類似した症例を鑑別することを許す。
他方カエリウスが症状(シンプトーム)と呼ぶものがある——程度と性格の差異を示す徴候である。カエリウスにこの徴候の豊かな記述が見出される。この徴候群の解明にとって、カエリウスがまさにティザーヌ論(Traité de la tisane)すなわち『急性病の養生法』——ヒポクラテスのフレニティス論として——と並んで引く『プロレーティコン第Ⅰ巻』の重要性が浮かび上がる。以下、フレニティスが名指される『プロレーティコン第Ⅰ巻』の諸箇所を列挙する(S=節番号、骨子):
- S1:病初期の昏睡、頭・腰・脇腹・頸の痛み、不眠をともなう者はフレニティス的か。この場合、鼻からの多量の出血は、とりわけ第4日に始まれば致命的である。
- S3:舌の粗さと極度の乾燥はフレニティスの徴候。
- S4:不眠に混濁をともなう場合、脱色した尿と黒い浮遊物(頭部への発汗とともに)はフレニティスを告げる。
- S5:フレニティス患者における夢は明白である〔既出「二」参照〕。
- S6:頻繁だが無駄な喀出の努力は、他の徴候をともなえばフレニティスを告げる。
- S9:激しいフレニティスは震顫に至る。
- S11:急性病において、咽頭が腫脹なく痛み、患者が口を容易に開閉できないのは譫妄の徴候であり、この譫妄の後にフレニティス患者となり重篤な状態に陥る。
- S12:フレニティス患者にとって、初めは静穏で後に頻繁に動揺することは悪徴。喀痰過多(プティアリスム)も同断。
- S13:フレニティス患者の白色便は悪徴——アルケクラテスに起きたように。この場合、〔症状の〕鎮静が起きるか? この状況での悪寒はきわめて悪い徴候。
- S15:激しい発作(後に寛解)の後、発汗をともなう熱性発作に襲われる者はフレニティスになる。
- S16:フレニティス患者はあまり飲まず、物音に動揺し、震顫がある。
- S27:無熱の者で上半身に発汗する者に、悪寒をともなう動揺があればフレニティスの徴候——アリスタゴラスの例のように、時に致命的。
- S28:フレニティス患者において症状の頻繁な変化は痙攣を予告する。
- S31:フレニティス患者において、強い悪寒をともなう喀痰過多は黒色物質の嘔吐を告げる。
- S34:手の暗い譫妄と震顫とカルフォロギーは、コスのディデュマルコスの症例のように、まったくフレニティス的である。
これらが『プロレーティコン第Ⅰ巻』のうちフレニティスを構成する諸節であるが、『集成』にはこの他にも急性病の徴候や、フレニティス症候学に利用されたと思われる譫妄的活動の記述が多く見出される。
五、通時的考察への転回——「プロレーティコンⅠからピネルへ」(頁88–89)
ここまでは共時的観点を用いて、フレニティス概念の定義とその奇妙な精確さと恒常性——それはプロレーティコンⅠからピネルへと、いわば及ぶと言えるほどの恒常性——を示してきた。だが共時性の内部にも既にいくつかの通時的要素を見た(病因論・座の議論)。ここに、フレニティスの一つの歴史——病因論と座の議論における歴史——が浮かび上がりつつある。
ピジョーの原文(骨子):「われわれは共時性を強調するために、まずフレニティスという概念の定義とその奇妙な精確さと恒常性——プロレーティコンⅠからピネルへと、いわば及ぶと言えるほどの——を示すために、共時的観点を用いてきた」。定義は変わらない;そして——これはのちに繰り返す機会があろうが——諸学派は定義そのものを争わない。争われるのはアスクレピアデスの定義のみであり、それは修辞学に由来する一つの理由による——病因論を定義のうちに含めてしまい、それゆえ定義を議論の余地あるものにしてしまうから(後段〔頁192〕で扱うと予告)。——「その一」冒頭で確認したフレニティスの sui generis 性、「その四」で確認した pinel-virgile 系譜論と並んで、この一句はピジョーが古代医学とピネルを直接に結ぶ意図をもっとも簡潔に表明した箇所の一つである。フレニティス概念の「奇妙な精確さと恒常性」というこの評言は、pinel-virgile が論じるピネル『疾病分類学』におけるフレグマジー(肺の炎症群)の一つとしてのフレニティスの残存(読解ノート三・その一、頁72既出)を、二千年の射程で裏づけている。
これから予告される考察の順序(骨子):アスクレピアデスの古代精神病理学における重要性;魂と身体の問題から精神と身体の問題への還元;精神病理学の知覚の病への還元;そして、フレニティスをめぐる議論の内部で出会う、魂の病と身体の病の分離、および医師と哲学者のあいだの、人間全体の配分の問題。
六、『流行病Ⅰ・Ⅲ』——通時的分析の起点(頁89–90)
フレニティスは『流行病Ⅰ・Ⅲ』に現れるが、病名として本文中に現れる場合と、性格描写(カラクテール)による暗黙の診断の場合とを区別せねばならない——後者は『流行病Ⅲ』のものだが、これもきわめて古い。『流行病Ⅰ』からいくつかの点を確認する:フレニティスは年の時期に結びつく;痛みをともなうこともともなわないこともある。この点は、アスクレピアデスの定義とカエリウスの批判——痛みが頻繁な症状か恒常的な症状かという論点——との比較において重要になる(後述)。
『流行病Ⅲ』では、性格(カラクテール)によるフレニティスの解釈がしばしば行われる。とりわけⅢ.17の第4患者の例が重要——診断がまさに記述そのもののうちに見出されるから(骨子):フレニティスに冒された患者は初日に病臥、多量の稀薄な緑黄色の嘔吐、震える発熱、非常に強く継続的な発汗、頭部と頸部の重さと痛み、稀薄な尿、小さく散らばった沈殿物、多くの排泄、多くの幻覚、不眠。第2日、朝に言語を失う;熱発作は鋭いが発汗;胸部全体に痙攣;夜、間歇。第3日、すべてが悪化して死亡。(性格の解釈:発汗と痙攣が死因となった)。
——かくして最古のヒポクラテス的テクストの段階から、フレニティスは診断に資する概念であったことがはっきり分かる;診断が医学の本質的部分でないとしても、〔特定の徴候の集合を一つの〕概念のもとに包摂する従属(サブサンプション)としての診断は存在する。フレニティス概念こそ、もっとも明確に定義された概念であることは確かである。
七、アスクレピアデス登場——痛み・薬物・情念による鑑別(頁90–91)
フレニティスの歴史のうちに、ビテュニアのアスクレピアデスという大いなる名が現れる(ピジョーは本書中で彼に一つの章を割く予定と予告、頁171以下)。フレニティスにことのほか重要性を与え、この概念に最も精確な理論を与えた最初の人物がアスクレピアデスである。カエリウス『急性病』第1巻に伝わるその定義(骨子):
アスクレピアデスがこの一節で行っている区分は、pinel-virgile の主題にとってきわめて示唆的である。彼は発熱なきアリエナシオンの原因として、薬物(阿片・マンドラゴラ・ヒヨス)と並んで怒り(immensa ira)・恐怖(nimio timore)・悲嘆(maestitia)という情念そのものを挙げ、これをフレニティス(発熱をともなうアリエナシオン)から明確に区別している。すなわち古代医学は、遅くともアスクレピアデスの段階で、情念が単独で——身体的病巣を経由してではなく——アリエナシオンを引き起こしうるという認識を、フレニティス概念の定義そのものの内部に、否定的な限定句(「発熱をともなう、と精確化した」)として組み込んでいる。ピネルがTraitéで「激しい情念の歴史」を精神疎外の頻繁な原因として掲げ(pinel-virgile 1-3・2-2既出)、その情念論の系譜を遡るとき、この一節はガレノス『魂の習わし』(読解ノート三・その四)よりもさらに具体的な——臨床的鑑別診断の水準における——古代的先蹤として銘記されるべきである。読解ノート四・その一で見た『倫敦匿名者』の「動的な魂の病」の例(迷信・悲嘆・恐怖・貪欲)とも呼応する。
八、フレニティスとマニー——アスクレピアデスによる急性/慢性の区分(頁91–92)
アスクレピアデスの別の著作から、もう一つの重要な区分が引かれる(骨子、偽ガレノス『定義集』経由):アリエナシオンを定義するにあたり、それは思考が感覚の許容量より大きなものを生み出す病であり、逆に、感覚が思考より広いものを生み出す場合もある病だ、と説明した。アリエナシオンが緩慢で発熱をともなわずに進行するとき、これをマニー(フロール)と呼び、その通称はデメンティア(インサニア)である。ピジョーの評言:フレニティス(急性)とマニー(慢性)を区別するこの発想がアスクレピアデスに由来する可能性は十分あるが、この分類を体系化したのが彼だとは言い切れない。
急性病と慢性病の区別自体は、カエリウス・アウレリアヌスが『慢性病』の序文で見事に展開する(骨子):慢性病のほうがはるかに医師の関心を惹く——急性病あるいは進行の速い病は、幸運または自然の助けを借りて治ることが多く、誰にでも・何にでも帰しうるからである。他方、定義からして長く続く慢性病は、医師と患者の結びつきを要求する;病人を助けうるのは医師の技倆のみであり、幸運でも自然でもない。
カエリウスによれば、この二種の病の最初の区別を行ったのはテミソンである(アスクレピアデス以前、エラシストラトスとアスクレピアデスは慢性病に関する所見を——出血・水腫症・脱毛・麻痺・浮腫・発熱の文脈で——散発的に述べたにすぎない)。ピジョーはむしろセリュンブリアのヘロディコス——『集成』のある著者に「運動による患者虐待」の廉で非難され、プラトンにも批判された医師(『国家』第3巻、骨子:体育教師でありながら病弱だったヘロディコスは、体育と医学を混淆し、まず自分自身を、次いで多くの他者たちを苦しめた——ゆっくりとした死を工夫することによって、いわば病でありながら老年に達したのだ、彼の技術の力によって)——に、慢性病概念の尊厳の父としての位置を与えるべきではないか、と示唆する。アリストテレスも同じ趣旨を語る(頁92注291)。
九、慢性/急性の区分をめぐる学説史——ヒポクラテス集成は知らない(頁93–94)
『ヒポクラテス集成』自体は、急性病とそれ以外という二分法を知らないようである。『急性病の養生法』の一句(骨子、既出「その一」参照):古人が胸膜炎・肺周囲炎・フレニティス・カウソスと呼びこれに付随する病はすべて急性であり熱は概して持続的である——これは急性病と非急性病というカテゴリーを立てているわけではない。他方、偽ガレノス『医学定義集』は連続性/間欠性/急性/過急性/長期持続性という区分を採る:連続性は例えばヘミトリタイオス熱とカウソス;間欠性は日毎熱・三日熱・四日熱等;急性はフレニティス・レタルギー・胸膜炎・肺周囲炎・カウソス、そして持続性の三日熱と四日熱;長期持続性はタベス・エピレプシー・アルトリティス・ネフリティス・ヒュドロピシー等。さらに——同著者曰く——ある種の病は急性かつ持続的である(カウソス・フレニティス・胸膜炎のように)。急性でも持続的でもない病もある(タベス等の長期持続性の病のように)。
この迂回によって、カエリウスをよりよく理解し、彼に正当な評価を与えることができる、とピジョーは言う。テミソンは慢性病という語の父ではないが、慢性病群をアスクレピアデス学派(メトディスト派)の枠内で急性病に対置して体系化した最初の人物である可能性は高い——それはメトディスム——そしてカエリウス『慢性病』第1巻に例証される周期的治療サイクル(メタシュンクリティコン)理論という慢性病治療の異例なまでの体系化——の精神に合致する。他の著者たちは、カエリウスが『序文』で言うように、慢性病について何も語らない——それを不治と見なすか、あるいは単なる按摩師(アリプタルム・オフィキオー)に委ねてしまうかであった。
一〇、次の単位
頁95から新節「アスクレピアデスの知覚理論」。フレニティスの研究におけるアスクレピアデスの重要性は、その思想の一貫性にも由来する——問題は魂(アニマ)を知性(インテレクトゥス)に、知性を感覚(センスス)に還元することにあり、フレニティスの病は知覚の病、さらには感覚の病そのものとなる。アスクレピアデスは魂の指導的要素が身体のいかなる特定部位にも局在しないと主張し(「すべての感覚の集合以外の何ものでもない」)、隠された事物の知性は感覚の運動——偶発的な感覚とアンテケデンス・ペルケプティオー(先行知覚=エピクロス的プロレプシスに対応するとピジョーは見る)とに基づく——によって成立するという、エピクロス的アイステーシスとプロレープシスの結合説が展開される。読解ノート「四・その三」で扱う。
第Ⅰ章・第二部 アスクレピアデスの知覚理論(幻覚と錯覚)
一、アスクレピアデスの知覚理論——魂から知性へ、知性から感覚へ(頁95)
アスクレピアデスがフレニティス研究にもたらす重要性は、その思想の一貫性に由来する。彼は一連の還元を行う:アニマ(魂)の問題をインテレクトゥス(知性)の問題に、インテレクトゥスの問題をセンスス(感覚)の問題に還元する。言い換えれば、フレニティスの病は知覚の病、さらには感覚そのものの病である。アスクレピアデスは、魂の指導的要素(エレメントゥム・ディレクトル)が身体のいかなる特定部位にも局在しないと主張する(骨子):魂は、彼によれば、〔身体の〕どこにも位置しない。なぜなら魂とは、あらゆる感覚の集合以外の何ものでもないからである。この主張は難解だが不可解ではない、とピジョーは言う——テクストはまだそこまで理解されていないだけだ、と。
隠された事物の知性(インテレクトゥム・オックルタルム)は、感覚の容易な運動によって成立する——それは偶発的な感覚と先行知覚(アンテケデンス・ペルケプティオー)とに基づく(骨子):本質的に隠されている事物、あるいは偶発的に隠されている事物についての知性は、偶発的な感覚と先行知覚とに基づく、感覚の容易な運動によって成立する。ピジョーはこのオックルタルム/ラテンティウムの区別を、本性上隠されている事物と偶発的に隠されている事物の区別に対応させる。そしてアンテケデンス・ペルケプティオーを、明らかにエピクロスのプロレープシス(先取観念)を指すものと解する——アイステーシス(感覚)とプロレープシス(先取観念)というエピクロス的組み合わせをここに見出せる、と。
二、光による治療——フレニティスの物理的病因論から治療理論へ(頁96)
アスクレピアデスの理論はエピクロスの理論と完全に一致する。これを光によるフレニティス治療と関係づけねばならない。カエリウスの証言(骨子):〔アスクレピアデスは〕また別の点でも意見が一致しない——患者を暗闇に置くことについてである。彼が言うには、光のもとでは、精神あるいは知性のイメージ(メンティス・シウェ・インテレクティアエ)は、感覚がもたらすイメージによって誤りだと確信させられ、弱く小さくなる——ちょうど、夜の松明や蝋燭の炎が、昼の光のもとではより強力なイメージに圧倒されて弱く見えるように。ところが暗闇では逆に、精神と知性から生まれるイメージは、いかなる感覚的イメージによっても誤りだと確信させられることがないので、より強く重要なものとなる——感覚が休止しているからである。それらはついに、夢の場合のようにあたかも現前し実在するかのようになる:事実、この場合にも、精神のみから生まれたイメージは効力をもち、そして次に、いかなる感覚的イメージによっても逸らされることがないので、不在の事物のイメージが、夢見る者を、あたかも現前する事物のイメージであるかのように追い続けるのである。
この理論に従えば、アスクレピアデスにおいて患者を光のもとに置くべき理由が分かる——彼の誤った表象が、光の与える真の表象によって打ち負かされるようにするためである。ピジョーが引くケルススの証言(骨子):ある医師〔アスクレピアデス〕は、フレニティス患者にとって暗闇ほど恐ろしいものはないと主張し、それゆえ常に光にさらしておくべきだと言う——この主張はその思想をかなり貧しくするものだ、とピジョーは評する。
三、カエリウス(ソラノス)の反論——幻覚と錯覚の区別(頁96–97)
常に哲学的問題に敏感なカエリウス(あるいはソラノス)は、アスクレピアデスに次の異論を唱える(骨子):患者にとって物事が見えている通りとは異なる、と言っても無駄である。なぜなら、ある者たちにあっては、イメージは実際に現実的(レアル)であり、そこからこそ彼らの精神の誤り(ファルシタス)が生まれるのだから。ファルシタスという語はカエリウスにおいてしばしばある感覚の障碍(デランジュマン)を指す。カエリウスの一節(骨子):ヘラクレスは、〔幻視のうちに〕自分の息子たちと妻の顔を見ながら、それを敵たちの顔だと思った。オレステスもまた、妹エレクトラの顔を復讐の女神(フリア)の顔だと思い違えたことがあった。
セムレーニュはこの二つのテクスト(アスクレピアデスの光治療論とカエリウス/ソラノスの反論)をともにアスクレピアデスに帰し、そこに幻覚(アリュシナシオン)と錯覚(イリュジオン)の区別を見出す。第二の部分は疑いなくカエリウスの異論であり、実在する対象の悪しき知覚(錯覚)と、対象がいかなる現実性ももたない知覚(幻覚)とを区別するのは、彼——あるいはソラノス——である。ピジョーはセムレーニュを引いてこう記す(骨子):「時代を超えて、この区分をエスキロールの区分に近づけることができただろう——類似性は驚くべきものである。幻覚においては、この博学な精神医(サヴァン・アリエニスト)が言うように、すべては脳内で起こる;幻覚は、感覚の介入なしに記憶が再生するイメージや観念に、身体と現勢性とを与える。これに対し錯覚においては、患者たちは現在の感覚の性質と原因について思い違えるのである」。——この一句は、pinel-virgile が論じるエスキロール1805年学位論文の系譜を、さらに幻覚論の水準で二千年遡らせる。エスキロールが幻覚(アリュシナシオン)概念を近代精神医学の基本術語として確立したことはよく知られるが、ピジョーはここで、その区分の実質——実在する対象の錯覚と、対象なき知覚としての幻覚——が、既にアスクレピアデス=カエリウスの論争のうちに存在したことを示している。魂の病を「知覚の病」に還元するアスクレピアデスの企図(本ノート第一節)は、エスキロールに至るまで生き延びる問題系列の始点に位置する。
この幻覚と錯覚の分離は、精神病理学にとって本質的なものとなり、アレタイオスにおいて明瞭になる——彼はこれをフレニティスとマニーを区別する基準とする:幻覚はフレニティスの徴候であり、錯覚はマニーの徴候である。アレタイオスの一句(骨子):フレニティス患者においては、感受性が倒錯している——実在しない事物を現前するものとして見、他人には見えないものが彼らには現れる。逆にマニー患者は、見えるべきものを見ないのではなく、ただそれをふさわしい仕方で見ないのである。
四、二つの源泉——哲学的反省と医学的伝統(頁98)
この一節をカエリウスに近づけるとき、古代精神病理学がこの区別を知っていたことの明白な証拠がここにある。この区別が用いられる仕方はきわめて特殊——アレタイオスにおいてのように——だが、そこには確かに二つの源泉がある:一つは哲学的源泉、すなわち知覚をめぐる哲学者たちの反省;もう一つは医学的伝統に属する源泉である。前者について、アスクレピアデスとエピクロスの結びつき、感覚と先取観念(プロレープシス)の結びつきは既に見た。他の関連テクストとして、セムレーニュが引くキケロー『アカデミカ』の一節(ルクルスへの反論、骨子):眠っている者・酔っている者・狂気の者(マニアクス)が見るイメージ(ウィサ)は、目覚めて醒めた正気の者が見るイメージより弱い(インベキリオラ)……ある人が、目覚めたのちに、夢のなかで見たことは真実ではなかったと知ると想定してみよ。あるいは狂気の発作が鎮まったとき、狂乱の最中に見ていたイメージは真ではなかったと患者が気づく、と。だが問題はそこにはない——問題は、彼らがそのイメージを見ていたまさにその瞬間に、どのようにそれを見ていたかである……あの偉大なヘラクレスは、エウリュステウスだと信じてわが子らを矢で射殺し、妻を殺そうとさえした——真のイメージによって動かされたのと同じように、偽りのイメージによって動かされたのではなかったか?……私がこれらすべての例を挙げるのは、次の結論に至るためである——魂の同意(アッセンスス)は、真のイメージに対してと同じだけ、偽りのイメージに対しても働く……問題は、目覚めた者や狂気を脱した者がどのような記憶をふつう持つかではなく、狂人や眠る者が、まさにそれを知覚していたその瞬間、幻視の本性がどのようなものだったか、なのである。
アレタイオスのこの区別が用いる語彙上の特異性の由来は、少なくとも二つの源泉——アスクレピアデス〔とエピクロス〕、そして医学的伝統——のさらなる探求を要する、と保留しつつ、セムレーニュに帰されるべき功績として、この対比を明示した点が確認される。
ピジョーが引くアレタイオス第3巻6章の仏訳はM・ラエネクによる——「確かに、その伯父である偉大なラエネク〔レネ・ラエネク、聴診器の発明者〕の勧めによって着手されたもので、その一部をわれわれはナントのラエネク博物館に所蔵している」との一言が添えられる。医学史の小さな逸話として記憶に値する——聴診器を発明した内科医の縁者が、フレニティス/マニーの古代的区分を仏語に移した、という事実である。
五、『プロレーティコンⅠ』の難句への回帰——エナルケアの両義性(頁98–99)
先に(本読解ノート四・その二、第二節)保留していた『プロレーティコンⅠ』5の難句——エニュプニア・タ・エン・プレニティコイシン・エナルケア(フレニティス患者における夢は現実性をもつ)——に立ち返る。リトレとダランベールの訳(骨子):リトレ「フレニティス患者における夢は、現実性をもつ」;ダランベール「フレニティス患者における夢は、明白である」。実のところ両訳とも曖昧だが、その曖昧さはテクスト自体に内在する。リトレは錯覚(イリュジオン)を考えているようであり、ダランベールはむしろ幻覚(アリュシナシオン)を考えているようだ、とピジョーは分析する。ガレノスはこの箇所への注釈で、その師サテュロスの見解を伝える(骨子):フレニティス患者の夢を夢遊病者(ソムナンビュル)に比較した——彼らは眠ったまま眠りのさなかに起き上がる者たちであり、多くの著者に記述されているとおり、目を開けたまま、あたかも目覚めている人々のように見える。
六、メトディスト派への謝辞——診断の術としてのカエリウス/ソラノス(頁99)
フレニティスをめぐって、メトディスト派、とりわけカエリウス・アウレリアヌスとソラノスに敬意を払わないのは不当だろう、とピジョーは総括する。カエリウスの大きな功績は、フレニティスについてきわめて長大な考察を与えたことにある——『急性病』全4巻中の第1巻をこの病だけに割くほどに。フレニティスは急性病のうちもっとも重要で、もっとも複雑で、もっとも精緻な病だからである。他方、メトディスト派がもたらしたもう一つの貢献は鑑別診断(診断ディフェランシエル)への反省である。カエリウスは診断への要求のあかしを立てる:フレニティス・フロール(マニー)・メランコリー・胸膜炎・肺周囲炎のあいだには確かな類似性があり、鑑別徴候(シーニュ・ディアクリティーク)を確立せねばならない。要点(骨子):
- フロール(マニー)とメランコリーは、発熱・クロキュディスモス・カルフォロギーの不在によって区別される。
- 胸膜炎と肺周囲炎は、発作の頂点(パロクシスム)の瞬間にのみアリエナシオンを与える。
- メランコリーは、人類への憎悪と鉛色の顔色の同時的存在によって特徴づけられる。
- 熱をもつフレニティス患者とマニー患者を区別する必要がある:マニー患者ではアリエナシオンが発熱に先行するが、フレニティス患者ではその逆である。
そして——既に確認したとおり——一つの病が他の病へと容易に移行するという病の大きな不安定性(ラビリテ)を、カエリウスは重ねて指摘する。フレニティスをめぐるカエリウスの徴候論全体は、のちに『トゥスクルム荘対談集』で見るであろうストア的反省に近い一面をもつ——カエリウスのもう一つのストア的特徴であり、これにも立ち返る機会があろう、と予告される。
七、次の単位
頁100から新節「マニー」、その第一項「マニーの定義」。フレニティスを論じずしてその隣接病を論じることは不可能であり、この隣接病こそ——フレニティスとの相対において定義される——マニー(ラテン語では慣用的に furor と訳される)である。マニーがフレニティスとの対比において確定的な性格を得たのはアスクレピアデスの時代らしいこと、しかし『定義集』に見えるその定義(「思考のエクスタシスであり、健康時の習慣的・正常な振舞いからの逸脱、発熱なきもの」)がアスクレピアデス自身に遡るとは限らないこと、アレタイオスの言う「マニーの形態は数知れぬが、種としては一つ」という定式、ヒポクラテス起源の曖昧さ、『流行病Ⅰ・Ⅲ』における性格描写を通じた診断、『空気・水・場所』における季節との結びつき等が、この項の内容として予告される。読解ノート「四・その四」で扱う。
第Ⅰ章・第二部 マニーの定義と治療
〇、マニーの定義——フレニティスとの相対性(頁100–101)
フレニティスを論じずしてその隣接病を論じることは不可能である——それがマニー(ラテン語では慣用的にfurorと訳される)である。マニーがフレニティスとの対比において確定的な性格を得たのはアスクレピアデスの時代らしい——「両者はいずれも病であるが、一方が緩慢な進行で無熱ならば、それをマニーと呼ぶ」と彼は『定義集』で述べたとされる(ただしこの定義自体がアスクレピアデスに遡るとは限らない、と既に確認済み)。アレタイオスの言(頁100既出):マニーの形態は数知れぬが、種としては一つである。彼の定義(骨子):エクスタシス……総じて言えば、慢性で無熱の状態。カエリウスの定義:アリエナティオ・タルダンス・シネ・フェブリブス(骨子:無熱の緩慢なアリエナシオン、これによってフレニティス患者と区別される)。
マニーが病か症状かを言うのは難しい。『ヒポクラテス集成』においてマニーはむしろ暴力的な振舞い、粗暴さ、支離滅裂な仕草、目的のない叫び、無目的な激越を指す。これは老年の呆け(レーレーシス)——思考と精神の一種の麻痺(グノーメース・ナルコーシス)——とは対照的な、その効果において騒然たるもの(タラコーデス)である、とアレタイオスは言う。実のところマニーという語は本来医学専門語ではなく日常語であり、悲劇にも喜劇にも用いられる。病の概念化(コンセプチュアリザシオン)という問題自体、既に『集成』の冒頭に現れる——『急性病の養生法』の一句(既出):ある者たちは各病の多様な側面と細分を知らなかったわけではないが、それぞれの数を明確に区別しようとは望まなかった。
一、方法論的問題——クニドス派論争を離れて(頁102–103)
純粋に個体的な差異にもとづいて病を区別しようとすれば、同じ病について単なる呼称の違いしか扱っていないと信じてしまう危険がある。クニドス派への論争は措くとして、方法論的問題として理解すべきは:各症状・各個体ごとに名を発明してはならないが、症状の多様性のうちに同じ病を認識できるだけの、十分に広い包摂力と拡張力をもつ疾病分類学的概念を用いねばならないという点である。『急性病の養生法』の著者は古人の用いた名——胸膜炎・肺周囲炎・フレニティス・カウソス、およびそれに付随するすべて——を踏襲する。マニーがいつから固有の病となったかは判然としないが、確かにいくつかの条件が必要だった:定義の修辞学的要請、フレニティスの体系的研究、急性病と慢性病の区別——マニーとフレニティスは振舞いにおいて同一性をもちながら、発熱とカルフォロギーの不在によって対立する、という機能的対比が成り立つこと。これらすべてがわれわれをアスクレピアデスとテミソンの時代へ導く。
二、問題を逆から取る——カエリウス/ソラノスの共時的かつ通時的記述(頁103–104)
ここで問題を逆から——確定的に確立されたマニーの記述から出発して——扱う。それが、共時的かつ通時的な、きわめて聡明な視点をもつカエリウスあるいはソラノスの記述である。カエリウスはまずプラトン、ストア派、エンペドクレスを引き、マニーの二つの種を確認する。プラトン『パイドロス』(265b)はマニーは二重である(duplicem furorem dixit)と言う——一つは身体的原因・起源による精神の緊張、もう一つは神的・霊感的なものである。この第二の種はさらに四つの下位種に分かれる:アポロン由来のもの、リベル・パテル(バッコス)由来のもの、愛由来のもの(彼はこれをエロティコンと呼んだ)、そしてムーサたち由来のもの(彼はこれをプロトレプティコンと呼んだ)。
ストア派もまた狂気の二重の種を知っていた——一つは知恵の欠如に存する(彼らに言わせれば、賢者でない者はすべて狂人である);もう一つは身体の情態を随伴するアリエナシオンである。同様にエンペドクレスの弟子たちも二つの種のマニーがあると言う——一つは精神の浄化から来るもの、もう一つは身体的原因あるいは不均衡による精神のアリエナシオンから来るもの(ex animi purgamento fieri, alium alienatione mentis ex corporis causa siue iniquitate)。
三、良き狂気と悪しき狂気——「折半された言語」以前の二重性(頁104)
このマニーをめぐる章の冒頭は、狂気の両義性、あるいはむしろ二重性を露わにする点できわめて注目に値する。古代の狂気論は本質的に二重性という徴によって特徴づけられる——狂気は常に二重であり、あるいはむしろ、あたかも二つの狂気があるかのように、すべてが進行する。これは、われわれが言語の自動化と呼びうるものに至るまで、合理的・哲学的な説明の段階からずっとそうなのである。
したがってプラトンやエンペドクレスにとっては、良き狂気と悪しき狂気が存在する。ストア派においてはこの二重性は同じ仕方では表現されないことに注意すべきだ——彼らにとって対称性は誤りである、なぜなら彼らには良き狂気は存在しないから。彼らにあるのは、一般的な意味でのアンシピエンティア(無知・愚)——賢者でない者はすべて狂人であるという定式——と、魂と身体の病であり、誤りであり、不快である狂気の、二つである。
カエリウスは二重性の事実を受け入れる;いずれにせよそれを論じる労はとらない。De quo nunc scripturi sumus(「いまわれわれが語ろうとしているのはこの狂気についてである」)——すなわち誰もが病と認める第二の狂気について。ピジョーはここで、近代の疫学者たちが古代について語る際の不用意さ——それを書いたのがまさに医師であることを忘れがちであること——を指摘し、セムレーニュを引く:「アリエナシオン・マンタルの観点から見て、カエリウス・アウレリアヌスは疑いなく古代医学の最大の人物である」。研究が乏しいのは、その文体が混乱し野蛮だとする批評の偏見ゆえであり、確かにそのラテン語は難解だが、時に見事な文章を書くとピジョーは擁護する。この一句に付された注は次のように述べる:「ピネル、ラエネク、エスキロールもこれを実践する。それについてはこれから見るとおりである。その重要性はJ・ポステルが、E・ジョルジェ『狂気について』(トゥールーズ、プリヴァ、1972年)選集への序文において、なお強調している」。——ここでピジョーは、19世紀初頭のフランス精神医学の中核をなす三名——ピネル、ラエネク(聴診器の発明者!)、エスキロール——を、カエリウスの臨床的方法の継承者として一括りに名指している。「これを実践する」の指示対象(おそらく難解でも価値ある一次資料・症例記述を読み解く文献学的態度、あるいは類似の臨床記述の技法)はこの頁だけでは確定できないが、ポステルの名——pinel-virgile が既に参照する研究者——が再び現れることは、両論文の文献学的基盤の一致を裏づける。
四、アレタイオスの皮肉——ムーサ由来のマニーへの懐疑(頁105–106)
カエリウスにはアレタイオスのような皮肉はない。アレタイオスの一節(骨子):マニーには無数の形態がある——良き資質に恵まれ学びやすい者たちのなかには、天文学を習わずして修め、ひとりでに哲学し、ムーサたちの助けのみによって詩作すると称する(あたかもムーサ由来〔デーテン・アポ・ムーセオーン〕であるかのように)者がいる。病のうちにあってすら教養(エウパイデウシアー)は役立つものだからである;教養のない者たちは、運搬人、陶工、石工にとどまる。ピジョーの評言:何と奇妙な内省だろう!これが理解できるのは、アレタイオスが『パイドロス』のもう一つのマニー——良きもの、ムーサたちのそれ——を、病のカテゴリーに引き入れようとしていると見る場合のみである。技術(メティエ)なくして詩なし——これがアレタイオスの言わんとするところに見える;そうでないと信じるのは純然たる狂気である! そして自らを詩人だと信じる狂人たちは、実は十分に恵まれ教養ある人々であるか——さもなくば、病んだ陶工であり狂った詩人である、というわけだ。
五、カエリウスの定義と関連概念——瞬時の錯乱・間歇性・エラー(頁106)
カエリウスはこの二分法的事実を受け入れる。彼にとってマニーはアリエナティオ・タルダンス・シネ・フェブリブス、ア・クオ・フレネティキス・ディスケルニトゥル(骨子:無熱の緩慢なアリエナシオン、これによってフレニティス患者から区別される)。カエリウスは、マニーを瞬間的な精神の錯乱からも注意深く区別する——デメトリウスの定義による(骨子):短時間の精神の過度の緊張、突然の混乱(トゥルボレ・レペンティノ)によって記憶を失う恐怖に満ちた人々に見られるもの;そしてアポロニオスが定義した、マニーのもう一つの種としてのメランコリー(これも重要だと予告)。
マニーは連続的にも間歇的にもありうる。マニー患者は時に自分の病を忘れ、時には忘れたという事実さえ忘れる。マニーはすべての感覚のアリエナシオンであり、患者は誤り(ファルシタス)に囚われている。この病において冒されているのはネルウォシタスの全体である——この語が何を表すか言うのは難しい;ドラブキンは「神経と腱の系統」と訳し、この言い換えは適切かもしれないが、あるいは感覚神経(ヘロフィロスによって明らかにされたもの、後述)を指すのかもしれない。
六、頭部への局在——「マニーは身体の病であって魂の病ではない」(頁107)
カエリウスは続ける(骨子):この病において冒されているのはネルウォシタスの全体だが、とりわけ頭部である。病に先行する不調の大半は頭部に位置し、患者は重さと痛み(グラウェディネ・アトクェ・ドロレ)を、そしてすべての感覚の障碍を、それぞれ一つずつ患う——その座が頭部にあることをわれわれは知っている。マニーは身体の情態であって魂の情態ではない。その証拠に、いかなる哲学者もマニーの症例を治したことがない。この省察は皮肉ではない——哲学者が医師を助けうることを、この後カエリウスは示すからである。だがこの発言は、魂の病と身体の病の分割、そして哲学者は魂の医師であるという了解に関わる。他方でマニーは部分的に身体的である——身体的症状が精神的症状に先行するからである。これが分担(レパルティシオン)の理由である。カエリウスは二元論者である——彼は魂と身体の対立を信じ;魂は感覚と同一化され、感覚は頭部に宿る、と彼は信じる。
七、マニーの治療——「アロパティー」による道徳療法(頁107–108)
マニーの治療をめぐる議論において、二元論はもっとも明瞭に現れる——そして同時に、魂と身体の相互作用も。薬物・瀉血・温湿布による治療はここでは措き、身体を魂の媒介によって働きかける、道徳的と呼びうる治療に注目する——カエリウスのこの議論は第一級のものである。
身体の治療と並行して、魂の世話をしなければならない;その治療法は対話・読書・演劇である。この三つの治療の原理は明らかにアロパティー(対症的・逆療法的原理)である。すなわち患者が悲しんでいれば、快活な話をしてやらねばならない;劇場では、悲しんでいれば喜劇的な出し物を、逆に陽気すぎれば悲劇的な出し物を見せる。ただし細部には注意を要する。
カエリウスの演劇論はさらに興味深い(骨子):読書ののち、何か複合的な、あるいは道化的な出し物を提供すべきである——もし患者が悲嘆に苦しんでいるなら。あるいは逆に、患者が愚かしい戯れの陽気さに冒されているなら、悲しみや悲劇的恐怖を含む出し物を。というのも、ある種の対立性によってアリエナシオンの質を矯正し、それによって魂の状態もまた健康の中庸(メディオクリタス)を認めるようにすべきだからである。すなわち道化芝居を悲しむ者に、悲劇を陽気すぎる者に与えることでアリエナシオンの質をその反対物によって矯正し、魂の状態が健康の平均的条件を取り戻すようにする。ここでアリストテレスは忘れられているのか、とピジョーは問う。メディオクリタテムという語——健康を表す平均状態——はアリストテレスのメソテース(中庸)を想起させずにおくものか。これは『詩学』へのきわめて明快な応答である。だがこの中庸、この健康は、カタルシス——恐怖と憐れみの浄化、アリストテレスにおいてはホメオパティー(同質療法)的に働くもの、すなわち恐怖と憐れみを経験することでこの二つの情念自体がその過剰から浄化される——によって得られるのではない;劇場が魂に働きかけうるのはアロパティー(対症療法)によってなのである。——ピネル『論考』§V「情念を破壊するのではなく相互に対抗させる技法」の原則(pinel-virgile 3-1既出:non à détruire, mais à les opposer l'une à l'autre)は、この一節に驚くほど精確な古代的先蹤をもつ。カエリウスのアロパティー(対立する情念による矯正)とピネルの拮抗原則は、アリストテレスのカタルシス=ホメオパティーにあえて対立する点まで一致する。ただし両者の照応には重要な限定が要る——第五節を見よ。
哲学的対話についても同様——患者が哲学的議論を聞きたがるなら、それを妨げてはならない(骨子):彼ら〔哲学者たち〕はその言葉によって恐怖・悲嘆・怒りを取り除く——それは身体にとっても小さからぬ助けとなる。医師は哲学者に彼の領分、すなわち魂の病という領域を割り当てる。
八、心理学の深化——カエリウスの「心理教育(プシコペダゴジー)」(頁109–110)
カエリウス・アウレリアヌスの文章は、その明晰化への配慮においてまったく注目に値する。マニーは器質的起源をもつ。しかし魂の障碍という結果をもたらす。それゆえ本質的には身体を治療せねばならないが、同時に魂もまた——魂と身体の両方を癒すという発想のもとに——世話せねばならない。魂の視点から見れば、狂気とは矛盾律の喪失と感情の過剰である。カエリウスはここに完全に首尾一貫した心理教育(プシコペダゴジー)を提案する——フレニティスをめぐる次の考察に近づけて理解すべきものである(骨子):それゆえ、陽気さに冒された病者は、重々しい言葉と厳格な話し方で正されねばならない——それによって弛緩した精神状態と、抑制なき興奮とが、子供たちにおいても抑えられる。他方、落胆と苛立ちに冒された者たちは……
……優しさに満ちた慰め、快活な話しぶりと陽気な振舞いによって和らげられねばならない。実際、嫌悪と落胆(タエディウム・ウェル・マエスティトゥード)は、この種の病だけでなく他の病においても、しばしば病を再燃させうる。健康な人々でさえ多くの場合、不安ののちに身体の病に陥ることを思えば、病からまだ完全に浄化されていない者たち(パッシオーネ・プルガティ)が、魂の質——もしそう言ってよければ——によって残酷な傷を負わされた病床に、同じ病でふたたび倒れ込むのも驚くにあたらない。
道徳的治療を締めくくるにあたり、権威の役割を挙げねばならない——恐怖(テロル)と敬愛(レウェレンティア)という二つの感情のうちに肯定される権威である。もし患者が健康であったときに影響力をもっていた人物を手元に持つ幸運があれば、その機会を大切にし、あまり頻繁にはその尊敬される人物を患者に会わせないようにせねばならない。これは、たとえば重要な薬を服用させるために利用すべき重要な要素である。この権威の原理は恐水病の治療でも用いられる、と予告される。
九、理論的進歩——ケルススからカエリウスへ(頁110)
マニーの治癒の過程における理論的進歩が、この章に見て取れる。フレニティスの章はケルススの概念的水準にとどまっていた——彼曰く(骨子):患者の考えにはむしろ従うべきで、抵抗すべきではない;少しずつ彼らの精神をデメンティアから理性へ連れ戻さねばならない。時には注意を引くことも必要——たとえば教養人には、気に入るなら正しく書かれた著作を読んでやり、不快にさせるなら誤って読んでやって、考えさせて訂正させる。
カエリウス・アウレリアヌスは心理学においてさらに先へ進む。文字を全く知らぬ者には、その職業に固有の問題を与える——農夫なら農業の問題、舵手なら航海の問題を;何ら特別な関心がなければ、平凡な事柄について質問するか、チェスをさせる。最後にカエリウスは、名を挙げない一部の著者が提案する治療法に異議を唱える。この観察は興味深い。彼が拒否するショック療法の例:
- 絶対的な断食——野獣を飼い馴らすのと同じ理屈で推奨される。
- 酩酊。
- 鞭打ち——あたかも患者が理性の一種の鞭打ち(フラジェラシオン)によって理性を取り戻すべきであるかのように。もし彼ら〔提唱者たち〕が首尾一貫しているなら、理性に最も近い身体部位——顔や頭——を鞭打つべきだということになろう。
このショック療法の根底には、ある種の精神科医たちのあいだで絶えることのなかった一つの発想——理性を揺さぶり、個人を深く動揺させれば、そこから新たな秩序が生まれるだろうという、まったく初歩的で未分化な発想——がある。ピジョーはこれをダーウィンの回転機に見出す——注に曰く:「エスキロールはフランスで最初にその模型を作った人物である」(出典:J. Postel, De la lypémanie ou mélancolie, Toulouse, Privat, 1976, p.163;この「ダーウィン」はチャールズ・ダーウィンの祖父、エラズマス・ダーウィンを指す)。この観念は、知性を目覚めさせるために暴力が必要だという神話的発想に連なり、既に『空気・水・場所』第12章にその萌芽があるという。——エスキロールに対する pinel-virgile の記述は、その1805年学位論文における情念の体系化と、後年のリペマニー概念の創出(読解ノート四・その三既出のエスキロール幻覚論と並ぶ功績)を軸とするが、この一句は、同じエスキロールがダーウィンの回転機という強制的・身体衝撃的治療法の模型をフランスで最初に作った人物でもあったことを伝える。ピネル世代の医師たちが体現する道徳療法と身体的ショック療法の両立——あるいは緊張——は、pinel-virgile が今後この系譜を扱う際に留意すべき複雑な事実として銘記に値する。
一〇、音楽療法批判とメデイア——「情念を情念で治す」への異議(頁111–112)
カエリウスは音楽療法も批判する——とりわけアスクレピアデスのそれを(骨子):音楽の音は頭を満たす——健康な人々においてすら明白に見られるとおり——そしてしばしば言われるように、ある者たちを狂気へと駆り立てる;預言者たちがしばしばその神を受け容れる状態がそれである。カエリウスはとりわけ別の情念による情念の治療という発想を告発する——彼はこれを愚かな考えだと見なす。ここで彼が想起するのがメデイアの物語である(後段で詳しく扱うと予告)。
この一節は、直前に見た演劇のアロパティー原理(第七節)とあわせて読まれるべき、重要な限定を含んでいる。カエリウスが拒むのは治したい病そのものを処方するに等しいという発想——具体的には、恋の病を、別の恋あるいは近縁の激情によって治そうとすることである。彼が続けて言うところ(骨子):マニーに冒された者たちはしばしば人間を動物と見誤り、想像のうちに見るもの(フィンゲンド)が実在すると信じる。そして一度恋に落ちた病者は残酷な二者択一を強いられる——恋を禁じればいっそう昂進し、許せば力を消耗させ魂を乱す。音楽と恋愛が同じ理由で退けられるのは、両者とも治療しようとしている病に隣接した昂揚状態の作り手だからである。
すなわちカエリウスは、気分(悲喜)の対極による矯正=アロパティーは道徳療法として正当と認めながら、特定の情念(恋)そのものを別の情念に置き換える治療——構造としてはより「ピネル的」に見えるもの——は拒否する。ピネル『論考』§Vの実例(メランコリー患者が宗教論争執筆に没頭して回復した例、恐怖を安堵で拮抗させた演劇的治療、pinel-virgile 3-3既出)を、この古代的区分に照らして検討する余地がある——それらが気分の対極による矯正(カエリウスが認める型)に属するのか、特定の情念の別の情念への置換(カエリウスが退ける型)に属するのか、という問いである。ピネルの原則が「破壊するのではなく拮抗させる」と定式化される以上、古代においてさえこの原則の妥当性が自明ではなかったことを、カエリウスのこの異議は示している。
すべてこれらカエリウスが批判する手段は、彼によれば拙劣な経験にもとづく処置である。以上が、カエリウスにとってのマニーの治療である。
一一、結語——「古代唯一の首尾一貫した精神科医」(頁112)
——マニーの定義と治療をめぐるこの長い一節は、「その一」冒頭で予告された第二部の上昇線(フレニティス=技術的概念→マニー=対話と道徳的治療を要するぶんより複雑な概念)の内実を、カエリウスという一人の医師の像において結晶させている。次はいよいよ「比較的新しい病」恐水病である。
一二、次の単位
頁112後段から新節「恐水病」。ピジョーは、この病が本書の主題にとって本質的である理由——精神病理学の記述の観点から、この病が哲学の医学への影響、そして両つの分離した領域の出会いを刻印していること——を予告する。二つの考察に依拠する予定と述べる:一つは医師カエリウス・アウレリアヌスのもの、もう一つは哲学史にとってきわめて確かな人物、プルタルコスのものである。読解ノート「四・その五」で扱う。
第Ⅰ章・第二部 恐水病と同性愛
〇、節の位置づけ——哲学の医学への影響が刻印される病(頁112)
恐水病を扱う理由:この病は本書の主題にとって本質的である——精神病理学の記述の観点から、この病は哲学の医学への影響を、そして本来分離した二つの領域の出会いを刻印しているから。恐水病の記述が比較的新しい相貌をもつのは、病そのものが新しいのか、それともその記述が新しいのか——いずれにせよ、この病は奇妙な名を負う:ヒュドロフォビアー、フェウグュドロス、フォボディプソス。これらはむしろ情念の名の製造を思わせる名であり、哲学者と医師の双方を当惑させる。カエリウスは明確にこれを身体の病であり、魂への影響は二次的と決する(骨子):恐水病の特徴的な徴は、飲料への激しい嫌悪と同時に激しい渇望であり、いかなる理由もなく、身体のある種の情態のゆえに生じる。
一、恐水病は魂の病か身体の病か——ストア的・キケロー的論証(頁113–115)
ピジョーが「われらの医師」と呼ぶカエリウスは、この問題を見事に提示する(骨子):恐水病が魂の病かどうかも問われてきた。というのも、欲すること・悔いることはとりわけ魂に属する事柄だからである……緋衣を、彫像を、軍事的栄光を、王座を、金銭を欲する者たちについて、われわれは彼らが静脈や神経や動脈の病だとは言わず、魂の病(アニマエ・アフィキ・パッシオーネ)だと言う。これによって恐水病が魂の病であることが証される——なぜならそれは飲料への欲求(恐れ・怒り・欲望は魂の病である)だからである。それゆえ恐水病患者は水を恐れる;そこからわれわれは必然的に、彼らが病んでいるのは精神(アニモ)だと知る。あらゆる表象(ファンタシアー)——ラテンの著者たち、たとえばキケローがウィサと呼ぶその多様な形態——は、自然に適うものであれ反するものであれ、魂に属することが認められる。恐水病患者は明らかに不自然な想像によって乱されている;ゆえに彼らが患っているのは精神の情態(アニミ・アフェクティオー)である、と結論せねばならない。
だがこの主張に賛同してはならない、とカエリウスは続ける(骨子):飲食への欲求はある種の身体の情態から生まれる(エクス・コルポリス・クァンダム・パッシオーネ)。恐れもまた、魂と身体が共苦する一致から生まれることが明白である(ティモル・エニム・ペル・コンセンスム・アニマエ・コルポリ・コンパティエンティス・ナスキ・ペルスピキトゥル)。ゆえに恐水病の病は身体から来ることが絶対的に明らかである。実際、原因である先行の咬傷は明らかに身体に関わり、魂には関わらない。先行症状と随伴症状——嗚咽、身体の熱性の動き、重さといった類のもの——もすべて明白に身体に関わる。というのも、哲学者たちの言うところでは、魂の情念とはわれわれの判断の情念だからである(ナム・アニマエ・パッシオーネス、ウト・フィロソフィ・ウォルント、ノストリ・スント・イウディキイ);あるいは恐水病は身体に起源をもつ強制から来る。ゆえに、それは身体の情態だが魂の質そのものをも占有することになる(クォ・フィエト・ウト……セド・エティアム・アニマエ・オックペト・クァリタテム)——ちょうどマニーやメランコリーのように。
キケローへの参照はドラブキンによれば『アカデミカ後篇』I.40と『アカデミカ前篇』II.18を指すと思われる。前者ではキケローがゼノンの認識論——感覚に受容されたものに、魂の同意(アッセンスス)が加わる、それは自発的でわれわれのうちにある、とする説——を伝える。もう一つのテクストは(既出「四・その三」)フレニティスの知覚問題で引かれたものだが、カエリウスはむしろ『トゥスクルム荘対談集』第3巻——メランコリーを扱う——を念頭に置いているのかもしれない、とピジョーは推測する。同書第1巻46でキケローは知覚が本質的に魂に属すると言う。感覚器官は魂の「窓」にすぎず、注意を向けなければ精神は何も感受できない、というカエリウス(あるいはユンベール仏訳)の一節も引かれる。
二、新しい病という問題——恐水病の年代学(頁116–117)
カエリウスは自身のマニー論で既に「ストア派はマニーに二重の形態があると考える……第二の形態は身体の情態をともなう理性の喪失を含む」と書いており、恐水病論でもティモル(恐れ)をめぐって厳密にストア的な論証を用い、その情態を身体的現象へと連れ戻す。新しい病という問題は恐水病をめぐってきわめて興味深い形で立てられる。医師たちはまず、新しい病が一つあるいは複数存在するという事実そのものについて意見を異にし、その立場をめぐって態度を決める。彼らの見解はしばしば医学的というより形而上学的・道徳的な証拠に基づく。この問題はプルタルコスに見るとおり哲学の領域にも関わり、とりわけセネカが『書簡95』で示すとおり倫理の領域にも関わる——新しい病は、彼によれば、われわれの習俗の変化、とりわけ料理の発達に起因する。医学は、われわれの不調と悪徳の複雑化ゆえに複雑になった。女性さえも新しい病を知るようになった(骨子):医学の創始者たる最大の医師は、女は髪を失わず脚に痛風も出ないと言った。しかるに今や女たちは髪が抜け痛風に苦しむのを見る。女の本性に変化が起きたのか? 否、女たちが放縦において男を凌いだ勝利であり、身体的悲惨において男に肩を並べたのである。
これらの議論——物理的・生理学的理論と道徳的・神学的観念、そして摂理(プロヴィデンス)の問題を混淆させる——は、紀元前1世紀頃と年代づけうる一つの進展を証している;ここにもアスクレピアデスの大いなる名が現れる。狂犬病は1世紀以前に存在したか——これは病の歴史の問題であり、われわれはこれに答えない(それは医学史家の権能に属し、Pr. グルメクの言うパトケノーズ(病原環境)の問題である)。カエリウスは『プロレーティコンⅠ』16の一句(骨子:フレニティス患者は少ししか飲まず、物音に動揺し震顫がある)を狂犬病への言及と解釈するが、これはヒポクラテス的伝統が恐水病を知っていたかという問いへの、無理のある解釈に見える。要するに、たとえ最古の医師たちが恐水病を知っていたとしても、その疾病誌(ノゾグラフィー)が新しいことは、カエリウスの章が新たな問題設定と修辞的装置とともに証明するとおりである。この意味で恐水病は確かに新しい病であり、紀元前1世紀がこの病の医学書への登場の良い年代だろう。
三、プルタルコス——量的テーゼと質的テーゼの対話(頁118–120)
カエリウスの議論——大きな疾病分類学的概念は容易に更新されないが、時に亜種は現れうる、という論法——を確認したのち、プルタルコスの対話に目を向ける。ディオゲニアノス(量的論者)とピロン(医師、質的論者)を対話させる一節が、身体の病から見た魂の病という論点への関心を示す。ピロンが新しいと主張する二つの病——象皮病と恐水病——について、プルタルコスは、あるアテノドロスが『エピデミアイ』第1巻で、この二病がアスクレピアデスの時代に出現したと書いたことを伝える。デモクリトスの名も——カエリウスが狂犬病の古さを主張する者たちのうちに挙げる(骨子):ヒポクラテスと同時代のデモクリトスは、この病について言及しただけでなく、その著書『オピストトノス』で理由を与えた……デモクリトスは恐水病が「神経」(ネルウォス)を冒すと言った、身体の痙攣と生殖器官の緊張(テンティゴ)からこの主張を引き出しつつ。ただしこの「デモクリトス」はディールスに軽蔑され、偽作者ボロス・デ・メンデスの捏造とみなされる。真正のデモクリトス「生理学」断片はきわめて稀少だが、そのうち一つ(B32)が痙攣への関心を示す(骨子:性交は小さな卒中である——人は人から出て、何らかの一撃によって引き裂かれ分離するのだから)。
プルタルコスの対話に戻れば、ディオゲニアノスの量的テーゼが興味深いのは、身体の病と比較して魂の病の数は限られているとする点である(骨子):悪徳の融通無碍にもかかわらず、みずからを統べ支配する魂の自由にもかかわらず、変化し変貌しようとするとき、魂の病の数は無限ではない;無秩序も一つの秩序を保ち、情念にも一つの尺度を維持する——海が満潮の際にそうであるように。この量的テーゼはアスクレピアデスを想起させずにおかない——無秩序への「自然な限界」という発想とともに。かくして魂の病の表、身体の病の表は決定的に確定されることになろう。象皮病は皮膚病の一種にすぎず、恐水病は胃の病あるいはメランコリーの極端な形態にすぎない、といった亜種を付け加えることはできるとしても。
この「量的」理論に応じるのがピロンの「質的」テーゼであり、混合の理論に基づく。新しい種は必然的に存在する——さもなければ酢とすっぱいワイン、苦味と渋味のあいだに違いはないことになる。変容には同一性の喪失がある。他方、病は時間の産物であり、まだその経過の終わりに達していない。ここに『古い医術』の歴史的・質的理論を認めうる。秩序は限られているが、無秩序は、混合に基づく以上、無限である、とピロンは言う。ピジョーはこの議論を「常識的合理主義」に還元して軽んじるムグレールの態度に与しない——医学史の視点からはこの議論はそれ自体の関心をもつ。恐水病をめぐって結晶したに違いない一つの反省の一貫性をこれは示している。
四、同性愛——魂に固有の病とされる唯一の症例(頁120–122)
恐水病の場合と並べて、カエリウスにおいては同性愛の章を加えることが不可欠である——セムレーニュがその独自性を正しく指摘した章である。カエリウスはここでも、これが魂の病か身体の病かを問う。カエリウスの語法はきわめて明確にストア的である。同性愛者たちは、摂理(プロウィデンティア)が身体に配した一定の「オフィキア(役務)」を軽視する(骨子):われらの身体の各部位に、神的摂理は一定の役務を定めた。それゆえこれは身体の病の結果ではなく、精神の悪徳の結果である(骨子):……そして他の女性的なふるまいも、身体の情念とは無縁で、むしろ腐敗した精神の悪徳である。トリバスたち(女性同性愛者)についても同様(骨子):精神の情念に揺り動かされていることが知られる。証拠は、この病に対する身体的治療が存在しないこと——ゆえに拘束されるべきは精神である(骨子:むしろ精神が拘束されねばならない)。
この一節の興味深さの一つは、カエリウスに通例つきまとう不確かさに反して、ソラノスが名指しで引かれている点である——彼が同性愛とその「醜行」を精神に帰したことがここから知られる(骨子):ソラノスの言うとおり、これは悪性で最も醜悪な精神の情念である。生物学的宿命が遺伝という形で同性愛者に重くのしかかるのか——カエリウスはパルメニデス(ラテン語訳を付して引用:この詩人によれば、それは受胎の一つの偏差、精液における男女の力の不均衡の結果である)や、この悪の遺伝的伝達を信じる他の医学書を引く。
カエリウスが伝える一部の医師の論証は熱を帯びている(骨子):彼らは、自然の鏡である動物たちは同性愛を知らないと主張する。それは人類にのみ固有の特性であり、人類のみが遺伝によってその悪徳を伝える。それゆえ魂に固有の後天的性質の遺伝が存在する——人間に特有の——なぜなら動物には魂がないから。「しかし、ひとたびこの悪徳を受け容れた人類は、それを保持し続けてきた……」。すなわち、ヒポクラテス的テクスト『空気・水・場所』が長頭族について証示した身体的後天形質の遺伝を、一部の医師たちは魂について主張したのである。
同性愛の非身体的起源のもう一つの論拠として、身体的疾患(痛風・癲癇・マニー)は加齢とともに、身体的な力の衰えとともに軽減することが挙げられる(骨子):害するものはすべて、病の座にある実体の活力に対抗するとき最も強力な効果を発揮する——その活力は加齢とともに衰えるので、病も、力とともに衰える。しかし同性愛は少年期と老年期にもっとも強い——男性的な力がまだ現れていないか、既に失われつつある時期である。したがって、その座が魂にあり身体の力に養われないこの病は、いかなる抵抗にも遭わずに個人を完全に占有するのだ、と理解される。
五、次の単位
頁122から新節「メランコリー」。冒頭の一文はこの節全体の格調を予告する(骨子):それは来る、メランコリーは——不幸と嫌悪と憎しみとを従えて、豪奢に。それはそこにある、誘惑者、その概念を消し去ることの叶わぬもの。医学書からは追放されたと信じられていた。エスキロールは、これから見るとおり、それを排除し、詩人たちに委ねてしまった。だがフロイトは論文『喪とメランコリー』でそれを取り戻し、近年ではH・テレンバッハがその見事な著作でそれを取り戻した。——「エスキロールがメランコリーを医学から排除し詩人に委ねた」というこの一句は、pinel-virgile が扱うエスキロールのリペマニー概念創出(1819–20年頃、「悲しい情念」の独立疾病単位化)の哲学的裏面——旧語「メランコリー」の医学的地位剥奪——を示唆する、きわめて重要な予告である。また恐水病論の頁119で既に「恐水病は胃の病あるいはメランコリーの極端な形態」という一句が現れており、メランコリー章への伏線となっている。読解ノート「四・その六」で扱う。
第Ⅰ章・第二部 メランコリーとエスキロールのリペマニー(第Ⅰ章完)
〇、メランコリーの定義——アフォリズムから出発して(頁122–124)
節の開幕(既出「四・その五」末尾):メランコリーは豪奢に、不幸と嫌悪と憎しみを従えてやって来る;医学書からの追放を信じられていたが、エスキロールはこれを排除し詩人に委ねた——だがフロイト『喪とメランコリー』、そして近年ではH・テレンバッハがこれを取り戻した。フレニティスと異なり、メランコリーには系統的なモノグラフィーの伝統があり、その関心の的は身体的なもの(黒胆汁という体液)に分節された感情——特有の情動と、客観的・科学的に見える体液とを結びつける点にある。この結合は診断からは緩やかだが、病因論の観点からは、パラタクス(黒胆汁と特定の感情の同時的現前)に留まるか、相互作用論的に黒胆汁を恐れと悲しみの原因と見なすか、あるいは逆に恐れと悲しみをこの体液の産出の原因と見なすか、選択できる。この概念の自由さこそが、その成功の理由である。
伝統はヒポクラテスのアフォリズムに遡る(骨子):もし恐怖と落胆(デュストゥミアー)が長く続くなら、それはメランコリー的な状態である。この一句の重要性は定義の全体に見て取れる——デュストゥミアーを「悲しみ(トリステス)」と訳す伝統に従うが、この語がのちにマレーズ(不快)、生の不快、生きることの悪を意味する重要性は、後段のエウテュミア章で扱う、と予告される。
この概念の天才的な点は、やや曖昧な特定の感情と、正確で客観的と信じうる特定の体液との接合(アルティキュラシオン)にある。診断の観点からはこの感情の曖昧さがきわめて興味深く、病因論の観点からは理論次第でパラタクスに留まるか因果関係を立てるかを選べる。メランコリー概念が示す自由——これこそがこの概念の成功の理由だと、われわれは考える。逆に応じるかたちで、身体と魂の生きられた関係に科学的で一貫した相貌を与える——曖昧に語るための。要するにメランコリーは医学的反省が哲学へ向かう最先端である——ちょうど逆に、エウテュミアをめぐる哲学的文献が哲学的反省の医学へ向かう最先端であるのと同様、と本書全体の見取り図が改めて示される。
一、アニエー/アセーの文学的起源——サッポーと「メデイアの臓腑」(頁124)
アニエー(悲苦)/アセー(嘔気)の関係——既に第Ⅰ章「その一」で見た概念——について、ピジョーはここでその文学的起源をサッポーに求め、本書の「メデイアの臓腑」の研究(頁388、まだ先の章)で詳しく検討すると予告する。この一節は、悲しみと嘔気という身体的・道徳的パラタクスの系譜が、単なる医学史ではなく文学史(叙情詩・悲劇)を貫く問題であることを改めて確認する。
二、ヒポクラテス的記述——『病Ⅱ』の症例(頁125–126)
『集成』におけるメランコリーへの言及は驚くほど少ないが(『流行病』の症例研究への参照は後段の「その一・その三」で既出)、感情性への恒常的関心の証拠として『病Ⅱ』の一句を引く(骨子):フロンティス(精神の緊張)は困難な病である——患者は棘に刺されたような内臓の痛みを持つらしい;嘔気が彼を苛む(カイ・アセー・アウトン・ラゼタイ);光と人を避ける;闇を好む;恐怖に捕らわれる;フレニックな隔壁が外側へ突出する;触れると痛む;恐怖を抱く;恐ろしい幻視をもち、時に死者を見る。この病は概して春に発症する。この患者にはヘレボルスを飲ませる;頭を浄化し、その後は下から排出させる薬を与える。続いて驢馬の乳を処方する……飲酒も歩行も運動もさせない……これらの手段によって病は時間とともに治癒するが、治療されなければ命とともに終わる)。
この一節は逆説的な言明——フロンティス(思考):困難な病——で始まる。リトレはこれを心気症(ヒポコンドリー)の一例と解するが、フロンティスをヒポコンドリーと訳すのは(リデル=スコット辞典のように)思考と病の意図的な出会いを見損なうことになる、とピジョーは反対する。
三、ヒポコンドリーの位置——ピネルへの明示的参照(頁126–129)
メランコリーは、恐水病と同様、魂と身体の関係の問題を提起するが、情動性・テュモス・デュスチュミアの観念を導入する点で、そのやり方は本源的に異なる。フレニティス・マニー・恐水病では、病因論の観点から、いかなる仮説に立とうと、精神の隠蔽(オキュルタシオン)が不安・悲しみ・人間嫌い・死への欲望といった特定の感情の産出へ至る過程を、物理的に説明するのがはるかに容易い。だがこの特定の体液の産出と身体的苦痛をどう説明するか。
ディオクレス・ド・カリュストス(きわめてポスト・アリストテレス的な医師とW・イェーガーが見る)が、メランコリーに先行する諸感情を扱った一節を、ガレノスが伝える。ガレノスはディオクレスがヒポクラテスの言う恐怖と悲しみという二つの心理的徴候を無視し、消化器症状のみを記述した点を批判する。このヒポコンドリーの部分的記述——魂の変質を無視し消化器現象のみに関心を向ける——は、やがてメランコリーに吸収されるが、その後固有の病として再浮上することになる。ピジョーはこう記す(骨子):「この病〔ヒポコンドリー〕の記述は、われわれが後段で引くカエリウス・アウレリアヌスのテクストに見るとおり、メランコリーに吸収されるだろう——ピネルにおいてもなお、メランコリーの傍らに固有の病として再浮上するまでは」(注:Nosographie philosophique III, p.83)。——ピネルの疾病分類学が、古代このディオクレス的な区分(メランコリー対ヒポコンドリー)を継承していたことを、ピジョーは明示的に指摘している。
「フロンティス、困難な病」という句に続けて、ガレノスの一句(骨子):自我の独自性、内奥性の直接的統覚——ヘーゲモニコン、イラシブル、コンクピシブルという魂のいかなる区分にも還元しえないエゴ——という場所を、医学はやがて忘却してしまう;そして魂の病を身体の病の続発的・共感的情態として定義しようと試みたり、これらの魂の局在(トポロジー)を身体の解剖に求めたりするようになる;こうしてガレノスはプラトンの三分説をメスの先に再発見することになる。
四、メランコリーとマニー——アレタイオスの資格と限界(頁129–133)
両病の関係をめぐる文献史:アレタイオスにこの接近の功績を帰す通説(ダランベールの原理)自体は正しいが、アレタイオスがこの点で独創的というわけでもない、とピジョーは留保する。テミソンの弟子たちが、多くの医師同様、メランコリーをマニーの一種とした(カエリウスの証言)——ただしフレニティスとの相対で見た区別(マニーは頭部、メランコリーは胃を冒す)が直ちに要る、とカエリウスは急ぐ。アレタイオスは「メランコリーはマニーの端緒である」と示唆するにとどまる。だが誰もメランコリーとマニーを完全に混同したわけではなく、メランコリーの概念を廃したわけでもない——むしろ逆にアレタイオスは両者を質的に区別することに努める。分類の観点からは両者は近い——ともに慢性、譫妄的活動をともなう、無熱の病である。だが体液が引き起こす現象群——腸の不調から嘔吐に至る——がこれらを区別する。
「ダランベールの原理はこの点でも真であり、アレタイオスもここで独創的というわけではない」と述べたのち、ピジョーは注でこう続ける:医学史はある学説・ある著者の影響について起源を区別せねばならない。ある種の医師にとってこの伝統の権威として引かれるのが誰かは明らかである。たとえばピネル、『疾病分類学』III, p.90:「アレタイオスが描いたメランコリーの記述は、この著者の観察者としての才能と、古代人たちがこの病について有していた深い知識とを、同様に証している」。——ここでもピネルの原文が直接引用され、ピネルがアレタイオスを古代精神医学の権威として尊重していたことが、ピジョー自身の書誌的傍証として示される。
ルフォス・デフェーズの証言が「もっとも貴重」とされ、アレタイオス・ガレノスの記述の豊かさはルフォスに負うところが大きいとされる(骨子):メランコリー患者はなぜ、危険のないところに危険を見るのか? なぜある患者は存在しない利点を追い求め、別の患者は取り囲む万人を恐れるのか? ラーゼスが伝える一節(骨子):病者は誤った原理から出発し、その論理的推論を逸脱なく辿り、その正当な帰結を彼らの感情と意志の行為に反映させる。この部分的な譫妄の外では、彼らは万人と同様に感じ、推論し、行動する。——この一節こそ、19世紀の医師がモノマニーと呼ぶことになるものの、疑いなき先蹤である。
ルフォスは同じことを述べる(骨子):メランコリーの徴候は、恐れ、躊躇、一つの対象についての誤った思考であり、その他の行動においては健全である。ルフォスはさらに、メランコリー患者に予知の夢があることに注意する——「メランコリー患者は他の者より夢を見、未来を予見する」(『夢占い』『問題集』第30巻との関連が指摘される)。孤独への退隠(アナコレイン)の両義性——哲学的退隠とメランコリー的人間嫌いの区別——も論じられ、セネカの初期書簡・デモクリトス伝説との関連が示唆される。
五、エスキロールのリペマニー——第一部・体系的照合(頁133–136)
節「エスキロールのリペマニー」冒頭:近代精神医学の始まりそのものを研究する意図はないが、エスキロールの論考は古代のメランコリー史を照らし、精神医学の形成にとってのその重要性を示しうると考える。19世紀はギリシア・ローマの古典を読み返した——それは実り豊かでありえた再生(ルネサンス)であった、とラエネクについて既に示したとおりである(注498:ピジョー自身の論文 L'hippocratisme de Laennec, B.A.G.B., 1975)。
「キケロー、セネカ、プルタルコスを読み返しつつ、ピネルは——われわれが『トゥスクルム荘対談集』論の章で見るとおり——その結論の一つ、すなわち情念が狂気の起源にあるがゆえに、責任と病がおそらく危険な仕方で結びついているという結論を、際立たせた」。——本書の後の章(キケロー『トゥスクルム』論)でピネルに立ち返ると明示的に予告する一句であり、pinel-virgile の主題——情念の病因論化が招く自由意志と責任の哲学的困難——を、ピジョー自身が正面から扱うと約束する箇所である。
既にルフォスにメランコリーの記述——エスキロールにおけるモノマニーのそれ——を見た、と振り返りつつ、ヒポクラテスのアフォリズムを引く(骨子):一つのことについてのみの誤った思考(コギタティオ・ファルサ)——それ以外のあらゆる状況では健全である。これはモノマニーの完全な可能性の源泉である——エスキロールがラーゼスを引いているのだから。ラーゼスは黒胆汁が脾臓から胃へ逆流してメランコリーを生むと言い、それがルフォス断片の源泉だという。
メランコリーはエスキロールにおいてモノマニーの一クラスに属する——悲しいモノマニーであり、快活なモノマニーと区別するため、古人がこの二つを一つに混同していたところ、彼はこれにリペマニーという新語を提案し、メランコリーを詩人たちに委ねる——「彼らは表現において、医師ほどの厳密さを課せられていない」。エスキロールは言う(骨子):古人たちはメランコリーの特徴として悲しみと恐怖を与えたが、想像力の激しい高揚、あるいは陽気で激しい情念によって支えられる部分的譫妄を、いくつかメランコリーに数え入れることを強いられた。悲しみと恐怖はヒポクラテスのアフォリズムに由来する——「ヒポクラテスは、譫妄について語ることなく、メランコリーの特徴として悲しみと持続する恐怖を与える」。アレタイオスは狂乱があればマニーと呼ぶ。ガレノスはヒポクラテスの説を採り多くの点で発展させる。カエリウス・アウレリアヌスはメランコリーをヒポコンドリーと区別しない。
エスキロール自身のリペマニーの定義(骨子):脳の病であり、部分的・慢性の譫妄によって特徴づけられ、無熱で、悲しく衰弱させる、あるいは抑圧的な情念によって維持される。これはあらゆるモノマニーと同様、感受性の病である——モノマニーはその全体が、この感受性の情態にかかっている。「その研究は情念の認識と不可分である;それは人間の心臓にその座をもつ」。さらにエスキロールは、リペマニー患者が感覚の錯覚や幻覚をもつと書く(既出「四・その三」のエスキロール幻覚論と接続);「それは彼らが多様で奇矯な観念を結びつけることになる」。問題集第30巻——エスキロールも引く——「これが天才・偉大な立法者は概してメランコリー的である、とアリストテレスに言わせた所以である」。エスキロールはリペマニーの分類を提案し、「情念を修飾し従属させる多様な情念を基礎に置く」。「情念は真の狂気であるが、通り過ぎる狂気である」。そしてエスキロールは情念の重要性に立ち返る(骨子):道徳的情動、すなわち情念の座が心臓に、フレニックな中枢に、太陽神経叢に、内臓神経に、神経節に、脳にあろうとも、あるいはそれらがアルケー(始原)または生命原理の反応の結果であろうとも、情念が有機的生の機能とわれわれの悟性に強力な影響を及ぼすことは常に真である。
ピジョーはこの一句を、若干の変奏をともないつつ、カエリウス・アウレリアヌスの一句(既出「四・その一」、フレニティスの座をめぐる『倫敦匿名者』的列挙)に想起させずにおかないと指摘する(骨子):ある者は座を脳と言い、ある者はその下部・基底、ある者は大動脈、ある者は太い静脈、ある者は横隔膜と言う……各人は魂の統治の座と考えるところにフレニティスの座を置いたにすぎない。——エスキロールの座の列挙(心臓・フレニックな中枢・太陽神経叢・内臓神経・神経節・脳)が、古代の座の論争(フレネス・カルディア・ヘーゲモニコンの所在をめぐる論争、読解ノート三・その一)の直系の子孫であることが、ここに明示される。
エスキロールの『精神病論』(1838年)についてポステルは「エスキロール的パッチワーク」と評したが、ピジョーはこれに同意しつつ、その出典は隠されているわけではないと付け加える。ピネルにおけるマニーの定義同様、エスキロールにおけるリペマニーの定義も、その源泉が哲学的であると同時に医学的なものとして、定義そのもののうちに凝集している、と総括する。これは危険な理論的混同——情動性と感情性、器質的病と「魂の病」の混同——に至りかねないが、他方で古代がある種の明晰化に達していたことをこれから見る、と締めくくる。
六、疾病分類学的総括——ケルススの三分法と、除外された病(頁136–137)
本書の疾病分類学的一覧は完全を期さない——古代医師たちの精神病理学における本質的問題と信じるものを提示するにとどまる。ケルススが精神病(インサニア)の領域をフレニティス・マニー・メランコリーの三概念で覆う例が引かれる(骨子):インサニアから始めよう……まず、急性で発熱をともなうものを扱う——ギリシア人はこれをフレニティスと呼ぶ……もう一つの、より長く続くデメンティアの種がある……それは悲しみからなる(黒胆汁に依存すると見えるもの)……第三の種のデメンティアはきわめて長く、病者の生に障碍とならない。
癲癇(エピレプシー)を特に扱わなかった理由も明かされる——古代医師にとって癲癇はもっとも研究された病の一つだが(ケルススはこれを、レタルギーと同様「よく知られた病」と呼びうるとする)、フレニティス・マニー・メランコリーをめぐる魂と身体の関係の特有の問題群を提起しないため、対象から外れた。それは常に「神聖な病」という観念のもとに現れる。癲癇は本質的に身体的起源をもつが、その特徴は個人の突発的な把握と逸脱した挙動・身振りにあり、この性格ゆえに本質的に劇的(ドラマティック)な病である——後段の章「悲劇的なものと魂の病」(ヘラクレスの病としての章)でこの側面から再訪する、と予告される。
この疾病分類学的一覧が関心を惹くもう一つの観点として、現実の想像力(イマジナシオン・デュ・レエル)が挙げられる——医学的伝統にも並外れた想像力が存在するからである(エピクロス主義の章で再訪、と予告)。
七、附録——アレタイオスにおける神経(頁81頁への注記、頁137–138)
本節末には「頁81への附録的小研究」として、アレタイオスの著作における神経(ネウラ)の用例を渉猟した詳細なノートが付される——口蓋垂・膀胱・腸間膜・肺・舌・頭部・癲癇・破傷風・サチュリアシス・麻痺・関節炎・レタルギーなど、神経が関与するとされる部位・病の網羅的リスト。フレニティスにおける神経の役割は興味深いが問題含みだとされ、F・ゾルムセンの基礎研究(1961年)を参照しつつ、ガレノスが痙攣・痙縮の文脈で神経を扱うこと、ヘロフィロスに神経と痙攣の関連づけの起源を遡らせうることが確認される。結論:神経はフレニティスの座ではありえない——二次的にのみ病に関与し、症状の一つを提供するにすぎない(ただし第27節「これらの患者の神経を恐れねばならない」という留保付きの一句もある)。
八、第Ⅰ章読了——章末の位置(頁138)
九、次の単位
頁139から第Ⅱ章「アトミストたちと魂の病」が始まる。原子論者たち(デモクリトス、エピクロス、ルクレティウス)における魂の病の理論——第Ⅰ章で繰り返し予告された「エピクロス主義の章」「ルクレチウスにおけるペストの問題」等がここで正面から扱われる見込みである。読解ノート「五・その一」(続巻)で扱う。
第Ⅱ章 エピクロスの健康論
〇、第Ⅱ章の設計——なぜ「アトミストたち」か(頁139–141)
章題の理由をまず明かす。エピクロス・アスクレピアデス・ルクレティウスを並べれば、デモクリトスが欠けていることを指摘されるかもしれない——デモクリトスはエウテュミア(快活)の章で扱う予定である。エピクリスムと魂の病について語ることを躊躇した理由:後述のとおり、アスクレピアデスが真正のエピクロス主義に属するか自体が問題含みだから。他方、アスクレピアデスをエピクロス的伝統から切り離すのも困難で、いくぶん逆説的にさえ見える——ルクレティウスをこの章でアスクレピアデスの前に置くことで、『事物の本性について』第3巻における反アスクレピアデス的反動と呼びうるものが明瞭になる、とピジョーは方針を明かす。
本章のもう一つの特色は叙述の仕方(マニエール)——エピクロス主義をどう提示するかという点にある。エピクロスには身体の健康と魂の健康の類比という、明らかにプラトン起源の常套句が見出せるが、この種の手がかりは遠くまで導かない。真にエピクロスの教えを探すべきは、苦しみと快の同一性(身体のであれ魂のであれ)のうちである。結局われわれは、彼にあって魂と身体の関係が、独創的な仕方で権利(ドロワ)と自然(ナチュール)の関係として立てられるのを見ることになる、と本章全体の結論が先取りされる。
章は三部構成:エピクロスの健康;プルサ(あるいはビテュニア)のアスクレピアデス——自然と権利;ルクレティウスと魂の病。
一、エピクロスの健康——二元論から出発して(頁142)
エピクロスにおける二元論の問題:彼が二元論者であることは明らかである。証拠は『ヘロドトス宛書簡』の魂と身体の関係の記述(骨子):魂は微細な粒子からなる物体であり、全身に行き渡ってはいるが、感覚の主要な原因を有する;しかしこの原因を魂が受け取りえたのは、身体の残りの部分によっていくぶん保護されていたからにほかならない。すなわち身体と魂の関係について、エピクロスは通例の用語法で言えば相互作用論的な二元論者である;ポパー=エクルズ流に言えば、彼は唯物論的な二元論者——自由と道徳性を信じつつ魂の物質性を信じる者——でもある。ポッパー=エクルズと同じくデ・アニマ(デ・アニマ)を欠くもの——彼らの書物とエクルズ/ポッパーが与えられなかったもの——を欠くとする見方もあるが、これでは彼の書に特筆すべきことは何もないことになる。実際にはより大きな複雑さが、エピクロスにおける快の定義とエピクリスムの独自性のうちに現れる:エピクロスの魂の健康はどうなるのか、快をサルクス(肉)の快として定義するとき?
