序論 建国の物語はいかにして生まれるか
国家が自らの起源を語る物語は、単なる文学作品でも純然たる歴史記録でもない。それは、権力がみずからの正統性を確立し、過去の記憶を現在の政治秩序へと編み上げるための、きわめて意識的な知的営為である。古代世界において、このような「建国叙事詩」を生み出した二つの文明的達成がある。ひとつは紀元前一世紀のローマにおけるヴェルギリウスの『アエネーイス』であり、もうひとつは八世紀初頭の日本における『古事記』である。
両者はおよそ八百年の時間的隔たりがあり、地理的にも文明圏としても直接の接触はない。にもかかわらず、その成立の構造には驚くべき並行性が認められる。いずれも、内乱を収拾して新たな統治秩序を打ち立てた権力者——アウグストゥスと天武天皇——の意志のもとに構想され、傑出した文学的才能——ヴェルギリウスと太安万侶——によって言語的形象を与えられ、そして、口承伝統という記憶の貯蔵庫から素材を汲み上げて成立した。
本稿は、この構造的並行性を出発点として、建国叙事詩が生成される過程を比較的に考察するものである。「権力者(パトロン)—文学者(テキスト制作者)—口承伝承(素材の源泉)」という三項関係に着目し、両文明における国家的物語の成立過程を照らし合わせることで、古代国家が過去の記憶をいかにして政治的正統性の装置に変換したか、その共通のメカニズムと固有の差異を明らかにすることを目的とする。
なお本稿は、ローマと大和という異なる二つの文明を安易に同一視するものではない。むしろ、並行性の背後にある深い差異——文字文化の成熟度、口承と書記の関係、権力と宗教の距離——を浮き彫りにすることによって、それぞれの建国叙事詩の固有の性格をより鮮明に理解しようとする試みである。
第一章 権力者と建国の物語——パトロンの政治的意図
一、アウグストゥスと『アエネーイス』の委嘱
紀元前三一年のアクティウムの海戦によってアントニウスとクレオパトラを破り、地中海世界の覇権を掌握したオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)は、軍事的勝利によって獲得した権力を、文化的・神話的な正統性へと転換する必要に迫られていた。ローマ共和政の長い内戦期——マリウスとスッラの抗争、カエサルとポンペイウスの内戦、そしてアントニウスとの最終決戦——を経て、ローマ市民は疲弊し、新たな秩序への渇望が広がっていた。
アウグストゥスは、自らの権力を共和政の伝統の「回復」として提示する巧みな政治戦略を採った。彼は独裁者(dictator)の称号を拒否し、「第一市民」(princeps)として振る舞いながら、実質的にはすべての権力を集中させた。この政治的虚構を支えるために、神話的次元での正統化が不可欠であった。ユリウス氏族がトロイアの英雄アエネーアスの子アスカニウス(ユルス)の末裔であるという系譜伝承は、カエサルの時代からすでに政治的に活用されていたが、アウグストゥスはこれをさらに壮大な叙事詩的物語として定着させることを構想した[1]。
ヴェルギリウスは、すでに『牧歌』(Eclogae)と『農耕詩』(Georgica)によって当代第一の詩人としての名声を確立しており、アウグストゥスの文化的パトロンであるマエケナスの庇護のもとにあった。アウグストゥスがヴェルギリウスに『アエネーイス』の執筆を委嘱した正確な経緯は不明であるが、紀元前二九年頃から構想が始まり、詩人は死の年(前一九年)までの約十年間をこの作品に捧げた。スエトニウスによれば、アウグストゥスは遠征先から手紙を送って進捗を問い合わせ、一部の朗読を求めるほどの関心を示したという。しかし同時に、ヴェルギリウスが遺言で未完の原稿の焼却を命じたという逸話は、詩人と権力者の間に存在した緊張関係をも暗示している[2]。
二、天武天皇と『古事記』の構想
天武天皇(在位六七三—六八六年)は、六七二年の壬申の乱によって甥の大友皇子(弘文天皇)を倒し、皇位を奪取した。この武力による政権奪取という事実は、天武の統治に根源的な正統性の問題を刻印した。アウグストゥスがアクティウム以後に直面したのと同じ構造的課題、すなわち軍事的勝利によって得た権力を、超越的な正統性の物語へと昇華させる必要が、天武にも存在したのである。
『古事記』序文に太安万侶が記すところによれば、天武天皇は次のように詔した。「朕聞く、諸家の齎す帝紀及び本辞、既に正実に違い、多く虚偽を加ふと。今の時に当りて、その失を改めずは、未だ幾年を経ずして、その旨滅びなむ」。この詔は、既存の諸氏族が保持する系譜・伝承が混乱し虚偽を含んでいるとして、天皇自身の主導による「正しい」歴史の確定を宣言するものである。ここに認められるのは、諸氏族の個別的記憶を天皇の権威のもとに統合し、一元化しようとする明確な政治的意志にほかならない[3]。
天武が稗田阿礼に「帝皇日継及び先代旧辞を誦習せしめた」のは、まさにこの事業の第一段階であった。稗田阿礼について『古事記』序文は「年は是れ二十八、人と為り聡明にして、目に度れば口に誦み、耳に拂るれば心に勒す」と描写している。この記述は、稗田阿礼が文字によらない口承的記憶の技法——すなわち見たものを口で暗誦し、聞いたものを心に刻む能力——に卓越していたことを示す。天武がこの口承の達人を選んだという事実そのものが、当時の日本における歴史伝承がなお口承的伝統に深く依拠していたことを物語る[3]。
三、二つのパトロンの比較——構造的類似と歴史的差異
アウグストゥスと天武天皇のあいだには、以下のような構造的並行性が認められる。第一に、いずれも内戦・内乱を武力で制して権力を掌握した。アクティウムの海戦(前三一年)と壬申の乱(六七二年)は、それぞれの文明において決定的な政治的転換点であった。第二に、軍事的勝利の後に、文化的・神話的正統化の事業に着手した。アウグストゥスの「アウグストゥスの平和」(Pax Augusta)における大規模な文化政策と、天武の律令国家建設・歴史編纂事業は、いずれも新秩序の文化的基盤の構築を目的としていた。第三に、その正統化の中核として、国家の起源を語る叙事詩的物語の制作を構想した。
| 比較項目 | ローマ(アウグストゥス) | 大和(天武天皇) |
|---|---|---|
| 権力掌握の契機 | アクティウムの海戦(前31年) | 壬申の乱(672年) |
| 先行する混乱 | 約100年の内戦期(前133〜前31) | 大化改新以来の政争(645〜672) |
| 正統化の方法 | 共和政の「回復者」を標榜 | 天照大神の直系としての神話的権威 |
| テキスト制作者 | ヴェルギリウス(詩人) | 太安万侶(官人)/稗田阿礼(語り部) |
| 成果物 | 『アエネーイス』(叙事詩) | 『古事記』(歴史書/神話集成) |
