要旨
ICD-11(2022)は、カタトニアを統合失調症の亜型から解き放ち、独立の疾患群(6A4ブロック)として立てた。これは、1874年にカール・ルートヴィヒ・カールバウムが『緊張病あるいは緊張狂』で行った主張の、148年遅れの承認である。本稿はこの遅延そのものを主題とする。すなわち、カタトニアという疾患単位と、それを産んだ「臨床的方法」――症状像と疾患過程の区別、経過と転帰による分類――の創始者カールバウムが、なぜ方法の継承者クレペリンに呑み込まれ、一世紀にわたり黙殺されたのかを問う。
本稿は三重の作業からなる。第一に解題――『緊張病』全篇(序文・全7章・26症例)をフラクトゥール原本に即して読み、要所を新訳で提示する。既存邦訳(渡辺哲夫訳、1979年)は「早発性痴呆の一亜型の先駆的報告」という当時の常識のもとで読まれたが、カタトニアが独立性を回復した現在、原典は別の相貌を見せる――回復可能性の強調、変質論への抵抗、そして「命名によって症状と疾患の本性に関する特定の見解が先取りされてはならない」という方法的禁欲である。第二に受容史――ヘッカーの追悼文(1899、Kraam英訳2008)を基礎資料に、黙殺(totgeschwiegen)の伝記を復元し、簒奪の力学を制度・概念・認識論・偶然の四軸で分析する。クレペリンはカールバウムの方法を取り、その単位を棄てた――経過による分類という武器で、経過の観察者自身が解体されたのである。第三に哲学的照明と現代的意義――ヤスパースが疾患単位を「到達されえぬ理念」と規定したこと、エーが単位を解体の構造水準に置き換えたこと(第10研究「カタトニー」1950)を、カタトニアの運命に対する二つの応答として読み、治療反応性(ロラゼパム・ECT)を単位性の試金石とする現代の再統一論(フィンク)と ICD-11 の症候群的解決との緊張を測定する。エーについては、その意識解体論に即して第10研究を精読し、カタトニーを「大域的かつ尖端的、決して基底には届かない解体」として特定するとともに、精神症状と神経学的症状とを分かつ構造的基準――精神運動障害が全体の部分であり精神障害に二次的であること、そして道具的機能の障害と意識の清明との対照の欠如――を抽出する。この基準を WHO『臨床記述と診断要件』(CDDR、2024)のカタトニア章と突き合わせるとき、CDDRがカタトニアの「何であるか」(主として精神運動性の障害の症候群)をエーの結論と細部まで一致する形で定めながら、「なぜ精神医学に属するか」については空欄のまま――精神医学と神経学の章の区別は「恣意的」で「専門職の伝統」を反映すると自白しつつ――残していることが明らかになる。この空欄を埋める理論的資源として、第10研究は今日なお現役である。クレペリンの判決と ICD-11 とのあいだには、クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』の留保を中間の証言として置く――過運動性のカタトニーを統合失調症から切り離す試みは「久しい以前から繰り返し」なされ、フーバーの組織病理学がその根拠を強めたが、臨床的な眼には両者の特徴を併せもつ中間形(Übergänge)が他の統合失調症像へ切れ目なく続いているゆえに「時機はまだ到来していない」;しかも診断は「経過ではなく状態像に基づく」。この留保からは二つのことが読み取れる。切り離しを阻んだのは中間形の存在そのものではなく、中間形があってもカタトニーを見分けられる独自の基準がなかったことだ、ということ。そして、経過ではなく状態像で診断するというシュナイダーの原則が、経過に左右されない症候群としてカタトニアを立てる ICD-11 の考え方を先取りしていた、ということである。あわせて本版では、簒奪の制度史を、グリージンガーからクレペリンに至る大学クリニックとアンシュタルトの統合体制というクレペリン側の達成(エングストローム)によって均衡させ、GABA-A系・NMDA受容体・自己免疫という神経科学の現在とエーの境界基準との緊張に一節を充て、治療反応性(ロラゼパム・ECT)が裏書きするのは予後と症候群のまとまりであって疾患単位の実在ではないという限定を明示した。この文脈で本稿は一つの物証を提示する――サンタンヌ病院アンリ・エー文庫に遺された、占領下の1942年に筆写された『緊張病』全文手写本(エー自筆の注記付き、ガリカ所蔵)である。黙殺の百年の裏面で、カールバウムは筆写されてまで読まれていた。
結論はこうである――現代の治療可能なカタトニアは、クレペリンのカタトニア(不治の変性過程)ではなく、カールバウムのカタトニア(周期的経過をとり、予後は「悪くない」脳疾患)である。140年の迂回ののち、精神医学はゲルリッツの私立保養院へ帰ってきた。原典の引用はすべて拙訳、原本頁を逐一指示する[1]。
Abstract (English)
The elevation of catatonia to an independent diagnostic block (6A4) in ICD-11 (2022) constitutes a belated vindication—by 148 years—of the claim Karl Ludwig Kahlbaum advanced in Die Katatonie oder das Spannungsirresein (1874). This paper takes the delay itself as its subject: why was the founder of the clinical method—the distinction between symptom-complex and disease process, and classification by course and outcome—absorbed and silenced (totgeschwiegen, in Ziehen’s word) by the very heir of that method, Emil Kraepelin? Three tasks are undertaken. First, a re-reading of the 1874 monograph from the Fraktur original, with extensive new Japanese translations of its key passages: the programmatic preface, the naming passage with its methodological abstinence (“no particular view of the nature of the symptom and the illness shall be presumed by this designation,” S. 23), the case vignettes, the definition (S. 87), the emphatically favourable prognosis (S. 93), and the resistance to the French doctrine of degeneration (S. 99). Second, a reception history organized along four axes—institution (the private asylum against the university textbook), concept (the vulnerability of the stage theory), epistemology (Kraepelin judging Kahlbaum’s unit by Kahlbaum’s own method, on outcome statistics that measured custodial neglect rather than natural history), and contingency (the deaths of Wernicke and of Kahlbaum himself in 1899, the year of the sixth edition). The mechanics of this absorption are now documented directly from the eighth edition of Kraepelin’s Psychiatrie (vol. III, 1913, collated with the original pagination): the demotion of Kahlbaum’s disease to a “peculiar course-form” of dementia praecox, the circular restriction of the concept to cases underlain by that very process, and the re-description of recovery as “improvements resembling cure”—remissions of up to twenty-nine years being absorbed into one and the same disease process (S. 809–810, 831–833). Third, a philosophical assessment through Jaspers’s doctrine of the disease entity as an unattainable regulative idea (General Psychopathology, ch. XII) and Ey’s organo-dynamic reduction of the unit to a level of dissolution (Étude n° 10, 1950), against which the ICD-11 solution—catatonia as an independent, transnosological syndrome supported by treatment response—appears as a synthesis closer to Kahlbaum’s clinic than to Kraepelin’s pessimism. A close reading of Étude n° 10 specifies Ey’s answer further: catatonia is a global and apical dissolution that never reaches the motor base, distinguished from neurological disorder by two structural criteria—the psychomotor disturbances are only part of a whole, and secondary to the psychic disturbances—and by the absence of that contrast, so striking in neurological disease, between the disturbance of instrumental functions and the lucidity of consciousness. Collated with WHO’s Clinical Descriptions and Diagnostic Requirements (CDDR, 2024), this reading reveals a double result: a precise convergence on what catatonia is (“a syndrome of primarily psychomotor disturbances”, examined with the neurologist’s hands yet coded on the psychiatric side even when its cause is a brain disease), and an avowed blank as to why it is psychiatric—the CDDR itself concedes that the boundary between the two chapters is “arbitrary” and reflects “professional tradition”. For that blank, Ey’s Étude n° 10 remains one of the few theories still on active service. Between Kraepelin’s verdict and ICD-11 we place Kurt Schneider’s reservation in the Klinische Psychopathologie as an intermediate witness: attempts to detach the hyperkinetic catatonias from the schizophrenias had been made “again and again for a long time”, and Huber’s histopathology had strengthened their case, yet “the time has by no means come” to exclude catatonia, since for the clinical eye “all transitions” (Übergänge—intermediate cases answering to both concepts) run without a break between it and the other schizophrenic forms; and diagnosis, for Schneider, “rests on the state pictures and not on the course”. Two things follow from this reservation: what detachment still lacked was not the absence of intermediate cases but an independent criterion by which catatonia could be recognized in spite of them; and Schneider’s principle of diagnosing by state picture rather than by course already anticipates the ICD-11 conception of catatonia as a syndrome whose identity does not depend on outcome. A new section surveys the present neuroscience of catatonia—GABAergic hypofunction, the anti-NMDA-receptor encephalitides, immune mechanisms—which vindicates Kahlbaum’s “brain disease” while stress-testing Ey’s boundary criteria; and the institutional history is rebalanced: the very court of outcome in which Kahlbaum’s unit was tried—the integration of university clinics and asylums from Griesinger to Kraepelin’s Zählkarten—was, as Engstrom has shown, Kraepelin’s own administrative achievement. As material evidence of this hidden French reception we present a complete handwritten copy of Die Katatonie, made at the Hôpital Sainte-Anne under the German occupation in 1942 and preserved in Henri Ey’s library (Gallica), bearing Ey’s autograph note: in the very midst of its century of silence, Kahlbaum was being read—copied out by hand. The treatable catatonia of the lorazepam–ECT era is, we argue, Kahlbaum’s catatonia, not Kraepelin’s: after a detour of a century and a half, psychiatry has returned to Görlitz.
序 問いの設定――148年の遅延
二つの年号を並べることから始めたい。1874年、ゲルリッツの私立保養院長カールバウムは、従来「驚愕性メランコリー」「愚鈍症」等の名で散在していた状態群を、筋緊張の変化を本質的症状とする独立の脳疾患「緊張狂 vesania katatonica」として画定した。2022年に発効した ICD-11 は、カタトニアを統合失調症の亜型でも他疾患の付随特徴でもなく、独立の疾患群として精神疾患の章に立てた[12]。両者のあいだに横たわる148年の大部分――クレペリン第6版(1899)から DSM-IV(1994)過ぎまで――カタトニアは早発性痴呆=統合失調症の内部に幽閉されていた。この幽閉の物語は、ショーターとフィンクの通史が「誘拐」の名で描いたとおりであり、その紹介は本欄の文献案内に譲った[13]。なお、本稿の基幹用語の役割分担をここで画しておく――「誘拐」は右に挙げたショーターとフィンクの通史の表現であり、本稿はこれを借用としてのみ用いる。「黙殺(totgeschwiegen)」はツィーエンの同時代の証言である。そして「簒奪」は本稿自身の分析概念であり、その内実――何が、いかにして、なぜ奪われたのか――は第四章で論証する。
本稿の問いはその先にある。誘拐されたのは疾患概念だけではない。カールバウムは、症状の横断像(症状複合)と基底の疾患過程とを区別し、経過と転帰を分類の基準に据えるという「臨床的方法」を、クレペリンに25年以上先立って定式化した人である[2]。クレペリンの体系は、方法においてカールバウムの継承であり、しかもその方法の適用によって、カールバウムの立てた単位そのものを解体した。方法の創始者が、方法の継承者に呑み込まれる――この転倒はいかにして起きたのか。同時代人ツィーエンが追悼に用いた一語がその冷厳な要約である――カールバウムは「黙殺された(totgeschwiegen)」[5]。
問いを立てる位置も明示しておく。本欄の連作は、ピネル『論考』の原典読解(第六章・補遺I・II)から出発し、マニア・双極性障害・カタトニアの概念史啓蒙書の案内を経て、ここに至った[16][17]。ピネルにおいて私たちは、発祥の閃光が初版に走り第二版で分類の深部に溶けるさまを見た。カールバウムにおいて見るのは逆の過程である――閃光は正当に走ったのに、誰も見ようとしなかった。発祥論の対概念としての黙殺論。これが本稿の位置である。
第一章 ゲルリッツの人――黙殺の伝記
伝記的基礎資料は乏しい。最良のものは、弟子にして10年来の友ヘッカーが没年に記した追悼文であり、クラームの英訳と解題によって近年ようやく広く読めるようになった[5]。以下の素描はこれに依る。
カール・ルートヴィヒ・カールバウムは1828年12月28日、ノイマルクのドリーゼン近郊に生まれた。ケーニヒスベルク、ヴュルツブルク、ライプツィヒ、ベルリンに医学を学び、学位論文は鳥類消化管の解剖学と組織学――精神医学からもっとも遠い、顕微鏡と実証の出自である。一年の軍務ののち、東プロイセンの州立施療院アレンベルクに第二医として赴任する。上司からの学問的励ましは皆無であった、とヘッカーは記す――「しかし彼にはもともとそれは不要だった。彼は持ち前の鋼のような勤勉さで、この新しい領域に習熟していった」。
1863年、ケーニヒスベルク大学の私講師として、彼は主著『精神疾患の群別と精神障害の区分』を刊行する[2]。しかし大学は彼に何も与えなかった。アレンベルクからケーニヒスベルクへの旅費は自弁に近く、プロイセン文部省からの200ターラーの補助は度重なる請願の末にようやく2年分。臨床講義のための患者は与えられず、学生をアレンベルクへ連れて行く案も認可されなかった。3年後の1866年、彼は大学都市を去り、ゲルリッツの私立保養院に第二医として、のちに院長・所有者として移る。「いかなる大学も彼を招聘しなかった」――ツィーエンの追悼文の一句である[5]。
ゲルリッツで彼は施設改革に全力を注いだ。青年患者のための教育部門(Pädagogium)を設け、ホールの天井画――学問を寓意する構図――の下絵を自ら引いた。1871年、助手ヘッカーが、カールバウムの資料と着想に基づく「破瓜病」を公刊して名を成す[4]。1874年、カールバウム自身の『緊張病』が出る[1]。施設は名声を得て患者は絶えず、1875年、彼は1年の研究休暇を取る――そして、約束していた臨床総論の執筆ではなく、病理解剖学と顕微鏡技術の研鑽にその年を充てた。『緊張病』から次の公刊まで4年の空白がある。クラームが指摘するとおり、彼は膨大な臨床資料を蓄えながらほとんど公刊せず、ヘッカーに代筆させることも許さなかった[5]。
家族についても一つの文書が残る。1895年12月、ライプツィヒ大学医学部で「子宮摘出術における沃度ホルム中毒の鑑別診断について」と題する学位論文が承認された。著者はカール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・カールバウム――履歴書に曰く「ゲルリッツ精神病院長ザニテーツラート・カールバウム博士の息子、1869年7月26日同地生まれ」[19]。主題は術後の急性譫妄(delirium acutum post operationem)の中毒性鑑別であり、父が『緊張病』で切り分けた急性錯乱の圏域が、次世代では手術室の合併症として現れている。ゲルリッツの施設はのちに別の息子ジークフリートに継がれた――大学が父を拒んだ一族の、大学医学への静かな参入の記録である。