二、エピクロスの病——メトロドロスとイドメネウス宛書簡(頁143–145)
エピクロスその人の健康について新知見を提供する意図はないが、その病自体が哲学史家にとって一つの問題をなす。友メトロドロスは『エピクロスの悪しき健康について』を著したとディオゲネス・ラエルティオスは伝える。メトロドロスの弟テイモクラテスは、学派を軟弱(アポ・トリュフェース)ゆえに去った者で、エピクロスは一日に二度嘔吐したと言い、彼が哲学にも生にも何も知らなかった、長年椅子から立てぬほど健康が悲惨だったと悪意ある噂を広めた——これは底の浅い中傷だとピジョーは断ずる。しかし病の現実性自体は疑いえない:古代の概念によれば彼はストランギュリー(尿閉)と赤痢に苦しんだ。決定的な証言は『イドメネウス宛書簡』——敵さえもその勇敢さの証と認めた見事な知恵の断片——であり、瀕死のエピクロスは膀胱と腸の激しい痛みにもかかわらず、過去の快の思い出によって魂の喜びでこれに応じたと言う。
この逸話が語るべきは、エピクロス主義の苦痛論——パロクシスムにおいてすら苦は短いか、あるいは死によって終わるかのいずれかである(すなわち長い苦痛は激しくなく、激しい苦痛は長続きしない)というテーゼ——の中核である。プルタルコスはエピクロスがストランギュリー・赤痢・水腫症といった病に苦しんだと語り(1089 E-F)、この病に苦しみながらも友人らと過ごす快を優先したという逸話を伝える。水腫症(イュドロピシー)という病は哲学的伝統と結びつく——ヘラクレイトスがまさにこの病で死んだ、というプルタルコスの一節(1089F)。だが何よりこの病が有名なのは治療法が一つしかないため——飲酒を断つ勇気である。メトロドロスもまた水腫症を病んだと伝えられ、ケルススはアニムス(意志)のみが唯一の薬となった治療の逸話を伝える——ここには「柔弱さ」の非難と「害さない快の探求」との巧みな組み合わせが見える。
三、苦しみの理論——フィロクテテスとファラリスの雄牛(頁145–146)
教義的哲学(エピクリスムやストイシスム)をその矛盾によって攻撃することを好む、とピジョーは方法を明かす——矛盾こそが哲学を前進させる力学だから。「良きエピクロス主義者」たりうるかを問うには、苦しみが根本的な悪ではないことを証明せねばならない。二つの試金石的な苦痛の例——ピロクテテスの病とファラリスの雄牛——にエピクロスがどう答えるかが検討される。キケロー『トゥスクルム』の一節(骨子):エピクロスによれば、ピロクテテスの苦痛の大きさについて語るのは正当である——彼が病むのは足だけではない、目も、脇腹も、肺も、あらゆる器官も病みうるのだから;ゆえに彼の苦痛が極限に達するには程遠い。エピクロスにとって極端な苦痛とは一つの苦痛ではなく、複数の苦痛の総計である;何よりも、苦痛は常に離接的(ディジョンクティフ)であると言わねばならない。苦しみのなかで、身体は深さも統一性ももたない;それは頭であり、足であり、肺である云々。この多様化された苦痛論に、キケローとプルタルコスは苦痛の根本的統一性を対置する。
四、自己の統一と快——エピクリスムは主体の哲学である(頁146–147)
プルタルコスの反論(骨子、1087E):われわれが身体に芳香を塗るとき、快く感じる器官はごくわずかで、他の器官は不快にすら感じることがある;だが身体のいかなる部分も、火・鉄・鞭打ちが与える苦痛を、快く感じることはない——燃える熱、凍える冷たさ、そして熱病は、身体のあらゆる部分に等しく影響する。エピクリスムが結局あらゆる仕方で言おうとしたこと——快は苦と同じ本性のものではないということ。快は存在の側にあり、それ自体で成立し構成される;この命題は逆説的に見えても、テクストによって覆されもする。自己の全体性は、決して不確定な全体として考えられるべきではない——ルクレティウスの言うとおり、たとえば身体の健康のような一つの質として考えられるべきである。エピクリスムは究極において一元論とも多元論とも異なる——それは根本的に主体の哲学であり、同時に存在の哲学であり、両者を和解させようとする試みなのだ、とピジョーは総括する。
五、ピュシスとテシス——快が自己の統一を実現する(頁147–148)
感覚をめぐる論争(プロタゴラス「人間は万物の尺度」の論に発する)で、エピクロス派は「物には自体的な質はない」と主張しつつ、各個体が事物の構造のある側面と調和的組織をもつと考える——反エピクロス派はこれを非一貫的と非難する。エピクロスは宇宙の原子論的組織を選ぶが、デモクリトスの立てるピュシス(自然)/テシス(慣習)の区別——色・音・複合物はノモス(慣習)によってのみ存在し、空虚と原子のみが実在する、という説——を拒む。エピクロスがこの区別を拒否する理由:もし事物の質が慣習によるものなら、そのような推論を突き詰めればもはや自己を人間として、あるいは生きているものとして考えられなくなる(プルタルコス、Adv. Col. 1110F)。
質が純粋な慣習であることは認められない——さもなくばもはや主体はありえないことになるから。慣習には、それを超越する場、それを産み出す主体が要る。この主体は慣習そのものではありえない。これこそ、ピジョーがエピクロス的直観の核心と見るもの——ピュシスとテシス、この対立のあらゆる形態(自然と文化、自然と権利、自然と道徳、そして世界と個人、原子と生けるものの対立)を和解させようとする関心である。快の経験のうちに、この主体が現れる——単なる原子の集合ではなく、自然でありかつ規範であるような一つの自己(モワ)が、そこに出現(シュルジール)する。
六、快の自然=権利——「フェドゥス・ナチュラーレ」(頁148–149)
汝と我の違いはどこにあるか——物理的には一定の原子の組み合わせにすぎない;だがこの集合体はわれわれを存在させ、われわれをしてピュシスからテシスへ直接に移行させる——エピクロスが拒むのはまさにこれである。単なる原子の集塊ではなく、同時に自然かつ規範であるような一つの主体が出現せねばならない。この主体は快の経験のうちに現れる。われわれの存在とは感覚であり、それをわれわれは知っている——死がわれわれにとって何ものでもないのは、分離されたものは感受されないから、感受されないものはわれわれにとって何ものでもないからである。われわれの生の原理、それはわれわれ自身を感じることであり、それは肉の快の根本的感覚を通じてである。『メノイケウス宛書簡』でエピクロスは快がシュムフュトン(生得的)・シュンゲニコン(同族的)であるとわれわれ自身とともに言う——快が単にわれわれ自身とともに生まれるだけでなく、快とともにわれわれが共に生まれる(コネートル)ことを意味する。
七、自己感覚の系譜——エピクロス・アリストテレス・ヒポクラテス(頁149–150)
C・ディアノが1968年ブュデ学会で注意を促したという、エピクロス『自然について』第V巻第III欄・断片Vのテクストが引かれる(骨子):自己自身のうちで、類似と差異に応じて、自己は一なる何ものかとして、あるいは思念されたものとは異なる何ものかとして思念されるだろう;だが自己自身においては、他のものたちのうちでのように、ある種の情態のうちで自己は語られる。ディアノの解釈:ここでエピクロスは「自己自身の意識」の問題を立てている——ピジョーは「意識」の両義性を避けるため、むしろ自己認識(ディアノエイスタイ)の問題と呼ぶことを好む。「人は自己を、自己自身において、類似のものと非類似のものというカテゴリーに従って認識する——あたかも全体が不可分の統一を成すかのように、そして人は自己を他者であるかのように感受する」——この定義は、デモクリトスが世界と個人の関係を考えた際の伝統的な自然/慣習の対立の拒絶の、深い理由を確認させる。
八、次の単位
頁150後段から「感じること、それがわれわれの存在すること」(sentir que nous sommes)という定式の展開が続き、エピクロス的自己感覚論の結びへ向かう。続いて「快と苦」節の残り、そして第Ⅱ章第二部「プルサのアスクレピアデス——自然と権利」へと進む見込みである。読解ノート「五・その二」で扱う。
第Ⅱ章 エピクロスの健康論(結び)
〇、位置づけ——なぜこの迂回が必要か(頁150–152)
エピクロス生理学に踏み込む理由をピジョーは自問する:教義的哲学(エピクリスム・ストイシスム)はいずれも一貫した体系であり、その糸の一本を引けば哲学の全体が付いてくる。だが本書にとって固有の必要は、自然と規範(ナチュール・エ・ノルム)の独自性を定義することにあり、それは「限界(リミット)」というきわめて難解な問題を通過せねば果たせない。エピクロスの健康はラテュミアー(後にルフォス・デフェーズがこの語を用いる)として語られ、身体の感覚に発する個の快・不快そのものであって、外的刺激に翻弄される無秩序な状態の連続ではない——ここには医師にとって、個の振舞いを理解するための調整(レギュラシオン)の必要が働いている。この一節は『古い医術』と地続きであり、感受する主体の自律性の把握への進展を示す。エピクロスは、「生きていると感じることは快く心地よい」というアリストテレスの命題を、いわば急進化して逆転させたのだ——彼にとって快は生きることの本質そのものである、とピジョーは総括する。
一、限界の観念——Ph.H. ド・レイシー批判(頁152–154)
Ph.H. ド・レイシーが「限界(リミット)」の観念に注意を促した功績は認めつつ、ピジョーはその解釈に異を唱える。ド・レイシーの見立て:エピクロスは知と価値における安定した規範への要求を保持しつつ、その伝統的な手段(絶対的知識等)を破壊した——解決は限界の観念に存する。ピジョーはこの限界を、ルクレティウスに見るような深く据えられた境界(ボルヌ)——安心させる、なぜなら固定されているから——とは異なる仕方で読む:この境界の内部でこそ、個体的・特殊的なものが変異(ヴァリエ)しうる。これによって物理学と倫理学、運動的快と静止的快を和解させることができる。経験的限界と論理的限界は同一である——これがピジョーの命題である。境界の機能はもっぱら消極的(否定的)とする通念(P・ボワイヤンセのフェドゥス・ナチュラーレ解釈がその典型)にピジョーは反対する——鉄に対する磁石の牽引には何ら否定的なところがないように、限界には積極性がある;否定/肯定という対立自体が、自然と規範の問題系の内部でしか意味をもたない。
二、エピクロス的身体の構成——コイトゥスと癲癇の類比(頁154–155)
エピクロス的身体の定義:物理的集合体、一定数の原子が一定の秩序で構成され、一定の運動を賦与されている——一つの均衡(エキリーブル)、一つの座(エドラ)であり、家屋の基礎のようにその不安定性を懸念しうる。エピクロスは『饗宴論』で、消化後の性交(シュヌーシア)を勧めない——それが消化の動揺に加えて身体の均衡を危うくする、もう一つの動揺だから。ゾピュロス医師の伝える一節(骨子):節度を守り、しばらくして甘やかな平静のうちに妻のもとへ戻る者は、単に弛緩し澄明な精神をもつ——身体はいっそう快適に、原子はその座からより動かされも移されもしない。この均衡は不安定である——ちょっとした一押しで崩れかねない、とピジョーは指摘する。エピクロスにとってコイトゥスは小さな癲癇(一部の医師の見解として);デモクリトスにとっては小さな「卒中(アポプレクシー)」(既出「四・その五」B32断片と接続)。真の病、病の本質は癲癇そのものにある——身体の座を揺るがすもの、まさにルクレティウス第3巻が描くもの。あらゆる感覚は小さな癲癇であり、この座を危険にさらすとさえ言いうる。
三、無名の第四実体——アカトノマストンと「フィニス」(頁155–158)
ルクレティウスは魂の構成——風・空気・熱・そして名なき第四の元素(エピクロス主義の敵たちに軽視されるアカトノマストン)——を確認する。魂は人間の一部分にすぎない——手・足・目と同様に。感受性はハビトゥス・ウィタリス(生の様態)ではなく、調和(ハルモニア)でもない。魂の座は胸の central にある:イドクェ・シトゥム・メディア・レギオーネ・イン・ペクトリス・ハエレト(それはまさに胸の中央域に位置する)。もう一つの部分、アニマそのものは全身に散り、静脈・臓腑・神経と織り込まれている:ネクセム・ペル・ウェナス、ウィスケラ、ネルウォス。この第四の無名の実体こそ最も可動的で最も微細な要素からなり、感覚を想像するために不可欠なもの——その規則はタクトゥス(触覚)である。
感覚の伝播経路:まず第四実体(プリマ・キエトゥル)が揺すられ、次に熱(カロル)、次に息の見えざる力(ウェンティ・カエカ・ポテスタス)、次に空気(アエル)、そして血が全身をめぐり最後に骨と骨髄に達する。ここにフィニス(境界)という語(第256行)が現れる——ほとんど注釈者の注意を惹いてこなかった、とピジョーは指摘する。この語の出現とその機能はしかし魅了的である。ルクレティウスは感覚=知覚=情動(エピクリスムでは区別しえない)を二つの伝達則で描く:情動はアカトノマストンという抽象から骨という具体へ(最も微細から最も濃密へ);表面から内奥へ(身体の表面から骨髄へ)。だがこの劇を書いているのは誰か——ルクレティウス自身の実存的不安と、より深く哲学的な、エピクリスムに固有の状況(身体の座の地位に関わる)とが、幸福な出会いを見せている、とピジョーは推測する。
四、快の大きさの限界——キュリア・ドクサ第3則(頁158–160)
「限界」をめぐるもう一つの重要句、キュリア・ドクサ第3則(骨子):快の大きさの限界とは、あらゆる苦の除去のことである;快いものが現前するかぎり、苦も悲しみも、その両方も存在しない。イスナルディ゠パレンテ訳は「苦から快への通過」を含意すると解するが、ピジョーはこの一句がまず消極的定義(苦の除去)を与え、続いて現在の快の存在を条件とする積極的定義を与える、その順序を重視する。すなわち限界は苦から快への踏破(フランシスマン)と考えうる。V・ブロシャールの解釈——苦が止むとき、器官の自然な働きにより身体的均衡が回復すれば、生ける者は「自然に」満足を得る、というエピクリスム内在的な一種の楽観主義——をピジョーは支持しつつ、この「自然の戯れによる」満足のメカニズムこそ周知だが陳腐なエピクロス生理学の困難そのものだと留保する。
五、エピクロス的身体——カタステマティック快とキネティック快(頁160–163)
新節「エピクロス的身体」:このサルクス(肉)は不連続・空虚・充実・孔・原子・運動からなると知りつつ、それはアイステーシス(感覚)の場であり、それゆえ快の源泉であり、個体そのものの実体である。それは無限の経験を可能にする——エピクロスは快楽者に自らを延長・運動として表象させると同時に、快のうちで自己を集約することも強いる。ここにカタステマティック快(状態の快・構成的快)——存在をその限界のうちに集約し、時間なき無限を生きさせる快——の理解が成る。この経験こそ存在の一が無限の感覚のうちに把捉される場である。快とは非限定的なもの(アン・イリミテ)である。この経験に絶えず立ち返らねばならない;それによって自己を不滅(アプタルトス)と、神々との対等性のうちに知る。エピクロスの『メノイケウス宛書簡』の一句(骨子):これらは小さきものでも力なきものでもない——それがわれわれのうちに神に等しい状態を作り出すもの;なぜならわれわれは、死すべき者の条件に留まりながらも、不滅にして至福なる自然の不動の性質を示すものたちだからである。生きているかぎり、われわれは神々のように喜ぶ。
快の経験は、快によって散らばり・引き裂かれた身体という別の経験に対して、集約された身体の記憶、あるいはむしろ新たに集約された身体を対置することを可能にする(アリストテレス『範疇論』第8章のディアテシス/フュシス、特殊状態と一般的自然の対比が想起される——後代の医学に大きな成功を収める対立、と付言)。
六、ディアノイアとサルクス——テロスとペラスの弁証(頁162–163)
難解な一句として引かれるのが「キュリア・ドクサ第20則」(骨子):肉体は快の限界を無限であるものとして受け取り、それを無限の時間が与える;だが精神(ディアノイア)は、肉のテロス(終極)とペラス(限界)についての推論(エピロギスモス)を得て、永遠についての恐怖を払拭し、生を完全なものとして準備した。ここで肉はそれ自体では快の可能性は無限だが、肉それ自体としては存在しない——われわれは一つの身体、一個体であり、その点で有限な存在である。肉はそれゆえテロスとペラス(終わりと限界)をもつ。エピクロスはこの二語を並べて、それが同じことだと示す:終わりなき終わりはなく、あるいは終わりとは限界にほかならない。ここにディアノイア(精神)が対置される——だがそれは伝統的な魂/身体の対立、プラトン的な魂対身体の対立ではない。エピクロスは伝統的語彙を受け入れつつ、それを混同し和解させる。ディアノイアは肉に外から限界を課す監督者ではなく、肉が身体を構成するその限界そのものを発見する。この身体の限界の発見が、ディアノイアの調整的(レギュラトリス)機能である。
七、胃腹論——クリュシッポスの皮肉と『饗宴論』(頁163–166)
快の限界なき肉の対極にディアノイアが対置されたが、この対の内部でなお機能すべき、より精確な「或る種の存在」がある——それがガステール(胃)ないしウェントレ(腹)である。エピクロスの快の定義として名高い一句(骨子):あらゆる善の原理と根は腹の快である;知恵あるものすべて、卓越したものすべては、この快に関連づけられる。この挑発は明白である——胃腹を善の尺度とすることが何を意味するか。クリュシッポスはこれを機知に富んで批判した、とアテナイオスは伝える(骨子):あの厳密なクリュシッポスをも捉え、彼にアルケストラトスの『美食詩』をエピクロス哲学の母都市と呼ばしめたという当てこすり。エピクロスは実際『饗宴論』を著し、消化不良(デュスペプシアー)や熱病について問いを立てるほど身体の問題に沈潜した。プルタルコスの証言によれば彼は『病と死について』という論攷も著したが、表題しか残らない。エピクロスが哲学を胃腸病学(ガストロ・エンテロロジー)に置き換えたとさえ言いうる、とピジョーは皮肉る。
なぜ性ではなく胃腹を快の根とするのか——既に見た性への警戒(均衡を脅かす)に加え、消化と胃腹は秩序立った自然、自然の法則、フェドゥス・ナチュラーレのモデルを提供するからだ、とピジョーは推測する。だが「胃腹は際限なき充満を求める」という通俗的誤解に反し、キュリア・ドクサ第59則(骨子):胃は無際限ではない——大衆の言うように;胃の無際限な充満を求めるのは誤った意見にすぎない。胃には限定された充満(ホリストン・プレーローマ)がある——「非限定の充満(アオリストゥ・プレーローマトス)」の裏返しとして。ここにも法的なものと自然的なものの結合、事実と権利の一致が見出される。プルタルコス(あるいはキケロー)は皮肉にもコンパスの比喩でこれを揶揄する(骨子):人間たちは快の大きさを、あたかも胃の周りにコンパスと寸法で描くかのように、限界と規範に囲い込む。空間的な胃腹の限定と、時間的な快の限定とが交差する。
八、記憶論——エピクロス的記憶術の独自性(頁166–169)
エピクリスムにおける記憶(メモワール)の役割は決定的である——現在の悪に抗する真の治療薬は記憶であり、哲学者はそれによってファラリスの雄牛のなかでさえ幸福でありうる。キケローとプルタルコスはこの主張を嗤う——快い食事や良い夜の思い出が現実の悪とどう戦えるか、と。だがピジョーは、キケロー・プルタルコスともにムネーメー(記憶)とアナムネーシス(想起)、メモリアとレコルダティオを混同していると見る。アレクサンドリアのフィロン『寓意的解釈』が両者を有意義に区別する一節を引く(骨子):記憶と想起という魂の二つの本源的機能を、神は据えられた;記憶はより上位のもので、常に明晰な把握を保ち誤ることがない;想起はより下位の機能で、完全な忘却の下にあり、盲目で見えぬものである……想起は常に忘却に先行される、それゆえ「遅れて生まれるもの」なのだ。
ピジョーの解釈:エピクロスにおける記憶とは、単発の快の想起(レコルダティオ、忘却の危険にさらされたアクセサリー的想起)ではなく、記憶のブロックそのもの——時間の流れのなかで凝集する、いわば第二の自然としての、原子と運動の複合体である。この記憶=塊(メモワール゠ブロック)は、苦痛の不連続性に対して連続性(シュネケース)で応じる——「快の記憶を、苦の不連続性に対して対置する」というのが、痛みへのエピクロス的抵抗の本質だ、とピジョーは考える。F・A・イェイツの『記憶術』(1975年)がこの「エピクロス的記憶術のきわめて独自な理論」に一章を割いてもよかったろう、との評も付される。
九、結語——「魂はあらゆる苦しみのゆえに病む」(頁169–171)
胃腹論に立ち返り、その空間的限定と快の時間的限定の類比が確認される。フェドゥス・ナチュラーレ——自然と権利の等価性の確認——こそがエピクロスの関心事である、と改めて総括される。「限界」の観念をめぐるこの長い探究の結び(骨子):身体的苦痛と道徳的苦痛の対立は、教育的な意味しかもたない。賢は幸福な生に同一化する。ストア派の場合と同様に賢は幸福に同一化するが、まったく根本的に異なる仕方でである——ストア派においては幸福が賢に同一化し、賢が幸福であるのに対し、エピクロスにおいては賢は幸福に同一化する、すなわち賢とは快である。魂はあらゆる苦しみのゆえに病む——それがどこから来ようと、いかなるものであろうと。だが苦しみと病とは、一つの存在の欠如(マンク・デートル)から来る。もしわたしが快の経験と、わが記憶の禁欲によって、一つの別の存在を構成しえたなら、わたしはこの引き裂かれ散らばったわたし——あの別の者と同様に死に瓦解する——の頽落と死に、傍観者として立ち会うことができる。これがエピクロスの見事な教えである。
一〇、次の単位
頁171から新節「プルサ(あるいはビテュニア)のアスクレピアデス——自然と権利」。アスクレピアデスがエピクロス派であるか自体が問題含みだが、彼を「エピクリスムの外部」に置くことも不可能——彼の思考はエピクリスムのある種の帰結を照らし、とりわけ自然と権利の関係を明らかにする、と予告される。アスクレピアデスは、身体をその要素(オンコイ)と病因論のみによって記述する「素朴な機械論者」という通念に反し、身体の定義をめぐって考察すれば、彼をエピクリスムの外に置くことは不可能だと分かる、とピジョー。彼は同時に哲学者たろうとした——史上初めて「インストルメンタリスム」(機械論ではなく)を体系化し、ヒポクラテスのヴィタリスムを論駁した点で。また、魂を諸感覚の純粋かつ単純な一致として定義することで、エピクロスに内在する矛盾——相互作用論的二元論と快の開花における主体の一元論的哲学の共存——を、身体的疾病における魂の病という問題の解決として引き受けた、とされる。医学史においてはほとんど言及されず、文献学からも見放されているという、この特異な人物の検討が「五・その三」で始まる。
第Ⅱ章 アスクレピアデスの反ヴィタリスム
〇、人物像——顧みられぬ大医師(頁171–174)
アスクレピアデスがエピクロス派か否かという冒頭の問い(既出「五・その二」末尾)に加え、ピジョーは彼の知的肖像を描く方針を明かす。断片群はグンペルト版『アスクレピアディス・ビテュニ・フラグメンタ』(1794年)以来まとまった校訂を得たが、専門家はほとんど関心を払わない——最近もあるルクレティウス研究者が「アスクレピアデスにもっと関心が払われないことを嘆いた」という。年代:前2世紀後半〜前1世紀前半に活動、前50年代に没したとされる。古代随一の名医の一人、ヒポクラテスに次ぐ第二の医師(アプレイウス);キケローも彼を高く評価する(『弁論家について』I.62:「もし誰か一人がヒポクラテスに次ぐべきなら、それはこの人だったろう」)。プリニウスは彼を「弁論家として稼げなかったので医学に鞍替えした」と中傷するが、セクストゥス・エンピリコスは彼が誰にも劣らず医学に献身し同時に哲学者でもあったと証言する。ガレノスはしばしば彼を嘲笑するが、実は多くの頁を割いて反論する——それだけの重みがあった証拠である。
一、オンコイと原子——I.M. ロニーの読解(頁172–175)
アスクレピアデスは解剖を拒否する——身体の真理は臓器のうちにではなく、それを構成する不可視の要素のうちにある。すなわち管(ポロイ)とそこを循環する要素(オンコイ)——理性にのみ知覚可能で感覚には知覚不能——であり、これらの管の自由な循環が健康を表し、要素による管の閉塞(エンフラクシス)が病を引き起こす、というのがアスクレピアデスの根本教義である。彼はエピクロス派か——この問いをI.M.ロニーが近年才気煥発に再考し、アスクレピアデスはむしろヘラクレイトス・ポンティコスにその要素論を負うと論じた(語彙論に依拠した議論)。ロニーの論点:(a)管の閉塞理論自体はアスクレピアデス特有ではなく、ギリシア病理学の一般原則;(b)目に見えぬがロゴスにより理論的に把握しうる孔(ポロイ)の存在はストラトンに遡りうる;(c)アスクレピアデスに特有なのはその原子論と「管の閉塞」を要素塊の充満(エンフラクシス・トーン・オンコーン)として解釈する点——ただしこれ自体異論がある。ロニーによれば、アスクレピアデスの「原子論」はエピクロスのものではなくヘラクレイトス・ポンティコスのものであり、彼が前1世紀に前4世紀のエピクロス体系にわざわざ回帰したとは考えにくいという(ただしエピクロス派自身、生成発展した文明への感謝の念や説明のための神学的原理の全面拒否という点で、アスクレピアデス的気質にこそふさわしい魅力を持っていたはずだ、との反論の余地も付言される)。
カエリウス・アウレリアヌスの一句(骨子):初め身体の要素は原子と定められた;次に、知性によって知覚され、いかなる慣用的性質ももたず、始まりから合成されており永遠の運動を賦与された微粒子(コルプスクラ)が来た。ドラブキンはセクンダ(「次に」)を疑わしいとする——写本の誤りかもしれないという。カエリウスは興味深い区別を提示する:アスクレピアデスにとって原子は本質的・不可分の要素だが、それらはオンコイという複合要素へと群れをなす、という見立てである。ある箇所ではオンコイはエピクロス的原子のように振舞い、別の箇所ではエピクロス的なオンコイ(既に複合物)のように振舞う——この区別を裏づける確実な伝承はない、とピジョーは認めつつ、語彙論的難点に深入りすべきではないと方針を示す。
二、ヘラクレイトス的流動性——「感覚されうるものは二度と示されえない」(頁175–176)
古代の哲学史的伝統はしばしばヘラクレイトスとアスクレピアデスを結びつける。セクストゥス・エンピリコスにおいて、デモクリトス=エピクロス(要素は多様で受動的)に対し、ヘラクレイトス=アスクレピアデス(要素は多様だが受動的でない)という対比が示される;偽ガレノス『定義集』も同じ区別を行う。ガレノスはこの対立を超えて、アスクレピアデスとエピクロスが「変化(アロイオーシス)」の拒否という点で似ていると指摘する——この概念には後段で立ち返ると予告。アスクレピアデスの一句(骨子):感覚されうるものは、流れの速さゆえに、二度と示されえない。このヘラクレイトス主義は、後段の修辞学論で再訪すると予告される。
三、体系構築の意図——ヒポクラテス生理学への対抗(頁176)
アスクレピアデスは、ヒポクラテス的生理学に代わる、われわれが暫定的に機械論的と呼びうる物理学を構築するため、あらゆる要素を注意深く取捨選択したように見える、とピジョーは評する。ガレノスの見事な要約(骨子):アスクレピアデスにとって、いかなる部分も他と関係をもたず、あらゆる実体は自然本性上分割され、非連続な要素と粒子へ還元される。この身体像は分離した身体、砕かれた身体、ピュシス(自然本性・自然な統一性)を欠く身体である——アスクレピアデスはこれを一つの有機的全体とは見ず、解剖学的関心も拒む。膀胱は何の役にも立たない、というアスクレピアデスの主張がガレノスを激怒させる。
四、反ヴィタリスム——内的な熱も生命力も存在しない(頁179–180)
ヒポクラティスムのなかでもとりわけある種の性質——伝統をよく体現し『養生法』(ヒポクラテスかヘロフィロスの作とされる)のいくつかの定式に見える性質——がアスクレピアデスの標的となる。同書23–24章(骨子):すべては一つの合流、一つの共謀(コンスピラシオン)である;万物はシュンパテイア(共感)により、各部分は全体との関連において、そして機能に即して協働する;大いなる起源は最後の部分にまで達し、最後の部分から大いなる起源へと達する;在ることと在らぬことは一つの本性である。このヴィタリスム(ラエネクがまさにこの箴言群を好んで引き自らのヴィタリスムを基礎づけた、と脚注に付記される)に、アスクレピアデスは体系的に攻撃を仕掛ける:内的な火は存在せず、生得の熱(シャルール・イネ)も、生得の力(ピュイサンス・イネ)も、生命力(ピュイサンス・ヴィタル)も存在しない。彼はポノス(労苦)・デュナミス(力)といった、ヒポクラティスム・アリストテリスム・ストイシスムを混淆する哲学=医学的シンクレティスムの術語を無意味・空虚なものとして退ける。発熱の原因は内的な熱ではなく、純然たる機械論——管の詰まり・摩擦・消耗——に帰される。セクストゥスの伝える三つの仮説(骨子):①理性のみで把握される孔が寸法において互いに異なる;②湿気と空気の粒子が集積し永続的に運動する;③われわれ自身から外部へ多寡さまざまな流出物が発せられる。この明晰さを欠く三重の説明そのものが、アスクレピアデス的な説明の複数性の特徴だとピジョーは指摘する。
五、消化の否定——コクションなきレプトメレス(頁180–186)
反ヴィタリスムの第一の帰結が、消化(ペプシス/コクション)理論の独自の拒否である。古代人は消化過程に二つの仮説を立てた——腐敗(セプシス、エンペドクレスに代表される)と、それよりはるかに主流のコクション(ヒポクラティスム、アリストテレス『気象論』第4巻が詳論)。アスクレピアデスにとって食物のペプシス(コクション)は存在しない——存在するのはただ、腸のうちで食物が生のまま個々別々に分解されるソルーション(溶解)である、とカエリウスは伝える。
このレプトメレス(微細な部分)——カエリウスにとってはスピリトゥス(ギリシア語プネウマ)、すなわち生命の実体そのもの——という語は、あまりにエピクロス的な響きをもつため看過できない、とピジョーは注意を促す。エピクロスの魂の定義(骨子):魂は微細な部分からなる物体であり、全体の集塊に散らばっている。エピクロスは続けて、この実体を「ある種の熱を帯びた息(プネウマ)」に比しうると言う——だがこれはアスクレピアデスにはない質を実体に認めることになり、アスクレピアデスはレプトメレスの定義と、原子が温度も音も味も匂いも持たないという原則(ルクレティウスも明言)とを、いわば混同している、とピジョーは指摘する。
消化の各段階——吸収・変形・分配・同化——のすべてにアスクレピアデスは独自の(ガレノスに言わせれば知的スキャンダルな)解答を与える:吸収は食道の開口にすぎず、変形(アルテラシオン)は端的に否定され、分配と同化は沈殿と蓄積(セディマンタシオン・エ・アキュミュラシオン)という単純な機械過程に還元される。ガレノスが要求する牽引力(ファキュルテ・アトラクティヴ)という発想じたいをアスクレピアデスは無用と一蹴する。エピクロスは磁石の牽引を(不正確な仕方であれ)認め、鉄と琥珀の原子の形状的親和性で説明するが、アスクレピアデスは磁力現象そのものの存在を否定する——両者の対比は決定的な分岐点として銘記される。
薬物の二重作用(緩下剤が時に下痢を、時に便秘を起こす等)についても、アスクレピアデスは薬物そのものの物理(生理ではなく)の問題として解く——プレスュール(乳を固める酵素)とレネット(乳を薄める)の類比を用い、同一の力が濃縮と希薄化という逆の効果を生むと説明する。これにより変態(メタボレー)の過程と、自然・気質の深奥という発想そのものを消去できる、とアスクレピアデスは考えた。
六、生と運動の問題——脈・呼吸・「呼吸は随意の行為である」(頁186–188)
感覚は神経に由来しない——アスクレピアデスはここでも時代の解剖学(ヘロフィロス・エラシストラトスによる神経の発見)に反して、これを否認する。アルキゲネスの批判:関節炎の痛みにおいて、冒された神経自体は無感覚なのに(アスクレピアデスによれば)、周囲組織の圧迫のせいで肉が苦しむとされる——これは神経の特異性を認めない、位置と圧力の関係に感覚を還元する立場である。「呼吸は随意の行為である」というアスクレピアデスの一見奇妙な定式も、あらゆる生命機能の否定という同じ視座に立つ——目的性・組織・エコノミー(節約的合理性)の再導入を警戒する哲学的唯物論の帰結である、とピジョーは解釈する。
脈拍・動脈と心臓の運動については、ガレノスによれば「非当を得ない」——アスクレピアデスは生命力による説明を拒む以上、拡張期・収縮期を単純な力学(プネウマの充満と収縮)に帰す。静脈と動脈の差異も質によるものではなく、単に運動の量(酷使される部位ほど厚くなる)による、と説かれる。肺における動脈と静脈の逆説的な厚薄——他の部位とは逆の傾向を示す——についてもアスクレピアデスは独自の説明を与え、これがピジョーによれば「アスクレピアデスの解剖学的根拠」を示す貴重な一節だとされる。
七、次の単位
頁188から新小節「アスクレピアデスの機械論」。ガレノスの評言、そしてG・カンギレムの『生命の認識』からの引用(骨子):生物学理論は、その歴史を通じて、分裂し振動する思考として現れる——構造と機能の問題をめぐる機械論と生気論の対立、形態の継起をめぐる非連続と連続、存在の発展をめぐる前成説と後成説、個体性の問題をめぐる原子性と全体性。アスクレピアデスにおいては非連続性・後成説(肺動脈の形成を想起)・原子論が揃う。「機械論」の語自体はアスクレピアデスにとって時代錯誤——それは17世紀以後、イアトロメカニストたちが動物有機体を機械になぞらえるために導入した語だから——であり、ピジョーはむしろインストルメンタリスム(道具主義)という新語を提案し、次節でこれを機械論的アナロジーの体系化として展開する予定である。読解ノート「五・その四」で扱う。
第Ⅱ章 アスクレピアデスの機械論と「自然は法を守る」
〇、アスクレピアデスの機械論——インストルメンタリスムという新語(頁188–190)
カンギレムの生物学史的対立図式(既出「五・その三」末尾:機械論/生気論、非連続/連続、前成説/後成説、原子性/全体性)に照らせば、アスクレピアデスには非連続性・原子論・そして(肺動脈の逆説的形成に見られるような)後成説的発想が揃う。だが「機械論(メカニスム)」の語自体はアスクレピアデスにとって時代錯誤である——それは17世紀以後、イアトロメカニストたちが動物有機体を機械になぞらえるために導入した語だから。ピジョーはむしろインストルメンタリスム(道具主義)という新語を提案する:問題は身体の諸機能と道具的モデルとの類比である。喉の伸展による嚥下は「胃へ通じる経路の細さ」によって進む——食道は尿管と同様無用の付属物にすぎない。
身体内部の管同士の出会い——下方の管と上方の管が深部で連続することがあり、腸の熱が脳膜に影響しうるという発想——は、ヴィタリストのいう「共感(シュンパテイア)」の機械論的説明にほかならない。道具的モデルによる身体機能・器官構造の類比は新奇ではない——エンペドクレスが呼吸のモデルとしてクレプシュドラ(水時計)を用いた例があり(アスクレピアデスの名はガレノスのテクストでエンペドクレスの名と結びつけられる);『古い医術』第22章は頭部・膀胱・子宮を吸角(ヴァントゥーズ)に類比する(骨子):身体に用いる吸角、大きく開いた口から細い首へすぼまるものは、まさに肉から体液を引き出し吸引するために発明された。だがここには体液論(デュナミスによる病因論)と機械論(吸角の吸引という類比)が同居する。『病Ⅳ』39の「交通する容器(ヴァーズ・コミュニカン)」の類比も引かれる(骨子):諸々の泉と同様、体内に配置された諸源泉は、満ちれば溢れ、空になれば吸い込む——腹もまたそうする;あたかも三つ以上の大釜に、できるだけ水平な同じ場所に、管をつなげて配置し、一つに水を注げば満ちるまで注がれ、すべて満ちたなら、一つから水を汲み出せば、他のものが逆向きに水を流し込み、すべてが最初満たされたのと同じように空になる。だがこの類比は体液説と類似の原理(類は類を引く)と共存する。
アスクレピアデスの真の新しさは、道具的モデルを体系化し、これらの装置の機能に整合的な理論を与えた点にある。ヒポクラテスにおいて体液の質的理論から交通容器や吸角という量的モデルへ移行することは不可能——それらは便利だが不完全な隠喩にとどまる。アスクレピアデスの量的・反ヴィタリスム的理論がこれらのモデルに論理的一貫性を与える。彼は磁力との類比さえ拒むほど徹底している——ガレノスの指摘どおり、これはエピクロスよりも急進的である(エピクロスは磁力現象の物理的説明を試みていた)。
一、「自然は法を守る」——ピジョーが「かつて注釈されたことのない哲学的スキャンダル」と呼ぶ句(頁190–192)
この孔だらけの身体、目に見えぬ管を貫かれた身体は、何によって存在し続けるのか。いかなる生命原理も目的論もないのに、なぜ崩壊しないのか。ここにアスクレピアデスはこれまで誰も注釈したことのない、真の哲学的スキャンダルとも言うべき、驚くべき解答を与える:
「自然は法(ノモス)を守る(維持する)」
この一句は複数の読み方を許す:自然は概念を維持する、自然は法を保存する、すなわちこれらの管・粒子——理性によってのみ知られる——を、自然はその存在と運動において維持する。『倫敦匿名者』の文脈がこれを明確にする(既出「四・その一」§八):まさにこの目に見えぬ実在物の存在をめぐって、アスクレピアデスはこの定式を発した。これは「権利が自然を救う」という伝統的命題の逆転である。ヘーゲルに送り返しつつキルケゴールが述べる「概念を維持する能力があるのは自然である、という類の定式は哲学的不条理」という評言も引かれる。この「不条理」をアスクレピアデスは支持する——この自然とは何か? それは確実に生の原理ではない(アスクレピアデスが断固否定するもの)。この自然とは、これらの管とこれらの粒子の維持そのものにほかならない。それは、いわば横柄で、高慢で、逆説的な、解決——エピクリスム本来の困難、すなわち権利と自然の対立を、自然が権利である(自然イコール権利)と主張することで超克しようとするエピクロスの試みと同じ困難——なのだ、とピジョーは接続する。
『空気・水・場所』第14章の長頭族論(既出、ch1-note-4「その四」§二既出)が再訪される——長頭族は慣習(頭を細長く整形する育児習慣)によって形づくられた頭を世代を重ねて自然なものとするに至る;ヒポクラテスの定式:ヘー・ピュシス・シュムバレタイ・トー・ノモー(「自然は慣習の助けとなる」)。これに対しアスクレピアデスは動詞を変える——「助ける(シュムバレタイ)」から「守る・維持する(テーレイ)」へ。この一動詞の変更のうちに、ヒポクラテスからアスクレピアデスへの論理的落差が測られる、とピジョーは総括する。
二、アスクレピアデスの修辞学——定義の欠陥と「メタレプシス」(頁192–195)
修辞学が医学に、とりわけ定義という営みにおいて影響を与えたことは、既にフレニティスとマニーの分類問題(既出「四・その一」・「四・その二」)で見た。アスクレピアデスは定義の問題にも修辞学の問題にも深く取り組んだ——セクストゥス・エンピリコスにおける「文法学(グランマティケー・テクネー)」の定義をめぐる議論にも、カエリウス・アウレリアヌスが激しく批判する医学的諸定義にも、その痕跡がある。ピジョーの見立て:アスクレピアデスを批判するカエリウスの真の争点は、修辞学的・論理学的なものである——一般に諸学派は病の定義そのものについて広範な合意をもつが、アスクレピアデスは定義のうちに病因論を滑り込ませるという過ちを犯し、それによって定義そのものが議論の的になってしまう(フレニティスの定義における「フレクエンター(しばしば)」という副詞の位置づけ論争——既出「四・その一」——がその実例として再訪される)。
もう一つの様式的特徴がヘラクレイトス的文体である——各語が先行する語を修正し以後の語に影響するという、ヘラクレイトスのロゴス=世界の連続的流動を模倣するかのような書き方。さらに注目すべきは、カエリウスがメタレプシス(転喩)と呼ぶ、しかしピジョーによれば実際にはシネクドキ(提喩・部分で全体を表す用法)と呼ぶほうがふさわしい修辞技法の体系的使用である——たとえば「濃い部分の液体」で「液体」全体を言う用法。アスクレピアデスにとって世界は組み合わさる要素からなり、これらの粒子は出会い衝突して砕け、無数の断片となり、再び結合して感覚可能な物体を形成する——性質を持たぬ要素の効果として性質が生じることは不合理ではない、と彼は考える:銀は白いというが、それを擦って得る粉は黒い(アドフリカティオ);山羊の角は黒いが、削れば白い粉になる(セラゴ)。感覚にとって全体は部分の総和とは異なる——シネクドキはこの知覚の過程そのものに基礎をもつ修辞であり、論理的説明と確証の両方に資する、とピジョーは評価する。
三、結語——モニスムの理論的帰趨、クリュシッポスとの対比(頁195–196)
もう一つの興味深い結論:この二つの一元論には理論的未来がない。二元論がそれぞれの哲学の内部で結局は勝利する。ルクレティウスはあらゆる一元論的仮説に反発する——次節で見るとおり。ポセイドニオスは生理学的観点から、キケローは哲学的観点から、クリュシッポスの一元論を修正する。ルクレティウスとキケローは、身体と魂についての古い言説(パラィオス・ロゴス)の真理を主張する点で、同じ側に立つ。
四、次の単位
頁196から新節「ルクレティウスと魂の病」、第一項「魂と身体の関係」。P・H・シュライヴェルスの近年の論考が、ルクレティウス生理学への関心の乏しさを嘆きつつ「彼はヒポクラテス・アリストテレス・アスクレピアデスの諸理論を折衷主義的に、いわば科学的ブリコラージュのごとく扱う」と評したことへの応答として、ピジョーは、ルクレティウスの生理学的例示の選択がその二元論とヴィタリスムという二つの根本要素によって統御されている、と論じる方針を示す——ヴェルギリウスの厳密さを既に示したのと同様の厳密さが、ルクレティウスにも見出されるはずだ、と。第3巻冒頭でルクレティウスは、指導的原理(アニムス/メンス)が身体全体の指揮官として明確な座——胸の central——を持つと主張し、これをアスクレピアデスの「ヘーゲモニコンなし」「魂は諸感覚の協働(シュンギュムナシアー・トーン・アイステーセオーン)にすぎない」という説への系統的対抗として展開する、と予告される。読解ノート「五・その五」で扱う。
第Ⅱ章 ルクレティウスのメランコリー診断論争
〇、反アスクレピアデス的生理学——魂の座の実験的論証(頁196–200)
ルクレティウスがアスクレピアデスに negative に反応した「気質」の人であることが確認される——エピクロスへの忠実さから、体系的な一元論と機械論に反発するヴィタリスト的二元論者としてルクレティウスは立ち現れる。第3巻冒頭、ルクレティウスは指導的原理(アニムス/メンス)が胸の中央域という明確な座をもつと強く主張し(第III巻140行:イドクェ・シトゥム・メディア・レギオーネ・イン・ペクトリス・ハエレト)、感覚の座は局在しえないとする説(ハビトゥム・クエンダム・ウィタレム・コルポリス——身体のある種の生の様態)を退ける。この点でアスクレピアデス——彼にはヘーゲモニコンが存在せず、魂は諸感覚の共働(シュンギュムナシアー・トーン・アイステーセオーン)にすぎない——への体系的対抗が展開される、とピジョーは論じる。
戦車の大鎌で四肢を切断された兵士が、地に落ちた自分の手足がなお痙攣するのを見ながら痛みを感じないという名高い一節(第III巻642–656行、骨子):戦いに熱中する魂は、傷ついた身体の一部にはまだ気づかない……こうして魂は全体として分かたれ、しかし同時に身体と分かちがたく結びついていることが分かる。なぜなら両者は共に、死すべきものとして分割されるからだ。ここでルクレティウスとアスクレピアデスは同一の経験(戦傷、あるいはアスクレピアデスの場合はハエ・スズメバチ・イナゴの実験——頭を切っても体幹がなお生存の徴を示す、蛇や亀は心臓を抜いても暫時生き続ける)を用いながら正反対の結論を導く。アスクレピアデスにとってこれは魂の局在説への反証(優越した機能が破壊されても活力は続く);ルクレティウスにとっては逆に魂の物体性・可分性・可死性の論証である。
一、魂の病の特殊性——アニムス・メンスの相対的自律(頁200–204)
だがこの「身体からの魂への影響」の強調は、同時にこの巻がひそかに示すもう一つの重要な論点——魂のある種の病の特殊性と、身体に対するその相対的独立性——を隠している。アニムスの魂(アニムス゠メンス)は胸に座をもち(ペル・セ・サピト——それ自体で知る)、アニマと感覚から独立した認識と感覚の自律性をもつ(シビ・ガウデト——それ自体で喜ぶ)。魂に固有の快がある一方、逆により激しい恐怖を魂が抱けば、身体は発汗・蒼白・声の喪失・視力の喪失・耳鳴り・四肢の虚脱に見舞われ死に至りうる(第III巻152行以下)。すなわちこれは量的な閾値の問題であり、相互作用は相互的(レシプロック)である。
魂に固有の病として、ルクレティウスはクーラエ(憂い)・ルクトゥス(悲嘆)・メトゥス(恐れ)を挙げる(第III巻459行)。さらに先で、未来への恐れ、憂慮、悔恨、魂に固有の一つの狂気(フォリー)、そして忘却を特定の病として挙げる(アッデ・フロレム・アニミ・プロプリウム・アトクェ・オブリウィア・レルム——「魂に固有のフロールと事物の忘却を加えよ」、第III巻828行)。この「魂のフロール」が何を指すか——ロビンは先で描かれる恋だと考え、ベイリーはむしろ医師の言うマニー(起源が身体的なことが知られている)ではないと考える——理由は、ここでルクレティウスはアニムス/コルプスの対立の内部で推論しているからである。
二、レタルギー・イブレス・カタレプシー——身体の病がもたらす魂の病(頁201–205)
身体病から生じる魂の病の一覧:熱性譫妄(デリール・フェブリル)——理性が迷い錯乱する(dementit et delirat、ただしフレニティスへの言及はないとピジョーは注記);レタルギー——永遠の眠りの深みに落ち、目を閉じ頭を垂れ、もはや声を聞き分けず顔を認識できない、しかし呼びかける家族の声を聞く(第III巻465行以下)——この記述は生理学的起源をもつリポテュミー(第III巻592行)にも近づけられる:魂が身体全体から離脱しようとするかのような瀕死の状態。アスクレピアデスもまたレタルギーとカタレプシーを研究した——持続的な日毎熱が「身体と精神の抑圧」(corporis atque mentis oppressio in similitudine lethargiae)に似た、危険な病へと転化する例をローマでしばしば観察したという。
イブレス(酩酊)とその心身相関的徴候——四肢の重さ、脚のもつれ、口ごもる舌、潤んだ目、叫び・しゃっくり・喧嘩(第III巻476行以下);エピレプシー——その突発性、泡、呻き、震え、痙攣、あえぐ呼吸(第III巻486行以下、風に沸き立つ海の泡への壮大な比喩で結ばれる)。これらの病に病因論の素描(酸っぱい体液・アケル・ウモルの逆流と滞留)が与えられる;第IV巻664–665行では熱の原因の一つとして胆汁が優越することが示唆される。だが最も興味深いのは身体から魂への作用の過程そのものの定式化(第III巻470–471行、骨子):ゆえに認めねばならない——精神もまた解体されうると、なぜなら病の伝染(コンタジア)が精神のうちに浸透するからである。ディディトゥスとコンタギアという語が対で現れ、後段(第Ⅵ巻論)で展開される伝染理論の先触れをなす、とピジョーは予告する。
三、医師としての医薬の作用——ワインと薬物による魂への介入(頁202–203)
身体的作用が魂に及ぶもう一つの経路として、医師による魂への直接的介入が論じられる——魂という病んだ身体もまた医術(sanari)によって「曲げられ(フレクティ)」うる(第III巻510行)。プルタルコスが伝えるエピクロスのワイン論(骨子):ある特定の分量のワインが誰かに与えられたとき、それが常に温めるとは限らない……原因を割り当てた上で結論すべきは、このワインがこの状況・この人にとって温めるものだということだけである……なぜなら混合物のうちには、組み合わされると本当に冷やす作用をもたらしうる自然の実体があるからだ。原子の接触と混合(コンティギュイテとクラーズ)による組み合わせを通じて、魂は薬物によって変容されうる——ルクレティウスは触れないが、これはヘレボルス・ヒヨス・マンドラゴラ・阿片・ワインというアスクレピアデスの領分である、とピジョーは指摘する。
四、taedium uitae とルクレティウスのメランコリー診断論争(頁205–208)
大詩句(第III巻1053–1075行)——現実の生から逃れようとして家を飛び出しては戻り、都市から田舎へ、田舎から都市へと絶えず自分自身から逃げようとする人間の姿——が全文引用される(骨子):もし人々が、自らの精神に重くのしかかるこの重さの起源を知り学べたなら……不幸の大きな重荷が胸の内にあるのはどこから来るか知っていたなら、このように生きはしないだろう……誰もが自分自身から逃げようとする——だがまさにこの自分自身にこそ、当然ながら執着し続ける;病んでいるのに(エゲル)、自分の病の原因を悟らないからだ。もしそれが分かれば、他のすべてを措いて、事物の本性を研究するだろう——問題は永遠に関わるのだから、たった一時間のことではないのだから。
この一節から即座に感じ取れるのは重さ(ロードゥール)の印象——ポンドゥス・グラウィタス・モーレス・オヌス・グラウィスという語彙がアニムスと胸に住まう。ペレッリらは、第III巻526行以下の死の描写(四肢が一つずつ生気を失ってゆく)を「ルクレティウスのメランコリー」の徴候として引き、ログレ博士『ルクレティウスの不安』はこの記述を作者自身に転移し、「間歇性精神病」「軽度の抑うつ相」あるいは「顕著なメランコリー発作の始まり」の診断を下し、taedium uitae の論理的帰結は自殺だと断じる。
ピジョーはこの遡及的診断(レトロディアグノシス)に明確な留保を示す:「この転移は説得的とは思えない」。ベイリーの指摘——不安定さと倦怠は共和政末期・帝政初期の生の特徴的性格と見える——を引きつつ、「では、これを単なる文学的主題の開拓に還元すべきなのか、エルヌーとロバンが望むように? われわれはそうも思わない。個人化と一般化のどちらも許されないことを避けねばならない」と、両極端を戒める中庸の立場を明示する。そして続けて——「魂の病について言えば、死の恐怖に対応する症候学を、ルクレティウスはここで見事に記述している。手短に言うなら、これはメランコリーだと言えるだろう」——診断の対象はルクレティウスその人ではなく、彼が記述する症候そのものである、という決定的な区別線をピジョーは引く。この「テクストの症候学」と「作者の伝記的診断」を峻別する方法論的態度は、古典文献に描かれた心理を扱う際の模範的な戒めとして銘記に値する——ディドーの心理描写系譜(pinel-virgile 補注)が実践する態度とも通底する。
ピジョーはこの「病」を「哲学的メランコリー」「存在することの悪(マル・デートル)」と呼ぶ——実存に結びついた、自己が死に向かう存在(エートル・プール・ラ・モール)であると感じる本質的な病であり、黒胆汁はルクレティウスには存在しない。この病の名としてデュスチュミー(ギリシア語、後段のエウテュミア論で再訪)という語を提案する。回復(ゲリゾン)は自然学の認識に結びつく——真の医師はエピクロスである。症状は心身相関的で、この病に固有——だから「メランコリー」と呼びうるとすれば、それは不治であることが多い(第III巻1070行:プロプテレア・モルビ・クイア・カウサム・ノン・テネト・アエゲル——「病人は自分の病の原因を知らないから」)。エピクロスが発明した治療薬はテトラファルマコス——生の慰め(ソラキア・ウィタエ)——であり、フィロデモスに引かれる四箇条(骨子):神は恐るるに足りず、死に危険はなく、善は容易に得られ、悪は耐えやすい。ソラキウム(慰め)はレメディウム(治療薬)とは違う——レメディウムが身体に対応するように、ソラキウムは魂に対応する;エピクロスは医師なる神(デュー・メデサン)なのだ、と後段(第Ⅴ巻論)で示すと予告される。
五、『ティマイオス』との対話——マニアとアマティア、テレンバッハの循環的対立(頁208–210)
第III巻828行のフロール・アニミ・プロプリウム・エト・オブリウィア・レルムという句を、ピジョーはプラトンの二語——マニア(狂気)とアマティア(無知)——の転置ではないかと推測する。『ティマイオス』の記述が引かれる(骨子):これらの障碍のいずれかを伴う情態はすべて病と呼ばれるべきであり、快楽と苦痛の過剰こそ魂にとって最大の病である……人は快の絶頂で歓喜し、苦の絶頂で苦悩するとき、対象を正しく捉えることも聞くこともできず、逆上(リュッタ)し、最も理性を欠く状態になる。H・テレンバッハはマニアとアマティアに、興奮と抑うつという二つの対立局面を見出す——プラトン自身はこの対立を追求しなかったが、むしろ快の興奮と苦の興奮という対立を選んだ、とテレンバッハは言う。いずれにせよここには循環性精神病(躁鬱病)の最初の記述——テレンバッハの言うツィルクレーレ・アンティノミー(円環的対立)——が見出される、と評される。以後アリストテレス学派が『問題集』第30巻で、躁と鬱の両局面を胆汁の状態に結びつけて記述することになる。
六、結末の位置づけ——ペストと反神義論(頁210–211)
『事物の本性について』はペストの記述という劇的な終幕で閉じる——これが「ルクレティウスの抑うつ的狂気」の徴だとする通説(自殺の伝承と結びつけられがちな見方)に、ピジョーは異を唱える。むしろペストの主題は認識論的困難の最高度——伝染(コンタジオン)の理論的問題——という観点からこそ理解されるべきであり、第Ⅵ巻を締めくくる自然な位置にある、と論じる。ペストと伝染は当時(ルクレティウスの時代)における新しい病の問題(既出「五・その三」恐水病論と接続)に関わり、この主題は本書後段のエウテュミア章で扱う偽デモクリトス『恐水病論』にも通じる。第Ⅵ巻の考察順序として四つの視座——ルクレティウス自身の精神的健康の観点(最も興味に乏しいとされる);『事物の本性』全体・エピクリスムの均衡の観点;落胆(デクラジュマン)の記述の観点(第III巻1177–1178行「悪への安らぎはなかった、疲れ果てた身体は横たわっていた」;第III巻1183–1184行「乱れた精神は憂いと恐れに悲しみ、眉をひそめ、荒々しい顔つき」);そして『ヘラクレスの災厄』を演出する視座(英雄性・力・勇気の観点からの、身体の病に続く道徳的頽落という視座)が予告される。
七、次の単位
頁211後段から新項「伝染——一つの認識論的問題」。第Ⅵ巻はアテナイとエピクロスへの讃辞で開幕する——エピクロスは各人の胸に絶えず巣食う不安な心を癒し、魂の闇と恐怖を、太陽の光線によってではなく自然の姿と理法(ナトゥーラエ・スペキエース・ラティオクェ)によって払拭した、と。ここから、ペストを古代における「新しい病」の問題、そして伝染理論の認識論的難点として位置づける議論が展開される。読解ノート「五・その六」で扱う。
第Ⅱ章 伝染——一つの認識論的問題
〇、節の開幕——アテナイとエピクロス讃、「魂の闇」の払拭(頁211–212)
第Ⅵ巻はアテナイとエピクロスへの讃辞で開幕する。ピジョーの再構成(骨子):エピクロスも含めて誰もが、その内奥(ドミ——「家に」)に不安な心(アンクシア・コルダ)を、精神の生を虚しい懊悩で絶えず苛むものを蔵していた;エピクロスは真理の表現によって心を浄めた(第24行);われわれ皆が憧れる至高善の本性を知らしめ、人間の運命に撒き散らされた悪のすべてを——事故によるにせよ自然的原因によるにせよ、宇宙の確立した秩序に従って(クオド・シク・ナトゥーラ・パラセット)生じ拡がる悪を——見せ、人類がその心のうちで煩いの苦い波を虚しく転がしている(ウォルエレ・クラールム・トリスティス・イン・ペクトレ・フルクトゥス)ことを論証した;この魂の恐怖と闇を払拭するのは太陽の光線でも昼の輝く矢でもなく、自然の姿と理法(ナトゥーラエ・スペキエース・ラティオクェ)である(第39行以下、エルヌー訳に拠ると注記)。——科学、説明、そして世界についての異なる複数の説明さえもが、人間を死の根源的恐怖から解放しうる。死の恐怖は第Ⅲ巻の領分であり、あらゆる魂の病がそこから生まれる(注331:エピクロス『ヘロドトス宛書簡』37「生の平安を認識のうちに置く」参照)。
ここで問題が定式化される。第Ⅵ巻の全体(ペストを除く)が宇宙の合理的説明の試みであることは容易に認められるのに、ペストの記述がこの「理性化による魂の浄め」の延長線上にあると考えることには皆が困難を覚える。記述のパテティックさを推論の断絶と感じ、そこに自らの精神病の眩暈に呑まれ自殺へ向かうルクレティウスを見る——これがログレ博士のテーゼでありペレッリのテーゼである(注332は皮肉に「それは聖ヒエロニュムスのテーゼだった」と付す)。「われわれのテーゼは全く異なる」。ルクレティウスを文字通りに読むなら、ペストの記述は死の恐怖の破壊による魂の治癒の企ての一部であり、重要なのはパテティックではなく合理的説明の帰結だという方向で考えねばならない。これがこの巻の本質的困難であり、この巻のレクティオ・ディフィキリオル(より困難な読み)である。ピジョーはボラックの「ペストは、ルクレティウスが与えた位置のゆえに、一つの自然誌(イストワール・ナチュレル)の一部をなす」に同意しつつ、それだけでは足りないと言う——ペスト記述の治療的効能とその道徳的・形而上学的重要性を知るには、認識論と道徳のあいだの複雑でときに困難な諸関係の歴史を経由する必要がある。
理解すべきは二重の現象である(注334:ペストの正体——トゥキュディデスの記述は麻疹か発疹チフスか——という問題は医学史家に属し、ここでは「ペスト」で現代的な意味での伝染性疾患一般を指す、と明記):(一)住民の重要な部分、時に全体が、同じ病に同じ時に同じ場所で罹りうること;(二)この病が循環し、よそからやって来ること。この二側面は同じ一つの解では説明しがたい。
一、ガレノスのヒポクラティスム——エピデミーをエンデミーへ還元する(頁212–216)
「いつもの流儀で」誰か一人が考えるさまを見よう、としてガレノスの『流行病』第Ⅰ巻註解の序論が選ばれる。ガレノスとともに見えてくるのは、「エピデミー」の意味がヒポクラテス以後、おそらくペストの闖入のゆえに変わったことである。ヒポクラテス的なエピデミー的コンスティテュシオン(体質・状況構成)とは、ある場所のある季節に存在した諸病とその条件の総体の記述であり、伝染の伝播を含む現代的な「エピデミー」概念とは無関係だった。ガレノスの関心は病の共通性格、すなわち共通の病(マラディ・コミュヌ)の事例にある。同じ場所の人々の総体が同時に襲われるのはなぜか——これは「ヒポクラティスムにおいては」よく解決される、として彼は『人間の自然性論』『空気・水・場所論』『急性病摂生論』を引く。
『人間の自然性論』は原因を与える:規定食の異なる個体(女・男・子ども;飲酒者と禁酒者、パン食と非パン食)が同時に同じ病に罹るのは、空気こそがこれらの人々に共通する唯一の要素だからである(注336)。ガレノスは他の可能な原因も付す:軍営地などでの共通の水;そして「カロンの穴(トゥルー・ア・カロン)」——地から立ちのぼる蒸気(ギリシア語骨子:時にカローネイアと呼ばれる坑から溢れ出る気息から……)。かくて『人間の自然性論』では、病の同一性と同時性が要素の同一性(吸気される空気)から論理的に説明される——だがペストの話も、病の循環の話も、そこにはない。『空気・水・場所論』では「普遍的」病=共通の病(パンコイノイ)の存在が確認され、第三のテクスト『急性病摂生論』の引用でようやくペストとの「接合」がなされる:ペスト的な種類の病のエピデミーがないときでも、散発的な病で同じかそれ以上の人が死ぬ(R・ジョリー訳を引きつつ、コイノス(共通の)の語がガレノスにとって決定的だと注記。注343は「『急性病摂生論』の『ペスト的諸病』をアテナイ型のペストと同一視することほど議論の余地あるものはない」と釘を刺す)。
これらのガレノス引用に現れるのは一個の推論である:ペストは共通の病の一部である;共通の病はヒポクラテスに知られている;その病因は局所的環境、まずもって吸気される空気に求めるべきである。ガレノスの気がかりがペストであることは、続く箇所——万人がペスト的諸病を破滅的な病(オレトリア・ノセーマタ)と呼び知っている;その最も過酷なものはロイモーデー(ペスト的)と呼ばれ、空気の状態(ペリ・トン・アエラ・カタスタシス)にその原因を持つ——で確認できる。ガレノスにとって重要なのは、ペストとその諸問題をヒポクラテスが既知とし目録化した諸現象へ還元すること、ついでエピデミー的現象を現代的な意味でのエンデミー(風土病)的現象へ還元することなのである。
ルクレティウスも第Ⅵ巻でペストの原因を考察しつつ、同じ仕方で伝播の困難な問いをぼかして推論を終える:「われわれ自身が健康に反する場所へ赴くのでも、自然が汚染された空気を自発的に運んでくるのでも、あるいは慣れぬ異物が不意の到来でわれわれを苦しめるのでもよい」(VI.1132行以下、エルヌー訳)。この文でもエピデミー(現代的意味)の困難がエンデミーの現実によって隠蔽されている。根本においてヒポクラテスの権威はトゥキュディデスの権威と衝突する:ヒポクラテスは地理的空間を、各々固有のエピデミー的コンスティテュシオンを持つ場所の連なりとしてしか考えず、場所から場所への病の移動を知らない。スキャンダルを暴くのはトゥキュディデスである——ペスト的な悪のエジプトからの到来。ここに注目すべき事実がある:伝染のエピデミー的事実にとって、異論なき不可謬の権威は歴史家であって、医師ではない。「伝染は歴史的概念である(La contagion est un concept historique)」——それは歴史に属する、という意味においてもである。以後、誰もがトゥキュディデスを参照する:ルクレティウス、ウェルギリウス(ルクレティウス経由で、または『ノリクムのエピゾオティ〔家畜疫〕』の記述で直接に——『農耕詩』第Ⅲ巻440行以下)、ガレノス、さらにプルタルコス(注348:『神罰の遅延について』558。「プルタルコスが医学と倫理のアナロジーのために伝染概念を用いるとき、レ・ベル・レットル版校訂者〔ヴェルニエール夫人〕の考えとは違って、穢れという古い概念への回帰ではなく、歴史的で新しい概念の利用である」と強調——第Ⅲ章「医学モデルの偉大さと限界」で再論予告)。
この新概念の困難を測る前に、ガレノスのある一節(VII K 289以下)に戻る——その逡巡と両義性ゆえに興味深いテクスト。ペスト性の熱の原因は腐敗によって汚された吸気である(ギリシア語骨子:ペスト的状況においては吸気こそが最大の原因……多くは周囲の空気の腐敗性の立ちのぼりから始まる)。腐敗の起源は、火葬が追いつかぬほどの死体の夥しさ(戦争時のように)、沼沢の瘴気、あるいは過度の熱気(トゥキュディデスの伝えるアテナイのペストの場合、p.290)。ガレノスはトゥキュディデスII.48以下を参照させ、常にこのテクストに立ち返るべきだと言う——なぜなら「いかなる原因も、患う者の身体の性向(エピテーデイオテース)なしには作用しえない」(ギリシア語骨子)からである。その性向の例:夏の陽射しの下で暮らす者、動きすぎる者、飲む者、苛立つ者、心配事の多い者——疲労した者、酔った者、怒った者、悲しんだ者(コーテンテス、オイノーテンテス、テューモーテンテス、リュペーテンテス)。これは大まかには戦時の人々の心理的条件と陣営の regime として理解できる。だが理解しがたいのは、このガレノスの病因論がトゥキュディデスの病因論と全面的に矛盾することである。トゥキュディデスは書いていた:いかなる体質も——頑健であれ虚弱であれ——この悪に抵抗できなかった;病はあらゆる摂生にかかわらず万人を殺した(LI.3)。つまり身体的性向も生活regimeも数に入らなかった。心理的条件について言えば、アテューミア(意気阻喪)は病の帰結であって原因ではなかった(LI.4)。ガレノスはここで奇妙な註解者を演じている。むしろトゥキュディデスに忠実なのはルクレティウスである——誰も病を免れなかったと注記する(VI.1250行以下:牧人、家畜の番人、頑健な犂の導き手……)。そしてウェルギリウスもまた、ルクレティウスとトゥキュディデスに従い、しかも自分を憤らせる医学的病因論と戦うためにおそらく一層力を込めて、例外なく斃れる家畜たちについて書いた(『農耕詩』III.526行以下、骨子):彼らを滅ぼしたのはマッシクスの酒でも、バッコスの賜物でも、馳走の過多でもない;彼らの食べ物は木の葉と草、飲み物は澄んだ泉と流れる水であり、心労が健やかな眠りを妨げることもなかった。——ウェルギリウスが闘っている古典的病因論を再現しているに違いないガレノスのテクストと比較することは印象深い:ウェルギリウスは言う、病を説明するのは regime の違いでも、酒の濫用でも、心理的条件でもない、と。
ピジョーはここで、伝染をめぐる権威の系譜(トゥキュディデス→ルクレティウス→ウェルギリウス→ガレノス→プルタルコス)のうちにウェルギリウスを正規の一員として位置づけるのみならず、『農耕詩』第Ⅲ巻のノリクム家畜疫の記述を、当代の医学的病因論(regime・飲酒・心理条件による説明)への意識的な反駁として読む——酒も馳走も心労も知らぬ家畜が例外なく斃れる、という細部の列挙は、ガレノス型の性向病因論を否定するために選ばれている、と。これは pinel-virgile の前提——ウェルギリウスは医学的知識を装飾としてではなく論争的な精度で運用する詩人であり、だからこそピネルはディードーの記述を臨床的に読むことができた——のピジョーによる独立の傍証である。第4巻の恋の病理記述(ウルヌス・アリト等)だけでなく、『農耕詩』の疫病論もまた「医学と対話する詩」だったことになる。pinel-virgile 補注(三)に v33 として反映。
二、アスクレピアデスの定義とカエリウスの定義——decliuitas という語(頁216–218)
ガレノスは「彼自身の表現によれば」若干の仮説を提示するが、列挙の最後に何の断りもなくエンフラクシス・トーン・ポローン(細孔の閉塞)——明白にアスクレピアデスの因果理論への依拠——と、「いわゆるプレートーラ(充溢)」——同じく明白にエラシストラトスの因果性への参照——が現れて驚かされる。ガレノスの病因論には後で戻るが、一つ印象的なことがある:ガレノスには、トゥキュディデスの権威とともに確認され記述された伝播(プロパガシオン)の事実を受け入れることへの抵抗があり、同時にそれを巧妙に否認しているように見えるのである。
貴重な情報として、アスクレピアデスはペストについての書物(デ・ルエ)を書いていた。おそらくその treatise で彼は定義を与えていた。カエリウス・アウレリアヌス経由(『急性病』II.231, p.294;注355はカエリウスが「冷たい酒を与える者たちを批判していた」ことのみ伝わると付す):「ルエス〔ペスト〕とは、それが存在する場所において、そこに居合わせる生き物たちの、慣れざる質(クアリタス・インスエタ)であって、共通の原因により、彼らが速やかで死に至る病に冒されることを説明するものである」(I.12からの定義。注356:この定義問題をめぐる一節でカエリウスはアスクレピアデスに、病の記述ではなく原因を与えたことを非難している——既出頁192参照)。ペストは規定された場所における慣れざる異常な質として定義され、この条件が、その地方の生き物(人も獣も)が共通原因から生まれる致死的な病に冒されることを説明する。ここでもまた局所的状況であり、二重の条件——個体の適性(アプティテュード)と共通原因——を伴う。カエリウス・アウレリアヌスはこの定義を論理と「実体と質の差異」の観点から批判し、ソラノスの定義(かつ彼自身の定義)を与える:「ルエスとは病への傾き(デクリウィタス)、共通の先行諸原因の結果として際立ち加速された傾きである」。推論の精妙さを別にすれば、定義は同じである:先行する共通諸原因の効果の下での病への性向(原因はまず自然的性向のうちにある)。共通諸原因は特定されないまま——そして空間内の伝播の話は、十中八九、ここにもない。
興味深いことに、ガレノス自身にも同じ構えがある:「病の生成の最大部分は、患おうとしている身体の性向にある」(ギリシア語骨子、VII K 291)。実のところペストには二重の起源がある:一方に腐敗した空気、他方にそれ自身のうちに腐敗性を含む身体。この腐敗性は排泄物のような物質的な何か——ロイムー・スペルマタ(ペストの種子)——として考えねばならない(注359:「ここに病原「胚種」の天才的直観を見ようとしてはならない」と明確に戒める)。周囲の空気は、既に排泄物と腐敗に満ち自ら腐敗せんとしていた身体の腐敗過程を加速するにすぎない。第一原因は個体であり、周囲の空気は第二原因——ヒポクラテスの言うプロファシス(誘発原因・引き金)にすぎない(注360に prophasis 研究文献:Rawlings 1975、F. Robert 1976)。それは場所の大気という共通の媒介を通過しさえすればよい。——つまり伝播はヒポクラテス以来確立された因果性の諸理論をあまりに危うくする。トゥキュディデスを引きながらその実質的内容を空洞化するガレノスの仕事は、無意識というより理にかなった営みなのである。
三、概念なき伝染——アナピンプレーミの隠喩史(頁218–221)
では、伝播がこれほど問題を起こすのはなぜか、伝播の首尾一貫した理論はあるのか——そもそも伝染の概念は存在するのか。ふたたびトゥキュディデス、医学的権威の座に昇格した歴史家へ。歴史家は概念を持たない。だが彼は、われわれが伝染と呼ぶことになるものを隠喩的に示す一つの動詞を用いる:アナピンプレーミ(LI.4の骨子:互いの看病によってsatur され〔満たされ・汚され〕、羊のように死んでいった)。リヒテンターレル(『医師=歴史家の見たトゥキュディデスとヒポクラテス』1965)の注釈:「トゥキュディデスは伝染を指す術語を創らなかったが、その観念は持っていた」。動詞の意味は「満たす(ランプリール)」であり、そこに腐敗・穢れの観念が伴い、接頭辞 ana とともに(ハンス・ディラー)「穢しつつ縁まで満たす」の含意がある。これは動詞であって抽象名詞ではない——だが現代の伝染概念は間違いなくそこに現前し、その帰結(真の「破壊」が起こる)も含まれている。リヒテンターレルはさらに接触の観念が動詞プロセイミ(近づく)で表現されることも指摘。
アナピンプレーミは隠喩である。この動詞が他所では飽和(サチュラシオン)を、穢れを示唆しうる文脈で表すことに注意すべきだった——その例が『パイドン』67aである(骨子):できるかぎり身体と交わらず共同せず、必要やむをえぬ場合のほかは身体の自然に「満たされる=汚染される」ことなく、神が解放してくれるまで身体から清浄を保つ。実際これは隠喩である:身体に飽和された魂;接触と穢れのコノテーションを帯び、分離(すなわち死)のみが修復しうるもの(注366:リデル=スコットが引きプラトン辞典のアストが逸する『弁明』32c——三十人政権が「できるだけ多くの市民を彼らの犯罪にアナプレーサイ〔連座させる・汚染する〕」ことを望んだ——にも、飽和の観念に穢れのコノテーションが近接)。動詞はトゥキュディデス以前には飽和と穢れを示唆する隠喩的機能を担っていたと考えられる。しかし繰り返し強調すべき要点:トゥキュディデスはこの語を穢れの文脈から引き剥がして医学に与えた。ここにトゥキュディデスの創設的行為がある——彼はペスト性の熱について権威となった。差異はすべてここにある:トゥキュディデス以後は、伝染こそが穢れの隠喩として仕えるようになるのだ。
「われわれの知るかぎり、いかなる文献学者も」この動詞の冒険を追跡していない。偽アリストテレス『問題集』第Ⅰ巻(859 b 15)の一節に注意すべきである。このテクストの医学的思考にとってのエクセンプルム(範例)がトゥキュディデスであることは明白で、著者はトゥキュディデスの語をそのまま承ける(骨子):なぜペストだけが、あらゆる病のうちで、看病される者に近づく(プレーシアゾンタス)者たちをとりわけ「接触感染させる」(プロサナピンプレーシン)のか。著者は動詞の隠喩を精密化しようとして、近接・接近・接触を示唆する接頭辞プロスを付け加えた。ついでに言えばここで伝染はペストに固有のものと見なされている(注369:「不変の観念;しかしカエリウス・アウレリアヌスは象皮病〔ドラブキン p.823〕とインクブス〔p.476:contagione quadam ... ex ista passione ueluti lue〕について伝染を語る著者たちを引いている」)。そしてこの伝染に与えられた理由には誰も注意を払ってこなかった(骨子):ペストが万人に共通の唯一の病だからこそ、既に悪しき状態にある者たちが真っ先にそれを受け取る形で、万人にそれを及ぼすのか;病の「焚き付け(ヒュペッカウマ)」——看病される者たちから生まれる病のそれ——のゆえに、彼らは速やかに冒される。言い換えれば、病が万人に伝わるのは、それが人類に固有(スペシフィック)だからである。皆がこの病を潜在的に持っている、と理解してもよいが、それでは近接による汚染は含意されない。むしろこう理解すべきである:伝染があるためには、この病がそこを循環しうる共同体として構想された一つの有機体(オルガニスム)がなければならない。偽アリストテレスのこの精密化は、現象の想像的把握における一つの前進を示している。
四、ディアドシス——同質的全体の内部を循環するもの(頁221–223)
プルタルコス『神罰の遅延について』(558)では、トゥキュディデス引用の前に、伝染を記述する二つの興味深い術語が現れる:ハファイ(接触)とディアドセイス(伝達)。ハフェーは近接による伝染をよく捉える。近接の関係は数行前——肺癆や水腫で死んだ者の子らに、死体が燃え尽きるまで足を水に浸して座っているよう命じる奇妙な習俗——でも喚起されている(骨子:そうすれば病が移動せず彼らに近づかない(メー・メティスタスタイ・メーデ・プロスペラゼイン)と信じられている、558E)。プルタルコスは空間における伝染があるように時間における伝染(世代を越える伝染)があることを立証しようとしている。より興味深いのはディアドシスの語である——伝染の理由をそれ自身のうちに含むからだ。語は既にアリストテレスにあり、食物や空気の分配を含意する(Z. π. 705 a 32 等)。プラトン的な語ではない——が、プラトンは動詞ディアディドーミを『ティマイオス』で、われわれの関心を強く引く文脈で用いている:視知覚の起源における運動の伝達(45d)、宇宙内部での諸元素の循環(49c)、原初的印象の諸部分による全体への(非)伝達(64c)、より大きな部分から成る器官による運動の身体塊への伝達(64e:ディアディドンタ・エイス・ホロン・タス・キネーセイス——運動を全体へ伝えつつ)、そして音の伝達——空気・脳・血液を媒介として耳を通り魂にまで至る(67b)。動詞ディアディドーミの表現する観念は一つの全体=一つの有機体を貫く循環と伝達である。
同じ動詞はヒポクラテス派の『子どもの自然性について』と『病気について』第Ⅳ巻(R・ジョリー版1970)でも豊かな文脈で使われる:子宮は血を静脈へ伝え、静脈は腹の脂肪質を引いて乳房へ伝える;若枝は根から液を引いて地上に出る部分へ伝える;澱んだ水は層から層へ熱を下方へ伝える;『病気について』第Ⅳ巻では似た体液が似たものを引き寄せ、植物の場合のように身体へ分配する;脾臓は水を汲み上げ膀胱へ伝えるべきである;血液性の体液は静脈によって身体へ伝えられる。『急性病摂生論付録』では「再吸収されない」悪が語られる(A5:骨子——それら自身の内で伝わらないので)。有機体を提示するこれらの著作で、動詞ディアディドーミは(とりわけ『子どもの自然性』と『病気Ⅳ』において)生きた有機体の内部での交換・伝達を示す。証明したかったことは明白である:交換を指すディアドシス概念は、この交換の理由をそれ自身のうちに含意する。ディアドシスとは同質的な一つの全体の内部での何ものかの循環として構想される。言い換えればディアドシスの観念もまた生物学的な構想に送り返す。空間におけるディアドシスは、同質的諸要素から成る特定の共同体を要求するのである(注388:diadose はガレノスにおいて食物の循環と分配を記述する術語でもある——anadosis と diadosis がある)。
プルタルコスにはさらに『食卓歓談集』の一問(680D以下)があり、邪視(モーヴェーズ・ウイユ/ファスキナシオン)の伝播をめぐって伝染の問題をその困難とともに立てている。多くの説明が提案され、あるものは興味深い:邪視は一般に体質の脆い子どもを襲い、健康な大人には効きにくい——そこに個体的条件が認められる。だが大きな困難は遠隔作用である。原理上、病の起源には実在的接触があるはずだから(骨子:接触と共存〔シュナナクローシス〕が、現れる情態の何らかの始まりを持つ、680E)。鷲の羽が他の鳥の羽に触れて腐らせること、人間同士の真の接触が善くも悪しくも作用しうることは理解できる。しかし視線と、それが含意する距離は説明しがたい。プルタルコスはさらに恋の例を挙げる。視線は——光(フォース)であれ粒子の流出(レウマ)であれ——諸効果を惹き起こす(注391:骨子——かくてディアドシスと燃え上がり〔アナフレクシス〕が視線から生じる;プルタルコスは遠隔で発火するナフサの炎上と比較。アウクセーシス・ペル・コンパラチオーネムの例)。ではプシュケーが身体的効果を蒙りうるのはなぜか——身体から魂へのディアドシスがある、両者は共感(サンパティー)のうちにあるからである(注392:681D骨子——いかなる仕方で、どのように、視線を通じて害が、見られる者たちへとディアディドーシンするのか)。逆に魂も身体に作用する:恋の想念は性器を興奮させ、嫉妬は身体を「汚染する」——ここでわれわれの動詞アナピンプレーミに再会する(注393:681E骨子——恐怖ほど、魂に生まれつき植わって、魂とともに身体をも悪しきものども〔ポネーリアス〕で満たす=汚染するものはない)。このプルタルコスの迂回は無駄ではない——伝染における困難が距離の問題、直接的接触なしの空間内伝播の問題であることを明証するからだ。ディアドーズ=循環が生起する同質的要素(エレマン・オモジェーヌ)がなければならない。これは共感の原理によって規制された世界——たとえば魂と身体の場合、両者が接触と循環によって互いを汚染しうる——ではよく考えられる。プルタルコスにおける「魂による身体の汚染」のアナピンプレーミの用法と、『パイドン』の「身体による魂の穢れ」を指す同じ動詞の用法を比べれば、穢れと伝染のあいだの距離のすべてが測れる。病の伝播の問題は大きな困難であり、医師と哲学者の想像力を、とりわけ伝達(トランスミシオン)の理由をめぐって、強く要請する——おそらくここから理解が始まるのである。
五、ボワイエ批判——「文学的クレッシェンド」ではなく「認識論的クレッシェンド」(頁223–225)
この長い序論を経て、哲学者たちにやや見捨てられ医師たちに無視されたルクレティウス第Ⅵ巻に戻る(注394:最近ではボラック op. cit. p.417–467 が精密に研究)。P・ボワイエは『ルクレティウスとエピクロス主義』(p.266)でこの巻の統一性の欠如を言う。この巻が何より神々への恐怖を標的とすると主張しつつ「認めざるをえない」と書く——ルクレティウスは「科学的秩序への軽蔑」をもって事を進め、最大の障碍と見えるものへ直行する;そうすることで、文学的観点に立つならばより感動的と思われうるイン・クレッシェンドの秩序をも退けてしまう;だから重大な事実を扱った後には、詩人はより壮大でなく熱のこもらない現象のあいだをわれわれに散歩させるだけと思われかねない——。ピジョーはこの判断を「その独断的な観点において、実に驚くべきもの」と評する。実際に理解を試みるべきは、エトナとナイルの源流からいかにして伝染へ、とりわけ磁化(エマンタシオン)を媒介として、移行するのかである。ボワイエによれば「大きな(宇宙的だから)」現象から「小さな」現象への移行だが——プリニウス『博物誌』第XX巻の開巻が良い対照になる。プリニウスは共感(サンパティー)の原理を礼賛しつつ(骨子):火を消す水、水を貪る太陽、月に生まれ諸星が互いに蝕し合うこと、そしてこれらの高みから降りて、鉄を引き寄せる磁石……を説明しよう;ウト・ア・スブリミニブス・レケダムス(崇高なるものから退くために)——と言う。一見するとプリニウスの「科学的」秩序もルクレティウスのそれと同じほど常軌を逸して見える。しかし20世紀人には貧相な二級現象と見えるもの〔磁石〕が、古代人の想像力にとっては途方もなく魅惑的で説明困難な事実だった。プリニウスには普遍化された共感という便利な資源がある。だが首尾一貫したエピクロス主義者に共感は許されない。ピジョーの提案:第Ⅵ巻の秩序は「文学的クレッシェンド」に対応しないとしても、複雑化と困難の秩序、とりわけエピクロス的観点における秩序に対応する——それは認識論的クレッシェンド(crescendo épistémologique)であり、磁石の問題が伝染の問題に先行する。ここから引き出す第一の結論:アテナイのペストの記述を、先行する物理諸現象から切り離された生理学的現象として孤立させることはできない。第二の結論:ルクレティウスのこのペストについての倫理的テーゼは、心理学的テーゼより価値があるとは思われない。倫理的テーゼの代表はボワイエ、あるいは曖昧なアレゴリスムで満足するシュライヴェルス——「コマジェ氏の解釈に与するが、ただし一つの差異をもって:われわれの見るところ、ルクレティウスのペスト記述が象徴するのは人間の実存一般ではなく非エピクロス主義者たちの生である」;さらに「ルクレティウスのペスト記述は漠然とアレゴリー的性格を持ち、共和政期ローマ社会を象徴するというわれわれの仮説」(注398:souligné par nous)。心理学的テーゼの代表はログレ博士の書物(『ルクレティウスの不安』)、より最近ではL・ペレッリの書物(『不安の詩人ルクレティウス』)——ルクレティウスの不安と病への病的牽引についてのテーゼである。
第Ⅵ巻はわれわれにとって、物理学と生理学——エピクロス主義者にとって両者は混じり合う——の最も困難な諸問題の秩序立てられた総体である。ボワイエによればこの巻では「まったく異なる諸実在」へ、「物理学から生理学へ」(p.284)移行するというが、実際にはルクレティウスは病を大気の状態によって説明し、こうして気象(メテオール)——第Ⅵ巻の主要主題——の考察へいわば回帰しているのであり、繋がりはあまりに微妙とはいえ確かに見える。それでもボワイエは書く:「この大主題についてルクレティウスの語るところは、異様なほど貧しい」。彼はアスクレピアデスとの関係の可能性を「極めて漠然とし推測的」として軽蔑し、他方でW・リュックの深い直観(『ルクレーツ第5・6巻の資料問題』学位論文、ブレスラウ、1932)を軽んじて書く:「W・リュックは磁石の理論が既にルクレティウスにおいて医学的資料に由来すると考えている。ありうることだ。しかしその理論自体は医学的でなく、エピデミーにかかわるものと結びつきもしない」。この注はわれわれには極めて軽率と思われる。磁石と病の絆はたんに薬学(注405:オリバシオス『著作集』第2巻、ビュセマケール&ダランベール版 p.131 と注798.9 参照)の関心事であるのみならず、より深く、既に見たように、身体の諸機能——とりわけ消化の過程——をめぐって生理学が自らに立てる諸問題、すなわち牽引(アトラクシオン)、諸要素の循環、その同化の諸問題に関わるのである。
磁石と伝染をめぐるこの長い迂回は必要だった。いまや主張できる:第Ⅵ巻の秩序は偶然にもガラクタの混乱にも由来せず、諸困難の秩序に対応する。他方、物理学、宇宙論、そして——あえて言えば——生物学ないし病理学は、アナロジーの体系によって深く絡み合っている(次節で見る)。われわれは見かけ上、魂の病の問題から遠く離れている。そうではない——第Ⅵ巻自身の序曲を信じるならば。トゥキュディデスのテクストは一つの困惑を孕んでいた。それは医師たちにも道徳家たちにも伝わってゆく困惑である。彼は双方にアポリアを提供した:医師たちには、エンデミー的現実は外から(エクストリンセクス)の病の到来を説明するに足りないことを示し;道徳家たちには、個人の生の質・その regime・その徳がこの病から彼を守らないこと、エウテュミアが悪を前にして消え去ること、アテューミアが悪そのものの帰結であることを示した。
六、「ルクレティウスのペスト」節開幕——非「ロマン主義的」原則(頁226)
新節「La peste chez Lucrèce(ルクレティウスにおけるペスト)」。まず諸原因、ついで記述とその意義を扱う。ルクレティウスがこの記述の組織と意味に十分自覚的だったことは、D・F・ブライトの示唆的論文(The plague and the structure of the De Rerum Natura, Latomus XXX-3, 1971, p.607–632)も見るとおり。「われわれは断固として非『ロマン主義的』な視座に立つ」:聖ヒエロニュムスの空想(恋の媚薬・発狂・自殺の伝承)は信じない;ルクレティウスの狂気は証明されるべきものにとどまる。ア・プリオリにはメランコリー的傾向をも否定しないが、原則としてこう定める:ルクレティウスのいかなる箇所(リュー)も、あらかじめ次の試験に付されることなしに心理学的解釈のために採用されることはない——その箇所はエピクロス主義の内部で首尾一貫した説明を受けうるか;そこに真正にエピクロス的な問題系を見ることはできないか。たとえば finis について(既出頁156参照)、ルクレティウスの不安とエピクロス主義に固有の身体問題との出会いを見ることに支障はなかった——だが心理学的説明だけでは本質を逸する。もう一例:ログレが出血する身体の恐怖、漏れる壺の不安を記述するとき、彼が与えているのは実は脅かされたエピクロス的身体の状況である——本源的に、多孔的な身体、自然によってかつ権利上まとまりを保つ身体、私がそこに信を置くべき身体。不安が実在するとしても、それは真正にエピクロス的な問題と符合する:ルクレティウスの名高い不安は、エピクロスの物理学と生理学の諸問題と一致するのである(注409:「もちろん、エピクロス主義が一個の不安だと言いたいのではない」)。
七、諸原因(一)——ストア派の空気論と「本性上病む元素」(頁226–228)
「これらの原因の『貧しさ』についての判断はすでに述べたが、より仔細に見なければならない」。論証にとって重要な要素:(一)医師たちには地理的空間における病の伝播を認めることへの困難、抵抗さえ存在する。空間は、各々が空気・水・場所の配置に応じた固有の条件を含むモナドたちから構成されている。ヒポクラテスからガレノスまで、アスクレピアデスを経て、同じ確信と、循環を認めることへの同じ嫌悪が見出される。(二)トゥキュディデスの記述したペストは歴史的事実、反駁不能だが、病因論にとっては厄介——それは病因論の限定された地平への出来事の闖入である。
比較のために故意に脇に置いてきた説明が一つある——ストア主義に帰して大過ない、宇宙論的・形而上学的タイプの説明:空気を同質的な、しかし本質上病みやすく不安定な元素と見なす説である。これを伝えるのはアレクサンドリアのフィロンの貴重な諸節。『摂理について』I.18(アダス=ルベル版)骨子:特殊な気まぐれからではなく精確な意図をもって空気の問題に取り組む;空気の自然な状態にも、それが蒙る諸変様と健康への回帰にも等しく注意を払う;医師たちの見解では、空気の変質が病を惹き起こすこと、世界に存在する諸身体が衰弱するのは空気によることが確立している——諸身体は自然本性上空気と関係のうちにあるから。この元素の不健康さ(アンサリュブリテ)の理由も与えられる。『行為について』126(アルナルデス&プイユー版)骨子:空気の構想については万人に明白である。その自然(ナチュール)とは、病むこと、腐敗すること、ある仕方で死ぬことである。言語の美しさのみならず真理を目指して言うなら、ペストとは、生の一片を持つすべてのものの腐敗のために自らの病を撒き散らす空気の死にほかならない(注412はさらに『ケルビム』88——空気は苦しみ、疲れ、変質する——を参照)。ゆえに空気は、あえて言えば本質上ペスト化可能(ペスティフェラーブル)であり、時にペスト化して、その固有の病を万物へ伝える。空気は世界を覆う同一の元素と見なされ、生きものたちは空気が病むから死ぬ。フィロンはさらに、医師たちの関心の外にある形而上学的問い——ペストの絶対的起源——にも答えている(ルクレティウスも一つの解を試みることを後で見る)。だがエピクロス主義者が空気を一個の生きものとして認めることはありえない——一見この点に両義性が漂うにしても。
八、諸原因(二)——宇宙の病理学:アナロジーの体系(頁228–233前半)
ルクレティウスにおけるマクロコスモス-ミクロコスモス関係と見えるものについて。ベイリーは第Ⅵ巻が「世界と人間」の関係に貫かれていると見た——ピジョーは「物理学と生理学(宇宙的なものと生理学的なもの)のあいだの関係」と言い直すことを好む。エトナの噴火の原因について(VI.639以下への註解 ad loc. p.1651)ベイリーは書く:「世界は、エピクロスの言うようにゾーオン(生きもの)である——感覚を持つ意味でではなく、生きた動物と同様、原子的相互連関の総体である意味で」。彼はこのルクレティウスの一節をセネカ『自然研究』の一節(VI.27.2——激しい地震の後にはエピデミーが起こるのが常だと保証されている……多くの死の原理が大地の深部に隠れているのだから驚くにあたらない)と関係づける。ベイリーはさらにルクレティウスがエトナについて、エピデミーの起源について考えていると付け加え、こう結論する:「世界がゾーオンであるように、人間はミクロコスモスである」。——ルクレティウスの宇宙に人間ミクロコスモスと世界の関係を持ち込むのは軽率かもしれない。コスモスと生きものの、宇宙論と生理学のあいだのアナロジーと言うほうがよい:人間が世界のごとき一個の世界だと言うのと、世界が一個の生きものだと言うのとは、まったく同じことではないからだ。もちろん物質・構造・組織の同一性は実在する;しかしエピクロス主義を悩ませるものがある——生命という現象と、教義上の選択としてヴィタリスムを避ける必然性である。ミクロコスモスとマクロコスモスの関係から出発して思考するなら、ヴィタリスムが不意に忍び込む危険がある。そこで宇宙論を説明するための有機体的現象のアナロジーの現前を仔細に見ることにする。
第Ⅵ巻でルクレティウスが解こうとする主要な困難を一言で言えば:不可視の諸元素の生む甚大で恐るべき効果と、その遠隔作用——雷、アヴェルヌスの湖、磁化、伝染。ペストが巻末に(そしておそらく詩の末尾に)その位置を持つというテーゼを検証するために、ルクレティウスが「交響的な」諸説明の系列を組織するさまを見る。ルクレティウス自身がこの巻で説明の複数性というエピクロス的原理を想起している(VI.703–711);さらに彼には諸理由の収束、出会いによる強化、付加による整合性の原理を加えるべきだろう。物理学と生理学のアナロジー的関係の最も興味深い事例:
- 雷(フードル)は病のように作用し、細孔を通って身体に忍び込む(サンシニュアン)。その作用は諸身体の多孔性を実証する(v.348以下)。v.353–356骨子:その力は微細な原子、滑らかな元素から成り、どこにでも滑り込み、ひとたび身体に滑り込むや、すべての結節を突然ほどき、絆を弛める(エルヌー訳。注417:ルクレティウスは動詞インシヌアーリを副詞エクストリンセクス(外から)とともに好んで用いる——III.485–486と比較、後述予定)。
- 雲の増大は有機体の成長に比される(VI.497以下)。骨子:無数の水分子が万物から雲へ立ちのぼり、雲とそれが含む水とが相互に増大する——ちょうどわれわれの身体が血とともに成長し、汗も、有機体に行き渡るすべての液もそうであるように。ベイリー註(ad loc.):「雲は身体に、水は血に、汗に……対応する」。さらに雲の形成は羊毛の吸水(アンビビシオン・ドゥ・ラ・トワゾン)現象に比される(v.504)——アスクレピアデスが膀胱の充満を海綿や羊毛のそれに比したこと(既出頁189、濾過の役割)を想起すれば、有機体の機能から遠くない。血とともに成長する身体は、血こそ身体の唯一の滋養と考えたエラシストラトスをも想起させる(注421:ガレノス『自然の諸能力』I.13、『倫敦匿名者』XXV.27参照。注420は付言:圧搾(プレーシス)による雲の軽減は膀胱排出の機械的理由をエピクロス主義者に与えたかもしれない;『倫敦匿名者』XXV.28の骨子——一方は食物であること……プレーシスについて;さらにエルヌー&ロバン p.263–264、ハンモンの泉(v.866以下)にも圧の理由;同 p.265 は濾過(フィルトラージュ)も語る——「雲の内容は、火のところでも水のところでも、濾過によって排出される」;アスクレピアデスにおける同化の濾過器の役割は既出頁189参照)。
- 地震(v.535以下)は「大地の癲癇」と言って誇張でない。かつて癲癇が宇宙的現象に比されたのと同型である(III.492–494骨子:病の暴力に四肢を引き裂かれ、魂は泡立ち騒ぐ——塩の海原で風の荒々しい力が波を沸き立たせるように)。同じく大地の震えは病的現象——戦慄と熱——に比される(VI.591–595骨子:大地を破り裂くに至らずとも、空気の激しい奔りは無数の細孔を通って戦慄のように分配され、震えをもたらす——ちょうど寒気がわれわれの四肢の奥まで達すると、四肢を揺すり、否応なく震えおののかせるように)。v.601以下の重要な注記(骨子):天と地は不変で永遠の保護の下にあると深く確信していても、時に危険の切迫と甚大さが、どこかから恐怖の棘(エギュイヨン・ドゥ・ラ・テルール)をわれわれに突き刺す。——世界に対して取るべき態度は、エピクロスが有機体に対して勧める態度と同じ:ピスティス(信・信頼)の状態、身体ないし世界の良き状態が持続するだろうという信頼である。それはまた、後段で見るように、デモクリトスの勧める「エウテュミア的」態度でもある(注424:最終章参照)。