| 素材の源泉 | ホメロス叙事詩・ローマ伝承 | 帝紀・旧辞(口承伝承群) |
しかし同時に、両者の差異もまた看過しえない。アウグストゥスは高度に発達したギリシア・ローマの文字文化を前提としており、ヴェルギリウスはホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』という先行する文学的規範を明確に意識した上で『アエネーイス』を構成した。すなわち、既存の文学的伝統の中に自覚的に位置づけられた「第二の叙事詩」としての性格を持つ。これに対して天武は、日本列島において本格的な文字文化の定着がまだ進行途上にある段階で、口承伝承を書記テキストへと変換するという、文明史的に一段階前の課題に取り組んでいた。この差異は、次章で論じるテキスト制作者の性格の違いに直結する。
第二章 テキスト制作者の位相——詩人と語り部と筆録者
一、ヴェルギリウス——ホメロスの後継者としての詩人
プーブリウス・ウェルギリウス・マロー(前七〇—前一九年)は、北イタリアのマントゥア近郊に生まれ、クレモナ、メディオラヌム、ローマ、ナポリで修学した。アウグストゥスの「建国叙事詩」の制作者として選ばれたとき、彼はすでに完成された文学者であった。彼がホメロスの叙事詩を完全に消化し、その形式と技法を自らのものとしていたことは、『アエネーイス』の構成そのものが証明している。前半六巻が『オデュッセイア』(漂泊と冒険の物語)、後半六巻が『イーリアス』(戦争と建国の物語)に対応するという構造は、先行する叙事詩伝統への意識的な応答にほかならない[2]。
ヴェルギリウスの才能の核心は、政治的要請と文学的真実のあいだを渡り歩く能力にあった。『アエネーイス』はアウグストゥスの正統性を神話的に基礎づける政治的テキストであると同時に、亡命と喪失の苦痛、戦争の悲惨、人間の運命に対する深い省察を含む文学作品でもある。アエネーアスはローマ建国の使命を果たすために、個人的な幸福——とりわけカルタゴの女王ディードーとの愛——を犠牲にしなければならない。この「使命と個人的感情の葛藤」という主題は、単なる権力の賛美には収まらない文学的深度を作品に付与している[2]。
二、稗田阿礼と太安万侶——語り部と筆録者の二重構造
『古事記』の制作過程は、ヴェルギリウスの単独的な詩作とは根本的に異なる二重構造を持つ。稗田阿礼が天武の命により帝紀・旧辞を「誦習」し、のちに太安万侶が元明天皇の勅命を受けてそれを「撰録」したという過程は、口承から書記への変換という文明史的転換そのものを体現している。
稗田阿礼の実像については不明な点が多い。性別さえも確定しておらず、女性説(柳田国男ら)と男性説が並存する。稗田阿礼が猿女君氏の出身とする伝承は、芸能・祭祀に関わる氏族との関連を示唆し、口承伝承の専門的な担い手であった可能性を高めている。奈良の稗田の環濠集落には稗田阿礼を祀る賣太神社があり、この地域が古代の口承文化の拠点の一つであったことを今に伝えている[3][4]。
太安万侶は、多氏(おおのうじ)の出身で、官人としての教養を持つ知識人であった。二〇一四年に発見された太安万侶の墓誌銘は、彼が従四位下・民部卿であったことを確認させた。彼の役割は、稗田阿礼が保持する口承的記憶を、漢字という外来の表記体系を用いて書き留めることであった。この過程で太安万侶が直面した困難を、彼自身が序文のなかで「大矣哉」(ああ、大いなるかな)と述懐している。日本語の音声を漢字で書き表すという課題は、単なる「書き取り」ではなく、一つの言語体系を別の文字体系に移し替えるという創造的翻訳であった[3]。
三、テキスト制作者の比較——個人的天才と制度的協働
ヴェルギリウスと太安万侶=稗田阿礼の対比は、二つの文明における「文学的生産」の位相の差異を浮き彫りにする。ヴェルギリウスは、ホメロス以来の叙事詩の伝統の中に自覚的に位置づけられた個人的天才であり、『アエネーイス』は彼の個人的な詩的ヴィジョンの所産である。政治的委嘱に応えながらも、作品には詩人の個人的な感性——とりわけ人間の苦悩と運命への共感——が深く刻印されている。
これに対して『古事記』は、語り部(稗田阿礼)と筆録者(太安万侶)の協働によって成立した。ここには個人的天才というよりも、口承の記憶を書記テキストに変換するための制度的仕組みが見てとれる。稗田阿礼は「作者」ではなく「記憶の器」であり、太安万侶も「創作者」ではなく「記録者」を自任している。もちろん実際には、太安万侶の漢字表記の選択や叙述の構成には高度な知的判断が働いているのであるが、それは「詩人の創造」ではなく「編纂者の技芸」として自己を規定するものであった[3]。
第三章 口承から書記へ——素材の源泉とその変容
一、ホメロスの遺産とヴェルギリウスの変奏
『アエネーイス』の素材は、主として三つの層から成る。第一にホメロス叙事詩、第二にローマの建国伝承(ロムルスとレムスの物語を含む)、第三にイタリア半島の地方伝承である。ヴェルギリウスはこれらの素材を自由に組み替え、トロイア陥落からローマ建国に至る壮大な物語を構築した。
ここで重要なのは、ホメロス叙事詩自体がもともと口承詩であったという点である。ミルマン・パリーとアルバート・ロードの口承詩理論によれば、『イーリアス』『オデュッセイア』は数世紀にわたる口承の伝統のなかで形成され、紀元前八世紀頃にはじめて文字化されたと考えられている。つまりヴェルギリウスは、すでに書記テキストとして定着した「かつての口承詩」を素材として、新たな書記テキストを制作したのである。口承から書記への変換は、ヴェルギリウスの時代にはすでに数百年前に完了していた[5]。
ヴェルギリウスの操作は、したがって「口承の記録」ではなく「書記テキストの再構成」であった。既存の文学的素材を、新しい政治的文脈に合わせて再配置し、新たな物語的統一性を与えること——これがヴェルギリウスの課題であった。
二、帝紀・旧辞と稗田阿礼の記憶
これに対して『古事記』は、口承から書記への一次変換をまさにその場で遂行している。稗田阿礼が「誦習」した「帝紀」と「旧辞」は、天皇の系譜と即位の記録、および古い伝承・神話を含む口承的テキスト群であったと考えられる。「帝紀」は比較的定型的な系譜情報であった可能性が高いが、「旧辞」にはより自由な物語的要素——神話、歌謡、英雄伝説——が含まれていたと推測される。
稗田阿礼の「誦習」とは何であったか。これは単なる暗記ではなく、口承文化における「パフォーマンス」——つまり、定型的な枠組みのなかで語りの場に応じた柔軟な再構成を行う技法——であった可能性がある。パリー=ロード理論が示したように、口承の詩人は一字一句を機械的に記憶するのではなく、定型句(フォーミュラ)と物語の型(テーマ)を組み合わせて、語るたびに新たなパフォーマンスを生成する。稗田阿礼もまた、固定されたテキストを暗誦したのではなく、伝承の核となる要素を保持しつつ、語りの場に応じた「生きた伝承」を体現していたのではないか[5]。