1899年4月15日、カールバウムは糖尿病性昏睡のうちに没した。70歳。教授の称号すら、ついに与えられなかった(その称号は数年後、弟子のヘッカーに与えられる)。同じ年、クレペリンの教科書第6版が出て、カタトニアは早発性痴呆の一亜型として「永遠のものと」された[7]。創始者の死と、その概念の埋葬が、同じ暦年に属する。そしてクラームの結語が、受容史の偶然性を非情に要約する――カールバウムの重要性を認識していた同時代の二人の巨人のうち、一人(ヴェルニッケ)は自転車事故で早世し、「もう一人(クレペリン)に、以後百年にわたり精神医学を己の条件で鋳造する機会を与えた」[5]。
第二章 1863年の方法――症状複合と疾患過程
『緊張病』を読む前に、それを産んだ方法を確認しておかねばならない。1863年の『精神疾患の群別』の核心は、今日の目には拍子抜けするほど単純である――ある時点の症状の全体像(症状複合 Symptomencomplex)と、その背後で進行する疾患過程(Krankheitsprozess)とは、別の物である。メランコリー、躁病、錯乱、痴呆といった伝統的「疾患」は、実は状態像の名にすぎず、同一の患者が経過のなかでそれらを順次通過しうる。ゆえに疾患の単位は横断像からではなく、発症から転帰までの経過の全体から切り出されねばならない[2]。ピネル以来の症状分類学からの、これが決定的な一歩である。カールバウム自身がこの方法の最初の成功例と見なしたのは進行麻痺であった――多彩な精神症状が、特徴的な運動症状(麻痺)と結合して一個の疾患過程をなすことが、すでに臨床的に画定されていたからである。彼の生涯の企図は、この「第二、第三の進行麻痺」を見出すことにあった。第一の成果が、ヘッカーに委ねられた破瓜病(1871)であり[4]、第二の成果が『緊張病』である。
一 批判的総覧――「バベルの塔」の目録
1863年の『精神疾患の群別と精神障害の区分』は、ダンツィヒのカーフェマン書店から出た全182頁の書物である[2]。二部構成をとり、第一部(S. 1–58)は古代以来の精神疾患分類すべての批判的・歴史的総覧、第二部(S. 59–177)が彼自身の新分類の提示、これに方法論的総括(S. 178–182)が付く。冒頭の調子からして独特である――分類という主題が既に「悪評高い研究目標」となっていることを認め、ナッセが1818年に精神医学用語の不一致を「バベルの塔の言語混乱」に喩えたこと、フレミングが自らの分類の公表(1844)を「数学者にとっての、周期的に繰り返される円積問題解決の公告」のように受け取られはせぬかと恐れたこと、バイヤルジェの弁明(1854)を並べたうえで、それでもなお、と筆を起こす(S. 1–2)。第一部の扉にはゲーテの二行が掲げられている――「すべての形姿は似かよい、しかもひとつとして他と同じものはない。かくてこの合唱は、ひとつの密かな法則を指し示す」(S. 4)。多様な状態像の背後に法則としての疾患形態を求める本書の企図の、これ以上ない要約である。
二 科学は段階を飛び越せない
第二部の扉にはモルガーニの箴言が立つ――「できるかぎり多くの疾患の歴史と解剖の歴史を集め、相互に比較すること。確実な認識への道は、これをおいてほかにない」(S. 59)。そのうえでカールバウムは、当時の学界の合言葉であった病理解剖学信仰を正面から検討する。病理解剖の旗を高く掲げねば学問性を証明できず、解剖学的基礎なき分類への努力は「克服された立場」と見なされる時代に、彼は問う――ではなぜ、その優れた手段が精神医学ではかくも僅かな解明しかもたらさなかったのか(S. 59–60)。答えとして彼が展開するのは、諸学問の発展段階論である。動物学・植物学・鉱物学・身体医学はいずれも、記述と蒐集と分類の「自然史的」段階を通過したのちに、はじめて解剖学的・生理学的な深部研究の段階に入った。
Nein! die Wissenschaft hat wie ein reeller Organismus ihre Entwickelungsstufen zu durchlaufen und keine einzige darf ungestraft übereilt werden. … Somit stehen wir denn in der Psychiatrie auf der Stelle, wo das Streben der wissenschaftlichen Forschung immer noch auf die blosse Kenntniss zu richten ist, bevor die Anwendung der exacten Forschungsmittel der Gegenwart von bleibendem und bahnbrechendem Erfolge begleitet sein kann.否! 学問は、現実の有機体と同じように、その発展諸段階を順に通過せねばならず、どの一段たりとも、罰を受けずに急ぎ越すことはできない。……かくして我々は精神医学において、現代の厳密な研究手段の適用が持続的で画期的な成果を伴いうるより前に、研究の努力をなお端的な「知ること」そのものへ向けねばならぬ地点に、いまだ立っているのである。
第二部(S. 61–62)
顕微鏡が足りないのではない(レーウェンフックは既に見ていた)、屍体が足りないのでもない――順序が違うのだ、という診断である。精神医学はまず、おのれの自然史的段階を、すなわち経過の全体にわたる臨床観察と経験的群別の仕事を、誠実に遂行せねばならない。この文脈で、本書の方法綱領を一文に凝縮した箇所が来る。
Hiermit sind wir an den Punkt gelangt, von welchem der Verfasser ausgegangen ist, um diejenigen Einzelformen aufzufinden, in welchen sich die in der Wirklichkeit vorkommenden Fälle des gestörten Seelenlebens gruppiren lassen und welche geeignet sind diese Fälle nicht nur in einzelnen hervorstechenden Eigenthümlichkeiten und in einer Phase des Verlaufs, sondern möglichst vielseitig und durch alle Stadien des Prozesses betrachten zu lassen und zu erfassen.ここに我々は、著者がそこから出発した地点に到達した。すなわち、現実に生起する精神生活障害の諸症例をそこへ群別することのできる、そしてこれらの症例を、個々の際立った特性においてでもなく、経過の一位相においてでもなく、可能なかぎり多面的に、かつ過程のあらゆる段階を通じて観察させ把握させるに適した、個別諸形態を見出すことである。
第二部(S. 63)
ヤスパースが第五章で見るとおり「二つの根本要求」――疾患単位の定式化には経過の全体こそが根本的に重要であること、そして包括的臨床観察の与える全体像に立脚すべきこと――として要約するものは、この一文の要約にほかならない。
三 ウェサニア・テュピカ――状態像診断の運命
この綱領の最初の適用が、ノイマンの単一精神病論の批判的継承である。あらゆる精神病が単一の疾患の諸段階だとするノイマンの主張をカールバウムは「観察としては貴重、一般化としては過剰」と査定し、実際に典型的な段階経過――メランコリー期(stadium melancholiae/incrementi)、躁期(maniae/acmes)、錯乱期(perturbationis/decrementi)、痴呆期(dementiae/defectus)――をとる一群だけを切り出して「典型狂気 Vesania typica」と名づけ、躁期を欠く simplex、メランコリー期を欠いて躁で始まる praeceps の変異をこれに並べた(S. 63–70・135)。そして従来の状態像診断がこの同一過程をどう切り刻んできたかを、彼は皮肉抜きの淡々とした筆致で示す。
Fälle, welche der im Ganzen mit guter Prognose zu versehenden Form der Typica completa angehören, kommen gewöhnlich erst nach dem Ausbruch des maniakalischen Stadiums in Anstalten oder wohl gar erst überhaupt in ärztliche Behandlung. Dass nun die Diagnose auf Manie gestellt wird, ist erklärlich. … Gehen diese Fälle aber nicht in Genesung über, ist das Stadium der Manie von kurzer und das Stadium der Verwirrtheit von recht langer Dauer, oder ist der Kranke wohl gar erst in diesem Stadium in eine Anstalt übergeführt worden, so wird man finden, dass die Diagnose Verwirrtheit lautet, … oder in anderen Fällen, wo bereits die geistige Impotenz einen hervorstechenden Charakterzug bildet, Blödsinn oder je nach den Umständen, melancholischer Blödsinn, oder Blödsinn mit Aufregung und in dergl. Combinationen mehr.全体としてよい予後を与えうるテュピカ・コンプレタ型に属する症例は、通例、躁的段階の勃発後にはじめて施設に入り、あるいはそもそもそこではじめて医師の治療下に入る。そこで診断が「躁病」とされるのは、無理からぬことである。……だがこれらの症例が治癒に向かわず、躁の段階が短く、錯乱の段階が長引くならば、あるいは患者がこの段階に至ってはじめて施設に移されたのであれば、診断は「錯乱」と下されることが分かるであろう。……また既に知的無能が際立つ特徴となっている別の症例では「痴呆」、あるいは事情に応じて「メランコリー性痴呆」「興奮を伴う痴呆」、その他この種の組み合わせとなる。
第二部(S. 69–70)
同一の疾患過程が、施設の門をくぐった時期次第で「躁病」「メランコリー」「錯乱」「痴呆」という別々の疾患の名を受け取る――症状複合と疾患過程の区別の、これが臨床の現場における実演である。『緊張病』S. 26 の脚注「この対象については、小著(Schriftchen)『精神疾患の群別』(ダンツィヒ、1863)においてより詳しく私見を述べておいた」が指し示すのは、正確にこの節である(今回、原本により確認した)。カタトニーの段階説は、1863年のこの土壌から生えている。
四 五綱の体系――造語群と manie sans délire の行方
巻末の「精神障害の諸形態の体系的一覧」(S. 133–137)に、新体系の全容が表として与えられる。五つの綱――出生前後に獲得される精神的内容の欠損としてのネオフレニア、生物学的発達の移行期に結びつくパラフレニア、心的生活の一部領域に限局する特発性障害ウェコルディア、心的生活のほぼ全域を侵す特発性障害ウェサニア、そして身体の生理的・病的状態に随伴するデュスフレニア。進行麻痺はウェサニアの一属 Vesania progressiva(誇大性モノマニーと全身不全麻痺の結合)として、すなわち特発性精神病の内部に位置づけられている。造語の氾濫と嘲られた術語群も、この表の中では厳密な階層の産物である。パラフレニアの命名の箇所を引く。
… und diese ganze Gruppe will ich Paraphrenia nennen. Diese Gruppe zerfällt also zunächst in die beiden angedeuteten Gattungen der Paraphrenia pubertatis s. adolescens s. hebetica, wofür ich zum substantivischen Gebrauch das Wort Hebephrenia bilden möchte, und der Paraphrenia senilis mit dem entsprechenden Substantiv Presbyophrenia.……この群全体を、私はパラフレニアと名づけたい。この群はさしあたり、既に示唆した二つの属に分かたれる。すなわち思春期パラフレニア(Paraphrenia pubertatis s. adolescens s. hebetica)――その名詞的使用のために私はヘベフレニアという語を鋳造したいのだが――と、老年期パラフレニア(Paraphrenia senilis)であり、後者に対応する名詞はプレスビオフレニアである。
第二部(S. 129)
ヘベフレニー(1871年にヘッカーが症例史で肉付けする8年前)とプレスビオフレニーの初出がここであり、ウェコルディアの内部では、感情面の障害にディスチュミア(悲哀性の meläna と、注目すべきことに、喜悦性の elata)、知性面の障害にパラノイア(自我意識の上昇する ascensa・下降する descensa・不変の immota)の階層が与えられる(S. 134)――「パラノイア」が近代的な術語として安定するのは、この頁からである。
そして本連作の読者にとって見逃せない一節が、ウェコルディアの第三の家族の導出にある。ピネルの manie sans délire が、ここで正確に「症状複合」の地位を受け取るのである。
Wie der Symptomencomplex der Melancholie in verschiedenen Formen der Seelenstörungen vorkommt, aber auch eine selbstständige Entwickelung findet und dann eine besondere Bezeichnung verdient, weil er eine bestimmte Krankheitsform enthält (Dysthymia meläna); so kommt auch der Symptomencomplex Mania sine delirio oder Monomanie instinctive, Monomanie raisonnante, d. h. verrückte Handlungen und Bewegungen, die aus selbstständigen Störungen der Intelligenz oder des Gemüths (und Gefühls) nachweisbar nicht hervorgegangen sind, in verschiedenen Formen von Seelenstörungen vor, und auch die Mania cum delirio enthält diese Elemente.メランコリーという症状複合が、精神障害のさまざまな形態のうちに現れる一方で、自立的な発展をも遂げることがあり、その場合には特定の疾患形態を含むがゆえに特別の呼称(ディスチュミア・メレーナ)に値する――それと同じように、マニア・シネ・デリリオあるいは本能性モノマニー、理性的モノマニーという症状複合、すなわち知性あるいは情動(および感情)の自立的障害から発したことを証明しえない狂った行為と運動もまた、精神障害のさまざまな形態のうちに現れるのであり、マニア・クム・デリリオ(妄想を伴う躁狂)さえこの要素を含んでいる。
第二部(S. 103–104)
症状複合としては諸形態に遍在し、自立的に発展する場合にのみ独立の疾患形態となる――そしてその独立形態に、彼は「パリゴのいう意志の倒錯(perversion de la volonté)のこの限定された範囲には、ディアストレフィアの語が適切であろう」として Vecordia diastrephia の名を与えた(S. 104)。第六章「ピネル発祥論」で発祥を追い、補遺で行方を追った概念は、1863年の体系のこの位置に着地していた。マニー・サン・デリールをめぐる論争を「医学的というより司法的な関心事」と一言で棚上げする身振り(S. 104–105)も含めて、ここには衝動概念史(本紀要別稿)との直接の接続点がある。
五 成熟形と先取り
この方法の成熟した一般向け定式は、1878年、フォルクマンの臨床講義叢書に寄せた講演「精神病理学の臨床診断的観点」に読める[3]。講演は、大きな施療院を一巡りした者を圧倒する「狂気の表出様式の圧倒的な多様性」から説き起こし、静穏・不穏といった収容実務の区分も、興奮・沈滞といった症状の区分も、疾患の自然な区分ではないことを論じたうえで、診断の観点を経過と発生とに置き直し、精神病を特発性のものと、他の疾患過程・身体部位・生活史的発達段階から二次的に発生するもの(異種発生的・病因発生的・生活発生的)とに大別する四群の骨組みを示す。状態像の背後に発生の場を問うこの視線は、そのまま後の疾病分類学の常識になった――ただし、その常識は別人の名で呼ばれることになる。
方法論の水準でいえば、カールバウムの1863年は、クレペリンの1899年のほとんどすべてを先取りしている。経過と転帰による分類、状態像の非特異性、進行麻痺の範型化、そして若年発症の荒廃性経過(彼の命名では「青年期狂気 Hebephrenie」)の析出。クレペリン自身、後年これを認めるにやぶさかでなかった――だが承認は、簒奪の後に来た。その力学は第四章で扱う。まず、方法が生んだ最良の果実を、原典に即して読む。
第三章 『緊張病』(一八七四)解題――原典新訳
一 書物の構え
『緊張病あるいは緊張狂――精神疾患の一臨床形』は、「精神疾患に関する臨床論集」と題された叢書の第一冊として、ベルリンのヒルシュヴァルト書店から出た。全104頁。序文(S. V–XIII)、そして七章――第一章「暫定的境界画定と症例史」(S. 3–)、第二章「症候論」(S. 24–)、第三章「病因論」(S. 54–)、第四章「病理解剖」(S. 62–)、第五章「診断」(S. 87–)、第六章「予後」(S. 93–)、第七章「治療」(S. 100–)――のあいだに、通し番号を付された26の症例が織り込まれる[1]。症例が独立章をもたず議論に埋め込まれるこの構えは、ピネル『論考』のそれと同じく、体系の書ではなく観察の書であることの徴である。序文の冒頭と結びは、叢書全体の宣言となっている。
In diesen Heften beabsichtige ich eine Reihe von Abhandlungen zu veröffentlichen, welche das während meiner Beschäftigung in zwei Irren-Anstalten gesammelte Material an Kranken-Beobachtung in speziell umgrenzten Thematen verarbeiten sollen …本叢書において私は、二つの精神病施設での勤務中に集めた患者観察の材料を、特別に限定された主題ごとに加工する一連の論考を公刊するつもりである。
序文冒頭(S. V)
Eine weitere solche neue nach klinischer Methode aufgestellte Art ist die von mir als Jugendirresein oder Hebephrenie bezeichnete Krankheitsgruppe … Eine Reihe weiterer solcher neuen Umgrenzungen, deren erste die Katatonie oder das Spannungsirresein bildet, sollen in diesen Heften in specieller klinischer Bearbeitung gegeben werden.臨床的方法によって立てられたもう一つの新しい種が、私が青年期狂気すなわちヘベフレニーと名づけた疾患群である。……こうした新しい画定の系列――その第一をカタトニーすなわち緊張狂が成す――を、本叢書で個別に臨床的に論述する。
序文(S. XII–XIII)
二 課題の設定――第二の進行麻痺を求めて
本文冒頭でカールバウムは、身体症状が疾患の本質規定に用いられた唯一の先例として進行麻痺を挙げ、本書の課題を一文で定める。
Ich will es nun versuchen, in dieser Arbeit ein Krankheitsbild zu zeichnen, bei welchem bestimmte somatische und zwar ebenfalls muskuläre Symptome in gleich grosser Häufigkeit, wie bei der paralytischen Geisteskrankheit die Begleiter bestimmter psychischer Erscheinungen sind, und so wie dort auch hier eine wesentliche Bedeutung für die Gestaltung des ganzen Krankheitsprocesses gewinnen.本書で私が試みるのは、麻痺性精神病におけると同じ高頻度で、特定の身体的――それも同じく筋性の――症状が特定の精神現象の随伴者となり、かの疾患と同様ここでも疾患過程全体の形成にとって本質的意義を獲得するような、一つの疾患像を描くことである。
第一章(S. 4)
出発点に置かれるのは、当時「驚愕性メランコリー Melancholia attonita」と呼ばれていた昏迷像である。
Die sogenannte Melancholia attonita stellt bekanntlich jenen Zustand dar, in welchem der Kranke schweigsam, oder völlig stumm und regungslos dasitzt, mit starren Mienen, unbeweglichem, in die Weite fixirtem Blick, bewegungs- und scheinbar völlig willenlos, ohne Reaction auf Sensibilitätseindrücke, zuweilen mit dem vollständig entwickelten Symptom der Flexibilitas cerea, wie bei der Katalepsie …いわゆる驚愕性メランコリーとは周知のごとく、患者が寡黙に、あるいは全く無言・不動のまま坐し、硬直した表情、遠くに固定された動かぬ視線をもち、運動なく見たところ全く意志を欠き、感覚刺激への反応もなく、時にカタレプシーにおけるような蝋屈症の症状を完全に発達させている状態である。
第一章(S. 5)