- エトナ(v.655以下)は物理学と生理学のもう一つの比較の機会であり、病の問題に接近する。「噴出の病と闖入の病(マラディ・ア・エリュプシオン・エ・ア・イリュプシオン)」と書けようか。熱、痛み、足の腫れ、歯痛、眼病、そして四肢を這いまわる(レピト・ペル・アルトゥス)丹毒(エリジペル)(v.662)は、病が大地をも捉えうることを理解させる(注425:有機体を急襲するこれらの粗暴な病はアタラクシアとの関係で考えにくく、むしろプルタルコスに論拠を与えかねない——既出頁146参照)。続きが重要な問いを立てる(v.662–669骨子):その原因は明らかに、種々の元素の種子(セミナ)が多様に存在し、われわれの大地と天が無数の病を発達させるに足る病的元素を産することにある。かくて疑いなく、天と地は無限(ランフィニ)から、大地を突然震わせ、海と陸を荒らす旋風を放ち、エトナの火を溢れさせ、天を燃え上がらせるに足るすべての元素を受け取る。ベイリー(ad loc. p.1651)はジュッサーニの見解——ここには例解以上のもの、真のアナロジーがある——を正当と認める:人間において病等の感覚をもたらすのは、世界の破局を生むのと同じ物理的(原子論的)原因だからである。実際これはアナロジーであって、こう書ける:身体にとっての大地と天の関係は、大地と天にとっての無限の関係に等しい。大地と天が身体にとって病の源泉であるように、無限は大地と天にとって悪の源泉である。先にミクロコスモスとマクロコスモスを語ったが、ルクレティウスの作品でこの関係がこれらの詩行ほど近くに来ることはない(注429:v.701–702ではアナロジーは眩いばかりである——骨子:山頂は彼の地で「クレーター」と呼ばれるものを成す。われわれが「喉」や「口」と名づけるものである)。しかしこの関係をそのまま立てるのは錯覚だろう:生きものが世界に対してミクロコスモスであるなら、世界自身が無限に対してミクロコスモスである——つまりわれわれの世界は閉じていない。ストア派の世界(そこでならマクロコスモスを語る意味がある)と違って、エピクロス主義には常に「外(アン・ドゥオール)」がある——ベイリーが見事に註解した副詞エクストリンセクスの重要性(まもなく再論予告)。
- アヴェルヌスの湖の神秘は、ベイリーの言う「二者択一的説明(アルテルナティヴ・エクスプラネーション)」の機会:鳥が落ちるのは、毒された空気が鳥を打ち網のように包むからか、セミナの投射が真空を作るからか(v.830以下)。この型の説明は磁石の場合に保持されることになる。磁石については生理学的観点に関わるかぎりでのみ語る、と限定(注433:ベイリーがこの箇所でエピクロスと比較し、ルクレティウスは〔磁石と鉄の〕結合の理由を凝集のために与え牽引のためには与えないと言うこと〔p.1714〕は理解できない。エピクロス(US 293)が磁石と鉄のあいだにオイケイオーシス(親和)を語るのと同断で、トイス・スケーマシ(形状によって)——つまりいかなる目的性(フィナリテ)もなく、純粋に単純に接合(ユンクトゥーラ)、適合し合う形状の問題である)。
- 万物の多孔性を証明するためにルクレティウスは食物を引く(v.946以下)——身体全体に、末端にまで忍び込む滋養:骨子(v.946以下=ディディトゥル・イン・ウェーナース・キブス・オムニス)——食物は全静脈に分配され、身体の最果ての部分、爪にまで成長を与える(注434:血が滋養の唯一の担い手と言うエラシストラトス参照——既出頁229注421)。どれほど締まり鎧われたものにも、貫入の間隙のない身体はない(v.954–958骨子):ついには天がその円き鎧で囲むところどこでも……病の力が外から(エクストリンセクス)忍び込むとき、また大地と天に生まれた嵐が、天と地の彼方へ自然に退いてゆくとき——すべては、真空の混じらぬ組織の身体は存在しないからである。ここに世界の病の諸起源は世界の外に求めるべしという観念が再来する(注436:味覚・食性の多様性を説明する原子作用の詳細は割愛)。
棚卸しはここまでとして(「いささか退屈だが」)、この目録がルクレティウスの精神においてそれ自体カタルシス的であり、したがって宇宙の説明と魂の治癒に結ばれていることを見なければならない。暑いときの冷たい水・寒いときの温かい水の遠隔作用、接触なしのヘラクレスの石〔磁石〕による金属の粗暴な牽引、ヒポクラテス的な意味でのエピデミー的コンスティテュシオンなしの病の突然の侵入——これらすべてが一つの説明を要求する(注437:修辞学がすべてを説明すると信じる人々——シュライヴェルスのように——への問いとして:病と宇宙的現象の比較、アウクセーシスとエナルゲイアの一事例と彼らは見るが、では地震を癲癇に比べるとき、縮小〔レトレシスマン〕があったことになるのか?)。この巻がその根底で提示するのは、宇宙の病理学であるような一つの物理学である。P・ボワイエの言う「珍奇事(キュリオジテ)」とは、実は病的な異常(アノマリー・モルビッド)なのだ。逆に、生きた有機体の病理は機械論的物理学の術語で説明されねばならない。そして病が地上空間の総体と生きものの総体を関係づけるとき——ペストの問題においてそうであるように——物理学、宇宙論、病理学が、あえて言えば、調和的に出会うのが見える。すべては原子の可動性、諸身体の多孔性、破壊するものの諸身体への侵入によって説明される。
九、次の単位
頁233後段から「ルクレティウスによればエピデミーの諸原因そのもの」の検討に入る。記述の詳細には立ち入らない(トゥキュディデスとの関係は議論の余地なく、アテナイ人のテクストとの差異もよく研究されている——注438:ブライト論文参照)。第一次的分析では、ルクレティウスの病因論は新しいものを何ももたらさないが、完全であるという長所と、病の絶対的起源・地理的起源・伝播の問いに答えようとする長所がある。原因の提示には記述が続く——アスクレピアデスは『ペスト論』で病を記述しなかった(注439:カエリウス・アウレリアヌスの言うとおり)ことを想起せよ。セミナ・レールムのうちあるものは生に必要、あるものはわれわれに致死的であり、偶然の効果でそれらが集結し大気を乱すとき、病める空気(モルビドゥス・アエール)が生まれる(v.1096–1097骨子:エア・クム・カース・スント・フォルテ・コオルタ・エト・ペルトゥルバールント・カエルム、フィト・モルビドゥス・アエール)。ルクレティウスは出来事の偶然的状況を強調する——そこにいかなる必然もいかなる目的性も見てはならない(注441:v.1119も参照)。読解ノート「五・その七」で扱う。
第Ⅱ章 ペストの病因論と反神義論——伝染、一つの倫理的・形而上学的問題(第Ⅱ章完)
〇、エピデミーの諸原因——モルビドゥス・アエールと二つの「外」(頁233後段–236)
ルクレティウスによるエピデミーの諸原因それ自体の検討。セミナ・レールムのうちあるものは生に必要、あるものは致死的であり、偶然の効果でそれらが集結し大気を乱すとき病める空気(モルビドゥス・アエール)が生まれる(v.1096–1097)。ルクレティウスは出来事の偶然的状況(カースス)を強調し、そこにいかなる必然も目的性も見てはならない。かくてノソーデース・アエール(病をもたらす空気)の産出——だが今やよく分かるとおり、この病める空気は元素として病んでいるのではない。フィロンの言うように自然本性上病むのでもなく、共感(サンパティー)やホモイオーシスの原理によってその病をわれわれに伝えるのでもない。その作用は機械論的である:空気の含む病的セミナが、雷やその他の攪乱因と同様、われわれの内に忍び込み、細孔を貫き、身体の組織——われわれを構成する原子の組織化——を破壊するのである。
ではこれらの攪乱要素はどこから来るのか。エクストリンセクス——外から、あるいは大地の腐敗から(v.1099–1102骨子:それらは雲や霧のように天を渡ってわれわれの世界の外の領域から到来するか、あるいは、湿気を帯びた土壌が季節外れの雨と過度の陽射しの二重の影響下で分解するとき、大地そのものから塊をなして立ちのぼる、エルヌー訳)。エクストリンセクスをどう理解すべきか——地理的意味(病は地上空間の他所から来る)か、宇宙的意味(「他所」とは別の世界)か。エルヌーは宇宙的意味を選ぶ。ベイリーはジュッサーニのこの解釈に従い from outside the 'mundus' と訳しつつ「『異国から』の意も不整合ではない」と注記する(p.1718)。ピジョーも進んでこの解釈に与する——ペストを第Ⅵ巻の病因論の終着点というその位置に置き、伝染に宇宙的次元を与える解釈だからである。ペストを説明するのに、雲・アヴェルヌス・磁石の形成論は無駄ではなかった:外から、他所から、天の鎧を貫いて、特定性の原理に従って人間を害しうる諸元素が貫入しうること;それらがわれわれの内に忍び込み闖入と震えを引き起こしうること;多孔的な大地が有害元素を通しうること。ディールスがメンデスのボロスに帰したデモクリトス派の伝統は、ある種の稀な病に地球外の原因を割り当てていた(注444:プルタルコス『食卓歓談集』VIII.733D;ミュグレール論文参照)。だが、エクストリンセクスの語は故意に両義的であり、同時に「異国から」をも意味しうる、とピジョーは考える。
直後に地理的問題が立てられるからである(v.1103–1105骨子):気候と水の新しさが、祖国と住処を遠く離れて異国へ赴くすべての者を試すのを見ないか。それは生活条件の深い不一致のゆえである。——ヒポクラテス的コンスティテュシオンのよく知られた枠組みへの回帰であり、象皮病はナイルの病、眼炎はアカイアの病……という「お遊びのような」列挙が続く(v.1106–1117)。そして v.1117–1118:インデ・アリイース・アリウス・ロクス・エスト・イニミークス/パルティブス・アク・メンブリース:ウァリウス・コンキンナト・イド・アエール——かくて場所ごとに、身体の部位と器官ごとに、敵となる場所は異なる:それを作り上げるのは変異する空気である(注445:このウァリエタースは目録化しうる——空気の各要素が病の各特殊性に対応するのが見える)。これは局所的(トピック)な医学的説明である。だが同時にこの詩行は、最も狭い意味での特定性の原理——ある空気は足に悪く、別の空気は眼に悪い——の前にわれわれを立たせる。エピデミー的病の基準たる普遍性——同じ場所の全個体を、その個体が誰であれ同時に捉える——からは、はるかに遠い。
先に注記したとおり、ルクレティウスはエピデミーの移動に、個体の都市から都市への移動を代置していた。つまり彼は万人と同じく、エピデミーをエンデミーの移動として考えている——アテナイに到来するのはアレクサンドリアの空気なのである。では、病の普遍性の原理(アテナイ人もアレクサンドリア人も等しく捉える)と、アレクサンドリアの病の特殊性・両住民の特殊な反応とを、どう和解させるか。ルクレティウスの答えは敵なる空気の突然の、狡猾な闖入である(v.1120–1121:アトクェ・アエール・イニミークス・セルペレ・コエピト……ウト・ネブラ・アク・ヌーベース・パウラーティム・レーピト——敵なる空気が這い始めた、霧や雲のようにじわじわと這い進む)。この爬虫類めいた潜入(インシヌアシオン・レプティリエンヌ)は、セミナ・レールムが外からわれわれの世界へ貫入する仕方を想起させずにはいない——この類似は意図的であり、先のエクストリンセクスの二重の意味を確証する。想像界において、ルクレティウスは二つの「外(アン・ドゥオール)」を提示している:一つはわれわれの世界の外、もう一つはわれわれの地方の外。好んで言えば、彼は二つの説明を与えている:宇宙的ないし形而上学的説明——ストア派の宇宙的・形而上学的解に対するエピクロス派の解——と、地理的・水平的説明——たとえばアテナイの気象条件がローマに到来する、という説明である。第二の説明は諸民族のイディオティスム(固有性)——その性格と固有の病——と、異国の空気を同化して土着民に敵対的なものへ変える空気の循環を前提する:レッダトクェ・スイ・シミレ・アトクェ・アリエーヌム(v.1124——おのれに似たものへ変え、疎遠なものとする。注446:この同化(アシミラシオン)は実は混合(メランジュ)である——v.1129「スピーランテース・ミクスタース・ヒンク・ドゥーキムス・アウラース(われわれは呼吸しつつ、そこに混じった気を引き込む)」の言うとおり。エピクロス的混合は粒子の結合以上のものではありえず、決してクラーズ〔ストア派の全面浸透の意味での融合〕ではない。病の吸収は、ルクレティウスによれば、食物経路または呼吸経路による——v.1125–1130)。
総括:ルクレティウスのペスト病因論は通説より興味深い。それは二つの伝統の合流を示す——恒常的と見える医学的伝統と、ストア派に対面するエピクロス的因果性の構成が見て取れる哲学的伝統である。実のところ医学的病因論と哲学的病因論はむしろ矛盾しあう——医学はペストを諸病のなかの特殊事例とすることを拒むからだ。ルクレティウスが両者を接合するのは、たんに説明の複数性への忠実からではなく、既述のとおり説明の強化(ランフォルスマン)を狙うのである。垂直的(宇宙的)説明と水平的(地理的)説明は、どちらも「わが悪はより遠くから来る」と言っている。
一、新項「伝染——一つの倫理的・形而上学的問題」:反神義論としてのペスト(頁236–237)
ペストの哲学的側面——その解放的・カタルシス的効能——は未了である。これまでの議論はあらゆる単純主義的アレゴリー解釈を断罪するに足る、とピジョーは考える。まず何よりも精密な認識論的問題が存在するのだから。シュライヴェルスにも、D・F・ブライトのテーゼ——特殊で局在化した病を everyman facing disease(病と向き合う万人)で代置する話だとする——にも与しない。まさにペストの本質は局在しないことにあるのだから、立ち返るまでもない。ブライトは(ストア的な意味での)ルクレティウスの自殺を信じるが、それでもペストを一つの終局(フィン)と見なす功績がある。彼によればペストは詩の糸を結び合わせる終末の神話である:宇宙の自然的秩序と人間の可死的な弱さが共謀して、人間自身の破滅のみならずさらに自然の破滅をもたらす……それは、彼の言う、エルの神話や『スキピオの夢』のルクレティウス的等価物である。
ピジョーの立場:ペストは詩の末尾というその位置に完全に適っている。だが、ブライトの言に反して、それはエルの神話の正確なアンチテーゼ、実のところ反対神話(コントル・ミュト)である——一つの反神義論(アンチ・テオディセ)、反『摂理論』(コントル・デ・プロウィデンティア)。それは神話に対抗する機械(マシーン・コントル・ル・ミュト)である。第一に、それが歴史だから:ルクレティウスは神話に歴史的事実を対置する。このアテナイのペストはあった。それは事実であり、アレゴリーも解釈学も受けつけない:それは在る(イル・エ)。一つの病がアテナイを荒廃させ、全世界を殺した——病的記述の先鋭化はまず何よりこの意味を持つ。病因論はこの過程が「自然的」——世界の可能な諸説明のうちに書き込まれ、神的意志なし——であることを示した。カースス(偶然)が唯一の責任者である。目的性はない。そう、すべての世界は死ぬ、正しき者も不正なる者も。オプティムス・ホク・レティ・ゲヌス・エルゴ・クイスクェ・スビーバト(v.1246——最も善き者たちがみな、この種の死を蒙っていた)。救うべき神はいない;作用する神々がいない以上、神義論は不要なのである。
プラトンが望んだような「悲劇の神」を救う必要もない。世界は悲劇的ではない、ただ在るだけだ;われわれの感受性(エモティヴィテ)に応じて、パテティックにも愚昧にもなりうるにすぎない。『国家』は正義の問題と悪の問題を根底的に立てた——正義の極みにあって不正と見なされる者であるほうが、不正の極みにあって正義と見なされる者であるよりよい、と哲学者は示さねばならなかった。『国家』の九巻では足りず、第十巻が、そして最後には神話(エルの神話)が必要だった——神は無罪である(テオス・アナイティオス)と示すために(『国家』617e)。神話に向かって、ルクレティウスは事実を対置する。ペストには、彼にとって、宇宙的であると同時に地理的——われわれの表現では、神話を代置し神話の二重の読みを許すに足るだけ一般的かつ特殊——であるという長所がある。
エルの神話からプルタルコス『神罰の遅延について』まで、クレアンテスの『ゼウス讃歌』とフィロンの『摂理論』を経由して、悪の起源と正しき者の死の問題が、悲劇的なものから脱け出ようと不安に駆られる哲学的意識に取り憑いている。この悪の問題系にルクレティウスはこう答える:悪は存在しない、存在するのは病だけである;そして病は神話ではない、それは在る(注452:「悲劇的なものと魂の病」章で、エウリピデスが神々に病を代置することを示す——ただし彼にとって病は、アリストテレスがのちに定義する悲劇的構造を保存することを許す。病はそれ自体において一個の悲劇である。ルクレティウスにおいては全く別である)。
二、フィロン『摂理論』のトピック——正しき者の死とエピクロス派の論法(頁237–239)
ルクレティウスはここで正しき者の死、病、とりわけペストのトピック(定型論題)のうちで論じている。このトピックはおそらくストア的であるのと同じだけエピクロス的である。ルクレティウスの天才の一撃は、ペストを詩の末尾に置き、それを根底的な反対神話として構成したことにある(注453:正しき者の死の主題は既に VI.390行以下——なぜ神々は、罪人らが胸を貫かれ雷光の炎を吐くのを見ないのか。なぜむしろ、良心に何の恥も咎めない者〔正しき者〕が炎に巻かれるのか——で予告されていた)。このトピックの痕跡はフィロンの貴重な『摂理論』にある。フィロンは「ある者たち」——十中八九エピクロス派——の捏ねた空しい見解を引く(I §37骨子):世界には二つの悪がある:無生の物質への不意の雨——過剰だったり不足だったりする——と、若い芽と緑の大地への雹の暴襲。さらに、不敬な者も正しき者もみな同じ運命に服し、戦闘の熱狂のさなか、あるいはエピデミーや飢饉のときに同様の最期を知るように見える;正直な人々は貧困に打ちひしがれ、不敬な者たちは富み栄えて幸福のうちに生を送る。フィロンの応答:人間は誰が真に正しく誰が邪かを見分けられない(§60);摂理は司法的秩序に従って働くのではない(§62);正しき者はいずれにせよ全面的に苦しむのではない——不幸はその徳そのものに統合されているから:ウェル・イン・イプシース・モルビース・プロウィデンティアム・プロフィテートゥル(§69——病そのもののうちにあってさえ、彼は摂理を告白する)。
『摂理論』第II巻は自然における悪の問題を再開し、対話の相手アレクサンドロスにエピクロス的論法を語らせる。ここでトゥキュディデスが引用されるのを見ても、もう驚かない。テクスト(II §90、アダス=ルベル訳骨子):恐ろしいのは死そのものではなく、死に随伴する悪——鋭く不治の身体的苦痛を伴うとき、きわめて辛く残酷な病——である。そして魂については、その苦く慰めなき苦痛、その絶望(デスペラティオーネスクェ)を、言葉で言い表すことなど誰にできようか、たとえそれが容易に見えても。ペロポネソス戦争中に猛威をふるいトゥキュディデスが物語ったペスト、そして記憶のほとんど残らぬ他の未知の病の種々があったことは知られている……しかも悪は通常そこにとどまらず、その増大に限界を知らぬまま無際限に進行する(セド・プロケーディト・マギス・アク・マギス・イン・アウグメントゥム・インフィニトゥム・インデテルミナートゥムクェ)。
フィロンの答えは「正常」である(II §102骨子):エピデミーの際には非の打ちどころなき人々も斃れる——他の者たちが将来節度を学ぶために;そもそも、汚染された大気に身を晒せば悪を契約するのは不可避である——嵐のとき、船客たちが危険の前に平等であるように。神はペストを放ちうるとしても、ペストがそれ固有の法則を持つことを妨げえないのである(注462:二次的効果の理論についてはII §95以下参照)。パントース・オーフェイロン・ノセーサイ(いずれにせよ彼らは病まねばならなかった——II §24)と別の箇所でフィロンは言う。だがいずれにせよ神は無罪——プラトンに倣って繰り返す:テオス・ガル・ウーデノス・アイティオス・カクー・ト・パラパン(神はいかなる悪の原因でも全くない——II §102)。
フィロンの立てる論争についての単純な考察、そこに見出されるエピクロス的論法は、ルクレティウスのペストについての「ロマン主義的テーゼ」を退けたわれわれが間違っていなかったことを明証する。災厄はその位置にある。病の残虐、苦しみ、人間たちの絶望の記述は、ルクレティウスの心気症の証拠ではなく、彼の反摂理主義的論法の一部なのである(注465:v.1240–1241「生にあまりに執着し死を恐れる者たちを、まもなく恥ずべき悪しき死が罰した」のような表現に摂理の介入の証拠を見ようとする者もいたが、これは言語の自動性ないし記述の修辞である。ルクレティウスが V.77 のナトゥーラ・グベルナンス(舵取る自然)を語るとき目的論者だと言うのか?)。
三、エピクロス以前と以後——線的時間と円環的時間(頁240)
「だが」と人は言うだろう、「ルクレティウスの記述したペストのなかには、知恵によって際立ち救いの道を提案する者が誰もいないではないか」。確かに。答えは単純である:アテナイのペストの時点で、エピクロスはまだ語っていなかった。この命題は愚論か。そうは思われない。エピクロス主義ほど線的歴史(イストワール・リネエール)の観念を持った哲学はなく、これをキリスト教と比較するのが最良である:エピクロス以前と以後が存在する——イエス・キリスト以前と以後が存在するように。もちろんエピクロス以後の時間に目的論はない。二つの時のあいだの断絶を語りたいのでもない。エピクロスの言葉は、文化・法・言語の到来に対応する一つの断層(ファイユ)を創る;彼は命名者(オノマトテート)にして立法者(ノモテート)である;何も創造することなく、事物を照らし出しつつ(インウェントル・レールム——事物の発見者)、事物にその意味を与え、それを承認する。ゆえにこのペストは歴史的時間、出来事の時間、エピクロスへ向かう線的時間のうちで読まねばならない——エピクロスは病の善き使用を、いやむしろ病と闘う手段、テトラファルマキー(四重の救済薬)を与えたのだから(注466:ピジョー自身の論文「エピクロスとはいかなる神か」参照)。そして弟子にとって、時間は円環的である:詩を読み返す時間である。ペストの「絶望的」記述が第Ⅰ巻のウェヌスの光輝ある到来と対をなすことは久しく指摘されてきた——第Ⅲ巻のエピクロスの光輝ある到来を付け加えるべきである。第Ⅵ巻の末尾に達したとき、弟子は詩を読み返さねばならない。ただそれだけである。エ・テネブリース・タンティース・タム・クラールム・エクストッレレ・ルーメン/クイ・プリームス・ポトゥイスティ・インルストランス・コンモダ・ウィータエ(III.1–2——かくも深い闇からかくも明るい光を最初に掲げ、生の善きものを照らし出したあなたよ)。
四、魂の根底的試練としてのペスト——エウテュミアの逆説(頁240–241)
ペストは物理的かつ道徳的な実在(アンティテ・フィジック・エ・モラル)である。それは身体の病と行動(コンポルトマン)の関係の問題を立て、魂にとっての根底的試練(エプルーヴ・ラディカル)である。VI.1156行以下(骨子):やがて魂は全体としてその力のすべてを失い、身体は死の敷居そのものの上で崩れ落ちようとしていた。堪えがたい悪には、不安な苦悶(アンクシウス・アンゴル)が離れがたい伴侶として、そして呻きの混じった嘆きが付き添っていた。さらに v.1231行以下(骨子):各人は、自分が病に絡め取られたと見るや、死を宣告された者のごとく、勇気を失い、悲しみに沈む心とともに横たわり、葬列を眺めやりながら、その場で息絶えていった。——トゥキュディデスのアテューミア(意気阻喪=病の帰結)の詩的定着である。
だがペストは、病という試練そのものの外で、認識論的・道徳的・形而上学的諸問題を立てる現象でもある。それはあらゆる神義論が反駁せねばならない論拠である——正しき者・無辜なる者の死のスキャンダルを壮観に突きつけるのだから。ルクレティウスはそれを反駁しない;逆にペストを用いて摂理の不在を示し、それによって同時に、魂をその本質的な病——死の恐怖——から治療する。ルクレティウスは完全に首尾一貫している:第Ⅵ巻の研究対象中最も複雑な現象として理解されるペストの自然学を構成し(それは他の諸現象の病因論に合流する)、同時にペストを摂理の不在の根底的証明として用いる——それは彼にとって、たとえば死の恐怖において、カタルシス的効果を持つはずのものである。逆説的に——ただし一見そう見えるだけだが——第Ⅵ巻のアテナイのペストは、不安・神経症・精神病の要素ではなく、エウテュミアの要素なのである(最終章で研究する意味において)。
五、第Ⅱ章の結び——偽ヒポクラテス書簡と『神罰の遅延』への予告(頁241–242)
エピクロスからルクレティウスへ、跡づけてきたとおり、ペスト現象についての医学的省察があり、確かにモラリストの伝統があり、さらには——偽ヒポクラテスの『書簡』とともに見ることになるように——伝染現象に関心を寄せ、それを物語と神話に混ぜ込んだ民衆文学さえあった。ルクレティウスに出会ったディアドーズの概念は、ディールス編の偽ヒポクラテス『書簡』の一部をなす通称ペリ・リュッセース(恐水病論)のなかで用いられており(注470:第Ⅴ章「エウテュミア——魂の病の認識と治癒」p.441以下参照)、また神義論を構成するプルタルコス『神罰の遅延について』の神話的思考のなかで、医学=哲学的装置一式とともに再会することになる。——ここで第Ⅱ章「アトミストたちと魂の病」は読了。頁243は第Ⅲ章の扉である。
六、第Ⅱ章を振り返って——三つの糸
第Ⅱ章全体(頁143–242、読解ノート五・その一〜その七)を貫く糸を控えておく。(一)エピクロスの健康論:快の限界論と肉の安定、テトラファルマコス、ソラキウム/レメディウムの区別——「医師なる神」。(二)アスクレピアデス:反ヴィタリスム・機械論・インストルメンタリスム、「自然は法を守る」の哲学的スキャンダル、フレニティス/情念性アリエナシオンの区別(ピネル的病因論の古代先蹤、四・その三〜五参照)。(三)ルクレティウス:二元論とヴィタリスム回避に統御された生理学、メランコリー診断論争における「テクストの症候学/作者の伝記的診断」の峻別、そして伝染の認識論(トゥキュディデス)から反神義論(ペスト=反対神話)へ至る本ノート・前ノートの議論。魂の病の治癒を自然学の認識に賭けるエピクロス的な線が、三者を統一している——第Ⅲ章のストア派は、これと対をなすもう一つの答え(情念=魂の病、哲学=魂の医術)を与えることになる。
七、次の単位
頁243から第Ⅲ章「ストア主義と魂の病(Stoïcisme et maladie de l'âme)」。冒頭頁(245)でピジョーは章の設計を宣言する:魂の病を情念(パッシオン)に同一視する最も豊饒な省察を与えたのはストア派であり、そこでクリュシッポスの仕事が根本的である(「もはや彼について語ることをやめないだろう」)。ただし考察はラテン的視座——キケローとセネカ——を通じて行われる。その正当化として、ピジョーは明言する:「思想史が示すとおり、ストア主義がピネルやエスキロールのような精神病理学に及ぼした影響は、後述するように、これらラテン著作家たちを通じて感じられるのである」。『トゥスクルム』第Ⅲ・Ⅳ巻におけるキケローの仕事——クリュシッポス的思考とそれに加えた変形——を研究することは「歴史上決定的な利益」を持つ;直ちに言っておけば、それは一元論的思考の二元論的読解(ユヌ・レクチュール・デュアリスト・デュヌ・パンセ・モニスト)である。計画:まず『トゥスクルム』Ⅲ・Ⅳを読む;クリュシッポスの思想を提示し、そこからポセイドニオス的省察を経て、キケローが情念=魂の病の問題をどう提示したかを示す;ついでセネカ『怒りについて』と『ルキリウス宛書簡』;結びに医学モデルの偉大さと限界(プルタルコス『神罰の遅延について』を範例として——ストア派は魂の病と身体の病のアナロジーを耕したが、プルタルコスが試みたように両者を混同するまでには決して至らなかった)。最初の節は「クリュシッポスの健康とキケローの健康」。読解ノート(六・その一)で扱う。
第Ⅲ章冒頭のこの一文は、本書がピネル(そしてエスキロール)を単なる補助線でなく章構成の存在理由として扱っていることの決定的な証拠である。頁58の「故意にピネルの術語を用いる」、頁134の「ピネルはキケロー・セネカ・プルタルコスを読み返した」に続き、ここではキケロー=セネカ経由のストア主義がピネル・エスキロールの精神病理学へ流下したという思想史的テーゼそのものが、第Ⅲ章の方法(ラテン的視座の選択)を正当化している。pinel-virgile 3-2(ネオ・ストア的語彙とアリストテレス的節度の複合)の記述はこのテーゼの受け皿であり、v34 として反映済み。第Ⅲ章読解の進行に伴い、(1)proclivitas/decliuitas の概念系(注357の予告)、(2)「一元論の二元論的読解」というキケロー批判がピネルの情念論のどの層に対応するか、(3)エスキロールへの明示的言及の位置、を追跡する。
第Ⅲ章 ストア主義と魂の病——ピネルの直接引用、方法の宣言、『トゥスクルム』第Ⅲ巻の定義論
〇、章の開幕——「情念のうちの二元論と、責任という一線」(頁245–246)
頁245末尾(既出五・その七)に続き、ピジョーはまず『トゥスクルム』が古代から現代まで西洋思想に及ぼした二つの決定的な帰結を名指す(骨子):(一)魂と身体の二元論の勝利;(二)情動・情念・悪徳・狂気のあいだに本性の差でなく程度の差しかないという観念——それゆえ人は自らの狂気に、少なくともその発端に、責任があると言いうることになる。狂気とはもともと自己監視の欠如にすぎない(注1:ここでの「責任」概念はいかなる批判も含意しない、と明記)。
一、ピネルの直接引用——『疎外論』とキケロー・セネカ(頁246)
この二つの表象は密接に結びついている。ここでピジョーは、精神医学史上決定的な一節を引く:
「精神医学の創始者フィリップ・ピネルは、その『精神錯乱に関する医学=哲学論』(Traité médico-philosophique sur l'aliénation mentale)——キケローとセネカの読解に多くを負う書——において、こう書いている」と紹介したうえで、ピジョーは注2(Traité médico-philosophique sur l'aliénation mentale, Paris, An IX〔1800/01年〕, 複写覆刻, Tchou版, 序文 p.II)から二箇所を引用する(骨子):
(一)「疎外の真の観念にまで遡らなければ、疎外の最も通常の起源に驚かされることになる。人間の情念は活発な物質的原因によって、あるいは激しい葛藤によって、しばしば非常に激越・急性となる。それゆえまず何よりその特有の性格を示し、その漸進的な段階を追い、理性の完全な喪失にまで至る移行を跡づける必要があった」(注2、序文p.II)。
(二)「人間の情念を魂の病として語ることは、まずもって『トゥスクルム』とキケローがこの美しい天才が円熟期に道徳に捧げた他の著作群を、思考のうちに現前させることなしにはほとんど不可能である」(注3、同、p.12note1)。
ピジョーの結論:この二つの表象(二元論の勝利/責任としての狂気)は互いに緊密に結ばれている。われわれがここで呼ぼうとするのは「クリュシッポスのキケロー的読解」の歴史である。キケローはいくつかの——ひどく特定しにくい——源泉に忠実だが、『トゥスクルム』の関心はその後裔(ポステリテ)のうちにある。この書物とわれわれの関わりは終わっていない。ピネル、精神医学の創始者を引いたのはそのためである。
ピネルが依拠する三つの「狂気の伝統」——悲劇的伝統・医学的伝統・哲学的伝統(法の語彙に定着することになる)——が相互に対話しつつ、それぞれ他から借用しあうこと;だが方法上、この三つの反省の起源を忘れてはならず、キケローはここでもわれわれを助けてくれる、という見通しが示される(頁246–247)。
二、フーコー批判——「サルマゴンディ」(頁247)
フーコー『狂気の歴史』の「大きな欠落」はピネルの典拠を等閑視したことにある——ピネルが『トゥスクルム』を引くのは、ラテン的伝統のうちに、理性的な形の狂気と、理性的なものにほとんど紛れ込む狂気の形が存在することを示すためであって、キケローの道徳論そのものがこの区別に到達し損ねているわけではない、と示す必要があるだろう、と続けたうえで(骨子、注5への言及として)——フーコーの書物には、哲学的諸伝統と医学的諸伝統を混ぜ合わせ、理論的背景を脇に置いてしまう「サルマゴンディ(寄せ集め・ごた混ぜ)」がある。まるで哲学と医学のあいだに一種の了解があったかのように——一方は身体に由来する狂気を、他方は魂に由来する狂気を扱う、と。哲学者と医師は二元論が創り出した二つの領域・二つの領地を分け合っている。ここでピジョーはロンドン匿名者の興味深いパピルス(後に立ち返ると予告)を引く:「人間は魂と身体から成る。……他人に魂についての議論は任せよう。われわれにとっては何よりもまず身体こそが、医学の主題だからである」(骨子)。
三、『トゥスクルム』第Ⅲ・Ⅳ巻の企図——「機能的二元論を構成する試み」(頁247)
ピジョーが『トゥスクルム』第Ⅲ巻の狂気の諸定義の分析で示そうとするのは、キケローがこの分け前において、われわれが驚くにはあたらない位置を占めていることである——『トゥスクルム』第Ⅲ・Ⅳ巻は機能的二元論を構成する努力である、と。
四、方法論的な問い——「想像界の首尾一貫性」(頁247–248)
「本章では『トゥスクルム』の理論についての網羅的な解説は目指さない」(結論部で扱うとおり、そもそも『トゥスクルム』をストア派の情念論の史料として無条件に用いてよいかという問い自体が立てられる)。ピジョーが目指すのはキケローの論理的・深層的・意識的な諸理由への浸透であり、選択の単なる記述では足りない。性格・精神・想像界(イマジネール)に入り込む必要がある。すべての作業は同一の解釈学的方法に依拠する——情念、情動性についての省察は、魂と身体、それらの関係についての一つの瞑想を巻き込む。魂と身体の出会いは、自然と文化の出会い、生物と芸術の出会いに等しいものを巻き込み、ここに「文化的想像力(イマジネーション・キュルチュレル)」と呼ばれるものが関わってくる。クリュシッポス、アリストテレス、ポセイドニオス、キケローの想像界に浸透してはじめて、キケローが持続(デュレ)・質的なもの・魂身の結合を拒み、魂を身体から孤立させようと働き、魂を身体に対立させることに気づく——これはクリュシッポスのきわめて個人的な解釈である。キケローの選択を理解するには、クリュシッポス・アリストテレス・ポセイドニオスの解釈も同時に試みる必要がある。これらの選択は抽象的でも気まぐれでもなく、感受性・想像力・キケローという人格そのもの、そして最終的には——本ノートが辿る作業を通じて到達するべき結論として——彼の理性への信(フォワ・ダン・ラ・レゾン)を深く巻き込む:
「私にとって、魂の動転(ペルトゥルバチオ)に関わる議論全体において、問題は一つの事実に帰着すると思われる——それらはすべてわれわれの力のうちにあり、すべて判断によって引き受けられ、すべて随意(ウォルンタリアース)である、という事実に。」
五、定義の問題(頁248–249)
『トゥスクルム』第Ⅲ巻冒頭の魂の病の諸定義は、しばしば純粋な修辞の一節として軽視されるが、思想史にとって重大な関心を持つ。二つの通説を退ける:(一)単なるロゴマキー(言葉の争い)と見る立場(注13:メニエール『医師キケロー』1862の態度);(二)キケローがストア的教説を透明に繰り返すだけの伝声管と見る立場——後者はストア的モデルの探求で満足する。ピジョーの立場:この定義論的部分はきわめて重要であり、われわれが「狂気の哲学的=法的伝統」と呼びたいものを固定する。狂気には三つの大きな伝統がある——悲劇的伝統、医学的伝統、そして法の語彙に定着することになる哲学的伝統である。これらは相互に対話し、互いから借用しあう——医師は悲劇から、また逆に借用する(後の章で扱う)。だが少なくとも方法論的には、この三つの反省の起源を忘れてはならない——ここでもキケローがわれわれを助けてくれる。定型的な手続きに従い、ローマ人は自らを、ギリシア人の啓示した哲学とローマ的自然本性が言語のうちに練り上げ表現してきた哲学との出会いとして提示する——意味論的研究は「自然の哲学(フィロソフィア・ナチュラリス)」がフィロソフィアという人工物(アルテファクト)に対して持つ優位を証示する。かくて狂気を語るラテン語彙はギリシア語彙よりも精緻である。創始者たるキケローの役割は、ギリシアの少数の特別に恵まれた者たちの知恵から、より深く、生得的であるがゆえにいっそう深い、一つの民族の潜在的な知恵を明かすことにある。
六、insania・aegritudo・quasi insanitas——魂身アナロジーの語彙(頁250)
定義についての省察は、魂と身体のアナロジーを説明しながら、そのアナロジーが魂の領域に特化されるための語彙を提供する傾向にある。かくてinsania は insania animi(魂のインサニア)、aegritudo は aegrotatio animi(魂のアエグロタチオ)である(注16、17)。言語の天才は身体の病との関係を含意しつつ、魂の病を特定的に指示する術語を提供する。insania quasi insanitas(インサニアはいわばインサニタース〔非健全〕である)——この注記は本質的である。キケローは第Ⅲ巻冒頭から、魂と身体の間のアナロジー関係と、両者のあいだの非対称性(ディシメトリー)を同時に際立たせようと努めた(注18、19)。
七、非対称性——判断する魂/診断される身体(頁250)
身体の不調と苦痛を判断するのは魂であり、身体は魂の病について何も教えてくれない;魂はその状態について、まさに判断する能力(ファキュルテ・ドゥ・ジュジェ)が病んでいるまさにそのときに、判断を下すよう求められる:クム・イド・イプスム・クオ・ユディカートゥル・アエグロテト(それによって判断される当のものそのものが病んでいるときに)(注20)。この定式は深く制限的である——ここに非常に難解で不明瞭な、身体と魂の関係をめぐる論争の萌芽がある。医師なら誰でも、魂の情動状態が身体に生理学的効果を持つことを知っている——ガレノスは『流行病』第Ⅵ巻を引きつつ:テュモス(怒気)が心臓と肺を収縮させる。オクシュテュミア(鋭い怒り)は心と肺を収縮させ、頭に熱と液を呼び集めるのに対し、エウテュミア(良き心の状態)は心を弛緩させる(骨子、注21)。ガレノスは悲しみの脈(プース)もあると言う——「小さく、弱く、遅く、稀な」脈(注22)。医師エラシストラトスがプルタルコスの伝える逸話で、王子アンティオコスの継母ストラトニケーへの恋を、「サッフォーが恋人たちについて書いたのと同じ徴候——言葉と声の途絶、突然の紅潮と発熱、脈の動揺と激発」(骨子)から診断した話(注23)や、ガレノス自身が女性の恋する俳優への想いを、脈から即座に見抜いた逸話(注24、25:ギリシア語骨子——その人物こそが魂を苦しめている当人であることを露わにする者)が引かれる。
八、キケローの非対称性強化——治癒と「自己自身の医師」(頁251–252)
キケローはこの非対称性を治癒の場面でさらに強める:身体の治癒には身体の自然本性(ナトゥーラ)が大きく関与し、治療に同意するだけの者たちも多くは治癒するが、魂は治癒を「意志する」だけで治癒するに足りる(骨子、注26)。ここで際立つのは医学的経験への依拠の拒否である——身体の治癒における意志の役割を制限することは、レジーム(摂生)の重要性と、まさにそれゆえに哲学にとって本質的に興味深いある種の病——水腫(イドロピジー)——におけるアニムスの重要性を見誤ることになる。ケルスス伝える逸話:エピクロス派の医師メトロドロスは、飲んだものを吐き戻すという奇策でアニムスに代えようとしたが、水腫の唯一の治療法は断飲であり、彼はこの策略ゆえに死んだ(骨子)。クリュシッポスの弟子・医師の言葉——王アンティゴノスの近親の水腫は軽症にもかかわらず治らないと予言した(骨子、他の医師はanimusではなくmaladie(病そのもの)を診た、と対比)。キケローにとって、治癒しようとする意志こそ、魂の治癒にとって必要十分かつ特有の条件である。この非対称性は重要な意味を持つ:これを推し進めれば、魂に自然本性(ナチュール)や生得の素地(テラン)は存在せず、この観念は倫理思想にとって何の意味も持たないということになる——後段で扱う本質的な問い(性格の問題)である。もう一つ導かれる帰結:身体の病には第三者たる医師が必要だが、魂については事情が異なる——魂の哲学こそが医師であり、各人が自己自身の医師でなければならない:オムニブスクェ・オピブス・ウィリブス・ウト・ノスメト・イプシー・ノビス・メデリー・ポッシームス・エラボランドゥム・エスト(あらゆる資源と力を尽くして、われわれが自分自身で自分自身を癒しうるよう努めねばならない)(骨子、注28)。
キケローにとって医学とのアナロジーは、両者を混同するためではなく、むしろそれらを分かつ隔たりを測るために働く——それはクリュシッポスの企てであったものとは異なる、とピジョーは予告する。パトス(πάθος)をmorbos(病)ではなくperturbationes(動転)と訳すというキケローの選択が理解できる理由もここにある——医師のカルダーノ(Hippocratis Aphorismos Commentarius)はキケローを定義の権威として引きつつ、「パトスに対応するラテン語は存在せず、魂の状態についてはこれをペルトゥルバチオと呼ぶ。ラテン語にパッシオという語はない——それに相応するのはアフェクチオまたはモルブスである」「キケローがパッシオという語を避けたのは事実である」(骨子、注29、30)とし、プリスキアヌス・クインティリアヌス・ホラティウスの権威によって passio という語を復権させる、と付言する(注31:カエリウス・アウレリアヌスでは実際 passio が身体の病と魂の病の両方を指す——第一章の恐水病論を参照、と相互参照)。
キケローがパトスの訳語としてmorbus(病)を避けperturbatio(動転)を選んだという頁252の一節は、翻訳選択そのものが第Ⅲ章の主題の一つである、とピジョーが示唆する。この語の三択(morbus/perturbatio/passio)は、ピネルが情念(passions)という語をそのまま採用しつつ「疎外(aliénation)」という新たな病名概念を立てた術語選択の、はるか手前に位置する古代の分岐点として記録に値する。カルダーノの証言する「passio 語の復権」の系譜(プリスキアヌス・クインティリアヌス・ホラティウス)は、ピネルの passions 概念の文献学的前史として、pinel-virgile 2-2(情念の定義)節の背景に加えうる。
九、Furor と Insania——法制史への展開(頁252–255)
キケローにとって身体の病は第三者の医師を必要とするが魂はそうでない、という非対称性から出発し、ピジョーは二つの狂気の区別——furor と insania——、そしてギリシアのメランコリアとラテンの furor の同一視という二つの問題へ移る。キケローの区別(骨子):insania quae iuncta stultitiae patet latius(愚かしさに結びついた、より広く開かれた実体としてのインサニア)とfuror。ギリシア語のマニアはこの両方を混同しうるほど広い概念だが、キケローにとってinsania と furor は完全に区別された二つの実体である。ローマ法(十二表法)は furiosus にのみ後見(クラテラ)の手続きを留保した——「テクストはこう言わない、si insanus とは言わず、si furiosus escit と言う」(骨子、注36)。立法者の天才はこうして insania(中間的な義務の遂行を妨げない)と、個人を完全な無能力状態に置く furor とを区別していたのである。
このfuror/insania(または dementia)の区別は法制史上の問題を提起する——法史家がしばしば「当時の医学的知識」や「医学的知見の進歩」に無反省に依拠する点をピジョーは批判的に見る(注38:A・ルビグルへの言及)。furor と furiosus という語は、「圧倒的な不均衡(écrasante disproportion)」を伴って(すなわちきわめて頻出する語として)テクストに現れ続けるが、その不均衡ゆえに、あるいはそれにもかかわらず、教説の一部は demens・dementia という語に、furiosus・furor と競合する特有の意味を回復させようとした——ウルピアヌスとその後継者たちにおいて、この区別が現れ、E・ルニエのようにここに「医学的知識の進歩」の影響を見ようとする誘惑が生じる。furiosus は明るい間隔(intervalles de lucidité)を伴う動揺した病者、demens は完全な機能不全者と見る説(アカリアス)、demens にモノマニーを見る説(エスキロールの光に照らしたウルピアヌス読解——注43で、エスキロールが古代のテクストの精確な保証人としてピネルを重視していたと付言される)、furiosus の外的動揺を病の基準と見る説(ソラッツィ)等が並ぶ。E・ルニエの論——ウルピアヌスの区別はストア主義と医学の進歩の二重の痕跡を帯びる、というテーゼが検討される。
ピジョーはここでエスキロール(1772–1840、ピネルの弟子)が創始したモノマニーの類型(知性的モノマニー/情動的モノマニー、『精神病論』第2部「モノマニーについて」第11章)を注記し、エスキロールがプラトンの霊感による狂気(『パイドロス』244a・265a)を引きつつアレタイオス・カエリウス・アウレリアヌスの「熱狂のモノマニー(メランコリア・エントゥシアスチカ)」を継承の証と見なす一方で、エスキロールは古代の典拠に不案内であり、むしろピネルが先行者たちのうちに古代医学の伝統の保証人を迅速に見出していた、と対比的に評している(読解案内・第一章参照、と自己参照)。エスキロールとピネルの両名が、法制史(furor/dementia/モノマニー)の水脈の中で名指しされるこの一節は、pinel-virgile が扱うエスキロール1805年学位論文(リペマニー概念の起源)の周辺文脈として重要である。次版で pinel-virgile 4-3 節への反映を検討——エスキロールのモノマニー概念とウルピアヌスの demens 概念の(ピジョーが慎重に距離を置く)類比可能性、および「ピネルは古代の保証人を迅速に見出した」という評言の含意。
一〇、キケローからウルピアヌスへ——医学とは独立に進化する伝統(頁255–259)
ピジョーの結論:キケローとウルピアヌスの区別のいずれにも、医学的経験の反映を見るべきではない。ルニエの結論——「キケローが問題を解明したわけではない」「ストア的刻印は説明全体を貫くが、furor と dementia を区別する明確な定義はキケローにはない」——を認めつつ、ピジョーは「進化」というルニエの語彙そのものに疑いを向ける:医学は完全に独立に進化する。furor/dementia の区別を医学によって照らそうとするのは失敗する運命にある。
「キケローからウルピアヌスへの医学の進化」という節。定義の観点からは、ヒポクラテス以来の医学の進化は、精神機能の障害を含むあらゆる病について、一方でノゾグラフィー的な表と病的実体の精密化、他方で記述の質的多様性の喪失という同じ方向に進む(注55:ここでは記述・命名法の問題のみを扱い、症候論・病因論・治療論は措く)。『集成』とりわけ『流行病』第Ⅰ・Ⅲ巻には、アリエナシオンの諸現象を記述するための豊富な語彙——動詞パラクルーオー(παρακρούω)/パラクルーオマイ(カタノエオー「意識を取り戻す」の対語)、副詞レーロス・パラレーロス・レーレイン・パララレイン・パラプロネイン・パラプロネイン・パラプソプサイ・エクマネーナイ・パラレゲイン等——があり、これらは質的な記述の豊かさを証示する(注56)。だが症候の亜概念への包摂(subsomption)はヒポクラテス医学に本質的ではない。とはいえ既にいくつかの実体は存在する——『急性病摂生論』第Ⅴ巻の一節(骨子):「急性とは、古人が胸膜炎・周肺炎・フレニティス・カウソスと呼んだ病である」。この四概念——注釈者によれば5世紀末の『古医術論』・第二群『流行病』より古くはない伝承——が既に急性病の性格を持つ。
キケローの時代までに、急性病/慢性病(進化の速い病/遅い病)の対立を軸とするノゾグラフィー的な表が構成されつつあった。この構成の詳細には立ち入らないが、キケローの同時代の医師、しかもおそらくキケローの友人にして医師でもあった、あの偉大なプルサ(ビテュニア)のアスクレピアデスの仕事は看過できない——フレニティスという病の問題設定は、彼に多くを負っていることは既に見たとおり(注62:第Ⅰ章参照、自己参照)。
この表を、精神的疾患を伴う病という観点から一瞥すれば——レタルギー、アポプレクシー、カタレプシー、ヒドロフォビー、そしてとりわけフレニティス(急性病)、インキュブス、エピレプシー、メランコリー、パラリシー、カケクシー、ヴェルティゴ、そしてとりわけマニー——「フーロル・シーヴェ・インサニア・クァム・グラエキー・マニアム・ウォカント(フーロルすなわちインサニア、ギリシア人がマニアと呼ぶもの)」とカエリウス・アウレリアヌスは書く(骨子、注63)——これらは慢性病である。この表のうちで本質的に対立する二つのアリエナシオンがフレニティスとマニーである。両者はまず急性病/慢性病の対立として対立し、フレニティスは熱を伴う錯乱(デリール・アヴェク・フィエーヴル)、マニーは熱なき錯乱として対立する(頁258冒頭に続く——次項で扱う)。
一一、次の単位
頁259後段から新項「Furor et mélancolie(フーロルとメランコリー)」。第Ⅲ巻でキケローが記す一節が予告される(骨子):ギリシア人はこれを〔メランコリアと〕呼びたがるが、言葉がそれを裏切っている——われわれが furor と解するものを、彼らは、まるでそれが黒胆汁の作用にすぎないかのように、メランコリアと呼ぶ。しばしば怒り、あるいは特に激しい苦痛や恐怖のもとで生じる情態であるにもかかわらず——アタマース・アルクマイオーン・アイアース・オレステースの名が、この genre〔furor〕に属する範例として挙げられる。メランコリーとフーロルの等価性という、医師たちにとっては説明しがたいこの主張から、ギリシアのメランコリアとラテンのfurorの同一視という論点が展開される。読解ノート(六・その二)で扱う。
第Ⅲ章 フーロルとメランコリー——アリストテレス『問題集』第XXX巻、「ウェルギリウスも医学的権威となる」、そしてクリュシッポスの情念一元論
〇、furor と mélancolie の等置——キケローの主張(頁259後段)
『トゥスクルム』第Ⅲ巻でキケローが記す一節(骨子、既出五・その一〔六・その一〕予告の回収):ギリシア人はこれを〔われわれが furor と解するものを〕メランコリアと呼びたがるが、言葉がそれを裏切っている——あたかも黒胆汁の作用にすぎないかのように。しばしば怒り、あるいは特に激しい苦痛や恐怖のもとで生じる情態であるにもかかわらず(Tusc. III.V.11)。この genre〔furor〕の範例としてアタマース・アルクマイオーン・アイアース・オレステースの名が挙げられ、「キケローに忘れられているが」これにヘラクレスも付け加えうる、とピジョーは言う。
一、カエリウス・アウレリアヌスの反論——「深い怒り」としてのメランコリー(頁260)
キケローのこの定義は医師たちに問題を引き起こす。カエリウス・アウレリアヌス(『慢性病』I.VI.180)はこう指摘する(骨子):メランコリーはその名を黒胆汁から取るのではない——黒胆汁がこの病の原因ないし起源であるという考えは、真理を観察するよりもむしろ想像する者たちの見解であり、実のところキケローは「黒胆汁」を「深い怒り(アルタム・イラークンディアム)」の意味で語っている:ナム・トゥリウス・アトラム・ビレム・ディークシット・ウェルティ・アルタム・イラークンディアム(キケローは黒胆汁を、いわば深い憤怒であるかのように語った)。そしてウェルギリウスも、アルキデス(ヘラクレス)の苦痛がフーリアエ(激情の女神たち)によってアトロ・フェッレ(黒い胆汁)のもとに燃え立たされた、と言う——
「まさにここで、アルキデス〔ヘラクレス〕の苦痛は、フーリアエ〔激情の女神たち〕によって黒い胆汁のもとに燃え立たされていた」(カクスの牛盗みに対するヘラクレスの怒りの場面)。
ピジョーの評言:ウェルギリウスがここで furor と atrabile(黒胆汁)を連想させるのは、キケローに由来する近縁性かもしれず、彼はこの近縁性を、後述する〔ストア的〕源泉から直接汲んでいる可能性もある。カエリウスによる「メランコリーとは深い怒りである」というキケロー解釈についてのフラシャール(Flashar)の評——「彼はキケローを誤解している」——にピジョーは与しない:カエリウスは要約的(省略的)だが、その捉えは正しい。キケローの考えるメランコリーとは、彼が与える意味において、すなわちフーロルの意味においては、深い怒りであり、いかなる身体の体液にも属さない。この考えはキケローにとって根本的である——それは既に見た魂と身体の非対称性(ディシメトリー)の一部をなす:身体的な狂気の原因を除去することに関わる。カエリウスの解釈は徹底的にキケロー的である。他方、キケローと、さらにウェルギリウスまでもが医学的権威となるのは興味深い——ラテン語の狂気の語彙について、後によりいっそう広い意味でキケロー・メディクス(医師キケロー)と呼ばれることになる、という現象がここに見て取れる。カルダン(ジロラモ・カルダーノ)が『トゥスクルム』の当該箇所を引用し続けたことは、これが18世紀のカステリの医学辞典(『ギリシア=ラテン医学辞典』)の insania 項にまで残っていたことからも分かる。
ピジョーがここで述べる一文——「キケローと、さらにウェルギリウスまでもが医学的権威となるのは興味深い」——は、pinel-virgile 本論および補注(一)〜(三)が終始主張してきたテーゼ(ヴェルギリウスは装飾としてではなく論争しうる精度で医学的語彙を運用する詩人であり、だからこそピネルは第4巻を臨床的に読みえた)の、ピジョー自身による独立の一般化である。しかもここでの根拠は『アエネーイス』第4巻(恋の病理)ではなく第8巻のヘラクレス=カクス挿話であり、furor と atrabile(黒胆汁)の連想という、既出のディードー論とは異なる回路からの傍証を提供する。ヘラクレスの狂気とメランコリーの結節は、後段(頁262、擬アリストテレス『問題集』)でもヘラクレスが筆頭例として再登場することと呼応する。次版で pinel-virgile 補注(三)へ v36 として反映予定。
二、医師たちの伝統——メランコリーとマニーの転化(頁260–261)
医学的伝統は、テミソン門下やアレタイオスに見られるように、メランコリーをマニーの一クラスとする傾向を示しつつも、両者を完全には混同しない——古代の医師たちにとって諸病は本質的に不安定(ラビル)であり、メランコリーは容易にマニーへ、あるいはエピレプシーへと転化しうる。ガレノスは『流行病』第VI巻第8節§31を引きつつ、メランコリー患者がしばしばエピレプシーに、エピレプシー患者がしばしばメランコリーになると言い、その理由を論じる——擬ヒポクラテス的著者は病が身体へ向かえばエピレプシーに、精神(ディアノイア)へ向かえばメランコリーになると言う。カルダーノもまた「それでも furor は atrabile と異なる」と書き、ヒポクラテス『流行病』第Ⅰ巻に依拠して七種の錯乱(骨子):フレニティス・インサニア・デリリウム・メンティス・モティオーネム・ストゥポーレム・メランコリアム・フーロレムを挙げ、これを整理する(骨子):フレニティスは持続する錯乱、間歇を伴う錯乱はインサニア、正しく考えられない状態がフーロルよりむしろ怒りに近いもの、メランコリアは空しい恐怖を伴うとき、ストゥポールは万事を忘れるとき、精神の乱れは錯乱が軽く感知しにくいとき。
三、擬アリストテレス『問題集』第XXX巻——天才とメランコリー(頁261–263)
フーロルとメランコリーとの同一視という主張から、キケローはどこからこの命題を引き出すのか——ギリシア人がフーロルと呼ぶものをメランコリーと呼ぶという主張の出所。ピジョーの答え:一つの伝統からのみ、それを引き出しえた——擬アリストテレス『問題XXX』である。「われわれの知るかぎり保存された唯一のプレ=キケロー的テクストであり、マニー、というよりむしろアリエナシオン(エクスタシス)を、メランコリーの一形態とし、それゆえ黒胆汁を狂憤する狂気(フォリー・フュリユーズ)に帰する」テクストである。冒頭(骨子):なぜ哲学において、政治において、詩において、諸技芸において際立った人物はみな胆汁質(ビリユー)であり、しかも黒胆汁から生じる病に冒されるほどに胆汁質なのか——たとえばヘラクレスが英雄のうちに挙げられるように。この気質がヘラクレスにあったとし、古人が「聖なる病(マル・サクレ)」と呼んだエピレプシー患者の発作もこの現象に結びつける。証拠はヘラクレスの自分の子どもたちに対するエクスタシス〔発作〕と、オイタ山での自殺前の傷を引き裂く激しさ。これらの症状はしばしば黒胆汁が引き起こすものである。アイアースとベレロフォンにも同様の傷が見出され、一方は完全に狂った(エクスタティコス)、他方は孤独のみを求めた。他の英雄たちも同種の情態に苦しんだ——エンペドクレス、プラトン、ソクラテス、そして多くの詩人たちもこの気質に属する。この気質が実際の病の原因であることも多く、彼らのうちある者たちには単に自然な傾向(テンダンス)があったにすぎない。
この『問題』はワインの酩酊のパラダイムを用いて気質を測る:ワインは唯一の存在のうちにメランコリーのあらゆる段階を生む——各酩酊の状態はある一つのディアテーズ(体質)に対応する(酩酊と気質の違いは、一方が一過性で他方が恒常的であること)。この問題は病理学的な正常性の規範という問いをも副次的に立てる——健康とは体液のクラーズ(混合比)であるから、ある種のディアテーズ(黒胆汁の優位のような)はそれ自体症メトリア(釣り合い)からの逸脱でありながら、なおメランコリー質者に固有の健康が存在する——それに対してヘラクレスの過剰は病的である、という論法。
この一節で明確に確認されるのは、狂憤する狂気(フォリー・フュリユーズ)をメランコリーの一つの発作的(パロクシスミック)形態とする同一視である。キケローは間違いなくこのアリストテレス的テクストからこの同一視を引き出しており、それはとりわけ彼が『問題XXX』を二度引用していることからも確からしい:
「アリストテレスは、すべて才知に恵まれた者はメランコリー質であると言う。」
もう一箇所は『占いについて』I.XXXVIII.81。〔プラトン『パイドロス』の〕聖なる furor、あるいはフェードルの善き錯乱(ボン・デリール)を引いたのち、キケローは書く(骨子):アリストテレスもまた、健康の欠陥ゆえに狂う〔クァレタティニス・ウィチオ・フレルント〕がゆえにメランコリーと呼ばれる或る者たちが、魂のうちに未来を予見させる何か神的なものを持つ、と考えた。私自身は、なぜフレニティス患者〔プレネティキ〕と同じ特権がカルディアキ〔心臓病者〕に属さないのか、その理由が分からない——占いは健全な精神(メンス・インテグラ)の産物であって、病む身体〔コルプス・アエグルム〕の産物ではないのだから(注86)。
この一節はキケローが〔精確な意味での〕医学を心得ていることが多い——ただしそれを頻繁には言おうとしないだけであることを示す。フレニティス(発熱を伴う錯乱)が何であるかはわれわれも知っている。だがカルディアキという語は、われわれにとって〔現代語の心臓病者〕とは同じ意味を持たない——心臓病(カルディアカ・パッシオ)はケルスス、とりわけカエリウス・アウレリアヌスの古代的定義によってよく知られており(注87)、この病において心臓(コル)そのものが冒されるのか胃の噴門部が冒されるのかが問題になる——これはギリシア語カルディアの両義性ゆえであり、ガレノスが示すとおりカルディアは胃の起源としての心臓筋をも指しうる(注88)。キケローが問うのは、なぜメランコリーのほうがフレニティスやカルディアカ・パッシオよりも〔予見の特権を持つ病として〕選ばれるのか、という点である。
四、キケローの結論——ストア的パラドックスとその独自性(頁264)
これらキケロー的定義について、ピジョーはいくつかの結論を引き出す。われわれはストア的な問題系のただなかにいる——キケロー自身が言うとおり:「魂のあらゆる乱調(トゥルーブル)を、哲学者たちは病と呼び、非賢者はいかなる者もこれらの病を免れないと主張する。ところで病める者は健康ではなく、非賢者すべての魂は病んでいる。ゆえにすべての非賢者は狂っている(フー)」(骨子)——すべての非賢者が狂っていることを論証するのが目的である。だがキケローが与える諸定義はオリジナルである。魂の病と身体の病のアナロジーを同時に想起させながら両者を区別する能力を持つラテン語の天才ゆえに、キケローはストア的パラドックスのラテン的解釈を提案する。メランコリアとフーロルの等価性については、それがアリストテレス〔『問題XXX』〕からしか来えないことを見た。これは注目に値する——ある者たちが望むようなストア的議論の単なる反映であることを妨げ、〈アカデメイア派の伝統〉のうちにある、おそらく独自の構成であることを示す。アイアースのメランコリーと錯乱の徹底して心理学的な解釈は、精神の病を身体の側の登記簿から決定的に奪い取る——ただしそれは医師たちにとっては、この病がその領分に属し続けることを妨げない。これらの定義が法の歴史と医学的省察の歴史とに持つ重要性を副次的に示そうとしてきた、と本節を結ぶ(注90)。
五、新項「クリュシッポスによる情念」——判断そのものとしての情念(頁264–265)
キケローのクリュシッポス読解を理解するには、まずクリュシッポスの思想そのものを提示する必要がある。クリュシッポスにとって、情念は判断(ジュジュマン)に「従う(follow)」のではなく、判断そのものである——この点についてはディオゲネス・ラエルティオス、ガレノス、プルタルコスの証言が多く一致する。これは知性主義的(アンテレクチュアリスト)あるいは観念論的な見方であり、クリュシッポスにしばしば向けられる非難だが、ピジョーの見るところ不当である——というのも問題の核心は「情念とは何から成るか」であり、この現象は判断と生理学的徴候の両方から成ることに万人が同意するからである。ストア派、とりわけクリュシッポスは、この特徴群をきわめて精確に記述した:
だが問題はこの生理学がいつ介入するかである——これらの徴候は随伴現象(エピフェノメーヌ)にすぎないのか、あるいは判断の帰結にすぎないのか。キケローの見解は明確である:
「アエグリトゥード〔悲苦〕とは、目下の悪の新鮮な意見(オピニオー・レケンス)であり、それに応じて魂は自らを沈ませ収縮させるのが正しいと思われる;喜びとは目下の善の新鮮な意見であり、それに応じて魂は自らを解き放つのが正しいと思われる……」
拡張(エクスパンシオン)あるいは収縮(レトレシスマン)は、判断の論理的帰結である。キケローはここで確かにストア的な源泉に従っている——アンドロニコス(前1世紀の逍遥学派)も同じことを言う(骨子、ギリシア語):「悲苦とは非理性的な収縮、あるいは、悪の現前という新鮮な意見であって、それに向かって身を収縮させるべきだと考えられるもの……」(注95:ストア派の情念の知の一資料である『情念論』はアンドロニコス自身の著作ではなく、より折衷的な著者の編纂と見られる、と付言)。
六、クリュシッポスの一元論——魂と身体は不可分の「レクト=ヴェルソ」(頁266–267)
ここでキケローの独自性が現れる:キケローはこれらの収縮・膨張を魂そのものに帰属させる——魂と身体を絶えず対立させるキケローの発想と一致する。これに対しストア派は、いかなる者であれ、この生理学的変異を魂身の全体に帰属させる——それは彼らにおいて、控えめに言っても、心身両属的(サイコ=フィジオロジック)な事態である。アンドロニコスあるいはキケローの記述は、収縮の時間的位置を、判断に対して〔後発的に〕ずらす点で、これを一つの推論の論理的帰結にしてしまう、とピジョーは指摘する。クリュシッポスの天才の一撃は、彼の一元論の極限まで貫いたことにあった、とポーレンツの言う「厳密に一元論的な心理学(seine streng monistische Psychologie)」という評言を引きつつ確認される:クリュシッポスにとって、判断を生理学的発現から切り離すことは不可能だという考えこそが、彼の理論——情念のレベルでの——に現れる一元論の意味である。それは一つの同じ行為(アクト)の問題であり、情念は、収縮あるいは拡張という運動と判断との、不可分な〈表=裏〉によって構成される。魂の一方と身体の他方があるのではなく、魂と身体をあわせた不可分な一つの全体があるのみである。
すべてはクリュシッポスにとって心臓(カルディア)から出発する——それが自我の起源である。思考と情念は心臓から生まれる:悲しみ、恐れ、怒り、とりわけ蒸気(アナテュミオーメノン)のように立ちのぼる欲望。心臓はもっとも重要な器官であり、われわれの運動はすべてそこから発する(ホルモーメン・カタ・トゥート・ト・メロス)、シュンカタテシス〔同意〕の座であり、感覚を集める中心である(骨子、注97)。魂と身体の対立はクリュシッポスにとって意味を持たない——推論・判断・その効果を語ることは、同じことを語ることである。怒りとその顔への発現、欲望とその顔への表出は、一つの同じものである。
クリュシッポスの弱点は、既にその時代に乗り越えられていた解剖学に立脚したこと——ガレノスの指摘(骨子):心臓は意志の起源ではありえない、経験がそれを証明する——心臓を圧迫しても運動は変化しないが、脳を圧迫すれば直ちに運動に反応が現れる(注98)。逆に、推論・研究において、心臓の動悸は何も現れない(注99)。ガレノスは思考を身体の一部(脳)に位置づけ、ポセイドニオスはこの危険を感じ取り、魂の「部分」を語ることを拒み、〈デュナメイス(諸力)〉を語る(骨子、注100)。
クリュシッポスの一元論——彼が情念の理論のレベルで示すそれ——とは、判断を、それに伴う生理学的発現から切り離すことは不可能だという考えである。それは不可分な一つの行為(アクト・アンディヴィジブル)である:情念は、収縮あるいは弛緩という運動と判断という、切り離せない表=裏によって構成される。魂の一方があり身体の他方があるのではなく、魂身をあわせた不可分な一つの全体があるのみである——われわれには決定的と思われる、クリュシッポスのある比喩(アナロジー)が幸い保存されている、として次項へ。
七、次の単位
頁267後段から新項「クリュシッポスと競走のアナロジー(Chrysippe et l'analogie de la course)」。ストア派における比喩・隠喩・新語の重要性(キケローが十分に感知していた)を確認したうえで、ストア主義の理解は隠喩の解釈学(エルメヌティーク)を経由しなければならないと宣言される——先人たちがこれを真剣に受け止めていたことは、ポセイドニオスとガレノスがクリュシッポスに向けた異論のうちに見る、と予告。ガレノスが伝えるクリュシッポスのテクスト(ギリシア語、競走者が走る勢いを制御できず前へ運ばれてしまう現象を、衝動〔ホルメー〕の均衡を超過することの比喩とする一節)の分析から始まる。読解ノート(六・その三)で扱う。
第Ⅲ章 クリュシッポスの走者比喩、ガレノスの反論、そして「一元論的思考の二元論的読解」——キケロー二元論の核心
〇、クリュシッポスの走者比喩——原文と逐語的解釈(頁267後段–269)
ガレノスが伝えるクリュシッポスの原文(ギリシア語骨子、V K 369以下=S.V.F. III.114):脚の運動そのものが衝動(ホルメー)を超過するのではなく、衝動に何かが付随して結びつく——それゆえ望むときに立ち止まり方向転換することができる。だが走っている者たちの場合はもはやそうではなく、衝動に対して脚の運動の方が超過し、意に反して運ばれてしまう——ちょうど、理法(ロゴス)に従った適度な釣り合い(シュンメトリア)を超えるときに生じることに似ている。衝動がうまく従わないのはこの種の超過のゆえであって、衝動から生じる速度の超過のゆえではない。というのも、釣り合い(シュンメトリア)とは自然本性的な衝動が理法(ロゴス)に従うことであり、しかるべき限度に至るまでのことだからである。それゆえまさに、この限度を超過することによって、衝動は理法にも自然本性にも反して過剰になった運動である、と言われる(注104)。ピジョーはこの難解な一節を敷衍する(骨子):走る際の脚の運動の限度超過は、衝動(心)との関係における、いわば近縁の現象である——というのも、それらもまた、理に適った関係を超過する場合、その勢いに乗って走り出すと、理性に従順ではなくなるからだ。〔比喩において〕走ることに関して言われるこの限度超過が、〔魂において〕衝動に関して言われるのは、理性を超えた限度超過のゆえである。というのも、自然本性に従った衝動の釣り合いとは、理法に従うことであり、しかるべきところまでのことだからである。それゆえ、限度超過が生じ、衝動がこのように過剰になるとき、その衝動は自然に反し理に反する魂の運動であると言われる(注105:「同じことを言う」と付記)。
クリュシッポスの言葉は大きな難解さを持つ——それゆえ誰もがこの一節を引用し利用しながら、誰もこれを翻訳も解釈もしようとしない、とピジョー。それでもこれには手をかける価値がある。
一、走ることの現象学——「規範を行為のうちに考える困難」(頁269)
ストア派にとって、ある一点から別の一点への距離とは、その別の一点に到達しようとする私の企投(プロジェ)にほかならない——この企投は、私が自分の肉と骨の塊を動かし始めることによってしか存在しない。私の企投はまず何よりも一つの照準(ヴィゼ)の計算だが、それは私の筋肉・力・身体の量を考慮に入れる。私の身振りが照準に対して適切であれば、私は器用であり、自分の自己受容感覚(コエネステジー)と力の良き知者である。あるいは自分を〔勢いに〕引きずられるままにすれば、私の身振りは強すぎ、出発が急すぎ、私は転び、よろめき、時宜よく止まれず、的を外す。「測度(メジュール)」、すなわち跳躍・突進(エラン)とそれ自身との関係は、良き緊張(トノス)にほかならない——跳躍の正しい力であり、私の行為の成功である;そしてその客観的な成功によって、あらゆる跳躍の規範であるところの、適切な身振りはそれ自身がそれ自身の固有の規範なのであり、困難は行為のうちに一つの規範を考えることにある。
二、目的と目標——テロスとスコポスの一致(頁269)
行為そのものが客観的な目的(ビュ)——世界のうちに置かれたそれ——に達することが、その目的の創造者だと言えるだろうか。われわれはこう答える:ストア派にとって、行為している主体の外部に空間は存在しない。ストア派にとって主体的なものと客観的なものの区別は存在しないと、ある種の別の形で言うこともできよう。クリュシッポスにとって、歩行あるいは競走を、外的な目標を提案する道徳的行為に同化すること、それを重んじその目標を評価することが困難でないのは理解できる——なぜなら歩みを目標へ向けて進めること、距離を評価すること、力を見積もること、それは行為であり、それがその目的(フィン)の創造者だからである。それは目的(テロス)すなわち客観的なものと、スコポス(照準・狙い)すなわち主体が自らに提案する目標との一致である。
効力(エフィカシテ)の基準は善のそれと同じだと言えるだろうか。ストア派人ならこれを恐れなかっただろう——「善とは常に有益、好機に適い、値するに価し、有用、良き用途を持ち、有利、望ましく、正しいものである……そしてそれが美しいのは、それがそれ自身の有用性に対して釣り合っている(シュンメトロース)からである」(骨子、注106:καλὸν δὲ ὅτι συμμέτρως ἔχει πρὸς τὴν ἑαυτοῦ χρείαν)。主体的なものと客観的なものの間に、権利・自然・理性の間に、物理と合理的なものの間に、判断と身体的躍動の間に——すなわち情念について言えば、クリシス(判断)とホルメー(衝動)の間に、判断とその判断の生理学的発現の間に——差異は存在しない。われわれがクリュシッポスの一元論と呼ぶのはこれである。
三、プラトン『ソフィスト』との比較——シュンメトリアの二つの意味(頁269–270)
一つの行為・その実現・その成功あるいは失敗を考える仕方は複数ある。到達すべき目標があるとしよう。目標を目指す者と目標そのものとの間の一つの関係、一つのシュンメトリアとして、目標の達成という事実を考えることができる。弓を射る者、あるいは歩く者は、的を外しうる——照準の誤り、矢の逸脱、あるいは道の方向の逸脱によって。プラトンが『ソフィスト』(228c)で無知を記述するのはこのようにしてである(骨子):エレアからの客人:あらゆる運動に与るものが、目標を掲げてそれに達しようとして、それぞれの衝動(オルメー)のたびに、その〔目標からの〕逸脱・失敗(パラフォラ)を生じ的を外すとき、われわれは、これが互いに対する釣り合い(シュンメトリア)ゆえにこうした目に遭う、それとも不釣り合い(アメトリア)ゆえか、と言うべきか。テアイテトス:明らかに不釣り合いゆえに。客人:だが、あらゆる無知は魂にとって不本意である、とわれわれは知っている。……〔中略〕……客人:ではまさに、無知するとは、真理へと突き進む魂の、まさにこのこと(つまり)認識への逸脱した突進(παράφορος συνέσεως γιγνομένη)にほかならない——それは理性(ロゴス)の逸脱(παραφροσύνη)にほかならないのだ。
ここにπαρα/φόρου と παρα/φροσύνη をめぐる困難な言葉遊びがある——シュネシス(認識・意識)とは、共に行くべき二つのものを結びつける行為を指す(注108:『クラテュロス』412a参照)。逸脱、デリール(παραφροσύνη、非認識)とは、認識しようとする者の対象との関係、シュンメトリアの失敗にほかならない——イメージは明らかに的を外す射手のそれである。ピジョーがこのプラトンのテクストをクリュシッポスに近づけたのは、両者の問題設定と語彙が同じだからである——問題はホルメーとシュンメトリアである。だが比較はシュンメトリアの理解の差異においてこそ、大いに啓発的である。『ソフィスト』の当該箇所では、シュンメトリアは主体の外部に規範を置く客観的な関係として定義される。だがプラトンは行為そのものをその実現において脇に置き、生きる主体をも脇に置く。
四、シュンメトリアの二つの理解——客観的規範と行為そのもの(頁270)
すべての魂の二元論の真理、その本質とは、魂と身体の対立であり、シュンメトリアの二つの理解の差異はそのイメージ・重複にほかならない。クリュシッポスの一節にとって、シュンメトリアとは行為そのものであり、その実現においてである;他方プラトンの一節(そしてキケローに従うなら二元論的なストア主義全体)にとって、シュンメトリアは主体の外部にその規範を置く客観的な関係である。この違いを念頭に置きつつ、ピジョーは次項でキケロー『善悪の究極について』の射手の比喩へと進む。
五、キケロー『善悪の究極について』——射手と俳優のアナロジー(頁271)
目標に達するには複数の仕方がある——歩いて行く、踊って行く、走って行く。走って行けば的に触れうる可能性はより高いが、より大きな危険を伴う——なぜなら跳躍(エラン)を企図に適合させることはより困難であり、そこには一つの助走、競走の性急さがあって、それが致命的になる危険がある。歩く者とは正常な人間、踊る者とは賢者、走る者とは激情に駆られた者(パッショネ)である。誰も気づかなかったことだが、走ることの比喩を、キケローがホルメーについてまさに語る、舞踏の比喩に近づけることは驚くべきことである:
「実に、俳優にはあらゆる身振りが許されているわけではなく、ダンサーにはあらゆる歩みが許されているわけではなく、彼らに正確に指定された動きだけが許されている……というのも、われわれの考えでは、知恵が似ているのは航海術や医術にではなく、むしろ俳優の技や舞踏術にである——その目的(フィン)は自らのうちに存し、それを自己の外に求めない〔目的が実現そのもののうちにある〕からである」(注109)。
行為の目的は行為の対象(ビュ)ではなく、行為そのものである。キケローはこれをさらに明晰に言う——「われわれが〈究極目的(フィン・デルニエール)〉というものを諸善のうちで語るとき、それはちょうど、槍あるいは矢で目標を射抜こうという企図を持つ者のようなものだ。この比較においては、射手は目標に達するためになすべきすべてをなさねばならない——そして実は、この達成しうるはずのものは、もし私が言ってよいなら、〈究極目的〉であって、〈射抜くこと〉自体は望まれるべき何かではあるが、それ自体で追求されるべきものではない」(骨子、注110:telosについてゴルトシュミット『ストア体系と時間の観念』参照)。
走ることの比喩が保持されたのは、それがクリュシッポスの一元論的力動性の最も精緻な表現であり、また『ヒポクラテスとプラトンの学説』における情念論の議論の中心にあるからである。ガレノスはクリュシッポスに、地勢と傾斜(デクリヴィテ)を計算に入れず、身体の重さを無視していると異論を唱える——たとえば坂を転げ落ちる石の運動が明白に示すように(注111)。ガレノスにとっては、地勢と身体の重さという客観的な考慮を導入する必要がある。
六、ガレノスの反論とポセイドニオスの介入——「私の身体の重さ」(頁271–272)
クリュシッポスならこう答えるだろう——この坂の傾斜も私の身体の重さも、私が自分を目標へと企投しつつある感情のうちに織り込まれている、と。それらは私の行為の外部には存在しない。ガレノスにとって、この身体の重さは、私の行為に同化されえない——それは他なるものであり、行為への抵抗である。われわれの知るとおり——ガレノスがそう言っている——「身体の重さ」はクリュシッポスに対するポセイドニオスの異論である。この論証はきわめて啓発的である——情念の生理学的発現が判断そのものであるか(クリュシッポスの考えるように)を知る問題である。これらの収縮、萎縮、咬み、膨満、流出は判断の帰結だろうか——ゼノンに従えばそれらは判断に「従う(follow)」ものである。ポセイドニオスにとってはそのどちらでもない。それは非理性的な、テューモス的(気概的)かつ欲望的な力から来る(骨子、ギリシア語、注113)。ポセイドニオスは古い理論に従う(注114)。ロゴスは自分自身の実在と自分自身の尺度を超過しえない——「実にロゴスは、自分自身の事柄と尺度を超えて過剰であることはできない」(ギリシア語骨子、注115)。意志を超えた、走ることにおける超過の原因は、ロゴスとは無関係な原因であり、それは身体の重さである(トー・バロス・トゥー・ソーマトス)。ポセイドニオスは、行為そのものである実現から独立した行為の測度を認めることができない。失敗の原因、超過の原因は行為の外部にある——それは行為に付き従う抵抗であり、たとえば身体の重さのような、他の諸法則に従う抵抗である。ポセイドニオスは、人間は二である、人間はその身体と共には行為しない、人間はそれに逆らって(マルグレ・リュイ)行為する、というあの古い学説に合流する。あらゆる行為は葛藤であり、あらゆる行為は決闘である。
七、キケローはポセイドニオスに従うか——沈黙の意味(頁272)
キケローはポセイドニオスに従うのか。われわれはそうは思わない——他の論者たちとは異なり。ポセイドニオス的理論についてのキケローの沈黙こそが、われわれには遥かに雄弁と思われるのである。だが客観的に見れば、一元論的理論の拒否とパラィオス・ロゴス(古い言説)への回帰という点で、キケローの態度はポセイドニオスに似ていると言いうるかもしれない。しかし両者の間の差異は、その客観的な類似よりもいっそう興味深い——ポセイドニオスは、パテーティコン(情念的部分)とともに、身体と魂の対決を回避する中間項を用意しているが、キケローはそれを持ちえない——このことは次項で示される。
八、キケローの二元論——プラトン・ピュタゴラスへの回帰(頁273–275)
フィリップソンは『トゥスクルム』第Ⅳ巻冒頭でのピュタゴラスとプラトンの名の唐突な出現に驚く(「これは驚くべき指摘だ、eine höchst merkwürdige Äusserung」)(注116)。キケロー自身の言葉:
「われわれがギリシア人の言うパテーを、モルボス(病)ではなくペルトゥルバチオーネース(動転)と呼びたいと決めた以上、これらを説明するにあたり、まずピュタゴラスの、次いでプラトンの、あの古い区分に従おうと思う——彼らは魂を二つの部分に分かち、一方に理性を分与し、他方をそれから欠くものとする。理性に与る部分に彼らは平静で恒常な静けさを置き、他方にはさまざまな乱れた動き——怒りとその他の欲望、そして理性に敵対し矛盾する動き——を置く。それゆえこれを源泉としよう;しかしストア派の情念の定義と区分を記すにあたっては、彼らの流儀を用いることにする——この問題においては彼らこそ最も鋭敏な精神を発揮していると私には思われるからである」。
フィリップソンの指摘するとおり、プラトン的教説は正確には再現されていない——プラトンは周知のとおり魂を三部分(ヘーゲモニコン・イラシブル・コンキュピシブル)に分けるのだから(『ティマイオス』69d、『国家』IV.439d)。三分法は二分法に還元できないのか——イラシブルとコンキュピシブルを同じ非理性的部分にまとめて。テルトゥリアヌスにおいてもプラトンは魂を二分すると言われる(注121)。ピュタゴラスは三分論者か二分論者か——ディオゲネス・ラエルティオスのテクストは曖昧である。ディオゲネスによれば、ピュタゴラスにとって魂は三つに分かれる——ヌース・フレネス・テュモスである。人間もまた動物も同じくヌースとテュモスを有するが、フレネスを持つのは人間だけである。魂の原理は心臓(カルディア)から脳(エンケファロス)へ至る;フレネスは心臓に宿り、ヌースとテュモスは脳に宿る。そしてディオゲネスは結論する——思考する部分(フロニモン)は不死であり、他のすべては死すべきものである(骨子、注122)。
事は明らかである——あらゆる魂の二元論の真理、その本質、それが反復にすぎないところのイメージとは、魂と身体の対立である。プルタルコスは『倫理的徳について』でこれを見事に感得している——理性的な魂は非理性的な魂に対し、魂一般は身体に対するのと同じ関係にある。これは一つのアナロジーである:非理性的な魂は魂の身体である(骨子、注123):「われわれの誰もが二重で複合的な存在であることをどう理解すべきか、ストア派の誰も皆が見ているようには思われない。彼らは第二の区分に気づいておらず、魂と身体のもっと容易に識別できる連合しか知らない。だが魂それ自体が、その内部に、何か複合的で二重で異種のものを持つこと——非理性的な要素が理性と混ざり合い、自然の必然によって対になっていること——を、ピュタゴラスでさえ知らなかったわけではないようだ」。
この魂の二元論は根本的に魂と身体の二元論を代表する——それは常に魂と身体の対立である。キケローの選択、パライオス・ロゴス(古い言説)——ガレノスの言う「古い言説」、キケロー自身の言葉では「ウェテレム・イッラム……ディスクリプティオーネム」(注125)——の選択は、意味深く重い。それは、一元論的な情念の記述を二元論的に解釈しようとする一つの試みを表している。
九、perturbatio という訳語の完全な解明(頁274–275)
誰も、キケローの情念の定義を二元論の選択に結びつける、この因果的な提題(プロポジション)に注意を払ってこなかった:「われわれがギリシア人の言うパテーをモルビ(病)ではなくペルトゥルバチオーネース(動転)と呼びたいと決めた以上」(骨子、注126)。そこには実に、密接な関係がある。それは、魂の病を身体の病から切り離す同じ論理的操作であり、魂に特有の語を選ぶこと——もし言ってよければ——である。魂の病は魂に固有であり、身体の病は身体に固有である。人はこのアナロジーを教育的なものとして受け入れるだろうが、その〔両者の〕同一化への傾向は厳密に監視せねばならない(注127:キケローはこうして aegrotatio と aegritudo を区別する)。二元論は魂と身体の並行論を意味しない;それは常に葛藤しうる状態を伴う一つの階層を指示する。だが秩序が示すのは、魂が自分自身と身体とに命令するということであり、これが第Ⅲ巻の諸定義について既に強調した非対称性を含意する(注128)。
一〇、本書の鍵命題——「一元論的思考の二元論的読解」(頁275)
ここにピジョーの結論が置かれる:「キケローの天才の一撃は、一元論的な哲学の、二元論的な読解を実践したことにある。ピュタゴラスとプラトンに照らしてクリュシッポスの理論を読むだけで、われわれが情念の〈表裏(レクト=ヴェルソ)〉と呼んできたものの分離が、直ちに起こる。キケローは誰も欺かない——彼はそれを言い、それを説明する。かくてクリュシッポスの理論は、二元論的な哲学にとって、情念そのものについての最良の記述であることが判明する——機構(メカニスム)を保持し、病因論(エチオロジー)だけを変えれば足りるのだから。クリュシッポスの理論はそれだけで機能する——眼鏡を替えるだけでよく、一方に判断を、他方に生理学を配分するだけでよい。それはクリュシッポスのプラトン的読解の結果である。かくてクリュシッポスの体系は、一元論者にとってよりも、二元論者にとってのほうがはるかに満足のゆくものとなる——ポセイドニオス的理論よりも、後に見るとおり。キケローの立場は驚くにあたらない——それどころか、まったく明確な仕方で、〈トゥスクルム〉の情念論の鍵を与えるのである」。
これは五・その七〔頁245〕でノートに記録した「一元論的思考の二元論的読解」という予告の、章の折り返し点における完全な回収である。この結論は同時に、pinel-virgile 3-2で扱う「ネオ・ストア的語彙を用いながら実質的にはアリストテレス的節度に収斂する」というピネルの複合的立場の、いわば鏡像をなす——ピネルもまた、ストア的語彙(キケロー・セネカ・エピクテトス)を、二元論的というよりアリストテレス的節度の枠組みで「読み替えて」用いている。キケローが一元論(クリュシッポス)を二元論の眼鏡で読んだように、ピネルはストア的語彙をアリストテレス的節度の眼鏡で読んでいる——両者は「機構を保持し病因論だけを変える」操作の、二千年隔てた反復である可能性がある。次版で pinel-virgile 3-2 への v37 反映を検討。
一一、次の単位
頁276から新項「Les Tusculanes et Posidonius(『トゥスクルム』とポセイドニオス)」。フィリップソンの論文(『ヘルメス』誌)——『トゥスクルム』第Ⅲ・Ⅳ巻はクリュシッポスをポセイドニオスが修正した学説を、キケローが〔匿名の中間的源泉を介して〕そのまま写したにすぎないとするクヴェレンフォルシュング(源泉研究)説——への批判的検討へ。ピジョーはキケローがポセイドニオスの本質的な部分を認めていないこと、その差異が『トゥスクルム』理解にとって重要であることを示す構え。鍵は時間の概念(プレメディタチオー〔予めの心構え〕とデフェティガチオー〔倦み疲れ〕という予防と治療の二契機)をめぐる、キケローとポセイドニオスの時間論の異同にある——ポセイドニオスの造語プロエンデーメイン(προενδημεῖν、あらかじめ住まう)の分析から始まる。読解ノート(六・その四)で扱う。
第Ⅲ章 『トゥスクルム』とポセイドニオス——プロエンデーメイン、キケローの拒む「時間」、外科医と内科医、そして魂身アナロジーの再吟味
〇、フィリップソンの源泉研究説とピジョーの批判的距離(頁276)
R・フィリップソンの論文(『ヘルメス』誌)は、『トゥスクルム』第Ⅲ・Ⅳ巻でキケローが、クリュシッポスをポセイドニオスの批判に照らして修正したあるストア的源泉に従っていると論証しようとする。ピジョーはこのクヴェレンフォルシュング(源泉研究)の方法論そのものに距離を置く(骨子):常に不確かな匿名の源泉の再構成というこの側面はここでは措く——研究された著者が単なる転写者にすぎないと考えるよりは、その著者自身の構成にいくらかの創意を認めるほうを、われわれは好む。とはいえポセイドニオスの影響という問題は『トゥスクルム』にとって本質的であり、キケローがポセイドニオスの核心を認めていないこと、そしてこの差異が『トゥスクルム』の理解にとって重要であることを示そうとする、と方針が宣言される。
一、時間をめぐる対立——プレメディタチオーとデフェティガチオー(頁276)
すべてが時間の問題、その構想と扱い方の問題に帰着する、とピジョーは言う。予見することと忘れることは、時間と持続についての同じ構想に属する——これを、悲嘆の予防と治療という二つの契機、すなわちプレメディタチオー(予めの心構え)とデフェティガチオー(倦み疲れによる鎮静)という二概念で捉える、と予告される。
二、ポセイドニオス的プレメディタチオー——プロエンデーメインという新語(頁276–278)
ガレノスが伝えるポセイドニオスの議論(骨子):時間の「新しさ(プロスファトン)」こそが魂を収縮させ悲苦を惹き起こす;時間が過ぎ、判断が古びれば(クロニスュテイサー)、悲苦はもはや存在しないか、収縮の様態が全く異なるものになる。解決は、可能なら、判断を前もって老いさせることである。ポセイドニオスは一つの見事な語を発明した——プロエンデーメイン(προενδημεῖν)、あらかじめ住まう。
「それゆえまさに、事にあらかじめ住まうべし、と彼は言う。そして、いまだ現前しない出来事を、あたかも現前するかのように扱うべし、と。プロエンデーメインという語でポセイドニオスが意味するのは、これから生まれるはずのことを、あたかも自分の身に前もって型どり、あらかじめ形作るようなものであり、いわば、既に生じたことに対する馴致(エティスモス)を、少しずつ自分のうちに作り出すことである。」(注133–135)
ガレノスの注釈(骨子):「あらかじめ住まう」ことによって、われわれの言う「~を選好する(habiter par avance)」の意味は、既にプレメディタチオーによって変形された未来の存在(エートル・デュ・フュテュール)を作ることになる。これは存在の強度(アンタンシテ・ド・レートル)にかかわる仕事であり、時間のなかでの変容である。ポセイドニオスもキケローが引くのと同じプレメディタチオーの伝統的な事例(テセウス、アナクサゴラス)を引きうるが、その論点は根本的に異なる、とピジョーは注記する(注136)。この習慣と、習慣によるあり方の深い変容という観念はアリストテレスに由来する(注137)が、ピジョーはこれにヒポクラテス『空気・水・場所論』——習俗による自然の深い改変を反省し、マクロケファル(頭長族)のような別の存在の創造にまで説き及んだ書——を加えるべきだと言う(注138)。
三、ポセイドニオス的デフェティガチオー——馬と乗り手の比喩(頁278)
悲苦の消失の問題はプレメディタチオーの問題に密接に結びつく。ポセイドニオスにとって、同じ変容の作業がアフェクティヴィテ(情動性)、魂のパテーティコン(情念的部分)にも作用する。ガレノスが引くポセイドニオスの重要な一節(骨子):
「魂の情念的部分は、時とともに、その固有の欲望に飽き足りる。あるいは、長く続く動きの作用のもとで疲弊する——ちょうど、この二つの現象がともに起こったとき、理性(ロギスモス)が既にそれに打ち勝ちうるようになるのと同じであり、それはあたかも、猛々しい馬が乗り手を運び去るのに——初めのうちは激しく抵抗するが——やがて走ることに疲れ、しかも欲していたものに飽き足りたとき、そのとき乗り手が手綱を握る者として支配的になる、というのに似ている。」
すなわち「魂の情動的部分は、時のうちで、おのれ固有の欲望に飽き足りる;長く続く動きのもとで疲弊する。二つの現象がともに起これば、理性が既にそれを制御しうる——猛々しい馬が疲れ、欲望に満ち足りたとき、手綱を握る者〔理性〕がついに主人となるのに似ている」——馬とその乗り手のアナロジーである(注139。プラトン『パイドロス』245a・248cの馬車の比喩との比較を注140が示唆)。
四、キケローの拒絶——「時間の媒介」を拒む哲学(頁278–280)
ここでピジョーはキケローがポセイドニオスから根本的に離反する点を明らかにする。キケローは、人間のうちの何かが、意識の不断の証人でないままに変容しうるということに、まさに恐れを抱くように見える。ラフランクが正確にもポセイドニオスについて「心身相関的(プシコ=ソマティック)」と語ることを憚らない何かは、キケローにとっては考えられない——キケローはあらゆる物理的・生物学的決定論を拒否する。それはわれわれの自由、すなわちわれわれの意志の独立性を危険にさらすものだからである——『運命について』でのクリュシッポス批判に見るとおり(注142)。プレメディタチオーやデフェティガチオーによる変容は、キケローが認めたがらない、魂と身体の中間項に、存在の一部を服させることになるだろう。彼の二元論は純化的(ピュリフィカトリス)である:それは一つの明確化の企てである。魂と身体があり、魂のうちに理性的部分と非理性的部分があるが、そこには自身の固有の法によって統治される第三の状態は存在しえない。結果として、調教(ドレサージュ)は存在せず、教育(エデュカシオン)だけが存在する。
キケローが『トゥスクルム』IV.80で、生得の性向と生物学的決定論をめぐって、ポセイドニオスよりもさらに明確に主張するのは、人相学者ゾピュロスの逸話をめぐってである:
「魂の平静(コンスタンティア)が知に属するように、動転(ペルトゥルバチオ)は誤謬に属する。」
Qui autem natura dicuntur iracundi aut misericordes...