太安万侶による「撰録」は、このような流動的な口承的パフォーマンスを、漢字による固定的なテキストに変換する作業であった。この変換の過程で何が保存され、何が失われたかは、古事記研究の根本問題の一つである。少なくとも言えることは、太安万侶が音訓の混用という独創的な表記法を編み出したこと——重要な固有名詞や歌謡は万葉仮名で音を写し、叙述部分は漢文体で記す——が、口承の音声的要素をできる限り保存しようとする意図の表れであったということである。
三、「二次的口承性」と「一次的口承性」
ウォルター・オングの用語を借りれば、ヴェルギリウスの『アエネーイス』は「二次的口承性」(secondary orality)——書記文化が十分に成熟した後に、意識的に口承的要素を取り込む態度——の産物である。ヴェルギリウスはホメロスの「声」を知的に理解し、それをラテン語の韻律のなかに翻案した。ダクテュロス・ヘクサメトロン(六脚韻)という形式の選択自体が、ホメロス的口承詩への自覚的な参照である[6]。
これに対して『古事記』は、「一次的口承性」(primary orality)から書記文化への移行そのものを記録した稀有な文献である。稗田阿礼の記憶は、まだ書記文化に完全には馴致されていない口承的知性の所産であった。太安万侶の筆録作業は、その一次的口承性を——不可避的な変容を伴いながら——書記の世界に定着させるものであった。この意味において、『古事記』はヴェルギリウスの『アエネーイス』よりも、ホメロス叙事詩の書記化という、より古い段階の文明的課題に対応するものである。
第四章 挿話——カルタゴの女王ディードーの恋と死
——精神医学史における「恋煩い」の最古の文学的記載として——
『アエネーイス』全十二巻のなかで、最も読者の心を揺さぶる挿話は、第一巻から第四巻にかけて語られるカルタゴの女王ディードーの物語であろう。この挿話は、ヴェルギリウスの詩人としての力量が政治的叙事詩の枠を超えて、人間の感情の深淵に達していることを示すとともに、精神医学の歴史において、恋愛に起因する抑うつ状態(amor hereos、英雄的愛の病)の最古の詳細な文学的記載として注目されてきた。
一、物語の概要
トロイア滅亡後、イタリアを目指して地中海を漂泊するアエネーアスは、嵐に遭遇して北アフリカの海岸に漂着する。そこは、テュロスから亡命したディードーが建設途上のカルタゴを統べる土地であった。ディードーは先夫シュカエウスの死後、再婚しないという誓いを立てていたが、女神ウェヌス(アエネーアスの母)とユーノーの策略により、アエネーアスへの激しい恋に陥る(第一巻—第四巻)。
しかし、ユピテルの使いであるメルクリウスがアエネーアスに、イタリアに赴いてローマ建国の使命を果たすよう告げる。アエネーアスは苦悩の末にカルタゴを去る決意をする。ディードーは激しく嘆き、翻意を懇願するが、アエネーアスは「自らの意志ではなく神命に従う」(Italiam non sponte sequor)と答え、船出の準備を進める。ここから第四巻の後半は、死へと向かうディードーの心理と行動を、驚くほど具体的な儀礼的細部とともに描き出していく[2]。
進退窮まったディードーは、みずから死を選ぶ決意を固めるが、その計画を妹アンナには一切明かさない。かわりに彼女は、地の果て、アトラスの山のかなたに住むというマッシュリア族の巫女——ヘスペリデスの園を守り、竜に糧を与え、聖なる木の枝を守護してきた者——を探し出したと偽り、この巫女の呪術によって「彼への思いを解き放つか、あるいは彼を私のもとへ引き戻すか」のいずれかを果たすのだと告げる。そして涙を隠しつつ、アンナにこう命じる。
Tu secreta pyram tecto interiore sub auras
erige, et arma viri thalamo quae fixa reliquit
impius exuviasque omnis lectumque iugalem,
quo perii, superimponant; abolere nefandi
cuncta viri monimenta iuvat monstratque sacerdos. 「そなたは秘かに、屋敷の奥まった中庭に、空に届くばかりの薪の山を築くがよい。そこに、あの不実な男が閨に懸けたまま残していった武具、私を滅ぼしたあの契りの床に残る衣類のすべてとともに、載せさせるのだ。あの穢らわしい男の形見をことごとく消し去ることこそ善き業——巫女もそう教えている」 アエネーイス 第四巻四九四—四九八行
〔訳語について〕lectus iugalis(婚姻の床)の iugalis は iugum(軛)に由来し、coniugium(共に軛を負うこと=婚姻)と語根を共有する——単なる寝床ではなく、二人を結んだ誓約そのものを指す語である。ここでは中国婚礼儀礼由来の語感を残す「婚床」を避け、古典語の「契り」(婚姻・夫婦の絆を意味する)を用いて「契りの床」とした。ディードーがこれを正式な婚姻と信じていた(第四巻一七二行 coniugium vocat)ことの苦い皮肉を、この訳語に込めている。
この言葉を語り終えると、ディードーの顔からは血の気が失せる。妹アンナは、この奇妙な儀礼の背後に死の計画が隠されていることに気づかず、亡き夫シュカエウスを悼んだとき以上の悲嘆を疑うこともなく、命じられるままに準備を整える[2]。
アンナは、この奇怪な指示の背後に姉の死の計画を読み取ることなく、命じられるままに薪の山を築かせる。ヴェルギリウスは、この場面を「されどアンナは、これが新奇な祭儀に見せかけた死出の準備だとは気づかず……そこで命じられた通りに支度した」(Non tamen Anna novis praetexere funera sacris / germanam credit... ergo iussa parat)と結んでいる。だが、こうしてアンナの手で築き上げられた薪の山に対して、最後の仕上げの儀礼を執り行ったのは、ディードー自身であった。
At regina, pyra penetrali in sede sub auras
erecta ingenti taedis atque ilice secta,
intenditque locum sertis et fronde coronat
funerea; super exuvias ensemque relictum
effigiemque toro locat, haud ignara futuri.