だがこの昏迷は独立疾患ではない。経過を追えば、それは単純なメランコリーに始まり、しばしば躁的興奮を経て昏迷に至り、非治癒例では終末痴呆に終わる、同一疾患過程の一相にすぎない――ここに1863年の方法がそのまま作動している。そしてこの疾患形は「いわば誇大妄想を伴う/伴わない進行麻痺に対する臨床的対応物(ein klinisches Pendant zur allgemeinen progressiven Paralyse)を成す」(S. 6)。
三 症例の声――エジプト彫像と「神のうちなる神」
本書の生命は症例にある。第1症例、27歳の田舎教師ベンヤミン・L.の昏迷の描写。
Beim Sitzen stellte er lange ein Prototyp der steinernen Gestalten jener ägyptischen Kolossalfiguren dar: stunden- und tagelang aufrechte Haltung des Oberkörpers, Vorderarme auf die Schenkel gelegt, starr vorwärts glotzend. Gesichtsausdruck kaum schmerzhaft verzogen zu nennen, eher leer und kalt.坐位においては彼は長らく、かのエジプトの巨像群の石の姿の原型を呈した。すなわち何時間も何日も上体を直立させ、前腕を腿に置き、こわばったまま前方を見つめ続けた。表情は苦痛に歪むというよりは、むしろ空虚で冷たいものであった。
第1症例(S. 8)
同じ患者が回復期に、なぜ話さなかったのかと問われて答える――「誰が禁じたのでもありません。ただ、してはならない気がするのです(Gesagt hat es mir Keiner, aber es ist mir so, als ob ich nicht darf)」(S. 9)。後に「拒絶症」と呼ばれる現象の内側が、患者自身の言葉で、これほど早く記録されている。第2症例、農夫ユリウス・G.では、三か月の絶対的沈黙が一転して、止むことなき単調な反復言語に変わる。
Statt der absoluten Schweigsamkeit tritt ein unaufhörliches Sprechen auf, das monoton in einem engen Kreise von Worten sich ergeht, die auf Liebe und Religion Bezug haben. So z. B. einen Tag: „Liebe ist Gott, Liebe, Liebe ist Gott, Liebe, Liebe ist Gott.“ Ein ander Mal: „Gott in Gott, Gott, Gott in Gott, Gott in Liebe, Gott, Gott, Gott in Liebe, Gott in Gott u. s. w.“ … Zuweilen wurden diese Worte sehr quälend durch die Zähne vorgebracht, oder einzelne Worte wurden langsam und in getrennten Silben vorgestossen, als ob ein Mechanismus den Kranken gegen seinen Willen zum Ausstossen der Worte zwinge.絶対的沈黙に代わって絶え間ない発語が現れ、狭い語彙の圏内を単調に巡る。……ある日には「愛は神なり、愛、愛は神なり」、別の日には「神のうちなる神、神、神のうちなる神、愛のうちなる神」。時にこれらの語は歯の間から苦しげに絞り出され、あたかも一つの機構が病者の意志に反して語の放出を強いるかのようであった。
第2症例(S. 12)
第3症例、45歳の男爵夫人ミンナ・フォン・B.は、機械の騒音のような幻聴に口述筆記させられ、自分自身に二人称で語りかける――「先生に手をおあげなさい」「いまは手をお出しになってはいけません」「さようならをおっしゃい」(S. 15)。誇大的興奮期に彼女が書いた手紙を、カールバウムは一通まるごと引いている。
Sie bekommen 100 Ducaten und 100 Reichsthaler und damit ist quittirt. Der Frau von Gladitsch gehört diese und muss so gültig sein. Die Adolfine bekommt das auch. Die Puppsi bekommt das auch. Die Coelestine bekommt das auch. Der Doctor Nimrod oder Baron de Nimrod bekommt auch noch 100 Dukaten und 100 Reichsthaler. Das Louischen bekommt auch noch 200 Ducaten und 200 Reichsthaler. Der Herr Immerwahr bekommt 500 Ducaten und weiter nichts. Die Frau von Gledisch bekommt auch noch 500 Ducaten, weiter im Augenblick nichts, dann eine Kaiserin und ein Kaiser Fritz B. kann das auszahlen, weil er reich nebst Deiner und Seiner Familie ist. Baronin B., eigentlich Kaiserin von der ganzen Welt und Tochter und Schwägerin des Kaisers Fritz und Deinem Mann Baron B. und des jungen Barons Edwin B. eigentlich Kaiser von der ganzen Welt kann auszahlen und geben, was sie will und wem sie will. Ihr Kind und ihr sehr bescheidener Mann wollen Deinen Willen Kaiserin von der ganzen Welt, ob sie es mir glauben wollen oder nicht, denn der Glaube macht selig. Das sagt Fritz Baron von B. und Edwin Baron von B. und der alte Herr Kaiser von B.「あなたは100ドゥカーテンと100ライヒスターラーをお受け取りになります、これにて清算済み。これはフォン・グラディッチュ夫人のものであり、かくのごとく有効でなくてはなりません。アドルフィーネもそれを受け取ります。ププシもそれを受け取ります。ツェレスティーネもそれを受け取ります。ドクトル・ニムロトことバロン・ド・ニムロトはさらに100ドゥカーテンと100ライヒスターラーを受け取ります。ルイースヒェンはさらに200ドゥカーテンと200ライヒスターラーを受け取ります。イマーヴァール氏は500ドゥカーテンを受け取り、それ以上は何もなし。フォン・グレーディッシュ夫人もさらに500ドゥカーテンを、さしあたりそれ以上は何もなし。それから皇后と、皇帝フリッツ・B.がそれをお支払いになれます、あの方はあなたとご自身のご家族ともども裕福でいらっしゃるのだから。男爵夫人B.は――実は全世界の皇后にして、子と娘の、また皇帝フリッツと、あなたの夫バロン・B.と、若いエトヴィン・バロン・B.(実は全世界の皇帝)の義姉妹であるのだが――支払いも贈与も意のまま、望むものを、望む相手に。彼女の子とそのごくつつましい夫は、全世界の皇后たるあなたの御意志を望んでおります。私を信じてくださろうとくださるまいと。信仰は人を浄福にするのですから。フリッツ・バロン・フォン・B.とエトヴィン・バロン・フォン・B.と老皇帝フォン・B.が、そう申しております。」
第3症例(S. 15)
宛先も文法も溶けかけながら、貴族の家政の語彙と帳簿の形式だけが空転し続ける――思考の解体を、カールバウムは要約せず、原文書のまま提示する(患者名がすべて変名であることは S. 6 の脚注に明示されている)。同じ夫人は静穏期には、手にした布片を際限なく腸詰め状に捻り続け、看護者たちはこれに「男爵夫人がヴュルステルンしていらっしゃる(Frau Baronin würstelt)」という現場の口語の命名を与えた(S. 15)。薬局助手アードルフ・L.の、口唇を吻状に突き出す痙攣には「シュナウツクランプフ」の名が与えられる(S. 18)。商人ペーター・U.は、街の犬の声を機に「犬、犬、犬」と反復し始め、数か月を「煮込み肉を食べる、煮込み肉を食べるのが私の務め」で過ごした(S. 20)――そしてのちに完全に治癒した。観察の具体性と、回復例を隠さぬ誠実さ。これが本書の症例群の質である。
症候論の章に入ってすぐ、カールバウムは文献から一例を引き込む。第10症例、縊死から蘇生した囚人である(シュピールマンの診断学からの借用であることは S. 27 の脚注に出所明示される)。
Ein 25jähriger kräftiger Gefangener erhängt sich; fast unmittelbar nach Abnahme des Körpers zeigen sich Lebensäusserungen, das Bewusstsein kehrt zurück; Patient giebt, anscheinend ganz ruhig und vernünftig, die Geschichte seines Lebens und seine Motive (Lebensüberdruss) an. Am folgenden Tage ist er still und wortkarg, am dritten verstummt er. Stierer Blick, injicirte rollende Augen, Krämpfe der Schläfe-, der Kaumuskeln und der Augen, Greifen nach dem Kopfe, starres lebloses Gesicht wie eine Bildsäule. Kein sinnlicher Eindruck scheint percipirt zu werden, nur sehr starker Schall bewirkt leichte Zuckungen der Gesichtsmuskeln; er geht herum und isst, ohne Empfinden oder Begehren auszudrücken. Nach 3 Wochen wird Patient in eine Heilanstalt gebracht und nach einigen weiteren Wochen erwacht er. Er erinnert sich vollkommen der Zeit und der Umstände, die dem Hängen vorangegangen waren, bis zum Eintritte der Bewusstlosigkeit und beschreibt den lebhaften Kampf seiner Gefühle zwischen Entschluss und Ausführung und die Empfindungen im Momente des Hängens, Sausen vor den Ohren und Funkeln vor den Augen. Von diesem Augenblicke an ist alle Erinnerung seiner persönlichen Existenz bis zur Stunde seines Erwachens in der Heilanstalt verschwunden: auch die Wiederbelebung nach dem Hängen und der mehrstündige Besitz des Bewusstseins war ihm ganz unbewusst.25歳の頑健な囚人が首を吊る。身体を降ろすとほとんど直後に生命の徴が現れ、意識が戻り、患者は見たところ全く平静に、理路整然と、おのれの生活史とその動機(生への倦怠)を語る。翌日には静かで口数少なく、三日目には黙り込む。こわばった視線、回転する眼球、こめかみ・咀嚼筋・眼筋の痙攣、頭をつかむ動作、彫像のようにこわばった生気なき顔。いかなる感覚印象も知覚されていないらしく、ごく強い音だけが顔面筋の軽い痙攣を引き起こす。歩き回り、食べるが、感情も欲求も表出しない。3週間ののち患者は治療施設へ移され、さらに数週ののち、目覚める。彼は縊死に先立つ時間と事情とを意識喪失の瞬間まで完全に記憶しており、決意と実行のあいだの感情の激しい闘いを、そして縊れた瞬間の感覚――耳もとの轟音と眼前の火花――を描写した。だがその瞬間から治療施設で目覚めた時刻まで、おのれの人格的生存の記憶は消え失せている。縊死ののちに蘇生したことも、数時間にわたり意識を保っていたことさえも、彼にはまったく覚えがなかった。
第10症例(S. 27–28)
この種の症例はそれまで「原発性痴呆」(シュピールマン)「急性痴呆」(アルバース)として痴呆の項に立てられてきた。カールバウムの注釈は、本書でもっとも鋭利な数行に属する――「持続にも原因の種類にも顧慮なく、心的能力の低下ないし消失の症例をすべて一つの症候論的がらくた部屋(symptomatische Rumpelkammer)へ投げ込んで、それでいったい何が得られるというのか」(S. 28)。そして続ける。
Wir sehen nach einem Insult, dem man fast die Bedeutung eines exacten Cerebral-Experimentes beimessen kann — einer vorübergehenden Halsvenen-Unterbindung — zunächst ein kurzes Vorstadium ruhigen und scheinbar besonnenen Verhaltens, dann eine ebenso kurz dauernde Phase der Gemüthsdepression, worauf unter anfänglicher Begleitung von Reizungs-Erscheinungen seitens der Muscelnerven und zwar vorzugsweise der oberen Körperhälfte das vollendete Bild der Attonität erfolgt. Nach wenigen Wochen erfolgt dann eine Reparation mit dem eigenthümlichen Symptom einer Bewusstseins-Pause für die ganze Zeit des abnormen Zustandes.我々は見る――ほとんど厳密な脳実験の意義を認めてよい一つの侵襲、すなわち一過性の頸静脈遮断ののちに、まず平静で一見思慮ある振舞いの短い前段階が、次いで同じく短い情動抑うつの相が続き、その後、筋神経とりわけ上半身のそれの刺激現象を初期の随伴としつつ、アトニテートの完成像が現れるのを。数週ののちには修復が訪れる――異常状態の全期間にわたる意識の空白という特異な症状を伴って。
第二章(S. 28)
数分間の脳循環遮断が、数年に及ぶカタトニーの全経過――前駆、抑うつ、痙攣、アトニテート、そして意識の空白を残す回復――を数週間に圧縮して再演する。偶発事を実験として読むこの眼は、鳥類消化管の解剖学から出発した実証家のものである。
もっとも忘れがたい対話は、意外にも病理解剖の章に埋め込まれている。第17症例、33歳の税務候補生ユリウス・P.。数日の全き緘黙のあいだに、ただ一日だけ、堰を切ったように語る日が挟まれた。
Er erwidert den Gruss des eintretenden Arztes, seine Sprache klingt dabei rauh und schwerfällig; auf die Frage, ob ihm das Sprechen schwer falle, sagt er: „Ja, die Maschine, die in mir arbeitet, kommt so weit in die Höhe.“ — Welche Maschine? — „die, in der ich liege.“ — Sie liegen ja in einem Bette, und nicht in einer Maschine. — „Nein, Herr Doctor, Sie können mir glauben, es ist eine Maschine, ich fühle ja, wie sie in mir arbeitet, ich fühle ja den Schmerz in der Brust“ — „Ich habe den Schmerz nicht immer, nur wenn die Maschine arbeitet, Sie können sich selbst überzeugen.“ Schlägt die Bettdecke zurück, beugt die Beine im Hüft- und Kniegelenk, schiebt sich das Hemde bis unter die Arme in die Höhe: „So Herr Doctor, nun passen Sie nur auf, noch habe ich den Schmerz nicht — aber nun kommt er.“ … „Nur weil die Maschine so in mir arbeitet, kann ich nicht recht sprechen“ — „Weil die Maschine so arbeitet, muss ich mich verunreinigen“ — „Nur weil die Maschine so arbeitet, kann ich nicht aufstehen“ — „Die anderen Kranken liegen auch in solchen Betten, die müssen das gewiss auch fühlen“ — „Ich kann es wirklich nicht begreifen, aber es ist so“ — „In jedem Bett, in dem ich gelegen habe, habe ich die Schmerzen gefühlt“ — „Zur Bienenzucht taugt die Maschine nicht“ — „das ist eben das Schlimme, mein Vater ist Bienenzüchter“ — „Ich weiss wahrhaftig nicht, wo ich bin“ — „Was wird aus meiner Frau und meinen Kindern werden?“ — „Bezahlt mein Vater auch Alles für mich?“ — Fasst schliesslich krampfhaft die Hand des Arztes und will diesen gar nicht von sich lassen — „Bleiben Sie bei mir Herr Doctor und verlassen Sie mich nicht.“入ってきた医師の挨拶に彼は応える。声は嗄れて重い。話すのがつらいかと問われて――「ええ、私の中で働いている機械が、こう、せり上がってくるのです」。どの機械です。「私が中に寝ている機械です」。あなたが寝ているのはベッドですよ、機械ではありません。「いいえ先生、信じてください。機械なのです。それが私の中で働くのが感じられるのですから。胸の痛みだって感じるのですから」――「痛みはいつもではありません。機械が働くときだけです。ご自分でお確かめになってもいい」。掛布をはねのけ、脚を股と膝で曲げ、シャツを腋の下までたくし上げる。「さあ先生、よく見ていてください。まだ痛みは来ません――ほら、来た」。……「機械がこんなに私の中で働くから、うまく話せないのです」――「機械がこんなに働くから、身を汚してしまうのです」――「機械がこんなに働くから、起き上がれないのです」――「ほかの患者たちも同じようなベッドに寝ているのだから、きっと同じものを感じているに違いありません」――「私にはほんとうに理解できません。でも、そうなのです」――「これまで寝たどのベッドでも、私はこの痛みを感じました」――「養蜂には、この機械は役に立ちません」――「それこそが困ったことなのです。父は養蜂家ですから」――「私はほんとうに、自分がどこにいるのか分かりません」――「妻と子どもたちはどうなるのでしょう」――「父はすべてを払ってくれるでしょうか」――最後に医師の手を痙攣的に握りしめ、放そうとしない――「そばにいてください、先生。私を見捨てないでください」。
第17症例(S. 67)
翌々日の夜半、同室の患者がうめきを数回聞き、午前3時に彼は死んでいた(S. 68)。剖検は化膿性腹膜炎を見出す。「機械」の痛みは、進行しつつあった腹膜炎の実在の痛みでもあったのかもしれない――カールバウムはそう明言しないが、身体の記録を精神の記録と同じ精度で残したからこそ、150年後の読者はその問いを立てることができる。なお、本文に引いたものを含む全26症例の一覧と抄訳は、巻末の附録に収めた。
四 命名と症候論――アトニテートからヴェルビゲラチオンへ
症例群の総括(S. 21–23)でカールバウムは、痙攣・カタレプシー様の蝋様屈曲性・受動運動への強力な抵抗(「否定的意志運動 negative Willensbewegungen」――拒絶症概念の直接の前身)・運動と姿勢の常同という運動症状群が単一の源に発することを論じ、疾患名を与える。