「怒りっぽい、あるいは憐れみ深いと〈自然本性上〉言われる者たち……彼らは、いわば魂の不健康な状態(マラ・サンテ)を持つとはいえ、治癒可能である——ソクラテスについて語られる逸話が証言するとおり。ある集まりで、各人の性質をその人相から見抜くと自負していたゾピュロスが、ソクラテスに多くの悪徳を帰して、その場に居合わせ彼のうちにそうした悪徳を認めなかった全員の笑いを誘った。だがソクラテス自身がゾピュロスを嘲笑から救った——自分にはそれらの悪徳が生得のものとして備わっていたが、理性によって自らそれらを取り除いたのだ、と言うことによって(cum illa sibi insita, sed ratione a se deiecta diceret)」(注143)。
『運命について』が同じ逸話をより明確に伝える(骨子):これらの悪徳は自然的諸原因の結果でありうる、だがそれを引き抜き、根絶やしにして、それに傾く性質を持つ者〔クイ・アド・エア・プロペンスス・フィエレト〕を、これほど大きな欠陥から解放すること——これは自然的諸原因によるのではなく、意志・訓練・鍛錬(ウォルンタテ・ストゥディオー・ディスキプリナー)による(注144)。
五、「外科医対内科医」——キケローとポセイドニオスの根本的対立(頁280–282)
M・ヴァレンテはキケローとポセイドニオスのデフェティガチオーをめぐる記述を比較し、キケローはクリュシッポスに知られなかったデフェティガチオーの概念をポセイドニオスから受け取りながら、留保をつける——ポセイドニオスがそこにパテーティコンの一過程を見るのに対し、キケローは意見の変化を見る——と書く。ピジョーはこれに強く反対する:これは単なる留保ではない、根本的に対立する一つの哲学である。医師たちの間にはよく知られた対立がある——外科と内科の対立に、これを再認識しうるかもしれない:ある者たちは、治療するとは空にすること・切除すること・焼灼することだと考え、他の者たちは薬(メディカマン)の力を信じ、前者はある薬剤が自動的にしかじかの反応を引き起こすと考え、後者はむしろその逆——身体に間接的に働きかけ、特定の所与のもとで反応を促すのであり、それは間接的にしか、いわば探りながらしか知られない——と考える(注146)。キケローは、われわれの見るとおりクリュシッポスと同じく、外科医の側にいる。情念の根絶(エラディカシオン)を実践せねばならない。ポセイドニオスはより医師的、より生理学者的である。彼は薬を信じ、時間を信じる。
W・リーゼはポセイドニオスの見解——「ストア派は現実にその客観的権利を否認する。この受動性〔情動〕は、それが特有の効力を持つと考えられている限りにおいて、いかなる歴史をも、いかなる変化を告げるいかなる要素をも含まず、現在にのみ限られる。しかし病は一つの発展的過程である……」——に反対し、リーゼの言い分は、クリュシッポスとキケローについてなら正しいが、これをストア主義全体に拡張するのは誤りだと批判する——なぜならそこには〈ポセイドニオス〉がいたからである。
キケローの『トゥスクルム』には、医薬(メディカマン)に関わる、医学から来る興味深い一節もある——キケローはクリュシッポスを引きつつ、慰めの本質は「正当な義務を果たすことで自分を悲しませることを免れているという偏見を追い払うこと」にあると言い、続ける(骨子):これらの慰めの様態を組み合わせるのは、一つが他に働きかけない場合があるからであり、われわれの慰めでもほぼ同様のことをした——一つの特定の事例のためにあらゆる論拠を蓄積したのである。というのも、そのとき、われわれの魂は〈腫れ上がって〉いたから(エラット・エニム・イン・トゥモーレ・アニムス)、あらゆる治療法(クラーチオ)が試みられていた(注148:『トゥスクルム』III.XXXI.76)。ただし魂の病においても、身体の病のうちにおけると同様に、時(カイロス)を選ばねばならない——注が「これは同じ医学的省察に属し、パルマコン〔薬〕の問題にも関わる」と付言し、ヒポクラテス的テクスト『人間における場所』41、44を引く。この二つの指摘——薬は万人に適さずカイロスを考慮せねばならないこと——は同じ医学的反省に属する。だがこの反省の位置には注意すべきである——事は重大な一事例に関わる。悲苦についてはあらゆる手段が善い:
「なぜなら、悲苦の甚大さのゆえに崩れ落ち自らを保てなくなった者たちは、あらゆる仕方で支えられなければならないからである。」——「一方では、われわれが耐えられると期待するものの表象が、身体的苦痛(その中でも咬みつくような苦痛が最も鋭い)に対する慰めとなり、他方では、美しく輝かしい人生の記憶が、悲苦を近づけがたくするか、少なくとも道徳的苦痛を大いに和らげる」——注152:エピクロス的療法として明示され、「他の者たちには、精神を悪から善へと逸らすべし、エピクロスの考えるように」とも言う(注153)。
ピジョーの評言:これは完全にエピクロス的な治療法である。キケローがエピクロス主義者だと言うのか。断じてそうではない。彼はもはやヒポクラテス主義者でもない、と言うほうがよいだろう。だが鉄〔外科的切除〕が届かぬところでは、薬が効いてくれることを彼は拒まない。彼の趣味・彼の哲学がクリュシッポスとその外科術に赴かないとは、誰にも否定できまい。
六、キケローの時間論の「くり込み」——時間を拒む哲学(頁282–287)
キケローがプレメディタチオーとデフェティガチオーについて抱く構想は、実のところ持続(デュレ)と、時間のうちでの存在の進化とを拒む——この主張は逆説的に見えるかもしれない、なぜなら『トゥスクルム』では時間がしばしば話題になるから、とピジョーは断りつつ検討を進める。キケローは、プレメディタチオー・フトゥロールム・マロールム〔未来の悪への予めの心構え〕がその到来を和らげる(レニト)ことを確認する——これはキュレネ学派から借りた議論であり、ガレノスが伝える伝統的な例(テセウス、アナクサゴラスの「私は自分が死すべき者として生まれたことを知っていた」)が続く。キケローの一節(骨子、注155):「私がキュレネ派からこれらの武器——偶然と出来事に対抗する——を受け取るのはなぜか。それによって、彼らが到来するとき、その暴力は、長く前もって考えられていたがゆえに砕かれ、同時に、私は、問題の悪は意見のうちにあって自然のうちにはない、と判断するからである——もし実在するのなら、なぜそれを予見したところで軽くなるのか」。
だがキケローにとって決定的な経験がある——「悲苦は古さ(ヴェトゥスタース)によって取り除かれるが、その力は一日のうちにあるのではなく、長引く省察(コギタチオー・ディウトゥルナ)のうちにある」;同一の事象が同一の人間に起こっても、悲しむ理由に何の変化もなければ、悲しみそのものにも変化はないはずである;ゆえに、長引く省察は事柄そのもののうちにある悪を癒すのではない、時の長さそのものが癒すのではない(骨子、注154)。この確認からキケローは πρόσφατον(新鮮さ/recens)というストア的概念のきわめて興味深い独自解釈へ向かう。コリントの人々の例——「長い省察が彼らの魂にたこ〔カル〕を作った」(骨子、注162)——、ポーレンツはこれを『トゥスクルム』II.XV.36の「労苦そのものがたこのようなものを作る」と関連づけるが、ピジョーはこのカルは自然のたこではなく感情性の産物であり、瞑想の産物である、と念を押す。「悪は少しずつ弱まっていく——その対象が変化・消滅するからではなく、経験(ウズス)がわれわれに教える(教えるべきだったのは理性のはずだが)ことを——われわれの悪は、実際に見えたよりも小さいということを」——これは一つの教え(アンセーニュマン)であって、存在の自発的な変容ではない(頁284)。
この論理を極限まで推し進め、キケローは書く(骨子、頁285–286):物事が推移するにつれて悲苦がやわらぐだけでなく多くの場合まったく取り除かれることを、日々が明示する;「そこに、われわれ自身の落ち度によってわれわれが不幸に沈められているというこの点を明らかにするものがある——時の穏やかな作用は、悪がそのまま残っているにもかかわらず、悲苦を和らげるのみならず、多くの場合それを取り除いてしまうのだから」;さらにアルテミス王妃の例(悲しみが日々新たにされるから今なお同じ悲苦のもとにある、と)を対比しつつ、老いた意見の消失は主体の自由な決意からしか来えない。それゆえプレメディタチオーとデフェティガチオーを完全に同一視することができる——両者とも同じ意識の覚醒という同じ行為に属し、そこでは生物学的時間も歴史的時間も何の役割も持たない:
ここには〈ラチオ〉と〈ナチュラ〉の差異が意図的にゼロへ縮減されているではないか——時間ではなく、日々の瞑想がこそが悪を消耗させるのであり、そこにこそ唯一の相違がある——だがそれは存在への自然な作業には決して属しえない。時間ではない。主体はそのままである(ル・シュジェ・ヌ・シャンジュ・パ)。これはキケローにとって決定的な主張であり、それは情念の歴史にとっても決定的である——時間に、持続に、私の存在の変容の秘められた過程を認めることはできない。時間とは、ある一つの肯定の反復にすぎない時間であり、その肯定を意識する時間にすぎない。悲苦の消滅は判断からしか来えない——キケローはこの点で、彼自身の『情念について』第二巻でガレノスが伝えるクリュシッポス自身よりも明確である:クリュシッポスは、判断は持続するが、時とともに収縮(システムシュト)が弱まる可能性、あるいは新しいディアテーゼの出現、新しい存在の様態の出現を認めていた(骨子、注170)。ピジョー:今やクリュシッポスに対するキケローの「知性主義的」解釈の意味がより良く見える——ブレイエがクリュシッポスに適用する表現を、われわれはむしろキケローに適用できるように思われる(注173:ブレイエ『クリュシッポスと古代ストア主義』は、この点でクリュシッポス自身を大きな「知性主義者」と見なし『トゥスクルム』を通して読む傾向がある、とピジョーは距離を置く)。
ピジョーが立てるキケロー=クリュシッポス(外科医:情念の根絶を実践する)対ポセイドニオス(内科医:薬と時間を信じる)という対比は、ピネル『疎外論』§Vの原則宣言——「情念を破壊するのではなく(non à détruire)、相互に対抗させることを教える道徳哲学の原理」(本稿3-1既出)——と正確に共鳴する。ピネルの立場は語彙の上ではストア的(キケロー・セネカ・エピクテトス)でありながら、その臨床的方法においては明らかにポセイドニオス側——根絶ではなく、時間をかけた拮抗・馴致(ポセイドニオスの言う「調教=ドレサージュ」に近い)——を選んでいる。ここに、v37で指摘した「一元論の二元論的読解」とは別の、もう一つの層のねじれが見える:ピネルは語彙においてストア=キケロー的でありながら、治療思想の実質においてはキケローが明確に拒否したポセイドニオス的「時間による治療」「調教」の側に立っている。キケローが「調教は存在せず教育だけが存在する」と言い切るのに対し、ピネルの moral treatment はまさに一種の「調教」(環境調整・習慣づけ・時間をかけた馴致)を核心とする。次版で pinel-virgile 3-1〜3-2 への v38 反映を検討——ピネルの立場を「語彙はストア、治療思想はポセイドニオス」という二重の系譜として明確化する。
七、新項「魂の病と身体の病のアナロジー」——クリュシッポスの体系(頁287–289)
いまや検討すべきは、情念論についてのクリュシッポスの独自性を構成するもの、そして『トゥスクルム』の最重要点の一つ——魂の病と身体の病のアナロジー(Tusculanes IV.X.23 ss.)である。キケローがクリュシッポスの学説を保持し、アナロジーを拒むポセイドニオスの立場をむしろ採らなかったことには驚かされる、とピジョーは言う。クリュシッポスの学説は、それをある種の仕方で提示すれば、二元論への確実な単純化・適応の利点を持つことは認めねばならない——情念=病の側面を強調し、病の身体的側面を単なる比較・クリュシッポスの言語を隠喩の織物に還元することは可能である。だが明らかなのは、クリュシッポスがこのアナロジーを、彼の一元論的原理と首尾一貫する仕方で、同一化にまでは至らぬにせよ、その極限まで推し進めようとした、ということである。
アナロジーはキケローによって『トゥスクルム』IV.X.23で明晰に提示される:
「血が腐敗し、あるいは粘液や胆汁が過剰になると、身体に諸病と諸疾患が生まれるように、誤った諸意見の混乱と、それら相互の矛盾とが、魂からその健康を奪い、諸病によって動転させる。……これらの動転からまず諸病(ノソイマタ)と呼ばれるものが生じ、これらの病に反対な、特定の対象への嫌悪と忌避を伴う状態が生じ、続いてストア派がアッロースティマタ(慢性の弱り)と呼ぶ諸疾患、そしてそれに対立する諸嫌悪が生じる。」
この系統的で厳密なアナロジーは既にクリュシッポスによってなされていた——ガレノスが伝えるとおり:「魂の病を、身体の熱病的な状態にきわめて似たものと考えねばならない。ただしその熱病は周期的にではなく、無秩序に生じるものであり、熱と悪寒は、まさに〔身体の〕ディアテーゼ〔体質・気質状態〕に従って生じ、時にはごく小さな諸原因が付け加わることによっても生じる」(骨子、ギリシア語、注174)。身体の病とのアナロジーは、ヒポクラテス的な体液論に立脚する——血液・粘液・胆汁という基本三体液(注175:同一の胆汁が黄胆汁・黒胆汁に分化しうる、と付記;フアンナ『ヒポクラテス、人間の自然性について』参照)。この体液論的教説は、ストア的文脈においてはきわめて奇妙である——クリュシッポスにとって身体を構成するのは体液ではなく元素(熱・冷・乾・湿)である——ガレノスによれば。キケローが体液論のテーゼを選んだのか、それとも彼の典拠がそうしたのか、判定するのは容易ではない(注176)。
体液を判断と比較することがいかにして可能か——ガレノスはこの困難をよく感知していた、と次項で見る、とピジョーは予告しつつ、まずノゾス(morbus)とアッロステーマ(aegrotatio)の差異に注意を促す。これは擬ガレノス『定義集』の与える定義に正確に対応する——われわれが慢性と呼ぶ状態を次のように定義する:
これは正確にキケローに対応する:morbum appellant totius corporis corruptionem, aegrotationem morbum cum imbecillitate(骨子——彼らは身体全体の腐敗をモルブスと呼び、衰弱を伴うモルブスをアエグロタチオーと呼ぶ、注178)。キケローがアッロステーマの等価物として与えるアエグロタチオーは、したがって慢性の病を指す。だがここで注意すべきは、この慢性性という側面である——原初の病の陳旧化(インヴェテラシオン)と誤解し混同してはならない。それはまた、後に医学において勝利する用語法——急性病と慢性病の区別——とも混同してはならない、おそらくテミソンとともに始まる区別と。かくて例えば、マニーはフレニティスに対して慢性病として対立するが、この意味において、慢性性は病の陳旧化を指すのではなく、根本的に異なる一つの種を指す。アエグロタチオーは病と異なるものではない——それはモルブスが古くなったものである;もしキケローの言うことをよく理解するなら、そこには陳旧化の累進的な法則があり、モルブス(老いた情念)を与え、アエグロタチオー(老いたモルブス)を与えるものがある、と本節を結ぶ。
八、次の単位
頁289後段以降、ノゾス/アッロステーマの区別の続き、そして『トゥスクルム』のアナロジー体系の残り(嫌悪・忌避の対概念、そしてガレノスがこの困難——体液を判断に比較することの困難——にどう向き合ったか)へ。読解ノート(六・その五)で扱う。
第Ⅲ章 プロクリウィタス概念、カエリウスの傾き(デクリウィタス)、ガレノスのクリュシッポス批判、そしてメトリオパテイア論争
〇、ノゾス/アッロステーマ区別の帰結——プロクリウィタスへの導入(頁289後段–291)
キケローの一節(骨子、注180、181):この〔病の〕熱が古くなったとき……そのとき慢性のモルブスとアエグロタチオーとが存在するようになる。だが慢性性のもう一つの意味——キケローにおいてはやや混同されて現れるが——がプロクリウィタスをめぐって現れる:ここでのアエグロタチオーは、発作と寛解の期間を伴う緩慢な病を指すように見える(注182)。ここでピジョーは語彙上の要点を整理する:カタスタシスとは一つの状態、あり方、腰の据え方であり、ヘクシス(一般に「体質」と訳される)はディアテーゼ(一時的な状態)に対して恒常的な状態として対立する(注183、184)。情念・魂の病があるためには、特定のディアテーゼと発動的な諸原因とが出会わねばならない。病の過程は二重である——一つの土壌(テラン)と、それ自体は小さいと形容される一つの原因とが必要である。魂の病それ自体はアタクティックな熱病である。だが原因の必要性は非常に興味深い——外的で客観的な原因なしに病は存在しない;クリュシッポスは、ガレノスに従うなら〈アイティア(原因)〉よりむしろ〈プロファシス(誘発原因)〉という語を用いる——だがこれを根本的な差異と見なすべきではない、と念を押す。
F・ロベールが最近示したところによれば、ヒポクラテス的な意味でのプロファシスとは明白な原因・観察可能な原因を意味する——「もしこれが単なる原因を意味するのなら、プロファシスなき病はあらゆる原因を欠いた病ということになり、そのような不合理はありえない」(骨子、注185)。だが目に見える・客観的な原因の不在が意味を持ちうる領域が一つある——それは心理と情動性の領域である。ヒポクラテスは『流行病』第Ⅲ巻の十六人の病者中の十一番目の症例について、悲しい性格(デュサニオス)の女性が、あるプロファシスの後に悲苦(リュペー)を得たと記す(骨子、注186)——ここには一つのテラン(性格)と悲苦のための一つの原因があった。悲苦の発生についてもし彼がプロファシスの現前に留意するなら、それはプロファシスなき悲苦もありうるからである——これがまさにメランコリーのアエグリトゥードを特徴づける。クリュシッポスにとって必要なのは一つのディアテーゼと一つの発動的原因である。それは目下の善あるいは悪(ボヌム・アウト・マルム・プラエセンス)というオピニオー・レケンス・ボニ/マリ・プラエセンティスの表現が持つ現実性である。
クリュシッポスはそのアナロジーを非常に慎重に考え抜いた。魂の病とフレニティスやマニーとの類似を選ぶことは注意深く避けられた——それは起源をめぐる混同・議論を招きかねないから。彼が選んだのは〈フィエーヴル(熱病)〉である——医師たちによってそれ自体一つの病とみなされる(錯乱を伴うからではなく、それが明白に器質的・物理的起源を持つから)。そしてあらゆる熱病のうち、彼が選んだのは、いかなる意味もいかなる規則性もいかなる規範も持たない熱病である——三日熱・四日熱・半三日熱のように規則的な発作を持つ熱病ではなく、擬ガレノス『医学定義集』の記す「彷徨する熱病(フィエーヴル・エラティック)」である:
彷徨する熱病にはいかなる正常性もない。その名が示すとおり、それらは去り、来る;最も不意な瞬間に発作を持つ——これは医師がカイロス(好機)を捉えることを望みえないことを含意する。かくして情念を理解せねばならない。この魂の病には、知性によって統御しうる自律性、いかなる理論やいかなる統計によっても説明のつかない自律性がある。情念には、法則も、規範も、規則性も、限界も存在しない。これが治癒の観点から大きな困難を含意する。
一、新項「プロクリウィタスの概念」(Tusculanes IV.XII.27 ss.)——傾性の特定性(頁291–294)
「ある人々は特定の病にかかりやすい傾向を持つ——だから私たちは、ある者を〈カタル質〉、ある者を〈疝痛質〉と呼ぶ、彼らが現にそうだからではなく、しばしばそうなるから——同様に、ある者は恐怖に、ある者は別の動転に傾きやすい。」
さらに(骨子):すなわち嫉妬深い者たち、悪意ある者たち、卑劣な者たち、臆病な者たち、憐れみ深い者たちは、これらの動転に〈傾きやすい〉のであり、常にそれらに運ばれているからではない。キケローは続けてプロクリウィタスの定義を与える:
「それゆえこの、各々の種類への傾きやすさ〔プロクリウィタス〕は、身体とのアナロジーによって〈アエグロタチオー〉と呼ばれうる——ただしそれが〈病みやすい傾き〉と理解される限りにおいて。」
この一節はかなり複雑である。ここでの慢性性はもう一つの観念——発作と寛解の局面を持つ緩慢な病、というより「陳旧化」よりも「特定的な病の緩慢さ」——である。プロクリウィタスあるいはアエグロタチオーが定義するのは、発作の頻度であり、その連続性ではない〔ノン・クイア・イアム・シント、セド・クイア・サエペ・シント〕。キケローを正しく理解するなら、プロクリウィタスは既にひとつの病、あるいは少なくとも一つの現実性を持つ病理的状態である。だが第Ⅳ巻の末尾で彼はこう書く:
「かくて、最良の健康状態にある者であっても本性上ある病にかかりやすいと見なされうるように、それぞれの魂もある悪徳へと傾きやすい〔と見なされうる〕。」
プロクリウィタスの分配的かつ種特定的な性格はよく認められる。だがこのプロクリウィタスはここで健康状態と一致しうるように見える。われわれはここに、ストア的教説の核心にあり、魂の病と身体の病のアナロジーの核心にある一つの矛盾がある。
読解ノート五・その六(頁217)で記録した伏線——アスクレピアデス=ソラノスのペスト定義(decliuitas=病への傾き)に付された注357が「第Ⅲ章 Stoïcisme et maladie de l'âme、p.291以下で検討する」と予告していたもの——が、ここで完全に回収された。ピジョーはカエリウス・アウレリアヌス『急性病』第Ⅰ巻30(フレニティス論)の一節を引く(骨子、頁292):それゆえわれわれの考えでは、フレニティスへ向かう傾向(デクリウィタス)あるいは病の兆候について、ギリシア人が一般名でエピノソスと呼ぶものについて語ることができる。というのもこの語は、その質と正確な意味において吟味されると、事物が必然的にそこへ至るわけではないにせよ、それへ向けて運ばれる一つの状態があることを意味するからである。それゆえ常に現前する状態こそが徴候を示し、この条件によってしばしば未来も知られる。だが他の徴候はフレニティスへの傾きのそれであり、他の徴候はレタルギーその他の病への傾きのそれである。ピジョーはこれを、セネカ『ルキリウス宛書簡』94.13の一節とも接続する(骨子):あるいは魂は、悪しき諸意見が植えつけた悪徳を宿しており、たとえ誤りに完全に支配されていなくとも、それに傾き、引きずられるべきでない見かけによって速やかに堕落する。それゆえわれわれは、病める精神を根本から治し悪徳から解放するか、あるいは、まだ自由ではあるが悪へ傾く精神を、あらかじめ捕らえておかねばならない。カエリウスのデクリウィタスとキケローのプロクリウィタスを結びつけるのは、単なる隠喩の類似だけでなく、より深い理由——両者ともある病への特定的な傾きを指すディアテーゼ(現在の状態)である点にある、とピジョーは言う——「これは一つのディアテーゼ、すなわち特定の病へ向けて傾く現在の状態である」。ストア主義がソラノス=カエリウスの方法主義(メトディスム)に及ぼした影響を確認する二重の意義を持つ一節である。
二、ポセイドニオスによるクリュシッポス批判——健康のアナロジーの破綻(頁294–297)
だがプロクリウィタスは健康状態と一致しうる——ここにストア派の教説と魂身アナロジーの核心にある矛盾がある。この矛盾をポセイドニオスがクリュシッポスを批判する際に突く。ガレノス伝ポセイドニオス(骨子、注200、201):クリュシッポスは、非賢者の魂は熱病や下痢に陥りやすい身体に完全に似ていると言い、何らかの小さな原因の作用のもとでそうなる、と言う;だがポセイドニオスはこのイメージを非難する——非賢者の魂を比較すべきは、こうした〔病みやすい〕身体にではなく、単純に健康な身体(トイス・ハプロース・ヒュギアイヌーシ・ソーマシン)にである、と。彼らが熱病にかかるとしても、重大な原因によるにせよ軽微な原因によるにせよ、それは彼らが病んでいるという事実に対して、また彼らが病む理由に対して、差異をもたらさない;差異をもたらすのはむしろ、ある者たちが容易に病み、他の者たちが困難にしか病まないという点である。クリュシッポスは魂の健康を身体の健康に同一化する点で誤っている——魂の病を、容易に病に落ちいる身体の体質に比較すべきであった(テーン・デ・ノソン・テー・ラディオース・エイス・ノセーマ・エンピプトゥーセー・カタスタセイ・トゥー・ソーマトス)。というのも明らかに、賢者の魂は動揺を免れているが、その身体は決して動揺〔病〕から安全ではないから;むしろ非賢者たちの魂を、病みやすい体質を持つ身体の健康と比較するほうが正しい(ポセイドニオスの言葉では)——病そのものと比較するよりも;なぜならそれはむしろ病的な状態であって、既に病んだ状態ではないからである。
ガレノスはさらに続けてポセイドニオスを引く(頁296、骨子):クリュシッポスがするように、魂の病を身体の病的な悪液質——それによって彷徨する不規則な熱病に服する——に比較すべきではなく、むしろ、〈エウエムプトーシス〉——病に陥りやすい傾向——を持つ身体の健康に同化すべきである。ポセイドニオスはアナロジーを保持しようとするが、魂と身体の対称性の厳密さを否定することによってそうする。身体にとっての健康であるもの——すなわち脆弱だが発作と発作のあいだは健康である状態——が、魂にとっての病である。非対称性は賢者との比較でさらに大きい——賢者の健康と比較しては何もできない、身体的にはなお病みうるが、賢者は魂の乱れを感じることがありえないからである(注203)。キケローはここでもポセイドニオスにではなくクリュシッポスに従う——引用されたテクストに見るとおり(注204)。
キケローが保持するクリュシッポスのもう一つの特徴:健康と病の観念において——先に見た元素の選択の相違(キケローには体液、クリュシッポスには熱・冷・乾・湿という元素)は別として——健康は諸元素の調和で成り立つ。魂に関しては、病とは判断の堕落(プラウァールム・オピニオーヌム・コントゥルバチオー)であり、健康とはこれらの判断の調和と一致である:
「実に身体の均衡調和とは、われわれを構成する諸要素が互いに調和することであり、それが〈健康〉と呼ばれる;同様に、魂についても、その判断と意見が調和するとき、〈健康〉と言われる……あるいは、ある人々によればそれ自体が節制(テンペランティア)である、あるいは節制の命令に従いこれに従属し、独自の本質を持たないと言う人々もいるが、いずれにせよ、賢者にのみそれが宿るのである。」
魂の健康は判断の一致であり、この判断こそが魂の諸要素だということになる。キケローはクリュシッポスに忠実に従う。
三、ガレノスの決定的批判——「機能と部分の混同」(頁297)
だがキケローは、ガレノスのきわめて知的な批判の刃を免れない。ガレノスは言う(骨子、注209、210):もし魂の健康と身体の健康のアナロジーが良いものであってほしいなら、魂を構成する諸要素が何であるかを精確に言い、それらを定義し、数え上げねばならない。だがクリュシッポスはそれができない。彼は〈機能(フォンクシオン)〉と〈部分(パルティ)〉を混同している。判断は魂の機能であって部分ではない。ある一つの肢体は、機能から成るのではなく、部分から成る。色の知覚と、硝子体・水晶体とのあいだには違いがある。プロレープセイス〔先取観念〕は行為(アクト)であって部分ではない——魂の諸部分がレクトン〔言表可能なもの〕であるのではなく、諸々のエネルゲイアイ〔活動態〕である。魂の健康と身体の健康のあいだに、厳密なアナロジーを打ち立てることはできない。
なぜガレノスはクリュシッポスにこれほど激しい攻撃を加えるのか——彼が狙うのは彼の一元論であり、アナロジーから厳密な並行論、赤裸々な同義反復(シノニミー)への移行だからである。どうしてキケローはクリュシッポスの一元論的教説を選んだのか。論理の原理は常に同じ——ピュタゴラス゠プラトン的解釈について述べたのと同じである。クリュシッポスの二元論的読解は、結びついているものを引き離すだけで足りる——分かたれているものを対立させるだけでよい:不思議にも逆説的にも、クリュシッポスによる情念の記述こそが、魂と身体を対立させる二元論的読解に最も適している——それが結びつけたものを引き離すだけで足りるのだから。修辞学的観点からは、単にアナロジーが存続すること、混同が決して生じないこと、ガレノスがクリュシッポスに帰する同一化と同義反復とが生じないことに注意を払えばよい。ゆえにキケローの慎重さ——「この論述で必要でないものは省こう」(骨子、注213)——として、ストア派、とりわけクリュシッポスが、身体の病と魂の病の類似(アナロジー)に過度に多くの労力を費やしている、と語る箇所(骨子、注214)や、「健康のアナロジーへ来て、このたとえを時折用いよう、ただしストア派ほど頻繁にではなく」(骨子、注215)という留保が現れる。身体を魂の単なる隠喩に還元することもできる——「この熱と魂のこの震撼が古くなり、あたかも血管と骨髄に住み着いたかのようになったとき」(骨子、注216)。
注207は、キケローの魂の健康の定式(判断の調和・一致)がアルクマイオンのモデルに完全に対応すると指摘する——ディールス゠クランツによれば、アルクマイオンは「諸力の等法性(イソノミー・デ・ピュイサンス)」を語り、「要素の調和」を語ったのではない、と精確な区別が付される。健康を要素の均衡と見るこの古層は、ガレノスの体液病理学のみならず、ピネルが動物経済学(économie animale)の均衡として情念を捉えた発想(pinel-virgile 2-2既出)の、はるかな先蹤として記録に値する。次版で pinel-virgile 2-2 への軽微な補注を検討。
四、メトリオパテイア批判——量の哲学と質の哲学の対決(頁298–303)
キケローはクリュシッポスの一元論のみならず、ペリパトス派の〈メトリオパテイア〉——情念の自己規制という観念——をも斥ける。キケローはペリパトス派に、情念の自然な自己調整(オート・レギュラシオン)という観念を帰する。だがアリストテレスは、この点に関するかぎり、そのようなことを一度も言っていない——情念はそれ自身の力を自ら規制することはできない、とピジョーは念を押す。それは対抗する情念との出会いから来る一つの均衡、一つの「バランス」であって、二つの対立する緊張の相殺(アニュラシオン)の結果ではなく、二つの反対の力の〈混合(メランジュ)〉の結果である。すべては快と苦の均衡——それぞれの情念に必然的に伴う——にかかっており、これは生理学的には心臓における熱と冷の均衡に対応する。ここに〈メソテース(中庸)〉の理由がある(注219)。アリストテレスとともにわれわれは持続(デュレ)と質的なものの宇宙にいる:「身体の健康と力が、規則的な摂生と運動の反復あるいは慣行によって築かれるように、道徳的徳もまた、固有の情動的諸反応と行為の反復された行為によって発展する——それらの行為はまさに、熱と冷、湿と乾という要素同化の根本的な制御である」(骨子、トレイシー、注220)。シュムメトリアーは一つの平均(モワイエンヌ)であり、このメソテースは一つの混合の結果である(注221)。
ここでピジョーは比較を通じて隠喩の意味変化を追う自らの方法を改めて強調する——「一つのメタファーと一つの比較とが見かけ上同一でありながら、その意味は、われわれが哲学者たちの想像界と呼ぶものに応じて変わりうることを、われわれに証明してくれる」(注222)。キケローは書く(骨子):
「それゆえ悪徳に限度を求める者は、あたかもリュウカス岬から身を投げた者が、望むときに自分の身を支えられると考えるかのように振る舞っているのである。魂が動転し激発すれば、もはやそれを制御することも欲する場所に押し留めることもできない——なぜなら、破滅的な諸性質は増大することそのものにおいて有害だからである。だから悲苦とその他の動転は、増大すれば確実に致死的なものとなり、また、それらの誕生から既に、大きな病〔ペスト〕を帯びているのである。というのも、ひとたび理性から乖離するや、それら自身が自らを駆り立てるから——理性から離反したものらは、それら自身だけで(イプサエ)……」
これは、崖から身を投げた者が自分の意志で止まれると考えるようなものだ、というのに等しい。魂の動転・興奮した精神は、自らを保つことも欲する所に立ち止まることもできない——一般に、有害と分かるものは、生まれるときから既に悪徳であり、悲苦とその他の動転は、少なからず重要になれば、〈ペスト的〉(ペスティフェレ)なものとなる。だから、これらの情念は、それら自身の誕生から、既にその大部分において、〈病〉である。実に自分自身に由来し、ひとたび理性から乖離すれば、自ずと勢いを増していく(頁299–300)。ここでピジョーは注記する——J・ユンベールのように pestiferae を「感染性の(アンフェクシユーズ)」と訳すことはできない。感染〔infection〕の観念は、既に見たとおり、あまりに困難な問題を孕んでいるので、そこに複雑化を付け加える必要はない(注224:ペストと伝染の章=第Ⅱ章への自己参照)。
核心の主張——「病原的である過程は、病者のそれではなく、病そのものの過程である」:情念は、有機体への特定の作用によって病を惹起する〈胚種〉ではない。情念は、その起源から既に、病そのものなのである。ひとたびこの理性からの〈脱線(デクロシャージュ)〉が生じれば、情念の無秩序な増殖の前に立たされる——それに関するかぎり不可逆的な増大の前に。情念に同意することは、病の自律性に同意することである。あらゆる情念は、それゆえ、当初から一つの破局(カタストロフ)である——なぜなら、それは病の唯一の法則、すなわちその抑えがたい増殖にしか従わないのだから。〈それら自身(イプサエ)〉とキケローは言う、それら自体だけで……。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』第Ⅲ巻(1114a13)と比較しよう(骨子):もちろん、不正な者や放埒な者が、自分がそう望んだとしても、最初からそうなることを止めえなかったわけではない——だから彼らは自らの意志によってそのようになったのである。しかし、一度そうなってしまえば、もはやそうでなくなることはできない——ちょうど、いったん石を投げてしまえば、それを取り戻すことがもはやその者の力に属さないのと同じように。それでも、それを投げること、投げないことは彼の力に属していた——なぜなら行為の原理(アルケー)は彼のうちにあったからだ。不正な者にも放埒な者にも、最初はそうならないことが可能であった——それゆえ彼らは自らの意志でそうなったのである。だが、いったんそうなってしまえば、もはやそうでなくなることは、彼らには不可能なのである。
リュウカス岬から身を投げるのと、飛び去る石の間に、これほどの隔たりがあろうか——だが二つの病の理論を隔てる距離のすべてがそこにある。情念と病のアナロジーは、ストア派に固有の思い出であるように見えるかもしれないが、そう考えるのは誤りだろう——アリストテレスにおいては、病んでいるのは情念的な人間である;情念それ自体は病ではない。二つの医学的構想が対立している——一方は病者に、他方は病に関心を持つ。
一方はどちらかといえばヒポクラテス的であり、病者の変容を考慮に入れる;他方は病理学的実体(アンティテ・ノゾロジック)、病の現実性をより信じる。アリストテレスにおいて、人は病人に〈なる〉。最初の情念、あるいは情念の最初の時は破局的でありえない。反復が必要である。原理は、ここでもまた、習慣である。キケローにおいて、問題になるのは情念の〈生成(ドゥヴニール)〉であり、アリストテレスにおいては病人の生成である。スタギリテースにとって、病は、存在の緩やかな変容なしには存在しえない。彼にとって、情念を病む者の病は、時間をかけて構築され進展する一つの過程である。もしメタフォリックな言い方をするなら、アリストテレスにおける情念は〈化学的〉あるいは生理学的法則に、ストア派にとっては機械論的法則に従う、と言えるだろう。二つの世界は完全に首尾一貫しているが、まったく同化不可能である——質と持続の世界、アリストテレス的宇宙と;瞬間とその劇的性を強調する宇宙、量的なものの価値を強調する宇宙、すなわちクリュシッポスのストア主義。
『トゥスクルム』の想像界は、アリストテレス批判において、プレメディタチオーとデフェティガチオーへの反ポセイドニオス的批判で見たのと同じ特徴を示す。キケローが情念の自然な限界の不可能性を論証するために出す例は、明らかに彼が〈量〉の言葉で推論していることを示す——プブリウス・ルピリウスは悲苦の限度を超えたため死んだ、と(骨子):だが彼はより良く限度を守ってはいなかったか。仮に彼が子どもの喪失によって既にそれを超えて悲しんでいたとしたら、その上さらに身体の苦痛、財産の喪失などが加わったとしたら……:
「もし個々の悪に応じて悲苦が加算されていくなら、その総和は耐えられないものとなるだろう。」
この推論は、含むものと含まれるものの物理法則に照らせば非の打ちどころがないが、混合・気質・生理学の宇宙のうちには何の意味も持たない。ストア派もまたクラーシス(混合)について深く独自の省察を行った——だがヒポクラテス的・アリストテレス的な意味において最も色濃くそれを引き継ぐポセイドニオスを除けば、彼らは情念を混合と調律(テンペラマン)の観点から理解しなかった、と本節を結ぶ(注229、230)。
五、次の単位
頁303後段、量的哲学の帰結——道徳生活のうちに葛藤と暴力を導入することへの省察が始まる。キケローがソクラテスとゾピュロスの例で示す決定論の論駁が『トゥスクルム』第Ⅳ巻を締めくくる位置にあることが確認され(注231)、キケローにとってこれが反論の余地なき決定論への反駁となる次第が論じられる。読解ノート(六・その六)で扱う。
第Ⅲ章 カントの負量、情念無用論、そして賢者の狂気——プロティノスの「至福の統合失調」とセネカへの移行
〇、決定論論駁の結び——カントとセネカの応答(頁303後段–306)
ゾピュロスの逸話(既出六・その四)を『運命について』はさらに精確化する——キケローはこれを個体の身体的・生物学的規定という論点に結びつけ、同じ例を『運命について』でも提示する(骨子):人相学者ゾピュロスは、ソクラテスを愚鈍で狭量な人間、あらゆる悪徳を持つ者と断じた——『トゥスクルム』が伝えるとおり。ソクラテスは自ら、これらすべての悪徳は生得のものだが理性によって取り除いた、と述べることで、群衆の嘲笑の前でゾピュロスを救った(骨子、注233:Ab ipso autem Socrate subleuatus, cum illa sibi insita, sed ratione a se deiecta diceret)。この例から引き出すべき教訓——ゾピュロスのソクラテスはキケロー的二元論の壮麗な例証であり、それは急進的な〈エクセンプルム〉である。ソクラテスが賢者であることに疑いの余地はない。この賢さは、それが絶対的に自然でなかった限りにおいて、範例的である。反対に、ソクラテスの生物学的な所与、その遺伝的な資質のうちには、賢さに反するものすべてがあった。ソクラテスの徳とは、理性が身体に及ぼす力の結果であり証明である。誰もそこに一つの葛藤の結果を感じないだろうか。そしてその背後に、誰も功績(メリット)の観念の誕生を、賢さの尺度という考えの登場を感じないだろうか。自然に賢い者と、ソクラテスとのあいだに、ちょうどカントの見事な小論考「哲学における負量の概念の導入について」の哲学に、われわれは実に近い(骨子、注234)。カントは二種類の均衡を語る——ニヒル・ネガティウム(論理的矛盾の結果、無意味)とニヒル・ポジティウム(対立する二つの力・反対の意味・等しい大きさの拮抗の結果、意味を持つ:−2+2=0)。この負の大きさという概念を心理生活に導入すれば、快の測定ができる(骨子、注235:スパルタの母の逸話——息子の英雄的な死の知らせがもたらす快と不快の代数計算)。
かくてソクラテスは、最も誘惑されやすい者が最も有徳であることになる——最も強い緊張を持つがゆえに、それに等しい大きさの反対方向の緊張を対抗させねばならなかったのだから。カントはキケロー的懐疑に明確に答える——『トゥスクルム』に感じられる、悲苦とその安易な慰めについての懐疑:もし私が最終的に到達する均衡が、結局のところ一つの生得の頑固さ(デュルテ・ナチュレル)に由来するのだとしたら、どうなるのか。これに対しセネカは、同じ問いかけのうちで、見事に、そしてカントにも極めて近く応答する——『ヘルウィアへの慰め』において:
「敬愛と理性のあいだの最善の調律とは、思慕の情を〈感じつつ〉、それを〈抑える〉ことである。」
この句は興味深い——質的な語、体液のクラーシス〔混合〕に属する語であるテンペラメントゥムを用いながら、それに葛藤的な理由を与えているからである。悲しみを感じねばならない、それを抑えねばならない——センティレ・エト・オプリメレ、これこそが結局のところ量的な教訓であり、賢さの尺度なのである。
一、ソクラテスは真にストア的か——「努力のストア主義」対「恩寵のストア主義」(頁306–307)
だが問わねばならない——自己自身に勝利するこの第Ⅳ巻のソクラテスは、真正にストア的でありうるか。確かにそうであり、それも深く、セネカ・エピクテトス・マルクス・アウレリウスとともに強まっていく展望において——それは〈努力のストア主義〉、〈フィロポニア(労苦を愛すること)〉のストア主義、禁欲のそれである。だが〈恩寵のストア主義〉もある——賢者を最も偉大な、最も美しい、最も健やかな存在として定義するストア主義、決して存在しなかったし決して存在しないであろう賢者ではあるが、調和した一つの存在なのだ。賢さとは、それが舞踊のうちに実現される恩寵でもある——このメタファーをキケローがよく知っていることは『善悪の究極について』で見たとおり(既出)。この種のストア主義は、魂と身体を葛藤の言葉で対立させる、二元論的な哲学のうちで勝利する見込みがまったくない。
この恩寵のストア主義は、アリストテレス的な質の哲学からも実に遠い。アリストテレスは節制の人(テンペラン)と自制の人(コンティナン)とを区別する——『ニコマコス倫理学』1151b33。節制の人(エンクラテース)は規則に反するいかなる行為にも身体の快に流されない人であり、自制の人もそうだが、両者は違う——節制の人は悪しき欲望を持たない、自制の人はそれを持つが従わない。節制の人は規則の外に快を見出すことがなく、自制の人はそれを見出すが、快に導かれることを自らに許さない(頁306–307)。節制の人のこの恩寵は、快を感じながら行為することに由来する。もしゾピュロスのソクラテスをアリストテレス的な語彙で解釈しようとするなら、ゾピュロスの目に映るソクラテスはもはや同じソクラテスではないと言わねばならないだろう——それは自己に打ち勝つ人間ではなく、和解したソクラテスである、なぜなら彼は時間のうちで自己を変える努力をしてきたのだから。
二、新項「情念は何の役にも立たぬ」——砥石と神経の隠喩(頁307–308)
クリュシッポスのストア主義は、情念を病に絶対的に同一視するがゆえに、情念がいかなる意味であれ有用でありうるとは考えられない。アリストテレスにとっては、情念は道徳生活にとって有用な機能を持つ——キケローはペリパトス派が用いる隠喩を伝える:砥石(ピエール・ア・エギュイゼ)の隠喩。「まず彼らは多くの言葉で怒りを称賛する——それを勇気の砥石だと言う」(骨子、注240)。キケローはこれを退ける——「それは修辞家の見せかけにすぎない:〈魂の熱意と徳の砥石〉」(骨子、注241)。伝統は他の隠喩も与える——セネカがアリストテレスに帰する拍車(エペロン)の隠喩(注242)、そして『倫敦匿名者』が伝える神経(ネウロン)の隠喩(骨子):「彼らは言う(古人、すなわちペリパトス派は)、中庸の情念は行為のための神経(ネウラ)である、と」(注243)。神経の隠喩は興味深くも危険な開拓の余地がある——なぜなら『倫敦匿名者』にとってのネウロンはアリストテレスにとってのそれと同じ意味ではないから。神経の発見はアリストテレスより後であり、彼にとってネウロンは腱・靭帯・筋肉を意味しうるが、決して〈神経〉を意味しない(注244:ゾルムセン論文参照)。これは『倫敦匿名者』側の誤帰属かもしれない——というのもプルタルコスは、怒りこそがプラトンにとって魂の神経だと伝えているから(注245)。
より興味深いのは砥石の隠喩に戻ることである。イソクラテスはこれをその切れ味を伝える能力によって〔定義する〕、それ自身は切れ味を持たないままにと定義する(骨子、注246:ホラティウス『詩論』304行の解釈——「かくて私は砥石の役を務めよう、それ自体は鉄を切らないが刃を研ぐもの」——を引き、これがデモクリトスの磁石やプラトン『イオン』の磁石と対比されるべき喩えだと付言)。
「〔ペリパトス派の側からすれば〕情念が徳とは別の位階に属し、徳と同じ質を持たないが、徳の性質そのものを伝える能力を持つ、というのはかなりアリストテレス的な見方だろう」。いずれにせよキケローは情念のあらゆる有用性、あらゆる可能な用途を絶対的に拒む。だが彼はこのテロリズムの危険に気づいている——情念を抑圧することはレトリック(弁論術)を抑圧することだ、という自覚は、彼が置かれた不可能な状況と彼の哲学的知性の両方を示すものとして、強調する価値がある。彼はこの問題を回避することで切り抜ける——賢者の狂気の可能性の場合と同じように(骨子):
三、賢者の狂気の大問題(頁308–309)
非狂気(ノン・フォリー)と賢さのあいだに本質的な差異を設けねばならない。だが賢者は furiosus になりうる、とキケローは想起させる:
「……それでも事情はこうである:フーロルは賢者に降りかかりうるが、インサニアは降りかかりえない。」
定義論で示したとおり、キケローはフーロルを身体の登記簿から引き剥がそうと努めた。アタマース・アルクマイオーン・アイアース・オレステースの furor のこの心理学的解釈は、この点で示唆的である。もしフーロルが怒り・恐怖・とりわけ苦痛の効果であるなら(黒胆汁によるのではなく)、賢者がフリオースス(フーロルに陥った者)になりうることをどう説明するのか。これは易しいことではない——もしキケローが徳の存在を、賢者の心の平静に、いかなる魂の乱れも起こりえない、それゆえいかなる情念からも彼が免れているという事実に賭けているのなら。だがそこにこそ問いの躓きがある——賢者が自らの賢さを失うなら、彼は自らの狂気に責任があることになり、賢者ではなくなるだろう。これがキケローの明白な当惑を説明する、というのがピジョーの評言:
「だがこれは別の問いである……」
これは実際まったく別の問いである——なぜならストア的視座に立てば、賢者の狂気にその身体的起源を認めることに同意するのでなければ、その可能性そのものを想像しえないからである。キケローはその推論をこの一点で継続すれば、一つの矛盾に直面しただろう。
四、ディオゲネス・ラエルティオスとガレノス——賢者を襲うファンタジアと二種類の狂気(頁309–311)
賢者を襲いうる幻視の身体的起源をめぐる、ディオゲネス・ラエルティオスの興味深い一節(骨子、注252):だが賢者もまた〈マニーに陥る〉ことはないだろう。もっとも、彼にも時に、メランコリーやレーレーシス〔譫言〕によって、奇妙な表象が偶発的に生じることがある——それは選択の原理(アイレシスの言説)に従ってではなく、自然に反して(パラ・フュシン)である。賢者はマニーに沈むことはできない——確かに彼のうちに、選択の原理に従ってではなく、自然に反して、メランコリーあるいは熱性の譫言(レーレーシス)による奇異な表象が、時に偶発的に生じることがありうる、とはいえ。この主張を措くとして注目すべきは、賢者が想い描きうる乱れが、フィエーヴル中に生じる譫言〔レーレーシス〕であれ胆汁〔メランコリー〕からであれ、もっぱら身体的な起源しか持ちえない、という点である。これは自然〔ナチュール〕が問題であって、自由と、賢者の選択における責任とを問題にすることはできない。
これは当然、身体の病が表象の使用を侵さない、ということを前提する。したがって二種類の狂気がありうることになる——一つは判断能力を冒すもの、もう一つはそれを無傷のままにするもの。キケローも同じ趣旨を語る(骨子、注253):フーロルとは、あらゆる事物に対する精神の盲目性である、とわれわれの祖先は考えた。この盲目性は、賢者にも起こりうるとすれば、客観的な、身体的起源の盲目性でしかありえない。キケロー自身が別の箇所でストア派の論点を伝える(骨子、注254):あなたがた自身(ストア派)が、賢者はフーロルの只中にあっても全同意〔スンカタテシス〕から自らを保つと主張しているではないか、というのも、乱れた表象のうちに何の区別も現れないからだ、と——「あなたがたストア派が主張するように、賢者は狂気の只中でもあらゆる同意を差し控えるという。なぜなら乱れた表象には何の区別も現れないから」。
フーロルは判断を停止する能力を攻撃しない。フーロルは知覚に混乱をもたらすが、賢者はこれらの表象への同意を退ける可能性を保持する。ピジョーが提案するキケローの心理生理学的知覚理論——身体のうちにいかなる感覚もない(ネクェ・エニム・ウルルス・センスス・イン・コルポレ);医師たちが示すとおり、魂の座を目・耳・鼻へ通じさせる導管(ウーラエ)が存在する;だからこそしばしば、思考の力によって、あるいはある種の病の暴力によって、開かれた完全な目・耳をもってしても、われわれは見も聞きもしない(骨子、注255)——この理論が知覚するのは魂〔メンス〕であって身体でないことを証明する。魂の病を語りながら、魂の病が情念〔パッション〕であるという事実を措いても、むしろ強調すべきは、キケローがここで、〈知覚〉を司る唯一の責任者として魂を用いる一つの機構を提供している、ということである——これは混乱した知覚を説明しつつ、それに魂を関与させないですむ説明である。
ガレノスにこの二つの可能性——感受性の攪乱と判断の攪乱——を見出すのは興味深い。フレニティスという身体起源の病について、ガレノスは幻視(ファンタジアイ)の物理的因果性を示す。フレニティス患者は髪・羊毛の房・糸を見る——急性の熱と肺の炎症で、体液が眼を侵すからである;とりわけ激しい頭痛とフレニティスで起こり、医師の言うクロキュディスムとカルフォロジーとを説明する。快復者の証言でこれが分かる。ガレノスによれば、ある者にとっては、病んでいるという認識能力〔ファキュルテ〕は残っているが、判断そのものは完全に健全である;別の者にとっては、判断そのものが冒される——「思考の座(プロノイア)の激しい乱れのために」錯乱する者もいる。ガレノスは自身の経験も伝える——友人二人がいるところで、一人がフレニティスの徴候(クロキュディスム、カルフォロジー)を呈し始めたのを見た逸話(骨子):「おお、彼はもうクロキュディスムとカルフォロジーに冒されている」と友人が言うのを完全に理解しつつ、私自身の知性〔インテリジャンス〕は何の障害も蒙っていないと感じたので、私は言った、〈あなたのおっしゃるとおりです、だからどうかフレニティスが私を捉えぬよう、手伝ってください〉と。かくて医師たちのもとにも二種類の狂気の可能性の確認が見出される——だがこの区別は権利上のものではない、つまり判断の保存は賢さの保証ではなく、病がとる形の純然たる偶然にすぎない。
五、賢者は徳を失いうるか——クリュシッポス対クレアンテス(頁311–313)
賢者の狂気の問題はもう一つの側面を持つ——賢者は徳を失いうるか。ディオゲネス・ラエルティオスが伝える、あまり注目されてこなかった興味深い対立:
これはクリュシッポスの一元論の堅固さと整合性についての、もう一つの証拠である。もし病あるいは酩酊が感覚を攪乱するなら、判断も直ちに攪乱されるだろう——魂が引きこもり、混乱に包囲された魂を守りうる隠れ家・避難所は存在しないのだから。それゆえ狂気は賢者に完全に到達し、その賢さを損ないうる。知覚の同意〔カタレープセイス〕の堅固さは病に対して何の力も持たない、なぜなら人間は一つだからである。狂うには二つの仕方がある——一つは判断による狂い方であり、これは賢者には到達しえない道;もう一つは感覚の変質から来る狂い方であり、これは病から来うる。賢者はこうして狂気に達しうる。だが狂う仕方は一つしかない——結果は同じ:判断によって狂うのも感覚によって狂うのも、狂うという事態そのものは同一である。これは徹底した一元論の論理的帰結である。クリュシッポスは、魂と身体の、判断と感覚の、レクト=ヴェルソの同一性を、行き着くところまで考え抜いた。クリュシッポスに対して賢者の権利を主張することはできない。賢者の狂気に同意すること——深い攪乱、表象と徳の使用の転覆・喪失を含意する——は重大なことである。だがこれは同時に、賢さへの物理的な可能性の条件があることを認め、身体的所与の重要性を認め、道徳的健康の条件として身体の健康を作ることになる。キケローはそのような考えを認めえない。彼にとって魂の健康と身体の健康のあいだには絶対的で根本的な差異がある——魂の健康はもっぱら意志にのみ懸かっているのだから(注259)。
病の事実に対する賢者の権利をめぐるこの闘いは、シンプリキオスの一節にも現れる(骨子、注260):ストア派は、メランコリー・カルス〔昏睡〕・レタルギー〔嗜眠〕・薬物摂取においては、理性的状態全体の喪失〔アポボレー〕、徳そのものの喪失に同意する——ただし悪徳がそれに取って代わることなしに;むしろ論理的な性向〔ロギケー・ヘクシス〕と徳そのものの堅固さの緩みと退化があるのみで、古人が〈中間〉と呼ぶ状態にまで至る、と。悪しきものが取って代わるのではなく、堅固さが緩み、〔美徳へと〕再統合されうる中間状態〔メソン〕へ、古の人々の言い方をすれば、揺れ動きつつ移行するのだ——これはペリパトス派を指す。だが興味深いテクストがある——ストア派によるアリストテレス的〈中庸〉概念の利用を示す:
ここでの「古人」はペリパトス派を指す。だがこれは、アリストテレス的な〈中庸〉の概念のストア派による利用を示す興味深いテクストである。アリストテレスにとって諸情念の中庸を表すこの均衡状態が、ストア派にとっては、賢者のうちにある諸表象を襲う諸病のうちにおける、頽落〔デシャダンス〕の極限点となる。賢者の劇的な光景、その振る舞いの逸脱の彼方に、一つの限界がある——法的な限界が。それは、この頽落者の魂が、なお本質的な平静を保っている、と考えねばならないということである。彼の身体はこれらの劇的な振る舞いを持ちうる。彼の魂は、この外見の背後で、判断を宙吊りにし、身体がもたらす混乱した表象への同意を拒む。この限界的で逆説的な考えは、一つの信仰の行為(アクト・ドゥ・フォワ)である。それはプロティノスによって、われわれが好んで「至福の統合失調症(スキゾフレニー・ビヤンウルーズ)」と呼びたい、見事な一節で支持されることになる。
六、プロティノスの応答——「至福の統合失調」とアレクサンドロス・アフロディシエンシスの反論(頁313–315)
「最も暴力的な狂気の只中、病と魔術の術策のうちに沈められても、賢者は賢者のままである、と、ストア派も主張するとおり——そして幸福なままである」(骨子、注263)。賢者が自己意識と思考を失っても、彼の魂は絶対的に触れられていない。それは鏡が失われたから像が不在なのではない:
アレクサンドロス・アフロディシエンシスはこれを「支持しがたい立場」と評する(骨子、注265):錯乱に陥った〔トン・パラコプトンタ〕人間が、繋留〔緊縛〕を必要とする〔デスモーン・デオメノン〕にもかかわらず、自らの徳と判断の堅固さを保つ、とどうして考えられようか。このような問題に困惑しなかった唯一のストア派は間違いなくクリュシッポスであった。彼こそが狂気について現実主義的な見方を持っていた者である——キケロー的二分法(ディコトミー)を、すなわち、クリュシッポスの一元論をピュタゴラスとプラトンに照らして読み、魂を身体に激しく対立させるや否や、身体起源の病がどうして強靭化された魂に達しうるのか、理解できなくなる。逆に、賢者の魂の健康は一つの信仰の行為である。強者の賢者は自己自身に常に現前する(アウトス・アウトー・パレスティ)。人間存在、とりわけ賢者は、二重ではなく、一である。魂は自身に対して不在なのであり、身体の偽りの財産を軽蔑するのである(注266、267)。
ここでもまた、常にプロティノスとともに、古代思想の一つの深い論争——賢者の狂気というスキャンダルをめぐる論争——の全体を要約し、それに一つの解決を与えている。プロティノスの一元論は魂のそれである。プロティノスにとって〈一〉は魂の一であり、クリュシッポスにとってそれは魂と身体の一であった。クリュシッポスは自らの一元論に物理生物学的な正当化を与えていた。ガレノスは、科学の進歩によってその空虚さを示すのにさほど手間取らなかった。だがいかなる解剖学もプロティノスの一元論に打ち勝つことはできない——それは信仰の秩序に属するのだから(注268:プロティノスの複雑な〈諸力の発出〉の学説にも結びつく、と付言)。
キケローが「これは別の問いだ」と言ったのは正しかった——そして彼の定義の枠内では、この問いを立てることすらできなかった。身体が魂を汚染しうると認めることは、キケローにとって不可能である——もし彼がクリュシッポスの一元論をピュタゴラスとプラトンに照らして読み、魂を身体に激しく対立させたのなら。この問題は、賢者の狂気とその病についてはヘラクレスについての次章で再訪する、と予告される(頁314)。
七、次の単位への移行——セネカ『怒りについて』(頁315–317)
ピジョーは第Ⅲ章を締めくくる展望を示す(頁314–315):クリュシッポスがキケローと『トゥスクルム』において与える魂身アナロジーの機能の解釈の精妙さを理解しようと努めてきた。セネカはこのアナロジーを引き継ぎ、医学的モデルについて省察した。この省察を『怒りについて』と『ルキリウス宛書簡』のうちで考察したい。エウテュミアに充てる最終章では、『心の平静について』のセレヌスの病についての分析を留保する。セネカにおける一元論の問いを『怒りについて』で立てることを予告——それがこの論考の最も鋭い困難であり、生理学と道徳のあいだの関係の問題に関わる;ついで『ルキリウス宛書簡』における魂の病という常套句の用法を検討する。
新項「セネカの『怒りについて』における生理学と道徳」。ガレノスの諸テクストの検討は、モラリテの問題の位置を、きわめて明快に示唆してくれた——道徳古代思想の最も鋭い困難の一つ、生理学的なものから道徳的なものへの移行の問題である。これは古代の教育学の困難の一つでもある——ルクレティウスやセネカに見るとおり。D・ファーリーはルクレティウスについて、「道徳的行為が随意の行為として定義される以上、プシュケーの構成における不均衡から生じる自然的傾向をいかに制御しうるかを理解することが肝要だ」と書く——そのプシュケーは熱・冷・空気の混合体なのだから(骨子、注271)。不幸にも、とファーリーは続ける、ルクレティウスはこの点を発展させない(注272)。ルクレティウスは、教育がある種の人々を形作り一様な磨きを与えるとしても、それでも各人の性格の第一の刻印は残る、と述べるにとどまる(骨子、注273)。自由な行為の性格とルクレティウスの一貫性を同時に救うため、ファーリーはアリストテレスに倣い、自由な行為を、原因の連鎖のうちに一つの〈断絶(ブレイク)〉を含むものとして定義せざるをえず、そしてこの断絶の起源を、原子とりわけクリナメンの定義のうちに求める(注274)。
セネカの『怒りについて』は、われわれの視座にとって、とりわけ特別な関心を持つ——セネカは魂の病の現象、とりわけ怒りにおいて反省するからである;彼はクリュシッポス的な情念の定義の独自性を再考する;だが生物学的所与の問題、自発的な行為への物理生理学的決定論の移行の問題は——それが提起される新たな諸様態のもとで——回避しない、自由の問題もまた同様である。A・J・フェルケは、『怒りについて』第Ⅱ巻が、傾向〔タンダンス〕とのその関係における、ウォルンタース〔意志〕の構成にとって第一級の重要性を持つことをよく示した(骨子、注277)。ポーレンツによれば、セネカは認識と意志を区別したはずである。ラテン語で考える哲学者としてのセネカは意志論者だった(注278)。ギリシア語のブーレーシス〔意志〕とプロハイレーシス〔選択〕という諸概念に対して、何か新しいものが練り上げられていることが分かる。ウォルンタースという概念は、その〔第Ⅱ巻での〕展開において明晰とは言い難いが、論考の問題系のうちに置き直せば豊かになる(注279)。
セネカは一元論者か二元論者か。議論の余地があり、一方あるいは他方の立場を擁護するテクストを提示できるように思われる——問題を『メデイア』と二つの『ヘラクレス』の悲劇群において再び出会うことになる。悲劇のうちでは、セネカは疑いなく一元論者である。だがある種の『ルキリウス宛書簡』はプラトン的、ポセイドニオス的な区分を示す:
『怒りについて』はこの点、いかなる曖昧さもない。それは最も明晰な、最も独創的にクリュシッポス的なテーゼを代表する——一元論のテーゼを:頁316の一節(骨子):魂に固有の座はない。魂は外部から情念を観察し、それが然るべき点を超えて進むことを許さないためにそれを見張るのではない——魂自らが変化し、情念そのものへと転化する。そしてこのために、有用で健全なあの力——既に裏切られ、既に弱められたそれ——を呼び戻すことができない:
「魂は隔たったところに置かれ外部から情念を観察するのではなく、それらが然るべき点を超えて進むのを許さないようにするのでもない——魂それ自身が情念へと変化するのである。それゆえ、既に裏切られ既に弱められたあの有用で健全な力を、再び呼び戻すことはできないのである。」
「自らに打ち勝つ」という定式は、対立する諸力のあいだの葛藤として考えられる限り、もはや意味を持たない。精神がそこから自己を眺めうる視点は存在しない。情念とは一つの転回(コンヴェルシオン)、一つの変質(アルテラシオン)、一つの疎外(アリエナシオン)である——過程が後戻りできない点に達すれば、その情念は、それがそこから発する主体のものというより、絶対的に流体の力学あるいは普遍的物理学に属するものとなる。われわれはここに、『トゥスクルム』について書いたのと同じ論点を見出すことになり、悲劇の宇宙のうちで、メデイアとヘラクレスに即して、それを描くことになる、と予告される。〈崖から身を投げるように駆り立てられた人間はもはや自らの動きの主人ではなく、止まることも遅らせることもできない〉(骨子):
「だがひとたび〔身を投げれば〕、取り返しのつかない転落〔プラエキピタチオ〕がいっさいの熟慮と後悔を断ち切ってしまい、行かないことができたはずの場所へ、行かないことはもはやできないのである……」
ここにもまた、既に検討したリュウカス岬と、頁300の投石の隠喩が回帰する(注285:自己参照)。魂の一元論が第Ⅰ巻で明確に確立され採用された以上、生物学的所与に場所を与える視座のもとで、教育学の問題を追うことは、いっそう興味深くなる。それこそが『怒りについて』第Ⅱ巻にとって本質的と思われる問いである。
八、次の単位
読解ノート(六・その七)で、『怒りについて』第Ⅱ巻の教育学的問い——生物学的所与と自由な行為の関係——の詳細な検討へ進む。
第Ⅲ章 セネカ『怒りについて』第Ⅱ巻——四元素の気質論、情念発生の三段階、そしてプロパテイア(前駆情念)の発見
〇、怒りの分類上の位置と原因論への三つの伏線(頁318)
怒りはストア的分類において基本的情念ではない——それは欲望(エピテュミア)の一種、あるいはガレノスに従うなら悲苦(リュペー)の一種である(注286、287)。とはいえ魂の病であり、ストア派が注意深く検討したもの。怒りが情念のモデルではないか、と問われうる——胸において感覚的な生理学的性格を持ち、非常に理に適い時に狡猾でさえあり、劇的な様相を呈し破局的な行為に至る。クリュシッポスの、心臓を情念の起源とする論証では、怒りの例が重要な役割を果たす(骨子、注290):「怒りがそこに生まれる以上、他の欲望もそこに生まれると考えるのが理に適っている——そしてゼウスに誓って、他の情念すべて、推論すべて、それに類するものすべても」。
セネカが『怒りについて』を書く時、プラトンからキケローに至る豊かな哲学的省察を、アリストテレスの独自の立場(怒りは節度をもって正当化されうる)も忘れずに、自由に用いている。だがポセイドニオス的伝統——不幸にも失われた——も考慮すべきである。ポセイドニオスも『怒りについて』を書いたことが知られ、ラクタンティウスの伝える定義がその一部かもしれない(骨子、注294):「あるいはポセイドニオスの言うとおり、怒りとは、自分が不当な損害を受けたと考える者を罰したいという欲望である」。
ピジョーが提起する三つの問題:(一)情念の無意識的誕生の問題、(二)身体の重要性の問題。ストア派にとって情念は器質的なものであると同時に判断でもある。クリュシッポスは情念をこの同一物の分かちがたい二つの側面と考えた。だがこの一元論は考えるにも保つにも極めて困難——二元論的な影響は非常に強く、魂と身体の対立がしばしば同時に見出される、というのがこの困難の所在である。
一、テランの再考——「医学化された身体」(頁319–320)
『トゥスクルム』で見たプロクリウィタスとエウエムプトーシアの観念、テラン(土壌)の観念を、『怒りについて』では異なる気質(テンペラマン)の重視とともに見出す(注298)。ポセイドニオスがストア主義に与えたもの——それは「医学化された身体」と呼びうるものである。クリュシッポスにおいてはすべてが本質的だが漠然とした一つの全体性に依拠する、ファンタジー的とすら言える解剖学しか持たなかったのに対し、ポセイドニオスは、繰り返すが、プラトン的な魂の三分法を採用するストア派として、実に驚くべき知的境位にあり、それゆえ事実上二元論者である(注300)。この二元論は魂の病と身体の病の関係を体系的に組織する——プルタルコス伝の断片(骨子):「ポセイドニオスにとって、心的な病と身体的な病があり、心的原因によらないが魂を冒す病、身体的原因によらないが身体を冒さない病があり、逆に、身体的起源でありながら魂を冒す病、心的起源でありながら身体を冒す病もある。単純に心的な病とは、欲望・恐怖・怒りのような判断と意見からなるもの;単純に身体的な病とは、熱・悪寒・肥厚・希薄化のようなもの;身体的だが魂を冒すものとは、嗜眠・メランコリー・激痛・幻覚・体液の氾濫のようなもの;逆に、心的だが身体を冒すものとは、震え・蒼白・恐怖や悲嘆による容貌の変化のようなものである」(骨子、注301)。この理想的なタクソノミーでは、身体に属するものと魂に属するものが直ちに識別できる。
キケローもこの二元論のうちに自らを見出すだろう——だが〈生理学の決定的な重要性〉をキケローは認めないのに、ポセイドニオスはそれを認める。この点で彼は同時にアリストテレス的でありヒポクラティストである。ガレノスの伝えるとおり、魂の情念的運動(パテーティカイ・キネーセイス)は身体のディアテーゼに従う——それは環境と大きく相関して変化する(注302)。『空気・水・場所論』の教えがここに生きており、アリストテレスがそれを承ける(注303)。ポセイドニオスの影響は『怒りについて』に長らく指摘されてきた(注304)——教育学(ペダゴジー)の考察において再会することになる。
二、生得の不平等——四元素の気質論(頁320–322)
教育をめぐりセネカは自然本性の生得的不平等という問題に直面する。ストア主義は必然と自由の関係を反省し続けてきた——あらゆる行為の決定のうち、医学的知識の進歩が明確化したのが生理学的決定という特殊な領域である。この困難に気づいたストア派は明らかにポセイドニオスだった。『怒りについて』でセネカは魂の気質(テンペラマン)の差異を自然本性のレベルで記述する——「沸騰した気質(テンペラメンタ・フェルウィディ)」の者は怒りやすい(注306)。ここでセネカは四元素とその特性を語る(骨子、頁321):「四つの元素があるように——火・水・空気・大地——それらに対応する四つの特性(ポテスタース)がある——冷・熱・乾・湿;これらの元素の混合(ミクストゥーラ)が、場所・生き物・身体・魂の多様性を構成し、精神は、いずれかの元素の作用がより強く感じられるかに応じて、しかじかの傾向を持つ」(注307)。四つの成分から成る病因論——火・水・大地・空気、それに対応する四性質——冷・熱・乾・湿を前にしている。
この理論はルクレティウスの理論と常に近づけられる(注308、骨子):「同様に、呼気・空気・熱がすべての有機体に混じり合い、あるものは他より優勢、他は劣位となって、その総体が一定の統一を実現することを認めねばならない……精神は、怒りが集めたこの熱を持ち、それが燃え上がると眼がより鋭い輝きを帯びる;また恐怖の道連れである冷たい呼気も持ち、それが四肢に震えと戦慄をもたらす」。『怒りについて』の注釈者たちはこのテクストを参照するが、ポセイドニオス起源説はまったく不確か(注311)。むしろプラトン『ティマイオス』の四元素論に求めうる——デミウルゴスが人体を構成するために選ぶ規則正しく滑らかな三角形が、火・水・空気・大地を産みうる(注312)。あるいはロクロイの医師フィリスティオン——『ティマイオス』との関連づけも不可能ではない——に求めうるかもしれない。『倫敦匿名者』がこの医師の理論を伝える(骨子、注313):「フィリスティオンは、われわれが四つの〈形相(イデアイ)〉すなわち四元素(ストイケイア)——火・空気・水・大地——から成ると考える。各元素は固有の能力(デュナメイス)を持つ:火は熱、空気は冷、水は湿、大地は乾」。
この理論からセネカが受け継ぐ帰結——怒りに対する生得的不平等がある。沸騰した気質はより怒りやすい。「われわれの学派のある哲学者たちは、怒りは胸のあたり、心臓周りの血の沸騰によって喚起されると考える」とセネカは書く(骨子、注315)——ポセイドニオスの思想と見る者もいれば、アリストテレス起源と見る者もいる;ポセイドニオスがアリストテレスから着想を得ているのだから、双方とも正しい(注317、318)。この気質の決定に気候の要素を加えねばならない——「北の氷に晒された者たちは荒々しい自然を持ち、詩人の言うとおり、彼らの空に似る」(骨子)。AELとアリストテレス、そしてポセイドニオスの教えが確認される。年齢の相違もある——老人は若者より冷たい;病がもたらす不平等、そして習慣(アビチュード)も——これはAEL、アリストテレス、ポセイドニオスの教えである(注319–323)。
三、セネカの一元論——ポセイドニオスとの対比(頁322–323)
かくしてセネカの時代、情念の器質的構成を反省することは、有機体の構成そのものについての反省なしにはありえない——そのすべての帰結を伴う病気の一連の原因についても同様。われわれはここに、『ティマイオス』とガレノスのそれと同じ問題系にいる。これはストア派がこの問題系に直面した最初ではない——既にポセイドニオスとともに見た。だがポセイドニオスは二元論者だった。セネカの独自性は、この困難をモニスト(一元論者)として考えた点にある——『怒りについて』第Ⅰ巻で明確に述べるとおり(注325)。われわれは、キケローが『トゥスクルム』でクリュシッポスの二元論的読解を行ったのと逆の視座にいる。セネカは反対に、身体と魂の対立のうちに読み取れる生理学的決定を採用し、一元論的理論の内部でそれを考える。
哲学者は身体を無視できない——それは変更困難な所与である:「自然を変えるのは確かに困難であり、人が一度生まれつき構成された諸元素を変質させることはできない」(骨子、注326)。それゆえ、この所与を知り、それを考慮に入れて行動せねばならない。身体とともに賢さへ向かう。元素の優位に応じて、生まれつきの気質はより熱く、より湿り、あるいはより乾いている。熱い自然は怒りに傾きやすい。より湿った・より乾いた・より冷たい自然は、恐怖(パウォル)、当惑(ディフィクルタース)、絶望(デスペラチオ)、猜疑(ススピチオネース)を恐れねばならない(注327)。治療し教育する必要がある。セネカは食養生(ディエテティーク)を詳論しない——彼は医師ではないのだから、そう理解できる。だが完全に無視しているわけでもない——プラトンに倣い、熱い性質の者にはワインを控えるべきだ(注328):「身体は膨満し精神は身体とともに膨れ上がる」(注329:この語彙は後にエウテュミアの章でのワインの問題と再会する、と予告)。過度な運動は避けねばならないが体操はさせるべきである——熱の消耗が過剰にならぬ限りで;快楽を持たせねばならない——それが精神を緩め和らげるから(注330)。冷たく乾いた湿った自然の治療はより厄介である。治療の原理はアロパチー(対立療法)——もし私が冷たい自然を温めて治療すれば、悲しみを助長するリスクがある。ゆえに重要度に応じ相対主義的な治療を用い、より重篤な悪徳を治療せねばならない(注331)。同様にアニムス(精神)を治療せねばならない——最も苛立ちやすい者は困難な学習を避け、娯楽の技芸に専念すべきである。セネカはピュタゴラスと彼の音楽療法を引き、トランペットと鎮静の歌を区別し、風にも徳を帰する(注332)。これらすべての助言は医師のもとにも見出せよう——カエリウス・アウレリアヌスがマニー論の章で患者の読書や気晴らしに関心を寄せるように(注333)。疲労が鋭さを刺激する、とセネカは言う。「だからこそ、胃を信用しない者たちは重要な事に関わる前に、胆汁を静めるための食事療法を守る——とりわけ胆汁は身体の中心へ向かって動き、血に害をなし、病んだ血管の循環を妨げるか、あるいは疲弊し衰弱した身体が精神に重くのしかかるからだ」(骨子、注334)。
四、新項「情念の発生」——三段階モデル(頁324–326)
怒りの人間学的な可能性の条件についてのこの記述のうちで、ストア主義はその本性を失いかねなかった。だがセネカは情念の発生を反省することで、ストア的思考の独自性を取り戻した。ジュスタが提示するギリシア語対応語とともに引く(骨子):
ファンタシア、ホルメー、シュンカタテシス——ジュスタはここに実践的衝動(ホルメー・プラクティケー)の諸概念を再発見する理由がある。この連続はセネカ自身によっても他所でよく記述されている:
「理性的動物は何もなさない——まず何かの事物の表象によって触発され、次いで衝動(インペトゥス)を得て、それから同意(アドセンシオー)がこの衝動を確証するのでなければ。」
セネカの美しい独創性の一つは、無意識の重要性の発見にある——非意識という単純な意味において、情念の起源にあるものとしての。これは、プロクリウィタスの観念だけでは説明しきれない、表皮的で挿話的な反応があるだろう、ということで表現しうる——なぜならそれはたんに土壌だけでなく、境遇・偶然にも懸かるからである。賢者でさえ表象を持たないわけにはいかない——それが単に生(ヴィ)というものである。情念は反応が強まり意識がそこに結びつく瞬間に生まれる。この情念以前・意識以前の状態を記述することの意義は、情念の起源を単純な抽象の萌芽に還元しないことにある——それをテラン(土壌)と混同することなく、むしろ一種の「培養液(ブイヨン・ド・キュルチュール)」として与えること。ホラーはこの前情念を〈プロパテイア(propassio、antepassio)〉と呼ぶことを提案する——この記述はわれわれの見るところポセイドニオス的であるとしてのみ意味を持つ。事実、プロパテイアという語の登場は遅い。実際には、プロパテイア概念は遅れて現れる——エウエムプトーシア(プロクリウィタス)とプロパテイア(アンテパッシオ)を混同するのはこの点で誤りだろう。
五、新項「プロパテイア」——セネカの「無意識」発見と医学的先蹤(頁326–329)
かくて衝動の前には、土壌だけに懸かるのではなく、人生の状況・偶然にも懸かる、表皮的で挿話的な反応があるだろう。賢者でさえ表象を持たずには済まされない——それはまさに生そのものだから。情念は反応が強まり意識がそれに付着する瞬間に生まれる。この情念以前・意識以前の状態を記述することの関心は、情念の起源を単純な抽象へ還元しないこと——そこに土壌以上のものを見て、それを混同しないことである。この語はプロパテイアと呼ばれる。道徳的なプロパテイアを定義しようとすると、循環論法・先決問題要求の一種に陥る。事実、この状態を発明したのがセネカでないとしても、それを記述したのは彼であり、なぜこれほど丁寧にそれを扱ったのかを問わねばならない。この状態は、まだ完全に身体のものではなく、まだ完全に魂のものでもない——二元論的に語ることの不確かさの、興味深い境界地帯——エウテュミア論でも再会する(注344–350の議論を承けて)。
プロパテイア=プロパトス(προπάθεια)は起源的に医学の語である——プルタルコスに従うなら(骨子):「特に前駆的な病(プロパテイア)と前駆的な感覚(プロアイステーシス)に注意すべきである」(注347)。これは一つのディアテーゼ、すなわち身体の点的な状態(ヘクシスと対比される)である——それは理由なき疲労として現れうる(注348)。医学は徴候によって知る——ヒポクラテス的伝統において、徴候の記録と体系化が行われている——それはセミオティック(記号学的)である。セネカが医学的分析を利用したのも驚くにあたらない——とりわけわれわれがプロパテイアと呼んできたものに関して。前駆的な病はそれ自身を、プルタルコスの言葉を借りれば、一種の前触れ(プレサンシマン)によって告げる。怒りの前駆的徴候として、てんかんの発作の前兆(骨子):「発作が近いことを、熱が四肢から去り、視界が乱れ、神経が震え、記憶が消え頭が回るのを感じる者たちは、慣れた治療でその原因を早めに予防する;匂いと味で精神を乱すものを遠ざけるか、あるいは寒さと麻痺と闘う;医学があまり効かなければ、仲間とともに証人なく倒れる;自分の病を知り、それが発展する前に暴力を抑えるのが有益だ」とセネカは書く(骨子、注351)。これはやはり前意識の状態、生物学的所与の結果である——反応であって行動ではないから。
情動(エモーション)と情念(パッション)を区別せねばならない——「思いがけず精神を打つものすべてを情念と呼んではならない……」;「蒼白、涙、性的興奮、深い溜め息、瞳の突然の輝き、その他類似の現象を、情念の徴候・魂の状態の顕れとみなすことは、誤りに陥ることであり、これらが純粋に身体的な衝迫にすぎないことを見誤ることである」(骨子、注352)。あくび、閉じる目には、理性は何もなしえない——おそらく習慣(コンスエトゥード)と注意深い警戒(アシドゥア・オブセルヴァチオー)が多少の影響を持ちうるにすぎない(注353)。
だがセネカにおいて無意識に与えられる重要性は、別の意味を帯び、いっそう劇的になる。ある反射は、より深い意味を持ちうる——それはわが自然本性を明かし、わが意志が働きえない限界に出会うのだということを示す。私の意志は寒気・嫌悪・鳥肌に対して何をなしうるか。眩暈に対して何をなしうるか。紅潮という現象がとりわけ興味深い——それが恥じらいの徴候であるがゆえに二重の意味を持つから、身体的かつ倫理的な。それゆえ〈自然な恥じらい〉があり、それが個体の身体的所与に結びついている。「実にわれわれの身体においても、骨・神経・関節のように、生あるものにとってさほど快くない部位が、まず何よりも構成される;その後、外へ見せることに気を配るもの、とりわけ肌の色(クルール)が、既に出来上がった身体の上に、最後に広がる」(骨子、注355:ここでセネカが articuli を muscles と訳す点をブールジェリー訳から修正、と注記)。この内から外への進行は色(テイント)の特異な状況を示している。それは身体の極限的な限界を示し、内部にとってのしるしであり、身体を意味する;だが意味されるものは倫理的価値を持つ。これは自然な意味を持つ——意志がそれに何もなしえない限りにおいて。セネカが色について記すことは色についての哲学的伝統と一致する——擬ガレノス『哲学史』(骨子、注356):「テイントとは身体の目に見える性質である(クローマ・エスティ・ポイオテース・ソーマトス・ホラトン)」。ピュタゴラスは、と彼は言う、テイントを〈身体の可視的な表面〉と呼び、ストア派のゼノンは色を一般に、物質の第一の形態(テース・ヒュレース・プロートゥース・スケーマティスムース)と定義した。テイントはまた、医師とモラリストの双方の関心を引くという性質を持つ。
かくて無意識には複数の水準がある——私に起こるすべてに私が立ち会わないという、些細な水準のない挿話の事実がある;私の責任に関わる、より重要な意識の形態がある——私は自らのある種の反応に注意深くあり付き添うべきだった、という;そして、フロイト的無意識にいっそう近い、別の形態の無意識があり、身体的な顕れによって意味される——たとえば紅潮や蒼白のように、おそらく行為によっても。セネカがこの第三の〈心理生理学(サイコ=フィジオロジー)〉に与える重要性は、ヘラクレスの、あの病的な言葉を思い出すなら、いっそうよく理解されるだろう——自らの家族の殺戮の前、彼のあらゆる行為は彼に命じられたものであったが、この行為だけは、彼一人が「〈欲した〉」、あるいはむしろ「彼だけが欲した」ものであった:ホク・ウヌム・メウム・エスト(これだけが私のものだ)(骨子、注357:『狂えるヘラクレス』1068行)。この行為はどこから湧き出るのか。どの深い自己から出てくるのか。ヘラクレスの驚愕は、意識の場の外に存在するこの別の自己自身の発見を刻印する。
ピジョーがここでセネカの propatheia 論から「フロイト的無意識」へ、そしてヘラクレスの「これだけが私のものだ」(意識の統制外にありながら本人の行為として引き受けられる衝動)へと至る道筋は、pinel-virgile 2-4 節(既出v40)で扱った第三の症例群——判断は完全に保たれながら「最も激しい怒りと殺傷的衝動に支配され、その恐ろしさを自分でも十分に感じながら」抑えられない患者たち——と改めて響き合う。ピネルの患者もまた、ヘラクレスと同じ構造を示している:判断(理性)は無傷でありながら、衝動そのものは「意識の場の外」から発し、本人はその恐ろしさを自覚しつつ制御できない。セネカ=ピジョーの言う「前駆的(プロパテイア)」から「制御不能な第三の運動」への移行モデル(本ノート四節)は、ピネルの臨床記述——「その恐ろしさを自分でも十分に感じながら」というまさにその一句——の理論的背景として、v40に付け加えるべき精緻化を提供する。次版で反映を検討。
六、次の単位
ここでルキリウス宛書簡11への参照が予告される(骨子):「いかなる知恵も、身体(あるいは魂)の生得の欠陥を取り除くことはない;われわれのうちに固定され生まれつき備わったものはすべて、技芸によって和らげられはするが、消え去りはしない」(骨子、注358)。崩れ落ちる脚、汗、紅潮——読解ノート(六・その八)で、この書簡11の詳細な検討と、無意識の複数の水準の議論の続きへ進む。
第Ⅲ章 ルキリウス宛書簡における魂の健康——成長による二元性の解消、ハルパステーの逸話、そしてメランコリーの三段論法
〇、生得の所与への抵抗——複数の無意識(頁329後段–331)
書簡11から引く(骨子、注359、360):突然の身震い、これらすべての現れに対して、いかなる知恵もそれらを消し去りはしない。個体の生得の質と気質(コンディチオ・ナスケンディ・エト・コルポリス・テンペラトゥーラ)は、魂のあらゆる努力にもかかわらず、固定されたままである(注361)。コンディチオ・ナスケンディはスカルパの言うとおり、生得の性質・自然を指し、テンペラトゥーラはギリシア語のクラーシスを訳す——気質、諸元素の均衡である(注362、363)。
これらすべてが結論を強いる:アニムス(意志)、認識にも抵抗がある。この抵抗こそ生物学的所与にほかならない。認識の観点からは、無意識には複数の形態があると繰り返さねばならない。偶然によって、状況によって、われわれの粗雑さや怠惰によって隠されたものがある。だが自然によって隠され、われわれの生と行為のうちに現れるものもある。私は自分自身から逃れ、時に自分の行為のうちに、自分にとって他者でありながら自分にほかならない一個体を露わにする。
問題の術語に戻れば:生物学的所与があり、それと折り合いをつけねばならない。ポセイドニオスはプラトン的三分法を受け入れ、クリュシッポスのストア主義に背を向けた。個体の非理性的部分には間接的に、習慣の原理による調教(ドレサージュ)によって働きかけうる;理性的部分には教訓の教育によって働きかける。これは二元論的な分担、ディエテティシアン=衛生学者と哲学者の役割分担に完全に対応する。
だが一元論的視座において、生物学的なものと理性的なもののこの対立は何になるのか。成長こそが、身体と魂の対立という二元性の問題を解く——ちょうど歩行がゼノン(エレア派)の運動否定の逆説を解くように。子どもが大人になること、あるいは衝動(エラン)が意識へ移行することは、同じ問題であり、こうしてウォルンタース(意志)を理解せねばならない。随意的行為は個体の成長、一個の生きもの、一つの動物の成長を反復する。何であれ一個の行為は生まれ、成長し、その終わりへ向かう——幸福にであれ不幸にであれ。それはまた流産したり誕生時に死んだりしうる。私は絶えず、生きているがゆえに、この流産した運動に満ちている——私はそれに何の重要性も帰さないのだが。だが一元論的なストア派にとって成長するとは何か。それは同一のままで他なるものになることであり、むしろ、連続する諸変様を我がものとする同一者の歴史である。ガレノスが記す個体の成長理論を取り上げれば、この差異がよく分かる(注367):個体は最初、植物的な魂しか持たない——その目的(フィナリテ)は快である;やがて憤激的な魂が加わる——その目的は勝利である;そして理性的な魂が、道徳的感覚とともに恥じらいに出会う。各年齢が固有のオイケイオーシス(親和・我有化)を持ち、それぞれの感情を伴う(注368)。かくて成長は継続的な獲得としての一つの増大である。われわれは複数の段階を持ち、それぞれが固有の目的を持つ。したがって、われわれが既に見たとおり、それらを世話し、これらの段階のあいだの対応関係を忘れず、第二段階が第一段階に依存し、第三段階が前の二つに依存することを忘れてはならない。一元論者はこのように考えない。彼は確かにオイケイオーシス——各年齢が固有の性質と親和性を持つという自然な親和性——の観念を受け入れる。だがこの我有化は自然な行為(アクト)である。これを見事に描くのがセネカ『書簡』121である(骨子):
「各々の年齢はそれ固有の状態(コンスティトゥチオ)を持つ——幼児には幼児の、少年には少年の、老人には老人の;だが誰もが、自分が現にある状態と親和的である。」
植物もまたその継起する諸状態を持つ——最初は草の芽、次いで茎、次いで穂であり、絶えず同じ植物でありながら。同様に第一の年齢、幼年期、青年期、老年期のあいだには多くの相違がある——だが「私は同じ者である——幼児であった私、少年であった私、青年であった私と」(骨子):
「それでも私は、幼児であった者、少年であった者、青年であった者と、同じ者である。」
「私に固有なのは幼児であること、青年であること、老人であることではない——自然が私に委ねるのはこの私自身である」(骨子、注370):
「自然が私に委ねるのは、幼児でも青年でも老人でもなく、私自身である。」
かくて私は、同じ者でありながら他なる者であることをやめない。私は成長する一個の存在である。私は自分の存在に諸属性を付け加えるのではない——私は連続する諸変様を我がものとするのである。
一、意志と生成——道徳性の広がり(頁332)
意志もまた、生成のうちに、成長のうちに考えられねばならない。意志は、意志する私から区別されない。私は二つではなく、身体と魂を持つ一つの存在ではなく、私は生物学的なものと感覚的なものから成る一つの存在である。ゆえに道徳性の問題は、単なる習俗の問題をはるかに超える。それは栄養、運動、教育、そして緩和(デタント)に関心を持たねばならない(注371)。だがこれは悲劇において、とりわけ『メデイア』において、われわれが意志の生理学を理解しようとするところである(注372:第Ⅳ章「悲劇的なものと魂の病」への予告)。
二、身体への警戒——プルタルコスとセネカの「グノーティ・セアウトン」の心身相関的読解(頁332–334)
『怒りについて』はわれわれに、われわれの身体から来るものへ注意を促す。プルタルコスはさらに進み、各人が自分の身体について意識を持つこと、あるいはむしろ知覚を持つことの必要を語る。ティベリウス・カエサルは、六十歳を過ぎて医師に手を伸ばす者は滑稽だと言ったという。誰もが自分自身の脈、特異体質、気質、乾きやすさを知るべきである——なぜなら自分自身についていかなる意識も知覚も持たない者は、それを知るために医師を必要とするほど、鈍感で自分の身体に対して盲目だからである(骨子、注373)。プルタルコスはこの観念をプラトン的伝統に結びつけ、『ティマイオス』を引く——魂を身体なしに動かしてはならず、身体を魂なしに動かしてもならない、と決めるあの書を。かくて「汝自身を知れ」の新たな解釈がここにある——形而上学的でも心理学的でもなく、心理生理学的な解釈である。自分自身を知るとは、『怒りについて』にとってもプルタルコスにとっても、自分の身体のもっとも深く親密な出来事にまで自分を知ることである。
『怒りについて』はわれわれに、自らの身体から来るものに警戒するよう促す。プルタルコスはさらに進み、感情の露呈は、しばしば身体が病に近いことを証すると言う。だが自らの身体を見張り、動悸や身震いを窺うことは、そこに呑み込まれる危険を冒すことである。セネカはこれをよく感じ取っていた——『ルキリウス宛書簡』において。確かに書簡57は身体の抜きがたい現前を分析する——「彼〔賢者〕もまた、その魂は悲しみに打たれるだろう、その顔色は変わるだろう」(骨子、注375)——「そして突然の出来事の前で顔をしかめ、身をすくめもするだろう、突然の深淵の縁に立たされれば目も眩むだろう——恐怖ではなく自然の情態であり、理性がそれに対して何の力も持たない」(骨子):
「顔を悲しみへと向け、突然の事態に身の毛をよだたせ、その縁に立って広大な深みを見下ろせば眩暈もするだろう——これは恐怖ではなく、理性には打ち勝ちえない自然な情動である。」
賢者の力には限界がある——それは彼の身体、その構成、その気質、その生きものとしての感受性である。だが身体を知らねばならないとしても、それに呑み込まれることを警戒せねばならない。身体的な病においては魂を身体から分離せねばならない、と書簡78は言う。無知な者(イムペリティ)は自分の身体に過度に親しみすぎ、そのために病のときにいっそう苦しむ。彼らは自分の魂だけで満足することに慣れておらず、偉大で賢明な人間は自分の魂をその脆く哀れな部分から切り離し、必要な限りでしかそれと交わらない。矛盾ではない——すべてはこの必要性の測度のうちにある(注376、377)。ピュタゴラス゠プラトン的テーゼ——哲学するとは死を学ぶこと、すなわち魂を身体から分離することだ、というテーゼ——をここに再び見出す。彼にとってそれは形而上学的な抽象ではなく、身体が、彼のように健康の脆いセネカにおいてしばしば語りすぎるとき、大きく困難な仕事である(注378、379:『オイタ山上のヘラクレス』での病の悲劇性についての瞑想を予告)。
三、『怒りについて』第Ⅲ巻——医学的態度と時間の重要性(頁334–336)
ここで医学と哲学の間の困難で時に照らし出す、時に矛盾に満ちた比較を、いくつか検討したい。第Ⅲ巻でセネカはペリパトス派の怒りの善用論に触れる(骨子、注382):力は儚く有害であり、その活力は、それが病んだ者たちのうちで生む病と発作にとって役立つ。この確認はフレニティスとマニーの症例において医師によってなされ、『狂えるヘラクレス』についても想起されよう。III.5.1でセネカは、誰も怒りから免れていると感じてはならない、と想起させ、ペストとの比較を行う:「同様に」と彼は書く、「身体の活力と健康への注意深い配慮は、ペスト性の病に対して何の役にも立たない——それは弱者にも強者にも無差別に襲いかかる。同様に怒りは、不安な性格にとっても、確固とし穏やかな性格にとっても危険である——彼らのうちでそれはいっそう醜く危険であり、より大きな変化をもたらす」。ここに第Ⅱ章で扱った、アテナイのペストと、われわれが〈第16番目の患者〉と呼ぶものとの、二つの医学的トピックにおける典型例がある。実に、ルクレティウスについての研究で豊富に描いたとおり、医師とモラリストの双方を驚かせたのは、〈ペスト〉が個体の力にも摂生にも徳にも一切頓着しないという事実だった。第16番目の患者とは、ヒポクラテス『流行病』第Ⅲ巻の最終症例——「立派で穏やかな」青年の症例——を指す(骨子、注383):「十日目」とヒポクラテスは書く、「彼は穏やかに錯乱した——彼はもとより端正で穏やかな性質だった」。医師にとって問題は、一般的行状・規則性の観察である。錯乱は、明確な性格に対してよりも、明確ならざる性格に対する方が重大である——マークされた性格に対するマークされた錯乱は、マークされぬ性格に対する錯乱に相当する。したがって徴候は、性格から遠く離れるほど不安を掻き立てる——これをカエリウス・アウレリアヌスも語る(骨子、注385):「生まれつき悲しい者たちで、その病において朗らかな錯乱を示す者たち、逆に生まれつき陽気で朗らかな者たちで、怒りと悲しみを伴う錯乱を示す者たちは、より重篤に冒されている——健康なときに示していた性質の痕跡が全く残らないほどだから」。かくてセネカにおいて、習慣的に確固とし穏やかな個体では、怒りはその性格の規範からの大きな逸脱であるだけに、いっそう危険である。
セネカはわれわれに既に語った怒りの予防法一式を提案する——気晴らし、音楽、視覚を和らげる緑色、心地よい学問、甘美で穏やかなものを消耗させ苛立たせる疲労の回避、胃を気遣う者のように苛立ちの体液を鎮める摂生、フォルムへ赴く前の空腹と渇きの回避(注386)。だがセネカが提案する怒りへの働きかけのもう一つの手段がある——それは徴候の反転である。怒りは眼差しを燃え立たせ、顔つきを変える:ケ・ノー・ルヴェルシオン・トゥート・セ・ジュジュマン(骨子):
この「機械」への働きかけ方は、われわれには非常に深いものと思われ、医師たちの精神療法に等価物を知らない。おそらく、もし絶対的にその起源を探そうとするなら、既に語ったポセイドニオス的な調教の徳に思い至るべきだろう(注387)。
四、新項「ルキリウス宛書簡における魂の健康」——ハルパステーの逸話(頁336–338)
身体の健康、魂の健康——魂の健康にストア的科学の理論の内部で認識論的・教育学的な尊厳を与えるのはセネカである。彼は魂の健康と身体の健康のアナロジーの共通の場を、認識論におけるアナロジーの役割そのものの上に基礎づけ、同じ動きでそれを正当化する(骨子、注388、390):「われわれのうちには科学の萌芽そのものはないが、その萌芽は持っている。それはアナロジーによって、われわれの学派によれば、精神が誠実と善を懐胎したのである。身体の健康を知ることで、魂の健康も考えることができた——身体の力を知ることで、魂の頑健さもまた存在すると結論できた」。
それでもこれらの『書簡』のうちに、身体の健康と比較された魂の健康についてのこの理論を見出すことは重要である——ちなみに、われわれが言うように、この分析のアナロジーが、この著作における魂の健康の反省に基礎を置く反省が第一に来るとも言えよう。かくて身体の健康は事実として第一である;魂の健康というその概念そのものが、身体の健康との比較から生まれるのだから、権利においては第一である;だがこの創始的な行為は、ある種の連続のうちに継続されねばならない(注391)。
書簡50はわれわれにとって、具体的な狂気の一例をめぐる考察において、魂の病と身体の病のアナロジーを再発見させてくれる点で、とても興味深い。それはハルパステー——亡き妻からセネカが〈相続した〉道化女(フォル・エリテ)——の症例である。哲学者はまずこうした現象への嫌悪を思い起こす(注392)。この哀れな女は盲目でありながら、光がないのはこの家のせいだと信じている——ここに何が狂気を構成するかという問いがある。セネカはハルパステーを寓話として用いる——われわれもまた、われわれが貪欲あるいは強欲であることに気づかない限りで、皆狂人だからだ(注394)。だがこの書簡は、われわれの見るところ、修辞を超えた関心を持つ——狂気を自らの病についての意識の欠如として定義する点においてである。ハルパステーへ戻ろう。これは医学的な意味での狂気——すなわち身体的な起源を持つ狂気である。またそれは、自然な機能の忘却、あるいは苦痛の意識の欠如の徴候でもある。医師たちのうちに多くの例が見出される——ケルスス(骨子):「苦痛の原因があるのにその感覚がない者たちは、その精神が動揺している」(注395)——ダランベールが正しくもヒポクラテス『箴言』第Ⅱ巻6と結びつける一節(骨子):「身体のある部分が苦痛を伴う病に冒されているのに、習慣的にそれほど苦痛を感じない者は、その精神が病んでいる」(注397)。この箴言で〈痛み〉あるいは〈痛みを伴う病〉が何を意味するかはあまり明確でない。ガレノスにとってそれは丹毒(エリジペル)あるいは骨折を指し、彼は〈精神〉をディアノイア(知性)と考える。ダランベールは脳への病変について語り、それが患者に意識のない急性病を惹き起こす(注399)。いずれにせよ、より一般的な意味において、苦痛と悪の知覚の欠如は〈精神錯乱〉の徴候である。
プルタルコスはこのアナロジーを取り上げ、そこに医学的内容を与える(骨子):「病から脱するための第一条件は、苦しんでいる部分を、それに良いことをするために利用させる知覚(アイステーシス)である……知覚の喪失(アナイステーシア)を伴う身体の病は最も重篤である——嗜眠、頭痛、癲癇、卒中、そして錯乱にまで興奮させる熱病」(注400)。「魂の病のうち最初にして最も重篤なのは、悪徳を治癒しがたくする〈無知(アグノイア)〉である」(注401)。プルタルコスのテクストを通じて、医学的経験が『ティマイオス』の定義——痴呆(マニー)と無知(アマティア)という二種の錯乱がある——と合致することが明らかである(注402)。
ハルパステーの逸話——「魂の病のうち最初にして最も重篤なのは、悪徳を治癒しがたくする無知である」——は、pinel-virgile 2-4節で扱った第二の症例群と、鏡像的な対をなす好個の材料である。ピネルの記録する患者は「自らの状態を正確に認識し、自ら拘禁の延長を申し出る——自分がまだ衝動的傾向に支配されていると感じているから」という、まさに古代人がハルパステーの対極に置いた〈自らの病を知る者〉である。セネカ゠プルタルコスが〈無知〉こそ最も重篤な魂の病とし治癒を不可能にすると考えたのに対し、ピネルはまさにこの自己認識の保存を、治癒可能性の最も確かな徴候として記録している——ハルパステーが体現する「知覚を欠いた狂気」の対極に、ピネルは「知覚を保った狂気」を系統的に見出し、後者にこそ治療的介入の足場を見出した。古代の医学=哲学的伝統が漠然と予感していた区別(無知による治癒不能な狂気/知覚を保つ狂気)を、ピネルは臨床類型として確立したことになる。既出v40・v41(第三症例群)と合わせ、pinel-virgile 2-4節全体が、この古代的区別の系統的な臨床的展開として読める。次版で本節への一括した反映を検討。
五、新項の続き——楽観と悲観の緊張、そして治癒=メタボレー(頁339–343)
この書簡には、セネカの個体的所与に関する悲観主義と、医学的楽観主義とが同居している。悲観的なのは、魂の健康が自然本性的なものではなく、克服された病であるという考え——〈あらゆる魂の健康は治癒である〉(骨子、注412):
「善き精神が悪しき精神より先に訪れる者はいない。われわれは皆すでに占領されている——徳を学ぶとは悪徳を忘れ去ることである。」
セネカにおける〈努力せねばならない(ラボランドゥム・エスト)〉——「だが医師は決して絶望しない、たとえ根深い病を前にしても——サッド・ネク・インドゥラータ・デスペロ」(骨子、注413–415)。このような矛盾に満ちた書簡をどう説明すべきか。身体の病と魂の病の同一性が、そのアナロジーよりも実現されているように見える瞬間にこそ、セネカはその異質性を主張する。これはキケローの二元論的非対称性のうちに再び見出しうる(注416):「理性は、それが健全であれば、身体の病を意識するが、魂そのものが冒されているときは、自らが被る悪を判断する能力を持たない——それを判断する能力そのものが冒されているのだから」(注417)。この非対称性はセネカ自身によってさらに強調される——書簡53のように:身体の病はその現前によって診断を強いる;足首が腫れれば痛風に疑いはない。だが魂の病については、病めば病むほど、それを感じにくくなる(注418)。医学的モデルの変更がここで多様性を許すのは明らかである。確かに狂気も痛風も共に身体的病である;だがわれわれは医学的諸概念の研究において十分に強調してきた——それでも本質的な相違が存在すること——痛風は魂のレベルでの汚染を直ちに含意しないことを(注419)。
もう一つの困難——病への悲観主義と、治癒についての楽観主義との調和。すべての魂は生得的に病んでいる。これはわれわれに『ティマイオス』に由来するもう一つの伝統を想起させる。魂が一つの身体に鎖でつながれるとき、それは原初から結びつけられており、それが〈神聖病〉(VI L 369、胎児の脳の必要な浄化について語り、さもなくば癲癇様の病になるという)を魂の誕生に結びつける、という発想を呼び起こす(注420)。この主張をピュタゴラス的観念に限定すべきではない——それは出生の生理学的トラウマゆえに狂気じみている——その効果は同じ本性を持つ理由によってしか鎮まらない。この生物学的な悲観主義を、賢者の生得性についてのストア的定義の楽観主義と調和させるのは明らかに困難である——賢者は生まれながらにして最も美しく最も偉大な者だと知っているのだから。〈賢者と非賢者〉という二つの種族が存在する(注421)。だが一方で誰も賢者が実在したことはおそらくないと知っている。安易な解決があるだろう——悲観主義をセネカの体液・その〈ネヴローズ〉に帰すること(注422)——だがピジョーはこれを退ける。
セネカは、医学と哲学の比較を深化させ、その類似と相違を反省した。ここで書簡72が重要である——賢さに近づいた人間と賢さへの途上にある人間の間には、健康な人間と長患いから回復期にある人間との差異がある。だがこの類比が成り立つのは近づく段階までであり、いったん賢者と非賢者を隔てれば、もはやアナロジーは成り立たない。魂は一度で完全に治癒する——アニムス・セメル・イン・トートゥム・サナートゥル(注423)。そして、健康な体は病に戻りうるが、賢者の健康は根本的かつ決定的である——賢者は決して再び病むことができない:
「賢者は再発しえない、いやそもそも再び陥ることさえできない。」
ここに再び賢者の健康の問題——ヘラクレス論で再訪する予定——が現れる。ここでの賢者の健康は、身体の健康に対置される魂の健康であり、すなわち賢者の魂が情念から解放され、二度と再び陥ることのない魂の健康である。ストア派にとって賢さとは一つの変化(メタボレー)によって来ると、クレメンス・アレクサンドリヌスは書く。ヒポクラテスの読者にとって、メタボレーの語に疑いの余地はない——これもまた一つの医学的隠喩である。だが魂の変化が決定的なのは、それが賢さへ向かうときである(注425)。書簡72はさらに魂の健康の定義を与える——それは自足すること、自らに信頼すること(シ・コンフィディト・シビ)にある(注426)。賢者は満たされ(プレヌス)、最大の、継続する、彼固有の喜びを享受する(注427)——この自己自身とともにあることの喜びの重要性は、エウテュミア論の章で再訪する。
書簡85はストア的三段論法を伝える(骨子):「勇敢な者は恐れなき者である;恐れなき者は悲苦なき者である;悲苦なき者は幸福である」(注429)。この三段論法を〈メランコリーの三段論法〉と呼びたい——それが排除する二つの情念、恐怖と悲しみが、久しくメランコリーに固有と知られているからである。ケルススによるヒポクラテス箴言の転写(骨子、注431):「もし長い悲しみが長い恐怖と不眠を伴えば、それは黒胆汁の病である」。この三段論法は、賢者の敵として、その二つの心理的症状とともにメランコリーを暴露する——身体的症状である吐き気を欠いているにせよ。それは『賢者の恒常性について』にあり——そこでセネカは吐き気を催す魂(アニマ・ナウセアンス)について語る——『心の平静について』でも再会する(注432)。
賢さへの変容(メタボレー)——この変化はその受益者自身にも気づかれずに起こりうる。哲学者たちがそのしるしを消し去るために持つあの狡猾さ、あるいは巧妙さゆえに——たとえ第一の贈り物であるとしても——それはより深いレベルでは巧妙さではない(頁342–343)。賢者になった者たちがそれと知らずに、自分の善き所有物を未だ棚卸ししていない、というこの逆説的な状態——賢さへの道半ばにある候補者の努力・アスケーシス・悪徳との闘いという第一の労苦とは異なる、もう一つのより深く神秘的な労苦——存在全体の労苦、新しい自然・新しい種への総体的変化に至る労苦がある。新しい存在に付き添うには、ある種の時間が必要であり、それは自らの誕生に完全には立ち会っておらず、自らを試し自らが知ることを知る必要がある。これはプルタルコスが批判することで知られる、きわめて深いクリュシッポス的観念である(骨子、注436):「健康と病、賢さと愚かさの違いを知覚するというのは、常識に反しないだろうか——愚かさから脱したときにそれをまだ現前していると信じ、所有している賢さの現前に気づかない、ということが」。
セネカは賢さへのこの隣接状態(ヴォワジナージュ)を、身体の悪との類比の言葉で記述する者もいると言う——既に魂の病(イアム・エフュギッセ・モルボス・アニミ)を脱してはいるが、まだ〈情態(アフェクトゥス)〉には至っておらず、〈滑りやすい場所(イン・ルブリコ)〉に立っている者たち——「なぜなら誰も、悪意の危険から免れていない、それを完全に退けた者を除いては;あるいは誰も免れていない、その場所に賢さが取って代わった者を除いては」(骨子、注437)。セネカはここで、われわれが先ほど生理学的な用語で記述したものを、物理的な急進的代替という用語で記述している。
六、次の単位
頁343後段以降、この物理的代替のモデルの続きと、第Ⅲ章の結び——医学モデルの偉大さと限界(プルタルコス『神罰の遅延について』を範例として)へ向かう見通しが示される。読解ノート(六・その九)で扱う。
第Ⅲ章 アリストン論争の結び、ピネル『疾病分類学的疾病論』の直接引用(三度目)、そして医学モデルの栄光と限界——プルタルコス『神罰の遅延について』への導入
〇、アリストンとの論争——insania publica と療法不能な病(頁344–348)
セネカ『書簡』94はキオスのアリストンへの反駁である。アリストンはゼノン学派から分かれた——パレネティック(勧告的教訓)の使用を拒んだからである(注439)。アリストンにとって徳は一つであり、その継起する諸性質と適用点によってしか区別されない。教訓は何の役にも立たない——健全な魂が必要であり、さもなくば「病人に健康な人間がなすべきことを教えても、彼を健康にはしない」(骨子、注440)。アリストンによれば悪と根本的に対決し、魂を悪から完全に癒しその悪徳を取り除くか、あるいはまだ悪に占領されていなくとも悪へ傾いているなら、悪が到来する前にそれを占有せねばならない(注441)。アリストンは、公的な狂気(insania publica)と、医師に委ねられる狂気とを比較する:
「公的な狂気と、医師に委ねられるそれとのあいだには、後者が病に苦しみ、前者が誤った意見に苦しむという点を除けば、何の相違もない。一方は狂乱の原因を体調から引き出し、他方は魂そのものの不健康である。もし誰かが狂人に、どう話すべきか、どう振る舞うべきか、公の場でどうすべきか、私的な場でどうすべきかを教えるなら、教える当人のほうがいっそう狂っているだろう——彼にこそ黒胆汁の治療と、狂乱の原因そのものの除去が必要なのだ。この、魂のもう一つの狂乱についても同じことをなさねばならない——それ自体が払拭されねばならない。さもなくば忠告の言葉は空しく消え去るだろう。」
この一節から引き出すべき考察は複数ある。まず insania publica、公的なデマンスをどう理解すべきか。むしろ〈社会的狂気〉と言った方がよいかもしれない——それはわれわれの社会における振る舞い、われわれの習俗に関わるものであり、医師の領分である狂気、すなわち身体起源の狂気に対立する。哲学と医師のあいだのこの分担の現象については既に十分強調してきたので繰り返さない。アリストンはこの分担を知っている。他方、彼にとって、フーロルの起源は黒胆汁である。既に繰り返し語ったとおり、ペリパトス派の伝統の重要性——『問題XXX』に見られるような——がここにも現れている。プルタルコスによれば、アリストンは「彼が健康(ヒュギエイア)と呼ぶ、唯一の徳を想定した」(注443)。徳を丸ごと持つか、まったく持たないかであり、そうした条件下では魂の〈病的〉な状態は存在しない。全か無かであり、それが狂人と対話しえない理由を説明する——いかなるコミュニケーションも不可能なのだ。このコミュニケーションと対話の問題こそが、セネカの関心を引く。
キオスの哲学者へのよく構成され文書化された応答のうちで、セネカは、医師たちもまた教訓を用いる(アディキト・レメディイス・メディキナ・コンシリウム)と反論する——薬そのものと同じくらい有用なのだ、と。他方、アリストンは全か無かの法において急進的すぎる。彼によれば、まず健康を回復することが、あらゆる対話の第一条件である。だが、とセネカは言う、病人にも健常者にも同時に語りかけうる助言がある——たとえば貪欲に食べないこと、疲労を避けること、あらゆる場合に共通の教訓である(注445)。そしてもしアリストンの主張するように、教訓が重篤な悪徳に適用されれば無益だとしても、セネカは言う、医学は、治療の傍らで、〈レヴァメントゥム〉——治癒不能な病において緩和する薬——を知っている(注446)。同様に、哲学の全力を挙げても、既に硬化し古くなった魂の悪を取り除きえないことがある(ドゥーラム・イアム・エト・ウェテレム・アニミス・エクストラーエット・ペステム)。だがこれを哲学の失敗と呼んではならない——医学もまたあらゆる病を治すわけではないのだから(注447、448)。〈デ・アルテ〉の著者を引く(骨子):「まず私が医学によって意味するものを定義しよう——病人をその苦しみから完全に解放すること、激しい病を和らげること、そして治療不能な患者に対しては何もなさないこと、ただし医学がすべてをなしうるわけではないと知りつつ」(注449)。不治の患者を見捨てるべきか——これは古代医学が既に自らに問うた問いである。治す、和らげる(アンブリュネイン)、あるいは断念する。セネカは、どうやら、治療不能な病(モルボス・インサナビレス)にまで医学を広げる(注450)——手を差し伸べることがなお残っている:「愛撫、声の抑揚、眼差しの一つには、なお臨終の息が近くないことをしばしば告げる、この上ない力が残る」とトレモリエールは『苦痛を分かち合う』で書く(注451)。それは医師にこそ属する——ペトロニウスがわれわれに皮肉に語るように、それは魂の慰め(コンソラチオ)にほかならない(注452)。
ピジョーはここで、道徳哲学と医学のこの古代的分担のうちに、キケロー・プルタルコスと並んで「哲学的医学の創始者ピネル」を再び位置づけ、『疾病分類学的疾病論』(第2版、パリ、共和暦11年〔1803年〕、p.15–16)から次を引く:
「道徳哲学と医学のあいだには、プルタルコスが指摘するとおり、緊密な結合、相互の依存関係がある。心気症・メランコリー・あるいは嘔吐性の疾患を予防するために、道徳の不変の法則に従い、自己自身への統御を身につけ、自らの情念を制御し、要するに、ヒポクラテス・アレタイオス・シデナム・シュタール……らが伝えた観察の輝かしい成果と同じだけ、プラトン・セネカ・プルタルコスの著作にも親しむことが、いかに重要であることか。キケローは『トゥスクルム』第3巻と第4巻において、情念を病と見なし、それを治療し治癒するための根本的な規則を与えているではないか」。
この一節は、五・その七(頁246)で見た最初の直接引用、六・その一(頁254)で見た注43のエスキロール/ピネル評言に続く、本紀要が確認した三度目のピネル直接引用である。決定的なのは最後の一文——ピネル自身が、キケロー『トゥスクルム』第3・4巻を、情念という病に対する「根本的な治療規則」の書として名指ししている点である。これは、ピジョーが本章全体を通じて論じてきたキケロー=クリュシッポス的病因論・治療論を、ピネル自身が自らの臨床思想の直接の典拠として認めていたことの、動かぬ文献学的証拠にほかならない。pinel-virgile 3-2(キケロー・セネカ・エピクテトスの言及)で既に確認した『疾病分類学』の一節と対をなし、より詳細な文脈を提供する。次版で本文への統合的な反映を検討——特に「プラトン・セネカ・プルタルコスに親しむべし」という句が、本書がまさにこの三者を扱っていることの、遡及的な正統化として機能する点に注意。
一、書簡94の続き——予備テーゼとしての「箴言論争」(頁348)
だがわれわれはまだ書簡94での医学との関わりを終えていない。アリストンが教訓を、それを無効と宣言しつつ〈法〉に同化させることをめぐる論争が続く箇所で、セネカは書く——「私はこの点でポセイドニオスの意見ではない、彼は言う〈プラトンが法に付け加える序文はいったい誰のためのものか〉」(骨子)。法は簡潔であるべきで、無知な者たちがそれを覚えやすくするために、というのがポセイドニオスの主張だが……厳粛に……それはあたかも神的な霊感によって発せられる声のようであるべきだ、命じ、議論しない。序文を伴う法ほど冷たく間の抜けたものはない(骨子、注460)。ここでセネカはプラトンにおける非常に有名な議論に言及している——法に序文を付すべきか否かという問い。プラトンは法の規定を医師の処方箋と比較する(注461):『法律』第Ⅳ巻で、プラトンは自由人を診る医師と奴隷を診る医師を区別する(骨子):「自由人を診る医師は、患者自身の起源から病を尋ね、患者自身と友人たちに助言し、患者自身から情報を集めながら、可能な限り、事前に説得することなしには何も処方しない——説得と共に、そのつど彼の患者を導き健康へと徐々に連れ戻す」(注462)。この二重の医学の歴史的真実がどうであれ、セネカはここで伝統的なトポスを用いている。そして重要なのは、ストア的パレネティックの擁護のうちに、ストア主義自体の内部で議論された、きわめて古い伝統において、医学と患者への医師の関係というアナロジーが介入する、ということを示すことである。
二、新項「Solacium と remedium」——テトラファルマコスとエピクロス的癒し(頁349–350)
慰め(コンソラチオ)は魂に属し、薬(レメディウム)は身体に属する(注463)。各々がそれ固有の治療(テラピー)を持ち、それでいて全体として、哲学は微妙な戯れによって両者を同一視しようと努めてきた。要するにこの医学とは何か、その薬局方において貧弱なこの医学とは——結局のところ魂の慰めにすぎないのではないか、ペトロニウスの言うとおり(骨子)。医師とてこれを知らないわけがない——病人が重篤すぎるとき、われわれが〈De arte〉について述べたように、いつ立ち去るべきかを。実に、哲学者と医師のあいだのこの、われわれが語り続けてきた分担のうちで、哲学者は solacium(慰め)に、医師は remedium(薬)に限定されるべきだ、と思われるかもしれない。だがこれを調停しようとする省察が存在する。ピジョーはルクレティウス第Ⅴ巻序歌の考察(かつて別稿で示した)を想起させる——エピクロスを医神として讃える省察、そこでの solacium と remedium——ケレースとリベルの一対と、エピクロスの一対とのあいだにアナロジーがある:ケレースとリベルは人類にパンとワインを与え、エピクロスは人類に生の慰め(ソラキア・ウィータエ)を与えた(骨子):
「生の甘美な慰めが魂を和らげる。」
エピクロスの「甘美な生の慰め」とは何か——ディオニュソスが人類に与えた〈苦痛への薬〉(パルマコン・ポノーン)である。われわれは進んでこれを solacium と呼びたい。誰も気づかなかったことだが——エピクロスの有名な〈テトラファルマコス〉が代表するのは、最初の四つの〈ドクサイ(教説)〉、あるいはむしろ、もっと単純に、フィロデモスの一節(『ストア派論駁』)で知られる〈テトラファルマコス〉という名そのものによる引用である:
「神は恐るるに足らず、死は懸念するに足らず、善きものは得やすく、恐るべきものは耐えやすい。」
確かに solacium は remedium ではない。テトラファルマコスもまた一つの隠喩である——それがメノン、アリストテレスの弟子である医師に由来する〈四薬混合〉(蝋・松脂・脂を成分とする)を指すことは知られている(注470)。だがエピクロスを医神とするこの構図——第Ⅴ巻序歌にふさわしい——において、solacium を再活性化することは正当に思われる:「われわれに与えたもうた御方、今なお大いなる諸民族に広がる、魂を和らげる薬を」(骨子、注471)。
三、セネカ書簡78——「哲学に生かされた」個人的告白(頁350–352)
セネカがこの相補的かつ対立的な一対、solacium と remedium について反省するのを見るのは興味深い——書簡78においてである。セネカはルキリウスの持病の鼻風邪について同情を語ることから始める、彼自身も長らくこれに苦しんだから。若い頃、彼はひどい痩身に陥り自殺すら考えたが、父の悲嘆を思って思いとどまった(注472):
「そこで私は自分に、生きよと命じた……その頃私にとって何が慰めであったかを語ろう——ただしまず、私が安らぎを得たそのものが、薬の効力を持っていたと言っておいてから。誠実な慰めは薬に転じ、身体にさえ益をなす——私にとってわが学問こそが救いであった。私が起き上がったこと、快復したことは、哲学のおかげであり、私は生命を哲学に負っている……」
この場合、solacium が remedium となり、哲学は魂を癒すと同時に生かした。セネカはこの、身体への魂の影響という月並みな観念に議論の基礎を置く——パルス・サニタティス・ウェレ・サナリー・フーイト(治りたいと欲することが健康の一部である)と『パイドロス』で言われるとおり(注473)。医師は意志と勇気の役割をこれまで無視してこなかった——『流行病』第Ⅰ巻の著者が言うとおり:「患者が医師に病と闘うのを助けねばならない」(注474。既にケルススについてアニムスの役割を見た、と自己参照、注475)。アスクレピアデスでさえ、激しい怒り、過度の恐怖、深い悲しみをフレニティスの発症原因として認めている(注476)。カエリウス・アウレリアヌスは、急性病の症例において、思いがけない予期せぬ出来事によって喜ばされたり脅かされたりした病人が、身体に生じたある種の変化(ムタチオーネ・クァーダム・コルポリス)によって治癒することがある、と述べる(注477)。魂の身体への効果、感覚の身体への効果は、常に月並みでありながら常に神秘的である。それらは、この医学に満ちた書簡において、哲学の道徳的振る舞いへの重要性、そしてそれを remedium として正当化する役割を根拠づけるのに、ここで役立っている。
医学的治療法はあらゆる『ルキリウス宛書簡』を通じて典型的な例として用いられる。たとえば書簡64——眼病の類比から出発し、セネカは哲学の役割を定義する——「たとえすべてが古人によって発見されたとしても、常に何か新しいものがある——経験と学問、そして他者によって発見されたものを組織する力が」——言い換えれば、投薬量とカイロス、われわれが医学と哲学にとって重要だと定義してきたそれ——それは「行動の緊急な必要性の即座の知覚にほかならない、というのも事態の状況の知覚以外の何ものでもないから」(注478、479):
「これらの薬は砕かねばならず、時を選ばねばならず、各々に応じた分量を用いねばならない。」
Animi remedia inuenta sunt ab antiquis: quomodo admoueantur aut quando, nostri operis est quaerere.