stant arae circum et crinis effusa sacerdos
ter centum tonat ore deos, Erebumque Chaosque
tergeminamque Hecaten, tria virginis ora Dianae. 「女王は、屋敷の奥の中庭に、切り出した松材と伐り倒した樫材とを積み上げて空高く薪の山を築かせ、その場を花冠と葬送の緑葉で飾らせた。薪の上には、彼の遺した衣、彼の剣、そして彼を象った像が、寝台の上に据えられた——来るべきことをよく知った上で。周囲には祭壇が立ち並び、髪をふり乱した巫女が、声高らかに、エレボスとカオスの神々、三重の姿を持つヘカテー、そして処女神ディアーナの三つの顔を、三百たび呼ばわった」 アエネーイス 第四巻五〇四—五一一行
夜のとばりのもと、冥界の水を模した聖水が撒かれ、月光のもとで青銅の鎌により刈り取られた乳のように白い毒液を含む草、生まれたばかりの仔馬の額から母馬に先んじて奪い取られたという愛の護符(hippomanes)が調えられる。ディードーは片足を素足のまま、帯を解いた衣をまとい、聖なる麦菓子を清らかな両手に捧げ持って祭壇の傍らに立ち、死を目前にして神々と、みずからの運命を知る星々に祈りを捧げる。ここに描かれる呪術的細部の周到さは、単なる背景描写にとどまらず、来るべき破局を読者に予感させる劇的な機能を担っている[2]。
夜、地上の生きとし生けるものすべてが眠りに落ちるなかで、ただディードーだけが眠れず、怒りと絶望の潮流に揉まれ続ける。そして夜明け、櫂を漕ぐ者もない静まり返った港と、帆を上げて沖へ去りゆくトロイア船団の姿を望楼から目にしたとき、ディードーの絶望は激しい呪詛へと転じる。彼女はティルスの民に、末代までトロイアの末裔を憎み続けるよう命じ、次のように叫ぶ。
Exoriare aliquis nostris ex ossibus ultor,
qui face Dardanios ferroque sequare colonos,
nunc, olim, quocumque dabunt se tempore vires.
litora litoribus contraria, fluctibus undas
imprecor, arma armis; pugnent ipsique nepotesque. 「我が骨より、いつか一人の復讐者が立ち上がれ——炬火と剣とをもってダルダニアの移民を追い立てる者が。いまであれ、のちであれ、力の許すいかなる時にも。海岸は海岸に、波は波に、武具は武具に、対峙せよと私は呪う。彼らも、その子孫たちも、永遠に戦い続けよ」 アエネーイス 第四巻六二五—六二九行
古代の読者にとって、この呪詛は明らかに後のポエニ戦争とハンニバルの到来を予告するものとして響いた。ローマ建国叙事詩のただなかに、ローマの宿敵カルタゴの起源とその怨念を刻み込むというこの一節は、『アエネーイス』が単純な建国礼讃には収まらないことを示す代表的な箇所として、しばしば指摘される[2]。
呪詛を語り終えたディードーは、いかにして「憎むべき光を断ち切るか」を心中ひそかに定める。彼女は、亡き夫シュカエウスの乳母であった老女バルケーを呼び、こう告げる。
Annam cara mihi nutrix huc siste sororem;
dic corpus properet fluviali spargere lympha
et pecudes secum et monstrata piacula ducat.
sic veniat, tuque ipsa pia tege tempora vitta.
sacra Iovi Stygio, quae rite incepta paravi,
perficere est animus finemque imponere curis
Dardaniique rogum capitis permittere flammae. 「懐かしい乳母よ、妹アンナをここへ連れて来ておくれ。急ぎ川の水を身に注いで身を清め、指示された贖いの生贄を連れて来るようにと伝えて。そなた自身も、清らかな鉢巻で額を覆っておくれ。私は、しかるべき作法で始めた冥府の王への供儀を仕上げ、この苦しみに終止符を打ち、あのダルダニアの男の姿を薪に委ねて焼き尽くすつもりなのだから」 アエネーイス 第四巻六三四—六四〇行
老いた足取りで急ぎ遣わされたバルケーの背を見送ると、ディードーは、みずからの企ての凄まじさに身を震わせながら、血走った眼で頬をひきつらせ、迫りくる死の兆す蒼白のなかに斑点を浮かべて、屋敷の奥の扉を突き破るように進み、狂乱のうちに高く積まれた薪の山へと登り、ダルダニアの剣——かつてこのような用途のためにと求めたのではなかった、あの贈られた剣——を鞘から抜き放つ[2]。
そこで彼女は、トロイアの衣と見慣れた寝床とに目を留め、しばし涙のうちにためらったのち、寝台に身を伏せて最後の言葉を語る。
Dulces exuviae, dum fata deusque sinebat,
accipite hanc animam meque his exsolvite curis.