Von diesem Symptom wird man daher auch am besten die Benennung der Krankheitsform hernehmen, und da in jedem Falle eine Abänderung in dem Spannungszustande der Musculatur oder vielmehr der betreffenden Nerven vorausgesetzt werden darf, so möchte ich diese Krankheit das Spannungs-Irresein oder vesania katatonica (Katatonia) nennen, ohne dass mit dieser Benennung über die Natur des Symptoms und der Krankheit eine bestimmte Ansicht präsumirt werden soll.それゆえ疾患形態の命名もこの症状から採るのが最善であろう。いずれの症例においても筋系の、否むしろ当該神経の緊張状態の変化が前提されてよいのであるから、私はこの疾患を緊張狂(Spannungs-Irresein)すなわち vesania katatonica(Katatonia)と名づけたい。ただしこの命名によって、症状と疾患の本性に関する特定の見解が先取りされてはならない。
第一章結語(S. 23)
強調は引用者による。命名の瞬間に埋め込まれたこの方法的禁欲――名は仮説を先取りしない――は、本書全体の認識論的品位を示すと同時に、後段で見るとおり、彼の運命の伏線でもある。症候論の章では、昏迷は「アトニテート」として定義され(「身体姿勢の硬直性、無動、うずくまって拘縮姿勢に留まろうとする性癖、感覚刺激にも心的印象にも部分的に無反応であること、時に全き緘黙、拒食、不潔」S. 17)、反復言語には新しい術語が提案される。
Es möchte sich vielleicht empfehlen für dies exquisite, und soviel ich aus meinen bisherigen Beobachtungen schliessen kann, nur der Katatonie zugehörige Symptom eine geeignete Bezeichnung zu haben. Ich schlage das Wort Verbigeration vor. Verbigeration ist also eine psychopathische Erscheinung, bei welcher der Kranke bedeutungs- oder zusammenhangslose Worte und Sätze im scheinbaren Charakter einer Rede in Wiederholung vor sich ausspricht.この際立った、そして私のこれまでの観察から推論しうる限りカタトニーにのみ属する症状に、適切な名称を与えることが推奨されよう。私はヴェルビゲラチオン(Verbigeration)という語を提案する。すなわちそれは、患者が無意味または脈絡のない語や文を、あたかも演説であるかの見かけのもとに反復して発語する精神病理学的現象である。
第二章(S. 39)
さらに躁的段階の「悲愴的・演劇的なるもの(das Pathetische)」が進行麻痺の自足的な至福感から鑑別され(S. 31–35)、身体症候としては、後頭部痛、乏血、そして肺結核の高頻度合併――進行麻痺では肺炎が死因となり結核は稀であるのに対し、カタトニー患者では経過中しばしば、時にごく早期にすら結核が出現する(S. 52–53)――が診断的価値をもつ所見として立てられる。不動による胸郭運動の制限をその媒介と見て、予防に「吸気体操」を、治療章の末尾では胸郭筋への電気刺激を提案するに至る周到さ(S. 104)は、この書物が最後まで臨床の書であることを示している。
五 定義・予後・変質論への抵抗
診断の章の冒頭に、本書の到達点である疾患定義が置かれる。
Die Katatonie ist eine Gehirnkrankheit mit cyclisch wechselndem Verlauf, bei der die psychischen Symptome der Reihe nach das Bild der Melancholie, der Manie, der Stupescenz, der Verwirrtheit und schliesslich des Blödsinns darbieten, von welchen psychischen Gesammtbildern aber eins, oder mehrere fehlen können, und bei der neben den psychischen Symptomen Vorgänge in dem motorischen Nervensystem mit dem allgemeinen Charakter des Krampfes als wesentliche Symptome erscheinen.カタトニーとは周期的に交代する経過をとる脳疾患であって、精神症状が順次メランコリー・躁・昏迷・錯乱・そして最後に痴呆の像を呈し――ただしこれら精神的全体像の一つないし複数は欠けることがある――、かつ精神症状と並んで、痙攣という一般的性格をもつ運動神経系の諸過程が本質的症状として現れるものである。
第五章(S. 87)
注意すべきは但し書きである――諸段階は「一つないし複数欠けることがある」。カールバウムの段階説は、しばしば揶揄されるような硬直した直線ではなく、最初から変異を織り込んだ枠であった。重症度による三型(軽症型 Katatonia mitis・重症型 gravis・遷延型)の区別がこれに続く。そして予後の章は、本書でもっとも強い調子で書かれている。
In Betreff der Prognose tritt die Katatonie wieder in einen Gegensatz mit der progressiven Allgemein-Paralyse mit und ohne Grössenwahn, und zwar in den erfreulichen, dass, während dieselbe bei der p. p. Paralyse als die allerschlechteste gilt und gelten muss, sie bei der Katatonie in allen Formen eine nicht schlechte ist. … und Genesungen sind überhaupt verhältnissmässig so häufig, dass der erfreuliche Gegensatz zur Paralyse, bei welcher die Genesungs-Möglichkeit sogar noch zweifelhaft ist, sofort anerkannt werden muss.予後に関してカタトニーは再び、誇大妄想を伴う/伴わない進行性全般麻痺と対立する。しかも喜ばしい対立であって、麻痺の予後が最悪とされ、またそうされねばならないのに対し、カタトニーの予後はあらゆる型において悪くないのである。……治癒は総じて比較的頻繁であり、麻痺との喜ばしい対照は直ちに承認されねばならない。
第六章(S. 93)
この宣言の直後に、カールバウムは証拠物件を差し出す――「ここで、僅か3か月で治癒に至った次の興味深い症例を、詳しく報告しておきたい」(S. 93)。第26症例、43歳の地方裁判所書記ジークムント・X.である。イースターに子を亡くした悲嘆、病気の同僚の代理という過重労働、下腿のフルンケルと発熱が重なり、12月、完全な不眠とともに発病した。不眠2日目にはや、妻は夫の「悲愴に高揚した話しぶりと、指小辞を好んで使うこと」に気づいている。夜半に呼ばれた医師が見出したのは、薄着のまま泣き叫ぶ家族に取り囲まれ、見せかけの静けさ(エクスタシス)のうちに横たわり、「血の中毒のため自分は死なねばならぬと、おのれの病気についての熟考によって確信した」と一同に厳かに宣言する患者であった。2時間の眠りののち、恍惚が来る。
„Einen solchen Schlaf habe er sein Leben lang nicht gehabt. Er sei in anderen Regionen gewesen, in einer Geisterwelt. Er wünsche seine Frau könne auch so glücklich sein.“ (Worte der Frau bei der Schilderung der Krankheitsentwickelung.) Am folgenden Tage hatte die Erregtheit noch zugenommen, er erklärte ein Wunder sei mit ihm geschehen, er sei gestorben und Gott habe ihm einen verklärten Leib gegeben und ihn auferweckt. Er brauche und wolle nun gar nicht mehr schlafen. Jene 2 Stunden Schlaf seien gerade genug gewesen, dass er nun gar keinen Schlaf mehr brauche. … als ihm ein Lavement gesetzt werden sollte, wollte er es nicht zulassen: „Sein Leib sei ein geheiligter Leib, an seinem Leibe lasse er nichts thun — das wäre eine Profanation.“「こんな眠りは生まれてこのかた一度もなかった。私は別の領域にいたのです。あれは霊の世界でした。妻も同じように幸福になれたらよいのに」(発病の経過を語る妻の言葉のまま)。翌日、興奮はさらに昂じていた。奇蹟が己に起こったのだ、自分は死に、神が浄化された身体を与えて甦らせたのだ、と。もう眠る必要も、眠る気もない。あの2時間の眠りで、もはや眠りが要らなくなるのにちょうど足りたのだ、と。……浣腸を施そうとすると、彼は拒んだ――「私の身体は聖別された身体です。この身体には何もさせません――それは冒瀆というものです」。
第26症例(S. 94)
入院後は諸相が短い周期で交代する。テタニー様の頸筋緊張のため枕から頭をわずかに浮かせたまま、両手を組み、一点を見つめて横たわるアトニテート。「ハウスオルドヌング、ハウスオルドヌング……」に始まり、多かれ少なかれ不分明な音列を経て「お父ちゃん(Väterchen)」で結ばれるヴェルビゲラチオン。全身が汗に浸るまで続く回転・屈曲性の痙攣。そして古参看守が「静かな発作(ruhiger Anfall)」と的確に名づけた、硬直したまま下顎だけが小刻みに「ぐらつく」第四の相(S. 95)。処方は阿片0.05、のち酸化亜鉛を等量合して朝夕一包、さらに阿片の倍量――4週目の初めに発作は止み、2か月の終わりに回復期病棟へ移り、3か月目の終わり、「憔悴の極みで収容された患者は、力強く血色よく」退院した。病中の記憶は不明瞭なままである。それでもカールバウムは自らの経験を恃んで退院を推した(S. 98)。そして追記する――5年後、この元患者は、知人の家族に生じた精神病者をこの施設へ移送する手配を、自ら進んで行ったのである(S. 96)。回復の証明として、これ以上のものは望めない。
長期経過の後にも治癒力が保たれること、痙攣発作もオナニーも通説に反して予後不良因子ではないこと、観察例に再発が皆無であったことが続けて論じられ、章はフランス産の流行概念への明確な抵抗で閉じられる。
Es dürfte demnach also die Katatonie vor der Subsumirung unter den leider auch schon die deutsche Literatur überfluthenden französischen Begriff der sogenannten Degenerescenz wohl noch zu schützen sein, ebenso wie die von mir aufgestellte Hebephrenie (Jugend-Irresein), was ich hier gelegentlich zur Vervollständigung der Arbeit meines Collegen Hecker bemerke.したがってカタトニーは、遺憾ながら既にドイツの文献をも氾濫させているフランス流のいわゆる変質(デジェネレサンス)概念への包摂から、なお守られるべきであろう。私の立てたヘベフレニー(青年期狂気)についても同様であり、この点を私は同僚ヘッカーの仕事の補完のためここで機会を得て付記しておく。
第六章結語(S. 99)
回復可能な脳疾患であり、変質でも宿命でもない――1874年のカールバウムのカタトニー像を、この二つの引用ほど明瞭に要約するものはない。そして強調しておくべきは、140年後にベンゾジアゼピンとECTが裏書きしたのが、まさにこの回復可能性の像だったということである――治療反応が裏書きするのは予後論であって疾患単位の実在ではない、という限定は第六章で改めて明記する。治療の章が待機療法と強壮法を説き、瀉血や発泡膏などの衰弱法を「明確に禁忌」として退け、早期の施設収容自体を「心的転換」として治癒因に数える臨床感覚(S. 100–104)も、症状に圧倒されぬ経過の医学の帰結として読める。
第四章 簒奪の力学――なぜ呑み込まれたのか
受容は敵意から始まった。ベルリンのヴェストファール、メンデル、ザンダー、ブレスラウのヴェルニッケら学界の中枢は、「カタトニー症状は多様な精神疾患に見られる二次的現象にすぎず、独立疾患ではない」と反発し、擁護者はナイサー(1887)やゾンマーら少数にとどまった[13]。クレペリンも当初は否定側におり、教科書の初期版ではカタトニーを認めなかった。転機は第4版(1893)――カールバウムの段階説を明示的に破棄しつつ「特異な疾患型」として採用し――、そして決定的には第6版(1899)である。カタトニーは破瓜型・妄想型と並ぶ早発性痴呆の三亜型の一つとなり、同時に、その中身がすり替えられた。カールバウムにおいて「あらゆる型において悪くない」予後をもった回復可能な脳疾患は、約6割が高度の荒廃に至る不治の変性過程となり、中核症状は筋緊張から「意志の障害」へ移された[7]。ブロイラー(1908・1911)がカタトニー症状を統合失調症の「副症状」へ格下げするに及んで[8]、独立性の痕跡は消えた。名は残り、単位は死んだ――ヒーリーが「マニア」について示したのと同型の、語の存続と概念の断絶である[14]。
この「すり替え」の現場を、今回原本を参照しえた教科書第8版第3巻(1913)の「内因性痴呆(Die endogenen Verblödungen)」章によって、直接示すことができる[20]。クレペリンはまずカールバウムの企図を要約し、その記述を「多くの点で見事な(in vieler Beziehung meisterhafte)」ものと認める(S. 809)。そのうえで、判決が下る。
Soweit wir es heute übersehen können, muß die Kahlbaumsche Aufstellung in gewisser Richtung als zu eng, in anderer aber als zu weit bezeichnet werden. Die spätere Erfahrung hat gelehrt, daß sich die katatonischen Krankheitszustände von den übrigen Formen der Dementia praecox nirgends scharf abtrennen lassen. Vielmehr sind nicht nur gewisse Grundzüge des klinischen Bildes jenen wie diesen gemeinsam, sondern uns begegnen einzelne katatonische Krankheitszeichen vielfach auch bei sonst durchaus abweichenden Gestaltungen der Krankheit. Da ferner in allen übrigen Beziehungen, in den Entwicklungsbedingungen, im Verlaufe und namentlich in den Ausgängen, endlich, soweit darüber heute ein Urteil möglich ist, auch im Leichenbefunde keine irgend durchgreifenden Unterschiede erkennbar sind, so dürfen wir wohl die Katatonie Kahlbaums in der Hauptsache als eine immerhin eigenartige Verlaufsform der Dementia praecox betrachten. Auf der anderen Seite werden „katatonische“ Krankheitserscheinungen unzweifelhaft auch bei manchen ganz andersartigen Krankheitsvorgängen in mehr oder weniger großer Ausdehnung beobachtet, so daß ihr Auftreten allein den Schluß auf das Vorliegen einer Katatonie im soeben bezeichneten Sinne nicht rechtfertigt. Nach dieser Richtung hin müssen wir demnach den genannten Begriff dahin einschränken, daß ihm nur solche Krankheitsfälle angehören, denen der Krankheitsvorgang der Dementia praecox zugrunde liegt.今日われわれの見渡しうるかぎり、カールバウムの立てた概念は、ある方向では狭きに失し、別の方向では広きに失すると言わねばならない。その後の経験が教えたのは、カタトニー性の疾患状態は早発性痴呆の他の諸型から、どこにおいても鋭く切り分けられない、ということである。むしろ臨床像のある種の基本特徴が彼我に共通であるのみならず、個々のカタトニー性の疾患徴候は、その他の点ではまったく様相を異にする病像においても、しばしばわれわれの前に現れる。さらに、他のあらゆる点――発病条件においても、経過、とりわけ転帰においても、最後に、今日判断が可能なかぎりでは剖検所見においても――なんら決定的な差異が認められない以上、われわれはカールバウムのカタトニーを、要するに、それでもなお特異な、早発性痴呆の一経過型と見なしてよいであろう。他方で「カタトニー性」の疾患現象は、まったく種類を異にする疾患過程においても程度の差はあれ広く観察されることは疑いなく、したがってその出現のみをもって、いま述べた意味でのカタトニーの存在を推論することは正当化されない。それゆえこの方向においては、当の概念を、早発性痴呆の疾患過程がその根底にある症例のみがこれに属する、というように制限しなければならない。
Kraepelin, Psychiatrie, 8. Aufl., Bd. III(S. 809)
疾患は「経過型」へ降格され、しかも概念は循環的に再定義されている――早発性痴呆の過程が根底にある症例だけが、以後「カタトニー」と呼ばれる資格をもつ。独立性は反駁されたのではなく、定義の水準で消去されたのである。ついで、カールバウムの構成の核であった段階経過が「枠組」へ格下げされ、疾患像の重心が移される。
Der Verlauf der Katatonie in den oben angegebenen einzelnen Abschnitten ist, wie schon Kahlbaum selbst mitgeteilt hat, kein unverbrüchlicher, sondern er stellt nur gewissermaßen den allgemeinen Rahmen dar, in den sich auch die abweichenden Beobachtungen ungefähr einpassen lassen. Die eigentlich kennzeichnenden Zustandsbilder sind vielmehr die „Manie“ Kahlbaums, die wir heute besser als katatonische Erregung bezeichnen, und der Stupor. Ich glaube daher als katatonische Formen der Dementia praecox diejenigen Fälle zusammenfassen zu dürfen, in denen die Verbindung der eigenartigen Erregung mit dem katatonischen Stupor das klinische Bild beherrscht.上に挙げた個々の区分をたどるカタトニーの経過は、カールバウム自身すでに述べているとおり、不変のものではなく、いわば、そこから外れる観察例をもおおよそ嵌め込むことのできる一般的な枠組を示すにすぎない。本来この病を特徴づける状態像はむしろ、カールバウムの言う「躁」――今日ではカタトニー性興奮と呼ぶ方がよい――と、昏迷である。それゆえ私は、この特有の興奮とカタトニー性昏迷との結合が臨床像を支配する症例を、早発性痴呆のカタトニー型として総括してよいと考える。
Kraepelin, Psychiatrie, 8. Aufl., Bd. III(S. 810)
そして最後に、症例たちの運命そのものが書き換えられる。カールバウムが治癒と呼んだものは、第8版の語彙では「治癒に等しい軽快」である。