「魂の薬は古人によって発見された——それをどのように、いつ用いるかを探求するのはわれわれの仕事である。」
かくて症例と機会をめぐる省察が素描される——それは、先に触れたアリストン・ド・キオスへの反駁を正当化する箇所において、いっそう展開されることになる。だが哲学は医師たちに対して一つの利点を持つ——それが提案するのは急進的で絶対的な、一つの病のためではなく生涯全体のための治療法だという点である。それが〈死の軽蔑〉である——トティウス・ウィータエ・レメディウム・エスト:コンテムネ・モルテム(骨子、注481)。医師の方は、病人の気力を萎えさせないよう、大声での朗読を禁じ、受動的な運動を処方し、ワインを勧め、あるいは咳をするなら禁じる。魂の力についてのこの主張のうちには、哲学が健康そのものであると主張するかのような、一つのユートピアに触れている。実に、身体の病の観照が浄化的な機能を持つと理解すれば——ルクレティウス第Ⅵ巻がそうであるように——同様に、セネカにとって、死の観照によって癒すことができるのである。
四、第Ⅲ章の結び——「医学モデルの栄光と限界」への導入(頁352–357)
クリュシッポスにおける、キケローにおける、セネカにおける魂の病と身体の病のアナロジーについて反省してきた。結びとして、倫理における医学モデルの栄光と限界を印づけておきたい。
医学モデルの利用は非常に古く、薬あるいは外科の行為とのアナロジーは、悪しき魂の治療についてはプラトン『ゴルギアス』に、あるいは弁論術の作用についての『パイドロス』に、確実に遡る——ゴルギアス自身が言葉の力を薬の力に比較していたことは想起される(注483)。J・ジュアンナは最近、トゥキュディデスの政治的省察における医学モデルの存在を示した(注484)——われわれ自身、コルキュラの動乱の記述、そしておそらく擬ヒポクラテス『書簡』における〈都市の病〉というテーマの起源にも、この主題を再発見した(注485:第Ⅴ章への予告的参照)。逆もまた真である——政治が有機体とその機能に隠喩を提供する。アルクマイオンの著名な定式が示すとおり——健康とは諸力(湿・乾・冷・熱・苦・甘その他)の〈イソノミア〉であり、病とはこれらの力のうち一つの〈君主制(モナルキア)〉である(注486)。
プラトン『ゴルギアス』は、病んだ魂——すなわち不正(アディキア)と無節制(アコラシア)——の刑罰と治癒についての省察を提示する。この医学的アナロジーは、われわれの本来の研究対象からはやや遠い——医学モデルが極めて未成熟であり、われわれが精神病理学に近い領域からは遠いという限りにおいて。ドッズはエデルシュタインとヴェールリに合流し、医学の役割も影響も誇張すべきでないと言う。実際プラトンは何より鉄と火による外科的モデルを強調する——治療のためには健康の観念を持ち、苦痛が善のためであるという観念のもとで治療される勇気を持たねばならない。この点についてドッズはこの一節の〈論理的弱さ〉を語るが、それでも非行の問題への医学的アプローチが、タリオ法あるいは古代ギリシア法に大きな影響を与えた不合理な穢れの観念に対して、道徳性の巨大な進歩を代表することを認める(注487–492)。
この魂の病、不正と無節制は、『ティマイオス』のそれ——錯乱と無知——から遠いだろうか。『ゴルギアス』のそれを『ティマイオス』の種と同じ範疇に含めることはできるだろう。だが、われわれの考えでは、これは別のアナロジーであり、倫理と政治の双方に関わる——病める魂の卓越した見本が僭主の魂であるという点で。それはアルケラオスという僭主であり、最も罪深く最も不幸な者である——そして『ゴルギアス』の神話でプラトンが語るように、「ラダマンテュスはしばしば大王あるいは他の君主・僭主に手をかけ、その魂に健全な部分が一つもないことを見出す——偽誓と不正によって、あらゆる部分が引き裂かれ潰瘍だらけである」(骨子、注493–495)。この魂の病をセネカは〈クルデリタス〉——残酷さ——と呼ぶ。これは書簡85.10に、そしてとりわけ、この病が君主の魂の病として当然の位置を占める『寛容について』に見出される:
われわれはこの研究において、君主の健康という特殊な事例を扱うことを望まなかった——それは一冊の書物を要する主題だから。倫理における医学モデルの研究を、プルタルコス『神罰の遅延について』への若干の考察なしに終えることはできない——この論考における類推の交響的な性格を讃えずには。医学は、これから示すとおり、すべてに対する答えを持つ。
プルタルコスは、身体と魂、身体の医学と魂の医学という古い類比を再び取り上げ、医学のうちに倫理を溶解させ、道徳的なものを生物学のうちへと移し変える——そこで達成される首尾一貫性は、ジョゼフ・ド・メストルの確信をも勝ち得た——彼はこの論考に注釈を付した翻訳を提供している(注498)。実のところ、この論考の外見上のラプソディックな構成、医学への一見脈絡のない言及は、その体系的性格を隠している——「プルタルコスは医学の領域と語彙に完璧に精通している。彼は古代の道徳家たち一般と同様、魂の医学と身体の医学を比較することを好むが、その非常に絵画的な文体において、道徳的な語には道徳的な意味を残し、心理学を扱うときには具体的な語を用いるよう努めている」(骨子、注499)。
議論は無秩序に見えるが、医学的テーマは実は、問題系の重要な結節点に置かれた、一つの首尾一貫性の構成を担っている——それは表面的には随意的と見えるものの。〈なぜ神はかくも遅く来るのか〉。『神罰の遅延について』は一つの神義論であり、プラトンが告発した、あの悲劇的思考のスキャンダル——悪しき、支離滅裂な神々の存在——を閉じようとするものである。プルタルコスはこの推論を、まさにエウリピデスの一句から始める:「神性はゆっくりとやって来る——それが神的なるものの本性だから」(骨子、注501)。セネカ『パイドラ』でもヒッポリュトスがパイドラの言葉に叫ぶ——「偉大な神々の支配者よ、かくも悠然と罪を聞き、かくも悠然とそれを見るとは!」(骨子)。理解するには、『神罰の遅延について』から一連の例を取り上げねばならない——神は療法の技師(テクニシャン・ドゥ・ラ・テラピー)であり、カイロスを知る;神は治癒不能な魂と治癒可能な魂を知る;人間は変容(メタボライ)を受けやすい;偉大な自然は自らの拠り所を見出すのに時間を要する(農夫と土壌の比喩、成熟=マチュラシオンの主題);神は悪意を罰するために人間を用いることがある——不浄な動物(ハイエナの胆、アザラシの凝乳)にも治癒力があるように;苦しみの〈延期(アナボレー・ティモーリアス)〉は存在するか——この語は医学的登録簿に属する。読解ノート(六・その十)で、これらの主題を詳細に検討する。
五、次の単位
プルタルコス『神罰の遅延について』の医学的アナロジー体系の詳細な検討——「延期」の概念、成熟の主題、そして最終的にこの論考が示す「医学はすべてに答える」というテーゼの吟味へ。読解ノート(六・その十)で扱う。これをもって第Ⅲ章「ストア主義と魂の病」は実質的に完了し、第Ⅳ章「悲劇と魂の病」(メデイア論、ヘラクレス論)へ向かう見通しが開かれる。
第Ⅲ章 プルタルコス『神罰の遅延について』——医学的アナロジーの交響、「プルタルコスの生物学的思考」、そして第Ⅲ章の総括(第Ⅲ章完)
〇、伝染とディアドシスの回帰——プルタルコスの「近代性」(頁358–360)
プルタルコスはまず罰と罪の共時性(コネサンス)の問題を立てる——プラトンのように、罰は不正義に続く苦しみだと考えるべきではなく、罰と不正義は同じ根から同時に生じると語るべきだ、と(554A)。カンタリス(甲虫)が自らの解毒剤を持つという例、セリュンブリアのヘロディコス——不治の肺の病を負いながら体操と医療を組み合わせた治療法を考案し、プラトンによれば「死を長引かせただけ」だったという(554C)——などの同時性のパラダイムが示される。ヘロディコスは「長患いの医師」として知られ、アリストテレスに悪評を買った(既出頁93、テミソン以前の「慢性病」の発明者として提案した、と自己参照)——アリストテレス曰く「身体の徳とは健康であり、それは病むことなく身体を用いうる力にある——ヘロディコスのような人間の健康を羨む者はいない、なぜなら彼らはあらゆる、あるいはほとんどの人間的快楽を断たねばならなかったから」(骨子)。
だがこの医学的トポスはより悲劇的なもう一つの問い——刑罰の子孫への反響(レヴェルシビリテ)——によって複雑化する:「エウリピデスは、親の過ちをその子孫に転嫁すると神々を非難する」(556E)。ここでディアドシスが再び姿を現す——ペストとの対比のうちで。プルタルコスは伝染(コンタジオン)のパラダイムを用い、時間と空間のアナロジーを提案する:「なぜわれわれは、労咳や水腫で死んだ者の子どもたちに、遺体が焼かれるまで足を水に浸して座っているよう命じるのか」(骨子、558D)——病がその者たちに達するのを防ぐと信じられているから。他の力もまた接触(ハファイ)と拡散(ディアドセイス)の能力を持ち、互いに伝わる。だが驚くべきはそれが空間ではなく時間のうちで起こること——「エチオピアで生まれた病がアテナイを侵しペリクレスを殺す一方、デルポイ人とシュバリス人の堕落ゆえに、罰が彼らの子どもたちの上に移り落ちるのを見るのは、いっそう驚くべきことだ」(558E-F)。もしルクレティウス第Ⅵ巻のペストについて先に書いたことを想起すれば、ここに再びディアドシスの概念——閉じた有機体の内部での循環を説明する概念——を見出すことに驚きはしない。ペストと伝染は歴史に属する現象である——伝染の記述の〈創始者〉は歴史家であって医師ではない、というわれわれの既述のとおり。
ヴェルニエール夫人は、プルタルコスが遺伝的処罰というこの陳腐な教義をどう擁護しうるのか、と問う——いずれにせよ、それはここでは挿話的なものにすぎない、と彼女は言う。実のところ遺伝性という古い教義は、プルタルコスが擁護する意識を持つ点で興味深い——なぜなら彼はそれを、われわれの関心を引く近代的で歴史的な観念、すなわち接触感染(コンタージュ)とディアドシスの観念によって擁護しようとするからだ。彼が提案する予防法は迷信に満ちているが、ディアドシスの概念は完全に〈科学的〉な外見を持つ。ブロックとしての時間、ブロックとしての空間のうちで、接触感染の循環は考えうるものでなければならない。そしてヴェルニエール夫人の考えとは反対に、この教義は挿話的ではなく、われわれが〈プルタルコスの生物学的思考〉と呼ぶものの一貫性に寄与している。
一、都市=有機体のアナロジーと terrain の遺伝的適用(頁360–362)
プルタルコスは都市と家族の集団的責任を主張することでこの議論を続ける。都市は一つの塊、単一体(シュネケス)である——動物のように、自分自身から逸脱することなく(ウーク・エクシスタメノン・アウトゥー)、年齢に応じた変様(メタボライ)のうちにありながら、常に自分自身と一致し親和的(シュンパテス・アエイ・カイ・オイケイオン・アウトー)である(559A)。かくて都市は自らと同一のまま留まる部分の総和を超える一つの全体、一つの生きものである。われわれが個体について言うように、それは常に自分自身である。われわれは生の連続する諸年齢すべてにおいて一なる同一人物を認識する(既出セネカ書簡121との呼応、注521)。個体自身は自らの家族と有機的な共感(サンパティー・オルガニック)のうちにある。家族は一つの自然の創造であり、人工物(アルテファクト)ではない。この観念もまた重要である。先祖は末裔のうちに延び広がる——父が子のうちにあるように。父は自身の作品の職人ではなく、彼自身の一部分が、彼のうちで続いていく(559D):「それは彼から出るが、彼によって作られたのではない」。ゆえに、犯罪者の息子たちが、彼らの父親の支配的な性質を——それが遊休で錆びついたものとしてではなく、彼らの生の日々の活発な原理と滋養として——自らのうちに根づかせて保つとしても、それを罰し、その父の運命を分かち合うことに何のスキャンダルもない(559E)。
この分析、あるいはむしろわれわれが名づけるとおりこの同一化は、倫理的なものと生物学的なもの、道徳的なものと医学的なものの同定を許す——有用(クレーシモン)と正しい(ディカイオン)の適合を。技巧(テクネー)の主題もそこに合流する。腰の痛みに親指を焼灼したり、腓の腱の軟化に牛の角の先を焼いたりすることを不正義とは言えない(骨子、561A)。刑罰は悪徳の治癒を目指す。「悪徳のうちに別の正義を求める者は、われわれのうちの或る者たちを治療しながら他の者たちに薬を適用するのを見て憤慨するようなものだ……それは目先の知覚を超えて何も見ないことになるだろう」(骨子、561A)。一つの肢体から別の肢体へだけでなく、一つの魂から別の魂へも、ある種の性向(カコーセイス)——病的あるいは治療的な過程——が伝わりうる。これは魂の生存を前提する。この前提は受け入れられている(561A-B)。プルタルコスはビオン・ド・ボリュステネスの異論に応える——神が犯罪者の子や孫を罰するのは、息子や孫が病んでいるときに父や祖父に薬を与える医師よりも滑稽だ、という異論に対し、アナロジーはそこまで及ばない、というのがビオンの限界であり、〈テラン(体質)〉の遺伝こそがこの子どもの治療を正当化する(561D:エピテーデイオース・エコンタ・プロス・テーン・アウテーン・ノソン——「同じ病に向けて適性を持つ」)。子どもは同じ病へ向けて配置されている——「これは馬鹿げたことでも、われわれの側の不合理でもなく一つの必要である——てんかん患者・黒胆汁質の者・痛風の者の子どもたちに、体操・レジーム・薬を処方するのは、彼らが病んでいるからではなく、病むことを避けるためである、それはむしろ大いに有用なことだ」(骨子、561E)。
神のみが診断(ディオラン、ディアイスタネスタイ)をなしうる——人間とは異なり動物は悪を隠し善を装う力を持たないから、われわれは欺かれる:「悪の生得のしるし(エンゲネー・ケーリダ・テース・カキアス)」——〈ナエウス(母斑・あざ)〉のようなものが生じる(562A、注532:ケーリスは医学用語、と付記)。「悪しき者たちの各々は、悪の萌芽を同時に、すべて一度に生じさせ露わにするのではなく、各人は始めから悪を内に持ちながら、それを機会と力に応じて用いるのみである」——盗人は盗む力を得たときに盗み、僭主的な者は不正を犯す力を得たときに不正を犯す。だが神は各人のディアテーゼと自然本性を知らないことはない——魂については身体以上に、それを覚知する用意ができているのだから(562C)。神は怒りや憎しみによってではなく〈医療のために(イアトレイアス・ヘネカ)〉罰する——ちょうどてんかんが発症する前に抑えるように(562D)。神は状態(ヘクシス)とディアテーゼが不正義そのものより先に来ることを知っている——悪は力と機会に達したときに大きくなり露わになる。神はまた、時に自由を放置するほうがよい者もいれば、その企てを未然に止めるべき者もいることを知っている(562E):「同様に、ある患者には効かず他の患者に効く薬もあり、病んでいない者に用いれば、病んでいる者に劣らず危険なこともある」(骨子、562E)。プルタルコスは結論する:「父親の性質を慈しみ再生産する者は皆、正義がその者を、悪徳のうちにおいても、その素性の同一性のゆえに追跡し罰する——それはあたかも疣(イボ)や黒子(ホクロ)のようなものだ」(563A)。
二、「プルタルコスの生物学的思考」——七項目の総括(頁363–364)
これほど長く医学への言及、そしてわれわれが漠然たる名で〈生物学〉と呼びうるものへの言及を辿ってきたのは、医学の召喚がラプソディックなものではなく、むしろ交響的だと一般に言われるとおり、一つの首尾一貫性を打ち立てているとわれわれには思われたからである。医学はプルタルコスにとって完璧なパラダイムとして機能する;それは一つの首尾一貫性——類推的推論の恒常性——を打ち立てることを可能にする;類推はしばしば同一化にまで還元される(かくて個体は家族に対して、家族は都市に対するのと同じ関係にある——すなわち全体対部分の関係、時間と空間等々のアナロジー)。ピジョーはプルタルコスの「生物学的思考」の一貫性を構成する七つの要素を挙げる:
- 有機的全体性の観念——一個の生きものとして構想される;
- 自然な創造という観念——人工物とは異なり、これが遺伝を基礎づける;
- 技術(テクネー)の価値づけ——技術者だけがその技術に通じ、素人に説明する義務を負わない。技術と生きた有機的全体性の観念は組み合わさりうる——親指を治療して頭を癒すことは、技術的知識と有機体の共感(サンパティー)を同時に前提とする;
- 伝染の観念——本質的である。ヴェルニエール夫人はプルタルコスが刑罰の可逆性という考えとともに古拙な思考へ回帰することを嘆くが、これは誤りである——プルタルコスは伝染とディアドシスの観念とともに、近代的である印象を確かに持っているのだから;
- 時間と持続の構想——カイロスは技術の事実であり、これはヒポクラテスとソフィストたち以来知られている。重要なのは成熟(マチュラシオン)の観念である;
行為とは端緒ではなく開花(エパヌイスマン)である。無辜の者とはおそらく、自らを知らぬ、あるいは他人には知られていないが神には知られている、一人の罪人にほかならない。
三、幾つかの補足的考察——ストア的要素とプルタルコス独自の要素の腑分け(頁364–366)
全体性の観念はストア的観念である——たとえばヘクシスのストア的構想は、サンバースキーの言うとおり最も高度な構造の型である。「ヘクシスの諸要素は単に局所的な要素ではなく、互いに浸透し合い、残りの存在に浸透する物理的な性質から成る全体を創り出す」;「ヘクシスは最も複雑な構造の型を代表する——個々の成員と全体のあいだのある種の伝達(ディアドセ)を証示する実体である」——身体的ヘクシスと道徳的ヘクシスがある——「徳の相互依存はストア的倫理学の基礎的想定の一つである」(骨子、注546、547)。道徳的ヘクシスのモデルは明らかにクラーシス・ディ・ホローン——全体を貫く混合——であり、実体の同一性が保たれる完全な混合を意味する。海に落ちた一滴のワインも、それゆえワインの滴としての自己同一性を失うことなく、海全体の総体と混じり合う。成熟としての行為という観念もまたストア的である——既にセネカと書簡121について語ったとおり。自然な創造と人工物の相違もストア的である——種子的火(フー・アルティスト)とロゴス・スペルマティコスを思えば。だがプルタルコスがそこから引き出す首尾一貫性は、何らストア的なものではない。実は、ストア派はその神義論において生理学的モデルを用いず、論理的・物理的モデルのみを用いた。善悪の問題について、ストア派は結局のところ一つの組み合わせ論(コンビナトワール)で満足したのであり、これこそがプルタルコスが彼らに向ける非難である——彼はクリュシッポスの世界全体の経済(エコノミー)による正当化を批判する(注548)。
D・バビュが指摘するとおり、プルタルコスの論証はやや弱い——「この、不幸にも孤立し過度に簡潔なテクストが、クリュシッポスの立場を確実に理解させてくれないのは残念である」。プルタルコスが伝えるクリュシッポスの引用は三つの正当化の可能性を示す:(一)大邸宅の管理につきものの避けがたい怠慢;(二)摂理から委ねられた職務を十分に果たさない悪しき鬼霊たちの行為;(三)必然……。D・バビュはプルタルコスの悪意を疑う——彼はクリュシッポスの興味深い文脈を除去しているのではないか、と(注549、550)。プルタルコスが伝える論理的議論——「悪を除去することは不可能であり、それがなければよいというのも良くない」——を、プルタルコスは自らも準備しつつある自身の神義論に、他の弁神論の擁護者たちと連帯しつつ反映させているのかもしれない、とD・バビュは示唆する(注551、552)。われわれはむしろ別の説明を提案したい——ストア主義への彼の対立は、結局のところ、〈調和(ハルモニー)〉に対する〈生理学〉の対立ではないか、と。確かに世界はストア派によって一つのゾーオンと見なされるが、プラトン主義者ラムプリアス(『顔について』928c)がなすように、解剖学までは踏み込まない——プルタルコスは『顔について』で驚くべき身体生理学的宇宙像を描く(骨子):太陽と星々は理性の支配のもとで眼のように、光の担い手として世界の顔に嵌め込まれている;太陽は心臓の力で万物へ血のごとく熱と光を送り出す;地と海は世界にとって腹と膀胱のように奉仕する;月は太陽と地のあいだで、心臓と腹あるいは何か柔らかい内臓——肝臓——のように置かれている;上から熱を伝え、下からの蒸気を一種の煮沸(コクション)によって濾過する。これは世界についての生理学的な夢想であり、われわれの見るところこれが最初の例であり、この種の夢想は非常に稀である。ビシャがこの生理学的モデルの宇宙記述における不在を嘆いたのは、われわれの考えではまさにこの理由による(注554、555)。
四、テスペシオスの神話とプルタルコスの独自性(頁366–367)
『神罰の遅延について』の全体第一部が既に神話的であった——プルタルコスの生物学的思考の一貫性こそが神話であり、テスペシオスの神話は、神の役割を論証するための、さほど重要でない装飾的な結びにすぎない。プラトンの純粋な二元論——魂の病と身体の病を峻別する『国家』第X巻の枠組み——の直前に置かれるエルの神話とは対照的に、プルタルコスの体系は、医学的・生物学的な語彙を全レベルで用いる点で異なる。プルタルコスがストア的語彙を頻繁に用いるからといって、彼がストア主義に帰依しているとは意味しない;むしろ彼は確実にプラトン主義者であり、『国家』第X巻を模倣する。だがクリュシッポスは魂の病を身体の病に還元したことは決してない——プラトンは『国家』でそのような同一化をまさに拒んでいる。プルタルコスはあらゆるレベルで、すべてに答える医学的な実践と病因論を用いる。実のところ彼は一つの神話を構築しているのである。
五、第Ⅲ章の総括——クリュシッポス、キケロー、セネカ、そして無意識の発見(頁367–371)
ストア派の道徳と医学の関係、魂の病への反省の深さを示せたと願う。ストア派においては、情念の現象学的記述という観点から、病のモデルは真に有効に機能した。プロクリウィタスあるいはデクリウィタス、オポルトゥニタース(カイロス)、陳旧化と慢性性、発作と寛解、予防、衛生といった諸観念が、道徳性の問題系にとって豊饒であった。『怒りについて』でセネカは、道徳性の本質的問い——生物学的所与と道徳的自由の関係——に正面から取り組む。ストア派は、とりわけポセイドニオス以後、自然の所与の決定的な部分を認める。だがストア教説は、それが救わねばならない普遍的性格を持つ。エピクロスは単純に書く——「人はいかなる体質(ヘクシス)からも、いかなる民族からも賢者になるわけではない」(注563)。セネカが『怒りについて』で対決するのは、A・A・ロングが「ストア的人間行為論の決定論」と呼ぶものである——運命が生物学的所与、各人の気質であるとき。セネカがこの問題を解決したとは言わないが、彼はそれを立て、それをガレノスがのちにするように、生物学の根本問題として捉えた。衛生と食養生が道徳の一部であることをガレノスと同じく見通した(注565、566)。『ルキリウス宛書簡』でセネカは、魂の道徳のモデルとして医学を柔軟に用いる——道徳性を医学との同一化のうちに閉じ込めはしない。プルタルコスがあえて踏み込まなかった危険——プラトンもストア派も引き受けなかった危険——を冒したことをわれわれは重要と考えてきた。
ここで一歩退いて、この章が示す大筋を単純に要約したい。すべてはクリュシッポスの反プラトン主義的反動から始まる——魂と身体の対立を拒み、一貫した一元論的体系を組織する。情動性、感情性、思考は同じ起源、カルディア(心臓)を持つ。道徳性はそれゆえ二つの対立する力のあいだの対立と葛藤の言葉で考えられず、むしろ蓄積されるエネルギー、力の増大として考えられ、それはある閾を越えると物理法則に従う。クリュシッポスのもう一つの功績は、魂の病と身体の病のアナロジーを体系化したことである。彼が隠喩とアナロジーによって表現しようとするものは把握しがたい。これは魂の身体への還元の問題ではない——そう信じるのは誤解である。クリュシッポスは魂と身体を不可分な表裏として考えた——判断を持つときにはその生理学的発現をも持つ、ということを大まかに意味する。ティティラシオン、モルシュール、膨満、萎縮というこの情動性の全宇宙をクリュシッポスは見事に描いた——それらは判断の帰結ではなく、その物理的側面である。これは驚くべき考えだが、把握するのがきわめて困難である。他方、クリュシッポスのうちに、あるいは彼を伝える註釈者たちのうちに、二元論的言語が残存する——たとえばガレノスがクリュシッポスは魂の病が身体の病と完全に類似すると主張したと伝えるとき。クリュシッポスは決して魂の病を身体の病と同一視したことはない。すべての身体の病がイプソ・ファクト魂の病であるわけではなく、それは還元主義的な仮説だろう。だがクリュシッポスは、純粋に身体的な病のうちに、魂の病に適用しうる病のモデルを見出そうとする。実に、ガレノスの示すとおり、対称性は困難である——クリュシッポスが選ぶ身体の病のモデルは彷徨する熱病であり、その定義はまさに無秩序であることだから。ガレノスは、われわれが述べ繰り返したとおり、クリュシッポスが魂の健康の定義を与えられないと非難する——この魂を構成する成分を与える術を持たないから。だがガレノスは健康を、構成する諸要素間の均衡という観念で考えており、それはクリュシッポスの構想には適合しない。クリュシッポスの健康は静的な均衡やクラーズ「化学的」なそれに基づくのではなく、行為における規範に基づく——その困難はクリュシッポス自身とセネカの『怒りについて』のうちにわれわれが見たとおりである。
キケローは、魂の病の歴史において重要な位置を占める——彼の思想が独創的であれ独創的でないにせよ、それは彼自身である。『トゥスクルム』を通じて彼が思想史に及ぼした決定的な影響ゆえに。『トゥスクルム』は、魂の病をクリュシッポス的モデルなしに考えることがもはやできないことを示している——これは確立された獲得物であり、『倫敦匿名者』がそれをはっきりと言い、ソラノスあるいはカエリウスがマニーと恐水病の議論において示すとおりである。だがキケローが、それが心の傾向によるものであれ気質の問題であるにせよ、根本的に二元論者であることは、われわれが指摘したとおりである。彼は魂と身体の対立、そしてガレノスがのちに言うところの〈古い人間についての言説〉の真理を信じる。ところで、クリュシッポスを二元論者として読むことができる。判断とその物理的発現が時間のうちで結びついている(生理学的徴候が判断の帰結であって、不可分な表裏ではない)と考えさえすればよい。だが事が複雑になるのは、いかにして合理的なものが生理学的なものに作用しうるかを説明しようとするときである——判断と意志がいかにして生物学的所与を変様しうるか。この点についてキケローは自らの意志への信を主張するだけで満足せざるをえない。われわれの考えでは、彼はここでポセイドニオスの偉大な教えを軽視している。アパメイアの哲学者は、それ自身二元論者でありながら、ヒポクラテスとアリストテレスの双方に着想を得て、習慣(アビチュード)——心身相関的過程の最たるもの——の価値を認めていた。魂に働きかけることは、持続のうちで、調教(ドレサージュ)によって身体を通じて行われうる。これがわれわれがポセイドニオス的プレメディタチオーに与えた意味である。われわれの考えでは、キケローは生理学を好まない——生物学的な考慮への一種の反発を持つ。これはセネカについては真ではない——おそらく彼の健康と気質ゆえの理由による。
セネカのうちに二つの側面を見た——『怒りについて』と『ルキリウス宛書簡』において。それは魂の病への省察へのセネカの唯一の寄与ではない——『メデイア』と『ヘラクレス』によってわれわれはそれを見ることになる、そして『心の平静について』によっても。キケローとの関係で言えば、『怒りについて』はクリュシッポスの動的な一元論への回帰を代表する。だが他方、セネカは生物学的所与と道徳の関係、予防学・食養生・自由の問題を立てる。この問題については既にルクレティウス第Ⅲ巻で語った。真実を言えば、その起源は『ティマイオス』にある——プラトンが身体の状態に続く魂の病を反省し(86B)、身体を養う配慮について反省するとき(88B以下)。『ティマイオス』を読めばよい——ガレノスがそうするように——そのとき魂の病は身体の状態の産物であり、本質的にレジームによって働きかけねばならない。だが生物学的決定論と判断を接ぎ合わせることは難しい。情念とは意志の譲歩から生まれる衝動である。それは複合的な存在(コンポジトゥス・エト・プルーラ・コンティネンス)である。だがセネカにおいてわれわれの興味を引いたのは、情念に先立つ潜伏の時間である——われわれが他に倣って名づけたプロパテイアである。この概念は情動性を感情性から切り離すことを許すだけでなく、まったく注目すべき無意識の仮説を記述することを許す。われわれのうちには意識に常に昇るわけではない一つの生がある——それは必ずしも有用でもない、そこに迷い込む危険があるから。だが大いなる警戒を働かせねばならない——救いは意識の受容あるいは施錠、すなわち意志の肯定にあると知る限りにおいて。
六、次の単位——第Ⅳ章「悲劇と魂の病」へ
第Ⅲ章「ストア主義と魂の病」(頁243–371)はここに完結する。頁373は第Ⅳ章「悲劇と魂の病(Tragique et maladie de l'âme)」の扉である。ピジョーが繰り返し予告してきたとおり、この章ではメデイアと二つの『ヘラクレス』悲劇(『狂えるヘラクレス』『オイタ山上のヘラクレス』)を中心に、セネカにおける情念の一元論的力学が悲劇の宇宙のうちでどう展開されるかが検討される。既に本ノート群で繰り返し伏線が張られてきた主題——賢者の狂気(六・その六)、意識の場の外なる自己(六・その七、ヘラクレス「これだけが私のものだ」)、キケローの「アタマース・アルクマイオーン・アイアース・オレステース」という furor の範例群(六・その二)、そしてメデイアの「臓腑」をめぐる補注の孫引き問題(読解案内・二の既出予告)——がいよいよ本格的に展開される。読解ノート(七・その一)で扱う。
第Ⅳ章 悲劇と魂の病——「メデイアの臓腑」、キケローの二節の三段論法の起源、そしてクリュシッポス対ガレノスの大論争
〇、第Ⅳ章の開幕——なぜメデイアとヘラクレスか(頁373–374)
ピジョーは章の冒頭で明言する:魂の病について反省しながら悲劇を措くことはできない。われわれは常に悲劇と医学の関係に関心を持ち続けてきた。だがここでは二つの悲劇的物語、メデイアとヘラクレスのそれに限定したい——前者は、われわれの幸運にも、クリュシッポスが魂の病、すなわち情念についての反省の糧としたものであり、それは医師=哲学者たるガレノスにおける美しい論争を生んだから。後者は、ストア主義の哲学者セネカによる二つの卓越した悲劇によって扱われているから。この二つの物語はまったく範例的であり、それぞれが首尾一貫した一つの伝統を提示する。われわれは前者を〈メデイアの臓腑〉と呼んできた——というのも〈メガロスプランクニア〉という語はやや衒学的に見えかねないから、これはエウリピデスの用語であるにせよ(v.109)。
一、新項「メデイアの臓腑」——医学語彙とストア的隠喩(頁374–376)
プルタルコスのある論考への近年の校訂者の注記を引く(骨子):「プルタルコスは医学の言語に完璧に精通している。彼は古代のモラリスト一般と同様、魂の医学を身体の医学に比較することを好むが、その非常に絵画的な文体において、道徳的な語には道徳的な意味を残し、心理学を扱うときには具体的な語を用いるよう努める」(注1)。実に、この医学と道徳の比較は根本的である。われわれのテーゼは、この常套句(リュー・コミュン)とその存在理由を明るみに出す一つの試みにほかならない。古代倫理学の核心的問題が魂と身体の関係を軸に回転すること、それが医師とモラリストのあいだの対話を強いることは、〈トゥスクルム〉に捧げた章ののちには、いっそう明白であろう。魂の病について反省しつつ悲劇を措くことはできない、というのが繰り返しの主張である。
ここで描きたいのは、メデイアの臓腑をめぐる魅惑的な歴史である。エウリピデスからセネカへ、クリュシッポスを経由しつつ、メデイアという人物には一つの恒常性がある——メデイアの身体という問題をめぐって。要約すればこうなるだろう:メデイアが自らの子どもたちを殺すというあの恐ろしい決断に、生物学的所与はどこまで介入するのか。それは魂の病なのか、身体の病なのか。これがわれわれの言う〈メデイアの臓腑〉が提起する問いである。ディオゲネス・ラエルティオスは、クリュシッポスがエウリピデスの『メデイア』をほぼ丸ごと書き写した、あるいはそれに近いことを伝える——誰かがその手書き原稿を手に、これは何かと尋ねた人に、〈これはクリュシッポスのメデイアだ〉と答えたという(注2:ボルヘス的な話への連想——同一にして別のメデイアを夢見る話、メナールの『キホーテ』の著者の逸話への言及)。クリュシッポスがエウリピデスをいかに読んだかを想像することは、ガレノスの『ヒポクラテスとプラトンの学説について』における議論を通じて可能であり——これがセネカの『メデイア』を幾分か照らし出す助けにもなろう、というのがわれわれの希望である。
二、エウリピデス『メデイア』1078–1080行——校訂史と解釈史の迷路(頁376–378)
いつもの流儀に従い、まず古代の論争から議論を始める。近年の研究には興味深いものもあるが、それらは伝統のうちにきちんと収まることが分かるだろう。エウリピデス『メデイア』の詩行のうち、おそらく古来もっとも注釈されてきたのが第1078–1080行である:
(骨子訳)「私は自分がなそうとしている悪がいかなるものか分かっている。だがテューモスは私のブーレウマタよりも強い——これこそが人間にとって最大の悪の原因である。」
カカとは何を意味するか。不幸か、罪か。テューモスとブーレウマタに、いかなる意味を与えるべきか。そして「マンタノー」——メリディエの言う「あえてなそうとする悪を私は感じる」という意味を与えるべきか。さしあたり擬似的な翻訳で満足しよう(骨子訳掲出のとおり、注5)。現代の自発的な解釈は、これ以外の意味を持ちえない——メデイアの情念が彼女の理性的意志に打ち勝った、という意味である。だがこれは不幸にもそれほど単純でも自明でもない。
最近の諸論文が紹介される:E・シュレジンガー——テューモスは既にヘラクレイトスとデモクリトスにおいて情念を意味していた、それは感傷的な情熱的生でも、プラトン的なテュモエイデースでもない、ブーレウマタはテューモスと対立しない——テューモスは心理学の技術用語ではなく活力(ヴィタリテ)を意味する(注6)。W・シャーデヴァルトはテューモスとブーレウマタに、心的なものの二つの両極的な対立する力を見出し、それらが交代しつつ人間の行為を決定すると考える。B・スネルはここに情念と理性の関係の反省を見出し、ソクラテスが徳を認識として捉える説へ到達しえた可能性を、メデイアの言葉との対比で論じる(注7、8)。絶望した人々の説(=校訂上二種のレダクションを想定する説)や、エウリピデスのユーモアを見る説を措けば、H・ディラーの解釈——ブーレウマタを〈計画〉と訳す説——に行き着く:クレイッソーンは「理性的な」の意味を持たず、クレイッソーンはむしろ「~の主人である」を意味する;「わがリビドー、わが計画の女主人」と訳すべきだ、という(注9–11)。この解釈はおそらく提案されたなかで最も陳腐なものだが、問題を解決しない(注12:フォルテンバウの、アリストテレスの二部分心理学の先行者としてのメデイアとパイドラの重要性を論じる論文にも言及)。
三、単一か二重か——古代の論争の枠組み(頁378–379)
問題は、テューモスとブーレウマタが情念と理性として対立するのか、あるいは対立する二つの秩序に属するのか、それとも結局は同じ本性の二つの力なのか、である。この問いは根本的である——魂の病の問題にとってわれわれが既に見たとおり。そしてわれわれには幸運にも、この点についての、一人の医師=哲学者の議論を持つ機会がある。クリュシッポスはテューモスとブーレウマタを同じ起源に属するものと考える;ガレノスはこれに反論しようとする——クリュシッポスが詩人たちと〈善良な人々〉を、情念の一元論的理論の保証人として選んだことを、烈しく批判しながら。誰もがストア派の隠喩への愛好を知っている——われわれは既に、クリュシッポスが情念の構想を与える、あの表現豊かな競走の比喩を十分に検討した(既出六・その三、注13)。
ガレノスが伝えるクリュシッポスの魂の定義を訳出する価値がある——それはわれわれに魂の定義を思い起こさせてくれるから:
まず幾つかの考察を。この教説は原初の諸公準に完全に合致する(注15)。ここで語彙がプラトン主義的であること、そしてそれがプラトンに反対する論拠になっていることに注意しよう。プラトン主義の語彙はクリュシッポスにとって都合が悪い——彼にはプラトン自身が数える以上に魂の部分が多いという利点を示す手段があるからだ。というのもストア的魂は一であり単一のブロックだからである。要するにこれらの部分は、単一にして同一の実体の諸性質にすぎず、それらに適用される対象に応じて異なる名を与えられているにすぎない——神が受け取るさまざまな名のように。
四、心臓=ヘーゲモニコン説をめぐる論争——医師と哲学者の対立(頁379)
多くの医師と哲学者を分かつこの困難な論争への言及こそが、われわれの第一の関心を引く。理性的な魂の座は、医師や哲学者が身体と魂の関係についてどう考えるかに応じた、気まぐれな単純な選択ではない(注16)。もし論争が単なる詭弁家たちの言葉遊びにすぎず、われわれの手にする擬ガレノス的な思想史の覚え書きのような文書に限られるなら、われわれの研究には何の興味もなかっただろう。だがクリュシッポスは、ガレノスの大いなる憤慨をよそに、プラトンの権威を、より多数の人々の権威に対して忘れている——彼によれば、大多数の人々は、思考が関わる情念(カタ・テーン・ディアノイアン・パテーン・ギグノメノーン)が胸郭の領域に、とりわけ心臓のある部位に生まれると感じている——悲しみ、怒り、そしてとりわけ欲望が、蒸気のように立ちのぼり(アナテュミオーメノウ)外へ広がって顔と手を襲い、われわれの外見そのものとなる、と:
クリュシッポスはこの一節を、翻訳しがたい語呂合わせで結ぶ——エムフュシス、エムファシスと。要するにクリュシッポスは、『神聖病論』の著者を批判する者たちと同じ流儀で推論する:〈心臓は、ある者たちが言うように、思考の中心であり、それによってわれわれは苦しみと憂いを覚える〉。医師の方は、逆に、思考する場所こそが感じる場所だ、と推論する(骨子)。
五、メガロスプランクニア——本章の核心概念(頁382–383)
われわれの見るところ本章の題目を正当化する最も美しい議論は、メデイアの〈メガロスプランクニア〉の問題である。民衆語法についての考察のうちで、クリュシッポスは〈アカルディオス〉という語を既に引いていた——大衆にとって魂の座が心臓にあることを示す語である;そしてこの語に〈アスプランクノス〉——臓腑なき、すなわち憐れみを持たない、という語を結びつけていた。だがクリュシッポスが挙げたのはメデイアの膨れ上がった臓腑ではないか、とガレノスは問う。乳母の台詞(v.108–110)が引かれる:
「膨れ上がった臓腑を持つ、鎮めがたい魂は、悪しきものに噛まれて、いったい何をしでかすのか。」
驚くべき一節! これをメリディエのように「心臓が高慢な」と訳せば、何も理解できなくなる危険を冒す、言葉を真剣に受け取らねば。メガロスプランクノスはヒポクラテス集成に見出される語である。『急性病摂生論』に現れ、そこでは一度、能動的な意味で使われる——臓腑、とりわけ脾臓と肝臓を膨れさせるワインを指して;そして二度、エウリピデスにおけるように、状態を記述する——臓腑の膨張という状態を指示し、これは重要なことに、苦い胆汁の存在に結びつけられうる(注34、35):「メリクラトン〔蜂蜜水〕は……苦い胆汁が優勢な者(ピクロコロイシ)で、臓腑が膨れている者(フォーン・タ・スプランクナ・ゴンフレ)には、あまり適さない……」。
これは、見てのとおり、生理学的な事実確認であり、〈心理学的〉な病因論も不可能ではない。われわれの理解では、たとえこれがヒポクラテスのテクストの誤読であっても——医学的伝統においては〈わが意を得たり〉となるであろう——それが魂と身体の関係についての反省、メランコリーにおける胆汁の存在との関連という文脈に位置することになる、既に見たとおり。メデイアのメガロスプランクニアは、彼女が三つの本質的臓腑——脳・心臓・肝臓——を見事に備えていることを意味する、とガレノスは言う。メデイアは三つの臓腑すべてを堅固に備えている。彼女は同時に、エピテュミアに最も傾き、テュミアに最も傾き、ロギザスタイに最も長けた者である(頁383)。この臓腑性がクリュシッポスを困らせたはずはないとわれわれは考える——それどころか、これこそがテューモスのこの不穏な貯えの、決定的で確固たる証明たるべきものだったのだ。それはカルディアの膨張であり、それがまさにテューモスの臓腑的性格、それが単数形で語られなかった証拠なのだ。
六、ガレノスの決定的批判——プラトン『国家』のレオンティオス(頁383–384)
ガレノスはクリュシッポスが情念(あるいはむしろ情念的行為)と判断の共通の起源を、クリュシッポスの視座から支持しうるとは理解しない。彼は『国家』第Ⅳ巻を参照する——彼にとってはこれが判断に対する情念の還元不可能性の決定的な例証であり、メデイアもまたそうだと言う——〈レオンティオス〉の逸話である:
常にメデイアの『メデイア』をめぐって、ガレノスがなす批判のうちに、彼が客観性の基準を実に見事な仕方で導入していることを心に留めるべきである。もし情念の還元不可能な特殊性を確立せず、情念を判断と同一視するなら、いかにしてクリュシッポスは、自分の子を救国のために犠牲にする母と、善のためだと思ってわが子を殺すメデイアとを区別するのか。前者は、他人にわが子を絞め殺させるか、あるいは自ら手にかける——ロギスモスによって善を表象しつつ、それを用いてなすのである。他方メデイアは、と言う——ロギスモスを明らかに追うことなく、しかもロギスモスをはっきりと意識しながら悪をなす用意をし、テューモスがブーレウマタより強いのだと言う(骨子)。ブルータスとメデイア、なんという悲劇の題材か! クリュシッポスにとって、走り・歩み・舞踏について十分に書いたとおり、正しい行為とは調律されたテューモスにほかならない。メデイアの膨れた臓腑から、すべてを覆し、すべてを運び去り、すべてを破滅させる奔流が湧き出る。存在のうちに暴力があるとすれば、それは体液の力学に属する——蓄積された潜勢力が、機会があれば一気に流れ出す——たとえば膿瘍が破裂するときのように、あるいは海が堤を破るときのように——内的葛藤から生じる暴力ではありえない(注42)。
七、二つの読解——一元論的悲劇と二元論的悲劇(頁384)
この長い論争は、エウリピデスの詩行に二つの可能な読解があることを改めて示させてくれる——ブーレウマタの推論とテューモスの情念とを対立させる二元論的読解、そして両者の起源を混同する一元論的読解。これらは偶然によるものではなく、既にエウリピデスのテクストのうちに含まれている。われわれは、一元論の、ストア的な悲劇と、パトス(情念)の悲劇——これはセネカの『メデイア』において見ることになる——があることを示していきたい。スタロビンスキーは『アイアス』についての章(『三つの狂気』)で、後代の解釈者たちが黒胆汁への言及に、それが導き誤らせる案内であるかのように悔やんだことを想起させる——黒い血が鼻と脇腹から流れ出る……黒胆汁の過剰か。「アイアースの錯乱はもはや存在しない」と彼は書く、「メランコリー的な精神異常の一事例——怒り、混乱……絶望的な自殺への傾向が知の予期に従って連鎖する——であるほかは」(注43、44)。
八、次の単位
頁385後段から新項「エウリピデス『メデイア』の病」。エウリピデスの作品において、初めて明確に、魂と身体の関係の問題が悲劇的行為の説明のうちに介入する——このテーマを詳細に検討するため、生理学に関わる語彙の重みを丁寧に跡づける、と予告される。第16行「今やすべてが敵となり、愛する者たちも病んでいる(ヌーン・デクスラ・パンタ、カイ・ノセイ・タ・フィルタタ)」から出発し、メデイアの病の記述が始まる。読解ノート(七・その二)で扱う。
第Ⅳ章続 「エウリピデス『メデイア』の病」——徴候のカタログ、サッポーとパラタクシスの詩学、そしてアポロニオスの神経
〇、新項の開幕——「メデイアは病んでいる。すべてが彼女には厭わしい」(頁385後段)
ピジョーは個人的な回想から新項を開く:われわれはかつて高等研究免状(メモワール・デテュード・シュペリウール)の形で、エウリピデスと『ヒッポクラテース集成』の関係を研究する機会を得た。以来この問題について反省することを止めたことがない。そして本項の主命題が宣言される:エウリピデスの作品において、魂と身体の関係の問題が悲劇的行為(アクシオン・トラジック)の説明のうちに明確に介入するのは、『メデイア』においてが最初である(注45)。これを明示するために細部にわたる検討を強いられることを許されたい、と(注46——悲劇一般の問題を立てるのではなく、身体が『メデイア』の悲劇的プラクシスの病因論にどう介入するかを見ることが問題)。
方法論の宣言が続く:生理学に関わる語彙の重要性は圧倒的な事実(アン・フェ・マシフ)である。これを知覚しうるのは、体系的であろうとし、そこに霊感の赴くままに翻訳可能な隠喩の源泉——文献学者たちにしばしば愛好される、ディオニュシオス・ハリカルナッセウスにとってそうであったような「非合理的感覚(アロゴス・アイステーシス)」による——を見ることを原則として拒む場合のみである(注47・48)。注47はまさにメリディエ訳の「メガロスプランクノス=高慢な心(クール・オータン)」を再び槍玉に挙げる——七・その一で見た「語を真剣に受け取ることを怠れば何も理解できない」という批判の反復である。
そして本項の主題文。メデイアは病んでいる。すべてが彼女には厭わしい(メデ・エ・マラード。トゥ・リュイ・エ・タン・ノルール)——第16行「今やすべてが敵となり、最も愛しいものらが病んでいる(ヌーン・デクスラ・パンタ、カイ・ノセイ・タ・フィルタタ)」。動詞ノセイン(病む)が愛の対象そのものに掛けられるこの詩行から、臨床記録の読解が始まる。
一、徴候のカタログ——乳母のプロローグを臨床記録として読む(頁386)
ピジョーは『メデイア』冒頭の乳母の台詞群から、病の徴候を臨床記録のように列挙してゆく。彼女は食を絶ち、身体を苦痛に委ねて臥している(ケイタイ・ダシトス、ソーム・ヒュフェイス・アルゲードシ)(v.24)。泣き止まない(v.25)。目を地に注いだまま(v.28)。「岩か海の波のように、彼女は励ます友たちの声を聞く」(v.29)——すなわち凝固し、聾している。子供たちが厭わしい(ステュゲイ・デ・パイダス)(v.36)。フレーンが重い(バレイア・ガル・フレーン)(v.38)。乳母は彼女が肝臓を剣で刺し貫いて自殺することを恐れる(v.40)。彼女は恐ろしい(デイネー・ガル)(v.44)。乳母は子供たちに、テューモスの悪しき状態にある(デュステュームーメネー)母に近づくなと命じる(v.91)。
メデイアは牡牛の目つきをしている(オンマ・タウルーメネーン)(v.92)——この表現はv.188のアポタウルータイで再び取り上げられ精密化される。彼女は胆汁を鎮めない(ウーデ・パウセタイ・コルー)(v.93–94)。乳母は再度子供たちに警告する:「あの野蛮なエートスと、自己に悦に入る(自己のうちに閉じた)フレーンの忌まわしい本性に気をつけよ」(v.103–104)。この昇りゆく雲がやがてより大きなテューモスの作用で燃え上がるのは明白だ——臓腑膨れ、鎮め難く、悪に噛まれたこの魂が何をしでかすか(v.106–110)——七・その一で詳論したメガロスプランクノスの三行が、ここで徴候カタログの掉尾に再帰する。
二、ヒッポクラテース的読解——『箴言』六・56と六・23、「古代風の診断」(頁386–387)
ピジョーは告白する:乳母が与えるこれらの徴候について可能なヒッポクラテース的読解に、われわれはかつて衝撃を受けた。胆汁の存在(v.94)はメランコリー的疾患の徴候として解釈しうる。『箴言』第6部56(注49・50):「メランコリー的疾患においては、(黒胆汁の)移動が次の類の疾患を恐れさせる:卒中、痙攣、狂気、失明……」——原文が引かれる:トイシ・メランコリコイシ・ヌーセーマシン・エス・タデ・エピキンデュノイ・ハイ・アポスケープシエス・エー・アポプレークシン・トゥー・ソーマトス、エー・スパスモン、エー・マニエーン、エー・テュフローシン・セーマイヌーシン。
メデイアの悲しみは同種の疾患を想わせる。『箴言』第6部23(注51):「恐怖あるいはテューモスの悪しき状態(デュステューミエー)が長く続くなら、それはメランコリー的である」(エーン・フォボス・エー・デュステューミエー・プーリュン・クロノン・ディアテレエー、メランコリコン・ト・トイウートン)。
虚脱状態と食の拒絶と全き沈黙の結合は、『流行病』第Ⅲ巻第6患者(注52・53)、エウリュアナクスの娘(処女)の病中の記述にある:「病人はこの間ずっと食物を摂らず、何一つ欲さなかった。渇きもなく、ほとんど飲まず、沈黙を守って一言も発しなかった。デュステューミエー。自己に絶望していた(アネルピストース・ヘオーテース・エイケン)」(リトレ訳修正)。
ピジョーは慎重に限定する:『ヒッポクラテース集成』には他にも多くの参照が見出されようが、完全な渉猟をする意図はない。重要なのはただ、メデイアの病の予後的徴候について医学的読解が可能だということである。重篤な発現——痙攣、狂気、癲癇——が予期されうる。暴力と譫妄が恐れられうる。そしてこの病を「諸メランコリー」のうちに分類することもできよう——先に引いた箴言の複数形を保存するなら、そして「古代風の診断(アン・ディアグノスティック・ア・ランティック)」に興じたいなら(頁387–388、注57)。この最後の自己諧謔的な限定(「s'amuser」)は重要である——ピジョーは遡及診断(レトロスペクティヴ・ダイアグノーシス)の陥穽を十分に自覚した上で、あくまでエウリピデスのテクスト自身が医学的記号論を織り込んでいることの論証に徹している。
三、まなざしの記号学——牡牛の目、オンマトス・トラソス、『神聖病論』(頁387)
まなざしもまたきわめて不穏な徴候である。まなざしの大胆さ(オンマトス・トラソス)は譫妄の徴候であり、目を長く開けていられぬこと、あるいは瞼が折れ返ること(エルリプシスとカタクラシス)も同様(注54——『流行病』第Ⅵ巻1.15)。牡牛の目つきとは、たとえば『神聖病論』第7章に記述される眼の歪みである:タ・オンマタ・ディアストレフォンタイ……ホイ・オフタルモイ・ディアストレフォンタイ(注55・56)。
四、カルディアーの吐き気——第245行のアセーと『流行病』第Ⅶ巻10(頁388)
胆汁はv.98–99で再度明確化される:「母は心臓(クラディアー)を動かし、胆汁(コロス)を動かす」(メーテール・キネイ・クラディアーン、キネイ・デ・コロン)。これらはクリュシッポスを立ち止まらせたに違いない表現である。だがカルディアーと胆汁の観点からは、メデイア自身が発する別の一行、夫たちについての一般的格言がある。家で不快になると、夫は外に散歩に出る:「外へ出て、彼はカルディアーのアセー(吐き気)を止めに行く」(エクソー・モローン・エパウセ・カルディアーン・アセース)(v.245)。
この行にはv.432のマイノメナー(狂える女)、v.590のカルディアース・メガン・コロン(心臓の大いなる胆汁)を近づけるべきである。ピジョーは自らの直訳調を詫びつつ原則を再確認する:これらの訳の狙いは一つの術語の上に視線を止めることにある。繰り返すが、何よりもそれを漠然たる隠喩に変形しないことが重要なのだ。カルディアーのレベルでの、あるいはその周辺での吐き気は『ヒッポクラテース集成』に見出される。たとえば『流行病』第Ⅶ巻10(注58):患者は「カルディエーの辺りにアセーを」呈する(アセー・デ・ペリ・テーン・カルディエーン)。
五、サッポー——「西洋的感受性の歴史」の礎(頁388–390)
だがアセー(吐き気)について少し語らねばならない。そしてそうすることは、西洋的感受性の歴史(イストワール・ドゥ・ラ・サンシビリテ・オクシダンタル)のための若干の要素を与えることである——本書でも屈指の射程をもつ宣言である。この詩行への注でペイジ(注60——オックスフォード版『メデア』1938年の注解)はサッポーに送る。まさに彼女から、不快(マレーズ)の、官能的ディステュミー(ディステュミー・エロティック)の記述は来るのである。彼女こそが見事な断片1のうちで胸中のカルディアの動きを記述した者であり、アプロディーテー讃歌のうちで吐き気と、手短に言えば魂の苦痛と、テューモスとを結びつけた者である(注61・62):
「吐き気(アサイシ)と苦悩(オニアイシ)によって私のテューモスを打ち挫かないでください、女王よ(メー・マサイシ・メード・オニアイシ・ダムナ、ポトニア・テューモン)」(注62——オニアイシはアニアイのドーリス方言形)。
かくして感情と身体の関係を最初に据えたのはサッポーである——創始者にして、情念についてのわれわれの省察の源泉。カトゥッルスが模倣し(第51歌)、ロンサールが、その他多くの者が模倣した彼女。「嫉妬」についての詩、断片31(注63・64——注64はロンサール『エレーヌへのソネット』の一行「あなたが従姉妹のかたわらに座るのを見つめながら」をプレイヤード版から引く)。
ここでピジョーは現代の解釈史への痛烈な脱線を挿む。G・ドヴルーは断片31のサッポーの「発作」のうちに典型的な不安発作を、そしてサッポーが記述する状況のうちに彼女の真正のレスビアニスムの証拠を見たと信じた(注65——1970年の『クラシカル・クォータリー』論文)。かくしてサッポーの特異体質(イディオサンクラジー)がわれわれの感受性の起源にあることになろう。われわれはこの論文を、バンヴェニストの「思考のカテゴリーと言語のカテゴリー」(注66)と、レリュの『ソクラテスの悪霊』(注67)にしばしば近づける。これらの著者たちに従うなら、われわれの感受性は一つの特殊な、時に倒錯した感受性の反復的瞑想にすぎず、われわれが哲学するとき、われわれは一つの特殊で単独的な言語、ギリシア語のカテゴリーの上で理屈をこねているにすぎず、われわれが賢者であるとき、われわれは一人の幻覚者を模倣しているにすぎないことになる。これらの問いはたいへん興味深く、われわれの文化の起源についての健全な省察の機会を成す(注68)。——文面は慇懃だが、これが辛辣な反語であることは文脈から明白である(注68はバンヴェニストへのヴュイユマンの論理学的反駁を引いて、この種の言語相対主義の限界を示す)。
そしてルネ・ジラール。サッポーに立ち返り、愛する者を他者と共にいるところで見ることが彼女を捉えるこの障害を説明するには、R・ジラールの欲望の理論の方がどれほど照らすところが多いか。彼が美しい著書『世の初めから隠されていること』で表現するとおり(注69——グラッセ、1978年、p.362からの引用の骨子):「考えうる唯一の答えはこうだ——三角形的構造のうちで最後に来た者、真の第三者とは、人が考える者ではない。……真の第三者とは主体自身であり、彼が常に三角形的な仕方で欲望するのは、彼の欲望が先行する欲望の忠実な複製だからである」。欲望は性の差異とは何の関係もなく、その起源的三角形化(トリアンギュラシオン・オリジネール)に関わる。サッポーの不安を神経症や感受性のア・ノルマルな形態にすることは、重大な誤りである(頁389–390)。
六、「身体とは、私が私の魂とその変容を感じる場所である」——パラタクシスの理論(頁390)
本項の理論的頂点。エウテュミー(ウーテュミー)の概念に、不快と快適(マレーズとビヤン・ネーズ)の歴史を作ろうとする歴史家、神経叢のレベルに位置し、そこで二元論的言語のうちに魂と身体の噛み合い(アクロシャージュ)が感じ取られると思われるあの「言い難い何か(ジュ・ヌ・セ・コワ)」に関心を寄せる歴史家にとって、サッポーは本質的である。彼女はテューモスを吐き気と苦痛に結びつける。テューモスとは、こう言ってよければ、吐き気と苦痛のパラタクシス(並置)である。吐き気は苦痛の原因ではなく、苦痛も吐き気の原因ではない。それは直接与えられたもの、不可分なもの(アン・ドネ・イメディア、アンディヴィ)である。身体とは、私が私の魂とその変容(アヴァタール)を感じる場所である(ル・コール・エ・ル・リュー・ウ・ジュ・サン・モン・ナーム・エ・セ・ザヴァタール)。
われわれは『メデイア』のうちに医学を探しに来て、そこで抒情詩(リリスム)に出会った。これは一見驚くべきことにすぎず、この悲劇において何ら矛盾ではない。エウリピデスと共に、実際、魂と身体の関係の問題がより技術的な問題、すなわち道徳と医学の問題になろうとしていることが、すでに感じられるのである。
七、『神聖病論』のアセー——リトレ訳批判と論争的テクストとしての読解(頁390–391)
アセーには心理的含意を一切もたぬ単純な記述的用法の領域も存在する。『箴言』第5部61(注70・71):「もし女に、悪寒も熱もなく月経が欠け、そのうえ吐き気(アサイ)があるなら、彼女が身籠っていると考えよ」。
だが医師たちは情動性(アフェクティヴィテ)を知らぬわけではない。そして『神聖病論』における情動の重要性は、われわれの見るところ十分に強調されてこなかった。そこにはまさに悲しみ=吐き気の連合が見出される(注72——グレンゼマン版、VI L 388):「アニアータイ・デ・カイ・アサータイ……病人が悲しみと吐き気を覚えるのは、脳が習慣に反して冷えすぎ収縮するときである。これはフレグマ(粘液)の作用である」。
ここに翻訳批判が来る。リトレのように「悲しみと不安(トリステス・エ・アングワス)」と訳しても、グレンゼマンのように「ウンルスト・ウント・エーケル」と訳してもならない。アセーには「吐き気(ノゼ)」という生理学的意味を保持しなければならない。この語群については複数の解釈が可能である:(一)これは慣習的・常套的な語群であり、民衆の話し言葉あるいは詩(サッポー)から来る——可能である。(二)われわれが最も興味深いと考え、提案する解釈はこうだ:『神聖病論』は論争的テクストであり、情動をそこで感じるという口実でフレネス(横隔膜)のうちに思考を置く者たちを批判する。『神聖病論』の著者は、彼自身は、情動を脳に置く。彼は悲しみ=吐き気の連合を取り上げてそれを脳のうちに位置づけ、それを胆汁から引き剥がしてフレグマに与えるのである(注73——第一章p.29以下参照)。
八、エウリピデスの複数因果とキットー反駁——悲劇のプラクシスが結論する(頁391)
『メデイア』においてエウリピデスは複数の原因の秩序を開いたまま保持する:人種(メデイアは野蛮人)、性(メデイアは女)(注74)、特異な気質(彼女のメガロスプランクニア)、誘発因——プロファシスと言ってよかろう——(見捨てられた閨=生理学的反応、イアソーンの裏切り=心理学的反応)(注75)。彼は結論しない。彼に代わって結論するのはドラマである。エウリピデスにおいては悲劇的プラクシスが、それが提起する問題への解決を供給する。エウリピデスの悲劇はつねに、哲学的次元の問題を立てながら読むことができる。たとえば『メデイア』については:根本悪は可能か、あるいは悪はいかにして可能か。『バッコスの信女』については:良い狂気と悪い狂気はあるのか。そして結論するのは悲劇的プラクシスである:アガウエーが、陶酔を口元に、息子の首を戦利品のように振りかざす姿が、狂気は二重ではありえないことを示す。臨床的狂気があらゆる狂気の真実を開示するのである。これが、われわれの見るところ、知の根本問題——エウリピデスのような哲学者がいかにして表現手段として演劇を選んだのか——に答える唯一の仕方である。
キットー反駁。キットーはどこかで言う(注76):「医学はドラマではない(メディシン・イズ・ノー・ドラマ)」。この挑発的な断言には答えねばならない。もしキットーが、スタロバンスキーのように(注77——頁384参照、すなわち七・その一で見た『三つの狂気』批判)、医学的病因論の探求が悲劇的プラクシスの全体を説明しはしないと言いたいのなら——自明であり、われわれもあらゆる還元的読解と闘う。だがキットーは多くの点で間違っている。
九、クリュシッポスの力と弱さ——再論(頁391–392)
アセーの例に戻る。アセーとは悲しみ(シャグラン)に随伴する生理学的発現である。それはストア派の情念の分類学において、悲しみという類の一つの種となる(注78——SVF;リプタスモスは『ヒッポクラテース集成』の術語で、R・ジョリは「動揺(アジタシオン)」と訳す):リュペー・メタ・リプタスムー、「身悶えを伴う悲しみ」。動揺(アジタシオン)が吐き気に取って代わる。アセーは、起源から、情念の二重の面——判断と収縮、判断と膨張——を現働化する。クリュシッポスは、カルディアとアセーのこの両義的な——抒情的にして医学的な——用法を、その正当な価値において評価したに違いない。
そして七・その一の大論争の総括的再論。クリュシッポスの力と弱さは、解剖学と思考とを一つのものとして(アンサンブル・コム・アン)考えようと欲したことから来た。それは医師に、彼の解剖学に関心を持つ権利を与えるものだった。漠然たる隠喩的な心臓を用いるだけなら大目に見られたろう。情念と判断を統一すると主張しさえしなければ、情念の詩的言語を用いることを咎められはしなかったろう。彼の力は——逆説だが、ストア主義は逆説を維持する緊張なしにはストア主義ではなかろう——情念を有機的なものと理性との不可分なもの(アンディヴィ)として考えたこと、情念の動的理論(テオリー・ディナミック・ドゥ・ラ・パシオン)を構想したことである。彼の弱さは、やがて追い越される解剖学、すでに彼の時代のものですらなかったかもしれぬ解剖学に準拠したことである(注79——ソルムセンp.565:ストア説と解剖学の関係、すなわちストアの教説は神経の発見に後続するのか、という問題は「きわめてデリケート」)。解剖学を正当化するために詩人たちに送ること、それがガレノスを憤慨させる。だがこれは別様に解釈できる。クリュシッポスとは、詩的言説と生理学的言説を和解させようと欲する者である。彼は有機体の隠喩を真剣に受け取る。ガレノスにとっては——その企てはヒッポクラテースとプラトンを和解させることに向かう——解剖学がプラトンとその魂の三部分説を正当化する。情念についてのあらゆる言説は、ホメーロスのものであれエウリピデスのものであれ、直ちにこの格子に従って読解可能なのである。
十、アポロニオス『アルゴナウティカ』——メデイアの臓腑は細い神経になった(頁392–393)
伝統は続く。まさにメデイアという人物について、若い娘のアニアイ(苦悩)の生理学的説明が、イアソーンとの出会いの一目惚れの瞬間に、アポロニオス『アルゴナウティカ』第Ⅲ巻761行以下に見出されるのは偶然ではない(注80——ヴィアンはP.U.F.版の注で「この一節全体でアポロニオスはその生理学的知識をかなり無遠慮にひけらかしている」と評する)。五行のギリシア語が引かれ、訳される:「一滴の涙が憐れみによって彼女の目から流れた。そして絶え間なく、灼けつく苦痛が彼女を引き裂いた——皮膚を貫き、細い神経(イネス)のまわりを、そして項の最も低い神経(イニオン)の下にまで。倦むことなきエロースたちが横隔膜(プラピデス)に苦悶を突き立てるとき、苦しみが最も鋭く侵入するその場所に」(vv.761–765)。
F・ソルムセンは、この語彙とアレクサンドリア学派の研究との一致を見事に示した(注81)。アポロニオスがメデイアの恋の苦悶を描くとき、彼は情動をカルディエーに置く——これは詩の伝統に対応する。だがイナス(神経・腱)ないしイニオン(項)の使用にかけては、いかなる伝統も彼の語彙選択を導いてはいなかった。知覚における神経の役割を明るみに出したヘロフィロスとエラシストラトスは、神経が情動をも運ぶと考えさせたのか。苦しみの座——そして反対の欲望の座——は心臓から脳へ移されていたのか。イニオンは小脳における神経の局在への暗示なのか。詩は、とソルムセンは結論する、「われわれの技術者的好奇心を満足させるにはあまりに暗示的である。忘れてならないのは、詩人は言葉と戯れるのであり、詩句に取り込まれうるのは教説だけでなく経験の要素でもあるということだ」(注82)。
そして本項の掉尾、ピジョー自身の総括。この博識な詩について幾つかの指摘ができる。われわれはサッポーのアニアイを再び見出す。だが吐き気は消えた。それは感覚の生理学的過程に席を譲った。技術が詩に取って代わったのではない。技術は説明を供給したのだ。パラタクシスは因果関係に、注釈の記述に席を譲った。サッポーの「アサイシ、オニアイシ」の対は、「イナス、イニオン、アニアース」の対に席を譲った。胆汁は消えた、と思われる。それでもメランコリーの記憶は残っている——横隔膜への矢、棘の鋭い痛み(注83——『病気について』第Ⅱ巻=VII L 108:「精神の緊張」なる難病、患者は臓腑のうちに自分を刺す棘があるように感じる……およびわれわれのメランコリー研究における分析を参照)。だがそれは隠喩になったのである。医学が変わったのだ。メデイアの臓腑は細い神経になった(オン・ナ・シャンジェ・ドゥ・メドシーヌ。レ・ヴィセール・ドゥ・メデ・ソン・ドゥヴニュ・ドゥ・マンス・ネール)。
十一、次の単位
頁393末段からピジョーは橋を架ける:エウリピデスは、悲しみと吐き気の、ロゴスと胆汁の、身体と魂の、情念と理性のパラタクシスを、詩的にして医学的な参照をもつ言語を用いて維持しえた。そして興味深いのは、同じ時代に、やはりパラタクシスを維持する一つの医学が構成されつつあったことである——徴候のあいだで選択して因果の絆を打ち立てることをしない医学、そして、われわれが示したように、『流行病』第Ⅲ巻において、エートスが徴候として現れる医学が(頁393–394、注84——「病の見世物における人物としての病人の発見」)。頁394からは『流行病』第Ⅲ巻の症例(タソス島の「性格の悲しい」女=第11患者、ならびにガレノスがデュサニオスの語を注釈するキュジコスの双子の母=第14患者)、クリティアース断片、無月経と悲しみの因果をめぐるガレノスとヒッポクラテースの対比、そして「メデイアの臓腑性はヒステリーを想わせないか」という問い(パイドラーへの予告)が続く。読解ノート(七・その三)で扱う。
第Ⅳ章続 『流行病』第Ⅲ巻のエートス論——タソスの女、キュジコスの双子の母、そして「メデイアはヒステリーではないか」という問い
一、橋渡し——『流行病』第Ⅲ巻はパラタクシスを保持する医学である(頁393末)
七・その二の掉尾で見た「エウリピデスは……パラタクシスを維持しえた」という定式に、ピジョーはただちに同時代医学との並行を接ぐ。興味深いのは、同じ時代に、やはりパラタクシスを維持する一つの医学が構成されつつあったことである——徴候のあいだで選択して因果の絆を打ち立てることをしない医学、そして、われわれが既に示したように、『流行病』第Ⅲ巻において、エートスが徴候として現れる医学が(注84——「病の見世物における人物としての病人の発見」、『エクリチュールと医学的ヒッポクラテース』p.144以下を自己参照)。ここに謳われる「エートスが徴候として現れる」という定式は、性格そのものが病歴の一項目として記載されるという『流行病』第Ⅲ巻の特異性を指し、次段の症例群でただちに実演される。
二、第11患者——タソスの「デュサニオス」な女(頁394)
第11患者はとりわけ興味深い(注85)。「タソス島に、性格の悲しい女があり、動機ある悲しみの後に……」(エン・タソー・ギュネー・デュサニオス・エク・リュペース・メタ・プロファシオス)。この女は恐怖(フォボイ)、落胆(デュステューミエー)を呈した。彼女は譫妄し、卑猥な言葉を口走った(エーンクロミュデイ)。まどろみ、うずくまり、身を起こせなかった。多くを譫妄した(パレレゲン)。ついに全き明晰さを取り戻した(パンタ・カテンデイ)。
ピジョーはここで方法論的な問いを立てる:なぜこの性格の指標なのか。おそらくこう言えよう——素因となる地盤(テラン)があり、そのうえに二次的原因、彼女の悲しみが介入したのだが、それは純粋な捏造ではなかった。性格が主要な原因であろう。これは一つの可能な解釈である——解釈は一つに定まらないという限定が既にここで先取りされている。
三、ガレノスの語釈——デュサニオスとクリティアース、そして第14患者との比較(頁394)
ガレノスは「デュサニオス」の語を注釈する。「クリティアースによれば、デュサニオスとは、小さな事柄についても大きな事柄についても、他の人々より長く悲しみ憂鬱である者を言う」とガレノスは書く(注86・87——クリティアース断片42D、DK)。ガレノスはこの症例を、同じ『流行病』のうちの、双子を産んで無口だったキュジコスの女(14番目の患者)——スキュトローペー(塞ぎ込んだ)で、容易に説得されなかった(ウー・ペイトメネー)——に近づける。だがヒッポクラテースが月経の不在あるいは不十分な流出を記さなかったことに彼は驚く。というのもこの病は、月経が豊富であったことによって判じられたからである。ガレノスは原因の問題に関心を寄せ、悲しみのうちに、月経の不十分な流出の結果以上のものを見ない——『流行病』本文の記述の複雑さの方がはるかに勝る、とピジョーは注記する。
われわれが注目するのは、初めて、単純な一語によって、存在の一つの性質(ユヌ・カリテ・ドゥ・レートル)が措定されるということである。デュサニオスという語は稀な頻度の語ではない。医師が第14患者を形容するスキュトローポスという語も同様であり、ガレノスはこれをデュサニオスの同義語とする:シゴーサ・デ・カイ・スキュトローペー・カイ・ウー・ペイトメネー(沈黙し塞ぎ込んで、説得されない)。
四、悲劇語彙の医学への流入——σκυθρωπόςとπαρακοπὴ τῆς γνώμης(頁395)
本項第二の理論的核心。スキュトローポスはきわめて明確に悲劇の語彙に属する(注88——アイスキュロス『供養する女たち』738、エウリピデス『メデイア』271、『バッコスの信女』1252、『フェニキアの女たち』1333、『オレステース』1319、『ヘラクレスの子ら』1152、『アルケースティス』774・797、断片406)そして悲しみの身体的様相を指し示す。医師はこの点で悲劇作者たちの、魂と身体の関係についての探求から利益を得たのである。『流行病』第Ⅲ巻が悲劇の語彙を借用していると考えるのは正当である。われわれはスキュトローポスについてそう考えるし、Ⅲ巻17第5患者に見られるパラコペー・テース・グノーメース(判断力の錯乱)についてもそう考える——パラコペーの語だけは第7患者にも現れる(注89——アガメムノーンの罪について合唱隊が語る「タラーイナ・パラコパ」、『アガメムノーン』223を参照)。
五、悲劇と医学、開かれたままの解釈——ガレノスの因果論的越権とヒッポクラテースの禁欲(頁395)
かくして悲劇と医師の比較は、われわれが望みえた以上に深く助けとなりうる。もし悲劇が身体を、その深さと不透明さを発見するなら、医師はエートスと、それをそのセミオティクス(記号学)のうちで考慮に入れる必要性とを発見する。そして『メデイア』において、医師も悲劇作者と同じく、解釈を開いたまま維持する——七・その二で見た「エウリピデスは結論しない、結論するのはドラマである」という定式の医学版がここに反復される。
だがここに重要な限定が加わる。われわれが引用する『流行病』を因果性の言葉に翻訳するのはガレノスである。月経の抑止を悲しみに結びつけるのはガレノスである。ヒッポクラテースはそれについて何もしていない。無月経は陰鬱な様相と同じ一つの徴候(サン)にすぎないのである。——これは本ノート群にとって重要な方法的確認である。パラタクシスを因果へ翻訳する身振りは、ヒッポクラテース自身にではなく、常にその後代の注釈者(ここではガレノス)に帰せられる。七・その二で見た「アポロニオスがパラタクシスを因果に置き換えた」動きと、ここで「ガレノスが徴候の並置を因果に置き換える」動きとは、構造上まったく同型である。
六、「メデイアの臓腑性はヒステリーを想わせないか」——パイドラーへの一瞥(頁395)
本節の最も鋭い問いが、ほとんど脱線のように挿まれる。だがメデイアのこの臓腑性(ヴィセラリテ)は、われわれにヒステリーを想わせないだろうか。セネカのメデイアはこの点でより明瞭である、後に見るとおり。エウリピデスがこれについて反省するのはパイドラーとともにである、われわれが既に示したように(注90——『エウリピデスと自己認識』、レテュード・クラシック誌、1976年):「もし言うべきでない病に苦しんでいるのなら、ここに慰めるための女たちがいます」と乳母は言う。「もし明かせる出来事なら、話しなさい、あなたの病状が医師たちに伝えられるように」(注91——『ヒッポリュトス』293–296行、メリディエ訳)。
この一節は問いを開いたまま留め置かれる——「ヒステリー」という近代的診断名を古代テクストへ遡及的に貼り付けることの当否こそが問題なのであり、ピジョーはここで結論を急がず、セネカ論(次項)とパイドラー論(後段)への予告に留めている。
七、『女の病』の一節——女性的自己知は「時と経験の被造物」である(頁395–396)
最後にピジョーが「ぜひ引用したい」と記す美しいヒッポクラテース的一節、『女の病』からの抜粋(注92):「女たちには、月経の経験によって病の実際を得るまで、そして年齢がより進むまで、自分が何に苦しんでいるかを自分自身で知らない時期がある。そのとき必然(ネセシテ)と時間(タン)が彼女らに病の原因を教える。そして、自分が何に苦しんでいるかを知らない病人たちにおいては、病が治癒し難くなってから、医師の意表を突く場合がある。医師は病人に問診する時間を得なかったからである。実際、彼女らには話す羞じらい(プデュール・ア・パルレ)がある、もし知っていても、そして彼女らに病が恥ずべきものと思われるなら、その無経験と無知のうちで。同時に医師たちも、女の病の原因について正確に問診することを怠り、あたかも男の病であるかのように治療して過ちを犯す……ただちに正確な問診を進めねばならない。女の病の治療は男の病のそれと大いに異なるからである」。
このテクストはまったく驚嘆すべきものである(注93)。医師は同時に女の本性とその心理(一つの道徳に結びついた)とに反省を向けている。女は自分の病について語る羞じらいを持ち、それを先験的に知らない。彼女らはそれを恥ずべきもの(アイスクロン)と見なし、その羞じらい(アイドース)は彼女女の教育によって刻み込まれた慎み(レゼルヴ)が、医師に語ることを妨げる。そして、きわめて重要かつ精妙なことに、必然(月経の到来など)と時間、すなわち持続・経験のみが、彼女に自らの本性を教える。女は自己自身についての知に定められている——女として、すなわち特定の個体として、持続と経験のうちに。彼女は時間の被造物(クレアテュール・デュ・タン)である。
八、エウリピデスとヒッポクラテース——文献学的謙抑(頁396)
本項を締めくくる方法的な自制の一句。この『ヒッポリュトス』のヒッポクラテース的テクストを近づけるとき、われわれは医師がエウリピデスを読んだと言おうとするのではない。だが彼の医学的技法が、彼をしてエウリピデスのそれである諸術語において、この深い反省へと導いたのである(注94)。——これは本項全体(七・その二・七・その三)を貫く方法的立場の最終確認である。詩と医学の一致は、影響関係(誰が誰を読んだか)としてではなく、同一の対象(女性身体・情念・エートス)に向けられた同時代的語彙の収斂として説明される。
九、次の単位——「セネカの『メデイア』」(頁396)
頁396なかばで新たな大項が開かれる:『メデイア』が悲劇作者と哲学者たちを魅了した技術的な問題は、アリストテレース『詩学』(注95)においてきわめて明確に定式化されている。メデイアは自分が何をしているかを知る人物である……。ここからピジョーはアリストテレースの「知りつつ行う(エイドタス・カイ・ギグノースコンタス)」概念、オウィディウス『変身物語』のvideo meliora proboque, deteriora sequorの一句、そしてクリュシッポス対ガレノスの臓腑対ロゴスの論争を回顧したうえで、「セネカの『メデイア』は、その外見のバロック性・膨張性にもかかわらず、逆説的にきわめて単純化的である。それはエウリピデスの悲劇をわずか六百詩行あまりに縮減する」という主命題へ向かう。これは第Ⅳ章の新たな主要区分であり、独立の読解単位として扱う。読解ノート(七・その四)で扱う。
第Ⅳ章続 「セネカの『メデイア』」——行為への移行、Medea fiam から Medea nunc sum へ、そして臓腑のありかをめぐる四つの仮説
〇、橋渡し——エウリピデスもまた「行為への移行」を語る(頁396中段–398)
七・その三末尾で見た「セネカの『メデイア』は……エウリピデスの悲劇をわずか六百詩行あまりに縮減する」という主命題に、ピジョーはまず一つの限定を加える。この長い論争(子殺しの決定がいつなされるか)はわれわれに次のことを再び言わせる:エウリピデスにおいても、しばしば言われるのとは逆に、子供たちを殺す決定、あるいは少なくともその告知は、すでに第792行になされている——テクナ・ガル・カタクテノー(子らを、私は殺すことになろう)。そしてエウリピデスにおいても、この瞬間から悲劇を行為への移行(アン・パッサージュ・ア・ラクト)の物語として見ることができる。セネカの悲劇全体は、この行為への移行とその必然性への長い準備であるように思われる。それは、行為の遂行に不可欠な一つの存在の水準へのアセンシオン(上昇)である。この存在の水準は、ストア的思考に即して言えば、一つの緊張(アン・エタ・ドゥ・タンシオン)の状態であり、そして行為とは、それまで拘束されていたエネルギーの、後戻りできない奔出(ラ・リュエ・イレメディアーブル)である。メデイアの行為は、あらゆる意味において、一つの破局(カタストロフ)である。悲劇の時間とは、一つの力の蓄積に必要な時間である(注96は既出のデュポン論文、注97は「上掲、頁395」の自己参照、注98はアリストテレスの用例、注99はオウィディウス『変身物語』7.20の「われは善きものを見て是とするが、悪しきものに従う(ウィデオ・メリオラ・プロボクェ、デテリオラ・セクォル)」)。
一、「メデイアの狂気」——身体的徴候とDe iraとの一致(頁398–399)
本節に見出しが与えられる:メデイアの狂気(ラ・フォリー・ドゥ・メデ)。まずメデイア自身の自己描写:「不確かで、正気を失い、狂った心で私はあらゆる方向に運ばれる(インケルタ、ウァエコルス、メンテ・ウァエサナ・フェロル・パルテス・イン・オムネス)」(v.123–124)。次いで乳母の観察——まさしく一人のマイナス(バッコスの巫女)のように:「狂気の徴表を顔に浮かべ、燃え立つ顔つき、深いところから呼吸を駆り立て、大声で叫び、豊かな涙で目を潤し、微笑む——あらゆる情動の見本を呈する(フローリス・オーレ・シグナ・リュムファティ・ゲレンス。フラッマータ・ファキエス;スピリトゥム・エクス・アルト・キタト、プロクラマト、オクロス・ウーベリ・フレートゥ・リガト、レニデト:オムニス・スペキメン・アッフェクトゥス・カピト)」(v.386–389)。顔の紅潮、深い呼吸、叫び、涙、感情とその表現の際限なき可動性——これが、『怒りについて』がわれわれに与える怒りと狂気の徴表と同じものである:「暗い額、荒々しい顔つき、性急な足取り、落ち着かない手、変わった顔色、頻繁で激しい溜め息……眼は燃え立ち輝き、顔全体に強い紅潮が広がり、心臓部(プラエコルディア)の深みから沸き立つ血が噴き出る」(注100——『怒りについて』I.1.3–4)。
二、乳母の予感——「彼女は自らに打ち勝つだろう(Se uincet)」(頁400–401)
乳母の一言、セ・ウィンケト(v.394)——「彼女は自らに打ち勝つだろう」——にピジョーは重要な限定を加える。乳母はもちろん、これから来る彼女の所業が過去の犯罪を凌駕するだろうと言おうとしているのである。しかしセ・ウィンケレという表現は、単に彼女が引き下がらないというだけでは済まぬ、あまりに強い意味を持つ。ここには、情念と理性の間の対立に何一つ負うところのない、自己自身に対する一つの勝利がある。ピジョーはこの点を、後段で扱う『狂えるヘラクレス』序幕の「セ・ウィンケレ」との比較のためにこそ、あえてここに留め置く。
三、フェリークス・インペトゥスへの合図——長い最終独白と四つのイウァト(頁401)
本項最大の劇的頂点。まさにこの視座からこそ、終幕の長い独白(v.893–977)の運動を賞賛せねばならない。セクエレ・フェリケム・インペトゥム(幸運な衝動に従え、v.895)は決定的な断絶として鳴り響く——情念の冒険のための「もやい綱を解く」合図である。あらゆる留保が解かれよ、あらゆる禁忌、あらゆる歯止めも:「あらゆる掟が退くがよい、恥じらいは追われて去るがよい(ファス・オムネ・ケダト、アベアト・エクスプルスス・プドル)」(v.900)、そして頂点:「今や私はメデイアだ(メデア・ヌンク・スム)」(v.910)。メデイアは、自らの力の頂点において、自らの怒りにおいて、自らの技において(クレウィト・インゲニウム・マリス——v.910)、叫ぶ:「私は弟の首を奪ったことを喜ぶ、その手足を切り刻んだことを喜ぶ、そして父から隠された宝を盗んだことを喜ぶ、娘たちに武器を取らせて老父を殺させたことを喜ぶ(イウァト……イウァト……イウァト……イウァト)」(v.911–914)。この四つのイウァト(喜び)の力! この昂揚、この歓喜(ヒラリタース)は不穏である。
だがただちに反転が来る。そのときメデイアは震えに襲われる:「恐怖が私の心臓を打ち、四肢は氷のように痺れ、胸は震えた(コル・ペプリト・ホロル、メンブラ・トルペスクント・ゲル・ペクトゥスクェ・トレミト)」(v.926)。彼女はこの行為の考えに恐怖を覚える。だがこれは理性であろうか。もはやこの暴力に対する何らの歯止めもありえない。もはや問題は、子供たちを救うであろうもう一つの、唯一の、おそらく対抗的な情念を思案し理性することではない。ただ一つの別の情動の流れだけが、この最初のものと戦う力を持ちえたかもしれない:「二つに分かれた激流(アンセープス・アエストゥス)が、定まらぬ私を引き裂く」(v.939)。それは渦巻きである。だがすぐさま:「怒りよ、汝の導くところへ、私は従う(イラ、クァー・ドゥキス、セクォル)」(v.953)。力学(ヒュドロリック)の見事な夢想であり、われわれがクリュシッポスについて用いた水力学の隠喩を再び見出す(注105——B・マルティ論文の脚注参照、セネカの第二群の悲劇=メデイアとパイドラを「情念に関する論考の実例(エクセンプラ)を成す」とする所見)。
四、「メデイアの存在の一貫性」——F・デュポンのロマン主義的理論とその批判(頁403)
大きな見出しが与えられる:メデイアの存在の一貫性(ラ・コエランス・ドゥ・レートル・ドゥ・メデ)。かくしてメデイアは自らの同一性と一貫性を取り戻したであろう。だが知恵(サジェス)もまた取り戻したのではないか? これがF・デュポンの提起する「ロマン主義的」理論である。彼女が書くところによれば、アリストテレスが『詩学』で提起する心理学に、セネカは狂気を——人間的人物と神話的犯罪の英雄との間の——唯一可能な通路として対置する。この狂気は、彼女によれば、狂乱からはほど遠く、逆に一貫しており、真理との一つの遭遇を成す(注109)。
ピジョーはこの読解に慎重な留保を挿む:この論文の著者に対しては、アリストテレスの心理学的解釈がきわめて疑わしいものであり——怒りの有用性を主張するのはアリストテレスであってストア派ではない、しかも彼はこれを『怒りについて』で想起させる、と指摘することもできよう(注110)。そしてメデイアのこの真理とは何か。F・デュポンによれば、それは神話の真理であり、知恵の真理に対して、最終的に、時間の外にある。「人物は時間の外に出て、人間的実存の外へ一気に飛躍する。彼はメデイアのように飛び去る」——「私は私の王杖、わが弟、わが父を取り戻した……」とメデイアは叫ぶ(注111——v.982以下)。F・デュポンは、これが悲劇的英雄を、あらゆる出来事の彼方に完璧な幸福を置くストア派の賢者と対等にし、その似姿とする定式化であると判断する。
ピジョーの応答は明確である:このような定式化は、セネカを驚かせ、あるいはむしろ憤慨させたであろうことは疑いない。狂人の近代的な知恵の理論は、賢者の狂気という古代的問題に、奇妙にも出会う。だがF・デュポンが示唆する並行のうちには、一つの興味深い直観がある。
そしてピジョー自身の対抗テーゼが、ガレノス対クリュシッポスの枠組み(既出、七・その一)を再導入する形で示される。F・デュポンが理解するところでは、ブルートゥスとメデイアは同一視されよう。両者はともに、その行為において実現された。彼らはブルートゥスとなり、メデイアとなった。何が両者を差異化するのか。哲学者セネカなら、このような混同はスキャンダラスだと言うだろう——それは一つの主権的善を、最も重大な倒錯によってでなければ混同しえないものと混同することになる。だがここでは哲学者セネカのことは措いておこう。悲劇作者ではないのだから。両者が同じでないと言おうとするのではない。だが彼は哲学的著作を、演劇的著作の傍らに、両者が混じり合うことなく書いたのである。エウリピデスがそうであったように、われわれが既に見たとおり、哲学者にして詩人なのである。
結語的定式:メデイアは賢者と等しくない。彼女は反賢者(アンティ・サージュ)、知恵の黒い太陽、光の球体に対称的な暗黒の球体、対極の世界に属する。メデイアの沈黙と賢者の沈黙のあいだには、空虚な沈黙と、自然の不定なる物音に満ちた騒々しい沈黙との、全き差異がある——満ちた沈黙と。二つの岩の間の差異、もし人が望むなら。エウリピデスの乳母は、メデイアの聾(つんぼ)の沈黙を、岩あるいは海の波に比較する(注112——v.28–29):「岩か海の波のように、慰めの言葉に説き聞かされても彼女は聞く」。この岩に、セネカの、そしてマルクス・アウレリウスの、あの岬(プロモントワール)が対立するだろう(注113・114——『幸福な生について』XXVII.3、『自省録』IV.49「岬のように、寄せては砕ける波にひたすら耐えよ」)。
五、臓腑のありか——劇を枠づける二つの呼びかけとコスタの四仮説(頁404–405)
本節、皮肉な導入から始まる。メデイアは賢者に等しくない、彼女は反賢者である……。だがメデイアの臓腑はどこにあるのか。それらは消え去ったのか。だがそれらは、悲劇の始まりと終わりの、二つの詩行のうちに見出される:「臓腑そのもののうちに、罰への道を探せ、もしなお生きているなら、わが魂よ、そしてもし汝にかつての活力の何ものかが残っているなら(ペル・ウィスケラ・イプサ・クァエレ・スップリキオ・ウィアム、シ・ウィウィス、アニメ、シ・クィド・アンティクィ・ティビ・レマネト・ウィゴリス)」(v.40–43、劇の冒頭)。このテクストは謎めいており、多様な解釈を許す不吉な示唆を呈する、と『メデイア』の英語版編者は記す(注115)。メデイアがまさに生贄に供しようとしている犠牲者たちの臓腑が問題なのである。だがその犠牲者とは誰か。コスタは可能性のリストを作る:
一、イアソーンとクレウーサ、あるいはクレウーサのみ——最も蓋然性の高い解決。「ウィスケラ・イズ・ジス・ア・ホリブル・ダブル・アンタンドル(臓腑とはこの恐ろしい二重の意味である)」。二、メデイア自身の子供たち——それならこの後に続く出来事への覆われた予告となろう。だが子らを殺す動機が現れるのは第549–550行になってからである。三、婚礼の儀式のための通常の犠牲の内臓——だがこれらの犠牲がいかに「スップリキオ・ウィアム(罰への道)」を啓示しうるのか。四、メデイア自身。
ピジョーは選択を提示する:セネカは明確にせず、もしわれわれが一つの解決を選ばねばならないとすれば、われわれはそれらすべてをひとまとめに取ることを言うだろう。メデイアは自分が臓腑に達さねばならないことを知っている。恐ろしい混乱のうちに、不確かな夢想のうちに、彼女は自らの臓腑と、自らの臓物の果実とを、掻き混ぜ、粉砕する自分を見る。これはおそらく良い趣味とは言えまい。それはそうだ。
そして劇末尾の呼応(注115が指摘する構造):劇の終わりに、彼女は叫ぶ:「もしこの手が一度の殺害で満たされえたなら、それは何も企てなかっただろう。二人を殺すとしても、それでもなお、私の苦しみにとってその数は過度に僅かである。もしなお何らかの担保が母のうちに潜んでいるなら、私はそこでもまた、剣をもって臓腑を探り、鉄でそれを引き抜くだろう(シ・ポッセト・ウーナ・カエデ・サティアリ・ハエク・マヌス、ヌッラム・ペティッセト。ウト・ドゥオス・ペリマム、タメン・ニミウス・エスト・ドロリ・ヌメルス・アウグストゥス・メオー。イン・マトレ・シ・クォド・ピグヌス・エティアムヌンク・ラテト、スクルタボル・エンセ・ウィスケラ・エト・フェッロ・エクストラハム)」(v.1009–1013)。
結語部が本項全体を締めくくる。この清らかならぬ臓腑、そこで彼女は、なおも何らかの生の痕跡を探して自らを掻き探る——それは彼女自身のものである。これらの言葉をよく理解しているだろうか。ここに一つの趣味の欠如を見出す危険がある。狂気は良い趣味とは何の関係もない。メデイアが追い求める夢、彼女が実現するのを見る行為とは、彼女の自殺であり、さらには、彼女のうちにある、あらゆる可能な生の、そして彼女が生む生の、破壊である。一貫性と知恵? これは狂乱的な自己破壊(アン・オート・デストリュクシオン・フレネティック)である。これがメデイアの臓腑の物語の終わりである。それらはもはや何も説明しない。それらは指し示す。それらはメデイアが彼女自身への憎しみを追い求める一つの場所を示す。人はわれわれに、結論は美しいと言うだろう。われわれは、それが真であると答えるだろう。人はわれわれに、セネカがメデイアのメガロスプランクニアについて考えていたというのは全く蓋然性がないと言うだろう。それについて何も知らないことを除けば、われわれは答えるだろう:それだけいっそう好都合だ、メデイアの一つの真理が存在するのだから、と。
六、医師カエリウス・アウレリアヌスの結語——「恋は狂気の治療たりうるか」(頁406)
本項全体を締めくくるのは、意外にも一人の医師の証言である。われわれはメデイアについて、一人の医師のテクスト——カエリウス・アウレリアヌス——で結論することにしよう。ある者たちは、と彼は言う、マニーの治療を恋愛によって行うことを提案する、「精神の緊張が転じられ、狂気の苛烈さから清められるであろうから」というのだが、これは、大抵の場合において恋愛こそが狂気の原因であったという、あからさまな真実を見ないものである(注116——『慢性病』I.5.176)。カエリウスはいくらか神話的な症例を挙げ、こう付け加える:「ギリシア人の豊かな神話には、神的な出自を持ちながら人間的な運命によって苦しめられた一人の女の物語がある。そして自らの手で子供たちを殺すという野蛮な復讐の情念によって駆り立てられた……そしてこの種の狂気をひとまとめにして愛の名で呼ぶ者たちすべてを軽んじてはならない、この病に苦しむ者たちに起こることとの類似ゆえに。そしてこれを治療のために推奨するのは、不敬虔でありかつ不合理な処方である。私は、狂人たちを愛することへ説得することが不可能だという事実は措いておく——なぜなら、判断力を欠く以上、彼らは美を評価することができないのだから」。