vixi et quem dederat cursum fortuna peregi,
et nunc magna mei sub terras ibit imago.
urbem praeclaram statui, mea moenia vidi,
ulta virum poenas inimico a fratre recepi,
felix, heu nimium felix, si litora tantum
numquam Dardaniae tetigissent nostra carinae. 「懐かしい形見の品々よ、運命と神とがそれを許していたあいだは愛おしかったもの——今こそ、この魂を受け取り、この苦しみから私を解き放っておくれ。私は生き、運命が与えた道程を歩みきった。今や、私という偉大な影は地の底へと下りゆく。私は輝かしい都市を建て、みずからの城壁が立つのをこの目で見た。夫の仇は、敵たる兄への報復によって果たした。ああ、幸せだった、あまりに幸せすぎたのだ——もしダルダニアの船の舳先が、ついぞ我が岸辺に触れることさえなかったならば」 アエネーイス 第四巻六五一—六五八行
そして寝床に顔を伏せたまま、「復讐を遂げぬままに死ぬのか」と自問し、なお「それでも死のう、そうだ、こうして冥府へ下るのが望ましい。彼の目に、はるか沖からこの火をたっぷりと吸わせてやろう。無慈悲な男よ、この死の凶兆を道連れに運ぶがよい」と言い放つ。その言葉が終わるか終わらぬうちに、事は成された。
Dixerat, atque illam media inter talia ferro
conlapsam aspiciunt comites, ensemque cruore
spumantem sparsasque manus. 「そう語り終えたとき、侍女たちが目にしたのは、その言葉半ばで剣に伏して崩れ落ちる女王の姿、血泡立つ剣、そして血に染まったその両手であった」 アエネーイス 第四巻六六三—六六五行
館の奥から叫び声が上がり、動揺した都市中に噂が駆けめぐる。館は女たちの慟哭と悲嘆の叫びに震え、あたかもカルタゴあるいは古都テュロスが攻め入る敵の手に落ち、猛火が神殿と家々の屋根を舐め尽くすかのような騒然たる響きが天にこだまする[2]。
この叫びを聞いたアンナは、我を忘れて駆けつける。爪でみずからの顔を掻きむしり、拳で胸を打ちながら、人々をかき分けて走り寄り、死にゆく姉の名を呼ぶ。
Hoc illud, germana, fuit? me fraude petebas?
hoc rogus iste mihi, hoc ignes araeque parabant?
quid primum deserta querar? comitemne sororem
sprevisti moriens? eadem me ad fata vocasses,
idem ambas ferro dolor atque eadem hora tulisset. 「姉さん、これがあの企みだったのですか。私を欺いていたのですか。この薪の山が、この火と祭壇とが、私に用意していたものだったのですか。置き去りにされた私は、まず何を嘆けばよいのでしょう。死にゆくあなたは、道連れとなるはずの妹を拒んだのですか。同じ運命に私をも招いてくれていたなら、同じ剣の痛みが、同じ時に、私たち二人を連れ去ったでしょうに」 アエネーイス 第四巻六七五—六七九行
アンナは階段を駆け上り、なかば息絶えた姉を胸に抱き、着物の裾で傷口の血を押しとどめようとするが、ディードーは重い瞼を開けようとしては気を失い、深く刺さった傷が胸のうちで音を立てる。三度、肘をついて身を起こそうとし、三度、寝台の上に崩れ落ち、さまよう眼差しで天の光を求めては、それを見出すたびに呻く[2]。
その死の苦しみがあまりに長く、あまりに難儀であることを哀れんだユーノーは、天よりイーリスを遣わし、もがく魂と絡み合った肉体とを解き放たせる。ディードーは、定められた運命によっても、当然の報いとしての死によっても命を落としたのではなく、時ならぬ、突然の狂気によって不幸にも命を絶ったため、冥界の女王プロセルピナはまだ彼女の黄金の髪の一房を額から切り取ってはおらず、彼女をステュクスの冥府に引き渡してはいなかったからである。
Ergo Iris croceis per caelum roscida pennis,
mille trahens varios adverso sole colores,
devolat, et supra caput astitit: 'hunc ego Diti
sacrum iussa fero, teque isto corpore solvo.'
sic ait et dextra crinem secat, omnis et una
dilapsus calor atque in ventos vita recessit. 「そこでイーリスは、露に濡れた鬱金色の翼をひろげ、朝日を受けて千の色に輝きながら天より舞い降り、その頭上に立つ。『命により、この髪をディースに捧げるものとして私は取り、そなたをその身体から解き放とう』——そう言うと、右手で一房の髪を切り取った。するとたちまち、すべての温もりが失われ、命は風のなかへと去っていった」 アエネーイス 第四巻七〇〇—七〇五行
こうして『アエネーイス』第四巻は幕を閉じる。ディードーの死は、単なる恋の破局の帰結ではない。侍女に薪を積ませ、自らその上に登って剣を抜き、偽りの祭儀という虚構を実行に移すことによって死そのものを一つの「儀礼」として完遂するという、周到に構築された行為なのである。薪の山、祭壇、剣、そして髪を切るイーリスという冥界の作法——ヴェルギリウスは、恋する女王の心理的崩壊を、ローマの葬送儀礼と冥界神話の語彙のなかに巧みに織り込んでいる。この点において、ディードーの自死の場面は、単なる悲恋の物語を超えて、儀礼と心理、虚構と真実とが交錯する高度に構築された文学的達成なのである[2]。
二、精神医学的観点からの分析——amor hereos