Der gesamte Verlauf der katatonischen Formen ist ein sehr mannigfaltiger, wie schon aus der bisherigen Schilderung hervorgeht. Er gestaltet sich dadurch noch wechselvoller, daß in etwa ⅓ der Fälle weitgehende, bisweilen der Heilung gleichende oder sehr nahekommende Besserungen aller Krankheitserscheinungen auftreten, am häufigsten, wie es scheint, bei den mit einem Depressionszustande beginnenden Fällen. Die Dauer dieser Besserungen ist sehr verschieden, beträgt am häufigsten ungefähr 2—3 Jahre; es kommen aber auch solche vor, die 9, 10, 12, 13, 14, 16 Jahre anhalten; ja, einmal lagen zwischen dem ersten und dem zweiten, zur Verblödung führenden Krankheitsanfalle 29 Jahre. … In den Endzuständen überwogen bei weitem die Verblödungen mit den Erscheinungen des Negativismus und der Manieriertheit. … Im ganzen müssen wir die katatonischen Formen wegen der Häufigkeit tiefer Verblödung zu den ungünstigeren Gestaltungen der Dementia praecox zählen, während vorübergehende Besserungen etwas häufiger sind, als im Durchschnitte aller hier berücksichtigten Beobachtungen.カタトニー型の全経過はきわめて多様であって、それはこれまでの記述からすでに明らかである。しかも約3分の1の症例では、あらゆる疾患現象の広汎な、時に治癒に等しい、あるいはそれにきわめて近い軽快が出現する――最も多いのは、どうやら抑うつ状態で始まる症例においてであるらしい――ため、経過はいっそう変転に富むものとなる。これらの軽快の持続はまちまちであり、最も多いのはおよそ2〜3年であるが、9年、10年、12年、13年、14年、16年と続くものもあり、それどころか一度など、最初の発作と、痴呆化に至る第二の発作とのあいだに、29年が横たわっていた。……終末状態においては、拒絶症と衒奇症の諸現象を伴う痴呆化が圧倒的に優勢であった。……全体としてわれわれは、カタトニー型を、深い痴呆化の頻度のゆえに、早発性痴呆のうちでも予後の不良な形態に数えなければならない。もっとも一過性の軽快は、ここで考慮した全観察例の平均よりいくらか多いのであるが。
Kraepelin, Psychiatrie, 8. Aufl., Bd. III(S. 831–833)
この三つの文のうちに、「変質」の全機構が読める。回復は「治癒に等しい軽快(der Heilung gleichende Besserungen)」へと再命名され、発作間隔が29年に及ぶ観察さえ「同一疾患過程の長い休止と再燃(ein langes Ruhen und Wiederaufflackern des gleichen Krankheitsvorganges)」として概念の内部に回収される(S. 832)。この語彙のもとでは、回復の報告は原理的に反証不可能である――いまだ再燃せざる軽快と、治癒とを、生前に区別する手段はないからである。カールバウムが5年後の消息まで確かめて治癒の証明とした第26症例(S. 96)は、この体系の中では、いまだ痴呆化に至らざる中間報告の地位しか与えられない。同じ数頁のうちで、出発点の「驚愕性メランコリー」もまた解体されている――昏迷の動因を不安に求める古い読みは、「威嚇にも、突きつけられた刃にも、眼前に迫る針先にも患者は動じない」という観察によって棄却された(S. 831)。カールバウムの用語(拒絶症・衒奇症・ヴェルビゲラチオン)はそのまま保存されながら、単位と予後と解釈だけが差し替えられる――簒奪とは、この選択的相続の別名である。
判決文の評価には、しかし、公平の一句を添えねばならない。第一文の冒頭――「今日われわれの見渡しうるかぎり(Soweit wir es heute übersehen können)」――は空疎な決まり文句ではない。クレペリンは断定としてではなく、当時の観察の及ぶ範囲を明示した作業仮説として併合を行っているのであり、この留保は彼の認識論的誠実の徴と読むべきである。しかも忘れてならないのは、第4版(1893)から第6版(1899)に至る時期、早発性痴呆の概念そのものがなお形成途上にあり、その外延が版ごとに動いていたことである。経過と転帰を基準とする分類の内部で、荒廃へ向かう若年発症の経過群という枠がひとたび立てられたとき、彼の症例系列が示すカタトニー像の多くをそこに置く以外の選択肢は、実際上ほとんど存在しなかった。そして、カタトニーの「本籍」が統合失調症圏にあるという判断そのものは、クレペリンの回し者ではありえない二人の証人――エー(「統合失調症的ないし破瓜病的意識の一形態」、第五章)と、ICD-11のCDDR(持続性カタトニアについての統計的言明、第六章)――が、のちにそれぞれ独立に追認するところである。したがって本稿が問うのは、併合の判断が当時の材料に照らして不合理であったか否かではない。回復の報告を原理的に反証不可能な語彙へ書き換えたこと、そして単位の消去が反駁ではなく定義の水準で遂行されたこと――簒奪の力学とは、この操作の力学である。
なぜこうなったのか。単一の答えはないが、四つの軸が絡み合っている。
第一に、制度。カールバウムは大学の外の人であった。講座も、学生も、学派も、機関誌ももたない私立施設長の主張は、それ自体としては学界に浸透する経路を欠く。対するクレペリンの武器は、版を重ねる教科書という、19世紀末に成立した新しい権力形態であった。教科書は改訂のたびに学界の合意を再定義し、世代ごとの読者を作り直す。ハイデルベルクとミュンヘンの講座、アシャッフェンブルクからヤスパースに至る弟子の系列、そして九版に及ぶ教科書――この装置の前で、ゲルリッツからの単発の単行本に勝ち目はなかった。しかも本人が寡作であった。膨大な資料を持ちながら公刊せず、ヘッカーへの委託も許さなかったというクラームの指摘[5]は、黙殺が一方的な暴力ではなく、沈黙との共犯でもあったことを示している。
ただし、制度の軸を教科書という装置だけで語るのは半分にすぎない。エングストロームが詳述したとおり、グリージンガーが1860年代のベルリンで構想した都市大学クリニックと収容施設との機能的統合――急性期を大学が観察し、長期経過を郊外のアンシュタルトが引き受け、症例が記録とともに両者のあいだを移動する体制――は、諸邦の文部・内務行政を相手取る数十年がかりの行政的・政治的事業であり、世紀末のドイツ大学精神医学はその達成の上に立っていた[25]。クレペリンがハイデルベルクとミュンヘンで運用した計数カード(Zählkarten)による診断と転帰の系統的追跡も、ポリクリニックとアンシュタルトのこの連携なしには成立しない。すなわち、経過と転帰による分類が判決を下すための法廷――発症から転帰までを見通す観察体制そのもの――を建設したのは、ほかならぬクレペリンとその制度的前提だったのである。ゲルリッツの私立保養院は、観察の精度と持続では大学を凌ぎえても、この規模を持たなかった。簒奪論は、この達成を値切ることによってではなく、それを正当に計量することによって、はじめて強くなる。
第二に、概念。カールバウムの段階説――メランコリーから躁、昏迷、錯乱を経て痴呆へ――は、ツェラー=グリージンガー流の単一精神病論の枠組を色濃く残していた[17]。1890年代、単一精神病論そのものが信用を失うと、段階説はカタトニー概念の最も攻撃されやすい側面となり、クレペリンは第4版でまさにここを破棄することで、残りを接収する通路を開いた。皮肉というほかない――カールバウム自身は命名に際して「本性に関する特定の見解を先取りしない」と明記していたのに(S. 23)、彼の疾患は段階説もろとも評価され、段階説もろとも解体されたのである。
第三に、認識論。これが最深の層である。経過と転帰による分類という方法を採る限り、単位の妥当性は転帰の統計によって裁かれる。クレペリンがカタトニーを早発性痴呆に併合した根拠は、彼の症例系列において緊張病像の多くが荒廃に至ったという転帰観察であった。つまりクレペリンは、カールバウムの方法によってカールバウムの単位を裁いた。方法の創始者は、方法の法廷で敗訴したのである。この過程を、のちにヤスパース自身が「カールバウムの思想の実り豊かな領有」と、名指しで記録することになる(第五章)。だがこの判決には、今日から見れば明白な瑕疵がある。転帰は施設と時代の函数であり、治療をもたぬ収容環境の転帰統計は、疾患の自然史ではなく放置の自然史を測る。カールバウムがアヘン漸増と待機療法で治癒させた郡書記(第26症例、S. 93)と、クレペリンの荒廃統計とのあいだにあるのは、疾患の差ではなく、観察の場の差であったかもしれない。ただし公平のために言えば、観察の場の差は両方向に働く。ゲルリッツの保養院は支払い能力のある階層の患者を選択的に受け入れる施設であり、「あらゆる型において悪くない」予後もまた、その観察の場の函数でありえた。転帰統計への疑いは、彼我いずれの数字も免れないのである。ロラゼパムとECTの時代が回復させたのは、いずれにせよ、放置の統計が閉ざした回復可能性である。
第四に、偶然。クラームの結語が示すとおり、カールバウムの価値を認めた二人の大立者のうちヴェルニッケは1905年に事故死し――テューリンゲンの森を自転車で走行中に転倒し、木材運搬の荷馬車(Holzfuhrwerk)に轢過されたと伝えられる[21]――、対抗軸は消えた。カールバウム自身の死(1899年四月)と第6版の刊行が同年に重なったことも、反論の機会を永遠に奪った。歴史に法則を求めすぎてはならない――百年の幽閉には、自転車事故と糖尿病性昏睡という、まったく偶然の二つの死が関与している。
第五章 哲学的照明――ヤスパースの「理念」とエーの「構造」
簒奪の物語を、二人の哲学的精神科医の高度から見直すと、別の相貌が現れる。
一 ヤスパース――理念となった単位、現象学に生き残る記述
ヤスパース『精神病理学総論』の疾病分類論(第四部「疾患単位の総合(ノゾロギー)」英訳 pp. 564–570)は、カールバウム=クレペリン的な疾患単位の企図そのものを認識論的に査定した章である[9]。そこでヤスパースはまず、カールバウムが「二つの根本要求」――疾患単位の定式化にとって最も重要なのは精神疾患の経過の全体であること、そして包括的な臨床観察が与える精神病の全体像に立脚すべきこと――を立て、経過という新しい観点を従来の三観点に付け加えると同時に、対立していた諸観点を疾患単位の構築のために協働させた、と要約し、『緊張病』を脚注に指示しつつその「古典的な一節」を長々と引用する(p. 566)。今回、両原本によりこの要約の典拠を確認できた――二要求の1863年原文は『群別』S. 63 の方法綱領の一文(第二章に訳出)であり、「古典的な一節」として引かれているのは『緊張病』序文の方法宣言(S. V–VI、第三章冒頭に訳出)である。そして受容史を一文で片づける――「カールバウムの諸思想は、クレペリンに取り上げられ宣伝されるまで、ほとんど影響をもたなかった」。クレペリンの教科書の版の変遷は「カールバウムの思想の実り豊かな領有(the fruitful appropriation of Kahlbaum's ideas)」の記録である、と(p. 566)。簒奪(第四章)は、当代最大の方法論者によって、名指しで公認されていたのである。
だが章の帰結は、両者の企図そのものの査定へ進む。「この方法によって、実在の疾患単位はひとつも発見されなかった」(p. 567)。そして有名な一節が来る。
Die Idee der Krankheitseinheit läßt sich in irgendeinem einzelnen Falle niemals verwirklichen. Denn die Kenntnis des regelmäßigen Zusammentreffens gleicher Ursachen mit gleichen Erscheinungen, Verlauf, Ausgang und Hirnbefund setzt eine vollendete Kenntnis aller einzelnen Zusammenhänge voraus, eine Kenntnis, die in einer unendlich fernen Zukunft liegt. Die Idee der Krankheitseinheit ist in Wahrheit eine Idee im Kantischen Sinne: der Begriff einer Aufgabe, deren Ziel zu erreichen unmöglich ist, da das Ziel in der Unendlichkeit liegt; die uns aber trotzdem die fruchtbare Forschungsrichtung weist und die ein wahrer Orientierungspunkt für empirische Einzelforschung bedeutet.疾患単位の理念は、いかなる個々の症例においても、決して実現されえない。というのも、同じ諸原因が同じ諸現象・経過・転帰・脳所見と規則的に合致するという認識は、あらゆる個別的連関についての完成された知識を前提とするのであって、それは無限に遠い未来にある知識だからである。疾患単位の理念とは、実のところ、カント的意味における理念である。すなわち、目標が無限のうちにあるがゆえにその到達が不可能である課題の概念でありながら、それにもかかわらず我々に実り豊かな研究の方向を指し示し、経験的個別研究にとっての真の方位点を意味するものである。
Jaspers, Allgemeine Psychopathologie(S. 476;英訳 pp. 569–570)
そして頁を繰った先で、この査定は本稿の主人公の名に触れる。
Die Idee der Krankheitseinheit ist keine erreichbare Aufgabe, aber der fruchtbarste Orientierungspunkt. In dieser Idee, die tatsächlich das wissenschaftliche Forschen in beispielloser Weise in Bewegung gesetzt hat, gipfelt das psychopathologische Streben. Diese Idee erfaßt zu haben, ist Kahlbaums, sie zur Wirksamkeit gebracht zu haben, ist Kraepelins Verdienst. Der Irrtum aber beginnt da, wo statt der Idee der Schein der erreichten Idee gegeben wird, wo statt der Einzelforschung fertige Schilderungen von Krankheitseinheiten gegeben werden, wie von der Dementia praecox und vom manisch-depressiven Irresein. Man kann voraussagen, daß solche Schilderungen, da sie immer Unmögliches leisten wollen, auch immer falsch sind und als tote Gebilde liegenbleiben.疾患単位の理念は、到達可能な課題ではない。しかし、最も実り豊かな方位点である。現実に科学的探究を比類なき仕方で起動させてきたこの理念のうちに、精神病理学の努力は頂点に達する。この理念を把握したことはカールバウムの、それを実効あらしめたことはクレペリンの功績である。だが誤謬は、理念の代わりに「到達された理念」の見せかけが与えられるところに始まる——個別研究の代わりに、早発性痴呆や躁うつ性精神病についてのそれのような、疾患単位の完成した記述が与えられるところに。そのような記述は、つねに不可能事を成し遂げようとするものであるがゆえに、つねに誤りでもあり、死せる構築物として取り残されるであろうと、あらかじめ言うことができる。
Jaspers, Allgemeine Psychopathologie(S. 477)
把握はカールバウムに、実効化はクレペリンに——一文のうちに配された二人の位置は、本稿第四章の簒奪史を、認識論の高度から要約している。しかも「誤謬」の名指しは、正確にクレペリンの側の操作——理念の代わりに流通させられた「到達された理念の見せかけ(Schein der erreichten Idee)」、すなわち完成した疾患記述——へ向かう。この構えは総論の序論部ですでに予告されていた――「科学はつねに何らかの統一的全体の理念に導かれねばならないが、安易な先取りによってその全体自体を掴もうと誘惑されてはならない」(p. 30)。
この査定をカタトニーの運命に当てはめれば、こう言える――カールバウムの過ちは疾患単位を求めたことではなく、それを手に入れたと考える読者(支持者も批判者も)を得てしまったことにある。単位が実在物として立てられた瞬間、それは反証と併合の標的になる。理念として保持されていたなら、カタトニーは「研究を導く見通し」として、統計の一撃で殺されはしなかったであろう。クレペリンの第6版は一つの理念を別の理念で置換したにすぎないのに、教科書という装置がそれを実在の判決として流通させたのである。そして見落とすべきでないのは、単位の解体者ヤスパース自身の症候論のなかで、カールバウムの記述が生き続けていることである――精神病性運動障害の節は「ある種の患者をエジプトの彫像に比した」カールバウムの形象をそのまま引き(英訳 p. 181)、言語障害の節はヴェルビゲラチオンを彼の術語として保存し(p. 192)、行動記述の節は『緊張病』S. 31 以下を脚注に指示する(p. 276)。単位は理念へ昇華され、記述は現象学の中へ生き残る――カールバウムはヤスパースのうちに、二度、別の仕方で存続している。
二 サンタンヌの手写本――1942年のカールバウム
エーを論じる前に、一つの物証を提示したい。ガリカ電子図書館に、サンタンヌ病院アンリ・エー文庫由来の一冊の手稿が収められている。標題紙には手書きで「Klinische Abhandlungen über Psychische Krankheiten / von Dr. Karl Kahlbaum / I. Heft / Die Katatonie / Berlin, 1874. Verlag von August Hirschwald」――すなわち『緊張病』の、扉から本文までを一字一字書き写した全文手写本である[18]。筆記は読みやすいラテン筆記体で、照合しうるかぎり印刷本と逐語一致する(第一章冒頭 S. 3–6、「Baillargers mélancolie avec stupeur」の一句に至るまで)。そして冒頭の遊び紙に、エー自身の手で斜めに書き付けられた注記がある――判読しうるかぎりで、「この手稿は……入院患者[人名判読未確定]によって筆写された……ドイツ語の原本は入手不能……占領下……サンタンヌにて、1942年!」、署名「H. Ey」[18]。エー自身の筆跡が難読をもって知られた(秘書にしか読めなかったと伝えられる)ことを思えば、この端正な筆写体との対照もまた印象深い――筆写がエーの手ではなく、注記の言うとおり施設内の協力者の手になることの、筆跡上の傍証でもある。
つまり――ドイツの学界がカールバウムを黙殺し、その概念が統合失調症の亜型として幽閉されていた百年のただなかで、占領下のパリの精神科医は、入手不能となった70年前のドイツ語の単行本を、施設の内部で手ずから筆写させてまで、読もうとしていた。黙殺の歴史のいわば裏面に、これほど雄弁な「読まれていた」ことの物証は他にあるまい。そしてこの筆写(1942)の8年後に、エーのカタトニー論(1950)が公刊されるのである。
三 エー――「疾患の観念から症状の観念へ」の80年、そして構造へ
『精神医学研究』第II巻の第10研究「カタトニー」(1950、原書 pp. 69–162)は、その歴史節の冒頭にカールバウムを置く――「1874年、特殊な運動性の症状複合によって定義される自律的疾患――彼の眼には進行麻痺と対称形をなすべきもの――の分離を試みたのはカールバウムである」。エーの評価は最大級である。カールバウムの「カタトニアの堂々たる記述(la magistrale description de la « Katatonia »)」はフランスでは今なお知られていないが、「それこそがカタトニーのあらゆる臨床像と病因理論の起源にして中心(à l'origine et au centre de tous les aspects cliniques et des théories pathogéniques de la catatonie)」なのだ、と(p. 70)[10]。ついで受容史が三段で要約される――疾患としてのカタトニー(カールバウム)、他の疾病分類学的実体への統合(クレペリンは「浮動するカタトニー概念を奪取し(s'empara)早発性痴呆の枠に置いた」)、そして神経学的運動症候群説。セグラとシャランの早い診断が引かれる――「これは真の疾患というより、むしろ一つの症候群である」(1888)。エーはこの80年を「疾患の観念から症状の観念へ辿られた道」(p. 73)と総括する――本稿第四章の簒奪史の、フランスからの独立の確認である。
ではエー自身はどこに立つのか。結論部の定式はこうである――カタトニーは自律的疾患でも明確な症候群でもなく、「行動の退行の一形態であり、その形態の諸段階と経過は、器質的に規定された精神病理学的構造――カタトニーはその断片ないし一側面にすぎない――に依存する」(p. 157)。それは精神運動機能の「大域的・尖端的解体」による「神経学的水準ではなく精神医学的水準の障害」である(pp. 160–161)。そしてカールバウムの最初の希望への、静かな訣別の一文が置かれる。
Nous sommes bien loin de l'idée première de KAHLBAUM qui espérait que, quelque jour, sa description correspondrait à une entité comme ce fut le cas pour la paralysie générale.いつの日か自らの記述が、進行麻痺がそうであったように、一つの疾患単位に対応するであろうと望んだカールバウムの最初の考えから、我々はすでに遠く隔たっている。
Ey, Études psychiatriques, t. II, Étude n° 10(p. 159)
四 「解体」はどこまで及ぶのか――意識解体の尺度上のカタトニー