ピジョーの注釈:ここで医師が語っているのは情念としての愛であって、ヒッポクラテースが既にヒステリーの症例で勧めていたような肉体的な愛ではない。カエリウス・アウレリアヌスはここでコイトゥス(性交)を問題にしているのではない——それは自然に医師の領分に属するもの——が、同時に情念であり判断でもあるところの愛を問題にしているのである(注117)。この一節は、アレタイオスがメランコリーの章末で語る有名な「恋する医者(ホ・エロース・メン・イエサト)」を想起させずにおかない(注118):消耗(マラスムス)に陥り医師たちに見放されたある若者が、恋によって癒された。「だが私にとって」とアレタイオスは付け加える、「思うにそれは恋の始まりの兆しであり、若い娘への望みが叶わず落胆したがゆえに、彼は同郷人の目に憂鬱に見えたのだ。おそらく彼自身、それが恋だとは知らなかったのだろうが、彼女と一緒になるやいなや、悲しみと苛立ちは消え去り、喜びが悪しき気分(デュステューミエー)に取って代わった——そしてこうして彼は回復した……愛によって彼は癒されたのである(エローティ・イエートロー)」(注119)。
本項最後の問い:これは哲学者の言葉なのか、医師の言葉なのか。それは知っている医師の言葉である、と彼が別のところで言うとおり、しばしば人間は魂の苦悩(アンクシエタース)によって病むのだ、と(注120)。
七、次の単位——「ヘラクレスの病と賢者の狂気」
頁407なかばで新たな大項が開かれる。標題は本文自体に組み込まれた警句で予告される:「ある者たちはまた癲癇をヘラクレスの病とも呼ぶ、ヘラクレスがそれに苦しんだからではなく、ヘラクレスの名が徴表的な価値を持つからである。それはこの病の重大さを示す」——ガレノスがこう語るところの「ヘラクレスの病」である(注121)。ピジョーはここから、ヘラクレスの癲癇伝承(ブラックロックの説)、民間伝承における「彼はその難業(トラヴォー)によって疲弊し神聖病に打たれた」という信念、そしてセネカ『狂えるヘラクレス』の序幕とエウリピデス『狂えるヘラクレス』のリュッサ挿話との比較——「そこには十分に見て取られていない、ある特異な強度をもつ狂気についての省察がある。閃光のうちにユーノーが狂気の理由を見出す」——という新たな探究へ進む。読解ノート(七・その五)で扱う。
第Ⅳ章続 「ヘラクレスの病と賢者の狂気」前半——ユーノーの地口、プルタルコスの証言、そしててんかん診断論争
〇、橋渡し——ガレノスの「ヘラクレスの病」とセネカの序幕(頁407)
七・その四末尾で予告された新項が、ガレノスの一句から開かれる。「ある者たちはまた癲癇をヘラクレスの病とも呼ぶ、ヘラクレスがそれに苦しんだからではなく、ヘラクレスの名が徴表的な価値を持つからである。それはこの病の重大さを示す」(注121)。ヘラクレスの病の名は、この印象的な病の寓意的(アレゴリック)な現れであろう。ヘラクレスのてんかんという説は、しかし、しばしば言われるのとは異なり、ブラックロックに始まるものではない(注122)。民間の思考は、彼が神聖病に打たれたのは、彼の難業(トラヴォー)によって疲弊したためだと信じていた:「ヘラクレスの病:大きな疲労の後に病む者たちのそれ。というのもヘラクレスは、疲労の蓄積の後、神聖病に陥ったからである(テーイ・ヒエラーイ・エネペシン)」(注123——『ギリシア古諺集成』第Ⅳ巻56)。ヘラクレスは、健康にも気質にも優れていたにもかかわらず(注124)、きわめて重要な病歴を持つ(注125——「実のところ、ヘラクレスには三つの過ち(トロワ・ゼルール)に対応する三つの病があり、われわれはこの表現を、デュメジルの言う『三つの罪』よりも好む」)。ヴェラルは、ヘラクレスは「最も強調された意味における男、その男性性の完全な力のうちにある男」だと書く(注126)。明らかに、この力そのものが健康の、あるいは病の、問題の一部を成す以上——後に見るとおり、セネカはこれをよく理解していた。『狂えるヘラクレス』の序幕はしばしば研究され(注127)、エウリピデス『狂えるヘラクレス』のリュッサ挿話と比較されてきた。だがそこには十分に見て取られていない、ある特異な強度をもつ狂気についての省察がある。閃光のうちにユーノーは狂気の理由を見出す。ヘラクレスの可能な敵を怪物のうちに探しながら(頁408へ続く)。
一、「自らに打ち勝つ」のもう一つの型——ユーノーの地口とメデイアとの照応(頁408–409)
本項の劇的核心。ユーノーは次のように言う:「だがそれもすでに彼が打ち勝った。汝はアルキデス〔ヘラクレス〕に匹敵する者を探すのか? 彼自身のほかに誰もいない。それなら今こそ、彼に彼自身との戦いをさせよう(セド・ウィキト・イスタ。クアエリス・アルキダエ・パレム? ネモー・エスト・ニシ・イプセ:ベッラ・イアム・セクム・ゲラト)」(v.84–85)。望むならばこれは一つの修辞的パラドックスである。だがそれならば、それが的を射て深いところに達していることを認めねばならない。われわれはここに、再び、「自己に打ち勝つ」という定式——知恵の定式、狂気の定式——を前にして立たされる。
「私に打ち勝った、それなら彼が自らに打ち勝つがよい(メ・ウィキト:エト・セ・ウィンカト……)」(v.116)とユーノーは叫ぶ。だが自己に対する狂気のこの勝利は、知恵の定式の嘲弄(デリジオン)をなす。
ここでピジョーは決定的な理論化を行う。自己に打ち勝つには二つの仕方がある:一つは明晰さ(リュシディテ)へ導き、もう一つは崩壊(レフォンドルマン)へ導く——メデイアの乳母がメデイアについて言う「セ・ウィンケト」(v.394、七・その四既出)のように。だがこれは二元論的葛藤の結果ではない。二分法はなく、ヘラクレスの一部が彼自身の別の部分に対抗するのではない。ヘラクレス全体がヘラクレスに対抗するのである。この勝利が——嘲弄的なものであれ——全的であるためには、この存在の全体、この存在の身体的な富の全体が必要である。まさにこれをユーノーは、英雄が腕の全き力を保ったまま戻ることを要求するときに言うのである:「彼の腕の全き力とともに戻るがよい」——マヌクェ・フォルティス・レデアト……(v.113–114)。
事実の観点から見れば、これは、フレニティスあるいはマニーに冒された人間は自らの力の最大値にある、という医師たちの確認に対応する(注128——カエリウス・アウレリアヌス『慢性病』I.5.152、マニー患者はしばしば「異様な強さ(アリエナ・フォルティトゥド)」を持つという)。狂人は弱者ではない。彼は暴力的で強い者である。狂気とは、自己自身の破壊に適用された暴力である。これがユーノーの言おうとすることである。同種の思想がアンフィトリュオンによっても表明される——ヘラクレスが自死しようとするとき、テーセウスにこう言う:「狂憤(フーロル)に固有のことがある、それは自分自身に対して猛り狂うことだ(クォドクェ・ハベト・プロプリウム・フーロル、イン・セ・イプセ・サエウィト)」(v.1220–1221、注129——『メデイア』の合唱「怒りに刺激された火は盲目であり……剣に向かって突進することを望む」(v.591–594)との近接を指摘)。
二、プルタルコスの証言——情念と理性は同一の魂の部分である(頁409)
ピジョーはこの構造に古代ストア派の理論的裏付けを与える。メデイアについて既に述べたように、狂人とは反賢者である。同じ者が別の者になったのだ。だがこの別の者は、同じ者が減じられ縮小されたものではない。彼はその全力、その全存在、その存在の全能力とともに、別の者であるのだ。もはや別の者の内に同じ者は残らない。別の者が、抑えがたい運動のうちに、同じ者に取って代わったのである。かくして疎外(アリエナシオン)は考えられねばならない。そしてこの見方は深くストア的である。プルタルコスの一節が引かれる:
「彼らは、情念的で非理性的な要素は、いかなる本性上の相違によっても理性的なものから分離されているのではなく、それは同じ一つの魂の部分——彼らがまさしく思考する能力にしてヘーゲモニコン(統率的部分)とも呼ぶもの——であり、この部分が完全に方向を変え自らを変容させるとき、情念のうちに、あるいは変化のうちに、悪徳ともなり徳ともなり、この部分にはいかなる非理性的なところもないのだが、ただ、衝動の氾濫の下で、自らを課すのに十分な力を得たとき、理性の意に反して、何らかの衝撃的な行為へと引きずられる際に、非理性的とのみ呼ばれるのだ、と信じている。というのも情念とは、誤った誤謬に満ちた判断から生じ、激しい力を獲得した、倒錯し無秩序な理性にほかならないからである」(注131——『倫理的徳について』、D・バビュ校訂訳、パリ、ベル・レトル社、1969年、p.92–93)。
この悲劇は本質的にクリュシッポス的なものである——本項最重要の一句。クレアンテスは、賢者が狂人になりうるという考えを、あるいは彼の言葉で言えば、徳が破壊されうるという考えを、表象の堅固さを理由に拒む。クリュシッポスは、徳は破壊されうると言った——酩酊とメランコリーの効果のもとで(注132——ディオゲネス・ラエルティオスVII.127;SVF III.56)。これはクリュシッポスにとって、精神的なものと生理学的なものを区別しない彼にとって、まったく首尾一貫している。
三、酩酊なきクリュシッポス——エレボロスとメランコリーの避けがたさ(頁409–410)
ピジョーは鋭い問いを立てる。ところで、もし私が酩酊から自らを守るには酒を飲まなければよいとして、では胆汁の力から自らを守ることができるだろうか。もし人間が、その諸表象に働きかける不可分の全体であるならば、彼は自らの胆汁に働きかけているのである。だがメランコリーは実在する。そしてそれを浄化せねばならない。ペトロニウスが伝える逸話——世界の大発見者たちの危険と労苦を論じる興味深い文脈で——クリュシッポスは、着想力を保つために、三度エレボロスで精神を清めた(エト・クリュシップス、ウト・アド・インウェンティオーネム・スッフィケレト、テル・エッレボロ・アニムム・デテルシト)(注133——ペトロニウス『サテュリコン』88。デモクリトスについても「あらゆる薬草の汁を抽出し、鉱物と植物の効能を知るために、生涯と経験を費やした」と伝える。マルクス・アウレリウスが服用したガレノスのテリアカ〔阿片を含んだとされる〕をめぐる医史学論文群への参照も付される)。テルトゥリアヌスもまた、クリュシッポスがエレボロスに頼ったと伝える(注134——『魂について』VI.81)。ストア派は、シンプリキオスの言うところでは、メランコリー・原因・嗜眠・薬物の摂取においては、合理性と徳の喪失があることを認める。だが賢者は中庸の徳(ヴェルテュ・モワイエンヌ)を下回ることはありえない(注135——第三章頁243以下を参照)。
ピジョーはN・T・プラットの見解に賛同しつつも一線を画す:われわれはN・T・プラットに全面的に同意する——「哲学の影響は、主題と哲学というジャンルとの単なる対応関係よりもはるかに深い」と言う点で。だがわれわれはそこに、心理劇(ドラム・プシコロジック)の誕生を見ようとは思わない(注136——「ドラム」の語に卑俗で通俗的な意味を与えるならば、という限定付きで)。セネカはわれわれに、英雄と賢者のこの魅惑的な転換を提案する——徳の力を成す当のその力が、狂気の力を成すのである(注137——ユーノーが「まず私自身が狂わねばならない(ノービス・プリウス/インサニエンドゥム・エスト)」(v.108–109)と述べる点、ただしこれは「感染(コンタジオン)」ではなく、ヘラクレスやイアソーンにとって最悪の災いを見出すための「助走」であること、そしてユーノーがエウリピデスの「理性的なリュッサ」——ヴィラモーヴィッツ゠メレンドルフが指摘する神格の擬人化の哲学的問題——に対立する存在であることが付記される)。
四、狂気の徴候——てんかんか否か(頁411–413)
本項に見出しが与えられる:狂気の徴候(レ・シーニュ・ドゥ・ラ・フォリー)。われわれは、セネカにおいてヘラクレスがてんかん患者であるか否かを決定しない。問題ははるかに広大である。だが英雄が感じる徴候は、てんかん発作のそれとしてきわめてよく解釈されうるだろう:
「……真昼が闇に囲まれた。太陽は雲もないのに翳った顔で進む。誰が日を後退させ、その起源へと連れ戻すのか。どこからこの未知の夜が、その黒い頭をもたげてくるのか(メディウム・ディエム・キンクセレ・テネブラエ。フォエブス・オブスクロー・メアト・シネ・ヌーベ・ウルトゥ。クィス・ディエム・レトロー・フギト・アギトクェ・イン・オルトゥース? ウンデ・ノクス・アトルム・カプト・イグノータ・プロフェルト?)」(v.939–943)。視覚の障害は古代の医師たちによって記録されている。カエリウス・アウレリアヌスのてんかん記述が長く引かれる(注138——『慢性病』I.4.62):発作に傾いている者、あるいは発作にまさに陥ろうとしている者には、脳膜に由来する他の病と共通の徴候が続く——頭の重さと眩暈、頭内部の音、後頭部の共感、目の緊張、耳鳴りあるいは難聴、眩暈を伴う視力の鈍化、あるいは目前に大理石の斑紋のようなもの——ギリシア人がアマリュグマタあるいはマルマリュガイと呼ぶもの——蜘蛛の巣や極めて薄い雲、あるいは蚊のような小さな飛ぶ動物に似たものが垂れ下がって見えること、などである。
発作中の記述が続く(注139):感覚の喪失。発作が優勢になると、ある者には完全な不動が続き、顔は俯き蒼白となり、呼吸は緩やかに、脈は大きく、深い眠りに似た抑圧に病人は圧倒される。だが他の者では、四肢が様々な方向へ引き攣り跳躍する痙攣性の発作となり、顔や目の変形を伴う。エウリピデスはヘラクレスの不動を記した:エステー・シオーペーイ(沈黙のうちに彼は立った)(v.930)。発作後:すべての所業についての無知、そして身体の弛緩した運動と、病人の悲しげな表情(注140)。発作後の眠りもまたカエリウス・アウレリアヌスによって記される(注141):大抵の場合、病人たちは発作と身体の痙攣に襲われるか捕えられ、続いて最も深い眠りに落ちる(注142——セネカから五世紀のラテン語著者の記述への参照の妥当性についての方法的留保。カエリウス・アウレリアヌスはギリシア人医師ソラノスの大部分を翻訳しているに過ぎないこと、アレタイオスの記述(フデ版III.4)も参照すべきこと、てんかんについての基本文献としてO・テムキン『倒れる病』(ボルティモア、1945年)を挙げる)。
セネカ自身のうちにも、てんかんの記述が見出される——彼が『怒りについて』第Ⅲ巻で怒りをてんかんに比較する箇所である(注143——『怒りについて』III.10.3):「癲癇の発作にしばしば襲われる者たちは、四肢の先から熱が去り、視界が定まらず震え、記憶が薄れ頭が回るとき、発作が近づいていることを察知する」(注144——訳はA・ブールジュリ訳、ベル・レトル社、1971年)。
五、ドヴルー対テムキン——診断されるべきは古代人自身の診断である(頁413–414)
これらの記述は、医学的伝統からも文学的伝統から——例えばルクレティウス第三巻、あるいはエウリピデスから——も、あるいは観察からも霊感を得ている可能性がある。ここで学説史上の大きな対立が導入される。われわれは既に、G・ドヴルーによれば、ヘラクレスの病はてんかんでしかありえないことを見た(注145——これはA・ディーテリヒの見解でもあり、テムキンが引用する)。これはテムキンの見解ではない(注146——「私は思わない」とテムキンは書く、「古代においててんかんが狂気の主要な型の一つと見なされていたとは。私はまた、古代人がバッコスの信女たちの狂乱を——エウリピデスが描くような——あるいはヘラクレスの狂気やその他を、神聖病と同一視していたとも思わない」)。近代人の観点からは、と彼は書く、ヘラクレスやオレステスの狂気の記述は、てんかん患者の「夢見状態」と同一視されうる(注147)。オレステスは幻覚を持ち、剣で家畜の群れを攻撃するが、それでもエウリピデスはこれをマニアと呼ぶ(注148——『タウリケーのイピゲネイア』v.307)。エウリピデスにおけるヘラクレスの狂気(v.923以下)、セネカにおいても(注149)、英雄は殺害を行う混乱状態を経て、突然地に倒れ眠り、それから治癒して目覚める。精神科医たちはてんかん患者の類似の行動を報告している(注150)。
ピジョーはここでテムキンの方法的立場を積極的に評価する。だが問題は、テムキンによれば、こうした状態にわれわれがどのような診断を下すべきかではなく、古代人自身の診断が何であったかである——もっともこの点では古代人自身が互いに矛盾していた。テムキンの態度はきわめて注目に値する。最も興味深いのは、もちろん、古代の診断である。
そしてピジョー自身の批判的介入が続く。だが例えば『タウリケーのイピゲネイア』のマニアのうちに、フレニティスに対立するマニーの、あるいはてんかんの、明確な診断を見ることができるだろうか。この時点で疾病分類の表はそれほど精密なのだろうか。むしろそれは不確定な用法ではないのか、セネカにおけるフーロルの用法と同様に。われわれは、医学史が、通常きわめて貴重であるとはいえ、ここでは認めねばならないと考える——それはメナディスム(バッコス的狂乱)の症例において実験された治療的援助について、いかなる証拠も提供しえない、ということを。医学が深まったのは医師たちの経験からであるが、悲劇は、その固有の形式について、その本性について、そして悲劇的なものの本性について反省することによって、狂気の深い存在を発見したのである。狂気は本質的に悲劇的だということだろうか。それはそうである、悲劇的なものが深く認識(コネサンス)に結びついている限りにおいて。
六、無意識への礼賛——第1092行の合唱(頁414)
新たな小見出し:無意識への礼賛(エロージュ・ドゥ・リンコンシアンス)。『狂えるヘラクレス』における記述はかなり簡素である(注151——対照的に『オイタ山上のヘラクレス』におけるデーイアネイラの「発作」の記述、v.233–255、はきわめて修辞的である)。それは病の構造を保持する——発作の突発性(前兆を伴う)、無分別な行為、眠り、意識への回帰。第1092行で、合唱は、これまで分析されてこなかった無意識への礼賛を口にする:
「魂の狂った波を追い払え、敬虔と徳がこの男に戻るように。いや、むしろ——精神は狂った動きに掻き立てられたままであれ。盲目の過ちよ、汝が始めた道を行け。もはやただ狂気だけが、汝を無垢のまま保つことができる。純白の手に最も近いくじは、罪を知らぬことである(ペッレ・インサノース・フルクトゥス・アニミ、レデアト・ピエタース・ウィルトゥスクェ・ウィロー。ウェル・シト・ポティウス・メンス・ウェーサノー・コンキタ・モートゥー;エッロル・カエクス・クア・コエピト・エアト;ソールス・テ・イアム・プラエスターレ・ポテスト・フーロル・インソンテム:プロクシマ・プリース・ソルス・エスト・マヌィブス・ネスキーレ・ネファース)」。
合唱は眠りに呼びかける:「魂の狂った波を退けよ。哀憐と徳が英雄に戻るのではない。むしろ、彼の精神が狂気の動揺に揺さぶられたままであれ。目の見えぬ過ちが、その道を歩み続けよ。今はもう狂気だけが彼の無垢を保証できる。清らかな手に最も近い運命は、あの忌まわしい所業を知らぬことである」。
この無意識への礼賛は、決して修辞的なものではない。それは、エウリピデスが発見した狂気の悲劇性の一部を成す。認識は不幸と一致する——『狂えるヘラクレス』において見られるとおり、しかしまたアガウエーやオレステスにおいても。アガウエーは、自分が罪を犯したことを混乱したかたちで知っている。G・ドヴルーはこれをよく示した。カドモスの治療的努力に対する彼女の抵抗は理解不能である、と彼は書く——もしアガウエーが自らの罪を思い出す瞬間を退けていると想定しないならば。そこには二つの水準がある。アガウエーはペンテウスを殺したことを知っている、そして知らない——すなわち知ることを拒んでいる(注152——『エウリピデス「バッコスの信女」における心理療法の場面』、JHS誌XL巻、1970年、p.35–48)。
七、ドヴルーの限界とプロセドリアの発見(頁414–415)
本ノート最終節。ドヴルーは、漠然として不確かな治療的背景に送り返す(注155)。だが彼が治療的援助について語るのは正しい。われわれはこれに付け加えたい——エウリピデスは既にそれに一つの名を与えていた:プロセドリア(付き添い、傍らに座ること)(注156——『オレステス』v.93、v.304)。病人と付き添う者(ガルド・マラード)の関係は、彼において根本的な重要性を持つ。プロセドリー(付き添いの関係)と呼びうるものとして、エレクトラーとオレステースの、しかしまたパイドラーへの乳母の、ヘーラクレースへのアンピトリューオーンの、アガウエーへのカドモスの、オレステースへのピュラデースの関係が挙げられる。これは悲愴かつ劇的な関係である(注157——自著の高等研究免状論文『エウリピデス、病的なものと異常なものの画家』での既出の論証を自己参照)。
八、次の単位——「医学と劇」
頁415後段から新項が開かれる:医学は劇ではない。これが意味しうるのは、医学は劇の秩序に属さない、ということであり、最終的にはこの説明が劇的なものと何の関係もない、ということである。これはまったく健全な態度である——還元的であることを恐れるという態度は。だがそれでもなお、エウリピデスとともに医学が、あるいはむしろ病が、劇のうちに侵入したことを認めねばならない。ここからピジョーはエウリピデスの医学語彙研究の総括、アリストテレース『詩学』のアナグノーリシス(無知から知への移行)概念と狂気による認識喪失の構造的対応、そしてG・ドヴルーが論文末尾で下す評価——「この場面の精神医学的説得力は、これを〔これまで未同定の一類型の〕ギリシア悲劇に見る〔一標本〕として見なすことを許す。その分析はそれゆえギリシア精神医学史への一つの貢献でもある」——の検討へ進む。読解ノート(七・その六)で扱う。
第Ⅳ章続 「医学と劇」——アナグノーリシスとしての狂気、フーコー批判の一節、そしてセネカのヘラクレスによる自己認識
〇、橋渡し——プロセドリアから「医学と劇」へ(頁415)
七・その五で見たプロセドリア(付き添いの発見)の議論の直後、本節の主題そのものを問う新たな大項が開かれる:医学と劇(メデシーヌ・エ・ドラム)。
一、「医学は劇ではない」——方法的立場の表明(頁415)
ピジョーはまず一つの慎重な限定命題を掲げる。医学は劇ではない。これが意味しうるのは、医学は劇の秩序に属さない、ということであり、最終的にはこの説明が劇的なものと何の関係もない、ということである。これはまったく健全な態度である——還元的であることを恐れるという態度は。だがそれでもなお、われわれはエウリピデスとともに医学が、あるいはむしろ病が、劇のうちに侵入したことを認めねばならない。われわれはエウリピデスの医学語彙を研究してきた。そして『ヒッポクラテース集成』とエウリピデスの作品とのあいだには、アイスキュロスやソポクレスの作品とのそれよりも、はるかに数多く、はるかに興味深い近接が見出せることは明白である(注158——J・デュモルティエ『アイスキュロスの医学語彙と「ヒッポクラテース文書」』1935年、J・プシカリ『フィロクテーテースをめぐるソポクレスとヒッポクラテース』1908年、H・ミラー『ギリシア悲劇における医学用語』1944年)。
二、『内科疾患論』の症例——リトレ訳による長い引用(頁415–417)
より明確な照応の実例として、ピジョーは自著の既発表研究を引き継ぐ。より照明的な近接がある。われわれは『女の病』のある一節とパイドラーの独白(『ヒッポリュトス』)とのあいだの類似を既に研究した(注159——『女の病』62、VIII L126;『ヒッポリュトス』v.373–430;自著「エウリピデスと自己認識」を自己参照)。われわれはまた、ヘラクレスの発作の場面を『内科疾患論』のある一節に近づけた(注160——VII L285;『危機の日々』IX L300も参照)。これはメランコリーあるいはフレニティスの症例であり、リトレの訳によって引用する:
「その徴候はこうである:肝臓が膨張し、その膨張の結果、横隔膜(フレーネス)に対して広がる。ただちに頭に、とりわけ側頭部に痛みを感じる。聴覚は鋭さを失い、しばしば病人はもはや見えなくなる……病が長引くほど、身体の苦痛は増す。瞳孔が散大し(瞳孔が裂ける)、弱視となる。指を目に近づけても病人はそれに気づかない、見えていないのだから……彼は覆いの繊維を取り除く、それが虱だと思って。肝臓がさらに横隔膜に対して広がると、彼は譫妄する。彼の目の前に、爬虫類や、あらゆる種類の他の獣、戦う重装歩兵たちが現れるように思われる。そして彼は戦闘と戦争を見ているかのように語る。彼は身を起こす。もし外に出すことを拒めば脅す。立ち上がろうとしても脚を上げられずに倒れる。彼の足は常に冷たく、眠ると眠りから跳び起き、恐ろしい夢を見て怯える。彼が語る夢が身体の動きと口の言葉に一致することから、それが夢であることが分かる……譫妄が止むと、ただちに理性を取り戻す。問われれば正確に答え、語られたことをすべて把握する。だがしばらくすると、再び同じ苦しみのうちに陥る。この病はとりわけ旅の途中で、人気のない道を通り、恐怖に打たれる幻を見たときに生じる。だが別様にも発症する」(注161–164——「われわれの傍点」との注記が繰り返され、注162でカルフォロジー〔虱を捕らえる仕草〕とクロキュディスム〔繊維をつまむ仕草〕についての既出議論——頁82——を参照、注164でリトレがこれをシャルル六世の病と同定していたことに言及)。
この医学テクストがエウリピデスに影響を与えたということは問題になりえない。年代がそれを妨げる。エウリピデスの文学的影響が、医師の側に及んだということは可能かもしれない(注165——「われわれが『流行病』第Ⅲ巻のスキュトローペーな女について既に述べたこと」を参照——七・その三既出のガレノス/悲劇語彙論との接続が自己言及される)。
三、症状記述を超えて——構造としての悲劇(頁417)
ここで本項の理論的展開が始まる。だがこの一節の劇的な性格に驚かされずにいられようか。医学は劇ではない、それはよい。だが病は劇である。われわれはさらに一歩進めよう。あまりに頻繁に文献学者たちは症状の生理学的記述に立ち止まってしまう。それは確かに興味深い。エウリピデスがヘラクレスの病について与える徴候——目の歪み(牡牛の眼差し)、口の泡、顔貌の変化——はすべてヒッポクラテース的な照明を受けうるものであり、われわれはそのリストを作った(注166——自著『エウリピデス、病的なものと異常なものの画家』を参照)。結局のところ、それは病の絵画的側面(ル・ピトレスク)の問題である。これらの徴候は劇的、悲愴的な意味を持つ。だがヘラクレスの、アガウエーの、オレステースの病は、はるかに興味深い価値を持つ——それは悲劇的な構造を提供するのである。
四、アナグノーリシス——アリストテレース『詩学』と狂気の構造的同型性(頁417)
本項最大の理論的到達点。誰もがアリストテレースが提起する悲劇の図式と、アナグノーリシス(アナグノーリシス)の概念の重要性を知っている——これは通常「再認(ルコネサンス)」と訳されるが、アリストテレース自身における定義に即すならば、むしろこう訳す方がよいかもしれない:非-知から知への移行、と:
「アナグノーリシスとは、その名が示すとおり、無知から知への移行である(アナグノーリシス・デスティン、ホースペル・カイ・トゥーノマ・セーマイネイ、エクス・アグノイアス・エイス・グノーシン・メタボレー)」(注167——『詩学』1452a29)。
最も美しい再認とは、逆転(ペリペテイア)と一致するもの、すなわち不幸から幸福への、あるいは幸福から不幸への移行である——例えば『オイディプース』におけるそれのように(注168)。
ピジョーはここから決定的な一撃を放つ。エウリピデスは明らかにアリストテレースを読んでいない。だがアリストテレースは悲劇の図式を発明したのではない。そして悲劇の図式が、認識喪失による病の図式に対応することを、どうして見ないでいられようか。すべてがそこにある——ハマルティアー(過ち)、悲劇の決定的原因をなす誤りでさえも。この誤りは認識の喪失、感覚の逸脱によって説明される。そして病人の意識の回復は、逆転(ペリペテイア)と一致する。オイディプースのように、彼がある種の行為の実行者であると認める限りにおいて、彼は不幸の門を踏み越えるのである。認識喪失による病は一つの悲劇である。
五、ドヴルーの評価とフーコー批判(頁417–418)
ドヴルーの結語が引かれる。ドヴルーが、アガウエー論の末尾で書くとき:「この場面の精神医学的説得力は、これを〔これまで未同定の一類型の〕ギリシア悲劇に見る〔一標本〕として見なすことを許す。その分析はそれゆえギリシア精神医学史への一つの貢献でもある」(注169)、われわれは全面的に同意する(注170)——ただし、これはわれわれの見るところ、心理学的な先見性(プレサンス・プシコロジック)から来るのではなく、悲劇と狂気の本質についての深い反省から来るのだ、と明確にする条件つきで。狂気は一つの悲劇として構想される、なぜなら両者は同じ構造を持つからである。
そして、本項全体の中でも最も明示的な同時代批判が続く:まさにこの点にこそ、深く、ギリシアの狂気についての研究が悲劇についての研究なしには済ませられない理由がある。そしてそれは何か曖昧なロマン主義的理由——狂気への礼賛、あの「ギリシア的狂気」という壮大な実例、その研究をM・フーコーが同じ国の暦の彼方(オー・カランド・デュ・メーム・ペイ)へ先送りにしている、あの実例——のためではまったくない(注171——『古典主義時代における狂気の歴史』、パリ、プロン社、1969年、p.223)。
六、シュネシスの問題——メネラーオス対オレステースの対話(頁418)
本項後半、狂気と認識の境界そのものが問い直される。意識への抵抗、明晰さへの抵抗に関しては、その中で何が心理学に属し、何が道徳に属するのかを区別することはきわめて困難である。むしろこの曖昧さこそが、『オレステース』のあの有名な詩行の根本的価値を成す、とさえ言えよう(注172——既にメランコリーについて頁127で引いた箇所を参照;H・エルプゼ「エウリピデスのオレステースについて」1975年、W・D・S・スミス「エウリピデス『オレステース』における病」1967年):
メネラーオス:「……いかなる病が汝を滅ぼすのか(ティス・ス・アポリュシン・ノソス)?」
オレステース:「シュネシスだ、私が恐ろしいことを為したと自ら知る(シュノイダ)ゆえに(ヘー・シュネシス、ホティ・シュノイダ・デイン・エイルガスメノス)」
この一節はきわめて困難である。まず注意すべきは、パル・ヒュポノイアン(予期に反する)という技法であり、驚きである——どの病かという問いには、マニアといった類の答えが予期されよう。逆説は続いて、フィグーラ・エテュモロジカ(語源的な言葉遊び)によって解決される:シュネシス/シュノイダ。L・メリディエの訳「私の良心。私は自分の罪の恐ろしさを感じる」は真の誤訳(フォー・サンス)である。問題はアイステーシス(感覚)ではなく、シュネシスなのだ。メネラーオスは説明を求め、ソフォン(賢い)とサフェス(明晰な)という語で言葉遊びをする:
メネラーオス:「何を言うのか? 知恵とは明晰であることだ、不明瞭であることではない(ポース・フェース;ソフォン・トイ・ト・サフェス、ウー・ト・メー・サフェス)」(v.397)
オレステースが答える:
「まさに苦悩こそが私を滅ぼすのだ(リュペー・マリスタ・ゲ・ヘー・ディアフテイルーサ・メ)」(v.398)。
これが重い病であることをわれわれは知っている。『ヒッポクラテース集成』は苦悩(リュペー)の危険を知っている(注173——『流行病』第Ⅲ巻17、第11患者;『急性病の摂生法』16、注意)。メネラーオスは安堵する。それは治癒可能な神である:
「恐ろしい女神だ、それでもなお治癒可能である(デイネー・ガル・ヘー・テオス、アッル・ホモース・イアシモス)」(v.399)。
病から苦悩へ、われわれはシュネシスを経由して移行した。だがシュネシスを、われわれは意識(コンシアンス)と理解すべきか、それとも後悔(ルモール)と理解すべきか。病と認識の連合が、意識の観念の歴史においてきわめて重要な意味を持つことは確かである(注174——A・カンクリーニ『シュネイデーシス』、ローマ、1970年)。だがオレステースのシュネシスの価値は、とりわけ忘却(レーテー)、非-認識との対立において意味を持つ。オレステースの眠りこそが不幸への唯一の避難所である。
七、忘却と眠りへの礼賛(頁419)
エレクトラーの一句が引かれる:「もし彼の瞼を動かせば、汝は彼を殺すことになろう、彼が眠りの最も甘い喜びを享受しているときに……」(注175——メリディエ訳):「甘美極まる歓喜が彼を運び去っている眠りの(ヒュプヌー・グリュキュタタン・フェロメノー・カラン)」(v.159)。第174行は眠りへの賛歌である:「おお夜よ、尊き夜よ、悩める者らに眠りを与えし者よ」。第185–186行は「眠りの静かな喜び」を語る。第211行以下、オレステースは忘却の徳を歌う:「おお尊き忘却よ、災いどもの(オー・ポトニア・レーテー・トーン・カコーン)……」——彼はすべてを忘れた。「私は覚えていないのだ(アムネーモノー・ガル)」(v.216)。
八、責任の法的問題——同じ合唱の再訪(頁419)
認識とともに責任の問題が立てられる。既に七・その五「無意識への礼賛」で引いた『狂えるヘラクレス』の合唱の末尾三行(v.1097–1099——先には全体の文脈で頁414の第1092行から引いたが、ここでは責任論の文脈で改めて参照される)が、責任論の要として再訪される:「今はもう狂気だけが彼の無垢を保証できる。清らかな手に最も近い運命は、あの忌まわしい所業を知らぬことである」。この責任の問題はここで法的な用語のもとに提起されている——病は無実の保証なのだ。われわれはこの問題に『オイタ山上のヘラクレス』と疑惑(スプソン)の導入とともに立ち返るであろう。
九、セネカのヘラクレス——推論による自己認識(頁420)
本項終盤、ピジョーはセネカがエウリピデスから決定的に離れる一点を指摘する。セネカはエウリピデス『狂えるヘラクレス』の意識への回帰を保存した。だがヘラクレスは自ら、推論(ル・レゾンヌマン)によって、自分が自らの行為の作者であると認識する。彼はアンフィトリュオンの語りを必要としない。彼は死体の存在を確認し(v.1143)、獅子の皮の不在を、武器の不在を確認する(v.1150以下)。彼は自分の子供たちと妻を認める(v.1160–1161)。彼はアルキデスの勝者に挑む(v.1168)。彼は自分の武器を認める(v.1196)。ただ彼だけがそれを用いえたのだ。結論は単純である:われらのものだ(ノストルム・エスト)(v.1200)。それは不幸、忌まわしい喪なのか。それとも罪なのか。アンフィトリュオンはヘラクレスの喪(ルクトゥス)とユーノーの罪(クリメン)とを微妙に区別する(v.1200)。
「一体誰が、過ち(エッロル)に罪(スケルス)の名を与えたことがあろうか(クィス・ノーメン・ウムクァム・スケレリス・エッローリ・インディディト?)」(v.1237)とアンフィトリュオンは問う。そしてヘラクレスは答える:「しばしば莫大な過ちが罪の座を占めてきた(サエペ・エッロル・インゲンス・スケレリス・オブティヌイト・ロクム)」(v.1238)。これは修辞的な討論だろうか。ヘラクレスは父の質的な指摘に、量的な答えを返す。生きるべきか、死すべきか。結末は見事である。ヘラクレスはすべてを失った:「善きもの、理性、武器、栄光、妻、子ら、そして手すら、そして狂気までも(ボナ・メンテム、アルマ、ファマム、コニウゲム、ナートース、マヌース・エティアム・フーロレム)」(v.1259–1261)。
十、「これだけが私のものだ」——過ちと自己認識の限界(頁420)
本節最大の一句が提示される。ヘラクレスが行ったすべての行為は、彼に命じられたものだった。ただ一つ、これだけが、彼自身から迸り出た行為であり——これだけが私のものだ(ホク・ウヌム・メウム・エスト)(v.1268)——それが破局なのだ。ここで悲劇は意味を変え始め、もはや単にエウリピデスの反復ではなくなる。これらの行為はどこから来るのか、私が自分自身と同一視せねばならないこれらの罪の作者は誰なのか。私はいったい誰なのか。
ヘラクレス:「久しく前から、一つの不敬で残忍な怪物が、獰猛で野蛮なそれが、私のまわりを彷徨っている(イアムドゥドゥム・ミヒ・モンストルム・インピウム・サエウムクェ・エト・イムミテ・アク・フェルム・オベッラト……)」(v.1279–1281)。この怪物とは、彼が殺そうとしている彼自身である。この怪物とは、この行為の作者である別の者、その顕現(パルーシー)にヘラクレスが立ち会うところの他者である。ヘラクレスは生きるだろう。それが彼のもう一つの勝利、いやそれ以上に、ユーノーの命題の反転である——セ・ウィンカト(v.116)。だが生きる大いなる理由とは、死ぬことの不可能性である——現代の悲劇的なもののもう一つの型である。いかなる退却も、いかなる避難所も、死すらもない:「至る所で名を知られ、私は追放の地さえ失った(ウビクェ・ノートゥス・ペルディディ・エクシリオー・ロクム)」(v.1331)。
十一、次の単位——「オイタ山上のヘラクレス」
頁421末尾、本項全体の総括とともに新項へのブリッジが与えられる。この『狂えるヘラクレス』は、記憶と新機軸から成る。それはエウリピデス的構造の一部を保存する。だが『狂えるヘラクレス』をギリシア悲劇へ還元することはできない——セネカにおいては〈自我〉の問題が、ユーノーの閃くような直観のうちに修辞的な形で、そしてより悲愴な仕方で、ヘラクレスが自分自身をもう一人の他者として反省するうちに、浮上する。この錯乱はどこから来るのか。この病はどこから来るのか。『オイタ山上のヘラクレス』は、病についてさらに深く問うことになるだろう。新項「オイタ山上のヘラクレス(Hercule sur l'Oeta)」——真正性が長らく疑われてきたこの作品の来歴の検討から始まる——は読解ノート(七・その七)で扱う。
第Ⅳ章続 「オイタ山上のヘラクレス」前半——デーイアネイラの疑惑、狂気の詐称、そしてマルクス・アウレリウスの勅答をめぐる責任論
〇、橋渡し——『オイタ山上のヘラクレス』は「反復についての反省」である(頁421)
七・その六末尾の予告どおり、新項が開かれる。ピジョーはまず真正性論争に対する明確な立場を表明する。この作品の真正性は長らく疑われてきた。われわれはこの立場を真剣に維持できるとは考えない。そしてセネカの他の悲劇群における『オイタ山上のヘラクレス』の語彙の出現頻度の分析は、決定的であるように思われる(注176)。われわれとしては、『オイタ山上のヘラクレス』のうちに『狂えるヘラクレス』についてのきわめて深い反省を見る。『オイタ山上のヘラクレス』は『狂えるヘラクレス』の反復(レペティシオン)であり、反復についての反省である。既に指摘されてきたとおり、デーイアネイラはユーノーを二重化する反復の一例である。デーイアネイラはヘラクレスのために最も恐ろしい災いを探し求める、『狂えるヘラクレス』序幕(v.256以下)のユーノーのように。「天の怒りは圧しかかり、不幸な者を作る。人間の怒りは、何者も作りはしない(カエレスティス・イラ・プレミト、ミゼロース・ファキト、フマーナ・ヌッロース)」(v.441–442)とデーイアネイラは言う。疑惑の長台詞に続くこの言葉は、客観的な仕方で解釈できよう——デーイアネイラはヘラクレスの死を思っているのだ、と。だが彼女がヘラクレスの狂気に与える、あまりに人間的な、人間的すぎる照明は(頁422へ続く)。
一、デーイアネイラの疑惑——狂気は詐称ではないか(頁421–422)
本項の劇的核心。『狂えるヘラクレス』における不幸な者だったヘラクレスの姿を、この瞬間、無意味な行為の虚無(ネアン)に変えてしまう(注177)。デーイアネイラとともに、ヘラクレスの狂気に対する疑惑(ル・スプソン)が介入する(注178)。そしてその解釈は、光の当て方を全面的に変えながらも、事実そのものは救い出す。すべてが論理的に説明される——未熟な性欲、抑えがたい処女への恋着、成熟した女への嫌悪に、すべてが帰着する。難業(トラヴォー)は娘たちを求めて旅するための口実であり、狂気とは行いを正当化するための詐称(シミュラシオン)であり、ユーノーへの憎悪こそ究極の言い訳、最後の策略なのだ:
「彼が世界を彷徨うのはユピテルに並ぶためではない……彼が求めるのは愛であり、彼が欲するのは処女たちなのだ。もし一人でも拒まれれば、彼は奪う。彼は民衆に対して狂憤を働かせる。廃墟のただ中で妻たちを奪い取ることこそ、彼の悪徳に満ちた抑えがたい淫欲が『勇徳』と呼ばれる所以なのだ(エッラト・ペル・オルベム、ノーン・ウト・アエクェトゥル・イオウィ……クォド・アメト・レクィリト、ウィルギヌム・タラモース・ペティト。シ・クワ・エスト・ネガータ、ラピトゥル;イン・ポプロース・フリト、ヌプタース・ルイニース・クアエリト・エト・ウィティウム・インポテンス・ウィルトゥース・ウォカトゥル)」(v.417以下、注179)。
「そしてその後、なぜ私はこの手を無実のままにしておくべきなのか、彼が狂気を装い、残忍な手で弓を引き絞り、私と息子を殺すその時まで? まさにこうしてアルキデスは妻たちを厄介払いするのだ、これが彼の離縁のやり方なのだ——それでいて彼は罪人と見なされることはない。全世界の目に、継母〔ユーノー〕を自分の悪行の原因に仕立て上げたではないか(ポスト・ハエク・クィド・イスタース・インノケンス・セルウォー・マヌース、ドネク・フレンテム・シムレト・アク・サエウァ・マヌー・インテンダト・アルクース・メクェ・ナートゥムクェ・オプリマト? シク・コニウゲース・エクスペッリト・アルキデース・スアース、ハエク・スント・レプディア;ネク・ポテスト・フィエリ・ノケンス:テッリース・ウィデーリー・スケレリブス・カウサム・スイス・フェキト・ノウェルカム……)」(v.428以下、注179)。
二、狂気の詐称の伝統——文学と医学(頁422–423)
デーイアネイラの疑惑は孤立した文学的発明ではない。狂気への疑惑は文学と医学の双方に同時に介入する。ソポクレスはオデュッセウスの悲劇、『狂えるオデュッセウス(オデュッセウス・マイノメノス)』を書いていた。キケローとオウィディウスは、武具の労役を逃れるために狂気を装った(シムラティオーネ・インサニアエ、とキケローは言う)ホメロス後の伝承のオデュッセウスを証言する。彼は驢馬と牛を軛につけて畑を耕したとされ、それを見破るためにパラメーデースはテーレマコスを殺すふりをした。オデュッセウスの息子への愛が彼を裏切り、彼は出征せねばならなかった(注180——キケロー『義務について』III.26.97;オウィディウス『変身物語』XIII.36;プリニウス『博物誌』XXXV.121)。
詐称は医師たちによく知られている。ガレノスは、その論考『病を装う者の見破り方(クォーモード・シムランテース・モルブム・デプレヘンディー)』のうちでこれを論じる(注181——底本デイヒグレーバー=クルドレン版):「他の者たちは、譫妄しているふりをし、狂っているふりをし、他人を狂わせているふりをした(カイ・パラレーレイン・プロセポイエーサント・カイ・モーライネスタイ・カイ・モーライネイン・ヘテルース)」(注182)。「素人は、これらすべての事例を見出し互いに区別することが医師の仕事だと考える(エクセウリスケイン・テ・カイ・ディアクリネイン・アッレーローン)」(注183)。ケルススは、理性を装い、それゆえにきわめて危険な狂人の詐称に関心を寄せる(注184——『医学論』III.18、「狂人の詭計(ドルス・インサニエンティス)」に留意すべしとの警告)。
三、マルクス・アウレリウスの勅答——アエリウス・プリスクスの母殺し(頁423–424)
本節、そして本ノート全体の最大の収穫。だがわれわれは、ここで短い余談(エクスキュルス)として、この点に関するあるストア派の人物のテクストを注釈したい。というのもわれわれは幸運にも、狂人の責任の問題について、マルクス・アウレリウスとコンモドゥスの一つの勅答(レスクリ)を持っているのだから(注185——勅答の年代はマルクス・アウレリウスとコンモドゥスの共同統治期、176–180年。コンモドゥスの署名部分は形式的なものにすぎず、名の付記に限られる)。これはP・ノワイエンによって短い論文のうちで研究された(注186)。あるアエリウス・プリスクスなる者が自らの母を殺害した。裁判官スカプラ・テルトゥッルスは(注187)マルクス・アウレリウスに助言を求めた。
この文書は法制史家たちによって、皇帝的寛仁(マンスュエテュード)の実例——彼らがストア的フマニタースに帰する寛仁——として解釈されてきた。われわれは、指示のうちに含まれるいくつかの挿入句(アンシーズ)を手がかりに、解釈をさらに一歩進めることができると考える。勅答の核心が引かれる:
「もしアエリウス・プリスクスが、あらゆる知性を欠く継続的な精神の疎外という効果のもとにある、そのような狂気の状態にあることが絶対的に明白であり(イン・エオー・フーロレー・エッセ・ウト・コンティヌア・メンティス・アリエナティオーネ・オムニー・インテッレクトゥー・カレアト)、かつ、彼が母を殺したのは狂気を装ってのことだという疑いが少しも残らないならば(シムラティオーネ・デメンティアエ)、汝はアエリウス・プリスクスへの処罰を免じてよい、彼は既に〈狂気そのものによって〉十分に罰せられているのだから(クム・サティス・フーロレー・イプソー・プニアートゥル)」(頁423–424)。
「かくしてマルクス・アウレリウスは」とP・ノワイエンは書く、「母殺しを罰しないよう命じることによって、無答責の原則を認めた」(注189)。反対にA・ルビーグルは、彼が無答責の観念に言及しているのではなく、この文書は憐憫(ピティエ)にのみ着想を得たものだと考える。狂人に対する刑事訴追の不在を正当化する二つの伝統があったことになる——一つは寛仁に基づき、マルクス・アウレリウスとモデスティヌスに代表され、もう一つは法的無答責に基づき、ウルピアーヌスに代表される、と。モデスティヌスは、『ユリア・モデスタティス法注解』のうちで、マルクス・アウレリウスの勅答を取り上げる(注191):「確かに、もし誰かが狂気(フーロル)によって親を殺したなら、彼は罰を免れるであろう——神なる兄弟たち〔マルクス・アウレリウスとルキウス・ウェールス〕が、狂気によって母を殺した者について勅答したように——というのも、狂気そのものによって罰せられることで十分だからである」。だが彼は別のところでこうも言う——大胆な者たちには厳格であらねばならないが、狂人たちに対しては寛容でなければならない、と(注192)。
ウルピアーヌスは、A・ルビーグルによれば(注193)、無答責に法的基礎を与えた最初の者であったとされる——インファーンス(幼児)とフリオースス(狂人)を同一視することによって、両者に対しては何らクルパ(過失)の観念を向けえないのだから、彼らは自らの精神の主人ではないがゆえに(注194)。ウルピアーヌスはアクィリア法の適用についてのペガーススの答申を注釈する:「そこでわれわれは問う——もし狂人が損害を与えたなら、アクィリア法の訴権は成立するか。ペガーススは否と答えた——彼のうちにいかなる過失があろうか、自らの精神の主人ですらないというのに(エト・イデオー・クアエリムス、シ・フリオースス・ダムヌム・デデリト、アン・レギス・アクィリアエ・アクティオー・シト? エト・ペガースス・ネガウィト:クアエ・エニム・イン・エオー・クルパ・シト、クム・スアエ・メンティス・ノーン・シト?)」。惹起された損害は、四足獣あるいは屋根から落ちた瓦によって引き起こされた行為に比せられよう。
四、ピジョー自身の介入——「知性」の語は既に勅答の中にある(頁425)
ピジョーはノワイエンとルビーグル双方に対して独自の立場を鮮明にする。われわれは、A・ルビーグルとともにこれを単なる人道の原則の問題にすぎないと考えることは不可能だと考える。意識(コンシアンス)の観念——インテッレクトゥース——は勅答のうちに現に存在しており、そこには明晰の間隔(アンテルヴァル・ドゥ・コンシアンス)の問題、そして詐称の問題が扱われている。したがって、「精神疾患者に固有の、自らの行為の無理解に基づいて、非行を犯した狂人の精神的無答責の観念を明確に」引き出すのに、ペガーススやウルピアーヌスを待つ必要はないのである(注196)。われわれは、A・ルビーグルの主張とは反対に、勅答のうちにインテッレクトゥースの語とメーンス(アリエナーティオー・メンティス)の語を見出す。P・ノワイエンもA・ルビーグルも、いかなる実例も示すことのない漠然たるストア的人道主義哲学に訴えている。われわれにとっては、法史にとって、『狂えるヘラクレス』と『オイタ山上のヘラクレス』におけるセネカの狂気についての反省の重要性を指摘することが、きわめて重要であるように思われる(注197)。悲劇作者において、無答責は確かに意識の不在に結びついている——「純白の手に最も近いくじは、罪を知らぬことである」(注198、七・その五・その六で既出のv.1098–1099)。フーロルとネスキーレ(知らぬこと)は対をなして進む。
そしてデーイアネイラはわれわれに詐称についての反省を提示する。『狂えるヘラクレス』の合唱の詩句への注のうちで、L・エルマンは「この理論はここでは訴訟の必要のためにのみ提示されている、というのも、罪、人が知らぬ穢れは、古代人の目にはそれでもなお存在し続けるのだから」と書く(注199)。これは実際、悲劇的思考の一部を成していた——刑罰と過失の間の対応の不在、「情状酌量」の不在、そして神々と人間がともに関与した行為における人間の全的責任、というものが。『狂えるヘラクレス』の合唱の言葉のうちで、悲劇的なものと法的なものは合流する。両者はそれを一つの悲劇のうちで行うのであり、悲劇的経験がそこに大いに与っている。『オレステース』、『狂えるヘラクレス』、エウリピデスの『バッコスの信女』が、われわれが見てきたとおり同時に言い訳(エクスキューズ)でも避難所(ルフュージュ)でもある狂気の観念を発展させたことは明白である。
五、鎖の両義性——保護・処罰・治療(頁425–427)
ルビーグルの神罰論への反駁が続く。マルクス・アウレリウスの勅答に立ち返るなら、狂気について、神罰という「十分な処罰」を持ち出すことは、まったく不可能であり、むしろ滑稽ですらある——A・ルビーグルがそうするように、彼はこう書く:「狂気が神々によって課されるという古来の長い伝統がある、時にはあらかじめ犯された過ちへの処罰として、時には純然たる恣意によって。ゆえに、フリオーススが自らの病そのものによって十分に罰せられるとしても、何ら驚くべきことはない」(注200)。
だがピジョーはここで法律家たちの「寛仁」を額面通りには受け取らない。勅答本文の続きが引かれる:「汝はアエリウス・プリスクスへの処罰を免じてよい……とはいえ、彼は大いなる注意をもって監視され、汝がそれを適当と考えるならば、鎖につながれるべきである。というのもそれは、彼の処罰にも、彼自身と近親者の保護と安全にも、等しく資するであろうから(クオニアム・タム・アド・ポエナム・クアム・アド・トゥテラム・エイウス・エト・セクリタテム・プロクシモルム・ペルティネビト)」。ここに核心的な両義性が指摘される:鎖にも監視にもいかなる批判を加えるつもりはない、というのも興奮した者は自らを傷つけ他者に害をなしうるのだから。これは危険にある人物への基本的な救助の問題である。だが両義的なのはこの因果的な言い回しの方である。狂気を十分な処罰としながら、鎖を処罰かつ保護とすることの間には、矛盾があるように見える。この違和感は強く感じられてきたため、「クォド・ノン・タム・アド・ポエナム……(処罰よりもむしろ保護に適するもの)」という修正案すら提案されてきた(注201)。
ピジョーは修正を斥け、二層の論理を提示する。だがわれわれは、テクストを修正すべきではないと考える。むしろわれわれはここに二つの異なる水準の推論を見出し、そこに狂気に対する態度の両義性そのものを発見する。マルクス・アウレリウスの第一の説明——狂気それ自体が十分な処罰であるとする説明——のうちに、われわれは喜んで一つの形而上学的観念、あえて言うならプラトン的観念を見たい。行為と個人の魂の状態は、同一かつ唯一の処罰なのである——プラトン『テアイテトス』176E がその出典として引かれる:
「ソクラテス:親愛なる者よ、現実の只中には二つの範型が据えられている——一つは神的で至福なるもの、もう一つは神なく悲惨に満ちたものである。だが彼らはそれを見ない。彼らの愚かさ、いや彼らの無分別そのものが、不正な行いによって後者に似ることを妨げず、そして前者への似姿をすべて失わせる。彼らの罰は、彼らの生そのものであり、彼らが自らを似せてしまったその範型に適合している」(注202——A・ディエス訳を一部改変)。
この観念は「エルの神話」における生の選択のうちにも見出される。この観念はセネカによって取り上げられ、二つのきわめて明快な定式のうちに現れる:
「彼らは、その罪が成し遂げられた瞬間に、いや、それどころか、成しつつあるまさにその瞬間に、罰せられるのだ(スタティム・プニウントゥル、クム・ファクタ・スント、イムモー・ドゥム・フィウント)」(注——『倫理書簡集』87.25)。
そしてとりわけ:
「罪の罰は、罪そのもののうちにある(スケレリス・イン・スケレレ・スップリキウム・エスト)」(『倫理書簡集』97.14)。
鎖の強制についての説明に話は戻る。テクストを修正すべきとは思われない。だがここにわれわれが見出すのは、鎖の両義性——その強制的価値は複数の目的に及ぶということ:慎重さ(プリュダンス)の目的、処罰の目的、そしてここには明らかに現れない、法的文書のうちには現れない、治療的(テラプティック)目的である。現代の精神科医もまた、多くの議論の中心にあり続けるこの両義性を終わらせてはいない、と言えよう(注203——B・ドゥ・フレミンヴィル『より強き理性——狂人を治療するか虐待するか?』1977年)。慎重さは直ちに理解できる。それは医学的テクスト——ケルスス、カエリウス・アウレリアヌス、あるいはアレタイオス——において推奨されている。カエリウスに関しては、処罰については語らない(注204——羊毛の紐で縛り毛布で包むことが推奨される、患者を傷つけぬために)。マルクス・アウレリウスのテクストが意味するのは、狂人に対して、確かに彼は責任がないということである。だが他方で、人は決して知りえない——おそらく多少なりとも罰する必要があるのかもしれない、おそらく罰せられるべき何かが裏に潜んでいるのかもしれない。鎖は慎重さの道具であると同時に通常は処罰の道具でもあるという二重の性格を持つ以上、それを最大限利用しない手はない。とりわけ——『ストア主義と魂の病』の章で述べたとおり——狂気の起源には、成長するに任された人間の情念があり、そしてある意味で、起源においては、人は自らの狂気に責任がある——エルの神話において、レーテーを渡る前に、人が一つの生を選んだように。
六、ケルススの治療的暴力(頁427)
暴力の治療的価値はケルススによって強調される:「だがもし病人の精神が疎外されているなら、ある種の矯正(トルメンティス・クイブスダム)を用いて成功が得られる。もし彼が何か不適切なことを言ったりしたりするなら、飢えによって、鎖によって、打擲によって強制する……恐怖、突然の恐れ、この病に有用なものはすべて用いる」(注205——『医学論』III.18.21、「長引く狂気」の章)。問題は病人を維持することであるが、同時にある意味で、強制と暴力によって彼の意識を目覚めさせることでもある——これは時代を通じて繰り返し見出される観念である。
七、明晰間隔の問題——次単位への橋渡し(頁427–428)
本項最終節。詐称という常に可能な問題を措くとしても、明晰間隔(アンテルヴァル・ドゥ・リュシディテ)の問題がある。マルクス・アウレリウスは言う——「汝は、彼がそれらの瞬間に罪を犯していないかどうかを検討せよ、病がそれによって彼に無罪放免を与えることのないように。もし汝がそのとおりだと判断するなら、われわれに相談せよ、そして彼が最も重い刑に処せられるべきではないかをわれわれは検討しよう、その罪の甚大さに鑑みて」(注206)。この明晰間隔への言及とともに、責任論の考察は次の局面——テクストそのものへの回帰——へと開かれる。
八、次の単位——「ヒュロスの語り」
頁428後段、法制史的余談を終え、ピジョーはテクストへ立ち返る:ヒュロスの語り——第775行以下(ル・レシ・ドゥイユロス)。ここからは、デーイアネイラが送った毒の衣(実はネッソスの血に浸された衣)を身にまとったヘラクレスの、使者ヒュロスによる報告の場面の精読が始まる。読解ノート(七・その八)で扱う。
第Ⅳ章続 「ヒュロスの語り」——燃える衣、臓腑の暴露、そして「病はどこにあるのか」
〇、橋渡し——「ヒュロスの語り」と反復の構造(頁428)
七・その七末尾で予告された場面の精読が始まる。L・エルマンは、この病の場面と『狂えるヘラクレス』との近親性をよく見て取った。「詩人は意図的に、幾つかの詩行のあいだ、ヘラクレスが新たな狂気の発作に見舞われたと信じさせた」と彼は書く。「二つの悲劇のあいだの並行関係は、家族殺しに対応する無実のリカースの殺害によって強調される」(注207)。この並行関係は実際、印象的である。発作はここでも、ユピテルへの供犠の最中に到来する。セネカの『狂えるヘラクレス』を超えて、この場面はエウリピデスへ送り返す——というのもこれは語り(レシ)だからである。この場面は上演されない。この近親性はさらに深く考察されねばならない。われわれは既に、『オイタ山上のヘラクレス』は反復についての反省であると述べた。
一、狂気の再来という誤認——「これは狂気より重い悪だ」(頁428)
この突然の発作の目撃者たちは、狂気の反復だと思い込む。「民衆は、かつての狂乱が戻ってきたと思った(ウォルグス・アンティクァム・プタト・ラビエム・レディッセ)」(v.806)。召使たちは逃げる。ヘラクレス自身がこれを訂正する:
「『とどまれ』と彼は言う、『狂気が私から心を奪ったのではない。これは狂気よりも重い悪、怒りよりも重い悪だ——私自身に対して猛り狂いたいのだ(レジスティテ、インクィト、ノン・フーロル・メンテム・アブストゥリト、フーロレー・グラウィウス・イストゥード・アトクェ・イーラー・マルム・エスト:イン・メ・イウァト・サエウィレ)」(v.823以下)。
これは演劇と文化の非常に大きな瞬間である。場面は反復され、意味を変える。一瞬、ヘラクレスの二つの姿は一致する——同じ外見、同じ身振り。だが意味は変わる。神話論的な解釈もまた、ヘラクレスの苦痛を通俗的な象皮病に還元する解釈と同様に、還元的であろう(注208・209——デュメジルの解釈、および『ギリシア古諺集成』が伝える「ヘラクレスの疥癬」への言及)。悲劇詩人による、病についての新たな反省を提示する、きわめて繊細な作業がここにある。
二、二つの病の合流と分岐——燃える衣の報告(頁428–429)
二つの病の姿は、一つの同一の徴候のうちで合流し、それから離れてゆく——より抽象的なフーロルの姿と、飼い慣らせず抑えがたい身体的苦痛の姿とへ。それゆえフーロル、あの錯乱の病は、アルクメーネーにとってほとんど安心できるものにすら思われうる:
「息子よ、汝の身体を焼くのは、汝の妻がもたらした毒ではない。むしろ、労苦の過酷な連続と、汝の長き労働とが、おそらくこれらの血まみれの病を汝に養い育てたのだ(ノーン・ウィルス・アルトゥース、ナーテ、フェミネウム・コクィト、セド・ドゥーラ・セリエース・オペリス・エト・ロングス・ティビ・パーウィト・クルエントース・フォルシタン・モルボース・ラボル)」(v.1396)。「その病こそが狂気だ。それだけがヘラクレスを制しうる(ドロル・イステ・フーロル・エスト:ヘルクレム・ソールス・ドマト)」(v.1407)。
アルクメーネーは民衆の理性を、既に語った諺を取り戻す。だがこの、彼の肉と融け合った衣は、あれほどの苦しみの原因は、どこにあるのか、そもそもそれはどこにあるのか。セネカはヘラクレスの肉の消耗を、エウリピデスが『メデイア』でクレウーサの苦しみを描いたのと同じ仕方で描いた:
「彼は自らの手足を引き裂き、その広大な手で耕すように、肉をむしり取る。彼は衣を脱ぎ捨てようとする——そしてこれこそ、私がヘラクレスの無力を見た唯一の場面だった。それでも彼は布地を引き剥がそうと努め、同時に自らの肉を引きちぎる。身体を覆う不気味な衣はもはや身体の一部となり、衣は肌と一つに溶け合っている(アルトゥース・イプセ・ディラケラト・スオース・エト・メンブラ・ウァスタ・カルピト・アウェッレンス・マヌー。エクスエレ・アミクトゥース・クアエリト:ホク・ソールム・ヘルクレム・ノーン・ポッセ・ウィーディ;トラヘレ・コナートゥース・タメン・エト・メンブラ・トラークシト:コルポリス・パッラー・ホリディー・パルス・エスト・エト・イプサ:ウェスティス・イムミスケト・クーティ)」(v.826以下、注210——L・エルマン訳)。
だがこの描写は単なる修辞的演習ではない。病がそこにある以上、原因はもはや何ものでもない。この病は、少なくとも、その身体的起源について何ら疑いを呈さない。ヘラクレスは生理学的過程を豊かに記述する。
三、身体の解体——長大な生理学的独白(頁429–430)
本項の劇的頂点をなす、二十行にわたる長大な独白が引かれる:
「ああ、内なるこの蠍は何だ、灼熱の地帯からもぎ取られたこの蟹は何だ、私に突き刺さり、私の骨髄を焼くのは? かつて血に満ちていた私の肝臓よ! 見よ、それは私の膨れた肺の焼け爛れた繊維を今や引き延ばす! それは涸れた胆汁で肝臓を焼き、粘り着く蒸気が全ての血を運び去った。まず皮膚を食い尽くし、そこから四肢へと侵入の道を開いた、この忌まわしきものは。疫病は脇腹を奪い、悪は手足の奥深くまで、そして肋骨を貪り食い、骨髄を飲み干した。それは空になった骨のうちに潜み、骨自体はもはや硬さを保たず、関節という関節が砕け散り、私の身体の骨組みは外れ、骨は溶けて崩れ落ちてゆく……(ヘウ・クアーリス・イントゥース・スコルピオース、クィス・フェルウィダ・プラーガ・レウルスス・カンケル・インフィークスス・メアース・ウーリト・メドゥッラース? サングィニス・クオンダム・カパークス・トゥミディ・イェクル・プルモニス・アレンテース・フィブラース・ディステンディト:アルデト・フェッレ・シッカートー・イェクル・トートゥムクェ・レントゥース・サングィネム・アウェクシト・ウァポル。プリマム・クーテム・コンスムプシト、ヒンク・アディトゥム・ネファース・イン・メンブラ・フェキト、アブストゥリト・ペスティス・ラトゥス、エクセディト・アルトゥース・ペニトゥース・エト・コスタース・マルム、ハウシト・メドゥッラース、オッシブス・ウァクィース・セデト・ネク・オッサ・ドゥラント・イプサ、セド・コンパギブス・ディスクッサ・ルプティース・モーレー・コンラプサ・フルウント。デフェキト・インゲンス・コルプス・エト・ペスティ・サティス・ヘルクレア・ノーン・スント・メンブラ;プロー・クァントゥム・エスト・マルム・クオド・エッセ・ウァストゥム・ファテオル、オー・ディールム・ネファース! エン・ケルニテ、ウルベース、ケルニテ・エクス・イッロー・ヘルクレ・クィド、クィド・スペルシト。ヘルクレム・アグノースキス、パテル? ヒスネ・エゴー・ラケルティース・コッラ・ネメアエイ・マリー・エリーサ・プレッシー? テンスス・ハク・アルクス・マヌー・アストリース・アブ・イプシース・デプリット・ステュムファリダース?)」(v.1218–1238)。
これほどの細部、これほどの過剰、これほどの過多は、良い趣味を害しかねない。病は良い趣味とは無縁である。生理学的描写は、まさにそのことを示すためにこそそこにあるのだ——名状しがたきもの(ネファース、ペスティス、マルム)を、内へ内へと、存在の深奥へと向かう陰険な進行を、あらわにするために:
「なぜ汝は隠された傷で私を攻めるのか(クィド・メ・ウルネレ・オクルトー・ペティス?)」(v.1250)。
四、「隠された傷」——臓腑の暴露と際限の消失(頁430)
この悪はヘラクレスと融け合ってしまう:
「見よ、皮膚を引き剥がした手が、臓腑を露わにした。それでもなお、さらに奥に隠れ場が見出された——おお、ヘラクレスと見紛う悪よ!(エッケ・ディレプター・クーテ・ウィスケラ・マヌース・デテークシト;ウルテリオル・タメン・インウェンタ・ラテブラ・エスト——オー・マルム・シミレ・ヘルクリー!)」(v.1262以下)。
ピジョーは訳者エルマンの解釈に異議を唱える。われわれは、エルマンがここに「すなわち、飼い慣らせぬ、無敵の」と注釈するようには理解しない(注211)。ヘラクレスが言おうとしているのは、悪が彼自身と一つに溶け合ってしまった、彼は今やこの悪そのものにほかならない、ということである(注212)。
五、怪物の吸収——「病はどこにあるのか」(頁431)
本項全体、そして本章全体の理論的頂点。セネカは『狂えるヘラクレス』とのあいだにきわめて繊細な関係を織り上げた。思い出そう——悪とは他者であった、もう一人の彼自身であり、彼自身に対する彼自身であった。ユーノーのセ・ウィンカトの嘲弄を思い出そう! 命題の反転——ヘラクレスは生きながら、ヘラクレスに打ち勝つ! だが自己に打ち勝つとは何を意味するのか、悪が自己と一つに溶け合ってしまったとき、それを取り囲み、識別し、自己から切り離すことができないとき、一つのもの、同じものとなってしまったとき——すなわち存在そのものが変容してしまったとき。
「苦痛に打ち勝てぬものが何かあろうか(クィド・ノーン・ポッシト・スペラーレ・ドロル?)」(v.1279)と合唱は歌う。ヘラクレスは泣く(v.1265)。彼は懇願する(v.1320)。彼は苦痛の下で溶け去った:「母よ、信じてくれ、私の臓腑の只中を、レルネーのヒュドラーと千の獣たちが彷徨っているのだと(エッラーレ・メディイース・クレーデ・ウィスケリブス・メイース、オー・マーテル、ヒュドラム・エト・ミッレ・クム・レルナ・フェラース)」(v.1359–1360)。
怪物たちは吸収されてしまった。どうやってそれらに打ち勝てばよいのか。それらは彼のうちにあるのだ。錯乱の病にあったとき、怪物は彼に近づき、彼の足取りに付きまとっていた(注213——『狂えるヘラクレス』v.1279–1281の既出句、七・その六「怪物とは彼自身」参照)。今や怪物は呑み込まれ、彼と一つに溶け合っている。病の客体化、局在化は不可能になり、それとの区別も不可能になる:
「病はどこに、そもそも病はどこにあるのか……(ウビ・モルブス、ウビナム・エスト?……)」(v.1399)。
ピジョーの結語的評価が続く。ではこの病は、フーロルよりも恐ろしいのだろうか。答えは明白であるように思われる。フーロルはなお、あまりに劇的で、あまりに抽象的であった。身体が死につつあれば、それで十分なのだ。この悲劇は『狂えるヘラクレス』よりもはるかに新しく、はるかに深い。だがそれは、この最初の悲劇との関係においてしか、その真の意味を持たない。『オイタ山上のヘラクレス』の病は、エウリピデス的構造から抜け出している。われわれは「自己に打ち勝つ」という弁証法——ユーノーがヘラクレスをヘラクレスに対抗させることで、その最強点にまで押し上げたあの弁証法——から抜け出すのである。それは強者が泣き、呻き、腐り、自己自身から自己を引き剥がそうとし、「言い難い何か(ジュ・ヌ・セ・コワ)」の餌食になっている姿を示す(頁432へ続く)。
六、次の単位
頁431末尾、ピジョーは新たな主題への移行を予告する形で本節を締めくくる——強者の涙、呻き、腐敗、自己からの引き剥がし、そして「言い難い何か」の犠牲——この像から、アルクメーネーの俗説的診断(「これは労苦の帰結にすぎない」)とその彼方にある、賢者の病という主題の哲学的・神学的展開へ続く箇所を扱う。読解ノート(七・その九)で扱う。
第Ⅳ章続 賢者の病という逆説——アテナイの疫病から「賢者の恒心について」へ、そしてパイドラーへの橋渡し
〇、橋渡し——「言い難い何か」の犠牲としての病(頁431)
七・その八末尾で見た「怪物の吸収」と「病はどこにあるのか」という問いの直後、ピジョーは決定的な評価を下す。この病が狂気(フォリー)よりも悪いことは明白である。というのも、それが自らのうちに、それに続いて運んでくるものすべての中には、譫妄も、狂気そのものもあるからだ。これを構想し表現した人間は、明らかに病と死とに取り憑かれている。われわれは彼をメランコリー患者たちの列に加える——病の存在は彼の全作品のうちに遍在する(注214——P・R・フェルナンデス『病めるセネカ』)。だが、病が一つの恥辱(スキャンダル)であることも同様に真実である。強者の窮乏、健全な者の失墜、それこそが恥辱なのだ——これこそ考えねばならないことであり、こここそ、われわれが「賢者の病」と呼んできた問題が、実現され、現働化された場所なのである。
一、悲劇は栄光のうちに終わる——キリスト教的寓意とその限界(頁431–432)
だが悲劇はそこで終わらない。それはヘラクレスの栄光のうちに終わるのである。それならば、ついに再生するためには、屈辱の極みまで行かねばならなかったということか。この図式がキリスト教的瞑想に寓意的な形式を提供しえたことは容易に理解できる(注215——M・シモン『ヘラクレスとキリスト教』1955年;G・K・ガリンスキー『ヘラクレスの主題』1972年):
「死がもたらした何という平安!(クアンタ・パークス・オビトゥム・トゥリト!)」(v.1685)。「彼は自らを気に掛けることなく横たわり、天を見つめ、目で、父がどこかから彼を見下ろしていないかと探した……(イアクイト・スイ・セクールス・エト・カエルム・イントゥエンス・クアエシウィト・オクリース・パルテ・アン・エクス・アリクア・パテル・デスピケレト・イッルム……)」(v.1693以下)。
だがピジョーは寓意への還元を斥ける。キリストとは異なり、ヘラクレスは絶望の極みまでは行かない。彼は絶望のうちに死ぬのではなく、その点においてキリストほど真実ではない。それでもなお『オイタ山上のヘラクレス』は信仰の行為によって終わる——だがそれは英雄のではなく作者の信仰である。ストア的賢者が立ち直ったのだ——われわれは英雄よりもむしろ作者について語っているのである。というのも、このヘラクレスの力はどこから来るのか。ヘラクレスは彼を拒む火を追い求める(注216):「そして燃やされることを急がない……(ネク・プロペラト・ウリー;……)」(v.1747)。これほど大いなる弱さから、これほど大いなる力が生まれること、それこそがテオロゲイオン(神学的な場面)とヘラクレスの顕現とに値するものである(注217)。
二、トゥキュディデスのアテナイ疫病論——アテュミアの起源(頁432)
ピジョーは主題の系譜を古代最初の疫病記述にまで遡る。身体的な病の発見、身体における苦痛の発見は、悲劇において新しいものではなく、ピロクテーテースの潰瘍を想起することもできよう。だがこの生理学的な失墜に伴う、あの恥辱的な失墜、あの心理的崩落を演出したのはセネカである。実のところ、この主題の起源に関心を持つならば、われわれは再度、トゥキュディデスによるアテナイの疫病の分析——医学的、道徳的、そして形而上学的観点からのその重要性を、われわれは既に見た——にまで遡らねばならない:
「だがこの病において最悪だったのは、まず落胆(アテューミアー)であった。それは、自分が冒されたと感じたときに人を襲うものであり——精神がただちに絶望へと向かい、反応することなく身を委ねてしまうのである」(注218——II.51.4、J・ド・ロミリー訳)。
三、ルクレティウスとウェルギリウス——病の二つの面(頁432–433)
身体的な悪と結びついたこのアテュミー(落胆)は、ルクレティウスのうちにも見出される:
「耐えがたきこの悪に、不断の道連れとして、不安な苦悶が付き添い、呻きと入り混じった嘆きがあった(イントレラービリブスクェ・マリース・エラト・アンクシウス・アンゴル・アッシドゥエ・コミース・エト・ゲミトゥー・コンミクスタ・クウェレッラ)」(注219——第Ⅵ巻v.1159–1160、エルヌー訳)。
ルクレティウスは病の二重の側面——身体的な面と道徳的な面、アンゴルとアンクシウス、クウェレッラとゲミトゥスとを、注意深く与えている。ウェルギリウスは、『ノリクムの疫病』において、病に伴う気遣い(スーシー)(注220——『農耕詩』第Ⅲ巻v.530)と、虚脱、落胆とを記す(注221——同、v.408以下)。
四、ヘルダーリンの「近代悲劇」——存在の失墜としての死(頁433)
本項の最も遠い射程を持つ脱線。かくしてここには、賢者の責任には何ら負うところのない、しかも身体的な悪の不可避の帰結であるアテューミーがある。ここに新しい形の悲劇的なものがあり、それは存在の失墜のうちで死へと導く——近代的な悲劇的なものであり、それについてヘルダーリンはこう書いている:「というのも、われわれのもとでの悲劇的なものとはこうしたことだからだ——われわれが生者たちの世界を、ただ一つの小箱に荷造りされて、静かに立ち去るということ、そうではなく、炎に焼き尽くされながら、われわれが手なずけることのできなかった炎を、われわれが贖うということではなく」(注222——ヘルダーリン、ベーレンドルフ宛書簡、1801年12月4日)。まさにセネカは、この英雄に、栄光なき退場を拒んだのだ。病の容赦なき失墜のうちに一つの断絶を刻むことによって、生物学的論理の一つの破断によって、彼は英雄を栄光へと導く。生に意味があらねばならない。それが死よりも最終的に強くあらねばならない。そしてそのためには、意識と意志とがそれに伴い、平安のうちでの同意がそれに伴わねばならない。
五、『賢者の恒心について』——ストア派への反駁と応答(頁433–434)
本節、本項全体の哲学的核心。ピジョーはセネカ自身のうちに理論的反省を求める。『賢者の恒心について』のうちで、セネカはセレヌスにこう語る:
「私にはもう汝が見える、いきり立ち、憤慨に沸き立つ様が。汝はこう叫ぶだろう——『これこそまさに、われわれの格率からあらゆる権威を奪うものだ。汝らは驚異を約束する……賢者は決して貧しくないと高らかに宣言しておきながら、汝らは、彼にはしばしば奴隷もなく、屋根もなく、食物すらないことを認める。賢者は決して理性を失わないと断言しておきながら、汝らは、彼にも精神を失うことがあり、筋の通らぬ言葉を発し、病が強いるあらゆる常軌を逸した振る舞いに身を委ねることがあると認めるのだ……』」(クム・サピエンテム・ネガーティス・インサーニレ、ノーン・ネガーティス・アリエナーリー・エト・パルム・サーナ・ウェルバ・エミッテレ・エト・クィッドクィド・ウィス・モルビー・コーギト、アウデーレ、注223——III.1、R・ワルツ訳)。
これこそがまさに、ストア主義の見かけ上の矛盾である。答えは結局のところ、信仰と希望の次元に属する。賢者は神々のごく近くの隣人である——死すべき者であるという一点を除いて:
「秩序と静謐とが支配し、すべてが均等で調和ある運行のうちに動き、平和と善意の雰囲気のうちで万物が世界の至福に協力するあの崇高な領域へと、あらゆる力を尽くして向かいながら……彼は決して卑しい欲望も涙も知ることはないであろう……」(注224——同VIII.2)。
六、賢者の自死——不変の他者性という要請(頁434)
もし賢者が自殺するなら、その行為が病の帰結、病理的な変異形(アヴァタール)であってはならない。われわれがトゥキュディデスに、ルクレティウスに、『オイタ山上のヘラクレス』に見出してきたあの不安な問題——魂の力の解体、病に結びついた落胆の問題——について、医師はここに何ら幻想を抱かない。かくしてヘロピロスは、養生法についての論考のうちで、健康の不在においては「知恵は現れえず、力は行使されえず、富は役に立たず、言葉は効力を持ちえない」と書いていた(注225——セクストゥス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』XI.50)。
ここでピジョーは賢者の自死が可能であるための唯一の条件を明示する。賢者にとっては、病が彼を襲うとき、病人は既にもう一人の他者でなければならない。彼は変わることのない他者性(アルテリテ・イナルテラーブル)を獲得していなければならない——それはエピクロスについて語った折に触れた〈記憶のブロック〉であってもよいし、セネカ『幸福な生について』の〈岩〉であってもよい。
七、病は人間の真理を暴くのか——ジゲリストへの批判的応答(頁434–435)
だが二つの『ヘラクレス』のうちには、もう一つの潜在的な問いもある:「もし病が人間の真理を暴くのだとしたら?」。「病は人間を暴く」とジゲリストは書く、「そして彼を原初の状態へと連れ戻す。彼の基礎的な本能がより自由に発現するという事実によってだけではない。それは、外面の艶を剥ぎ取り、表面的にしか学ばれず真に同化されなかったものを取り去ることで、彼を裸にするのである。多くの人間は、仮面をかぶって人生を過ごす。病はそれを彼らの顔から引き剥がし、彼らの真の姿をあらわにする。自称ストア派は哀れな泣き虫の子供にすぎないことが判明する。偉大な合理主義者と見なされていた者たちが、老いた田舎女に劣らず迷信深いことを示す」(注226——H・E・ジゲリスト『医学序説』1932年、p.98–99)。
ピジョーはこの命題を額面通りには受け取らない。だが本当に、剥がされるのは仮面なのだろうか。露わになるのは隠されていた人間なのか、それとも、むしろ、病んだ人間が別の人間になったのではないか。ヘラクレスは劇的にこの問いを提起する。彼の自殺は、病の決定論と医師たちの宿命論とを断ち切りうる力への、セネカの信仰を示している。賢者にとっては、病が彼を襲うとき、病人は既に他者でなければならない——先に示した「不変の他者性」の要請が、ここでジゲリストへの応答として反復される。
八、マルクス・アウレリウスが伝えるエピクロスの逸話(頁435)
賢者の自己統御の実例として、ストア派のマルクス・アウレリウス自身がその論敵エピクロスを引く、という逆説的な一節が示される:「エピクロスは言う——『私の病の間、私の対話は決して身体的苦痛を主題とせず、見舞いに来た者たちとも、この種の話題を取り上げることは決してなかった。むしろ私は、以前からわれわれが取り組んでいた自然学の探求を続け、とりわけこの一点に専念した——いかにして精神は、身体を揺さぶるこれらの運動の反動を被りながらも、自らの善きものを見守りつつ、動揺から免れうるか、と。私はまた、医師たちが自らの功績とやらで得意になれるようなことはさせない、と彼は言う、私の生は幸福に、そして尊厳をもって過ぎていったのだ』」(注227——マルクス・アウレリウス『自省録』IX.41)。
九、パイドラーへの橋渡し——「魂の病」は道徳に還元可能か(頁435–436)
本ノート最終節、そして次の大主題への理論的転轍点。病、変容、変化、そして最終的には自己認識……これらの問いは、エウリピデスによって『ヒッポリュトス』のうちで、パイドラーの長い独白を通じて、見事な仕方で提起されていた(注228——自著「エウリピデスと自己認識」を再度参照)。われわれは絶えず、倫理と医学のあいだの、魂の病と身体の病のあいだのこの類比を見てきた。だがもし「魂の病」が、道徳性には同化しえない、一つの真正の病であったとしたら? もしそれが存在全体の病であり、価値の世界には絶対的に還元不可能なものであったとしたら? もしそれが端的にただ病であったとしたら——そして劇(ドラム)が生じるのは、まさに病に規範を適用しようとすることそのものから来るのだとしたら? そしてもし病が自己認識の道具であり、潜在していたものを顕わにするのだとしたら? これらの反省は、パイドラーの独白の読解にこそ課せられるものである、われわれが既に示そうと試みてきたとおり。われわれはここでこの論証を繰り返すことはしないが、若干の結論に留めることとしよう。
十、パイドラーの長い独白(頁436)
本節を締めくくる、パイドラー自身の理性の軌跡の告白が全訳される:
「私の理性がたどった道筋を、汝に語ろう。恋が私を傷つけたその時から、私はいかにそれを最も名誉ある仕方で耐えるかを検討した。まず私は、私の病を沈黙のうちに秘めることから始めた。というのも、舌というものは信頼できないのだから——それは外に向かっては他人の魂に助言する術を心得ていても、自分自身に対しては、最悪の災いを引き寄せるものだから。次に私は、自らの狂気を、徳によってそれに打ち勝つことで、気高く耐え抜こうと決意した。だが最後に、この抵抗もキュプリスに打ち勝つには至らないと悟り、私は死ぬことを決めた——これこそ、異論の余地なく、最善の決断であった。私の行いが人目を逃れないことこそ名誉であれ、多くの証人を持たぬことこそ恥であれ! 私はこの行いとこの病につきまとう不名誉を知らぬわけではなかった。そのうえ私は女であった——よく承知していた、あらゆる嫌悪の対象なのだと。呪われよ、真っ先に他国の男と自らの閨を辱めた女は! 高貴な家々からこそ、この悪は女たちの間に生まれ落ちたのだ。もし不名誉が貴顕の間で是認されるなら、賤しい者たちもそれを名誉あることと見なすようになろう。私はまた、言葉のうえでは貞淑を装いながら、密かに大胆な悪事に身を委ねる女たちを憎む。彼女らはどうして、海の女王キュプリスよ、寝床を共にする夫の顔を正視できるのか、闇の共犯者と、屋根そのものが、いつか声を持たぬかと恐れずに? 私たち仲間にとって、まさにそれこそが命取りなのだ——いつか夫を辱めたと知られはしないか、そして私が世に生んだ息子たちを辱めはしないかという恐れが。ああ、彼らだけは、自由人の率直さをもって、輝かしいアテーナイに栄え住み、その母を誇りとしてくれますように! というのも、人は、たとえ雄々しい心を持っていようとも、母あるいは父の過ちを知るとき、奴隷となるのだから。ただ一つだけ、と人は言う、生と同じだけ長く持ちこたえるものがある——それは正しく善き魂を持つことだ。邪悪な者たちについては、時がいつか彼らを暴く、若い娘に鏡を差し出すように。願わくは、私が彼らの中に数えられませぬように!」(注229——『ヒッポリュトス』v.373–430、L・メリディエ訳)。
十一、次の単位
この長い独白の全訳を提示した直後、ピジョーは本格的な分析へ入る——パイドラーは素朴さの疑いをかけられるような人物ではない。彼女は人間の生の頽落について長く思考してきた者である(v.376)。この一句から始まる精読は、読解ノート(七・その十)で扱う。
パイドラーの独白精読——ファルマコン、「不名誉な病」、そしてプロティノスによる閉幕
〇、橋渡し——パイドラーは素朴な人物ではない(頁436)
七・その九末尾で全訳を示したパイドラーの長い独白の直後、精読が始まる。パイドラーは素朴さの疑いをかけられるような人物ではない。彼女は人間の生の頽落について長く思考してきた者である(v.376)。その原因はグノーメー(判断力)に属するものではない。悪徳が宿るのはこの能力の本性のうちにではない——「善く考えること」は、ヒッポリュトスのエリート主義に対する応答として、この世で最も広く分有されたものなのだから。ほとんど誰もが、生まれつきか教育によって、善とは何かを知っている(注230)。パイドラーは第387行まで、次のような種類の推論をわれわれに与えているように見える:「われは善きものを見て是とするが、悪しきものに従う(ウィデオ・メリオラ・プロボクェ、デテリオラ・セクォル)」——七・その四で既出のオウィディウス経由の定式が、ここでは本来の出典であるエウリピデスの文脈へと差し戻される。
一、ファルマコンとは何か——変容させるものすべて(頁437)
ピジョーは決定的な限定を加える。だが彼女がわれわれに提示する理由——快楽を善よりも優先させること、努力の不在、怠惰——は、彼女の不幸を説明するものではない。彼女の病は別の秩序に属する。パイドラーはまず自らの哲学を示す。これが彼女の哲学であり、いかなるファルマコン(薬・魔法薬)もそれを変えることはできなかった。ここでファルマコンの語が指すのは何か。魔法の媚薬への言及と見るべきだろうか。ファルマコンとは現状を変容させるものすべてを指す、と考えれば十分である——『流行病』第45章がまさにこう言うとおりに(注231):
「現状を移動させるものはすべてファルマコンである(パンタ・ファルマカ・エイシ・タ・メタキネオンタ・ト・パレオン)」。
だがパイドラーが苦しむ悪は、努力の不在にも、怠惰にも属さない。それは病の法則に従うのであって、道徳の法則には従わないのである——本項全体を貫く主命題がここに宣言される。
二、三段階の失敗——沈黙、ソープロシュネー、そして自死の決意(頁437)
恋がパイドラーを傷つけたとき(注232)、彼女はまず、沈黙し自らの病を隠すことで反応した。すなわち彼女は直ちにアイドース(羞じらい)に従って反応したのである。彼女の最初の反応は、女性の振る舞いを律する社会学的規範に完璧に合致している。第一の失敗。次いで彼女は、今や自らのアノイア(無分別)と呼ぶものに、ソープロネイン(節度をわきまえること)を、すなわち社会倫理的な価値、彼女が挑む狂乱との戦いにおいて勝利すべき徳を、対置する。第二の失敗。それでも彼女は正しい教義に従って行動した——規範に照らして徳ある女性として、カロン(美・善)を知りアイスクロン(醜・恥)に抵抗すべきことを知る者として。第三の局面(注233):彼女はキュプリスを認め、自死を決意する——これはクラティストン……ブーレウマトーン(v.402)である。L・メリディエが訳すように単に「最善の決断」なのではなく、最も強力な決断なのだ。言い換えれば、キュプリスの支配に対して、彼女は選択しうる最も強靭なもの——死を対置するのである(注234——これはアポニアー〔無為〕でもアルギアー〔怠惰〕でもない)。
ここで本節最大の問いが立てられる。ここにパイドラーがわれわれに語るのは道徳の失敗なのだろうか。少なくとも、道徳的行為がグノーメーとエピステーメー(知識)の前に置かれる限りにおいては、そう見える。
三、「不名誉な病」という思考不可能な概念(頁438)
本項の理論的核心。第405行の表現については、十分に反省されてこなかった:
「その行為は既に、この病を不名誉なものにする(ト・デルゴン・エーデー・テーン・ノソン・テ・デュスクレアー……)」——バレットの英訳「行為と病は、恋が悪しき名を持つことを私に教えた——姦通を犯せば不名誉、恋していると知られるだけでも不名誉」がこう理解する(注235)。
彼女自身が言うとおり、これは彼女の女という存在から切り離すことができない。「そして私は女であった——よく承知していた——あらゆる嫌悪の対象なのだと」(注236)。この詩行は生物学的、社会的、倫理的、心理学的な反響を持つ。第410行はまさに思考不可能なものを提示する。「不名誉な(デショノラント)」病という概念をどう考えればよいのか。病という語が比喩であると信じてはならない。これはわれわれを(パイドラー自身が第406–407行で示すとおり)女の本性のうちへ、その生物学的・社会的な女性性のうちへ再び投げ込む。先に引いた『女の病』のテクスト——女の心理学が社会的態度と道徳性の言葉で表現される箇所——を思い起こせば十分である(注237——七・その三既出の一節を自己参照)。女性に固有の病に対する、女の抑制、そのアイドースは、彼女の良き教育、道徳性を示す反応であるが、それが医師の診断を妨げ、病の進行を助長するのである。
四、時間・自己認識・悪の経験の一致(頁438)
パイドラーの病は進展し、それとともに彼女のグノーメーも進展した。そして進んでゆく時間は、彼女が恐れるあの悪しき者たちの列に彼女を位置づけることになる、とわれわれは知っている。かくして彼女は自らを知るであろう。進展、性、自己認識は共に進む。さらに彼女は叫ぶ:
「わが魂は恋によってあまりに深く耕された……(ホース・ヒュペイルガスマイ・メン・エウ/プシューケーン・エローティ……)」(注238)。
この動詞は深い仕事、種蒔きのための土壌の準備を示す(注239)。パイドラーは、時間だけが存在をその悪しさのうちで自らに啓示することを知っている——だが悪しき者たちだけが自己自身を知るということになりはしないか。テクストを歪めているのではない、そう考えることは。誠実な個人は、恥じらいと徳というこれらの価値とともに生きる——それで彼には十分なのだ。彼は瞬間のうちに、自らの存在の同一性と反復のうちに生きる。彼は病と変化を知らない、存在の長い変容を、顔の変貌を、面差しの変質を(注240)。
五、鏡の比喩——老いた女、病んだ女(頁439)
鏡が明かすことになるもの、それは、若い娘にとってのように、老いた女かもしれず、いずれにせよ病んだ女であろう。誠実な人間とは、おそらく、誘惑を受けたことのなかった人間のことなのだ。エルの神話のあの魂たちを思い起こそう——前世で悪しき者ではなかったにもかかわらず、不幸と苦しみを通して学ぶことがなかったがゆえに、僭主たちの生に飛びついてしまう魂たちを(注241)。プロティノスが書くとおり:「悪の試練は、それを経験する以前には確実な知として悪を知るには力の弱すぎる存在たちにおいて、善のより正確な認識を成す」(注242——『エネアデス』IV.8)。
六、第Ⅳ章の結語(頁439)
本章全体を締めくくる、簡潔だが決定的な一文。かくして、われわれが示そうと試みてきたとおり、悲劇的なものは魂の病の哲学的諸問題を明るみに出すのである。だが次章は、悲劇的な緊張を和らげることになるだろう。
七、次の単位——第Ⅴ章「エウテュミア」
頁440、扉頁に次のように記される:
第Ⅴ章
エウテュミア——魂の病の認識と治癒(レウテュミー:コネサンス・エ・ゲリソン・ドゥ・ラ・マラディー・ドゥ・ラーム)
新章の本文読解は読解ノート(八・その一)以降で扱う。
第Ⅴ章開幕 「エウテュミアの定義」——デモクリトスをめぐるナトルプ対ヴラストス論争、そして医師のエウテュミア
〇、エウテュミアの定義——第Ⅴ章の主題設定(頁443)
第Ⅳ章の結語(「次章は悲劇的緊張を和らげる」)を受け、新章冒頭でピジョーは主題を明確に設定する。魂の病についての研究は、エウテュミアについて反省することなしには済ませられない。ここでわれわれが考察するのは、魂の病の哲学的治癒という問題であり、それはストア派の情念論が代表するような精密な定義のうちにではなく、われわれが既によりいっそう医学的な側面において——メランコリーの名のもとに——考察してきた、もう一つの伝統の不精確さと曖昧さのうちに、である。エウテュミアという語に哲学的概念としての品格を与えたのはデモクリトスであることが知られている。
エウテュミアについての反省は、哲学が医学へ向かって進む、その最先端をなす。哲学者はメランコリーそのものを扱わない。というより、その心理学的な側面のみを気にかけるのだが、それでも治療薬を提案することを厭わない。エウテュミアとともに、彼は医学と哲学の境界域に一つの反省領域を見出す。われわれはそこに、ヒッポクラテースとデモクリトスの偽書簡という、いくぶんロマネスクな想像力の産物さえも組み入れることになろう。
このエウテュミアの文献は、存在の悪、不快、生きることの悪に関心を寄せる。身体と魂の全体に、そして両者の相互の影響関係に関心を寄せる。それは不安と、絶望の最も軽い諸形態とに応答しようとするものである。
一、デモクリトスのエウテュミアは魂に属するか身体に属するか——ナトルプ対ヴラストス論争(頁443–445)