ヴェルギリウスが『アエネーイス』第四巻に描いたディードーの心理的崩壊の過程は、近代精神医学の観点から見て、恋愛感情に起因する抑うつ障害の臨床的記述として驚くべき精確さを持つ。ジャック・ピジョー(Jacques Pigeaud)やスタンリー・ジャクソン(Stanley W. Jackson)らの医学史研究者は、この挿話を古代における「恋煩い」(amor hereos, lovesickness)の最も体系的な文学的記載として位置づけている[7][8]。
ヴェルギリウスは、ディードーの症状を段階的に描写している。第一段階は、不眠と食欲の喪失である。第四巻の冒頭で、ディードーは「心に深い傷を負い、血管のなかで炎が燃え」(vulnus alit venis et caeco carpitur igni)、夜を徹して悶々とする。第二段階は、社会的機能の崩壊である。カルタゴの建設工事は停止し、若者たちの軍事訓練も中断される。一国の女王としての責務を果たす能力が失われていく。第三段階は、被害的認知と自己評価の低下である。アエネーアスの出発を知ったディードーは、激しい怒りと絶望に揺れ動き、やがて「生きていることへの嫌悪」(taedet caeli convexa tueri)に達する。第四段階として、自死への衝動が出現し、実行される。
これらの段階的な心理的崩壊は、現代の精神医学における「適応障害・抑うつエピソード」の経過と著しく類似している。不眠、食欲不振、興味・関心の喪失、社会的引きこもり、自己評価の低下、そして希死念慮——ヴェルギリウスはこれらの症状を、二千年後の診断基準に先行する形で、詩的言語のなかに正確に描き出している。
ただし、この対応関係を読む際には留保が要る。ディードーの崩壊を現代の診断カテゴリーへ一対一で写し取ることは、彼女が担う固有の立場——建国者・統治者としての名誉(pudor)の喪失、周辺諸国と自国民からの離反、亡夫への誓約違反、そして一国家の運命そのものを体現する神話的形象であること——を捨象しかねない。ディードーの自死は、臨床的経過として読みうる水準を保ちながらも、最終的には王としての名誉と国家の命運という、精神医学の射程を超えた次元にまで及んでいる。以下に見る中世医学における受容は、この超過を消し去るためではなく、むしろその輪郭をより精確に測るための一つの補助線として読まれるべきであろう。
三、中世医学における受容——「英雄的愛の病」
ヴェルギリウスのディードー描写は、中世のアラブ医学およびヨーロッパ医学において「amor hereos」(英雄的愛の病、あるいは貴人の恋煩い)という疾病概念の形成に寄与した。十一世紀のペルシアの医学者イブン・スィーナー(アヴィセンナ)は『医学典範』(Canon Medicinae)において、恋煩い(al-ʿishq)を独立した疾患として記載し、その症候として抑うつ、不眠、やつれ、脈拍の変動を挙げている。ここにはヴェルギリウスのディードー描写との明らかな連続性が認められる。ヨーロッパ中世においても、コンスタンティヌス・アフリカヌスの『メランコリア論』(De Melancholia、十一世紀)やアルノー・ド・ヴィルヌーヴの医学著作(十三世紀)が、恋愛感情に起因する病態を医学的に論じている[7]。
すなわち、ディードーの物語は単なる文学的挿話ではなく、西洋精神医学史における「恋愛と精神病理」という主題の出発点に位置する記載なのである。ヴェルギリウスの観察眼の鋭さは、詩人でありながら臨床家のそれに匹敵する。
後注:この第四巻のディードー像を、十八世紀末の臨床医ピネル(Philippe Pinel)が実際にどう読んだかについては、姉妹論文「ピネルの古典的素養と情念の臨床化——ヴェルギリウスのディドから近代精神医学の黎明へ」で詳論した。ピネルは一七八五年、まだ医師としての名声を確立する以前に、弟へ宛てた書簡のなかで本章が跡づけたのと同じ第四巻の場面——義務・誓い・情念の三重の葛藤、決意後の見かけの平静、最期の独白における明晰さ——を精読しており、この文学的直観がのちの『疾病分類学的・医学哲学的論考』(Traité médico-philosophique, 1801)における情念概念の理論化に先行していたことを、同論文は書簡の全訳と Traité 本文の対照によって示している。なお同論文の文献学的補注は、本章が正しく避けているとおり、ディードーが「薪の火に焼かれて死ぬ」という通俗的誤解——第四巻に点火の場面は存在せず、剣による自死(media inter talia、六六三行)ののち、火は第五巻冒頭でトロイア船団が沖から望み見るものとしてのみ語られる——の淵源を三層に分けて跡づけている。
四、古事記における恋と死——ディードーの変奏としての日本神話
古事記のなかにも、恋と死が交差する挿話は存在する。たとえば倭建命(ヤマトタケル)の妻・弟橘比売命(オトタチバナヒメ)が荒海を鎮めるためにみずから海中に身を投じる場面は、愛する者のために命を捧げるという主題においてディードーの死と対照的な構造を持つ。ディードーが「捨てられた者の絶望」から死を選ぶのに対し、弟橘比売命は「愛する者を救うための自発的犠牲」として死を選ぶ。同じ「愛と死」の主題でありながら、ローマ的な個人の悲劇と日本的な献身の美学という、異なる文化的価値の表出が認められる。
また、衣通郎女(そとおりのいらつめ)の恋歌に見られる激しい恋情の表現も注目に値する。ただし古事記における恋の描写は、ヴェルギリウスのような心理的内面の段階的分析ではなく、歌謡を通じた感情の直接的な表出という形をとる。ここに、書記文化の成熟度の差——内面の心理描写という散文的技法と、歌による感情の噴出という口承的技法——が反映されているとも言えよう。
第五章 建国叙事詩の構造——「過去」の政治的利用
一、『アエネーイス』における時間の構造——予言と成就
『アエネーイス』の時間構造は、きわめて巧妙に設計されている。物語の「現在」はトロイア陥落後のアエネーアスの漂泊であるが、テキストのなかに繰り返し挿入される予言——ユピテルの予言(第一巻)、アンキーセスによる冥界での未来のローマ人の閲兵(第六巻)、ウルカヌスの盾に描かれたローマの歴史(第八巻)——が、物語の「過去」をアウグストゥスの「現在」に直結させる。