「解体(dissolution)」の一語は、ここまで比喩のように響いたかもしれない。だがエーの体系においてこれは厳密な技術的概念である。ジャクソンが神経系について立てた進化と解体の理論を精神医学の全域へ移植したエーの器質力動論(organodynamisme)は、精神生活を、自動的なものの上に意志的なものが、無意識的なものの上に意識的なものが積み上がる統合の階層として把握し、精神疾患をこの階層の上位機能が崩落する事態として――すなわち、高次統合の喪失という陰性の側面と、それまで統合され抑制されていた低次の自動性の解放という陽性の側面との不可分の一体として――定義する。病像を決定するのは病因の種別ではなく、解体がどの水準まで達したかである。この理論の全体像――とりわけ、意識混濁を伴う急性精神病として現れる対物意識野の解体(睡眠と夢を自然モデルとする夢幻的系列)と、意識清明のまま人格の統合が段階的に侵される自我意識の解体(性格異常から神経症・パラノイア・統合失調症性妄想・痴呆へ下降する慢性の系列)という二軸の見取り図――については、本紀要のフーコー批判別稿に解説を与えたので参照されたい[22]。ここで確認すべきは、この尺度の上でカタトニーがどこに、どの深さで位置づけられるかである。第10研究の答えは三重になっている。
第一に、カタトニー性の反応そのものは、単一の水準に固定されない。結論部の疾病分類論は、カールバウムがカタトニーに固有と数えた諸徴候がクレペリンの早発性痴呆=ブロイラーの統合失調症に高頻度で属することを認めたうえで、「すべてのカタトニーがこれらの精神病の症状であるとは限らない!」と続け、次の一文を置く。
Les réactions catatoniques se rencontrent en effet du haut jusqu'en bas de l'échelle des niveaux de dissolution que représentent les névroses et les psychoses. Qu'il s'agisse des manifestations motrices de l'hypnose, de la catalepsie hystérique, et même de certains comportements symboliques de nature obsessionnelle au niveau des psychonévroses, de formes catatoniques des psychoses maniaco-dépressives, des stupeurs confusionnelles à forme catatonique ou encore des états catatoniques démentiels, à des degrés divers sous des formes différentes et surtout intégrés à un ensemble de troubles qui lui donnent une physionomie propre, la catatonie se rencontre dans toute la série des psychoses, soit que prédominent aux niveaux les plus élevés, les attitudes théâtrales, les bizarreries de gestes et de mimique, les comportements complexes et significatifs, soit que prévalent l'inertie motrice, la catalepsie, la répétition et les mouvements automatiques.カタトニー性の反応は、実際、神経症と精神病が表す解体水準の尺度の、上から下までの全域にわたって見出されるのである。催眠の運動性の現れであれ、ヒステリー性カタレプシーであれ、さらには精神神経症の水準における強迫的性質のある種の象徴的行動であれ、躁うつ病のカタトニー形、カタトニー形の錯乱性昏迷、あるいはさらに痴呆性のカタトニー状態であれ――さまざまな程度において、異なる形態のもとに、そして何より、それに固有の相貌を与える障害の総体へ統合されて――カタトニーは精神病の全系列に見出される。最も高い水準においては演劇的な態度、身振りと表情の奇矯、複雑で有意味な行動が優位を占め、あるいは運動の無力、カタレプシー、反復、自動運動が優勢となるのである。
Ey, Études psychiatriques, t. II, Étude n° 10(p. 159)
カールバウムの単位は反駁されたのではない――尺度に沿って、いわば垂直に引き延ばされたのである。単一の水準に住所をもたぬものは疾患単位ではありえない。これが、先に引いた訣別の一文(「我々はすでに遠く隔たっている」)の理論的根拠にほかならない。
第二に、それでも「典型的」カタトニーには固有の住所がある。同じ結論部はこう断じている――カタトニーは厳密には症候群ですらなく、「時にカタトニー症候群として――『真のカタトニー』として――記述されていると信じられているものは、統合失調症的ないし破瓜病的意識の一形態(une forme de la conscience schizophrénique ou hébéphrénique)にほかならない」(p. 158)。後年の主著『意識』(1963)で確立される二軸の図式に照らして言い直せば、典型的カタトニーの本籍は慢性の軸、すなわち自我意識=人格の解体の側にあり、意識混濁を底とする対物意識野の解体の系列(錯乱=夢幻状態)には属さない――現に第10研究は冒頭の定義で、昏迷症候群一般と「運動性」・筋緊張の障害とをカタトニーの記述から明示的に除外している(p. 69)。では発作のさなか、カタトニー患者の意識野そのものはどうなっているのか。臨床篇の「意識野の組織化」の節(pp. 92–94)が与える記述は、精妙をきわめる。
La conscience se trouve pour ainsi dire figée et transie ; elle reflète seulement, sans l'élaborer dans des synthèses pratiques, la germination d'images et de sensations qui glissent dans sa pénombre. L'écart qui, normalement, sépare la pensée du mouvement semble ici aminci jusqu'à s'abolir.意識はいわば凍りつき、かじかんでいる。それは、その薄明のなかを滑ってゆく形象と感覚の萌芽を、実践的な総合へと仕上げることなく、ただ映すだけである。常態において思考を運動から隔てている間隔が、ここでは消失に至るまで薄められているように見える。
Ey, Études psychiatriques, t. II, Étude n° 10(p. 93)
エーはこの状態を、バリュックの「不在」「半不在」、ドイツ語の「ベノメンハイト(Benommenheit)」、カール・シュナイダーの入眠時意識との近接、エレンベルガーの定式「明晰と夢の状態との逆説的混合(un mélange paradoxal de lucidité et d'état de rêve)」によって重層的に規定する(pp. 92–94)。すなわちカタトニー性意識は、混濁の底(錯乱=夢幻状態)まで沈んでいるのではなく、覚醒と夢のあいだの中間帯で凍結している。バリュックが数えた特徴の第一が「指向的思考の不可能にもかかわらず、固定記憶は通例保存される」であること(p. 92)は、回復した患者が己のカタトニーを「夢から覚めるように」物語りうる事実と表裏をなす――ただしエレンベルガーの言うとおり「完全な昏迷から驚くべき明晰まで、あらゆる中間段階が見出される」(p. 93)。カールバウム自身の症例群が、5年の緘黙ののち回復して定型的質問を繰り返した第14症例と、異常状態の全期間にわたる「意識の空白」を残した第10症例(縊死蘇生例)との両極を含んでいたことを、この尺度は初めて一つの連続体の上に置くのである。
第三に、深さはカタトニーの内部でも変数であり、しかもこの変数には下限がある。病因論の結論部の一文――
La structure kinétique de la catatonie dépend dans ses modalités particulières des fonctions correspondant au niveau de dissolution dont elle est l'expression : plus profonde est la dissolution et plus la catatonie tend à se confondre avec les troubles proprement moteurs.カタトニーの運動的構造は、その個別の様態において、それが表現するところの解体水準に対応する諸機能に依存する。すなわち、解体が深ければ深いほど、カタトニーは本来の運動障害と混じり合う傾向を強めるのである。
Ey, Études psychiatriques, t. II, Étude n° 10(p. 160)
解体の過程がより深く原始的な層を解放するにつれ、カタトニーは運動調節の階層のより低い機能複合を参加させてゆく。ではその極限で、カタトニーは「前頭葉症候群」「錐体外路症候群」「自動症」、あるいは「除脳硬直」「パーキンソン性筋強剛」の形をとるに至るのか。エーの答えは明確な否である――カタトニーは「この水準に触れるときでさえ、一つの精神病の進展の一側面・一位相、すなわち尖端的・精神医学的解体の一位相にとどまるのであって、基底的運動機能の部分的崩壊ではない」(p. 160)。ある種のカタトニーがもつ固有に「運動的」な性格は「過程の持続によって獲得されたものであり、原発のものではない」というバラオナ・フェルナンデスの観察が、ここで援用される(p. 160)。要するに、エーにおいてカタトニーの解体は頂点(apex)から始まり、全体を巻き込みながら下降するが、底に達して神経学へ変わる一歩手前で、定義上、止まる。「どの程度までの解体か」という問いへの第10研究の答えを一行に約めれば、こうなろう――大域的(globale)かつ尖端的(apicale)であり、そのかぎりにおいて、決して基底(base)には届かない解体、である。
五 精神症状と神経学的症状――道具の障害と構造の障害
カタレプシー、蝋様屈曲、筋強剛、常同、反響現象――カタトニーの症候目録は、一見してそのほとんどが神経学の言語で書かれている。だからこそ受容史の第三段階、すなわちエー自身が歴史節に整理した「神経学的運動症候群としてのカタトニー」説が成立しえた。ヴェルニッケはカタトニーを「運動性精神病(psychoses de la motilité)」の一典型に数え、フランスでは「ディドとギローがこの構想の闘士となった」(p. 72)。ギローはマニエリスムをミオクロニー・舞踏病・アテトーゼとの類比で「神経学的平面へ引き戻し」、クライストは両側性で自我の病理に統合された精神運動障害を、しばしば片側性で自我に疎遠な「筋緊張異常(アミオスタティック)」障害から区別しつつ、なおカタトニーを「大づかみには」――運動自動症の圏域ではなく本能の圏域に関係する――脳幹の症候群と見なした(pp. 115–116)。エーはこの百年の論争の全体を貫く対立の正体を、病因論の総括で名指ししている。
… il y a un conflit « latent », celui qui oppose les théories neurologiques de la catatonie, c'est-à-dire celles qui défendent sa nature « élémentaire », « basale », « amyostatique », ou encore « éréismatique », dirait W. R. Hess, et ceux qui identifient le comportement catatonique à une dissolution globale et apicale de l'activité psychomotrice supérieure de la « téléocinésie », pour reprendre une autre expression de W. R. Hess.かくして、これら「顕在的」な論争の下には、一つの「潜在的」な抗争がある。すなわち、カタトニーの「要素的」「基底的」「筋緊張異常的」、あるいはW・R・ヘスの言葉では「支持運動的(éréismatique)」な本性を擁護する神経学的諸理論と、カタトニー性の行動を、同じくヘスの表現を借りれば「目標運動(téléocinésie)」の上位精神運動活動の大域的かつ尖端的な解体と同定する人々とを、対立させる抗争である。
Ey, Études psychiatriques, t. II, Étude n° 10(p. 150)
同じ頁の脚注は、ヘスの研究が「『運動性(Motorik)』と『精神運動性(Psychomotrizität)』のあいだ、筋静力学的平面と精神運動的平面のあいだ――我々の言い方をすれば、神経学と精神医学のあいだ――に決定的な区別を置き続けている」と註記し(p. 150, n. 1)、結論部に付された脚注は、エー自身の立場をほとんど誓言の調子で要約する――「(クライストやバリュックとともに)『精神運動的』、(ヘスとともに)『目標運動的』と言うべきであって『筋緊張異常的』ではない。いま一度、倦むことなく明確にしておこう――『神経学的』であるよりも『精神医学的』である、と」(p. 157, n. 4)。第10研究がその冒頭の定義でカタトニーを「精神運動障害(troubles psychomoteurs)の複合体」と規定し、「運動性」と筋緊張の障害とを記述から除外していたこと(p. 69)は、この立場の予告であった。
そしてこの立場そのものが、第10研究の場での即興ではない。エーはそれを、占領下の1943年9月14–15日、みずからの拠点ボンヌヴァル精神病院に神経学者アンリ・エカンと神経精神科医ジュリアン・ド・アジュリアゲラを迎えて開いた討論会の冒頭で、綱領として定式化していた(刊行は1947年)[23]。神経学と精神医学の関係は心的機能と脳の関係の問題としてしか定義できないとしたうえで、エーはデカルト的二元論の枠内の二つの解——心的機能は脳の専門機能にすぎない(ゆえに精神医学は神経学の一部門である)とする解と、心的機能は器質的機能と根本的に異質である(ゆえに精神医学は神経学と無関係である)とする解——のいずれにおいても「精神医学は存在しない」と切り出し、関係生活の機能を二つの平面に分かつ。道具的機能(fonctions instrumentales)——感覚運動的・初等的心的機能。「特異的かつ形態学的に脳に書き込まれて」おり、大脳局在の概念によって秩序づけられる——と、上位=エネルギー的機能——人格的な心的生活を組織し有機体の反応の全体を指揮する諸活動。「おそらくは間脳性の」エネルギー中枢ないし拡散系に依存し、心理学的緊張の概念によって秩序づけられる——である(pp. 11–12)。前者の病理は「機能的脱統合」であり、部分的(一部の機能の欠損が他の機能の無傷と対照をなす)、基底的——「最も典型的な形の失語も、舞踏病も、片側振戦も、パーキンソン症候群も、妨げにはなるが、それ自体として、それだけでは、主体の意識・判断・社会的活動を変質させない」——、そして局在価値が大きい(p. 12)。後者の病理は大域的——「錯乱、統合失調症性の言語、デリールは、心的生活の全体の変質を構成する。……よく考えるなら、痴呆を失語から、ヒステリー者を『器質的』患者から、『心気症』を脊髄癆から区別するのは、この性格であって、他のいかなる性格でもない」——、尖端的——「機能的建築の斬首であって、上位の機能水準が破壊されたときにのみ、下位の水準が現れる。……解離は上から、ジャクソンの言う『複合的秩序』に従って行われる」——、そして「局在価値は弱く、おそらくは無である」(p. 13)。そのうえで、定義が置かれる。
Nous proposons d'appeler Neurologie la Pathologie nerveuse qui a pour objet les troubles du premier groupe et Psychiatrie la Pathologie nerveuse qui a pour objet les troubles du deuxième groupe. […] Je cherche à définir dans le cadre général de la Pathologie cérébrale deux sciences connexes mais différant entre elles comme leur objet : la Neurologie, science des désintégrations instrumentales, et la Psychiatrie, science des dissolutions supérieures et globales.我々は、第一群の障害を対象とする神経病理学を神経学と呼び、第二群の障害を対象とする神経病理学を精神医学と呼ぶことを提案する。……私が求めているのは、大脳病理学の一般的枠組のなかで、互いに連関しつつ、その対象を異にする二つの科学を定義することである。すなわち、道具的脱統合の科学としての神経学と、上位かつ大域的な解体の科学としての精神医学である。
Ey, « Neurologie et psychiatrie », Colloque de Bonneval 1943(p. 13)
1942年にカールバウムを筆写させた人物は、翌43年の秋には、二人の神経学の権威を向こうに回して、この境界画定のテーゼを防衛していたのである。第10研究がカタトニーに適用する判定格子——部分と全体、基底と尖端、局在価値の大小、そして道具の障害と無傷の心的生活との対照——は、七年前にこの論争の場で鍛えられた道具にほかならない。しかも同じ短論は、この区別が脳を精神医学から手放すものでないことに、あらかじめ念を押している——「私は、精神病の病理解剖学が存在しないと主張しているのではない」。脳過程が道具的装置を侵せば神経学的障害が生じ、そこでは病変と症状の対応は「きわめて大きく恒常的」である。心的機能の展開(déploiement)に必要なエネルギー過程を弱めれば精神病が生じ、それは「それを産む病変の座に直接には依存しない」(p. 14)。第10研究の結論第5項——病巣は諸水準への退行を条件づけるが、臨床像を構成するのは水準である——は、この一節の敷衍と読める。では、この区別はカタトニーの臨床でどう働くのか。エーは第10研究で二つの構造的基準を与える。
En fait, il s'agit là d'un type de dissolution de fonctions nerveuses qui se distingue des troubles de type neurologique : 1° en ce que les troubles psychomoteurs ne sont qu'une partie d'un tout qui est la structure de la psychose (le plus souvent schizophrénique) de telle sorte qu'il s'agit d'une dissolution globale et non d'une désintégration partielle ; 2° en ce que les troubles psychomoteurs sont secondaires aux troubles psychiques (dissociation, stupeur, etc...) de telle sorte qu'il s'agit d'une dissolution « apicale » et non d'une désintégration basale des fonctions motrices. Ainsi la catatonie nous apparaît être un trouble de niveau psychiatrique et non de niveau neurologique.実のところ、ここにあるのは、神経学的類型の障害から区別される、神経機能の解体の一類型である。第一に、精神運動障害が、精神病(多くは統合失調症)の構造という一つの全体の部分にすぎない点において――したがって大域的解体であって、部分的崩壊ではない。第二に、精神運動障害が精神障害(解離、昏迷など)に対して二次的である点において――したがって「尖端的」解体であって、運動機能の基底的崩壊ではない。かくしてカタトニーは、神経学的水準の障害ではなく、精神医学的水準の障害として、われわれに現れるのである。
Ey, Études psychiatriques, t. II, Étude n° 10(p. 160)
神経学的症状とは、エーにおいて、上位の精神活動(自我への統合)の「外」または「下」に位置する道具的機能の、部分的・基底的な崩壊である――結論の第4項はこれを、カタトニーは「運動の足場(échafaudage moteur)の水準で演じられるのではない」(ヘス)と要約する(p. 162)。精神症状とは逆に、「人格に、モイ(自我)に疎遠な障害」ではなく「モイの心的構造の転覆(bouleversement de la structure psychique du Moi)」(クライスト)の表現である(p. 161)。そしてこの区別に、エーは臨床の水準で決定的な試金石を与えている。
Même si dans certains cas de dissolution profonde (rapide comme dans certaines stupeurs confusionnelles ou progressives et lente comme dans les évolutions hébéphréno-catatoniques typiques), la couche fonctionnelle profonde est elle-même atteinte et se trouvent alors libérés des automatismes diencéphaliques ou mésencéphaliques, le tableau clinique reste essentiellement celui d'une stupeur ou d'une dissociation et n'offre pas ce contraste, si saisissant et caractéristique des troubles neurologiques, entre le trouble des fonctions instrumentales, d'une part, et la lucidité de la conscience, l'intégrité psychique, d'autre part.深い解体のある種の症例において(ある種の錯乱性昏迷におけるように急速な、あるいは典型的な破瓜緊張型の進展におけるように進行性で緩徐な解体において)、深部の機能層それ自体が侵され、間脳ないし中脳の自動症が解放される場合でさえ、臨床像は本質的に昏迷ないし解離のそれにとどまり、神経学的障害においてかくも印象的で特徴的なあの対照――道具的機能の障害と、意識の清明・心的生活の無傷性とのあいだの対照――を示さないのである。