デモクリトス的エウテュミアの大きな問いは、それが魂に関わるのか身体に関わるのか、である。われわれは再び、われわれがよく知る論争——文献学的であると同時に哲学的あるいはイデオロギー的でもある論争——を前にすることになる。デモクリトスをめぐる二つの理論は、同じ断片群について、一方はナトルプによって、他方はヴラストスによって、見事に擁護されてきた。この論争はC・C・W・テイラーによる最近の論文のうちに見事に要約されている(注1–3)。
ナトルプは道徳主義的立場、デモクリトスの「プラトン主義的」読解を支持する。それによればエウテュミアは単なる不安からの解放ではなく、苦もなく不快もない快楽——魂がその最も高い活動、宇宙の探求によって得る快楽——である。彼はとりわけキケロー『善と悪の究極について』の一節に依拠し、エウテュミアを幸福な生の哲学と区別する(注4)。エウテュミアは根本において魂の快楽であり、より精密に言えば、認識の快楽なのだ、ということになる。
ヴラストスはナトルプに激しく反応し、すべての断片についてきわめて一貫した解釈を提示した——とりわけデモクリトス倫理学の身体的基盤を強調しつつ。デモクリトスにとって魂とは、原子と空虚とから成る複合体である。魂に働きかけるとは、したがって、その構造を再編することである。かくして断片B187:
「人間にとっては、身体のロゴスよりも魂のロゴスを作ることの方がより重要である(アントローポイシ・アルモディオン・プシューケース・マッロン・エー・ソーマトス・ロゴン・ポイエイスタイ)」。
断片B33も同様に両義的である:
「教育は人間にリズムを与え、変容を通じて自然を作り出す(ヘー・ディダケー・メタルスミオイ・トン・アントローポン、メタルスムーサ・デ・フュシオポイエイ)」。「教育は人間に一つのリズムを課し、リズムを与えることによって一つの自然を作り出す」。
明らかにすべては、ロゴス、構造、理論——ヴラストスのように——あるいは単に言説——ナトルプのように——に与える意味にかかっている。かくしてヴラストスは言う——教育するとは、魂の原子の物理的構造を、新たな身体的刺激によって変質させ、変容させることを意味するのだ、と(注6)。エウエストーについては——ディオゲネス・ラエルティオス、ストバイオス、アレクサンドリアのクレメンスが、デモクリトスにとってエウテュミアの同義語として挙げる語——彼はこれを「良き在り方(ビヤン・エートル)」と解し、原子の適正な構造と空虚とを備えた魂を持つこととして解釈する(注7–10)。
実のところ、テイラーが指摘するように、エウテューモスの魂の状態がどのようなものかを立証する現存テクストは何一つない——例えば、エウテューミアーが原子の規則的で穏やかな速度での運動という魂の物理的状態に依存するといったことを(注11)。デモクリトスの物理学的理論と倫理学的理論のあいだに関係がないと考えることはできない、とテイラーは言う。だが物理的なものと、人間にとっての善との関連を、精密に規定することもまたできない(注12)。テイラーによれば、二つの理論の違いはこうである——一方は感覚のデータに基づき、他方は感覚に依存しつつも合理的な理論に基づく——そしてその理由は、一つには物理理論が経験的検証に服するからであり、二つには、人間にとっての善は「生きる喜び」における感覚の快楽と同一視されるからである(注13)。
ピジョーは論争そのものへの態度を留保しつつ、方法的に一歩を進める。実際、もしヴラストスの論文があまり説得的でないとしても、それはデモクリトスとその時代の医学との関係を、たとえ精密な仕方ではないにせよ、指摘した点に興味がある。デモクリトスは、と彼は言う、医師たちのもとに快楽の養生法の理論を既に出来上がった形で見出したのだ(注14)。『ヒッポクラテース集成』のうちに、より精密な仕方で、エウテュミアの用例があるかどうかを調べる価値がある。
二、医師のエウテュミア——『流行病』第Ⅵ巻5節の枢要テクスト(頁446)
本節の最重要資料。ヒッポクラテース的なテクストのうちに、エウテュミアの概念のきわめて興味深い用例が一つある——『流行病』第Ⅵ巻5節の一節である(注15):
「テューモスから来るもの、これがそれである——テューモスの興奮状態(オクシュテューミアー)は、心臓と肺を自ら引き締め、頭へ熱いものと湿ったものを引き寄せる。だがエウテュミアーは心臓を弛緩させる。関節にとっての労苦と肉にとっての食物は、内臓にとっての眠りである。魂の散歩、それが人間にとっての憂慮(フロンティス)である(オコサ・デ・エク・テューム、タウタ・オクシュテューミエー・アナスパイ・カルディエーン・カイ・プレウモナ・エス・ヘオートゥー、カイ・エス・ケファレーン・タ・テルマ・カイ・ト・ヒュグロン。ヘー・デ・エウテューミエー・アフィエイ・カルディエーン。ポノス、トイシン・アルトロイシ・カイ・サルキー・シートス、ヒュプノス・スプランクノイシー。プシューケース・ペリパトス、フロンティス・アントローポイシン)」(注15——V L316)。
注釈者たち——リトレを含む(注18)——は、ペリパトス(散歩)がここでは比喩的に「運動」を意味すると考えた。だがディオスコリデースはテクストを変え、ペリ・パントスと読んだ——これは、人間は万事について反省せねばならないことを意味した(注19)。実のところ、注釈者たちは、ここでもまた、比喩しか見ていない——そこに類推があるところに。精神の集中は魂にとって散歩が身体にとってあるのと同じである。これは魂の運動なのだ。この『流行病』第Ⅵ巻のテクストについて、プラトンが『ティマイオス』で推奨する体系的な並行——それがここに何ら影響を与えていないとしても——を想起しないわけにはいかない:
「この二つの病(マニーと無知)に対しては、ただ一つの治療法しかない——魂を身体なしに動かすことも、身体を魂なしに動かすこともせず、両者が互いに対して自らを守り、均衡と健康とを保つようにすることである」(88b)。
三、理性の訓練は哲学と医学に共通する——ガレノスとエラシストラトス(頁447)
ガレノスの、魂の訓練についての註釈は特筆に値する。それは哲学的思弁の問題ではない、と彼は言う。推論の訓練が哲学と医学に共通することに注意せねばならない:
「まず第一に考えるべきは、あらゆる論理的技術に共通するもの、それは推論を鍛えるべき技術のうちにある、ということである(プロートン・メン・エンテューメイストー・コイノン・アパソーン・エイナイ・トーン・ロギコーン・アウトー・テクノーン、エン・ハイス・トン・ロギスモン・クレー・グムナゼイン)」——これは多くの医師たち、とりわけエラシストラトスによって伝えられているとおりである(注20)。
そしてそこから、いくつかの病が生まれる——あるものは魂の理性的機能と記憶的機能の一種の麻酔(ナルコーシス)を生み出し、あるものはカウソス(灼熱病)あるいはプロストレーション(虚脱)の形を取る:
「さらに、ある種の情動が生じる。あるものは論理的なもの、魂の記憶的なものを麻痺させるかのようであり、あるものは重く抑圧的である(エペイタ・デ・カイ・パテー・ティナ・ギネタイ、タ・メン・ホイオン・ナルコウンタ・ト・ロギスティコン・カイ・ト・ムネーモネウティコン・テース・プシューケース、タ・デ・カローデー・カイ・カタフォリカ)」。
このような種類の病人については、ガレノスが別のところで言うとおり、次の反省が有用だと考えねばならない:
「テューモスの興奮は良き体液状態(エウキュミアー)のために有用であり、自然本性に即した状態への回復のためにも有用である(タース・オクシュテューミアース・エイナイ・クレーシムース・エイス・エウキュミアーン・テ・カイ・テース・カタ・フュシン・ヘクセオース・アナクテーシン)」——テューモスの興奮は良好な体液調和(エウキュミアー)と自然本来の状態の回復のために有用なのである(注21)。
ガレノスが依拠するのは『流行病』第Ⅱ巻4.4のテクストである(注22):
「テューモスの興奮を意図的に引き起こし、それによって顔色と良好な体液状態とを取り戻すべきである。エウテュミアー、恐怖、そしてこの種のものも同様である。そしてもし残りの身体にも病があれば、そちらも治療せよ、そうでなければその必要はない(エピテューデウエイン・オクシュテューミエーン・エムポイエイン・カイ・クローマトス・アナレープシオス・ヘネカ・カイ・エンキュモーシオス、カイ・エウテューミエース、カイ・フォボース、カイ・タ・トイアウタ;カイ・タ・トイアウタ・カイ・エーン・ヘー・アッロ・ソーマ・クスィヌノセーイ、クスィニエースタイ、エイ・デ・メー、トゥート)」。
四、心理生理学的徴候としてのディステュミア——エウリピデスへの環流(頁447–448)
この一節で医師が関心を寄せるのは道徳的治療であり、それは前段のテクストの実践的な結論をなすように思われる。医師にとって、テューモスとは何か。それは、コエネステーシス(体感)の、感情のこだまの、情念の、自己を感じることそのものの、かなり不確定で不精確な場である(注23)。
エウテュミアはオクシュテュミアーに対立する、すなわちテューモスの苦しい興奮状態に対立する(注24——メデイアのオクシュテュミアー、v.319;メネラーオスのそれ、『オレステース』v.1198;ペンテウスのそれ、『バッコスの信女』v.671;『アンドロマケー』v.728・689も参照)。『ヒッポクラテース集成』のうちでも、これと同じくらいしばしば用いられる語がある——ディステューミアーである。これは不快と落胆の状態を記述する。『流行病』第Ⅰ巻・第Ⅲ巻の幾つかの実例を挙げよう:
『流行病』第Ⅰ巻18(注25):「そこではデュステューミアイが、譫妄と恐怖に結びついている」。『流行病』第Ⅲ巻、第6患者(注26):「シゴーサ、ウーデン・ディエレゲト。デュステューミエー、アネルピストース・ヘオーテース・エイケン。『虚脱、彼女は「自らに絶望していた」、沈黙し、彼女は語らなかった』」(リトレの表現)。
この病は、疑いなく身体的な起源を持つ(喉の痛みと持続する牽引……)が、心理生理学的な現れを持つ——『流行病』第Ⅲ巻11例、234.19(ガレノスによるフレニティスの診断)、『流行病』第Ⅲ巻17、第11患者、276.5は、デュステュミアーを恐怖に結びつける。『古い医術について』10では、医師が急激な養生法の変更に続く不調を記述しつつ、次の三徴候を与える:
「眩暈、虚脱、労働不能(スコトディニエー、デュステューミエー、デュセルゲイエー)」。
デュステュミー、オクシュテュミー、エウテュミーは、見て取れる、読み取れる、当人にわずかでも注意を向ける者の目に現れる現象である(注23——『女の子らの病』のよく知られたテクストへの参照も付される:「悪しき血の攪乱と苦悩とによって、テューモスは悪しく引き寄せられる」)。
メデイアのディステュミアーは、たとえば、アイゲウスにとっては何ら疑いの余地がない——彼女の目とその顔色を見るだけで:
アイゲウス:「なぜその目、その顔色、そのように打ちひしがれた様子は?(ティ・ガル・ソン・オンマ・クロース・テ・シュンテテーク・ホデ?)」(v.689)。「一体何を言うのか? 汝の憂愁(デュステュミアイ)をはっきりと私に語ってくれ(ティ・フェース;サフォース・モイ・サス・フラーソン・デュステュミアース)」(v.691、注27——メリディエ訳)。
五、エウテュミアはデモクリトス由来か——ピジョーの慎重な留保(頁448–449)
本節を締めくくる方法的な自制。『ヒッポクラテース集成』で用いられるエウテュミアの語は、おそらくデモクリトス的伝統の影響を受けているのだろう。だがわれわれはそうは考えない。むしろわれわれは、デモクリトスがかなり漠然とした語を、その外延においては、しかしその理解においてはかなり精密な仕方で用いたのだと考える——彼が狙うのは魂と身体の出会いであり、二元論的な言語で語るためにそう言うのだが。エウテュミアーとは、和解し、静穏を得た存在の振る舞いである。哲学の医学があるとすれば、それはまさにそこにあることがよく理解できよう。ガレノスがわれわれの引用したテクストのうちで明確に言うとおり——推論の訓練(すなわち推論のジムナスティック)は医師にも哲学者にも共通するということに、注意を払わねばならない。
六、次の単位——「エウテュミアと哲学者たち」
頁449、新たな小見出しが開かれる:エウテュミアと哲学者たち。ここからピジョーは、エウテュミアがプラトン的概念でもアリストテレース的概念でもないと確認しつつ、それでもアリストテレース学派の伝統——医学的・心理生理学的な文脈に強い関心を寄せる、あの有名な『問題集』第XXX巻——のうちに現れることを指摘し、黒胆汁とエウテュミアの関係、そしてストア派の情念分類における「歓喜(カラー)」の一種としてのエウテュミアの位置づけへと論を進める。読解ノート(八・その二)で扱う。
「エウテュミアと哲学者たち」——ストア派のエウパテイアイ、フィロンのイサクの笑い、そして『ヒッポクラテース書簡』への扉
〇、橋渡し——メデイアのディステュミアとエウテュミアのデモクリトス起源問題の結語(頁449)
八・その一末尾で見たエゲウスの診断(メデイアの目と顔色からのディステュミアーの読み取り)に続き、ピジョーは前節の結論を述べる。『ヒッポクラテース集成』で用いられるエウテュミアの語は、おそらくデモクリトス的伝統の影響を受けているのだろう。だがわれわれはそうは考えない。むしろデモクリトスがかなり漠然とした語を、その外延においては、しかしその理解においてはかなり精密な仕方で用いたのだと考える——彼が狙うのは魂と身体の出会いであり、二元論的な言語で語るためにそう言うのだが。エウテュミアーとは、和解し、静穏を得た存在の振る舞いである。もし哲学の医学があるとすれば、まさにそこにあることがよく理解できよう。ガレノスが引用したテクストのうちで明確に言うとおり——推論の訓練は医師にも哲学者にも共通するということに、注意を払わねばならない。
一、エウテュミアと哲学者たち——プラトンでもアリストテレスでもない(頁449)
新節の主題設定。エウテュミアはプラトン的概念ではない(注29——この語はプラトンにおいて三度しか現れず、いずれも重要でない文脈——『国家』II.383b、『法律』792a・797bでのアイスキュロス引用)、アリストテレース的概念でもない。それでもこの語は、期待されるべきところで、アリストテレース学派の伝統のうちに介入する——心理生理学に関心を寄せる、あの有名な『問題集』第XXX巻という医学的文脈においてである(注30)。エウテュミアはそこでアテュミアーに対立し、黒胆汁のある種の状態に由来するとされる。もしこの胆汁が特に熱ければ、それは歌を伴うエウテュミア(メト・オーデース・エウテュミアース)、マニーの発作(エクスタセイス)等々を生み出す。エウテュミアは一つの生理学的状態に結びついているのである。
二、ストア派の情念分類——エウパテイアイの一つとして(頁449–450)
エウテュミアはストア的概念である。というより、われわれはそれを情念の分類学(タクシノミー)のうちに見出す。それは三つのエウパテイアイ(良き情動)——コンスタンティアエ——のうち、歓喜(カラー)の範疇に属する(注31):
「エウテュミアーとは、過ぎゆく時における歓喜であり、いかなる事柄についても不安を抱かぬことである(エウテュミアー・デ・カラー・エピ・ディアゴーゲー・エー・アネピゼーテーシアー・パントス)」。
エウテュミアとは日常生活における喜びであり、目下のことに関する喜びであり、日々の慣習のうちにある喜びである。それは物質的な秩序に属する直近の決定を伴う。キケローがエウテュミアと幸福な生とを区別するとき、その意味するところはよく理解できる(注32)。ギリシア人のエウテュミアであるところのセクリタス(安泰)、トランクィリタス(静穏)は——語呂合わせを許してもらうなら——生の性質、生の質を問題にするのであって、生の原理、その本質を問題にするのではない。
初期ストア派、とりわけクリュシッポスが、エウテュミアに特別な反省を捧げなかった理由はよく理解できる。それは徳と歓喜の一つの性質にすぎない。努力は徳と知恵へと向けられる。この点でセネカの『幸福な生について』はこの定義に完全に適合する(注33)。もちろん、われわれが後に立ち返ることになるパナイティオスの『エウテュミアについて』を挙げねばならない。だがわれわれは、フォン・アルニムの報告しない、それでもきわめて興味深い、フィロン・アレクサンドリノスのテクストのうちに、エウテュミアのストア的伝統を見て取ることができる:『褒賞と刑罰について』31–35(注34)。
三、フィロン・アレクサンドリノスの証言——イサクの笑い(頁450–451)
本節の白眉。フィロンはそこで、イサク——笑い(ギリシア語ゲロース)——について反省する。「笑いは、目に見えぬ喜びと思考(カタ・ディアノイアン)の、身体的(エピ・トゥー・ソーマトス)で目に見える徴表である」:
「喜びは、良き情動(トーン・エウパテイオーン)のうちで最も高貴で最も美しいものである。これによって、魂全体はエウテュミアーに満たされ、一方では万物の父にして創造者たる神において喜び、他方では、たとえ快楽をもたらさずとも、悪意なき行いにおいて、善き思考において、そして万物の恒久性のために喜ぶのである」(注35)。
続いて医師と操舵手の比喩が引かれる:
「というのも、それは医師の場合と同様なのである——重篤で危険な病の場合に、身体の一部を切断することで残りの健康を図ることがあるように、また嵐が到来したときに積荷を軽くする舵手のように、乗員の安全を確保するために。人は切断について医師を、投荷について舵手を非難しはしない。むしろ二人とも、快いものよりも有益なものを見て適切に配慮したことを称賛されるのである」(注36)。
四、宇宙の摂理への同意——「善のためではなく最善のために」(頁451)
フィロンの一節がさらに続く:
「同様に、全体の本性を絶えず賛嘆し、万事が意図的な悪意なくして(アネウ・テース・ヘクーシウー・カキアース)宇宙のうちに成就することを喜ばねばならない——それが自分自身の快楽に従って為されるかどうかを考慮するのではなく、宇宙がよく統治された都市のように健全に導かれ統べられているかどうかを考慮して」。「かくして、この者も、先の者に劣らず幸いである。というのも彼は憂慮(シュンノイア)と落胆(カテーフェイアー)を免れているからであり(注37)、彼は悲しみも恐れもない生を摘み取り、夢のうちですら、厳しく不毛な生に触れることはない。彼の魂の場所は喜びによって全く占められているからである」(注38)。
ピジョーの分析。このテクストはきわめて興味深い。それは喜びの称賛において、賢者の最も美しい情念であるという点で、明確にストア的な仕立てを呈しており、エウテュミアを喜びのもとに包摂する。喜びは本質的に、精神の宇宙の運行への同意に結びついており、宇宙を動かすのは悪しき霊ではなく普遍的な知恵なのだという考えに基づく。この喜びはまた、エウテュミアに結びついており、あるいはそのうちに現れる——後者が実践的な事柄を扱う限りにおいて。医師との、操舵手との比較——緊急の実践に携わる者たちである——は、このことをよく物語っている。喜びが善のために働く摂理に関心を寄せるのに対し、エウテュミアは、それが善のためであるかを問うよりも、それが最善のためであると知ることで満足する。これはアンドロニコスの定義に完璧に対応する(注39——訳は前節既出、頁450):「エウテュミアとは、過ぎゆく時における歓喜であり、いかなる事柄についても不安を抱かぬことである」。
エウテュミアとは経験的な知恵であり、われわれに身体があり、それと共に生きているということを知る知恵である。それによって、人は悲しみなく、恐怖なく、憂慮なく、落胆なく笑うことができる。この生はまた、自らの不幸についての未来への投影を欠いてもいなければならない。ある意味で、エウテュミアは、第Ⅲ章でその重要性を見たプラエメディタティオー・マロールム(禍いの予行演習)を拒むのである(注40)。
五、笑いの意味論——デモクリトスの笑いへの伏線(頁452)
本節を締めくくる短い一段が、次章への橋を架ける。喜びとエウテュミアについてのこの反省は、笑いなしには完全ではなかろう。われわれは、エウテュミアとディステュミアが、顔と面差しのうちに見て取られ、読み取られることを見てきた。「笑いは、目に見えぬ、精神的な喜びの、身体的で目に見える徴表である」。喜びは魂だけのものではない。それは身体を通して透けて見えるのだ。だがイサクの笑いは、われわれに別の笑いを想わせずにはおかない——セネカ『魂の平静について』を締めくくる、デモクリトスの笑いを。その伝統はおそらく『ヒッポクラテース書簡』に由来するのであろう。
六、『ヒッポクラテース書簡』——軽蔑された哲学小説の世界(頁452–453)
新項、本紀要にとってもきわめて重要な資料群への扉が開かれる。エウテュミアについて反省するには、『ヒッポクラテース書簡』という、軽蔑された哲学小説の世界に踏み入らずにはいられない(注41)。これはまた文学的偽書の世界でもある——この『書簡』は、実のところ興味深いものであり、書簡体小説の最初期の一つでありながら、古代の文学的偽書を扱うアルド財団の巻のうちで、ある議論のついでに一度言及される栄誉しか与えられていない(注42)。学者たちはこの種の文学に深い軽蔑を抱いてきた。そして後代の偽書という説は、偽ヒッポクラテース文書群を忘却へ追いやるのに都合がよかった。だが不幸にも、パピュルスがその紛れもない証拠をもたらしてしまった——『ヒッポクラテース書簡』は古い。それらは明らかにヒッポクラテースの時代のものではないが、パピュルスは紀元前25年頃と年代づけられねばならない。これはわれわれ、文化史家にとって、まったく興味深い年代である。そしてこれが最初の編纂であると想定する理由は何もない。最古の編纂として最も早い年代を提案するR・フィリップソンは、紀元前62年を語る(注43)。彼の論拠はあまり説得的ではない——『書簡』の内容そのものではなく外的な批判に基づいているからだが、われわれはそのような年代も十分にありうると考える。紀元前1世紀末から紀元後1世紀にかけては、われわれにはきわめて漠然としたイメージしか持ちえない、疑似科学的・哲学的通俗化の時代であったに違いない。
七、ディールスの侮蔑とピジョーの反論(頁453)
キケローとセネカのあいだ、蓋然性の高い年代記のうちに留まるならば、魂の病の、狂気の、エウテュミアの通俗文学が存在したことを見るのは、それでもきわめて興味深い。ディールスの目には滑稽な寄せ集め(サルミゴンディ)にすぎぬこれらのものは、われわれの見るところ、医学的通俗化と哲学的通俗化とのきわめて繊細な織り合わせなのである。ディールスはこれらのテクストに対して嫌悪感を露わにする。「もしホラティウスが、この不出来な作品(リーダーリヒェス・マッハヴェルク)に、笑うデモクリトスという着想を負っているとされるなら、私は大いに恥じるだろう」と彼は書く(注44)。だが、これらの『書簡』のうちの幾つか、とりわけ大部の『ダマゲテース宛書簡』の成功は、それ自体として興味深い(注45)。
これらの『書簡』は、魂と身体の関係に、身体的なものが道徳的なものに与える影響に触れる。それらは、これらの関係について反省し、それを夢見る者たちにとって、魅惑を運ぶものである。アリストテレース学派の『問題集』第XXX巻とともに、それらは文化的想像力に対して最大の力を持ったテクスト群の一つを成す。それらはわれわれが定義した認識論的な場に完璧に収まる。ピジョーは自身の博士論文の展望を予告する:われわれは、これらの『書簡』の、パラ医学的あるいは医学的文学における伝統を研究することを、論文の続篇のために留保しておく。
受容史の広大な射程が示される。『ダマゲテース宛書簡』は『問題集』第XXX巻とともに、J・ウアルテ・デ・サン・フアンが、ヨーロッパ思想に途方もない影響を与えた書物——『諸学に関する才能の吟味(エクサメン・デ・インヘニオス・パラ・ラス・シエンシアス)』——において展開した反省の基盤を成す(注46)。これらの書簡の思想は、カバニスの『人間における肉体と精神の関係』のうちにも見出される(注47)。そしてとりわけ、他の著者たちの中でも、十九世紀フランスの偉大な精神科医J・モロー・ド・トゥールの著書『歴史哲学との関係における病的心理学、あるいは知的活力に対する神経症の影響について』のうちに(注48)。伝統がそこに滋養を見出したことが分かる。そしてこのことだけでも、これらの『書簡』の主題についての深い研究を正当化する——ちょうどピネルの著作が『トゥスクルム荘対談集』についての反省を促すのと同じように(注49)。
八、『書簡』の文献学的構成——二つの伝統の合流(頁454)
偽ヒッポクラテース的書簡群は、リトレ版第Ⅸ巻において、312頁から429頁を占め、「書簡、決議、演説」という表題のもとにある。これらのテクストは、後に見るとおり、われわれにとって不均等な重要性を持つ。だがこれにディールスが公刊したもう一つのテクスト——第19書簡『マニーについて(ペリ・マニエース)』の補遺をなす『狂犬病について(ペリ・リュッセース)』——を加えねばならない(注50)。ディールスはこの短い論考を注釈した(注51)——われわれもこれについて立場を表明することになろう。これはいかなるパピュルスの保証も持たないため、人文主義時代の偽作であることを証明せねばならなかった——それはH・ディラーによってなされた(注52)。だがわれわれは、その内容と内的一貫性を検討するとき、これほど疑わしいものはないことを見るであろう。
『書簡』は二つの伝統の出会いを表す——一つはヒッポクラテース的伝統であり、ヒッポクラテースその人という人物によって、彼の著作への多数の言及によって、とりわけ『神聖病論』によって代表される。もう一つはデモクリトス的伝統であり、おそらく——だが誰が知ろうか?——メンデスのボロスによって作られたデモクリトス偽書に基づいているのだろう(注53——ボロスはカリマコスの同時代人で、驚異譚(ミラビリア)の著述家であり、デモクリトスの名のもとに執筆していた。カリマコスは彼をデモクリトスの偽作者として告発した)。デモクリトス的伝統の方がより強いように思われる——デモクリトスその人という人物が、ヒッポクラテースにいくぶんかの影(オンブル)を投げかける限りにおいて。これはヒッポクラテース主義者たちの気に入らないところであり、われわれは深刻な矛盾を前にすることになる——デモクリトスの書簡だとされる『マニーについて』は、実のところヒッポクラテースの『神聖病論』の要約なのである(注54)。もちろんすべてが明晰なわけではなく、これらの『書簡』について語り尽くされたとは言い難い。われわれはここで、急ぎ足で文献学的な背景を設定したにすぎない。だがこれからわれわれは、『書簡』の内容そのものに取り組んでゆく。そしてそこにさらなる複雑さを加えるべく、アリストテレース学派・プラトン学派の弁論術的伝統が、ヒッポクラテース的・デモクリトス的伝統の傍らにその位置を占めることになろう。
九、次の単位——「デモクリトスという登場人物」
頁454後段、新たな小見出しが開かれる:デモクリトスという登場人物(ル・ペルソナージュ・ドゥ・デモクリト)。われわれはただ、この小説が搔き立てる好奇心の興味を指摘するに留めよう。人はヒッポクラテースと、彼が診るはずの推定の病人との出会いを、待ちわびている。そして期待は裏切られない、ヒッポクラテースがついにデモクリトスと出会うとき——ここから、アブデーラの市民たちに導かれヒッポクラテースがデモクリトス自身と対面する、印象的な情景描写の精読が始まる。読解ノート(八・その三)で扱う。
「デモクリトスという登場人物」——低いプラタナスの謎、『パイドロス』の二重の狂気、そして賢者と憂鬱質者の識別不可能性
〇、橋渡し——期待は裏切られない(頁454–455)
八・その二末尾の予告どおり、本節はヒッポクラテースとデモクリトスの出会いの場面から始まる。われわれはただ、この小説が搔き立てる好奇心の興味を指摘するに留めよう。人はヒッポクラテースと、彼が診るはずの推定の病人との出会いを、待ちわびている。そして期待は裏切られない——ヒッポクラテースがついにデモクリトスと出会うとき、大部の『ダマゲテース宛書簡』(第17書簡)が、ついにわれわれに彼を描き出す。この書簡は、断片のすべてを合わせたよりも、デモクリトスの名声に貢献してきた。だがこの描写が持つ精妙さと、それがわれわれに与える徴候とに、人々は気づいていない。
アブデーラの市民たちに導かれ、ヒッポクラテースはデモクリトスと対面する:
「彼らは私を、音も立てずに、塔の背後にある小高い丘へと導いた。そこには高く生い茂ったポプラが影を落としていた。そこからデモクリトスの住まいが見え、デモクリトス自身が、厚く、だがきわめて低いプラタナスの下に座っているのが見えた。粗末な上衣をまとい、独り、身なりに構わず、石の腰掛けに腰かけ、顔は黄ばみ、髭は長く伸びていた。彼のそばには、右手に、丘の斜面を流れる細い水が、静かにささやいていた。この丘には、私の推測するかぎり、ニンフたちに捧げられた神殿があり、自生した蔓が壁を覆っていた」(注55)。
一、低いプラタナス——プラトン『パイドロス』との精緻な対比(頁455)
本節最大の文献学的発見。プラタナス、水の流れ、ニンフの神殿——ただちにプラトンの『パイドロス』が、そしてイリソス河畔のあの見事な散策が想起される(注56)。この一節は、あらゆる修辞学者とその弟子たちの記憶に刻まれている。ディオニュシオス・ハリカルナッセウスにとって、これは最も美しいプラトンであり、『メネクセノス』の演説と並んで、最終的に受け入れうる唯一のものである(注57)。なお、第13書簡は、あるディオニュシオス・ハリカルナッセウスに宛てられており、それがまさにこの人物であったかどうかが問われてきたことも付言しておこう(注58)。
『パイドロス』のプラタナスを見るならば、ソクラテスはそれを、広く高いもの(アンフィラフェース・テ・カイ・ヒュプセーレー)と描写する(注59)。デモクリトスのそれは、広いが、きわめて低い(ヒュポ・ティノス・アンフィラフェイ・カイ・クタマローターテー・プラタニストーイ)(注60)。この対立が偶然だと考えられようか。地に着くほど低いデモクリトスのプラタナスは、第17書簡を『パイドロス』との関係のうちで読むことを強いる徴表であり、われわれに、ある意味でソクラテスの逆であるデモクリトスを提示するのである。ソクラテスは対話の人、対話の喜びの人である。ただ一人、石の腰掛けに座る(ソクラテスが喚起する柔らかな芝生に対立する)デモクリトスは(注61)、独白の人なのである。
そしてもう一つの、より重要な理由が示される。だが『パイドロス』の喚起は、偶然の所産ではない、もう一つのきわめて重要な理由による。『パイドロス』は、伝統において、狂気についての言説である。それは二重の狂気の説を提示する——善き狂気と悪しき狂気、ムーサたちの狂気と病理的狂気を。
二、『パイドロス』の二重の狂気——カエリウス・アウレリアヌスのマニー論(頁456)
カエリウス・アウレリアヌスが「マニー」に充てた章は、『パイドロス』の想起から始まる(注62):
「プラトンは『パイドロス』において、狂気(フーロル)は二重である(ドゥプリケム・フーロレム)と言う——一方は身体的起源を持つ原因による精神の緊張から来るものであり、他方は神的な、あるいは霊感によるものであって、その霊感の主はアポローンである。そして今日ではこれを『予言(ディウィナティオー)』と呼ぶが、古代人はこれを『狂気(フーロレム)』と呼んでいた」。
実際、狂気こそがこれらの『書簡』の主題なのである——狂気の両義性という問題とともに、『問題集』第XXX巻によって確証される、天才と狂気の関係という問題とともに。
三、身なりの問題——セネカの立場(頁456)
デモクリトスは独りであり、粗末な上衣をまとい、身なりに構わない。哲学者はその態度と身なりによって区別されるべきなのだろうか。これは一つの反省の主題である。セネカはこの点について立場を表明することになる:
「粗末な身なり、切らぬ髪、無造作な髭、銀器への公然たる憎悪、地に直に敷いた寝床……そうしたものはすべて避けよ」(注63)。
哲学の第一の対象は、とセネカはさらに言う、共通感覚(センスム・コンムネム)、人間性(フマニタテム)、そして共同性(コングレガティオーネム)である——すなわち根本において、共同体の感覚、人間性、そして社会である(注64)。われわれは後に、セネカが、われわれの社会性、人間性への統合こそが、まさしくエウテュミアの保証の一つであることを理解していたことを見るであろう(注65)。
四、賢者と憂鬱質者の行動的識別不可能性(頁456–457)
本節の理論的核心。デモクリトスのような哲学者の振る舞いは、一見したところ、アブデーラ人の目には、憂鬱質者の振る舞いと何ら区別がつかない。知恵と狂気の両義性は、まず何よりも振る舞いの問題である——狂人の、より正確には憂鬱質者の振る舞いと、賢者の振る舞いは似通っている。両者ともに自己自身へと関係づけられ、両者ともに孤独を求める。偽ヒッポクラテース第12書簡がこう書いていることは、これを裏づける(注66):
「これは狂気ではない、これは魂の過剰な力の発露なのだ(ウー・マニエーン・アッラ・プシューケース・ティナ・ローシン・ヒュペルバッルーサン)——もはや精神のうちに子も、妻も、親族も、財産も、何ものも持たず、昼も夜も自己自身のうちに集中し(ヘーメレーン・デ・カイ・エウフロネーン・プロス・ヘオーウトーイ・カテステオートス)、孤立して生き(イディアゾントス)、洞窟のうちに、荒野のうちに、木陰のうちに、あるいは柔らかな草の上に、あるいは流れる水のほとりに」(注67)。
五、笑いも狂気の徴たりうる——逆説の解消(頁457)
憂鬱質者は悲しく臆病である、とわれわれは言われるだろう(注68)、デモクリトスは笑いの人であるのに、と。だが論理はそれほど厳密ではない。笑いもまた、後に見るとおり、両義的でありうる——ヒラリタス(陽気さ)もまた狂気の徴でありうるのだ。まず数えられるのは離脱(セセシオン)そのものであり、他者への軽蔑である。憂鬱質者は砂漠を求める。「われわれには、悲しみと恐怖の餌食となった者を見張る習わしがある、彼が孤独を悪用せぬように(ウルゲンテム・ティメンテムクェ・クストーディーレ・ソレムス、ネ・ソリトゥディネ・マレ・ウタトゥル)」とセネカは書く(注69)。子ら、女たち、親族、誰であれ……憂鬱質者はすべてに無関心になる。だが賢者はどうか。デモクリトス自身を明かすエウテュミアの最初の身振りとは——彼の創始的な身振りとは——まさしく父祖の遺産を拒んだことではなかったか(注70)。これは狂気なのか、それとも偽ヒッポクラテースの表現によれば「魂の力」なのか。著者は続ける:
「憂鬱質者たちにはしばしばこの種のことが起こる——彼らは時に無口になり(シギューロイ)、孤独になり(モノーレエス)、荒涼とした場所を求め(フィレーレーモイ)、人々から身を背け(アパントローペオンタイ)、同胞(クスュムフュロン)を見ても他人を見るように眺める。だが知恵に身を捧げる者たちにもまた、知恵という唯一の状態によって、他のあらゆる関心事を失うということが起こるのだ」(注71)。
かくして狂気と知恵の両義性が、きわめて精確な仕方で表現されている——狂気についての一つの理論(メランコリー)への準拠と、この時代にはその身体的外見によって区別される哲学者の社会的態度への準拠とを通じて。同一の態度が、現象を救う二つの異なる理論によって説明されうるのである。解釈学は困難である。これらの時代には、照明の当て方を変えることを好む——ちょうどわれわれが、デーイアネイラがヘラクレスの難業の解釈を、隠蔽の疑惑を導入することによって根本的に変えたのを見たように(注72——七・その七既出の「疑惑」の主題への自己言及)。
六、『問題集』第XXX巻との合流——胆汁の両義性(頁457–458)
憂鬱質者と賢者の行動の同一性は、アリストテレース学派の伝統による『問題集』第XXX巻によって、医学的にも哲学的にも根拠づけられている。デモクリトスが言うとき——「胆汁は、過剰であれば、狂気(パラコペース)の原因である。それはすべての人間に自然に存在する。だが各人においてそれは多かれ少なかれ豊富である。それが過剰になるとき、病が生じる——それは善でもあり悪でもある実体なのだ……」(注73)、『問題集』第XXX巻を想起せずにはいられない(注74)。まさにこの書が、胆汁はそれ自身でありその反対物でもあること、そして天才と狂人は近親であること——われわれが既に、両者は完全には同一視しえないこと、天才とは潜在的な狂人にすぎないことを示したとおり——を語るのである(注75)。ウアルテやモロー・ド・トゥールに代表される伝統が、この『書簡』と『問題集』を結びつけたことは、まったく正当だったのである。
七、崇高の美学——セネカ書簡41との比較(頁458)
むろん孤独は、異なる美的価値を帯びうる。『書簡』のうちに描かれる風景は、「崇高の様式」の色彩を帯びている。洞窟、荒野は、ヒッポクラテースがアスクレーピオスを見る夢のうちにも見出される。「彼には巨大な蛇たちが付き従っていた、急ぎながら、彼らもまた、その長い巻き付きのうちに、荒野と窪んだ谷間で聞かれるような(ホース・エン・エレーミエーシ・カイ・ナパイシ)、恐るべき嘶きを立てながら」(注76)。
この洞窟と孤独の主題は、セネカ書簡41への直接的な照応を呼び起こす:
「もし汝が、並外れた高さを持つ古木の林の前に立つなら——聖なる森、そこでは枝々の増殖と絡み合いが空を隠し、木々の巨大さ、その場所の孤独、この深く絶え間ない影の印象的な光景が、自由な野の只中にあって、汝に神の顕現を信じさせるであろう。この木は、深く浸食された岩の上に立ち、宙吊りの山である。それは人の手によるものではない……敬虔な神秘の感情が汝の魂を捉えるであろう……」。
これは、疑いの余地なく、崇高の様式である(注77)。
八、パイドロスからセネカへ——感受性の変化(頁459)
われわれは、第17書簡の冒頭から既に、『パイドロス』とイリソス河畔への言及を指摘してきた。だが『ヒッポクラテース書簡』の真の風景は、『パイドロス』の冒頭よりも、セネカの書簡の方に近い。感受性は変化したのだ。洞窟と荒野は、哲学者の、そして聖なるものの現前の場所となった。だが哲学的隠遁と、憂鬱質者の隠棲とのあいだで、何が違いを作るのか。狂人(マネンテス)だけではない、アタラクシア(不動心)を欲する人々もまた、人間的なもの(アンスローピナ)を軽蔑するのだ、と偽ヒッポクラテースは同じ書簡のうちで続ける:
「精神が、外なる世話に疲れ、身体を休めようとするとき、彼は直ちに静穏な場所(ヘースキエー)へと赴く。そしてそこで、朝早くから目覚め、彼は自己自身のうちに真理の領野を見る——そこには父も母も妻も子も兄弟も親族も従者もなく、動揺(ソリュボス)を引き起こすものは何もない……彼は狂気だと非難される、孤独を求めるがゆえに(ドクサゼタイ・マニエース・ヌーソン・ディア・ト・フィレーレーモン)」(注78)。
この反復にこそ意図がある、とピジョーは指摘する。著者は意図的に同じ句を反復している。それは病理的なミサントロピー(人間嫌い)をも、エウテュミアの充溢をも、同時に描写しうるのだ。そしてこれらの『書簡』が愚か者の作品であったと言われるだろうか(注79)!われわれはセネカの『魂の平静について』のうちに、ミサントロピーとエウテュミアの関係についての反省を見出すことになろう(注80)。だが憂鬱質者と賢者をどうやって区別すればよいのか。それを可能にするのは対話だけである——より正確には「患者」の告白だけである。これもまた、これから見るとおり、これらの『書簡』が与える教訓の一つである:
「だが彼自身を見て、そこから予後を引き出し、彼の言葉を聞くことによってこそ、われわれはより良く事の次第を知るであろう(エケイノン・メン・ウーン・アウトン・イドンテス・メタ・テース・エンテンデ・プログノーシオス、カイ・アクーサンテス・トーン・ロゴーン・アウトゥー、アメイノン・エイソメタ)」(注81)。
九、次の単位——「デモクリトスとアブデーラ人の健康——病の伝染」
頁459後段、新たな小見出しが開かれる:デモクリトスとアブデーラ人の健康——悪の伝染(ラ・サンテ・ドゥ・デモクリト・エ・デ・ザブデリタン:ラ・コンタジオン・デュ・マル)。『書簡』のうちで、著者は幾度も、デモクリトスの病に冒されたアブデーラ人たちの症例に立ち返る(注82——「あるいは複数の著者たちか、それはわれわれにとって何ら重要ではない」)。ここから、対話と告白による診断というテーゼが具体的な物語のうちで展開される場面の精読が始まる。読解ノート(八・その四)で扱う。
「デモクリトスとアブデーラ人の健康」——法もまた病む、蜜蜂の王の隠喩、そして「誰も自分の狂気を笑う者はいない」
〇、橋渡し——アブデーラ人の病というモチーフ(頁459)
八・その三末尾の予告どおり、新項が開かれる。『書簡』のうちで、著者は幾度も、デモクリトスの病に冒されたアブデーラ人たちの症例に立ち返る(注82)。かくして——ここから、都市そのものが病むという政治的身体論の系譜が展開される。
一、法もまた病む——アブデーラの元老院とヒッポクラテースの往復書簡(頁460)
第10書簡(アブデーラの元老院と民衆からヒッポクラテースへ)(注83):
「われらの法は病んでいる、われらはそう考える、法は錯乱している(トゥース・ノムース・ヘーモーン・ドコウメン・ノセイン、トゥース・ノムース・パラコプテイン)」。「来てくれ、人間のうちで最も優れた者よ……汝は医師としてではなく、イオニア全土の創建者として来てくれ……汝が治療するのは一人の人間ではなく、われらの病める元老院という都市そのものなのだ」(注84)。「無感覚(アナイステーシア)へと流れ去る民衆と、著名な一人の男と……」「一つの民衆と一人の高名な男とが、狂乱のうちに滑り落ちてゆく」(注85)。
第11書簡では、ヒッポクラテースが元老院と民衆に応答し、「都市がただ一人の男のために、まるでただ一人の人間であるかのように動揺しうる」ことに驚いてみせる:
「一人の人間について、まるで一人の人間であるかのように、都市が騒然としているのか(ペリ・ヘノス・アントローポウ・ホース・エイス・アントローポス・ヘー・ポリス・ソリュベイステ)」(注86)。
第13書簡で、ヒッポクラテースはディオニュシオスに書く——「都市は、一つの魂のように、その市民と共に病む」:
「ホース・ミアー・プシューケー・クスュンノセエイ・トーイ・ポリテーイ」(注87)。
第14書簡(ダマゲテース宛)で、ヒッポクラテースはさらに書く——「私はただ一人デモクリトスの病に冒された都市を癒したいのだ」(注88)。この主題を偶然の産物と見なすことは不可能である。もちろん、アブデーラの国制について語るのは愚かであろう。デモクリトスはアブデーラにおいて第一人者(プリンケプス)だが、政治的機能を持たない——エウテュミアという理由により、政治的機能を持たないことをわれわれは既に知っている(注89)。この主題は、キケローからセネカに至る時代の倫理・政治的反省に属するものである。
二、都市国家有機体論の系譜——フィロン、セネカ、そしてウェルギリウス(頁460–461)
ピジョーはここで一連の大テクストを召喚する。まずフィロン『カリグラ使節記』14–16節:
「……さてカイウスに重い病が襲いかかった。というのも彼は、ティベリウス存命中はより質素で、それゆえより健全であった食生活を、贅沢な食生活へと変えていたからである……彼が病であるという報せは、人々がまだ航海している最中に広まり……人々の顔は曇り(エスキュトローパゾン)、不安と落胆があらゆる家、あらゆる都市を満たした——それに先立つ危うい喜びと等しいほどの悲しみとともに。実際、世界のあらゆる地域が彼と共に病んだのである、しかもカイウスを襲ったものよりもさらに重い病によって……唯一の治療薬はカイウスの健康であった」(注90・91)。
次にセネカ『寛仁について』II.1(II.2).1:
「汝の心から発するこの温和さは伝えられ、少しずつ帝国という巨大な身体全体に、その広がりのすべてに浸透してゆくであろう。頭から健康が発して身体のあらゆる部分に広がる。すべての肢体は、それを動かす原理が生き生きしているか衰えているかに応じて、活力を持つ——生きるか、あるいは萎れるか(ウィウィト・アウト・マルケト)」(注92)。
都市とは一つの身体であり、そのうちを、伝染のように、君主の病が伝わってゆく。おそらくラテン的な側面では、メネニウス・アグリッパの四肢と胃袋の寓話、そしてそれが表す有機的全体性の観念が想起されよう(注93)。だがわれわれが最も興味深く近づけるべきだと考えるテクストは、ウェルギリウス『農耕詩』の一節——蜜蜂の王が無事である限り、蜂たちは一つの精神(ウナ・メンス)を保つと言う箇所である:
「王が無事なれば、すべての心は一つである(レゲ・インコルミー、メンス・オムニブス・ウナ・エスト)」(注94)。
第13書簡の「ホース・ミアー・プシューケー(一つの魂のように)」という表現は、『農耕詩』のメンス・ウナを想わせる。第13書簡の続きも引かれる:
「各人は、自らに欠けているものから、他人に豊かにあるものを過剰だと判断する——かくして臆病者は勇敢さのうちに、吝嗇家は気前のよさのうちに過剰を見出し、あらゆる不足は、徳の正しい適度を過剰と見なすのである」(注95)。
三、トゥキュディデスのケルキュラ——言語の病としての内乱(頁462)
本節の理論的頂点。この一節を読んで、都市を襲う動揺の見事な描写——ケルキュラにおけるような——を想起せずにはいられない。それは言語の病によって現れる、まさしく一つの社会的な疫病(ペスト)である:
「人々は、行為を評価するために、言葉の慣習的な意味を恣意的に変更するに至った。無分別な向こう見ずが党派への勇気と献身と呼ばれ、慎重な様子見が臆病の口実とされ……節度は臆病の徴とされた」(注96——トゥキュディデスIII.82)。
ここでもまた、『書簡』の暗示的な豊かさが知覚される。それらはわれわれが並べて引用するテクストをも照らし出す。それらは、都市の、そして世界の、一つの構想を示す——あらゆる種類の伝染が循環しうる一つの全体として考えられた構想を。狂気の伝染も、ペストのそれも、狂犬病のそれも同様であり、これは『狂犬病について(ペリ・リュッセース)』がわれわれに示すことになろう。それらはまた、君主の健康、とりわけその精神の健康への配慮を示す——デモクリトスが自らの市民のうちで第一人者であるという意味において。
四、デモクリトスの病の徴候——忘却・不眠・言辞・顔色(頁462–463)
新たな小見出し:デモクリトスの病の徴候(レ・シーニュ・ドゥ・ラ・マラディー・ドゥ・デモクリト)。第10書簡はわれわれに興味深い徴候の一覧を提供する(注97):
忘却:「彼はすべてを忘れる、まず自分自身から(エクラトメノス・ガル・アパントーン・カイ・ヘオウトゥー・プロテロン……)」。これは重要かつ厄介な徴候であり、最も真正なヒッポクラテース的テクストにしばしば記される。『流行病』第Ⅲ巻VI章の病状記述は、発作時に記憶の喪失、虚脱、言語の喪失があると言う。『流行病』第Ⅲ巻XVII、第13患者もまた深刻な記憶障害を示す:「彼は床についてから何も思い出さなかった」(注98–100)。忘却は時に自然的機能にも及ぶ——排尿や飲食を忘れることもある(注101)。
不眠:「彼は昼も夜も目覚めている(エグレーゴロース・カイ・ニュクタ・カイ・ヘーメレーン)」——「彼は夜も昼も眠らない」。不眠は観察すべき徴候の一つであり、他には、習慣、食餌療法、生活様式、年齢、言辞、それらの相違、沈黙、病人を占める考え、夢、……手の動き、痒み、涙……が挙げられる(注102)。
言辞:デモクリトスは驚くべき言辞を口にする——「彼は冥府のことを気に病む。空は幻影で満ちていると彼は言い、鳥の声に耳を傾ける……」(注103)。
顔色の変化:「彼の顔色は、その判断力と共に破壊されている(シュンディエフトロース・テーイ・グノーメーイ・ト・クローマ)」(注104)。
五、笑い——狂気の徴か英知の徴かという両義性(頁463–464)
本節、そして本ノート全体の理論的核心。だが何よりも彼は、あらゆることについて、その出来事の重大さがいかなるものであれ、笑うのだ:
「大小を問わず万事について笑う(ゲローン・ヘカスタ・ミクラ・カイ・メガラ)」(注105)。
笑いは精神錯乱の徴候でありうる——ケルススやカエリウス・アウレリアヌスに見られるとおり(注106・107)。ヒッポクラテースは『箴言』のうちで書く——「陽気な譫妄(メタ・ゲロートス)は危険であり、深刻な譫妄はさらに危険である」(注108・109——ダランベルグ訳)。カエリウス・アウレリアヌスは悲しみと笑いの交替を挙げる。アレタイオスはリュペーからアテュミエーへの推移を挙げる。パウルス・アイギネータはメランコリーの徴候のうちに笑いを数える(注110–112)。
デモクリトスは、と同じ『書簡』は言う、生の全体が無であると考えている:
「そして生の全体が何ものでもないと考えて(カイ・メーデン・オイオメノス・エイナイ・トン・ビオン・ホロン)」(注113)。
これがおそらく、この笑いの意味なのである。だがこの定式をよく考えるならば、それは狂気のものであると同時に知恵のものでもありうることが分かる。生の事柄への無関心は、病理的な独我論(ソリプシスム)の徴でありうると同時に、哲学的な退隠の徴でもありうるのだ。
六、極限の定式——「誰も自分の狂気を笑う者はいない」(頁464)
本節の最終的な理論化。問題は、意味を欠いた空虚な孤独と、賢者の孤独の充溢とを区別することにある。これもまた、常に見られるとおり、両義性の同じ問いであり、デモクリトスの症状の臨床的記述によって、より精確な形で提起される。笑いは明らかに最も重大な徴候である。というのも、それが狂気の徴でありうるとすれば、陽気さ(ヒラリテ)は最も深い知恵の徴として反転しうるからだ。フィロン・アレクサンドリノスが書くとおり、笑いは「目に見えぬ喜びと思考との、身体的で目に見える徴表」でありうる(注114)。後にわれわれが繰り返すとおり、笑いが興味深いのは、それが身体的であると同時に精神的でもあり、それゆえエウテュミアにとって重要なものであるという点においてである——エウテュミアはまさしく魂と身体の関係に関心を寄せるのだから。
ところで、明らかにデモクリトスの笑いは彼を特異なものにする。彼は善についても悪についても、あらゆることについて笑うのだ。ヒッポクラテースが彼に問うとおり——「汝は自分が異様(アトポス)だとは思わないのか、死を、病を、譫妄を、マニーを、メランコリーを、殺人を笑うことにおいて……」(注115)。異様であること、それは単独であることだ。単独であること、それは孤独であることだ。そしてこの孤独は、繰り返すが、いかなる価値を持つのか。ヒッポクラテースが言うとおり、「汝は自らの笑いについて、世界に対して申し開きをせねばならない」(注116)。
健康の徴は、陽気さと寡黙さの中間を保つ外見であるべきだろう——偽ヒッポクラテースが書くとおり、過度の笑い(ポッラー・ゲレーン)と過度の陰鬱(スキュトローパゼイン)のあいだの中庸(ト・メトリオン・クテーサスタイ)を得ることである(注117)。この節度、このアリストテレース的な適度こそ、ヒッポクラテースが勧めるものであり、陽気なマニーとメランコリーのあいだの均衡である。それは浄化された(ピュルジェ)人間の徴である。だがデモクリトスが提案する急進的な態度には、いかなる節度もない——それは連続的で普遍的な笑いなのだ。というのも笑いはエウテュミアの徴だが、そうであるためには、それは普遍的であり普遍化可能でなければならないからだ。そしてそうであるためには、それは笑う当人自身をも包摂せねばならない:
「誰もが他人の狂気を笑う。だが誰も、自分自身の狂気を笑うのを見た者はいない」(注119)とデモクリトスは言う。
七、次の単位——「デモクリトスの演出」
頁465、新たな小見出しが開かれる:デモクリトスの演出(ラ・ミーズ・アン・セーヌ・ドゥ・デモクリト)。われわれが『書簡』について行う分析は、『第17書簡』の劇的な力と演出とをわれわれに忘れさせてはならない。それはこの作品が生き延び、想像力を打つ力を持った所以である。ここから、動物の死骸に囲まれ内臓を検分するデモクリトスの姿、アブデーラ人たちが彼に仕掛ける「試験」(子を失った女、旅荷を失った旅人を装う寸劇)、そして「過度の哲学(ヒュペルフィロソフェイン)」という語の精読が始まる。読解ノート(八・その五)で扱う。
「デモクリトスの演出」——アブデーラ人の試験、「哲学は医学の姉妹」、そして『トゥスクルム荘対談集』との対極
〇、デモクリトスの演出——『第17書簡』の劇的な力(頁465)
八・その四末尾の予告どおり、新項が開かれる。われわれが『書簡』について行う分析は、この作品が生き延び、想像力を打つ力を持った所以である『第17書簡』の劇的な力と演出とをわれわれに忘れさせてはならない。われわれは既にデモクリトスの外見を描いた。今度は彼の振る舞いを描かねばならない。ヒッポクラテースは、ダマゲテースへの報告のうちで、動物の死骸に囲まれ、膝の上に一冊の書物を、周りにも他の書物を置いたデモクリトスの姿をわれわれに示す。時に彼は休みなく書き続け、時に筆を止めて自己自身のうちで思案する(エン・ヘオウトーイ・メルメーリゾーン)。ヒッポクラテースは既にその振る舞いのリズムに気づいていた——デモクリトスに近づくために、彼は「休止の機会(カイロン・テース・アナパウシオス)」を待つ(注121)。デモクリトスは立ち上がり、動物の内臓を検分する。彼が書くとき、それは熱狂(エントゥーシオーデース)と情熱(カイ・メト・ホルメース)に取り憑かれてのことである(注122)——これはまさしく、詩的霊感の理論を打ち立てた哲学者の伝統に合致する(注123)。
一、アブデーラ人の「試験」——嗚咽と嘆きの寸劇(頁465)
本節の劇的頂点。アブデーラ人たちは一つの試験(テスト)を行う。一人が、子を失った女を装って嗚咽をあげる。もう一人が、旅荷を失った旅人の嘆きを真似る。デモクリトスは一方には微笑み、もう一方には大笑いする(注124)。これが、この男のマニー(マニエー)の証明とされるのである。われわれ自身、この試験の即効性にも、われわれに創造のあらゆる原理を提供してくれるこのテクストの素朴さにも、微笑まずにはいられない。だがこの手紙こそが、その大部分において、こうした常套句の起源となったものなのである。
二、ヒュペルフィロソフェイン——「哲学のしすぎ」という診断(頁465)
デモクリトスは「過度の哲学(ヒュペルフィロソフェエイン)」を為している、と評される(注125)——リトレの訳では「超越的哲学」、あるいは「彼は過度に哲学する」とも訳される(注126)。この動詞はいずれにせよ、ギリシア文学全体のうちでハパックス(一回限りの用例)である。スタンダールの有名な表現を借りれば、デモクリトスがあまりに高く網を張りすぎたのか、あるいは哲学することに疲れすぎたのか——われわれはここに、哲学者についての民衆的伝統の誕生、そして「文人の健康」という主題の誕生に立ち会っているのである(注127——ティソの1768年の著書『文人の健康について』の表題を踏まえての言及)。
三、対話の開始——『マニーについて』という書物の啓示(頁466)
既に触れたとおり、ヒッポクラテースはアブデーラ人たちに、自らは「その人物を見て、その言葉を聞かねばならない」と語っていた(注128)。対話がついに始まりうる。そしてデモクリトスは、自らが狂気について(ペリ・マニエース)の書物を執筆中であることを明かす(注129)。この都市への返答がいかにも時宜を得たものであることを、ヒッポクラテースは指摘する——実際、この転落の一面のきわめて貴重な側面に気づかされる。すなわち、狂気について書く、擬似狂人という構図である。だがデモクリトスは同時に、詩的霊感について反省し、それを狂気に同化させた哲学者であり、また医学に関心を寄せた学者でもある——われわれが既に述べたとおり。彼はマニーの本性と原因、そしてそれを和らげる方法を探究する(注130・131)。彼は動物の解剖に身を捧げる——胆汁の座と本性(コレース……フュシン・カイ・テシン)を探求するために(注132)。胆汁のこの特権的な重要性は、われわれの見るところ、既に述べたとおり、『問題集』第XXX巻の哲学的・文学的影響の徴表である(注133)。マニーの唯一の起源としての胆汁という観念は、ペリパトス学派の思想であり、われわれがキケローの諸定義について示したとおりである(注134)。
四、動物解剖と胆汁の座——カバニスの引用(頁466)
この場面の受容史における最も印象的な証言として、カバニスの一節が引かれる:
「同胞たちが彼を狂気だと信じていた時期、彼は動物の解剖に専念していた。精神の作用を研究するために、彼はその道具を検分することが必要だと判断したのである。人間の組織を、生命の諸機能と、道徳的現象とに比較しながら、彼は形而上学の諸問題の解決を探究する——能力と欲求とに基づいて、彼は義務あるいは行動の規則を打ち立てるのだ。人間の死体を入手することが不可能であり、公衆の偏見が解剖を恐るべき冒瀆と見なしたであろう状況にあって、彼は他の種において、そして類推によって、直接その源泉から汲むことを許されなかった知識を探し求めたのである……」(注135)。
実際、この手紙をこのように読むことは可能である。だが結局のところ、狂気の生理学的起源という観念は新しいものではない。この点で『問題集』第XXX巻は『神聖病論』とよく調和する——デモクリトスの、いわゆる『マニーについて』という論考が、その内容を汲み取っている当のその書物と(注136)。
五、魂の病と身体の病の語彙的区別——パテーとノゥソイ(頁466–467)
『マニーについて』の理論と、エレボロスによる治療を正当化する胆汁の排他的役割を語る『第17書簡』の理論とのあいだには矛盾がある。そして第21書簡はエレボロス療法についての一論考である……だがこれらの『書簡』のうちでわれわれの関心を引くのは、魂の病と身体の病の区別という問題である。第11書簡で、偽ヒッポクラテースは、貪欲(ピラルギュリエー)はマニーよりも厄介であると書く。「私自身について言えば、私は魂のあらゆる病を、理性のうちに一定の判断とある種の表象を生み出す内的な狂気と見なす——それらは徳による浄化によって癒されるのだ」(注137):
「オイマイ・デ・エゴーゲ・カイ・タ・テース・プシューケース・ヌーセーマタ・パンタ・エイナイ・ソフラース・エンポイウーサス・ドクサス・ティナス・カイ・パンタシアス・トーイ・ロギスモーイ、ホーン・ホ・ディ・アレテース・アポカタルテイス・ヒュギアゼタイ」。
魂の病、身体の病、類比と区別——われわれはこの種の推論に慣れ親しんでいる。だが第23書簡は、この観点からきわめて興味深い、ヒッポクラテースへのデモクリトスの返答である。
六、「哲学は医学の姉妹である」——テルトゥリアヌスへの継承とテムキンの評価(頁467)
本項最大の理論的到達点。「私は思う」とデモクリトスは書く、「哲学の探究は医術の姉妹であり、同じ屋根の下に住む者である」:
「ヒストリエーン・ソフィエース・ガル・ドケオー・イエートリケース・アデルフェーン・カイ・クスュノイコン」(注138)。
この一句はテルトゥリアヌス『魂について』のうちに取り上げられることになる:
「だが私は医学もまた検討した——哲学の姉妹だと人が言うところの(セド・エト・メディキナム・インスペクシー、ソローレム、ウト・アイウント、フィロソフィアエ)」(注139)。
そしてこの一句は、引用され省察され続けることを止めなかった——それはO・テムキンの論文『健康とは何か——回顧と展望』が今なお証すとおりである(注140):「かくして医学と哲学とは互いに補い合う。象徴的に言えば、これは偉大な哲学者デモクリトスが偉大な医師ヒッポクラテースに宛てて書いたとされる、ある架空の書簡のうちに表現されている。その中で彼はこう言う……」——引用が続き、われわれのテクストが引かれる。
実のところ、この手紙はさらに続く:「哲学は魂を情念(パテオーン)から解放する。医学は身体を病(ヌーソース)から取り除く」。パテーとノゥソイという、魂の「病」と身体の病とを指し示すためのこの区別は注目に値し、二つの領域——魂の領域と身体の領域——の語彙の専門分化、そしてその体系的な配分を表す——勝利を収めつつある二元論的展望のうちにおいて。
七、決定的命題——医師は哲学者より重要である(頁467–468)
本ノート全体の理論的核心。だが結局のところ、医師は哲学者よりも重要である。というのも、身体の健康こそが、魂の健康の可能性の条件だからである:
「精神は成長する(アウクセタイ)、健康が現前する限りにおいて——それに対して賢者が配慮を怠らぬのはよいことである。だが身体の状態が苦しむとき、精神はもはや自らの徳を気遣う余裕さえ持たない。というのも現在の病は、知性に及ぼす共感(シュムパテイア)によって、恐ろしいまでに魂を暗くしてしまうからである(ヌーソス・ガル・パレウーサ・デイノース・プシューケーン・アマウロイ)」(注141)。
これこそ病の恐るべき教訓である。そしてわれわれは既に、これが『オイタ山上のヘラクレス』の悲劇性を成すことを見た。医師は、悲劇作者は、そしてここでは誰であれこの偽作者は、パラリスの雄牛にまつわる恐るべき幻想を知っている——エピクロスのような一部の哲学者によれば、最も恐ろしい身体的条件のうちにあってさえ、人は幸福でありうるとされる、あの幻想である。病は人間を変容させ、魂そのものに達する。われわれは『トゥスクルム荘対談集』とはまさしく正反対の極にいるのである。
八、『トゥスクルム荘対談集』との対極——ダランベルグの批判(頁468)
「いかに天才と意志によって強力な人間であろうとも、生物としての生の命令にはついに屈服せざるをえず、あるいは思考と病とのこの不平等な闘いにおいて敗北を喫せざるをえない」とダランベルグは書く(注142)、ある著者を叱責した後に——その著者の言葉のうちには「絶対という雲間の哲学の信奉者の、容赦なき傲慢が感じられる。彼は生理学を沈黙させ、身体が精神に対して行ういかなる企ても許容しない」(注143——フォイヒテルスレーンを指す)。
これこそセネカの問題であり、キケローの問題でもあった。そして『トゥスクルム荘対談集』が生理学にほとんど場所を与えないことも理解できよう。魂は身体に打ち勝たねばならず、そのためには身体から完全に独立していなければならない。生理学に過度に注意を向ければ、眩暈を覚える危険がある。
第23書簡の残りは、『ティマイオス』の類比を用いて人間の身体を描写しており、これは崇高の様式に属する——偽ロンギノスの言うとおりである(注144)。というのも、これらの『書簡』はまさに、ヒッポクラテース、デモクリトス、アリストテレース、プラトンを混ぜ合わせるものなのだから。
九、次の単位——「狂犬病について」
頁468末尾、ピジョーは次の考察対象への移行を告げる。われわれは今や、『マニーについて』の論考を補うところの『狂犬病について(ペリ・リュッセース)』を構成するものについて、短い研究を捧げることにしよう。読解ノート(八・その六)で扱う。
「狂犬病について」から『ヒッポクラテース書簡』の結語まで——ディアドシスの伝染論、エレボロスと笑いの寓意的対決
〇、橋渡し——「狂犬病について」というもう一つの論考(頁469)
八・その五末尾の予告どおり、新項が開かれる。ディールスが公刊した『狂犬病について』は、われわれの見るところ、この章で扱っている時代にとって、『マニーについて』よりもはるかに興味深い問題を提起する——『マニーについて』は、とりわけ『神聖病論』から借用した要素の寄せ集めであることが既に確立されているのだから(注145・146)。いかなるパピュルスの保証も持たない『狂犬病について』は、H・ディラーによって後代の偽書と断じられた——既に述べたとおりである(注147)。だがそれならば、この偽作者はきわめて天才的な人物だったと認めねばならない——キケローやセネカの同時代人と同じように、完璧に感じ、想像し、夢見た人物だと。「私は」と『狂犬病について』の著者は言う、「最も一般的なマニー、われわれが狂犬病(ラージュ)と呼ぶものから始めよう。というのもこの病は、いかなる民族の生ける者をも、いかなる年齢階級の者をも冒すからである」(注148)。
一、伝染という主題——ディアドシス、疫病と狂気の結節点(頁469–470)
われわれはここに、エピクロス・アスクレピアデス・ルクレティウスの章で長く語った流行病の問題を再び見出す。理解すべきはこの事実である——同じ病が、一地方のあらゆる人間を、いかなる年齢層をも、いかなる生活様式をも問わず、そして異なる種族の生き物、動物をも含めて、同時に襲いうるという事実である。逆説に思われようが、われわれはこれを自然の現象というよりむしろ文化の現象と言う。というのもこれは集団において、社会において生きる存在に関わるからである。『書簡』が疫病から始まることを忘れてはならない——『狂犬病について』がまさに示すとおりである。疫病と狂気のあいだには、ある種の認識論的な関係がある。第2書簡は、自然による病(エク・フュシオス)と流行病(エクス・エピデーミエース)とを区別する(注151)。前者は自然そのものによって癒され、自然自身がそれを裁く。後者は技術によって癒される。
『狂犬病について』の著者にとって、狂犬病は魅力的な病であったに違いない——それが伝染、流行、狂気を結びつけて、多くの問題を解決するように見えるからだ。狂犬病は共通であり、あらゆる生き物に伝染する(メタディドメネーン)。この病は神的と呼ばれる、というのも明白な原因なくして万人を次々に襲うからである——これが流行病的なのか神的(エピデーミオス・エー・テイエー)なのかと考えずにはいられない(注152)。だがそれが神的でありえないのは、呪文がそれを和らげはせず、食餌だけが治癒あるいは害をなすからである。この反神的な論法は『神聖病論』から引き継がれている(注153)。
二、ディアドシス——毛皮と火の類推モデル(頁470–471)
本節の理論的核心。著者は伝染の機序を説明するために、独自の術語「ディアドシス(διάδοσις、漸次的伝播)」を導入する:
「狂犬病は疫病性の病であり、脳を破壊する……大気が瘴気に満ち、それが脳の敵となるとき、これらの者たちは病む。だが狂犬病でない者が狂犬病の者に噛まれるとき、病はディアドシスによって(カタ・ディアドシン)弱い者から強い者へと伝わる。もし咬傷が液体の要素にあれば、それは液体の要素——静脈にあれば血、動脈にあれば息——が汚染されるのであり、風・血・水を通じてディアドシスが生じる」(注159)。
著者はここで道具的モデルを導入する——毛皮の塊(トワゾン)のモデルである:
「もし湿った毛皮の上に別の毛皮を置くなら、まず接触した箇所が水によって湿り、それに触れる部分へ、水が全体に行き渡るまで広がってゆく——毒(トン・イオン)もこのように考えねばならない」(注162)。
第二の類推モデルは火である:
「もし密に詰まった毛皮の塊に小さな炭火を投げ入れるなら、その小さな炭火だけでは羊毛全体は燃え上がらない。だがそれは自らのうちに羊毛の一部を変化させ、そこからディアドシスによって、羊毛全体が燃え上がり炎上する。かくして必然的に、身体は病に支配され、咬傷によって注入された毒に満たされ、次第次第に脳が冒されるのである」(注163)。
三、徴候カタログとアスクレピアデス学派への帰属可能性(頁472–473)
この論考の著者は『神聖病論』の主張——魂の機能における脳の役割——を引き継ぐ(注164)。流行病あるいは悪しき咬傷によって、狂犬病はただちに脳に住み着き、脳は胆汁の作用で熱を帯び、血を運ぶ静脈のうちで沸騰する。病人は恐ろしい幻視に見舞われ、譫妄し、顔は紅潮し、目は赤くなり、水を恐れる——これこそ、周知のとおり、狂犬病の代表的な徴候である(注165・166)。
徴候の一覧が続く(注167):震える乾いた声、宦官のような、あるいは嗄れた声、恋に疲れた者のように落ち窪んだ目、正しく動かせない乾いた舌……舌下の静脈は張り詰め太くなり、舌に水疱ができ、耳たぶは粒立ち、額は乾き、頭は干からび、鼻は尖り痩せ、髪は抜け落ち、病人は吠え、噛みつき、譫妄し、叫び、痙攣する。水を恐れれば病は水に由来し致命的な徴であり、空気を恐れれば病は空気に由来し同じく致命的である(注168)。
この奇妙で一見混乱した文書から何を結論すべきか。それは狂気の一般理論を提示し、あらゆる形態を狂犬病(水恐怖症はその一症状にすぎない)の概念のもとに包摂する。この論考は『神聖病論』を豊富に用いるが、『マニーについて』ほど体系的ではない。だが何よりも、それは流行病の問題と、実は身体的な病である「精神的」病の問題とを統一する。この論考の新しさは、ディアドシスの概念の導入にあり、これがわれわれの示す想像力にとっての重要性を持つ(注169)。付言すれば、毛皮(エリオン)のような技術的モデルの体系的な使用は、紀元前一世紀末というこの時代にきわめて相応しく思われる——この体系化を導入した人物をわれわれは知っている、それはビテュニアのアスクレピアデスである。アスクレピアデスの弟子の一部にとって、狂犬病の座は脳の膜であった——われわれのテクストよりも精密である。カエリウス・アウレリアヌス『急性病』III.14.112がこれを伝える(注170):
「アスクレピアデスの徒のうちある者たちは、脳の膜が関与すると言う——アスクレピアデスによれば、精神を乱すあらゆる病は、フレニティス、レタルギア、エピレプシアと同様、そこに座を持つのだから」。
この点で、アスクレピアデスと『神聖病論』の著者は合流するのである(注171)。アスクレピアデスにおける道具的モデルの重要性——たとえば膀胱の機能のモデルとして毛皮が用いられたこと——、そして水恐怖症の歴史における彼の重要性を、われわれは他所で研究した(注172–176)。これらすべての理由から、われわれは『狂犬病について』をアスクレピアデスの一弟子に帰することに何ら支障を見出さない。そして偽デモクリトスの著作群のうちにこの論考の位置を見出すことも、デモクリトスが水恐怖症の伝統において果たす役割を知るならば、何ら不都合ではない(注177)。
四、結論——偽作者への再評価、「文化とはインターテクストである」(頁474)
本節、そして『ヒッポクラテース書簡』全体を締めくくる決定的な一節。おそらく人は、これらの『書簡』がそれほど愚かなものではないことに気づいたであろう。それらは、逆に、きわめて繊細に構成されている。それらは、識別可能なあらゆる種類の主題を、交響曲のように響かせ、それら自身、われわれがより良く知る他のテクストを共振させる。
われわれは、これらを著した偽作者(たち)に対する、リトレやディールスの軽蔑を共有しない。ディールスは偽作者を、他人の巣に卵を産む泥棒あるいは郭公のように見なしているようだ。むしろ彼の技法を、文化的伝統をその時代の諸問題と結びつける一つの技芸として捉える方がよい。そうすることで、彼は狂気の紋切り型(リュー・コミュン)を練り上げているのである。『ティマイオス』の語彙で人体を描写するデモクリトスは、デモクリトスの断片を片手に、プラトンをもう片手に持つ文献学者を憤慨させるかもしれない。だがキケロー的時代においては、プラトンとアリストテレースを引くデモクリトスに何ら醜聞的なところはない。人体を『ティマイオス』の言語で描くとすれば、それは崇高の様式と隠喩の体系的使用へと向かう修辞的嗜好を彼が持っていたからである。これはまったく自然なことに見え、それこそが文化なのだ。
もし衒学的でありたいなら、こう言うだろう——文化とはインターテクストである、と。すなわち、結局のところそれほど多くはないいくつかのテクストを、互いに交流させ、想像力を喚起する力を持つもの、それが文化である。文化は存在する——われわれはそれに出会った、たとえばこれらの手紙のうちに(注178)。そこにはさらに、著者あるいは著者たちの真正な哲学的嗜好を加えねばならない。
五、エレボロスと笑いの寓意的対決(頁474–476)
また反省すべきは、これらの『書簡』における、医師と哲学者の、医師にして哲学者たるヒッポクラテースと、哲学者にして医師たるデモクリトスとの出会いである——それはエレボロスと笑いの出会いとして寓意的に描きうる。ヒッポクラテースはエレボロスの師として現れる——もっともこれは歴史的ヒッポクラテース主義の観点からはきわめて限定的な捉え方だが。だがわれわれは、エレボロスの制御が大いなる治療的進歩であり、当時の人々の想像力を打っていた時代にいる。ルフス・エフェシオスの言葉が引かれる:「エレボロスは、それが引き起こす事故ゆえに、最も恐るべき薬と思われる。それゆえ大多数の病人と医師がこれを恐れる。だがそれをよく知る者によって与えられれば、これほど扱いやすい薬はなく、その浄化の確実さと不都合な事故の完全な不在によって、他に並ぶものはない」(注179)。エレボロスはマニー、メランコリー、痛風、慢性の腰痛、癲癇、麻痺、「神的な影響による」眩暈、長引く頭痛、知性の鈍麻、白斑、癩病……悪夢、水恐怖症に効くとされる(注180)。その作用範囲はきわめて広い。だが狂気こそが、エレボロスで治療すべき病の筆頭を占める——というより、心理的な随伴症状を伴うあらゆる形態の病がそうなのだ。
ここに本節最大の逆転が来る。だがこの、特定的でありながらほぼ普遍的でもあるこの薬に対して、デモクリトスは新たな治療薬を提案する——笑いである。「私の笑いとともに」とデモクリトスは言う、「汝は汝の使節の任務よりも優れた医薬を持ち帰るだろう」(注182)。
笑いはヒッポクラテースには不道徳に思われる——それが善と悪を区別しないからだ。デモクリトスは善についても悪についても等しく笑う……だが哲学者は彼に指摘する——笑いが向けられるのは悪あるいは善の客観性にではなく、その源泉——人間の無分別——になのだ、と:
「私が笑うのは人間ただ一人であり、無分別に満ちた人間なのだ(エゴー・デ・ヘナ・ゲロー・トン・アントローポン、アノイエース・メン・ゲモンタ)」(注183)。
もしわれわれがこれを注釈するなら、こう言うだろう——笑いはエウテュミアの水準に位置するのであって、知恵の水準にではない、と——セネカ『魂の平静について』のうちに見出すことになるとおりである。笑いは普遍的でなければならず、他者にも自己自身にも向けられねばならない——既に述べたとおりである。この条件のもとでのみ、それは狂気じみた笑いではなく、他者の無分別を直ちに示す治療薬となる:
「狂気と何ら変わらぬ、この空虚で無分別な熱心さとは何なのか(ティス・ヘー・ケネー・スプーデー・カイ・アロギストス、メーデン・マニエース・ディアフェルーサ)」(注184)。
笑いはエレボロスほど危険ではない。人間の無分別の診断には何ら問題がない。
六、もしヒッポクラテースが誤診していたら——自己言及的な結び(頁476)
本節、驚くべき仮想の問いを立てる。だがもしヒッポクラテースが間違っていたら? もし彼が徴候を誤って解釈していたら? もしデモクリトスと対話していなかったら? いったい何が起こっていただろうか:
「実際、もし汝が私を、書いている姿でなく、横たわり、あるいは歩測しながら歩き、自分自身に語りかけ、時に怒り、時に自らの思考の内容に微笑みながら、何にも注意を払わず一心に見つめている姿で不意打ちにしたなら——汝は、目の証言に頼るならば、デモクリトスは狂気の似姿だと考えたことだろう……もし汝が私を、狂人のように捕らえ、エレボロスの薬を飲ませたなら、私の知恵は狂気になってしまっただろう。というのも、健康な者に与えられたエレボロスは知性を曇らせるのだから」(注185)。
見て取れるとおり、この狂気の主題系には何一つ欠けていない——医師の責任と、医学的誤りの危険性さえも。笑いだけは何ら危険を呈さない——それはエウテュミアが提供する治療薬なのだ。メランコリーからエウテュミアへ、この書のうちでわれわれが辿る道において、これらの『書簡』は重要な一段階を成し、われわれをセネカ『魂の平静について』の読解へと準備するものである。そこにわれわれはデモクリトスの笑いを再び見出すことになる。
七、ラブレーへの継承——文化の力(頁476)
最後にピジョーは受容史の系譜をさらに延ばす。結論として言うならば、医師にして哲学者であったラブレーは、笑いの治療法を引き継ぐことになる。ラブレーと医学についての見事な学位論文のうちで、R・アントニオリはデモクリトスも『ダマゲテース宛書簡』も見落とさない。「ラブレーはこの医学的笑いの伝統を引き継ぎ……修辞学、生理学、古代哲学、そして宗教の入り混じった源泉から汲み取る……」(注186・187)。この笑いの英知は、まず何よりも精神の衛生であり、エレボロスに類するものであり、エピステーモーンが『第三の書』第24章でパニュルジュに一時的に勧めるものである。それはソクラテスにおいて、伝説におけるデモクリトスと同じ効果として現れる——「確かな満足、完璧な安心、そして人間たちがかくも見張り、走り、働き、航海し、戦うそのすべての理由への信じがたい軽視」(注188)。
これこそ文化の力である——それは『ヒッポクラテースとデモクリトスの書簡』の「不出来な」外見をあざ笑うのだ。付け加えれば、この書簡体小説は、ルサージュが『びっこの悪魔』で用いることになる見事な小説的原理——家々の屋根をめくり上げて人間の情念を見るという原理——を示唆している(注189)。かくしてヒッポクラテース自身が、デモクリトスの笑いとともに、思考のための治療薬を持ち帰ることを認める:
「汝からわが思考の治療を受け取って……(テラペイエーン・デ・ラボーン・パラ・セウ・テース・エメース・ディアノイエース……)」(注190)。
デモクリトスだけが人間を賢くする(ソープロニゼイン)ことができる——ヒッポクラテースはこうして、エレボロスに対する笑いの優位を認めるのである。
八、次の単位——「ワインとエウテュミア」
頁477、新たな大項が開かれる:ワインとエウテュミア(ル・ヴァン・エ・レウテュミー)。冒頭にエウリピデス『キュクロプス』の一句が掲げられる:「留まれ、ここで彼の酒を飲め、そして安らかであれ、キュクロプスよ」(注191)。ここからディオニュソスとアスクレピオスの関係、セネカ『魂の平静について』第17章における「陶酔(エブリエタス)」の医学的推奨の考察が始まる。読解ノート(八・その七)で扱う。
「ワインとエウテュミア」開幕——『技術について』の可視/不可視の認識論、そして医師は徴候を「作り出す」
〇、新項の開幕——ワインとエウテュミア(頁477)
第Ⅴ章の新たな大項が、エウリピデス『キュクロプス』の一句とともに開かれる:
「では、ここに留まれ、彼の酒を飲め、そして安らかであれ、キュクロプスよ(メノーン・ヌン・アウトゥー・ピーネ・ケウテュメイ、キュクローペス)」(注191)。
ワインとエウテュミアを発見するキュクロプスへのオデュッセウスのこの言葉は、ディオニュソスとアスクレピオスのあいだの、きわめて精緻に彫琢された関係へとわれわれを導く。セネカ『魂の平静について』第17章は、陶酔(エブリエタス)を推奨するにあたり——これからわれわれが示すとおり——「憂鬱(デプレシオン)」の医療の一伝統に連なるものである。自然が与える「鎮静剤」は(注192)、これから研究する医学的・哲学的トポスに属する——それは身体と魂、自然と文化を関係づけるものである。われわれはまず、セネカがよく知る、プラトンの『法律』から始めよう——セネカはまさしくワインについて、『怒りについて』のうちでこれを引いているのだから(注193)。
われわれの目的は、ワインとディオニュソスへの称賛に捧げられた古代のテクストすべてに分け入ることではない。むしろ、より精確に医学的・哲学的な側面を考察することである。われわれはやがて、セネカのエブリエタス称賛が、エウテュミアについての論考のうちに完璧に位置を占めることを見るであろう(注194)。
一、方法的留保——クヴェレンフォルシュングではない(頁478)
本節は決定的な方法宣言から始まる。ワインは、個人の認識の手段であると同時に治癒の手段でもあるという、興味深い立場にある。
ワインによる間接的認識——ここでわれわれは、『ヒッポクラテース集成』の『技術について』と、プラトン『法律』第Ⅰ巻とのあいだの、一つの認識論的類似に出会うことになる。この二つのテクストを比較しよう。
われわれの留保を明確にしておこう。これはクヴェレンフォルシュング(源泉研究)の問題ではない。われわれはプラトンが『技術について』を読んだと証明しようとするのではないし、『技術について』の年代を確定しようとするのでもない。これらの問題の興味を否定するのではないが、それはわれわれの問題ではない。ついでに言えば、われわれは、考察対象の著者以前に書かれ、あるいは語られたことすべてを、確実な影響の勘定に組み入れるという、思想史の一つの構想を、いくらか批判したい——創造的病因論と文化についての、この厄介な構想を(注196)。プラトンが『技術について』を読んだかどうか、われわれは知らない。われわれが知っているのは、『技術について』の読解と、われわれが研究したい『法律』の一節の読解とが、一つの認識論的類似を呈するということである。両者の推論は確かな類比を示す。
だがわれわれの留保はまだ終わらない。『技術について』は軽蔑されている——あまりに技巧的すぎるとして。これはほとんど注釈されない著作である。W・H・S・ジョーンズはその序文でこう書く(注198):「この論考を急いで読む者にとってさえ、その著者が医師でなかったことはまったく明白である。その関心は微妙な推論と文学的文体にあり、科学にはない。この著作の修辞的性格はあまりに顕著であり、それはおそらくソフィストに帰されるべきである。作り込まれた並行法、言葉のアンティテーゼ、文と文との均衡は、他の説明を持ちえない」。
二、プラトンの一節への軽視とP・M・シュールの慧眼(頁479)
かくして、医師ではなく、ソフィストである、というわけだ。他方、われわれが研究しようとするプラトンのテクストもまた、哲学がしばしば省みるものではない(文献学もまた同様である)(注199)。ただ一人P・M・シュールだけが、ある独創的な論文のうちで、この省察のまったく例外的な性格を示した(注200)。シュールの関心を引いたのは、薬理動態学的探究との現代的な類似であった。われわれが関心を寄せるのは、古代的な問題設定の方である。
要するに、一部の良識ある人々を除けば、プラトンのこの一節を『瑣末篇(ミノラ)』のうちに、あるいは一老人のたわ言のうちに分類することに、さして異論はないだろう。だが『法律』ほど重要な著作の冒頭であるからには、いくばくかの注意に値する。
三、『技術について』の可視/不可視——『養生法』とアナクサゴラス断片との照応(頁479–480)
本節の理論的骨格。『技術について』は、可視/不可視の対立を提示する——これは『ヒッポクラテース集成』において孤立した現象ではない。たとえば『養生法』との比較は示唆に富む。『養生法』I.XII, 1–2:
「私は、可視の技術が、可視あるいは不可視のいずれであれ人間に影響を及ぼすものと類似していることを示そう。占術がそれである。可視のものによって、それは不可視を知り、その逆もまた然りである。現在によって未来を知り、死者によって生者を知る……これが人間の自然と生を限定する。男が女と結ばれ子を生んだ。可視のものによって、彼は不可視のものがどうなるかを知る。不可視である人間の理性(グノーメー)は、可視のものを知り、子供から大人へと移り変わる存在によって、将来を知るのである」:「グノーメー・アントローポウ・アファネース・ギノースクーサ・タ・ファネラ・エク・パイドス・エス・アンドラ・メティスタタイ・トーイ・エオンティ・ト・メッロン・ギノースケイ」。
R・ジョリはこのテクストが完全に明晰ではないと指摘するが(注202)、この一句が注釈する定式は——ソフィスト的、ヘラクレイトス的な体裁の対概念にもかかわらず——アナクサゴラスの一語の等価物である:「見かけは不可視のものを示す徴表である(オプシス・アデーローン・タ・ファイノメナ)」(断片21a)。アナクサゴラスとヘラクレイトスの配分がいかなるものであれ(ヘラクレイトス風の文体、アナクサゴラス的な素地)(注205)、アデーロン/ファネロン、グノーメー/オプシスといった観念が並べられているのを見出すのは興味深い。
四、『技術について』の二つの認識経路——グノーメーという器官(頁480–481)
問題は不可視のものの認識であり、それを可能にする機能である。不可視の認識の法則は「自然に」類推(アナロジー)であるように思われる——可視から不可視へと移行するために。われわれはおそらく『技術について』の推論をより良く記述できる。この著作はグノーメーを、一つの機能を持つ器官として提示する。認識は二つの道によって可能である:
II.7:「存在するもの(タ・エオンタ)のうち、目で見ることができ、かつグノーメーによってその通りだと考えうるものがある」。
定義上可視なるものは、見るという行為において目に向けられる。同様に、不可視なるもの(だが存在するもの)(注209)は、グノーメーの認識対象である。
この主張は第XI章、外的疾患と内的疾患の大きな区分のうちに反復される。外的疾患は、知覚の直接性のうちに見られる。内的疾患はそれと対立する——見られないという点で。だがそれらは推論(診断)という媒介によって知られる:
XI, 1:「目で見て、これらのいずれについても何一つ知ることはできない。ゆえに私にとっても、これらは不可見と名づけられ、技術によっても不可見と判定されるのである」(リトレ訳):「これまで列挙してきたことのうち、目で見て何一つ知りうることはない。それゆえこれらの病は、私において不可視と名づけられ、医術によってもそう判定される……これらの場合、認識するには、目を用いる場合よりもはるかに多くの労苦と時間を要する。身体の視覚を逃れるものは、精神の視覚によって捉えられるのだ」。
本節の核心となる一文が続く:
XI, 10–11:「目の視覚を逃れるものはすべて、グノーメーの視覚によって捉えられる(ホサ・ガル・テーン・トーン・オムマトーン・オプシン・エクフェウゲイ、タウタ・テーイ・テース・グノーメース・オプセイ・ケクラーテータイ)」。
この一句には立ち止まる価値がある。医師が、視覚によっても伝達された細部によっても病を知りえないとき、推論による探求が残される。二つの器官が利用可能である——目(タ・オムマタ)とグノーメーである。目の視覚(オプシス・トーン・オムマトーン)と、グノーメーの視覚(オプシス・テース・グノーメース)のあいだに、一つの類推が描かれる——目の視覚とグノーメーの視覚のあいだに。実のところ、グノーメーの視覚には一つの名がある——それはロギスモス、推論である(XI.16)。グノーメーと視覚の関係は、P・ユアールがその近著『トゥキュディデスとその同時代人におけるグノーメー』が示唆するよりも複雑である(注211)。実際、われわれのテクストにおいて、グノーメーとは深部の視覚であり、隠されたものの視覚であり、目の直接的視覚から逃れるものの視覚であって、目の即座の知覚に対立する。すべては可視と不可視の対立の上に成り立っていることを理解せねばならない——稀な表面の疾患は、原因が身体の深奥(ステグノテース)に隠された疾患に対立するのである(注212)。
五、『予後』の合同性原理との対比(頁481–482)
だが深部を見るとは何を意味するのか。それは間接的に見ることであり、媒介的に見ることである。見えているものを存在そのものとしてではなく、存在の反映として、一つの徴(シーニュ)として受け取ることである。『予後』と比較するなら、この身体の表象——表面が深部に対立するという表象——は、症候論あるいは記号論を、どちらの呼び方でもよいが、変容させる。
『予後』においては、リヒテンタラー博士が見事に名づけた合同性の原理が、見えるもの、知覚されるもの、聞こえるものすべてを、徴として平らに並べる。すべては現象であり、あらゆる現象は徴として扱われうる。あらゆる現象を徴として秤にかけねばならない。だが『技術について』においては、逆に、見えるもの(より広く言えば知覚されるもの)で、光景の全体のうちに汲み尽くされるものと、見えるが副次的現象(エピフェノメーヌ)として、深い存在の反映として、グノーメーが見るべきものとを、対立させねばならない。著者は第XIII章1節で見事に言う:
「医術は……万人が万事について最も十分に見ることを可能にするあの視覚によって何かを見ることを奪われながらも、それでも他の補助的な便法を見出した」(リトレ訳)。
われわれは視覚をあらゆる感覚へと拡張した——著者自身がそうしているのであり、彼は補助的な資源として、直ちに次のものを挙げる:声の明瞭さあるいは嗄れ、呼吸の速さあるいは遅さ、そして通常の排出物それぞれについて、それらが出てゆく経路を。医術はこれらの流れを、匂いによって、色によって、希薄さと濃度によって判定し、これらの現象が何の徴であるかを推論する(注215)。実際、身体の深部からは、液体や体液が湧き出す。医術が主張するのは、これらの身体の産物が意味を持つ、すなわちそれ自体とは別の何かについて教えてくれる、ということである。リトレ訳がジョーンズの誤読を正して引かれる:「排泄物とそれが与える情報との関係は一定ではなく、それが辿る経路によって変わる。それゆえ人がこれに遅れて信を置くようになり、その適用がさほど効果的でないとしても、驚くにはあたらない——それらは、これほど多くの間接的解釈を経てはじめて、治療的判断に資するのだから」。
六、本節の理論的頂点——医師は徴候を「作り出す」(頁483–484)
本ノート最大の理論的到達点。この間接的な解釈、著者がここで語るこの解釈学は、さらに上位の段階に属する。というのも、精神の視覚が——もはや身体の視覚ではなく——対象を持たない場合、徴候が無残にも欠けている場合があるからだ。そのときは徴候を誘発せねばならない——自然に、害を与えることなく(アゼーミオース)、強制を加えねばならない(ビアゼイン):
XIII, 13:「彼は強制の手段を見出した——いかにして自然が、害されることなく強制されて、緩むかを」。
害を与えることなく自然を解放させ、自らを緩ませる強制手段を見出さねばならない。医術は見せてくれなければならない。だが自然に何でもよいものを求めるのではない。何でもよいことをして何でもよいものを得ようとするのではない。有機体に対して一つの問いを立てるのである。この問いは、何が何の徴であるかを知る技術者によって立てられねばならない。
かくして、渋みのある飲み物は粘液質の体液を誘発する。海岸での散歩あるいは競走は呼吸の変化を引き起こす。ある種の飲み物は、この介入なしには決して排出されなかったであろう物質を尿へと運ばせる(注217)。
XIII, 28:「そのような処置を受けなければ流れ出なかったであろうもの」。
医師はしたがって、徴候を作り出すために介入する。彼は、既に述べたとおり、何も見えなかった場合に、何か可視のものについて推測するために、自らに見せる(自然に見せてもらう)のである:
XIII, 17–18:「それについて可視であることが絶望的であったものごとについて、何か正しい推測を下せるように」(ジョーンズ訳「以前には不可視であったものごとについて、視覚によって結論を形成しうるように」;リトレ訳「絶対に何一つ見ることを禁じられていた場合において、何かの視覚に基づいて自らの判断を支えるために」)。
だが医師はまた、何が何の徴であるかも知っていなければならない——さもなくば彼の介入には意味がない。ここに医学的な力(プヴォワール)の問題がある。もし医師が人を魅了するとすれば、それは技術者として、学者として、原因とカイロス(機会)を識別しうる者としてであるが、それ以上に、治療薬とその効果の主(マートル)たる実践家としてである。そしてわれわれの言葉に何らかの魔術的な意味を与えないでいただきたい。ここでわれわれの関心を引くのはただ操作モデルである。医師は有機体の変化の主(マートル)でありうる(そうでなければならない)——機械的にではなく、自然本来のものと自然の反応を予見することによって(注218・219)。