とりわけ第六巻でアエネーアスが冥界に降り、父アンキーセスから未来のローマの英雄たちの魂を見せられる場面は、この時間構造の頂点である。ロムルス、スキピオ、カエサル、そして最後にアウグストゥスの魂が現れ、アンキーセスは「この人こそ、かつて約束された者、神の子アウグストゥスである」と宣言する。こうして、トロイアの過去とアウグストゥスの現在が、運命(fatum)という超越的な意志によって一つの線で結ばれるのである[2]。
二、古事記における時間の構造——始原と現在
古事記の時間構造は、『アエネーイス』とは異なる原理に基づいている。古事記は天地開闢から始まり、神代、人代を経て推古天皇の御代に至る。この構造は、直線的な時間軸に沿って「始原から現在へ」と展開するが、その核心にあるのは、天照大神から天皇家への血統的連続という「切れ目のない系譜」の提示である。
『アエネーイス』がトロイアとローマのあいだに漂泊と戦争という劇的な物語を置くのに対し、古事記はむしろ系譜の連続性そのものを物語の骨格とする。天孫降臨の神話は、天上(高天原)から地上(豊葦原中国)への垂直的な移動であり、『アエネーイス』のような水平的な漂泊の物語ではない。ここに、ローマの「建国」という行為的概念と、大和の「国譲り」「天降り」という、いわば宇宙論的秩序の顕現としての「国の始まり」の観念の差異が見てとれる[3]。
三、天武天皇と古事記の隠された主題
天武天皇が古事記の編纂を命じた政治的意図をさらに深く読み取るならば、それは単に天皇家の系譜を「正す」ことだけではなく、壬申の乱という武力による政権奪取を、宇宙論的秩序のなかに位置づけ直すことであったと考えられる。アウグストゥスがアクティウムの血なまぐさい記憶をアエネーアスの建国の使命という崇高な物語のなかに昇華させたように、天武もまた壬申の乱を、天照大神の意志に基づく正統な皇位継承の回復として意味づけようとしたのではないか。
興味深いことに、古事記には壬申の乱そのものは記されていない(古事記は推古天皇で終わる)。しかし、古事記の神話部分に繰り返し現れる「正統な後継者が困難を乗り越えて権力を獲得する」という物語パターン——天照大神の岩戸隠れと復帰、大国主命の試練と国作り、神武天皇の東征——は、天武自身の経験の神話的投影として読むことが可能である。アウグストゥスが『アエネーイス』のアエネーアスに自己を重ねたように、天武もまた古事記の神話的英雄たちのなかに自己を読み込んでいたのかもしれない。
四、二段階の建国構造——遠祖の渡来と近祖の建国
ここまで本稿は『アエネーイス』を中心にローマの建国神話を扱ってきたが、ローマの建国伝承は実のところ単一の物語ではない。時代的に大きく隔たった二つの層——トロイアからの渡来者アエネーアスの物語と、都市ローマそのものを実際に建てるロムルスとレムスの物語——が接合されたものであり、この二層構造そのものが、古事記との比較においてなお検討すべき論点を残している。
第一層(遠祖の渡来)は、トロイア陥落後、アエネーアスが一族を率いてイタリアに漂着し、ラティウムの王ラティーヌスの娘ラーウィニアと結婚し、都市ラーウィニウムを建てるまでを語る——『アエネーイス』が劇化するのはここまでである。息子アスカニウス(ユールス)がさらにアルバ・ロンガを建て、以後アルバの王統がここに続く。この物語の設定年代は、伝統的にトロイア戦争の終結(前一一八四年頃)に近接する。
第二層(近祖の建国)は、アルバ王統の末裔ヌミトルが弟アムーリウスに王位を奪われ、ヌミトルの娘レア・シルウィアがウェスタの巫女とされて婚姻を禁じられるが、軍神マールスによって双子ロムルスとレムスを身ごもる、という挿話に始まる。嬰児は殺害を命じられテヴェレ川に流されるが漂着し、牝狼(ルパ)に乳を与えられ、羊飼いファウストゥルスに拾われて育つ。成人した二人はアムーリウスを倒しヌミトルを復位させたのち、自ら新しい都市を建てようとするが、建設地と王権を占う鳥占い(アウグリウム)の結果を巡って争い、ロムルスがレムスを殺害して単独で都市を建てる——伝統的に前七五三年とされる、ローマそのものの建国である。その後アシュルム(避難所)を設けて周辺の亡命者を受け入れて人口を増やし、サビーニー人の女たちを略奪して婚姻問題を解決し、ロムルスは晩年、嵐のなかで姿を消して神クイリーヌスとして祭られる[16]。
この二層を単一の系譜に繋ぐこと自体が、ローマの古代における編纂上の課題であった。アエネーアスの時代とロムルスの時代のあいだには、年代記上四百年以上の隔たりがある。前三〜前二世紀のローマの好古家的伝統が、この間隙をアルバ・ロンガの長大な王統譜で埋め、年代を整合させた。この標準化された系譜をリーウィウス(『ローマ建国史』第一巻)とディオーニュシオス・ハリカルナーッセウス(『ローマ古代誌』、ギリシア語)が散文で通して語るのに対し、ウェルギリウスは『アエネーイス』でアエネーアース層のみを完全に劇化し、ロムルス層は預言(第六巻、冥界でアンキーセースが見せる未来の魂たちの行列)と、アエネーアースの盾に打たれた図像(第八巻、牝狼と双子の場面を含む)としてのみ、間接的に組み込んでいる。すなわちウェルギリウス自身は、ロムルスの物語を直接には劇化しなかった[2]。
この二段階構造——「渡来する遠祖」と「実際に建国する近祖」——は、古事記の構造と興味深い対応を示す。天孫ニニギノミコトは高天原から日向へ天降るが、大和そのものを建てるわけではない。ニニギから数代のち(日向三代を経て)、神武天皇が東征を経て橿原の地で即位し、大和王権を実際に建てる。すなわち「天下る遠祖」と「征って建てる近祖」という二段階の分離は、ローマにも大和にも共通して見られる構造である。
| 比較項目 | ローマ | 大和 |
|---|---|---|
| 遠祖の渡来 | アエネーアース(トロイアより海を渡る) | ニニギノミコト(高天原より天降る) |
| 渡来の性格 | 水平的な漂泊・避難 | 垂直的な降臨・秩序の顕現 |
| 近祖の建国 | ロムルス(都市ローマを実際に建てる) | 神武天皇(大和王権を実際に建てる) |