Ey, Études psychiatriques, t. II, Étude n° 10(p. 161)
片麻痺の患者は、動かぬ手を清明な意識で見つめている。パーキンソン病者の筋強剛も小脳性カタレプシーも、無傷の心的生活の傍らで進行する道具の故障である。カタトニーにはこの対照がない――硬直は、それを「見ている」はずの主体もろとも、一個の構造の中に呑み込まれている。この構造的判定は具体的な臨床観察に裏づけられている。エーがクロードとバリュックから引き継ぐ弁別点によれば、カタトニーの硬直は表出的で絶えず可変的であり、固定した局在分布をもたず、受動運動への能動的抵抗であって、「カタトニーの手を錐体路性の手やパーキンソン性の手と比較するなら」、全体的な運動的態度と意志的・自動的行動に応じた筋緊張の変動が観察される――カタトニーの障害には「意志的の外観(apparence volontaire)」が具わっているのである(pp. 116–117)。カールバウムが疾患名を筋緊張(Spannung)から採りつつ「この命名によって症状と疾患の本性に関する特定の見解が先取りされてはならない」と書き添えたこと(S. 23、第三章)を想起するなら、エーの結論はこの方法的禁欲の76年後の履行と読める――緊張の名を負った疾患は、精査の果てに、筋の病ではなく構造の病と判定された。カタトニーの症候の大部分が神経学的症状の外観を呈するという事実そのものを、エーは決して否認しない。彼が示したのは、その外観が解体の深さの函数であり(前節)、獲得された二次的性格であり、そして最深部においてさえ、症状の組成が神経学的症状の文法――清明な意識を背景として際立つ道具的欠損――には従わない、ということである。
かくして二人の哲学的精神科医は、同じ運命に二つの応答を与えた。ヤスパースは単位を「理念」として無限遠点へ移し、エーは単位を「解体の構造水準」へ置き換えた。いずれも単位の実在論を手放しながら、カールバウムの臨床記述そのものは中心に保持している。そして興味深いことに、ICD-11 の解決――カタトニアを疾患単位としてではなく、多様な疾患のうえに現れうる独立の症候群ブロックとして立てる――は、セグラ=シャランの「疾患というより症候群」(1888)とエーの水準論の側に立ちつつ、フィンクらの「治療反応性という単位性の試金石」[11]を接ぎ木した折衷と読める(治療反応という試金石の疾病分類学的な射程については、第六章一で限定を与える)。カールバウムは勝ったのか。単位としては勝っていない。しかし、症状の横断像ではなく臨床の全体像(経過・転帰・治療反応)から病を切り出すという方法においては、完全に勝ったのである。
第六章 現代的意義――ゲルリッツへの帰還
一 三つの柱――治療可能性・身体医学・症候群化
現代のカタトニア医療を構成する三つの柱は、いずれもカールバウムのテクストに驚くべき先駆をもつ。第一に治療可能性。ロラゼパム負荷試験とECTが確立した「治療反応性の高い症候群」という現在像[11]は、クレペリンの荒廃予後ではなく、「あらゆる型において悪くない」(S. 93)というカールバウムの予後論の側に立つ。ただし、治療反応性の疾病分類学的な射程はここで限定しておかねばならない。ベンゾジアゼピンもECTも診断横断的に作用する治療であり、解熱薬の奏効が「発熱病」を疾患単位にしないのと同じく、ロラゼパム反応が証明するのは症候群としてのまとまりと回復可能性までであって、疾患単位の実在ではない。治療反応を「単位性の試金石」に数えるフィンクらの再統一論は、帰属を明示して紹介すべき一つの立場であり、本稿自身の結論はICD-11と同じく症候群の水準にとどまる。第二に身体医学との連続性。悪性症候群を悪性カタトニアとして再同定した現代の議論、自己免疫性脳炎や全身疾患に伴うカタトニアの認識は、カタトニーを徹頭徹尾「脳疾患」として、身体所見(結核合併、乏血、後頭部痛)とともに記載した本書の姿勢の延長線にある――結核の高頻度合併の指摘(S. 52–53)は、不動と身体合併症の連関という今日の臨床的関心(沈下性肺炎、深部静脈血栓症)の、140年前の対応物である。第三に横断的症候群としての制度化。ICD-11 の 6A4 ブロック[12]は、統合失調症の亜型としての幽閉を終わらせた。
二 シュナイダーの留保――「時機はまだ到来していない」
クレペリンの判決(第四章)と ICD-11 の独立(本章)とのあいだには、四分の三世紀の空白がある。この空白の中央に、一人の証人を立てておきたい。クルト・シュナイダーの『臨床精神病理学』は、統合失調症を類型論的に区分することに「今日ではもはやさほど深い意味はない」と断りつつ、相互理解と臨床教育のために単純型・緊張型・妄想型の三型を「今なお有用」として保持し、緊張型(カタトニー)を「多少とも急性の、過運動性ないし寡運動性の精神病」と規定する。そのうえで、運動面・言語面の奇矯を伴う統合失調症性の欠陥状態を「古い緊張病者(alte Katatoniker)」と呼ぶ慣行を、ここで意味されているカタトニーとは「ほとんど関わりがない」と切り離す[29]。カールバウムが第一の症例群として描いた急性で回復可能な病像と、クレペリンが転帰統計の母集団に数え入れた荒廃状態とが、シュナイダーにおいては名を共有しながら概念的に分離されているのである――もっとも彼は、「古い緊張病者」がもともと「若い緊張病者」であったのかを問う研究が「欠けている」と、両者の連続性の問いを開いたままにしている。
この分離に続けて、シュナイダーは「一つの特別な問題」を立てる。カタトニーが「身体的に基礎づけうる精神病(körperlich begründbare Psychosen)」に対してもつ位置である。
Schon seit langem hat man immer wieder versucht, die hyperkinetischen Psychosen von den Schizophrenien abzutrennen. Das gilt vor allem von den tödlichen und von den psychopathologisch völlig ausheilenden (phasischen, aber oft periodischen) Katatonien, auch von derartigen Zuständen im Wochenbett. Diese Katatonien wirken im Vergleich zu den andern schizophrenen Bildern viel elementarer, leibnäher, „organischer“. Neue histopathologische Untersuchungen an Katatonien von Huber haben gezeigt, daß viele dieser Zustände bereits positiv als (verschiedenartige) körperlich begründbare Psychosen aufgefaßt werden müssen. Dennoch ist die Zeit noch lange nicht gekommen, die Katatonie aus dem Kreis der Schizophrenien auszuscheiden. Von ihnen zu den anderen als schizophren zu bezeichnenden Formen führen für den klinischen Blick ja auch alle Übergänge.過運動性の精神病を統合失調症から切り離そうとする試みは、すでに久しい以前から繰り返しなされてきた。それはとりわけ、致死性のカタトニー、および精神病理学的に完全に治癒する(相性ではあるが、しばしば周期性の)カタトニーに、さらには産褥期に生じるその種の状態にも当てはまる。これらのカタトニーは、他の統合失調症性の像と比べて、はるかに基礎的で、身体に近く、より「器質的」な印象を与える。フーバーによるカタトニーの新しい組織病理学的研究は、これらの状態の多くがすでに積極的に(種々さまざまな)身体的に基礎づけうる精神病として把握されねばならないことを示した。それでもなお、カタトニーを統合失調症の圏域から除外する時機は、まだまったく到来していない。というのも臨床的な眼にとっては、それらから、統合失調症と呼ばれるべき他の諸形態へと、あらゆる中間形(Übergänge)が切れ目なく続いているからである。
Schneider, Klinische Psychopathologie(S. 45–46)〔筆者訳〕
筆者の記憶では、シュナイダーはカタトニーがクレペリンの統合失調症概念から外れるだろうと書いていたはずであった。原文を確かめると、彼が書いているのはその一歩手前である。切り離す試みは「すでに久しい以前から繰り返し」あった――ヴェルニッケ=クライスト学派の運動精神病、シュターダー(1932)の致死性カタトニー、産褥精神病の系譜がその背景にある――、そして切り離す根拠も揃いつつあった――回復可能な周期性の経過、「器質的」な印象、フーバーの組織病理学。だが結論は保留である。「時機はまだ到来していない」。しかも保留の理由は明示されている。臨床的な眼には、これらのカタトニーと他の統合失調症像とのあいだに「あらゆる中間形」――両方の概念に該当し、どちらとも言い切れない症例――が切れ目なく並んでいるから、というのである。シュナイダーの言う Übergänge は、一方から他方への時間的な移り行きではなく、二つの概念のあいだを埋める中間の症例群を指す。
この一節が本稿にとって重要なのは、三つの理由による。第一に、それはクレペリンの併合を、確定した学説としてではなく、なお係争中の問題として1950年代の教科書に書き留めている。カールバウムの単位は黙殺されたが、切り離しの圧力は消えていなかった――シュナイダーが「久しい以前から繰り返し」と書くとき、その系列の起点にはゲルリッツが立つ。第二に、保留の理由が中間形の存在であることは、切り離しに何が欠けていたかを正確に教えてくれる。中間形があること自体は、切り離しを不可能にはしない。中間形が障害になるのは、カタトニーを統合失調症とは別に同定する基準がないときだけである――基準がなければ、中間の症例をどちらに数えるかが決まらず、境界は引けない。ICD-11 がカタトニーを 6A4 ブロックとして立てえたのは、その基準――随伴疾患を問わない徴候クラスタと、治療反応性という試金石――を手にしたからであって、中間形が消えたからではない。CDDRが「持続性カタトニアは神経発達症または統合失調症に関連することが最も多い」と統計的言明を残し(次節)、カタトニアを「つねに何かに随伴する」症候群として構造化したことは、シュナイダーの中間形を否定するのではなく、それを診断の骨格に組み入れたものである――中間の症例は、統合失調症に関連するカタトニアとして、両方の診断を同時に受ける。第三に、シュナイダーは同じ頁で診断の原則を宣言している――「精神医学的診断は、われわれにとって原則として状態像に基づくのであって、経過に基づくのではない(Die psychiatrische Diagnose gründet sich für uns grundsätzlich auf die Zustandsbilder und nicht auf den Verlauf)。これはまた、身体的診断の原則でもある」(S. 46)[29]。第四章で見たとおり、クレペリンはカールバウムの単位を経過と転帰の法廷で裁いた。シュナイダーはその法廷の管轄を否認する。診断が状態像に基づくのなら、のちに荒廃に至るかどうかは、いま目の前にあるカタトニーがカタトニーであることを変えない。つまり、カタトニアを一つの症候群として、それが最終的にどの疾患に属するかとは切り離して立てることが、ここで初めて可能になる。ICD-11 がカタトニアを診断横断的な症候群として立てたのは、この考え方の上でのことである。
ただし、シュナイダーの留保には、カールバウムにも ICD-11 にも向かう二つの棘がある。一つは、身体的基礎づけをめぐる限定である――「われわれが述べたことはすべて、過運動性のカタトニーについてのみ当てはまり、寡運動性(昏迷性)のカタトニーについては当てはまらない。この二つの形態を、慣例どおり臨床的に比較してよいものかどうか、それ自体がきわめて疑わしい」(S. 46)。カールバウムがメランコリー・躁・昏迷・錯乱を一つの経過の諸段階として束ねたところで、シュナイダーは過運動と寡運動を「比較してよいか」さえ疑う。ICD-11 が減少・増加・異常の三クラスタを一つの症候群に収めたことは、この疑いに対する回答をまだ与えていない(本章三の神経科学的知見が、無動性カタトニアと興奮性カタトニアとで異なる機序を示唆していることも想起されたい)。もう一つは、「疾患はつねに身体的である(Krankheit ist stets körperlich)」というシュナイダーの前提そのものである。統合失調症性の状態像の背後にも未知の身体疾患を想定する彼にとって、カタトニーが「器質的」に見えることは、それだけでは統合失調症からの除外理由にならない――除外が意味しうるのは、未知の身体疾患から既知の身体疾患への移送にすぎないからである。シュナイダーの文章は、カールバウムの「脳疾患」と現代の「二次性カタトニア」とのあいだに横たわる、この概念上の落差をも測らせてくれる。
ここで三つの補足を加えておく。第一に、上の引用の中間形は統合失調症の型の系列の内部のもの――カタトニーと単純型・妄想型とのあいだ――であって、シュナイダーが統合失調症と循環病とのあいだに立てる「中間例(Zwischen-Fälle)」とは別である。後者は「統合失調症か循環病かという鑑別類型論が決しえない場合、言い換えれば両方の診断が同等の権利で擁護できる場合」に限って認められ、「純粋に記述的に解されており、したがって没理論的」で、二つの体質圏が混合するという考えを明示的に退ける(S. 70)[29]。カタトニーはこの中間例の議論には登場しない。周期性で完全に治癒するカタトニーをシュナイダーが循環病の側へ寄せず、身体的基礎づけの側へ引き寄せていることは、上に見たとおりである。この中間例が、やがて統合失調感情症(ICD-11 の 6A21)として第三の箱を与えられることになるが、シュナイダーが診断の決定不能を認めた場所に決定可能な単位を立てることは、彼の記述的態度の延長ではなく、その裏返しである。
第二に、シュナイダーが「統合失調症の圏域」にカタトニーを留めるとき、その圏域は疾患単位ではない。統合失調症を類型に分けることには「もはやさほど深い意味はない」(S. 45)と言う彼にとって、三型は相互理解と教育のための便宜にすぎず、単位性の根拠は三分法にはない。しかも身体的な単位性も想定されていない。総論の体系図についてシュナイダーは、循環病と統合失調症の身体的原因を「それぞれ一つの統一的な疾患に見るわけではない――それは循環病については考えられても、統合失調症については考えられない」とし、「今日なお事態はこうである。身体的本態の知られていない精神病から、いくらか典型的に循環病的なものを差し引き、残るものを Schizophrenien と呼んでいる」「今日われわれが統合失調症と呼ぶすべての像のうちに、共通のものとして回帰する何かを示すことはできない」と書く(総論 S. 4)[29]。統合失調症は複数形で、循環病を引いた残余であり、共通項を欠く。ブロイラーの「統合失調症群」の継承というより、より徹底した残余概念である。そしてこの残余は――カールバウムの単位を呑み込んだ早発性痴呆がそうであったように――そこから何を切り出しても、切り出された側が「疾患」になるだけで残余の側は変わらない、という構造をもつ。カタトニーが「身体的に基礎づけうる精神病」へ移送されうると言うとき、シュナイダーはこの構造を正確に見ている。
第三に、診断の哲学の違いである。クレペリンの診断学は経過診断であり、症候群の同一性は転帰によって事後的に裁定される。シュナイダーはこれを退け、横断的な状態像の診断しか認めない――「われわれのように」状態に決定的な重みを置く者は、一級症状を示した精神病が「残りなく治癒しても」統合失調症の診断を維持し、経過によって診断する者は、真に治癒した精神病を、その症状が統合失調症的であっても循環病に数える(S. 69)[29]。この対立を診断学における哲学の違いと見るか、時代や制度の背景――大学クリニックとアンシュタルトの統合体制が可能にした長期経過の観察(第四章)と、それを欠く戦後の診断実践――に帰すかは、本稿の判断の外にある。ただ一つ確かなのは、シュナイダー自身がこの横断的診断の限界を隠さなかったことである。「頻用される診断である循環病と統合失調症は、今日なお純粋に精神病理学的に下されており、純粋に心理学的な事実であって、それゆえ根本においては医学的な意味での診断ではない」(S. 44)[29]。生物学的基礎が確定しないまま症候学で分類することの暫定性を、彼はカールバウムと同じく(第二章)、疾患の認識に先立つ「知ること」の段階として引き受けていた。カタトニーがその暫定的な圏域から出るための条件は、したがって、経過でも三分法でもなく、身体的基礎づけか、さもなくば――ICD-11 が選んだように――圏域そのものの解消であった。
三 CDDRの精密と空欄――「何であるか」と「なぜ精神医学か」
ICD-11 の 6A4 ブロックに臨床的内実を与えているのは、WHO の『臨床記述と診断要件』(CDDR、2024)である[24]。そのカタトニア章(pp. 201–209)を第10研究と突き合わせると、二重の発見がある。カタトニアが何であるかについての記述は、エーの結論と細部に至るまで合致している。しかしカタトニアがなぜ精神医学に属するのかという問いに対して、CDDRは答えを与えていない――それどころか、答えの不在をみずから告白しているのである。
まず合致の側を見る。CDDRの定義は冒頭からエーの用語で書かれている――カタトニアは「主として精神運動性の障害の症候群(a syndrome of primarily psychomotor disturbances)であり、精神運動活動の減少・増加・異常に属する複数の症状の共起によって特徴づけられる」(p. 201)。評価は「観察・面接・身体診察を要する」とされ、三クラスタ15徴候のうち筋強剛・蝋様屈曲・カタレプシーには「診察を要する」の標識が付き、自律神経異常(発熱・低体温・血圧異常・頻脈・徐脈)には生命の危険を告げる専用の症状コード群が用意され、重症度基準そのものに拘縮・消耗・脱水・誤嚥・横紋筋融解による腎不全・死が書き込まれている(pp. 202–203)。二次性カタトニア症候群(6E69)の項に列挙される「説明しうる医学的疾患」の長大な一覧――脳幹・間脳・大脳基底核の障害、前頭葉・頭頂葉病変、嗜眠性脳炎から、糖尿病性ケトアシドーシス、高カルシウム血症、肝性脳症、ポルフィリン症、ペラグラ、ウェルニッケ脳症まで(pp. 206–207)――は、結核合併の高頻度まで記載したカールバウムの身体章の、正嫡の後継である。間脳がそこに明記されていることは、間脳の病変が昏迷と解離とを条件づけうるというエーの譲歩(p. 161)と正確に響き合う。
中核疾患の位置づけも、エーの定式の制度化と読める。CDDRに「一次性カタトニア」は存在しない。カタトニアはつねに何かに随伴する――他の精神疾患に関連するもの(6A40。統合失調症等の一次性精神病、気分症、神経発達症とくに自閉スペクトラム症。関連疾患は「別個に診断すべし」)、物質・医薬品誘発性(6A41)、医学的疾患による二次性(6E69)、特定不能(6A4Z)。「カタトニー性の障害は一つの全体の部分にすぎず、その『全体』こそが個々の臨床形を特徴づける」というエーの結論(p. 158)は、ここでは分類の骨格そのものになっている。エーの言う統合失調症という「本籍」すら、統計的言明として残存する――「持続性カタトニアは神経発達症または統合失調症等に最も多く関連し、青年期発症が多い。持続性では意志の障害(拒絶症・衒奇症・常同)が優位で、昏迷が数週を超えて持続することは稀」(p. 204)。復活したのはカールバウムの疾患単位ではなく、症候群と基礎疾患の二重コーディングである。
次に空欄の側である。CDDRがカタトニアと神経学とのあいだに引く線は、徹頭徹尾、操作的な除外規定にとどまる――一般診断要件の末尾の「症状が、第8章(神経系疾患)に分類される一次性運動障害によってはよりよく説明されないこと」(p. 203)、緘黙を神経系疾患・言語障害による場合には算入しないという徴候水準の注記(p. 202)、6A40におけるパーキンソン病・ハンチントン病の除外。だが「よりよく説明されない」ことをいかに判定するかの積極的基準は与えられない。カタトニー性の強剛を錐体路性・パーキンソン性の強剛から区別する目印――エーがクロードとバリュックから引き継いだ、表出性・可変性・能動的抵抗・「意志的の外観」(第五章五)――に対応する記載は、CDDRのどこにもないのである。そして総論は、章の区分そのものについて、次のように述べる。
Given that mental, behavioural and neurodevelopmental disorders also affect the brain, in some instances the distinction between the two chapters is arbitrary and reflects professional tradition – especially the boundary between psychiatry and neurology – as much as biological or phenomenological differences between the conditions listed in each.精神・行動・神経発達の疾患もまた脳を侵すものである以上、両章の区別は、場合によっては恣意的であり、それぞれの章に列挙された病態のあいだの生物学的・現象学的差異と同じ程度に、専門職の伝統――とりわけ精神医学と神経学の境界――を反映している。
WHO, CDDR(p. 28)