ここに、医師が食物あるいは制御された運動を通じて操作し、介入し、有機体に変化を生じさせる一つの事例がある——しかもこれらの変化がそれ自体を目的とするのではなく。ここでの目的は直接的に治療的なのではない。状態の変化は一時的であり、認識の目的のために実践される。医師は現象に満足することなく、自らに知らしめることができる。彼は隠されたもの、深く秘められたものを知りうる。彼はそれを見ることができ、それを自らに見せることができる。人は認識と視覚とを、あるいはより広く認識と知覚とを分離しえた。だが偉大な実例とは明らかに、実践的介入であり、医師が徴候を誘発しうるという事実である。
七、次の単位——「プラトン、医師として」
頁484後段、新たな小見出しが開かれる:プラトン、医師として(プラトン・メデサン)。これからわれわれは、プラトン『法律』I. 644b以下における一つの推論を記述するよう努めよう。この単純な記述が、われわれに、医師としてのプラトン、というよりむしろその時代の医師のように推論するプラトン、いや医師の師としてのプラトンをすら、見せてくれるであろう(注220)。ここから、ワインが人間の隠れた性格を可視化する「操作モデル」——本節が確立した「医師は徴候を作り出す」というテーゼの、プラトンにおける実演——として分析される場面が始まる。読解ノート(八・その八)で扱う。
「プラトン、医師として」——操り人形の陶酔実験、恐怖の薬という思考実験、そして「負量」概念の先取り
〇、プラトン、医師として——徳の動的定義(頁484–485)
八・その七末尾の予告どおり、新項が開かれる。これからわれわれは、プラトン『法律』第Ⅰ巻644b以下における一つの推論を記述するよう努めよう。この単純な記述が、われわれに、医師としてのプラトン、というよりむしろその時代の医師のように推論するプラトン、いや医師の師としてのプラトンをすら、見せてくれるであろう。彼の時代の医学的知識という展望のうちで、プラトンは発明的な姿を見せる。誰もが知るとおり、医学は哲学者にとって頻繁な参照の場である——そしてわれわれの見るところ、人が思う以上に、さらに多くの参照の場である。
冒頭から、徳は動的な仕方で、闘争として定義される:
「まさにここにおいてこそ、異邦人よ、自己自身に打ち勝つことは、あらゆる勝利のうちで第一かつ最善のものであり、自己自身に打ち負かされることは、あらゆるもののうちで最も恥ずべく最も悪しきものなのだ。というのもこれは、われわれ各人のうちに、われわれ自身に対する戦争が存在することを示しているのだから」(注222、626e)。
クレイニアス:「ここでもまた、異邦人よ、自己自身への勝利は、あらゆる勝利のうちで第一にして最も栄光あるものであり、恥辱と卑劣が同時に極まるのは自己自身に敗北することだ。そしてこれは、われわれ各人のうちに自分自身に対する一つの戦争が営まれていることをよく示している」。メギッロスは忍耐の称賛を行う(注——633b.c)。
一、勇気の定義——快苦の二人の顧問(頁485–486)
アテナイ人による勇気の定義が問われる:
「では勇気とは何と定めようか。単に恐怖と苦痛への対抗だけなのか、それとも欲望と快楽、そしてある種の恐るべき媚びへつらいにも対抗するものなのか——それは、自らを厳格だと信じる者たちの心すら蝋のようにしてしまうのだが」(633c8/633d)。
644b6でアテナイ人は善き存在を定義する:「われわれは既に久しく、自己を支配しうる者たちが善き者であり、それができない者たちが悪しき者たちであることに合意していたのではなかったか」。プラトンはまず一つのイメージを提示する:
「ではわれわれ各人を一つの全体として据えようではないか……そして各人が自らのうちに、互いに対立し無分別な二人の顧問を持つとしようではないか——われわれが快楽と苦痛と呼ぶものを」(注223・224)。
これら二人の顧問、対立し無分別な両者は、共に未来へと向けられており、その共通の名はエルピス(期待)である。この期待は、悪の到来の期待であればポボス(恐怖)となり、善の到来の期待であればタルロス(安心)となる。その上位に、ロギスモス——何が善であるかを断定し、都市に法として制定する判断——が位置する(注225)。
二、操り人形の神話——陶酔実験の導入(頁486)
本節の劇的な導入。プラトン自身が「徳の神話」と呼ぶもの——操り人形によって表象される——は、問題を単純化し劇化する。それは「自己に対して優れているか劣っているか」という表現が意味するところを明らかにするのである:
「そして自己自身に対して優れているか劣っているかという言い方が、ある意味で明らかになるであろう」(645b)。
互いに逆向きに引っ張る紐が、われわれを「徳と悪徳の分かれ目の上」で引く。ロゴスはわれわれに、一本の紐の牽引にのみ従い、それを手放さないように命じる——これは他の紐に抵抗することを意味する。「人は常に、法の美しい牽引に協力せねばならない。というのも理性(ロギスモス)は美しさを味方につけているのだから、その優しさは強制を用いず、その牽引には助力者たちが必要なのだ……」(注226)。
冒頭から、われわれは理論的仮説の領域にいる。プラトンはここで、われわれが実験的と呼びうる一つの仮説を提示する——操り人形への陶酔である:
「ではこの操り人形に陶酔(メテー)を処方する(プロスフェロンテス)としよう——それによってわれわれは何を作り出すことになろうか」(645d、注227)。
実のところ、プロスフェレインとは、病人への薬の処方(アトリビュシオン)を指示するための専門語なのである——八・その七で確立した医学的専門語法との連続性が、この一語によって明示される。
三、ワインは「減圧器」である——拘束する力と弛緩させる力(頁487)
本節の理論的核心。拘束する諸力——感覚(アイステーセイス)、記憶(ムネーマス)、意見と思慮(ドクサス・カイ・プロネーセイス)——と、弛緩させる諸力——快楽、苦痛、情動、恋情(ヘードナス、リュパス、テュームース・カイ・エロータス)——とのこの決闘のうちで、ワインは、言うなれば前者の減圧器(デコンプレッサー)として、後者の興奮剤として作用する——ついには個体が幼児期の状態に達するまで:「魂の状態が、まだ幼かった頃のそれに」——すなわち彼が最も自己を統御していない状態に(注228)。
陶酔の状態(魂にとって最悪のもの)は、ある種の機会には受け入れられねばならない——ちょうど、医学的管理のもとで薬物治療を受けるために入院する場合のように、そこで経験する状態が一時的なものにすぎないと知りつつ(注229)。体育場で苦しむことになる者たちについても同様である。かくして陶酔は病院や体育場に対して一つの利点を持つ——それは苦痛を伴わないという点で、鍛錬(ソーマスキアー)とは異なる(注230)。われわれは明らかに医学的な展望のうちに置かれているのであり、これはいかなる冗談でもない。P・ボワイヤンセが彼の論文でそうしたような「共感の努力」など、われわれの真剣さを保つのに何ら必要ない(注231)。プラトンはここで、われわれが『技術について』のうちに描いたものと技術的に多くの類似を呈する、一つの医学的推論に身を投じるのである。
四、恐怖を生む理論上の薬——量的測定という思考実験(頁487–489)
本節最大の理論的到達点。絶対的に対立する二種類の恐怖が存在することを知らねばならない(注232):一つはポボス・トーン・カコーン(悪への恐怖)であり、もう一つはポボス・テース・ドクセース(評判への恐怖)、すなわちアイスキュネー(恥)である。この第二の恐怖にはもう一つの名がある——アイドース(廉恥)である(注233)。この二つの恐怖は根本的に対立する——一方は極度に低く評価され、他方は同じ程度に高く評価されるからである。「立法者と、その名に値するあらゆる人間は、この〔第二の〕恐怖を最大の敬意のうちに保つのではないか」(注234)。この恐怖こそがわれわれを大いなる悪から守り、最終的にわれわれに勝利を保証するのである。
ここから本節最大の思考実験が展開される。問題の一般的な形——『ヒッポクラテース集成』のうちに絶えず出会う問題——は、質的なものの測定である。質的なもの——ここでは勇気——は、量の言葉で評価しうるだろうか。特殊な問題はこうである:飲めば飲むほど恐怖を生む、そのような恐怖を生成する薬は存在するだろうか:
「神々のうちに、人間に恐怖を生む薬を与えた者があろうか——それを飲みたいと思う者が、飲めば飲むほど、そのたびに自分がより不幸になったと思い、現在と未来のすべてを恐れるようになり、ついには最も勇敢な人間さえもあらゆる恐怖のうちに陥り、だが眠りから覚めてこの飲み物から解放されれば、そのたびごとにただちに元の自分自身に戻る、そのような薬を」(注238、648a以下)。
おそらく「より……より」という訳は、測度(オポソーイ……トソウトーイ)への配慮を十分に明らかにしていない。問題は、より多く飲めば飲むほどより多くの恐怖を覚える、そのような恐怖生成の薬が存在するかどうかであり、それによって勇気を、吸収された薬の量によって測定しうるだろうか、ということである。勇気とはこのとき薬への抵抗なのである。
この抵抗を持続時間の言葉で構想することもできよう(薬の作用時間——これはもう少し先、648dで扱われる事例である)。あるいは量として。たとえば、個体の勇気は吸収された薬の杯の数に等しい、と書くことすらできよう:
個体の抵抗 = 勇気(アンドレイアー)− 恐怖 = 杯の数あるいは薬の量。
実験の条件は安全性である(注239):「安全とともに、大きな危険なしに」。この薬には二つの用途があるだろう——検査そのものと、訓練とである。いずれにせよこの飲み物は無害である(注——「その飲み物に他の何の非難も加えることなく」)。この精確さは重要である。測定の観点から、基準(エタロン)は非難の余地なきものでなければならない。他方、食物摂取という観点からは、すべてが明快なわけではない。チーズは、たとえば、非常に良い食べ物にも非常に悪い食べ物にもなりうる——催吐剤が下剤になり、下剤が催吐剤になることもある(注240・241)。だが責任があるのは食物や薬それ自体なのか、それとも摂取する個体の方なのか。ジョーンズは、チーズと比べたワインの異なる状況に注目し、ギリシア社会におけるワインの「価値」という社会学的事情を持ち出した。われわれの見るところ、ワインは質的に不変(クァリタティヴマン・アンヴァリアン)である(注242)——この点は、後にワインを実験的薬物として語るときに、想起すべきである。
五、アイドースとポボスの逆符号関係——「負量」概念の先取り(頁490–491)
本節、本ノート全体の理論的頂点。この場合、恐怖へと導き、個体をテストするなかで気質と教育の両方を試すことを可能にするような薬は存在しない——もしそれが存在すれば、それは政治的責任者にとって並外れた切り札となったであろう。それはゼウスの裁定を彼に与え、『法律』第Ⅵ巻が望むように、役職と責任を真に本性(カタ・フュシン)に即して割り当てることを可能にしたであろう(注244)。だが立法者はもう一つの薬を持っている——ワインであり、それはまさしく正反対のものを生む:
「ワインは過度の大胆さと、それを許さぬ機会における不適切な自信とを生む……」(649a5)。「あるいはむしろ、これは今しがた言われたことの正反対の効果を持つのではないか」(649a7)——すなわち抗いがたいアポビアー(無恐怖)である。
個体にとっての問題は、したがって逆になる——恐怖に持続すること(恐怖に抵抗するのではなく)が問題になるのである。立法者にとっても読み取りは同様に容易である——無恐怖への抵抗、すなわち恐怖のうちに持続する努力を測定することになるだろう。この努力もまた等しく積極的だが、方向が逆なのである。ここに、まさしく負量(グランドゥール・ネガティヴ)の概念の導入の試みを見て取ることができる。恐怖はここで正のものと見なされ、ワインの力は負のものと見なされる(注245・246)。
アイドースは正の恐怖、価値づけられた恐怖であることを想起せねばならない。それはポボスの負の類比項である——あるいは後者こそがアイドースの負の類比項なのかもしれないが:
アテナイ人:「では思い出そうではないか——われわれは、魂のうちで涵養すべき二つの傾向について語っていたのだった。一つはわれわれをできる限り大胆にするもの、もう一つは反対に、できる限りわれわれを世界で最も臆病にするものであった」。クレイニアス:「それが汝が廉恥(アイドース)に帰していたものだ……」(649b・c)。
デ・プラス神父による θεραπεύεσθαι(テラペウエスタイ)の「涵養する(クルティヴェ)」という訳は、われわれにはあまりに一般的すぎるように思われる——これについては後述する。理解せねばならないのは、ポボスとアイドースが、既に見たとおり結びついている以上、論理的に、一方の測度を持てば、逆に他方の測度も持つということである。符号を変えさえすればよい。アイドースにおける抵抗は、ポボスへの抵抗を測定しうる。もしアイドースとポボスの結びつきが厳密にはプラトン的起源のものでないとしても、両者の論理的な関係の地位は、ここで論証のために固定されているように思われる(注247)。
個体の勇気を——都市の存続の礎を——評価するには、その者のアイドースの量を知れば足りる——それは吸収したワインの量、あるいはこの飲み物の吸収に対する抵抗の時間に等しい。それによってただちに、敵への恐怖(ポボス)への抵抗の量が得られるのである。
六、ワインの利点——質的不変性と社会的制度化(頁491–492)
この法はいくつもの利点を呈する。ワインは高価ではない飲み物であり、よく知られている——すなわち、その力(デュナミス)が正確に知られている飲み物である(その性質は、それを摂取する気質がいかなるものであれ一定であるように見える——先に引いた『古い医術について』の一節を信じるならば)(注248)。さらに、それは制度化された飲み物である——飲酒のために社会的に組織された時と場所が存在するのだから(注249)。それは無害で、飲んで快く、それゆえ飲む者にとっても国家にとっても危険なく認識を可能にする——現実の状況で個体の勇気を実験する必要がないのである。それはまた、あの理論上の薬に要求されていたのと同様に、訓練をも可能にする(注250)。
七、『技術について』との近縁性、そして『政治家』篇への展開(頁492–493)
なぜわれわれが『技術について』のこの一節を近づけたのか、その理由を言わねばならない。それは方法の問題である。これはピュセイス(自然本性)とヘクセイス(状態)の知識——すなわち与えられた個体の自然本性と状態——を含意する推論である。認識は直接的ではありえない。論理的な迂回策に頼らねばならない。だがそれだけでは十分ではない——身体的な手段によって、診断を可能にする一つの状態を作り出さねばならないのである。実際、単なる間接的認識の問題ではなく、そこにあるのはまたしても医学的な力(プヴォワール)の問題であり、一時的で意味のある状態(息切れ、多尿、あるいは陶酔の状態)を生み出す力の問題である。だがプラトンはさらに推論を進める——彼は『技術について』以上に体系化するのである。ポボスとアイドースの論理的関係は、魂のオプシスと目のオプシスとの仮説的類推よりも、はるかに精妙である。
ピジョーはここで方法論的な要約を与える。だが記憶すべきはこうである——『法律』を開くこの医学的モデルは、きわめて真剣に受け止めねばならない。プラトンを医師にしようというのではない。だが医学的実践は、他者との関係において、一つの魅惑的なパラダイムを提供する。この医学的モデルは、ある意味で、『テアイテトス』の産婆術的モデルに対立する。手短に言えば、産婆術——弁証法のモデル——は、他者の助けを借りて自分がまさに産み落としたものに、十分な認識のうちで同意しうる者に向けられる。「助産婦」はいずれにせよ機縁にすぎない。医師の方は、一つの権力を行使する——その技術の目的性によって規制された、病人の善のための権力を——だが対等な者に向けられるのではない。それは政治家(ル・ポリティック)にとっての大きなモデルの一つであり続ける:
異邦人:「では、王者にふさわしい指導者たちを描写しようとするや否や不可欠となる、あのイメージに立ち返ろうではないか」。若きソクラテス:「どのようなイメージですか」。異邦人:「真の船長と、それに劣らぬ価値を持つ医師のイメージだ」(注253、『政治家』297e)。
医師は、舵手のように、政治家のように、自らの技術(テクネー)を法として課す:
「技術そのものを法として提供しながら(アッラ・テーン・テクネーン・ノモン・パレコメノス)」(注254、『政治家』297a)。
『技術について』との比較が『法律』第Ⅰ巻の結びを理解させる:
650b:「これこそ、最も有用なことの一つであろう——魂の自然本性と状態を知ることが、まさにこれらを治療する(テラペウエイン)ことに属するあの技術によって。それはおそらく、われわれの言う政治術に属するのではないか」(デ・プラス神父の θεραπεύειν の「涵養する」という訳を、ピジョーは「われわれの見るところ、きわめて拙い」と評する。θεραπεύειν はもっと技術的に訳されねばならない——「治療する(ソワニェ)」と。医学とのアナロジーは明白である。政治術は「魂の状態と自然本性」に対して、医術が「身体の状態と自然本性」に対するのと同じ関係にある)。
だが何より重要なのは、この医学とのアナロジー、そして『技術について』のような医学的推論とのアナロジーが、プラトンをして、知ることと癒すことが同一の技術に属すると主張することを可能にする点である。これが単なる紋切り型ではないことがより良く理解できよう。医学は新たな可能性、新たな認識の方法を提供する。それは、分析されれば、自然本性のうちに隠された諸状態を光のもとにもたらすような変化を引き起こす力を持つ。政治家と医師は、ここで、方法についての同一の問題に直面している。問題となっているのは、これらの自然本性の制御された変容による、諸自然本性の認識なのである。
八、実際のワイン立法(頁493–494)
本節の実践的帰結として、『法律』第Ⅰ巻を締めくくる実際の立法条文が引かれる。有機体の認識のためのワイン使用についての考察は、ワインの正しい使用法についての諸法によって完結される:
アテナイ人:「われわれはまず、十八歳未満の子供たちには、ワインの完全な断念を定めようではないか——身体と魂のうちで、火の上に火を注いではならないこと、若者たちの狂おしい傾向を先に十分に警戒すべきことを教えて。その後、三十歳までは節度をもってワインを飲むことを認めるが、若者は過度と陶酔を完全に断つべきである。だが四十歳に差し掛かる頃には、共同の宴において饗宴を開き、神々を、とりわけディオニュソスを招くであろう——彼が人間たちに与えたもの、老年の乾燥を癒し和らげるための、この年齢に固有の秘儀にして休息でもあるワインを。それによってわれわれの若さが蘇り、魂は不機嫌の忘却(デュステュミアス・レーテーイ)のうちに、火に入れられた鉄のように和らぐであろう」(注255)。
かくしてワインとは、自然本性の認識の道具であると同時に、エウテュミアを目的地とする治療薬でもある——ディステュミアからエウテュミアへ。
九、次の単位——『問題集』第XXX巻との合流
頁494後段、本節の総括とともに次章への橋が架けられる。われわれはこのワインの二重の性質を、古代の心理病理学の認識にとってこれほど貴重なテクスト——アリストテレース学派『問題集』第XXX巻——のうちに再び見出すことになろう。読解ノート(八・その九)で扱う。
『問題集』第XXX巻のワイン論から「ワインは悪徳を作らず露わにする」まで——ムネーシテオスの断片とアスクレピアデスの逆説
〇、橋渡し——『問題集』第XXX巻へ(頁494–495)
八・その八末尾の予告どおり、ワインの二重の性質が『問題集』第XXX巻のうちで検討される。『問題集』第Ⅲ巻は、ワインの濫用と酩酊に充てられているが、それはワインが有機体に働きかける仕方をわれわれに教える。だが心理学的な精密さにおいて、プラトンの問題設定を同時に見出しつつそれを超えるのは『問題集』第XXX巻である。『問題集』第XXX巻は、周知のとおり、メランコリー的気質の独自性とその天才との結びつきに充てられている。われわれは最近、この観念が『弁論術』『詩学』『ニコマコス倫理学』『眠りにおける予知について』といった他のアリストテレース学派の論考と完全に整合的であることを示した——『問題集』第XXX巻が詩的霊感の生理学理論を提示し、メランコリー的気質がその隠喩的な気質であるという点で(注256)。だがここでわれわれの関心を引くのは、この重要なテクストの他の側面である。
ワインもまた、『法律』の後に来る、ワインによる魂の認識のもう一つの理論をアリストテレースが提示するものである。ワインは黒胆汁と同じ効果を生む。過度に飲めば、われわれをメランコリー患者の状態に置く(953a35)。そして飲むとき、それはほとんどの性格(エーテー)を実現する——怒りっぽい者、博愛的な者、憐み深い者、厚かましい者にする。用量を増やせば、人間は寡黙で無口だった状態から、饒舌に、そして狂人に、そして愚鈍になる——幼少期からの癲癇患者に似て、メランコリー患者にきわめて近くなるのである(注258)。一個人においてその性格がある量のワインを飲むことで変化するのと同様に、これらの状態のそれぞれに対応する人間たちが存在する(注259)。かくしてワインの影響下にある人間を襲うそれぞれの状態は、一つの心理学的実体と一つの一般的性格とに対応する。ワインはしたがって理想的な物差しであり、プラトンとは別の生理学的手続きに従う。その原理は変化(メタボレー)である(注260)。
一、名づけられた徴候カタログとメランコリー患者の位置づけ(頁495–496)
われわれが語るこれらの生理学的状態は、記録され名づけられている。この質的な記述は、トゥキュディデスがわれわれに語る胆汁性の便——彼が言うには、医師たちが名をつけたあらゆる相貌を呈した——と同じくらい重要である(注261)。ワインの利点は、プラトンにおけると同様、これらの状態が一時的にすぎないというその無害性にある——それに対し自然本来の状態は永続的である(注262)。
他方、ワインとメランコリー的なクラーシス(混合状態)とのあいだには、組成の同一性に由来する親近性が存在する。ワインと黒胆汁のクラーシスはともに空気に満ちている(注263)。それゆえディオニュソスとアプロディーテーは対をなす——性的興奮は空気に結びついているからである(注264)。メランコリー患者に見出される特徴を生むのは黒ワイン(ホ・メラス・オイノス)である(注265)。ワインが、胆汁あるいはむしろ黒胆汁のクラーシスと同じ本性を持つ以上、それが抗メランコリー的な医薬として役立ちうる理由が理解できよう。「われわれが思考し希望する部位のまわりの熱は、まさしくわれわれを安らかにする(ポイエイ・エウテュムース)」(注266)。それゆえ大多数の人間は、酔うまで飲むことを何よりも望む——大量に摂取されたワインは常に喜ばしい期待を引き起こすからだ、ちょうど若さがいつも子供たちを陽気にするように(注267)。それでもワインは危険でありうる。それはある種の自然本性を病ませるからである。同時にそれはこれらの自然本性を自分自身に啓示する。エウテュミアを引き起こす同じ理由が、アテュミアを引き起こしうる(注268)。メランコリー患者は本性上不規則であり、黒胆汁はその瞬間ごとに自分自身であると同時にその反対でもある(注269)。ワインと胆汁はわれわれの性格を変容させる(注270)。メランコリー患者の健康は、胆汁の不安定な本性ゆえに、絶えず脅かされている。メランコリー患者は自己を監視し自己を養生せねばならない——『ニコマコス倫理学』が言うとおりである(注271)。だがメランコリー患者を病人(マラード)と呼ぶことはできない。彼は病みがちな者(マラディフ)なのである(注272)。
かくしてワインは心理学的な物差し(エタロン)である——一個人において引き起こされる連続する諸状態に対応する性格の尺度を作りうる限りにおいて。この個人は、良き支持体であるためには——著者は明記しないが——完璧な均衡(シュムメトリアー)のクラーシスを持たねばならない。逸脱のない、逸脱度ゼロのクラーシスである(注273)。他方、個人の観点からは、酩酊の連続する効果によって、ワインは個人を自分自身に啓示する。それはまた一つの医薬でありうる——ワインが胆汁と持つ関係、親近性、類似性を考えれば。ワインがどうしてアテュミアの治療薬であり、エウテュミアを引き起こしうるかが理解できよう。
二、ワインという薬——質的中立性というテーゼ(頁497)
新たな小見出しが開かれる:ワインという薬(ル・ヴァン・コム・メディカマン)。なぜワインなのか、という問いが立てられる。これに最も自明で、おそらく最も説得的な答えを与えたのは、疑いなくW・H・S・ジョーンズである。「いかなるギリシア人も」と彼は書く、「このワインという普遍的な飲み物を、その濫用のたやすく観察されるいくつかの効果がいかなるものであれ、非難することはできなかった」(注274)。すべては、あたかもワインが質的な観点から批判の余地なく、いわば中立であるかのように進行する。これがわれわれが先に「質的不変項(アンヴァリアン・カリタティフ)」と呼んだものであり、それによって量で遊ぶことが可能になる。量を、杯の数を変えることで、その結果はワインの徳とされるのである。これによって、『食餌について』第35章がこれほど見事に提起する論理的問題が解決される:
「量を力に巧みに適合させること、これは大いなることである」(注276)。
ワインは明らかにヒッポクラテース的な医薬である(注277)。『急性病における養生法』の著者こそが、ワイン使用の利点と欠点に関わる性質を教えたとされる(注278)。ワインの用途は多岐にわたるが、心理生理学的効果に関しては、次の箴言に留意すべきである:
「不安、あくび、悪寒——これらは、等量の水で割ったワインを飲むことで解消される」(注279)。
ワインは、J・ベルティエが想起させるとおり、最善のものと最悪のものを共に含む(注280)。実際それは最善であり最悪でもある。だがそれ自体は完全に無垢である。すべては節度と機会にかかっている。すべては飲む者の本性次第なのだ。
三、ワインの両義性と責任の所在——ムネーシテオスの断片(頁498–500)
もし節度を欠けば、プラトンが伝える通念——「ワインとは、とりわけ、通念によれば……人間に罰として与えられ、彼らを狂気にするためのものだ」——が真実となる(注281)。ファルマコンの両義性——薬にして毒——を思い起こすまでもないが、一部の哲学者はそれを喜びとした(注282)。ワインの両義性は、それ自体にではなく、自然本性の反応に由来する。ワインとともに、われわれは自らの治癒の責任を負うのである。まさにこれをムネーシテオスの断片は見事に想起させる——そしてわれわれは、ワインに結びついた、エウテュミアの概念をそこに見出すことを喜ぶ。
ムネーシテオス断片41がアテナイオス経由で引かれる:
「ムネーシテオスは言った——『神々は人間にワインを啓示した、正しく用いる者たちの最大の善のために、無秩序に(アタクトース)用いる者たちの最大の悪のために。それは正しく用いる者に滋養を与え、魂にも身体にも力を与える。医療にきわめて有用である。薬や煎じ薬と混ぜられ、負傷者に有用である。日々の集いにおいて、節度をもって割って飲む者たちに喜び(エウテュミアー)をもたらす。節度を超えれば、それは放縦(ヒュブリン)となる。等分に混ぜれば、狂気(マニアン)を引き起こす。純粋なまま飲めば、身体の麻痺(パラリュシン)となる。それゆえあらゆる方面から、人はディオニュソスを医師と呼ぶのだ』」(注298以下)。「ピュティアーはある人々に、ディオニュソスを健康の授与者(ヒュギアテーン)と呼ぶよう告げた」。
「これはまさに、その陳腐さが分析を思いとどまらせる類の主題である」とJ・ベルティエは書く(注301)。われわれとしては、この陳腐さこそがわれわれを喜ばせる、と言いたい。
ワインの影響は、かくして絶対的に明白かつ自明であるように思われる。それは議論の余地がない。すべては規則、節度、気質の問題である。そしてメランコリー、悲しみとの結びつき、逆に安寧、いや幸福とすら言えぬまでも、すなわちエウテュミアとの結びつきは、至る所に感知される。
四、ガレノスの実地薬学——産地別ワインの禁忌(頁499)
この時代、医師はワインの質、色、風味、産地に関心を寄せる。ガレノスは、たとえば、ファレルヌム産のワイン、トモロス山の聖なる淡紅酒、レスボス島の香り高い淡紅酒を、胆汁質の体質の者に禁じる。「これらのワインはすべて多かれ少なかれ温性であり、これを飲む者は容易に頭痛、発熱、神経の疾患を患う。それゆえ胆汁質の本性を持つ者、あるいは熱病に見舞われた者、大いなる疲労、あるいは飢え、あるいは悲嘆を経験した者には、このようなワインを与えてはならない……」(注287)。ガレノスは、われわれの心の状態が身体のディアテーシス(体質的傾向)に依存することを示すために、ワインの魂への影響を用いる——既に見たとおりである。ワインは、と彼は書く、「あらゆる種類の悲しみと落胆(デュステュミアス)をあからさまに払拭する。それゆえわれわれは毎日ワインを飲むのだ(そのために)」(注289)。そしてガレノスはゼノンの言葉を引く——伝承によれば彼はこう言っていたという——「苦い羽扇豆が水に浸されると甘くなるように、私もワインの影響のもとでは機嫌がよくなる」(注290)。ワインは体液の煮詰め(コクション)に大きな利点をもたらす、とガレノスはさらに書く。それは体の気質(タンペラマン)を介して、魂をより勇敢に、より荒々しくなくする。それは身体の気質と魂の機能を変える(注291)。そして、節度をもって飲まれたワインは、メランコリーに対して正反対の効果を生む、とガレノスは結論する(注292)。
五、アスクレピアデスの逆説——「ワインを与える者」にして「冷水を与える者」(頁500–501)
すべての医師のうちで、常に見出されるのはビテュニアのアスクレピアデスの特異な事例である——彼は「ワインを与える者(オイノドテース)」と呼ばれると同時に、「冷水を与える者」とも呼ばれる(注302・303)。彼は『ワイン投与について』という論考を著したことが知られている(注304)。だがこれにはさほどの矛盾はない——プリニウス自身が伝えるとおりである:「彼は愛想のよい技巧によって信頼を勝ち得た——時には病人にワインを約束し折を見て与え、時には冷水を処方して」(注306)。プリニウスはまた、アスクレピアデスにとってワインの効用はほとんど神々の力に匹敵すると伝える(注307)。実のところ、ここでもまたアスクレピアデスは独創的で一貫している。彼の『ワイン投与について』に見られる断片の興味深さは、われわれが既に見た伝統——フレニティス患者にはワインを与えないという伝統——への対立にある。彼の「フィロパラボロス」な治療、いわば「英雄的」治療と呼びうるものにおいて、彼はフレニティス患者に純粋なワインを勧めることを躊躇しない(注308)——これはカエリウス・アウレリアヌスによれば完全に不整合である。それは火をもって火を癒すに等しい。彼はフレニティス患者を、それ自体が疎外(アリエナシオン)を引き起こすと彼自身よく認識している治療薬で治療するのである。彼はワインがフレニティスの原因の一つであること、フレニティス患者が酔った人間に似ていることを十分に承知している(注309)。
ワイン利用のもう一つの興味は、われわれが既に記述したワインの生理学的過程の記述にある——だがこの文脈でこそ、われわれはそれをより良く理解するであろう。アスクレピアデスは、ワインそのものとその本質そのものに二重の作用を帰する唯一の人物である——他のすべての医師がそれを処方量と気質との関係の結果とするのに対して(注310)。この点で彼はエピクロスに従わない——エピクロスは医師たちと哲学者たち全体と完全に一致しているのだが、われわれが既に引用したテクストに見るとおりである。エピクロスはそこで、吸収された量と吸収する者の自然本性に応じて、ワインが温性にも冷性にもなりうる理由を与えている(注311)。
六、フィロン・アレクサンドリノスの二種類の酩酊(頁502)
ワインと酩酊について反省するとき、フィロン・アレクサンドリノスを引かずにはいられない。ディオニュソスは、と彼は書く、葡萄樹を馴化しそこから極めて快い飲み物を引き出すことによって、魂にも身体にも共に有用であった——魂にはエウテュミアをもたらすことによって、そこに悪の忘却と善への希望を創り出しつつ、身体には健康の改善、頑健さ、しなやかさをもたらすことによって(注312)。だがワインは危険な医薬である——それは厳格な用量調節と気質の知識によって規制されねばならない限りにおいて。実のところ二種類の酩酊が存在する:
「一部の者たちにおいては、それは悲しみ(トー・シュンヌーン)、荒々しい様子(スキュトローポン)を払拭する。精神の集中(プロンティダス)を緩め、怒りと悲しみ(オルガス・テ・カイ・リュパス)を鎮め、性格を和らげ……魂を自足させる。他の者たちにおいては、それは怒りを煽り、苦痛を刺激し、恋の情熱を発動させ、粗暴さを目覚めさせる」。前者においては、それは笑いを、……希望を、エウテュミアをもたらす(注314)。
したがって酩酊は普遍化可能でも無害でもない医薬である。ワインは理性の弛緩をもたらし、それは無分別な者たちにおいては数多くの過失に至りうるが、分別ある者たちにおいてはエウテュミアに至る(注315)。それゆえわれわれは、フィロンとともに、賢者は酔うであろうと主張しよう(注316)。だが一部の者たちは反対のテーゼを支持する(注317)。
七、酩酊は悪徳を作らず露わにする——ゼノンの三段論法とセネカ書簡83(頁502–503)
本ノート最終節。それゆえセネカの著作のうちに、酩酊への断罪と推奨とが同時に見出されることに驚くべきではない(注318)。実のところ矛盾はない。真実を言えば、セネカは伝統全体を知っている——自然本性の啓示者としての、治療薬としての、あるいは危険としてのワインを。ルキリウス宛第83書簡はこの点に精確さをもたらす。セネカはゼノンの三段論法を想起する:「誰も酔った人間を信用しない。ところで人は善き人間を信用する。したがって善き人間は酔わないであろう」(注319)——これはわれわれが先ほど想起したフィロン『植物栽培論』の対立命題に正確に対応する(注320)。ゼノンについて言えば、これは彼を、羽扇豆を清水で湿らせるようにワインで身を潤していたと描く伝統と矛盾するように見えるかもしれない(注321)。ポシドニオスは、セネカが伝えるところによれば、ゼノンを訂正し、酔った人間を、習慣的な飲み手や酔いどれから区別した(注322)。セネカの手紙は酩酊に対する真の告発状であり、それは意図的な狂気(ヴォルンタリアム・インサニアム)に他ならない(注323)。
「あまりに激しいワインの奔流が魂を隷属させるとき、そこに隠されていたすべての堕落が表面に浮かび上がる。酩酊は悪徳を作らない、それを露わにするのだ(ノーン・ファキト・エブリエタス・ウィティア、セド・プロトラヒト)」。
セネカはここで、ワインを気質の啓示者とする省察——『法律』のそれ、彼が知りうることをわれわれが知っている——そして『問題集』第XXX巻のそれ、これも彼が『魂の平静について』自体を通じて知っていることをわれわれが知っている——を再び見出す(注324)。だがこれからわれわれは、この論考の独自性と思われるものを検討することにしよう。
八、次の単位——「セネカ『魂の平静について』」
頁503後段、新たな大項が開かれる:セネカ『魂の平静について』(ル・ドゥ・トランクィリターテ・アニミ・ドゥ・セネク)。この著作は一つの医学相談として提示される。セレヌスはセネカに自らの状態(アビトゥス)を描写する——なぜなら、と彼は言う、汝に医師として(ウト・メディコー)打ち明けてはいけない理由があろうか、と(I, 2)。読解ノート(八・その十)で扱う。
セネカ『魂の平静について』——taedium uitaeの医学相談から「ユピテルの引き潮」、そして「この論考は賢者のためではない」
〇、一つの医学相談としての作品構成(頁503)
八・その九末尾の予告どおり、新項が開かれる。この著作は一つの医学相談として提示される。セレヌスはセネカに自らの状態(アビトゥス)を描写する——なぜなら、と彼は言う、汝に医師として(ウト・メディコー)打ち明けてはいけない理由があろうか、と(I, 2)。患者は症状の一覧を示し、医師に診断を求める:「汝はその病に名を見出すであろう(トゥー・モルボー・ノーメン・インウェニエース)」(I, 4)。セレヌスの不調は曖昧で、判然としない——躊躇、決断の不能、一方向へ進み続けることの不能である。危険はおそらくないであろう:「これらの魂の動きは危険なものではない……」(I, 18)。それは嵐ではなく、吐き気なのだ——「私は嵐に苦しめられているのではなく、吐き気に苦しめられているのだ(ノーン・テンペスターテ・ウェクソル、セド・ナウセア)」(同)。この不快と不調の状態は、まさしくエウテュミアの教えが向けられる当のものである。吐き気は、セネカの語るタエディウム・ウィタエ(生への倦怠)の生理学的翻訳なのである(注326)。
一、セレヌスの症状——「自己自身と共にあることの不快」(頁504)
セネカはこの状態を、重病から回復しつつある者たちの状態に喩える——もはや後遺症はないのに、なお医師に手を差し出し、身体のあらゆる熱を疑い続ける者たちに(注327)。患者が退屈し、あるいは苛立ち、寝台の上で絶えず寝返りを打つこと——これらすべての徴候は、自己自身と共にあることの不快(マレーズ)を表す。患者は過去への漠然たる罪責感と、未来への恐れとに苛まれる(II, 8)。活動の停止、オティウム(暇)は、彼を自己自身との耐えがたい対面のうちに置く(II, 9、注——「イヌィトゥス・アスピキト・セー・シビ・レリクトゥム」)。ラテン語原文の見事な一節が引かれる(II, 10)——タエディウムと自己嫌悪、いかなる場所にも落ち着かない魂の揺動、耐え難い休暇(オティウム)の悲しい病んだ忍耐……そこから倦怠(マエロル)と衰弱(マルコル)、千の思考の波が生まれる、と。そこには何一つ欠けていない——欲望の抑圧も、痛みを掻きむしる倒錯した快楽さえも、癩患者のように(II, 11——ある種の潰瘍は、傷つけるであろう手を求め、触れられることを喜ぶ、それが搔きむしるすべてを喜ぶ醜い体の疥癬のように)。
二、エウテュミアの語源と定義——デモクリトスからセネカへ(頁505)
本節の理論的核心。身体は健全でないのではない、それが健康に慣れていないだけなのだ。治療の観点からは、もはや激しい薬は必要ない。第一に必要なのは、自己への信頼を持つことである:「汝が汝自身を信頼し、正しい道を歩んでいると信じるように……」(II, 2)。医師の最初の身振りは安心させることである——震えを止め、胸のつかえをほどき、呼吸を取り戻させること。ソラノスのテクストが語っていたとおり、希望を与えれば病人はエウテュミアを見出す。この点で、言葉はまず効果的である。セネカはただちにデモクリトスを参照する:
「魂のこの安定した座を、ギリシア人はエウテュミアと呼ぶ——これについてはデモクリトスの見事な一書がある——私はこれをトランクィリタース(静穏)と呼ぶ」(II, 3)。
セネカはここで、エウテュミアについての見事な記述を与える——魂の経過がいかにして均等で容易でありうるか、いかにして自己自身に対してより好意的でありえ、自己自身を喜びをもって眺めうるか、そしてこの喜びがいかにして途切れることなく、昂揚もなく落ち込みもない静穏の状態のうちに存続しうるか、と。このエウテュミアの記述はアタラクシアのそれに似ている。あるデモクリトス断片によれば、エウテュミアは魂にとって、身体にとってのアパテイア(無痛)にあたるという。だがそれは単なる苦痛の不在ではなく、積極的なものである点で異なる。他方それは喜びに似ているが、その原理(プランシプ)ではなく、その様態(コマン)を顧慮しない点で異なる(注328)。
三、ディステュミアの一元的徴候——シビ・ディスプリケーレ(頁505)
ディステュミアのあらゆる多様な症状は、一つの同じ徴に還元しうる——シビ・ディスプリケーレ(II, 7)、ディスプリケンティア・スイ(II, 10)——自己自身に不満であること、自己自身とともに自己自身を喜べないこと。和解の微笑の代わりに、自己自身に向けてなす顰め面、と言ってもよかろう。かくして、自己への落胆と絶望から、人は隅々に身を退き、苦痛を温め、嫌悪と恥のうちにこもる(イン・アングロース・セー・レトラヘンス・エト・ポエナエ・インクバンス・スアエ、ドゥム・イッルム・タエデト・スイ・ピゲトクェ……)(II, 11)。
四、ヒッポクラテース゠カエリウス・アウレリアヌスとの比較と限定(頁506)
逃避、人間嫌い、悲しみ、落胆——ここに憂鬱質者の姿を見て取らない者があろうか。ヒッポクラテースを想起しよう:「恐怖あるいは落胆(デュステューミエー)が長く続くなら、それはメランコリー的である」(注329)。カエリウス・アウレリアヌスとも比較しよう:既に病に捉えられた者たちは、不安と困惑に取り憑かれ、悲しみ、沈黙、同居者への憎悪を伴い、生への欲求と死への欲求が交互し、罠を疑い、空虚な涙、無意味な呟き、そして再び陽気さが現れる(注330)。これがメランコリー患者である。だがセネカについてメランコリーを語るのは、まさしく不適切であろう——それは気質(タンペラマン)と体液(ユムール)を含意するのだから。われわれはここで、この病の心理学的な側面にいる——この病こそ、卓越して、身体と魂の病なのだが。浄化すべきか、語らせるべきか。デモクリトスとセネカは、まず教えねばならないと考える。デモクリトスにとって、しばしば身体を虐待し病ませるのは魂の方である:
「もし身体が魂を法廷に訴えることができたなら——生涯を通じて被った苦痛と苦悩のゆえに——そしてもし私がこの件を裁く立場にあったなら、私は喜んで魂を有罪とするであろう——怠慢によって身体を衰弱させ、大酒によって疲弊させ、あらゆる方面から快楽によって身体を破壊し引き裂いたことのゆえに——ちょうど、道具や人間を配慮なく用いた末に悪い状態のまま放置した者を告発するのと同じように」(注331)。
メランコリーとは、セネカの二つの語を別様に取り上げるなら、ナウセア(吐き気)とタエディウム(倦怠)である。だがセネカは、吐き気を倦怠の治療によって癒しうると信じている。
五、自死の危険——「重すぎる道連れ」(頁506–507)
とはいえこれは軽々しく扱ってよい病ではない、セネカはその果てに自死がありうることを十分に承知している:
「人は自己自身を追いかけ、あまりに重い道連れに急き立てられる(セクィトゥル・セー・イプセ・エト・ウルゲト・グラウィッシムス・コメース)」(II, 14)。「……これが幾人かを死へと駆り立てた」(II, 15)。
だがタエディウムをメランコリーと訳すのは適切ではない——それはその一側面にすぎないからである(注332)。タエディウムの最初の効果の一つは、個体をその不確定な感受性の眩暈のただ中で社会から切り離すことであり、病人を世界と他者から切り離し、過度の人間嫌いのうちに孤立させることである。そして第一の治療薬は、彼を他者と和解させることである——それが彼を自己自身と和解させる唯一の方法だからだ。セネカはこの治療薬をストア主義の教義そのものから引き出す:
「それゆえわれわれは、寛大な魂によって、一つの都市の城壁のうちに自らを閉じ込めることをせず、全世界との交流のうちに自らを送り出し、宇宙をわれらの祖国であると宣言したのである」(IV, 4)。
六、ユピテルの引き潮——孤独の中の充溢(頁507–508)
本節、思いがけない引用とともに展開される。「独りである者は狂人である」とイプセンは言う(注333)。結局のところ、知恵とは自己自身と面と向かい合う能力のことなのだ。それは二重の運動を前提とする——世界への拡張と、自己への後退と。それは神の満ち引きのようなものである。ユピテルが、世界の終わりに:
「世界が解け、神々が一つに溶け合い、自然がしばし活動を止めるとき、彼は自らの思索に身を委ね、自己自身のうちに安らう。賢者もまたこれと同じようなことをなす——彼は自己のうちに退き、自己自身と共にある」(注334)。
それは神の満ち引きなのだ:
「宇宙を統べる神は、外へと向かいはする、だがそれでもなお、あらゆる方角から、その全体において自己自身のうちへと戻るのだ」(注335)。
賢者の孤独は充実した孤独である。われわれはここに、『ダマゲテース宛書簡』について描いた隠者の両義性を再び見出す(注336)。もし私が、震えることなく、自らを逃げ出すことなく、自己自身を見つめることができるなら、私は自己自身と和解しているのである。だが自己自身と和解するためには、他者たちの媒介が必要なのだ。
七、フマニタスという治療薬——徳の伝染力とデモクリトスの臨終(頁508–509)
自己中心主義、利己主義、ナルシシズム、自己への閉じこもりに対する第一の治療薬、それはフマニタス(人間性)である。もちろん、われわれの憂いを和らげる会話をする者たち、その陽気さがわれわれの悲しみを払う者たち、その姿を見るだけでわれわれを喜ばせる者たちを、友として選ばねばならない(注337)。ピジョーはP・オーバンクの論文を引きつつストア的フマニタスの構造を検討し、キリスト教的アガペーとの対比を示す。真実を言えば、フマニタスとは、自己自身を他者のうちに、あるいは幾人かの他者のうちに、愛することを学ぶことである——自己自身のもう一つの鏡のうちにではなく(それはナルシシズムと利己主義にほかならないだろう)。いずれにせよ、自己に立ち返らねばならない——自己を見失ってはならない、自己を他者のうちに見出さねばならない——だが自己に耐え、自己を支えることができるのは、他者の媒介によってのみである。これは生命に関わる、生物学的な問いなのだ。人間という枝から自らを切り離すことは、自らを殺すことである。
ルキリウス宛の最初の書簡群は、まさに新参の弟子に向けられており、奇妙な会計を提示する——独りで生きるべきか、二人で、それとも数人で? 「均衡の取れた魂の第一の徴は、安定していること、そして自己と共に留まる(セクム・モラーリー)ことである」(注339)。まず友を一人選ばねばならない(注340)——だが群衆は避けねばならない(注341)。群衆との接触は、まだ鍛えられていない者にとって、均衡を乱す。柔らかな魂は群衆から遠ざけられねばならない……「汝自身のうちに退け」、だが同時に「汝をより善くしてくれる者たちに結びつけ」。「賢者は、たとえ自足していても、なお一人の友を欲する……彼は、エピクロスが言ったような、『病めば枕元で看病してくれる者、鎖につながれ、貧困にあるとき助けてくれる者』を求めるのではない。彼は誰かを、自ら病人の枕元で看病するために求めるのだ……」(注345)。
「もちろん、他者を求めるにあたっては、悩める者、情念に支配された者を避けねばならない——情念と悪徳は伝染するからだ」:
「悪徳は忍び寄り、隣り合う誰にでも飛び移り、接触によって害をなす(セルプント・エニム・ウィティア・エト・イン・プロクシムム・クェムクェ・トランシリウント・エト・コンタクトゥー・ノケント)」。
絶対的な賢者を探す必要はない——そんなものは存在しないのだから。「最善とは、最も悪くない者のことである」(注346)。悪徳が伝染するのと同様に、徳もまた一つの物理的な力を持つ。有徳の人間は、その姿を見せるだけで他者を助けるのである(注347)。それは薬効成分の匂いのように——味わうことも触れることもなく作用する、徳の「匂い」のように作用する。エウテュミアについての省察のうちで、どうしてデモクリトスを想起せずにいられようか——彼はテスモポリア祭の間、妹に迷惑をかけて死なぬために、しばらくの間、ある食べ物の匂いだけで生き延びたという(注348)。
八、自己認識と習慣という調整原理——デモクリトスの遺産放棄(頁510–511)
自己自身を知らねばならない——それは自らの性格、気質、自然本性を知ることを意味する。ここでわれわれは『怒りについて』第Ⅱ巻に立ち返る。ある者たちは活動のために生まれ、他の者たちは瞑想のために生まれる。自然本性を強制してはならない、むしろそれを、自然の与件のうちに既に刻まれた目的に適応させねばならない(注349)。エウテュミア的調整の原理は習慣(アビチュード)である:「自然がわれわれの感謝に値する最大の理由は、われわれの運命に付随する苦しみを知りつつ、習慣をわれわれの不幸への緩和剤として発明したことである……」(注350)。
ここでピジョーはパナイティオスとポシドニオスの影響問題を慎重に検討する——ロドス島の哲学者パナイティオスがアナクサゴラスの言葉(「私は彼を死すべき者として生んだと知っていた」)を反復するよう勧めたことを知っているが(注351)、むしろポシドニオスを想起する方がよいと考える——彼は繰り返し想起してきたとおり、習慣という治療的・教育的原理を採用した人物である(注352)。
富にも、いかなる種類の所有にも執着してはならない。これもまた、真正にデモクリトス的な運動である。それはエウテュミアの創始的な身振りとすら言えよう——エウテュミアについてのあらゆる反省は、実際、デモクリトスが父祖の遺産を放棄したという、解放的な身振りへの言及を含んでいる——われわれが偽ヒッポクラテース『書簡』について既に触れ、フィロン・アレクサンドリノスが軽率な行い、いや狂気とすら呼びかねない行為として評したあの身振りである(注353・354)。何よりもまず、無用な焦燥、分散した活動を避けねばならない。あまりに遠くを狙わず、あまりに多くを企ててはならない(注355):
「かくしてあらゆる労苦は、何らかの目的へと関わり、何らかの目標を顧慮すべきである。これらの焦燥者たちを動かすのは真の活動ではない——狂人たちにおけるように、それは事物の幻想的な虚像なのだ」(注356)。
これがデモクリトス的エウテュミアの原理の一つである。遠くを見過ぎず、多くを企てすぎてはならない。計画せねばならない——今日の言葉で言えばそうなろう。あらゆる瞬間を満たし、何によって満たすかを知り、自らの身振りの終着点を正確に知らねばならない:「エウテュミアを最も損なうのは、われわれの衝動を、帆のように、われわれの能力の尺度に合わせて畳まないこと、希望において高きを望みすぎ、そして失敗を前にして運命を責めることである。犂で弓を引き、牡牛で野兎を狩ろうとする者は、不運の犠牲者ではない……」(注357)。
九、限りある視野という逆説——アランへの反論とメナンドロスの一句(頁511)
本節終盤、本紀要にとって最も示唆的な理論的転回。われわれはパナイティオスの影響について多くを語ってこなかった——M・グリマルは『怒りについて』と『魂の平静について』についてこれを大いに重視するのだが。われわれとしては、パナイティオスの『エウテュミアについて』についてほとんど何も知らない——それはわれわれにとって単なる名にすぎない。われわれとしては、H・アド夫人の見解——パナイティオスを越えて、デモクリトス的源泉への回帰を志向する見解——にかなり賛同する(注358–360)。
これがエウテュミアについての言説であり、それは近視眼的(アクールト・ヴュー)に見え、失望させるものに見えるかもしれない。だがそれこそが、まさしくその定義そのものなのだ。ピジョーはここで現代の対抗テーゼを召喚する——アランは、その晩年の『語録』のうちで、「憂鬱質者よ、遠くを見よ!」と勧めていた——憂鬱質者を自己自身への専心から絶対的に引き離さねばならない、という意味で。エウテュミアの原理はその逆である。それは個体が近視眼的(ミオープ)であることを求める——遠い風景や漠然とした企てのうちに自己を見失わないこと、自らの時の終着点を知ること、自らの時間の各瞬間を満たすこと、成功しうる身振りしか企てないことを求める。落ち着いているとは、順応する術を知ることである——目が順応すると言うのと同じ意味で。可能性への恐怖から治癒せねばならない。多くの者がメナンドロスの言葉に震える、とプルタルコスは書く——「生きている限り、誰が『これは私には起こるまい』と言えようか」(注361)。
十、本節の自己限定——「賢者にではなく」(頁512)
本ノート最終節、セネカ自身による決定的な限定が引かれる:
「この論考は不完全な者たち、凡庸な者たち、そして不健全な者たちに向けられている……賢者にではない(アド・インペルフェクトース・エト・メディオクレース・エト・マレー・サノース……ノーン・アド・サピエンテム)」(XI, 1)。
聖ヒエロニュムスが、アケーディア(怠惰の悪徳)に脅かされた修道士たちに同じことを勧めているのは興味深い(注362):「不毛の木を接ぎ木せよ、……蜂の巣を作れ、……網を編め、写本を作れ。そうすれば汝の手が汝を養うものを産み出し、読書が汝の魂を満たすであろう。『情念には、あらゆる怠け者が服従する』。エジプトの修道院は、魂の救いのためよりも生活の糧のために働くことを望まない修道士を一切受け入れないという、この慣習を今も守っている——魂が有害な妄想のうちに迷い込まぬように」(注363)。
本節は、アグリッパ・ドービニェ『悲愴詩集』の一句を掲げて次の局面へと転じる:
「悪、悪——死、死——絶望」(A・ドービニェ『悲愴詩集』)。
エウテュミアについてのあらゆる言説が——『幸福な生について』と同様に、ただし原理のではなく処方(レセット)の水準においてであるが——死をめぐって、死への恐怖をめぐって回転していることは明白であり、絶望の危険のもとにそれを和らげねばならない。「汝は死のために生まれた」とセネカは言う(注364)。死へのこの被投性(エートル・プール・ラ・モール)は、弱き者たちを絶望へと駆り立て、自死へと導く(注365)。「われわれは死ぬことへの恐れの犠牲となって、幾度死ぬことか」(注366)。死ぬことを学ばねばならない、良く死ぬことを学ばねばならない。哲学するとは死ぬことを学ぶことだ。だが万人が賢者ではなく、その恒心を持たない。この恐怖は生をその実質から空にしてしまう。「クリウス・デンタトゥスは、死んだまま生きるよりは死ぬ方を選ぶと言っていた」(注367)。この言説が向けられるのは、存在の不調(マレーズ)、存在することの悪(マル・ドゥ・レートル)、生きることの悪(マル・ドゥ・ヴィーヴル)に対してなのである。
ディステュミアの宇宙とは、「自らの人生のうちで具合が悪いと感じること」の宇宙である。それはトリスティティアであり、われわれはこれをメランコリーと呼ぶことを避けるであろう——というのもわれわれは、既に述べたとおり、この概念を医師に留保しているのだから(頁513へ続く)。
十一、次の単位——「アエグリトゥードとタエディウム」
頁513、新たな小見出しが開かれる:アエグリトゥードとタエディウム。ここからキケロー『トゥスクルム荘対談集』第Ⅲ巻のアエグリトゥード論(アニムスに特有の病)と、『魂の平静について』のタエディウム概念との根本的な差異——そしてフロイト「悲哀とメランコリー」への驚くべき参照——の検討が始まる。読解ノート(八・その十一)で扱う。
アエグリトゥードとタエディウム——フロイト「悲哀とメランコリー」との対決、そして「エブリエタスまで至ることもある」
〇、橋渡し——テオディケーとの接続、ルクレティウスへの回帰(頁513)
八・その十末尾で見た絶望の記述(「魂は夜のうちへと導かれる……闇が立ち上る」)に続き、ピジョーは驚くべき射程の拡張を行う。エウテュミアが神義論(テオディケー)の問題、『摂理について』の問題に結びついていることが分かる——フィロンが別の箇所で示すとおりである。「万物の本性を絶えず賛嘆し、宇宙のうちで万事が意図的な悪意なくして成就することを喜ばねばならない」。魂の衛生は宇宙の目的性に結びついている。ここにルクレティウスの「メランコリー」の伝統——その詩の第Ⅵ巻末尾での自殺——を理解する鍵がある。われわれは既に、これが反=摂理論、反=神義論であることを示した(注372)。
一、アエグリトゥードとタエディウム——根本的差異の提示(頁513–514)
本節、本ノート全体の理論的支柱となる区別が導入される。われわれは今や、このエウテュミアの文献の重要性がより良く理解されることを望む。それは生きることの悪を和らげようとする哲学的試みであり、古代研究者たちにはほとんど知覚されてこなかった試みである。魂の病、それは悲しみである。これはキケローが『トゥスクルム荘対談集』第Ⅲ巻において知っていたことであり、そこで彼はアエグリトゥードを根本的な病とする。だが『トゥスクルム荘対談集』から『魂の平静について』へと、そこには根本的な差異が存在する。キケローにとって、アエグリトゥードはアニムスに固有の病であり、判断(ジュジュマン)に属する。第Ⅲ巻の重要性はまさに、この病の――ストア的伝統のコンスタンティアエ(エウパテイアイ)のうちに対応物を持たぬ唯一の情念の――価値づけにある。だがアエグリトゥードは、実存的な病に病むセレヌスという人間の病とは何の関係もない。W・リーゼは、常に興味深いある論文において、古代は困窮と不幸を知っていた——文学がそれを証明するとおり——だが内的な不安と不安定はほとんど知らなかった、と書く。「劇的要素が心理学的要素に対して優勢である」(注373)。エウテュミアの文献は、これが真実ではないことを証明する。
二、クリュシッポスの語源論——「リュペーは個体の解体」(頁514)
かくして、悲しみはあらゆる情念のうち最悪のものであり、哲学するとはまず何よりも、クリュシッポスが空想的な語源によって個体を解体するものと呼んだ、この憂い(シャグラン)を除去することである:
「クリュシッポスは、まさにこのアエグリトゥード自体が、リュペー(λύπη)と呼ばれたのは、それがあたかも人間全体の解体(ソルーティオーネム)であるかのようだからだと考える……」(注374)。
アエグリトゥードは卓越して魂の病である——ラテン語の天才性が示すとおりである。「ここでもまた」とキケローは書く、「われわれローマ人は実に注目すべき仕方で表現する——身体の病との類比によって、彼らは苦悩、不安、苦悶をアエグリトゥードと呼ぶのだ」(注375)。だが既に述べたとおり、アエグリトゥードとタエディウムを区別せねばならない。この二つの観念は異なる伝統に属するが、同時に病についての異なる構想にも属するのである。
三、キケローのペリパトス的選択とその帰結(頁514)
われわれは既に、キケローがフーロルとメランコリーを関係づけるペリパトス学派の学説を選んだことを見た。その帰結は複数ある——それによって狂気における胆汁の存在、そして結局のところ身体の与件を排除することが可能になる。この『問題集』第XXX巻の伝統は『占いについて』のうちで批判される——なぜ「カルディアカ・パッシオー」は、メランコリーと同じだけの天才を生まないのか、とキケローは問う。最も希薄なクラーシスの水準においてすら、メランコリー的気質を価値づける理由はない、というわけである。他方、ストア的な魂の病の定義の内部で、われわれは、キケローが意図的にクリュシッポスの一元論を無視し、魂と身体の、判断とその有機的な現れとの二元論を復元したことを示しえたと考える。実のところ彼にとって、憂いはまず判断であり、次いで生理学的現象なのである。
四、憂いの弁証法——二重の判断と虚偽意識(頁515)
本節の理論的核心。アエグリトゥードとは、事実についての、不幸な出来事についての、そして何より喪についての、誤った判断である。第三章で研究したプラエメディタティオーとデフェティガティオーの観念を措くならば、憂いに固有のものとして、われわれが虚偽意識の弁証法と呼びうるものが残る:
「だがこの大いなる悪であるという意見に、さらにこの意見――そうすべきである、それは正しい、この出来事に対して憂いを覚えることがわれわれの義務に属する――が加わるとき、ついにあの重い憂いの動揺が実現するのである」(注376)。
憂いは判断の上に重ねられる判断であり、適切さ(コンヴナンス)から義務(オブリガシオン)へと移行することで強化される。それは魂の根本悪となる。喪のあらゆる徴——泥にまみれ、頬を引き裂き、髪をむしり取るあの象徴的身振りのすべて――は、必要だと判断される一つの茶番(コメディー)なのだ:
「だが彼らはこれらすべてを、そうふるまうべきだと判断しながら行うのである」(注377)。
人がこうふるまうのは、苦痛の只中でこれがすべて正しいと考えるからであり、それが義務だとさえ判断するからだ。ところで明らかに、この苦痛のパントマイムはすべて意志に属する。緩みはあるのか、微笑が漏れることはあるのか:
「彼らは再び自らを悲しみへと呼び戻し、苦痛を中断したことを罪と見なして自らを咎める」(注378)。
これはまさしく、この振る舞い全体が意志に属することを示しているのではないか、とキケローは問う。認めねばならない、と彼はさらに言う、われわれが憂いを被るのは意志と判断の結果によってなのだ、と(注381)。これに、喪のパントマイムが死者を喜ばせるという狂った観念を付け加えよう(注382)。かくして虚偽意識と罪責感が、喪に結びつくのである。
五、自己愛の限界——ニオベーの神話(頁516)
キケローは自我感情についてきわめて興味深い所見を加える。自己愛は他者への愛の限界である。恋愛的レトリックの過剰によってでなければ、他者を自己自身以上に愛すると主張することはできない。「人は死を前にした平然たる態度を称賛し、他人の死に平然としている者を非難する。これは、恋人たちに親しい言葉遣い――自己自身以上に他者を愛しうるという言葉遣い――を真剣に受け取るのと同じ推論なのだ」(注383)。その結果は、生の混乱(ペルトゥルバーティオー・ウィタエ)とあらゆる義務の混乱であろう(注384)。この所見は重要である。われわれは既に、他者へ、そして自己自身へと向かう往復運動について語った。自己を過度に主張してはならない――それは自己を見失うことに等しい――が、それを無視して他者のうちに自己を見失ってもならない。アモル・スイ(自己愛)は生物学的かつ社会的な規範である。他者を自己自身以上に愛することは狂気か虚偽である。悲しみを――もし悲しみに必然的な形式主義があると考えるなら――顰め面として出現させるのは、生物学的必然性である。食べねばならない、ニオベーですら食べたのだ(注385)、そして最終的に、彼女を石に変え、象徴的な厳格さのうちに永遠に固定したのは神々の贈り物だったのである(注386)。
六、セネカのアエグリトゥード観——ルキリウス宛第63書簡(頁516)
セネカはアエグリトゥードの伝統をよく知っている――『慰めについて』の諸篇に見られるとおりである。彼は虚偽意識の役割を正当に評価する。友ルキリウスへの慰めである第63書簡で彼は書く:「汝は嘆きがどこから来るのか、度を超した涙がどこから来るのかを問う。われわれは涙のうちに自らの後悔を証明しようとするのであり、苦痛に従っているのではなく、それを見せているのだ」(注387)。彼はまた、喪に混じる罪責感もよく知っている――生前は友人たちを疎かにしていた者たちが、悲嘆の氾濫に身を委ねる。「それは彼らが、自分たちの友情を人に疑われはしまいかと恐れるからだ」(注388)。セネカの著作はアエグリトゥードとタエディウム・ウィタエの違いを示しており、この区別はきわめて重要である。アエグリトゥードはタエディウムと区別される――それが状況によって引き起こされるという点で。それは事実についての誤った判断だが、生の出来事についてのものであり、喪はその特殊だが根本的な一事例である。これに対しタエディウムは、きわめて漠然とした性格を持つ。
七、タソスの女という症例の再訪——原因の有無による区分(頁517)
もしこの二種の憂いを区別しようとするなら、まず因果性と地盤(テラン)の水準においてそれを行いうる。ヒッポクラテースは既に『流行病』のうちで、誘発された憂いと誘発されないそれとを区別しており、そこには一つの性格――すなわち一つの地盤――と一つの誘発原因との出会いを見出しうる。かくしてタソスの女――われわれが既に語った(七・その三既出)――「タソス島に、性格の悲しい女(デュサニオス)が、動機ある悲しみ(エク・リュペース・メタ・プロファシオス)の後、恐怖と落胆(デュステューミエー)を示し、譫妄した……」(注389)。クリティアースによれば、デュサニオスとは、小さな事柄にも大きな事柄にも他人より長く苦しむ者を言う、とガレノスは注釈する(注390)。因果性の観点から言えば、アエグリトゥードとは、こう言ってよければ、プロファシス(誘発因)を伴う悲しみ(メタ・プロファシオス)である。タエディウムは、セネカがルクレティウスに続いて示すとおり、結局のところ死という不可避の必然性に由来する、不確定な原因を持つのである。
八、パナイティオスの失われた論考——喪の手がかり(頁517)
魂の病を情念として定義することで、原初のストア主義はより精確な位置づけを可能にした――それは定着した記述を与えたのである。おそらく、失われたパナイティオスの論考『エウテュミアについて』の表題そのものが示唆するとおり、このストア派の哲学者は、ストア主義のうちに、情念のより漠然とした起源を導入する必要を感じていたのかもしれない。だがディオゲネス・ラエルティオスの断片が、この表題に付け加えて、パナイティオスがその著作のうちで、アナクサゴラスと同様に自らの子らを自らの手で埋葬したクセノパネースについて語っていたことを伝えている(注391)――これはわれわれにここで慰めの実例(エクゼンプラ)を与える。したがって、この論考の少なくとも一部は喪に、それゆえアエグリトゥードに充てられていたと思われる。おそらくこの乏しい手がかりは、セネカがパナイティオスを越えて、『魂の平静について』のうちでデモクリトス的伝統へと回帰していると考える学者たちの側の資料に加えるべきものであろう(注392)。この伝統はおそらく、われわれがディールスらの軽蔑に値しないと示そうとしてきた『ヒッポクラテース書簡』のそれであったろう。いずれにせよセネカの著作は、彼が二つの憂い、二種の悲しみが存在することを理解していたこと――おそらく彼は、無秩序な不調(マレーズ)の領域が哲学から逃れ去り、アエグリトゥードの概念を超え出てしまう危険を感じ取っていたのだということを示している。
九、フロイト「悲哀とメランコリー」との対決(頁518–519)
本ノート最大の理論的事件。われわれの結論において、ピネルが医学的伝統と哲学的伝統をいかに統合したかを見るであろう。だがこのアエグリトゥードとタエディウムの対立は、われわれにただちに、フロイトがその論文『悲哀とメランコリー』のうちで研究した、喪とメランコリーの関係を想起させる(注393)。フロイトにとって、この二つの状態は確かな類似を持ち、メランコリーもまた誘発原因を持ちうる――時に喪と同じ原因さえも。だが両者を区別するのは、喪が病理的でないのは、ただ「われわれがそれを説明できると知っているから」という唯一の理由による、という点である(注394)。本質的な差異はこうである――「喪においては世界が貧しく空虚になったのに対し、メランコリーにおいては自我そのものが貧しく空虚になる。病者は自我を無価値なものとして描き出す……自らを咎め、自らを罵倒する……誰の前でも自らを卑しめる……この矮小妄想の光景――主として道徳の次元における――は、不眠、拒食によって完成され、そして心理学的にきわめて注目すべきことに、あらゆる生命が生に固執することを強いるあの衝動の欠如によって完成される」(注395)。「喪との類比は、メランコリーが対象に関わる一つの喪失を被ったのだとわれわれを結論づけさせた。だがメランコリー患者の言葉から浮かび上がるのは、自我に関わる一つの喪失である」(注396)。この自我の価値の喪失感情は、メランコリー患者のナルシシズムに深く結びついている(注397)。その論考の最後で、フロイトはメランコリーと躁病の結びつきを探究し、こう結論する――「だがここでもまた、まず身体的苦痛の、次いでそれに類比的な心理的苦痛の、経済論的な本性についての光明を得るまで、躁病の説明の続きを退け、立ち止まることが重要である」(注398)。
ピジョーはこの参照の意義を注意深く限定する。この最終的な難問(アポリー)のうちに、魂の病と身体の病との類比を再び見出すことは、明らかに興味深い。もちろん、ピネルとは異なり、彼は自らの典拠を示さない。そして彼がセネカに、あるいはキケローに何かを負っているかどうかを言うことはまったく不可能である。だがこの意見のうちに、喪とメランコリーのこの類似のうちに、アエグリトゥードとタエディウムの二重の記述を見出すことは、実に感動的である。もちろんもう一つの源泉――医師たちのメランコリー――もある。だがフロイトが記述するメランコリーは、身体的苦痛についてもナウセア(吐き気)についても何一つ語らない点で、メランコリーよりもタエディウムに属する。それはセネカのこちら側に留まっているのだ。タエディウムをメランコリーと呼んではならない――セネカは医師ではないのだから。だがセレヌスの病が記述するもの、そしてその治療法が、われわれが既に述べたとおり医学的メランコリーにきわめて近いことは、よく見て取らねばならない。
十、セネカの結語——ワインという治療の全訳(頁519)
本項の実践的帰結として、頁477で予告されたセネカ『魂の平静について』第17章の一節が、ついに全訳で提示される。タエディウムの治療薬としてのワインの使用を大いに重視せねばならない。魂を弛緩させ、散歩し、旅をし、いつもより少し多く飲むこと――これらは治療者の助言である:
「時には酩酊にまで至ることさえ必要である――それがわれわれを沈めるためではなく、われわれを引き上げる(軽くする)ためである。それは憂いを洗い流し、魂をその深奥から揺り動かし、ある種の病がそうであるように、悲しみを癒す。ワインの発見者がリーベルと呼ばれたのは、舌を解放するからではなく、魂を憂いの奴隷状態から解き放ち、それを支え、活気づけ、あらゆる企てへとより大胆にするからなのだ」(注399)。
セネカの個性、彼の病への関心は、トリスティティアの歴史において重要である。だがデモクリトス的起源、『ヒッポクラテース書簡』やプルタルコスの論考が示す通俗化は、トリスティティアを一人の人間の、あるいは一つの社会の神経症に還元できないことを示している。医師と哲学者は、この生きることの不調に取り組み、それぞれ自らの流儀に従ってそれを解釈した――身体の弱さ、体液の専制的存在、あるいは魂の弱さと体液を統御する無能力、というふうに。だが医師の病人に対する、あるいは哲学者の弟子に対する関係は、治療的関係として構想されており、哲学者はワインのような薬の助言を軽んじない。だがワインは並みの治療薬ではなく、自然と文化の両方に属する――われわれが示したとおりである。それゆえ哲学者は、ワインの治療的投与に一定の権利を持つのである。ディステュミア、魂の不調は、魂と身体の関係に由来する。
哲学者は、生物学的与件にもかかわらず、知恵の実践によってあらゆることから癒されうると信じる。医師は、ガレノスが言うとおり、身体こそがエウテュミアへの能力の大部分を決定すると考える。かくして幸福そのものが、遺伝的資質という偶然に由来することになろう:「温かい気質は短気にする……均整の取れた気質を持ち、それゆえ魂の穏やかな動きを持つ者たちは、エウテュミアの恩恵を受けやすい」(IV K 821)。「もしわれわれが幸福そのものの源泉に遡るなら」とカバニスは書くであろう、「それが特に、諸機能の自由な行使のうちに、それらを行使する力と気楽さの感情のうちに存すること……を見るであろう」(注400)――カバニスはそこに、医師たちのエウテュミアの良き定義を与えている。
十一、論考の驚くべき結び——狂気礼賛と崇高の詩学(頁520–521)
本ノート、そして本項全体を締めくくる、最も予想外の理論的展開。時には酩酊の暴力にまで至らねばならない――根底から精神を揺さぶる(アブ・イモー・アニムム・モウェト)まで。セネカはここで、われわれが語ってきた、これほど多くの治療的手続きを触発するあの神話を再び見出す――何かを変えねばならないという衝撃の神話である(注401)。
だが論考の結びに注意を払わねばならない:
「もしわれわれがギリシアの詩人を信じるなら、時には狂っていることさえ快いことがある。プラトンによれば、自己の主人である者が詩の門を叩いても無駄である。そしてアリストテレースによれば、狂気の混入なしに偉大な天才は存在しない。他の人間の及ぶところを超える何か偉大なことを口にするには、精神の震撼(モータ・メーンス)が必要なのだ。精神が卑俗と慣習を蔑み、神聖な衝動によってより高く舞い上がったとき、ついに死すべき口には大きすぎる歌をうたうことができる。自己自身に属している限り、崇高なもの、困難なものには何一つ到達できない。慣習から離れねばならず、自己自身から抜け出さねばならず、馬勒を歯に噛ませ、騎手を、彼自身なら登ることを恐れたであろう場所へと連れ去らねばならないのだ」(注403)。
エウテュミアについての言説にとって、これはなんと奇妙な結びであろうか――狂気の称賛、詩的霊感の理論、崇高な文体の弁護によって終わるとは! ここに『パイドロス』の伝統と(注404)、『問題集』第XXX巻の伝統とが(注405)、デモクリトスの笑いに続いて、統合されているのである。
それでもわれわれは異種混淆の宇宙のうちにいるのではなく、『ヒッポクラテース書簡』のおかげでこれを理解できると考える。われわれはそこに『パイドロス』への暗示を識別しえた――たとえデモクリトスが反ソクラテスとして提示されていたとしても、たとえイリソス河畔のプラタナスがその寸法を変えていたとしても。われわれは『問題集』第XXX巻とその天才的メランコリーの理論に出会った。何より、われわれはそこに、崇高な文体とセネカの第41書簡をわれわれに想起させる、ある修辞法、ある調子を識別しえた――そこではデモクリトスの狂気の問いが立てられていたのである。セレヌスの症例から出発して、セネカは最終的に、われわれの見るところ一つの文学的・哲学的伝統に行き着く――医師のエウテュミアと酩酊の医薬とを、その通過点において収集しながら。このエウテュミアの伝統は、複数の潮流を混ぜ合わせつつ、おそらく新デモクリトス的あるいは疑似デモクリトス的伝統――その創始者の一人はメンデスのボロスでありえたであろう伝統――に結びついており、それはセネカの文体に完璧に適合するのである。
それゆえ、この軽蔑された手紙群を研究することは無駄ではなかった。そしてまた、医師たちのエウテュミアと、ワインをめぐる医学的・哲学的伝統について反省することも、われわれの見るところ、無駄ではなかったのである。
十二、次の単位——書物全体の結論
頁523、扉頁に次のように記される:
結論(CONCLUSION)
本書全体を締めくくるこの最終章の読解は、読解ノート(九・その一)以降で扱う。
「魂の病とは道徳家の発明である」——メリベーの症例再訪、ドゥルーズ゠フェディダとの対話、そしてホラティウスという「エウテュミアの詩人」
〇、方法の総括——アスクレピアデスの再評価(頁525)
本書全体を締めくくる「結論」が、明快な自己総括から開かれる。われわれの見るところ、本研究において、歴史・認識論・想像力の観点から、序論で予告した意味において、単純で明快な一定の成果に到達しえたように思われる。もっとも、本研究全体が示したとおり、これら三つの観点を区別することは困難である。まず医師たちについて言えば、われわれはアスクレピアデスの、これまで十分に認識されてこなかった重要性を示した。この医師は、われわれの研究にとってきわめて興味深い結節点に位置する――彼のうちには、哲学的伝統の認識、医学的知の統御・体系化への努力、そして概念化と定義への意志――これは弁論術に連なるものだが――が出会うからである。いわゆる精神的疾患の定義において、とりわけフレニティスの定義において、彼の努力は本質的である――たとえ体系の内的整合性が、われわれには不合理と映る立場をアスクレピアデスに取らせているとしても。彼はヒッポクラテースの最初の厳格な論敵であり、その主張はしばしば『ヒッポクラテース集成』の諸テーゼとの関係においてのみ理解される。彼は最初の反生気論者、最初の機械論者である。彼を触発した哲学については、二つの伝統が出会うことを見た――ヘラクレイデース・ポンティコスを伴うペリパトス学派の伝統と、エピクロスの伝統とである。われわれは、既に述べたとおり、アスクレピアデスのエピクロス主義に、とりわけ彼の自然と権利の理論のゆえに、傾いている。
われわれが大きな位置を割き、それなしには古代の精神病理学についての省察がきわめて痩せ細ったものになったであろう、もう一人の医師は、カエリウス・アウレリアヌスである――彼がソラノスの翻訳者であるにせよ、あるいはそれ以上の存在であるにせよ、われわれとしては、この著者に真剣な研究を捧げてきたほとんど全ての者と同様にそう考えるのだが。アスクレピアデスがエピクロス主義の航跡にあるとすれば、カエリウスは疑いなくストア主義のそれにある(注1)。
一、ヒッポクラテース以後の医師たちへの焦点化(頁525–526)
われわれは、ヒッポクラテース以後の医師たち――すなわち医学的定義が構成された時代以降――に研究の努力を捧げてきた。もっとも、既に見たとおり、医学的概念の起源はしばしばヒッポクラテースのうちに見出されるのだが。この概念化の作業は、われわれが身体的疾患と魂の疾患との事実上の分割と呼ぶものに対応する。だがこれは、哲学と医学のあいだにいかなる交流もなかったことを意味しない。われわれは、『予後』『流行病』『古い医術について』のようなヒッポクラテース的テクストの深い独自性の一つが、医学の哲学を――医学的実践に固有の反省、そしてその実践についての反省を――発明したことにあると考える(注2)。だがアスクレピアデス、ソラノス、カエリウス・アウレリアヌス、ガレノスとともに、医師たちは哲学者たちから概念や理論を借用する――たとえばアスクレピアデスにおける原子論的理論、ガレノスにおける『ティマイオス』の理論のように。医師たちはイデオロギー的・哲学的な好みを持つ。時には、医師たちと哲学者たちのあいだの病の分担そのものを問い直すことさえある。かくしてアスクレピアデスとガレノスは、たとえば、前者は魂の存在、したがって魂の病の特殊性を否定し、後者は道徳性を養生法の直接的帰結とする――彼は魂の病が体液のクラーシスの帰結であると主張することで、自らの立場を正当化するのである。
二、哲学の側からの総括——医学の哲学との関係(頁526)
哲学の観点からは、われわれが哲学者たちを痩せ細らせて扱ったと見る向きもあろう。プラトン主義の基盤そのものにわれわれが取り組んでいないことは明らかである――『ティマイオス』の生理学について語るとき、われわれはプラトン主義の基礎そのものを攻撃しようとしているのではない。だがそれはわれわれの目的ではなかった――問題は、医学・哲学的伝統のうちで『ティマイオス』の重要性を印づけることであった。そしてわれわれが哲学者でないとしても、医学と哲学の関係から引き出す問題設定は、それ自体において、一つの哲学的関心を持つとわれわれは考える。
われわれは、古代の医学と哲学を関係づけようと試みた――医学が道徳に、とりわけ魂の病の道徳に提供する特権的な類比を反省しつつ。われわれは体系的に現代的な言語を用いること――たとえば神経症、精神病について語ること――を避けた。われわれは、学際的なこの言語――われわれが定義した医学・哲学的伝統のそれ――に留まり、古代の語彙を保持することが、この学際的言語の最も深いところへ至るために必要だと考えた。
三、決定的命題——「魂の病とは道徳家の発明である」(頁527)
本書全体の理論的核心をなす一節。本研究の終わりにあたり、われわれは魂の病とは何であるかを言いうる立場になければならない。医師たちの定義に従うなら、魂の病というものは存在しない。あらゆる病は身体的な起源を持つ。魂の病とは、道徳家の発明なのである。これこそ、知の領野の理想的な配分であり、われわれが見てきたとおり、絶えず主張されながら絶えず修正され、破られるものである。厳密に言えば、魂の病の定義は複数存在する。それらのすべてが、精神病理学の歴史にとって同じ関心を持つわけではない。歴史の観点から見て本質的な二つの定義があることは明らかである――狂気をマニアーとアグノイア(無知)とに配分する『ティマイオス』の定義と、魂の病と情念とを同一視するストア主義の定義とである。歴史の観点からは、勝利を収めたのはストア的定義である。ペリパトス学派の教義に立つとしても――『ロンドンの匿名者』のように――人は近代人の定義を受け入れる。彼の言葉によれば、すなわちストア派の定義を、である。ルクレティウスすら、その語彙において、情念の激化を描く際に、魂の病と身体の病とのクリュシッポス的な類比を模倣することがある:
「傷は生き、養われることで悪化する。日ごとに狂気は滑り落ち、苦悩は重くなる(ウルクス・エニム・ウィウェスキト・エト・イヌェテラースキト・アレンドー、インクェ・ディエース・グリスキト・フロル・アトクェ・アエルムナ・グラウェスキト)」(注4):「傷は養育によって滑らかになり、日ごとに老いる。狂気は蔓延し、苦痛は重くなる」。
哲学者が魂の病の定義を与えるたびに、それは身体を問題にする――身体を持った魂の悪である以上、魂の病は身体の悪でもあるからだ。かくして『ティマイオス』のマニアーと、身体に結びついたストア的情念は、身体に結びついた魂の病なのである。われわれはこの点を十分に強調してきた。医師がフレニティスを、マニーを、あるいはメランコリーを扱うとき、彼は感情と情念の影響を無視することも、治療のためのアニムス(心)の重要性を無視することもない。彼はまた、魂の諸機能の疎外が狂気を構成することも知っている(注5)。だが明確でないのは、狂気と魂の病との関係である。それは量的な差異なのか質的な差異なのか、両者を分かつのは。もしストア派に従うなら、量的な差異が存在する――狂気とは情念の根深さと悪化にほかならない。プラトンにとって、もし『ティマイオス』に依拠するなら、魂の病は端的にアノイア(無分別)である。魂の錯乱の身体的説明は、病人をその病についての責任から解放する。これが、『ティマイオス』における「誰も自ら望んで悪しき者ではない」という命題の意味である。
四、責任という核心的曖昧さ(頁528)
魂の病について語られるとき、責任の問題が常に立てられることが分かる。魂の病というこの観念そのものが歴史によって課されたものだが、それは良き観念だろうか。情念についてのストア的反省の勝利は、実のところ危険な類比を成す。魂の病は、ある特殊な種類の病である――というのもそれは、人がそれについて責任を負う病だからだ。人は身体的な病についても責任を負うと言いうる――たとえば、飲みすぎ、食べすぎは消化不良を、あるいはもっと悪いものをもたらしうる。だがヒッポクラテース的医師は、たとえば、若者がワインと性愛の乱用の末にフレニティスに冒されたのを見ても、記号論の観点からしかそれに関心を持たない。ここでピジョーは第Ⅰ章で既に検討した、あの重要な症例――第16患者、メリベーの症例――を再訪する:
「メリベー、長く度重なる飲酒と女性関係の乱用によって熱を発した若者が病んだ。彼は最初の日、震え、吐き気、不眠、渇きに見舞われた……彼は油っぽい尿を排出した。十日目、幻覚は穏やかだった。気分は穏やかで平静だった。皮膚は張り詰め乾いていた=乾いた排泄物が豊富で、あるいは胆汁性で脂っぽかった。十四日目、全身の発作、幻覚。多くの譫言。二十日目、激しい譫妄、動揺。二十四日目、彼は死んだ。フレニティス」(注7)。
われわれは既にこの記述の全体を引用した。そこに価値判断を探しても無駄であろう。因果性の観念を探しても同様に無駄であろう。ヒッポクラテースは記号論の世界に留まる。ガレノスの方は、ワインと女性関係の乱用と若者の病とのあいだに、因果関係を見出すであろう。彼はまた、軽薄で興奮しやすい精神が容易に譫妄に陥ることも注記するであろう(注8)。いずれにせよわれわれが知っているのは、ガレノスにとって、エートスは気質の帰結だということである(注9)。だが魂の病は二つの必然性に運命づけられているように見える――生理学の法則と、道徳の規範とに。魂の病は、病である限りにおいて、身体の病の法則に、生物学的決定論に結びついている。だがそれはまた、価値の世界との関係において、一つの魂の病でもある。これが魂の病という観念の恐るべき両義性である。そして近代の精神病理学は、魂の病というこの等価性から自由になってはいない。われわれはこれを、ピネルについて改めて語る際に再論することになろう。
五、真の魂の病はディステュミアである——現代精神身体医学との対話(頁529)
本節の理論的頂点。これまでわれわれが語ってきたのは、魂の病と身体の病とのあいだの類比についてである。それらはきわめて興味深い。だがその重要性が最終的な分析において疑いえないとしても、もし真の魂の病があるとすれば、それはこのディステュミア――ペリパトス学派の伝統と『問題集』第XXX巻に見られる、医師たちのあのメランコリー――であり、あるいはルクレティウスのような哲学者たちの、セネカの『魂の平静について』のようなタエディウム・ウィタエであり、デモクリトスの笑いの権威のもとにある。そこには単に定義や類比があるだけでなく、一つの病理学的領域、一つの実にきわめて漠然とした病的実体の発見と記述がある――だがその漠然たる性格こそ、この病の定義に内在するものなのだ。これはまさしく、医学と哲学の関係をめぐるわれわれの探究のうちで、一つの出会いの場所である――たとえ哲学者がメランコリーという用語を控えたとしても、そして医師がこの二つの情念――悲しみと恐怖――以上に、体液と身体的不調に関心を寄せるのだとしても、これらはまさに彼が同時に認めるものである。われわれはもはや類比あるいは隠喩のうちにはいない――われわれは、近代の精神病理学にとって、それも臨床の水準においてすら関心を持つに違いない、一つの領域を発見するのである(注10)。
六、アエグリトゥード・タエディウム・メランコリーの三重の区別(頁529–530)
古代の大きな区別の一つとして、われわれには喪とメランコリーとの区別が思われる――フロイトの論文の表題を借りるなら、あるいはより精確には、喪、哲学的メランコリー、医学的メランコリーとの区別である。われわれは実際、アエグリトゥードがタエディウムと異なることを示した。だがタエディウムもまた、医師のメランコリーとは異なる――黒胆汁という体液の質が言及されないという点で――もっとも吐き気はセネカ『魂の平静について』のうちに存在するのだが。タエディウムとメランコリーの区別は、おそらく単純に知の分担の原因に由来する――われわれが十分に示したとおりである。古代の言語の中で、われわれが保存してきたそれによれば、アエグリトゥードすなわち喪は、もし望むなら、最も広い意味で、一つの現実の喪失に依拠し、一つのプロファシス――すなわち誘発する原因――から生まれる。他方タエディウムは、いかなる一つとして特定しえないほど漠然とした状況の総体から来る。
ピジョーはここで現代の理論的展開を積極的に参照する。われわれは、今日サイコソマティックと呼ばれるこの領域、そして「うつ(デプレシオン)」と喪についての省察に関する最近の研究に、大いに関心を寄せている。P・フェディダの著書についての最近の批評のうちで、G・ドゥルーズはこう書く――「主体と身体の関係は、間主観的なものそのものから生じるであろう。あるいはむしろ、いわゆる心身相関的な障害は、まさしくこれらの関係の変異を印づける――間主観性の隠れた変動をこそ、これらの障害はその下に姿を現すのだ。このような障害は、不平(プランテ)という形のもとに現れ、それは苦情(プランテ)の数だけあると言えよう。フェディダは、この意味において、今日決定的な近代的重要性を持つ、三つの偉大な古代の不平を一つの表に描く――メランコリーの不平、心気症の不平、そして抑うつの不平である」(注12)。われわれは、この古代の不平の三幅対(トリアード)を認めることに、全面的に賛成である。ただしわれわれはそれを同じ仕方では描写しない(注13)。われわれとしては、むしろアエグリトゥードの不平、メランコリー(医学的な意味での)の不平、そしてタエディウムの不平について語るであろう。われわれは、古代文化の歴史のうちに、神経症のための一つの場所を与えようと試みた。われわれは、これらが古代の大きな問いの一部を成し、そして疑いなく現代人の反省を刺激するものであり、われわれ自身に本質的に付随するがゆえに疑いなく解決不可能な問いであることを示しうると考えてきた。
七、身体は魂が自らを試す場所である——セネカとハイデガーの一致(頁530)
本節最後の理論的定式。われわれは、身体こそが魂が自らを試す場所であると言った。そしてそれは苦痛なしには済まない。それこそが、エウテュミアについての言説の深みをなすものであり、苦しむこの人間の、この場所の平和を目指すものなのだ。人間とは、セネカにとってもハイデガーにとっても等しく通用する定式を取り上げるなら、死へと向かう存在(エートル・プール・ラ・モール)である。ルクレティウスもまた、魂の病の根底には死への恐怖があることを知っている。魂の健康は、明らかに知恵と一致する。これがセネカ『幸福な生について』の教えである。だがすべての人間が賢者であるわけではなく、病人は数多い。エウテュミアについての言説はわれわれに、知恵の欠如を前にして、ワインによって平和へと至りうることを教える。言い換えれば、エウテュミアへは、薬によって、そして表象の使用によって至ることができるのである。
八、ホラティウス、エウテュミアの詩人(頁530–531)
本節を締めくくる文学的到達点。これこそまさに、卓越してエウテュミアの詩人であるホラティウスが知っていたことである。彼はメランコリーを、動揺を、不安を知っている:
「私の葡萄畑が雹に打たれたからでも、私の橄欖の木が熱に焼かれたからでもなく、遠い田舎で私の家畜が病んでいるからでもない。ただ、私の身体のいかなる部分よりも健やかでない魂ゆえに、私は何も聞きたくなく、何も学びたくない――それが私の病を和らげてくれるかもしれぬというのに……そして風のように不安定な私は、ローマにいてはティブルを、ティブルにいてはローマを愛するのだ」(注14)。
旅も、場所の変更も、何の役にも立たない。「あの者たちは空の彼方まで走り、気候を変えるが魂は変えない」(注15)。解決は二重である。まず欲望を制限せねばならない:
「汝の運命に満足して生きよ、賢明なるアリスティウスよ(ラエトゥス・ソルテ・トゥア・ウィウェース・サピエンテル、アリスティ)」(注16)。
そしてワインを適切に用いねばならない――というのも「陶酔は秘密の扉を開き、希望を現実へと変え、臆病者を戦いへと押し出し、不安な精神から重荷を取り除き、あらゆる才能を引き出す」からである(注17)。ホラティウスは、ワインと友情の、他者との関係のエウテュミア的な効能を知っているのである。
九、次の単位——デカルトとピネルへ
頁531後段、ピジョーは書物の最終的な射程――医学・哲学的伝統のその後の運命――を問う新たな段落を開く:医学・哲学的伝統の未来がいかなるものであったかという問いが立てられる。取るべきものはほとんどない、と一部の者は言う――情念に関する限り、医師たちについては、と。ここからデカルトの情念論、そして最終的にピネルへと至る、本書全体の最終的な総合が展開される。読解ノート(九・その二)で扱う。
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