| 両者を繋ぐ系譜 | アルバ・ロンガ王統(ヌミトル・アムーリウスに至る歴代の王) | 日向三代(ニニギ・ホオリ・ウガヤフキアエズ) |
| 建国の様態 | 兄弟殺し(レムス殺害)による単独化 | 東征(先住の首長たちとの戦い)による平定 |
| 異常出生・庇護 | 牝狼による哺育 | 対応する挿話は見当たらない |
| 人口・共同体の形成原理 | アシュルム(出自を問わぬ亡命者の受け入れ) | 血統的正統性を軸とする系譜主義 |
相似の核心は、両伝統がいずれも建国を単一の英雄的行為に還元せず、「天から/海から来た者」と「地に国を築いた者」とを世代的に分離して語る点にある。これは、始祖の超越性(神性・異邦性)と、統治の正統性(現実の土地における支配の樹立)とを、一人の人物に担わせず二段階に分けて語ることで、両者をそれぞれ純化して提示できるという、建国神話に共通する構成上の利点を示唆する。
しかし相違もまた顕著である。ロムルスによるレムス殺害という兄弟殺しの主題、牝狼による異常な哺育という主題、そして出自を問わず異邦人・亡命者を受け入れるアシュルムという開放的な人口形成の原理——これらはいずれも、血統の連続性と正統性を軸に系譜を編む古事記の論理とは対照的である。とりわけアシュルムの挿話は、ローマ建国神話が「血の純粋性」ではなく「都市への包摂」を建国の原理として提示している点で、天皇の系譜的連続性を建国の核心に置く古事記とは、建国倫理そのものの水準で異なる方向を向いていると言える。この対比は、第六章で論じる「個人の英雄譚」対「系譜的連続」という本稿全体の主題を、より具体的な神話素の水準で裏づけるものである。
なお、ロムルス・レムス伝承についてはリーウィウスとディオーニュシオスのほか、プルータルコス『対比列伝』「ロムルス伝」が、レムスを殺害したのはロムルス自身かその配下の者か、都市の名の由来は何かなど、複数の競合する異伝を意識的に併記しており、この異伝併記の態度は、古事記・日本書紀における「一書に曰く」形式との比較材料としても興味深い[16]。この伝承の近代的な歴史学的分析としては、T. P. Wiseman, Remus: A Roman Myth, Cambridge University Press, 1995 が、非文字社会における神話生成の過程そのものを論じた基本文献として参照に値する[16]。
第六章 比較の射程と限界——何が見え、何が見えなくなるか
一、構造的並行性が照らし出すもの
本稿で試みた「アウグストゥス/ヴェルギリウス/アエネーイス」と「天武/太安万侶(稗田阿礼)/古事記」の構造的対比は、以下の知見を提供する。第一に、古代国家における「建国叙事詩」の生成が、権力者の政治的意志、テキスト制作者の文学的技量、口承伝統という素材の三項関係によって成立するという、文明横断的な共通構造の存在である。第二に、口承伝承が政治的テキストに変換される過程において、「何を記憶し何を忘却するか」という選択が、つねに権力の意図によって方向づけられているという事実である。第三に、建国叙事詩が単なる過去の記録ではなく、現在の政治秩序を正統化するための「過去の構築」——すなわち記憶の政治学——であるという認識である。
二、差異が照らし出すもの
しかし、本稿の比較は同時に、両者の根本的な差異をも浮き彫りにした。第一に、文字文化の成熟度の差である。ヴェルギリウスは数百年にわたるギリシア・ラテン文学の伝統の上に立って「第二のホメロス」たることを目指したが、太安万侶は文字文化そのものの確立という、より根源的な課題に取り組んでいた。第二に、口承と書記の関係の差異である。『アエネーイス』にとって口承伝統はすでに書記テキスト(ホメロス叙事詩)を経由して古典化された遠い過去であったが、『古事記』にとって口承伝統は稗田阿礼という生きた人間のなかに現存する「今ここの現実」であった。
第三に、そしておそらく最も重要な差異として、叙事詩の「主語」の違いが挙げられる。『アエネーイス』の主語は個人(アエネーアス)であり、その物語は個人の選択と苦悩を軸に展開する。ディードーとの別離の場面に象徴されるように、個人の感情と国家の使命の葛藤そのものが物語の推進力となる。これに対して古事記の主語は、究極的には「天皇の系譜」という非個人的な連続体である。個々の天皇や神話的人物は、その系譜の結節点として現れる。古事記にも感情的に強烈な場面——たとえば倭建命の死や衣通郎女の恋——は存在するが、それらは系譜的叙述のなかに埋め込まれた挿話であり、物語の構造的中心ではない。この差異は、ローマ的な「個人」の観念と、日本古代の「氏族・系譜」の観念という、より深い文化的相違に根ざしていると考えられる。
結論 建国叙事詩の普遍と個別
本稿は、ローマの『アエネーイス』と日本の『古事記』を、「権力者—テキスト制作者—口承伝統」という三項関係の枠組みのなかで比較考察してきた。この比較から見えてきたのは、古代国家が自己の起源を語る物語を生み出すという営為に、文明を超えた共通のメカニズムが存在するということ、そして同時に、そのメカニズムが作動する文化的条件の差異が、生み出される物語の性格を決定的に規定するということである。
アウグストゥスとヴェルギリウスは、成熟した書記文化のなかで、個人の運命と国家の使命を交差させる壮大な叙事詩を創造した。天武天皇と太安万侶=稗田阿礼は、口承から書記への文明的転換そのものを遂行しながら、天上の神々から地上の天皇へと至る系譜的連続の物語を書き留めた。いずれの物語も、政治的意図によって構想され、文学的才能によって形象を与えられ、口承的伝統から素材を汲み上げたという点で共通する。しかし、個人の悲劇を物語の中心に据えるローマ的感性と、系譜の連続性を物語の背骨とする日本的感性のあいだには、容易に架橋しがたい文化的距離がある。
この距離を認識した上でなお、比較の意義は残る。なぜなら、両者を並べることによってはじめて、それぞれの建国叙事詩の「当たり前」——ローマにとっての「個人の英雄譚」、日本にとっての「系譜的連続」——が、普遍的な必然ではなく文化的選択であったことが見えてくるからである。建国の物語はどの文明にも存在するが、「何を語り、何を語らないか」という選択には、その文明の最も深い価値観が反映されている。