率直というべき自白である。カタトニアが精神疾患の章に立つことの概念的根拠は、公式には「伝統」なのだ。それでいて、CDDRの構造は暗黙のうちにエーの側に立っている。脳疾患・身体疾患が直接の病態生理学的原因である場合ですら、症候群そのものは 6E69 として精神疾患の章の側にコードされ、しかも「他のカタトニアとの診断上の共通性のゆえに」カタトニア群に併記される(p. 201)――症候群の水準は、原因の所在にかかわらず精神医学に属するのである。ICD-10 の F06.1「器質性緊張病性障害」は 6E69 に改名され、「器質性/非器質性」の区分そのものが「人為的で、科学的にも臨床的にも不正確な『心身二元論』」(p. 11)として全廃された。せん妄との境界規定――注意・意識・覚醒の障害はせん妄を特徴づけカタトニアの特徴ではなく、意志の障害(両価傾向・拒絶症・衒奇症)と筋トーヌス異常はカタトニアに生じせん妄には生じない(p. 208)――は、カタトニー性意識を錯乱の上位に置き、意志の障害を核としたエーの記述(第五章四)と事実上同型である。要するにCDDRは、エーの結論だけを制度化し、その論証を落とした。
だからこそ、第10研究は現役である。器質力動論の語彙を今日そのまま神経生理学として読むことはできず、その解体の階層はある程度まで比喩として受け止められねばならない。だがその臨床的文法――精神運動障害は全体の部分であり精神障害に二次的であるという二基準、そして道具的機能の障害と意識の清明との対照の欠如という試金石(第五章五)――は、CDDRが空欄のまま臨床判断に白紙委任した当の箇所を埋める、現在も数少ない理論的資源であり続けている。カタトニアはなぜ精神症候群でなければならないか。CDDRはそれを定めたが語らず、エーは四分の三世紀前にそれを語っていた。付言すれば、この不可知論的な構えの遠い祖先は、ほかならぬカールバウムの方法的禁欲――「この命名によって症状と疾患の本性に関する特定の見解が先取りされてはならない」(S. 23)――である。ただしカールバウムとエーにおいて禁欲は構造の探究へ向かう出発点であったのに対し、CDDRにおいてそれは終着点になっている。この差が、分類と理論との差である。
四 神経科学の現在――GABA・NMDA・免疫
エーの構造論を「現役」と呼ぶ以上、その語がどの水準で成り立つのかを、現代神経科学の知見に照らして限定しておかねばならない。第一にGABA系。ロラゼパムの劇的な奏効という臨床的事実の背後に、ノルトフらは無動性カタトニア患者の感覚運動皮質におけるGABA-A受容体結合能の低下を画像的に示し、ベンゾジアゼピン反応性に神経化学的な対応物を与えた[26]。第二にグルタミン酸系。NMDA受容体機能低下の仮説がこれに並び、2007年にダルマウらが同定した抗NMDA受容体脳炎は、カタトニー像を高頻度に呈する疾患が、受容体特異的な自己抗体という分子機構をもちうることを示した[27]。第三に免疫系と運動回路。自己免疫性脳炎の圏域の拡大は悪性カタトニアと悪性症候群の近縁を照らし出し、皮質―基底核―視床ループや補足運動野の関与を示す画像研究が蓄積している[28]。カールバウムが結核合併にまで及ぼした「脳疾患」としての記載(S. 52–53)は、この文脈では正嫡の先駆である。
これらの知見は、本稿のエー評価に対して両義的に働く。一方でそれらは、器質力動論の語彙――エネルギー的機能、解体の水準――を今日の神経生理学へ直訳することがもはやできないこと、その階層図式が経験的理論としてではなく概念分析としてのみ維持しうることを、決定的にする。他方で、抗NMDA受容体脳炎はエーの構造的基準そのものへの現代からの試金石である――「神経学的」な分子機構をもつ疾患が、道具的機能の障害と意識の清明との対照を欠いた、臨床的に区別不能のカタトニーを産む。境界は分子の水準では引けず、症状の組成の水準でのみ引ける――エーの基準が生き残るとすれば、まさにこの水準においてであり、本稿が第10研究に求めたのも分子機構ではなく、CDDRが空欄にした境界の論理であった。この限定を明示することは、エーを貶めることではない。水準を明示された概念分析は検証可能であり、カタトニアの神経科学が進むほど、「なぜ精神医学か」の問いはむしろ鋭くなるからである。
五 日本語圏の受容
日本語圏の受容についても一言しておく。渡辺哲夫による全訳(1979)[1]は本邦のカールバウム受容の礎石であるが、それが刊行された時代の読みの枠組は「早発性痴呆=統合失調症の一亜型の先駆的報告」であり、訳業の価値とは別に、原典は亜型史観の文脈で受け取られてきた。カタトニアの独立が制度化された現在、原典は再読を要求している――本稿の新訳が既訳に代わろうとするものではなく、読みの枠組の更新を志すものであることは、ここに明記しておく。近年の本邦の研究(大前による診断学的格づけの精査ほか)[15]は、この更新がすでに始まっていることを示している。
結語――黙殺論の教訓
ピネルにおいて発祥の閃光は初版に走り、第二版で分類の深部に溶けた。カールバウムにおいて閃光は1863年と1874年に二度走り、そして百年間、誰の目にも映らなかった。本稿が跡づけた簒奪の力学――講座なき者の声は教科書に届かず、段階説という弱点が全体の解体口実となり、方法の法廷で創始者自身が敗訴し、二つの偶然の死が判決を確定した――は、しかし、単なる悲話ではない。そこから引き出すべき教訓は三つある。
第一に、疾患概念の存亡は、その真理値と同じだけ、それを運ぶ制度的乗り物(教科書・講座・分類体系・そして今日では診断マニュアルと診療報酬)に依存する。この認識は、ヒーリーとショーターの啓蒙書群が現代の製薬マーケティングについて示したこと[14]と、正確に同型である。第二に、転帰による分類は強力だが、転帰は治療と環境の函数であり、「自然経過」の統計は放置の統計でありうる――経過の医学は、おのれの観察条件を対象に含めて反省しないかぎり、自己正当化の循環に陥る。第三に、それでも臨床的方法は勝つ。カールバウムの単位は死に、方法は生き延び、そして単位さえも――症候群として、治療反応性を試金石として――148年後に帰ってきた。黙殺は最終判決ではない。原典が残るかぎり、再読が控訴審である。本稿がその一助となれば足りる。
残された課題も記しておく。『精神疾患の群別』(1863)は本稿改訂の過程で原本複製を入手し、その方法綱領・体系表・造語箇所を第二章に反映したが、全篇の精読はなお継続する。ヘッカー追悼文全文の確認、サンタンヌ手写本のエー注記の完全判読と全文照合、そしてカールバウムの症例26例と現代基準(ICD-11・ロラゼパム反応性)との遡及的照応――最後のものは、補遺Iの方法的限定(遡及的読解であって確定的同定ではない)のもとで、稿を改めて行う。
附録 全26症例集註
『緊張病』に通し番号を付されて織り込まれた症例史は26に及ぶ。ただしその全部がカタトニーの症例ではない――第10症例は文献からの借用(縊死蘇生例)、第22〜25症例は病理解剖の比較対照として置かれた進行麻痺の4剖検例であり、カールバウム自身の観察になるカタトニー症例は実質21例である。患者名がすべて変名であることは S. 6 の脚注に明示されている。以下、各症例の所在頁と梗概を、要所の抄訳とともに掲げる(本文に訳出した箇所は重複を避けて指示のみとした)。訳はすべて拙訳、頁付けは原本による。
第1症例(S. 6–10) ベンヤミン・L.、27歳、田舎学校教師、農家の子。メランコリー性の前駆ののち顔面と四肢の舞踏病様不随意運動、緘黙と不動へ。1861年9月アレンベルク収容時はほぼ全きアトニテート、蝋様屈曲性を伴い、針の刺激にも項に掛けられた毛髪雲線にも無反応。座位では「エジプトの巨像」の原型(S. 8、本文第三章訳出)。9か月目のある日、突然監視長の首に抱きつき、笑いかつ泣いて廊下を歩き――ふたたび沈黙に還った(S. 9)。回復期の対話「誰が禁じたのでもありません……」も本文に訳出。約16か月で発語と書字が戻るが精神的貧困化が残り、3年後、満床のため未治のまま退院。
第2症例(S. 11–13) ユリウス・G.、33歳、ティルジット近郊の農夫。失恋(1856)と梅毒感染後のメランコリー。担当医が治療として結婚を勧めたという記載は時代の証言である。強直性の後弓反張様運動、閉眼したままの緘黙・不動を経て1863年12月アレンベルクへ。1864年3月末、絶対的沈黙が一転して宗教的語彙の単調な反復言語に変わる(「愛は神なり……」S. 12、本文訳出)。声は嗄れ、発熱し、同年8月21日、右肺の急性結核により死亡。剖検は病理解剖章の冒頭に置かれ、脾腫と回腸潰瘍を記録する(S. 62–63)。
第3症例(S. 13–16) ミンナ・フォン・B.男爵夫人、45歳。産褥出血後の慢性貧血、コレラの恐怖体験、冷水療法への熱狂、更年期の被毒妄想を経て、1866年、戦争の動揺のなか完全な狂躁で発病。カールバウムの観察下(1868年以降)では、うずくまる緘黙硬直、皇后妄想を伴う多弁な誇大・好色性興奮、そして布片を捻り続ける中間相(「ヴュルステルン」)の三相を循環した。機械の騒音のような幻聴、二人称の自己呼称、持続的な禿頭に至る抜毛、「神に命じられて」の脱衣。誇大期の手紙全文は本文第三章に訳出(S. 15)。
第4症例(S. 16–17) アドルフィーネ・M.、29歳、女性教師。1858年春に8日間の躁的発作、後遺なし。1863年8月、著しい多弁と拒食をもって再発、64年4月収容。悲愴で演劇的な性格のメランコリー性興奮と幻覚、同年7月末から高度のアトニテート――うずくまり、拘縮姿勢、緘黙、不潔――が見かけの痴呆にまで深まる。65年11月には全肢と頭頸の筋のテタニー性緊張と開口不能。揺さぶられ「話しなさい」と言われると、すぼめた手と突き出した人差指で喉頭と口を指した(S. 17)。切れ目なき大声の多弁を若い同僚医師は「口の下痢(Munddiarrhoe)」と呼んだ。1869年2月、かなり突然に持続的な回復に転じ、5月、本質的に健康で退院――ただし過去の倒錯についての明瞭な自覚は残らなかった。
第5症例(S. 17–18) ミヒャエル・G.、20歳、農僕。15歳で初回の躁的発作。1860年5月、悪魔の幻視と高度の狂躁で再発、のち頑なな緘黙硬直へ。8月以降は筋群ごとの痙攣様硬直(代診医リーマーの記録が S. 17–18 に引用される)、全肢の真の痙攣発作、鼻出血。瀉血・蛭8匹・毛髪雲線・硫酸銅アンモニウムという同時代の治療の目録がそのまま残る。1861年4月に心身とも回復し、8月、治癒退院。
第6症例(S. 18–19) アドルフ・L.、24歳、薬局助手。1862年から傲岸で頑迷、63年には無為と悪魔の幻視幻聴、器物への痙攣的な把持。64年2月収容時には進行した精神衰弱、硬直と頑固のアパチー、閉眼、そして口唇を吻状に長く突き出す独特の口の痙攣――「シュナウツクランプフ」の術語の初出例(S. 18)。ナイフと匙をどうしても使わず、スープを皿から直接飲む。投薬・学課・体操にもかかわらず中等度アトニテートのまま変わらず。足の外縁で歩き、休息時は右前腕で顔を覆う――その姿勢の常同は皮膚に持続的な圧痕を残すほどであった(S. 49)。
第7症例(S. 19–20) ペーター・U.、33歳、ケーニヒスベルクの商人。梅毒感染後の心気的不調のなか陪審員を務め、法廷での傾眠と、嘲笑・刑事訴追への恐怖から完全なメランコリーへ。警察が観察のために部屋へ鏡板を仕込ませたという妄想(S. 19)。11月中旬、完全なアトニテートで収容、匙で養われ、僅かな運動で額に汗した。64年1月末、発語はささやきの反復として戻る――街の犬の声を機に「犬、犬、犬」、やがて「煮込み肉を食べる……」が結晶し、ローストの種類だけが交代し、のちに「歌は人生を美しくする」「歌と愛と朗らかな心はこの世で一番美しい」が接合される数か月(S. 20、本文訳出)。自宅で完全に治癒し、健康を保った。
第8症例(S. 20–21) ニーナ・フォン・J.、24歳、早くに孤児となった貴族女性。1862年の躁的発作から5か月で回復。心に秘めた士官が乗馬中の転落で死ぬと、当初は平静に見えたが、64年11月、完全なメランコリーに沈む――終日ソファに座し、強いられなければ答えず、ついに拒食。収容時は中等度アトニテート(うなだれた頭、遠くを見る視線、針の刺激に無反応)。多感覚性の幻覚にもかかわらず数か月で著明に改善し、7月、大幅に軽快して退院。ひと月のあいだの唯一の発語は、加減を問われての「それは――」、一度だけ「ティルジットでは」(S. 21)。
第9症例(S. 21) ヴィルヘルミーネ・R.、21歳、女中。てんかんの同僚女中と共に働かされたのち、暇も告げず母のもとへ帰り、既に驚愕性メランコリーの像を呈していた。「悪魔がじきに自分を引き裂く」とひとこと言い、働くよう迫られるとその言葉を反復して罵り始め、医師の問いにはすべて「存じません」と答えた。1861年3月収容、4か月の全緘黙ののち最初の反応は微笑であり、以後急速に改善、5か月目の終わりに治癒退院。
第10症例(S. 27–28) 無名、25歳、頑健な囚人。縊死・蘇生とそれに続く数週間の圧縮されたカタトニー全経過。全文を本文第三章に訳出。シュピールマン『診断学』S. 285 からの借用(原出典はジーベンハールの国家医学雑誌のメーディング報告。S. 27 脚注)。
第11症例(S. 32–35) パウル・M.、24歳、小学校教師の子、商人。資料として患者自身の手記が引かれる稀有な例――「不浄の衝動の充足が6年にわたり止めどなく荒れ狂ったのち……突如、破局が訪れた」(S. 32)。脳が千々に引き裂かれる体感、シャリテー入退院の反復。1867年1月収容時の対話は「私はいわば運命の人間です(Ich bin eigentlich ein Schicksalsmensch)」に始まる(S. 32–33、俳優・彫刻家・画家「何にでもなれます」と続く)。狂躁の只中で繰り返し聞かれた「私は血を見なければならない」。5日間、日に2度、2〜3時間の痙攣性・強直性発作。数か月の狂躁とアトニテートの交代、意図的な不潔。実父とその実妹の子だという「誰にも打ち明けられない、あまりに恐ろしい秘密」(S. 34–35)。未治のまま退院。
第12症例(S. 35–36) ユリウス・T.、若い商人。メランコリー性前駆ののち、意識の部分的混濁を伴う宗教的狂躁と恍惚。散歩では「汝を祝福する者を祝福せよ」と唱え、右足で踏み出せば効き目があると付言した。高い悲愴調で――「見たのだ、確かに。その物のもとに留まれ……目の光、目の光(と、こちらの瞳をまともに覗き込む)、瞬く間にそれは来る……。カールバウムの絵を見た、そしてそれはバウレカムに留まるべし。私が見て、そのもとに留まる一枚の絵だ」(S. 35)――医師の固有名までも韻律に呑み込む言語自動。「頭痛がありますか」に「魂の頭痛なら、あるいは」(S. 35–36)。庭で誰と話していたのかと問われ、「私を造った芸術家と。私の神とです」。真のアトニテート期を欠いたまま、13か月で精神的に健康となり退院。
第13症例(S. 37–39) マテス・アルボフスキ、囚人(ヴァルテンブルク監獄、加重窃盗6件と反乱で10年半の刑)。服役最初の5年は毎年一過性の宗教的パラノイア様発作、7年目から持続的な障害となり州立施設へ。廊下の真ん中で数時間、硬直姿勢で立ち尽くし、手をズボンに入れたまま宙に向かって大声で説教し、宙に字を書き、上体を直角に曲げた奇怪な姿勢を保った。ヴェルビゲラチオン命名(S. 39)の主要展示例であり、カールバウム自身が書き留めた語録が残る――「……プロイセンの王、プロイセンの王子、プロイセンの王子、私も知らない、弾丸も知らない、永遠にアーメン。ナッサピングリ、ナッサピングリ、永遠にアーメン。父と子と聖霊、永遠にアーメン……」(S. 38)。
第14症例(S. 40–44) ベンノ・フォン・T.、22歳。1862年末、被害妄想で発病。フレーリヒス、ヴェストファールの治療を経てゲルリッツへ。あわせて5年を超える頑固な全緘黙、シュナウツクランプフ、拒薬・拒食・拒履の否定症、興奮期には医師の手足に接吻する這うような慇懃。緘黙期以前には「人間らしくしてください」「母とひとことだけ話させてください」の単調な哀願反復(S. 40–41)。秘密の電気機械が自分に作用しているとし、のちには医師を告発した――「先生が私の脳に蛭を仕掛けた、電気機械で穿頭器を仕掛けたのだ」(S. 41)。単語だけを並べる時期には「看守」「砂糖」「薬」「として」と示し、「看守が砂糖を薬としてくれる」と解かれると嬉しげに頷いた(S. 42–43)。1870年、ガルヴァーニ電気治療の初日、疼痛に耐えたその日の午後の回診で自発的に医師に話しかける――5年ぶりの発語(S. 43)。回復後は「話す機械か話す時計」のような常同的質問癖が残った――「ビスマルクはどこですか」「ゴルチャコフ公をご存じですか」「トゥヴネルのことを話してくださいますか」。
第15症例(S. 45) ジークムント・S.。経過は語られず、指小辞言語の例として日付入りの語録のみが引かれる――1872年12月21日「私はこんなに小っちゃなお手々とお足々をしている」「先生、あなたはとても小っちゃい」。73年1月5日「ああ、私はこんなに小っちゃくて、2分で死んじゃう」。4月5日「私はこんなに小っちゃくて、こんなに弱っちい」。4月14日「今はときどき、こんなに大っきい」。5月14日「私は死ななくちゃ、人はみんな死んじゃう、私は消えなくちゃ」。この症状が「もっとも顕著に発達した」例としては第26症例が参照される(S. 45)。
第16症例(S. 63–64) アンナ・G.、44歳、小作人の妻、6児の母。重病の子を眠らずに看病したのち、頑固な下痢、次いで数日の睡眠強迫。親族の長い宗教的説諭の直後に24時間の狂躁発作が突発し、以後、徘徊と讃美歌と拒食の興奮相と、両手を突き出したまま硬直して立つ昏迷相とがほぼ日単位で交代した。「頭が病気なのです。考えがぐるぐる回るのです」(S. 63)。時に夢から覚めるように醒め、「何かを仕出かした気がするが、それが何か分からない」(S. 64)。発病6か月、カタル性下痢ののち消耗のうちに死亡。剖検で両肺に結核結節。
第17症例(S. 64–69) ユリウス・P.、33歳、税務候補生、製粉業者の子、既婚。1864年から頭痛・発汗・悲哀。任命特許状を「大いなる荘重さをもって」開封し(S. 65)、そのまま緘黙と拘縮へ沈む。導尿と強制栄養、拘束衣(その間「一度だけ鈍いうめきが唇を洩れた」S. 66)。夜中に自ら項の毛髪雲線を引き抜き、翌朝は全量を食べた(S. 66附近)。7月2〜3日のただ一度の多弁の日――「機械」の対話(S. 66–67、本文第三章に全訳)――の翌々夜、突然死。発病から14か月足らず。剖検は約1ポンドの膿性混濁液を伴う腹膜炎と、膿瘍状に融解した左腸腰筋、脳室角の癒着を記録する(S. 68–69)。
第18症例(S. 69–71) フリードリヒ・アウグスト・St.、26歳、日雇い労働者の子、神学生。給費で学ぶ苦学生、休暇には飢えた(S. 69)。1863/64年冬学期、講義中に痙攣発作を起こし、まず大学の懲罰房(カルツェル)へ入れられ、それから市立病院で「神経痙攣」として治療された――時代の記録である(S. 70)。帰郷後は貧しい小部屋の隅で数週間、不動・緘黙・蝋様の姿勢硬直。病因として立てられたのは「全く失われた自己信頼と、おのれの人生の目標を追うことができぬという暗い表象」、それに長年の窮乏のみ(S. 70)。1864年9月アレンベルク収容、弛緩性アトニテートの像のまま、66年3月2日、消耗死。剖検で左肺の結核性空洞、小腸の穿孔性結核潰瘍7つ、胃腸内の回虫(S. 70–71)。
第19症例(S. 71–72) ヴィルヘルミーネ・H.、26歳。メランコリーから狂躁へ、否定的意志作用(言動における頑固と反対)の優位、てんかん様発作1回、うずくまり姿勢への偏愛、無愛想な寡黙。28か月で肺と腸の結核により死亡。剖検所見の末尾に、左子宮広間膜の榛実大の水胞2つを記して「これに相応する反射性の妄想表象は観察されなかった」と付す、乾いた一行がある(S. 72)。
第20症例(S. 72–74) ゴットリーベ・J.、40歳、小屋住み農婦。幼時にてんかん様痙攣、晩年は焼酎に耽った。約3年、易怒と、特別の意味を帯びた夢の増悪。夢は「悪魔に憑かれている」という固定形をとり、週ごとの告解へ駆り立てた。ある夜、錯乱した言葉と跳躍と舞踏をもって完全な狂気が突発(S. 72)。1864年8月収容、全般的錯乱、猥雑な歌、破壊癖。回転運動の詳細な目録が残る――「常同的に行き来し、手を胸の前で円く回し、人の回りを回り、独りで輪を描いて歩き、その場で旋回し、皿を、食べる前の肉片を回す」(S. 72)。1865年12月28日、腹膜炎で死亡。剖検で子宮脱と萎縮腎(S. 72–74)。
第21症例(S. 74) 無名。剖検のみの症例。7年の経過、発展期の反復する狂躁と、多年のアトニテート期における高度の蝋様屈曲性とヴェルビゲラチオン。剖検は前頭部で強く襞をなす硬膜(脳萎縮)、クモ膜と硬膜を膠着させる粘滑なフェルト状の塊、両肺の結核性空洞、高度の削痩を記録する。S. 74 には剖検7例(第16・17・18・19・20・2・21症例)の罹病期間順の一覧表が置かれ、うち5例に進行した肺結核が確認される(S. 85)。
第22〜25症例(S. 77–80) 比較対照として置かれた進行麻痺の4剖検例。フェルディナント・S.、42歳、鉄道労働者(半年足らずで死亡。硬膜内面の血腫、脊髄後角の膠様灰色変性)。ラインホルト・S.、44歳、雇僕(大狩猟の接待から言葉を失って戻り、誇大妄想と麻痺、約1年で死亡)。ユリウス・N.、31歳、裁判所陪席判事補(ごくありふれた麻痺性精神障害の経過、約2年で死亡)。ユリウス・フォン・O.、35歳、鉄道官吏(半年の寛解で復職ののち、反復する発作から深い痴呆へ)。眼目は所見の対比にある――麻痺では円蓋部のクモ膜が早期から「腱のように白く」「紙のように」混濁するのに対し、カタトニーの混濁は脳底、橋と視交叉のあいだの遊離葉に限局する(S. 77・80)。
第26症例(S. 93–96) ジークムント・X.、43歳、地方裁判所書記。3か月で治癒に至った好予後の証拠例として予後章に全文報告される。経過と抄訳は本文第三章の五に収めた。5年後、元患者自身が知人家族の精神病者の入院手配を行ったという追記(S. 96)、および退院を推したのがカールバウム自身であったこと(S. 98)を含む。
改訂経過(作業メモ――完成稿にて削除) v4で全26症例集註の附録を、v5で『精神疾患の群別』(1863)原本にもとづく第二章拡充を、v6–v7で第五章の二節(意識解体の尺度・精神症状と神経学的症状)と第六章のCDDR照合の節を、v8–v10でヤスパース独語原文照合と『神経学と精神医学』(ボンヌヴァル1943・刊1947)の組み込み、引用ブロックの原文先行様式への統一を増補。v11(2026·8)は合評会の指摘に応える――序に用語注(「誘拐」はショーター=フィンクの表現、「簒奪」は本稿の分析概念)、第四章にクレペリンの留保「今日われわれの見渡しうるかぎり」と早発性痴呆概念の形成途上性、大学クリニックとアンシュタルトの統合体制(エングストローム)、観察の場の選択バイアスの両面性の補記、第六章に「神経科学の現在」(GABA-A受容体結合能の低下・抗NMDA受容体脳炎・自己免疫)の新設、治療反応性は予後と症候群のまとまりを裏書きするが疾患単位の実在を証明しないという限定の明示、目次と引用⇄文献相互リンクの整備。v12(2026·9):第六章に「シュナイダーの留保」の節を新設(節番号を繰り下げ)、文献[29]を追加。同節末尾に三つの補足(Übergänge と Zwischen-Fälle の区別、残余概念としての Schizophrenien、経過診断と横断的診断の対立)を追記。索引頁(index.html)の抄録からはこの経過を除き、改訂内容を抄録本文に反映済み(2026·9)。